raimund

新・今でもしぶとく聴いてます

指:ホルスト・シュタイン

11 6月

ブラームス交響曲第2番 シュタイン、バンベルクSO/1997年

230611aブラームス 交響曲 第2番 ニ長調 op.73

ホルスト・シュタイン 指揮
バンベルク交響楽団

(1997年7月17-19日 バンベルク,ヨーゼフ・カイルベルト・ザール ライヴ録音 エイペックス)

 このCDは昨年12月、サッカーのワールドカップの直前に聴いていて、結局記事化途中で放置していたものです。いつのワールドカップの時か、サッカー好きで知られる明石家さんまが妙に辛辣なことを言っていました。普段は国内外のクラブチームのリーグ戦なんか見向きもしないのに、国別対戦のW杯になると急に騒ぐ層に対して、サッカーが好きなのではなく、日本が外国と対戦する(対戦して勝つ)のが好きなだけだと。かたいことを言わず、万事そんなものだとして、先月のある日、ベームとウィーン・フィルのブラームス第2番を聴いて、いつになく爽快な気分になり、改めてこのCDを聴く気になりました。自分の中の定番としては梅雨に入る頃は悲愴交響曲と決まっていましたが、ブラームス第2番で潮目が変わりかけです(あくまで気分が、現実は別に変化なし)。

 
そのベームを聴いた直後に改めて聴いたらこのシュタイン、バンベルクSOの方は妙に地味に、滑らかに聴こえて、ワーグナーの楽劇の演奏の際とはだいぶ違う感じです。何となくスウィトナーのブラームスに似ている気がしました。シュタインのブラームスは過去記事で扱っていて、その際に聴いた印象では第2番はシュタインの演奏に一番合いそうな気がしていました。しかし色々聴いているとそう単純でもありませんでした。レコ芸の月評で「推薦、準、無印」と評者はランク分けしていましたが、休刊するとなって振り返るとあれもかなり難しい業務だと思います。ところで1997年の録音ならもう新譜はCDのみになっていたと思いますが、シュタインのシューベルトはLPも出ていました。 

 ホルスト・シュタイン(Horst Walter Stein 1928年5月2日:エルバーフェルト - 2008年7月27日)とギュンター・ヴァント(Günter Wand 1912年1月7日:エルバーフェルト - 2002年2月14日)は生地が同じでした。エルバーフェルトはバルメンや複数の都市と合併してヴッパタールとして成立しました。クナッパーツブッシュもエルヴァーフェルトの蒸留酒業者が実家で、エルヴァーフェルトから有名な指揮者が三人も出ています。あと1912~13年のシーズンにクレンペラーがバルメン歌劇場の指揮者になり、バイロイト以外での上演が解禁されたパルジファルを指揮しました。ほぼ同時にエルヴァーフェルトの歌劇場ではクナがパルジファルを指揮していました。

 シュタインの方が干支で一回り以上も若いことになりますが、このCDの解説にはヴァントとはタイプが異なる指揮者だと、バンベルク交響楽団でホルン奏者を長らくやっていた方の話が載っていました。指揮者には「自分のイメージをしっかり持っていてオーケストラを引き込もうとする」人と、「オーケストラの個々の奏者を尊重して任せてくれる」人があって、シュタインは後者であり、ソロの部分があれば「さあどうぞ、思う存分歌ってください、僕がつけてあげます」とばかりに指揮したそうです。その話とは対照的に
ホルスト・シュタインはまた、大声で怒鳴りまくる昔気質の楽長タイプ(どこかに書いてありました)という面があったそうなので、N響に何度も客演してTV放送でも顔が知れて身近な音楽家ながら日本でのリハーサルはどんな感じだったのかと思います。
6 3月

1984年バイロイト・マイスタージンガー シュタイン、ヴァイクル他

160306bワーグナー 楽劇 「ニュルンベルクのマイスタージンガー」

ホルスト・シュタイン 指揮
バイロイト祝祭管弦楽団管弦楽団
バイロイト祝祭合唱団(合唱指揮ノルベルト・バラチュ)

ハンス・ザックス:ベルント・ヴァイクル
ファイト・ポーグナー:マンフレート・シェンク
ベックメッサー:ヘルマン・プライ
フォーゲルゲザング:アンドラーシュ・モルナール
コートナー:ジェフ・フェルメールシュ
ツォルン:ウド・ホルドルフ
アイスリンガー:ペーター・マウス
モーザー:ヘルムート・ハンプフ
オルテル:シャンドール・ショーヨム・ナジ
ハンス・シュワルツ:ハインツ・クラウス・エッカー
ハンス・フォルツ:ディーター・シュヴァイカート
ヴァルター:ジークフリート・イェルザレム
ダヴィッド:グレアム・クラーク
エヴァ:マリアンネ・ヘッガンデル
マグダレーネ:マルガ・シムル
夜警:マティアス・ヘレ

演出、美術:ヴォルフガング・ヴァーグナー
衣装:ラインハルト・ハインリッヒ

(1984年6月18-29日 バイロイト祝祭劇場 収録 )

 ソウル五輪前後に活躍したソ連の女子体操選手にエレーナ・シュシュノワという人がいました。バイロイト音楽祭とは無関係だけれど、このマイスタージンガーでエヴァ・ポ-グナーを歌っているマリアンネ・ヘッガンデルがアップで映った時、誰かに似ている(角張り気味な)と思っているうちにシュシュノワ選手を思い出しました。ついでにサッカー日本代表女子の大野選手も、と思いつつリオ五輪出場は駄目になり、国内女子リーグの運営も厳しいので選手も結果を要求されるばかりで大変だと思いました。ソウル五輪の時は日本選手のメダルが前回大会から急減した上に、会場では日本選手への逆エール(ミスすると歓声があがるとか)が大きくて、当時学生だった私は普段スポーツに関心なさそうな教授が怒り心頭といった口調でナショナリズムがどうのとまくしたてていたのでちょっと驚きました。これもいつか来た道で、戦前の日本を思えばかわいいもの、ある程度仕方ないと思っていました。

