raimund

新・今でもしぶとく聴いてます

クレンペラーのブルックナー

6 7月

クレンペラーのブルックナー第6番LP/独EMI盤

220706aブルックナー 交響曲 第6番 イ長調(1881年・ハース版)

オットー=クレンペラー 指揮
ニュー・フィルハーモニア管弦楽団 

(1964年11月6,10-12,16-19日 ロンドン,キングズウェイ・ホール 録音 EMI/独Columbia SMC91437

 ロッテ・クレンペラーからパウル・デッサウへの電報、1973年7月6日 
「 パパ 今日金曜日の午後六時十五分 睡眠中に安らかに逝去(ストップ) 電話で伝えようとしたけどつながらなかった(ストップ) 葬儀は火曜日の午前 心から ロッテ  」  ~   オットー・クレンペラー あるユダヤ系ドイツ人の音楽家人生 エーファ・ヴァイスヴァイラー著 明石政紀 訳

20220706 先日の朝、出勤時に川端通を北上していて団栗通の交差点を過ぎた辺りで日本髪に和服の女性、どうも芸妓の普段着姿のようでした。暴露騒動の直後ながら何事もなかったかのようにか、鬱々としながらか、とにかく和装で歩いていました。既に祇園祭りの期間に入り、今年もオットー=クレンペラーの命日、クレンペラー忌がめぐってきました。冒頭のロッテ=クレンペラーの電報は二週間以上前に書き出して予約投稿にしていたので、もし7月6日より前に自分の命日がやってきてたら更新記事が未完成のままUPされるのかと思って見ていました。昨日の朝、地下鉄の京都市役所前駅から地上へ出たところでクマ蝉が盛大に鳴いていました(出てきやがった)。正真正銘今年も夏に突入です。

  今回はクレンペラーがフィルハーモニアの定期で演奏したがっていたところをレッグに止められていたというブルックナーの交響曲第6番です。「第2楽章の第3主題が葬送行進曲に似ている」という諸石幸生氏の解説がCDのライナーには載っていて、そこだけでも命日にふさわしいといったところです。ただ、クレンペラーの場合はあまり情緒先行な方ではないので結構ドライな命日です。しかし重厚さも十分なので第5番と7番の狭間の作品どころか存在感は十分です。

 今回はLPの独逸・初期盤を聴きました。第1楽章から遅目のテンポで起き上がるように開始するのは昔、四十年くらい前に聴いた時の感触と同じです。その時は東芝EMIの国内再発売盤、「クレンペラーの芸術/1800円」シリーズでした。その当時、はじめてこの曲を聴いた時から作品自体にすっかり魅せられて、同時に他の演奏はどうも受け付け難いような中毒症状にもかかりました。それが解けたのはアイヒホルンとリンツ・ブルックナー管の穏やかな演奏を聴いた時でした。それにしても初期盤のLPでも英国盤と独逸盤ではそんなに違うのかどうか分かりませんが、EMIなら初期盤といえば英国盤を指しているようです。

 軋む(きしむ)、たわむ(撓む)、後者は少し違うとして、何かが軋み、構造や材質に関心が行くことはクレンペラーの演奏に付いて回る事柄だと思います。ブルックナーを指揮した場合でもそれは同じだろうと思いました。ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の支配人が、半世紀程昔に聴いたクレンペラーの指揮、演奏を振り返っています。「並はずれて背が高く、その突き刺すような眼光がマーラーを思わせるクレンペラーが指揮台にあがったとき、会場に軋む音が走った」と。そして、「感激した聴衆は、非常に個性的で伝統的解釈とはまったく異なるものを聴いたのである」、「フィルハーモニー管弦楽団は、いつもの柔らかく豊満な音ではなく、少々無愛想ながらも、たいへん透きとおり、均整のとれたオーケストラの響きを出しはじめた」、「二十年代のベルリンでは、オットー・クレンペラーのような比較的若い指揮者が、これほどの大当たりをとることは滅多になく、彼の解釈もフルトヴェングラーやヴァルターのほとんど正反対と言えるものだった」と。最近LPを再生しているのはサブの器機(LPのプレーヤー以外はメインとそんなに価格・グレード差は無いけど)なので、何とかメインの方で音量を上げて聴きたいところです。
24 7月

クレンペラーACOのブルックナー第4番/1947年

210706ブルックナー交響曲 第4番 変ホ長調 WAB104(1878・80年稿 ハース版)

オットー=クレンペラー 指揮
アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団

(1947年12月4日 アムステルダム,コンセルトヘボウ ライヴ録音 Otto Klemperer Film

210706a 今朝、宇治橋西詰の交差点で止まっていると東岸の山の緑が
五月頃のうすい白っぽい緑とは違い、濃い色に代わっていて、落ち着いた色合いなので見ているだけで気が休まりました。新芽の色が山肌に広がっていると何か酔っ払いそうになり、昔からどうも苦手でした。昨夜BSの報道番組を見たら中谷元防衛大臣や田中元外務審議官らが出演していて、「3S政治が生んだ日本の危機」というテーマで討論していました。その中で、ほとぼりがさめる、やがて忘れられる、ニュースで報道しなくなるというのを計算に入れているという件がありました。全くそうだなと思い、そういえばパラの聖火を五年前に起こった虐殺事件現場、津久井やまゆり園で採火する計画があって撤回されたことがありました。二カ月くらい前のことでしたが、もっと古い出来事のような錯覚にはまっていました。事件現場で採火したから新たに死者が出るとか、そういうことではないとしても、そもそも事件をどう受け止めているのだろうかと大いに訝しく思います(命の重みとか尊厳が相対化されているような気がする)。

 さて、先月に発売されたクレンペラーとアムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団との公演SACD集の第一枚目が、1947年12月4日の公演プログラム全部が入っていて、三曲目がブルックナー第4番でした。HMVのサイトで掲載された補足・年表・解説によると、この時の使用楽譜は「ロベルト・ハースが1944年に新たに校訂した原典版」と言及しています。しかし、「1878・80年稿のハース版」は1936年に出版されていて、1944年出版の楽譜は見当たらないので具体的にどういう楽譜のことを言っているのかよく分かりません。1954年のケルン放送交響楽団との公演について「第3楽章中間部最初の主旋律をオーボエに吹かせるというハースの1944年版に準拠
」と書いてあるので、出版後の1944年にハースが更に校訂したものという意味かもしれません(細かすぎてわからない)。

~ クレンペラーのブルックナー第4番
ACO/1947年12月4日*ハース版
①13分44②12分48③09分58④17分19 計53分49
ウィーンSO/1951年・VOX*ハース版
①13分27②11分56③09分25④16分32 計51分19
ケルンRSO/1954年*ノヴァーク版
①14分49②13分22③10分30④17分38 計56分19
PO/1963年・EMI*ノヴァーク版
①16分06②13分55③11分44④18分59 計60分44
バイエルンRSO/1966年*ノヴァーク版
①16分10②14分24③11分18④19分02 計60分54

210724 1951年のウィーン交響楽団の第4番は快速の演奏、フィルハーモニア管弦楽団と大違いということで注目されていました。今回のACOとの公演はそれのさらに3年以上前の演奏ということになりますが、演奏時間としてはVSOとの録音よりも3分以上長くなり、速いながらも余裕が感じられます。オイゲン・ヨッフムは第4番の第2、3楽章はあまり重要な内容ではないと指摘していますが、クレンペラーのこの演奏では全楽章のまとまり、統一感が良好で、ヨッフムが指摘したそういう欠点?が目立たない気がしました。こうして演奏、録音年代ごとに演奏時間を並べると、EMIレコーディング開始以前、開始後火傷以前、火傷後ユダヤ教改宗前と各期によって合計演奏時間がけっこうはっきりと分かれています。

