raimund

新・今でもしぶとく聴いてます

クレンペラーのブラームス

25 6月

クレンペラーとオイストラフ ブラームスVn協奏曲/EMI仏初期盤

220626bブラームス ヴァイオリン協奏曲 ニ長調 作品77

オットー=クレンペラー 指揮
フランス国立放送管弦楽団

ダヴィッド・オイストラフ:ヴァイオリン

(1960年6月?11月? パリ,サラワグラム 録音 SAXF196/EMI)

220626a
 あいかわらずロシア軍は一向に撤退する様子でなく、六月も残り少なくなって沖縄慰霊の日も過ぎました。新型コロナの感染も無くなる風でなくて、まだ死亡者も出ています。それでもランチの時間帯のラーメン店なんかは混雑度が増してきて、先日四条烏丸辺りでランチにしようとしたらY野屋とか、つけ麺の店やらその他も満員でした。ラ・ヴォーチェ京都が入居するビルの一階に喫茶店のような店があったと記憶していて、昔、1990年前後にそこでコーヒーとサンドウィッチを食べてから店へ行ったと勘違いしていたところ、その店は何軒か西の建物の一階だったと先日外観でようやく気が付き納得しました。そのラ・ヴォーチェ京都でクレンペラーとオイストラフのブラームス、フランス初期盤が入荷したててで、昔から祇園祭が近いこの季節は不思議とクレンペラーのレコード、CDと縁がありました。

 クレンペラーのEMI盤の中で協奏曲は限られていて、ブランデンブルク協奏曲を含めてもモーツアルトのホルン協奏曲、ピアノ協奏曲第25番、ベートーヴェンのピアノ協奏曲とヴァイオリン協奏曲、シューマンとリストのピアノ協奏曲、それから今回のブラームスのヴァイオリン協奏曲でした。それらの中で大物ソリストと共演して完成度も高いと定評があったのがブラームスのVn協奏曲でした。これはLPでは聴いたことがなく、再発売のLPもあまりみかけなかったのですが、今ネットで検索してみるとフランスの初期盤がちょくちょく出ていました。

 実際に聴いてみると演奏も音も素晴らしくて、特に第2楽章が魅力的です。国内再発売のクレンペラーのレコードに書かれた評はかなりいいかげんだったと、これを聴いていると改めて思いました。緻密さと柔和さ、一見クレンペラーと縁遠い言葉のようですが戦後のEMI録音をレコードで聴き直すと、これらの要素が結構鮮明にあらわれているように思われます。オイストラフのソロもよく録れていて、オーケストラ共々派手さというか熱狂させるようなタイプではにものの、作品の全容が克明になった素晴らしい美しさです。「クレンペラーとの対話(P.ヘイワーズ編/白水社)」の中にオイストラフからソ連に客演(まさか定住とかじゃないだろう)するよう誘われているが中東戦争でアラブ側に立つソ連には行けないと行っていました。

 1960年は先月のハイドン98番等活発なレコーディングとウィーン音楽祭のベートーヴェン・チクルスなど忙しく充実していたクレンペラーでしたが、パリでフィルハーモニアとではなくフランスのオーケストラと協奏曲の録音というのはどういう経緯、事情だったのだろうと思います。6月と書いてあるものや11月と書いてあるものもあって、どちらも不自然な気がします。当時のフランスのオーケストラの慣習のためリハーサルは相当手こずったとCDの紹介記事に載っていました。それはパリ音楽院管弦楽団をパリ管弦楽団に改組?生まれ変わらせた事情の中に出てくる、リハーサルには代理の奏者を出しても良かったとか、そういうことを指しているのでしょうか。パリでオイストラフと共演したのはソ連へ招待されていながら応じられていないからせめて、ということなのでしょうか(誘われたのはもっと後年か?)。
30 3月

クレンペラーのドイツレクイエムEMI盤 モノラルLP

220329bブラームス ドイツ・レクィエム Op.45

オットー=クレンペラー 指揮 
フィルハーモニア管弦楽団
フィルハーモニア合唱団

エリーザベト・シュワルツコップ(S)
ディートリヒ・フィッシャー・ディースカウ(Br)

ラルフ・ダウンズ(オルガン)

(1961年1月2日,3月21,23,25日,4月26日 ロンドン,キングズウェイ・ホール 録音 EMI)

220329 クレンペラー(Otto Klemperer 1885年5月14日 - 1973年7月6日)の没後50年のメモリアル年も近づいています。あと少しなのでそれまではブログ更新を続けるつもりです。ところで、お馴染みのクレンペラー本・「クレンペラーとの対話(P.ヘイワーズ編)白水社」の翻訳者である佐藤章氏は、1963-1964年のシーズンにロンドンでクレンペラーとフィルハーモニア管弦楽団の公演をしばしば聴いたと巻末に書かれてあり、コヴェントガーデンでのクレンペラー指揮のローエングリンにも感動して一晩眠れなかったとも書かれています。そのローエングリンは海賊盤でも出たことはないはずなので、今世紀に入ってからのクレンペラーの未発表音源商品化の流れに乗って、映像は無理でもなんとかCD化されないものかと期待しています。

 過去記事で複数回あつかったクレンペラーのドイツ・レクイエム(ブラームス)のモノラル版LPが手に入り、今迄にこの演奏を聴いた時よりも感銘深かったのでまた扱いました。それに、モノラルLPの音も魅力的だと思うので今更ながら注記したいところです。ステレオ録音のLPが出始めた頃、モノラル版もあわせてというか先行して発売されていたようです。コロンビア・英EMIのLPならSAX~という1960年代前半までの番号のステレオ盤には大抵の場合モノラル盤も併存しているようです。フィデリオ全曲盤のモノラルは克明で、力強いタッチのペン画のような印象で演奏のクレンペラーらしさを実感できるものでした。

 今回改めて聴いていると、二人の独唱者だけでなくコーラスの魅力に圧倒される気がしました。最初にCD化されたものを聴いた際は(もう30数年前か)音質として張りぼて的、中に空洞ができたような肥大感のようなものを感じましたが、今回はもっと密度が詰まったコーラスの響きに感じられて全く感銘深いものがありました。合唱団員の多くは非ドイツ語圏だと推測できますが、作品の持っている「共同体の音楽(ベンジャミン・ザンダーがマーラーの音楽とブルックナーの音楽を比較して後者について指摘した呼称)」的な温和なものを実感させられます。バッハの作品に使われるコラール合唱なんかをドイツのコーラスが歌うの聴くと、冷たい強風が顔に吹き付けるような感じがする場合があり、ドイツ・レクイエムもそういうタイプの作品かと思っていましたが、今回聴いているともっと柔和で穏やかな、冬の風じゃなくて春の風という印象を気のせいか、うけました。

220329c 昭和40年代生まれの自分よりも年長の世代でクレンペラーの演奏をじかに聴いたり、初期・初出のレコードで聴いていた層の感想の中にブラームスのドイツ・レクイエムが良かったというコメントがちょくちょく出てきます。国内盤でクレンペラーのEMI盤がCD化されていく中でもドイツ・レクイエムは結構早い時期に出ていたのはそういう傾向を反映してのことかと思います。自分がクレンペラーとフィルハーモニアOのドイツ・レクイエムを最初に聴いたのはLPのリマスター再発売の輸入盤でした。CDの時代に成り切る直前、国内盤のLPが廃晩で入手不可能だった1980年代後半でした。その時の第一印象は今一つの感銘度で、メサイア、マタイ、ロ短調ミサを聴いた時の衝撃的な感銘深さを基準にすれば、ということですが、何か聴いていて自分の内側に浸透してくるものが少ない気がしました。今回はそういう作品に対する隔ての中垣のようなものが崩れた感がありました。

