raimund

新・今でもしぶとく聴いてます

朝比奈・ベートーヴェン

15 10月

ベートーヴェン交響曲第8番 朝比奈隆、大PO/1997年

201015ベートーヴェン 交響曲 第8番 へ長調 作品93

朝比奈 隆 指揮
大阪フィルハーモニー交響楽団

(1997年5月25日 大阪,ザ・シンフォニーホール ライヴ録音 CANYON/Octavia Exton)

 何年前だったか、今世紀の初め頃に南山大かどこかの司祭の講演を聴いたことがありました。話の枕に世の中どんどん保守化しますよ、していますよ、というくだりがあり、当時は「またまた大げさな」くらいに思っていました。ここ何年かの、抜身のまま権力をぎらつかせる振る舞いが目立ってくると、それが保守
化なのか右傾化なのかはともかく、講演の話に少し合点がいく気がします(肝心の講演はどんな内容か覚えていませんが)。昨夜は件の学術会議の話、ラジオのニュースではいつのまにか制度、あり方にすりかわっていて、「欧米の学術会議のような機関は~」という提起をして(憲法とか人権の分野では欧米とは違うと言いたがるのに)いるのには感心しつつすぐに別番組に変えました。

 今月の初めくらいだったか、朝比奈、大フィルのエロイカを聴いていた頃、昼間に御池通だったか二条通だったかを歩いている時に頭の中でふいにベートーヴェンの第8交響曲が断片的に流れてきました。それがかつてないほど霊妙で神々しいように聴こえ(あくまで頭の中、実際にそのあたりから聴こえてきたわけじゃない)、この作品も九曲中他の八曲と同じく同じく本流の作品だなと実感しました。これまでは例えば阪急で言えば西宮北口から今津までの区間の今津線、京阪なら枚方市から出ている交野線のように、第8番だけ本線から枝分かれしたような作品という、別口という意識がありました。それが、前晩の食べ合わせが悪かったのか、体調が悪かったのか突然交響曲第8番も立派で深遠な、ヲタが時々使う精神性(個人的にこの言葉は嫌いだけど)という語を冠しても良いようなものだと思い出しました。

交響曲第8番 ヘ長調 作品93
第1楽章 Allegro vivace e con brio ヘ長調
第2楽章 Allegretto scherzando 変ロ長調
第3楽章 Tempo di Menuetto へ長調
第4楽章 Allegro vivace ヘ長調

 この朝比奈隆の六回目(towerレコードの広告にそう紹介してある)全集の第8番が特にそういう路線の演奏なのかどうか分かりませんが、最近購入したのでとりあえずこれを聴きました。1996,97年の大阪PO・シンフォニーホールの全集が六回目だとすると2000年の大阪フィルの全曲録音は何度目にあたるのか、とにかく朝比奈晩年の第8番は聴いてみると堂々たる威容で、優雅でこじんまりとしたスタイルと対極です。それとは裏腹に、えも言われない心地よさに終始包まれて、木管のパートが所々鮮明になり、シューベルトのグレイトに冠される天国的という言葉がふさわしい気がします。CD付属の解説には朝比奈の従来の第8番と少々違う、特徴のない表現としてあっさりと触れて他の曲の解説に移っているのが意外でした。

 自分にとってこの曲の特別な録音はクレンペラー、フィルハーモニア管弦楽団のEMIですが、そのクレンペラーはかつてある若手指揮者がザルツブルクでベルリン・フィルを指揮する際に、この曲の練習をあまりやらなかったことに苦言を呈していました。バルトークのオケ・コン、R.シュトラウスの「四つの最後の歌」とベートーヴェンの第8交響曲というプログラムの中でベートヴェンが一番難しい曲なのは確かなのに(練習が少ない、直前の演奏なのに全然良くないetc)と言っていました。それはそうと、先日急に自分の頭の中で流れた第8番はどんな内容だったのか、かつて聴いたことのある演奏が材料になっているはずなので、過去記事であつかったものも聴きなおそうかと思いました。
4 10月