160306a この1984年のバイロイト音楽祭のマイスタージンガーはレーザーディスクで既に発売されていて、舞台の写真だけでもお馴染みなソフト、公演でした。 中央に大きな木があるセットはバイロイトだけのものだったのか、週刊誌の記事でベルリンのコーミッシュオーパでジークフリート・フォーゲルがザックス役で出演した公演について書かれてあったことがあり、それも舞台中央に大きな木が据えられていたようでした。実はこのソフトはLDでも購入しており、何度も観た愛視聴盤で、とくにまだ若かったヴァイクルとイェルサレム、ヘルマン・プライが特に気に入っていました。「ニュルンベルクのマイスタージンガー」はカラヤンとシュターツ・カペレ・ドレスデンの全曲盤を湾岸戦争前後の頃によく聴いていて、当時からしばらくの間はワーグナー作品の中ではマイスタージンガーが一番好きなくらいでした。その時の印象から、ハンス・ザックスは職人の親方らしくなくても威厳のある美声じゃないとだめという勝手な基準のようなものが出来ていました。それとベックメッサーもあまりに軽いかませ犬的な声のキャストはいただけないと思っていました。

 それからすると、このソフトのヴァイクルのザックスとプライのベックメッサーは稀な名コンビだと、歌だけでなく視覚的にもそんな風に思いました。これ以前のザックスは例えば、バイロイトでもザックスを歌ったオットー・ヴィーナーやヨッフム盤のフィッシャー・ディースカウもそれぞれ微妙な印象で、個人的にとことん素晴らしいとは言い切れませんでした。ただ、このマイスタージンガーでのザックスは朗誦、対話の部分でもあまりに直線的に歌っているのでちょっと物足らなく感じます。カラヤン盤のテオ・アダムは結構あくが強いというか、アクセント、振幅の感じられる歌い方で、会話をしている臨場感が独特でした。

 この印象は演奏全体からくるものかもしれず、第三幕第五場で「目覚めよ、朝は近づいた」の合唱を受けてザックスが  Euch macht ihr's leicht~(おどれらは、不束な儂を~)と独唱する部分は、アダムが歌っている部分では後になるにつれて速くなっているような高揚感が強くなっていた気がしました。それがこの1984年のバイロイトのマイスタージンガーではあっさりとしたもので、こんなんで熱くなるなともとれるような演奏で、そもそもシュタインの指揮も終始シャープな響きが印象的でした。フィナーレでザックスが自分の頭上に被せられた月桂樹の冠を返して、ベックメッサーとも握手している後姿が見えていました。なんとも円満な結末で、演出も音楽もぴたりと一致しているようで、無責任ながらワーグナーの毒気はどこに?と、ちらっと思いました。
26 11月

ワーグナー「パルジファル」 ホルスト・シュタイン、1980年バイロイト

141126ワーグナー 舞台神聖祝祭劇「パルジファル」


ホルスト・シュタイン 指揮
バイロイト祝祭管弦楽団管弦楽団
バイロイト祝祭合唱団
(ノルベルト・バラチュ)


アンフォルタス:ベルント・ヴァイクル(Br)
ティトゥレル:マッティ・サルミネン(Bs)
グルネマンツ:ハンス・ゾーティン(Bs)
パルジファル:ジークフリート・イェルザレム(T) 
クリングゾール:レイフ・ロアー(Br)
クンドリー:エヴァ・ランドーヴァ(Ms)
第1の聖杯騎士:トニ・クレーマー
第2の聖杯騎士:ハインツ・クラウス・エッカー
アルト独唱:ルートヒルト・エンゲルト・エリー 他


演出・舞台美術:ヴォルフガング・ワーグナー  
衣装:ラインハルト・ハインリッヒ


(1980年 バイロイト祝祭劇場 収録 )

141126b 京都会館がロームシアター京都としてリニューアルオープンするので「サポーター・パートナー制度」と称して会員を募集するメールが届きました。かつてネットから京都コンサートホールのチケットを購入した人に一斉に送信しているのでしょう。個人は年間一口2万円となっていましたが肝心の公演内容はどうなっているのか、今年三月の琵琶湖ホール程でなくてもそれに近いオペラ公演でもあればと思います。京都会館の建てかえの話題が出たとき、オペラ公演なんて京都では成り立たない(海外の劇場の引っ越し公演とかでもない限り)とか悲観的な意見が多数でしたが、だんだんオープンが近づいてきました(2016年1月)。メインホールでは京響らによるフィデリオが最初のオペラ公演のようです。

 このDVDは1980年のバイロイト音楽祭でのパルジファルを収録したもので、LDとして既に出ていたものです。レーザーディスクの末期に思いっきりディスカウントされた際にこれとマイスタージンガー(同じくシュタイン指揮のバイロイト)を購入して何度も観ていました。今年は再生環境が大幅に向上したのでDVDで再度購入しました。LDプレーヤーは既に生産されていないらしく、いずれ再生できなくなります。実のところこのパルジファル、演出・映像と歌手はあまり印象に残っていなくて専らマイスタージンガーの方が記憶に残っていました。

141126a 何故そんな印象だったのかと考えると、例えばたまたま今年観たニコラウス・レーンホフ演出、ケント・ナガノ指揮のベルリン・ドイツ交響楽団らのDVDのような舞台に比べて抽象的で、観る方の受け止め方によっては様々に映りそうで、あまり説明的でない、見せ過ぎないということがあると思います。レーンホフの演出の舞台はアンフォルタスがよろめきながら登場して、聖餐の場では聖杯騎士らから無慈悲な扱いを受けていました。その他、核兵器が使われた後の廃墟のようなセット等、具体的に描いているので観る者の解釈は限定されてきます。実はそのレーンホフ演出のパルジファルは分かり易くてかなり好感を持って反復して観ていました。しかし、今となっては少し古いこのバイロイトのパルジファルを観てドナルド・キーンさんがエッセイで書いていたことを思い出して、こういう演出も良いものだと思いました。

