raimund

新・今でもしぶとく聴いてます

メトロポリタン歌劇場

18 4月

「ローエングリン」 メルヒオール、ブッシュ、メト/1947年・LP

210418cワーグナー 歌劇「ローエングリン」

フリッツ・ブッシュ 指揮
メトロポリタン歌劇場管弦楽団
メトロポリタン歌劇場合唱団

ローエングリン:ラウリッツ・メルヒオール
エルザ:ヘレン・トローベル
オルトルート:マーガレット・ハーショウ
テルラムント:オジー・ホーキンス
国王ハインリッヒ:デッジョ・エルンスター
軍令使:マック・ハレル 他

(1947年 ニューヨーク・メトロポリタン歌劇場 録音 FONIT CETRA)

   昨日の朝、日の出前後に目が覚めたらすぐ近くで鶯の鳴き声がきこえました。試し鳴きでもしているかのように「ホー」の部分と「ホケキョ」の部分に間があいて、最後は「ホケキョキョ」と我々人間が覚えているフレーズとは違う異稿が聴こえてすぐに鳴きやみました。先週は天ケ瀬ダム下流の方を通った際に車を止めて外へ出たら(立ち・ヨンでも、野・・のためでもない)、山の方から鶯の声が盛大にきこえていて今年は早いかなと思ったところでした。

210418a これは FONIT CETRA から出ていたオペラ・ライヴのシリーズの一つです。第二次大戦後間もないニューヨークのメトロポリタン歌劇場でのローエングリンの公演です。何度かCD化されたようですがたまたまチェトラのLPが見つかったので、ラウリッツ・メルヒオール(Lauritz Melchior 1890年3月20日,コペンハーゲン - 1973年3月19日,サンタ・モニカ)のローエングリンということもあって購入していました。今回モノラル用カートリッジを付けてそこそこうまく調整できたので一気に聴きました。LP四枚組ながら所々カットがあるようです。この年代なので音質は仕方ないとして、それでも独唱は鮮明に聴こえています。

210418b 主要キャストではやっぱりメルヒオールが際立っています。後年のローエングリン役でコロ、ホフマン、クラウス・フロリアン・フォークトあたりの声質を聴いていても圧倒的に魅力的です。ジークフリートやトリスタンが似合う硬く強い声、これぞヘルデンテノールという部分だけでなく甘い美声という面も感じ取れるのが魅力です。ドナルド・キーン氏の著作で紹介されていたメルヒオール、実はドイツではなくデンマーク出身で、1926年からメトロポリタン歌劇場でワーグナー歌手として活躍しました。

 それ以外のキャストではエルザのヘレン・トローベルは原作のエルザより年上でタフな印象を与えるものの立派な歌唱です。女声では彼女よりもオルトルートのマーガレット・ハーショウの方が目立っていました。男声ではテルラムントのオジー・ホーキンスの声がちょっと優男風な声質なのが面白くて、おかげで舞台を観ていなくても歌唱で人物を聴き分けられそうです。オーケストラの方は割と速目で進んで行きますが、もう少し音質が良ければと思いました。

 フリッツ・ブッシュ(Fritz Busch 1890年3月13日 - 1951年9月14日)という名前は20世紀前半のドイツ語圏の楽団の話題に名前が出てくる他、グライドボーン音楽祭でのモーツァルトのオペラがCD化されて有名でした。19世紀後半生まれの巨匠らと年齢はどれくらい違うのか覚えてなかったところ、クレンペラーよりも5年、クナより2年若いくらいでした。ただ、LPレコードが盛んになる前に急逝したので残された録音が限られているのが惜しいところです。ケルン音楽院で学んだ後、リガ、アーヘン、シュトゥットガルトの劇場の後、1922年にドレスデンの音楽監督を務めました。1933年以降はナチを嫌って国外へ出たという点はエーリヒ・クライバーと同様でなかなかの信念の人のようです。
17 3月

「マノン・レスコー」 ビョルリング、カーステン/1949年

210318bプッチーニ 歌劇「マノン・レスコー」

ジュゼッペ・アントニチェッリ 指揮
ニューヨーク・メトロポリタン歌劇場管弦楽団
ニューヨーク・メトロポリタン歌劇場合唱団

マノン・レスコー:ドロシー・カーステン(S)
騎士デ・グリュー:ユッシ・ビョルリング(T)
マノンの兄:ジュゼッペ・ヴァルデンゴ(Br)
大蔵大臣:サルヴァトーレ・バッカローニ(Bs)
エドモンド:トーマス・ヘイワード(T)
宿の主人:ジョージ・チェハノフスキー(Br)
舞踏教師:アレッシオ・デ・パオリス(T)
声楽家:ジーン・マデイラ(Ms)
軍曹:クリフォード・ハーボー(Br)
点灯手:ポール・フランキ(T)
船長:オージー・ホーキンス(Bs)


(1949年10月? ライヴ録音Naxos/1949.12.10放送)

210318a 二週間くらい前だったか食用の菜の花がバカ高いから仕入れなかったと言っていた店に再度寄ったら大皿に菜の花のおひたしがならんでいました。それからソラマメがさやごと置いてあり、ゆでるよりもさやごと焼いた方が変なえぐみが出なくてうまいというので食べてみました。ソラマメは昔栽培したことがあり、たくさん取れてゆでて食べると皮はむきやすいけれど、確かにくさみというのかクセの強いにおいもありました。たしか五月の連休前後に収穫したような覚えがあったので、三月でもう出回っているのがちょっと意外です。新型コロナは別にして季節は春にむかって加速中です。 

 プッチーニの「マノン・レスコー」は、エドガールに続く三作目のオペラであり、1893年にトリノで初演されました。初演は成功してプッチーニの出世作になり、現代でもボエーム、トスカ、蝶々夫人に続く上演頻度の作品です。マノンは修道院に入れられる直前にデ・グリューと逃げ出す(第一幕)も連れ戻され、大蔵大臣の愛人にされます(第二幕)。そして再びデ・グリューと逃げ出して再び捕まり、アメリカのルイジアナへ娼婦として売り飛ばされ(第三幕)、マノンとデ・グリューは二人でニューオリンズの荒野へ逃れたところで動けなくなり、マノンが死ぬ(第四幕)ところで幕となります。有名アリアの他美しい旋律で織り上げられた作品ながら、勢いで駆け落ちしたけれど行き倒れで果てるというストーリーはどうも筋が通っていない(こういえば極道映画みたい)というか、誰かのために何かをするという意志が薄くて個人的にはあまり惹かれない作品でした。

 しかしこの古い放送用の音源はかなり魅力的で、当時のメトロポリタン歌劇場のスターが出演しています。日本語帯には「北欧のカルーソー、ビョルリング」とあり、彼のグリューがめだまという扱いです。しかし来日経験もあるアメリカ、ニュージャージー出身、マノン役のドロシー・カーステン(Dorothy Kirsten 1910年7月6日 - 1992年11月18日)も目立っています。カバリエよりも厚みがあるというのもおかしいか、強い声質かつ透き通るような清涼感もあり独特です。1945年にミミ(ボエーム)役でメトにデビューして以降1979年に引退するまでプッチーニ作品で有名だったようです。

