raimund

新・今でもしぶとく聴いてます

指:クーベリック

29 11月

スメタナ「わが祖国」 クーベリック、バイエルン/1984年

191126bスメタナ 連作交響詩「わが祖国」
第1曲 ヴィシェフラド(高い城)
第2曲 ヴァルタヴァ(モルダウ)
第3曲 シャルカ
第4曲 ボヘミアの牧場と森から
第5曲 ターボル
第6曲 ブラニーク

ラファエル・クーベリック
バイエルン放送交響楽団

(1984年5月3-4日 ミュンヘン,ヘラクレスザール ライヴ録音 Orfeo)

191126a 昨日は京都市交響楽団の来年度定期公演の予定が発表になり、マーラーの復活が10月定期に入っていました。そういえばスメタナの連作交響詩「我が祖国」は今年の七月定期のプログラムだったのに、暑さと色々忙しくてチケットを買わなかったのが今になって残念です(このCDを聴くにつけ)。「我が祖国」は英語では My country  と表記されるので違う日本語訳もあり得そうですが、クーベリックやアンチェル、マーツァルら共産党政権樹立後(クーベリックの場合)や「プラハの春」事件後に亡命した指揮者をおもうといっそう「祖国」という語が似合います。あと、今世紀に入る前からネット上で見かける「ウリナラ」というのも同じ意味かと思うと妙な感じ(昨今の我が国のネット上もウリナラ・マンセー状態に見える)ですが。

 このクーベリックと
バイエルン放送交響楽団の「我が祖国」は、まだ東西冷戦が終わっていない頃にバイエルンでライヴ収録されたものでした。クーベリックの同曲ならウィーン・フィル、シカゴ交響楽団、ボストン交響楽団とチェコ・フィルと何種類もレコード、CDがありましたが、今回のバイエルンRSOのものはチェコ・並んでフィルと屈指の名演と言われることがよくありました。過去記事ではシカゴSO(1952年録音)、ボストンSO(1971年録音)、チェコPO(1990年ライヴ録音)を扱っていましたが、この六連の交響詩を連続して聴くのはブルックナーやマーラー以上に長いと感じられ、それからどこかしら息苦しさのようなものが付いて回り、作品に対する親近度があと一歩というところでした。

 
しかし今回は感触が違い、交響曲のように各楽曲のつながり、一体感が強くてうずに巻かれるような強烈な印象です。それに重厚さと圧迫感が尋常ではなくて、張りぼての巨大さとは違って、密度の高い質量の物凄さを感じさせます。これまでは第1、2曲目の旋律はよく記憶に残り、そういう情緒的な面でこの作品を覚えていましたが、そんな表層のものに留まらないもので訴えかけてくる気がして、作品観が変わります。そういえば同じくバイエルン放送交響楽団との演奏のマーラーは、DGのセッション録音の他にライヴ音源が出て来てそちらの方の評判が一層高かく、演奏も違った印象だったのと似ているかもしれません。

バイエルンンRSO/1984年ライヴ
①15分29②11分47③9分53④13分15⑤12分40⑥13分55
チェコPO/1990年ライヴ
①13分59②11分35③9分42④13分09⑤12分59⑥14分37
ボストンSO/1971年
①15分25②11分59③9分32④12分39⑤12分33⑥14分07
シカゴSO/1952年
①14分49②11分53③9分26④12分45⑤13分27⑥13分55

 ちなみにレコ芸編による「名曲名盤500(合本版)2017年6月刊」の「我が祖国」をのぞいてみると、第1位がクーベリックとボストンSOが18P獲得していました。第2位はアンチェルとチェコPO(1963年録音)が15P、第3位にクーベリックとチェコPOのライヴ盤が入り8P獲得していました。このバイエルンRSOとの録音は、第5位で一人の選者が2Pを入れたのみで、アンチェルとチェコPOのラ1967年イヴ盤やコバケンさんとチェコPO、ベルグルンドらと並んでいます。

 
ところでプラハの春以降に亡命した指揮者はカレル・アンチェルのほかにズデニェク・マーツァルが居ました。この人の「我が祖国」やスメタナ作品の録音は見かけたことはなくて、どうなっているのかと思っていました。EXTONからはマーラー、ドヴォルザーク、ブラームス、チャイコフスキーを連続して録音していた頃、スメタナは含まれていなかったのか?、もしそうだったら当人が望まなかったのか色々気になってきます。その前に現在はもう引退状態なのか情報が絶えて久しいマーツァルです。クーベリックのように引退後にもかかわらず指揮するということを、マーラーの第8番が未録音なのでつい期待します。
19 3月

マーラー第9番 クーベリック、バイエルン来日公演/1975年

190319bマーラー 交響曲 第9番 ニ長調

ラファエル・クーベリック 指揮
バイエルン放送交響楽団

(1975年6月4日 東京文化会館 ライヴ録音 Audite/キング)

 昨日、月曜の朝7時前の外気温が2℃だったのに今朝は5℃(もっと高かったかもしれないが忘れた、ボーっと生きてるんじゃ・・・)だったのでかなり暖かく感じられました。昨夜の天気予報では既に桜の開花予想まであって、いきなりかという戸惑いも大いに感じました。ここ十五年くらい、一度平日に吉野山に桜満開の頃行きたいと思いながら終わっています。そこそこ遠いからそっちは無理として、手軽なところで京福北野線、鳴滝駅から宇多野駅間の桜トンネルはタイミングを逃さず見ておきたいところです。

190319a クーベリックのマーラーは今世紀に入る前後くらいから、同じバイエルン放送交響楽団のライヴ録音がCDで出始めて結構評判になっていました。出始めの当時はクーベリックのセッション録音のマーラー自体印象が薄かったのでちょっと気になるものの見送っていました。今回のCDは中古品で見かけたので試しに聴いてみようと思ったものでした。附属の解説によれば、1975年の来日はクーベリックとバイエルンRSOの二度目の来日であり、首席指揮者に就任してから15年が経過した頃だったようです。さらに当初は東京文化会館ではなく、別のホールが予定されていたところをクーベリックがそこをマーラーには不向きだと指摘したので急遽変更になったはず、とも書かれてありました。1975年なら自分も生まれていたもののマーラーのマの字も知らなかったので、東京の公演のことなんて町内で誰も知らないはずです。

クーベリック・バイエルンRSO/1975年
①26分44②16分13③13分21④22分23 計78分41
クーベリック・バイエルンRSO/1967年
①26分00②16分03③13分23④21分44 計77分10
アンチェル・チェコPO/1966年
①26分40②15分06③13分20④23分25 計78分31
ノイマン・チェコPO/1982年
①25分11②15分06③13分25④23分17 計76分59
クレンペラー・NewPO/1967年
①28分13②18分43③15分21④24分17 計86分33
クレンペラー・VPO/1968年
①27分25②17分27③14分11④24分46 計83分49
ショルティ・CSO/1967年頃
①27分00②16分30③13分05④22分50 計79分25 
ハイティンク・ACO/1969年
①27分01②15分56③12分57④24分42 計80分36
レヴァイン・フィラデルフィア/1979年
①29分36②18分02③14分16④29分50 計91分44
テンシュテット・LPO・1979年
①30分44②16分21③12分58④25分31 計85分34