 なお、モノラル専用のカートリッジやフォノ機器に付いているステレオとモノラルの切り替えスイッチで、ステレオのカートリッジとモノラルカートリッジで交互に聴いていたらステレオのカートリッジも結構良い音で聴けると思いました。
2 5月

クレンペラー、フィラデルフィアOのブラームス第3/1962年

210502ブラームス 交響曲 第3番 ヘ長調op.90

オットー=クレンペラー 指揮
フィラデルフィア管弦楽団

*クレンペラー最後のアメリカ公演の年

(1962年10月27日 フィラデルフィア,アカデミー・オブ・ミュージック ライヴ 録音 Tobu Recordings

210502a 連休に入ってやけに静まりかえり、夜更けも酔っ払いが騒ぐでもなし、猫がうなるでもなし、これもコロナの緊急事態宣言の影響(猫は関係ない)のようです。ただ、テレビのニュース映像では京都市内の昼間は去年よりも混んでいるようです。葵祭の行列は今年も中止と発表されていて、本当に昨年から好転していないのではと思います。それはそれとして、クレンペラー誕生月間として、1962年にクレンペラーが最後にアメリカへ客演旅行した際にフィラデルフィア管弦楽団を指揮した公演の正規音源(ステレオ)からのCDを聴きました。既に複数のレーベルから出ていて、Memories からは三回の公演全部がCD化されていましたが、音質は良くなかったので正規音源のCDは大歓迎です。

210502b 実際に聴いてみると音質は良好で、前触れ・解説にあった「ホールの音響は残響が少ない、響かない」という特徴もよく出ています。その分どんな演奏なのか輪郭というか全体像がはっきりとして、遅めのテンポと情緒過多にならない控え目なクレンペラーらしいブラームスです。演奏時間はEMI盤と近似していますが、さらに熱気がこもり迫力があります。このアメリカ演奏旅行中のクレンペラーは極度の鬱状態で体重が年間で20キロくらい減ったと言われます。そこから回復したのが1963年だったそうですが、レッグが言うには鬱状態のクレンペラーの方が演奏は良かったとか。

~クレンペラーのブラームス第3番
フィラデルフィア/1962年
①13分32②8分14③6分02④09分39 計37分27
ニューPO・ライヴ/1971年
①15分05②9分25③6分40④11分03 計42分13
PO/1957年
①13分00②8分14③6分09④09分10 計36分33
VSO・ライヴ/1956年
①12分03②7分30③6分01④09分06 計34分40

210502c 
クレンペラーはブラームスの交響曲第3番を特に愛好していて、公開の演奏会を引退すると決めた最後の公演でもこの曲を選んでいます。このブラームス第3番が演奏された10月27日のプログラムはエグモント序曲、ブラームス第3番、シューマンの交響曲第4番で、どれも見事な演奏ですが短いエグモント序曲も冒頭から圧倒されます。この日の三曲ともクレンペラーはEMIのレコードとヨーロッパ各地でのライヴ音源が残っているのでその作曲家の中でも気に入りの作品なのだと思われます。

 1962年10月と11月にクレンペラーがフィラデルフィア管弦楽団に客演した公演は三回、10月19日(エロイカと田園交響曲)、今回の10月27日と11月3日(ブランデンブルク協奏曲第1番、ベートーヴェン交響曲第7番、モーツァルトのジュピター交響曲)でした。Tobu Recordings からの正規音源CDは、初回のエロイカ、田園の回がテープの状態が悪く製品化にたえないとして見送られました。なお、付属の解説の中にコロンビアレコードではクレンペラーとフィラデルフイア管弦楽団のレコーディングが計画されてていて、ブラームスの第2番が実現の手前くらいだったようです。
5 7月

クレンペラー、PO・ハイドンの主題による変奏曲/1954年

200706ブラームス ハイドンの主題による変奏曲 Op.56a

オットー=クレンペラー 指揮
フィルハーモニア管弦楽団

(1954年10月 ロンドン,キングズウェイ・ホール 録音 EMI)

 今年もクレンペラー(Otto Klemperer 1885年5月14日 - 1973年7月6日)の命日がやってきます。過去30年以上を振り返ると7月の前半、祇園祭の山鉾巡行までの期間はクレンペラーのレコードを新規に手に入れる機会がけっこうありました。1987年の7月はクレンペラー・イン・トリノかロス時代のクレンペラーというLPを入手できて、山鉾巡行をしり目に帰宅してさっそく再生したのを覚えています。ちょうどラ・ヴォーチェ京都がオープン直後だったようで、京都市にもクラシックの輸入専門の店があるのかと感心して足を運んだのがぼんやりと思い出されます。ことしは巡行どころか鉾建ても無いという異例の年になりました。ということは神輿(神幸、還幸)も中止になりそうです。

 これはクレンペラーがEMIへレコード録音し出した最初期のもので、ブラームスの交響曲第4番の少し前に録音したものです。先日入手したLPではA面がヒンデミットの「気高き幻想」、B面がこの曲になっています。このレコードに限らず海外のLPは細かい録音データの記載が無い場合が多いので、今回もその後発売されたCDのデータを流用しています。クレンペラーは1952年、1953年はアメリカ合衆国の旅券法により東側のブダペストに滞在していたため、合衆国の国外渡航が制限されることになり、その問題が一応解決した時点ではシーズンの契約はどこも締結済でヨーロッパで演奏する機会が無くなりました。1954年のEMI録音はその直後というわけです。この曲のクレンペラーの他の音源はアムステルダム・コンセルトヘボウとの1957年2月7日の演奏がありました。

 国内盤LPでクレンペラーの交響曲が廉価再発売された際には漏れていたように、あまり話題になっていなかったと思いますが、改めてクレンペラーらしい、クレンペラーのブラームスらしい演奏になっています。後期ロマン派的というよりも古典的な様式美を抑制的に追及した美しさが際立ち、作品の端正な姿が前面に押し出されます。この作品は交響曲第1番より前に作曲され、管弦楽版とピアノ版があります。主題と第1から第8変奏、終曲から構成されています。冒頭部分の木管が穏やかに響き、クレンペラーのブラームス第1番の緊迫した雰囲気とは大きく異なるので最初は戸惑います。

 今回はLPの他に2015年リマスターのSACD盤も聴いていましたが、1954年よりももっと後年の演奏のような印象も受けました。主題の次に来る第1変奏から急に雄輝さを帯びてきて、それでいて力任せにならず端正さを保って演奏が続きます。今回同時にクレンペラー最晩年の録音、ブルックナー第9番も聴いていたのでその頃と比べて隅々まで行き届いた響きに感心させられました。クレンペラーは作曲を学んでいた若い頃はブラームスに傾倒し、自身の作品がブラームスの流儀でしか作れないくらいだった言うだけあって、小品と言えども圧倒的な存在感なのは流石です。
18 1月

クレンペラーのドイツ・レクイエム/1961年 復刻LP

190118ブラームス ドイツ・レクィエム Op.45

オットー・クレンペラー 指揮 
フィルハーモニア管弦楽団
フィルハーモニア合唱団

エリーザベト・シュワルツコップ(S)
ディートリヒ・フィッシャー・ディースカウ(Br)
ラルフ・ダウンズ(オルガン)