 1945年から1975年までアムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団のヴァイオリン奏者であったルイ・メッツはクレンペラーのブルックナー演奏について次のように書いています。「クレンペラーが指揮すると驚くべき感覚に見舞われます。彼が音楽を作っているのではなく、音楽が彼を作っている。彼は指揮するのではなく、指揮されている。それをこれほど強く意識する指揮者ほかにはいません。だから私たちは、彼の指揮を聴いていると『なるほどそうか。これはこんな音楽なのか。確かにそうなり得る。これが音楽そのものの自然な流れだ。とくにブルックナーの場合、最初から超個人的な性格が植え付けられる』と感じるのです。」EMIのレコードに対するクレンペラー評とはちょっと違う内容ですが、マーラーの指揮に対するクレンペラーの感想と似ているのが興味深いところです。

 音質は1947年という年代を考えれば良好で聴き易いものですが、どこかしらマイクが遠いような、オーケストラの音が十分入っていないような薄い響きという印象がぬぐえません。ACOとのSACD集の音源については付属冊子に、「現存する1955年から1961年にかけてのクレンペラーのアムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団の録音はブレフスタインが録ったものに限られる。オランダ放送は全てのテープを破棄してしまっていたのである」と書いてあったので、1947年の公演はブレフスタイン氏以外のテープなのか、たまたま放送局に残っていたのか、とにかくそこそこの音質かと思いました。
6 7月

クレンペラー、ニューPOのブルックナー第9番のLP/1970年

200706bブルックナー 交響曲 第9番 ニ短調 WAB109

オットー=クレンペラー 指揮
ニュー・フィルハーモニア管弦楽団

(1970年2月6-7,18-21日 ロンドン,キングスウェイホール 録音 EMI)

200706a 昨夜はTV画面に早々と都知事選挙の当確速報が表示されて驚き半分、やっぱり半分でチャンネルを変えました。現職有利という原則に加え、マスクを付けてテレビに出続け(選挙の演説より有効)たのが大きかったのでしょう。都民でもない私はスルーするとして、ひとつだけ、TVでも騒いでた豊洲市場の地下水やら土壌汚染の件は結局どのように決着がついたのかと。さて、一夜明けて今年もクレンペラー(Otto Klemperer 1885年5月14日 - 1973年7月6日)
の命日がやってきました。そのうち自分の命日もやってきますが、今年もそこそこ元気でこの日を迎えることが出来、クレンペラーが残した録音を聴くことができました。
 
ロッテ・クレンペラーからパウル・デッサウへの電報、1973年7月6日~
「パパ 今日金曜日の午後六時十五分 睡眠中に安らかに逝去(ストップ) 電話で伝えようとしたけどつながらなかった(ストップ) 葬儀は火曜日の午前 心から ロッテ  」 
~ 「 オットー・クレンペラー あるユダヤ系ドイツ人の音楽家人生 エーファ・ヴァイスヴァイラー著 明石政紀 訳 」

 今回はブルックナーの交響曲第9番のEMI録音をLPレコードとタワーレコードの企画で復刻されたSACD仕様国内盤を聴きました。その解説によるとクレンペラーがブルックナーの交響曲第9番を指揮した記録(主なと書いてあるので網羅のほどは定かでない)は、EMIへの録音以外で1934年にニューヨーク・フィル、1933年にウィーン・フィル、1923年にケルン・ギュルツェニヒ管弦楽団が残っています。第5、7、8番に比べるとかなり演奏頻度が低いものでした。
クレンペラーがEMIへ残したブルックナー作品は交響曲第4番から第9番までの六曲でした。そのうちで第4番と7番の二曲がフィルハ-モニア管弦楽団、あとは1964年に同楽団が自主運営になり、クレンペラーが会長になるという運営形態が変わった後でした。そして交響曲第4番は1963年、第7番が1960年の録音だったので、クレンペラーのブルックナー・セッション録音は75歳になる年以降ということになります。結果的に大火傷以降なので1950年代の晩年前期・壮健期のブルックナーは放送用やライヴ音源でしか聴けないということになりました。

クレンペラー・ニューPO/1970年
①26分42②11分21③27分17 計65分21

クレンペラー・NYPO/1934年
①22分13②09分41③23分07 計55分01

 過去記事でも扱ったことがあるこの第9番、クレンペラーの持論である特定の作曲家の楽曲のスペシャリスト的な演奏スタイルは無い、例えばワーグナーは良いけれどもベートーヴェンはダメという指揮者は実はワーグナーもダメ、という
1か0か論を思い出すような、ちょっと聴いて所謂ブルックナーらしいと思わせるものではありません。レコードジャケットのデザイン、雲の切れ目が出来そうで開ききらない、何かが見えそうで見えないという光景が何となくぴったり来る印象です。ただ、久しぶりに聴いて感じたのは思ったより(記憶に残る演奏より)明晰で、ち密なものでした。もっと大柄というかやや肥大した響きという記憶があったので意外でした。ベートーヴェンの交響曲第2番のEMI録音をモノラルLPで聴いた時のような再発見をした心地がしました。

 この録音を最初に聴いたのは昭和60年前後で東芝EMIの一枚2500円のシリーズでした。クレンペラーのブルックナー録音の中で唯一第9番だけがそのシリーズに入り、他は一枚1800円の「クレンペラーの芸術」シリーズでした。そういう取り扱いから察すると第9番だけはクレンペラーのフアンじゃなくても一定の需要は見込める、或いはそこそこ定評があったということでしょう。ただ、賛辞の論調はあまり演奏の実態を反映してなかった気がして、災難にめげずに長生きした巨匠の絶唱的な、演歌調の肯定というニュアンスだったかもしれません。同じLPでも今回聴いていると、そんなぼやけた、膨らんだような響きではなくクレンペラーらしい音だと感慨を新たにしました。
16 5月

クレンペラー、ウィーンSO ブルックナー第4番/1951年

190516bブルックナー 交響曲 第4番 変ホ長調 WAB.104 「ロマンティック」(1878-1880年第2稿ハース版)

オットー=クレンペラー 指揮
ウィーン交響楽団

(1951年3月19-23日 ウィーン 録音 VOX)

 この米VOX社へのブルックナー交響曲第4番のセッション録音は、クレンペラーの速いテンポの代表盤としてよく引き合いにだされています。その他にもLPレコードとして初のブルックナー交響曲全曲盤であり、SPも含めてもベーム、ヨッフムに続いて三番目の全曲録音だったようです。1930年代にあった世界聖餐会議なるものの機会にクレンペラーがブルックナーの交響曲を演奏して絶賛されたらしく、マーラーだけでなくブルックナーも早い時期から積極的に取り上げてきたことの一端がうかがえるレコードでした。

 改めて聴いてみると速いだけでなく重厚さ、威圧感がかなり後退しているのでシューベルト作品の延長という印象をうけます。これは国内復刻CD(VOXヴィンテージコレクション)なので日本語の解説冊子が付属しているので、それによると当時のウィーン・シンフォニカも古い楽器を使用していたこともあってオーケストラの音色が独特の美しさで響くことを指摘しています(オーボエやクラリネット、チェロの柔らかい響き)。新リマスターの加減もあってVOXの廉価CDからかなり聴き易くなり(欠落部分も改善されている)、古い壁画を洗浄して夜が明けたような鮮明さなのでその指摘も実感できます。

~ クレンペラーのブルックナー第4番
ウィーンSO/1951年・VOX*ハース版
①13分27②11分56③9分25④16分32 計51分19

ACO/1947年12月4日*ハース版
①14分03②12分58③10分11④17分48計54分00
ケルンRSO/1954年・ライヴ
①14分49②13分22③10分30④17分38計56分19
PO/1963年・EMI
①16分06②13分55③11分44④18分59計60分44
バイエルンRSO/1966年・ライヴ
①16分10②14分24③11分18④19分02計60分54

 稿・版は1878-1880年第2稿・ハース版ですが、第1楽章169小節をフォルテに変えているのは改訂稿の名残りだと指摘されています。またクレンペラー独自の工夫として、第2楽章でヴィオラの旋律をソロに変更している部分(51~54小節)があります。一番印象的なのは終楽章の軽快さ、流動的な感興で、後年の断崖が眼前にそびえ立ったような威圧感とは全く対照的です。これを聴いていると「クレンペラーらしさ」とはどう理解、説明すれば良いのかと思います。

