raimund

新・今でもしぶとく聴いてます

ヴォーン・ウィリアムズ

16 3月

ヴォーン・ウィリアウムズのロンドン交響曲 エルダー、ハレO/2010年

240316aレイフ・ヴォーン・ウィリアムズ ロンドン交響曲(交響曲第2番)

マーク・エルダー 指揮
ハレ管弦楽団

(2010年10月14日マンチェスター,ブリッジウォーター・ホール ライヴ録音 Halle)

240316 年齢と共にどこへ行きたい、住みたいとかあれを食べたい、欲しいという願望が徐々に薄くなって来ると気が付きつつ、それでもあれを聴いてみたいとかそっちの方はまだ無くなっていません。ロンドンは一度だけ行ったことがあり、同時に行ったパリよりも関西在住の自分としては馴染み易い、紛れ込みやすいと思って親近感がわきました(安い食べ物が不味いのにはあぜんとしたけれど)。その時はまた行きたいと思ったのに、新型コロナの時期を経てすっかり意欲が無くなりました。その当時、建物の壁面がピシッと揃ったパリの街並みは、どうも整い過ぎて違和感を覚えました。完璧に収納整理されてチリ一つないようなキッチンよりも床に梅干しの壺やら一升瓶、から箱が置いてあり、ちょっとほこりもたかって雑然とした台所の方が、ある種の黒い虫には居心地が良いそうですが、例えは良くないけれど、パリになじみにくいと感じるのはそれと似ています。ロンドンも大戦時に空襲を経験して復興されてきれいな街のはずですが、何となく雑然として見えました。

240316b このロンドン交響曲を最初に再生した時は4秒以上経過してもスピーカーから音が出てないのかと思うくらいの音量なので、朝ぼらけテムズの川霧絶えだえに、だとしてもこんな開始だったかと記憶をたどりながらちょっと驚きました。録音レベルの加減でこうなるのか、第2楽章の始まりも同様ですが、何となくおおらかなイメージと共に記憶しているこの曲が繊細に聴こえて、違う側面を見せられた気がしました。風景の描写ではない(交響曲だから)とされながら、「ブルームズベリー広場の11月の午後」、「ウェストミンスターの河岸にて」という市中の風景を現す言葉は曲と共鳴しそうに見えます。ブルームズベリーの広場は実際に行ったことがあり、その手前で売ってたサンドウィッチとジュースが安くて不味かったのが強烈に印象に残っています。

 ヴォーン・ウィリアムズの二作目の交響曲、ロンドン交響曲は1913年に作曲されて翌年3月に初演された後、フリッツ・ブッシュへ総譜送付した際に紛失してしまいます。その後友人のバタワース(George Sainton Kaye Butterworth 1885年7月12日 - 1916年8月5日)の協力もあって総譜を再現し、何度か改訂した後に1928年に出版されました。そして三作目の田園交響曲が初演された後、交響曲第4番を作曲中の1936年に最終決定稿が出来て、第一次大戦で戦死した友人のバタワースに献呈されました。作曲者自身の従軍経験を経て作曲された田園交響曲の終わり方が、二度と取り戻せない寂しさの余韻を残す作品なので、バタワースをはじめ健在だった人々の頃の世界の中で誕生したロンドン曲がどうにもまぶしく聴こえます。

 先日のBBCフィルハーモニックの本拠地はマンチェスターですが、この都市を本拠にするオーケストラとしてはバルビローリのレコードで有名なハレ管弦楽団がありました。このオーケストラは1858年にマンチェスターにおいてドイツ人ピアニストのカール・ハレ(1819年4月11日:ハーゲン-1895年10月25日/英国へ帰化、チャールズ・ハレ)によって設立されました。そのハレ管弦楽団の首席を2023-2024年のシーズンまで務めたのがマーク・エルダー(Mark Elder 1947年6月2日: ノーサンバーランド州 ヘクサム - )で、過去記事で扱ったローエングリンで登場していて、CD等は結構出ていました。エルダーはラトルより八歳上の世代でロンドンのイングリッシュ・ナショナル・オペラの音楽監督を1979年から1993年まで務めています。2000年以降では英語歌詞で上演するENOに十数年かかわったからか、エルガーの三つのオラトリオの録音もあります(ブログでは未登場)。
30 10月

ヴォーン・ウィリアムズ ロンドン交響曲 ボールト、LPO

181010ヴォーン・ウィリアムズ:ロンドン交響曲(交響曲第2番)

サー・エードリアン・ボールト 指揮
ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団

(1971年3月 ロンドン,キングズウェイ・ホール 録音 EMI)

 今年も十一月に入ろうとしています。先日NHK・FMの「きらクラ!」で俳句の季語としてブラームスは秋の季語にふさわしいといリスナーからのお便りがあり、作品によっては確かにそれは当てはまる気がしました。個人的にはクラリネット五重奏曲なんかは特にぴったりすると思いながら、過去に十一月に初めてその作品のLPを購入した作品を思い起こすとそれらは必ずしも季語に使えないと思いました。ベートーヴェンの弦楽四重奏曲第9番「ラズモフスキー第3」、モーツァルトのレクイエム(レコードは買っていないけど)、ワーグナーの指環四部作(バイロイト/ベーム)がそうでしたが、ワーグナーは一番季節感が乏しい気がします。

181030 10月に入ってリマスターされたSACD仕様のエードリアン・ボールト(Sir Adrian Cedric Boult 1889年4月8日 - 1983年2月22日)のブラームスを聴いて、それが予想以上に素晴らしくて
、同じくボールトのヴォーン・ウィリアムスの交響曲再録音も聴いていました。ボールトはヴォーン・ウィリアムズ(Ralph Vaughan Williams 1872年10月12日-1958年8月26日)の交響曲第4番、第6番の初演をBBC交響楽団を指揮して行っています。また、1920年にロンドン交響曲を演奏(初演時の稿とは違うらしい)にも関わったとプロフィールに出てきます。だから単に交響曲全集を二度録音、完結しているだけでなく、作曲者の生前から交流、関わりがあったのでボールトのヴォーン・ウィリアムズも注目のレパートリーです。

 
ヴォーン・ウィリアムズの二番目の交響曲、「ロンドン交響曲」は第一次大戦の開戦直前の1912年から1913年にかけて作曲されました。この大戦の前後でウィーンも大きく変わってしまったとされて(クレンペラーもそのように回想している)いるので、ロンドンも飛行船による爆撃もあって荒廃した以上の変化もあったと想像できます。そのことはさて置くとして、ロンドン交響曲は昔のロンドンに基づいているので「絶対音楽 = 交響曲」だとしても何らかの風情が感じられると思います。

