raimund

新・今でもしぶとく聴いてます

クレンペラーのシューベルト

10 12月

クレンペラーのシューベルト・グレート交響曲LP

231210bシューベルト 交響曲 第9(8)番 ハ長調 D.944「グレート」

オットー=クレンペラー 指揮
フィルハーモニア管弦楽団

(1960年11月16-19日 ロンドン,キングスウェイホール 録音 COLOMBIA SAX2397*の再発売盤)

231210c この十年で何故かアナログ、レコードの復権が進んでいます。レコードの世界はヴァイオリンのマニアが一番コアらしく、奏者によっては一枚数十万級で取引されるものもあるそうです。これは英国盤のLPですが最初に発売されたものではなく、再発売盤のようです。英コロンビアのオリジナル盤はレコードの中心、穴の周りのラベルが薄青く灰色がかった色地に銀色の文字が印刷され、円周の一部の線模様が全体に入ったデザインですが、このLPは次の年代のデザインは穴の上部に半月型のデザインが入り、全体に赤いというデザインです。再発売でも二、三度くらいのものはかなり音が良いと言われるそうです。自分が十代の頃に聴けたのは今回のものではなく、LP末期にリマスターされた廉価盤でした。

231210a 音はそんなに違うのかとなると、あまり自信を持って言えないけれど、初期の盤で聴くと弦、管ともにうるおいがあり、生々しいような音に感じられます。クレンペラーのEMI録音は1990年代前半までに一機にCD化されました。そのCDで初めて聴くことが出来たものもありましたが、今回のシューベルトなんかは全体的に外側が肥大して密度が低いような音に聴こえる(再生機器があれだからという面もある)気がしていました。しかし改めてLP、初期の盤で聴くと、もっと繊細、緻密でかつ艶のある音で、演奏のすばらしさを再認識できました。シューベルトのグレイト交響曲はフィルハーモニア管弦楽団の定期公演で演奏した際に、客席の熱狂は大変なもの(同じ機会のプログラムに入れたバルトークの舞踏組曲は不人気だったのに対して)だったということで、その反応も頷ける気がします。この曲はフルトヴェングラーの戦中の激しい演奏があり、それを念頭に置くとクレンペラーの場合は塑像のような静物的と受け取られることもあり、内心で大いに反発しつつも一理あると認めざるを得ないと思っていました。しかしそういう表層的な差はともかく、感銘度は優るとも劣らないものだと思います。

 昭和32年のLP手帖誌面に発表された田代秀穂氏のクレンペラーとフィルハーモニア管弦楽団のエロイカ(1955年録音・モノラル)批評は以下のようなものでした。これは他の極の演奏にも通じるところがあり、昔はこういう熱心で真摯なレコード批評があったのかと感心するので再掲します。「 クレムペラーは堅実で真摯な解釈と勇渾な翳の濃い表現によって、この交響曲の激しい感情と豊麗な美しさと高貴な表情をよく捉えている。テムポが全体としてゆっくりしており、また音彩感が渋く暗い輝きを帯びている為に、かなり地味で武骨な感じがするけれども、ダイナミックが悠々と大きく起伏し、旋律も情感をこめてよく歌い、激しい緊迫感に支えられ、荘重でエルハーベンな( 荘厳なという意味であろう )クレムペラー独特の彫の深い持ち味が濃厚に滲み出ているばかりでなく、それがこの曲の性格にも合致している。感情が沈潜され、一字一刻もいやしくない生真面目さが厳粛な儀式めいた雰囲気を醸し出し、誠実な内的情熱を激しく感じさせる~独特の深い味わいがある。この曲の複雑な構成とスケールの大きさと均整のよくとれた古典的な形式美を充分に捉えながら、其処には激しい感情を力強く壮麗勇渾に表現している。~」

 シューベルトのピアノ・ソナタ第19番を続けて聴いていて、解説の中にハ長調の交響曲にふれているものがありました。「天国的に長い」というシューマンの言葉からアファナシエフが弾くシューベルトのピアノ・ソナタを、長いという点はそのままに「天国」の対極、「冥府etc」を充てて評している解説がありました。グレート交響曲はその後のブルックナーやマーラーに比べて長いと言い切れる程ではなく、現代の実感では微妙なものがあります。しかし、グレイト交響曲の四つの楽章の性格、長さなどはピアノソナタ程は目立った違和感(村上春樹が指摘した)ではないかもしれませんが、やはり似たものがあると思います。
9 5月

クレンペラー、ブダペスト/1949年の未完成交響曲

210509aシューベルト 交響曲 第7(8)番 ロ短調 D.759「未完成」

オットー・クレンペラー 指揮
ブダペスト交響楽団

(1949年6月18日 ブダペスト 録音 HUNGAROTON)

 大阪をはじめ関西の感染者数が火の車状態の上にワクチンの方も予定よりかなり遅れています。何となくコロナ疲れ・コロナ諦めのような感覚にとらわれています。去年より状態は良くないながらプロ野球は最初から試合を行えています。タイガースが連休を終えても首位というのもルーキーの佐藤選手が四番というのも予想外です。過度に期待はしないので、そこその成績でシーズンを全うしてほしいものです(佐藤選手の構えは「ドカベン」の土井垣か武蔵坊のように大きく、印象的)。

  これはブダペスト時代の
クレンペラーの演奏を集めたLPシリーズの一枚でバッハの管弦楽組曲第2番と未完成が一枚のLPに入っています(メインはフルートが活躍するバッハの組曲の方らしい)。クレンペラー本人もこの時期の音源は残っていないと思っていましたが後に存在を知ったと言っています。音質は年代相応というか、拍手や歓声は入ってなくて、海賊盤ではないのでそこそこの内容です。モノラル用のカートリッジで再生していましたが、もともとの音質の影響で目の覚めるように鮮烈という具合にはいきません。なお、オーケストラはブダペスト交響楽団と表記されていますが、これは国立歌劇場のオーケストラかと思いますが未確認です。

210509b クレンペラーがEMIへレコーディングを開始したのは1954年でした。第二次大戦後のそれ以前のポストは1947年から1950年までブダペストのハンガリー国立歌劇場の監督に就いていました。短期間で辞任したもののブダペストでの演奏はオペラの抜粋や放送用の録音が残っていました。このブダペスト時代の録音の直前、同じくらいの期間にアムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団への客演、VOXレコードへ録音したパリ・プロムジカOとのバッハ等がありました。また、ブダペスト辞任後にVOXへ何曲か録音していました。これら戦後の1940年代後半から1951年までの演奏は、快速で即物的と評されて、1920年代のクレンペラーの演奏に言及した文章から推測できる実演と重なる部分がありそうです。