 ご長寿なキーンさんは最近でもメトの舞台を観ているそうで、指輪の新演出(レヴァインが途中降板したあれ)を観て、基本的に旧演出(1980年代末にCDとLD他で収録)の方が良かったとしています。新しい方は大きな細長い板に映像を映して森の中や岩山等を表現するセットですが、観客のイマジネーションが働く余地が少ないという意味のことを言っていました。つまり、反面では分かり易いと言えるのではないかと思われ、あとは美的な感覚の問題もあるはずです。あと、メトの新しいパルジファルの舞台は目を閉じて音楽だけを聴いていたとか酷評していました。

 イマジネーション云々と言っても、オペラを劇場で滅多に観ていなくて、異文化圏の住人としては、そもそもそれを働かせるのも容易ではないと言えますが、少なくともこのパルジファルを観ていてそのニュアンスが察せられました。舞台、演出はそれとして、シュタイン指揮のオーケストラの方は素晴らしくて、このところ取り上げた最晩年のブラームスなんかと比べると、よりシャープで隙の無い演奏で、こちらの方も魅力的でした。歌手の方はグルネマンツが老騎士というより若頭のようで、外見が威厳有り過ぎのようです(その割に歌の方はやや単調か)。パルジファル役のイェルザレムはよく指摘された声の震えは目立たず、若々しい美声です。

20 11月

R.シュトラウス「ツァラトゥストラはかく語りき」 シュタイン、バンベルクSO

R.シュトラウス 交響詩「ツァラトゥストラはかく語りき」作品30


ホルスト・シュタイン 指揮
バンベルク交響楽団


(1987年5月18-22日 ニュルンベルク,マイスタージンガーハレ 録音 Ariola Japan)

 知らない内に街路樹の銀杏が黄色くなっているので次の連休あたりが紅葉のピークになりそうです。今日の午後も路線バスに乗って出先から帰りましたが、混雑は程々でした。金閣寺方面から銀閣寺の前の方を回る循環系統のバスに乗ると、自分の前に見覚えのある外国人男性が座っていました。どこで、誰?とか考えているとヘレヴェッヘの若い頃に似ていると気が付きました。ガイドブックのようなものを持っていたので金閣寺の次は銀閣寺に行くつもりかと、内心コテコテの観光ルートだとほほえましく思っていると私と同じく地下鉄に乗継できる北大路駅で下車しました。運賃支払い時にはもたついていた彼は下車してからは歩くのが早くて、あっという間に追い抜かれて日頃の運動不足を実感しました。それから地下鉄に駆け込み乗車したところ、先に乗って座っていたそのヘレヴェッヘ似と目が合い、またしばらく同じ車両に居ました。地下鉄の方は慣れた様子なのであるいは留学とか就業の長期滞在者かもしれません。

141120 ホルスト・シュタインは1970年のバイロイト音楽祭では「ニーベルングの指輪」を指揮していて、その放送を年末に聴いた近藤憲一氏がこのCDの解説冊子に寄稿しています。シュタインは前年にパルジファルを振ってバイロイトに初めて登場しました。その三年後に初来日してNHK交響楽団に客演しました。ということでバンベルク交響楽団とのこの録音時にシュタインは日本ではすっかりお馴染みでした(1975年にNHK交響楽団の名誉指揮者となり、1977,80,81,83,85年にN響へ客演していた)。その間にEMIからN響と共演したワーグナー管弦楽曲集のLPが出ていましたが、今から思えば当時買って聴かなかったのが残念です。

 このCDはツァラトゥストラの他に同じくシュトラウスの「祝典前奏曲」OP.61とワーグナーの「タンホイザー」序曲(ヴェヌスベルクの音楽付き)が入っていてどれもが素晴らしい演奏です。元々交響詩「ツァラトゥストラはかく語りき」はあまり好きでなく、それ以外のR.シュトラウスの管弦楽曲もあまり親近感が湧きませんでしたが、シュタインとバンベルク交響楽団の一連の録音を聴くとこれなら違う印象になるかと思って探していました。映画に使われもした冒頭部とか大音量の箇所ではない静かなところがすごく美しくて、曲に対するイメージが改まりそうでした。いかつい風貌と裏腹に繊細で柔軟な演奏に改めて感心します。

 シュタインとバンベルクSOのR.シュトラウスは他に「アルプス交響曲」も録音していましたが、このCD同様にあまり評判になっていなかったようです(アルプス交響曲のCDは見たことがない)。この曲の録音と言えばカラヤン指揮のBPOや自分が初めて聴いたメータとニューヨークPOや、古いところではライナーとシカゴ交響楽団を思い出します。それらのオーケストラの技量と比べれば、この時のバンベルク交響楽団は地味な存在かもしれませんが会場、録リ方もあってか独特の魅力だと思います。

18 11月

ブラームス交響曲第3番 シュタイン、バンベルク交響楽団

141118aブラームス 交響曲 第3番 ヘ長調op.90


ホルスト=シュタイン 指揮
バンベルク交響楽団


(1997年7月17-19日 バンベルク,ヨーゼフ・カイルベルト・ザール ライヴ録音 エイペックス)

 先日、大江健三郎の作品を読もうと発作的に思い立って書店の文庫本コーナーを探しました。当然何種類か置いてあると思ったら予想外に「大江健三郎 作家自身を語る」だけしか並んでいなかったのであきらめました。大江作品は昔から手にとっては難解そうだと思ったり、言動がちょっとあれだとか、いろいろな気分のあやで長らく読んでいない間に書店での需要に変化が起きたのか、どの作家でもそんなものなのか、とにかく案外目当ての本は無いものだと思いました。後日会合の会場に早く着いたので時間待ちにJR京都駅地下にある別の書店を探したところ、そこにも一冊だけ初期の短編集「死者の奢り・飼育」が並んでいたので購入しました。これがまたしょっぱなから陰気な作品ですが(タイトルからも察しが付く)、ちびちびと読もうと思いカバンに入れて持ち歩いています。