 ところでこのVOX社へのセッション録音から遡ること約四年、1947年のクレンペラーは、ロスPOに客演直後に2人組の強盗に襲われ、意識を失って朝がたに警察に保護ざれるという事件に遭遇しました。渡欧後、5月にパリ・オペラ座では「ローエングリン」を指揮するところがリハーサルで監督と衝突して劇場を訴えます。8月にウィーンPOとザルツブルク音楽祭に出演してマーラーの4番とロイ・ハリスの3番ほかのコンサートと、「フィガロの結婚」を指揮し、その後ウィーン国立歌劇場で「ドン・ジョヴァンニ」を指揮しています。新シーズンからブダペスト国立歌劇場の音楽監督に就任しました。このポストは1950年7月に辞任(共産党の現場介入に嫌気がさして)したので、偶然にもブダペストの歌劇場音楽監督の就任後と辞任後しばらくの時期にブルックナーの第4番を指揮していました。
13 5月

クレンペラー、ニューPOのブルックナー第8番(カット有)

190513ブルックナー 交響曲 第8番 ハ短調 WAB.108

オットー=クレンペラー 指揮
ニュー・フィルハーモニア管弦楽団

(1970年10,11月 録音 EMI)

190513a 先日AV機器の設置を少し変更したところ、アナログ用のプリ・メインアンプのPHONOを選択して音量を上げるとスピーカーからボワーンという雑音が出ました。まだ再生もしていないのにこれが出るのはレコード・プレーヤーのアース線の接触が不十分か、コンセントの差し込み向きが原因のはずです。何度確認しても直らないのでプレーヤーとアンプを接続するケーブルを変更してつなぎ直すとやっと雑音が出なくなりました。アーズ線先端にある金具の大きさが少し違うの付け替えたケーブルの方が接触が安定しているということなのでしょう。しょうもないことで手間がかかって、スピーカーのベースに砂を補充するのは後回しにしました(暑いこともあって)。

 さて、LPレコードの再生環境も多少向上したところでクレンペラーとニュー・フィルハーモニア管弦楽団のブルックナー交響曲第8番のLPを聴きました。クレンペラーによるブルックナーの交響曲についてEMIへのセッション録音は第4番以降のみで、再発売の頻度は低い方でした。輸入盤の第8番はEMI末期の「クレンペラー全BOX化」と1990年前後のクレンペラー・エディションの二度だけかもしれません。その不人気最大の理由は終楽章のコーダ付近でクレンペラーによるまとまった削除がある(「231小節から386小節/練習記号QからAaまで」、「583小節から646小節/練習記号PpからUuまで」)ことでしょう。それについてクレンペラー本人の説明としてLPのジャケットに以下の文が載っています。

190513b

 クレンペラー自身が指揮して演奏する場合に限ってこの削除した状態で演奏することを是としている、自分が指揮する時だけ責任が持てるということなので所謂「クレンペラー版」というつもりは無いということなのでしょう。それでも違憲的な所業と言われても仕方ないところですが、個人的にはこの録音が大好きで、全部ひっくるめて共感を持て、支持するというのが本音です。特徴的なのは第2楽章の遅いテンポで、ブルックナーを極端に遅く演奏したチェリビダッケでさえこんな風ではありませんでした。そして続く第3、4楽章がそのスケルツォ楽章との対比が際立ってえも言われない魅力だと思います。そんなわけで、ブルックナーの第8番と言えば反射的にクレンペラーのこの録音、第2楽章が最初に頭の中で流れてくるくらいです。

 今回改めてLPレコードで聴いてみると、第1楽章が特に雑というのか散漫で、最晩年のクレンペラーの限界が顕著に出ていると実感しました。最初に聴いた際や過去にCDで聴いていた時には特に気にならなかったのに、記憶の中ではもっとぴっちりと合った演奏として残っていたからかもしれません(記憶修正主義ではないのだが)。クレンペラーが公式に引退する少し前のこの時期、もし終楽章のこれらのカットを行わなかったならもう少し違ったテンポ、ここまで極端に第2楽章を強調したテンポにはならなかったかどうか、同時期に録音したハイドンのオックスフォード交響曲なんかを思うとそうなったかもしれないと思いました。
21 6月

クレンペラー、BBC交響楽団のブルックナー第7番/1955年

180621ブルックナー 交響曲 第7番ホ長調 WAB.107(ノヴァーク版)

オットー・クレンペラー 指揮
BBC交響楽団

(1955年12月3日 BBCS tudios.Meida Vale 録音 ICA Classics)

 六月も三分の二が過ぎ、来月の4日は先月の誕生日に続いてオットー=クレンペラーの命日がやってきます。ということでそろそろ振り返るクレンペラーのCDの目星を付けて置こうかと思います。このブルックナーの第7番は、昨年に突如出て来たクレンペラーがBBC交響楽団へ客演した際の音源集の中の一曲です。ラジオ放送したものを個人が趣味で録音したものながら当時の最新機器を使ったものでした。それはそうとサッカーワールドカップ・ロシア大会、地震のおかげでうわのそら状態です。開幕当日に優勝国を予想(グループリーグ突破国もあわせて)していてフランスとスペインの決勝、スペイン優勝としましたが既に雲行きがあやしくなってきました(H組はどう予想したか?・・・)。

~クレンペラー指揮のブルックナー第7番
BBC・SO/1955年
①17分45②18分34③08分56④11分56 計57分11
バイエルンRSO/1956年4月12日,ミュンヘン
①17分55②19分21③09分08④12分41 計59分05
ウィーンSO/1958年2月23日,ウィーン
①18分16②19分45③09分10④12分12 計59分23
ベルリンPO/1958年9月
①19分08②19分16③09分31④12分59 計60分54
フィルハーモニアO/1960年EMI
①19分49②21分49③09分36④13分39 計65分53
NDRSO/1966年5月3
①19分45②21分04③09分39④13分25 計63分53
ニューPO/1965年11月
①18分37②20分33③09分28④12分35 計61分13

 クレンペラーは第二次大戦前からブルックナーを積極的に取り上げ、世界聖餐会議(そういうものがあるのも知らなかった)で公演した際には絶賛されたとか。また最晩年にはモーツァルトの交響曲第40番とブルックナーの第7番の組み合わせのプログラムでしばしばコンサートをしていました。そのためEMIへのセッション録音以外でもライヴ音源が結構出ていました。今回のBBC交響楽団とのものはこれらの中で一番古く、EMIと契約してレコード録音が始まった直後の時期にあたります。

 合計演奏時間が一番短くなっていますが最初に聴いた時は第1楽章がやや前のめりなので、VOX社のレコードの演奏(第7番は録音していない)をちょっと思い出しました。しかしライヴ、放送用音源はいずれもEMI盤よりも演奏時間が短くて1950年代のものはBBC以外はあまり違いがありません。こうして演奏時間、トラックタイムを見れば今回のものが突出した演奏時間であり、特徴的な演奏になっています。しかし第2楽章では意外なほどにろうろうと響いている印象で「ブルックナー ≒ ワーグナー/後期ロマン派の極み」的な印象でした。この感じは後年の演奏とちょっと違い、演奏時間の数字では過激そうに見えて演奏効果の方はそうでもなくて、どうなっているのかよく分からない状態です。

 クレンペラーのブルックナー演奏は19世紀生まれの他の巨匠、クナッパーツブッシュやフルトヴェングラーが指揮したブルックナーのいずれとも違う、より現代的なものだと思っていましたが、1955年のBBCSOとの演奏は彼らのブルックナー演奏の要素もチラつくような気がしました。
14 5月

クレンペラー、ニューPO ブルックナー第7番/1965年

180514ブルックナー 交響曲 第7番 ホ長調 WAB.107(ノヴァーク版)

オットー・クレンペラー 指揮
ニュー・フィルハーモニア管弦楽団

(1965年11月 ロンドン,ロイヤル・フェスティヴァル・ホール ライヴ録音 TESTAMENT)

