オットー・クレンペラー 指揮
ケルン・ギュルツェニヒ管弦楽団
(1956年9月9日 モントルー ライヴ録音 Altus)
毎年今頃の季節にはTVのニュース(ローカルか)でカル鴨の親子が引っ越しするところを警察官が護衛に出て皆で見守るというのを放送しています。多分全国的にそういう名所のようなところがあるのでしょうが、京都市では京阪三条駅の北東側至近にあるお寺の池から鴨川に移動するのが恒例になっていました。今年はそのネタをやっていないと思ったらコロなのためにそれどころじゃないのでしょう、去年もやってなかったかもしれません。思えばそんなことがニュースになるくらい平和だったということか思います。
1956年のモントルー・ヴヴェイ音楽祭の9月9日にクレンペラーがクララ・ハスキルと共演したモーツアルトのピアノ協奏曲第27番は有名でしたが、二年程まえに当日のプログラム全部を収めた正規音源(スイスルマンド放送)からのLPレコードが発売されました(今度はCD化されるようで順序が逆)。この音楽祭は1946年から始まり、8月と9月の約2週間が開催期間であり、現在は「クララ・ハスキル国際ピアノ・コンクール本選」も組み込まれているそうです。1956年は生誕二百年のモーツアルト・イヤーだったこともあり、オール・モーツアルトのプログラム、交響曲第29番、ピアノ協奏曲第27番、セレナーデ第13番「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」、交響曲第41番「ジュピター」という組み合わせです。協奏曲以外はEMI盤やライヴ音源があり、クレンペラー得意の作品ばかりです。ジュピター交響曲は1951年のイギリス音楽祭でクレンペラーがフィルハーモニア交響楽団を指揮して演奏した公演をレッグが聴き、それがきっかけで翌年にEMIと契約することになりました。
今回のジュピターもかなり魅力的でこれ以後の演奏よりも端正で整っているという印象です。はじめてクレンペラーのジュピターを聴いたEMI盤のLP(多分再録音)よりも第1楽章の冒頭部分が力強く安定しています。それに全体的にちからがみなぎり、後半楽章がはつらつとして、特に終楽章はやや前のめり気味で疾走感も出ています。昨日のクレンペラーのインタビューのこたえ、「バッハやモーツァルトについては、作品をどのように演奏するかを事前に組み立てることはせずに、作曲家の真意に同期できるように努力する」という姿勢がこのジュピター交響曲の演奏では見事にあてはまるような感じです。演奏時間は下記のようにバラつきがありますが、合計時間が29分台のセッション録音二種と35分程度の客演ライヴ二種の中間くらいになっています。主題リピートの関連もあり何とも言い難いところながら第2楽章は1954年のEMI盤と近似しています。
毎年今頃の季節にはTVのニュース(ローカルか)でカル鴨の親子が引っ越しするところを警察官が護衛に出て皆で見守るというのを放送しています。多分全国的にそういう名所のようなところがあるのでしょうが、京都市では京阪三条駅の北東側至近にあるお寺の池から鴨川に移動するのが恒例になっていました。今年はそのネタをやっていないと思ったらコロなのためにそれどころじゃないのでしょう、去年もやってなかったかもしれません。思えばそんなことがニュースになるくらい平和だったということか思います。
1956年のモントルー・ヴヴェイ音楽祭の9月9日にクレンペラーがクララ・ハスキルと共演したモーツアルトのピアノ協奏曲第27番は有名でしたが、二年程まえに当日のプログラム全部を収めた正規音源(スイスルマンド放送)からのLPレコードが発売されました(今度はCD化されるようで順序が逆)。この音楽祭は1946年から始まり、8月と9月の約2週間が開催期間であり、現在は「クララ・ハスキル国際ピアノ・コンクール本選」も組み込まれているそうです。1956年は生誕二百年のモーツアルト・イヤーだったこともあり、オール・モーツアルトのプログラム、交響曲第29番、ピアノ協奏曲第27番、セレナーデ第13番「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」、交響曲第41番「ジュピター」という組み合わせです。協奏曲以外はEMI盤やライヴ音源があり、クレンペラー得意の作品ばかりです。ジュピター交響曲は1951年のイギリス音楽祭でクレンペラーがフィルハーモニア交響楽団を指揮して演奏した公演をレッグが聴き、それがきっかけで翌年にEMIと契約することになりました。
今回のジュピターもかなり魅力的でこれ以後の演奏よりも端正で整っているという印象です。はじめてクレンペラーのジュピターを聴いたEMI盤のLP(多分再録音)よりも第1楽章の冒頭部分が力強く安定しています。それに全体的にちからがみなぎり、後半楽章がはつらつとして、特に終楽章はやや前のめり気味で疾走感も出ています。昨日のクレンペラーのインタビューのこたえ、「バッハやモーツァルトについては、作品をどのように演奏するかを事前に組み立てることはせずに、作曲家の真意に同期できるように努力する」という姿勢がこのジュピター交響曲の演奏では見事にあてはまるような感じです。演奏時間は下記のようにバラつきがありますが、合計時間が29分台のセッション録音二種と35分程度の客演ライヴ二種の中間くらいになっています。主題リピートの関連もあり何とも言い難いところながら第2楽章は1954年のEMI盤と近似しています。
~ クレンペラーのジュピター交響曲
ケルン・ギュルツェニヒ/1956年*④拍手除外
①11分42②08分10③04分30④08分17 計32分39
EMI・TESTAMENT:PO/1954年
①08分12②08分16③04分06④08分28 計29分02
フィラデルフィアO/1962年
①13分20②09分22③04分58④07分41 計35分21
EMI:PO/1962年
①09分17②09分08③04分48④06分43 計29分56
TESTAMENT:VPO/1968年
①12分23②09分11③04分24④08分58 計34分56
この公演の1956年は既にフィルハーモニア管弦楽団とレコーディングを始めている頃になり、同年11月には夫人のヨハナが亡くなっています。ヨハナはソプラノ歌手でありクレンペラーがケルン歌劇場の監督時代に結婚していました。その時点で既に他の男性との間に生まれた婚外子をかかえていたとか。しかし奇行、トラブルが絶えないクレンペラーをよく支えて(忍耐して)、アメリカ時代にクレンペラーがポストを失って、客演も少ない時代には彼女の蓄えた資金によって楽団員を募ってクレンペラー健在をアピールするコンサートを開きました。それはともかく1956年の9月にはまだ彼女は療養中か健在なのかよく分かりませんが、とにかく亡くなる前でした。
この公演の1956年は既にフィルハーモニア管弦楽団とレコーディングを始めている頃になり、同年11月には夫人のヨハナが亡くなっています。ヨハナはソプラノ歌手でありクレンペラーがケルン歌劇場の監督時代に結婚していました。その時点で既に他の男性との間に生まれた婚外子をかかえていたとか。しかし奇行、トラブルが絶えないクレンペラーをよく支えて(忍耐して)、アメリカ時代にクレンペラーがポストを失って、客演も少ない時代には彼女の蓄えた資金によって楽団員を募ってクレンペラー健在をアピールするコンサートを開きました。それはともかく1956年の9月にはまだ彼女は療養中か健在なのかよく分かりませんが、とにかく亡くなる前でした。