raimund

新・今でもしぶとく聴いてます

指:ムーティ

20 8月

ベートーヴェン交響曲第7番 ムーティ、フィラデルフィアO/1988年

210817aベートーヴェン 交響曲 第7番 イ長調 op.92

リッカルド・ムーティ 指揮
フィラデルフィア管弦楽団

(1988年2月13,17,20日 フィラデルフィア,フェアマウント・パーク,メモリアル・ホール 録音 EMI)

 今週に入って墨染のインクラインの上を通る国道24号を通った際、水が茶色に濁っているのが見えて、これは取水口の大津で既に泥が流れ込んでいるのか、深草あたりで流れ込んだのか、とにかく稀に見る濁りかたなのでちょっと驚きました。それに地下鉄の入口やらエレベーターの入口に土のうが何個か置いてあるのも見かけ、そこら中で路上が川のようになったのかと、それにも驚きました。そう思った日からさらに何日も雨が降り、晴れたと思った金曜日もまたにわか雨でした。それと共にまた緊急事態宣言の追加で、また其処らじゅうの店が閉まりだしました。オリンピックが終わったあと、BS放送で政局の番組をやっていて与党で過半数割れになった場合、K党やN・Iの会が補完するとか取沙汰していました。

ムーティ・フィラデルフィア/1988年
①13分17②09分00③9分38④8分35 計40分30
ドホナーニCLO/1987年
①11分33②07分38③8分18④6分34 計34分03
ショルティ・CSO/1989年
①13分33②08分19③7分03④8分47 計37分42

 ムーティとフィラデル・フィア管弦楽団のベートーヴェンは廉価箱が出たタイミング(EMIレーベルのロゴが消滅する際)に購入して車中で聴いていました。その中では第7番が一番好印象でした。といってもクレンペラーの演奏とは似ていなくて、覇気のあるタイプのものでした。それでも先日のドホナーニのように滑るように、流れるように過ぎて行くのとは違い、まだ古い時代の演奏の香りがするような気がしました。ムーティの自伝にオーマンディとフラデルフィア管弦楽団のヨーロッパ公演のベートーヴェンを師匠筋のグイと聴いた時のことが書いてあり、ムーティはその演奏に好意的のようでした。

 たしか倍管で演奏していたのをグイは原典主義的な見方から軽侮するような感想だったのに対して、ムーティはそれに同調していませんでした。オペラの上演で原典至上主義的な立場が見られたムーティにしては意外な反応だと思いました。これはベートーヴェンの交響曲だから構わない、編成の問題以上に肝心なことがあるということなのか、よく分かりません(自伝は今回読み直していない)。

 昔、民放のTV番組で小澤征爾が指揮するベートーヴェンの交響曲第7番を視聴したことがあり、最後に指揮台の上で飛び上がるような姿だったのが妙に曲ともに刷り込まれました。このイメージから反対方向に揺り戻されたのがクレンペラーのLPを聴いた時でしたが、そもそも第7番はどういうイメージとして浸透してきたのだろうかと思います。宮沢賢治がセロ弾きのゴーシュを書いた頃には日本で初演されていたのだろうか。
4 5月

ヴェルディ「シチリアの晩鐘」 ムーティ、スカラ座/1989年

200503ヴェルディ 歌劇「シチリアの晩鐘」

リッカルド・ムーティ 指揮
ミラノ・スカラ座管弦楽団

ミラノ・スカラ座合唱団

アルリーゴ:クリス・メリット
エレナ公女:シェリル・ステューダー
プローチダ:フェルッチョ・フルラネット 
シチリア総督モンフォルテ:ジョルジョ・ザンカナーロ
仏士官ベテューヌ卿:エンツォ・カプアーノ
仏士官ヴォードモン伯爵:フランチェスコ・ムシヌー
ニネッタ(エレナ公女の侍女)グロリア・バンディテッリ
ダニエリ(エレナ公女の召使いのシチリア人)エルネスト・ガヴァッツィ
仏兵:テバルド:パオロ・バルバチーニ
仏兵:ロベルト:マルコ・キンガーリ
シチリア人:マンフレード:フェレーロ・ポッジ
*バレエ~カルラ・フラッチ

演出,装置,衣装:ピエール・ルイージ・ピッツィ
照明:ヴァンニオ・ヴァンニ

(1989年12月27,30日 ミラノ・スカラ座 ライヴ収録  OPUSARTE/DENON)

200503b 先週の木曜か金曜の午前中、鴨川沿いの川端通を北上していると救急車がサイレンを鳴らして追い越して行きました。救急車が右車線を通り過ぎる時に車体を見ると「姫路市消防」と書いてあるのが見えました。たまたま、コロナ禍関係なく違う病状のために京都市まで搬送になっていたのか、空いている病床が無くて播磨から摂津を越えてやってきたのか分かりませんが、救急車が向かった方向は京大病院か府立医大病院です。京都市内の病院も困難な状況になっているのではと少々恐ろしくなりました。ところで憲法記念日の昨日に権力を行使する側が改憲を絶対に実現すると言ったとか、近代憲法の意味を考えると奇妙な主客転倒感があります。低い投票率の上に民間からもっと人権保護を具体的にとかそういう方向からの改憲を求める声もあがらないので、よけいに野放しになるのかと思って改憲云々と言った当人の声がテレビから流れる前にチャンネルを変えました。

200503c このミラノ・スカラ座の「シチリアの晩鐘」は元号が平成になった年の12月に実況収録されたもので、30分近くになるバレエ「四季」を含むほぼ省略なしのかたちで上演されたものです。原典重視のムーティは既に1978年にフィレンツェでノーカットの「シチリアの晩鐘」を上演していました。五幕、バレエ付きというグランド・オペラの構成なので上演時間が3時間半くらいになります。この作品ではイタリアを代表するプリマ、カルラ・フラッチが起用されています。「シチリアの晩鐘」、又は「シチリア島の夕べの祈り」とも訳されたこの作品はレヴァインのセッション録音・レコードもありましたが、舞台を観ていないとなかなか内容をイメージできないと思っていました。

 作品に対する印象はコーラスが活躍すること、オーケストラ、独唱等も含めて魅力的な旋律が続き、史実を題材にした話なので悲劇が重みをもって迫ります。演出は1282年に起こったシチリアの晩鐘事件の頃よりもっと後世を思わせる衣装なので、視覚的にシンプルです。コーラスも衣装を着けて舞台に多数登場するのでスッキリしたセット、衣装は効果的かと思いました。ただ、日本の大河ドラマで鎌倉時代の話に元禄期の装束、甲冑で登場するとちょっとうるさいことになりそうです。あと、バレエの内容が話の筋とあまり関係無さそうなので、こういうスタイルだとしても冗長な印象を受けかねないと思います。

200503a 主なキャストは皆素晴らしく、最期はシチリア人らに暗殺される役のザンカナーロとその息子役ノアルリーゴのメリット、シチリア解放の闘士プローチダを
フランス語でもイタリア語でも歌ってきたフルラネットら男声陣は際立っていました。ステューダーはこんにふっくらした顔だったか?と思ったのは別にして、神聖ローマ皇帝一族の女性らしい貫禄のある歌唱が衣装的でした。外見、声質ともにもっときゃしゃだったと覚えていたので意外ですが、魅力的でした。

 シチリア島はローマ帝国以後は9から11世紀にかけてムスリム王朝の支配を受け、その後ノルマン人が南イタリアを含めて征服した後、神聖ローマ皇帝ハインリヒ6世が征服しました。そしてノルマン王朝の女性と結婚し、その子が塩野七生の小説で扱われたフリードリヒ2世でありノルマン王家、ドイツ王を相続して皇帝になりました。オペラの題材になった事件はそのフリードリヒ2世の没後、彼の息子コッラードが26歳で亡くなった後の出来事です。フランス王ルイ9世が教皇の要請によって弟シャルル・ダンジューを派遣して制服し、その圧政に対してシチリア人の反乱が起こりフランス人を虐殺(5000人程度とされている、30万人ではない)するという事態になりました。
15 3月