 昨夜は一旦うとうととしてから目が覚めたので日テレ系のドキュメント番組のことを思い出してTVをつけたら、南京事件Ⅱという内容で従軍した兵士の日誌、絵日記や証言を集めたシリアスな内容でした。昨年の今頃は重慶爆撃の特集だったようで、深夜枠だとしても昨今はこういう内容の番組は放送し難いので貴重だと思いました。この時間帯の番組は興味深いと思いつつも録画を忘れがちです。昨日は梅雨の大雨のような降り方だったので、また避難勧告とか宇治川に注ぐ河川の氾濫とかが発生しないかと一瞬あせりました。さて、一夜明けた今日、5月14日はクレンペラーの誕生日でした。もっと他に記憶すべき記念日はあるとしてもこのブログでは恒例の記念日です。

 このCDはテスタメント社から何点かまとめて出たクレンペラーのニュー・フィルハーモニア管弦楽団時代の公演のシリーズの一枚です。モーツァルトの交響曲第40番、ブルックナーの交響曲第7番というプログラムなので、EMIのレコード録音以外にも複数の音源が出ている曲目です。なお、ニュー・フィルハーモニア管弦楽団というのは、フィルハーモニア管弦楽団の創設者であるウォルター・レッグが突如オケの解散を決めたため、団員が自主運営の団体として存続することを決意してクレンペラーに会長になってくれるよう依頼して再出発した際の名称でした(後にムーティ時代になって元のフィルハーモニアに名前は戻る)。

~クレンペラー指揮のブルックナー第7番
ニューPO/1965年11月
①18分37②20分33③09分28④12分35 計61分13
NDRSO/1966年5月3
①19分45②21分04③09分39④13分25 計63分53
フィルハーモニアO/1960年EMI
①19分49②21分49③09分36④13分39 計65分53
ベルリンPO/1958年9月
①19分08②19分16③09分31④12分59 計60分54
ウィーンSO/1958年2月23日,ウィーン
①18分16②19分45③09分10④12分12 計59分23
バイエルンRSO/1956年4月12日,ミュンヘン
①17分55②19分21③09分08④12分41 計59分05

 この第7番を聴いた印象は、まず第1楽章が軽快に、無造作に進められるのに驚いて、クレンペラーの名を伏せて聴かされたら別の指揮者による演奏と間違いかねないくらいでした。それに第2楽章がクレンペラーにしてはやけに感傷的なので、これもクレンペラーらしくない印象です。反射的にクレンペラーらしくないと思ったのは多分EMIとのセッション録音が記憶に残っているからだと思いますが、それ以前のライヴ音源では今回と似た演奏時間やもっと短いものもありました。HMVのサイトの紹介では翌年の北独放送SOとの第7番に近いという評があったのでそれを念頭に置いて聴いたところ、ちょっと違って今回独特な演奏内容のような気がしました。

 第4楽章の演奏時間には拍手はカット(a.bruckner.comのディスコグラフィの第4楽章はその拍手部分はカットされていないと思われる)しましたが、CDにはまだ残響が残っている時間帯に盛大な拍手と歓声がわき起こっていました。ブルックナー作品の人気は高くない、受容が進んでいないと言われたロンドンにあってこの盛り上りは凄いと思いました(そういえば朝比奈隆のブルックナーのライヴ盤も歓声、雄叫びが入っていることがある)。有名オケが競うロンドンでもクレンペラーがブルックナーの第6番を演奏しようとしたところ、レッグがまだ時期尚早だとして止められたり、ロンドン交響楽団がブルックナーの第5番を初めて演奏したのが1969年9月のティントナーの客演時だったとか、ことブルックナーに関しては演奏頻度はあまり高くなかったので、有名な第7番だとしてもこの盛り上りは特別かと思いました。
29 6月

クレンペラー、ベルリンPOのブルックナー交響曲第7番・1958年

160629ブルックナー 交響曲 第7番 ホ長調 WAB.107(ノヴァーク版)

オットー・クレンペラー 指揮
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

(1958年9月3日 ルツェルン ライヴ 録音 Delta)

 明日は水無月の大祓で六月も終わり、はやくも一年の半分が過ぎようとしています。それとこのブログでは7月6日のオットー=クレンペラー命日も近づいてきました。クレンペラーの誕生日の5月14日と命日の頃には彼の録音を取り出して偲ぶことにしていますが、EMIのセッション録音以外のライヴ、放送用音源もレパートリーが重なるものが少なくなくて、どうせなら違うのにチャレンジしてくれればと思ったものでした(特にマーラーは第6番、第8番)。ブルックナーもセッション録音が無い第1~3番はせめて1種類だけでも演奏した記録残っていればと残念でなりません。それからオペラ、ワーグナー作品とか挙げればきりがありません。今回は何種も出回っていたブルックナーの第7番、ベルリンPOへ客演した時のライヴ録音です。


~ クレンペラーのブルックナー第7番
ベルリンPO/1958年9月3日,ルツェルン
①19分08②19分16③9分31④12分59 計60分54
バイエルンRSO/1956年4月12日,ミュンヘン
①17分55②19分21③9分08④12分41 計59分05
ウィーンSO/1958年2月23日,ウィーン
①18分16②19分45③9分10④12分12 計59分23
フィルハーモニアO/1960年,EMI
①19分49②21分49③9分36④13分39 計65分53
NDRSO/1966年5月3,ハンブルク
①19分45②21分04③9分39④13分25 計63分53

 第7番は当然EMIのセッション録音があり、わりと早くにCD化されていました。それ以外にも上記のものが確認できました。他にもあるかもしれませんが、ベルリンPOとのものはANFというレーベルで薄緑色の日本語解説紙が付いて発売されていたこともあり、早くから知られていました。そのANFから出たものも二十年くらい前に聴いたことがあり、当時は散漫な印象と音質が良くなくて、本当にクレンペラーの指揮?、と微妙な疑いもありました(見ないで信ずる者は幸いなり)。しかし、上記のようにトラックタイムを並べると、これより古いものはもっと速く、1960年以降はさらに遅いのが分り、一応最長と最短の埒内に入っています。それに1958年9月3日ならクレンペラーが大火傷(違う意味のやけど、火遊びじゃなくて本当に身体が炎で損傷する火傷)をする直前なので、ルツェルン音楽祭に出演していても不思議ではありません。 

 本当にクレンペラーが指揮した音源だと信じた上で改めて聴いていると、EMI盤の第4、5、7番あたりの印象とちょっと違って、幾分柔軟でロマンティックな演奏に聴こえます。これよりも後年にカラヤンが指揮したベルリンPOの第7番のような濃厚にして重厚なブルックナーには遠いとしても、そっちの方により傾斜している感じです。

 「クレンペラーとの対話 P.ヘイワーズ編 佐藤章 訳(白水社)」 の中で、クレンペラーはコンセルトヘボウでカラヤンが指揮するブルックナーの第7番を聴いた時のことを話しています。ただ演奏については触れらておらず、カラヤンが拍手を受ける時の様子があまりに芝居がかっている、何故そんなに拍手に夢中になるのか分らない(有能な男で、指揮ができる、それだけでもういいのです)と述べています。その直前の箇所で、クレンペラーはルツェルンでカラヤンが指揮する第九を聴いたことに触れています。その演奏はひどかったからスケルツォの後で会場を出たと言っているのでよほど腹に据えかねる演奏だったのでしょう。具体的にははやすぎた、第九ではベートーベンのメトロノームの指示は正しいとしています。あるいは、クレンペラーがこのブルックナーを指揮した1958年だったかもしれませんが興味深い反応です。

12 5月

クレンペラー、バイエルンRSOのブルックナー第4番・1966年

160512aブルックナー 交響曲 第4番 変ホ長調 WAB.104 「ロマンティック」 (1878-1880年第2稿ノヴァーク版)

オットー・クレンペラー 指揮
バイエルン放送交響楽団

(1966年4月1日 ミュンヘン ライヴ録音 EMI)

