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リスト

13 6月

リスト 巡礼の年第2年「イタリア」他 メジューエワ

180614リスト 巡礼の年 第2年「イタリア」S.161、「イタリア」補遺「ヴェネツィアとナポリ」 S.162

イリーナ・メジューエワ:ピアノ

(2017年6月,8月富山県魚津市,新川文化ホール 録音 若林音工)

 気が付けば2018年のサッカー・ワールドカップロシア大会は明日開幕です。それに間に合ってIOデータの55インチディスプレイ(テレビ受信機能無し)の設置とマルチチャンネルのスピーカーや機器の準備がとりあえず出来ました。別に真夜中に放送されるサッカー中継を大音量の5.1chで視聴するつもりは無くて、本命はワーグナー作品などの映像ソフト再生でした。スピーカーからややこしい電子音が何度も出る自動設定を終えて試しにSACDプレーヤーとBDプレーヤーを使ってみると予想と違うこともあり、サラウンド用スピーカーをAVアンプからプリアウトしてプリメインアンプ経由でつないでいるのを止めて切り離した方が良さそうな感じでした。それからOPPOのプレーヤーはアナログ・2chで接続した時の音の方が特徴的で捨てがたいと思いました。どっちにせよ狭い畳の和室という環境なので基本的にそんなに変わらないようです。

Deuxième année: Italie, S.161
①婚礼
 Sposalizio
②物思いに沈む人
  Il penseroso
③サルヴァトール・ローザのカンツォネッタ
  Canzonetta del Salvator Rosa
④ペトラルカのソネット第47番 
  Sonetto 47 del Petrarca
⑤ペトラルカのソネット第104番 
  Sonetto 104 del Petrarca
⑥ペトラルカのソネット第123番 
  Sonetto 123 del Petrarca
⑦ダンテを読みて:ソナタ風幻想曲 
  Après une Lecture de Dante: Fantasia quasi Sonata

 イリーナ・メジューエワのリスト「巡礼の年」は第3年から作曲時期を遡る形で録音が進み、この第2年他が第二弾にあたります。「第3年」が1883年の出版だったのに対して「第2年イタリア」は1858年に出版され、大半は1839年には完成していたとされています。「
第2年補遺 ヴェネツィアとナポリ」は1859年に現行の形に完成して1861年に出版されたもので、第2曲以外は1840年には初稿と言えるものが出来ていました。

Venezia e Napoli S.162
①ゴンドラの歌 Gondoliera
②カンツォーネ Canzone
③タランテラ Tarantella

 リストが愛人のマリー・ダグー夫人とイタリアへ旅行、滞在した際にふれた芸術に基づいて作曲したもので、晩年の作品であった「第3年」とは違って劇的、動的な、ピアノの交響詩といった作風になっています。それが何故「巡礼」なのか?とも思いますが、観光以上に何らかの意味もあった旅、くらいに解釈しています(これだけの作品が生まれたのだから)。

 メジューエワはこれまでモーツァルト、ベートーヴェン、シューベルトやバッハ、ブラームス、シューマン、ショパン、リスト、ドビュッシーにメトネルといった作曲家の曲をある程度まとまった数で録音してきています(のだめのレッスン予定に入っている作曲家がほぼ含まれる)。何となくリストなら「巡礼の年第3年」のような作品がよく合うと思っていましたが、今回「巡礼の年 第2年」を聴いて今まで以上に素晴らしいと思えて、こういう内容の作品の方がもっとぴったりするかとも思いました。そういえば新書版の著書の中で、シューベルトの作品についてドイツやオーストリアのピアニストの演奏はあっさりし過ぎているというニュアンスの意見があったのが印象的でした。その考えはこういうリストの演奏を聴いてなるほどと納得させられましたが、シューベルト作品も現在弾いたなら過去の録音とは違ったものになっていそうです。
28 8月