~ クレンペラーの未完成
ブダペストSO/1949年
①12分00②09分21 計21分21
トリノ/1956年
①12分58②10分31 計23分29
PO/1963年・EMI
①13分28②11分27 計24分55
ニューPO/1967年
①15分13②12分35 計27分48
ニュ-PO/1968年
①11分46②12分29 計24分15
VPO/1968年
①15分33②12分41 計28分14

 七年後のトリノでの公演と比べても2分以上短い合計時間で、実際に聴いていると確かに前のめり気味で、第1楽章はせかせかと先へ急ぐ趣です。最晩年の1967年以降の演奏と比べると演奏時間の差はさらに拡大します。しかし、あえて言えば演奏の目指すところはぶれていないような気がして、映画の「わが恋の成らざるが如く、この曲もまた未完成なり」 とかのイメージとは全く異質な内容ということには違わないと思います。アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団のメンバーがクレンペラーのリハーサルを経験した感想を述べている「~交響曲が純粋な音符に立ち返るのを見るのは思いがけない経験、そこにはヴィヴラートもなく、恣意的な増減もなく、あるのは音符だけだった」という姿勢は貫かれていると思います。クレンペラーが戦前にシューベルトのグレイトを指揮したときは「シューベルトをころした」と評されたそうですが、ブダペスト時代の未完成はそこまで乾き切った演奏とは思いません。
19 4月

クレンペラー・イン・トリノ/1956年 未完成交響曲のLP

210420シューベルト 交響曲 第7(8)番 ロ短調 D.759「未完成」

オットー=クレンペラー 指揮
トリノRAI管弦楽団(トリノ放送交響楽団)

(1956年12月17日 RAIオーディトリアム ライヴ録音 Fonit Cetra)

210420b 先日、橋田壽賀子氏の訃報が報道されました。代表作の渡鬼は自分の周辺でもファンが多く、日本の社会を裏側から描いた云々という外国人の評を見ながら凄かったんだなと思っていました。ごくたまに渡鬼をみたときは、どうもありそうで現実にはないような話に思えてあまり面白くないと思っていました。嫁姑は生理的な溝というか、卵を食べると湿疹が出る、牛乳で下痢するとい種類に似た問題のように思えて、例えばマザー・テレサ(コルカタの聖テレサ)級の人、幼きイエズスの聖テレジア級の人でもそれぞれが嫁と姑の立場に立つと円満にはいかないのじゃないかと思うくらいです(どちらも未婚だから例えは良くない)。

 オットー=クレンペラー(
Otto Klemperer 1885年5月14日 - 1973年7月6日)の誕生日には早いですが、このブログで例年扱う誕生月期用にモノラル専用のレコード・カートリッジをセットしたので、そのテストを兼ねてクレンペラー・イン・トリノから未完成交響曲を聴きました。DENONのDL-102はMCカートリッジながらMM用のフォノ端子に直に接続できる高出力です。ただヘッドシェルに付属・接続済の線の内二本は使わないので紛らわしくなります(抜けばいいけど別のカートリッジに使う際に無くすと面倒)。クレンペラーがトリノへ客演した際の音源は過去記事でも扱ったように、ベートーヴェンの交響曲第1番、ハイドンの交響曲第101番「時計」、シューベルトの未完成交響曲、ワーグナーのニュルンベルクのマイスタージンガー「第一幕への前奏曲」、R.シュトラウス交響詩「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら」、ストラヴィンスキー「プルチネッラ」組曲、ショスタコーヴィチ 交響曲 第9番が入っています。

 
未完成交響曲はEMI盤の他にもニュー・フィルハーモニア管とのライヴ音源(定期公演か)やウィーン・フィルへの客演がいずれもテスタメント社からCD化されています。合計演奏時間の差として第1楽章で4分程度違っている演奏があって、これは反復の有無の違いかと思われます。1967、1968年と最晩年(仮にneue klemperichkeit期とする)にあってその第1楽章で11分台と15分台の演奏があります。今回のトリノでの演奏はEMIのセッション録音と近い演奏時間です。どの演奏も基本的に「夢のようにはかなく」的なこの作品に対するイメージ(期待されてきた美点)とは一線を画するような内容になっています。実は個人的に未完成交響曲はクレンペラーが一番好きで、例えばベートーヴェンの第九についてカラヤンやフルトヴェングラーが良いと言われて黙っているとしてもこの曲だけは引けない、くらいに思っていました。

 未完成交響曲は1823年に作曲され、初演されたのはシューベルトの没後40年以上経った1865年でした。さらに
ブライトコップフ&ヘルテル社がシューベルト作品全集として出版したのが1884年でした。その出版に際してはブラームスが校訂に係り、19世紀後半のロマン派的な趣味が加えられていると、インマゼールが自身のピリオド楽器オケを指揮したシューベルト全集録音の際に指摘していました。

~クレンペラーの未完成交響曲
トリノ/1956年
①12分58②10分31 計23分29
PO/1963年・EMI
①13分28②11分27 計24分55
ニューPO/1967年
①15分13②12分35 計27分48
ニュ-PO/1968年
①11分46②12分29 計24分15
VPO/1968年
①15分33②12分41 計28分14

 1950年代、60年代に通常のオーケストラを指揮したクレンペラーの演奏が古楽器やら手稿譜といった現代的な演奏を志向したわけではないにせよ、19世紀後半のロマン派の上塗りのようなものの下にある作品の姿に幾らかは達していたか、そうすることを目指していたような気がします。これはシューベルト、未完成交響曲に限ったことではなくクレンペラーの根本的な姿勢かもしれません。それはともかくとして、通常のレコードカートリッジとモノラル専用のカートリッジの両方で再生してみたところ、どうもわざわざカートリッジを変えるほどのことはないような気もしました。あえて違いに注意を向けるとモノラル専用の方が野太いというか力強い響きに聴こえます(どちらのカートリッジもハイエンドなものじゃないので)。価格的にも自分の耳の繊細さもここら辺でやめておいた方が良さそうです。
20 6月