141118b 過去記事の中でブラームスの交響曲第3番を取り上げた日付を見ると10月か11月が多くて、やっぱり真夏のくそ暑い時にはあまり聴く気にはならないものだと再確認しました。このCDはホルスト・シュタインが最晩年にバンベルク交響楽団を指揮したブラームスの交響曲集です。最初はKOCH Schwannレーベルから出ていて、短期間で絶版状態になりやがてレーベル自体が消滅してしまいました。それが後に国内盤として再発売され、シュタインとバンベルクSOの日本公演で同じ曲目を聴いた人はその時の感動を追体験できるとして好評でした。それにシュタインの録音はあまり多くないので貴重です。

シュタイン・バンベルクSO(1997年)
①11分03②9分21③6分46④10分05 計37分15
ジュリーニ・VPO(1990年)
①14分59②9分32③7分00④08分56 計40分27

 上記のようにジュリーニ晩年の(総じて遅い演奏が多い)録音程はゆったりとしていないものの、それでも終楽章はジュリーニを上回っています。こうした演奏時間よりも、全体的に大らかで作品の世界が広く拡散して行くような印象はどこかブルックナー的とも言えそうです。第1楽章は重厚な響きですが、2楽章以降は「ブラームスの英雄交響曲」と言うよりも「田園」に近いという感覚です。録音、音質の特徴もあってか、がっちりとした構成を意識させるタイプとは違ったブラームスのようです。

 CD付属の解説にはシュタインがバイロイト音楽祭でパルジファルを指揮した際、公演を収録したプロデューサーだったヴォルフラム・グラウルがシュタインの思い出を寄稿しています。ドイツではまずオペラ指揮者として有名になっていたシュタインは、特に愛情を注いでいたレパートリーはロマン派、後期ロマン派だったと思うと書いています。このブラームスの録音の印象もそれを読んで符合するものがありました。余談ながらこのジャケット写真の表情は良い表情で、演奏する音楽に浸りきって何物も妨げられないような境地を思わせます。気のせいかシュタインの肖像、写真が少ないのはちょっと残念です。

18 10月

シューベルトのグレート交響曲 シュタイン、バンベルクSO

141018aシューベルト 交響曲 第9(8)番 ハ長調 D.944 「グレート」


ホルスト・シュタイン 指揮
バンベルク交響楽団


(1985年12月5-6日 バンベルク 録音 Ariola Japan)

 プロ野球のクライマックス・シリーズ、セリーグはシーズン2位だったタイガースが四連勝して日本シリーズに進出しました。昨日も書いていましたが全くの予想外です。甲子園で何試合するか分かりませんが、何か途方もないツキが関係しているような感じなので今回は観に行こうかと思います(平日昼間だったら困るけど何とかしたい)。「何が起こるか分からない」、というのは悪いことが起こった時に使うというイメージがこびりついているので今回は逆のケースです。

 今日の正午頃宇治川を渡る京滋バイバス側道の気温計が18℃を表示していました。いつだったか36℃くらいだったので当たり前のことながらようやく秋です。涼しくなってくると聴いてみようかという気分の作品やジャンルがあって、ブラームスとかシューベルトもそのうちです(もっともシューベルトは暑くても聴いていますが)。シューベルトの交響曲グレートは最初から最後まで通して聴こうかという気にはなり難くて、前半の二楽章だけで止めるということも有る程です。しかし今日は久しぶりに全曲を通して、連続して居眠りもせずに聴きました。

交響曲 第9番 ハ長調 D.944 「グレート」
1楽章:Andante. Allegro ma non troppo
2楽章:Andante con moto
3楽章:Scherzo. Allegro vivace
4楽章:Finale. Allegro vivace


 この録音は長い曲が本当に長いなあと感じるゆったりとした演奏で、クレンペラーのEMI盤よりもトラックタイムの合計が長くなっています。第3楽章が、スケルツォ楽章をゆっくり目に演奏する(代りに緩徐楽章を速目に)クレンペラーよりも遅い(演奏時間が長い)というのは珍しいパターンです。さらに第2楽章もゆったりとして、「天国的な長さ」を良い意味で実感できます。別のCDの解説文の中に、シュタイン指揮のバンベルクSOの一員として演奏したホルン奏者の体験が載っていて、シュタインはオーケストラの曲中のソロの箇所が来ると「さあどうぞ、思う存分歌ってください、ぼくがつけてあげます」といった風に奏者に任せてくれるタイプだと評していました(サヴァリッシュ、ヴァントとは違うタイプとしている)。この録音を聴いていると何となくニュアンスが分かります。

シュタイン・バンベルク・1985年
①13分50②16分07③10分49④12分11 計52分57

クレンペラー・PO・1960年
①14分35②14分57③09分54④12分42 計52分28

141018b ホルスト・シュタイン(1928年-2008年7月27日)はウィーン・フィルと1970年代に録音したブルックナーの交響曲第2番や第6番、バイロイトの公演を収録した映像ソフト等がありましたがより後年、晩年の録音はあまり出ていませんでした。1988年録音のルチア=ポップのR.シュトラウス名場面集があまりに素晴らしかった(月光の音楽は特に見事)ので全集モノ(ブルックナー)とかまとまった企画が無いのがすごく残念です。そんな中でバンベルク交響楽団を指揮したシューベルトやブラームス等は貴重な録音だと思います。

13 12月

シューベルト交響曲第5番 シュタイン、バンベルクSO

シューベルト 交響曲 第5番変ロ長調 D.485

ホルスト・シュタイン 指揮
バンベルク交響楽団

(1986年5月24-26日 バンベルク録音 Ariola Japan)