 オーケストラの方は古い放送用のライヴ音源なので、声楽ほどはりよく聴こえず、微妙な印象です。ジュゼッペ・アントニチェッリ(Giuseppe Antonicelli 1897年 - 1980年3月10日
)という名前はオペラのライヴ音源CDで見かける指揮者で、1920~50年代にイタリアの歌劇場で活躍したというくらいの情報しか見つかりません。ベルカント・オペラやヴェルディの中期くらいまでの作品に比べてポンキエッリやプッチーニあたりになると管弦楽も充実してくるところですが古い録音ではこれくらいが限度のようです。
13 3月

マイスタージンガー ショア、ボダンツキー、メト/1936年

210312bワーグナー 楽劇「ニュルンベルクのマイスタージンガー」

アルトゥーロ・ボダンツキー 指揮
メトロポリタン歌劇場管弦楽団
メトロポリタン歌劇場

ザックス:フリードリッヒ・ショア
ポーグナー:エマニュエル・リスト
フォーゲルゲザング:マレク・ヴィンドハイム
ナハティガル:ルイス・ダンジェロ
ベックメッサー:エドゥアルド・ハビッヒ
コートナー:ユリウス・ヒューン
ツォルン:アンジェロ・バーダ
アイスリンガー:ジョルダーノ・パトリニエッリ
モーザー:マックス・アルトグラス
オルテル:アーノルド・ガボール
シュワルツ:ダドリー・マーヴィック
フォルツ:ジェームズ・ウルフ
シュトルツィング:ルネ・メソン
ダヴィッド:ハンス・クレメンス
エヴァ:エリザベート・レスベルグ
マグダレーネ:カリン・ブランツル
夜警:アーノルド・ガボール

(1936年2月22日 ニューヨーク,メトロポリタン歌劇場 ライヴ録音 Guild Historical)

 緊急事態宣言の解除後も飲食店の時短要請が続き、京都市域はさらに延長されています。繁華街や通勤時間帯の電車はかなり混雑しています。そんな中で京響の定期公演のポスター(特定の公演のプログラムを載せたもの)がようやく駅構内に張り出されるようになりました。大津のびわ湖ホールではローエングリンのセミ・ステージ形式は行われましたが、緊急事態宣言のエリアに普段居るので行くのはためらわれました。来年はパルジファルをやると日程表には出ていましたが、やはりセミ・ステージ形式となっています。

210312 これはニューヨークのメトロポリタン歌劇場で1936年に上演されたニュルンベルクのマイスタージンガーの記録です。SPレコードからの盤起しではなく放送用かなにかで録音されたものらしく、音質はさすがによくなくて雑音が終始混じっています。それでも声楽はそこそこ鮮明なので、戦後のライヴ音源でももっと悪い音質があるので年代を考えれば良い方です。この全曲盤のポイントは当時のメトの歌手、オケの水準というところですが、特にザックスのフリードリヒ・ショアが有名だったようです。最初に出たのは1970年のLP「THE GOLDEN AGE OF OPERA 
EJS492A~F」、その後MUSIC&ARTASからCDが出ていました。メトのマイスタージンガーは193年のラインスドルフ指揮の全曲盤があり、そこでもショアがザックスを歌っていました。

210312a わざわざ何度もCD化されるだけあってフリードリヒ・ショアのザックスは立派で、靴職人のマイスターという枠組みを超える深遠さを感じさせます。戦後のステレオ録音ならテオ・アダムスが思い浮かびますがそれよりも威厳があり、何かたくらんでいそうな重みを感じるくらいです。ただ、全体的にテンポが速いので重すぎず、物語が進行するテンポも良い感じです。そのためザックスの独唱部分は案外素っ気ないくらいにあっさり歌っているのが印象的です。その箇所だけテンポを落とすとか、アクセントを付けて目立つようにする場合もある(戦後のレコード録音に多いか)ので新鮮です。ベックメッサーの歌唱もしっかりしていて、極端に軽い役にしていないようなところが好感を持てました。逆にダヴィッドのハンス・クレメンスが軽妙になってるので目立ちます。女声の二人をはじめ他のキャストも良いだけにもう少し音が良ければと思いました。

 この時期のメトの録音でおなじみの指揮者、ボダンツキー(Artur Bodanzky 1877年12月16日 ウィーン - 1939年11月23日 ニューヨーク)はユダヤ系オーストリア人で、マーラーのウィーン宮廷歌劇場の監督時代に助手を務め、1915年以降にメトロポリタン歌劇場のドイツ部門の首席指揮者を務めました。ウィキにプロフィールにも速目のテンポ設定で有名と書いてありました。
ナチ時代以前の古い時代のワーグナー作品のテンポはこういう感じかと思ってしまいますが、そうとも言えないようです。なお、古い音源と言えば戦時下のバイロイト音楽祭の音源、アーベントロート指揮のものがあり、それは思い込みの影響かもしれませんがえも言われない熱気が感じられました。それを思い浮かべるとこの1936年のメトのマイスタージンガーはもっと陽気で作品の喜劇的な面が前面に出ている感じです。
15 12月

トリスタンとイゾルデ フラグスタート、メルヒオール メト/1935年

191215bワーグナー 楽劇「トリスタンとイゾルデ」

アルトゥール・ボダンツキー 指揮
メトロポリタン歌劇場管弦楽団
メトロポリタン歌劇場合唱団

トリスタン:ラウリッツ・メルヒオール
イゾルデ:キルステン・フラグスタート
クルヴェナール:フリードリヒ・ショル
ブランゲーネ:カーリン・ブランツェル
マルケ王:ルートヴィヒ・ホフマン
メロート:アーノルド・ガボール
牧童,水夫:ハンス・クレマンス
舵手:ジェームズ・ウォルフ、他

(1935年3月9日 ニューヨーク,メトロポリタン歌劇場 ライヴ録音 West Hill Radio)

191215a 毎年年末にNHKFMで放送するバイロイト音楽祭の公演、今年は12月16日の夜7時半から20日まででした。放送時間が早くなったのでチューナー経由でコンパクトフラッシュとかに録音しようとしてもやりにくい時間帯です。DATならタイマーを使えるけれど、もう製造もしてないし修理もできないかもしれないので再生限定で使用することにしたのでダメです。指環とオランダ人を除いた五作品、パルジファルとローエングリンとトリスタンくらいは、いや結局全部録音したくなりますが今年は断念です。ついでに来年三月のびわこホールの神々もチケット手配が間に合いませんでした。2021年はローエングリンなのでその頃健在の見込みなら是非行きたいところです。

 これはメルヒオールとフラグスタートがメトに出演したトリスタンのライヴ録音で、古い音源ながら色々なところで話題になった二人の、あまり多くない録音なので貴重です。これそのものについての言及ではなかったはずですが、キーン・ドナルド(鬼怒鳴門)氏がワーグナー作品のヘルデン・テノールで特別な存在としてメルヒオールを挙げていて、戦後のバイロイトで活躍したヴィントガッセンとかフィルハーモニア管弦楽団とのトリスタン全曲盤でフラグスタートと共演したズートハウスもメルヒオールに及ばないとしています。そうまで言われると気になるもので1990年代にも古いメトの全曲盤を買おうと思ってそれっきりになっていました(かわりに戦時中のバイロイト、アーベントロート指揮のマイスタージンガーを買った)。