160512b 山芋をすりおろしたものに酒を加えた練酒、「芋酒」というものが本当に存在したかどうか分りませんが、TVドラマの「鬼平犯科帳(吉衛門が鬼平の役)」の中にそれを看板メニューにした酒屋が出てきました。たまたまお昼にとろろ蕎麦を食べていて、すった芋につけ汁を加えている時にそれを思い出しました。それが出て来るのは確か「兇族」という回で、吉衛門が出る何シリーズかの間に二度映像化されたので記憶に残っています。夜半に単身見回りをする鬼平が芋酒屋に立ち寄ってカウンターに座ってのんでいると、おつとめを終えた夜鷹が疲れて店に入って来たところ、店主のおやじが出直してくるように頼もうとするも鬼平は遠慮は要らぬと入ってくるよう促します。やがて銚子の一本もおごってやって、帰り際にご祝儀というか、もし客となって相手していたら払ったであろう金子(あるいはそれ以上)をこっそり机に置いて行き、夜鷹はおやじ共々しみじみ有難がる、という場面がありました。涙が出そうになる場面で、旧演出がそんな風にさり気ない心遣いという感じだったのが、新演出(10年くらいは間を置いたか?)では鬼平のセリフがかなり増え、「おめえも、おやじも同じ人じゃねえか」と言わせ、さらに話し相手になってくれた礼だと鬼平が夜鷹に金を手渡していました。少々くどい、さり気なくしてこそ味が出るんじゃないかと思ったものですが、これも世相を反映してか丁寧に説明的に映像化した方が良いとなったのでしょう。

 全然関係無いネタながら十年やそこらを隔てれば、同じ事柄を伝えようとしてもやり方を変えなければ伝わりにくくなることもある、ということはクラシック音楽の演奏にも多少は接点があると思います。ブルックナー作品はドイツ語圏以外ではあまり人気が無くて演奏頻度が今ほどは高くなかったという1960年代、クレンペラーはロンドンを本拠とするフィルハーモニア管弦楽団の定期でブルックナーの第6番を演奏したかったのに、興行成績を案じてかレッグから何度か止められていました。そういう時代にクレンペラーは交響曲第4番はしばしばドイツのオケへ客演時に指揮していました。下記の録音のように1951年から1966年まで15年程幅があり、ブルックナーの一般客への浸透も進んだのではと推測できます。この場合は当初誇張した表現やら、退屈させない工夫が必要だったのが、よりありのままに演奏しても大丈夫、くらいの変化はあったかもしれません(まだ早いか?、そんな単純じゃない?)。

~ クレンペラーのブルックナー第4番
バイエルンRSO/1966年・ライヴ
①16分10②14分24③11分18④19分02計60分54

PO/1963年・EMI
①16分06②13分55③11分44④18分59計60分44
ケルンRSO/1954年・ライヴ
①14分49②13分22③10分30④17分38計56分19
VSO/1951年・VOX
①13分27②11分58③09分25④16分32計51分22

 クレンペラーのブルックナー第4番は上記以外にもライヴ録音があったかもしれませんが、これらの中では特に今回のバイエルンRSOとのものが一番気に入っています。フィルハーモニア管弦楽団とのEMI盤は自分が初めてCDプレーヤーを購入した時に併せて買ったCDでもありましたが、最初聴いた時は弾き飛ばされるような硬くて巨大な構築物を目の当たりにしたようであまりなじめませんでした。その時に国内盤でクレンペラーのベートーベン交響曲全集もありましたがプレーヤーの4割くらいの値段だったので手が出ませんでした。それはともかく、後に出てきたバイエルンのライヴ盤は程よく力みがとれて、明晰さが増した印象になりすごく好感が湧きました(最初の一音で、じゃないけれど)。終楽章のコーダ辺りも特別に仰ぎ見るような壮大さにはならず、柔軟に終わっているのが印象的です。

 クレンペラーがバイエルン放送交響楽団を最初に指揮したのは1956年4月のことで、どうやらオイゲン・ヨッフムの招きだったようです。そして翌年にはエジンバラ音楽祭でも共演し、その後何度か客演したようです。今回の録音はシューベルトの未完成交響曲とブルックナーの第4番というプログラムでした(どうせなら未完成に終わった交響曲どうしで第9番にすれば良かったとも思います)。クレンペラーは一回のオーケストラ公演はあまり長くならないのが良いという考えのようで(どこに書いてあったか忘れた)、一時間半うらいが限度と思っていたようです。
23 6月

クレンペラー、BBC交響楽団のブルックナー第6番

150623bブルックナー 交響曲 第6番 イ長調(1881年ハース版)


オットー・クレンペラー 指揮

BBC交響楽団

(1961年1月12日 BBCメディア・ヴェイル・スタディオ 録音 TESTAMENT)

 このCDはクレンペラーが、フィルハーモニア管弦楽団と同じくロンドンを本拠地とするBBC放送のオーケストラに客演して放送用に録音した音源です。BBC放送の「第3プログラム」という現代音楽に積極的なチャンネルから同時収録の
テ・デウムと共に翌月に放送されました。クレンペラーはフィルハーモニア管弦楽団でブルックナーの第6番を取り上げたいと考えていましたが、当時のイギリスにおけるブルックナー受容を考えると興行上認め難いとしてレッグが許可しませんでした。ロンドン交響楽団ですらティントナーの客演により第5番を演奏した1969年が同曲を初めて演奏した機会だったので、よりマイナーな第6番となるとレッグが認めなかったのも現実的な判断でしょう。

150623a しかし、トラブルの卸問屋のようなクレンペラーは諦めきれず上記のように競合するBBC交響楽団を指揮するという挙に出ました。指定広域組織の舎弟頭が県警のイベントに出演したようなもので、仁義の上で問題があるといえます。その後レッグがフィルハーモニア管弦楽団を解散すると宣言した後、クレンペラーが会長となって自主運営化した年にブルックナー第6番をセッション録音することになります。下記はクレンペラーによる三種類のブルックナー第6番のトラックタイムです。合計演奏時間はセッション録音が一番長くなっています。

~~ クレンペラーのブルックナー第6番
BBCSO/1961年
①17分13②13分07③9分12④13分04 計52分36

ACO・1961年ライヴ
①17分07②12分36③8分31④12分02 計50分16
ニューPO・1964年EMIセッション
①17分02②14分42③9分23④13分48 計54分55

 今回の第6番は第1楽章冒頭から異様に遅く感じられ、最晩年の演奏により慣れているはずなのに挑発的にさえ感じられるテンポでした(高速道路で煽られてさらに減速するような)。セッション録音を初めて聴いた時はそんな印象ではなかったので最初リマスター処理の失敗とか、何らかのミスかと思いました。しかし昨年取り上げたアムステルダム・コンセルトヘボウとのライブ盤の時も、第1楽章については似たような感想だったので実際こういう演奏だったのでしょう。第2楽章は一転して情感豊かでテンポが速くなる部分もあって、今回の第6番はわりに緩急の対比がはっきりした演奏です(気のせいか第2楽章だけ継ぎ接ぎしたような感じ)。

 1961年5月にクレンペラーがオスカー・ココシュカ(Oskar Kokoschka, 1886年3月1日 - 1980年2月22日,アルマ・マーラーとの関係でも知られる)に宛てた手紙というのが「 オットー・クレンペラー あるユダヤ系ドイツ人の音楽家人生 エーファ・ヴァイスヴァイラー著 明石政紀 訳 」に掲載されています。ココシュカは1962年1月にクレンペラーが指揮した
魔笛(コヴェントガーデンで)の舞台セットや衣装を受け持つはずでしたが、初対面でクレンペラーがココシュカの作品を見たことがないとか言い出したのでココシュカが怒って帰ってしまいました。それ以来の手紙だったわけですが、詫びの一つも無かったのはさすがです。結局魔笛の方はココシュカは辞退することになりましたが、クレンペラーは最初ココシュカではなくてピカソに依頼したかったそうです(まさか故意にココシュカを怒らせたわけではないはずだが)。

28 11月

クレンペラー・ACO・1961年 ブルックナー交響曲第6番

ブルックナー 交響曲 第6番 イ長調(1881年ハース版)


オットー・クレンペラー  指揮
アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団

 
(1961年6月22日 アムステルダム 録音 MUSIC&ARTS)


