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新・今でもしぶとく聴いてます

クレンペラーの協奏曲

25 6月

クレンペラー、バレンボイム・ベートーヴェンP協奏曲No.3初期盤LP

230625ベートーヴェン  ピアノ協奏曲 第3番 ハ短調 作品37

オットー=クレンペラー 指揮
ニュー・フィルハーモニア管弦楽団

ダニエル・バレンボイム:ピアノ

(1967年10月10-11,14日 ロンドン,Abbey Road 第1スタジオ 録音 EMI SLS941-4)

 先日、休刊が決まった月刊誌・レコ芸の最新刊を一日遅れで購入しました。厚さは前月と変わらずで、親父さんが定年退職日なのに普段通りに弁当を持って何ら変わらない様子で出勤するという、さだまさしの「退職の日」を思い出させる7月号でした。記事の中には没後50年のクレンペラー特集があったけれど目新しいことは載っていなかったのはやむを得ないところです。レコ芸に初めてクレンペラーをまとめて扱った回の記事を抜粋とか、そういう手間のかかりそうなことは無理なのでしょう。思い返せば中高生の頃は記事と同じくらい広告、それも販売店の広告に注目していました。「クレンペラー イン トリノ」とか「モノラル時代のクレンペラー」というLPの広告は初めて見た時は有り難く、刺激的でした(後者はEMIのベートーヴェン第3、5、7番、買えなかった)。さて、六月も半分以上が過ぎて今年もクレンペラーの命日が近付いてきました。

 
このLPはクレンペラーとバレンボイムによるベートーヴェンのピアノ協奏曲全部と合唱幻想曲をまとめた箱物セットの初期盤です。一連の録音は曲ごとに順次発売されたはずなので、それらの後に発売されたもののようです。ちょうど第5番だけは最近最新のリマスターでLPが再発売されたところですが、改めて初期盤を聴くとやっぱり良い音で、特に今まで以上にピアノの音が素晴らしいと思いました。クレンペラーとバレンボイムのベートーヴェン、正直な感想としてはピアニストを替えた方が良い、くらいでした(バレンボイム弾き振りのモーツアルトは素晴らしいけれど)が、今回初期盤でこの第3番と第4番を聴いてみるとそういう感想は覆り、オーケストラ共々立派だと思い、他のピアニストと交替しなくても共演、機能していると思いました。

 これを録音した時期はマーラー第9番を取り上げ、ユダヤ教に復帰してイスラエルに対する思いが高まっている頃だったので、ユダヤ系の若手、バレンボイムに白羽の矢が立ったという側面もありそうです(それに何かとトラブルが頻発するクレンペラーのことなので年齢差が大きければ共演ソリストも我慢するだろう)。そういうことよりも演奏が全く立派で、作品の格が上がるような印象です。ピアノ協奏曲の第3番は冒頭から作曲者より前の世代の作風を思わせるものですが、ここでは紛れもなくベートーヴェンの世界そのもの(作曲家でも同時代人でもないのに不遜な言い方)です。

 今年になって没後50年を記念してクレンペラーの有名録音のLPが再発売されています。厚目の重量盤、最新リマスターと称していて(広告:
オリジナル・マスターテープより、2023年最新リマスター音源によって、180gアナログLP盤として)、マーラーの第2番を聴いた印象では確かに音質は良いものの、気のせいか何となく音が痩せたようで、特に低音はそんな気がしました。あと、「リマスター・エディション(シンフォニック&協奏曲作品録音全集)」という通常CD(SACDではない)の箱物がありました。これも没後50年企画で未発表音源も少しだけ入っています。その中でベートーヴェンのピアノ協奏曲第3番を聴いてみたら意外な程に音が良くて、どちらもごく一部しか聴いていないけれど、広告にあった「マスターテープより2023年最新リマスター音源」の実力なのか、EMIがワーナーに併呑される際に出た箱物に比べて確実に音が良くて驚きました。
15 7月

クレンペラー、バレンボイム K.503のLP初期盤

20220714aモーツァルト ピアノ協奏曲 第25番 ハ長調 K.503

オットー=クレンペラー 指揮
ニュー・フィルハーモニア管

ダニエル・バレンボイム:ピアノ
(*第1楽章のカデンツァはバレンボイム作)

(1967年3月 ロンドン,Abbey Road Studios録音 EMI/SAX5290)

20220714b 梅雨明けの発表があったのに梅雨空が続くこの一週間、もう七月も半分が過ぎようとしています。元首相の銃撃事件、喪が明けるといのうはまだでしたか、犯人は元首相のもう一人の祖父を思い起こして凶行を思い留まることはできなかったのかと残念に思います。あの銃撃事件の現場となった近鉄大和西大寺駅周辺は個人的に馴染がある場所で、特に駅の反対側にあるのみ屋はよく行きました。といっても平成ひとけた台の頃で、当時は失われた三十年とか、そこまで続くとは思っていませんでした。しかし上向く気配も全然無くて、雨の日に限って呑んでたので薄暗いという先入観が拭えません。ところで件の駅前の飲み屋に自分がしばしば行っていた年代に、大手証券会社のトップが泣きながら敗北宣言の会見をしたり、H拓殖銀行やK信用組合の破綻がありましたが、その当時日米「同盟」という表現をテレビのニュースで聴いた覚えはありません。それがいつのまにか、平成20年代後半頃か、しきりに日米「同盟」という言い方が耳につきます。それを反復して聴く内に、同盟だから同盟国の敵とは一緒に戦うのは当然という気分が醸成されるかどうかはともかくとして、同盟と言うなら地位協定の内容を(ry。それにしても日米同盟という言葉を使うように指導でもあったのでしょうか。

 クレンペラーの命日のある七月の最後としてバレンボイムと共演したモーツァルトのピアノ協奏曲第25番の初期盤LPを聴きました。録音時期の1967年3月は前月にマーラーの第9番を指揮して大成功してセッション録音もした直後あたりです。改めてこの協奏曲を聴くと全く鮮烈で瑞々しいのはバレンボイムのピアノ以上にオーケストラの方じゃないかと思いました。同じくバレンボイムとの共演したベートーヴェンの協奏曲よりもテンポが速いというか、そう感じられるくらいにぐいぐいと前へ進んで引っ張るような感覚は新鮮な驚きです。この録音を最初に聴いたのはCDでしたが、その時とは違った印象です。

 バレンボイムのピアノもベートーヴェンの協奏曲よりも好印象で、ECOとの弾き振りは別にして後年の演奏よりも魅力的じゃないかと思います。これならクレンペラーとの共演でモーツァルトの協奏曲をあと何曲か録音してくれていればと思います。弾き振りの第22番の感銘度を思えばクレンペラーともやっていたら、出来次第で「~いえよう」の人に取り上げられていたかも??これは英国で最初に発売された時期の盤だったはずで、カップリングはセレナーデ第12番です(これも素晴らしい)。