 実際に聴くと1930年代だけあって音は良くなくて、第一幕では何かモーターのようなものが回る騒音が背景にきこえるのも気になりました。そうしたことは仕方ないとして、メルヒオールは確かに凄い歌声で、張りがあって艶もあり、役の人物像も全面に出てくる迫真のものだと思いました。これなら会場で聴いていたらさぞ圧倒されただろうと思います。フラグスタートの方もそれ以上に素晴らしくて、この時代にLPレコードを録音できていたらと残念に思えます。キーンさんによるとメルヒオールの外見はもう一つ、背も高くなく舞台映えしなかったそうですが写真を見るとそれ程悪くはないのではと思います。

 映像ソフトでメトの上演を視聴すると舞台の広大さ、高さに驚き、ここで歌う歌手は大変だと想像が付き、その点もキーンさんは言及しています。この録音の第二幕、二重唱は最初のところから徐々に陶酔して盛り上っていくところも見事です。あと、ポダンツキー(Artur Bodanzky 1877年12月16日:ウィーン - 1939年11月23日:ニューヨーク)指揮のオーケストラもなかなか魅力的でした。ニューヨークに来る前任地、マンハイムの後任がフルトヴェングラー、ニューヨークの後任に予定されたのが日本で指揮したローゼンシュトックだったという情報は時代の古さと何となく親近感を覚えます。
26 6月

ワーグナー 「パルジファル」 カウフマン、ガッティ、メト・2013年

160625ワーグナー 楽劇「パルジファル」

ダニエレ・ガッティ 指揮
メトロポリタン歌劇場管弦楽団
メトロポリタン歌劇場合唱団

パルジファル:ヨナス・カウフマン(T)
グルネマンツ:ルネ・パーぺ(Bs)
アンフォルタス:ペーター・マッテイ(Br)
クンドリ:カタリーナ・ダライマン(Ms)
クリングゾル:エフゲニー・ニキーチン(Br)
ティトゥレル:ルーニ・ブラッタベルグ(Bs)
第1の聖杯騎士:マーク・ショーウォルター
第2の聖杯騎士:ライアン・スピード=グリーン
160625c第1の小姓:ジェニファー・フォルニ
第2の小姓:ロウレン・マクニース
第3の小姓:アンドリュー・ステンソン
第4の小姓:マリオ・チャン
アルト独唱:マリア・ズィフチャク
~ 花の乙女たち
キエラ・ダッフイ
レイ・シュウ
イレーネ・ロバーツ
ハエラン・ホン
カセリーネ・ホワイト
ヘーザー・ジョンソン

演出:フランソワ・ジラール
舞台装置:マイケル・レヴァイン
衣装:ティヴォ・ファン・クレーネンブロック
照明:デイヴィッド・フィン

(2013年2月 ニューヨーク,メトロポリタン歌劇場 ライヴ 収録 Sony Classical)

160625a ニューヨーク・メトロポリタン歌劇場のパルジファル、新演出は、たしかドナルド・キーン(帰化によってキーン ドナルド、鬼怒鳴門)氏がエッセイの中でかなり批判的に言及したのを読んだことがありました。だからこのソフトが時々キャンペーン中だとかで値下がりしていても見送っていましたが、ガッティの指揮だったので気になりあえて購入しました。視聴の結果、第二幕のグロさにはちょっと悪印象だったものの第一、三幕は舞台のシンプルさのためにキーン氏が指摘する程、つまり目を閉じて演奏だけ聴く方がいいとか、そこまでのトンデモ演出じゃないと思い、それどころか観終わると心地よい余韻が残りました。キーン氏は演出、舞台の視覚効果が「説明し過ぎる」とイマジネーションを働かせる余地が無くなるから良くない、という趣旨の批判をしていました。これは新バイロイト様式の1960年代くらいまでの舞台写真を見るとそうかもしれないとうなずかされます。

160625b このパルジファル、前奏曲の最中にスーツ姿の聖杯騎士団や主要キャスト、クリンクゾルの花の乙女連隊が並んで現れて来て、騎士団はネクタイを外して上着を脱いでたたみ揃えたところで第一幕に突入します。そういえば「ジーザス・クライスト・スーパースター」の映画もそんな風に始まりました(ヒッピー風のあんちゃんらがキリスト時代の衣装に着替えた)。ここでは上着をとった結果、白いカッターシャツ姿になり、ハイスクールの制服とイメージが重なり、中二臭がプンプンしそうでした。グルネマンツが厳格かつ現実的な教頭先生に見え、そんな矮小化しかねないイメージなのに舞台空間が広大なのと、がらんとした荒涼感のために妙に清新な印象を受けます。基本的に第一、三幕は世界のどの文明圏か判別が付きにくい、荒廃した野原のような光景が基本になり、中央にアンフォルタスの傷を象徴するような亀裂が映し出されます(三幕ではもはや赤い傷ではなくなる)。

160625d

 第二幕は床の全面に赤い液体が流してあり、寝台の上でクンドリに誘われたパルジファルが見る流血と共にこの幕全体(或いは作品の主題)の象徴のように扱われています。それと花の乙女らがワンレンの長髪で統一されているので貞子のクローン連隊のように見え、グロテスクさが増します。第二幕は特に暗めの照明だったのであまりどぎつく見えず、舞台上の動きも少ない(これは全作品を通じてそうだった)ので、二幕だけが浮き上がるようなことはなかったと思います。男声のキャストは誰もかなり感銘深く、クンドリのカタリーナ・ダライマンも終演後の拍手からも分るように熱演でした。それを前提にしつつも、クンドリは存在感があり過ぎ、声量も歌唱も圧倒的でクリンクゾルと対等くらいにみえました。第三幕の終わりでクンドリは聖杯を開帳して息を引き取るという原作に忠実な演出ながら、そこまでの熱演からはとうてい死ぬとは思えず、やや唐突な印象がありました。

 パルジファルのヨナス・カウフマンについては、キーン氏が評判程の圧倒的な声量ではないという辛口な批評だったので、個人的にカウフマンは(ローエングリンを聴いて以来)好きなので意外でした。このパルジファルでは登場した時から大人びた外見なので、何も知らないというパルジファルの設定とかけ離れて見えましたが、それは大抵の歌手でも少しはそんな風に見えるので仕方ないところだと思いました(クラウス・フロリアン・フォークトは一番浮世離れして見えるか
)。演出についてワーグナー晩年の関心事でもあった仏教の要素を取り入れたという解説を見かけたので、それに該当するところに注目していたら、聖杯騎士の手の所作、祈りの姿勢にそう言われれば仏像の手の型に似ていたり、キリスト教会のそれとはちょっと違うかな、くらいでした。ただ、第三幕で元・花の乙女と思われる女性が少し離れて並び、騎士団がアンフォルタスを抱えて来る姿が十字架降下図に似ているのに何故か汎神論的、非キリスト教的に見えました。

