raimund

新・今でもしぶとく聴いてます

指:サヴァリッシュ

6 3月

ブルックナー交響曲第6番 サヴァリッシュ、バイエルン/1981年

240306bブルックナー 交響曲 第6番 イ長調 WAB106(1881年ノヴァーク版)

ヴォルフガング・サヴァリッシュ 指揮
バイエルン国立管弦楽団 

(1981年10月13,14日 ミュンヘン大学大ホール 録音 Orfeo)

240306 先月、二月半ばに身内が救急搬送されて入院しましたが、総合病院は感染対策で面会停止措置を継続中のため、入院者側は荷物の受け渡し程度(買い物や支払いも)しかすることはありません(勝手な言い方をすれば、それはそれで助かります)。しかし病院側は大変で、看護師、薬剤師、リハビリ担当、清掃・ごみ回収、介護施設関連etc、入れ替わりに色々な人が出入りしています。ああ、そういえば訪問介護の報酬を引き下げるとか報道されていましたが、正当な業務に報いることをしなければサービスの質の前に量、人手不足さえ補えないのじゃないかとしみじみ思います。日曜日の午後に売店で使う小銭、病棟内を歩く際の上着等を届けにいくと、休日診療やら発熱外来に人が押し寄せていました。商売の原則なら需給が逼迫してこそうま味が出るとして、少しは医師も参入余地があるのじゃないかと。

 先日の「影のない女」、「ばらの騎士」のオーケストラ、バイエルン国立歌劇場のオーケストラをサヴァリッシュが指揮してブルックナーの交響曲を何曲か録音していました。全部ではなかったはずで、第1番、第6番とひと昔前だったら珍しかった曲も録音していたので中古やらも含めて集めていました。過去記事では第9番を扱ったはずで、その時は今一つな印象だったので続けて取り上げる気が失せていました。今回の第6番は普通の第6番といった感じで、演奏時間の合計ではあまり突出していません。第9番のときも他の作曲家の交響曲演奏としては普通のスタイルと言えるかもしれませんが、それのことは置くとして、ヨッフムとかシュタインらと大差ない合計時間です。

サヴァリッシュ・バイエルン/1981年
①14分17②17分35③08分26④14分33 計54分51
カイルベルト・BPO/1963年
①17分06②14分40③08分46④15分18 計55分50
クレンペラー・ニューPO/1964年EMI
①17分02②14分42③09分23④13分48 計54分55
ヨッフム・バイエルン放送SO/1966年
①16分31②17分08③07分55④13分20 計54分54
ハイティンク・ACO/1970年
①15分16②17分25③07分51④13分27 計53分59
シュタイン・VPO/1972年
①16分42②16分10③08分06④13分43 計54分41
ヴァント・ケルンRSO/1976年
①15分35②15分04③08分45④13分39 計53分03
ヨッフム・SKD/1978年
①16分11②18分36③07分58④13分35 計56分20

 改めて聴いてみると、第1楽章が開始部分からあっさりと、サクサクと進み、味気が無い程じゃないけれど少し意表をつかれます。ムーティがベルリン・フィルに客演した時のようなやたらとティンパニを強打しないのは良かったと思いました。この演奏は第2楽章のアダージョが格別で、月並みながら本当にうっとりする
美しさです。続く第3楽章は極端に緩急の差が強調されずに、窮屈でもないのでバランスもよく感じられます。各楽章の演奏時間、楽章間のバランスをみるとクレンペラー、カイルベルトの第1、第2楽章の演奏時間は類似していて、順にそれぞれ17分少々と14分40程度ですが、サヴァリッシュは逆になり、第2楽章が17分半以上で第1楽章が14分台になっています。アダージョ楽章に時間をかけて歌わせるということかと思われ、ヨッフムも似た傾向ですが、サヴァリッシュ程は第1、2楽章の差は大きくなっていません。

  録音場所が大学のホールとなっていて、これの影響なのかサヴァリッシュの他の録音より残響が目立って、鮮明さが後退しているような気もしました。CDのパッケージに載った寸評には、ブルックナーもシューベルトの後継になり得る証拠、明快な演奏、著しく新鮮という好評が並んでいました。これをみるとブルックナーを特別視して扱った演奏ではないというニュアンスのようで、これが日本で(も)サヴァリッシュが特別にブルックナー指揮者として騒がれなかった理由かもしれないと思いました。
そもそもブルックナーだけに適性を示すようなことがあるのかも定かでなく、商業広告的な面も大きいと思います。クレンペラーあたりもベートーヴェンを指揮しても同じ傾向、緩徐楽章を速めにしてスケルツォ楽章を遅めに演奏していて、ヨッフムやカイルベルトのベートーヴェンも彼らがブルックナーを指揮する時のやり方と大して違わないのではと思います。
26 2月

「影のない女」サヴァリッシュ、ミュンヘン・オペラ1992年来日

240227bR.シュトラウス 歌劇「影のない女」 

ヴォルフガング・サヴァリッシュ 指揮
バイエルン国立歌劇場管弦楽団
バイエルン国立歌劇場合唱団(合唱指揮ウド・メアポール

皇帝:ペーター・ザイフェルト
皇后:ルアナ・デヴォル
乳母:マルヤナ・リポヴシェク
染物屋バラク:アラン・タイタス
バラクの妻:ジャニス・マーティン
使者:ヤン=ヘンドリック・ローターリング
若い男の声:ヘルベルト・リッパート
鷹の声:アンナヘア・ストゥムフィス
敷居の護衛官:キャロライン・マリア・ペトゥリッグ
上方からの声:アン・サルヴァン
~バラクの兄弟~
ヘルマン・ザペル(隻眼)
アルフレッド・クーン(隻腕)
ケヴィン・コナーズ、他


演出:市川猿之助
装置:朝倉摂
舞台美術:金井隆志
照明:吉井澄雄
衣装:毛利臣男
振付:藤間勘紫乃

(1992年11月8,11日 愛知県芸術劇場におけるライヴ収録 ARTHAUS

240227a これはR.シュトラウスのメモリアル年に企画発売された「DVD箱ものオペラ七作品」で、在庫がしばらく残っていたところを新型コロナ期間中に半額以下で買っていたものでした。LPくらいのサイズの薄い箱に冊子とDVDが入っていて、すでに持っているものが複数ありましたが今回の「影のない女(ミュンヘン・オペラ来日公演)」とか、もっと古いものもあったので購入しました。この「影のない女」は愛知県芸術劇場のこけら落とし公演として1992年11月に上演された際にハイビジョン収録されたものでした。サヴァリッシュの希望で来日公演の演目に入ったそうで、三代目市川猿之助が演出を担当してます。そのため皇帝、皇后、乳母は顔を白く塗り、歌舞伎風の派手な飾りを付けています。それでバラク夫妻ら庶民とは外見の差が大きすぎる気がしました。しかし身びいきかもしれませんが総じて視覚的にも素晴らしい舞台でした。そうしたことよりも全曲が終わったあとの清々しさ、充足感はまれに得られるものでした。あと会場の客席が立派なのにもちょっと感心して、中之島のフェスティバルホールを軽く上回りそうです。さすがバブル崩壊直前(ギリギリか)といったところかも。

 「影のない女」は複雑な、奥の深い作品なので、あらすじを知った上でCDなりレコードで音声だけ聴いてもなかなか場面が目に浮かびにくいのじゃないかと思っていました。それはひとによるのでしょうが、自分の場合は今回映像ソフトを観て台本と音楽、物語が共鳴するような感銘を受けました。歌の方では第二幕最後の方でバラクが嫁を剣で刺そうとする場面、第三幕最初のバラク夫妻の嘆きの二重唱が特魅力的です。今回はバラクがアラン・タイタス、嫁がジャニス・マーティンでなんとなく視覚的にも訴えるものがあり、衣装は皇帝、皇后より当然格段に地味なのに抜群の存在感です。声量も歌も今回は嫁/マーティンの方がより魅力的で圧倒されました。彼女はこのブログ過去記事で扱ったCD等では出演していなかったと思いますが、タイタスはボエーム(ケント・ナガノ)、ファルスタッフ(コリン・デイヴィス)に登場していました(ただしどんな歌唱だったか思い出せない)。