ファルスタッフ マエストリ、フリットリ、ムーティ、スカラ座/2001年

200315aヴェルディ 歌劇「ファルスタッフ」

リッカルド・ムーティ 指揮
ミラノ・スカラ座管弦楽団
ミラノ・スカラ座合唱団(合唱指揮:ロベルト・ガッビアーニ)

ファルスタッフ:アンブロージョ・マエストリ
アリーチェ・フォード夫人:バルバラ・フリットリ
フォード:ロベルト・フロンタリ
ナンネッタ:インヴァ・ムーラ
フェントン:ファン・ディエゴ・フローレス
クイックリー夫人:ベルナデッテ・マンカ・ディ・ニッサ
メグ・ペイジ夫人:アンナ・カテリーナ・アントナッチ
カイウス博士:エルネスト・ガヴァッツィ
バルドルフォ:パオロ・バルバチーニ
ピストーラ:ルイージ・ローニ

演出:ルッジェーロ・カップッチョ
美術監督:ルチア・ゴーイ
衣装:カルロ・ポッジオリ

(2001年4月10日 ブッセート,ジュゼッペ・ヴェルディ劇場 ライヴ収録)

200315b フィギュアスケートの世界選手権が中止になり、ヨーロッパ、北米でも感染が拡大している新型コロナ、国税局の確定申告が延期になっているのはありがたいことで、数少ない良いことです。イタリアで何故ここまで蔓延しているのか、はじめは不思議でしたが衣料や皮革産業に中国が大挙進出しているから人の出入りがあるそうです。それに財政難から診療所、病院を減らして医師も不足しているから被害が拡大しているとのことで、いずれも、特に後者は全く他人事ではありません。政府の緊急会見(普段、質問にはろくに答えないのに割と会見を開く)の通りに本当に緊急事態にあたらないことを願います。

 これはヴェルディの生地ブッセートにおいて2001年に上演された公演の記録であり、ヴェルディの生誕100年を記念して上演されたファルスタッフの衣装、舞台を忠実に再現したものということでした。その1913年、生誕100年時にはトスカニーニが指揮していました。今回の2001年公演は作曲者の没後100年のメモリアル年であり、色々の記念が重なるものということになります。日本語字幕入りのDVD、画面は16:9、音声もDTS5.1とドルビー5.1が入っています。発売後だいぶ経って値下がりしていましたが音質、画質とも良好です。

 このファルスタッフもヴェルディのメモリアル年には注目されていたはずですが、平成15年当時はトンネルの一つを抜け出しつつあり、苦難の中にあったのでこの話題には全然注目していませんでした。しかし視聴すると演奏がまず魅力的で、主要キャストでは自分より僅かに年上のマエストリが30代前半にあたり、声も若々しさが溢れています。フォードのフロンタリもファルスタッフにまさるとも劣らない威容、歌唱です。アリーチェ以下三夫人は皆素晴らしくて、ナンネッタのムーラは英語圏の出身かと思ったらアルバニア生まれらしく、その後椿姫を歌ったとあるのが興味深いところです。三夫人の中に混じって声質が違うので目立っています。この作品の声の配分・配役の妙がよく実感できます。

 映像の面では衣装やセットが魅力的で、異文化圏の我々には説得力というのか、とにかく惹きつけられるがあると思いました。ただ、ヘア・髪型はどんなものなのかと思えて、特にファルスタッフはドリフの加藤茶のかぶるズラを連想させ、髪が横に飛び出ているのも誇張し過ぎのような気もします(確かに目立っている)。それにアリーチェら女声陣の髪型がハート型にかためて編んでいるのが目立ち過ぎな感じもします。しかし全体としては不思議な効果、調和?があって、独特の喜劇的な香気を醸し出しています。ムーティ指揮の演奏がこれによく合って引き立て合っているようで、この作品にはまず欠かせない映像じゃないかと思いました。
11 3月

椿姫 ファッブリチーニ、アラーニャ、ムーティ、スカラ座/1992年

200311ヴェルディ 歌劇「椿姫」

リッカルド・ムーティ 指揮
ミラノ・スカラ座管弦楽団
ミラノ・スカラ座合唱団

ヴィオレッタ:ティツィアーナ・ファッブリチーニ
アルフレード:ロベルト・アラーニャ
ジェルモンド:パオロ・コーニ、
アンニーナ:アントネッラ・トレヴィサン、
ガストン:エンリコ・コスッタ、他


1992年 ミラノ,スカラ座 ライヴ録音 Sony Opera House)

 先週のある夜、ラジオのニュースで国会の答弁の音声が流れていました。その中で「~をモクトに」という語が耳に入り、モクト??、聞き覚えのない言葉だと思って意味が分からず、前後の繋がりから「目途(メド)」のことかと気付きました。特にネット上でネタにもなってなかったようで読み方は複数あるのだろうと調べたら「モクト」とも読むと出ていました。目処と原稿に書いてあったら「モクト」とは読まないだろうし、官僚の間でも「モクト」という読み方は浸透しているのかなと、この歳になって恥ずかしながら(云々 デンデンと同じかと一瞬思った)妙に感心しました。些末なことはさて置き、問題は新型コロナ感染の収束、その目途が立たないということです。昨夜はかかりつけの医院に寄ったところガラガラで、自分の他に一人だけでした。訪問診療に比重を移している医院だけれども、ここまで空いていたのは初めてです(皮肉な状況で、混雑、感染を恐れて通院を敬遠しているのでしょう)。

 ヴェルディの椿姫を先週から何度か、複数のCD、LPを取り出して聴いています。そこで過去記事でまだ扱ってなかったムーティとスカラ座のライヴ録音を思い出して聴きました。マリア・カラスのヴィオレッタがあまりに素晴らしく、その後上演を試みた1964年にはブイーングやら客席の拒否反応のため失敗し、それ以降長らくプログラムから外れていた椿姫。それをムーティが敢然と上演させて成功したシーズンの録音ということで話題になっていました(その割に簡素な体裁の廉価CD)。

 改めて聴いてみるとそうした歴史的意義のある公演と知らずにおれば何も気が付かないかもしれないというのはあるとして、序曲から乾杯の歌、そこから第一幕の終わりまで全く違和感の無いテンポというか流れと心地良い充実感にあふれています。ヴィオレッタのファッブリチーニは存在感がある歌唱なので公演が成功だったのも頷けます。ただ、世紀のとかセンセーショナルに目立つとまではいかないとも思いました。何となく音質的に微妙で、どうせなら同じキャストで念入りなセッション録音か、映像ソフトだった方が良かったかなと思いました。そのくせ拍手の音声はより一層臨場感があって、どういうマイクの設置なのか舞台の音がちょっと遠いような感じです。それにしても、ちょうど最近非イタリア人の指揮者の全曲盤を聴いていて、第一幕の序曲直後からが速過ぎる、なにか窮屈で優雅なところに欠けて違和感があると思ったので、その後にこれを聴くと安心するような気がしました。

 音質の不満は第二幕ではあまり感じなくなったせいか、ヴィオレッタとしても第二、第三幕の方がより魅力的だと思えました。アルフレードの親父から娘の縁談に差し障るから別れろと言われ、葛藤の末にそれを受け入れる、それだけの犠牲を払っているのにアルフレードから恨まれる理不尽、病床の第三幕と、かなり惹きつけられます。ヴィオレッタという役も複雑そうで、過去に有名だった歌手を振り返るとミミ(ボエーム)が似合う声よりもトスカ的な声の要素が強い声、歌唱の方が多いようです。そう単純なものでないとしても、
ファッブリチーニも強い、トスカ色がそこそこ出る声のように聴こえます。ワーグナー作品の女声には置き換えにくいけれどもイゾルデ、ブリュンヒルデとエヴァ、エルザあたりは隔たりがありそうです。過去に聴いた椿姫の全曲盤の中では「スコット、ヴォットー、スカラ座のDG盤/」、「カバリエ、プレートル、RCAオペラO他/1967年」、「カラス、サンティーニ、トリノ・イタリアRSO/1953年」と三つのセッション録音が気に入っていますが、今回のものはそれらに接近する内容でした。
14 12月

