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新・今でもしぶとく聴いてます

クレンペラーとフィラデルフィアO

19 9月

クレンペラー、フィラデルフィアOのエロイカ/1962年

210919aベートーヴェン 交響曲 第3番 変ホ長調 op.55「英雄」

オットー=クレンペラー 指揮
フィラデルフィア管弦楽団

*クレンペラー最後のアメリカ公演の年
(1962年10月19日 フィラデルフィア,アカデミー・オブ・ミュージック ライヴ 録音 Tobu Recordings)

210919b  以前よりメモリーズ(青白のデザイン)から発売されていて、音質がいま一歩、二歩だったクレンペラーが1962年にフィラデルフィアOに客演した公演集。それらがエロイカと田園を除いて正規音源から再発売されていました。さらにこの度「肝心のオール・ベートーヴェン・プログラムについては、オーケストラ・アーカイヴの音源に難があり、商品化が見送られておりました / 本年ついに良好な音源をペンシルバニア大学にて発見! これで3プログラムが全て揃いました 」と称して追加発売となりました。早速聴いてみると確かに音質は改善されていますが、エロイカの第1楽章は何となく金属的で微妙な印象です。これは残響が少ない会場の特徴とか色々あるので、セッション録音じゃないので、良い方なのでしょう。

210919c クレンペラーのエロイカは今ではかなり多くのCDが出ています。今回のものは1958年秋の大火傷による療養後の時期、ウィーン芸術週間でベートーヴェン・チクルスを演奏した後、1964年に自主運営のニュー・フィルハーモニア管弦楽団になる前の時期にあてはまります。EMIのレコードによって広く戦後のクレンペラーの演奏が浸透してきた時期にふさわしい、クレンペラーらしいテンポのエロイカです。余談ながら、このアメリカ公演の頃は、躁状態と鬱状態を周期的に繰り返すクレンペラーの、極度な鬱状態だったそうです。

 ~1959年以降、クレンペラーのエロイカ
フィラデルフィア・1962年ライヴ
①16分28②16分26③6分45④13分06 計52分45
PO・1959年・EMI
①16分36②16分52③6分36④13分14 計53分18
フィルハーモニア/1960年ライヴ・ウィーン芸術W
①15分30②14分36③6分07④12分10 計48分23
ウィーン交響楽団/1963年ライヴ・ORF
①15分54②15分05③6分17④12分41 計49分57

210919 この1962年のフィラデルフィア管弦楽団への客演はEMIの再録音と演奏時間が似ています。1962年前後のライヴ音源二種もクレンペラー・ファンには好評ですが、フィラデルフィアはそれよりもセッション録音の方に近い演奏時間になっています。クレンペラーのエロイカで特に日本では1959年のEMI盤が一番広く知られているでしょう。アメリカ公演当時、客席の反応は良好で、コロムビアレコードへのセッション録音の期待が一瞬膨らんだそうですが批評家層は良く言わず、クレンペラーの鬱症状もあってかアメリカでの録音計画は無くなりました。

 このエロイカを聴くとアメリカ録音計画が消えたのは残念で、オペラは無理でもマーラーあたりで録音しないで終わった作品をレコード録音していた可能性も想像してしまいます。今回のCD付属冊子の日本語訳にはクレンペラーの政治的姿勢、思考(けっこう支離滅裂)やらが載っていました。その中でフルトヴェングラーがニューヨーク・フィルの音楽監督に招かれた際の騒動時にクレンペラーが送った手紙のことが書いてありました。「芸術と政治が無関係であることは喜んで認めるが、芸術と道徳は不可分であると信じている」とフルトヴェングラーに書き送ったそうで、「道徳」とはどの口が言う、どの手がそれを書く?、と思わないでもないところです。まあ、ここでの道徳は、人間の命が水車小屋で摺りつぶされる麦粒のような扱いであることを認められない、認めるというのは普遍的な価値の問題であり、単なる立場や思想のレベルではない、くらいの重みと解釈して納得します。
2 5月