 全曲がCD一枚に収まる演奏時間はセッション録音と大差ありませんが、第2、第3楽章がライヴの方が際立ってると思いました。でも演奏時間はそれらの楽章も大して違っていません。一瞬クレンペラーの各楽章のバランスと似ているかもしれないと思いました。しかし演奏時間としてはそうでもないようです。ただ、一曲の交響曲としての統一感というのか、凝縮されたような魅力は圧倒的でした。自分の中にあったクラシック音楽の作品をあるシーズンに聴きたくなるという体内時計、季語的な趣向では、マーラーの第9番は桜が散ってしまう頃、ほとんど葉桜になった頃が旬(何の根拠もない)でしたが、これを聴いていると幾分冷たい感触もあって、開花前の本当にこの木に満開のはなが咲くのかと思うくらいの季節が似合いそうな気がしました。

 マーラーの本場はどこかと考えると反射的にドイツ語圏のドイツ、オーストリアを思い浮かべるかもしれません。しかしマーラー本人も言ったように、「オーストリア人の間ではボヘミア人、ドイツ人の間ではオーストリア人、世界ではユダヤ人」という面もありました。そんな中でヴァツラフ・ノイマンは、プラハ(チェコ)ではマーラーの音楽に誇りを持って演奏してきたということを言っていました。プラハにはドイツ語の歌劇場がずっとあったわけで、ワルターやツェムリンスキーらがマーラーを演奏し、ターリヒはマーラー作品の音楽祭で指揮をしたという歴史もありました。ノイマンの言葉も率直な気持ちからだろうと思われ、それに例えばウィーンやベルリンでマーラーの音楽について誇りを持って「我々の音楽である」と断言するような感情はどのくらいあっただろうかと思いました。そうするとクーベリックの場合はチェコ側のマーラーか、ドイツ・オーストリア側のマーラーなのか、そこのところはどうなのかと思います。
3 10月

パルジファル クーベリック・バイエルンRSO/1980

181003aワーグナー 舞台神聖祝典劇「パルシファル」

ラファエル・クーベリック 指揮
バイエルン放送交響楽団
テルツ少年合唱団(指ゲアハルト・シュミット=ガーデン)
バイエルン放送合唱団(指ハインツ・メンデ)

パルシファル:ジェイムズ・キング(T)
グルネマンツ:クルト・モル(Bs)
クンドリー:イヴォンヌ・ミントン(Ms)
アンフォルタス:ベルント・ヴァイクル(Br)
クリングゾール:フランツ・マツーラ(Br)
ティトゥレル:マッティ・サルミネン(Bs)
聖杯守護の第1の騎士:ノルベルト・オルト(T)
聖杯守護の第2の騎士:ローラント・ブラハト(Bs)
花の乙女:ルチア・ポップ(S)
花の乙女:カルメン・レッペル(S)
花の乙女:スザンネ・ゾンネンシャイン(S)
花の乙女:マリアンネ・ザイベル(Ms)
花の乙女:ドリス・ゾッフェル(A)
第1の小姓:レギーナ・マルハイネケ(S)
第2の小姓:クラウディア・ヘルマン(S)
第3の小姓:ヘルムート・ホルツアプフェル(T)
第4の小姓:カール・ハインツ・アイヒラー(T)
アルトの声:ユリア・ファルク

(1980年5月 ミュンヘン,ヘルクレスザール 録音 Arts classics)

181003b このパルジファルは1980年の録音の割りに入手し難い時期があって隠れた名録音という位置付けでした。目下カーナビに差し込むSDカードにコピーして聴いていました。クーベリックの残したワーグナー作品の全曲録音と言えばローエングリンニュルンベルクのマイスタージンガーとこのパルジファルがあり、その中ではこれが一番素晴らしいのではないかと思います。マイスタージンガーも同じレーベルからCD化されて注目されたもので、そちらの方は1960年代の録音なのでだいぶ古くなります。

 あらためて聴いていると特に第三幕が全く感動的で、早春の頃に野点の茶会に座っているような爽快な心地良さに包まれます。これは豪華キャストのためよりもクーベリック指揮のオーケストラの効果だと思います。アンフォルタスの傷、去勢、逆恨みのクリンクゾールに呪いに囚われたクンドリーといったドス黒い世界が付いてまわるのに、それを忘れるような明るさに包まれて完結するかのようで、こういう音楽ならヨーロッパで聖週間に上演、演奏されるのもうなずけます。

 キャストの中ではルチア・ポップが花の乙女という贅沢?さで、この演目ならクンドリーは似合わないのでそこしか出番はないかもしれないとしてもいかにも残念です。「父なる神の声」と称されたクルト・モルはこの録音では同時期のカラヤン、ベルリンPO盤と比べてやや親しみやすくて、部分的に武装を解いた軽装を尻端折りしたような印象です。それにヴァイクルのアンフォルタスも壮健そうなので、クーベリック指揮の爽やかさが前面に出るオーケストラとよく合っています。

 この録音を聴いていると台本のことを離れて音楽に圧倒される感じで、聖金曜日の所などは特に余計な突っ込み抜きに集中できます。もともとキリスト教会の聖金曜日は「十字架の道行」や鳴り物無し、年間で唯一ミサを行わない日、という具合にモノクロの世界なので、パルジファルの「聖金曜日の音楽」とはだいぶ食い違っています。この音楽はシュテフィターが作品中で描く聖霊降臨の日の世界のようで、クーベリックの指揮で聴くとまさしくそれが重なります。そうだとすればあまりワーグナー的ではない、ということになるかもしれませんが、とにかく魅力的な内容です。
29 8月

マーラー交響曲第8番 クーベリック、バイエルンRSO他

170829マーラー 交響曲 第8番 変ホ長調「千人の交響曲」

ラファエル・クーベリック 指揮
バイエルン放送交響楽団
バイエルン放送合唱団(合唱指揮ヨーゼフ・シュミットフーバー)
北ドイツ放送合唱団(合唱指揮ヘルムート・フランツ)
西ドイツ放送合唱団(合唱指揮ヘルベルト・シュルヌス)
レーゲンスブルク大聖堂少年聖歌隊(合唱指揮クリストフ・リックレーダー)
ミュンヘン・モテット女声合唱団(合唱指揮:ハンス・ルドルフ・ツェーベライ)

マーティナ・アーロヨ(S1:罪の女)
エレナ・スポーレンベルク(S2:栄光の聖母)
エディト・マティス(S3:贖罪の女)
ユリア・ハマリ(A1:サマリアの女)
ノーマ・プロクター(A2:エジプトのマリア)
ドナルド・グローベ(T:マリア崇敬の博士)
ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ(Br:法悦の教父)
フランツ・クラス(Bs:黙想の教父)

(1970年6月 ミュンヘン、ドイツ博物館会議場 録音 DG)

 現実の世界では望外とか僥倖ということは滅多に無いもので、だから色々な事柄に関して落胆する、がっかりするということはあるものです。特に今朝のミサイルの話ではありません。福音書の中で神の国についてイエズスが、「目に見えるものとして来るのではない」、「人々が『見なさい、ここにある』とか、『あそこにある』とか言えるものでもない」、「神の国は、実にあながたがたの間にあるのだから」と言ったところ、特に神学的解説も無く初めて読んだ時は、スカッと一発で解決するような「神の国」を期待しているのでちょっと失望に似た感情が湧いてきました。似たようなところで「求めなさい。そうすれば与えられるであろう。」という箇所、結びは「まして、天の父が自分に求める者に聖霊をくださらないことがあるだろうか」となり、何だ聖霊か、と言わないまでも、ここでも心の中で意表を突く幸運のようなことを期待していることは否定できないので、やっぱり落胆の感情は何割かはあるはずです。