131213a フランスの伝統的なクリスマスケーキにビュッシュ・ド・ノエルというケーキがあります(と書いているものの今日この名称を知ったのだけれど)。薪の形を模した短く太めのロールケーキの上面に飾りが付いています。今日のお昼にアルザス食堂( CHEZ LUC と言う名前)の前を車で通ると開店時刻を過ぎているのに「準備中」の札がさがっていました。車を止めて確かめるとランチのみ休業と書いてあり、昼を食べ損ねました。その代わりにフランス菓子の「アグレアーブル」店内でコーヒーとケーキをいただきました。F二家やYザキパンに慣れた我々には外観も味も珍しいものが並んでいます。よく外国の菓子は甘さが濃すぎるとか言われますが、どぎつい甘さではなく、香ばしく上品に甘いものです。店の看板を見ただけでは正真正銘のフランス菓子の店だとは気が付きませんでした(外観も控えめで上品)。

 12月に入って色々な会合が増えて、後部座席に人を乗せる機会が増えるのでカーナビのオーディオで再生するSDカードを無難な曲に変えました。とりあえずホルスト・シュタイン指揮、バンベルク交響楽団のブラームスシューベルトの交響曲をセットしました。しばらくぶりに車内で聴いていると、どれもしみじみと感動的で、シュタインも生で聴いてみたかったと今さらながら思いました。

131213b ホルスト・シュタイン(1928年5月2日-2008年7月27日)は、ギュンター・ヴァントと同じくエルバーフェルト市(現在はヴッパータール、バルメンとエルバーフェルトが合併して出来た)の生まれで、二人ともケルン音楽大学で学んでいました。シュタインはメジャーレーベルにレコードの録音が少なく、ウィーンPOとのブルクナーの交響曲第2、6番やグルダと共演したベートーベンのピアノ協奏曲等が主なものでした。しかし、1973年以来NHK交響楽団には隔年で客演していたことや、1970年のヴァイロイトで指輪を振った音源が年末にFMで放送されて評判になったことで日本では特に人気がありました(といっても本場の評判がどうだったのかよく分からないけれど)。

交響曲第5番変ロ長調 D485
第1楽章:Allegro
第2楽章:Andante con moto
第3楽章:Menuetto Allegro molto
第4楽章:Allegro vivace

 交響曲第5番は、シューベルトが19歳になる1816年に作曲した作品です。未完成、ザ・グレイトに続いて録音機会が多かったと思われるこの交響曲は、一応作曲された年にオットー・ハトヴィヒ(素人音楽家らしい、ボヘミア出身)家で彼の指揮により初演されました。公の初演はずっと後年、1873年2月1日にロンドンで行われています。初めてこの曲を聴いた時はモーツアルトの作品かと間違う程で、解説の多くには古典派的な様式で書かれ、モーツアルトの影響、類似性が指摘されています。

 初めて購入したこの曲のレコードはクレンペラー指揮のフィルハーモニア管弦楽団のセッション録音で、国内盤(クレンペラーの芸術・1,500円/枚だったはず)が廃盤だったのでリマスターされた輸入盤できました。1980年代後半のことで間もなくCDに切り替わり、続いてヴァント指揮のケルン放送交響楽団のCDでよく聴いていました。

 他のシュタインのCDには彼の指揮するオケで演奏した日本人奏者の経験談が載っていて、シュタインは「オーケストラの個々の奏者を尊重して任せてくれる」タイプであり、「自分のイメージをしっかり持っていてオーケストラを引き込もうとする」サヴァリッシュやヴァントのようなタイプとは違っていたと述懐しています(どちらも素晴らしかったとしているが)。バンベルク交響楽団との一連の録音を聴いていると、そうした団員の言葉もなるほどと思います。

17 10月

ホルスト=シュタインのブラームス第4番 バンベルクSO

ブラームス 交響曲 第4番 ホ短調op.98


ホルスト=シュタイン 指揮 バンベルク交響楽団


(1997年9月17-19日 バンベルク、ヨーゼフ・カイルベルト・ザール ライヴ録音 エイペックス)


 今日の昼前に簡易書留を出しに郵便局へ行くと、国際文通週間の記念切手のポスターがありました。メール全盛の現代にあってはいちいち宛名を書いて(きたない字で)封書発信するのは非常に億劫になりました。それでも切手趣味週間と並んできれいな図柄の国際文通週間の記念切手はまだ続いています。書留の宛名等をスキャンして、書き写さなくてもよい装置がある局ならすぐに済みますがそれが無い所は結構時間がかかります。


111017c
 ブラームスの交響曲第4番は、ブラームスの4つの交響曲どころか彼の作品の中で一番好きな作品です。初めて聴いた時からどうも生理的に好感がわくといったところです。ただブラームスに対するイメージに加えてこの曲のイメージも暗く、例えば村上春樹の「ノルウェイの森」の中で若くして自ら命を断つヒロインがこの曲を好きだという設定になっています。何となくネガティブな影が付きまといます。しかし個人的にはこの第4番は、何百回飛び降りても、何千回くびをくくったとしても、倒れた場所から植物のようにまた生えて来るような、不滅の情念的なものを感じます。この曲からは実に勝手なイメージながら、そういう攻撃的な、しぶといものを連想してしまいます。それは最初に買ったブラームスの第4番のレコードがクレンペラー盤だったことも影響しているはずです。  (左の写真はオットーボイレン修道院の聖堂でのホルスト・シュタイン、バンベルク交響楽団最後のコンサート 2001年5月21日)

