オットー=クレンペラー 指揮
ダヴィッド・オイストラフ:ヴァイオリン
あいかわらずロシア軍は一向に撤退する様子でなく、六月も残り少なくなって沖縄慰霊の日も過ぎました。新型コロナの感染も無くなる風でなくて、まだ死亡者も出ています。それでもランチの時間帯のラーメン店なんかは混雑度が増してきて、先日四条烏丸辺りでランチにしようとしたらY野屋とか、つけ麺の店やらその他も満員でした。ラ・ヴォーチェ京都が入居するビルの一階に喫茶店のような店があったと記憶していて、昔、1990年前後にそこでコーヒーとサンドウィッチを食べてから店へ行ったと勘違いしていたところ、その店は何軒か西の建物の一階だったと先日外観でようやく気が付き納得しました。そのラ・ヴォーチェ京都でクレンペラーとオイストラフのブラームス、フランス初期盤が入荷したててで、昔から祇園祭が近いこの季節は不思議とクレンペラーのレコード、CDと縁がありました。
クレンペラーのEMI盤の中で協奏曲は限られていて、ブランデンブルク協奏曲を含めてもモーツアルトのホルン協奏曲、ピアノ協奏曲第25番、ベートーヴェンのピアノ協奏曲とヴァイオリン協奏曲、シューマンとリストのピアノ協奏曲、それから今回のブラームスのヴァイオリン協奏曲でした。それらの中で大物ソリストと共演して完成度も高いと定評があったのがブラームスのVn協奏曲でした。これはLPでは聴いたことがなく、再発売のLPもあまりみかけなかったのですが、今ネットで検索してみるとフランスの初期盤がちょくちょく出ていました。
実際に聴いてみると演奏も音も素晴らしくて、特に第2楽章が魅力的です。国内再発売のクレンペラーのレコードに書かれた評はかなりいいかげんだったと、これを聴いていると改めて思いました。緻密さと柔和さ、一見クレンペラーと縁遠い言葉のようですが戦後のEMI録音をレコードで聴き直すと、これらの要素が結構鮮明にあらわれているように思われます。オイストラフのソロもよく録れていて、オーケストラ共々派手さというか熱狂させるようなタイプではにものの、作品の全容が克明になった素晴らしい美しさです。「クレンペラーとの対話(P.ヘイワーズ編/白水社)」の中にオイストラフからソ連に客演(まさか定住とかじゃないだろう)するよう誘われているが中東戦争でアラブ側に立つソ連には行けないと行っていました。
1960年は先月のハイドン98番等活発なレコーディングとウィーン音楽祭のベートーヴェン・チクルスなど忙しく充実していたクレンペラーでしたが、パリでフィルハーモニアとではなくフランスのオーケストラと協奏曲の録音というのはどういう経緯、事情だったのだろうと思います。6月と書いてあるものや11月と書いてあるものもあって、どちらも不自然な気がします。当時のフランスのオーケストラの慣習のためリハーサルは相当手こずったとCDの紹介記事に載っていました。それはパリ音楽院管弦楽団をパリ管弦楽団に改組?生まれ変わらせた事情の中に出てくる、リハーサルには代理の奏者を出しても良かったとか、そういうことを指しているのでしょうか。パリでオイストラフと共演したのはソ連へ招待されていながら応じられていないからせめて、ということなのでしょうか(誘われたのはもっと後年か?)。