 その二人にまさるとも劣らない感銘度がちょっと気の毒な結末の乳母、リポヴシェクです。彼女は過去記事で扱ったものでは同じくサヴァリッシュ、ミュンヘン・オペラの指環、ハイティンク・バイエルンRSOの指環、バレンボイムのトリスタン、ショルティのファルスタッフに登場しています。彼女はフリッカ、プランゲーネあたりは何となく覚えていました。ペーター・ザイフェルトも皇帝にふさわしく輝かしい声で、もう少し前ならそこそこ元気なポップ(1964年のカラヤン、ウィーンでは鷹や敷居の護衛etc、もうちょっと後なら皇后あたりを歌ったことはあるのか??)と夫婦共演できたのにと思いました。しかしデヴォルの皇后も衣装、外観も含めて素晴らしくて、いじめっ子のようなオルトルートだった2006年バルセロナのローエングリン(教室が舞台になるあの演出)とは全然印象が違います(違い過ぎて気が付かない)。それ以外でも歌手、コーラスは皆良かったと思い、ソフトの音質も良好でした。

 この作品は1917年に「ナクソス島のアリアドネ」に次いで完成し、1919年にウィーンで初演されました。エレクトラほど派手、けばい?オーケストラの音響じゃないものの、時々ワーグナーを思い出させ、また繊細なところもあり、今回のサヴァリッシュ指揮のミュウヘン・オペラの演奏は充分魅力を発揮していました。NHKがハイビジョンで収録したということですが、少し前にTV放送もしたミュンヘンでの指環四部作よりも画質、音質も良かったと思います。最後は二つの橋の上に皇帝、皇后とバラク夫妻がそれぞれ寄り添う四重唱でハッピーエンド的に終わり、本当の夫婦になったようなめでたく、幸せな空気です(乳母はかわいそう)。なお、この作品も慣習的にカットして上演されるそうですが、数少ないカット無しのショルティ盤、映像無しのサヴァリッシュ盤と照合すればカットの箇所は分かるはずです。
14 8月

ベートーヴェンの田園交響曲 サヴァリッシュ、RCO/1991年

210814ベートーヴェン 交響曲 第6番 ヘ長調 op.68「田園」

ウォルフガング・サヴァリッシュ 指揮
ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団
(アムステルダム・コンセルトヘボウ)

(1991年3月11,14,15月 アムステルダム,コンセルトヘボウ 録音 ワーナー/EMI)

 
前回のヨッフムの田園の際、ハイティンクが指揮してベートーヴェンを録音したのをこのオーケストラだと勘違いしていましたが、正しくはロンドン・フィルでした。ヨッフムの全集から十年も経たないのに凄い(なぜ?)と思ったら思い違いでした。ハイティンク絡みでは個人的に記憶違い、思い込みから来る間違いが過去にも複数ありました。それはともかく、アムステルダム・コンセルトヘボウからロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団に名称が変わったのは創立百周年を迎えた1988年でした。

  サヴァリッシュがロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団とベートーヴェンをレコディングし始めた当時は意外に、少々残念に思ったものでした。残念というのは、どうせならミュンヘン・フィルとかバンベルクSOとかドイツのオケとやって欲しかったという勝手な願望のためでした。1990年代なら古楽器による演奏が古典派からロマン派初期にまで普及して、有名オーケストラでもベートーヴェンをどう演奏するのかと色々考えさせられたかもしれません。

サヴァリッシュ・RCO/1991年
①12分00②12分57③5分20④3分45⑤09分04 計43分06
ハイティンク・RCO/1986年
①12分05②12分43③5分58④3分40⑤09分29 計43分55

 1960年代のヨッフムとACOの演奏をきいた後にこれを聴くと、アナログ録音とセッション録音の違い、レーベルも異なるという点もありますが、直線的・幾何学模様的とでも言えば良いのか、田園という言葉に関する情緒を投影するような余地がない純音楽的に完結していて圧倒されます。と言ってもサヴァリッシュとミュンヘン・オペラのオーケストラ(?)によるブルックナーに比べるとおとなしくて、第2楽章はとくにうっとりします。サヴァリッシュは1960年代にもこのオケを指揮して田園を録音していたようで、その頃からこういうベートーヴェン演奏だったのだろうかと思います。

 五年違いで同じオーケストラ(今度はハイティンクもコンセルトヘボウ管弦楽団で間違いない)を指揮したサヴァリッシュとハイティンク、合計時間も約50秒差ですが、合計が短い方のサヴァリッシュが第2楽章では少し長く、たっぷり朗々と歌わせているということでしょうか。実際に聴いてみるとハイティンクの方がよりゆったりと、潤いがあるような印象なので、このギャップ、演奏時間の差は何なのかと思います。サヴァリッシュの方は全楽章をまとめて、タガをはめて引き締めているような感じでもあり、「交響曲=絶対音楽」という筋が通っている印象です。逆にハイティンクの方は古いヨッフムの録音に少しだけ通じているような感じもします。
7 6月

カルミナ・ブラーナ ポップ、プライ、サヴァリッシュN響/1984年

200507aオルフ カンタータ「カルミナ・ブラーナ」

ウォルフガング・サヴァリッシュ  指揮
NHK交響楽団
東京藝術大学大合唱団
NHK放送児童合唱団

ルチア・ポップ(S)
小林一男(T)
ヘルマン・プライ(Br)

(1984年4月29日 NHKホール ライヴ録音 ZDF自主制作)

 200507b 毎週日曜午後2時からと翌日朝の7時過ぎに再放送していたNHK・FMの「きらクラ!」は昨年度で終了しました。今年度からは「×(かける)クラシック」が始まり、市川紗椰とサクソフォン奏者上野耕平がレギュラー出演でした。再放送を一度聴いたときは鉄道、「音 鉄」がテーマになっていて、市川紗椰の鉄ヲタぶりが発揮され、大阪市営地下鉄の長堀鶴見緑地線の発車音とか、この人はなんでそれを知ってる?というノリに驚き半分、あきれ1/4、賞賛1/4でした。その後BS放送、で阪堺電軌や旧国電の103系、二代目新快速117系を乗りに行く企画をやっているのを見て、この感性、番組をきかねばなるまいと思いました。

200507c これは日独交歓(NHKとZDF)の演奏会でサヴァリッシュがN響を振ってヘルマン・プライ、ルチア・ポップらの名唱で伝説的となったカルミナ・ブラーナのレコードです。メジャーなレーベルからではなかったからか、輸入盤で売られているものは結構高価なものがありましたが、購入できたのはまだ手がでるものでした。それにしてもジャケットのデザインに曼荼羅というのは何のつながりなのかと思います。これは昨年にカルミナ・ブラーナのCDを取り上げた際にブログにいただいたコメントから存在を知り、ラ・ヴォーチェ京都に複数あった在庫を入手したものでした。ネット上にこの演奏のことを書いたものがチョクチョクあります。

 実際に聴いてみると、冒頭が弾けて飛び出すように始まり、オーケストラもコーラスもとり憑かれたような集中、没頭感が伝わってきます。鮮明で明解な印象なので、個人的にはあまり好きでもない作品に対するイメージを一掃する熱気と爽快さです。それにヘルマン・プライの独唱が全開で高音から低音まで、こんなに表現の幅が広かったのかと感服するものでした。小林一男、ルチア・ポップもすばらしかったですが、特にプライには圧倒されました。独唱の出番はあまり多くないものの、それだけに目立っていました。

 
日独交歓のもう一方の演奏は若杉弘がミュンヘンでバイエルン放送交響楽団を指揮してブラームスの交響曲第1番を演奏していました。カルミナ・ブラーナのほうが凄いのでそっちがかすみそうになります。昨年から何度か再生していましたが、カートリッジの調整やら何やらで手間取り、何とか一定のところに整ったのでカルミナ・ブラーナを連続して聴きました。それにしてもサヴァリッシュの指揮がこんなに熱気を帯びているのは他にあったかと思いました。
1 2月