ブルックナー交響曲第9番 ムーティ、シカゴSO/2016年

171214ブルックナー 交響曲 第9番 ニ短調  WAB109

リッカルド・ムーティ 指揮
シカゴ交響楽団

(2016年6月 シカゴ,オーケストラ・ホール 録音 Cso Resound)

 今日12月14日の朝は京都市内で初冠雪となりました。外環を北上中に醍醐の山並みがほんとうに薄っすらと白くなっているのが見え、山科の三条通手前まで来るとさらに山の白い色が濃くなりました。ちょうどFMのクラシックカフェでははかったようにシューベルトの「冬の旅(ボストリッジ、アンスネス)」が流れていました。先月末から大石神社の「義士祭」ののぼりが立ち、それを見ながら今日は討入の日かと思っていました。二十年近く前に東京に滞在した際は泉岳寺へ行ってみたところ、結構若い人が墓所に来ているのに感心しました。12月14日が記念日の聖人に「十字架の聖ヨハネ」という16世紀にカルメル会修道院の刷新に導き跣足カルメル会が生まれる契機となった人物が居ました。「カルメル山登攀」、「暗夜」等の著作があり、日本語にも訳されていますが特に前者は何のことかちょっと読んだくらいでは全然分かりません。

 さて、このブルックナー第9番、実際に聴いてみるととにかく素晴らしくて何度も繰り返して聴きたくなりました。先日の交響曲第2番よりも一層感銘深く、ムーティのもっと若い頃の演奏から予想する鋭角的で強引なところがかげをひそめ、山の頂から穏やかな風が吹いてくるような自然さに驚かされます。どの楽章も見事ですが特に終楽章がなかなか並ぶものが無いくらいだと思いました。この際トラックタイムはどうでもいいかと思えてきました(邪魔くさいから省いたのじゃない)。

 先日の交響曲第2番は同じ2016年の8月の演奏だったので、ムーティは誕生日を挟んで続けざまにブルックナーを演奏していたことになり、オーケストラや音楽祭側の意向もあるとしても晩年に差し掛かってブルックナーに傾倒しているようで、ブルヲタとしては好ましく、期待したいところです。最近ヤノフスキのブルックナーが気に入っているとろでしたが、ムーティは対照的なスタイルのようです。

 リッカルド・ムーティも既に75歳を超えました。このブルックナーの交響曲第9番はムーティが75歳になる直前、シーズンの締めくくりの公演の際に録音されたものでプログラムは同じくブルックナーのテ・デウムが続いて演奏されました。シカゴ交響楽団の創立125周年のシーズンだったそうで、その祝祭的なところからテ・デウムを演奏したというニュアンスが強くて特に未完の第4楽章の代わりに充てるという考えでもなさそうです。リッカルドはドイツ語圏でリヒャルト(実際の発音はちょっと違う)、英語でリチャード、フランス語ならリシャールになるらしく、西ヨーロッパなら読み方は違ってもほぼ同じ文字で通るのかと、最近駅なんかで増えたハングルと現代中国の漢字併記を見ながらしみじみ思いました。

 
7 12月

ブルックナー交響曲第2番1877年稿ノヴァーク版 ムーティ、ウィーンPO

171207bブルックナー 交響曲 第2番 ハ短調(1877年稿・ノヴァーク版)

リッカルド・ムーティ 指揮
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

(2016年8月15日 ザルツブルク,祝祭大劇場 ライヴ録音 DG)

171207a 一気に寒さが本格的になってきました。今朝は7時半頃に車内の外気温計が氷点下を表示し、フロントガラスに霜と氷が混じったような厚い層がはりついて苦労しました。それでもハンドルまで冷え切ったという程でもなく、まだまだこれより上の寒さがひかえています。ナビのSDカードの「アッシジのフランチェスコ」を再生するのをやめて(ようやく解き放たれた)FMをつけたところ、ハフナー交響曲が流れていました。最後まで聴くとリッカルド・ムーティ指揮だったので、最近国内盤でムーティとウィーンPOのブルックナー交響曲第2番が出ていたことを思い出しました(購入したけど未聴だった)。ムーティのブルックナーも交響曲第2番のCDも珍しく、この曲は個人的に特に好きなのでどんな演奏であろうと、音質がどうであろうと楽しみにしていました。

 もちろんどの稿・版(1872年稿、初演1873年稿、1877年稿の各版)であろうが好きなことに変わりはありませんが、オーソドックスな1877年稿のノヴァーク版でした。ムーティのブルックナーと言えば1980年代にベルリンPOとセッション録音した交響曲第4、6番の他は最近のシカゴSOとの第9番くらいなので、ムーティとしては珍しいレパートリーということになります。

ムーティ・VPO/2016年
①19分39②15分09③06分57④20分56 計62分41
インバル・東京都SO/2011年
①19分56②14分45③07分26④17分36 計59分43
ズヴェーデン・オランダRPO/2007年
①17分51②20分04③06分10④17分53 計61分58
D.R.デイヴィス/2005年
①17分41②15分54③07分51④17分13 計58分39
バレンボイム・BPO/1997年
①19分07②16分34③07分31④19分12 計62分24
カラヤン・BPO/1980,1981年
①18分16②17分34③06分12④18分06 計60分08
ヨッフム・ドレスデン管/1980年
①18分03②14分57③06分54④12分46 計52分40
ジュリーニ・VSO/1974年
①19分54②16分15③07分11④15分12 計58分33
ヨッフム・バイエルンRSO/1966年
①17分57②14分05③06分37④13分17 計51分55

 実際に聴いてみると後期作品のようにズッシリとくる演奏で、最近のブルックナー・初期作品の演奏の傾向とは一線を画するような印象でした。同じ稿・版の録音のトラックタイムを並べると上記のようになり、ヨッフム新旧が特に省略があるからだと思われます(どこかに省略について言及してあった覚えがある)。最近では初期稿を選ぶか、1877年稿でも新しい校訂版(キャラガン等)を使っているのでこの稿・版を使った新譜が減ってきています。四つの楽章の中では前半の二つの楽章、特に第2楽章(アンダンテ)が素晴らしく魅力的です。そのかわりに第3楽章のスケルツォがちょっと鈍重、あるいは強すぎるような感じです。この感触は第7、8番あたりと同等に扱うようで全く堂々としています。第4楽章は弦が優美でこれも後期作品を聴く心地で圧倒されます。なお、演奏前と終了後の拍手は別トラックに収録されていて、特に終演後の拍手は盛大です。

 付属冊子の解説によるとムーティは交響曲第2番を高く評価し、最もイタリア的であるとしています。それに後期作品へと向かうための試作という性格ではなく、ブルックナーの創作の旅にとって重要な鍵となる作品だとしています。こういう作品観を持っているなら交響曲第1番や第3番、番号付きのミサ曲なんかも十分認識していそうなので、全曲録音の可能性も少しはあるかなと思いました。そもそもブルックナー指揮者として知られるG.ヴァントはケルンRSOとの全集録音以外では交響曲第2番を指揮したことがないそうなので、ムーティのブルックナー系統もなかなかのものと言えそうです。
29 10月

モーツァルト 歌劇 「コジ・ファン・トゥッテ」 ムーティ、VPO、バトル

161029aモーツァルト 歌劇 「コジ・ファン・トゥッテ」

リッカルド・ムーティ 指揮
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
ウィーン国立歌劇場合唱団

フィオルディリージ:マーガレット・マーシャル(S)
ドラベッラ:アグネス・バルツァ(MS)
フェランド:フランシスコ・アライザ(T)
グリエルモ:ジェイムズ・モリス(Br)
デスピーナ:キャスリン・バトル(S)
ドン・アルフォンゾ:ジョセ・ファン・ダム(Bs)

