オットー=クレンペラー 指揮
五月はクレンペラーの誕生月に加えて今年はメモリアル年(没後50年)なのにどうも更新が低調です。ところでコンビニの店員は勤務シフトがあるので時間帯によって違っていて、昼間はアジア系の外国人が増え、早朝は高齢者が目立っています。コンビニじゃなくても高齢者が早朝、まだ暗い時間帯に物品の納入をしているケースもよく見かけますが、老人ホームの宿直も当人が施設を利用していもおかしくないと見える人が担当していることがありました。利用する立場になると介護系の現場も人手不足の上に予算が十分でないことが見てとれます。施設、事業所、制度を維持、継続していくことだけでも大変というのが分かりました。時々思い出してしまいます。
これはクレンペラーがアムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団に客演した(1947年から1961年)公演を集めたSACD集の中の一枚で、クレンペラーが同オーケストラとの二回目のベートーヴェン・チクルスを行った際の第7番です。アムステルダムだけでも四度(1947年、1951年、1956年、1958年)も九曲の交響曲を集中的に公演で取り上げるのは特別に見えますが、オーケストラにとってはどうも恒例の行事のようなものだったようです。この年代のコンセルトヘボウ管弦楽団はメンゲルベルクからベイヌムが首席(1945~1959年)に替ったので、演奏もクレンペラーと通じるところがあったので好都合(客演し易い)だったことでしょう。
この1951年4月2日のベートーヴェン第7番はラジオ・ネーデルランドのテープによるもので、客席の拍手等も入っています(付属冊子のトラックタイムにはそれが含まれる)。聴き易い音質ながら、演奏自体は同時期の有名なマーラー第2番(1951年7月12日)とはちょっと違っています。1950年代前半のクレンペラーの他のライヴと似た傾向なのは当然としても、後の第7番と共通する各楽章のバランスや時間、リズムの感覚が感じられます。復活の方は即物的で荷物を床に投げ出すような無造作な感触と、やたら熱気がこもった演奏という印象が刻み込まれていますが、新しいこのSACD集にも含まれているので聴きなおすとまた違う印象になるかもしれません。
①11分09②08分40③7分58④7分03 計34分50
NDRSO/1955年
この曲は終楽章でかなり盛り上がるので、コーダに近付くにつれてテンポがはやくなる、なっているように感じるというケースもありますが、クレンペラーは当然そういうことを志向しておらず、それは最晩年でもこの年代でも基本的には同じです。この1951年4月2日の第7番の終楽章はかなり熱がこもっていて、突っ走りそうな趣です。それでも最後まで端正な造形を示して完結しているのはさすがです。ただ、先日の1968年年のEMI盤等は突っ走るの逆で、なかば重りを増やして勢いを止めるように浮揚させる感じなので、それを思えば今回のACO録音は勢いのようなものは感じられます。この年の3月22日にはメンゲルベルクが死去し、3月31日にはクレンペラーがその追悼コンサートを指揮したので、この4月2日はその二日後ということになります。