111017a 
 ところが、このCD、ホルスト=シュタインによるブラームス第4番は自分のそういうイメージが極めつけ恥ずかしくなるような澄みきった、濁ったものが一切無いような素晴らしさです。美しいと言えば、それすら何か余計な色が付いているようで、ふさわしく無いと思える程です。この曲は古くから第1楽章について「すすり泣き」と表現されることもありましたが、シュタインの演奏を聴いているともはや涙を流すような出来事は過ぎ去ったような幸福感に溢れています。右の写真は、1998年11月2日の東京芸術劇場でのシュタイン指揮のバンベルクSOの際の写真です。本当に音楽にひたり切った幸福感に充ち充ちた表情で、まさにCDの中身にぴったりの写真です。ちなみにブラームスの第1と第2が入ったCDのパッケージも同様のシュタインの指揮姿ですが表情が少し違って、軽くどや顔をしている写真です。2枚ともすごく良い写真だと思いました。下記はこのCDの交響曲第4番の演奏時間です(第3番がカップリング)。


①13分31②11分53③6分46④11分17 計43分27


 CD付属の解説には「 これだけ誇張もなく、自然であり、美しく溶け合った響きのブラームスは空前にして絶後である 」と評されていて、説得力があります。また、「よく耳をそばだてて聴くと、そのきめの細かい仕上げに言葉を失ってしまう」とも書かれてあります。それはシュタインの日本公演でブラームスの交響曲第2番を聴いた平林直哉氏の文章です。最初は演奏会場で聴いた音との差にちゅうちょしたけれど、録音・CDでも慣れて来るとその絶妙であった音色の追体験が出来たということでした。レコ芸の月評ではどうなっているか、別冊を見るとホルスト・シュタインの録音はバンベルク交響楽団とのシューベルト全集だけが特選になっていました。シュタインの名前はその1点の録音集だけというのはさびしい限りです。


111017b
 このCDは当初ブラームスの交響曲全集というかたちで、ドイツのkochレーベルから発売されて話題になったものの再発売・2枚組×2の分売です。同じレーベルからシューベルトの交響曲全集、R.シュトラウスのアルプス交響曲等があるようです。1928年生まれのホルスト=シュタインは2008年に80歳で亡くなったので、これはその10年程前の録音ということになります。シュタインは1972年にはブルックナーの交響曲第6番1973年にはブルックナーの交響曲第2番をそれぞれウィーンフィルと録音していて、武骨な風貌から想像し難いしなやかで繊細なブルックナー演奏に感心させられます。ブルックナーの2種の録音から今回のバンベルク交響楽団のライヴ録音まで20年以上を経ていますがこの間にあまり録音が無いのは非常に残念です。このCDのような調子でブルックナーを演奏していればどんなにか魅力的な演奏になっただろうと残念でなりません。 (左の写真はバンベルク大聖堂内部らしい)

 そういえば切手趣味週間の「月に雁」、「見返り美人」は使用済みでさえすごく高価だったはずで、今ではいくらくらいになってるのかと思います。 

12 9月

ブルックナー 交響曲第6番・ハース版 シュタイン VPO

110912a_2ブルックナー 交響曲 第6番 イ長調 (1881年・ハース版)

ホルスト=シュタイン  指揮

ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

(1972年11月15日 録音 DECCA)

 DECCAのマークが表示された濠太剌利のELOQUENCE(廉価盤シリーズ)が、このところ古い録音を再発売しています。その中にかつてウィーンフィルによる、多数の指揮者が分担したブルックナーの交響曲シリーズが何点かありました。そのウィーンPOのシリーズは、アバド(第1番)、メータ(多分メータだと。第9番)、ショルティ(第7、8番)、マゼール(第5番)、ベーム(多分ベーム。第3、4番)、そしてホルスト=シュタイン(第2、6番)という割り振りだったと思います。この中で第2番のホルスト=シュタインは6月に記事投稿していて、素晴らしさに感心しました。いっそシュタインで全曲録音すれば良かったと思える程でした。今回の第6番もウィーンPOの美しさも相まって、今更ながら素晴らしい録音です。

110912b   輸入盤によくあることながら、CDにはノヴァーク版ともハース版とも表記がありません。一方HMVのサイトにはノヴァーク版と書かれてあります。さらにブルックナーフアンの個人サイトのディスコグラフィでは、ハース版に分類されています。第6番はレーヴェ等の改訂版がなく、ハース、ノヴァークのどちらも原典版であるので、また両者の差はほとんど無いとされているから気にする必要はありませんが、本当はどっちなのかと思います。両スコアを前にして聴いて照合すればはっきり(気がつかないかも)するのでしょう。上記の個人サイト“ abruckner.com/  ”では、ヴァントの第6番がノヴァーク版に分類されていて、ヴァントは他の曲ではハース版を選択しているので何か気になります。

 下記、青字がこのCDの演奏時間で、先日のクレンペラーをはじめヨッフム旧録音と比べて合計時間がほぼ近似しています。これら3者では、やっぱりクレンペラーの各楽章のバランスが独特なのが浮き彫りになります(アダージョ楽章は速く、スケルツォ楽章はゆっくり)。贔屓はそれくらいにして、シュタインに注目すれば、ヨッフム程アダージョ楽章とスケルツォ楽章とでメリハリが付けていないテンポです。そうした定量的な差の他に、何となくこの時代の他のブルックナー録音より小編成な響きにきこえます。金管はあまり咆哮しないことだけでなく、弦も淡泊な響きです。また、演奏・録音している会場の音響が良いのか残響の具合が丁度良いと思えます。シュタインのワーグナー作品(ヴァイロイト)もこういう演奏だったように記憶がよみがえってきます。

シュタイン・VPO(1972年)
①16分42,②16分10,③8分06,④13分43 計54分41

クレンペラー・ニューPO(1964年)
①17分02,②14分42,③9分23,④13分48 計54分55
ヨッフム・バイエルンRSO(1966年)
①16分30,②17分08,③7分54,④13分20 計54分52

 思えば1960年代、ブルックナーの交響曲第6番の録音は多くなくて、ハイティンクの全集でも1970年頃の録音なので、シュタイン盤も含めて上記3つはごく初期の録音だったことになります。ホルスト・シュタインはセッション録音の数が少ないので、このDECCAによるVPOのブルックナー2曲は貴重な録音です。