アラベラ サヴァリッシュ、ミュンヘン・オペラ/1981年

190201R.シュトラウス 歌劇「アラベラ」Op.79,TrV263

ウォルフガング・サヴァリッシュ 指揮
バイエルン国立歌劇場管弦楽団
バイエルン国立歌劇場合唱団 

ヴァルトナー伯爵:ウォルター・ベリー(Bs)
アデライーデ:ヘルガ・シュミット(A)
アラベラ:ユリア・ヴァラディ(S)
ズデンカ:ヘレン・ドナート(S)
マンドリーカ:ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ(Br)
マッテオ:アドルフ・ダッラポッツァ (T)
ヘルマン・ウィンクラー(T)
クラウス・ユルゲン・クパー(Br)
ヘルマン・ベヒト(Bs)
エルフィー・ヘーバルト(S)
ドリス・ソッフェル(Ms)、他

(1981年1月6-14日 ミュンヘン,バイエルン・フィルムスタジオ 録音 EMI)

 二月に入って街なかに中国からと思われる旅行者が一段と増えたようです。それでも昼間に京阪特急の座席指定車両を乗ってみたところガラガラで、わざわざ500円も出す必要は無かったと思いながら一人掛けの座席に座りました。片側が1人、もう片側が2人の三列というリクライニングシートの配置は関西私鉄では珍しい(近鉄特急くらいしかなかった)ので
これは結構なことだと思いました。二列の場合は一人で二座席を占領するオバ、否、人が多いので、最初から一人掛けなので座席幅にも余裕があり両得でしょう。

190201a 昔テレビの時代劇で「素浪人花山大吉」というのがあり、その主題歌かエンディングの歌が結構インパクトがありました。「腕もきっぷも×2 俺の上を行く旦那」が結びの部分の歌詞でしたが、その「腕もきっぷも」のところのメロディがアラベラの中の主題に似ている気がして全曲盤のLPを聴いていました。作曲における剽窃についてクレンペラーは、「少しでも他の作品を連想させるともう剽窃だ」と嘆いていましたが、さすがに花山大吉とアラベラは偶然のニアミスでしょう(そもそも大して似てないかもしれない)。なお、その歌詞の「俺」は焼津の半次、「旦那」が花山大吉でした。それでこの「アラベラ」はフィッシャー・ディースカウ夫妻が参加してサヴァリッシュとミュンヘン・オペラの豪華なキャストなのに近年CDを見かけないの何故だろうと思いました。

 “ アラベラ サヴァリッシュ ” で検索すると1988年のミュンヘン・オペラの来日公演についての記事が多数挙がってきます。また、フィッシャー・ディースカウ絡みで検索すればカイルベルト盤や他のライヴ盤の方も多数出てきます。実際に聴いていると歌手ではズデンカのドナートが一番目立ち、それから父親の伯爵、ベリーが声質の関係で際立ってきこえます。アラベラの物語は社交界に連なる貴族社会が舞台なので、我々庶民、それも異文化圏の住人からすれば何らかの香気、匂いのようなものを期待するので(それの実体が何であれ)、このデジタル録音を聴いていると鋭過ぎる、鮮明過ぎるような感じがしてしまいます。特にユリア・ヴァラディとフィッシャー・ディースカウは巧いのが前面に出て、それに圧倒されて終わるような妙な感心です。レコードのジャケットに使われている舞台写真を見るといかにもという感じなので音楽自体とはちょっと印象が違います。このプロダクションを生で視聴していれば全面的に素晴らしいと思ったことだろうと思います。

 デジタル録音の時代にもなれば現実の社交界も別段優雅な匂いのようなものも限りなく薄く、マネーの力が幅をきかせているのかどうか分かりませんが、作品の世界に過剰に思い入れをしているのかなとも思いました。サヴァリッシュはR.シュトラウスのスペシャリスト的な人で通っていましたが、シュトラウス作品を振る時だけの特徴のようなものがあるのかどうかよく分かりません。後に同じくミュンヘン・オペラと録音したマイスタージンガー全曲盤と同じようなタイプだと思いました。でも全体的にはやはり魅力的なアラベラの全曲盤だと思いました。
25 12月

トリスタンとイゾルデ サヴァリッシュ/1957年バイロイト

171225bワーグナー 楽劇「トリスタンとイゾルデ」

ヴォルフガング・サヴァリッシュ 指揮
バイロイト祝祭管弦楽団
バイロイト祝祭合唱団(合唱指揮ウィルヘルム・ピッツ)

トリスタン:ヴォルフガング・ヴィントガッセン
イゾルデ:ビルギット・ニルソン
ブランゲーネ:グレース・ホフマン
マルケ王:アーノルド・ファン・ミル
クルヴェナール:ハンス・ホッター
メロート:フリッツ・ウール
牧童:ヘルマン・ヴィンクラー
水夫:ヴァルター・ガイスラー
舵手:エグムント・コッホ

(1957年 バイロイト祝祭劇場 ライヴ録音 WALHALL)

 
クリスマス前日の昨日、昨夜は全くそれらしいことはできずに、昼間は川魚屋で鰻を買い、夜は夜半のミサにも行かずラーメンを食べて帰りました。伏見や宇治の川魚屋は徐々に減り、伏見区の大手筋通商店街にあった大きな店もいつのまにか無くなっていました。そこはドジョウが入った桶が店頭にあったので子供の頃は通るたびに見ていました。宇治の宇治橋通にある店はまだフナのまる煮やあらいを売っていて、けっこう買いに来る客がいます。それでもモロコはもう店頭に無く、錦市場にでも行かなくては買えません。びわ湖のホンモロコは一時期数が減り過ぎて、料亭では一尾が三千円くらいで売ったと聞きびっくりしました(最近はだいぶ改善してそこまで高くないが、小さいモロコが鰻一尾より高かったとは・・・)。夜には雨が本降りになり、日付が変わっても雪になることもなく、深夜に遠くから天ケ瀬ダムの放流のアナウンスがきこえてきました。

171226a この1957年のバイロイト音楽祭、「トリスタンとイゾルデ」は、GOLDENMELODRAMのLPが出たいたくらいですが録音データの日付の記載が無くてCDも単に1957年とあるだけです。サヴァリッシュはこの年のトリスタンでバイロイトデビューを果たし、翌年から1959年まで同作品を指揮しました。その後1960年には「さまよえるオランダ人」、1961に同作品と「タンホイザー」、1962年は「タンホイザー」と「ローエングリン」を指揮し、その後はバイロイトから遠のくことになります。オランダ人からローエングリンまでの三作品はフィリップスからLPが出て評判になっていましたが、トリスタンは確か正式音源のものは出ていなかったはずです。

 しかし翌年も含めてバイロイトのデビューとなった1957年のトリスタンは、ヴィントガッセントニルソンの主役二人にバイロイト音楽祭常連の大物を配したキャストなので捨てがたいものでした。それになんと(別に珍しくないのか、あるいは一公演だけとかか?)、ホッターがクルヴェナールを歌っています。ただ、音質は良くなくてオーケストラの音がかすれたようでもありどういう素性の音源なのかと思います(翌年のCDも良くなかった)。

 サヴァリッシュの指揮は突っ走るようなテンポが目立ち、この作品にしては即物的過ぎるようですが、聴いていると渦に巻き込むような引力のようなちからに圧倒されます。第一幕の船上での合唱も、第二幕でメロートらが踏み込んでくる場面も一貫してはやいテンポなので、生々しさ、緊迫感が逆に薄い印象です。各幕が終わった後には拍手が起こるものの、熱烈ではじけるようなものではありません。これはこの年以前のトリスタンと比べて大分違って聴こえることの戸惑いもあるのかと思いました(カイルベルトやクリュイタンスらも既に指揮しているのでそれ程びっくりはしないかもしれないが)。
20 10月

トリスタンとイゾルデ サヴァリッシュ/1958年バイロイト

171020ワーグナー 楽劇「トリスタンとイゾルデ」

ヴォルフガング・サヴァリッシュ 指揮
バイロイト祝祭管弦楽団
バイロイト祝祭合唱団(合唱指揮ウィルヘルム・ピッツ)

トリスタン:ヴォルフガング・ヴィントガッセン
イゾルデ:ビルギット・ニルソン
ブランゲーネ:グレース・ホフマン
マルケ王:ヨセフ・グラインドル
クルヴェナール:エリック・セーデン
メロート:フリッツ・ウール
牧童:ヘルマン・ヴィンクラー
水夫:シャーンドル・コーンヤ
舵手:エグムント・コッホ