(1982年8月 ザルツブルク音楽祭・祝祭小劇場 ライヴ 録音 EMI)

161029b 路線バスやタクシーに乗っている時に前方の車に追突しそうでひやりとすることが稀にあります。先日の夜、終電どころかまだ電車は走っているのに同じ方向に帰る方のタクシーに便乗した際、すぐ前を走るタクシーが客を乗せようといきなり停車してかなりの急ブレーキになり、シートベルトもしてなかったのでダメかもしれんなと覚悟しました。ブレーキの効きもやや緩慢でしたがかろうじて回避でき、クラクションを鳴らすこともなく通り過ぎました。自分もしばしば通行する川端通なので、もし自分がこの場面だったらと想像していると、そもそもそこでは左車線は滅多に通らない、ブレーキの効き具合は格段に良いのと「アイサイト」が付いていることを思い出して、まともに追突激突にはならないかなとちょっと安心しました。もっともアイサイトは正真正銘咄嗟の危険に効果があるのか分からないので、結局スピードと車間距離に注意という原点を思い出すことにして、どのコースをとって走っているかチェックしつつ帰りました。

 先日ネヴィル・マリナーの訃報を知った時、不意にマリナー指揮のダ・ポンテ三部作のCDを思い出し、「コジ・ファン・トゥッテ」を聴いてみました。しかし、クレンペラーの最晩年の録音に毒され、否、すっかり魅了されているのでそれにはどうにも親しめず、一枚目の途中まで聴いて中断しました。それで他に「コジ・ファン・トゥッテ」の録音は無かったかと思ってムーティーとウィーンPOの廉価箱(三部作)を取り出しました。 このコジは1982年のザルツブルク音楽祭でのライヴ録音であり、カラヤンから直接電話がかかってきて出演を打診されたという回でした。翌年のザルツブルクでもコジを振っているのでその上演の映像が残っています。またスカラ座で上演したコジも映像ソフト化されているので、今回のものがムーティーがにとってこの作品全曲上演した最初の機会かもしれません。

 キャストは皆見事で、その中でも個人的にはバトルのデスピーナが特に印象的でした。自分が好きなクレンペラー盤のデスピーナはルチア・ポップが歌ったいましたが、その声よりも少し幼い感じの軽めの声(グリストよりも硬くてポップ側に近いか)で素晴らしい歌唱です。このオペラは「のだめ」の中で多賀谷彩子がフィオルディリージ役なのに、菅沼沙也(ブー子)に現実の彩子がドラベッラのようだと陰口をきかれる場面がありました。のだめの中でその菅沼は彩子をイメージして「観ていて恥ずかしくなるくらいイヤらしいドラベッラ」を演じたことになっていましたが、アグネス・バルツァの歌うドラベッラはそんな風ではなく、ずっと清澄な感じです。翌年の公演ではセスト・ブルスカンティーニに交替(ムーティが自叙伝の中で称賛している歌手)していますが、ダムのドン・アルフォンゾも上品に軽快で予想以上に(ワーグナー作品やアッシジのフランチェスコに出ているので)素晴らしくなっています。

 ムーティの指揮も適度に軽快でアクセントを強調し過ぎず、ウィーンPOの美しさがよく出ていて、舞台上の足音なんかと相まっていい雰囲気でした。1970年代にムーティが録音していたオペラの全曲録音はもっと全体に力が入って、ある程度締め付けているような印象なので、このコジ・ファン・トゥッテのような開放感も感じられ演奏は新鮮でした。記録を調べるとムーティはスカラ座やウィーンでコジを何度も上演しているので、改めてこれを聴いているとその第一歩だったことが感慨深く思われました。 
18 5月

ヴェルディのレクィエム ムーティ、ミラノ・スカラ座・1987年

160518ヴェルディ レクイエム(死者のためのミサ曲)

リッカルド・ムーティ 指揮
ミラノ・スカラ座管弦楽団
ミラノ・スカラ座合唱団

シェリル・ステューダー:S
ドローラ・ザージック:MS
ルチアーノ・パヴァロッティ:T
サミュエル・レイミー:BS

(1987年6月 ミラノ,スカラ座 ライヴ録音 EMI)

 自粛、不謹慎、売名等々と九州の大地震以降、メディア上では過敏になっていました。ふりかえると元号が昭和から平成に変わる直前、昭和天皇の御病状が芳しくない状態が続いた時もしきりに自粛の言葉が聞かれて、井上陽水が出演した車のTVCM(みなさん、お元気ですか、と呼びかける)も放送がひかえられました。その内にパチンコ店を回って自粛を訴えて金銭をせしめる者まで出てきました。このCDが録音されたのはそんな時期の少し前にあたり、何だかえらく昔、年月が経ったような気がします。

 これは昨日のアバドによる録音から約七年後にリッカルド・ムーティ(Riccardo Muti  1941年7月28日 ナポリ - )とミラノ・スカラ座らによって録音されたヴェルディのレクイエムです。ムーティーはこの曲を三度録音していて、これの前は1979年にフィルハーモニア管弦楽団らとロンドンでセッション録音していました。今回の録音後、2009年にはムーティがミラノ・スカラ座の監督を退いてから、シカゴ交響楽団の音楽監督に就任する直前期に客演した際にライヴ録音しています。今回の録音はソプラノのスチューダーにとってはデビュー録音だった他、パヴァロッティがレーベルを超えて19年振りくらいでEMIの録音に参加する等、色々話題の多かったものです。

 同じくミラノ・スカラ座のオーケストラ、コーラスを指揮して演奏していながら聴いた印象は違うものです。レーベルがDGとEMIとそれぞれ違う他、演奏会場も違っています。ムーティとしてはミラノ・スカラ座の監督に就任した最初のシーズンということもあってか、覇気にあふれて勢い余るくらいです。それに先入観のためか、死者のためのミサ曲という典礼色がかなり薄くてオペラ作品の一場面を聴いているような気分にしばしばなりました。元々そういう作品かもしれませんが、昨夜のアバド盤や同じムーティ指揮でも三度目の2009年盤はもっとしっとりとして、いかにもレクイエムという印象でした。

 そんなオペラ色が濃いという点ではテノールのパヴァロッティの声が特にその印象が強く、同じく三大テノールと呼ばれたドミンゴ(昨日のアバド盤)とは対照的です。ただ、個人的に何年か前まではムーティ指揮のヴェルディのレクイエムときくだけで、叩きのめすようなうるさい演奏を連想して敬遠していましたが、実際に聴いているとそんな風ではなくて、偏見、先入観は根拠が薄いものだと(自分の場合は特に)改めて思いました。
19 2月

ヴェルディのアイーダ カバリエ、コソット、ドミンゴ ムーティ指揮

160219aヴェルディ 歌劇「アイーダ」

リッカルド・ムーティ 指揮
ニュー・フィルハーモニア管弦楽団
コヴェント・ガーデン王立歌劇場合唱団(ロベルト・ベナーリオ指揮)
ギリス軍音楽学校のトランペッターたち

アイーダ:モンセラート・カバリエ
ラダメス:プラシド・ドミンゴ
アムネリス:フィオレンツァ・コッソット
ランフィス:ニコライ・ギャウロフ
アモナスロ:ピエロ・カプッチッリ
エジプト王:ルイジ・ローニ
伝令:ニコラ・マリヌッチ
女司祭:エスター・カサス

(1974年7月2-9,11日 ロンドン 録音 EMI)