(1961年1月2日,3月21,23,25日,4月26日 ロンドン,キングズウェイ・ホール 録音 Vinyl Passion/EMI)

 昨日の朝は目が覚めて時計を見ると5時11分だったので阪神淡路大震災の時のことが少し思い出されました。さいわいにしてめざめた直後に地震ということにはならず、そのまま50分くらいうとうとしていました。実はこのLPについて17日に更新するつもりだったのがどうも再生具合が今一つで、針圧をちょこちょこさわっている内に冷えて来て全部再生しないで終わりました。クレンペラーのドイツ・レクイエムは三十年以上前に初めて聴いた際も、マタイ受難曲やらロ短調ミサ、メサイア程の感銘度ではなく、最近復刻されたLPで久々に聴くと印象が変わるかと思ったところ、やはり同じようなものでした。それに針圧の調整時、アームリフトのレバーを下げた状態で行ったかどうか記憶が定かでなくてまた最初からやりなおしました。どうも微妙な感じでピシッときまった感じがしないのがもどかしいところです。

 あらためて聴いているとフィッシャー・ディースカウの独唱部分が一番素晴らしいのじゃないかと思い、彼のレパートリーで歌曲以外では宗教曲が一番凄いかもしれないと思いました。そう思っている内にロ短調ミサのソロはヘルマン・プライが歌っていたはずなので、その時はフィッシャー・ディースカウを起用しなかったんだなと改めて思いました。クレンペラーのドイツ・レクイエムはかなり初期に国内盤でもCD化されたはずで、そこそこ定評があったようでした。しかし個人的には他の宗教曲を指揮している時のような重さ、剛直さ、抑制、謙抑の精神があまり前面に出ていないような気がして、その意味でクレンペラーらしくないと、やっぱり思いました。

 作品としても、例えばモーツァルトの「アヴェ・ベルム・コルプス」が人間の手によらないで天から下ったような神秘的な性格だとすれば、ドイツ・レクイエムは対極的で人間の長年の労働によって出来たような作品、様々な境遇から召集された兵士、戦友が慣れ親しんだ軍歌といった位置付けのようです。

 それにしても七つの楽曲の歌詞、対訳を見ていると不思議な構成ですが、第六曲目にはヘンデルのメサイア第三部でも使われている使徒書簡、復活に言及しているコリント人への第一の手紙第15章から歌詞が取られています(「死は勝利にのまれた。死よ、おまえの勝利はどこにあるのか。死よ、おまえのとげはどこにあるのか。」)。原文校訂の日本語訳聖書とドイツ語の歌詞を比べてみると、日本語が「死」を二度重ねているのに対してドイツ語では最初が死、“ Tod ” という訳にして、二度目が
地獄、“ Hölle ”という語を使っています。どちらにせよ同じことかと思いつつ。ブラームスの時代のドイツ語聖書は原文から直接訳したのじゃなかったのかなと思いました。
28 6月

クレンペラー、オイストラフ ブラームスのヴァイオリン協奏曲

180628ブラームス ヴァイオリン協奏曲 ニ長調 作品77

オットー=クレンペラー 指揮
フランス国立放送局管

ダヴィッド・オイストラフ:ヴァイオリン

(1960年11月 パリ,サラワグラム 録音 EMI)

 これはクレンペラーのEMIへのLP録音の中でも数少ない協奏曲、協演の記録が少ないフランスのオーケストラとの録音です。また、クレンペラーとフィルハーモニア管弦楽団によるブラームス交響曲は、1956~1957年に録音しているので、管弦楽曲の大作・交響曲的な性格もあるヴァイオリン協奏曲が1960年代になってから録音しているので年代的にも注目です。というのは、四つの交響曲のEMI録音はステレオ初期ということで硬く、機械的な音質に感じられ、またクレンペラーの1958年10月から約1年の
大火傷によるで療養後の時期になり演奏スタイルに変化が出て来る頃だからです。

 久しぶりにこれ(国内リマスター盤・廉価盤)を聴いてみると、クレンペラーもさることながらオイストラフが立派で、クレンペラーの協奏曲録音の中でソリストが対等以上に感じられるのはこれだけじゃないかと思いました。オーケストラの方ものびのびとしていて、数年前のフィルハーモニア管弦楽団の交響曲よりも余裕が感じられます。ただ、音質がどうもこもったようで輪郭がぼやけ気味に聴こえるのが少々残念です。これは会場の影響なのか、マイクの位置の加減なのか、ロンドンの慣れた会場だったらどうなったかと思います。

 クレンペラーは1920年代にソ連へ演奏旅行へ行き成功し、ソ連(スターリン以前の)に対して良い印象を持っていたようです。戦後になってオイストラフとギレリスからソ連へ来て欲しい(客演という意味だろう)と誘われたそうですが、クレンペラーは当時中東戦争でソ連がイスラエルの敵国になっていたので行くわけにはいかないとして応じてはいませんでした。しかしこの一曲を聴いてもオイストラフとの相性は良さそうなので、客演していたらメロディア辺りからライヴ音源が出たことだろうと思います。それに、これも想像ですがギレリスともそこそこ相性が良さそうなので共演の記録が無いのが残念です。

 ところでフランスにおけるクレンペラーの評判、認知度はどんなものだったのか、あまり記録は出てこないようですが、一時期(早い時期、1960年くらいまでか??)はフランスではマーラー演奏と言えばまずクレンペラーだとされたとCDの紹介かライナーノーツの文章で読んだことがありました。ワルターよりもクレンペラー、というのはマーラーをロマン派よりも新ウィーン楽派の方に傾斜している立場くらいにとらえていたのか、そうでなくても何となく納得できる気がします。
14 5月

クロール劇場時代のクレンペラー ブラームス交響曲第1番、ベルリン州立歌劇場O

160514ブラームス 交響曲 第1番 ハ短調 作品68

オットー・クレンペラー 指揮
ベルリン州立歌劇場管弦楽団

(1927年12月15,20日、1928年1月26-27,2月3日 ベルリン 録音 Naxos)

 さて今日、5月14日は聖霊降臨の大祝日の前日になり(今年は)、オットー=クレンペラー(Otto Klemperer 1885年5月14日 - 1973年7月6日)の誕生日でした。ということで今回はクレンペラーがベルリンの国立(州立という訳が適切なのか)歌劇場の第二劇場、通称クロールオペラの監督だった時期(1927年9月-1931年)に録音したSPレコードからの復刻CDです。元々はシンポジウム社かarchiphon 社からCD化されていたようですが、Naxos 盤は盤起こしかもしれません。LPレコードの時代にはクレンペラーの古い音源は、シンポジウム社から発売されたロスアンジェルス時代の録音までしか聴いたことがありませんでした。それも音質は良くなくて、クレンペラーのインタビュー等が付いてなければ購入しなかったかもしれませんでした。だからさらに古いベルリン時代のものはCD化されても当初は見送っていました。

 このCDは他にブラームスの大学祝典序曲、ワーグナーの「トリスタンとイゾルデ前奏曲」、ジークフリート牧歌が一枚のCDに入っています。なお1920年代、1930年代初めのベルリンで録音されたものは他にもあり、ベートーベンの交響曲等もあるようです。

~ クレンペラーのブラームス第1番
ベルリンSK/1927,28年
①13分00②09分50③04分20④14分50 計42分00
ケルンRSO/1955年10月
①13分14②08分40③04分31④15分33 計41分58
フィルハーモニアO/1955年12月・EMI
①14分05②09分23③04分40④15分54 計44分02 