 今朝のFM放送でシューマンのピアノ協奏曲がかかって、なんとアニー・フィッシャーとクレンペラーのEMI録音が使われていました。ピアノもオーケストラもゴツゴツとした感触で個性的云々という解説でした。しかしこのモーツアルトはクレンペラーの、特にEMI録音の演奏に付いて回りがちな「ゴツゴツした」という印象は、少なくとも第1楽章は当てはまらないと思います。第2楽章も魅力あふれ、近年のピリオド楽器スタイルの演奏以前の古いスタイルと言えばそれまでかもしれませんが、両端楽章の対比とそれ以上に深々とした広がりが感じられます。ケッヘル番号でこの協奏曲の次はプラハ交響曲になっています。
25 6月

クレンペラーとオイストラフ ブラームスVn協奏曲/EMI仏初期盤

220626bブラームス ヴァイオリン協奏曲 ニ長調 作品77

オットー=クレンペラー 指揮
フランス国立放送管弦楽団

ダヴィッド・オイストラフ:ヴァイオリン

(1960年6月?11月? パリ,サラワグラム 録音 SAXF196/EMI)

220626a
 あいかわらずロシア軍は一向に撤退する様子でなく、六月も残り少なくなって沖縄慰霊の日も過ぎました。新型コロナの感染も無くなる風でなくて、まだ死亡者も出ています。それでもランチの時間帯のラーメン店なんかは混雑度が増してきて、先日四条烏丸辺りでランチにしようとしたらY野屋とか、つけ麺の店やらその他も満員でした。ラ・ヴォーチェ京都が入居するビルの一階に喫茶店のような店があったと記憶していて、昔、1990年前後にそこでコーヒーとサンドウィッチを食べてから店へ行ったと勘違いしていたところ、その店は何軒か西の建物の一階だったと先日外観でようやく気が付き納得しました。そのラ・ヴォーチェ京都でクレンペラーとオイストラフのブラームス、フランス初期盤が入荷したててで、昔から祇園祭が近いこの季節は不思議とクレンペラーのレコード、CDと縁がありました。

 クレンペラーのEMI盤の中で協奏曲は限られていて、ブランデンブルク協奏曲を含めてもモーツアルトのホルン協奏曲、ピアノ協奏曲第25番、ベートーヴェンのピアノ協奏曲とヴァイオリン協奏曲、シューマンとリストのピアノ協奏曲、それから今回のブラームスのヴァイオリン協奏曲でした。それらの中で大物ソリストと共演して完成度も高いと定評があったのがブラームスのVn協奏曲でした。これはLPでは聴いたことがなく、再発売のLPもあまりみかけなかったのですが、今ネットで検索してみるとフランスの初期盤がちょくちょく出ていました。

 実際に聴いてみると演奏も音も素晴らしくて、特に第2楽章が魅力的です。国内再発売のクレンペラーのレコードに書かれた評はかなりいいかげんだったと、これを聴いていると改めて思いました。緻密さと柔和さ、一見クレンペラーと縁遠い言葉のようですが戦後のEMI録音をレコードで聴き直すと、これらの要素が結構鮮明にあらわれているように思われます。オイストラフのソロもよく録れていて、オーケストラ共々派手さというか熱狂させるようなタイプではにものの、作品の全容が克明になった素晴らしい美しさです。「クレンペラーとの対話(P.ヘイワーズ編/白水社)」の中にオイストラフからソ連に客演(まさか定住とかじゃないだろう)するよう誘われているが中東戦争でアラブ側に立つソ連には行けないと行っていました。

 1960年は先月のハイドン98番等活発なレコーディングとウィーン音楽祭のベートーヴェン・チクルスなど忙しく充実していたクレンペラーでしたが、パリでフィルハーモニアとではなくフランスのオーケストラと協奏曲の録音というのはどういう経緯、事情だったのだろうと思います。6月と書いてあるものや11月と書いてあるものもあって、どちらも不自然な気がします。当時のフランスのオーケストラの慣習のためリハーサルは相当手こずったとCDの紹介記事に載っていました。それはパリ音楽院管弦楽団をパリ管弦楽団に改組?生まれ変わらせた事情の中に出てくる、リハーサルには代理の奏者を出しても良かったとか、そういうことを指しているのでしょうか。パリでオイストラフと共演したのはソ連へ招待されていながら応じられていないからせめて、ということなのでしょうか(誘われたのはもっと後年か?)。
2 8月

クレンペラー、バレンボイム ベートーヴェンP協奏曲No.1/1967年

210802bベートーヴェン ピアノ協奏曲 第1番 ハ長調 作品15

オットー=クレンペラー 指揮
ニュー・フィルハーモニア管弦楽団

ダニエル・バレンボイム:ピアノ

(1967年10月 ロンドン,アビー・ロード・スタジオ 録音 EMI)

210802 京都市内でもまたまた酒類の提供が禁止となりました。検査数が元々少ないと言われている中、過去最高の感染者数が出ているので「やっぱり」と店の方々は言っていました。禁止しては弛めてまた禁止の繰り返し、何となく203高地の消耗戦の様相を呈しています。先日の土曜日の夕方、河原町三条の交差点にさしかかると街頭演説をしているのが見えました。「全学連」というのぼりが置いてあり、五輪ボランティアに関するPソナの契約(ボランティアの日当が12,000円/人なのに、契約見積では40万以上見込まれてるとか)がひどい、京大の立て看板、寮建て替え問題をまくし立てていました。PソナときいてT中の顔と言動を思い出して一気に不快になりながら、この全学連はどの全学連なのかな(あまり学生らしくなくて)と思いました。D通、Pソナの他、選手村の宿舎を分譲(報道済の記事によると全24棟5632戸から4145戸を分譲するらしい,4900万円台/2LDK~2億2900万円台/4LDK)
するデベロッパーら各社は、今回の五輪でどれくらいの収支なのか(儲かりまっか??、特にPソナ)、競技の戦果だけでなくそっちの方も知りたいものです。

バレンボイムNewPO,クレンペラー/1967年
①16分16②13分13③09分18 計38分46
バックハウスVPO,H.S=I/1958年
①13分35②09分14③08分54 計31分43
ケンプBPO,ライトナー/1961年
①14分32②12分06③09分36 計36分14
アラウACO,ハイティンク/1964年
①16分41②11分38③09分21 計37分40
アシュケナージCSO,ショルティ/1972年
①15分00②12分04③09分02 計36分06
アシュケナージVPO,メータ/1983年
①15分36②12分06③08分53 計36分35

 ベートーヴェンのピアノ協奏曲第1番、いかにベートーヴェンの作品といえども第3番以降に比べて演奏頻度が低い初期作品ですが改めて聴いてみるとやっぱり魅力的です。それで、先月に続いてバレンボイムとクレンペラーのEMI盤・LPを聴いてみました。どこを聴いてもベートーヴェンそのものといった響きなのはクレンペラー指揮の序曲や交響曲、フィデリオにミサ・ソレムニスでも同じですが、古い東屋を解体して組みなおし、再構成したようで、光沢を感じられるような感銘度です。バレンボイムも第4、5番よりも初期作品の方がクレンペラーの指揮に合っているような気がします。