シューベルト交響曲第9(8)番 クレンペラー、PO/1960

200619シューベルト 交響曲 第9(8)番 ハ長調 D.944「グレート」

オットー=クレンペラー 指揮
フィルハーモニア管弦楽団


(1960年11月16-19日 ロンドン,キングスウェイホール 録音 EMI)

 六月に入ったと思っているうちに既に半分以上が過ぎました。このブログとしてはクレンペラー(Otto Klemperer 1885年5月14日 - 1973年7月6日)の命日、7月6日が近づいています。新型コロナの緊急事態宣言が解除された後も閉店したままの状態の飲食店もある中、個人的にはついにガラ携使用をやめてスマホにかえました(~ Leb' wohl ガラ携)。直接のきっかけは、よく使う地銀のネットバンキングがワンタイム・パスワードを使わなければ登録口座への振込もできなくなったので、そのパスワード機能を使うにはスマホが必須だったからでした。あとはコロナ感染に関連して非接触の支払い・スマホ決済が必要になることが増えるだろうと思ってやむを得ず変更しました。

 クレンペラーがEMIへ残したシューベルトの交響曲は第5番、未完成、グレイトの三曲でした。この録音も過去記事で扱ったはずですが、新リマスターのSACD仕様で聴いてみると少々印象が違います。新しいリマスターと称して宣伝しているものの中には確かに鮮明な音になったと驚くようなものもあり、くれんぺらーの国内盤ではマタイ受難曲がだいぶ改善されたと思いました。このシューベルトもそれに近い音質と感じられ、第1楽章の冒頭のホルンと直後から続く弦は繊細さと潤いが大いに増し、クレンペラーのEMI録音に対する先入観として持ちがちな、硬直気味、作品によっては膨張したような感覚、そういうものがほぼ無くなりました。ただ、第3楽章の冒頭からしばらくが妙にこもったような、マイクから遠いような貧弱な音に聞こえるのが残念です。

第1楽章 Andante - Allegro ma non troppo ハ長調、2/2拍子
第2楽章 Andante con moto イ短調、2/4拍子
第3楽章 Scherzo. Allegro vivace ハ長調、三部形式
第4楽章 Finale. Allegro vivace ハ長調、2/4拍子

クレンペラー・PO/1960年
①14分35②14分57③09分54④12分42 計52分28

 今回は他に対比するものは並べませんが、単に遅いとか速いとかでは言い尽くせない独特な内容だと思われ、作品に対する尊崇度も高まる心地がします。この録音はフィルハーモニア管弦楽団の定期公演で客席を熱狂させ、反応が特に良かったのでレッグが即座にレコーディングを決断したそうです。ブルックナーの第6番の録音を最後まで許可しなかったレッグがそうしたからにはよっぽど公演の反応が良かったのでしょう。このリマスター盤を聴いてそういう話に心底納得させられました。CDのリマスター盤だけでなく、初期のLPやステレオ録音がメインで流通していたベートーヴェンの交響曲やフィデリオのモノラル版LPを聴いて、従来のその録音・演奏に対する印象が変わることもあり、実際に客席で聴いていたらクレンペラーの演奏も更に違ったことだろうと思われま。

 若くして世を去ったシューベルト、その作品が特に好きだと思っても彼のような生涯を送りたい、ああいう風になりたいと思うかは微妙なところです。しかし、この作品だけではないかと思いますが、この交響曲を聴いているとグレイトという呼び方に異論は無く、それだけではない豊かな内容に触れられ、plum poison とかそんなみじめな事柄は想像し難いものです。
21 5月

クレンペラーのシューベルト第4番 コンセール・ラムルー/1950年

190521bシューベルト 交響曲 第4番 ハ短調 D.417「悲劇的」

オットー=クレンペラー 指揮
コンセール・ラムルー

(1950年11月19-20日 パリ,サル・プレイエル 録音 VOX)

190521a クレンペラーが米VOXへレコード録音した際のオーケストラの大半はウィーン交響楽団でした。しかし一連の録音の最初期、1946年頃に録音したモーツァルト作品はパリ・プロムジカという実態がよく分からない(アマチュアかもしれない)団体との共演でした。その他にシューベルトの交響曲第4番だけがパリのコンセール・ラムルーを指揮してのことでしたが、なぜこの一曲だけパリで録音したのかと思います。ウィーン交響楽団との録音は1951年3月から6月なので、コンセール・ラムルーとのシューベルトはその少し前ということになり、どうもこれが好評・好調だったからウィーンでのレコード録音へつながったのではないかと思われます。ちなみにVOXとのレコード録音は、メンデルスゾーンのイタリア交響曲の録音途中でクレンペラーが演奏旅行に行ったので、途中で別の指揮者に振らせて許可なく発売したことが原因で契約が解除というか立ち消えになりました。

 このLPレコードはそのメンデルソゾーンの交響曲第4番とカップリングされています。どうもフランス盤らしく、ジャケットが見開きになり右側にジャケットと一体化してLPを収納するスペースが付いています。購入したLPには前の持ち主が貼ったらしいクレンペラーの肖像の切り抜きが三枚も付いていました。何故極東の、東京在住でもない私の手に渡ることになったのか、あるいはこのレコードは遺品整理で処分されたのかもしれません。

190521 それはともかくとして、古い録音の上に盤の状態も今一つながら素晴らしい演奏なので作品自体も見直すような感慨深いものです。この当時のコンセール・ラムルーはジャン・マルティノンが主席に就く前年、ウジェーヌ・ビゴーの時代でした。さすがにウィーン・シンフォニカに比べると地味な音色ながら、特に弦楽器はなかなか味があり、クレンペラーも抑制の効いた指揮振りです(まさかこれも別人の指揮ではないと思うが)。クレンペラーのシューベルト第4番はこれ以外にもACOとのライヴ音源がありました。それにVOXへセッション録音した曲は全部EMIで再録音していることからも、フィルハーモニア管弦楽団ともレコード録音する予定があったようです。

交響曲第4番 ハ短調 D417
第1楽章 Adagio molt - Allegro vivace ハ短調
第2楽章 Andante 変イ長調
第3楽章 Menuetto. Allegro vivace 変ホ長調
第4楽章 Allegro ハ短調

