リッカルド・ムーティ 指揮
今週に入って墨染のインクラインの上を通る国道24号を通った際、水が茶色に濁っているのが見えて、これは取水口の大津で既に泥が流れ込んでいるのか、深草あたりで流れ込んだのか、とにかく稀に見る濁りかたなのでちょっと驚きました。それに地下鉄の入口やらエレベーターの入口に土のうが何個か置いてあるのも見かけ、そこら中で路上が川のようになったのかと、それにも驚きました。そう思った日からさらに何日も雨が降り、晴れたと思った金曜日もまたにわか雨でした。それと共にまた緊急事態宣言の追加で、また其処らじゅうの店が閉まりだしました。オリンピックが終わったあと、BS放送で政局の番組をやっていて与党で過半数割れになった場合、K党やN・Iの会が補完するとか取沙汰していました。
ムーティとフィラデル・フィア管弦楽団のベートーヴェンは廉価箱が出たタイミング(EMIレーベルのロゴが消滅する際)に購入して車中で聴いていました。その中では第7番が一番好印象でした。といってもクレンペラーの演奏とは似ていなくて、覇気のあるタイプのものでした。それでも先日のドホナーニのように滑るように、流れるように過ぎて行くのとは違い、まだ古い時代の演奏の香りがするような気がしました。ムーティの自伝にオーマンディとフラデルフィア管弦楽団のヨーロッパ公演のベートーヴェンを師匠筋のグイと聴いた時のことが書いてあり、ムーティはその演奏に好意的のようでした。
たしか倍管で演奏していたのをグイは原典主義的な見方から軽侮するような感想だったのに対して、ムーティはそれに同調していませんでした。オペラの上演で原典至上主義的な立場が見られたムーティにしては意外な反応だと思いました。これはベートーヴェンの交響曲だから構わない、編成の問題以上に肝心なことがあるということなのか、よく分かりません(自伝は今回読み直していない)。
昔、民放のTV番組で小澤征爾が指揮するベートーヴェンの交響曲第7番を視聴したことがあり、最後に指揮台の上で飛び上がるような姿だったのが妙に曲ともに刷り込まれました。このイメージから反対方向に揺り戻されたのがクレンペラーのLPを聴いた時でしたが、そもそも第7番はどういうイメージとして浸透してきたのだろうかと思います。宮沢賢治がセロ弾きのゴーシュを書いた頃には日本で初演されていたのだろうか。