(1958年8月21日 バイロイト祝祭劇場 ライヴ録音 MYTO)

171020a 
週末は台風と衆議院選挙投票日が重なるのかどうか、雲行きがあやしいところですがそれ以上にどの程度の台風なのかも気になります。地元京都府南部は2013、2014年と豪雨災害(2013年は台風ではないが土砂崩れによる死者まで)に見舞われた記憶が過ぎります。このところ、身近なところで世間話程度に選挙の話題になると各自のスタンスがちらりとうかがえて、「Sケイ新聞は日本の良心」だとか「何十年も投票には行ったことが無い」とかで、その人の口からそんな言葉が出るとはと驚くこともありました(特に前者、自分とは全く相容れんと)。後者は何か信念でもあってそうしているのか、堅い決意のようなものが見てとれて感心していました。それから森友の理事長が逮捕されていて好都合とかその他、「立憲民主党は覚えにくい」、「立憲民主党は名前が良い」と対照的な声もきかれました。

 第二次大戦後、1951年に再開されたバイロイト音楽祭で「トリスタンとイゾルデ」は翌年の1952年に初めてプログラムに入りました。その年はカラヤンの指揮、翌1953年はオイゲン・ヨッフムに代わり、しばらく間を置いて1957年から1959年までをサヴァリッシュが指揮しました。このCDはサヴァリッシュの二年目のトリスタンであり、主役二人は前年と同じくヴィントガッセンとニルソンです。その後のバイロイトのトリスタンは1962年から1964年と1966年、1968年から1970年の各年とベームが指揮し、1974年からカルロス・クライバーに交代しています。世代的にベームよりサヴァリッシュが先というのは意外です。

 この1958年バイロイトのトリスタンはどういう素性の音源なのか特に説明はありません。しかしCDを聴く限り雑音が所々入り、どうラジオの他の周波数が混信しているような音声も聴こえるのでエアチェックしたテープかもしれません。それでもまあ聴ける程の音質です。サヴァリッシュの指揮はかなり速目のテンポで通し、第一幕の最後とか第二幕の二重唱、メロートらが踏み込む直前の思いっきり陶酔が極まる場面でもテンポは変わらず、ちょっとあっさりし過ぎる印象です。そのかわりにイゾルデらが濁流にのまれるような圧倒的な迫力もあると思いました。これを聴くと先日聴いていた新しいバレンボイムの方は結構濃厚な表現だったかと思います。

 歌手の中ではイゾルデのニルソンが特に目立っていました。甘く柔軟な声のヴィントガッセンと共演すると余計に声質が際立ちます。ちょっと甲高く聴こえながら強じんで、男性陣に囲まれても圧倒的な存在感です(指環のブリュンヒルデという役柄がチラつく)。グラインドルのマルケ王はまだまだ現役といった強じんさが感じられ、これもトリスタンのヴィントガッセンと対照的なので聴き映えがしました。サヴァリッシュのバイロイトでのトリスタンは1957年の方がゴールデンメロドラムからLPが出ていて知られていたようですが、そちらはクルヴェナールがハンス・ホッターというのが目立つくらいで主要キャストは共通です。
4 3月

R.シュトラウス「エレクトラ」 マルトン、サヴァリッシュ/1990年

170304aリヒャルト・シュトラウス 楽劇「エレクトラ」Op.58

ヴォルフガング・サヴァリッシュ 指揮
バイエルン放送交響楽団
バイエルン放送交響合唱団

エレクトラ:エヴァ・マルトン(S)
クリソテミス:シェリル・ステューダー(S)
クリテムネストラ:マルヤーナ・リポヴシェク(Ms)
オレスト:ベルント・ヴァイクル(Br)
エギスト:ヘルマン・ヴィンクラー(T)
オレストの教師:クルト・モル(Bs)
女の親友:ヴィクトリア・ウィーラー(S)
荷物運び:ドロテア・ギーペル(S)
若い給仕:ウルリヒ・レス(T)
老給仕:アルフレート・クーン(Bs)
監督員:カルメン・アンホーン(S)
第1の給仕女:ダフネ・エファンゲラトス(A)
第2の給仕女:シャーリー・クローズ(Ms)
第3の給仕女:ビルギット・カルム(S)
第4の給仕女:ジュリー・フォークナー(S)
第5の給仕女:カロリナ・マリア・ペトリク(S)

(1990年1月 ミュンヘン,ヘルクレスザール 録音 EMI)

 さて今日の午後は滋賀県立芸術劇場・びわ湖大ホールでワーグナーの「ラインの黄金」初日を観に行きました。初日といっても二日間で終わるのでやっぱり二日とも行ければと思うくらい立派な公演でした。明日もあるので行かれる方に配慮して詳細は略しますがどのキャストも素晴らしい歌唱で、特にローゲが印象に残りました。遠方からの方、かなり年配の方もあり、当日券は無しでした。なんとかフライデーとかを導入するなら金曜日でも公演は可能なので、ちょっとだけそれに期待します。

170304 小説「騎士団長殺し」の中に登場するクラシックの作品にR.シュトラウスの楽劇「ばらの騎士」があり、ショルティ、ウィーンフィルらの古いLPをかけるという場面が何度も出てきます(エーリヒ・クライバーヤカラヤンの同作品のレコードをよく聴いたというセリフも)。それを読みながらショルティ指揮のリヒャルト・シュトラウスならエレクトラも強烈だったと思い、「ドン・ジョヴァンニ」のドンナ・アンナ一行が父の仇討ちならエレクトラも同じと思い、もっと新しい録音のCDを引っ張り出してきました。 

170304b R.シュトラウスのオペラは特別に好きでないのにわざわざ全曲盤CDを買っていたのはエヴァ・マルトンが目当てだったのと、サヴァリッシュに期待したからで、彼女以外のキャストを含めて素晴らしくて、これならフィナーレでのエレクトラを映像でも観ることができたらと思いました。無事、父を殺した仇、母とその間男を討ちとった後(母の方は弟が) 、踊りながら死ぬという結末は侠気よりも狂気の方が勝っています。それだけでなく妹のクリュソテミスはびびって仇討ちを躊躇するのに対して、任侠道の姐のように終始決然としたふるまいで、ただ者ではない役柄です。この録音でレクトラを歌っているエヴァ・マルトンは、指環(ジークフリートと神々の黄昏)のハイティンク盤ではブリュンヒルデを歌っています。

 筋を通すためには身内も愛する男も容赦しないタフさでエレクトラとブリュンヒルデは通じるようですが、エレクトラの方は何かに憑かれたような恐ろしさも漂います。その狂気の程まではなかなか録音を聴いていても感じられない気がしました。あと個人的願望として妹のクリュソテミスにはルチア・ポップを起用できなかったのかと思いました。

  「エレクトラ」は1906年から1908年にかけて作曲され、1909年1月25日ドレスデン宮廷歌劇場で初演されました。前作の「サロメ」と次作「ばらの騎士」の間というわけで、フーゴ・フォン・ホーフマンスタールが台本を手掛けた最初の作品でした。
31 5月

ワーグナー「ローエングリン」 サヴァリッシュ・1962年バイロイト

160531ワーグナー 歌劇「ローエングリン」

ヴォルフガング・サヴァリッシュ 指揮
バイロイト祝祭管弦楽団
バイロイト祝祭合唱団(ウィルヘルム・ピッツ指揮)

ローエングリン:ジェス・トーマス(T)
エルザ:アニア・シリア(S)
オルトルート:アストリッド・ヴァルナイ(S)
テラルムント:ラモン・ヴィナイ(Br)
ドイツ王ハインリッヒ:フランツ・クラス(Bs)
軍令使:トム・クラウゼ(T)
 ~ 4人の貴族たち~
ニールス・メーラー
ゲルハルト・シュトルツェ
クラウス・キルヒナー
ゾルタン・ケレメン、他

(1962年7月 バイロイト祝祭劇場 ライヴ録音 DECCA・旧PHILIPS)