 交響曲第4番は1816年、シューベルトが19歳の年に完成されました。今回このレコードを聴く前、直近に同曲を聴いたのいつだったか、ヴァントとケルンRSOかシュタインとバンベルクSO、メータとイスラエルPOだったか、いずれにしてもうっすらとした記憶に残る曲とは違った響きで、作曲者のもう少し後年の作品のような印象です。クレンペラーがレコード録音までしようと思ったのも頷ける作品、演奏です。
14 5月

シューベルト交響曲第5番 クレンペラー、PO/1963年

170513bシューベルト 交響曲 第5番 変ロ長調

オットー・クレンペラー 指揮
フィルハーモニア管弦楽団

(1963年10,11月 ロンドン,キングスウェイ・ホール 録音 EMI)
 
170514  5月14日はオットー=クレンペラーの誕生日(Otto Klemperer 1885年5月14日 - 1973年7月6日)なのでブログの恒例、セッション録音、ライヴ音源を問わずクレンペラーのCDを取り上げることにして、今年はEMIへのセッション録音、シューベルトの交響曲第5番です。シューベルトの第5番は最初にCD化された際には未完成、ザ・グレートと離れてドヴォルザークの新世界とカップリングされていました。演奏時間がちょうど良いということかもしれませんが、CD一枚の時間が少なくてもせめて未完成とカップリングくらいにしてほしかったところです。

交響曲第5番変ロ長調 D485
第1楽章:Allegro
第2楽章:Andante con moto
第3楽章:Menuetto Allegro molto
第4楽章:Allegro vivace

 レコード録音をしているということはその時期にフィルハーモニア管弦楽団の定期公演でもシューベルトの第5番を演奏しているはずですが、これまでのところEMI盤以外でクレンペラー指揮のこの曲は全く無かったはずです(今後テスタメントあたりから出てくるかもしれない)。1963年という年代からしてクレンペラーのとるテンポがいよいよ不健康に?遅くなってきますが、下記のトラック・タイムを見るとそうでもありません。聴いた印象でも氷上をな滑走するような滑らかさで、未完成の第1楽章なんかとはかなり違います。それでも木管が前面に出たクレンペラー(のEMI録音)らしいバランスの響きであり、特に後半楽章は剛毅さも感じさせます(ハイドンの軍隊ほどはではない)。

クレンペラー・PO/1963年
①5分28②09分43③4分55④6分03 計26分09
メータ・イスラエルPO/1976年
①7分13②09分26③5分15④5分37 計27分31
ヴァント・ケルンRSO/1984年
①6分49②09分54③4分41④5分39 計27分03
シュタイン・バンベルクSO/1986年
①7分11②11分13③5分25④5分59 計28分48

 余談ながらイスラエルPO、ケルンRSOはともにクレンペラーが客演したことがあり、バンベルクSOに客演したことがあるかどうか未確認ながらチェコのドイツ人によるオケが前身なので、プラハのドイツ劇場からキャリアをスタートさせたクレンペラーとちょっと経歴が重なります。それら三種の中ではヴァント、ケルンRSOが一番クレンペラーの第5番に近い気がしました(意外にも)。

 なお、シューベルト(Franz Peter Schubert 1797年1月31日 - 1828年11月19日)の交響曲第5番は1816年10月 に作曲されました。二十歳前に作ったものでその後の初演や演奏記録は定かではありません。その割には交響曲らしく凝縮、統一されたものが感じられて(ブルックナーの初期作品よりはこなれた作品か)魅力的です。
3 10月

クレンペラー、フィルハーモニア管弦楽団の未完成交響曲

161003シューベルト 交響曲 第8番 ロ短調 D.759「未完成」

オットー・クレンペラー 指揮
フィルハーモニア管弦楽団

(1963年2月4,6日 ロンドン,キングスウェイ・ホール 録音 EMI/ワーナー)

 クレンペラーがEMIへ残した未完成交響曲のセッション録音は過去記事で一度扱っていましたがこの夏に新リマスターによりSACD仕様で再発売されたのを機会にまた聴いて振り返ることにしました。古い録音のSACD化というパターンはここ五年くらいでかなり増えましたが、わざわざ買いなおすのは例外であり、よっぽど思い入れのあるクレンペラーの録音のみにしています。このSACDはシューベルトの「未完成 ロ短調D.759」と「ザ・グレイト ハ長調D.944」がカップリングされています。ジャケットにはオリジナルのLP発売時のものを採用しているそうですが、当時はグレイトと未完成は別々のLPであり、未完成はシューベルトの第5番とカップリングされていました。

 付属冊子の解説は再発売に合わせて新規に書かれたものですが、演奏について直接言及されている ハ長調の交響曲だけであり、未完成は完全にスルーされています。ついでに楽曲の説明も未完成については「梅毒」を絡めた説が充てられて、あきらかに未完成を軽視しているのがうかがえます。しかし自分は昔からクレンペラーの未完成が大好きなので、そんな扱いにめげずに今回これをアップすることにしました。付属冊子の解説によると、1960年頃にクレンペラーフィルハーモニア管弦楽団の定期で取り上げたバルトークの「弦楽のためのディヴェルティメント」は演奏が不評であり、「フィジカルな活力の欠如」が指摘されて批判されたということです。ところが、同じ頃にシューベルトのザ・グレイトとブルックナーの第7番を演奏した時は聴衆が熱狂したので、レッグは急きょザ・グレイトのレコードをつくることに決めたそうです。

~クレンペラーの未完成交響曲
PO/1963年・EMI
①13分28②11分27 計24分55
ニューPO/1967年
①15分13②12分35 計27分48
ニュ-PO/1968年
①11分46②12分29 計24分15
VPO/1968年
①15分33②12分41 計28分14

 「フィジカルな活力」といえばセミヨン・ビシュコフの言を借りればベートーベンの作品の重要な要素ということになり、それがクレンペラーの演奏に欠けるならベートーベン・チクルスもそういった批判があてはまりそうなものですが、実際にはロンドンで何度もベートーベンの交響曲の全曲演奏を何度か行っているので、ロンドンの聴衆も趣味もわからなにものです。さて、付属冊子はそんな調子なのでクレンペラー指揮による未完成交響曲の当時の評判は全く書かれていません。ただ、上記のように1967年と翌年にも未完成交響曲を公演でプログラムに入れているので(オケが自主運営になって曲目選択は慎重になったと推測できる)、そこそこのものだったと推測できます。