 実際に聴いてみると思ったよりも普通なブラ1なので、本当にクレンペラーの指揮なのかと思ったくらいです。というのは上記のロスアンジェルス時代の演奏のいくつかはかなり力まかせで、受け身をとる隙を与えないくらいの柔道投げ技といった印象だったので、「ティアガルテンの火山」と呼ばれたベルリン時代ならもっと尖った演奏かなと想像したからです。第2楽章や第4楽章の前半なんかはクレンペラーらしくない?優雅さなので、フィルハーモニア管弦楽団とのセッション録音の方が恐ろしげで、青筋がたっている表情が連想させられます。

 ただ、録音データからも分かるようにいくつかの部分に分けて録音されたようで、実際聴いていてツギハギ感もただよいます。特に第4楽章はその傾向が強くて、そもそもクレンペラーがSP録音にどういう意気込みでのぞんだのか(業務の位置付け)知りたくなります。LPレコードでさえも「無いよりはまし(公演を聴けない環境でレコードを聴けるということは)」といった位置付けなので、制作側の意見にけっこうそったものかもしれません(ロスPOの音源はライヴ録音だった)。とりあえず、クレンペラーの芸術上の絶頂期の演奏が一応記録されていることは嬉しいことです。
13 5月

クレンペラー、ケルン放送SOのブラームス交響曲第1番・1955年

160513ブラームス 交響曲 第1番 ハ短調 作品68

オットー=クレンペラー 指揮
ケルン放送交響楽団


(1955年10月17日 ケルン,ライヴ録音  Medici Masters) 

 さて、5月14日のクレンペラー誕生日が迫ってきました。誕生日と命日に合わせてクレンペラーの録音を取り扱うというのも今年くらいでネタ切れになりそうです。大聖堂のあるケルンはクレンペラーが1917年秋から歌劇場の監督を務め、音楽総監督(ゲネラル・ムジーク・ディレクトール)の称号を得た街でした。また1919年には夫人のソプラノ歌手ヨハナ(ヨハンナ、彼女はユダヤ教徒ではなくプロテスタントだった)・ガイスラーと結婚しています。そのケルンは日本のカトリック教会、東京大司教区が戦後にカテドラルを再建する際や司祭養成等に少なからず援助をしていました。ケルン自体が戦災によっても打撃を受けていたのによくぞそこまでというところです。それにしても人並み外れた奇行の多いクレンペラーが離婚せずに済んだことも驚きの一つです。

 第二次大戦後のクレンペラーのライヴ音源はウィーン・フィル、ベルリン・フィル、アムステルダム・コンセルトヘボウ管、ウィーンSOの他は西ドイツの放送局のオーケストラを指揮したものがありました。それ以外ではデンマーク、スウェーデン、アメリカ(フィラデルフィアO)やロンドンのBBC交響楽団への客演が少数ながらありました。そんな中でケルン放送SOへの客演はMedici Masters というレーベルから何点か出ています。このレーベル以前にも既に発売されたものもあったと思いますが、今世紀に入って出てきたMedici Masters 盤はかなり聴き易い音質になっています(単純に音が良いと言えるかどうかは微妙)。

~ クレンペラーのブラームス第1番
ケルンRSO/1955年10月
①13分14②08分40③04分31④15分33 計41分58
フィルハーモニアO/1955年12月・EMI
①14分05②09分23③04分40④15分54 計44分02

 指揮者だけでなく作曲家としての意識も高かったクレンペラーは、若い頃は作曲の面でブラームスに傾倒して自然とブラームスの模倣のようなスタイルになったと振り返っています。第二次大戦後にブダペスト時代以降は歌劇場を離れてほとんどコンサートの指揮者となったクレンペラーのレパートリーがやけに保守的になったことは、そんなブラームスかぶれになった経験と無縁ではなさそうです。しかしレコード、CDの方ではブラームス作品は特に多くは無くて、ブラームスの交響曲第1番も上記の他は戦前のSP録音があるくらいです(多分)。

 この第1番はEMIのセッション録音とほぼ同時期に演奏していいるのにそれよりも活き活きとして、流動感に満ちています。ただ、古い批評でクレンペラーのブラームスについて書かれたものがEMIの録音を聴いた印象とは遠いと思ったことがありましたが、今回のライヴ盤を聴くとこれの方がその内容にぴったりだと思いました。EMI盤の方は禅寺で修行させられているようなモノクロなイメージだったので、両方を聴きくと相互に補完して当時のクレンペラーのブラームスが浮かび上ってきそうです。

6 11月

クレンペラー、ルートヴィヒ ブラームスのアルト・ラプソディ

151105bブラームス アルト・ラプソディ OP.53

クリスタ・ルートヴィヒ:メゾ・ソプラノ

オットー=クレンペラー 指揮
フィルハーモニア管弦楽団
フィルハーモニア合唱団
(ヴィルヘルム・ピッツ指揮)

(1962年3月 ロンドン,キングスウェイホール 録音 EMI)

 今晩帰宅が遅くなり、京滋バイパスの側道を走行していると、宇治川を渡る手前で通行止めになっていました。しかたなく宇治川沿いの道路に転進しました。時々帰宅時に宇治川の堤防上を走行することがあり、川辺の風景もチラチラと目に入ります。ここ何年かで気が付くのは釣りをしている人がめっきり減ったということで、夏の鮎だけでなく冬場の寒バエ釣りをする人が滅多に見られません。そう思ったら今年の春先に、伏見区の工場からシャンプーの原液が大量に宇治川に漏れ出たことがあったと聞きました。しかしN経新聞にはその記事が載った記憶がなく、知人に聴くと地元の新聞に地味取り上げられただけだったそうです。別段健康を害した人が出たという話は無いので別に問題無いのかもしれませんが、この報道の濃淡は一体何なんだろうと思いました。

151106a ブラームスの声楽作品、アルト・ラプソディの正式名称は “Fragment aus 《Harzreise im Winter》 『ゲーテの「冬のハルツの旅」からの断章』 なので見た印象が大分違います。というのはこの録音はクレンペラー指揮なのに、アルト・ラプソディという題名からついスルーしてしまい、CD化されてからもほんの数える程しか聴いていませんでした。久しぶりに聴くと冒頭のオーケストラ部分がまるでマーラーの作品のように聴こえ、ブラームスとマーラーの作品も親近性があるのかと思いました。あるいはクレンペラーの指揮だからそうなったのかもしれません(恩義のあるマーラーの作品をさめた情緒で演奏している)。

 アルト・ラプソディは12分半程の演奏時間になり、三つの部分に分けられて最後の三つ目の部分で合唱が入ります。1869年に作曲され、翌1870年に初演されています。作曲時期にブラームスが思いを寄せていたシューマンの三女ユーリエが婚約してしまい、ブラームスは思いを打ち明ける隙も無く終わりました。だからこの曲を「怒りをもって」作曲したと語っています。しかし聴いているとそんな背景があるとは想像し難くて、一年前に初演されたドイツ・レクイエムに似ているようです。

 クレンペラーがEMIへ残したブラームスの録音は1954~1957年の期間に集中していて、音質がやや貧弱というか硬い印象です。1960年のヴァイオリン協奏曲とこの作品がちょっと離れていて、演奏と音質ともに良好です。どうせならニュー・フィルハーモニア管弦楽団になる前くらいに交響曲を再録音すれば良かったと思いました。ちょうどシューマンの交響曲第4番と同じくらいの時期になり、1950年代の良さを残してもう少し余裕のある風に聴こえることだろうと思います(想像してももはやかなわないが)。
5 7月

