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新・今でもしぶとく聴いてます

クレンペラーとケルン・ギュルツェニヒ

12 5月

クレンペラー、ケルンGOのジュピター/1956年

210512zモーツァルト 交響曲 第41番 ハ長調 K.551

オットー・クレンペラー 指揮
ケルン・ギュルツェニヒ管弦楽団

(1956年9月9日 モントルー ライヴ録音 Altus)

 毎年今頃の季節にはTVのニュース(ローカルか)でカル鴨の親子が引っ越しするところを警察官が護衛に出て皆で見守るというのを放送しています。多分全国的にそういう名所のようなところがあるのでしょうが、京都市では京阪三条駅の北東側至近にあるお寺の池から鴨川に移動するのが恒例になっていました。今年はそのネタをやっていないと思ったらコロなのためにそれどころじゃないのでしょう、去年もやってなかったかもしれません。思えばそんなことがニュースになるくらい平和だったということか思います。

210512a 1956年のモントルー・ヴヴェイ音楽祭の9月9日にクレンペラーがクララ・ハスキルと共演したモーツアルトのピアノ協奏曲第27番は有名でしたが、二年程まえに当日のプログラム全部を収めた正規音源(スイスルマンド放送)からのLPレコードが発売されました(今度はCD化されるようで順序が逆)。この音楽祭は1946年から始まり、8月と9月の約2週間が開催期間であり、現在は「クララ・ハスキル国際ピアノ・コンクール本選」も組み込まれているそうです。1956年は生誕二百年のモーツアルト・イヤーだったこともあり、オール・モーツアルトのプログラム、交響曲第29番、ピアノ協奏曲第27番、セレナーデ第13番「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」、交響曲第41番「ジュピター」という組み合わせです。協奏曲以外はEMI盤やライヴ音源があり、クレンペラー得意の作品ばかりです。ジュピター交響曲は1951年のイギリス音楽祭でクレンペラーがフィルハーモニア交響楽団を指揮して演奏した公演をレッグが聴き、それがきっかけで翌年にEMIと契約することになりました。

210512b 今回のジュピターもかなり魅力的でこれ以後の演奏よりも端正で整っているという印象です。はじめてクレンペラーのジュピターを聴いた
EMI盤のLP(多分再録音)よりも第1楽章の冒頭部分が力強く安定しています。それに全体的にちからがみなぎり、後半楽章がはつらつとして、特に終楽章はやや前のめり気味で疾走感も出ています。昨日のクレンペラーのインタビューのこたえ、「バッハやモーツァルトについては、作品をどのように演奏するかを事前に組み立てることはせずに、作曲家の真意に同期できるように努力する」という姿勢がこのジュピター交響曲の演奏では見事にあてはまるような感じです。演奏時間は下記のようにバラつきがありますが、合計時間が29分台のセッション録音二種と35分程度の客演ライヴ二種の中間くらいになっています。主題リピートの関連もあり何とも言い難いところながら第2楽章は1954年のEMI盤と近似しています。

~ クレンペラーのジュピター交響曲
ケルン・ギュルツェニヒ/1956年*④拍手除外
①11分42②08分10③04分30④08分17 計32分39
EMI・TESTAMENT:PO/1954年
①08分12②08分16③04分06④08分28 計29分02
フィラデルフィアO/1962年
①13分20②09分22③04分58④07分41 計35分21
EMI:PO/1962年
①09分17②09分08③04分48④06分43 計29分56
TESTAMENT:VPO/1968年
①12分23②09分11③04分24④08分58 計34分56

210512c この公演の1956年は既にフィルハーモニア管弦楽団とレコーディングを始めている頃になり、同年11月には夫人のヨハナが亡くなっています。ヨハナはソプラノ歌手でありクレンペラーがケルン歌劇場の監督時代に結婚していました。その時点で既に他の男性との間に生まれた婚外子をかかえていたとか。しかし奇行、トラブルが絶えないクレンペラーをよく支えて(忍耐して)、アメリカ時代にクレンペラーがポストを失って、客演も少ない時代には彼女の蓄えた資金によって楽団員を募ってクレンペラー健在をアピールするコンサートを開きました。それはともかく1956年の9月にはまだ彼女は療養中か健在なのかよく分かりませんが、とにかく亡くなる前でした。
2 7月