 前回の「海の交響曲」と同じようにこの「ロンドン交響曲」も過去記事で取り上げたCD以上にオーケストラよく鳴って、独特の大らかさで響いています。ロンドンは20世紀末にチョロっと一度立ち寄っただけで住んだことはないけれども、タイトルにふさわしい内容の作品だと何となく感じられます。これまで聴いたみてボールトのヴォーン・ウィリアムズは第一作目から三作目の「田園交響曲」までが特に素晴らしいと思いました(ちなみブルックナーの交響曲群は全く異次元の世界に感じられる)。
10 10月

ヴォーン・ウィリアムズ「海の交響曲」 ボールト、LPO/1968年

181010aレイフ=ヴォーン・ウィリアムズ 海の交響曲(交響曲第1番)

サー・エイドリアン・ボールト 指揮
ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団
ロンドン・フィルハーモニー合唱団(合唱指揮フレデリック・ジャクソン)

シーラ・アームストロング(S)
ジョン・キャロル・ケイス(Br)

(1968年9月23-26日 ロンドン,キングズウェイ・ホール 録音 EMI)

 「 “ O my brave Soul! O father,father sail! ”
 (おお 勇ましき私の魂よ おお、どこまでも行こう)」これはヴォーン・ウィリアムズの「海の交響曲」の終楽章、その最終合唱冒頭の歌詞でした。1983年2月20日にエイドリアン・ボールトは、夫人に自分が録音した「海の交響曲」のレコードをかけるように頼み、それを聴きながら眠りました。その二日後に彼は永眠しましたが、このことは先日のボールトのブラームス録音集の付属冊子に載っていました。それ以前の1981年12月15日にボールトは指揮から引退することを正式に表明していました。最後のレコード鑑賞になった自身の録音がこのロンドン・フィルとのEMI盤だったかどうかは明記されていませんが、歌詞の内容にせよ、消えるように全曲を閉じるこの作品のコーダ部分にせよ、これを聴きたいと思ったからにはボールトは自分のさいごが近いことを実感していたかもしれません。

 こういうネタを読んでしまうと是非すぐに聴いてみたくなるのが人情で、全部は聴いていなかったボールトのヴォーン・ウィリアムズ箱から「海の交響曲」を聴きました。これがまた素晴らしい内容で、過去記事で同曲を何度か扱いましたがそれらを超える圧倒的な感銘度です。隅々まで演奏者の感情が行き届いてはじめてこの作品を聴いたような心地でした。第一楽章の「見よ」からして真摯に響いて、初演時に揶揄された「お前が見ろ」等という軽口なんか挟む余地は全くないと思いました。ボールトは同じ英国の作曲家というだけでなくて相当にヴォーン・ウィリアムズの作品に共感を持っているのだろうと思わせるものでした。

181010 ボールトは1950年代にもヴォーン・ウィリアムズの交響曲を録音していたのでこれは再録音ということになります。それと混同していてボールトのヴォーン・ウィリアムズのEMI盤はもっと古い年代の録音だと勘違いしていて、1968年録音のこれを聴くと廉価箱なのに年代以上の良好な音質でした。この手の一括箱はぱっとしないぼやけた音質になることもあるので幸運でした。先日のブラームス第3番もそうでしたが、ボールトが晩年にEMIへ録音したものにはキングスウェイホールを会場に選ぶことが多いようです。会場のおかげなのかこのところ聴いたボールトのEMI録音(他にエルガーの「使徒たち」)は、同時期のEMIの録音に比べて皆音質が良く(良いような気がするだけかもしれないが)きこえました。

 それにしても90歳を超えたそんな(臨終につながるような)場面でもレコードをかけてくれというのはさすがだと思ったのと、そこでヴォーン・ウィリアムズというのにも感心しました。ボールトと言えばホルストの惑星を五度も録音したそうなので、そっちの方をリクエストしても不思議じゃないところなのに、しかも「海の交響曲」とは。
8 6月

ヴォーン・ウィリアムズ 海の交響曲 ハンドリー、ロイヤル・リヴァプールPO

180608a - コピーレイフ=ヴォーン・ウィリアムズ 海の交響曲(交響曲第1番)

ヴァーノン・ハンドリー 指揮
ロイヤル・リヴァプール・フィルハーモニー管弦楽団
ロイヤル・リヴァプール・フィルハーモニー合唱団(合唱指揮イアン・トラッケイ)

ジョアン・ロジャース:ソプラノ
ウィリアム・シメル:バリトン

(1988年7月27-29日 ヴァプール,フィルハーモニック・ホール 録音 EMI)

 解禁日と言えば色々思い当たることがありますが、この時期なら鮎釣りの解禁日が集中します。淀川水系の宇治川なら6月10日が友釣りとそれ以外もそろって解禁でした(自分はやらない、食べるの専門)。鮎は秋に産卵した卵が孵化して一旦海に下り、ある程度成長したら生まれた川に遡上してさらに成熟して産卵して一生を終えるというサイクルですが、びわ湖で養殖された鮎が放流されるので、純粋にそこの川生まれの鮎を釣り上げられる可能性はあまり高くないかもしれません。先日たまたま鮎を食べる機会があったので解禁日を調べたら加茂川とか木津川が解禁済でした。

 ヴォーン・ウィリアムズ最初の交響曲、「海の交響曲」は1910年に完成して同年に初演されました。交響曲というよりもオラトリオに近い内容はマーラーの交響曲第8番と少し似ています。歌詞はアメリカの詩人、ウォルター・ホイットマン (Walter Whitman 1819年5月31日 – 1892年3月26日) の作品(「草の葉」)からとられているので英語です。この点はマーラーの第8番とは違いますが、歌詞の内容がそれほど単一的に統一されているのかどうか。

海の交響曲
第1楽章「すべての海、すべての船に寄せる歌」
第2楽章「夜、なぎさにひとりいて」
第3楽章 スケルツォ「波」
第4楽章「探検者たち」

180608b - コピー 
これはヴァーノン・ハンドリー指揮のロイヤル・リヴァプール・フィルによるヴォーン・ウィリアムズの交響曲全集の中の録音で、イギリス音楽のフアンの間では評判になったような記憶がありました。しかし過去記事で扱った田園交響曲(交響曲第3番)を聴いた時はオーケストラの技量か、録音・音質のせいかどうにもぼやけて、散漫な印象が強く、個人的にはあまり感心しませんでした。今回の「海の交響曲」はそれとうって変わって最初から終始覇気があり、熱意をもって響き、マーラーの「千人の交響曲」に負けないくらいの強烈な意志を持った作品のように迫ってきました。気のせいかマーラーの第8番の第2部と似ているような気もしました。