 今週は確定申告を済ませてすっきりしましたが、相談等が税務署外に設定された会場に限定されたので提出に行った時は閑散としていました。 それにしても不倫がどうのと騒いでいる一方で年金の運用で損失が出たとか、TTPにマイナス金利とかもっと深刻なことが起こっているのでそっちの方こそ取材すべきじゃないのか、あるいはどうにもならないなら知らない方が気が楽なのか。「風の谷のナウシカ」のセリフに後のことを考えないで無茶をする、「谷までもてばいい、300まで上げて」というのがありました。それを「次の選挙(改憲のメドがつく)まで」に変えると現在の状況に当てはまりそうで不気味です。そんなのは下衆な杞憂であることを期待しつつ、昨夜からフィギュアスケートの四大陸選手権が始まりました。ロシア勢が参加しないので特に女子は優勝のチャンスです。

160219b この、クレンペラー没後約1年のニュー・フィルハーモニア管弦楽団をムーティが指揮したアイーダの全曲盤は既に過去記事で取り扱ったと思っていたらまだのようでした。最初これに注目したのはカバリエ、ドミンゴ(Plácido Domingo 1941年1月21日 - )、コッソット(Fiorenza Cossotto 1935年4月22日 - )にギャウロフ(Nicolai Ghiaurov 1929年9月13日-2004年6月2日)という豪華キャストよりも、レコードデビューから間もないムーティの指揮、オーケストラの方でした。アイーダは凱旋行進曲を行進曲ばかりを集めたミュージック・カセットで昔から聴いていたものの、オペラとして聴くとオーケストラが暑苦しいというか重くて息苦しいという個人的偏見を持っていました。その点はこの録音で聴くと独特の爽快さでそんな不平はわいてこない素晴らしです。

 元々有名なレコードでしたが、アイーダの全曲盤レコードを買う余裕は無いうえに、クレンペラーにはまるまではそもそもオペラ全曲盤を買ってまで聴くという意欲もありませんでした。それはともかく、この録音はアイーダのカバリエとアムネリスのコソットの女声二人が特に素晴らしくて、改めて魅力を再認識しました。 第二幕あたりはムーティもガンガンと叩き過ぎなようなので第三幕以降が魅力的です。モンセラート・カバリエが元々イタリアオペラにそれ程関心が無かった自分でも知っている名前でしたが、ある作品のこの役にはまず彼女の名前が挙がるという程の絶対的なはまり役は思い出せませんが(そんな評判の役もあったのかもしれないが)、このところ何種類か彼女が出ている全曲盤を聴いていると、繊細な歌声に何度も感心します(アイーダでは第三幕の “ O patria mia(おおわが故郷)とか
)。

 カバリエは二十代ではデビューしていたものの主要な役をもらえず苦労して、レパートリーもドイツ語の作品の方が多かったというのは後のレコードからすれば意外過ぎます。1965年にドニゼッティのオペラ「ルクレツィア・ボルジア」を演奏会形式によるカーネギー・ホールでの公演でタイトルロールを歌ったのが大当たりでそれが契機になって国際的に活躍して行きました。この録音の頃には貫録も自身も付いてまだ上り調子だったことだと思います。それに先日のトスカでは三大テノールのカレーラスが起用されていたのに対して、その約二年前に当たる今回のアイーダはドミンゴですがそのラダメスも堅い英雄という雰囲気が出て素晴らしい歌声です。
7 2月

ベッリーニのノルマ ムーティ、フィレンツェ五月祭O他

160206bベッリーニ 歌劇「ノルマ」

リッカルド・ムーティ 指揮
フィレンツェ五月祭管弦楽団
フィレンツェ五月祭合唱団

ノルマ:ジェーン・イーグレン(S)
アダルジーザ:エヴァ・メイ(S)
ポリオーネ:ヴィンチェンツォ・ラ・スコーラ(T)
オロヴェーソ:ディミトリ・カヴラコス(Bs)
クロチルデ:カルメラ・レミジョ(Ms)
フラヴィオ:エルネスト・カヴァッツィ(T)、他

(1994年7月 ラヴェンナ,アリギエーリ歌劇場 録音 EMI)

 オペラのレコード、CDの場合は別に全曲盤を購入しなくても抜粋、ハイライトか歌手のアリア集で十分じゃないかという見方もあります。特にイタリアオペラの場合はそうかなと思わないでもなく、実際ドニゼッティのオペラ(マリア・カラス目当て)を車内で聴くためにナビのHDに入れた際に、結局いっぱいトラックをとばしてアリアだけを聴くことが大半でした。しかしこの「ノルマ」は全曲と通して美しい旋律が続くので途中でとばし難い魅力があります。

 ベッリーニ、又はベルリーニ(Vincenzo Bellini 1801年11月3日 - 1835年9月23日)とドニゼッティ(Gaetano Donizetti 1797年11月29日 - 1848年4月8日)とではどっちが年長かと問われたら(滅多にそんなことを質問されないが)答えに窮しするだろうと思い、調べるまではどちらもベルディと同じくらいかと漠然と思っていました。実際は二人ともヴェルディより10年以上年長で、ドニゼッティの方がベッリーニより4年程先に生まれています。ロッシーニ、ベッリーニ、ドニゼッティは「ベルカントオペラ」とまとめられることがありますが、厳密には特にロッシーニとは唱法なんかも差がありそうです。ベッリーニの「ノルマ」とドニゼッティの「ランメルモールのルチア」はマリア・カラスが歌って、単に作品中の難曲、聴かせどころが注目される以上の存在の作品になりました。最近は古楽器オケによる原典志向の演奏が出てきています。

 このCDはムーティがラヴェンナで行った公演のライヴ録音なので、途中で拍手が聞こえて、会場の熱気も伝わります(どの程度編集しているのか分らないけれど)。廉価使用だったのでもっと古い時期かと思っていたらそうじゃなくてスカラ座の監督に就任後の時期でした。そんな風に古い録音だと誤解したのは、1970年代 にムーティやレヴァインが録音したオペラの全曲盤が廉価仕様で復刻されたのを聴くと、かなり親しみ易くて、それだけでなくこれからキャリアを積んで上昇する過程のためか、集中力というのか得も言われない熱気のようなものが感じられます。「ノルマ」は長い序曲もあり、また単にアリア集的でなくて全曲を通じて劇的な流れが途切れないので、そういう時期のムーティに期待していました。実際に聴いてみると、ムーティ指揮のオーケストラだけでなく、主なキャストの歌もかなり魅力的で音質共々素晴らしいと思いました。どうもノルマの録音としては大して話題になっていないようでしたが埋もれるには惜しいと思いました。

160206a 「ノルマ」の場合は指揮やオーケストラなどよりもまずタイトルロールを歌う歌手が前面に出る傾向ですが、このCDはそこまでビッグネームかどうかは微妙です。主なキャストのキャリアは以下の通りで、いずれも上り調子な時期の録音でした。ノルマのジェーン・イーグレン(JANE EAGLEN  1960年4月4日 英国リンカーン生)はプロフィールの中にはニルソン以来のワーグナー歌手という文字を見たことがありました。マンチェスターの王立ノーザン音楽カレッジでシュワルツコップやゴッビに師事し、1984年にイングリッシュ・ナショナル・オペラでデビューしました。その後、1989年にコヴェント・ガーデン王立歌劇場に出演して以来ミラノ、ウィーンにもデビューし、1996年にはニューヨークのメトロポリタン歌劇場にも出演しています。アダルジーザのエヴァ・メイ(Eva Mei 1967年 イタリア,ファブリアーノ生)は、フィレンツェ・ケルビ-ニ音楽院を最優秀賞で卒業後、1990年にウィーン国立歌劇場に「後宮からの誘拐」コンスタンツェ役でデビューしました。1993年には「タンクレディ」のアメナイーデ役でミラノ・スカラ座にデビューしました。ポリオーネの故ヴィンチェンツォ・ラ・スコーラ(Vincenzo La Scola 1958年 - 2011年4月15日)は、イタリア・パレルモ生まれのテノールで、ポスト三大テノールと呼ばれた時期もありましたが、50代前半で急逝しました。
8 2月

ヴェルディの「オテロ」 アントネンコ、ムーティ、シカゴSO

150208bヴェルディ 歌劇「オテロ」


リッカルド・ムーティ 指揮
シカゴ交響楽団
シカゴ・シンフォニー・コーラス
(指揮:デュエイン・ウルフ)