160625e 具体的にどういう団体、救済を描いているのか判然としないのに、何故か希望が増し加わる明るい結末のように感じられるのは音楽、演奏の効果かもしれません。終始ゆったりとしたテンポで通して、全曲で4時間半くらいになります。 それでもあまり重厚なという印象ではなく、終始明晰な響きで通しています。それだけに、第二幕でパルジファルがアンフォルタスの名を叫び、その苦悩に共感して理解するところなんかはちょっと軽くて、苦悩の程が伝わらないような印象です。でも第二幕は赤い液体のドロドロした感触が画面から迫ってくるのでこれくらいでちょうど良いのかもしれません。ガッティはバイロイト音楽祭でもパルジファルを振っていたので、その音源があれば聴いてみたいところです(年末のFM放送を録音したものの中にたしか無かったはず、今頃になって残念)。
21 2月

「パルジファル」 レヴァイン、ニューヨーク・メトロポリタン歌劇場

160221ワーグナー 舞台神聖祭典劇 「パルジファル」

ジェイムズ・レヴァイン 指揮 
メトロポリタン歌劇場管弦楽団・合唱団

パルジファル:ジークフリート・イェルザレム(T) 
グルネマンツ:クルト・モル(Bs)
アンフォルタス:ベルント・ヴァイクル(Br)
ティトレル:ヤン・ヘンデリック・ローターリンク(Bs)
クンドリー:ヴァルトラウト・マイアー(Ms)
クリングゾール:フランツ・マツーラ(Br)
第1の聖杯騎士:ポール・グローヴス
第2の聖杯騎士:ジェフリー・ウェルズ
第1の小姓:ハイディ・グラントマーフィ
第2の小姓:ジェーン・パネル
第3の小姓:ジョン・ホートン・マリー
第4の小姓:バーナード・フィッチ
アルト独唱:グウェネス・ビーン、他

演出: オットー・シェンク 
映像監督:ブライアン・ラージ

(1992年3月メトロポリタン歌劇場 収録 DG)

160221d 
春分の日までひと月くらいになって日が長くなると、寒いかわりに静かな冬が行ってしまうのがさびしい妙な気分になってきます(ついこのあいだ冬至だと思ったら)。これまでのところ今年は降雪が少なくて冬タイヤを準備しなかくて全く問題はありませんでした。昨日の大雨も寒波の加減では雪になっていたかもしれず、関西のスキー場は今どうなっているか分りませんがとりあえず幸運でした。ところでパルジファルの第一幕の途中で場面転換音楽になり、グルネマンツが「ここでは時間が空間になる」と言いますが、いきなり何を言い出すのかという驚きとどういう意味か難解です。ケント・ナガノがバーデン・バーデンで指揮した公演では壁に突き刺さったような岩が回転して、未来と過去が交錯するような視覚効果がありました。その場面は結構印象深いのでパルジファルを聴くとついその場面を思い出します。それで、その場面転換のところを利用してそこを軸に、パルジファルを徹底的に福音的に毒を抜くような演出は出来ないだろうかとチラっと思いました。

160221c 現実には原作を逸脱すること甚だしいはずなので 無理だとしても、メトロポリタン歌劇場の演出なら福音云々はともかくとして穏健な舞台だろうと思い、一昨年にセンター・スピーカーとかを購入した際に買ったDVDソフトを出してきました。これは1992年にレヴァイン指揮でライヴ収録されたもので、アンフォルタスもクンドリーも死なずに終わる、きれいでちょっとメルヘンチックな映像です。しかしキャストは豪華なので全く同一音源かどうか未確認ながらCDでも発売されていました。レヴァインは1982年から1985年までのバイロイト音楽祭でパルジファルを指揮していたので同作品にはかなり慣れていたはずです。

160221a メトの大きな舞台空間を念頭に置いてか、複雑な装置は無くて聖餐(のようなもの)を行う場所、森の中のような場所、花が咲く野原、クリンクゾールの花園が簡素に表現されています。 各場面の描き方もやや抽象的で、決定的に教会堂とか歓楽の宴と限定しないでそうしたものをイメージさせる表現です。衣装、メイクも同じ傾向で、第二幕のパルジファルとクンドリーが対峙する長い場面はちょっと単調に見えました。しかし、イェルザレムとマイアーの歌は存在感十分で全作品中の聴きどころでした。その反動でか、フランツ・マツーラのクリンクゾールがかなり小物に見えました。

160221b 出番が多い グルネマンツは1979年録音のカラヤンとベルリンフィル盤でも同役を歌ったクルト・モルで、さすがに年をとったという外見と声が柔和になった印象でした。カラヤンの全曲盤でこれからグルネマンツを打取りに出発しかねないような威圧感のある声だったので、演奏会場の差もあるとしてもかなり印象が違います。アンフォルタスのヴァイクルはバイロイトでハンス・ザックスを演じた時とあまり違わない髪型だったので、クリンクゾール相手にへたを打って負傷して聖槍をとられるという敗者の態もあまり感じられません。全体を通してみると、メトの常連のドナルド・キーン氏が「説明し過ぎない」くらいが良いと言っていた演出で、題名を伏せて各場面の写真を見せられてもパルジファルだと分るくらいで、あとは音楽から想像力を働かせられるといった感じです。
18 8月

チャイコフスキーのエフゲニ・オネーギン ゲルギエフ、ネトレプコ

150818チャイコフスキー 歌劇「エフゲニ・オネーギン」


ワレリー・ゲルギエフ 指揮
メトロポリタン歌劇場管弦楽団
メトロポリタン歌劇場合唱団

オネーギン:マリウシュ・クヴィエチェン(Br)
タチヤーナ:アンナ・ネトレプコ(S)
レンスキー:ピョートル・ベチャワ(T)
オリガ:オクサナ・ヴォルコヴァ(Ms)
グレーミン侯爵:アレクセイ・タノヴィッツキー(Bs)、他
 
演出:デボラ・ワーナー

(2013年10月 ニューヨーク,メトロポリタン歌劇場 収録 DG)

150818c チャイコフスキーのオペラ「エフゲニ・オネーギン」はだいたい交響曲第4番と同じ頃、1878年に作曲されたもので、チャイコフスキーの代表作の一つです。プーシキンの同名韻文小説を元に、その原文を出来るだけ変えないようにして三幕(第一幕1~3場,第二幕1~2場,第三幕1~2場)構成のオペラに仕上げられています。日本人のピアニストかヴァイオリニストがソ連に留学している時に先生方からこのオペラを観たかと問われ、「エフゲニ・オネーギン」を観なければ(聴かなければ)チャイコフスキーは理解できない」と言われたと何かの番組でみたことがありました。かつてFM放送で聴いた記憶ではそこまで凄い作品という印象ではありませんが、ゲルギエフ指揮で産後のネトレプコがタチヤーナを歌った映像ソフトはかなり感銘深いもので、交響曲第4番よりも奥深い音楽だと思いました。