 ちょうど新国立でローエングリンを上演中でクラウス・フローリアン・フォークトが 出ているので出来れば日帰りでも観に行きたいとろですが無理です。一応土曜日のチケットを調べたらやっぱり完売でした。衣装の写真を見るとSF作品のような近未来的な服装で統一され、清々しくも見えました。舞台を観ることがかなわないのでせめて音声だけ、バイロイト廉価箱から1962年のローエングリンを何回かに分けて聴いていました。これは旧フィリップスからLPが発売されていた定評ある録音であり、1958年に始まったヴィーラント・ワーグナー演出によるプロダクションの最終年に当たります。サヴァリッシュも1957年に「トリスタンとイゾルデ」を指揮してバイロイトデビューして五年以上経ち、余裕も出てきただろうと想像できます。

 戦後のバイロイト、1951~1964年に起用された指揮者の内登場回数が多いのはクナは別にして、カイルベルト、クリュイタンス、サヴァリッシュ、ケンペといったところが思い当たります(ベームは1962~1971年)。 サヴァリッシュの場合はキャリアの上ではまだこれからといった時期にあたりますが、断片的に見ただけの舞台写真から言うのもはばかれるものの、これぞ新バイロイト様式の音楽といった鮮烈で、直線的な演奏に思えて、特に今回のローエングリンはあまり強引さも目立たずに良い意味で聴きやすいものだと思いました。そう思ったとたんに今度はもうちょっと空中を漂うような、あいまいさ、かすみか雲がたなびくようなところがあってもいいとか勝手なことを思い始めます。しかしそもそもオーケストラの音にそんなものを求めるのは無理かもしれません。

 キャストの中では敵・悪役側、オルトルートとテルラムント にヴァルナイとヴィナイという1950年代の主役級が並ぶ威容です(ブリュンヒルデとジークムントがタッグを組んで襲ってくる)。それだけに第二幕が聴き応えがあり、悪役夫妻が次の手を話し合う第1場、オルトルートがエルザの白鳥男(ローエングリン)への疑いを焚き付ける第2場、ドイツ王や騎士一行を前にローエングリンが魔術によって勝ったと告発し、どうじにエルザの疑念を煽る第5場は、音声だけを聴くと何となく暗くて単調になりがちですが、ここではかなり派手です。

 それだけにエルザとローエングリンの二人はなんか初々しいとさえ思えてきて、単に人物をききわけられるというだけでなく性格の違いも全面に出て素晴らしいと思います。 ただ、エルザのシリアは「エルザの夢」のところの揺らぐような旋律がちょっと単純で物足らない気がします。それはローエングリンのトーマスも同様で、最初にローエングリンが登場して歌い出す部分が素っ気ないようにも思えます。
1 5月

タンホイザー ロス・アンヘレス、サヴァリッシュ・1961年バイロイト

160501ワーグナー 歌劇「タンホイザー」

ヴォルフガング・サヴァリッシュ 指揮
バイロイト祝祭管弦楽団
バイロイト祝祭合唱団(ヴィルヘルム・ピッツ合唱指揮)

タンホイザー:ヴォルフガング・ヴィントガッセン(T)
ヴォルフラム:ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ(Br)
エリーザベト:ビクトリア・デ・ロス・アンヘレス(S)
ヴェーヌス:グレース・バンブリー(Ms)
領主へルマン:ヨゼフ・グラインドル(Bs)
ヴァルター:ゲルハルト・シュトルツェ(T)
ビテロルフ:フランツ・クラス(Bs)
ハインリヒ:ゲオルク・パスクダ(T)
ラインマル:テオ・アダム(Bs)
牧童:エルゼ=マルガレーテ・ガルデッリ(Ms)

(1961年8月3日 バイロイト祝祭劇場 ライヴ録音 ORFEO)

160501c N響でもおなじみのサヴァリッシュ(Wolfgang Sawallisch 1923年8月26日 - 2013年2月22日)がバイロイト音楽祭で初めて指揮したのは1957年、「トリスタンとイゾルデ」でした。その年からトリスタンを三年続けて指揮した他、1959年からは「さまよえるオランダ人」(三年連続)、1961年には今回の「タンホイザー」を任されました。サヴァリッシュのバイロイトでの「タンホイザー」はフィリップスから正式に発売された1962年のライヴ録音が有名でしたが、今回のものはその前年でありエリーザベトをビクトリア・デ・ロス・アンヘレスが歌ったのも注目です。このCDの広告・解説(HMVのサイト)によると、1961年のタンホイザーは既にいくつかのレーベルから出たようですがいずれも初日の7月23日の録音だったので今回の8月3日(三日目の公演)は初出であり、ヴィントガッセンの調子はこちらの方が良い(但し、第1幕の終わり近くでヴィントガッセンが少しばかり歌詞を落とす)と紹介しています。

 サヴァリッシュはこの録音時に38歳でしたが速めのテンポで始まり、序曲からして爽快で甲類焼酎のような清新さです。断片的な写真で見ることが出来る舞台の様子はこの演奏とよくマッチしそうです。序曲から切れ目なくヴェーヌスベルクの音楽に移行する形を取り、ドレスデン版をもとにパリ版を折衷(ヴェーヌスベルクの音楽は短縮)していると解説されています。「さまよえるオランダ人」と同様にタンホイザーの版も複雑な経緯なので解説に触れるだけにしておきます。

160501a キャストを見れば分るように豪華な布陣で、中でもタンホイザーのヴィントガッセンとヴォルフラムのフィッシャー・ディースカウの二人は両役最高の組合せじゃないかと思う程のはまり方です。 特にフィッシャー・ディースカウは「夕星の歌」だけでなく、第二幕の歌合戦等どの場面でも惹きつけられます(この1961年が最後のバイロイト出演だった)。ヴィントガッセンはバイロイト音楽祭に出て十年くらいになり、1950年代前半の鮮烈さは後退したもののタンホイザーの役にぴったりくる声には終始圧倒されます。脇役の方も豪華な顔ぶれで、こんなポジションにテオ・アダムが居たのも感慨深いものがあります。

160501b キャストの中で一番印象に残るのはエリーザベトのビクトリア・デ・ロス・アンヘレスで、ワーグナー作品の中に特別に穏やかな女性が登場したような鮮烈です。解説にも触れられている通りヴェーヌス役のグレース・バンブリーの声と対照的でいっそう引き立ちます。なお、ハンブリーはアフリカ系女声歌手で初めてバイロイト音楽祭に出演したそうです(1930年代とかには望めない)。聴いているとヴィントガッセンとの重唱場面でも輝かしい声で、そんなにクセのある声質でもなく、数あるタンホイザーの録音のなかにはこういうエリーザベトもあるはずで、ロス・アンヘレスと比べてもミカエラとカルメン程の違いじゃないと思いました。そもそもヴェーヌスとエリーザベトとは?という疑問にも繋がりますが、それはともかくとしてこの録音ではロス・アンヘレスとハンブリーの二人の女声が魅力的です。
26 4月

ワーグナー さまよえるオランダ人 サヴァリッシュ、1959年バイロイト

160426ワーグナー 歌劇「さまよえるオランダ人」

ヴォルフガング・サヴァリッシュ 指揮
バイロイト祝祭管弦楽団
バイロイト祝祭合唱団(合唱指揮ヴィルヘルム・ピッツ)

オランダ人:ジョージ・ロンドン
ダーラント:ヨーゼフ・グラインドル
ゼンタ:レオニー・リザネク
エリック:フリッツ・ウール
マリー:レス・フィッシャー
舵取り:ゲオルグ・パスクダ

(1959年7,8月バイロイト祝祭劇場 ライヴ録音 MYTO)

 このところ真夜中に、寝入ってからそんなに時間が経たない段階で目を覚ますことがよくあり、その影響で眠りが浅くなってよく夢を見ます。それくらい大したことはないとしても、目を覚ました時に小さな地震を感じることがしょっちゅうで、ついに来たかと身構えたりします。思えば東日本でもしょっちゅうそこそこの揺れの地震があるので、被災地そのものでなくても何らかの不安、不満は蓄積していることでしょう。それと関係があるのかないのか、ネット上で不謹慎狩りが流行っているのが気になります。ワーグナー作品の「バイロイト音楽祭」は、第二次大戦中も1944年まで開催されたものの敗戦後は1945年から1950年までは開かれませんでした。単に自粛というわけでもないでしょうが、それでもとにかく敗色濃厚で空爆もあって1944年も行われたのは驚きです。

