ラファエル・クーベリック
昨日は京都市交響楽団の来年度定期公演の予定が発表になり、マーラーの復活が10月定期に入っていました。そういえばスメタナの連作交響詩「我が祖国」は今年の七月定期のプログラムだったのに、暑さと色々忙しくてチケットを買わなかったのが今になって残念です(このCDを聴くにつけ)。「我が祖国」は英語では “ My country ” と表記されるので違う日本語訳もあり得そうですが、クーベリックやアンチェル、マーツァルら共産党政権樹立後(クーベリックの場合)や「プラハの春」事件後に亡命した指揮者をおもうといっそう「祖国」という語が似合います。あと、今世紀に入る前からネット上で見かける「ウリナラ」というのも同じ意味かと思うと妙な感じ(昨今の我が国のネット上もウリナラ・マンセー状態に見える)ですが。
このクーベリックとバイエルン放送交響楽団の「我が祖国」は、まだ東西冷戦が終わっていない頃にバイエルンでライヴ収録されたものでした。クーベリックの同曲ならウィーン・フィル、シカゴ交響楽団、ボストン交響楽団とチェコ・フィルと何種類もレコード、CDがありましたが、今回のバイエルンRSOのものはチェコ・並んでフィルと屈指の名演と言われることがよくありました。過去記事ではシカゴSO(1952年録音)、ボストンSO(1971年録音)、チェコPO(1990年ライヴ録音)を扱っていましたが、この六連の交響詩を連続して聴くのはブルックナーやマーラー以上に長いと感じられ、それからどこかしら息苦しさのようなものが付いて回り、作品に対する親近度があと一歩というところでした。
しかし今回は感触が違い、交響曲のように各楽曲のつながり、一体感が強くてうずに巻かれるような強烈な印象です。それに重厚さと圧迫感が尋常ではなくて、張りぼての巨大さとは違って、密度の高い質量の物凄さを感じさせます。これまでは第1、2曲目の旋律はよく記憶に残り、そういう情緒的な面でこの作品を覚えていましたが、そんな表層のものに留まらないもので訴えかけてくる気がして、作品観が変わります。そういえば同じくバイエルン放送交響楽団との演奏のマーラーは、DGのセッション録音の他にライヴ音源が出て来てそちらの方の評判が一層高かく、演奏も違った印象だったのと似ているかもしれません。
①14分49②11分53③9分26④12分45⑤13分27⑥13分55
ちなみにレコ芸編による「名曲名盤500(合本版)2017年6月刊」の「我が祖国」をのぞいてみると、第1位がクーベリックとボストンSOが18P獲得していました。第2位はアンチェルとチェコPO(1963年録音)が15P、第3位にクーベリックとチェコPOのライヴ盤が入り8P獲得していました。このバイエルンRSOとの録音は、第5位で一人の選者が2Pを入れたのみで、アンチェルとチェコPOのラ1967年イヴ盤やコバケンさんとチェコPO、ベルグルンドらと並んでいます。
ところでプラハの春以降に亡命した指揮者はカレル・アンチェルのほかにズデニェク・マーツァルが居ました。この人の「我が祖国」やスメタナ作品の録音は見かけたことはなくて、どうなっているのかと思っていました。EXTONからはマーラー、ドヴォルザーク、ブラームス、チャイコフスキーを連続して録音していた頃、スメタナは含まれていなかったのか?、もしそうだったら当人が望まなかったのか色々気になってきます。その前に現在はもう引退状態なのか情報が絶えて久しいマーツァルです。クーベリックのように引退後にもかかわらず指揮するということを、マーラーの第8番が未録音なのでつい期待します。