リストのファウスト交響曲 I.フィッシャー/1996年

170828リスト ファウスト交響曲(三人の人物描写によるファウスト交響曲) S.108

イヴァン・フィッシャー指揮
ブダペスト祝祭管弦楽団
ハンガリー放送合唱団
ハンス・ペーター・ブロホヴィッツ (T)

①第1楽章「ファウスト」
②第2楽章「グレートヒェン」
③第3楽章「メフィストフェレス」
④~第3楽章(声楽無し初稿版)
⑤~第3楽章(声楽付き改訂版)

(1996年6月 ブダペスト,イタリアン・インスティテュート 録音 DECCA/Philips)

 元日本兵の中村輝夫一等兵、と聞いてもそれが誰か何の問題だったか思い出せないことの方が多いかもしれませんが、1974年にモロタイ島で発見された台湾出身の旧日本軍の兵士が発見されたことがありました(当時もう生まれてたけれど全く記憶にございません)。日本国籍が無くなっていることを理由に軍人恩給も未帰還者手当も無くて、未払給与の七万円あまりを支給されただけでインドネシアから台湾へ帰されました。「ルパング島やサイパン島の日本国籍の帰還兵との処遇の差の大きさ」と、「朝鮮人BC級戦犯の記録(岩波現代文庫)」には載っていましたが、どれくらいの差があったのだろうかと思います。日中共同声明があったのは1972年9月29日なのでモロタイ島の発見事件の時は何とも言えない頃だったのでしょう。日本は台湾を二度捨てたという表現を読んだことがありましたが、この事件に代表される問題を考えると回数のことはさて置き、台湾側に捨てるという表現を使われても文句は言えない気になりました。

 今日8月28日は(Johann Wolfgang von Goethe 1749年8月28日 - 1832年3月22日)の誕生日だと雑誌やネット上の情報でたまたま知りました。これくらいの年代の人物のプロフィールを見るにつけ、誕生日は本当に正確なのか、洗礼台帳によっているなら数日程度の誤差はありそうだと思っていました。ゲーテの場合はご長寿だったことは間違いなく、命日の方は正確だろうと思われます。リストのファウスト交響曲は近年の方が人気が増しているらしく、「名曲名盤500(レコード芸術編)」にもリストアップされていました(ちなみに第1位はバーンスタイン、ボストンSOらの1976年録音・DG盤)。

 この作品は1854年8月から作曲を開始して、何度かの改訂を経て最終的に1880年に完成しました。最初、第1稿は声楽が付かないもので1854年10月に完成しましたが、その後1857年に「ファウスト第二部」の神秘の合唱を加える改訂を行い、この段階で初演を行いました。これはヴァイマルにおいて、ゲーテとシラーの記念碑の除幕式の祝典の際にリスト自身の指揮によって演奏されたものでした。「ファウスト」の三人の登場人物」の性格を描写した三つの楽章で構成され、声楽が付かない稿もマーラーの交響曲を思わせる自由な作風です。

 このCDは上記のようなトラック分けになっているので、トラック④をとばせば通常のファウスト交響曲として聴くことが出来、④までで止めれば第1稿を鑑賞することが出来るという構成です。神秘の合唱はマーラーの交響曲第8番の最終合唱と同じ歌詞なので興味深いものがあり、聴いているとやっぱるどこか通じるところがあります。I.フィッシャーの指揮は後年のマーラーの時よりも厳しくというのか、古典派の作品のように扱っているので例えばバーンスタインの演奏とは大分違うのだろうと思います。しかし個人的には大変魅力的でした。
23 8月

リスト ハンガリー狂詩曲管弦楽版 I.フィッシャー

170823リスト ハンガリー狂詩曲 管弦楽版

イヴァン・フィッシャー 指揮
ブダペスト祝祭管弦楽団

ヨーゼェフ・チョーチ・レンドヴァイ:Vnソロ③
ヨーゼェフ・レンドヴァイ:Vnカデンツァ②④
ミクローシュ・ルカーチ:ツィンバロム
シャーンドル・クティ:ツィンバロム
ラースロー・キシュ・ジェルジュ:クラリネット③
エリカ・シェベーク:フルート・カデンツァ④

