マーク・エルダー 指揮
年齢と共にどこへ行きたい、住みたいとかあれを食べたい、欲しいという願望が徐々に薄くなって来ると気が付きつつ、それでもあれを聴いてみたいとかそっちの方はまだ無くなっていません。ロンドンは一度だけ行ったことがあり、同時に行ったパリよりも関西在住の自分としては馴染み易い、紛れ込みやすいと思って親近感がわきました(安い食べ物が不味いのにはあぜんとしたけれど)。その時はまた行きたいと思ったのに、新型コロナの時期を経てすっかり意欲が無くなりました。その当時、建物の壁面がピシッと揃ったパリの街並みは、どうも整い過ぎて違和感を覚えました。完璧に収納整理されてチリ一つないようなキッチンよりも床に梅干しの壺やら一升瓶、から箱が置いてあり、ちょっとほこりもたかって雑然とした台所の方が、ある種の黒い虫には居心地が良いそうですが、例えは良くないけれど、パリになじみにくいと感じるのはそれと似ています。ロンドンも大戦時に空襲を経験して復興されてきれいな街のはずですが、何となく雑然として見えました。
このロンドン交響曲を最初に再生した時は4秒以上経過してもスピーカーから音が出てないのかと思うくらいの音量なので、朝ぼらけテムズの川霧絶えだえに、だとしてもこんな開始だったかと記憶をたどりながらちょっと驚きました。録音レベルの加減でこうなるのか、第2楽章の始まりも同様ですが、何となくおおらかなイメージと共に記憶しているこの曲が繊細に聴こえて、違う側面を見せられた気がしました。風景の描写ではない(交響曲だから)とされながら、「ブルームズベリー広場の11月の午後」、「ウェストミンスターの河岸にて」という市中の風景を現す言葉は曲と共鳴しそうに見えます。ブルームズベリーの広場は実際に行ったことがあり、その手前で売ってたサンドウィッチとジュースが安くて不味かったのが強烈に印象に残っています。
ヴォーン・ウィリアムズの二作目の交響曲、ロンドン交響曲は1913年に作曲されて翌年3月に初演された後、フリッツ・ブッシュへ総譜を送付した際に紛失してしまいます。その後友人のバタワース(George Sainton Kaye Butterworth 1885年7月12日 - 1916年8月5日)の協力もあって総譜を再現し、何度か改訂した後に1928年に出版されました。そして三作目の田園交響曲が初演された後、交響曲第4番を作曲中の1936年に最終決定稿が出来て、第一次大戦で戦死した友人のバタワースに献呈されました。作曲者自身の従軍経験を経て作曲された田園交響曲の終わり方が、二度と取り戻せない寂しさの余韻を残す作品なので、バタワースをはじめ健在だった人々の頃の世界の中で誕生したロンドン曲がどうにもまぶしく聴こえます。
先日のBBCフィルハーモニックの本拠地はマンチェスターですが、この都市を本拠にするオーケストラとしてはバルビローリのレコードで有名なハレ管弦楽団がありました。このオーケストラは1858年にマンチェスターにおいてドイツ人ピアニストのカール・ハレ(1819年4月11日:ハーゲン-1895年10月25日/英国へ帰化、チャールズ・ハレ)によって設立されました。そのハレ管弦楽団の首席を2023-2024年のシーズンまで務めたのがマーク・エルダー(Mark Elder 1947年6月2日: ノーサンバーランド州 ヘクサム - )で、過去記事で扱ったローエングリンで登場していて、CD等は結構出ていました。エルダーはラトルより八歳上の世代でロンドンのイングリッシュ・ナショナル・オペラの音楽監督を1979年から1993年まで務めています。2000年以降では英語歌詞で上演するENOに十数年かかわったからか、エルガーの三つのオラトリオの録音もあります(ブログでは未登場)。