 第4楽章の最後は “ O father,father sail! ” という言葉を繰り返して完結しているので、単純な日本語で考えると「もっと、もっと漕ぎ出せ」くらいになり、かなりポジティヴで激励するような響きを帯びてきます。単に理想を抱いて念じているだけじゃなく、汗を流せとでも受け取れる内容です(そんな単純じゃない??)。ハンドリー(Vernon Handley CBE, 1930年11月11日 - 2008年9月10日)も来日して日本のオーケストラを指揮したことがあるということですが、今回聴いた声楽付き作品の方が魅力的だったのは興味深いことでした。
21 8月

ヴォーン・ウィリアムズ交響曲第9番 トムソン、LSO

150821ヴォーン・ウィリアムズ 交響曲 第9番 ホ短調

ブライデン・トムソン 指揮
ロンドン交響楽団


(1990年11月8,9日 ロンドン,セント・ジュード教会 録音 CHANDOS)


 先月に京都縦貫道の未開通区間、丹波-和知が開通したので京滋バイパスから名神の大山崎経由で宮津や若狭湾まで自動車専用道で行くことが出来るようになりました。子供の頃なら府の日本海側は思いっきり遠いところという感覚だったので、約四十年かかって時間距離が縮まったので一度日本海をさっと見て帰ろうと思いつつ秋の虫が鳴き出す季節になりました。そんなことよりも高浜も原発再稼働に向けて動いており、3.11以来かつてよりも若狭湾の原発をずっと身近に感じます。縦貫道は原発は別にして、災害時には輸送時間も大いに短縮できるはずです(道路が破壊されてなければ)。それにしても、縦貫道の未開通区間の国道にあった「やまがた屋」という大型ドライブ・インというか飲食店はどうするつもりだろうと余計なお世話ながら思います。元々はうどん屋だったのが戦後の自動車通行量の増加にあわせて店、駐車スペースが広がり(便所も快適で嬉しい)、道の駅級の規模になったのでほっと一息つける憩いの場的存在でした。

交響曲第9番ホ短調

第1楽章 Moderato maestoso
第2楽章 Andante sostenuto
第3楽章 Scherzo: Allegro pesante
第4楽章 Andante tranquillo

 前回に続いてトムソンとロンドン交響楽団によるヴォーン・ウィリアムズの交響曲です。この全集もこの第9番で最終です。交響曲第9番は1956年から1957年にかけて作曲され、1958年4月2日に、マルコム・サージェント指揮のロイヤル・フィルハーモニック管弦楽団によってロンドンで初演されました。ヴォーン・ウィリアムズはその後同年の8月26日に85歳で死去したのでこれが最後の交響曲となりました。前作の第8番より少し長いくらい、30~35分の演奏時間であり、標題もなく、特にこれで最後だという意識もあまり感じられません。第8番よりも幾分か重苦しい部分があっても全体的には飄々としたというか、割り切ったような諦念も混じる作品です。

トムソン・LSO/1990年
①07分15②7分04③5分44④10分52 計30分55

スラットキン・PO/1991年
①09分22②7分55③4分53④11分43 計33分53
ハイティンク・LPO/2000年
①10分06②7分56③5分31④12分56 計36分31

 
同じくロンドンを本拠とするオーケストラによる三種類の録音のトラックタイムを並べると、第三楽章を覗いてトムソンが一番短くなっています。聴いているとゆったりとしたテンポに聴こえ、こういう差が出るのは意外です。と言っても三種類を連続して聴いてるわけじゃないので分かりませんが。三つともイギリスのオーケストラだとしても、スコットランド生まれのトムソンのみが英国生まれであり、一番本場度が強いことになります。とにかく、ヴォーン・ウィリアムズも九曲まで交響曲を完成させて寿命となりました。

20 8月

ヴォーン・ウィリアムズ交響曲第8番 トムソン、LSO

150819ヴォーン・ウィリアムズ 交響曲第8番 ニ短調

ブライデン・トムソン 指揮
ロンドン交響楽団

(1989年10月9,10日 ロンドン,セント・ジュード教会 録音 CHANDOS)

 阿川弘之の「山本五十六」の中に海軍嘱託として勤務した、人相、手相を観る水野義人という人物が出て来ます。飛行機の操縦に適性がある者を決めるために起用された人ですが、関東大震災、日中戦争(緒戦の上海戦線)、太平洋戦争の終戦(一カ月前)を予測した点はちょっと寒気がしました。大震災は東京で幅広い年齢の多くの人に「死相」が出ていたのに大阪へ移動したら大幅に減った、日中戦争一年前は大阪で後家になる相をした婦人を多数見かけた、終戦一カ月前の時は特攻基地で若者の多数に死相が消えた、ということを見極めて判断して的中させたわけですが、割り引いて読んでもかなりの当り方です。こういのを真に受けると、運命論的に事前に定まっているということで恐ろしくもあり、むなしさもあります(分かったとして止められない)。

交響曲第8番ニ短調
第1楽章:ファンタジア ニ短調
    Fantasia (Variazioni senza tema)
第2楽章:行進曲風スケルツォ ハ短調
    Scherzo alla marcia (per stromenti a fiato)
第3楽章:カヴァティーナ ホ短調
    Cavatina (per stromenti ad arco)
第4楽章:トッカータ ニ長調/ニ短調
    Toccata

 ヴォーン・ウィリアムズ(Ralph Vaughan Williams, 1872年10月12日-1958年8月26日)の交響曲第8番は、1955年に作曲されて翌1956年5月2日にジョン・バルビローリ指揮のハレ管弦楽団によりマンチェスターで初演されました。亡くなる約三年前、83歳の頃の作品であり、上記の人相に死相が本当に現れるなら作った曲にもそういうものが現れると言われても不思議ではありません。ヴォーン・ウィリアムズは1957年に交響曲第9番を完成させてから一年とたたずに無くなっていますが、この第8番は別に切迫したようなものは感じられないと思います(鈍感なだけか)。全曲で30分程度の演奏時間であり、古い時代の形式に戻ってコンパクトな作品になったようでもあり、中身はそれとは反対により自由なもののようでもあります。

 第二楽章は管楽器のみ、第三楽章は弦楽合奏、第四楽章は多くの打楽器が入り、四つの楽章がいずれも楽器編成を変えています。前半の二つの楽章はどこか飄々とした味があって大戦後の世の中を見つめる皮肉な目のような風情です。後半の二つの楽章はヴォーン・ウィリアムズの初めの三つの交響曲に通じる伸びやかで、優雅な味がありました。特に終楽章はロンドン交響曲を思い出させます。この曲は特にトムソン、ロンドンSOと相性が良さそうです(他の曲でもそんなことを書いてなかったか)。