 1967年10月のクレンペラーと言えば前年夏にサン・モリッツで転倒、骨折して半年ほど休養した後、マーラーの第9番を指揮してレコーディングもし、ユダヤ教に復帰した後でした。最晩年の最後の活動期に入っていました。クレンペラーはEMIにレコーディングするようになってからは協奏曲はあまり積極的でなく、ピアニストでレコーディング・共演したのは旧知のアニー・フィッシャーの他はバレンボイムだけです。これはユダヤ教に戻る等、民族的なアイデンティティーを強く意識して行く時期だったからか、ユダヤ系のピアニストは他にも多数居るのに、バレンボイムをよほど認めていたのかと思われます。

 バレンボイムはこの後にシカゴ交響楽団(ロンドン・フィル/勝手にシカゴだと思い込んでいた)を指揮してルビンシュタインとベートーヴェンの協奏曲を全曲録音し、さらに弾き振りで何度か全曲録音していました。モーツァルトのピアノ協奏曲はクレンペラーと第25番だけ共演してあとはバレンボイムが弾き振りで全曲録音していたのに、ベートーヴェンは弾き振りするのは大分後になってからでした。ベートーヴェンはそう簡単にいかないと思ったからか、クレンペラーの強烈なオーケストラの音が耳に残ってそこから脱却するのに時間がかかったか、レコーディングのレパートリーもがむしゃらに増やしていそうなのでちょっと意外です。
13 5月

クレンペラー、ケルンRSO、アラウのショパンP協NO.1/1954

210513ショパン ピアノ協奏曲第1番

オットー=クレンペラー 指揮
ケルン放送交響楽団


クラウディオ・アラウ:ピアノ

(1954年10月25日 ケルン放送第1ホール ライヴ録音 MUSIC&ARTS)

 今年もクレンペラーの誕生日の前日になりました。昨日のジュピター交響曲は二年間に扱ったばかりなのに勘違いしてまたUPしていましたが別段どうということはないと、気を取り直して既に扱うはずになっていたショパンの協奏曲です。何度かCD化されて別の曲とカップリングされたり正規音源からCD化されたものも出ていたようですが、今回はミュージック・アンド・アーツのCDでアランが弾いたショパンのピアノ協奏曲第1番、第2番を集めています。第2番の方はフリッツ・ブッシュ指揮ニューヨーク・フィルで、1950年12月10日の国連の世界人権デーのコンサートと表記されています。ちなみに「国連世界人権デー」は世界人権宣言が、1948年12月10日の第3回国際連合総会で採択されたことを記念して、1950年の第5回国際連合総会において、毎年12月10日に記念行事を行うことが決議されたものでした。どこかの国の与党国会議員が天賦人権なんておかしいと放言しているようですが、日本国も国連加盟国の一つであり時々常任理事国入りを目指すとかの声もありました。

アラウ,クレンペラー・ケルン/1954年
①20分19②10分52③09分26 計40分37
フランソワ,ツィピーヌ・パリ/1954年
①16分21②08分15③09分57 計34分33
フランソワ,フレモー・モンテカルロ/1965年
①19分57②08分49③10分47 計39分33 

 CDケース前面に出る付属冊子の写真を見れば分かる通りこの録音集のメインはあくまでピアニストのクラウディオ・アラウです。冊子の中身にある解説文の見出しも全部アラウでした。実際に聴き出すと確かにアラウのピアノは冴えわたり、第1楽章の長いオ-ケストラだけの部分が終わってピアノの出番になるとまるで泥の、否、厚い雲の切れ目に突如月光が現れたような心地で強烈に印象付けられます。その長いオーケストラ部分はブラームスあたりを思わせる厚い響きに遅めのテンポでショパンの協奏曲第1番らしくないとも言えそうですが、何故か切々と訴えるような情感です。

 後半になるほ良くなる感じなのは二人の息が合って共感しているからなのか、第3楽章がクレンペラーらしくない?溌剌さです。この作品はあまり多くの種類を聴いていませんが、個人的に好きなフランソワの新旧録音の演奏時間と比べても長目です。特に再録音は第1楽章のピアノの出だしが目立って遅い演奏ですが、アラウ、クレンペラーの演奏がそれよりもわずかながら長くなっているのはクレンペラーのテンポの影響でしょう。

 この録音の紹介やアラウの回顧では1930年代のベルリンでクレンペラー指揮でシューマンの協奏曲を弾いた時にはクレンペラーの解釈を押し付けられて不快だったという話が出てきます(さもあろう)。それから戦後になってこのケルンでの公演は成功だったようで、ロンドンでの1957年のベートーヴェン・チクルスで二人は共演することになります。クレンペラーの協奏曲のレコードが少ない中でこのショパンはかなり魅力的です。
20 7月

クレンペラー、マルツィ メンデルスゾーンVn協奏曲

190720メンデルスゾーン ヴァイオリン協奏曲 ホ短調 Op.64

オットー・クレンペラー 指揮
ハーグ・レジデンティ管弦楽団

ヨハンナ・マルツィ:ヴァイオリン

*ネットの広告では1954年6月23日という表記がある。
(1951年6月23日 ライヴ録音 Memories)

 このブログ上でクレンペラーを偲ぶ期間、クレンペラー節もそろそろ区切りということでメンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲を聴きました。クレンペラーのこの曲の録音は他にあったかどうか未確認ですが、話題になった覚えはなくて珍しいレパートリーの一つです。そのうえに共演はなんとヨハンナ・マルツィです。マルツィは名前を知っているくらいで演奏はラジオできいたことがあるかないか、それくらいの接点でした。輸入盤の広告でよく名前を見たので名前だけはよく覚えていました。

クレンペラー、マルツィ/1951年
①12分15②6分15③5分48 計24分18

 さてこのCDですが、カップリングは同じマルツィによるブラームスの協奏曲(ヴァント指揮、シュトゥットガルトRSO)で、クレンペラーとのメンデルスゾーンがトラック4から入っています。仕様としてはマルツィのアルバムでそこにクレンペラーが混入しているというところです。実際に聴いてみると冒頭からマルツィのヴァイオリンが前面に出ていてそっちに注意がいってしまいます。それに音質がよくなくて、特にオーケストラの方は貧弱にきこえて本当にクレンペラー指揮なのか、どうもはっきり分からないくらいです。ただ、剛にして直線的なオーケストラはやっぱりクレンペラー的とも言えそうです。あと、録音年月日についてCDの方には1951年と記載されているのにHMVのホームページに出ている広告頁には1954年となっています。

 クレンペラーの1951年の活動は4~6月にウィーン交響楽団とVOXに録音して、その後(途中で?)ギリシャ・ツアーに行ってしまいます。この音源が1951年の録音だとすればギリシャへ出発する直前か戻った直後くらいにあたると思われます。7月にはコンセルトヘボウ管を指揮しているので、その前にハーグに客演したとしても不思議ではありませんが日程的に微妙です。一方、1954年も6~7月にコンセルトヘボウへ客演していて、7月にはハーグ・レジデンス管にも客演したという記録があります。これはクレンペラー年表よりもマルツィ側の年表で確認した方が確かかもしれません。