クレンペラー最後の公演 ブラームス第3番・1971年9月26日

150705aブラームス 交響曲 第3番 ヘ長調op.90

オットー=クレンペラー 指揮
ニュー・フィルハーモニア管弦楽団

(1971年9月26日 ロイヤル・フェスティヴァル・ホール 録音 TESTAMENT)

 今朝の九時過ぎに、珍しくテレビをつけたところ高嶋ちさ子がブラームスの交響曲第2番の良さを力説して「死ぬほど好き」だと言っていました。朝からあつくるしい、消そうかと思ったもののせっかくだから最後まで言い分を聞いてみました。聴きどころの紹介を聴いた直後に該当箇所が演奏される(題名のない音楽会)のを聴くと、なるほどと思いはじめましたが、やっぱり自分の好みでは第4番が不動の地位でした。このCDはクレンペラーが公開のコンサートから引退する最後の公演の記録で、ベートーベンの「シュテファン王」序曲、ピアノ協奏曲第4番とブラームスの交響曲第3番というプログラムをCD二枚に収めています。クレンペラーが録音したブラームスの交響曲の中では第2番が一番種類が少なくてE、MIのセッション録音の他に1種あったかどうかくらいです。第3番はこの録音以外に1956年のウィーン交響楽団とのライヴ、1962年のフィラデルフィア管弦楽団とのライヴがありました。

交響曲 第3番 ヘ長調
第1楽章 Allegro con brio
第2楽章 Andante
第3楽章 Poco allegretto
第4楽章 Allegro - Un poco sostenuto


150705b このCDせっかく記念的な録音で1970年代に入っているのに音質が良くなくて、1956年のウィーンでのライヴの方がまだましでした。だからクレンペラーらしさを実感し難いのが残念で、それにこの頃になればさすがに弛緩というか散漫な感じになっていて、枝の末端の舎弟としても手放しにほめるのはためらいます。ただそれでも第2楽章はこれまでのクレンペラーにないような、あてもなく野原を彷徨うような力の抜けた演奏になっていてこの楽章のまま終わっても良さそうなくらいでした。このCDは各楽章の間が短くて、最初に入場後の拍手だけを独立したトラックにしていますが、トラックが変わるとすぐ演奏が始まり最初は戸惑いました。

~クレンペラーのブラームス第3番
ニューPO・ライヴ/1971年
①15分05②9分25③6分40④11分03 計42分13
PO/1957年
①13分00②8分14③6分09④09分10 計36分33
VSO・ライヴ/1956年
①12分03②7分30③6分01④09分06 計34分40

 クレンペラーが1950年代に残したブラームス第3番の録音とくらべると、やはり演奏時間にはかなりの差が出ています。1971年5月にマーラーの没後60年記念として演奏した復活交響曲は全曲で99分くらいの演奏時間になったというので、このCDのブラームス第3番もこの時期としては普通なのでしょう。初めて聴いた時は第1、第2楽章が異様に長く感じられて、あれ?まだ第1楽章?と思ったほどです。クレンペラーはこの公演の後、翌1972年1月に予定していたブルックナーの交響曲第7番をキャンセルして体調に限界を覚えて引退を表明しました。だから結果的にこのCDの公演がラストとなったわけです。

 クレンペラーは1971年にエルサレムに客演しているのは年齢と翌年に引退したことを考え合わせると意外に思います。最晩年のクレンペラーは、戦後建国されたイスラエル贔屓になって過激な言動をとっています。ケルン時代にクレンペラーが抜擢したパウル・デッサウは東ベルリンで大学の教授になっていました。戦後もクレンペラーはデッサウと親交があり、度々会ってもいましたが東ドイツをはじめとした東側諸国の対イスラエル政策に終始憤っていて、どこかのホテルで会った時はデッサウに向かって「ハイル・ヒトラー」と例のナチ式の挨拶をしたという証言がありました。ギャグ漫画のキャラを地で行くようなクレンペラーの態度(履物で頭をはられても仕方ない)にもデッサウは我慢強く相対していたようです。この演奏からはそんな人騒がせなくそ爺ぶりは感じられず、気のせいか諦念とも惜別の情ともつかないものが漂っていました。それにしても高嶋ちさ子もふ、否、歳相応の外見になったと久々にテレビで見て妙に感心しました(自分と歳が変わらないから当然だが)。
10 2月

クレンペラー・フィルハーモニアOのブラームス交響曲第2番

ブラームス 交響曲 第2番 ニ長調 OP.73


オットー=クレンペラー 指揮
フィルハーモニア管弦楽団


(1956年10月 ロンドン,キングスウェイホール 録音 EMI)

150210 神武節の頃は寒かったと聞かされた通りここ二日の冷えこみはきつく、昼間外を歩いても手や顔が冷たくて今季一番だと思いました。午後の二時過ぎにネット経由でFMを聴いたところブラームスの「ハイドンの主題による変奏曲」が流れていました。やけに明るくポップな曲にきこえて、こんな曲だったか?と思うくらいでした。番組表で確かめたらバーンスタインとウィーンPOの録音で、昔聴いた時はあまり感心しなかったものだったので我ながらちょっと驚きました。ともかくその放送を聴いた後は何となく暖まったような気になりました。それで思い付いたのがクレンペラーのブラームスで、四つの交響曲は全部取り上げたつもりでしたが、第2番が過去記事の中に見つからなかったので今回取り上げました(だぶっているかもしれない)。

 クレンペラーのブラームスは1枚1800円のLPを購入して聴いていて、特に第4番が圧倒的に気に入っていました。当時は第2、3番は印象が薄くてCD化されるまであまり聴きませんでした(曲自体があまり好きでもなかったので)。過去記事でこのCDに言及した部分で「激しく堅固な演奏」とコメントしていました。今回改めて聴いているとそれだけでなく、古い録音らしい音質ながら伸びやかで潤いがるように思えました。特に第2楽章が素晴らしくて堅固なだけではない魅力(いい加減なことを言って)です。

クレンペラー・PO(1956年)
①15分03②9分17③5分28④9分04 計38分52

モントゥー・VPO(1959年)
①20分28②9分20③5分06④9分00 計43分54
トスカニーニ・PO(1952年)
①14分38②8分20③5分16④8分50 計37分04

 1950年代のCDのトラックタイムを列記すると上記のようになり、リピートの有無の差もあるはずです。第2楽章以降を見るとクレンペラーはモントゥーとあまり変わらず、より後年の演奏程は遅くなく、VOX社への録音のような快速とまではいかない微妙な感覚です。今回第2番を聴いていると長らく愛聴していた第4番が息苦しいような気がしてきました。第1番も第4番と似た印象だったので、そもそも第2番こそクレンペラーのブラームスの中で屈指の名演かもしれません。そんなわけでブラームスらしいのか、とことんクレンペラーらしいかどうかよく分からないながら、この第2番は小春日和のように魅力的でした。

 ところで神武節、戦前は尋常小学校、国民学校へ登校して奉安殿に安置してある天皇皇后両陛下の肖像写真へ向かって拝礼したと聞かされました。皆が頭を下げている時、そっと少し顔を上げてみると写真があるのが見えたと母は言っていいました。それに紅白の饅頭が配られたので皆喜んでいたそうでした。

16 11月

ブラームス交響曲第3番 クレンペラー、フィルハーモニアO

ブラームス 交響曲 第3番 ヘ長調op.90


オットー=クレンペラー 指揮
フィルハーモニア管弦楽団


(1957年3月 ロンドン,キングスウェイホール 録音 EMI)