 ヴォーン・ウィリアムズの交響曲の全曲録音がどれくらいあるか未確認ですが、ベルリンPOやウィーンPO、あるいはチェコPOで全集は無かったと思います。ヴォーン・ウィリアムズはチェコとかヨーロッパ中部では十分評価されていないと言われていましたが、それは今世紀に入っても大きくは変わってないのだろうかと思います。一方、今月に入ってドヴォルザーク作品を複数回取り上げましたが、ドヴォルザークの交響曲全集もチェコか東欧のオケ、英国のオケであっても東欧系の指揮者との組み合わせが大半で、かろうじてスウィトナーがシュターツカペレ・ベルリンを指揮した録音があるくらいです。新世界交響曲のメジャーぶりと比べれば大きく隔たりがあるのはある程度仕方無いとしても、ヨーロッパでも地域による差は結構あるものだと思いました。
2 8月

ヴォーン・ウィリアムズの南極交響曲 ハイティンク、LPO

150802aレイフ=ヴォーン・ウィリアムズ 南極交響曲 (交響曲第7番)


ベルナルト・ハイティンク 指揮

ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団

ロンドン・フィルハーモニー合唱団
シーラ・アームストロング(S)


(1984年 ロンドン,アビーロードNO.1スタジオ 録音 EMI)

 8月に入って最高気温が39.1℃、体温より確実に高い日が二日続きました。土日で助かったとばかりに極力屋外に出ないようにしていました。それでも日没後でなければ食欲がわかないくらいなので明日からが思いやられます。ここまで高温になる前に墓地へ行っておいて幸いでした。春先は墓石の近くに犬か何かの糞がちょくちょく見つかったのに、暑くなると全く痕跡も見られません。供え物を持ち帰るように指導されているのも効いているのでしょうが動物にもこたえる暑さです。糞と言えば先日出勤途中に墓参した日、いつもの京都市営の地下駐車場に着くと黒っぽい塊が目につきました。どうやら人糞のようでしたが、もし本当にそうだったら一体どういう経緯でその場で 「noguso」 をしたのかと。暑くなると色々調子が悪くなるものだと理解しておきます。

150802b レイフ=ヴォーン・ウィリアムズの七作目の交響曲、南極交響曲は1949年から1952年にかけて作曲され、1953年にマンチェスターでバルビローリ指揮のハレ管弦楽団によって初演されました。そのタイトルの通り南極にかかわる内容で、元はロバート・スコットの南極探検隊の映画のためにヴォーン・ウィリアムズが作曲した音楽を再構成して交響曲としました。だからウィーンドマシーンを駆使してブリザードのような音も登場します。今日は最高気温が39℃を超えたのでそういう音響効果がこれほど嬉しく思ったことはありません。第4~6番の戦争の影響を反映した作品とはかなり印象が変わり、そうした暗い記憶を洗い流したような感もあります。

 また、女声合唱とソプラノ独唱者も登場しますが「海の交響曲」のような歌詞は無くてヴォカリーズです。ハイティンクは同じ年に同じオケ、コーラスと歌手とでライヴ録音も残していました(1984年11月27日,この演奏年月日は正しいのだろうか?)。公演で取り上げる作品を録音するという活動姿勢は普通だと思いますが、ハイティンクにとってヴォーン・ウィリアウムズ作品も日常的なものだったと推測できます。悲劇的な結果に終わったスコットの探検隊をテーマにした作品ながらあまり過激な振幅を示さない演奏は、ハイティンクの他の作曲家の演奏、録音と共通していてヴォーン・ウィリアムズの場合は特に上品に聴こえます。個人的にはこの曲でハイティンクのヴォーン・ウィリアムズへの関心が高まりました。

17 4月

ヴォーン・ウィリアムズ交響曲第4番 ハイティンク・LPO

150417レイフ=ヴォーン・ウィリアムズ 交響曲 第4番 ヘ短調


ベルナルト・ハイティンク 指揮
ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団


(1996年 ワトフォード・コロッセウム 録音 EMI)


 三十年前の今日、甲子園球場の阪神-巨人戦でピッチャー槙原からバース、掛布、岡田の三人がセンター方向へ続けて本塁打を記録しました。タイガーズの創立八十年にあたることもあって、バース氏も呼んで三人そろってセレモニーをやっていました。1985年当時時分はまだ巨人フアンだったので、その試合はラジオ中継を聴きながら衝撃を受けていたのを覚えています。特に槙原は完封で飾ったデビュー戦をラジオで全部聴いていたこともあって応援していたので、八百長じゃないだろうなと思うくらい悔しい思いで聴いていました。バース氏は阪神百貨店にも呼ばれていたのでたいしたものだと思いながら振り返っていました。4月17日と言えばまだ新年度が始まったばかりという感じだったと思いますが、おっさんの年齢になれば何の初々しさも感じず、そろそろ半袖のカッターシャツを出しておこうかと考えるくらいです。

交響曲第4番 ヘ短調
第1楽章・Allegro
第2楽章・Andante moderato
第3楽章・Scherzo Allegro molto
第4楽章・Finale con Epilogo fugato: Allegro molto 


 一昨日のショスタコーヴィチに続いてハイティンク指揮のロンドンPO、先日に続いてヴォーン・ウィリアムズの交響曲第4番です。ショスタコーヴィチ全集はACOとLPOで分担して録音していましたが、概ねACOの方は評判がよくて、他の指揮者の録音の場合と同様にロンドンPOは批判的なコメントをよく見かけました(テンシュテットのマーラーとか)。正直そこまで差があるのかよく分からず、ショスタコーヴィチの第9番の時と同じくなかなか素晴らしいと思います。むしろ、レーベルの違いや会場の差の方が大きいのではないかと思います。

 それはさておきトムソン、ロンドンSOの同曲を聴いた後にこれを聴くと、より純音楽的というか聴き手が色々と読み込んだり、投影し難いものだと思いました。この曲はヴォーン・ウィリアムズの交響曲の中でも例外的にフィナーレのコーダ部分が打撃のように大きな音で終わります。そういう刺激的な作品にあってもハイティンクの録音では特に静かな第2楽章が際立っていました。第4楽章もロンドン交響曲で出てきたような主題もきこえ(たぶんそうだと思う)、ロンドンの日常生活に不穏な影が迫ってくるのを連想させます。

14 4月

ヴォーン・ウィリアムズ交響曲第4番 トムソン、LSO

150414bレイフ=ヴォーン・ウィリアムズ 交響曲第4番 ヘ短調


ブライデン・トムソン 指揮
ロンドン交響楽団


(1987年11月27,28日 ロンドン,セント・ジュード教会 録音 CHANDOS)