  マーラーの交響曲第8番の第一部に使われている賛歌、“ Veni creator Spiritus(造り主である聖霊来てください) や同じく聖霊降臨の聖歌、ミサで使われる続唱 “ Veni sancte Spiritus(聖霊来てください) の歌詞に注目すると、射幸心(宝くじで一発当てるとか)とは違い人間の力では何ともし難いような障壁を壊して超えることを願うような切実な願いが込められています。交響曲第8番の第一部の賛歌、第二部のファウストは何か異質なものという先入観がありますが、マーラーの作品の中では互いに溶け合って響くようで、フィナーレでは解決、克服を予兆するような希望に満ちた中で終わります。

 クーベリックの全集録音の中の第8番は一枚のCDに収まる演奏時間になり、他の楽曲と同様に速目のテンポで通しています。過去記事で扱ったこの曲のCDの中にも一枚に収まったものはありましたが、今回のクーベリックはそういう淡泊になりそうなテンポなのに特に充実して、歌詞の内容に注目させられる演奏でした。どこをどうしているのか、大編成のオラトリオのような威容で迫ります。「名曲名盤500(レコード芸術編)」の最新版を見ると、この曲の第1位はバーンスタインのDG盤、第2位はショルティとCSO、第3位にこのクーベリック盤がインバルと東京都SO盤と並んで入っていました。選者の年齢から古い録音が上位に来る傾向があるとしても、とかく影が薄くなりがちなクーベリックの全集にあって第8番は健闘しています(一般人の人気と比例しているかどうかは別にしても)。

 手元にある国内盤は一枚1200円の「20世紀の巨匠シリーズ」ですが、その後も国内盤で再発売されているのでクーベリックのマーラーも人気が上昇しているようです。ただ、結局輸入盤の箱物全集が一番安かったことになり、注目するのが遅かったと今頃思っています。
24 8月

マーラー交響曲第4番 クーベリック、バイエルンRSO/1968年

170824マーラー 交響曲 第4番 ト長調

ラファエル・クーベリック 指揮
バイエルン放送交響楽団

エルジー・モリソン:ソプラノ

(1968年4月 ミュンヘン,ヘルクレスザール 録音 DG)

 甲子園の高校野球が終わって地蔵盆、化野念仏寺の千灯供養も済むと夏も終わる気配が、とはならず日中の最高気温が37℃とは。高校野球はU18の日本代表が選出されて今年はカナダへ遠征するそうですが、昔は韓国との交流戦をやっていました。1981年の夏は報徳学園の金村選手(引退後のバラエティでウラ話を聞いて唖然)が予選から13完投で優勝し、日本選抜チームが韓国へ遠征しました。古い話しながら、その時のTV放送は韓国側の解説者も日本語で話していました。日本側のアナウンサーが選手の何人かが食事が口に合わずとか嫌味を言った(ABC系なのに)ら、韓国側が我が国はアンダースローなんて「ごまかし」の投法はしないと応酬していたのを覚えています。それをきいて内心では「山田久志のピッチングがごまかしか?ああッ?」とイラついていたのも思い出されます。日韓関係はその後35年以上経過して深まったかどうか。

 早朝でも一向に涼しくも爽やかにもならないなか、明け方にウグイスが鳴いていた初夏の気候は良かったとしみじみ思います。その頃にも聴いていたマーラー第4番をクーベリックの全集盤で聴きました。CDの日本語帯には「マーラー・ブーム到来前に巨匠が名声を高めたマーラー全集」と書いてあり、そのブームというのは何時頃から始まったのか、1980年前後くらい?と想いながらクーベリックと同じ頃に進行した全集録音を思い出していました。下記以外にもショルティも後から再録音した曲があっても既に何曲も録音していたはずです。

クーベリック・ACO/1968年
①15分47②09分09③18分47④8分01 計51分44 
ハイティンク・ACO/1967年
①16分27②08分37③19分34④8分48 計53分26
バーンスタイン・NYPO/1960年
①16分47②09分01③20分28④8分32 計54分48 

 あいかわらずこの曲も演奏時間が短目ながら、それでも窮屈な印象は無くて伸びやかで、清々しい印象で一貫しています。そのわりに、終楽章のソプラノ独唱はリリックで初々しい声質でない、そこそこの年齢、いやその円熟期のシュヴァルツコップのように安定した声を起用したのは終楽章に対してこだわりがあってのことか、最近になってこういう歌手の方が魅力的かなと思うのでそこは共感しました。

 終楽章の歌詞は歌曲集 “ Des Knaben Wunderhorn(子供の魔法の角笛) の “ Das himmlische Leben(天上の生活) ですが、地上を生きて旅する我々からしてもあまりあこがれるような情景ではありません(そもそも福音書によると娶ったり嫁いだりしない世界のはず)。元々は交響曲第3番の終楽章、七つ目の楽章として構想されていたということなので、それならぴったり収まるかなとも思えます。第3楽章の終盤で突如高揚する箇所はどこか第8番の冒頭を思いださせ(今回聴いていてそう思っただけ)るので、その楽章も含めて厭世感と理想的な世界への憧れを思わせます(宮廷劇場の楽長を務めて社会的に成功しているのに)。
20 8月

ニュルンベルクのマイスタージンガー クーベリック、バイエルンRSO

170820bワーグナー 楽劇「ニュルンベルクのマイスタージンガー」

ラファエル・クーベリック 指揮
バイエルン放送交響楽団
バイエルン放送合唱団(合唱指揮ハインツ・メンデ)
テルツ少年合唱団(合唱指揮ゲアハルト・シュミット=ガーデン)

ハンス・ザックス:トマス・スチュワート 
ヴァルター:シャーンドル・コーンヤ 
エヴァ:グンドゥラ・ヤノヴィッツ 
マグダレーネ:ブリギッテ・ファスベンダー 
ダーヴィット:ゲアハルト・ウンガー 
ポーグナー:フランツ・クラス 
フォーゲルゲザング:ホルスト・ヴィルヘルム 
ナハティガル:リヒャルト・コーゲル 
ベックメッサー:トーマス・ヘムスレー 
コートナー:キート・エンゲン 
ツォルン:マンフレート・シュミット 
アイスリンガー:フリードリッヒ・レンツ 
モーザー:ペーター・バイレ
オルテル:アントン・ディアコフ 
シュヴァルツ・カール・クリスティアン・コーン 
フォルツ:ディーター・スレムベック 
夜警:ライムント・グルムバッハ 

(1967年10月1-8日 ミュンヘン,ヘラクレスザール  Arts・classics/CALIG)

170820a ネットバンキングが普及して大分経ちますが、金融機関によって使い勝手に違いが出てきています。使いやすい、暗唱番号・パスワードが少ないことと安全なこととは比例しないとしても、信金のログインページの中には画面の下の方にあって、いかにも使わずに済むならその方が良いとでも言いたそうな、頼りなさげなものもあります(これ本当に大丈夫??)。先日北K関係の番組で、国家ぐるみでハッキングをして銀行から資金を強奪調達している可能性が高いという話を紹介していました。そういう手口にかかれば日本の金融機関も安全ではなさそうなので、ミサイル防衛もおろそかに出来ないとしてもサイバー防衛も肝心なんじゃないかと思えてきました(時々国の機関もハッキングされていることだし)。

 ワーグナーの楽劇「ニュルンベルクのマイスタージンガー」は、若い頃にはワーグナー作品の中では一番好きで、一時期にはハンス・ザックスのヲタのように偏愛していました。それでこの作品の全曲盤は可能な限り、よほどの悪評が定まっていないものでない限り、全部集めようと思ったくらいでした(当然全部は無理)。このクーベリックによる全曲盤はそういう熱がさめた頃に突然CD化されて驚いたのを覚えています。LPで出た際にレーベルが消滅したために長らく絶版状態だったそうで、本当に突然の再発売だったとか。