クレンペラーのジュピター交響曲 ケルン・ギュルツェニヒO

190702モーツァルト 交響曲 第41番 K.551「ジュピター」

オットー・クレンペラー 指揮
ケルン・ギュルツェニヒ管弦楽団

(1956年9月9日 モントルー ライヴ録音 Altus)

190627b クレンペラーが1930年代にドイツを去るまでにポストを得たことがあるのは歌劇場の指揮者、音楽監督でした。プラハ、ハンブルク、バルメン、シュトラスブルク、ケルン、ヴィスバーデン、ベルリン。第二次大戦後にクレンペラーが客演している放送局のオーケストラ、ケルンRSOやハンブルクの北ドイツRSO、ベルリンRSO(RIAS)も戦前はそこの歌劇場で指揮していたので、何らかのオーケストラのみのコンサートもあったはずです。ケルン・ギュルツェニヒ管弦楽団は、ケルン歌劇場のオーケストラがシンフォニー等のコンサートをするときの編成、名称という位置付けでクレンペラーが歌劇場にいた頃はアーベントロートがコンサートで指揮していました。それで団員採用に関してクレンペラーと揉めたことがありました。歌劇場の方はギュンター・ヴァントが1939年から楽長(第一カペルマイスター)になり、
ギュルツェニヒ管弦楽団は1946年から1974年まで音楽監督を務めています。

 *書いている途中で1956年と1954年を混同してしまい、この録音が1954年だったと一瞬勘違いしていました(横線で消しているのはその混同していた部分です。しれっと訂正するところながら、棒線にしなければまたこんがらがりそうなので)。

 1956年のモントルー・
ヴヴェイ音楽祭にクレンペラーが客演したのはヴァントの招きによるものだったそうで、音楽祭の後にヴァントがジュピターやアイネ・クライネも録音していてその演奏にはクレンペラーの影響が表れているとLPの解説には載っていました。クレンペラーはこの公演の翌月にの二年前、1954年10月にジュピター交響曲をセッション録音(EMI初回/TESTAMENTで復刻)しているので、ごく近い比較的近い機会に違うオーケストラを指揮した記録があるのは興味深いものです。トラックタイムを比べると第1楽章以外は数秒程度の違いで、第1楽章は主題反復の有無の差ではないかと思われます。それからモントルーのライヴは残響が少な目な会場のようで、それにリマスターの過程でそうなっているのか響きの先端を刈り込まれたような独特な聴こえ方です。

~ クレンペラーのジュピター交響曲
ケルン・ギュルツェニヒ/1956年9月
①11分42②08分10③04分30④08分30 計32分52
EMI・TESTAMENT:PO/1954年
①08分12②08分16③04分06④08分28 計29分02
EMI:PO/1962年
①09分17②09分08③04分48④06分43 計29分56
TESTAMENT:VPO/1968年
①12分23②09分11③04分24④08分58 計34分56

 ピアノ協奏曲第27番の時は即物度が増した演奏のような印象でしたが、EMIのセッション録音を念頭に(思い出しながら)聴くとこの公演の演奏が特別という風でもないようでした。ジュピターの冒頭部分はEMIの再録音でも、鋭くない独特の軽さ、停滞加減ですが、その感じはモントルーでの公演も同じです。ただ、第1、3楽章は何となく急ぎ加減で少し前のめりな感じがして、クレンペラーとしては珍しいかと思いました。ウォルター・レッグがフィルハ-モニアの公演で気に入ってクレンペラーとの契約の契機の一つなったとされる終楽章はひと際目立っていました。なお、EMIの再録音の終楽章だけが6分台なのはちょっと気になるので聴き直したいと思いました。

 G.ヴァントは読響やN響へ昭和40年代から客演していましたが、CDを聴いたのはケルン放送交響楽団とのブルックナーやシューベルトが最初でした。それから北ドイツ放送交響楽団とのブラームスやベートーヴェンも国内盤仕様で出回るようになりましたが、それくらいの時期に演奏を聴いてクレンペラーとの共通をすぐに連想することはありませんでした。しかしヴァアントはクレンペラーのベートーヴェンを理想としたり、かなり傾倒しているようでした。その点はギーレンと似ていて、もっと若い世代のアシュケナージらも含めて小さくても一家(次郎長一家とかの一家)を構成できるくらい賛同者は居たのだなと思いました。
27 6月