 未完成交響曲はあらゆる交響曲の中でもかなり好きな作品なので、交響曲の私的ベスト10なり12使徒を選ぶとすれば欠かせない曲の一つです。それから録音、CDについてならインマゼールの古楽器による演奏は別として通常のオケによるものなら、クレンペラーによる上記のどれかがあれば良いくらいです。そのことはこれくらいにして、交響曲のベストというかフェイバリットを他に挙げるとすればベートーベンの第4番、田園、ブルックナーの第2、5、6、9番あたり、マーラーなら第6、大地の歌か第9番、ショスタコーヴィチは第4番、第13番、あとは悲愴にブラームスの第4番くらいになり、一人の作曲家につき1曲に限定すればあと、モーツァルトの第39番とハイドン、ヴォーン・ウィリアムズのどれか一曲で10曲におさまります(この話も以前に触れたかもしれない)。
15 5月

クレンペラー、ニュー・フィルハーモニア管の未完成・1968年

150515aシューベルト 交響曲 第8番 ロ短調 D.759「未完成」


オットー・クレンペラー 指揮
ニュー・フィルハーモニア管弦楽団

(1968年2月11日 ロンドン,ロイヤル・フェスティヴァル・ホール ライヴ録音 Testament)

150515 5月15日は晴天なら葵祭の行列が巡行するので交通規制があり、市内で出かける用は前日に済ませようと昨日の昼前後に上京区方面へ行きました。正午前に北野天満宮近くに来て、ポルトガル人が焼くカステラとポルトガル菓子の店が最近この辺りにオープンしたと聞いていたので寄ってみました。酒蔵を改装したその店はイート・インもできるタイプで、母国出身者かもしれない先客がいました。オーナーはリスボンから来日して長崎の松翁軒で修業をしたというねんの入れようには驚き、松翁軒のカステラはR天経由で何度も買ったことがあるので妙につながりを感じます。松翁軒のカステラはデパートに出回ってないので代わりにそこで食べられます。席が空くのを待つ間に二階のギャラリーでポルトガル菓子の本を読んでいると、日本のカステラはリスボンではなかなか受け入れられずポルトガル人は菓子に対して保守的だと書いてありました。現在我々がカステラと言っているものと同じ物がポルトガルで食べられてきたわけでなく、各地に普及しているパォンデローという焼き菓子が原型となっています。

150515b さて、クレンペラーの誕生日、5月14日の翌日である今日は残り福か最後っ屁的にクレンペラーのCDにふれておきたいと思います。それにしても最高気温がまた30℃を超えるこの暑さ、梅雨明けしたような気候です。このBBC放送のライヴ音源CDは、イギリスの出版社オーナーで、社会人道主義者としても音楽愛好家としても知られるサー・ヴィクター・ゴランツ(1893-1967)のために開催されたコンサートの記録です。1968年2月11日に行われ、モーツアルトのフリーメイソンのための葬送音楽 K.477、シューベルトの未完成、ベルリオーズの劇的交響曲『ロメオとジュリエット』 Op.17から「愛の情景」、ベートーベンの交響曲第1番、ベートーヴェンのレオノーレ序曲第3番(これはCDには入っていない)という曲目でした。未完成は約一年前に定期公演で取り上げているのにまたプログラムに入れています。

クレンペラー指揮の未完成交響曲
ニュ-PO/1968年
①11分46②12分29 計24分15

VPO/1968年
①15分33②12分41 計28分14

ニューPO/1967年
①15分13②12分35 計27分48
1966年/バイエルンRSO
①14分25②11分23 計25分48
PO/1963年・EMI
①13分28②11分27 計24分55
トリノRSO/1956年
①12分58②10分31 計23分29

 この時期のクレンペラーの未完成交響曲は、ウィーン・フィルとの共演がDGからも出ていて有名です。基本的にはそれと似た演奏であり、最晩年のクレンペラーらしいものです。ユダヤ系だったゴランツは作家でもあり、左派とアメリカの書籍の出版に特化自身の出版社を1927 年に創設しました。その彼は1957年のクレンペラーとフィルハーモニア管の最初のベートーヴェン・チクルス以降、クレンペラーのコンサートを欠かさず聴き、「その夜に疑うことを止め、その後一切疑ったことはない」と書き残しています。つまりクレンペラーの舎弟級の大フアンということです。ゴランツはシューベルト作品にはそれほど興味がなかったようですが、クレンペラーの演奏によって開眼したようで晩年の日誌には以下のように書き残しています。「今まで考えもなく見落としてきたものが、私に最大の喜びを与えてくれるとは!例えば、未完成交響曲。今までこの曲は単なる娯楽として聴いてきた。どちらかというと古臭いイメージがあったくらいだ。今、この曲は天からの贈り物の様に思る。」

 一方でこのCDとは違いますが、ウィーンPOとの未完成がベートーベンの第4番とカップリングされた国内盤がレコ芸の月評で特選となった時、一人の評者は未完成は「準・推薦」だとして「少しも歌わず粛粛と奏され、甘さはどこを探してもない」、「ウィーン情緒等完全に無視され(~と言えよう)」と評しています。同じ曲の同じ演奏者によるものを聴いてもこれだけ感じ方、有難さが違うという例ですが、私の好みとしては前者、ヴィクター・ゴランツの方と重なります。ここへきて、クレンペラーのウィーンPOとの未完成のCDに入っていた“ Schön ” という言葉、その機微が実感できるように思えます(誰の声か確定したわけではないが)。

12 5月

クレンペラー、ニュー・フィルハーモニア管の未完成・1967年

150512bシューベルト 交響曲 第8番 ロ短調 D.759「未完成」


オットー・クレンペラー 指揮
ニュー・フィルハーモニア管弦楽団

(1967年3月21日 ロンドン,ロイヤル・フェスティヴァル・ホール ライヴ録音 Testament)

 先日の日曜日の午前中、車の中でラジオをつけたところチャイコフスキーの第5交響曲の終楽章の途中が流れていました(まだ曲名くらいはすぐ思い出す)。古い音源で、どこのオーケストラを誰が指揮しているのかと思い、曲が終わるまでに考えて答え合わせをすることにしました。まずロシア系の指揮者、オケではないと思い、ウィーンのオケでもないだろう思いました。あるいはアメリカのオケをヨーロッパから来た指揮者が演奏しているかと予想したら、ケンペン指揮のアムステルダム・コンセルトヘボウでした。つまり回答は間違いでした。オーケストラの特徴というのはよほど目立った要素が無い限り一般人には分かりにくいものだと思いました。