 最初に聴いた時も今聴いた時も、ドイツで絶賛という評判になるほどと思う点と「おやっ?」と思うところが重なりました。前者の方はクーベリックの指揮による明快、明晰さが素晴らしくて数年後のカラヤンの全曲盤にも対抗できるくらいだと思いました。それだけに端正過ぎて、陰、負の要素がまるでないような明るさに思え、第二幕の乱闘の場面なんかも全員寸止めて喧嘩の恰好をしているだけという健全的な空気に物足らなさを感じます。これを聴いていると、同じくらいの年代にレコード録音したドヴォルザークやマーラーの演奏を思い出す響きです。

 歌手の方は総じて豪華メンバーですが特にポーグナーのクラスが目立っていました。全体的に会話的な妙味よりも、正確な歌唱とでも言うのか生真面目な歌唱の方が多いようで、第一幕第3場のマイスター入場後のやりとり、第三幕第1~4場等はやや単調な印象です。そんな中でザックスに比べて出番は少ないのにポーグナーの歌唱が立派で、声の威力、圧力では補えない表現の何かがあるのか、とにかくこの録音ではポーグナーに注意が行きました。ザックスのスチュアートは気弱な印象さえ受ける声で、オラオラ系な声と違って面白いと思いました。ヴァルターのコーンヤは、バイロイトで初めてローエングリンを歌った頃を思えばやや輝きが弱まったような印象です。
16 8月

ベートーベン交響曲第9番 クーベリック、バイエルンRSO

170816ベートーヴェン 交響曲 第9番 ニ短調 作品125

ラファエル・クーベリック 指揮
バイエルン放送交響楽団
バイエルン放送合唱団

ヘレン・ドナート(S)
テレサ・ベルガンサ(A)
ヴィエスワフ・オフマン(T)
トマス・スチュアート(Bs)

(1975年1月1-12日 ミュンヘン,ヘラクレスザール 録音 DG)

 今週のはじめ、職場でメインに使っているPCのメール・ソフトが突如起動しなくなりました。ウィンドウズ付属やマイクロソフトのメールソフトじゃなかったので、やむを得ずアウトルックをセットアップしました。それにしても壊れにくいソフトだと聞いて数年前から使っていたので、あるいは何らかの悪意あるメールの攻撃を知らずに受けたのかと思いました。特に添付ファイルを解凍したわけでもなく、セキュリティ・ソフトでスキャンしても何も出てこないので大丈夫のようです。

 昨夜のTVでインパール作戦の特集をやっていて、当時の日本のニュース映画が少し流れて、その冒頭がベートーベンのコリオラン序曲(多分)だったのでコリオランの物語と関係無いので演奏効果から採用したのかと思いました。ベートーヴェンの九曲のシンフォニーをそれぞれ異なるオーケストラを指揮して全集録音を完成させたクーベリック、その九つの楽団に祖国チェコのオケが入っていないのはコリオラヌスのように亡命状態だったからで、どれか一曲か、そもそもチェコPOと九曲を演奏してほしいところだったので残念です。

クーベリック・バイエルンRSO/1975年
①16分20②11分42③14分43④25分22 計68分07
ベーム・VPO/1970年
①16分46②12分08③16分38④27分09 計72分41
ケンペ・ミュンヘンPO/1973年
①16分22②11分17③16分07④25分58 計69分44
カラヤン・BPO/1976,77年
①15分21②10分04③16分50④24分23 計66分38
マズア・ライプチヒ/1981年
①15分37②11分39③14分53④25分54 計68分03

 クーベリックのベートーベンはそういう全集企画が注目されたものの、各曲が、どれか一曲が特に称賛されたということはなかったようです。むしろ後に出てきたライヴ音源の方が評判になっていました。第九については同じくらいの年代の録音の中では、演奏時間は特に突出していないものです。ただ、第3楽章を速目にあっさりと進めるのはクレンペラー風です。もっとも、第2楽章も同様なので全体的にはドヴォルザーク作品のような爽快さに感じられます。だからとかく誇大なものを投げかけ、読み取ろうとしがちな第九に対してちょっと違う、穏やかで柔和な印象を受けました。

 最新版の「名曲名盤500(レコード芸術編)」の第九にはこのクーベリックとバイエルンの録音はリストにあがっておらず、九曲の中では第2(アムステルダム・コンセルトヘボウO)、第4(イスラル・フィル)、第8番(クリーヴランドO)がリストに載っていました。ピリオド楽器や奏法の演奏もある中でのこういう状況はまだ存在感を放っている方と言えるかもしれません。
12 8月

ドヴォルザーク交響曲第7番 クーベリック、ベルリンPO/1970年

170812ドヴォルザーク 交響曲第7番 ニ短調 作品70

ラファエル・クーベリック 指揮 
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

(1970年1月 ベルリン,イエス・キリスト教会 録音 DG)

 元々盆、盂蘭盆会は旧暦の7月15日(13-16日)だったのが今では現行の暦で7月15日のところや8月15日のところ等一様ではありません。関西は概ね8月15日が盆になっているようで、僧侶が檀家まわりをするのは8月に入った頃から始まります。そういうわけでうちも今日の午後に来てもらうことになりました。子供頃は盆といっても、ボン、若井ぼん・はやとくらいを思い浮かべる程度で気楽なものですが、今日はまず墓地へ行って掃除等をした上で供え物の買い足し等に行きました。だれも考えることは同じと見えていく先々が大混雑でした。午後には坊さんが到着で、代替わりしてからは若返って読経の息が長く続くようになりました。先代の最晩年は読経終盤で「オン アボギャ ベイロシャノウ マカボダラ マニハンドマジンバラ~」となると息も絶え絶えになっていたのが思い出されます。それからお彼岸くらいをめどに古い位牌を焚き上げてもらったうえで過去帳に記載、供養してもうらうことになりました。

 ドヴォルザークの交響曲第7番はどんな曲、旋律だったかと思い浮かべても冒頭部分は出て来ず、第4楽章の一部がやっと思い出し、第3楽章を聴いてそれも思い出しました。交響曲第7番は1984年12月から1985年3月(スコアが完成したのは3月17日)にかけて作曲されました。ロンドンのフィルハーモニック協会からの依頼により作曲したもので、初演は1885年4月22日にロンドンのセント・ジェームズ・ホールで作曲者の指揮によって行われました。元々ドヴォルザークはワグネリアンに傾斜していたところをブラームスに作品を認められ、それが国際的名声を得るきっかけの一つになったこともあり、自身の作品にはブラームスの影響があるとされています。交響曲第7番を作曲する直前にはウィーンでブラームスの第3交響曲の初演を聴いたこともあり、この曲には特にその第3交響曲の影響が指摘されています。しかし実際に聴いていると第3楽章はブルックナーのスケルツォ楽章の香りもします。

交響曲 第7番 ニ短調
第1楽章 Allegro maestoso ニ短調
第2楽章 Poco adagio ヘ長調
第3楽章 Scherzo: Vivace - Poco meno mosso ニ短調
第4楽章 Finale: Allegro ニ短調

 
クーベリックはこの録音の頃はバイエルン放送交響楽団の首席指揮者に就いていました。その後1972年にはニューヨークのメトロポリタン歌劇場に新しくできたポスト、音楽監督に就任することになります。マーラー全集はバイエルンRSOと録音したのでドヴォルザークならチェコのオーケストラ、チェコPOと取り組みたいところですが亡命した身の上なのでそれは難しかったことでしょう。同じくらいの時期にチェコPOはヴァツラフ・ノイマンとドヴォルザークの交響曲全集を録音していました。