141116 パソコンのHDを交換して延命したところで、さらに古い休眠している(それでもVISTA)PCを動かせるようにしようと触ってみました。どうやらリカバリーCDを使ったところで放置していたようで、ウィンドウズのサービスパックver.2を入れる前の状態でした。というのもウィルスバスターをインストールしようとしたところ、互換性が無いというエラーメッセージが表示されました。やることは単純な作業ですがけっこう時間がかかりました(一旦別のPCにサービスパック.2をダウンロードしてetc)。PCも常時ネットに接続して更新させておかなければ急には使えないことを改めて実感しました。古いものを探している途中で2005年のレコード芸術誌4月号が出てきました。「生誕120年 オットー・クレンペラー再考」という特集があったからわざわざ買って保存していたのでしょう。サービスパック2をインストールしている間にパラパラとめくっていました。EMI録音を中心に書かれてあり、各作曲家ごとにコメントがしてあったのに、ブラームスの交響曲がスルーされていました(精読していないが写真には並んでいない)。そういえばクレンペラーのブラームスはドイツ・レクイエム以外は再発売の頻度は低かったかと思いながら初CD化の輸入盤を取り出しました。

交響曲 第3番 ヘ長調
第1楽章 Allegro con brio
第2楽章 Andante
第3楽章 Poco allegretto
第4楽章 Allegro - Un poco sostenuto

141116b 過去記事では第3番以外は取り上げていたと思っていたのに第2番も記事一覧から探せませんでした。それでとりあえず今回は第3番です。EMIへのブラームスはアルト・ラプソディ、ドイツ・レクイエムとヴァイオリン協奏曲を除けば、1955年12月から1957年3月にかけて録音されました。つまり交響曲はどれもクレンペラーが寝たばこで大火傷をする以前の健康が良好な時期に演奏、録音されました。この時期にセッション録音しているということはフィルハーモニア管弦楽団の定期公演でも取り上げているはずですが、目下のところフィルハーモニア時代の放送用音源も発売しているTESTAMENTからもリリースされていません。この第3番はLPレコードの廉価シリーズ「ANGEL BEST CLASSICS 1800」の中に含まれていたのを購入して聴いていました。ブラームスの四つの交響曲は値段は同じでも「クレンペラーの芸術」ではなくこちらのシリーズでした。

クレンペラー・PO(1957年)
①13分00②8分14③6分09④09分10 計36分33
VSO・ライヴ(1956年)
①12分03②7分30③6分01④09分06 計34分40
ニューPO・ライヴ(1971年)
①15分05②9分25③6分40④11分03 計42分13


 正直LPで聴いた時は第4番と第1番が圧倒的だったこともあり、第3番と第2番は印象が薄くてあまり繰り返しては聴きませんでした。終始第4、1番は凄く緊迫していて一部の隙も無いような印象だったのに対して、第3番の方は適度にちからが抜けてほぐれたような演奏で対照的だと思いました。それでも第3楽章もあっさりとして、ロマンティックな傾向ではありません(やっぱり)。クレンペラーのブラームス第3番はこれ以外にも二種のライヴ録音があります。最晩年の1971年は別にして、EMI盤の約1年前のウィーン交響楽団とのライヴ録音はこのEMI盤よりも2分程短い演奏時間でした。各楽章を比べると第三、四楽章はほとんど変わらず第一、二楽章がともに1分弱長くなっています。こういう演奏時間の差だけでなく、セッション録音とライヴ・実演の差はあると思われ、この場合はライヴの方がウィーンで演奏していたのでクレンペラーにとっても特別力が入るということもあったはずです。

 ちなみにLPレコードの解説にはクレンペラーの経歴が書かれた後、抽象的に芸風が書かれているだけで終わっています(大半は曲の説明)。この分では回り持ちで廉価盤シリーズの解説を担当していたような感じです。LP手帳の古い巻を見ると中には気合の入った解説も見られるので、書き手も演奏者の好みはあって、それは反映されるのだろうと思いました。

17 12月

クレンペラー、フィルハーモニア管のブラームス第4番

ブラームス 交響曲 第4番 ホ短調 op.98

オットー=クレンペラー 指揮

フィルハーモニア管弦楽団


(1957年3月 ロンドン,キングスウェイホール 録音 EMI)


 気が付けば御用納まで二週間を切っていました。地下鉄の駅には恒例の京響・第九のポスターが貼ってあり、今年はどうしようかと思いながらやぱり初日の27日のチケットを買いました。モーシェ・アツモン(モーシェ・グロースベルゲル)指揮で、エグモント序曲との組み合わせです(二日目・28日はフィデリオ序曲)。年末に第九というワンパターンととってつけたような振る舞いに気恥しさを感じながら、行ったらいったでそれだけの値打ちがあるものです。去年もすごく清々しい気分でした。チケットはあまり残ってなくて、ステージの裏側しか空席がありませんでした。

 ついでに昨夜に続けてブラームスの第四交響曲のCDです。今回は十代なかばの頃にLPでよく聴いたクレンペラー、フィルハーモニア管弦楽団とのセッション録音です。自分の中で特別に感銘度が高い録音ながら、それを言葉で表し難く、適当な言葉を選べません。1980年代に一枚1800円の廉価シリーズで入手できました。当時はクレンペラーのLPは1500円/枚の「クレンペラーの芸術」というシリーズが一番安くて、次が1800円/枚になりました。しかし同じ1800円でも他の演奏家のものと混じった「おすすめ的」なシリーズと、クレンペラーの録音だけを集めたシリーズがあって、ブラームスの交響曲は全部後者でした。マーラーやブルックナーの大半も同じシリーズでした。
 

 私個人はそんな東芝EMIの販売方針上の位置付を超えて、かなりクレンペラーの録音に入れ込んでいました。理屈抜きに生理的な好感、共感が自然と尽きぬ泉のように湧いてきました(今も枯れない)。交響曲の分野ではモーツアルトとブラームスがかなり早い段階で聴けました(ベートーベンの国内は廃盤だった)。これを書きながら思い出してきたことですが、国内盤廉価LPのライナーにはけっこういい加減なことが書いてあり、クレンペラーのことをよく知らず、調べもせずにやっつけ仕事的に書いた感じで、読みながらムカムカきたものです。
 

クレンペラー・PO・1957年3月
①12分20②10分16③6分37④09分44 計38分57

トスカニーニ・PO・1952年
①11分29②10分38③6分16④10分00 計38分23
スタインバーグ・ピッツバーグSO・1961年
①11分57②11分54③6分08④10分07 計40分06

 上はこのクレンペラーの録音と、同じオーケストラにトスカニーニが客演したライヴ録音、クレンペラーの後輩のシュタインベルク(スタインバーグ)のCDのトラックタイムです。クレンペラーのものは、今回は海外初CD化(Made in Germany)に表記されたタイムです(前回まで書いていたのはどのCDだったか忘れましたが、各楽章で数秒の差です)。意外なことにトスカニーニとは合計時間で1分も違わない点です。あるいはトスカニーニの方は終演後の拍手とかが入っていたかもしれませんが、改めて確認しませんでした。