クレンペラー、フィラデルフィアOのブラームス第3/1962年

210502ブラームス 交響曲 第3番 ヘ長調op.90

オットー=クレンペラー 指揮
フィラデルフィア管弦楽団

*クレンペラー最後のアメリカ公演の年

(1962年10月27日 フィラデルフィア,アカデミー・オブ・ミュージック ライヴ 録音 Tobu Recordings

210502a 連休に入ってやけに静まりかえり、夜更けも酔っ払いが騒ぐでもなし、猫がうなるでもなし、これもコロナの緊急事態宣言の影響(猫は関係ない)のようです。ただ、テレビのニュース映像では京都市内の昼間は去年よりも混んでいるようです。葵祭の行列は今年も中止と発表されていて、本当に昨年から好転していないのではと思います。それはそれとして、クレンペラー誕生月間として、1962年にクレンペラーが最後にアメリカへ客演旅行した際にフィラデルフィア管弦楽団を指揮した公演の正規音源(ステレオ)からのCDを聴きました。既に複数のレーベルから出ていて、Memories からは三回の公演全部がCD化されていましたが、音質は良くなかったので正規音源のCDは大歓迎です。

210502b 実際に聴いてみると音質は良好で、前触れ・解説にあった「ホールの音響は残響が少ない、響かない」という特徴もよく出ています。その分どんな演奏なのか輪郭というか全体像がはっきりとして、遅めのテンポと情緒過多にならない控え目なクレンペラーらしいブラームスです。演奏時間はEMI盤と近似していますが、さらに熱気がこもり迫力があります。このアメリカ演奏旅行中のクレンペラーは極度の鬱状態で体重が年間で20キロくらい減ったと言われます。そこから回復したのが1963年だったそうですが、レッグが言うには鬱状態のクレンペラーの方が演奏は良かったとか。

~クレンペラーのブラームス第3番
フィラデルフィア/1962年
①13分32②8分14③6分02④09分39 計37分27
ニューPO・ライヴ/1971年
①15分05②9分25③6分40④11分03 計42分13
PO/1957年
①13分00②8分14③6分09④09分10 計36分33
VSO・ライヴ/1956年
①12分03②7分30③6分01④09分06 計34分40

210502c 
クレンペラーはブラームスの交響曲第3番を特に愛好していて、公開の演奏会を引退すると決めた最後の公演でもこの曲を選んでいます。このブラームス第3番が演奏された10月27日のプログラムはエグモント序曲、ブラームス第3番、シューマンの交響曲第4番で、どれも見事な演奏ですが短いエグモント序曲も冒頭から圧倒されます。この日の三曲ともクレンペラーはEMIのレコードとヨーロッパ各地でのライヴ音源が残っているのでその作曲家の中でも気に入りの作品なのだと思われます。

 1962年10月と11月にクレンペラーがフィラデルフィア管弦楽団に客演した公演は三回、10月19日(エロイカと田園交響曲)、今回の10月27日と11月3日(ブランデンブルク協奏曲第1番、ベートーヴェン交響曲第7番、モーツァルトのジュピター交響曲)でした。Tobu Recordings からの正規音源CDは、初回のエロイカ、田園の回がテープの状態が悪く製品化にたえないとして見送られました。なお、付属の解説の中にコロンビアレコードではクレンペラーとフィラデルフイア管弦楽団のレコーディングが計画されてていて、ブラームスの第2番が実現の手前くらいだったようです。
10 7月

クレンペラー、フィラデルフィア管のジュピター/1962年

190710モーツァルト 交響曲 第41番 K.551「ジュピター」

オットー・クレンペラー 指揮
フィラデルフィア管弦楽団

(1962年11月3日 フィラデルフィア,アカデミー・オブ・ミュージック ライヴ 録音 Memories)