 ヨハンナ・マルツィ(Johanna Martzy 1924年10月26日 - 1979年8月13日)はルーマニア出身のヴァイオリン奏者で、フバイに師事して1934年からはブダペストのフランツ・リスト音楽院に入学し、13歳でデビューしていました。ハスキルと同じくルーマニア出身ですがユダヤ系ではないようです。
1 7月

クレンペラー、フィッシャー モーツァルトピアノ協奏曲第22番

190630bモーツァルト ピアノ協奏曲 第22番 変ホ長調 K.482

オットー・クレンペラー 指揮
アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団

アニー・フィッシャー:ピアノ

(1956年7月12日 アムステルダム,コンセルトヘボウ ライヴ録音 PALEXA)

190630a 今年もクレンペラー(Otto Klemperer 1885年5月14日 - 1973年7月6日)の命日の週に入ります。年を重ねるごとにネタが無くなってきて、今年はこのところクレンペラー指揮の協奏曲のライヴ音源を聴いています。今回のモーツァルトのピアノ協奏曲第22番は先日の第27番と同様にモーツァルトのメモリアル年にアムステルダムへ客演した時の演奏で、共演はブダペスト時代の歌劇場芸術監督、アラダール・トート夫人でもある
アニー・フィッシャー(Annie Fischer 1914年7月5日 - 1995年4月10日)です。ハンガリーの共産党による現場介入の度合が強くなってブダペストを辞任してからもフィッシャーとの共演は禁じられなかったのは喜ばしいところです。

 アニー・フィッシャーとクレンペラーの共演はEMIのセッション録音でシューマン、リスト等がありました。ハスキル、マイラ・ヘスらとともにクレンペラーの共演者は意外に女性が多くなっています(男性・巨匠との場合のように衝突してキャンセルになる危険が低いという見通しもあるのか??)。先日のモントルーでの公演を収めたLPには、クレンペラーが旧知の親しいシュナーベル(確かシュナーベルだったと思う)に嫌味を言ったおかげでシュナーベルが激怒してキャンセル寸前だったというエピソードが載っていました。

 
モーツァルトのピアノ協奏曲第22番は、第20番以降で演奏頻度はあまり高くない作品なので協奏曲の録音が少ないクレンペラーのものがよく残っていた、その前によく取り上げてくれたものだと思います。実際に聴いてみるとまず割れたような音が飛び込み、音質の悪さが目立ちますが、そのうちに慣れてきます。クレンペラーの指揮の方はハスキルとの第27番よりもずっといつものクレンペラー/モーツァルトらしい、遠慮のない(ソリスト)ような内容です。それに陰影が濃いというのか、濃淡がはっきりしているという印象なのでいつになく第22番が魅力的に響きます。バレンボイムの弾き振りほどロマン派風でないのは世代の違い考えると意外ながらクレンペラーらしいところです。

クレンペラー,フィッシャー/1956年
①12分29②09分21③10分36 計32分26
アンダ,ザルツブルク/1962年
①13分02②09分41③11分08 計33分51
バレンボイム,ECO/1971年頃
①13分05②10分08③12分17 計35分30

 アニー・フィッシャーのピアノの方も魅力的で、例えばベート-ヴェンのピアノソナタの演奏とは一転して優雅に、軽快な演奏になっています。ベートーヴェンのソナタはもっと後年の録音でしたが、気合の入った息継ぎの音も入り、雄々しい演奏なのでそれを念頭に置いているとこのモーツァルトは驚かされます。軽快でも前のめりにならず、終始端正なのでEMIへ録音したシューマン辺りよりも相性が良さそうに思いました。
29 6月

クレンペラー、ハスキル モーツァルトピアノ協奏曲第20番

190628aモーツァルト ピアノ協奏曲 第20番 ニ短調 K.466 (第1楽章のカデンツァ:クララ・ハスキル)

オットー・クレンペラー 指揮
フィルハーモニア管弦楽団

クララ・ハスキル:ピアノ

(1959年9月8日 ルツェルン ライヴ録音 Audite)

190628b  今週の水曜日、NHK・FMで「古楽の楽しみ」をやっている時間に車中でラジオをつけると全然違う音声が流れてきました。局を民放に合わせていたのかと思ったら「萩原健太のポップス・クロニクル ▽第3回(1970年代)」という番組の放送中でした。ボブ・マーリイの他、「とん平のヘイ・ユウ・ブルース
」もかかり、なかなか良い歌だと思いましたが歌詞の中の「すりばち」、「すりこ木」という言葉が強烈に古く感じられて現実感が失せました。昭和50年代前半くらいまでは山椒の葉をすり鉢ですって味噌に混ぜたりしていたのに、いつごろからすり鉢は使わなくなりました(ジュウシマツやら鳥のエサを準備するのにも使ったことがある)。モーツァルトの作品を1950年代、60年代の公演のCDで聴いているのだからそれも決定的に古いはずなのに、と思いながら今回もクレンペラー、ハスキルのモーツァルトです。

ピアノ協奏曲 第20番 ニ短調 K.466 
第1楽章 アレグロ ニ短調
第2楽章 ロマンツェ 変ロ長調
第3楽章 ロンド:アレグロ・アッサイ ニ短調-ニ長調

 ハスキルはモーツァルト・イヤーの1956年にモントルーでの共演前にフィルハーモニア管弦楽団と共演する予定だったのが彼女が咽頭炎になってキャンセルとなりました。それ以後もこのCDのようにクレンペラー指揮のオーケストラで演奏しているからには二人とも、その演奏に関しては好感を持っているのだろうと思われます(ハスキルのカデンツァをクレンペラーが褒めていたという)。1959年の9月と言えばクレンペラーが大火傷による休養から復帰して間もない頃にあたり、それまでとはテンポが遅くなる時期にさしかかったところです(一概に言えないがベートーベンの交響曲で再録音した第3、5、7番を聴くとその傾向が実感できる)。

 先日のピアノ協奏曲第27番と比べるとオーケストラが本当にクレンペラーらしいとすぐに気が付きます。ハスキルの特に両端楽章がピアノも太く、強い音色になった気がして、この曲にふさわしいと思いました。ハスキルはこれ以外にもセッション録音で新旧二種のレコードがあり、いずれもCD化されています。今回のCDもクレンペラーの方に関心がまずいってしまのうで、ハスキルのピアノについては何とも言えません。

 ~ ハスキルのK.466
クレンペラー,PO/1959年9月
①14分32②10分04③6分49 計31分25
マルケヴィチ,ラムルーO/1960年11月
①13分31②09分35③7分06 計30分12
フリッチャイ,ベルリンRSO/1954年1月
①13分02②08分34③7分06 計28分42