 クレンペラーのブラームスも何だかんだ言いながら何度も再発売されているので、どういう演奏なのかとか改めて付け加えることはありません。これらのLPを順次聴き始めた頃に見つけた「クレンペラーとの対話 (P.ヘオワーズ編 白水社)」の中で、クレンペラーが1920年代にソ連・ロシアへ演奏旅行した時のことが書いてありました。レニングラードでブラームスの第4番を指揮した時、演奏が終わるや指揮台のところに客席から立ち上がって人が集まって来たそうで、クレンペラーは驚いていました。作品について「この曲はあまり熱狂させる作品ではないのに」と評した上で、「ロシア人は耳ではなく、心で音楽を聴くのですね」と感慨深気に述べています。
 

 1920年代はロシア革命直後、スターリン時代になる前で、ショスタコーヴィチが作曲家として颯爽と登場した頃です。クレンペラーは当時のソ連にかなり好感を持ち、移住を考えた程だと書いています。それはともかく、上記の話からはクレンペラーのブラームス第4番に対する見方と演奏の特徴が何となく察せられます(年月を経てそれぞれ変化したとしても)。

4 3月

クレンペラーのブラームス第4番 王立デンマーク管・1954年

ブラームス 交響曲 第4番 ホ短調 作品98


オットー・クレンペラー 指揮

王立デンマーク管弦楽団
 

(1954年1月28日 コペンハーゲン,チボリ・コンサートホール ライヴ録音 TESTAMENT)


 ここ何年か全国規模で「ゆるキャラ」が脚光を浴び、昨年は「くまモン」が大躍進していました。京都市内にある馬肉料理の店先にも、くまモンのイラストが描かれていたので記憶に残っています。関西では滋賀県彦根市の「ひこにゃん」が席巻しているからか、宇治市でもご当地のゆるキャラを作る動きがあり、一昨日のローカル新聞にチーム発足の記事が出ていました。彦根市の「ひこにゃん」はすごい勢いで、同じ彦根には「いしだみつにゃん」、「しまさこにゃん」、「おおたににゃんぶ」、蒲生郡日野に「がもにゃん」と猫と戦国武将を組み合わせたキャラが生まれています。宇治もそれにあやかるなら猫系キャラですが、縁の戦国武将がありません。
 

 これは2002年にテスタメント社から突如発売された、クレンペラーの未発表音源の二枚組CDの中に入っている録音です。1954年1月28日と1957年4月26日の二回、クレンペラーがコペンハーゲンの王立デンマーク管弦楽団(歌劇場のオケか)へ客演した際の記録で、後者はベートーベンのエロイカ、前者は同じくレオノーレ序曲第三番、モーツアルト交響曲第29番、ブラームス第4番というEMIへセッション録音もしている曲目です。後に同オーケストラの記念CDセットにも含まれていたようです。
 

 このCDは発売後クレンペラーのフアンらの間ではかなり評判になり、発売当初から私もポータブルのCDプレーヤーに入れてよく聴いていました。今世紀に入る前後頃、クラシック音楽から一時遠のいており引っ越しに際してかなりのCDを手放したりしました。それが徐々にぶり返して来て、それでもクレンペラーの録音は記憶に刻み込まれているからライヴ音源は買う必要が無いと思っていました。それが今回のCDを購入したのをきっかけに、クレンペラーの古いライヴにも触手を伸ばすようになりました。


 中でも特にブラームスの第4番は1954年1月と、EMIへセッション録音を開始する直前の時期であり貴重な音源です。古いライヴ録音なので音質も今一つで、オーケストラも荒いものですが、クレンペラーの気迫がほとばしる演奏です。全体的に速めのテンポでクレンペラーにしてはというか、より後年の演奏と比べると激流とも思える奔放な演奏です。第三楽章の開始部分では、クレンペラーの気合をかける声(オラッくらいの叫び気味の声)も漏れ聞こえ、第四楽章は前のめり気味に前へ、前へと突き進んで行きます。
 

クレンペラーのブラームス第4番
1954年・RDOライヴ
①11分52②09分32③6分24④09分17 計37分05

1957年3月・PO
①12分16②10分12③6分34④09分42 計38分44
1957年9月・BRSOライヴ
①12分58②11分16③6分49④10分32 計41分35


 
上記はクレンペラーによるブラームスの交響曲第4番・三種の演奏時間です(ライヴ録音は終演後の拍手等は省いています)。今回のコペンハーゲンでのライヴと、過去に取り上げたミュンヘンのライヴまでは四年弱の隔たりです。1957年9月ならクレンペラーが大火傷で休養するより前の時期なので、健康状態が良好な頃です(この間に夫人をなくす)。しかし演奏時間の合計は4分半程違います。EMIのセッション録音と比べても1分半以上速い演奏です。
 

 第四楽章は古い形式、パッサカリアを用いた音楽で、そのセッション録音は特に魅力的です。それと比べると今回の王立デンマーク管は、第四楽章のそんな厳格な形式による音楽の魅力がやや弱い気がします。それでも、アメリカ亡命時代の1940年代にはトスカニーニやワルターらから、脳腫瘍やら奇行のため「あの男はもうダメだ」と烙印を押されたクレンペラーが、この録音後30年近くにも渡ってフィルハーモニア管を指揮して、レコードを生み出し続けました。1954年1月のこのライヴ録音は、それのスタートラインとも言える時点の記録です。

23 2月

クレンペラー指揮 ブラームスの交響曲第1番

ブラームス 交響曲 第1番 ハ短調 作品68


オットー=クレンペラー 指揮

フィルハーモニア管弦楽団


併録曲 ~

悲劇的序曲(1956年10月)
大学祝典序曲(1957年3月)


(1955年12月,1956年10,11月,1957年3月 録音 EMI)


 たまに昼食時に利用するカフェでカウンター席に座ったところ、ウィスキー、ラム酒等のビンがズラリと並び、見慣れた光景ながら閲兵をしている気分です。その端に大きな真空パックしたハムが鎮座していて、イタリア国旗のシールとパルマという表記が見えました。これは今日はじめて見たもので、多分輸入された生ハムだろうと見とれている内に、イタリアで四旬節期間中特に金曜日にハムとかを供しているのだろうかと思いました。そう言えば昨日の2月22日は「猫の日(ニャン×3)」らしく、地味に盛り上がっています。私の周りはイヌ派が多く、話題にもなりませんでした。

   クレンペラーとフィルハーモニア管弦楽団(1964年途中からニュー・フィルハーモニア管弦楽団)によるEMIへのセッション録音群の中には、当然ブラームスの交響曲をはじめオーケストラ曲も含まれています。また、ヴァイオリン協奏曲、ドイツ・レクイエム、アルト・ラプソディもステレオ録音されていました。ただ、ハイドンの主題による変奏曲だけはモノラル録音でした。交響曲はいずれも1950年代の録音で、ステレオ初期のため音質はやや機械的で貧弱なのが残念です。個人的にはクレンペラー指揮のブラームスは、非常に気に入っており十代の頃からLPで愛聴していました。しかし、特に日本では批評家らの評判は二番手、三番手グループの演奏家といった感がありました。とにかく「売れ筋商品」、決定盤が必要とされた時代なのでやむを得ない状況だろうと思えます。
 

 「LP手帖」誌にはクレンペラーのブラームス交響曲第2番が新譜で出た時の批評(志鳥氏)が掲載されているのですが、素っ気なく無機的なので引用は控えておきます。1980年代前半の「名曲名盤500」の企画でも、ブラームス第4番と大学祝典序曲、悲劇的序曲くらいが第3位になるくらいで、交響曲第1番は一番冷淡な扱いだったと思います。しかし80年代前半でも入手できました(1枚1800円、2枚目の写真はそのジャケットで、4曲のLPは皆この写真が使われているという香ばしい廉価盤)。
 