141128 あと二日で十一月がお終いです。地下鉄の駅に貼ってある京響の第九公演は既に二日とも完売のシールが貼ってありました。まだ販売しているのは佐渡・ケルン放送交響楽団の大阪公演ですが、当日行けるかどうか分からないので多分今年は年末の第九は無しになるでしょう。別に判で押したように年末に第九を聴かなくてもと思いつつ、行って聴くと清々しい気分になりやはり良いものだとしみじみ思います。最近では2011年の年末に聴いた広上・京響が印象に残っています。それと関係ありませんがフィギュアスケートのNHK杯、羽生選手は出場しました。興行上欠場できないのか本人の断固たる決意なのか、とにかく悪化しなければと思います。それにしても引退発表した村主 章枝はまだ三十代前半だったのには軽く驚きました。ここ何年かの写真なんかからはもう少し(以下略)。それに引退して楽になったのか若返って見えます。

 さて、クレンペラーのブルックナー第6番。クレンペラーはこの曲に愛着があるらしく、レッグにフィルハーモニアの定期で是非やりたいと訴えては、ロンドンでは時期尚早とかで却下され続けました。レッグがEMIを退社してオーケストラも自主運営となるやさっそく録音したのでよほどの思い入れだったのでしょう。そのEMIへのセッッション録音より約3年前にクレンペラーはアムステルダムとロンドンのBBC放送SOへ客演してこの曲を指揮していました。

 今回のCDは別の機会の演奏であるブラームスの「ハイドンの主題による変奏曲」とカップリングされて、日本のDENNONで生産されたと英語で表記されています(日本語は一切書いていない)。あるいはLPでも出ていたかもしれませんが記憶は定かではありません。最近中古CDでたまたま見つけ、テ・デウムとかといっしょにLPで出ていたかと思い、保存しているLPを探したところ見つからりません(置いた場所を忘れたか記憶違いか)。実際に聴いてみるとかなり素晴らしくて、セッション録音と基本的には同じながら、1950年代のクレンペラーのような即物的な感覚が大分出ています。

 ただ、演奏時間の数値程は速く感じられず、第一楽章の最初からしばらくは「おっそ~(遅い)」と声を上げそうなくらいです。単に遅いというよりリズムを刻むヴァイオリンの方が極端に遅くて、主題の方とずれているような感覚です。一瞬引き裂かれたような妙な、一面でクレンペラーらしいとも言える感覚で、最初聴いたときは一瞬CDの製作上のミスか?と思いました。

ACO・1961年ライヴ
①17分07②12分36③8分31④12分02 計50分16

BBCSO・1961年ライヴ
①17分13②13分07③9分12④13分04 計52分36
ニューPO・1964年EMIセッション
①17分02②14分42③9分23④13分48 計54分55

 第一楽章はそんな印象ですが、後になるにつれて慣れてくるのか演奏に引き込まれます。EMI盤よりも集中しているようにも感じます。なお、トラックタイムは実質的な演奏部分だけ載せているのでCD表記は拍手等も含めてもっと長くなっています。なお、1960年代にクレンペラーがバイエルン放送交響楽団へ客演した音源が突如EMIからCD化されたことがあり、バイエルンへクレンペラーを呼んだのはヨッフムだったと解説に書かれていました。ヨッフムはアムステルダム・コンセルトヘボウの首席も務めていたので、この公演はどうだか分からないとしてもクレンペラーの演奏をコンセルトヘボウでも聴いていたはずです(二人のブルックナー演奏はかなり違っているが)。

31 10月

ブルックナー交響曲第5番 クレンペラー・ウィーンPO

ブルックナー 交響曲 第5番 変ロ長調(1878年ノヴァーク版)


オットー=クレンペラー 指揮

ウィーン・フィルハーモニア管弦楽

(1968年6月2日 ウィーン,ムジークフェライン・大ホール 録音 Testament)


 今日10月31日はハロウィンらしく、朝のNHK・AMラジオの情報番組「すっぴん!」(なかなか面白い番組)の冒頭でも子供のする仮装に親も付き添わされるので親も仮装するとか言っていました。英語圏で定着しているハロウィンは、日本なら東京圏とか一部だけかと思っていましたが最近は広がりを見せているようです。そのハロウィンの日にクレンペラーを持ってくるのは、魔物扱いするようで気がひけながら、ちょうど先日同時期のライヴ音源を聴いたので最晩年のウィーンPOとの共演の録音を持ってきました。

 これはCD初期から他のレーベル(セブンシーズ?とかいったレーベルからも出ていた)で発売され、国内盤仕様も出回っていました。どうもニュー・フィルハーモニア管とのEMI盤よりも評判が良かったようです。後にTestamentレーベルからクレンペラーが戦後ウィーンPOと共演した音源を集めたCD集にも入っています。このCD集は1968年のウィーン芸術週間にクレンペラーが客演した公演の記録を中心に、1958年のドイツ・レクイエムを加えた八枚組です。ブルックナーの第5番は6月2日の公演で、曲目は他にラモーの「ガボットと六つの変奏(クレンペラー編曲)」です。テスタメントのCDは以前出ていた輸入盤に比べて聴き易い音になっています。
 

 指揮者の目利きとして知られたウィーン・フィルのファゴット奏者、フーゴ・ブルクハウザーは(別人の言葉として書かれている記事もあるが)「クレンペラーこそが当代一のブルックナー指揮者である」と言ったそうですが、クレンペラーはウィーンPOは扱い難くく表向きは賛辞を述べても陰ではそうではないことも知っていると言っていました。特にブルクハウザーを指しての話とは違うもののシビアに見ていたわけです。それはともかく、下記はクレンペラーのブルックナー第5番のCDのトラックタイムです。第四楽章は終演後の拍手を除いています。
 

~ クレンペラーのブルックナー第5番
ウィーンPO(1968年6月Testament)
①20分47②14分53③14分08④24分45 計74分00

N・PO(1967年3月Testament)Royal Festival Hall
①21分00②15分38③14分38④25分40 計76分56
N・PO(1967年3月EMI)Kingsway Hall
①21分20②16分37③14分44④26分46 計79分27


 EMI盤のブルックナー第5番は個人的に特に好きな録音で、最初に聴いて以来強烈な印象が残っています。大坂城の巨石が降ってくるような、出エジプト記の十戒の石板を授与されるシナイ山の場面のような威圧感で迫ってきます。先日のCDの紹介文には「巨大なフォルム構築」と表現されていました。それの約一年後のウィーン公演盤は少し印象が違い、やや柔軟で流動感が出ています。特に終楽章はそれを強く感じます。クレンペラーは「クレンペラーとの対話(P.ヘイワーズ編 白水社)」の中でこのブルックナー第5番について言及し、同じ機会のマーラー第9番よりも良い演奏だったと満足げに述べています。


 クレンペラーは1933年にウィーンPOに客演して同じくブルックナーの第5番を演奏しましたが、当初は第8番を予定していたところ急遽変更になり、スコア無しでリハーサルをこなして公演も大成功だったと伝えられています(ウィーンPOとのCD集の広告には上記の「クレンペラーこそが~」という評は、この演奏を聴いたアメリカ人評論家B.H.ハギンによるものとして紹介されていた)。今回の録音は最晩年の演奏ですが、聴いていると1933年のエピソードとその時の演奏ぶりが何となく想像できます。

26 10月

ブルックナー交響曲第5番 クレンペラー・ニューPOライヴ盤

ブルックナー 交響曲 第5番 変ロ長調(1878年ノヴァーク版)


オットー=クレンペラー 指揮

ニュー・フィルハーモニア管弦楽団
 

(1967年3月21日 ロンドン,ロイヤル・フェスティヴァル・ホール 録音 Testament)

 このブルックナー交響曲第5番のライヴ録音は、クレンペラーがEMIへセッション録音した同曲の録音の約1週間後の公演の記録です。1967年3月21日に放送されたという表記があり、実況中継だったのかどうか不詳です。クレンペラー没後40年の機会にテスタメント社から発売された一連のCDのなかの一枚です。放送用音源、モノラル録音であり、セッション録音を聴いていると音質は物足らなく感じます。しかし、セッション録音の直近の公演であることやウィーンPOとのライヴ盤とも時期が近いこともあり興味深い録音です。