 バイロイト音楽祭の「さまよるオランダ人」、サヴァリッシュ指揮と言えばフィリップスから正式に出ていた1961年録音が有名でした。しかしサヴァリッシュはその二年前から三年続けて同作品をバイロイトで指揮ていて、今回のものはその初年、1959年のライヴ録音です。1961年はフランツ・クラスがオランダ人(*ジョージ・ロンドンが歌った公演もある)、アニア・シリヤがゼンタ(1960年も同じ)でしたがそれ以外のキャストは三年間共通でした。フランツ・クラスのオランダ人とシリヤのゼンタは好評だったので今回の録音はその二人が居ない舞台がどうなっているかというのが注目です。なお、アッティラ・チャンバイ、ディートマル・ホラント編の “ rororo operabücher ” (日本語版は「名作オペラ ブックス」 音楽之友社)、その巻末にある「ディスコグラフィについての注釈(ディートマル=ホラント) *このコーナーは作品によって担当者が代わっていた」では、オランダ人役は1961年録音のクラスに並ぶ者は無いと褒めている反面、ゼンタ役はシリヤ、リザネックの二人ともが作曲者の望むところに達していないと厳しい指摘で終わっています。

 同書のそのコーナーは担当者が代わっても辛口な批評が多く、さまよえるオランダ人は頁も少ないのでまあそんな調子なのは仕方ないでしょう。パッケージの写真に登場しているのは一瞬だれか分りませんでしたが、キャストを見ればオランダ人役のロンドンだろうという察しは付きます。上記のように “ rororo operabücher ” の評は厳しいとしても、あらためて聴いているとリザネックのゼンタもロンドンのオランダ人も両方素晴らしいと思いました。それにサヴァリッシュの爽快なテンポの指揮からは戦前のバイロイト音楽祭やら、ナチ時代の人種・文化的な政策なんかは遠い昔の出来事のような世界に感じられます。フィリップスから出ていたサヴァリッシュのバイロイト録音はCD化されてから聴きましたが、個人的には特に好きでも嫌いでもないという印象の薄いものでしたが、より古いバイロイト音源から聴いて時代を下ってくると妙に感慨深いものがあります(と言っても戦中やそれ以前の音源はごく限られているけれど)。

 この二枚組CDのトラック表記では三幕に区分されています。「さまよえるオランダ人」の初演時は三幕版として上演されましたが、元々は一幕ものとして構想されていました。上記の “ rororo operabücher ” の評では、サヴァリッシュ指揮の回からバイロイトの上演も一幕仕立てに限りなく近くなったと言及しています。なお、サヴァリッシュは後に1981年のミュンヘンでのプロダクションで休憩無しの一幕仕立ての上演を指揮しています。すごく複雑な改訂経緯で、このサヴァリッシュのライヴ盤も純然たる初稿ではなくて、ドレスデン初演時の版に基づき救済のモチーフなし、ゼンタのバラードもト短調に移調して歌っています。
6 6月

ブルックナー交響曲第9番 サヴァリッシュ、バイエルン国立O

150606ブルックナー 交響曲 第9番 ニ短調 WAB.1009 (1894年ノヴァーク版)


ヴォルフガング・サヴァリッシュ 指揮
バイエルン国立管弦楽団


(1984年12月23-24日 録音 Orfeo)


 四条通と三条通(寺町の方は御池通まで)の間の寺町京極通、新京極通はアーケード付の商店街で、かつては映画館が多数ありましたが今世紀に入ってMOVIX京都ができたかわりに閉館になりました(しぶとく残ったUnder18禁の映画館も閉館になった)。今朝の新聞に新京極のグルメシティの跡にまたホテルが建設される計画だと載っていました。今秋にはその近くの寺町側にホテルが開業予定なので、我々と縁遠い金目のホテルだけでなく滞在型?のホテルも建設ラッシュの模様です。後期高齢者になってそこそこ健康で年金がカットされる時代だったら、観光客相手のガイドでもするため中国語が必須かもしれないくらい本当に中国語をよく耳にします。

 何となく1990年代にフィラデルフィア管弦楽団へ招かれたサヴァリッシュのことを思い出していると、ミュンヘン時代にブルックナーを何曲か録音していたのも思い出して、とりあえず手元にある第9番(第1、5、6、9番はOrfeoから出ている)を聴きました。サヴァリッシュのブルックナーも特別に評判でなかったはずなので先月のドホナーニと似たタイプと言えるかもしれませんが、演奏時間を見るともっと短くなっていました。

サヴァリッシュ/1984年
①22分16②09分49③23分31 計55分36

ドホナーニ/1988年10月
①22分06②09分46③25分59 計57分51
ヴァント・NDRSO/1993年3月
①26分55②10分43③26分52 計64分30
ヴァント・NDRSO/1988年6月
①26分02②10分24③26分08 計62分34
ヴァント・ケルンRSO/1978年
①24分01②10分26③23分40 計58分07

 実際に全曲を通して聴くと第一、第二楽章は本当に淡白で平らな川底の平瀬の流れのようで、ブルックナー最後の大作とか愛する神がどうのとかそんな入れ込みは全く感じ取れない演奏で、逆に清々しくさえありました。それでもドホナーニのような速い部分とそうでない部分の差はあまり強調されず、アクの強さは無いと思いました。そんな演奏なのに第三楽章は突然天上に引き上げられたか、天上界が降りて来たような清澄さで感心しました。第三楽章もそれまでと同じように演奏しているはずなのに、それでも神聖な程の美しさが溢れているようでした。第三楽章の演奏時間で一番近いのはヴァントのケルンRSOとの全集盤でした。

 レコ芸の月評特選盤を集めた冊子(上巻・1980-1992年)でサヴァリッシュを探すと、バイエルン国立管弦楽団とのブルックナーは第一弾の第6番だけが特選になっていました(1984年4月号、小石忠男、諸井誠の両氏)。サヴァリッシュはフィラデルフィア時代にもブルックナーを録音していましたが、レコ芸で特選になったのは結局その第6番だけです。ただ、特選の月評の文章には「ブルックナー第8番についてのNHK教育テレビでの講演が非常な評判を得て多くの好楽家の尊崇を集めた」、「ブルックナーの権威者として高く評価されている」と書いてありました。その割に1990年代のブルックナー熱の時代にはやっぱりあまり誉められていませんでした。

31 5月

「ワルキューレ」 サヴァリッシュ、ミュンヘン・オペラ

ワーグナー 楽劇・ニーベルングの指輪 「ワルキューレ」


ウォルフガング・サヴァリッシュ 指揮

バイエルン国立歌劇場管弦楽団


ジークムント:ロベルト・シュンク 
ジークリンデ:
ユリア・ヴァラディ
フンディング:クルト・モル
 
ヴォータン:ロバート・ヘイル 
ブリュンヒルデ:ヒルデガルド・ベーレンス
フリッカ:マリアナ・リポヴシェク
ヴァルトラウテ:コーネリア・ヴルコップフ 
ヘルムヴィーゲ:ナンシー・グスタフソン 
オルトリンデ:マリアンネ・ザイベル
ゲルヒルデ:アンドレア・トラウポート ー
シュヴェルトライテ:アンネ・ペレコールネ
ジークルーネ:クリステル・ボルハース 
ロスヴァイゼ:グドルン・ヴェヴェツォウ
グリムゲルデ:ビルギット・カルム


(1989年11月11,12,14日 ミュンヘン,バイエルン国立歌劇場 ライヴ録音 EMI)


 指輪三部作ほどの規模になれば細かい設定、人物のつながりがあるのでなかなか把握できないものです。ワルキューレについて、つまらないと思いながら即答できないなと思うことがありました。分かったところでどうなるものでなし、しかし下記の②、③は歌詞の中に出てくるはずです。

①登場するワルキューレは全部で何人か?
②ブリュンヒルデの産みの母は誰?
③フリッカの乗物を引く動物は何?
 