ベートーヴェン交響曲第3番 朝比奈、大PO/1996年11月

201004ベートーヴェン 交響曲 第3番 変ホ長調 作品55「英雄」

朝比奈 隆 指揮
大阪フィルハーモニー交響楽団

(1996年11月26日 大阪,ザ・シンフォニーホール ライヴ録音 CANYON/Octavia Exton)

 山崎豊子の小説「白い巨塔」の後半に学術会議選挙が出てきます。小説の中で民事事件の第一審で勝訴したものの控訴された財前が、医学部長の敵を蹴落とすために学術会議選挙に立候補するというストーリーです。工学、医学ら理系分野では予算配分で有利とか、アカデミー会員に敬意を払う西欧の学会に対してきこえが良いからなりたがるという背景が描かれています。ついでに清廉潔白という設定の病理学教授の大河内教授は「国会並みの愚劣極まりない組織に成り下がった」と斬って捨てています。昭和30年代、しかも小説の中のお話だとしても、えらい言われ方です。それにしても「それでも、日本人は『戦争』を選んだ」、の著者でもある
加藤陽子も任命拒否とはだいぶ驚きました。日本会議への義理立てなのか、それなら誰だったら任命されるのかと(学問的業績だけにとらわれないそうだから、まさか竹田何某が今後知らないうちに選ばれていたり)。

 
さて、ベートーヴェンのエロイカ、朝比奈隆と大阪フィル。同じ作品で演奏者が違うCDを購入するのはもう打ち止めと何度も思って、朝比奈隆はブルックナーだけでいいかとずっと思っていたのにここへ来て撤回です。ということで、1996、97年に収録されたベートーヴェン・チクルスを入手しました。それでさっそくエロイカを聴いてみました。かつてキャニオンから出ていて何度も聴いたのはこれかなと思ったものの、ちょっと違うという気にもなってきました。涼しくなってスピーカーをつなぎ変えて、トールボーイ型の台座部分に重しの砂を入れました(入手から1年以上経ってやっと装填)。

  先日の2000年の録音と同じくザ・シンフォニーホールでのライヴ録音です。第1楽章はさらに遅いかなと思う反面でもっと力強い印象なので、その点は記憶の中の「朝比奈・大フィル・90年代のエロイカ」と重なります。スピーカーを容量の大きな方に変えたからか、低音も含めて重量感が増した気がします。
なお先日の2000年7月のCDと同様に第4楽章のトラックには主演後の拍手が入っているので、拍手歓声、叫びの時間を除いてそれが始まる直前までの時間を記載しました。どちらも最後の音が消えない間に歓声が沸き起こっています。

朝比奈・大PO/1996年大阪syh
①20分36②18分40③06分15④14分05計60分49
朝比奈・大PO/2000年大阪syh
①19分50②19分20③06分23④14分05計59分38

 第4楽章のタイムは歓声、拍手部分を除くとほぼ同じになり、どちらも魅力的です。20世紀末になってベートーヴェンを16型、倍管で演奏する朝比奈のスタイルに対して、19世紀的な大編成、遅いという批判があったそうで、確かに同時期のアバド、ガーディナーのベートーヴェンとはだいぶ違います(今更ながら)。日本の年末に集中する第九はやっぱり多かれ少なかれこういう朝比奈のような要素が恋しくなります。一時的につないでいたスピーカーは密閉型のブックシェルフ型で、声楽やピアノはよく響く感じですがオーケストラは微妙です。
2 10月

ベートーヴェン交響曲第3番 朝比奈、大PO/2000年7月8日

201002ベートーヴェン 交響曲 第3番 変ホ長調 作品55「英雄」

朝比奈 隆 指揮
大阪フィルハーモニー交響楽団

(2000年7月8日 大阪,ザ・シンフォニーホール ライヴ録音 Octavia Exton)