オテロ:アレクサンドルス・アントネンコ(T)
イアーゴ:カルロ・グェルフィ(Br)
デズデーモナ:クラッシミラ・ストヤノヴァ(S)
カッシオ:フアン・フランシスコ・ガテル(T)
エミーリア:バルバラ・ディ・カストリ(Ms)
ロデリーゴ:マイケル・スパイアズ(T)
ロドヴィーコ:エリック・オウェンズ(Bs-Br)
モンターノ:パオロ・バッターリア(Bs)
伝令:デイヴィッド・ガヴァーツン(Bs)
  
(2011年4月 シカゴ,オーケストラ・ホール 録音 Cso Resound)

 冬眠といえばクマやリスの他に亀なんかの爬虫類もしていました。子供の頃はその辺の湿地に居るクサ亀やイシ亀を捕まえて飼育して、幼稚園の時は亀の絵を描いて褒められるくらいかなり亀に入れ込んでいました。水槽の石の下でじっとしていたのが3月になるといつの間にかゴソゴソと動き回っていました。宇治市の旧国道24号沿いにあるT州会病院(都知事、紙袋の五千万の話題が懐かしい法人)が少し奥まった場所へ移転して今年中に開業するとのことで、何か高い建物がこんなところに出来ると思って見ていたのがそれでした。槇島という地名で足利義昭がたてこもった城もその地名です。そこら辺りもかつては田畑、湿地だったので、巨椋池干拓地以外ではもう亀を捕って遊べる場所もないかもしれません。

 啓蟄が過ぎた3月7、8日にびわ湖ホールでヴェルディの「オテロ」の公演があり、チケットを買ったので予習をしておこうと思います。土曜はオテロ:福井敬、デズデモナ:砂川涼子、イアーゴ:黒田博というキャストなので楽しみです。去年の10月はリゴレットをやってたのに行けませんでした。今年の秋はまだ発表されていないようですが、9月にはびわ湖ホール声楽アンサンブルの定期公演でモンテヴェルディを演奏会形式でやる予定になっています。

150208a ムーティ(Riccardo Muti, 1941年7月28日 ナポリ - )も既に70代に入っていて眼鏡をかけたり、転倒したりと確実に老境へ入っています。その割にこのCDのジャケット写真は歳よりも若く見え、主役級の歌手を差し置いてジャケット写真を独占するだけあって見栄えがします。このCDはムーティがシカゴ交響楽団と演奏会形式で行ったオテロの演奏会のライヴ録音です。シカゴで4月7、9、12日と三日間の定期公演をした後、15日にはニューヨークでも公演しました。ムーティがシカゴSOの音楽監督に正式就任したのが前年の5月で、リハーサル中に転倒したのがこの年の2月でした。歌手もムーティらしいキャストとなっています。

 2001年のミラノ・スカラ座での公演から約10年経過して、力まかせにならず何となく慎重な運びのように感じられますが、シカゴSOだけあって隅々まで克明に響きよく聴こえています。歌手ではデズデーモナのクラッシミラ・ストヤノヴァが特別に素晴らしくて、舞台公演でなくても十分と思えるくらいでした。オテロとイアーゴも評判だったようですがどうも舞台公演だったほうがより映えたかなと思いました。特にイアーゴはアクが強くて独特です。それでも全体的に圧倒的で、第4幕の幕切れまで作品の世界に引き込まれます。トスカニーニも1947年に放送用にオテロを全曲録音していたのでムーティもそれが念頭にあったかもしれません。

 先週にネルロ・サンティがN響に客演した定期をTVで放送していて、トスカニーニは公演だけでなくリハーサルもスコア無しで演奏していたと話していました。あるいは記憶違いでムーティが師のヴォットーについて話したことと混同したかもしれませんが、楽譜を完全に記憶するだけでなく消化していればスコア無しでリハーサルが出来るというのは凄い話だと思いました。

27 5月

オテロ ムーティ、スカラ座、ドミンゴ・2001年

140527a ヴェルディ 歌劇 「オテロ」


リッカルド・ムーティ 指揮

ミラノ・スカラ座管弦楽団、合唱団


オテロ:
プラシド・ドミンゴ(T)
デズデモーナ:バルバラ・フリットリ(S)
イヤーゴ:
レオ・ヌッチ(Br)

エミーリア:ペトラ・マラコヴァ(Ms)
カッシオ:チェーザレ・カターニ(T)

ロドヴィーコ:ジョン・マークディ(B)
モンターノ:エドワード・トーマジアン(B)
ロデリーゴ:アントネッロ・チェロン(T)
伝令:ジャンニコラ・ピグリュッチ(B)、他
 

(2001年12月18,20日 ミラノ,スカラ座 ライヴ収録 TDK)


 ここ二週間くらい身近なところで風邪、えげつない咳が出る風邪が流行っています。先日は朝一番で母を医院に送迎してきたところでした。夜中にあっちからもこっちからも大きな咳の音が聞こえて目が覚め、とうとう朝まで寝られず終いでした。しかしまだ自分には症状が出ておらず、ひとりだけ感染していないとまるで病原菌の仲間か黒幕のような感じで肩身が狭い気がします。逆に最初にかかると自分が家の中の感染源となって更に。


140527b  先日ドミンゴがオテロを歌ったオペラ映画の録音が「 クラシックレコードの百年史 記念碑的名盤100 + 迷盤20 」の名盤に入っていたのを見つけました。その箇所で、ドミンゴが何回も録音したオテロの中で1985年のそのオテロが最高のように書いてあり、そういうものかと思っていました。しかし、自分の買っていた数少ないオペラDVDの一つに、ムーティとスカラ座のオテロがあり、ここでもドミンゴがオテロを歌っていたのを思い出しました。しかも2001年収録なのでドミンゴは還暦を迎える年なので、オペラ映画の時から16年も経っていました。しかし、再生して観て聴いていると圧倒的な声ではないものの、まだまだ十分歌えそうです(公演ではキャンセル連発で三度だけ出演できたそうである)。

 このDVDは「のだめカンタービレ」のパリ篇の最初にオテロが出て来てそれに触発されたので、是非DVDで舞台を観たいと思い立ち、安くて日本語字幕が付くものを探して見つけました。CDと同じサイズのパッケージのため古いものをDVD化したと思ってよく見ると新しい収録でした。なんとこの公演はムーティが「オテロ」を指揮した最初の機会だった書いてあり一層驚きました(ムーティのオテロでこれより古い映像は元から無かった)。


 舞台セットは簡素ながらよく雰囲気が出ていて分かりやすいものです。ただ、第四幕のデズデモーナの寝室、寝台は簡素過ぎるのではと思いました(能楽の小道具のテイストさえ感じます)。歌手の方ではバルバラ・フリットリ(1967年ミラノ生まれ)が容姿・演技共々素晴らしく(女性が見れば違った感想があるかもしれないが)、彼女とカッシオのカターニがドミンゴ、ヌッチの大御所と対照的でちょうど良いバランスです。ヌッチのイヤーゴも嫌味半分、爽快半分の悪役ぶりで全く迫真です。


 なお、この公演でムーティは1894年のパリ初演のためにヴェルディ自身が改訂したパリ版を採用しつつ、バレエ音楽はカットして使用しています(いかにもムーティらしい)。作曲者自身が望んだ最終稿、バレエはパリの客席の趣味のため嫌々ながら付けたという判断のようです。

10 1月

モーツアルト・ジュピター交響曲 ムーティ・VPO

140110bモーツァルト 交響曲 第41番 ハ長調 K.551「ジュピター」


リッカルド・ムーティ 指揮

ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団


(1993年6月 録音 PHILIPS)