 ②と③は第二幕の第1、2場についてのことです。颯爽と登場したヴォータンとブリュンヒルデを追いかけるようにフリッカがやって来ます。その段階でフリッカの戦車?が来ると歌詞に出て来て、それを引く動物がかわいそうにあえいでいると続きます。フリッカの言うことをきいてジークムントを敗死させることを約した後、ヴォータンがブリュンヒルデに胸中を語る時、愛の担保、ブリュンヒルデを産んだ云々という歌詞が出てきます。

 第二幕はジークムントへの死の予告の方に注意が向きますが、その前のヴォータンの屈服、苦悩の場面も見どころ、聴きどころです。広域組織の会長・ヴォータンが愛人の子と居る所に正妻・姐のフリッカがリムジンで乗り付けて、「あんた、話がおますのや、わての頼みをきいてもらえまへんか」という極妻風がかぶりますが、ロバート・ヘイルのヴォータンとマリアナ・リポヴシェクのフリッカは人間的な味わいとノーブルさが同居して迫真だと思います。
 

 サヴァリッシュの指輪はラインの黄金ジークフリート神々の黄昏 と今回で四つ全部を取り上げたことになり、改めて聴くと素晴らしい内容だと思いました。この前後にサヴァリッシュとミュンヘンオペラが来日したので、今さらながら観に行きたかったと思います(遅すぎる、今頃)。オーケストラの演奏も同時期の録音、レヴァインやハイティンクらと比べてもひけをとらないと思います(具体的にどれがどうかと問われると困るが)。
 

 今日ははやくも真夏日だったうえに、最高気温はあと少しで猛暑日になるところです。それに今朝は気のせいかいつになく空が黄色っぽく見えました。レモン色がかっていると言う人もいたのでちょっと気になりました。あまり気持ちが良いものではありませんが、夜になるまで気象の大きな変動も無くとりあえず安心です。明日からは6月、田植えのシーズンです。

26 5月

ワーグナー・ラインの黄金 サヴァリッシュ、ミュンヘンオペラ

ワーグナー 楽劇・ニーベルングの指輪「ラインの黄金」140526
ウォルフガング・サヴァリッシュ 指揮

バイエルン国立歌劇場管弦楽団、合唱団


ヴォータン:ロバート・ヘイル(Br)
ローゲ:ロバート・ティアー(T)
アルベリヒ:エッケハルト・ウラシハ(Br)
ドンナー:フローリアン・チェルニー (Br)
フロー:ヨゼフ・ホップファーヴィーザー(T)
フリッカ:マリアナ・リポヴシェク(Ms)
フライア:ナンシー・グスタフスン(S)
エルダ:ハンナ・シュヴァルツ(A)
ミーメ:ヘルムート・ハンプフ(T)
ファゾルト:ヤン・ヘンデリック・ローターリンク(Bs)
ファフナー:クルト・モル(Bs)
ヴォークリンデ:ジュリー・カウフマン(S)
ヴェルグンデ:アンジェラ・マリア・ブラーシ(S)
フロースヒルデ:ビルギット・カルム (A)

(1989年11月1日,7日 ミュンヘン,バイエルン国立歌劇場 ライヴ録音 EMI)

 きたる九月二十一日でドナルド・キーン氏の記念館、「ドナルド・キーン・センター柏崎」が開館して一年になり、一度は行ってみたいと思いながらこの連休は逃してしまいました。せめて著作は読みたいと思って全集を一冊ずつ読もうと思い立ち、とりあえず第六巻の能狂言歌舞伎に手を付けました。しかし実際はかたいものよりも最近にエッセイのの方が読みやすく、そっちの断片に目がいきます。帰化される時メトロポリタン歌劇場の会員でなくなるのが一番さびしいと書かれ、最新のメトの指輪よりもその前の演出の方が好ましいと評されていました。高齢なのにニューヨークまで観に行かれている様子なので感心します。ハイテクを駆使した最新映像について、「想像力を働かせられない」のが良くないと指摘し、同じく最新のパルジファルの演出は目を閉じて聴いた(他にもそうして聴いている人も居た)とも書かれていました。

 ラインの黄金でアルベリヒが隠れ頭巾を使って大蛇に変身する場面とか、ファゾルトとファフナーの大きさをどうするか等も見る側の想像力と関係すると思います。ここではCDなのでそうしたことは関係ないことで、とりあえずヴォータンのロイル、フリッカのリポヴシェクの他、ローゲのティアー辺りが迫真だと思いました。特にロバート・ヘイルは高貴な悪党といった雰囲気でヴォータンの魅力が伝わります。上記の最新のメトの指輪ではフリッカはステファニー・ブライズが歌っています。その風貌はともかく、歌声も威圧感がありましたが、それと比べるとこのCDのフリッカ、マリアナ・リポヴシェクは良くも悪くももっと人間的で、嫉妬深い嫁はんの方がクローズアップされてきこえます。サヴァリッシュの「ラインの黄金」でそうした歌手以外では、冒頭の序奏から「ラインの河底」に続く辺りが美しく、魅力的です。

  「人は城、人は石垣、人は堀~」、武田信玄の話題には付きものの言葉です。実際に甲府には巨大な城郭は築いていませんでした(プラモにキットにも躑躅ケ崎の武田館といのは無かった)。ワーグナーの「ニーベルングの指輪」の結末を見ると、最初に登場(完成したものとして)するワルハラ城が諸悪の根源のようにも見えます。これを造っていなかったら神々の一党もそこそこながらえたのではないかと思います。指輪をはじめとしてワーグナー作品は、物語や台本にはあまり惹かれないのに、その音楽には魔力のようにいろいろなものを狂わせる強い力を感じます。「ラインの黄金」の中では「ワルハラ城への神々入場」に圧倒されます(財政破綻しても巨大箱物でも作ってやるかという気になりかねい)。このサヴァリッシュだけでなく、この1990年前後の指輪では「入城」の音楽はあまり誇張しない傾向のようです。

16 5月

ワーグナー・神々の黄昏 サヴァリッシュ、バイエルン国立歌劇場

ワーグナー ニーベルングの指環「神々の黄昏」


ヴォルフガング・サヴァリッシュ 指揮

バイエルン国立歌劇場管弦楽団

バイエルン国立歌劇場合唱団


ジークフリート:ルネ・コロ
ブリュンヒルデ:ヒルデガルド・ベーレンス
アルベリッヒ:エッケハルト・ウラシハ
ハーゲン:マッティ・サルミネン
グートルーネ:リズレート・バルスレフ
グンター:ハンス・ギュンター・ネッカー
ヴァルトラウテ:ヴァルトラウト・マイヤー
ヴォークリンデ:ジュリー・カウフマン
ウェルグンテ:アンジェラ・マリア・ブラーシ
フロースヒルデ:ビルギット・カルム
第1のノルン:マリアナ・リポヴシェク
第2のノルン:イングリッド・カラッシュ
第3のノルン:ペネローペ・ソーン
 


(1989年11月26,27,30日 バイエルン国立歌劇場 ライブ録音 EMI)


 鴨川の左岸側、ちょうど先斗町の裏側を中心に南北へ延びる一帯は、夏季になると「川床」という河川敷地に突きだした席が用意されます。今年もすでにできていて、先日夜に四条大橋を渡った時に外国人らしき観光客がしきりと写真を撮っていました。川の中ではウグイなのかニゴイなのか、わりと大きな魚影が見えたので産卵場所を探しているのかと思いました。地上では若い男性がズバリ、しきりとナンパをしていました。実はそうではなく何かの勧誘だったのかもしれませんが、女性のお断りが断固すぎて気持ちよいくらいでした。ケンシローにやられるザコ・モヒカンのようで本当に瞬殺でした。
 

 サヴァリッシュとバイエルン国立歌劇場らによる指輪は、ニコラウス・レーンホフのSFチックな演出で、NHKがハイビジョン収録してテレビでも放映されて話題になりました。ジークフリートやブリュンヒルデ、グートルーネらは視覚的に若々しは見えませんが歌自体は魅力的でした。コロとベーレンスの二人はその後のバイロイトで登場するジークフリートとブリュンヒルデ役と比べても抜きんでているのではないかと思えます(見た目はともかく歌は)。グンターのハンス・ギュンター・ネッカーとハーゲンのマッティ・サルミネンも迫真です。この二人は六年前のヤノフスキ盤でも同じ役を歌っていました(ルネ・コロのジークフリートも同じく)。
 

