スクリャービン 「プロメテウス-火の詩 (交響曲 第5番) 」
ワレリー・ゲルギエフ 指揮
マリインスキー劇場管弦楽団
マリインスキー劇場合唱団
アレクサンドル・トラーゼ:ピアノ
(1997年7月 フィンランド,ミケッリ・ホール 録音 旧フィリップス)
「プロメテウス - 火の詩」はアレクサンドル・ニコラエヴィチ・スクリャービン(1872-1915年)の代表作交響曲「法悦の詩」Op.54の二年後、1910年に作曲された最後の管弦楽曲でした。初演は1911年にモスクワでクーゼヴィツキーの指揮、作曲者のピアノによって行われました。ただ、この時は「色光ピアノ」という鍵盤を押すとそれに対応する光が投影される発光器は使用していません(作曲者は使わなくても可としている)。それを用いた初演は1915年にニューヨークで行われています。スクリャービンはラフマニノフより一年先に生まれ、ストラヴィンスキーやショスタコーヴィチより十年以上年長だったわけですが、今一つ活動した時代をイメージし難いものがありました。同時期の作品にはマーラーの交響曲第8番とかヴォーン・ウィリアムズの「海の交響曲」があります。
「プロメテウス-火の詩」は交響曲第5番とも呼ばれますが、単一楽章の曲で管弦楽とオルガン、ピアノとハミングの合唱という大編成で分類し難い作品です。「法悦の詩」で無調に踏み出して「神秘和音」を確立し、「プロメテウス-火の詩」でもその作風に拠っています。実際聴いていて何とも言い難い作品で、例えばショスタコーヴィチの交響曲のように突き刺さるような尖った印象とは違い、本当に神秘的な要素がこぼれる作品です。スクリャービンの交響曲第2番(ハ短調 作品29、無調ではない)は京都市交響楽団の定期公演(ゴレンシュタイン指揮)で聴くことができました。
プロメテウスは作曲技法だけでなく、ルドルフ・シュタイナーの神智学に傾倒していました。「プロメテウス」とは「3.11-福島」以降しばしば見かける名前で、ギリシャ神話の神の名前です。ゼウスの命に背いて神々の火を人間に与えた存在です。この作品ではプロメテウスを英雄視してほめたたえています(歌詞はないが)。
このCDはゲルギエフ指揮のストラヴィンスキー「火の鳥」とカップリングされていて、スクリャービンは余白を埋める的な位置付けのようです。ちなみに「春の祭典」は「法悦の詩」とカップリングです。
「プロメテウス」ついでにこの夏はあまり節電云々と言いません。2011年は府庁の本庁舎の執務時間変更の知らせがまわってきた程でした。ただ、地下鉄や私鉄の車内温度は高目にしてエアコンは控え目のままです。それにしても原発の「全電源喪失」という事態の恐怖は再認識させられ、大陸の奥深い場所で津波、洪水の心配が一切無くても原子炉の冷却が出来なくなれば爆発の危険があるわけです。