150818a オペラの筋はタチヤーナとエフゲニー・オネーギンの最後まで結ばれない悲劇的な片想いで、それを軸にした繊細で優雅な音楽が魅力です。これを聴くとボリス・ゴドゥノフはけっこう泥臭く聴こえます。物語をもう少し細かく見ると、遊び人、変人的な貴族エフゲニー・オネーギンにひと目惚れしたタチヤーナ(地方の女地主ラーリナ夫人の娘)が彼に手紙を書くが冷淡にあしらわれます(ここまでが大一幕)。タチヤーナの妹、オリガのフィアンセでオネーギンの友人のレンスキーは決闘によってオーネーギンに撃ち殺されてしまいます(ここまでが第二幕)。友人を射殺したオネーギンは放浪の旅に出てサンクトペテルブルクに戻って来ます。オネーギンは、そこで貴族の舞踏会でグレーミン公爵が夫人におさまっている、美しくなったタチヤーナを見付けて彼女に惚れてしまいます。今度は彼がタチヤーナに手紙を書くも、今になってなんじゃいと彼女に拒絶され、一人取り残されて幕が下ります。

150818b このオペラの決定盤が何だったのかよく分かりませんが、ロストロポーヴィチ、ショルティのセッション録音が定番的だったようです。前者は聴いたことがありましたが印象に残っていません。ボリショイ劇場とかその他の旧ソ連のLPもあったはずですが具体的には覚えていません。わりと新しいビシュコフ指揮のパリ管弦楽団他の録音が唯一の手持ちのCDでしたが、このソフトは音楽だけでもそれより素晴らしく、オーケストラも圧倒的でした。有名な第三幕のポロネーズのような箇所以外も舞台が引き立つだけでなく、音楽のみのCDにしても楽しめそうな演奏です。それにコーラスもかなり美しくて、ロシア語ネイティブでない我々からすれば本場の劇場の演奏を収録したと言われればそれで通りそうです。

 アンナ・ネトレプコは2008年に出産したこともあり外見も変わりましたが、DGにトラヴィアータを録音した(当然ヴィオレッタ役)時よりも個人的には歌は良くなったように思え、これならその当時にこのオペラで歌うのを聴きたかったと思います。第一幕の手紙の場面はさすがに貫録が有り過ぎて、ちょっとイメージもわきません。その代り第三幕は逆に外見と歌共々迫真で圧倒的です。オネーギン役のマリウシュ・クヴィエチェンも第一、二幕の生意気で強いイメージから第三幕の、タチヤーナ=グレーミン公爵夫人の足もとにすがり付く姿まで見事な歌と演技です。来日して新国立でも歌っているので注意して演目をチェックしていれば生で聴く機会もあったわけです(行くことが出来れば)。なお、演出は凝った解釈等は無く、ラーリン家の邸内(広間、タチヤーナの寝室)とテラス、決闘の場所、侯爵邸の広間と寝室があっさりと再現されていて分かり易い舞台です。ゲルギエフがメトへ客演した公演は他にもソフト化されていたようですが、安価でもこれは映像、演奏とも素晴らしいと思いました。

3 6月

ワーグナー「ローエングリン」 レヴァイン、リザネク、メトロポリタン歌劇場

150602aワーグナー 歌劇「ローエングリン」


ジェイムズ・レヴァイン 指揮
メトロポリタン歌劇場管弦楽団、合唱団


ローエングリン:ペーター・ホフマン(T)
エルザ:エヴァ・マルトン(S)
オルトルート:レオニー・リザネク(S)
テルラムント:レイフ・ロール(Br)
国王ハインリヒ:ジョン・マカーディ(Br)
軍令使:アンソニー・ラッフェル(Br)、他


演出:アウグスト・エファーディング
美術:ミン・チョウ・リー
衣装:ピーター・J・ホール
映像監督:ブライアン・ラージ


(1986年1月10日 メトロポリタン歌劇場 DG)

150602 ニューヨークのメトロポリタン歌劇場は巨大な空間を持つステージが有名なので映像ソフトで見てもそれがよく分かります。また、読替とかひねった演出よりも分かり易いタイプの演出が多いようです。このローエングリンも衣装も含めて原作の雰囲気をダイレクトに現したもので、フィナーレでローエングリンがかたみとして剣、角笛、指輪をエルザに手渡す場面でははっきりそれと分かる小道具が出てきました。厳密な時代考証の点では原作の時代よりももっと後の時代に該当するのかもしれませんが、少なくともスターウォーズとかのSF的なものではありません。それにしても暗めの舞台から初めていることもあり、ステージがかなり広く見えて圧倒されます。

 それだけ舞台が広くて天井が高ければ歌手も大変で、同劇場の古くからの常連のドナルド・キーン氏もそれについて言及しています(人気のヨナス・カウフマンもメトで聴くと声量の点では圧倒的でないとか)。このローエングリンでは主要歌手は皆声量十分で朗々と歌声が響いているようですが、ペーター・ホフマンが少々苦しそうにもきこえました。カーテンコールで最も喝采を受けていたのはオルトルートを歌ったリザネクで、花束の他に降るような花を浴びていました。マルトン、ホフマンを上回る好評でした。ウイーン生まれのレオニー・リザネク(Leonie Rysanek,1926年11月14日~ )はこの公演時ベテランの域に達していますが(生年が間違っていないか?本当にそんな年齢?)、演技も含めて圧倒的な存在感です。

 ペーター・ホフマン(Peter Hofmann, 1944年8月22日 - 2010年11月30日)はそろそろ下り坂に入った時期かもしれませんが、やっぱりさすがの美声でローエングリンの役によく合います。現代大人気のローエングリン、クラウス・フロリアン・フォークトを険しくしたような外見は見栄えがします。エヴァ・マルトンのエルザもよく声が出ていてペーター・ホフマン以上ですが、声の質と外見は、欲を言えばきりがないとしておきます。あと、テラルムントのレイフ・ロール、ドイツ王のジョン・マカーディと軍令使のアンソニー・ラッフェルも堂々としたものでした(あまり覚えのない名前だけれど歌は立派)。マイクの位置の加減もあるのか、この三人の声量も大したものだと思いました。

150602b 長くメトの音楽監督を務めるレヴァインはヴェルディとワーグナーの主な作品を収録、録音していますが前奏曲のところで指揮姿を見ることができます。たまたま先月にバレンボイムの映像ソフトを観たのでそれに比べると、音楽の起伏とダイレクトに結び付いた指揮ぶりで明快に見えました(それにやっぱり若い、今よりも痩せている)。ただ、現代で「ワーグナー指揮者」というポジションがあるのかどうか分かりませんが、レヴァインやバレンボイムはバイロイトにも何度も出演して、録音も残しているとしても特別なワーグナー適性があるのかよく分かりません。とりあえずこのローエングリンは、第一幕への前奏曲はもっと繊細に始まっても良かったか、会場の環境からはこれくらいがちょうど良いのか、微妙なところです。

8 12月

ワーグナー・神々の黄昏 レヴァイン・メト、ベーレンス、ゴールドベルク

141208ワーグナー ニーベルングの指環 「神々の黄昏」


ジェームズ・レヴァイン 指揮
メトロポリタン歌劇場管弦楽団
メトロポリタン歌劇場合唱団
(デイヴィッド・スティヴェンダー指揮)