 
140110a 予報通りの冷え込みながら例年程度で済み、車の屋根の雪も餡ドーナツにふりかけた砂糖程度だったので、交通にはたいして影響ありませんでした。ただ、朝車のハンドルを握った瞬間、冷たくて手を離しそうになる程で、真夏に熱くてハンドルを握り辛いことはしょっちゅうありましが、その逆はあまり覚えがありません。とにかく出発してラジオを付けるとNHK・FMからジュピター交響曲の第二楽章が流れていました。しかし交通情報を確認すべくAMに変えるとやがて「すっぴん!」が始まりました。しばらく聴くうちにさっきのジュピターが気になり、FMへ戻すと第四楽章に入っていました。燦然と輝くような演奏に圧倒されながら、ジュピターの金管はこんなに大きく聴こえたか?と思えて、トランペットを倍に増やしているのかと思うほどでした。その演奏はムーティ指揮のウィーンフィルだったので、おそらくこのCDと同じのはずです。
 

 この正月、ムーティの自伝に影響されてこのCDをかけていました。しかしその時は終楽章の金管に別段注意がいかなくて、こんな感じかくらいでブログにも載せていませんでした。自伝の中にはオーマンディがフィラデルフィア管弦楽団をイタリアに連れてきた公演の話が載っていました。ベートーベンの交響曲第7番をトランペットを倍に増やした編成で演奏したことに、ムーティといっしょに聴いていたグイら重鎮が批判的であり半ば軽侮するような態度だったそうですが、ムーティ自身はその演奏に感銘を受けたと書いています。今朝ラジオで聴いたときの感銘は、若いムーティが聴いたオーマンディのベートーベンとは同じというはずはありませんが通ずるところはあるかもしれません。
 

 ムーティはオーマンディ指揮のフィラデルフィア管弦楽団について、オーケストラの正確さ、音程の確実さ、演奏の態度などにひどく感動したと書いています。より具体的には、「弦は皆誰もが弓の同じ位置で弾いていて、スピッカートとバルツァートがそろっていた」と指摘して、それまでムーティ自身が「表現」するために問題にしたことがなかったテクニックを知り、知らない世界を見て目が眩んだようだったとしています。現在こうしてかなり素晴らしいと思って聴いていますが、新譜当時やこれ以前の1980年代のウィーンPOのモーツアルトはあまり好きではなく、ながらくテイト指揮、ECOの方を偏愛していました。
 

 今朝のラジオで聴いたジュピターの終楽章もまさに目が眩みそうなまぶしさでした。あらためてCDを聴いてみると、終楽章の約11分弱のあたりがやっぱりトランペットが大きく聴こえてきて朝聴いたのと同じ感じです。ムーティはウィーンフィルとモーツアルトの中、後期の交響曲を録音する以前、カラヤンが存命中の1985年にベルリンPOとジュピター交響曲(カップリングはディヴェルティメントK.136)を録音しています。それの終楽章を聴いてみると同じ個所でトランペットはそんなに目立っていません。マイクの位置の差かもしれませんが、今やどちらも真正廉価盤になって詳しい解説が無いのでよくわかりません。
 

 なお、新譜時のレコ芸・月評を振り返ると、ムーティのモーツアルト・交響曲はウィーンフィルとの第35、36、38、40番(カップリングは36番リンツと40番、35番ハフナーと38番プラハ)が特選になっていて、ジュピターは新旧ともに特選にもれていました。1990年代くらい古楽器の方にどんどん傾斜していったはずで、それを思えば健闘している方だと思います。

4 11月

ドン・カルロ 四幕版 ムーティ、スカラ座

131104ヴェルディ 歌劇「ドン・カルロ」(イタリア語4幕版)


リッカルド・ムーティ 指揮

ミラノ・スカラ座管弦楽団
ミラノ・スカラ座合唱団


ドン・カルロ:ルチアーノ・パヴァロッティ(T)
フィリッポ2世:サムエル・レイミー(Bs)
エリザベッタ:ダニエッラ・デッシ(S)
エボリ公女:ルチアナ・ディンティーノ(Ms)
ロドリーゴ:パオロ・コーニ(Br)
大異端審問官:アレクサンダー・アニシモフ(Bs)
使者:マリオ・ボロネージ(T)
レルマ伯爵:オルフェオ・ザネッティ(T)
天の声:ヌッチ・フォーチレ(S)
 

(1992年12月 ミラノ・スカラ座 ライヴ録音 EMI)
 

 近年野球中継を観る根気が無くなりニュースで結果を知るくらいでしたが、この日本シリーズは何イニングスかは観ました。少し前の怒涛の連敗時代を知っているので仮に三連勝しても安心できないと思っていました。それが終始先勝して優勝してしまい、近鉄時代にシリーズを制することが出来なかったことを思い出すと感慨深いものがありました。九回無死満塁で江夏にスクイズを外されたり、対戦相手をパリーグ・シーズン最下位チームより弱いと言った後四連敗とか嫌な記憶が浄化される気分でした。これで完全に新しい時代に移行しきったような気がしました(日常生活は何も変わらないけど)。
 

131104c これはムーティ指揮のスカラ座のライヴ録音盤で、目下のところ廉価箱には含まれていない音源です。紙箱仕様の輸入盤で再発売されて以降どうなったかは未確認です。このドン・カルロはスカラ座の公演だけあって同劇場で1884年に初めて上演された際のイタリア語版、「リコルディ4幕版・スカラ座版」です。ムーティは作品の原典版にこだわりを見せますがここではスカラ座版に従っているようです。なお、ライヴ録音だけあって場が終わった後の盛大な拍手も入っています。
 

131104b ドン・カルロの5幕版は、第1幕が「フォンテーヌブローの森」の場面でカルロが密かにパリ近郊フォンテーヌブローの森へ来て婚約者のエリザベッタと会っているところへスペインとフランスの講和が整い、その条件の一つとしてフェリペ二世(フィリッポ二世)とエリザベッタ(フランス王女)の結婚が含まれるという知らせが入り、事態は急転直下します。4幕版ではその場面はカットされ、第1幕は「スペインのサン・ジュスト修道院の先王カルロ5世の墓」の場面です。王子カルロはエリザベッタ(父・フィリッポ二世と結婚している)のことが忘れられず、彼女と会った時のこと(5幕版の第1幕の場面のこと)を回想します。このカットのため、4幕版はCD演奏時間でも20分以上短くなります。
 

131104a ムーティがスカラ座の監督になって7期目のシーズンの公演で、具体的に何日目、どの機会の演奏を組み合わせているか分かりませんが、収録されている拍手、歓声からもかなり白熱したムーティらしい演奏だと思います。昨日のジュリーニの指揮とは対照的に緊迫した空気ですが、まえのめり過ぎることもなく魅力的です。歌手は男声ではパヴァロッティ(カルロ)とレイミー(フィリッポ2世)が、女声の方はデッシ(エリザベッタ)が特に素晴らしいと思いました。パヴァロッティはこのシーズンのスカラ座で初めてカルロを歌ったそうで、同じ公演の映像ソフトも出ています。ディンティーノ(エボリ公女)やコーニ(ロドリーゴ)も舞台の映像が加われば印象も違うかもしれません。
 

 ところでミラノ・スカラ座はムーティの後、バレンボイムが音楽監督になったのは一般人には驚きです。2013-2014年のシーズンは、椿姫とトロヴァトーレと二つのヴェルディ作品が演目に入っています。

27 10月

ヴェルディ「運命の力」 ドミンゴ、フレーニ、ムーティ指揮スカラ座

131027bヴェルディ 歌劇 「運命の力」(改訂版)


リッカルド・ムーティ指揮

ミラノ・スカラ座管弦楽団,合唱団


レオノーラ:
ミレッラ・フレーニ(S)
ドン・アルヴァーロ:
プラシド・ドミンゴ(T)
ドン・カルロ:
ジョルジョ・ザンカナロ(Br)
プレツィオジッラ:
ドローラ・ザージッチ(S)
グァルディアーノ神父:
ポール・プリシュカ(Bs)
フラ・メリトーネ:セスト・ブルスカンティーニ(Bs)
トラブーコ:エルネスト・ガヴァッヅィ(T)
クーラ:フランチェスカ・ガルビ(Ms)
カラトラーヴァ侯爵:ジョルジョ・スーリアン(Bs)
村長:シルヴェストロ・サンマリッティノ(Bs)
軍医:フランク・ハドリアン(Br)
 