クーベリック・BPO/1970年
①11分18②09分42③07分26④09分18 計37分44
ノイマン・チェコPO/1972年
①11分03②09分31③07分35④09分07 計37分16

 ドヴォルザークの交響曲の場合はよほど個性的な演奏かカット、リピート有無の影響がなければそれほど演奏時間に差が出ないのかもしれませんが、上記のようにクーベリックとノイマンも各楽章とも近似しています(実はちょっとの差が大きい??)。この録音も先日のマーラーと同じくアナログ録音ですが、特に弦が鮮烈で今聴いていても魅力的です。マーラー第7番の時のような極端に明朗という風でもなく、緩徐楽章やスケルツォの旋律では陰りを帯びてドヴォルザークらしい風情も漂います。「名曲名盤500(レコード芸術編)」の最新版でこの曲をみると、クーベリック、ベルリン・フィルは9点を得て第2位になっています。古い録音なのにまだ健在といったところです。ちなみにノイマンの初回全集もリストには載っていて1点獲得で第13位です(2回目全集も同じ点・順位)。
11 8月

マーラー交響曲第3番 クーベリック、バイエルンRSO

170811マーラー 交響曲 第3番 ニ短調

ラファエル・クーベリック 指揮
バイエルン放送交響楽団
バイエルン放送女性合唱団(合唱指揮ヴォルフガング・スーベルト)
テルツ少年合唱団(合唱指揮ゲルハルト・シュミット)

マージョリー・トーマス:A

(1967年5月 ミュンヘン,ヘルクレスザール 録音 DG)

 中途半端な時期に三連休、いっそのこと盆の三日(8月14-16日)くらいは国民の休日にしてくれればと毎年思います。休日でも配送をしてくれるので今日は冷蔵庫の入れ替えをしました。20年くらい使った冷蔵庫を外に運び出しておき、配送が付いたら設置するだけの状態にしましたが、古い冷蔵庫もそれを置いてあった場所もきーったない、きーったない(汚い、汚い)、全く驚きました。さすがにゴキブリのなきがらなんかは無かったものの、駆除用のマットのようなものがいっぱい出てきました。それにカミソリのカートリッジや1円硬貨、N谷園のお茶漬け海苔のパッケージに入っている浮世絵カードとか、なんで冷蔵庫の下に入った?というものが埃にまみれて出てきました。浮世絵カードは昔応募券が付いていて10枚集めて送ったら抽選で東海道53次や富嶽36景のセットがもらえ、二度当選したことを思い出しました。あれはどこへやったのやら。

 マーラーの第3番、第4番あたりは自分の中では、ここまで暑くなる前、朝方がカラッとして爽やかな時期に何となく思い浮かべ、断片的に脳内で再生されることになっていました。クーベリックのマーラー第3、4はその頃にも聴いていましたが、その時は今一つ迫るものがなくて取り上げずにいました。その後第6、7番を聴いて特に後者の印象が強烈だったので再度第3番を聴いてみました。

 クーベリックによる第7番はCDの音質の影響もあるのか徹底的に明朗な音楽に聴こえて、「夜の」というのが何らマイナスの要素ではないかのように感じられました。クーベリックのマーラーは同じくバイエルン放送交響楽団とのライヴ音源も出てきて、どうもそっちの方が好評らしく、演奏の傾向もライヴの方とは違っているかもしれません。しかし第3番の方は曲の性格やかつて付けられていたという楽章ごとのタイトルよりも暗く、くすんだように、あるいは武骨に聴こえます。特に声楽が入るまでの楽章がそういう印象が強く、第3楽章でポストホルンが遠くから聴こえてくるような部分は地味で、神秘的な空気にあまりなっていなき気がします。これは古い(思えば自分が生まれる前の録音)から仕方ない、あるいはこれくらいが普通なのかもしれません。

 ちなみに「名曲名盤500(レコード芸術編)」の最新版でこの曲をみると、クーベリックのCDはリストにありません。同じくらいの年代に録音されたものでは1962年録音のハイティンクの全集盤が、3点を獲得して7位につけていました。次いで1961年録音のバーンスタインの旧全集盤が1点で12位にあるくらいです。
22 7月

マーラー交響曲第7番 クーベリック、バイエルンRSO/1970年

170722マーラー 交響曲 第7番 ホ短調 「夜の歌」

ラファエル・クーベリック 指揮
バイエルン放送交響楽団

(1970年11月26,27日 ミュンヘン,ヘルクレスザール 録音 DG)

 梅雨も明けて七月の2/3が過ぎています。今日の午後、ひなたに置いてあった車に乗り込みエンジンをかけたら外気温計が41℃を表示しました。走っているうちに37℃まで下がりましたが去年並みの高温です。今年は気温以上の不快さを感じ、何かが違うような気がしています(毎年そんなことを思ってるかも)。暑さがピークになる前、午前中に庭の雑木を剪定したらクマ蝉が何匹も飛び出して、こんな低い木の細い枝にとまっているのかと驚きました。さて、このところマーラー(Gustav Mahler, 1860年7月7日 - 1911年5月18日)とリヒャルト・シュトラウスを(Richard Georg Strauss 1864年6月11日 - 1949年9月8日)交互に取り上げていて、二人は四歳違いなので創作時期も重なります。今回はマーラーの交響曲第7番を聴きました。

クーベリック・バイエルン/1970年
①19分42②14分46③09分24④12分01⑤16分40 計72分33
ショルティ・シカゴSO/1971年
①21分35②15分44③09分14④14分28⑤16分27 計77分28
クレンペラー・ニューPO/1968年
①27分37②22分01③10分24④15分39⑤24分10 計99分51

 
シュトラウスが先日の「サロメ」を作曲している頃にマーラーは交響曲第7番を作曲、初演しました。二人は対照的なパーソナリティであり、作風もそうだと指摘されています(シュトラウス自身はマーラーの交響曲第4番第3楽章のような音楽は書けないと言っていたとか)が、交響曲第7番は前作の第6番と比べると同時期のシュトラウス作品にどこかしら似ているような気もします。

 先日の交響曲第6番に続いてクーベリック指揮、バイエルン放送交響楽団の全集録音からです。第7番もCD一枚に収まるというテンポ、演奏時間であり、この曲としてはかなり短い部類に入ります。あのクレンペラーのEMI盤と比べると27分以上の差が出るという異常な事態です。クーベリックの場合は単に速目というだけでなく、屈託ない明朗さなのでマーラー作品から感じられる負の感情のようなものが限りなく浄化された妙な感慨がわいてきます。

 第7番の第1楽章の冒頭辺りは「夜の」どころか鬱屈と閉塞で出口が内容なえも言われない風情という先入観(多分クレンペラーのレコードで刷り込まれている)がありました。しかしこの録音を聴いているとサラっと夜風が吹いてくるような軽さで心地良くもあります。全体的に、社会主義リアリズムに則って作った説明しても通りそうで、終楽章なんかは、革命の成功と継続によって貧富や搾取が根絶された理想世界とかそんな調子でいけそうにきこえます。それはともかくとして、第1楽章から第5楽章までの統一感という点ではこの演奏、録音は特別ではないかと思いました。
20 7月