ジークフリート:ライナー・ゴールドベルグ(T)
ブリュンヒルデ:ヒルデガルド・ベーレンス(S)
アルベリッヒ:エッケハルト・ヴラシハ(Br)
ハーゲン:マッティ・サルミネン(Bs)
グートルーネ:シェリル・スチューダー(S)
グンター:ベルント・ヴァイクル(Br)
ヴァルトラウテ:ハンナ・シュヴァルツ(Ms)
ヴォークリンデ:ヘイキュング・ホング(S)
ウェルグンテ:ダイアン・ケスリング(S)
フロースヒルデ:メレディス・パーソンズ(S)
第1のノルン:ヘルガ・デルネシュ(A)
第2のノルン:タティアナ・トロヤノス(Ms)
第3のノルン:アンドレア・グルーバー(S)
 
(1989年5月 ニューヨーク・マンハッタン・センター 録音 DG)

 先日、京都市内の無料Wi-Fi サービスが三月までに大幅に拡充されるという案内が出ていました。これまでは3時間に限って無料、最初に空メールを送信するというのが不便とされ、使える場所も少ないと外国人観光客から不満の声があがっていました。ソウルならあちこちに無料Wi-Fiが張り巡らされているらしく、それに比べると全然だめということでした。今日地下鉄の市役所前を使った時、早くも24時間無料Wi-Fiという表示が出ていました。地上に出てもつながったので便利さの一端を実感できました。ネットについては先日AVアンプにネット・ラジオの機能が付いていたので使ってみて、PC経由よりは使い易そうなのが分かりました(HDの回転音が気にならない)。それに vtuner に対応しているのでNHK・FMを追加出来たので年末のバイロイトを聴くことができます。あとはここ何年か使っていないDATデッキが動けば、雑音無しでとりあえず録音できるでしょう。

 バイロイト音楽祭にちょこっと思いを馳せながらレヴァイン指揮、メトロポリタン歌劇場の指環の残りを取り上げます。先日のジークフリートと感想は同じですが、今回はライナー・ゴールドベルクのやや鼻にかかったような?、こもったような声がちょっと気になります。サルミネンが歌うハーゲンの強烈に濃い声に圧倒されそうです。サルミネンはサヴァリッシュ盤でもハーゲンを歌っているようにこの役と言えばついサルミネンの声を思いうかべてしまいます。ザックスを歌っていたヴァイクルがハグンターを歌うのは違和感があるものの贅沢なキャストです。

 あと、1990年代に大活躍だったソプラノのシェリル・スチューダーは今まで特に気に留めていなくて、どちらかと言えばスーザン・ダンの方が好きでした。今回「神々の黄昏」を聴きなおしているとスチューダーのグートルーネはかなり素晴らしいと思い、ある程度年齢を経たブリュンヒルデのベーレンスとちょっと対照的で良かったと思います。そう言えばワーグナーなどの全曲盤にスーザン・ダンがキャスティングされたの録音は思い当らず、もう二十年くらい前の時代ですが今さらながらちょっと残念です(マゼール、ピッツバーグSOのワルキューレ第一幕でのジークリンデ~スーザン・ダンが良かったので)。

 それにレヴァイン指揮のメトのオーケストラは相変わらず美しく、第三幕の「ジークフリートの葬送行進曲」からフィナーレまでは冷たい清水で洗い清めていくようなえも言われない美しさでした。この作品のフィナーレはそもそもこういう感じだったのかと少し戸惑いもありました。実際ハーゲンもライン河の水に飲み込まれてしまうわけで、ジークフリートに続きブリュンヒルデも炎に身を投じ、何も獲得できず勝者も居ないので虚無感が漂ってしかるべきなのに。それ以外でも「夜明けとジークフリートのラインの旅」も精緻な演奏ながら、意外にあっさりとしています。

6 12月

「ジークフリート」 レヴァイン・メト、ベーレンス、ゴールドベルク

141206aワーグナー 楽劇・ニーベルングの指環 「ジークフリート」


ジェームズ・レヴァイン 指揮
メトロポリタン歌劇場管弦楽団
 
ジークフリート:ライナー・ゴールドベルグ
ブリュンヒルデ:ヒルデガルド・ベーレンス
さすらい人:ジェームズ・モリス
ミーメ:ハインツ・ツェドニク
アルベリッヒ:エッケハルト・ヴラシハ
ファフナー:クルト・モル
エルダ:ビルギッタ・スヴェンデン
森の小鳥:キャスリーン・バトル


(1988年4,5月 ニューヨーク・マンハッタン・センター 録音 DG)

 グレープかさだまさしの歌に「あなたがワーグナーの交響楽(シンフォニー)をききはじめたのが~」という歌詞が出てきました。それを初めて聴いた時、ワーグナーの作品に交響曲は一曲あったけどそれのことを指しているのか、楽劇を中心にしたワーグナー作品のことを漠然と指しているのかどちらだろうと思いました。基本的に交響曲の作曲家でないのにと思い、語呂がいいからワーグナーを充てているだけかとも思いました。その後「クレンペラーとの対話(P.ヘイワーズ編 白水社)」の中でワーグナー作品の交響曲的要素についてヘイワーズが指摘するくだりがありました。クレンペラーがワーグナーは交響曲の作曲家ではない、にもかかわらずワーグナーが自分をベートーベンの後継者と自任していたのを面白くないと言ったところ、ヘイワーズが指環等の楽劇を支えたのは交響曲的な要素だったのではないかと指摘しました。それをクレンペラーは否定はしなかったものの話題を元に戻させて終わっていました。意識してかしないでか、さだまさしは鋭い事をさらっと自作の歌に盛り込んでいたわけです(歌のタイトルがたしか「交響楽」といったはず)。

141206b レヴァイン指揮、メトロポリタン歌劇場の指環はLD、DVDでも出ていましたが、CDとは少しキャストが違っていました(映像ソフトは1990年の収録)。ジークフリートはCDではライナー・ゴールドベルクが歌い、LD等のジークフリート・イェルザレムはハイティンク盤と重なるのでちょうど良い変更です。このCDは今世紀に入って思いっきり値下げしてワゴンに乗せて売られていたことがあり、それならばと購入していました。初めて聴いた時はそのゴールドベルクのジークフリートが軽い、今一つと思い、第三幕第三場の二重唱ではベーレンスのブリュンヒルデの前にかすみそうだと思いました(というか新譜の時に買おうとしなかった)。間を開けて聴いてみるとそんなに悪くはないようにも思い、少なくとも第三幕のフィナーレ以外では結構良さそうだと思いました(いい加減なもん)。

 ベーレンスと並んでミーメのハインツ・ツェドニク も素晴らしくて充分「歌」を感じさせるミーメだと思いました。ミーメの役は裏返ったような笑い声もあって歌よりもセリフに傾きがちですが、好みとしてはワーグナー作品の場合あまりそういう歌い方は興がそがれる気がします。ヤノフスキの旧盤では「ラインの黄金」でローゲを歌ったペーター・シュライアーがミーメを歌いました。ローゲの時とは違って喜劇的なミーメを強調して、笑い声に力が入り過ぎのような気がしていました。今回のツェドニクは大分すっきりしたミーメでした。