クレンペラー、ハスキル モーツァルトピアノ協奏曲第27番

190627モーツァルト ピアノ協奏曲 第27番 変ロ長調 K. 595

オットー・クレンペラー 指揮
ケルン・ギュルツェニヒ管弦楽団

クララ・ハスキル:ピアノ

(1956年9月9日 モントルー ライヴ録音 Altus)

190627a クレンペラーの命日が近くなってきたので例年通りクレンペラー週間に切り替え、今年はその後シーズンオフとする予定です。ということで今回は最近発売されたクレンペラーのLPです。1990年前後、クレンペラーの協奏曲の音源がCD化されて、アラウやアシュケナージの他にクララ・ハスキル(Clara Haskil 1895年1月7日 - 1960年12月7日)との共演もありました。ハスキルとのモーツァルトはピアノ協奏曲第20番、第27番が出ていました。特に第27番は有名でしたが発売当初はそこそこ高価なこともあって購入してませんでした。それに広告の文言から何となくハスキルの方が看板というニュアンスがして、クレンペラーのフアンとしてはひがみ根性から気を悪くしたという面もありました(姐と共演しておやっさんの株が上がるみたいな言われ方は気に入らんのう)。

 その後ピアノ協奏曲第27番は当日のプログラム全部(モーツァルト交響曲第29番、ピアノ協奏曲第27番、アイネ・クライネ・ナハトムジーク、ジュピター交響曲)が入った二枚組CD(Cascavelle
)として出たものもありました。そのCDは二枚目にジュピターの後にハスキルがアンセルメと共演したシューマンの協奏曲が入っていて、それもちょっと微妙でした(どうせならハスキルだけの演奏で埋めてほしかった)。

190627b 今回聴いたのは1956年9月9日当日、オール・モーツァルトの公演全部をおさめたLPです。スイス・ロマンド放送にのこされていたテープから作製したものでモノラルの鮮明な音質です。ただ、その二枚組CDと段違いと言うほどの差は無いので割高感はぬぐえません。それはともかく、ハスキルのピアノも含めてこの第27番は感銘深く見事なものだと思いました。クレンペラーのこの年代としては普通のテンポかもしれませんが、かなり控え目に聴こえます。録音自体がピアノの音が前に出て残響が少ないのでよけいにそう感じるとしても、同時期のEMI盤の管弦楽作品に比べると即物的、こじんまりとした演奏です。LPの解説にもあるように克明、明晰なオーケストラ演奏がハスキルのピアノと相性が良いのだろうと思いました。下記のトラックタイム、バレンボイムの弾き振りと差が大きいのは意外です(終楽章は拍手の部分をLP、CD表記の時間から除きましたが当初から拍手部分が除かれていたかもしれず、その点は未確認)。

クレンペラー,ハスキル/1956年
①13分04②6分48③7分45計27分37
バレンボイム/1968年
①14分31②8分38③8分56計32分06
アンダ,ザルツブルク/1969年
①13分58②8分05③8分11計30分14

 ただ、二人の志向するモーツァルトは対照的でハスキルのピアノは神経質で閉ざされた狭い空間に響くような独特の美しさで、昔はこのモーツァルト演奏はあまり好きではなくてハスキルのCDはわざわざ購入するまでには至りませんでした。クレンペラーはキャリアの最初期はピアニスト志望だったそうですが下宿先の大家が「騒々しいピアノ」と思うような弾き方だったのでハスキルとは全然違いそうです。しかし意外なことに非常にあがり症で大勢の前で演奏をする前には汗をかいたと本人が言っていました。この点は舞台恐怖症になった時期があるというハスキルと似ています。二人の共通点はユダヤ系であるためナチ時代には苦労したこと、脳腫瘍の手術を受けたことがあるというのがありました。
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昭和40年代生まれ、オットー=クレンペラーの大フアンです。クレンペラーが録音を残したジャンルに加え、教会音楽、歌曲、オペラが好きなレパートリーです。

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