 七月に入ると至る所で延々と祇園囃子を流しています。ひと月も続けば飽きがくるので一週ごとに編曲をかえるとかできないのかと思いながら、勝手に曲をいじってはだめなのかもしれないとも思って地下鉄のホームへ向かいました。今年も半分が過ぎた、同業者なんかが顔をあわせるととりあえず、当たり障りのない話題としてそれを切り出しますが、そういえば今年はまだコンサートに行っていないのを思い出しました(びわ湖ホールの神々の黄昏は欠席したので)。そこで北山方面へ行ったついでに京都コンサートホールへ寄り、京響の定期公演のチケットを購入しました。

~ クレンペラーのジュピター交響曲
フィラデルフィアO/1962年
①13分20②09分22③04分58④07分41 計35分21
EMI:PO/1962年
①09分17②09分08③04分48④06分43 計29分56
TESTAMENT:VPO/1968年
①12分23②09分11③04分24④08分58 計34分56
ケルン・ギュルツェニヒ/1956年9月
①11分42②08分10③04分30④08分30 計32分52
EMI・TESTAMENT:PO/1954年
①08分12②08分16③04分06④08分28 計29分02

 クレンペラーの命日期間はLPで再発売されたハスキルとの協奏曲が素晴らしかったので、結果的にクレンペラー・モーツァルト特集になっています。このCDはクレンペラーがフィラデルフィア管弦楽団へ客演した際の公演を集めたもので、EMIのセッション録音だけでなく他にも音源がある曲が並んでいます。当日のプログラムはバッハのブランデンブルク協奏曲第1番、モーツァルト交響曲第41番、ベートーヴェン交響曲第7番という組み合わせなので、1964年のベルリン・フィル客演と同じようにバッハ、モーツァルト、ベートーヴェンで揃えています。このジュピターに関しては音質が悪くて、テープがひっかかったように回転がおかしくなる箇所もあり、全体の雰囲気がうかがえるくらいの明瞭さにとどまっているのが残念です。同じ音源による別レーベルのCDも何種かあったようなので、あるいはそれらの方が聴き易いかもしれません。

 先日の交響曲第39番の時にいただいたコメントでも明らかなようにCDに付いているデータ、トラックタイムがはっきり間違っている場合もあるのでジュピター交響曲にもそんなデータが混じっているかもしれません。それでも一応列記してみるとフィラデルフィアのジュピターはさらに後年、1968年のウィーン芸術週間の時と似た演奏時間になっています。クレンペラー晩年の最終段階の入口くらいの時期と似ているというのは興味深いところです。CDの広告によると、ストコフスキー以来の配置をヴァイオリン両翼配置に改めさせ、リハーサル時間もたっぷりあったとなっています。

 この1962年、フィラデルフィアのジュピターの冒頭部分は、同じ年の演奏だけあったEMIの再録音と似たような出だし、テンポにきこえます。大昔、珍しくクラシック音楽に感心がある友人とクレンペラーのLPレコードで聴いた時は、蹴躓いてつんのめるような出だしに思わず笑い出しそうになると言われ、全然颯爽としていないジュピターなんだと指摘されました。それから、クレンペラーの指揮するモーツァルトが常にこんな感じではないと証明するために交響曲第25番のレコードを持ち出して再生したところ、同じ指揮者によるとは思えないと、その突っ走るような第25番に感心していました(どうよ、と内心)。

 ちなみチケットを購入した京響定期は、
八月の「天地創造(ダイクストラが客演、テノールの櫻田亮ほか)」、九月の「ブルックナー・弦楽五重奏からアダージョ/スクロヴァチェフスキ編曲、モーツァルト・ピアノ協奏曲第24番、ベートーヴェンの田園(下野竜也、ヤン・リシエツキ)」と両方とも好みのプログラムでした(絶好球じゃい)。ついでに七月、十月も惹かれ、十一月はカンブルランが客演します。
24 8月