150512a クレンペラーによる未完成交響曲の録音は、1924年ベルリン国立歌劇場管に始まりEMIへのセッション録音の他にブダペスト、トリノ、エルサレム、ミュンヘン、ウィーンでのライヴ録音があります。それ以外にも1967年と1968年にロイヤル・フェスティヴァル・ホールでのニュー・フィルハーモニア管弦楽団の公演が出てきて全部で九種存在します。ニュー・フィルハーモニア管弦楽団のロイヤル・フェスティヴァル・ホールでの1967年と1968年の録音はBBC放送の音源をTESTAMENTが発売したもので、両方とも一つの公演のプログラムをCD二枚組に収めたモノラル録音です。今回の未完成はブルックナーの第5交響曲とのカップリングです。

 基本的にはフィルハーモニア管弦楽団のセッション録音(EMI盤)と同じですがトラックタイムは下記のようになります。このCDの約一年後の公演で第一楽章が3分以上の差が出ていますがこれはリピート有無の加減だと思います(聴いた印象はあまり変わらない)。1968年にウィーンPOへ客演した時の演奏とトラックタイムがよく似ています。この中では一番古いトリノ盤が一番演奏時間が短くなっていて、それの第一楽章よりも1968年のニューPO盤の方が短いのでやはりリピート省略の問題なのでしょう。

クレンペラー指揮の未完成交響曲
ニューPO/1967年
①15分13②12分35 計27分48

ニュ-PO/1968年
①11分46②12分29 計24分15
VPO/1968年
①15分33②12分41 計28分14
1966年/バイエルンRSO
①14分25②11分23 計25分48
PO/1963年・EMI
①13分28②11分27 計24分55

トリノRSO/1956年
①12分58②10分31 計23分29

 ライナーノーツの日本語訳がテスタメント社のHPからダウンロードできるので読んでみると、未完成交響曲は木管セクションの均衡がいかんなく発揮される作品なのでクレンペラーにとってこれがお気に入りの作品だったとしています。そして1865年12月の未完成交響曲のウィーン初演時に書かれたエドゥアルト・ハンスリックの評論を紹介しています。「短い導入部の後、クラリネットとオーボエのユニゾンによる‘歌’が始まる。バックにはヴァイオリンの穏やかなざわめき。誰もがこの作曲家の才能に気付く瞬間だ。こうして聴衆は音にならない“シューベルト”のささやきを聴くのである。」初演は大成功だったということですが、これ以降未完成交響曲は映画作品のようなロマンティックな内容として浸透して行きます。近年は手稿譜や古楽器奏法等の研究によって違った見方がされていますが、クレンペラーの未完成交響曲はロマンティック一辺倒ではないので今聴いても音質はともかく、そんなに古めかしい印象は受けません。

25 9月

クレンペラー・PO シューベルトの未完成交響曲

シューベルト 交響曲第7(8)番ロ短調 D.759「未完成」


オットー=クレンペラー 指揮

フィルハーモニア管弦楽団


(1963年2月 ロンドン,キングスウェイ・ホール 録音 EMI)


 清涼飲料水の自動販売機にルーレット式の当りくじが付いているものがあります。電光の数字で7が三つ並ぶと120円の缶がもう一本もらえますが、ここ三ヶ月くらいは一回も当りません。結果が出るまでけっこう時間がかかり、暑い時はルーレットの電子音がいい加減うざいと思えてイラつきます。今日の午前中、修学旅行生が珍しそうにその当り付き販売機の前に立ち止まって利用していました。地元ではあまり無いのか、はしゃいでいて、あまりの朗らかさに、つい話しかけてしまいました。「なかなか当りませんよ、毎日使ってても三ヶ月で一回も当りません(先生も居たのでガラの悪い言葉遣いは控えた)。去年は一月に一回くらいは当ったのに。」去年の一ヶ月に一回という確立に感動したらしく、また盛り上がっていました。

 このクレンペラーの未完成交響曲は、国内盤が絶版のため輸入盤LPで購入して以来、気に入って入れ込んでいる録音です。クレンペラーによる未完成交響曲なら他にもライヴ録音があって、特にウィーンPOとのものが有名です。クレンペラーとフィルハーモニア管弦楽団の未完成は特に話題になったことがないようなので、個人的な思い入れも程々にしておきます。この録音にしてもウィーンでのライヴ盤でも、ひたすらきれいな曲、夢のような美しさといったものを追求せず、何となく「引き裂かれたような」、「断裂したような」心象風景を連想させられて、そこが魅力だと感じていました。雨が降っているのに陽が照っている、志も理想も高くあっても現実は日々みじめで、それでも笑顔を保っている、そんな姿を想像できます。
 

クレンペラー指揮の未完成交響曲
1956年:①12分58②10分31 計23分29・トリノRSO
1963年:①13分28②11分27 計24分55・PO

1966年:①14分25②11分23 計25分48・バイエルンRSO
1968年:①15分33②12分41 計28分14・VPO


 上記の四種類のうちで、今回のCDのみがセッション録音です。ウィーンPOとの録音が一番遅くて、古い演奏程速い、短いという傾向です。ただ、このCDの録音年・1963年と言えば、クレンペラーの演奏がさらに遅く(或いは変に)なり始めている時期なので、その割には遅いという程の違和感はありません。上記のようなイメージは一番新しいウィーンPOとの演奏がより鮮明だろうと思います。
 

 現代では、インマゼールによる綿密な時代考証を踏まえた演奏を始め、新全集版を用いた演奏が出ているので、クレンペラーの演奏も一層過去のものになっています。それでも、ある曲の多様な面を示す演奏として同世代の録音と併せて聴くと面白いと思います(本当は、先日のクリップスとウィーンPO盤に続けて聴くともっと差が顕著だと予想してましたが、思ったほどでもなく後回しになりました)。
 

 冒頭の自販機の出来事はたわいも無い話ですが、その修学旅行生は体がどこか不自由なようで(たまたま車椅子を使う場合のシュミレーションをしていただけかもしれないが)、そんなことは念頭にないような明朗さでした。ただそれだけの出来ごとなのに、感化されるのは笑顔のせいかと思いながら立ち去りました。

