オットー・クレンペラー 指揮
リヒャルト・シュトラウスの交響詩「ドン・ファン」は冒頭部分がたしかN響アワーのテーマとして使われたことがありました。「ドン・ファン」は1887年から翌年にかけて作曲され、1889年にR.シュトラウスの指揮によってワイマールで初演されました。マクベスに続く二作目の交響詩にあたり、クレンペラーは「ドン・ファン」、「死と変容」、「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら」というシュトラウスの初期作品をレコーディングしてます。ツァラトストラや英雄の生涯はやっぱり録音していませんが、ドン・ファンやティルを選んだのは意外です。これは1985年のクレンペラー生誕100年の年に発売されたリマスターされたLP、「クレンペラー・エディション」の独盤です。昨年末からLPをしばしば聴くようになったので、この曲もCD化されていますがついレコードで聴いてしまいます。
勝手に意外な選曲だとしましたがクレンペラーがさらに後年にウィーン・フィルへ客演しいた1968年6月16日にもドン・ファンを演奏していて、未完成交響曲やマイスタージンガー第一幕への前奏曲、トリスタン第一幕への前奏曲ら、他のライヴ音源でも見慣れた曲と組み合わされていることからも、戦後のレパートリーとして自信があったのでしょう(1956年のトリノでは未完成、マイスタージンガー前奏曲と、R.シュトラウス作品はティルを選んでいる)。
実際に聴いてみると冒頭部分が鋭く、勢いよく始まるのに驚き、マーラーの第2番にこそふさわしいような激しさだと思いました。しかし、同時にケンペとシュターツカペレ・ドレスデンのCDを聴いていたのでそれに比べるとテンポは遅く、やっぱりクレンペラーらしい演奏だと我にかえりました。クレンペラーは指揮者として意識する、ライバル的な見方をしていたのはトスカニーニ、セルあたりだったようでした。その一方で自身を作曲家としてまず位置付けているふしがあり、マーラーやシュトラウスの指揮の方こそ価値があると考えている口ぶりでもありました。セルも作曲したものが残っているようですがトスカニーニはニキシュと共に作曲をしない指揮者として特にマーラーと対照的な存在としていました。
このドン・ファンを聴いていると徹底的にオーケストラの技巧、完璧さを追求するかに見えてそうでもなく、独自の再創造的なとらえ方で作品を見ているような印象です。これを徹底すれば後年のマーラー第7番のような演奏になるのかどうか、それはともかくとしてR.シュトラウスの初期作品にも十分な、ブルックナーやベートーヴェンらと同じように、敬意を持っているのだろうと想像されます。個人的にはシュトラウスの交響詩はあまり好きでなくて、オーケストラのコンサート曲目に入っていたら行くのは止めておくか、くらいの意識でしたが、ここ1ケ月くらいでクレンペラーのLPを聴いていて急に親近感が増しました。