 戦争交響曲という名称はベートーベンの作品の他、ショスタコーヴィチの何曲かがそういうくくり方をされることがありました。第4番から第9番くらいまでか、もっと絞って第7、8番の二曲か、ともかく第二次大戦中、その直前くらいに書かれた作品を指してそう呼ぶようです。ヴォーン・ウィリアウムズの交響曲第4~6番の三曲も第二次大戦前夜から戦中に書かれて、その時期の不安や混乱を映すような作風なので(便宜的にだとしても)戦争交響曲と評されているのを見かけます。特に第4番は前作の田園交響曲やロンドン交響曲の長閑で優雅な作品と一転して叫ぶような悲痛な音から始まるので際立っています。

 「無」と書いた軸を掛けても何も無くならない、「死」なら無くなるという言葉は邦画の「千利休 本覚坊遺文」の中で出てきて作品の主題のようになっていました(だから山上宗二、利休、古田織部の三者が暗黙に自ら死を選ぶことを約したという話)。しかし本当にそうか、「無」の方が恐ろしいのではないかと思います。我々通常の人間は完全な「無」というものを思い描くことは難しく、イメージできないのではないかと思います。もしかしたら無意識的にブレーキがかかって思考が遮断される安全装置のようなものが働くのかもしれません。ともかく自分が完全に無くなる、完全な無というものを想像すると物凄い恐怖に襲われます。断崖の下、溶鉱炉とかを覗きこむ以上に、身体的感覚を伴った得も言われない怖さではないかと思います(映画化もされたデスノート、人間がデスノートを使って人を殺したら地獄にも行けないという設定だった)。

150414a 何の話かと言えばヴォーン・ウィリアムズの戦争交響曲、交響曲第4番は確かに戦争の名を冠しても違和感は無いとしても、どこかに救いようがあって上品さ、優雅さ、人間らしさのようなものがあって身震いするようなものではないなと思えることです。それに比べて似た時期の、あるいはさらに後年のショスタコーヴィチ作品には底が見えない、得体が知れない恐怖感を伴う断片があるように思います(錯覚だとしてもそういう印象も魅力の一つです)。音楽学者にして指揮者でもあるベンジャミン・ザンダーがマーラーの音楽を「個人についての」音楽、ブルックナーを「共同体についての」音楽と指摘していました。どの作曲家もそんな風に二分できるものでないとしても、その考えに従ってみるならヴォーン・ウィリアムズの作品はどちらかと言えばブルックナー側、共同体によりそうようなものではないかと思います。

 トムソン指揮、ロンドン交響楽団のヴォーン・ウィリアウムズはこれまで第1番から第7番まで取り上げてきて、評判通りの素晴らしさでした。シャンドス・レーベルの音質も色々言われていましたが(個人的にはかなり好き)、このシリーズでは変な癖もなくて特に良好だと思います。振り返ると、同じくらいの時期にロンドン・フィルはハイティンクと、フィルハーモニア管はスラットキン、BBC交響楽団がアンドリュー・デイヴィスとそれぞれヴォーン・ウィリアムズの交響曲を録音しています。ロンドンを本拠にするこれらのオーケストラのちから関係や財政状態、契約上のしばりがどんな具合だったかはわかりませんが、伝統あるロンドン交響楽団がトムソンを選んだことは興味深いと思います。

8 4月

ヴォーン・ウィリアムズ交響曲第6番 ハイティンク、LPO

150408bレイフ=ヴォーン・ウィリアムズ 交響曲第6番 ホ短調(1950年改訂版)


ベルナルト・ハイティンク 指揮
ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団


(1997年12月 ワトフォード・コロッセウム 録音 EMI)

150408k 朝7時代のNHKテレビのニュースで地元の桜を中継するコーナーがあって、担当のアナウンサーが見覚えのある顔だと思ったらニュースウォッチ9に出ていた井上アナでした。つい先日、北区の平野神社が映っていたようで音声だけを聴いていました。もう平野部は御室桜を除いて散り始めているので、今日少し北の方へ出かけたので帰りに鞍馬の方をまわりました。ここら辺りはまだ満開でしたが、平日なので鞍馬寺の門前も人はまばらで木の芽煮の店も閉まっていました。それでも子供連れのフランス語圏の国からの家族が街道を登って行くのとすれ違いました(たぶんフランス語だと思ったので)。

150408a 若くしてアムステルダム・コンセルトヘボウの指揮者になったハイティンクはレコード録音のレパートリーが広く、ブルックナー、マーラー、ショスタコーヴィチの交響曲を全曲録音しています。さらに英国人の作曲家、ヴォーン・ウィリアムズの交響曲全集を完成させました。これまでのところヴォーン・ウィリアムズの交響曲を全部録音したのは大半がイギリス人で、ハイティンクの他はアンドレ・プレヴィンくらいです。ハイティンクはロンドンPOの首席も務めていた時期があったので(1967-1979年)こういうレパートリーがあっても不思議でないとしても、当人もある程度作品に共感を持っていたのではないかと推測できます(レコード会社の都合だとしても主席を離れてから全集録音に取りかかっている)。

ハイティンク・LPO/1997年
①7分37②8分59③6分15④10分17 計33分08
トムソン・LSO/1988年
①8分23②9分10③6分47④10分16 計34分36
スラットキン・PO/1990年
①7分42②9分51③5分50④10分29 計33分52

 
 交響曲第6番は全集の第七弾にあたり、開始から10年以上経っています。また、1950年に改訂された版を使用しています。第6番は初演時から好評であり、何度も再演されています。改訂の経緯や具体的な違い等は未確認です。ハイティンクの録音を聴いた印象は、前回のトムソン指揮、ロンドンSOよりもずっと引き締まってシャープでした。作品の背景やら世相のようなものを読み込み難い、より一層純音楽的なタイプだと思いました。だから第1楽章の冒頭なんかはあまり凶暴とも思えません。しかし終楽章の方の印象はあまり変わりはありません。これは三種の録音のトラックタイムを見ても終楽章はどれも似通った時間になっていることからも察しが付きそうです。最近、今頃になってハイティンクの演奏に親近感が湧いて来て、このヴォーン・ウィリアムズもかなり素晴らしいと思いました。

7 4月

ヴォーン・ウィリアムズ交響曲第6番 トムソン、LSO

150407aレイフ=ヴォーン・ウィリアムズ 交響曲第6番 ホ短調


ブライデン・トムソン 指揮
ロンドン交響楽団


(1988年12月16,17日 ロンドン,セント・ジュード教会 録音 CHANDOS)

 天気予報通りの寒の戻りになり、石油ストーブをまた点火しました。天皇皇后両陛下が明日パラオ訪問へ出発されるということですが、七十年経ってもまだ戦争が完全に終わっていないという感情にとらわれそうです。その一方で前大戦の戦勝国が常任理事国を占める戦後体制はそろそろ変更して、インドネシアとかイスラム国も加える、拒否権を制限するといったことがあっても良いのではと、非現実的なことながらそんなことを思ったりします。

