オットー=クレンペラー 指揮
以前よりメモリーズ(青白のデザイン)から発売されていて、音質がいま一歩、二歩だったクレンペラーが1962年にフィラデルフィアOに客演した公演集。それらがエロイカと田園を除いて正規音源から再発売されていました。さらにこの度「肝心のオール・ベートーヴェン・プログラムについては、オーケストラ・アーカイヴの音源に難があり、商品化が見送られておりました / 本年ついに良好な音源をペンシルバニア大学にて発見! これで3プログラムが全て揃いました 」と称して追加発売となりました。早速聴いてみると確かに音質は改善されていますが、エロイカの第1楽章は何となく金属的で微妙な印象です。これは残響が少ない会場の特徴とか色々あるので、セッション録音じゃないので、良い方なのでしょう。
クレンペラーのエロイカは今ではかなり多くのCDが出ています。今回のものは1958年秋の大火傷による療養後の時期、ウィーン芸術週間でベートーヴェン・チクルスを演奏した後、1964年に自主運営のニュー・フィルハーモニア管弦楽団になる前の時期にあてはまります。EMIのレコードによって広く戦後のクレンペラーの演奏が浸透してきた時期にふさわしい、クレンペラーらしいテンポのエロイカです。余談ながら、このアメリカ公演の頃は、躁状態と鬱状態を周期的に繰り返すクレンペラーの、極度な鬱状態だったそうです。
~1959年以降、クレンペラーのエロイカ
この1962年のフィラデルフィア管弦楽団への客演はEMIの再録音と演奏時間が似ています。1962年前後のライヴ音源二種もクレンペラー・ファンには好評ですが、フィラデルフィアはそれよりもセッション録音の方に近い演奏時間になっています。クレンペラーのエロイカで特に日本では1959年のEMI盤が一番広く知られているでしょう。アメリカ公演当時、客席の反応は良好で、コロムビアレコードへのセッション録音の期待が一瞬膨らんだそうですが批評家層は良く言わず、クレンペラーの鬱症状もあってかアメリカでの録音計画は無くなりました。
このエロイカを聴くとアメリカ録音計画が消えたのは残念で、オペラは無理でもマーラーあたりで録音しないで終わった作品をレコード録音していた可能性も想像してしまいます。今回のCD付属冊子の日本語訳にはクレンペラーの政治的姿勢、思考(けっこう支離滅裂)やらが載っていました。その中でフルトヴェングラーがニューヨーク・フィルの音楽監督に招かれた際の騒動時にクレンペラーが送った手紙のことが書いてありました。「芸術と政治が無関係であることは喜んで認めるが、芸術と道徳は不可分であると信じている」とフルトヴェングラーに書き送ったそうで、「道徳」とはどの口が言う、どの手がそれを書く?、と思わないでもないところです。まあ、ここでの道徳は、人間の命が水車小屋で摺りつぶされる麦粒のような扱いであることを認められない、認めるというのは普遍的な価値の問題であり、単なる立場や思想のレベルではない、くらいの重みと解釈して納得します。