(1986年7月6-15日 ミラノ・スカラ座 録音EMI)


 このCDは長らく廃盤だったムーティ指揮、スカラ座、フレーニ、ドミンゴ、ザンカナロらによる「運命の力」のセッション録音です。ヴェルディのメモリアル年にEMIが既発売の新旧録音を集めた箱物の中に入っています。全部が同じデザインの紙ジャケットに入っていて解説らしきものも無い、当節流行の廉価箱です。
 

 ムーティは1986年から2005年までスカラ座の音楽監督を務めたので、この録音は最初のシーズンが開幕する直前の夏に集中的に録音されたようです。新譜として出た時は全然知りませんでしたが、1970年代にムーティがEMIへ録音したヴェルディ作品とはちょっと違った印象で、オーケストラがすごく優雅にきこえます。序曲からしてドラマティックなので、グイグイと強烈に引っ張るような演奏かと思っていると全然違いました。
 

131027a “ La forza del destino 運命の力 ” は1862年にロシアのサンクトペテルブルク、マリインスキー劇場から委嘱されて作曲し、同年に初演されました。しかしヴェルディはこれを改訂し(改訂版は1869年にミラノ・スカラ座で初演)、現代で通常上演されるのはその改訂版の方です。原典版(ゲルギエフ指揮、マイリンスキー劇場)との違いは序曲をはじめ、いろいろありますが、フィナーレで原典版では主要キャスト三人、レオノーラ、ドン・アルヴァーロ(レオノーラの恋人)、ドン・カルロ(レオノーラの兄)が全員死ぬという結末だったのを、改訂版ではドン・アルヴァーロだけは生き残ります。
 

 あらすじは以下のようなものです。第1幕:レオノーラとドン・アルヴァーロはレオノーラの父カラトラーヴァ侯爵に結婚を反対されて駆け落ちしようとする。そこを侯爵に見つかり、そこで不可抗力(放り出した短銃が暴発)で侯爵を殺めてしまう。第2幕:レオノーラの兄ドン・カルロは、復讐を決意して二人を探す。レオノーラとドン・アルヴァーロは逃亡中にはぐれ、レオノーラは修道院に隠れる。第3幕:アルヴァーロはレオノーラが死んだと思い、名を変えて軍隊に入る。カルロも偽名で同じ部隊に入り、二人は正体を知らず親友になるがやがてカルロは真実を知る。第4幕:アルヴァーロは修道院に逃れ、カルロは潜伏場所を探し出し決闘するがアルヴァーロが勝つ。アルヴァーロがカルロの臨終に呼んだ司祭が隠遁していたレオノーラであり、アルヴァーロが死ぬ直前に彼女を刺す。アルヴァーロと神父に見守られながらレオノーラは静かに息を引き取る。
 

 あらすじを読むとあっけない気がしますが、まるで坂道を転げ落ちるような勢いで登場人物が流されるようで、物語というか舞台に不思議な推進力を感じる作品です。トロヴァトーレ、リゴレット、椿姫までの作品とは違った魅力だと思います。このCDは全体的に魅力的で、とりわけフレーニが歌うレオノーラのアリアは素晴らしいと思います。第2幕第2場:とうとう着いた、神よ感謝します、第4幕第2場:神よ平和を与えたまえ

18 4月

ヴェルディ「ファルスタッフ」 ムーティ、スカラ座・1993年

130418a0ヴェルディ 歌劇「ファルスタッフ」

リッカルド・ムーティ 指揮
ミラノ・スカラ座管弦楽団、合唱団


ファルスタッフ:フアン・ポンス(Br)

フォード:ロベルト・フロンターリ(Br)
フェントン:ラモン・ヴァルガス(T)
医師カイウス:エルネスト・ガヴァッツィ(T)
ピストラ:ルイージ・ローニ(Bs)
バドルフォ:パオロ・バルバチーニ(T)
アリーチェ:ダニエラ・デッシー(S)
ナンネッタ:モーリーン・アフライン(S)
クイックリー夫人:ベルナデッテ・マンカ・ディ・ニッサ(Ms)
メグ:デローレス・ジーグラー(Ms)


(1993年6月 ミラノ,スカラ座 ライヴ録音 SONY)


 ヴェルディのファルスタッフと言えば、彼の最後のオペラであり、1890年から1892年にかけて作曲され、翌年の1893年にミラノ・スカラ座で初演されました。このCDはそれから百年後に同じくスカラ座で行われた公演のライヴ録音です。台本はアリーゴ・ボーイトがシェイクスピアの「ヘンリー四世」第1、2部と「ウィンザーの陽気な女房たち」を元にして作りました。ヴェルディにとって二作目の喜劇が最後のオペラとなりました。ちなみに初めて書いた喜劇は大失敗した「一日だけの王様」でした(オペラとしては二作品目)。


 ファルスタッフのストーリーを読んでみても特に笑いがこみ上げて来るとか、そこまでの楽しさは感じないのに、ヴェルディのオペラで聴くと冒頭からして明るい笑いの空気が漂ってきます。これは日本の古典芸能・狂言のはじまりを思い出します。喜劇のオペラなら、モーツアルトのフィガロが有名です。ヴェルディのファルスタッフの場合は、「まずは音楽、お次が言葉」というより音楽が台本、登場人物と不可分に溶け合って、切り離せないような不思議な魅力を感じます。このCDは国内盤なので付属の解説(國土潤一氏)には作品の意義が詳しく書かれています。
 

130418b0 それによると、このCDの公演は以下のような特徴により素晴らしいとしています。「古いイタリアオペラの持つ古典的様式美と、ロッシーニの持つ格調の高さモーツアルトの持つ愉悦と至福の優美さ、ワーグナーの持つハーモニーの重厚さと朗唱法の技法、ヴェルディ作曲様式の変遷といった要素が混在している。」そして、トスカニーニの名演以来、真にラテン的な、真にイタリア的な「ファルスタッフ」の演奏を渇望していたのが、ムーティとスカラ座によるこの公演・ライヴ録音でそれが癒された、と褒めています。この賛辞は、ムーティがこだわりもって、慎重に取り上げてきた彼のレパートリー(ワーグナーも上演している)を意識して、円熟ぶりを認めてのことですが、CDを聴いた後で読むと説得力があります。


 ファルスタッフのCDならこれを聴くまでは、たまたま購入していたジュリーニとロスPO他のDG盤(ブルゾン、ヌッチ、リッチャレッリ、他)が特別に気に入っていました。その録音の印象が強かったのでムーティのファルスタッフは、けっこう暴力的じゃないかという先入観を持っていました。実際に聴いてみるとそうではなく、「真にラテン的・イタリア的」とはどういうものか分からないものの、リズム感も心地よく好感が持てました。ムーティとスカラ座のファルスタッフは、この後2000年の公演がDVD化されていて、検索するとそっちが多数挙がるのでそちらの方が代表的かもしれません。


 ところで音楽療法とか、リラックスするのに音楽を聴くということはけっこうあると思います。朝一番から気分爽快ということは滅多に無く、仮に渋滞も信号待ちも無かったとしても、秋の空のような晴れやかな気分というのはほとんどありません。そんな中で、ヴェルディのファルスタッフの音楽もよく効くというか、曇天の雲を吹き払うような効能がありそうで不思議です。最近特にそれを感じています。昨夜のコリン・デイヴィス盤もオーケストラはなかなか好印象でした。

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raimund

昭和40年代生まれ、オットー=クレンペラーの大フアンです。クレンペラーが録音を残したジャンルに加え、教会音楽、歌曲、オペラが好きなレパートリーです。

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