 ヴォーン・ウィリアムズの交響曲第6番は1944年から1947年にかけて作曲されました。初演は翌年1948年4月21日にロンドンでサー・エイドリアン・ボールト指揮のBBC交響楽団によって行われました。このCDでは全曲で約34分の演奏時間なのでマーラーやブルックナーの交響曲を思えばコンパクトな作品とも言えます。同じ時期に作曲された交響曲としてはショスタコーヴィチの第9番があり、それよりはシリアスな作品と言えそうです。

Symphony No.6 in E Minor
第1楽章:Allegro
第2楽章:Moderato
第3楽章:Scherzo: Allegro vivace
第4楽章:Epilogue: Moderato

150407b この作品は標題にこそならなかったものの「戦争交響曲」と呼ばれることもあり、第1楽章の冒頭から阿鼻叫喚の場に投げ込まれたような印象なので、それももっともだと思えます。それよりもさらに印象深いのは終楽章です。終戦詔書にも「米、英、支、蘇 四国に対し」とあるように、英国も戦勝国なのに交響曲第6番の終わり方は戦勝を祝うというものとはほど遠いもので、混沌の中に埋もれて沈んでいくような感じです。それでもヴォーン・ウィリアムズの場合はどことなく優雅で、救いようがあるような響きになっています。ヴォーン・ウィリアムズの作品は四十代になって急に感心が湧いたのであまり多くのCDを聴いていません。だからトムソンが特別なのかどうか分かりませんが、これまで聴いた第1‐3番、第5,7番以上に素晴らしくて、作品にぴったりの演奏だと思いました。ブライデン・ジャック・トムソン(Bryden Jack Thomson, 1928年7月16日 - 1991年11月14日)は来年に没後25年を迎えるのでメモリアル年に埋もれていた録音が出てくるかもしれません。

11 7月

ヴォーン・ウィリアウムズ 南極交響曲 トムソン、ロンドンSO

 レイフ=ヴォーン・ウィリアムズ 南極交響曲 (交響曲第7番)

ブライデン・トムソン 指揮
ロンドン交響楽団


エルムス・ロードリック:オルガン
キャスリーン・ボット:ソプラノ

(1989年6月 ロンドン,セント・ジュード教会 録音 CHANDOS)

140711 昨日の夕方に所要で立ち寄ったビルでエレベーターに乗ると、涼しい風が吹き付けてきて有り難いと思い、同時に自分の事務所のあるビルではそもそも全く風が出ていないことを思い出しました。今月に入って時々エレベーターの中にかなり強い「匂い」というか「臭気」が残っていることがありました。体育館の倉庫だったり香水と石鹸が煮詰まったような匂いだったり色々でした。確かエレベーターにも冷暖房か少なくとも換気のようなのが作動していたはずだと思ったけれど、大震災以降の「節電」の一環かと思ってあきらめていました。それがエアコンがかかっているエレベーターに乗って不満を思い出しました。共益費を取っているくせに毎年いい加減な運用だと思いながら次の要件へ急ぎました。四条烏丸を東に歩くと、祇園祭の長刀鉾を組み立てているのが見えました。

140711a 二日酔いの二歩手前くらいだった今朝は起きるのが少し遅れ、ぎりぎりになってしまいました。昨夜は雨のおかげで少し気温も下がって、夜中に目をさますこともなくそこそこよく寝られました。こころもち涼しくなるような曲とか言って例年シベリウスとかをブログで取り上げていましたが、今度はヴォーン・ウィリアムズの南極交響曲です。この作品は元々「南極のスコット」という、イギリスのスコット隊とノルウェーのアムンゼン隊ら(日本の白瀬隊も)による南極点一番乗り争いの映画のための音楽でした。そのためオルガンやさ多数の打楽器の他ウィンドマシンーも加わっています。またソプラと女声コーラスによるヴォカリーズ(歌詞の付かない)が第一、第五楽章に入ります。ホルストの組曲「惑星」に通じるものがあり、戦後の作品ながら親しみやすい作風です。

 トムソン指揮、ロンドン交響曲の全集に含まれるこのCDは残響も適度に入り、南極点争いの風景が自ずと想像されます。南極というタイトルが無かったら宇宙に関する曲かと思うくらい神秘的です。この曲の各楽章には下記のような前文が添えられてあり、演奏前に朗読したり、各楽章の前に朗読することもあるようです。このCDではそうした朗読は入っていません。

Symphony No. 7 "Sinfonia antartica"
1.前奏曲:Andante maestoso
~シェリーの詩「鎖を解かれたプロメテウス」
2.Scherzo: Moderato
~(旧約聖書詩篇第104篇)
3.風景: Lento
~コールリジ「シャモニー渓谷の日の出前の讃歌」
4.間奏曲:Andante sostenuto
~ジョン・ダン「夜明けに」
5.終幕: Alla marcia, moderato (non troppo allegro)
~スコット大佐の日記より

140711b 南極交響曲は1949年から1952年にかけて作曲され、1953年にマンチェスターでバルビローリ指揮のハレ管弦楽団によって初演されました。上記のように最初は映画「南極のスコット」のための音楽として1947年に作曲しましたが、1949年からそれを再構成して交響曲を作りました。「海の交響曲」のような歌詞が全く付かず歌われないのに雄弁で、それでいて上品な音楽になっています。交響詩とか交響的組曲とも言える内容です。ちなみにイギリスのロバート・スコット海軍大佐率いる南極探検隊は、1910年から1912年にかけて南極大陸の学術調査と極点到達を試み、1912年には南極点に到達したものの帰還途中に遭難し、スコット大佐をはじめ五名が亡くなりました。作品ではそうした悲劇性を強調せず、人間が南極の大自然の前にかすんで消えてしまったような印象です。

2 5月

ヴォーン・ウィリアムズのロンドン交響曲 トムソン・LSO

140502_2 レイフ=ヴォーン・ウィリアムズ ロンドン交響曲 (交響曲第2番)

ブライデン・トムソン 指揮
ロンドン交響楽団

(1988年頃 ロンドン,セント・ジュード教会 録音 CHANDOS)

 カレンダー通りの勤務だったのでようやく明日から連休です。今夜は遅めながら内輪の「新年度の宴」の予定が連休明けに伸びたので、蕎麦屋でちょっとだけ燃料を補給して帰ることになりました。焼酎のお湯割りを一合だけなのにまわりが早い、やっぱり久々だからかと思いながら、よく考えればあらかじめ湯で割ったものが一合出て来るのでなく、焼酎だけ一合と湯が別々に出て来たのでアルコール度数は例えばビールの倍以上になるわけでした。なかなか良心的な?店で改めて好きになりました。結局、味噌とか植物性の食品だけ口にして終わりました。