 クレンペラーの1959年9月録音から約一年後のコンセール・ラムルー管弦楽団との録音のトラックタイムを見ると、合計時間の差は第1楽章長さで埋まるとして、第2、第3楽章は両者で長さが逆になっています。こういう場合は第2楽章のような楽曲では、例えば交響曲だったらクレンペラーが速目に演奏することが多いのに、ここではそうしていないのは興味深いとろです。それにしてもラムルー管弦楽団との方はハスキルが亡くなる一カ月程前の録音となってしまいました。クレンペラーよりも十歳くらい若いのに残念なことでした。
27 6月

クレンペラー、ハスキル モーツァルトピアノ協奏曲第27番

190627モーツァルト ピアノ協奏曲 第27番 変ロ長調 K. 595

オットー・クレンペラー 指揮
ケルン・ギュルツェニヒ管弦楽団

クララ・ハスキル:ピアノ

(1956年9月9日 モントルー ライヴ録音 Altus)

190627a クレンペラーの命日が近くなってきたので例年通りクレンペラー週間に切り替え、今年はその後シーズンオフとする予定です。ということで今回は最近発売されたクレンペラーのLPです。1990年前後、クレンペラーの協奏曲の音源がCD化されて、アラウやアシュケナージの他にクララ・ハスキル(Clara Haskil 1895年1月7日 - 1960年12月7日)との共演もありました。ハスキルとのモーツァルトはピアノ協奏曲第20番、第27番が出ていました。特に第27番は有名でしたが発売当初はそこそこ高価なこともあって購入してませんでした。それに広告の文言から何となくハスキルの方が看板というニュアンスがして、クレンペラーのフアンとしてはひがみ根性から気を悪くしたという面もありました(姐と共演しておやっさんの株が上がるみたいな言われ方は気に入らんのう)。

 その後ピアノ協奏曲第27番は当日のプログラム全部(モーツァルト交響曲第29番、ピアノ協奏曲第27番、アイネ・クライネ・ナハトムジーク、ジュピター交響曲)が入った二枚組CD(Cascavelle
)として出たものもありました。そのCDは二枚目にジュピターの後にハスキルがアンセルメと共演したシューマンの協奏曲が入っていて、それもちょっと微妙でした(どうせならハスキルだけの演奏で埋めてほしかった)。

190627b 今回聴いたのは1956年9月9日当日、オール・モーツァルトの公演全部をおさめたLPです。スイス・ロマンド放送にのこされていたテープから作製したものでモノラルの鮮明な音質です。ただ、その二枚組CDと段違いと言うほどの差は無いので割高感はぬぐえません。それはともかく、ハスキルのピアノも含めてこの第27番は感銘深く見事なものだと思いました。クレンペラーのこの年代としては普通のテンポかもしれませんが、かなり控え目に聴こえます。録音自体がピアノの音が前に出て残響が少ないのでよけいにそう感じるとしても、同時期のEMI盤の管弦楽作品に比べると即物的、こじんまりとした演奏です。LPの解説にもあるように克明、明晰なオーケストラ演奏がハスキルのピアノと相性が良いのだろうと思いました。下記のトラックタイム、バレンボイムの弾き振りと差が大きいのは意外です(終楽章は拍手の部分をLP、CD表記の時間から除きましたが当初から拍手部分が除かれていたかもしれず、その点は未確認)。

クレンペラー,ハスキル/1956年
①13分04②6分48③7分45計27分37
バレンボイム/1968年
①14分31②8分38③8分56計32分06
アンダ,ザルツブルク/1969年
①13分58②8分05③8分11計30分14

 ただ、二人の志向するモーツァルトは対照的でハスキルのピアノは神経質で閉ざされた狭い空間に響くような独特の美しさで、昔はこのモーツァルト演奏はあまり好きではなくてハスキルのCDはわざわざ購入するまでには至りませんでした。クレンペラーはキャリアの最初期はピアニスト志望だったそうですが下宿先の大家が「騒々しいピアノ」と思うような弾き方だったのでハスキルとは全然違いそうです。しかし意外なことに非常にあがり症で大勢の前で演奏をする前には汗をかいたと本人が言っていました。この点は舞台恐怖症になった時期があるというハスキルと似ています。二人の共通点はユダヤ系であるためナチ時代には苦労したこと、脳腫瘍の手術を受けたことがあるというのがありました。
30 1月

クレンペラー、シヴィルのモーツァルト・ホルンCn/1960年

190130モーツァルト ホルン協奏曲集

オットー=クレンペラー 指揮
フィルハーモニア管弦楽団

アラン・シヴィル:ホルン

*LPの収録順
第2番変ホ長調 K.417
第3番変ホ長調 K.447
第1番ニ長調 K.412
第4番変ホ長調 K.495
*第3番、第4番のカデンツァはシヴィルによる部分を付け加えている

(1960年5月11-12,18-19日 ロンドン,アビー・ロード・スタジオ 録音 EMI)

 クレンペラーがEMIへ録音した作品の中でも協奏曲はごく限られたものだけでしたが、モーツァルトのホルン協奏曲が何故か含まれていました。それもEMIと契約してしばらくの期間、大やけどで休む1958年までではなく、1960年に入ってから、当時のフィルハーモニア管弦楽団の首席奏者だったアラン・シヴィル(Alan Civil OBE 1929年6月13日 – 1989年3月19日)との共演で完成された四曲のホルン協奏曲を全部録音しました。シヴィルはデニス・ブレインの父、オーブリー・ブレインに師事し、ビーチャムのロイヤル・フィル、フィルハーモニアOの次席ホルン奏者を務めました。その時に両オーケストラで首席だったのがデニス・ブレインだったわけで、フィルハーモニア管弦楽団とは1953年にカラヤン指揮で同じくモーツァルトの協奏曲四曲を録音していました。ブレインが自動車事故で急逝後にシヴィルが首席になり、クレンペラーとこの曲集を録音することになりました。

 クレンペラーとシヴィルのモーツァルトは国内盤でもCD化されたことがありましたが、その後はテスタメントのCDか廉価箱で入手できるくらいになっているはずです。今回聴いたのは独EMIのリマスターLP(オリジナル盤とか貴重なレコードではない)です。このLPの曲順は第2番、第3番の第2楽章までがA面にあり、B面が第3番の第3楽章、第1番と第4番です。自分の記憶では1990年以前に購入したはずですが、西ドイツではなくドイツ製と表記されているので1990年か1991になり、平成になってからということになります。モーツァルトのホルン協奏曲は完成(ほぼ完成されたかたちで残る)されたものが四曲あり、番号順の作曲年代ではないと考えられています。現代では第1番が一番後に作曲されたというのが有力説のようです。

 演奏の方は端正で、同じクレンペラー指揮でも交響曲第25番の時のような速目のテンポではなく、もっと後年の遅い演奏でもない小康状態、否、古典派的な美点が前面に出ていると思いました。それに協奏曲らしい?、ソリストを有無を言わせず従わせる風でない(五分かせいぜい四分六くらいの盃)控えめなオーケストラに聴こえます。もうちょっとクレンペラー色が濃くても面白いのではないかとも思います。ここまでの感想はレコードプレーヤーのカートリッジをMMカートリッジ装着で聴いていましたが、試しにMC型も付けて再生したところ音がさらに鮮烈になって(そんな気がする)、もう少し後に録音された交響曲第33番や第34番あたりと似た演奏に聴こえました。