 Testament社のサイトには解説の日本語訳がダウンロードできるようになっていてなかなか面白い話が出ています。CDが売れない昨今、日本のヲタや物好きはおろそかにできないお客様ということかもしれません。それはともかく、次のようなエピソードが載っていました。クレンペラーがベルリンの国立歌劇場の監督(通称クロル・オペラ)に就任した直後、就任コンサート(オーケストラだけのようだ)でブルックナーの交響曲第5番を取り上げようとしました。するとベルリンPOが同じ頃に取り上げる予定だったので、フルトヴェングラー自ら曲目変更の要請をしてきましたが、クレンペラーは承知せずにそのままブルックナー第5番を演奏しました。その結果、大成功で、あまりの反響のためベルリンPOが同じ曲を演奏するのを止めたそうです。その公演の反響があまりに大きく、大評判だったことがナチスに注目されることになったとも書いてありました。

 この話は初耳ですが、ちょっと気まずい話でしょう。極道映画的に言えば、本家の組長が頼んで来ているのに「格下の盃を交わしたわけではない」からと断ったようなもので、結果的に一家の会長筋から睨まれるようになっても不思議ではありません。あと一つのエピソードは、指揮者の目利きとして知られたウィーン・フィルのファゴット奏者、フーゴ・ブルクハウザーが、「クレンペラーこそが当代一のブルックナー指揮者である」と断言(名前は省略するが、クレンペラーと同じか年上の世代の巨匠の名を挙げて、彼らではなくクレンペラーだと)していたという話です。程々にきいておくとしてもクレンペラーのフアン、舎弟としては心地よい話です。
 

~ クレンペラーのブルックナー第5番
N・PO(1967年3月EMI)Kingsway Hall
①21分20②16分37③14分44④26分46 計79分27
N・PO(1967年3月Testament)Royal Festival Hall
①21分00②15分38③14分38④25分40 計76分56

ウィーンPO(1968年6月Testament)
①20分47②14分53③14分08④25分13 計75分01

 上記はクレンペラーのブルックナー交響曲第5番のCD、三種の演奏時間です。セッション録音がひときわ演奏時間が長いのが分かります。しかし当たり前かもしれませんが、聴いた印象では極端に違わないと思います。ウィーンPOとの演奏は以前から名演として知られていましたが、今回のニュー・フィルハーモニア管弦楽団とのライヴ録音を聴くと、それがウィーンだけの例外ではないだろうと実感できます(ウィーンPOとの第二楽章もやっぱり速目である)。クレンペラーのEMI録音はとかく遅いと言われますが、ブルックナーの第5番の特にライヴ録音はヨッフムやヴァントと同じくらいの合計時間です。

30 12月

ブルックナー交響曲第8番 クレンペラー・ケルン放送SO

ブルックナー  交響曲 第8番 ハ短調 (1890年稿ノヴァーク版)


オットー=クレンペラー  指揮

ケルン放送交響楽団


(1957年6月7日 ケルン,WDRフンクハウス、第1ホール Medici Masters)

 12月30日、日曜日、バッハの教会カンタータなら「クリスマス後の第一主日」になるはずですが、教派によっては「聖家族」の祝日です。しかし市中は二条城の東大手に門松が立てられて、すっかり正月・迎春モードです。今日ミサの中で普段と違って今年三月に助祭になった人が福音朗読と説教を受け持っていました。順調にいけば来年三月に司祭叙階になるはずで、神学校の休暇期間に出身教区へ里帰りのようでした。その方は私が堅信のために入門講座( 本来新たに成人洗礼を受ける人が通う会、子供の頃真面目に教会に通っていると堅信もとっくに済んでいるが、はみ出し者は補習を受けるような格好になる )に出ていた時、同じ講座に居て七、八年前に神学校へ入学しました。最短六年のはずなので、休学するとか事情があったのでしょう。顔見知りなので、片や御聖体を渡す側へ、片やそれを受ける側に分かれてしまって妙な気分でした。これが親子だったら、負うた子から聖体を受けるのは感慨深いのかもしれません。


 クレンペラー指揮、ケルンRSOのブルックナー第8番はLPレコードでも出ていました。1980年代半ば、EMIのセッション録音の方は入手困難(あるいは廃盤)だったので代わりにこれを聴いていました。ややこもったような音ながら、CD化によってすごく聴き易い音質になっています。CD化されて聴き直してみると、第二楽章がこんなに速かったかと意外に思いました。本当にクレンペラーの指揮なのか?と疑念も残りました。と言うのは、EMIへのセッション録音の第8番は、1970年のクレンペラー末期の録音なので第二楽章・スケルツォのゆったりしたテンポが際立って、独特の各楽章のバランスです。それに対して今回の音源は1957年なので極端に遅いテンポとまでは言えない時期ですが、アダージョ等の緩叙楽章は速目に、スケルツォ等はゆっくり目に演奏するという傾向は既にあるはずです。


 一方、第四楽章のコーダ部分は速目ながら比較的あっさりと終わっているので、その点はクレンペラーらしいと言える演奏です。何しろクレンペラーは1970年のセッション録音ではそのあたりで大幅なカット、削除を行っているので、第8番のコーダ部分のような音楽には共感していないのだろうと思います。だからと言って削除まで飛躍はしないのが通常ですが、19世紀生まれのクレンペラーはメンデルスゾーンのスコットランド交響曲でもフィナーレのコーダ部分で削除して、自分で作り直しています。オペラの慣習的なカットには神経質だったようなのに、ここまで大胆なカットをするとは驚きです。


 そんなわけで、このケルン放送交響楽団との第8番はカットせず、クレンペラーが普通に演奏した同曲の録音として貴重なものです。それだけでなく、第三楽章の引き締まった美しさは特別です。ただ、1970年録音のEMI盤も捨て難く、せめて四年程早く録音して、カットした第四楽章と併せて普通に演奏した第四楽章も録音していてくれたらと思えて、残念でなりません。済んでしまったことなので惜しんでも仕方ないのでこれで止めておきます。


 ところでクレンペラーのブルックナーと言えば戦前から評判だったようですが、レコードではウィーン交響楽団を指揮した第4番のセッション録音(VOXレコード)もありました。LP末期に傷が目立つ初期盤を入手して聴いていましたが、かなり速いテンポです。これらのVOX録音について、近年レコードの収録時間を配慮して意図的に速く演奏したのではないかという説を目にしました。EMI、フィルハーモニア管と契約するまでクレンペラーは困窮していたから、レコード会社の要望を受け入れたという論旨でした。真偽のほどは分かりませんが、古い録音も注目されるのは良いことだと思いました。

9 12月

クレンペラー・VSO ブルックナー交響曲第7番 1958年ライヴ録音

ブルックナー 交響曲 第7番 ホ長調 WAB.107(ノヴァーク版)
 

オットー・クレンペラー 指揮
ウィーン交響楽団

 
(1958年2月23日 ウィーン,ムジークフェライン ライヴ 録音 Testament)


 昼過ぎに、急逝した中村勘三郎の追悼番組として大河ドラマ「元禄繚乱」から、討ち入りの回が放送されていました。他にも武田信玄には今川義元役で出演していたのが思い出されます(どちらかと言えば後者の方が印象深かった)。播州赤穂の茶菓子に「しほみ饅頭」というのが現代でも伝わっています。江戸時代からは改良されているようですが、落雁のような皮で餡を包んだ小ぶりの饅頭に塩味が加えられています。小学生の時口にして以来かなり気に入っています。二十年くらい前、職場に居た学生のバイトが播磨地方出身だったので「しほみまんじゅう」の話題になった時、顔をしかめてあまり好きではないと言ったので若者には人気が無いのかと思いました。これを食べて抹茶をいただけば味が引き立つだろうと思います。それにしても、今朝からの寒さは一月並みで覚悟が出来てない今頃にこれだけ冷え込むとこたえます。
 