140502b  レイフ=ヴォーン・ウィリアムズの二作目の交響曲、「ロンドン交響曲」は、1912年から翌1913年にかけて作曲されました。第一次大戦もロシア革命もまだ起こっていない時代でしたが、初演が行われた1914年3月27日の約三カ月後にサラエヴォ事件が起こり大戦に突入したので、ドイツに送った初演時の楽譜が失われました。作曲者のもとに残ったのはパート譜他で、以後それをもとにして復元、改訂が繰り返されます。最終版が出来上がったのが1936年頃のようで、ちょうどショスタコーヴィチが昨日の交響曲第5番を作る契機となった「プラウダ批判」が出たのと重なります。関係無いことながら、理論上はロンドンでこ最初の社会主義革命が起こってしかるべきでしたが、ロンドンの情緒を織り込んだこの作品からはこの都会の暮らしも捨てたものではなさそうな息吹が漂います。

"A London Symphony"
第1楽章. Lento - Allegro risoluto
第2楽章. Lento
第3楽章. Scherzo:Nocturne - Allegro vivace
第4楽章. Andante con moto - Allegro - Epilogue

140502a_3  「ロンドン」というタイトルで、ビッグ・ベンの鐘の音がきこえたりするけれど風景を描く標題音楽でもないようです。ところどころケテルビーの「ペルシャの市場にて」に似たフレーズが混じっていたり、どこか非ヨーロッパ的な匂いもします。「海の交響曲」と「田園交響曲」のあいだのロンドン交響曲は楽天的な響きがします。リチャード・ヒコックスが初演時のパート譜をもとにその初演稿を再現して録音しています。その稿ではまた違った味わいなのかもしれませんが、より具体的にどういう事柄を表現したかったのだろうかと思います。

 トムソンのヴォーン・ウィリアムズは元々定評があったせいか今でも現役・レギュラー盤の値段で流通しているようですが、手元にはるのは最初の分売盤ではなく全集としてまとめられたものです。ブライデン・トムソンはテンシュテットやコンビチュニーと同じように大酒飲みだったとどこかに書いてあったのを思い出します。

5 4月

ヴォーン・ウィリアムズ「海の交響曲」 トムソン、LSO

140405c レイフ=ヴォーン・ウィリアムズ 海の交響曲  (交響曲第1番)

ブライデン・トムソン 指揮
ロンドン交響楽団、ロンドン交響合唱団

イヴォンヌ・ケニー (S)
ブライアン・ライナー・クック (Br)
エルムス・ロードリック:オルガン

(1987年4月7-8日 ロンドン,セント・ジュード教会 録音 CHANDOS)

140405b  夕刊に「イタリア映画祭 2014年」というのが紹介されていて、東京だけでなく来月の10日、11日の二日間(七作品のみ)、大阪でも開催されます。そこで上映されるのはカラー作品だけのようですが、昔“ Stromboli, Terra Di Dio(ストロンボリ 神の大地) というモノクロのイタリア映画を京都市内の映画館(四条大宮のコマゴールドか、一乗寺の京一会館だったと思う)で観たことがありました。イングリッド・バーグマンを鑑賞するために切符を買ったところ、火山とか自然の映像がド迫力で圧倒されました。これまで映画やオペラのソフトを観る時も、録画用の薄っぺらいブルーレイ・DVDレコーダーを使っていたところ、先月に再生専用機を購入して音声を2CHアンプにつなぎ、小さなテレビのスピーカーではなくCDと同じ環境で聴けるようにしました。ろくなアンプ、スピーカーじゃないのに結構ましに聴こえたので、あの古い映画をもう一度観たくなりました。最近はHDMI端子を映像専用出力とオーディオ専用出力の二つ備えるタイプもあって感心します。この機会に放置休眠中のAVアンプを修理に出してもう一度使ってみようかと思いました。

 ブライデン・トムソンのヴォーン・ウィリアムズがCDで出たのはちょうどその映画を観た頃でした。過去記事の交響曲第5番、田園交響曲と作風が違い、全楽章とも合唱と独唱が入るこの作品も素晴らしい録音です。冒頭、“ Behold,the sea itself (見よ) という高らかな声で何かの警告のように始まるところは、交響曲というよりもオラトリオのようです。海の交響曲はマーラーの交響曲第8番の約一カ月後に初演されました。

140405a   海の交響曲はアメリカの詩人、ウォルト・ホイットマン(1819-1892年)の詩を四つの楽章の歌詞に使っています。三十年以上かけて最終的に仕上がった詩集「草の葉」の「藻塩草」という章から、「全ての海、全ての船によせる歌(第一楽章)」、「夜の浜辺でひとり(第二楽章)」、「海をゆく船を追いかけて(第三楽章)」という三編を使い、第四楽章だけは「インドへ渡ろう」という章からとっています。ただ、第一楽章の“ Behold,the sea itself  のところはホイットマンの詩そのものかどうか分かりません(文庫本の翻訳版にはそれらしい語句が見当たらない)。

海の交響曲(交響曲第1番
第1楽章:A song for all seas, all ships
「全ての海、全ての船によせる歌」~藻塩草
Andante maestoso 
第2楽章:On the beach at night, alone

「夜の浜辺でひとり」~藻塩草
Largo sostenuto  
第3楽章:The waves

「波」~(海をゆく船を追いかけて)藻塩草
Scherzo - Allegro Brillante
第4楽章:The explorers

「冒険者たち」~インドへ渡ろう
Grave - Allegro e molto adagio

 第三楽章の「波」、第四楽章の「冒険者たち」というタイトルは作曲者が付けたもののようですが解説(英語)を精読していないので不確定です。詩の中には海や帆船、船長、波という言葉が多数出てくるものの、単純に情景を描いたのではなく内容は深く、広範囲に及んでいます。ホイットマンは貧しく子沢山な家庭に生まれ、11歳の時に学校を辞めて法律事務所や医者の使い走りとして働き始め、植字工見習いの後故郷で教師をしました。その後ジャーナリストとして政治に関わるようになり、やがて現実の政治に失望をするようになり、詩人として芸術家との関わりが多くなります。「草の葉」の初版を出版したのは1855年、彼が36歳になる年でした。生活の苦労、政治、言論、現実、不平等、失望等々を体感しながら終生自由、夢を信じて追い続けた、と言えば眩しい姿に映ります。

 ホイットマンの詩はヒンデミットも自作に取り入れている他、ディーリアスやいろいろな作曲家が曲を付けていました。ヴォーン・ウィリアムズの傾倒度はどれくらいだったのかと思います。ヴォーン・ウィリアムズの父は、ウィキの解説によれば国教会の主教(教区長)の代理を務めていました。なんとなく上流階級・保守的というイメージを持ってしまいますが、天路歴程を元にオペラを作る等を考えればそう単純なことではなさそうです。