 なお、付け替えるMC型カートリッジの重量が9gになり、ついでにヘッドシェルも一緒に替えられるようにした(四本の細いコードをいちいちつなぐの面倒で、反復すると破損のおそれもある)のでその分がさらに4gも重くなりました。それでカウンター・ウェイト、アームの端に付いている重りの重量が足らなくなり、別売りのウェイトを取り寄せることになりました。いちいち面倒ですがやむをえません。針圧計があるので針圧の方はすぐできるようになり、早速再生するとエントリー・クラスながら音の生々しさに少々驚きました。プリメインアンプなのにアナログがメインなのでMCカートリッジも使えて助かりました。
21 1月

クレンペラー、バレンボイム ベートーヴェンP.Con 第2/LP

190121bベートーヴェン ピアノ協奏曲 第2番 変ロ長調 作品19
 *カデンツァはベートーヴェン

オットー=クレンペラー 指揮 
ニュー・フィルハーモニア管弦楽団

ダニエル・バレンボイム:ピアノ

(1967年11月 ロンドン,アビー・ロード第1スタジオ 録音 EMI/独Electrola)

190121a 先月来LPレコードをしばしば聴いていますが、年末に衝動買いしたレコードプレーヤーの針圧調節がやっぱり今一つピシッと決まらずにここまで来ていました。先日、クレンペラーとバレンボイムのベートーベン・ピアノ協奏曲全集から第1番を聴いたところ、どうも所々でビリつくような音になり、針圧が強過ぎると思われてまたまた最初からやり直しました。それでも合わないのでとうとう針圧計を購入しました。このプレーヤーもエントリークラスなので針圧計は不要だと思っていたのに、ゼロバランスから目盛りの確認まで全部肉眼の目分量なのでこのままでは際限がないと思いました。早速針圧計で確かめると調整して1.8gにほぼ合っているはずが0.5g以上オーバーしていて、目分量のいい加減さを再認識しました。それで1.81gになったところで再生したらまさにぴったりで、ビリつく音は無くなりました。

ピアノ協奏曲 第2番 変ロ長調 作品19
第1楽章 Allegro con brio 変ロ長調
第2楽章 Adagio 変ホ長調
第3楽章 Rondo, Molto allegro 変ロ長調

 さて、針圧が何とか合ったところで気を取り直して第2番(LPの二枚目)を聴きました。クレンペラーが晩年になってバレンボイムと共演したベートーヴェンのピアノ協奏曲は1967年の10月に第1番と第3番から第5番まで、第2番を11月にと短期間に五曲をセッション録音しました。テスタメントから出たアラウをソリストに迎えたピアノ協奏曲第3~5番はフィルハーモニアの1957年の定期、ベートーヴェン・チクルスの一環として演奏、収録されたものでした。このセッション録音はそれからちょうど十年後ということになります。
 
 第1番、第2番は特にオーケストラが力強く豪快さを帯びて聴こえます。同時期に録音したブルックナーの第5番と似たものを感じます。クレンペラーのセッション録音はあと一年くらい後になる急に緩くなるというか別の世界にいってしまうのが面白いところです。バレンボイムのピアノは意外に透明感があるようで、クレンペラーのオーケストラとちょっと対照的です。それでも後年のピリオド楽器が浸透する時代からすればロマン派的なスタイルの演奏ということになりそうです。

 実はバレンボイムとのベートーヴェンは昔から今一つ好きではなくて、別のピアニストとの共演だったら良かったくらいに思っていました。といっても最晩年のクレンペラーならソリストのために、弾きやすく合わせるということは(或いは昔からか)難しかったので、バレンボイムくらいの年代、同じユダヤ系ということで他に居なかったのかもしれません。アシュケナージの演奏をクレンペラーが気に入っていたようですが契約の関係もあってか、ブラームスのベートーヴェンもEMIでは録音共演が実現しませんでした。ちなみに、この年にクレンペラーは公式にカトリック教会を離れてユダヤ教に復帰していました。
28 6月

クレンペラー、オイストラフ ブラームスのヴァイオリン協奏曲

180628ブラームス ヴァイオリン協奏曲 ニ長調 作品77

オットー=クレンペラー 指揮
フランス国立放送局管

ダヴィッド・オイストラフ:ヴァイオリン

(1960年11月 パリ,サラワグラム 録音 EMI)

 これはクレンペラーのEMIへのLP録音の中でも数少ない協奏曲、協演の記録が少ないフランスのオーケストラとの録音です。また、クレンペラーとフィルハーモニア管弦楽団によるブラームス交響曲は、1956~1957年に録音しているので、管弦楽曲の大作・交響曲的な性格もあるヴァイオリン協奏曲が1960年代になってから録音しているので年代的にも注目です。というのは、四つの交響曲のEMI録音はステレオ初期ということで硬く、機械的な音質に感じられ、またクレンペラーの1958年10月から約1年の
大火傷によるで療養後の時期になり演奏スタイルに変化が出て来る頃だからです。

 久しぶりにこれ(国内リマスター盤・廉価盤)を聴いてみると、クレンペラーもさることながらオイストラフが立派で、クレンペラーの協奏曲録音の中でソリストが対等以上に感じられるのはこれだけじゃないかと思いました。オーケストラの方ものびのびとしていて、数年前のフィルハーモニア管弦楽団の交響曲よりも余裕が感じられます。ただ、音質がどうもこもったようで輪郭がぼやけ気味に聴こえるのが少々残念です。これは会場の影響なのか、マイクの位置の加減なのか、ロンドンの慣れた会場だったらどうなったかと思います。

 クレンペラーは1920年代にソ連へ演奏旅行へ行き成功し、ソ連(スターリン以前の)に対して良い印象を持っていたようです。戦後になってオイストラフとギレリスからソ連へ来て欲しい(客演という意味だろう)と誘われたそうですが、クレンペラーは当時中東戦争でソ連がイスラエルの敵国になっていたので行くわけにはいかないとして応じてはいませんでした。しかしこの一曲を聴いてもオイストラフとの相性は良さそうなので、客演していたらメロディア辺りからライヴ音源が出たことだろうと思います。それに、これも想像ですがギレリスともそこそこ相性が良さそうなので共演の記録が無いのが残念です。

 ところでフランスにおけるクレンペラーの評判、認知度はどんなものだったのか、あまり記録は出てこないようですが、一時期(早い時期、1960年くらいまでか??)はフランスではマーラー演奏と言えばまずクレンペラーだとされたとCDの紹介かライナーノーツの文章で読んだことがありました。ワルターよりもクレンペラー、というのはマーラーをロマン派よりも新ウィーン楽派の方に傾斜している立場くらいにとらえていたのか、そうでなくても何となく納得できる気がします。
22 5月