 今晩高架部分を車で通っているときれいな満月が見えて、朝方も西の空に見えたので結構長い時間出ているのだと感心していました。高架を降りてしばらくしたら、月はかなり低いところ、ぎりぎり見えるかどうかくらいでした。昭和初期、陸軍なんかは気に入らないことがあれば内閣に大臣を出さないという強硬な手段に訴えて内閣が総辞職したとか。それにならって学術会議側は会議のメンバーを全員引き上げる挙に出るとか、さすがに民度が高くなった?令和の時代にはそんな事態にはならないようです。今晩ラジオのニュースでもそのことをあつかっていてしばらく聞いていました。

 朝比奈隆がベートーヴェンの交響曲全部を連続録音して最初に出したレコードは、1972年、1973年にライヴ収録さ(最初ライヴと書いたのは間違い、初回はセッション録音で、ライヴ収録はその後1977,78年)セッション録音されたもので、それは楽壇生活40周年を記念して学研が企画制作したものでした。それ以後も大阪フィル以外でもベートーヴェン全集が出ているので、「朝比奈のベートーヴェン」と言えばどの全集を指すのが普通になっていたのかもう分かりません。新書本(by 宇野功芳)か何かでは新日本フィルとの1980年代末のものが取り上げられていたような覚えがあります。交響曲第3番なら自分の場合、キャニオンから出ていた1990年代に大阪フィルと録音したライヴ盤が好きで、昔はけっこう音量を上げて(BOSEのスピーカーを柱に固定して)よく聴いていました。ところが、キャニオン・クラシック、大阪フィル、1990年代と、これで絞り込めると思ったら、なんと前半と後半に二度全曲録音していました。自分が好んで聴いていたのはどっちなのか分からなくなっています(時期的にはどっちらの可能性もある)。

朝比奈・大PO/2000年大阪
①19分50②19分20③06分23④14分05計59分38

アバド・BPO/2001年
①16分56②14分49③05分51④11分05 計48分37
ダウスゴー・SCOÖ/2002年
①15分47②12分49③5分22④10分27 計44分25
P.ヤルヴィ・独室内POブレーメン/2005年
①15分24②13分18③5分31④10分54 計45分07
アントニーニ・バーゼルCO/2006年
①16分19②14分06③5分36④11分03 計47分04
フリエンド・ネザーランドSO/2009年
①16分48②12分49③5分38④11分25 計46分40

 今回のエロイカはそれらより後、2000年に行われた公演をライヴ収録するシリーズのもんのでした。これは各曲二公演ずつ(第8番は古い1970年代のものをかわりにおさめているようである)収録した一曲あたり二枚組になっていました。発売当時はついに朝比奈人気もここまで来たのかと驚きつつ見送っていました。エロイカは三回の公演を収録したけれど結局二回分だけをCDにしたと解説には載っていました。今回取り上げたのは、後にセット化された時に中心になったサントリーホールの回じゃなく、直前の大阪公演の方にしました。

 実際に聴いてみると最晩年の演奏だからか、やけに落ち着いた、それどころか何か浄化されたような厳粛な空気が漂います。特に第2楽章がまるでブルックナーのアダージョ楽章を思わせるので少々驚きました。「荒れ狂ったベートーヴェン」とまでもいかなくても、もっと豪快なものを想像(90年代の大フィルから)していたので、だいぶ違う内容です。CDの解説に2000年頃なら日本でもピリオド楽器奏法を取り入れて、ベーレンライター社の新校訂版を使用して飯森泰次郎、東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団らがベートーヴェンを演奏していて、彼らと一線を画すると朝比奈のベートーヴェンを評していました。一線を画するというなら朝比奈自身の演奏の間でも、例えば1970年代とか80年代とこの最後のベートーヴェン・チクルスはだいぶ違っていると思いました。
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昭和40年代生まれ、オットー=クレンペラーの大フアンです。クレンペラーが録音を残したジャンルに加え、教会音楽、歌曲、オペラが好きなレパートリーです。

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