3 4月

ヴォーン・ウィリアムズ交響曲第4番 スラットキン・PO

レイフ=ヴォーン・ウィリアムズ 交響曲 第4番 ヘ短調

レナード・スラットキン 指揮
フィルハーモニア管弦楽団

(1991年6月21日,11月29日 ロンドン,ウォトフォード・タウン・ホール  録音 RCA・SONY)

140403  先日眼科医院へメガネの処方箋を書いてもらいに行きました。一年半くらい前に現在のレンズに変えた時は、メガネ店チェーン「メガネのMキ」で視力測定をしてもらいましたが、遠くを見る時は良くてもパソコンのディスプレイや地図等の細かい数字が見にくいので困ることがありました。これはレンズの調整が十分でなかいからだと思い、眼科に行った方が確実だと単純に考えました。しかし結果は今回の処方箋も前回のメガネ店の計測も同じでした。問題は年齢からくる遠近を調整して見る能力の衰えであり、確実に年寄の仲間入りをしているということでした(遠近の二種のレンズが要るかどうかというくらい)。

 眼鏡と何の関連があるかと言えば、先日のスラットキンによるヴォーン・ウィリアムスの田園交響曲について、録音会場等のデータを読み間違っていて、小さい字をよく見ると第5番と同じ会場だったという話です。交響曲第4番は、前作の田園交響曲(第3番)から十年以上経過した1931年から1934年にかけて作曲され、翌1935年の4月10日にボールト指揮、BBC交響楽団により初演されました。友人の作曲家アーノルド・バックスに献呈されています。

交響曲第4番 ヘ短調
第1楽章・Allegro
第2楽章・Andante moderato
第3楽章・Scherzo Allegro molto
第4楽章・Finale con Epilogo fugato: Allegro molto

 この曲は概ねショスタコーヴィチの交響曲第4番と第5番のあいだくらいの時期に作曲されたことになります。1934年の8月にはヒトラーがドイツ総統になり、ヨーロッパが戦争へ向けて加速し出した年と言えます。これまでの三つの交響曲である海の交響曲、ロンドン交響曲、田園交響曲とは違い、冒頭から警告音のような不吉な響きで始まり驚かされます。しかしショスタコーヴィチの作品を思えばどこかしら調和的で、出口が見つかりそうな楽観性が漂います。近代音楽の中のイギリスらしさというのはどういうものか、言葉で表し難いものだと思いますがこの曲を聴いていると、一つは寒気がしたり生理的な嫌悪感を呼ぶような生々しさに走らないという要素もあると思いました。それにブルックナーの交響曲のように、音の中に埋まって溺れたり酔っ払いかねないような要素も少ないと思います。

 スラットキンのヴォーン・ウィリアムズの中ではこの第4番と第6番が特に相性が良さそうだと、まだそんなに多く聴いたわけではありませんが、何となくそう感じました。スラットッキンは同じ廉価箱にエルガーの管弦楽作品があるように、何故かイギリス音楽をレパートリーにしています。これらの録音の後に2000-2004年までBBC交響楽団の首席を務め、夏のプロムス最終夜の指揮をしています(英国人以外では初めてらしい)。

22 3月

ヴォーン・ウィリアムズの揚げひばり A.デイヴィス、BBCSO

レイフ=ヴォーン・ウィリアムズ 揚げひばり

アンドリュー・デイヴィス 指揮
BBC交響楽団

(1990年10月 ロンドン,セント・オーガスティン教会 録音 RCA・ワーナー)

140322  先日たまたまテレビをつけたら「開運 なんでも鑑定団」をやっていて、小川芋銭が描いた河童が泳ぐ絵が ¥.6,000,000 もしたのに驚きました。去年だったか一昨年だったか職場近くの画廊の店頭に河童が鯰をかついだ水墨画が陳列されていて、その絵が無性に気に入って作者とか値段が気になっていました。身の程をわきまえて結局店にはたずねずじまいでしたが、もしかしたらその河童鯰図(便宜上こう呼ぶ)も高価な絵だったかもしれず、店に入って聞いていたら恥をかいてすごすごとザリガニのように退出していたことでしょう。このCDは一枚¥.1,000 の廉価盤でおそらく将来もオークションで高値が付くことはないはずなので気は楽です。

 ヴォーン・ウィリアムズの「揚げひばり」は独奏ヴァイオリンと管弦楽のための小品で、このCDのようにイギリス音楽を集めたアルバムにはよく入っています。日本では交響曲より知名度は高いかもしれません。このCDは元々こういう選曲で出ていたものかどうか分かりませんが、アンドリュー・デイヴィス指揮のBBC交響楽団の演奏でエルガー、ディーリアス、ブリテンの小品と並んで一曲だけこのヴォーン・ウィリアムの作品が入っています。その解説冊子には「揚げひばり」について次のように書かれています。

 「曲はアンダンテ・ソステヌートで、短い序奏に続いて、独奏ヴァイオリンがひばりの声を模したカンデンツァを奏した後、空高く飛翔するひばりの姿を思わせるおだやかで美しい主題旋律を歌う。」さらに続きがありますが、これを読めばどんな曲なのかイメージできると思います。上記の序奏部分は何となく東洋的な感じなので我々には親しみやすいと思います。

 唐あげとか竜田あげのあげものは漢字で「揚げ」と書くので、ヴォーン・ウィリアムズの“ The Lark Ascending  ” の日本語訳、「揚げひばり」も一瞬そっち方面のものが思い浮かびそうです。この「揚げひばり」は俳句の季語(春)らしく、ちょうど良いから訳語にあてたようです。街中にいるとひばりの鳴き声は聴けないので春の季語というのがぴんと来ません。

 「揚げひばり」は、イギリスの詩人ジョージ・メレディス(1838-1909年)の作品に触発されて作曲したものなので、直接田園風景を描写したものではありません。1914年から1920年まで大戦を挟んで作曲されましたが、1920年に初演された時はピアノとヴァイオリン版でした。その後1921年にヴァイオリンと管弦楽による版が、ボールド指揮で初演されました。ヴォーン・ウィリアムズは第一次大戦に従軍したということですが、土手に寝転んで空をながめてひばりの声がきこえて来るという場面を想像すると戦場とのギャップの大きさが感じられるだろうと思います。

QRコード
QRコード
タグクラウド
タグ絞り込み検索
最新コメント
アクセスカウンター
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

アクセスカウンター
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

プロフィール

raimund

昭和40年代生まれ、オットー=クレンペラーの大フアンです。クレンペラーが録音を残したジャンルに加え、教会音楽、歌曲、オペラが好きなレパートリーです。

メッセージ

名前
本文
アーカイブ
twitter
記事検索
カテゴリ別アーカイブ
  • ライブドアブログ