クレンペラー、メニューインのベートーヴェンVn協奏曲/1966年

180522bベートーヴェン ヴァイオリン 協奏曲ニ長調 op.61

オットー・クレンペラー 指揮
ニュー・フィルハーモニア管弦楽団

イェフディ・メニューイン:ヴァイオリン

(1966年1月30日 ロンドン,ロイヤルアルバートホール 録音 Testament)

 先日のクレンペラーとニュー・フィルハーモニア管弦楽団、メニューインによるベートーベン、ヴァイオリン協奏曲について、同じ時期の定期公演の記録がTestament から出たシリーズの中に含まれていました(1957年のシェリングとの共演以外にも録音があった)。BBCがラジオ放送するための音源のようで、当日のプログラムはフィガロの結婚序曲、ベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲、ベルリオーズの幻想交響曲でした。クレンペラーの1966年代後半のニュー・フィルハーモニア管弦楽団とのライヴを集めたこの一連のCDはモノラル録音はいいとしても音質はあまり良くないのが残念です。しかし、今回のベートーヴェン・ヴァイオリン協奏曲はセッション録音よりも少し好印象でした(同時期の演奏なのだから基本的には同じだとしても)。

 今回のライヴの方がメニューインのヴァイオリンがより魅力的で、特に第二楽章がそう思いました。しかし第一楽章は今回の方が無造作で、何か荷物を投げだすような感じがして、堂々たる威容という面ではセッション録音の方が目立っていた気がします。同じ年の一月に演奏した曲で、公演のライヴ音源とレコード録音とでは以下のように演奏時間に差が出ています(ライヴの終楽章は拍手部分をカットして換算)。かつてLPレコードの解説に載ったクレンペラーの法則、「音響効果の良いキングスウェイホールで最も遅く、最も乾燥しているロイヤル・フェスティバルホールが一番速く演奏(マタイ受難曲の冒頭合唱を例に説明していた)」、はここでも活きていました。

~1966年1月、クレンペラーとメニューインによるベートーベン
ライヴ/フェスティヴァルホール
①23分30②09分48③09分40 計41分58
EMI/キングスウェイホール
①24分19②10分21③10分05 計44分45

180522a なお、テスタメント社のサイトからこれらのCDの解説の日本語訳がダウンロード出来て、公演当時の批評が引用されているのが面白いところです。それによると Guardian 紙は事前評として「魔術師と孤高の巨人の異例の共演!」と掲載し、「巨人は単調さには手厳しいし、魔術師は時々間違った‘呪文の書’を使う」とも警 告していました。そしてレビューでは「この共演は独自のスタイルを確立した…緩徐楽章では天上の音 楽であるかのような美しさが聴かれた…終楽章はリラックスした民族舞曲のようで、《田園》交響曲を 彷彿とさせた」と評しました。Times 紙は事前評として「このような個性の強い二人のアーティストのコラボレーションは、尋常ならざる演奏を引き出す可能性がある」「失敗したとしても、それは栄光の失敗だ」と掲載し、コンサート後には「成功と言ってよい」と断じました。

 事前評まで出るとはさすがロンドンと感心しますが、事前評を出さなかった二紙も以下のように称賛しています。theDailyTelegraph 紙は「熟練しており感動的」、DailyMail 紙は「メニューインの描き出すつややかな音色の甘く清らかだったこと!かつてない内的な感動に心を奪われた」と。やっぱりメニューインも良かったとしているようです。なお、クレンペラーとメニューインの共演は1938 年11 月にロサンジェルスでシューマンのヴァイオリン協奏曲を演奏して以来だったそうです。
20 5月

クレンペラーのベートーヴェンVn協奏曲 メニューイン/1966年

180519ベートーヴェン ヴァイオリン 協奏曲ニ長調 op.61

オットー・クレンペラー 指揮
ニュー・フィルハーモニア管弦楽団

イェフディ・メニューイン:ヴァイオリン

(1966年1月 ロンドン,キングスウェイホール 録音 EMI)

 先月来の「開かずの間大整理」にあわせてCD(の一部)を組立式ラックに収納することにして、去年の盆前に購入していた二列九段のラックをようやく開封、組立しました。クレンペラーのCDは全部ラックに収めようとして一点ずつ確認していたら、EMIへのベートーヴェン・ヴァイオリン協奏曲が最初にCD化された版が無いのに気が付きました。確かあったはずだと思い、再度見直しても一枚1300円の国内盤しか見つかりませんでした。他の曲は同一音源につき二、三種はあるのに残念でした。メニューインのこの曲のレコードは他にも名演の誉れ高いものがあったので、クレンペラーとの共演盤は地味な扱いになりがちでした。

 クレンペラーの録音の中でセッション、ライヴ等を含めても協奏曲はそんなに多くはなくて、EMIのレコードではリストとシューマンのピアノ協奏曲、ブラームスのヴァイオリン協奏曲、モーツァルトのピアノ協奏曲第25番、ホルン協奏曲、それからベートーヴェンのピアノ協奏曲全部とヴァイオリン協奏曲くらいです(あとはブランデンブルク協奏曲)。トラブルが多いクレンペラーが最晩年にさしかかった時期にはなかなか協調?してコンチェルトのレコードを作るのは難しいというのは何となく想像できます。

 今回のベートーヴェン・ヴァイオリン協奏曲は、クレンペラーが指揮しているベートーヴェンという点では魅力的だと彼のフアンとしては思うものの、協奏曲の妙とか独奏部分の冴え等の点では今一つではないかと思いました。全体的には1959年にシェリングと共演したフィルハーモニア管とのライヴの方が立派だと、記憶をたどるとそう思えました。しかし、今回の方は特に第三楽章は田園交響曲の終楽章に通じるような、明朗で幸福感にあふれたものが前面に出て、それはメニューインにもよく合っているのではと思い、作品のジャンルは別にして独特の感動を覚えました。

 個人的にこの曲はヴァイオリン協奏曲の中でも特に好きで、中一の頃にレコードを買いに(独りで校区外へ行くのは校則違反)行き、フェラス、カラヤンのDG盤が店頭に唯一あったのが最初の一枚でした。この曲はどんな演奏、録音でも親近感が湧くという珍しい例外なので、そのカラヤンとフェラスがどんな風だったかよく覚えていません。その後長らく同局のレコードは買わなかったので多分不満は無かったものと思います。それにしてもクレンペラーがEMIへレコード録音している曲は原則的にフィルハーモニアの定期でも演奏しているので、このヴァイオリン協奏曲ももっと早期にレコード録音する可能性もありました。テスタメントのCDの紹介文の中に、1957年にベートーヴェン・チクルスの公演を行った際にはトッシー・スピヴァコフスキーの独奏でヴァイオリン協奏曲も演奏して、レコード録音の提案もあったもののクレンペラーがそれを拒否したと載っていました。そういう経緯なのでニュー・フィルハーモニア管弦楽団になってからようやく録音したということのようです。
1 5月

クレンペラー、PO モーツァルトのVn協奏曲第5番/1956年

180501モーツァルト ヴァイオリン協奏曲 第5番 イ長調 K.219「トルコ風」

オットー・クレンペラー 指揮
フィルハーモニア管弦楽団

ブロニスワフ・ギンペル:ヴァイオリン

(1956年1月24日 ロンドン,ロイヤル・フェスティバルホール 録音 Ica Classics)