 それに最初の交響楽の話絡みで、この録音はセッション録音だけあってオーケストラだけの部分も魅力的です。ワーグナー的な音かどうかはともかくとして、第二幕の前奏曲は管弦楽集にも入らないと思いますが聴きごたえがあり、森のささやき等と同じくメトのオーケストラが冴えわたっています。メトの常連だったドナルド・キーン氏がレヴァインが監督になってからアンサンブルが格段に良くなったとほめていたのを思い出させます(現代ではこの当時と比べてどうなんだろうか)。

 ところでジークフリートとえいばフィナーレのブリュンヒルデとジークフリートの二重唱を連想しますが、圧倒的な声量・歌唱の反面舞台上ではどんな動作、演出がふさわしいのかと思います、と言うのは地上波TVで放映されたこともあるサヴァリッシュとミュンヘン・オペラの指環は、ベーレンスのブリュンヒルデとコロのジークフリートでしたが、長い二重唱部分二人が近づいたり離れたりしながら歌い、歌の素晴らしと裏腹に視覚的にはだれてきました(それにベーレンスも年齢的に・・・)。実際、歌いながらなので動きや姿勢に制約が出てくるので難しいのだろうと思います。

14 10月

ヴェルディ「マクベス」 ラインスドルフ、メト・1959年

131014ヴェルディ 歌劇「マクベス」


エーリヒ・ラインスドルフ 指揮

メトロポリタン歌劇場管弦楽団、合唱団


マクベス:レナード・ウォーレン(Br)
マクベス夫人:レオニー・リザネク(S)
バンクォー:ジェローム・ハインズ(Bs)
マクダフ:カルロ・ベルゴンツィ(T)
マクベス夫人侍女:(S)
マルコム(T)、他


(1959年2月 ニューヨーク,マンハッタン・センター 録音 RCA)


 父方の故郷の秋祭、「久世祭り」というのがあります。真庭市久世で10月24日から三日間行われ、だんじりと神輿が多数巡航します。一度も現地で見たことはなく、送られてきたビデオで見ただけですが、かなり盛大にやっています。久世の隣の津山もだんじりが巡航する「津山まつり」があります(これも知らなかったが、「岡山三大だんじり祭り」に数えられるらしい)。その秋祭りにつきものなのが「鯖寿司」で、そういえば故郷の鯖寿司自慢をよく聞かされました。現代ではスーパーで鯖寿司もパック詰めされて売っているので、有難味は薄れ切っています。
 

131014a ヴェルディのオペラ「マクベス」はリゴレットの三年前に作曲、初演されました。シェイクスピアの戯曲をもとにしていることもあって、中期の傑作群より前の作品でも注目してしまいます。このCDは古いメトロポリタン歌劇場のセッション録音です。左の写真は多分最初にCD化された時のパッケージのデザインだと思います。あるいはLPの時の写真も使われているかもしれません。それが上の写真のような超廉価盤として復刻されています。マクベスのセッション録音は1970年以降増えたので、ラインスドルフ盤は長らく代表的録音だったはずです。
 

 ウィーン生まれのユダヤ系指揮者ラインスドルフは、ヴェルディよりもワーグナー作品の方が本筋というイメージがありました(ローエングリン、ワルキューレを録音している)。マクベス夫人を歌うリザネクもワーグナー、R.シュトラウスが主なレパートリーでした。また、ジェローム・ハインズもバイロイトに何度か出演していました。こういうメンバーで録音したのも当時のマクベスというオペラのとらえ方を反映しています。
 

 このCDは過去に何度か記事投稿としながら、今一つピンと来ないようで後回しにしていました。作品自体もリゴレットやトロヴァトーレら程は親しみやすくなく、魅力を堪能するまでには至っていません。あらためて前回のフィッシャー・ディースカウが出演したガルデッリ盤の魅力を実感しました。

 このオペラは初演後の1865年に改訂されてパリで上演されましたが、初演に続いて改訂版の初演も大成功ではありませんでした。初演版はマクベスのモノローグで終わっていたということですが、そちらの方がマクベス夫妻に焦点が定まって効果的かもしれないと思います。

26 10月

ワーグナー ワルキューレ  レヴァイン メトロポリタン歌劇場

ワーグナー 楽劇・ニーベルングの指環 「ワルキューレ」


ジェームズ・レヴァイン 指揮
 
メトロポリタン歌劇場管弦楽団


ジークムント:ゲイリー・レイクス
ジークリンデ:ジェシー・ノーマン
フンディング:クルト・モル
ヴォータン:ジェームズ・モリス
ブリュンヒルデヒルデガルド・ベーレンス
フリッカ:クリスタ・ルートヴィッヒ

ヴァルトラウテ:ラインヒルト・ルンケル
ヘルムヴィーゲ: リンダ・ケルム
オルトリンデ:マリリン・ミムズ
ゲルヒルデ:マリタ・ナビア
シュヴェルトライテ:ルートヒルト・エンゲルト
ジークルーネ:ダイアン・ケスリング
ロスヴァイゼ:アンネ・ヴィルケンス
グリムゲルデ:メレディス・パーソンズ

(1987年4月 ニューヨーク・マンハッタン・センター 録音 DG)


 「腰の痛さよ山畑開き~」、という歌詞で始まる民謡は宮崎県の「いもがらぼくと」という歌で、古いものかと思えば作詞作曲が昭和28年と載っていました。芋の茎で作った木刀という意味で、日向の男性気質をあらわしているそうです。今朝目が覚めると寝違えた上に、ちょっと腰が痛くて、これが長引くとやっかいだと思いました。レヴァインは昨年の来日もキャンセルになり、どうも腰痛がひどいようです。まだ70歳になっていないのに、引退には早く残念な状況です。

121026b
 バルビローリのブラームス第三に続いて彼のプッチーニ(レナータ・スコット出演)を取り上げたので、今度はレヴァイン指揮のトスカ(スコットがトスカを歌う)をと思っていましたが、今回はそれよりも新しいワーグナーの録音です。日本中がバブルに浮かれていた頃、サバリッシュ、レヴァイン、ハイティンクの三人が指揮したワーグナーの「ニーベルングの指環」全曲盤が相次いで出てきました。もちろんすぐに全部は聴くことはできませんでしたが、その後三種を順次聴いていると、レヴァイン盤が一番印象が薄くやや落胆気味でした。しかし、改めて聴き直していると新鮮に思えて、独自の魅力を感じています。特にワルキューレが演奏の特徴に合っているように思えます。ジークムントの死の予告、ヴォータンの別れ・魔の炎の音楽といった部分でも、神話の物語というより現代劇のドラマのような味わいです。
 

121026a  このCDはレヴァイン指揮、メトロポリタン歌劇場他の指環全曲録音の一環で、同時期に収録された映像ソフトとは別音源です。1987-1989年ラインの黄金・1988年ワルキューレ・1987年ジークフリート・1988年神々の黄昏・1989年 )の録音で、一方映像の方は1989-1990年(ワルキューレだけが1989年、他は1990年)の収録でした。ワルキューレについてはキャスティングは主要な役は同じ歌手ながら、戦乙女・ワルキューレ軍団だけは入れ替っています(ヴァルトラウテ:ジョイス・キャッスル、ヘルムヴィーゲ:カタリーナ・イコノム、オルトリンデ:マーサ・シグベン、ゲルヒルデ:ピラミッド・セラーズ、シュヴェルトライテ:サンドラ・ケリー、ロスヴァイゼ:ジャカリン・ボウァー、グリムゲルデ:ウェンディ・ヒルハウス)。