 交響曲第6番の原典版による初演は、1935年にドレスデンで行われています。それ以前には1899年マーラー指揮のウィーンPOにより短縮版で演奏されていました。ブルックナーの生前には第2、3楽章だけ演奏され(1883年)たので、結局作曲者は完全な姿で聴くことなく世を去りました。

 今日のお昼、職場近くの薬局に行きました。目当ての歯ブラシ等を見つけて、清算する前に、後1品目あったはずだけど思い出せず店内で突っ立っていると、店員から「何をお探しですか」と声をかけられて困りました。結局支払いが終わった時に、「あっ綿棒」と思い出して終わりました。外では珍しくミンミン蝉が1匹鳴いているのがきこえ、そう言えば去年もミンミン蝉が鳴いた日があったように思いました(ブログに書いたかまでは覚えていない)。

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29 6月

ブルックナー第2・1877年ハース版 シュタイン VPO

ブルックナー 交響曲 第2番 ハ短調(1877年ハース版)


ホルスト=シュタイン 指揮 
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団


(1973年11月29日 録音 DECCA)


 今日も概ね晴天で午後3時前に、二条城の南前を走行していると車内の温度計が37度を表示していました。この温度計は大きな橋や幹線道路沿いにある電光表示の温度計とほぼ一致しているので、外気温度が確実に摂氏37度あったわけで道路工事等の従事者の労苦はただごとではありません。山間部の京北でも32度はあったので、避暑できそうな場所見当たりません。嵐山の渡月橋から桂川(大堰川)を遡ると右京区京北にたどり着きます。川では鮎の友釣りをする人が多数見られました。


110629
 ホルスト・シュタインはバイロイトで指揮し、N響でもおなじみですが録音の方は非常に少なく、代表盤は?と問われてもすぐには思い当たりません。バイロイト音楽祭でのニュルンベルクのマイスタージンガーや、バンベルク交響楽団との何点かの録音くらいが話題になっていたはずです。しかし、例えばルチア=ポップの「R.シュトラウス名場面集」のオペラ「カプリッチョ~月光の音楽以降」等は繊細で美しく、単にドイツ系の重厚な響き云々という定型句ではとらえられない演奏でした。このブルックナーの第2番も意外な、隠れた名演と言える録音です(私が知らなかっただけで有名だったのかもしれません)。


交響曲第2番・1877年稿ハース版
1楽章:Ziemlich schnell
2楽章:Adagio;Feirlich,etwas bewegt
3楽章:Scherzo;Schnell
4楽章:Finale;Mehr schnel

①17分59,②16分25,③6分13,④16分39 計57分27


 このCDのトラックタイムは上の通りで、
1月に記事投稿したヴァントとケルン放送SO(下記)と比べても短いという意外な結果です。というのは、1973年頃なら、ようやくヨッフム、ハイティンクのブルックナー交響曲全集が完成した程度で、ブルックナー=後期ロマン派、ワーグナ派くらいのイメージが強く(?)、演奏もそれを反映した重厚で時には鈍重なものが多いだろうと推測されます。ちなみに朝比奈の1回目の全集(ジァン・ジァン)もまだ途中で、ヴァントとケルン放送SOとの全集も、翌年1974年の第5番から録音が開始されたところです。演奏時間を見ればシュタインとヴァントは似ていて、同じハース版でもあります。


ヴァント(ケルン 1982年)

①19分07,②15分42,③7分53,④16分05 計58分47


 聴いていると、オーケストラがウィーンPOだからかヴァントの定評ある録音よりも、良い意味で力が抜けて優美な響きで、親しみやすい演奏だと思います。これはオーストラリアで発売されたDECCAの廉価盤ですが、近年流行りの高品位CDで復刻してもよいような録音です。ついでにホルスト=シュタインの風貌はどこかブルックナーに似ているように見えます。


 ブルックナーの第2番・1877年ハース版は、1877年ノヴァーク版の第2楽章がアンダンテなのに対して、同楽章はアダージョで、他の楽章の速度表記等も少し違います。基本方針の違いとしては、ノヴァーク版の方があくまで1877年稿を基本にして原典版を校訂しているのに対して、ハース版は初期稿(1872年,1873年)も一部取り入れた折衷的な校訂です。結果的に、1877年ノヴァーク版が一番短くなり、凝縮されて完成度が高いと言われています。今回のCDのハース版は、ブルックナーが最初に完成させた頃の情緒も残した版と考えることもできますが、初期稿そのものが出版された現代ではかげが薄くなりました。


 昨日のチェリビダッケの来日公演のライブ録音は、1986年の演奏・録音なのでこの頃はヨッフムの2度目の全集、ヴァント・ケルン放送SO、ショルティ・シカゴSO、カラヤン・ベルリンPOと続々とブルックナーの交響曲全集録音(厳密には0番や00番を欠いている)が完成しています。しかし、それでもマーラーのように映画に使われて話題になったり、TV・CMに使われるということは無かったと思います。だから、ブルックナーの場合はクラシック音楽を優先的に聴くという層も巻き込んだブーム的な人気は、やはりいたっていなかったと思えます。


 今日のお昼頃、北山杉等で有名な京北へ行くため、国道162号・周山街道を車で走っていたところ、このところの大雨の影響で崖崩れ等があったらしく、工事のため片側通行をしている箇所に何度か遭遇しました。この道は京北の中心部に着く直前に、「栗尾峠」のつづら折りの峠道を通過します。車内では、このシュタイン・VPOのブルックナー第2番をずっと聴いていました。種田山頭火の「分け入っても分け入っても青い山」という句があり、国道から外れて杉や檜の人工林に埋もれた林道を延々と走っていると、単調な風景が続き、本来の意味とかは別にしてその句を思い出します。ああいう植林された山の中で、特定の場所を見つけて識別するのは難しく、しょっちゅう通っている林業従事者でもなければ、どこも同じに見えて来るものです。それもブルックナーの交響曲に似ているかもしれません。