クレンペラー、フィラデルフィア管の田園交響曲・1962年

ベートーヴェン 交響曲 第6番 ヘ長調 op.68 「田園」


オットー・クレンペラー 指揮

フィラデルフィア管弦楽団
 

(1962年10月19日 録音  Memories)
 

 このCDはクレンペラーが戦後にフィラデルフィア管弦楽団へ客演した演奏を集めたものの第二弾で、田園の他にブランデンブルク協奏曲第1番、ジュピター交響曲、ベートーベンの交響曲第7番がカップリング(二枚組)されています。1962年のフィラデルフィア管への客演は次のような三つのプログラムでした。 10月19日(ベートーヴェン「英雄」「田園」),10月28日(ブラームスSym.3、ベートーヴェン:「エグモント」序曲、シューマン:Sym.4),11月3日(バッハ:ブランデンブルク1番、モーツァルト:「ジュピター」、ベートーヴェン:Sym.7)。いずれもEMIへセッション録音している曲目です。以前にもCD化されたことがあったようですが聴いたことはなく、今世紀になるまで存在は知りませんでした。それに音質は1960年代なのに良くないと言われていました。今回のメモーリーズからの再発売でもやっぱり良好とは言えない音でした。
 

 しかし田園交響曲はなかなか聴き応えのあるものでした。ベルリンPOとのライヴ録音に似た演奏で、それにもっと潤いが加わったような瑞々しさです。といっても演奏時間は下記の通りで、フィルハーモニア管とのセッション録音よりさらに遅いものです。ただ、今回のフィラデルフィア盤は遅いのに躍動感のようなものが感じられ、クレンペラーの田園が好きな人ならこれだけでも聴く価値はあると思いました。
 

1962年・フィラデルフィアO
①13分46②13分34③6分51④3分42⑤9分34 計47分27

1964年・ベルリンPO
①13分08②13分27③6分41④3分35⑤9分47 計46分38
1957年・フィルハーモニア管
①13分04②13分22③6分33④3分43⑤9分12 計45分54


 この録音の時期のフィラデルフィア管弦楽団はユージン・オーマンディが首席で、前任者のストコフスキー時代から「フィラデルフィア・サウンド」として称賛されていました。そのストコフスキーはオーケストラの楽器配置を変えて、第1ヴァイオリンと第2ヴァイオリンをまとめて配置する方法をとりました。それに対してクレンペラーは従前の第1、第2ヴァイオリンを両翼に配置する方法を採用していたので、客演時にもその配置に戻したとされています。
 

 ところで、フィラデルフィア管弦楽団は1938年からストコフスキーの後任としてオーマンディが首席になりましたが、後任を選ぶ際にエーリヒ・クライバーやクレンペラー、ライナーも候補に挙がっていたそうです。それが指揮者としての器の小ささ、性格上の問題、出来のムラ等それぞれ難点があるとされて結局オーマンディに落ち着きました(カーティス音楽院の教授にしてストコフスキーの元妻が細かい分析をしていたという)。
 

 アメリカ亡命時のクレンペラーを考えれば性格上の問題というのは適切な?分析、判断だろうと思われます。「クレンペラーとの対話 P.ヘイワーズ編」の中でクレンペラーは、ストコフスキーと「フィラデルフィア・サウンド」を目が覚めるようだったと称賛しながら、「往年のフィラデルフィア管は今のようなものではなかった(インタビューは1960年代後半)」として、技量が落ちたと思わせるようなことを言っています。まさか自分がストコフスキーの後任候補に挙がって採用されなかったことを知ってのことではないでしょうが、オーマンディ時代は同楽団の黄金期と評されることもあるので意外な言葉です。

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昭和40年代生まれ、オットー=クレンペラーの大フアンです。クレンペラーが録音を残したジャンルに加え、教会音楽、歌曲、オペラが好きなレパートリーです。

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