 映像ソフトと同じ音源からCD化というのが通常なのに、贅沢なCDです。このプロジェクトの頃はレヴァインがメトロポリタン歌劇場の監督に就任後十数年が経過し、1982年から4年間と1988年から1998年までの11年間バイロイト音楽祭にも出演していました(指環は1994年から1998年までを指揮)。これだけバイロイトで指揮をしていればれっきとしたワーグナーの権威と言えそうですが、レヴァインがメトにデビューしたのはプッチーニの「トスカ」で、レコード録音の方はヴェルディ、ロッシーニ、ベルリーニから始めています。クナッパーツブッシュがノルマを振るというのは想像できませんが、もう時代が違うのでしょう。今年最新のメトの指環がBlu-ray、DVDで出ましたがレヴァインは前半二作品だけを指揮しているだけです。これも健康上の理由だと思われます。

26 2月

ワーグナー・ラインの黄金 レヴァイン メト

ワーグナー 楽劇・ニーベルングの指輪序夜「ラインの黄金」 全4場


ジェームズ・レヴァイン 指揮
 
メトロポリタン歌劇場管弦楽団


110226bヴォータン:ジェイムズ・モリス(Bs)
フリッカ:クリスタ・ルートヴィヒ(Ms)
フロー:マーク・ベイカー(T)
ドンナー:アラン・ヘルド(Br)
アルベリヒ:エッケハルト・ヴラシハ(Br)
ローゲ:ジークフリート・イエルザレム(T)
ミーメ:ハインツ・ツェドニク(T)
ファーゾルト:マッティ・サルミネン(Bs)
ファーフナー:ヤン=ヘンドリック・ロータリング(Bs)
フライア:マリ・アン・ヘッガンダー(S)
エルダ:ビルギッタ・スヴェンデン(A)
ヴォークリンデ:カーレン・エリクソン(S)
ヴェルグンデ:ダイアン・ケスリング(S)
フロースヒルデ:メレディス・パーソンズ(Ms)


(1988年4-5月 ニューヨーク・マンハッタンセンター 録音 DG)


 1980年代末(1987-1989)に録音されたワーグナーの指輪四部作全曲から、ラインの黄金です。同じ頃、EMIではハイティンク指揮バイエルン放送SOで同じく指輪の録音が進行完結しました。少し前に、サバリッシュとミュンヘン・オペラの舞台も収録されていました。このレヴァイン盤もキャストを少し変えて、伝統的・保守的な演出で映像ソフトも出され、バブル期のあだ花のように、と言えば言い過ぎでしょうが、豪華キャスティングで録音されたものです。後年に値下げされた折に購入して聴きましたところ、個人的にはどうも主要な役の歌手が物足らない、既存のイメージとは違うと思えました。しかし、昨年復刻されたレヴァインのマーラー選集が素晴らしかったので、これはゆっくり聴きなおしてみなくては、と思い立ちました。一月以上前から通勤途中等でしばしば聴いていましたが、どうも目の覚めるような際立った演奏という印象が無く、コメントが付け難かったので後回しになっていました。


 ラインの黄金は、ニーベルングの指輪4部作の一番目の作品で、1幕4場から成り、CDなら2枚で収まっています。他の3作品、ワルキューレ、ジークフリート、神々の黄昏が4枚または3枚になるのに比べて短い作品です。ストーリーは周知なので、略すると以下のようになります。
第1場が、ライン川の川底で、地底の住人アルベリヒは三人の人魚に相手にされず代わりにラインの黄金を強奪する。「愛」を捨てた者だけがラインの黄金を持つことができて、その黄金から作った指輪を持つものが世界を支配できる。冒頭の、ラインの川底を現す音楽が神秘的。


 第2場、ヴォータン(神々の長)の目覚めで始まる。荒々しくも気品があるヴォータンの歌唱が魅力的で、妻フリッカにやや押され気味で人間らしさも見られる。巨人族のファーゾルト、ファーフナー兄弟にワルハラ城を造らせたヴォータンが、兄弟から約束の報酬である女神フライアの引き渡しを要求される。ローゲ(半神・半人)が、1場の「ラインの黄金」の話を持ち出して、報酬は女神フライの代わりに件の黄金にすることに傾くもヴォータンが拒否、決裂して巨人の兄弟がフライアを連れ去る。フライアが作る「不老のリンゴ」が手に入らなくなり、神々が困り、結局ヴォータンとローゲがラインの黄金を盗りに行く。


 第3場、ヴォータンとローゲが、アルベリヒが居る地下のニーベルハイムに行き、アルベリヒに奴隷とされている弟ミーメに近づいて、アルベリヒを逮捕、拉致する。

 第4場、ヴォータンは連行したアルベリヒから財宝と指輪を強奪するが、アルベリヒは指輪に呪いをかける。その後、フライの身柄と引き換えに財宝と指輪をファーゾルト、ファーフナー兄弟に渡す。その直後、兄弟は取分をめぐって争い、ファーフナーがファーゾルトを撲殺する。アルベリヒによる指輪の呪いが実証される。そして、ヴォータンら神々一行がようやくワルハラ城に入城尾する(この場面で、虹の架け橋の音楽が始まり、ワルハラ城への入場の音楽で幕を閉じる)。
 

110226a  オペラであっても管弦楽への比重が高くなるワーグナー作品ですが、ラインの黄金は短い作品なので、指輪の管弦楽ハイライトなら、この作品からはフィナーレ近くの「虹の架け橋」、「神々のワルハラ城への入場」くらいが曲目に入るくらいです。ワルハラ城への入場は、巨大建造物を間近に見るような威圧感で迫って来る曲です。レヴァイン盤では、メトの大規模な舞台のイメージとは裏腹に、そうした既存のワルハラ入場像とは違って精緻な音楽です。ワーグナーの録音では、古い放送用音源も多いので、それのイメージがこびりついているからそう感じるだけで、これが本来の音響かもしれません。全体的には、第2場が特に魅力を感じました。ワルハラの動機の旋律が現れるところは霊妙な美しさです。


 レヴァイン、メトの指輪は確か演出が、前衛的な演出とは正反対で、分かりやすい、伝統的なもので、その点がセールスポイントになっていました。このシリーズはむしろ映像ソフトの方が本命なのかもしれません。それでも、レヴァインの指揮には好感が持て、ワルキューレ以下もじっくり聴きたくなります。従来、バイロイト以外ではヤノフスキ指揮、ドレスデン・シュターツカペレの録音が気に入っていましたが、オーケストラだけならレヴァインも魅力的です。

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raimund

昭和40年代生まれ、オットー=クレンペラーの大フアンです。クレンペラーが録音を残したジャンルに加え、教会音楽、歌曲、オペラが好きなレパートリーです。

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