4 8月

クレンペラー シューベルト交響曲第8(9)番

シューベルト 交響曲 第9番 ハ長調 D.944「グレート」


オットー=クレンペラー 指揮
フィルハーモニア管弦楽団
 

(1960年11月16-19 録音 EMI)


 クレンペラーが残したシューベルトの録音は少なく、EMIへのセッション録音に限れば交響曲第5番、8番、9番の3曲だったと思います。未完成交響曲はその後、ウィーンPO、バイエルン放送SOとのライブ録音があって結構有名でした。と言ってもそれらのライブ録音が出て来たのはCDの時代になってからで、例えば1980年代前半でクレンペラーのシューベルトを国内盤LPで聴こうとしてもなかなか店頭には無く、かろうじてドイツ盤を入手して聴けました。国内盤なら1枚当たり1500円の「クレンペラーの芸術」シリーズがあったはずですが店頭で見たことはありませんでした。
 

①14分35,②14分57,③9分54,④12分42 計52分28


  この録音のトラック・タイムは上の通りで、実際聴いていると数字以上に長く感じてしまいます。この録音が最初にCD化されたのは1991年(手元にあるのはドイツ盤)で、未完成交響曲とカップリングされています。個人的にはクレンペラーのシューベルトは、圧倒的に未完成交響曲の方に魅力を感じていて、このグレートの方は最後まで聴くには余程集中して、気合を入れなければと思っていました。今回改めて聴いていると、特に第3楽章、終楽章が素晴らしく、いつものクレンペラー特有の響きを堪能できます。
 

 先日のベンジャミン・ザンダーとフィルハーモニア管のブルックナー第5番の回で、ザンダーが「ブルックナーの第5番がシューベルトの音楽に近いものであることを知り、その音楽の歌謡性を実現するためには、現代の一般的な解釈では遅すぎるため、活発で推進力を持ったテンポを選んだ」と述べているのを確認しました。その考えの適否はさて置くとして、仮にかなり的を得ているとするならシューベルトの交響曲、とりわけこのグレート交響曲にも該当する話と言えるでしょう。クレンペラーはブルックナーの第5番の素晴らしい録音(セッション、ライブ共に)を残していますが、どうもザンダーの指摘するようなテンポでは演奏していません。そのせいか、当初クレンペラーによるフィルハーモニア管とのブルックナー第5番のレコードは、はね付けられるような圧倒されるような感覚で気軽に楽しめるものではありませんでした。この点は今回のグレート交響曲と同じで、その頃(80年代)は同じ曲のシューリヒト、南西ドイツ放送SOのLPも補うように聴いていました。
 

ヴァント・ミュンヘンPO(1993年
①14分13,②16分23,③10分53,④12分16 計54分45

 ギュンター・ヴァントはブルックナーの他にシューベルトもよく演奏していて定評があり、グレート交響曲も何種類も録音が出回っています。上期はミュンヘンPOとのライブ録音で、クレンペラーと比べて意外にも長い演奏時間です。(リピートの有無とかが関係しているのかもしれませんが)今回のクレンペラーの録音が特別に異常ではないことがうかがえます。
 

1楽章:Andante. Allegro ma non troppo
2楽章:Andante con moto
3楽章:Scherzo. Allegro vivace
4楽章:Finale. Allegro vivace

 第1楽章冒頭はホルンの旋律で始まります。同じホルンでもマーラーの第3番のように高らかに響くという程ではありませんが、どことなく似ていてどこかの大学の応援歌「紺碧の空」のメロディを思い出させます。ブルックナーの作品について、シューベルトとの親近性が取りざたされることがしばしばあり、ブログを書きながらCDを聴いていると最近になって特にそれが実感されます。この録音の国内盤CDの解説にもブルックナーとの共通点について指摘があります。この曲では特に第3、第4楽章の流れがブルックナーに似ています。人物としてもどちらも教員の仕事をした経験があり、独身のまま生涯を終えています。

  この曲は1828-26年にかけて作曲されたけれど作曲者の生前は演奏されず、没後10年以上経った1939年にライプチヒでメンデルスゾーンの指揮で初演されています。シューベルトは曲の完成後にウィーン楽友協会へ楽譜を送ったところ、演奏できないとされて判断されました。ブルックナーの作品にありがちな悲哀で、やがてシューベルトが亡くなったので完全にお蔵入り状態になりました。演奏されなかったのは演奏には50分から1時間近く要するため、長すぎると判断されたのも原因だったようです。1939年頃にシューマンがシューベルトの墓参と生家を訪問した時にこの曲を見つけて、ライプチヒでの初演にこぎつけたとされています。

 現在シューベルトの交響曲で、未完成の作品は通称「未完成交響曲」だけを作品として数えて、グレートが第8番として、未完成交響曲を第7番とすることになっています。ちなみにこの録音のドイツ盤(1991年発売)では「交響曲第9番」と書いてあり、国内再発売盤(2005年発売)では「交響曲第7番」という表記になっています。9番という数え方は、未完成の交響曲を2つ含めて9曲目という意味で、7番という数え方はシューベルトの交響曲のうち、完成されたものだけで7曲確認されていてその最後だから、という意味で第7番としていました。なお、シューベルトの作品で、通称グムンデン・ガスタイン交響曲が、楽譜の所在が不明と言われてきましたが、研究が進み「グレート交響曲」がそれに当たるという見解が有力になっています。そのことも含め、未だに表記が混在しているので、純学問的には確定されていないのかもしれません。

25 8月

終演後のSchönは誰の声か クレンペラー・VPOの未完成

シューベルト 交響曲第8番 D.759 「未完成」

 

オットー=クレンペラー 指揮
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

(1968年6月16日 ライブ録音 Testament,廃盤ながらDGの国内盤でも既売)

 郵趣、切手収集というのは現代でも盛んなのか分かりませんが、小学生の頃からしばらくやっていたことがあります。専ら使用済みの切手を集めて(値段の関係上)、日本の普通切手や外国の切手も使用済みで未整理のものが袋詰めで売っていました。郵趣の世界では、使用済切手を封書や葉書から剥がさない状態のものが驚くほど高価で流通したり、発行時の印刷ミスのものが珍品として、やはり高価で取引されています。なんでも鑑定団でもおなじみの現象です。想定外のイレギュラーなものが混入したことにより、その当時の様子を知る手掛かりになるので付加価値が付くということです。今回のCDは、未完成交響曲の演奏が終わった後に人間の声が混入しているというものですが、別にそれによっては値段が上がったりはしていません。