マーラー交響曲第6番 クーベリック、バイエルンRSO/1968年

170720マーラー 交響曲 第6番 イ短調「悲劇的」 

ラファエル・クーベリック 指揮
バイエルン放送交響楽団

(1968年12月 ミュンヘン,ヘルクレスザール 録音 DG)

 先日の正午過ぎに京都コンサートホールへ立ち寄って9、10月の京響定期のチケットを申し込もうとしたところ、10月の方が残席が少ないのが意外でした。広上さん人気かベルキンがソロのタコ・協1番が目当てなのか、10月は1日だけの回のためか、もう少し遅ければいつもの座席は無理になっていました。今年は定期に何度か行きましたが、いっそのこと前回を複数回公演にした方が良いのではと思うくらいの売れ行き、埋まり具合のようです。ついでに10月に公演する佐渡裕とケルン放送交響楽団の座席をみるとSが18,000円するので見送りました(去年のバンベルクSOの京都公演と比べると高目?)。

クーベリック・バイエルン/1968年
①21分07②11分44③14分40④26分35 計74分06
ショルティ・CSO/1970年
①21分06②12分33③15分30④27分40 計76分49
バーンスタイン・NYPO/1967年
①21分23②12分20③15分15④28分42 計77分40
ハイティンク・ACO/1969年
①22分07②13分16③15分47④29分38 計80分48

 マーラーの交響曲第6番がCD1枚に収まる場合はあまり多くないはずですが、1960年代後半から1970年にかけて録音された上記の4種はぎりぎり一枚に収録されています。その中でもクーベリックの全集盤は一番合計演奏時間が短くなっています。特に第1楽章は駆け足で行進するようなテンポで実際速いと実感します。最近ではアンダンテ楽章を第2楽章に持ってくる配列が増えていますがこの当時はアンダンテは第3楽章の方が一般的なのでクーベリックもそうしています。

 吉田秀和氏はクーベリックのマーラーについて、「草いきれのむんむんとするような野趣あふれる」と評して(主に第5番)いましたが、この第6番を聴いていると終始そんな風情です。マーラーは自身を帝国内ではボヘミア生まれ、ヨーロッパにあってはユダヤ人(ついでにドイツ語圏にあってはドイツ人じゃなくてオーストリア人)という多重的な(菱餅の断面以上にややこしい重層的な)存在だと受け止めていたようですが、マーラーの音楽を聴くと陰鬱な部分と明朗な部分がそれぞれ散りばめられたようで、本当に多様だと実感させられます。この録音で聴く第6番はカラっとして晴天の原っぱで弁当を広げているような大らかで、屈託の無さで迫ってきます。何となく本当にドヴォルザークの作品のような印象です。ノイマンやマーツァルの指揮したマーラーはこんな感じだったか?、ここまでの特徴は印象付けられなかったように思います。

 マーラーにポストに就く手助け、推薦をしてもらった義理もあるクレンペラーは交響曲第6番を理解できないと言って演奏も録音もしていませんが、彼がこれを聴けばなんと言うだろうと思います。実際第4楽章は何度聴いても未だに謎めいている気がするので、クレンペラーの言うこともまんざらでもないと思います。とりあえず、この録音は「悲劇的」という名称は似合わない内容だと思います。
24 2月

マーラー交響曲第1番 クーベリック、バイエルンRSO/1967年

170224マーラー 交響曲第1番 ニ長調

ラファエル・クーベリック 指揮
バイエルン放送交響楽団

(1967年10月 ミュンヘン,ヘルクレスザール 録音 DG)

 
今朝のニュースで村上春樹の新作、「騎士団長殺し」を日付が変わると同時に買えた書店のことを紹介していました。自分の中ではまだ「1Q84」が完結したような納得感が無くて、そのうちに続きに該当するものが出てこないかと未練がましく、あきらめが悪くそう思っているのでとりあえず夕方に「第1部 顕れるイデア編」だけを買って読みはじめました。ごく一部しか読んでいませんがとりあえず思ったのは、離婚することになったから仕事をする気になれず長期間車で旅をしたというくだり、40代も半ばを過ぎた自分にはそういう繊細さは無いということで、年齢とともに図太く、鈍感になってくるのかとしみじみ思えて小説の中の世界がいつもよりちょっと眩しく見えました。 

クーベリック・バイエルン/1967年
①14分36②7分06③10分36④17分38 計49分56
ショルティ・ロンドンSO/1964年
①15分35②6分55③10分59④20分22 計53分51
テンシュテット・LPO/1977年
①15分54②7分46③10分49④19分18 計53分47
ショルティ・シカゴSO/1983年
①15分45②7分44③11分34④20分50 計55分53

 マーラーの交響曲第1番の冒頭、序奏部分のかっこうの鳴声が出るまでのあたりは今頃のようにまだ寒くて冷える時季に、春が近づいてきたという気分を呼び覚ますような効き目があると思っています(かっこうの声になるともう十分に春)。ということで先週から何度か車中でこれを聴いていて、クーベリックのこの曲も十分溌溂として最後は盛り上がっているのでLPの時代とかもっと早くに聴いていればとあらためて思いました。

 それに吉田秀和氏がクーベリックのマーラー(第5番か)について評した「草いきれのむんむんとするような野趣あふれる」というのは第1番にも、特に第1楽章によく当てはまっていて聴いているだけで土手の枯草と土色が雑草の緑に染まるのが目に浮かびます。といっても毎年冬が終わるのが名残惜しいというややこしい気分を何割か持ったままで三月に突入しています。
 

 
国内盤になったクーベリックのマーラーのCDの解説を見ると、「誇張を廃した真摯な」表現の中に、「適度なドイツ的重厚さ」と「十分に劇的緊張感を持った」、彼ならではの優れた表現が特徴、と評されています(多分第1番から第9番まで同じ文が載っているのだろう)。最後の「十分に劇的緊張感を持った」というのは今回まででなるほどと実感しましたが、「適度な」ドイツ的重厚さ、というのはなかなか難しいことを言っているようだと思いました(過剰なドイツ的重厚さとか、誇張された表現というのは具体的に誰の指揮したマーラーを念頭に置いてのことか??)。
4 2月

マーラー交響曲第9番 クーベリック、バイエルンRSO/1967年

170204マーラー 交響曲 第9番 ニ長調

ラファエル・クーベリック 指揮
バイエルン放送交響楽団

(1967年2-3月 ミュンヘン,ヘルクレスザール 録音 DG)

 クーベリックのマーラーの国内盤CDはどの時期の再発売でもグスタフ・クリムトの絵が付属冊子表紙に使われています。これは特にクーベリックとの繋がりを強調してのことじゃなく、多分マーラーの時代の芸術ということで使ったのだと思います。とか安易に考えているとクリムトの父はボヘミア出身らしくて、そうなるとマーラーだけでなくクーベリックとも縁が出てきます。とにかくクリムトの絵はLPで最初に発売された時のジャケットから使われていたようなので念が入っています。クーベリックのマーラーの録音データを見ると1960年代のものもあり、この第9番はクレンペラーと同じ年の録音でした。

クーベリック・バイエルンRSO/1967年
①26分00②16分03③13分23④21分44 計77分10
ハイティンク・ACO/1969年
①27分01②15分56③12分57④24分42 計80分36
クレンペラー・NewPO/1967年
①28分13②18分43③15分21④24分17 計86分33
ショルティ・CSO/1967年頃
①27分00②16分30③13分05④22分50 計79分25 
アンチェル・チェコPO/1966年
①26分40②15分06③13分20④23分25 計78分31
バーンスタイン・ニューヨークPO/1965年
①28分17②15分49③12分26④22分59 計79分31 