序幕:ヴァルキューレの岩山

~夜明けとジークフリートのラインの旅
第1幕:ライン河のほとり、ギービヒ家の館の大広間―ヴァルキューレの岩山
1場・ギービヒ家の面々
2場・ジークフリートとグンターの誓い(血の盃)
3場・ブリュンヒルデを連行

第2幕:ライン河畔、ギービヒ家の館の前
1場・アルベリヒとハーゲン
2場・ジークフリートの帰還
3場・ギービヒ家、婚礼の布告(ここで合唱が入る)
4場・グンター、ブリュンヒルデの帰還
5場・ジークフリートへの復讐を誓う

第3幕:ライン河のほとり、自然のままの森と岩が入り組んだ谷あい
1場・ラインの乙女らとジークフリート
2場・ジークフリートの死
~ジークフリートの葬送行進曲
3場・それぞれの結末・落とし前、ブリュンヒルデの自己犠牲

 
神々の黄昏は四部作の中で唯一合唱が入りますが、別に物語のクライマックスの場面ではなく、ここで合唱を入れるのなら他にももっとふさわしおそうなところがあるのではないかと思う程です。また単独のオーケストラ曲として演奏される「夜明けとジークフリートのラインの旅」、「ジークフリートの葬送行進曲」が登場する等オーケストラも雄弁です。それに、「神々」とタイトルに入っている割に、上記の各幕・各場では人間的な感情の振幅が大きいというか、けっこう情けない姿が出てきます。


 そういうわけでなかなか繊細な要素も多い「神々の黄昏」は、サヴァリッシュの四部作中で一番本領発揮の録音だと思います。大作なので四つを最初から連続して聴いたことはないものの、特にハーゲンの出番(アルベリヒと二人きりのところとか)が惹かれました。夜になって音量をおとして聴いていても魅力的でした。

26 2月

サヴァリッシュとミュンヘン・オペラ ニュルンベルクのマイスタージンガー

130226 ワーグナー 楽劇「ニュルンベルクのマイスタージンガー」

ヴォルフガング・サヴァリッシュ 指揮
バイエルン国立歌劇場管弦楽団

バイエルン国立歌劇場合唱団

(合唱指揮 ウド・メールポール )

ハンス・ザックス:ベルント・ヴァイクル 
ファイト・ポーグナー:クルト・モル
クンツ・フォーゲルゲザング:ミヒャエル・シャーデ
コンラート・ナハティガル:ハンス・ヴィルブラント
ジクストゥス・ベックメッサー:ジークフリート・ロレンツ
フリッツ・コートナー:ハンス・ヨアヒム・ケテルセン
バルタザール・ツォルン:ウルリッヒ・レス
ウルリッヒ・アイスリンガー:ヘルマン・ザーペル
アウグスティン・モーザー:ローランド・ヴァーデンヒューラー
ヘルマン・オルテル:ライナー・ビューゼ
ハンス・シュワルツ:グイド・ゲーツィン
ハンス・フォルツ:フリーデマン・クンダー
ヴァルター・フォン・シュトルツィング:ベン・ヘップナー
ダヴィッド:デオン・ヴァン・デル・ヴァルト
エヴァ:ェリル・ステューダー
マグダレーネ:コーネリア・カリッシュ

夜警:ルネ・パーペ

(1993年4月 ミュンヘン・ヘルクレスザール 録音 EMI)

 演奏活動から引退していたものの、突然の訃報に驚かされたサヴァリッシュは、スクロヴァチェフスキと同じ1923年(大正12年)生まれなので、かなりの高齢でした。1988年にミュンヘンでR.シュトラウスのオペラを全作品、連続演奏したという記述がウィキにあり、今さらながら感心しました。スクロヴァチェフスキが去年も日本へも客演していることを思えば、引退後も少しは録音は続けて欲しかった気もします。ともあれ、在りし日を偲び御冥福を祈りたいと思います。

130226b  サヴァリッシュの代表的な録音と言っても、1957年には「トリスタンとイゾルデ」を振ってバイロイトに出演していて60年代にはオペラ以外でも録音があり、かなりの数に上ります。とりあえず一番印象に残っているのがミュンヘン・オペラとの楽劇「ニュルンベルクのマイスタージンガー」です。他にもR.シュトラウスの「インテルメッツォ」、「カプリッチョ」、メンデルスゾーンの「エリア」、シューベルトのミサ曲、LPOとのブラームス、ACOとのベートーベン等々いろいろ思い浮かびますが、発売前の予告・速報から楽しみにして購入したという点ではマイスタージンガーが特別でした。このCDが発売されたのが平成六年で、これをどこで購入したか記憶は定かでなく、どんな年だったかも覚えていません。ちょっと調べてみるとテレビでは「開運 なんでも鑑定団」が始まった年でした。

 発売を待って聴いただけあって、この全曲盤は隅々まで明解で鳴り切った録音で、圧倒されたのを覚えていますが、それとは裏腹に陰の部分が無さ過ぎるというか、ローカルな要素、猥雑さといった雰囲気が全然しないと思えました。そうした陰の部分というのが、具体的に何を示して、根拠があるのかさえ分かりませんが、とにかく一抹の物足らなさも感じました。その良い、悪い両方の印象は、サヴァリッシュのとった速めのテンポを貫いてあまり変化を付けない方針によるところも大きいと思います。

 イギリスで出版されて音楽之友社から日本語版が出ていたオペラの解説単行本のシリーズは、巻末に歴代の全曲録音盤へかなり詳しい批評が加えられていたので図書館で時々読んでいました。マイスタージンガーについては、録音の音質、精度とハンス・ザックス役の歌手に特に厳しい意見が並んでいました。 その中でカラヤンがドレスデン・シュターツカペレを指揮したEMIのセッション録音が満足の行くものとして挙がっていました(但しベックメッサーの配役が玉に傷といった意見でした)。

 そのカラヤン盤で、オーケストラがベルリンPOやウィーンPOではなく、当時東ドイツにあったドレスデン国立歌劇場のオーケストラを起用したのはカラヤンの希望だったと解説に載っていました。この作品が“ Die Meistersinger ohne(vonでは無く) Nürnberg (ニュルンベルク無しのマイスタージンガー)になってしまわないために、このオーケストラが必要だと考えた、即ち西側のオケではニュルンベルクの街という風情は出ないという考えのようでした。それならいっそ東側の指揮者で録音すればいいのに、とかそれを読んだ当時は思いました。

 それはともかくとして、最初に書いた1993年録音のサヴァリッシュ盤に何か不足した風情のようなものは、その「ニュルンベルク無しのマイスタージンガー」というカラヤンの話と繋がるかもしれません。特に第一幕・第三場でマイスターらが入場して点呼を取り、ポーグナーの挨拶、ザックスとの対話あたりまでが何となく素っ気無い気がします(この場面は舞台の無い音楽だけでも独特の高揚感がある)。もっとも、カナダ生まれのヘップナー、アメリカ生まれのステューダーがそれぞれヴァルターとエヴァを歌っている時代なので、もはやニュルンベルクのローカルな云々は問題外かもしれません。こんな曖昧な事柄は異文化圏の住人には確認のしようがありません。

130226a  マイスタージンガーといえば気になるのはハンス・ザックスです。この録音当時ベルント・ヴァイクル(1945年生まれ)は、48歳と円熟の頃とも言えますが、1984年のバイロト音楽祭のライヴ(ホルスト・シュタイン指揮でザックスを歌う)録音と比べるとさすがに老けて、丸くなった印象を受けます。台本上の年齢とかを思えばこういう感じなのかもしれませんが、テオ・アダムの威圧感のあるザックスを思えばちょっと弱々しい気がします。それにしても、サヴァリッシュの指揮は精緻で、戦前のザルツブルク音楽祭でのトスカニーニのライヴ録音(これは手元に無く、記憶はおぼろげである)をどこか彷彿とさせ、より慎重にしたような素晴らしさだと思います。 

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昭和40年代生まれ、オットー=クレンペラーの大フアンです。クレンペラーが録音を残したジャンルに加え、教会音楽、歌曲、オペラが好きなレパートリーです。

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