 クレンペラーのウィーン芸術週間  ~~ 今回のCDは1968年、ウィーン芸術週間の五週間にクレンペラーがVPOを指揮した5回の演奏会のうちの最終回です。以前取り上げたマーラーの第九は今回の前の4回目でした。この未完成交響曲は、Testamentからまとまって発売されるより前に、ベートーベンの運命とカップリングされてドイツグラモフォンの国内盤で出ていて有名でした。どちらかと言えば運命の方が評判が良く、演奏会当時も非常な反響だったので無理もないことです。そのDGのCDはウィーンフィル150周年記念のCDで、EMI専属だったクレンペラーの演奏を150周年に組み入れたのは余程素晴らしい演奏会で、無視出来なかったということでしょう。記念切手的なCDです。なお、クレンペラーとウィーンフィルの共演はこの未完成交響曲のコンサートが最後になってしまい、1933年4月23日から1968年6月16日まで、全19回で終わりました。戦前は1936年以降11回のコンサートが予定されていたようですが、隣国の国家社会主義ドイツ労働者党の影響によりかないませんでした。1968年6月16日当日の演奏会は以下のようなプログラムです。
 

シューベルト:交響曲第8番 D.759「未完成」

R.シュトラウス:交響詩「ドン・ファン」Op.20

ワーグナー:ジークフリート牧歌

ワーグナー「トリスタンとイゾルデ」~第1幕前奏曲

ワーグナー:「マイスタージンガー」~第1幕前奏曲

演奏後に謎の声 ~~ この未完成交響曲の演奏が終わった直後に、ドイツ語で” Schön ”(美しい、素晴らしい)という言葉が男性の声で録音に入っています。ウィーンフィルの演奏を聴いて思わずそういう言葉が漏れるのは自然なことだと思われ、その声は雄叫びとかそんな絶叫調ではなく、ボソっと一言発したという感じです。ところで声の主は誰か、ということですが、普通に考えれば指揮者であるクレンペラーが自画自賛とVPOへの賛辞半分にそんな言葉を発したということになります。DGの解説にもクレンペラーの声と書かれてあります。ところがクレンペラーの晩年に秘書を務めた娘のロッテ=クレンペラーは、それは父の声ではないと証言しています。それでは誰の声なのかということになり、クレンペラー本人の声でなければあまり面白くないような気がします。そこで考えられるケースを整理すれば以下のようになります。ただ、今回同じ音源のCD2種を連続して聴いてみて思い出しましたが、”Schön”の声が入っているのは最初に発売されたドイツグラモフォンのCDだけで、テスタメントの方は入っていませんでした。両方とも演奏後の拍手は収録されていますので、後者は製品化の段階でカットされたのでしょうか。
 

  ~~  ” Schön ” の声は ~~

①やはりクレンペラー本人の声

②VPOの団員の誰かの声

③客席の誰かの声

④録音時の技術者が思わずそう言った

⑤演奏後、製品化する際に声が入ってしまった


 改めて件の声を聞いてみますと、ちいさな声ですがクレンペラーより若い気もします。とすれば、②、③くらいかもしれません。しかし、演奏以外に混入した雑音(あえて言えば)なので、クレンペラー的に言えば「それとシューベルトと何の関係があるのかね?」ということになるでしょう。
 

 クレンペラーの未完成交響曲は、1963年にEMIでセッション録音されたフィルハーモニア管弦楽団とのLPが一番一般的でした。ライブ録音では、今回のウィーンの他に、1956年のトリノ放送交響楽団、1966年のバイエルン放送交響楽団等があります(私筆者は完全に網羅していないので他にもあるかもしれない)。クレンペラーの未完成交響曲は、LPレコードの時代末期にドイツ盤のリマスター・廉価盤でやっと手に入って聴くことができた程なので、日本ではほとんど無視されていたと言えます。しかし、私筆者はLPで最初に聴いた時から何故これがここまで無視されるのか分からないと思え、非常に魅了されていました。既存の定着した未完成のイメージにとらわれない演奏でした。
 

①15分33 ②12分41 :1968年VPO

①14分25 ②11分23 :1966年バイエルン放送SO

①13分28 ②11分27 :1963年PO

①12分58 ②10分31 :1956年トリノ放送SO

 4種類のクレンペラー指揮による未完成交響曲の演奏時間(トラックタイム)は上記の通りで、多少の違いはあっても年を経る毎に演奏がゆっくりになっています。今回のウィーンフィルとの演奏が一番遅いテンポで、第1楽章だけでもEMIとのセッション録音と比べ2分以上の差があります。その分ウィーンフィルの美しさがゆったりと堪能できますが、クレンペラーの基本的な姿勢は変わりません。表層的な美しさやロマン性を醸成するのではなく、作品の構造を前面に浮き上がらせて、闘争的とも言える未完成像を打ち立てています。フィルハーモニア管・EMIとの録音にその特性が顕著に(露骨に)現れていて、そこが好悪の分かれるところだと思います。今回のウィーンPOの演奏では、テンポがより遅くなってやや角が取れたようにきこえることと、ウィーンフィルの使う楽器と名人芸による美しさが加味されているので印象が違ってきます。クレンペラーによる未完成交響曲の演奏は、違ったタイプの演奏によってその曲の魅力(の可能性)が広がることの一例だと思いました。
 

 小学生の頃読んだシューベルトの伝記に、彼がまだ晩年の傑作を世に出す前の頃にウィーンの宮廷の音楽家から曲を書いてくれと頼まれた時、酔っていたせいもあり、単なる楽師のような君らのために曲は書かない、自分は世界に名を知られた芸術家シューベルトだとか、およそ普段の言動からは想像もつかない激しい自負の言葉で拒絶した逸話を読んだことがあります。この史実の程は分かりませんが、どこか未完成交響曲にも流れる激しさに通じるお話だと思います。
 

 切手収集にはいろいろな方法があり、持たざる者でもそれなりの楽しみ方がありました。植物とかクリスマス、美術等のテーマ別というのも一つの手です。そういえば古今の作曲家と同様に演奏家も切手の図案になっています。クレンペラーを図柄にした切手が西ドイツから出ていました。

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raimund

昭和40年代生まれ、オットー=クレンペラーの大フアンです。クレンペラーが録音を残したジャンルに加え、教会音楽、歌曲、オペラが好きなレパートリーです。

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