170202b 1960年代に録音されたこの曲のトラックタイムを並べると上記のようになり、これ以外にも有名どころではバルビローリ、ベルリン・フィル等がありました。演奏時間をみると最晩年にさしかかったクレンペラーが突出して長い他は割に差が出ていません。その中でもクーベリックは特に短くて、CD1枚に収まる長さになっています。個人的にはクレンペラーのEMI盤が特別に好きなので、それと9分も差が出ているクーベリックは忙しなくて気に入らないということになりそうですが、実際に聴いているとそうではなくてクレンペラーと似たものを感じました。それは第2、3楽章が魅力的で、各楽章のバランスがクレンペラーと似ているからかもしれません。

 だいたい各楽章でクレンペラーより2分から2分半短いので、実際に楽章の時間配分は似ています。それにクーベリックのマーラーの中では第5番のような爽快さとはちょっと違って、クリムトの作品の方をちょっと向いているようで、この曲に対する定着しているいくつかのイメージと重なります。同じくクーベリックのマーラーでも第6番(これもCD1枚に収まる)は第1楽章は速過ぎると思いましたが、第9番はそこまでの違和感が無いのは不思議です。第4楽章も含めて全体的にただ綺麗、美しいだけでなく、色々なパートがよく響いて聴こえてきます。 その点では両端楽章が特に美しいジュリーニとシカゴSOのDG盤と対照的かもしれません。

 この曲は第1楽章だけなら大抵は成功する(誰でも)という評があり、誰が言ったのか分かりませんが実際に色々CDを聴いて第1楽章のところでこれはダメと思ったことは無いので、妙に説得力があり、記憶に残っています。逆に言えば中間の第2、3楽章でちょっと退屈したりダレたりすることはよくありました。その点でもこの録音は魅力的です。
2 2月

マーラー交響曲第2番 クーベリック、バイエルンRSO/1969年

170202bマーラー 交響曲 第2番 ハ短調「復活」

ラファエル・クーベリック 指揮
バイエルン放送交響楽団
バイエルン放送交響合唱団(合唱指揮ヴォルフガング・シューベルト)

エディト・マティス:ソプラノ
ノーマ・プロクター:アルト

(1969年3月 ミュンヘン,ヘルクレスザール 録音 DG)

 今年はちょうど3月1日が「灰の水曜日」なので2月は全く四旬節にかからないという暦になっています。春分の日直後の満月の日がいつかによって復活祭が毎年移動するため今年はこうなったわけですが、降誕節と四旬節の間が長くなって妙な具合です(といっても我々一般人には何も影響は無い)。それとは関係なく先月25日から遠藤周作の「沈黙」の映画が日本でも公開されました。かつて日本でも映画化されたことがあり、そもそも陰惨な内容なので観たさと敬遠したい気分が4分、6分くらいでまだ観に行っていません。

170202  「(わたしたちは)今もなお、被造物が皆ともにうめき、ともに産みの苦しみを味わっていることを知っています」。いきなり何じゃ、の類ですがこれは新約聖書の使徒書簡(ローマ人への手紙第8章18節以降)に出て来る復活(将来の栄光)について書かれた部分の一部です。マーラーの交響曲第2番の終楽章で、コーラスが静かに始まる瞬間、その直前辺りの感慨は、使徒書簡のそのくだり、「うめき、産みの苦しみ」が終わり報われる瞬間のようでつぼにはまると涙が出そうになります。遡ると「被造物はむなしさに服従させられていますが」等々、切実な内容であり、ここでの「被造物」には人間以外の存在を指しているようです。実際、「被造物だけでなく、初穂として聖霊をいただいているわたしたち自身も」という表現があるので少なくともこの書簡を書いた作者はそういう思いだったはずです。そうだとすれば「現在の苦しみは、わたしたちに現わされるはずの栄光と比べると、取るに足りない」ということは、なおさら迫真の表現です。神学的な正しさの話は別にして、単純に受け止めるとこれらの内容は復活交響曲や第8番の世界と重なりそうです。

 マーラーの復活交響曲は何となく音響的な刺激、起伏を無意識的に要求してしまい、それが足らないと物足らないような気がついてまわります。かと言ってあまりに文学的、心理的なものを詰め込んだように濃厚過ぎるとくどさを感じてしまいます。クーベリックの場合はそうした誇大な表現であると(*書き間違いを取り消し線で訂正)を極力廃した表現だとしばしば評されていて、実際セッション録音の第5番なんかはそれを実感できて、なんとも爽快な演奏になっていました。今回の第2番はちょっと違った印象で、第3楽章と第5楽章の冒頭部分なんかは攻撃的で、牧歌的なのどかさと全然違っていました。特に第3楽章は元々そんなにシリアスな内容でないはずなので一層目立ちました。

クーベリック・バイエルン/1969年
①19分33②10分31③10分06④04分55⑤31分01計76分06
クレンペラー・バイエルン/1965年ライヴ
①20分24②10分43③12分00④04分07⑤32分26計79分40
クレンペラー・PO/1963年ライヴ
①20分22②10分29③11分29④04分23⑤33分15計79分58
クレンペラー・PO/1961-62年
①19分13②10分40③11分50④04分06⑤34分39計80分28

 思えばクーベリックのマーラー全集は全曲がクレンペラーが存命中に録音されていて、復活交響曲はクレンペラーもバイエルン放送交響楽団に客演、指揮しているので互いに何らかの形で演奏を会場で聴いた可能性も考えられます。 クーベリックのマーラーはどの曲も演奏時間が長い方ではなくて、第3番以外は何とかCD1枚に収まっていました。クレンペラーの方はあの異様な第7番の長い演奏時間に比べて第2番はCD1枚に収まる時間であり、クーベリックとの差は3~4分くらいです。

クレンペラー・VSO/1951年ライヴ
①19分01②10分14③11分09④3分56⑤30分49計75分09
クレンペラー・ACO/1951年ライヴ
①17分44②09分27③10分32④4分05⑤29分58計71分46

 クレンペラーが1950年代に指揮した復活交響曲のライヴ音源は何種類かCD化されていて、それらはクーベリックの全集盤よりさらに短い演奏時間です。ただ、クレンペラーの場合は正方形に対していくつかの方向に引っ張られてよじれて歪んだような不思議な印象なのに対して、クーベリックの方はひたすら真っ直ぐに素直な表現のように感じられるのは不思議です。この録音でも、終楽章はもうちょっとだけゆっくりな部分があってもいいかと思うくらいですが、第2楽章から一直線に進んで行くようで爽快な魅力がありました。吉田秀和氏がクーベリックのマーラーに言及した文章に「ある種の『無垢』と『素朴』がまだかろうじて、生き残っている」と表現されているのも頷ける気がしました(言及されているのはレントラー舞曲的な楽曲についてで復活交響曲に対してではないけれど)。
27 1月

マーラー交響曲第5番 クーベリック、バイエルンRSO/1971年DG

170127マーラー 交響曲 第5番 嬰ハ短調

ラファエル・クーベリック 指揮
バイエルン放送交響楽団

(1971年1月 ミュンヘン,ヘルクレスザール 録音 DG)

