ヒンデミット ヴィオラソナタ Op.25-1(無伴奏)

ヴィオラ:ブルーノ・パスキエ

(2000年4月 パリ,タンプル寺院 録音 サフィール)

 このCDはフランスを代表するヴィオラ奏者、ブルーノ・パスキエ(1943-)とピアニストのクリスチャン・イヴァルディ(詳しいプロフィールが無い、パスキエと同世代らしい)のヴィオラソナタのアルバムです。この無伴奏ヴィオラソナタの他に、同じくヒンデミットのヴィオラソナタ作品25-4と、エネスコの協奏的小品、ショスタコーヴィチのヴィオラソナタの計四曲が入っています。無伴奏ソナタは、自分の勝手なイメージではもっと硬く冷たい音のイメージなので、四曲の中ではショスタコーヴィチのソナタが一番魅力的でした。

130704_2  昨日のヴィオラソナタの楽器編成からピアノを引いてヴィオラだけで演奏する作品は、ヒンデミットだけでなくジョリヴェ、レーガー、ハチャトリアン、リゲティらが作っていました。今回はクレンペラーとも縁があるパウル・ヒンデミット1895年11月ドイツ生まれ、1963年12月ドイツ没 )の、四曲ある「無伴奏ヴィオラソナタ」の中から一番有名な作品25-1です。ヒンデミットは作曲家として認められるまでヴァイオリン、ヴィオラ奏者として活動していました。1915年にはフランクフルト歌劇場の第一コンサートマスターに選ばれました(メンゲルベルクもオーディションで審査した)。また、レープナー弦楽四重奏団の第二ヴァイオリン奏者もつとめました。そういう経験から、オーケストラで使うあらゆる楽器のために作品を書くことが出来たと言われています。

 1921年、バーデン・バーデンのドナウ・エッシンゲンで発表されたヒンデミットの弦楽四重奏曲第2番作品16(音楽祭で成功したのは第3番と書いてあるものもある)が注目を集め、これによって作曲家としてもデビューしたかたちになりました。R.シュトラウスやクレンペラーもその作品を含めて、新即物主義的な作風の頃のヒンデミットに驚嘆していました。特にクレンペラーは戦後も次のように述懐していました。「あの頃は、それは素晴らしいものでした。分かるでしょう。新風が吹き、ペーソスなどは無かった。」

 しかし若い頃の自分の好みとしては、ヒンデミットのその時期の作品は特に、息継ぎを許されず泳ぎ続くことを強いられているようで、文字通り息苦しい気がしてあまり好きではありませんでした。昨日のショスタコーヴィチの最後の作品、ヴィオラソナタのような内省的な作風とは反対に、激しく野心的でさえある曲です。下記はこの作品の五つの楽章に付けられた表記で、第四楽章が象徴的です。

Viola Sonata Op.25-1
Breit Viertel
幅広く
Sehr frisch und straff (Viertel) 
非常に爽快に、そして緊張して
③Sehr langsam

非常に穏やかに
Rasendes Zeitmass - Wild - Tonschonheit ist Nebensache
嵐のような速度で荒々しく、音の美しさはニの次にして
(♩=600-640)

Langsam, aber mit viel Ausdruck
穏やかに、沢山の表情をもって

 今この曲を聴いていると、第四楽章の「~荒々しく、音の美しさは二の次にして」という言葉が1920年代のドイツの音楽界の空気をよくあらわしているのではないかと思います。戦禍、敗戦で荒廃した反面、ワイマール共和国時代のしばらくは自由も訪れただろうと思います。厳しい寒さの後、一気に花が咲き乱れるような時期を想像させられます。それと同時に、この言葉はベルリンのクロル劇場の世界の何割かを反映しているだろうと思えます。

 それにしてもヒンデミットの初期作品は、ヴィオラ以外の弦楽四重奏曲等はあまり店頭で見られないのは現代の世相、好みを反映してのことなのだろうかと思います。

 ところで先週来ウダウダ言ってきたPCのトラブルの件ですが、とうとう最終診断が下り、HDが二基とも壊れていることが分かりました。データを救出するには専門のデータ復旧業者に頼むしか術が無く、憂鬱な気分です。とりあえずパソコンはHDを交換してウィンドウズ7に入れ替えて継続使用することにしました。今回の件でデータバックアップの問題は甘く考えてはいけないとつくづく思いました。HDクラッシュはまさに盗人のように不意にやって来ます。