 今日から五月になりました。お昼ごろに遠くから右翼の街宣のような音声が聞こえてくると思ったら、カレンダーを五月にめくっていたのでメイデーかもしれないと気が付きました。このブログでは5月14日が誕生日(1885年)のオットー=クレンペラーを顕彰して14日前後の数日間は彼の録音を聴いて取り上げることにしているので、五月は「クレンペラー月刊」という位置付けでもありました(この月や命日のある7月に限らず根底にはクレンペラー愛が脈打っている)。毎年そういう姿勢でやっているものの段々とネタ切れになってきましたが、それでも未発表の音源が少しずつ出てきています。

 ということで今回はリチャード・イッター(Richard Itter 1928~2014,Lyrita レーベルの創始者)がBBC放送のFMを私的にエアチェックした音源の中からBBCの承認の下で発売された『オットー・クレンペラー:1955-1956年秘蔵音源集』の一枚目から、EMIのLPの曲目には無い作品、モーツァルトのヴァイオリン協奏曲第5番です。ヴァイオリンソロのブロニスワフ・ギンペルはクレンペラーお気に入りのヴァイオリニストで、1937年から1942年には当時ロサンジェルス・フィルハーモニックの指揮者を務めていたクレンペラーがギンペルをコンサートマスターに迎えたという経緯がありました。

 キンペルはレコード録音があまり残っておらず有名ではないので今回の音源は貴重だとも紹介されていました。ブロニスワフ・ギンペル(Bronislav Gimpel 1911年1月29日 ルヴフ – 1979年5月1日)は、当時オーストリア・ハンガリー帝国領内のルヴフ、現在のウクライナ・リヴィウに生まれたユダヤ系のヴァイオリニストでした。1922年からウィーン音楽院に学び、1930年にベルリン高等音楽学校に在籍しました。年代的にこの年前後以降の短い期間がクレンペラーとの接点だったのではないかと推測できます。なおその間、1925年にはウィーン・フィルと共演してゴルトマルクのヴァイオリン協奏曲を演奏しました(14歳の年)。ユダヤ系であったためドイツを逃れてアメリカに渡り、クレンペラーに請われてロス・フィルのコンサートマスターを務めることになりました。

 CDの音質は良くなくて、特にオーケストラの方が雑音が混じって前半が特にぼやけているのが残念です。もっとも、当時の最高機器を使ったとは言え、イッター氏が個人で楽しむためにエアチェックした音源なのでそもそもCD化されただけでも有難いというものです。しかしEMIのセッション録音やその他の音源で聴いたクレンペラーのモーツァルトそのものの演奏で、「剛」という言葉を連想する厚い響きの中に木管の澄んだ響きが通る独特のスタイルです。そのクレンペラー/モーツァルトによく映えるヴァイオリンの独奏に感心します。これなら同じコンビでモーツァルトのコンチェルトをセッション録音をすれば良かったのにと思いました。フィルハーモニア管弦楽団の定期(このCDの公演はALLモ-ツァルト、交響曲第29、40番とヴァイオリン協奏曲第5番)のプログラムにのったのならその可能性があったはずです。
4 11月

クレンペラー、バレンボイム モーツァルトのピアノ協奏曲25番

151104モーツァルト ピアノ協奏曲 第25番 ハ長調 K.503

オットー=クレンペラー 指揮
ニュー・フィルハーモニア管

ダニエル・バレンボイム:ピアノ
(*第1楽章のカデンツァはバレンボイム作)

(1967年3月 ロンドン,Abbey Road Studios録音 EMI)

 ことしもTVドラマの相棒が始まりました。色々言われながらも長寿番組だけに設定、脇を固める人物にも愛着がわくので録画したりします。刑事もの系は結構長く続いているシリーズがあるので、何作品かをコラボしたら味噌も●●も一緒くたで面白そうだと想像します(科捜研の女、十津川警部、狩矢警部、警視庁南平班の各シリーズと相棒のキャストが縄張り争いと組織防衛をしつつも事件の真相が明らかになる)。仮に局が同じでも実現は当然無理ですが指輪四部作を観るとそれくらいのカオス感です。今回のCDは昨夜のバレンボイムが当時から25年くらい前にピアニストとして参加した録音です。

 クレンペラーが戦後EMIへ残したセッション録音の中で協奏曲は数える程でした。ピアノ協奏曲はこのモーツァルトとベートーベンの五曲のピアノ協奏曲、シューマンとリストの二曲でした。放送用の音源にはショパンやブラームス、モーツァルトの他のピアノ協奏曲もありました。このモーツァルトの第25番はクレンペラーの協奏曲録音の中でも屈指の素晴らしさで、クレンペラーのフアン以外の層にとっても魅力あるものではないかと思います。といってもピリオド楽器オケによる演奏が普及した今となっては古いタイプの演奏になってしまいます。

 この録音はクレンペラー指揮のオーケストラもさることながらバレンボイムのピアノも際立っています。冒頭部分を聴いた時はフォルテピアノを使っているのかと思うくらい角がとれた優美で繊細な音色に驚きました。どうも評判ではクレンペラーよりもバレンボイムのピアノの方に重点を置いて褒められているようです。ただ、個人的な好みとしては違うピアニストの方がよりクレンペラーのオケ演奏が引き立つのではないかと思っています(もっと硬くて透明感のある音色)。それでもクレンペラー本人はバレンボイムの才能を高く買っているようで、わざわざ指名してレコードを録音したようです。82歳になる年のクレンペラーに対してバレンボイムは25歳と孫くらいの年齢だったわけです。

クレンペラー,バレンボイム/1967年
①14分26②8分09③8分53 計31分28

バレンボイム弾き振・ECO/1967-74年
①14分27②8分10③8分53 計31分30
アンダ弾き振・ザルツブルク/1968年
①13分36②6分24③7分51 計27分51

 クレンペラーは自分が作曲したものをバレンボイムに見せたりしましたが、どうも反応は良くなかったようで、後年もクレンペラーよりもフルトヴェングラーの演奏に系統していたようです。親の心、子知らずとはまさにこのことでしょう。それはともかくとして、バレンボイムはこの録音の直後くらいから弾き振りでモーツァルトの協奏曲の全曲録音を開始しました。第25番のトラックタイムを見てみるとほとんどクレンペラーの録音と同じような時間になっています。空白の時間やら省略等の多少の差はあるとしても、演奏・録音した年代が近いだけあって影響、感化していることは否定できないでしょう。実際、聴いた印象も似ていますが、オーケストラの響きの厚み、木管の飛び出し加減なんかは違っています。そのかわりにピアノの音色は弾き振りの方がより粒だって、輝かしいものだと思いました。
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raimund

昭和40年代生まれ、オットー=クレンペラーの大フアンです。クレンペラーが録音を残したジャンルに加え、教会音楽、歌曲、オペラが好きなレパートリーです。

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