 それについて、LP廉価盤に掲載された解説にクレンペラーのブラームス演奏に対する見解(福本健一氏)が理由を説明する格好になっています。それによると、クレンペラーのブラームスは無作為と感じられるほど淡白で、イン・テンポで貫かれて感情が極力抑制されている、というものです。同世代、あるいは少し前後する世代の演奏家の濃厚(と思える)な表現の対極で、武骨なまでに素朴さと説明しています。その一方で、激しい情熱を内に秘めているとも評しています。秘めているのに何故激しい情熱があると分かるのか、とかはさて置くとして、何となくニュアンスは分かる気がします。


 クレンペラーは作曲を始めた若いころ、マーラーと出あうよりも前の頃、ワーグナーよりもブラームスに傾倒して自分が書いた作品はブラームス風にしかならない程だったと述懐しています。このCDの録音の頃は、少年時代はシューマンに、青年期はワーグナーからマーラー、壮年期以降は当時の現代音楽といった変遷の後であり、かなりさめた目でブラームスを見ているのだろうと想像されます。LPで聴いていた時は凄まじく緊迫感のある、力がこもった演奏だと思っていましたが、改めて聴いているとそれよりも第2、第3楽章の開かれた美しい響きの方が際立っていました。素朴というようなそんな善良なタマでははないはずですが、真摯にブラームスに相対していると思えます。なんとも形容しがたい演奏ですが、後期ロマン派的というより、古典派的なブラームスに近いと思います。
 

 目下のところ、クレンペラーのブラームス・交響曲他は輸入盤・EMI-Great Recordingシリーズが現役盤扱いなだけで、国内盤は品薄か絶版状態のはずです(3枚目の写真は1枚当たり1300円の廉価盤)。

6 10月

クレンペラー・VSOのブラームス第3番 1956年ライヴ録音

ブラームス 交響曲 第3番ヘ長調 op.90
 

オットー・クレンペラー 指揮
ウィーン交響楽団

 
(1956年3月8日 ウィーン、コンツェルトハウス 録音 ORFEO DOR)

 昨日の夕方、事務所の戸をノックする音が聞こえて出て見ると、なんのことはないコピー・複合機の営業でした。今年度の新人だと言って、営業担当の顔写真と簡単なプロフィールが書かれたチラシを持っていました。見れば私の母校の卒業でした。後輩よと言ってリース期間が残っている現用機を解除してでも契約すればいいのかもしれませんが、まあもっと大きな法人が入居してそうなビルを回らなければ、とか言いながらお引き取り願いました。ここ1年ほど、ブラームスの交響曲は何となく思い出しただけで重苦しくなってきて、あまりCDを取り出して再生することはなくなってきました。しかし一旦聴いてみると、結構頭の中にリズムやメロディーが残って、そうした聴くのをためらうような気分は無くなります。先日のカンテルリの第3番からは特にそうした影響を受けました。

 このCDはクレンペラーが1956年3月にウィーンSOへ客演した時の、ライヴ録音・放送用音源です。カップリングはベートーベンの交響曲第7番で、どうもこちらの方が評判が良いようです。拍手も収録されていて、音質はややこもったように聞こえるものの、弦楽器、木管楽器は鮮明に入っていて、HMVのサイトの解説ではベートーベンの方について「同時期のEMIのセッション録音よりも音質は良い」とまで書かれてあります。この1956年の11月に夫人のヨハナが亡くなりますが、モントリオール空港での転倒事故と寝たばこ大やけど事件に挟まれた1954~1958までの期間はクレンペラーの健康状態が良好で安定していた時期でした。発売されたのは4年前で、そういうわけで、既にセッション録音もされているレパートリーで珍しくないけど聴いてみようと思いました。手に入り易いクレンペラーの録音としては古い年代になりますが、アメリカ亡命時代の1940年頃にクレンペラーは躁鬱病や脳腫瘍等の影響でまともに活動できず、トスカニーニやワルターは「あの男はもうお終いだ」と評した程でした。我々が聴いているクレンペラーの録音の大半、99%くらいは「お終い」の烙印を押されて以降の演奏だということになります。
 

 クレンペラーによるブラームスの交響曲第3番の録音は、他にフィルハーモニア管とのセッション録音(1957年3月・EMI)、ニュー・フィルハーモニア管との(最後の公演)ライヴ録音(1971年9月26日・Testament)があります。今回のウィーン交響楽団との演奏はセッション録音の1年前なので、演奏は基本的にあまり違いません。憂愁の美しい第3楽章はやっぱり過度に感情を込めずに、さらっと演奏しています。しかしVSOとの方が柔軟で、一瞬春風を思わせるような優しさが漂います。それは第3楽章に限らず全般的にそうした空気を感じられて、精緻に血が通った演奏です。1年後のセッション録音より魅力的ではないかと思えました。以下はクレンペラーの三つの録音のCDから各楽章ごとの演奏時間を列記しました。クレンペラー最後の演奏会であった1971年は別格だとしても、1956年の今回のCDが一番速い演奏になっています。

 

VSO・ライヴ(1956年)
①12分03,②7分30,③6分01,④09分06 計34分40

PO・セッション(1957年)
①13分00,②8分14,③6分09,④09分10 計36分33

ニューPO・ライヴ(1971年)
①15分05,②9分25,③6分40,④11分03 計42分13
 


 先月発売になった、「 『オットー・クレンペラー』 あるユダヤ系ドイツ人の音楽家人生(E.ヴァイスヴァイラー著  明石政紀訳・みすず書房) 」という伝記は、フアンにとっては特に興味深い内容でした。日本語訳を担当した明石政紀氏が書かれた「訳者あとがき」の冒頭に、クレンペラーの演奏の特徴を表現した文章が出てきます。明石氏は、元々パンクの人間であるが興味本位で「大指揮者」と呼ばれる人々の音盤を聴いてみたことがったけれど、現在までずっと聴き続けているのはクレンペラーだけだと書かれています。その理由としてして以下の文が続きます。
 

 「 たぶん、それは、人心を煽るのをいっさい拒否するひどく突き放した外面、その裏に見え隠れする脆い感情の襞、梃子でも動かない抽象的岩石が呼吸しているような感動、『おいそれと感動させてたまるものかという感動的な態度』、西洋古典音楽の権化のごとくびくともしない構成感と譜面文化の絶対的信奉、その裏にくすぶるアナーキーな破壊転覆的意志そうしてこうした矛盾のあいだから漂ってくる、空しくも美しいこの世の無常というクレンペラー独特の世界のせいなのかもしれない。きっとそれでクレンペラーのことをもっと知りたいと思い、この本を訳してしまったのだろう。 ( P.236の上段終わりから下段にかけて)


 今までクレンペラーの演奏の特徴について書かれた文章はいろいろ目にしましたが、これほど見事に簡潔に表現されたものは初めてで非常に驚き、感服しました。本当にクレンペラーの録音を愛聴されていて、感動したという経験があるのだと納得させられます。特に、おいそれと感動させてたまるものかという感動的な態度、という表現は素晴らしく、初めてクレンペラーのマタイ受難曲・全曲盤を聴いた時の驚きと感激が思い出されます。ひとしきり感嘆してみたものの、退いて見ると屈折した精神とも考えられ、ほどほどにしておかないと、と思えました。

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昭和40年代生まれ、オットー=クレンペラーの大フアンです。クレンペラーが録音を残したジャンルに加え、教会音楽、歌曲、オペラが好きなレパートリーです。

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