 対馬の仏像やらアパホテルの客室の本、国会の云々でんでん、稀勢の里の土俵入り奉納と寒い中でも慌ただしく色々起こっています。ルーブルとか大英博物館はどうする?とか、中国共産党は国際ギデオン協会には文句を言わんのか?、いくら原稿を読むだけだとしてもそれくらい読めるんじゃないの等々突っ込みどころはありますが、庶民にはどうしようもなくて別段心は波立つほどでもありません。質問も答弁も官僚が書いた原稿を読むだけと言われて久しいですが、それでも個人差はあるらしく、かつて自治大臣や党幹事長を務めた元議員はどんなに多忙でも、道路の開通式の挨拶のような現行でも完全に自分のものとして消化し、参列者やその道路の来歴等のポイントを押さえて自分なりにアレンジし、決して棒読みはしなかったと聞きました(漢字の誤読があったかどうかは知らないけれど)。

 さてにわかに個人的に気になったクーベリックのマーラー(セッション録音の方)を店頭で探したら第5番の国内廉価盤が見つかり、購入して聴いてみました。これが冒頭から素晴らしいというか、自分の現在の気分、元来の好みにぴったり合って、今までスルーしてきたのが残念でした。ここ何年か、クーベリックが同じくバイエルン放送交響楽団を指揮したマーラーのライヴ録音が出て評判になっていました。しかしあまり関心がわかず、セッション録音の全集同様に素通りしてきました。クーベリックのマーラーがLPの新譜で出た当時もどうも注目度は今一つだったようで、それはバーンスタインの旧全集からショルティ、ハイティンクの全集と重なったこともあり特に日本ではどの曲も定番的な扱いにはならなかったようです。

クーベリック・バイエルンRSO/1971年
①11分35②13分52③17分23④09分44⑤15分29 計68分04
ノイマン・チェコPO/1977年
①11分05②13分40③18分35④10分05⑤16分05 計69分30
バーンスタイン・NYPO/1963年
①12分28②14分18③17分39④11分02⑤13分51 計69分18
ハイティンク・ACO/1970年
①12分19②14分02③18分00④10分35⑤15分49 計70分45
レヴァイン・CSO/1977年
①12分56②14分50③17分34④12分01⑤14分53 計72分14 

 1960、70年代に録音されたもののトラックタイムを眺めるとあまり差はありませんが、合計演奏時間ではクーベリックは短い方になっています。それに余裕があると言うのか、角がとれていると言えるのか例えば同時期のショルティとシカゴSOとは対照的な面もありそうです(レーベルの違い、オケの特色とか違う要素も効いているか)。第1楽章はえも言われない憂いを帯びた風で、I.フィッシャーが言う「ユダヤ人の嘆きの雰囲気」が実感できました。また、第3楽章以降は、吉田秀和氏の評した「草いきれのむんむんとするような野趣あふれる」という感じがなるほどと新ためて新鮮に感じられました。

 第4楽章は時々薄っぺらくてサロン音楽のようだと辛辣に評される楽曲ですが、ここではそうした負のイメージは感じられず、伸びやかで健全な青春の音楽といった趣だと思いました。プラハ出身のクーベリックはチェコや東欧系の作品だけでなく、独墺系の作品も主なレパートリーでした。クーベリックのマーラーの演奏を聴いていると、どちらかと言えばマーラーもボヘミア出身だったことを思い出されます。
14 7月

スメタナ「わが祖国」 クーベリック,ボストン交響楽団

スメタナ 連作交響詩「わが祖国」


ラファエル・クーベリック 指揮

ボストン交響楽団

 
(1971年3月 ボストン,シンフォニーホール 録音 DG)

150714 毎年蝉、クマゼミの鳴き声を初めてきく日をブログに書きとめておこうとしていて、今年は今朝ききました。今朝の8時40分頃京都市役所前の御池通の街路でいっせいに鳴いていました。去年はもっと早かったようですが暑さの方は今年がダントツ上回っています。特に今日なんかは歩いているうちに燻製になりそうでした(しかし痩せない)。午後の三時前に所要でバスを使って出かけようとしたところ、歩き続けると熱気で気分が悪くなりそうだったので車を使うことにしました。地下駐車途へ向かう中で千枚漬けのD安の紙袋を持った欧米人を見かけましたが、千枚漬けは口に合うのか??、知らずに買ってるのかと思いながら通り過ぎました。しかし生まれ育ちが遥か彼方でも、自分が三年前から定期的に行く市内のアルザス食堂(アルザス出身のシェフ)の味は不思議に好みに合う(ほぼ全部絶好球)ので、発酵食品の千枚漬、すぐきも欧米人で好きになる人が居てもおかしくはないでしょう。

 さて、このCDは三種あるクーベリックによる「わが祖国」のセッション録音のうちで最後のもので、一番完成度が高いと定評がありました。1952年のシカゴSO、1958年のウィーンPOと比べると新しいだけあって当然音質も向上して非常に鮮烈です。それにオーケストラ名を伏せて聴かされたらこれがボストン交響楽団とはなかなか分からないのではと思い、ヨーロッパのオケと間違えるかもしれません。当時のボストン交響楽団はケルン生まれのウィリアム・スタインバーグ(ヴィルヘルム・シュタインベルク)で、その前任はウィーン出身のエーリヒ・ラインスドルフでした。さらにその前はシュトラスブルク(ストラスブール)出身のシャルル・ミュンシュはもっと有名です。スタインバーグの後任は小澤征爾で1973年から音楽監督に就任しました。その後オーケストラの音をドイツ風に変えるために、ミュンシュ時代から居た団員を入れ替えたそうなので、この録音当時はそうした団員もまだ健在だったということです(ラインスドルフ、スタインバーグは小澤征爾のやったようなことはしなかったのか?特に前者なんかは断行しそうだけれど)。

連作交響詩「わが祖国」 ①ヴィシェフラト (高い城),②ヴルタヴァ(モルダウ) , ③シャールカ , ④ボヘミアの野と森より, ⑤ターボル, ⑥ブラニーク

 下記のように新旧三種(それぞれ20年くらいの隔たりがある)の録音のトラックタイムを見るとあまり変遷というか、徐々にこうなったという傾向があるのか無いのかよく分かりません。録音当時のクーベリックはバイエルン放送交響楽団の首席指揮者であり、メトロポリタン歌劇場の音楽監督にこれから就任するという頃でキャリアの絶頂期だったかもしれません(それまで曲折があったにせよ)。

 ~ 過去に取り上げたクーベリックの「わが祖国」の
ボストンSO/1971年
①15分25②11分59③9分32④12分39⑤12分33⑥14分07

シカゴSO/1952年
①14分49②11分53③9分26④12分45⑤13分27⑥13分55
チェコPO/1990年・ライヴ
①13分59②11分35③9分42④13分09⑤12分59⑥14分37


 自分の中では長らくクーベリックはユダヤ系という印象が無くて、ついそれを忘れてしまい、チェコなどの民族系作品よりもドイツ、オーストリア系が本筋のレパートリーだという先入観がありました。この「わが祖国」は格調高く、透徹した響きに圧倒されて、標題やらそれにまつわる民俗的物語を寄せ付けない、まるで交響曲を聴いているような感じです。母国の人が聴けば違う印象で、何を言ってるのか門外漢くらいに思うかもしれませんが、とにかく泥臭さと縁遠い「わが祖国」です。シュトラスブルクからストラスブールの名へ戻って、ミュンヒからミュンシュと名乗れると思えばまたナチが台頭、シュタインベルクは亡命を余儀なくされてスタインバーグ(野球選手の登録名のようだ)になりました。クーベリックが1990年に再びチェコPOを指揮して「わが祖国」を演奏するまで42年もかかりました。「祖国」という二文字がやけに重く見えてきます。

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raimund

昭和40年代生まれ、オットー=クレンペラーの大フアンです。クレンペラーが録音を残したジャンルに加え、教会音楽、歌曲、オペラが好きなレパートリーです。

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