朝比奈 隆 指揮
大阪フィルハーモニー交響楽団
(1997年5月25日 大阪,ザ・シンフォニーホール ライヴ録音 CANYON/Octavia Exton)
何年前だったか、今世紀の初め頃に南山大かどこかの司祭の講演を聴いたことがありました。話の枕に世の中どんどん保守化しますよ、していますよ、というくだりがあり、当時は「またまた大げさな」くらいに思っていました。ここ何年かの、抜身のまま権力をぎらつかせる振る舞いが目立ってくると、それが保守化なのか右傾化なのかはともかく、講演の話に少し合点がいく気がします(肝心の講演はどんな内容か覚えていませんが)。昨夜は件の学術会議の話、ラジオのニュースではいつのまにか制度、あり方にすりかわっていて、「欧米の学術会議のような機関は~」という提起をして(憲法とか人権の分野では欧米とは違うと言いたがるのに)いるのには感心しつつすぐに別番組に変えました。
何年前だったか、今世紀の初め頃に南山大かどこかの司祭の講演を聴いたことがありました。話の枕に世の中どんどん保守化しますよ、していますよ、というくだりがあり、当時は「またまた大げさな」くらいに思っていました。ここ何年かの、抜身のまま権力をぎらつかせる振る舞いが目立ってくると、それが保守化なのか右傾化なのかはともかく、講演の話に少し合点がいく気がします(肝心の講演はどんな内容か覚えていませんが)。昨夜は件の学術会議の話、ラジオのニュースではいつのまにか制度、あり方にすりかわっていて、「欧米の学術会議のような機関は~」という提起をして(憲法とか人権の分野では欧米とは違うと言いたがるのに)いるのには感心しつつすぐに別番組に変えました。
今月の初めくらいだったか、朝比奈、大フィルのエロイカを聴いていた頃、昼間に御池通だったか二条通だったかを歩いている時に頭の中でふいにベートーヴェンの第8交響曲が断片的に流れてきました。それがかつてないほど霊妙で神々しいように聴こえ(あくまで頭の中、実際にそのあたりから聴こえてきたわけじゃない)、この作品も九曲中他の八曲と同じく同じく本流の作品だなと実感しました。これまでは例えば阪急で言えば西宮北口から今津までの区間の今津線、京阪なら枚方市から出ている交野線のように、第8番だけ本線から枝分かれしたような作品という、別口という意識がありました。それが、前晩の食べ合わせが悪かったのか、体調が悪かったのか突然交響曲第8番も立派で深遠な、ヲタが時々使う精神性(個人的にこの言葉は嫌いだけど)という語を冠しても良いようなものだと思い出しました。
交響曲第8番 ヘ長調 作品93
第1楽章 Allegro vivace e con brio ヘ長調
第2楽章 Allegretto scherzando 変ロ長調
第3楽章 Tempo di Menuetto へ長調
第4楽章 Allegro vivace ヘ長調
この朝比奈隆の六回目(towerレコードの広告にそう紹介してある)全集の第8番が特にそういう路線の演奏なのかどうか分かりませんが、最近購入したのでとりあえずこれを聴きました。1996,97年の大阪PO・シンフォニーホールの全集が六回目だとすると2000年の大阪フィルの全曲録音は何度目にあたるのか、とにかく朝比奈晩年の第8番は聴いてみると堂々たる威容で、優雅でこじんまりとしたスタイルと対極です。それとは裏腹に、えも言われない心地よさに終始包まれて、木管のパートが所々鮮明になり、シューベルトのグレイトに冠される天国的という言葉がふさわしい気がします。CD付属の解説には朝比奈の従来の第8番と少々違う、特徴のない表現としてあっさりと触れて他の曲の解説に移っているのが意外でした。自分にとってこの曲の特別な録音はクレンペラー、フィルハーモニア管弦楽団のEMIですが、そのクレンペラーはかつてある若手指揮者がザルツブルクでベルリン・フィルを指揮する際に、この曲の練習をあまりやらなかったことに苦言を呈していました。バルトークのオケ・コン、R.シュトラウスの「四つの最後の歌」とベートーヴェンの第8交響曲というプログラムの中でベートヴェンが一番難しい曲なのは確かなのに(練習が少ない、直前の演奏なのに全然良くないetc)と言っていました。それはそうと、先日急に自分の頭の中で流れた第8番はどんな内容だったのか、かつて聴いたことのある演奏が材料になっているはずなので、過去記事であつかったものも聴きなおそうかと思いました。