3 10月

歌劇カプリッチョ シュタイン・VPO 1985年ザルツブルク

 リヒャルト・シュトラウスは、10代の頃にツアラトストラ等交響詩を何曲か聴いただけで、あまり好きではあいませんでした。最近になって「四つの最後の歌」やオペラ・カプリッチョ等に特別に魅力を感じるようになりました。カプリッチョはミュンヘンオペラの来日公演でも取り上げられていたそうで、ルチア=ポップも参加していたので聴けるチャンスだったわけで今になって非常に残念に思えてきました。「ツアラトストラはかく語りき」のメータ、NYPOのLPが空の写真をベースに人間の片目が重ねられていたデザインでした。そのデザインを学校の美術の時間で抽象画を描く時間に拝借しました。全然だめな絵になったのは覚えています。小学校の3,4年頃までは絵か感想文で毎年府美展等何らかの表彰状をもらっていましたが、それ以降はさっぱりダメになりました。だんだん自分の境遇や色々なことが分かるようになって「のびのび表現する」ということが無くなり、また本当に技術が要求される年齢に入っていったからやむを得ないところです。

                          101003c

リヒャルト=シュトラウス 歌劇 「 カプリッチョ 」

ホルスト=シュタイン 指揮 ウィーン・フィルハーモニー他

伯爵夫人マドレーヌ(若き未亡人)・ソプラノ:アンナ・トモワ=シントウ

101003a 伯爵(マドレーヌの兄)・バリトン:ウオルフガング=シェーネ

作曲家フラマン・テノール:エバーハルト=ビュヒナー

詩人オリヴィエ・バリトン:フランツ=グルントヘーバー

劇場支配人・バリトン:マンフレッド=ユングウィース、他

(1985年ザルツブルク音楽祭 録音ORFEO)

101003b  リヒャルト=シュトラウス最後のオペラであるカプリッチョは、第二次世界大戦中の1942年10月28日にミュンヘンで初演されています。1941年にはマキシミリアーノ・マリア・コルベ神父がアウシュヴィッツ収容所で刑死しており、片方で組織的に人名が処理されていて、一方では極めつけ美しい芸術作品が創作、演奏されているというこの世の中の皮肉な現実です。このオペラは2幕から成り、18世紀のパリ近郊の貴族の館が舞台であり、終始場面は館の中です。中でも間奏曲である「月光の音楽」以降がほとんどが未亡人マドレーヌの独白的な場面で、とりわけ美しい音楽です。月光の音楽は独立して管弦楽曲として取り上げられたり、フィナーレ部分と併せてアリア集、名場面集に収められたりもします。夜の居間に月明かりが差し込み、詩人オリヴィエと作曲家フラマンの両方から求愛されて、結局決めかねているところで幕が下り、オペラの世界の時間が止まったままのような余韻が残ります。また、冒頭の前奏曲・六重奏も美しい曲です。

101003f  このCDは1985年のザルツブルク音楽祭でのライブ録音で、N響でもおなじみのホルスト=シュタインが指揮をしています。シュタインのカプリッチョは、先月取り上げたルチア=ポップの名場面集でも名演を聴かせていますがこのCDでも際立ちます。CD添付の解説にはオペラの各場面などの写真が多数掲載されているのに、シュタインの写真が一枚も入っていないのは不思議です。同じシュトラウスのオペラでも薔薇の騎士ならクライバーの写真が先頭に入っています。カリスマ性、国際的人気等ではカルロス・クライバーが圧倒的で外見も見栄えがするというのは分かります。一方ホルスト・シュタインはデコの形状等独特の風貌で愛嬌も感じられますが、風采があがるとまではいえないのは事実でしょう。それでもこの公演、録音の魅力はシュタインの力によるところが大きいと思え、写真の一枚くらいあっても良いと思いました。シュタインはバイロイト音楽祭でも指揮していて、マイスタージンガー、パルシファル等は映像ソフトで聴いたことがあり、正式録音が少ないのが残念な程でした。

101003e  このオペラの代表的な録音としては、シュヴァルツコップがマドレーヌを歌ったサヴァリッシュ・フィルハーモニア管(EMI)盤、ベーム盤、シルマー・VPO盤等があります。シュバルツコップの他もオールスターキャストによる1957、1958年のセッション録音で理想的とも言える企画です。特に若きシュヴァルツコップのマドレーヌは気品があり、究極の姿のように聴こえます。それに比べると今回のトモワ=シントウはシュトラウスのオペラを得意としていて常連的ですが、ちょっと平凡な印象を受けます。しかし、どんな演出、セットだったか舞台の様子までは分からないので、あるいはきわめつけ名演だったのかもしれません。舞台にはあまり動きがないオペラのはずで、演出も重要な要素になるはずです。カプリッチョもセリフ等全てが歌で進められると思っていましたが、前半部分で音楽が止まって会話だけの部分が出てきました。

101003d_2   このオペラは、「言葉と音楽とどちらが重要か」というテーマも扱っていて、作曲者自身が登場人物のフラマンに投影されています。このオペラの中でマドレーヌが詩人オリヴィエと作曲家フラマンのどちらの求愛にも応じていない段階で終わっているのと同じくそのテーマは結局結論が付けられずに終わっています。白黒が付かないで終わるところが最大の美点のようでもあり、このオペラ独特の美しさを作っています。シュトラウスの言動が激動の時代にあって無神経なようにとらえられることがありますが、カプリッチョや四つの最後の歌のような作品を聴いていると、自然にあらゆる事柄で自身の音楽が最優先という姿勢が身についていたような、良くも悪くも音楽に魅入られた人物像が浮かび上がってきます。

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昭和40年代生まれ、オットー=クレンペラーの大フアンです。クレンペラーが録音を残したジャンルに加え、教会音楽、歌曲、オペラが好きなレパートリーです。

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