 これはクレンペラーの放送用音源のモノラル録音のCDで、テスタメント・レーベルから出たものです。HMVの紹介文では公演後各紙で絶賛されたと書かれてあります。当時のコンサートにおいてブルックナーの交響曲の占める位置、性格は現代とは違うはずなので、その反応は興味深いものがあります。クレンペラーはフィルハーモニア管弦楽団の定期公演でブルックナーの交響曲第6番を取り上げたがっていたのを、レッグが興行上の計算かロンドンの聴衆のブルックナー受容度を判定してか、時期尚早だとして許可しませんでした。このCDは場所が変わって本場のウィーンだとはいえ、そんな時代のライヴ録音だったわけです。


 今これを聴くと、聴く者に訴えるために過剰に濃厚な表現をするとかそんな傾向は無く、その逆だと感じられます。終演後に盛大な拍手が入っていますが、ことさら熱狂的というものでもなく、コーダ部分、最後の一音も素っ気なく、虚を突いて終わってやったぞ、といった感じすらします。祝典的な高揚をわざと抑えているかのようです。これは一年前の6月にケルンで客演(ケルンRSO)したブルックナー第8番と似ています(第8も速目ながら、幾分優雅に聴こえるか)。大自然云々とか、大聖堂の響きといったブルックナーに付いてまわるイメージもかなり希薄だと思います。楽器に近いところで収録しているような印象で(最初は気になる)、音質も不自然な印象です。


  下記はクレンペラー指揮のブルックナー交響曲第7番のCDの演奏時間です。セッション録音はEMI盤一種類だけです。なお、今回のCDの第四楽章のトラック表記には終演後の拍手が約25秒含まれているので、それを除いています(他のライヴ音源にも拍手が入っているかもしれないが改めて確認していない)。
 

クレンペラー指揮のブルックナー第7番
ウィーンSO(1958年2月23日,ウィーン)
①18分16②19分45③9分10④12分12 計59分23

バイエルンRSO(1956年4月12日,ミュンヘン)
①17分55②19分21③9分08④12分41 計59分05
ベルリンPO(1958年9月3日,ルツェルン)
①19分08②19分16③9分31④12分59 計60分54
フィルハーモニアO(1960年,EMI)
①19分49②21分49③9分36④13分39 計65分53
NDRSO(1966年5月3,ハンブルク)
①19分45②21分04③9分39④13分25 計63分53

121209a
 上記の内、1958年9月のベルリンPOへの客演の後に「寝たばこ・大火傷」事件で休養することになり、それ以降は身体も不自由さが増し、いっそうテンポが遅くなる傾向です。この曲はそれが顕著のようです。実際、フィルハーモニア管とのセッション録音は従前より5分程遅くなっています。火傷事故は、右の写真でもくわえているパイプの火が原因でした。ベットでタバコを吸っていて火を消そうとして、水だと思ってかけたのが揮発性の薬品だったため、まさに火に油で火ダルマ状態になったそうです。よく復帰できたものですが、とにかく今回のCDは比較的壮健だった最後の時期の演奏です。


 レコードのフィルハーモニア管との録音は、どうも突き放される感覚で、親しみ難いブルックナーかと思っていました。それより速いテンポのこのCDを聴くと、クレンペラーの志向するブルックナー像がより分かり易いと思いました。ブルックナーを「ベートーベン以後の最大の交響曲の作曲家」と評したのはワーグナーでしたが、ヴァントもワーグナーが言った数少ない正しい言葉としてそれに同意しています。クレンペラーのブルックナーも基本的にその線だろうと思います。

17 7月

ブルックナー交響曲第4番 クレンペラー・PO 1963年・EMI

ブルックナー 交響曲 第4番 変ホ長調「ロマンティック」(1878/80年・第2稿ノヴァーク版)


オットー・クレンペラー 指揮

フィルハーモニア管弦楽団

 
(1963年9月18-20,24,25 ロンドン,キングズウェイ・ホール 録音 EMI)


 今朝の八時半頃四条烏丸の交差点で信号待ちになると、ちょうど長刀鉾に囃子の人が乗り込んでいるところでした。烏丸通をここから北上すると二基ほど小さな山が通りに出ているものの、一応通行止めではなく、ぎりぎり地下駐車場に入れます。ただし、いったん入ると巡行が終わるまで出ることはできません。そういうわけで、午前中の所用は徒歩で回りましたが、人ごみと暑さのため通常の倍は時間がかかりました。去年はまだ立ち止まって山鉾を見た、余裕があったので、今年は確実に去年を上回る暑さです。
 

 この録音は初めてCDプレーヤーを購入した時に、ヴィヴァルディの四季(イ・ムジチ、アーヨがソロのやつではない)といっしょに買った思い出(と言うほどではない)のCDです。京都市の寺町にも家電街があるのに大阪の日本橋まで足を運んでDENONの普及・入門クラスのプレーヤーを買いました。今は珍しくなったインデックス機能が付いているのを探したので、割引率が今一つでした。それでCDソフトに回す額が大幅に減り、国内盤CDをあれかこれか、あれもこれもと迷いながらその二枚を購入しました。


 クレンペラーとフィルハーモニア管のブルックナーは、LPの末期に第9番だけが1枚2500円の準レギュラー盤で出ていて、それ以外は1枚1800円の廉価盤シリーズで再発売されていました。フィナーレのカットで悪名が高い第8番と、この第4番は店頭で見つからず、輸入箱もので初めて聴くことが出来ました。第4番に限っては早々とCD化されたので上記のように買う事が出来たわけです。

 CDプレーヤーをアンプにつないでこのブルックナーのCDを聴くと、城砦の前で門前払いをくらったような拒絶感で、ロマンティックとは程遠い響きでした。遅い演奏でもないのに、どこかギクシャクとした印象で、よく言われる「ブルックナーらしい」スタイルとは遠いものでした。CD最初の印象がそんな風だったので、このCDはあまり聴くことはなく年月が過ぎました。クレンペラーが戦後最初にポストを得たブダペストのハンガリー国立歌劇場で、ワーグナーのマイスタージンガーを演奏中に長い第三幕で居眠りした女性奏者(19歳だったらしい)を見つけて、「ワーグナーはガキの音楽ではない」と雷鳴一喝したという逸話があります。ブルックナーしかりというところでしょう。
 

 1972年の1月から6月の期間に開かれたニュー・フィルハーモニア管弦楽団のコンサートが25回あり、その内の4回にクレンペラーが登場しました。1月のコンサートは、ハイドンのオックスフォード交響曲とブルックナーの交響曲第4番でした。レコードの録音は公演の合間に済ませたクレンペラーなので、この録音の前後にも定期で演奏したと考えられ、他の放送用音源も考えればクレンペラーはわりに頻繁にこの曲を演奏しています。
 

クレンペラー・PO(1963年)
①16分06②13分55③11分44④18分59 計60分44


 改めて この録音を聴いてみると、特に第3楽章が面白く、やっぱり狩りだの森だのといったイメージとは一線を画しています。第4楽章のコーダも特に壮大さを演出していません。

 「音楽ユダヤ人事典(1940年)」のクレンペラーについての記述には、「クレンペラーは、自らの使命をドイツ音楽の傑作の意図的歪曲とみなしており」とか、「ベルリン・クロル歌劇場のオペラ監督に任用され、同劇場をユダヤ・マルクス主義的実験舞台に貶めた~」といった悪意に充ちた表現が見られます。オーストリアの作曲家ブルックナーも「ドイツ音楽」に含まれるのでしょうが、当時のアーリア人の癇にさわる演奏だったことは何となく伝わります。かつての同盟国にして名誉アーリア人の称号をいただいた日本人としては、どう受け止めれば良いのか分かりません。しかし、ブルックナーがすっかりメジャーになった今聴いても、このロマンティック交響曲は新鮮に響きます。

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raimund

昭和40年代生まれ、オットー=クレンペラーの大フアンです。クレンペラーが録音を残したジャンルに加え、教会音楽、歌曲、オペラが好きなレパートリーです。

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