①第1番ヘ短調(リスト/ドップラー編)
②第2番ニ短調(ドップラー編)
③第3番ニ長調(リスト/ドップラー編)
④第4番ニ短調(リスト編)
⑤第5番ホ短調(リスト編)
⑥第6番ニ長調「ペストの謝肉祭」(リスト編)

(1997年3月 ブダペスト,イタリアン・インスティテュート 録音 Philips/DECCA)

 AMラジオの深夜放送は10代にはよく聴いたけれどそれ以降はほとんど聴かなくなりました。現代の投稿動画よりもずっとアングラで品の無い(エログロ)リスナー作製のテープを募集する番組もありました。地元KBS京都の番組でしたが、運動会でお馴染みのクシコス・ポストの旋律がリストのハンガリー狂詩曲第2番にチラっと出て来たので、30年以上前に聴いたクシコス・ポストにスカトロネタの歌詞を付けた歌のことを不意に思い出しました。詳しくは書けませんがGERIをたれる情景の歌詞で、今聴くと別段面白くもなくて汚いだけですが、くだらない歌詞を女性が熱演的に真面目に歌う点と運動会で使うから健全なイメージがあるメロディーが台無しになるということがツボだったのでしょう。

 リストのハンガリー狂詩曲は第1番から第19番まであり(CD付属冊子には21番までとなっている)、その内の六曲をリストがフランツ・ドップラーとともにオーケストラ用に編曲しました。原曲(ピアノ)の第14番、第12番、第6番、第2番、第5番、第9番が管弦楽版の第1~6番として出版されますが、有名な第2番が紛らわしいからかオーケストラ版でも順番を変えて第2番として表記することが普及しています。

 ユダヤ系ハンガリー人のイヴァン・フィッシャーはこの曲集を録音するにあたって、ハンガリーのジプシー(ロマ)音楽である「ツィゴイナー音楽」の奏者を加えて、リストが愛したもとの響きの再現を試みています。管弦楽版の第2番だけは昔FM放送で初めて聴いた時から印象に残っていましたが、もっと重厚でドス黒い音楽だと思っていたのでこの編成、録音は新鮮に聴こえました。I.フィッシャーはブラームスのハンガリー舞曲集でもこうした編成で演奏、録音しています。

 今世紀に入ってからのI.フィッシャーはマーラーやブラームス、ワーグナーら独墺系の作品の録音が増えています。それ以前にフィリップスへ録音していた今回のようなレパートリーやコダーイ作品等を思えばそのルーツ、出身地のことを改めて思い出させられます。それからドヴォルザークのスラヴ舞曲集等もありましたが、ハンガリーとチェコでは現地の住人にとっては大違いなのでしょうが、クラシック音楽のレパートリー、演奏家の演目割り当てではひとからげにされがちです(韓国と日本が似たようなものとしたらネット民は怒るように、チェコとハンガリーもそうだろうか?)。
14 8月

リスト「巡礼の年 第3年」 メジューエワ

170814bリスト 巡礼の年 第3年 S.163

イリーナ・メジューエワ:ピアノ

1.Angélus! Prière aux anges gardiens        
(アンジェラス!守護天使への祈り)
2.Aux cyprès de la Villa d'Este I: Thrénodie
(エステ荘の糸杉にI:哀歌)
3.Aux cyprès de la Villa d'Este Ⅱ: Thrénodie
(エステ荘の糸杉にII:哀歌)
4.Les jeux d'eaux à la Villa d'Este(エステ荘の噴水)
5.Sunt lacrymae rerum/En mode hongrois
(ものみな涙あり/ハンガリーの旋法で)
6.Marche funèbre(葬送行進曲)
7.Sursum corda(心を高めよ)
* カップリング曲:聖ドロテア S.187

(2017年4月8-9日 富山県魚津市,新川文化ホール)

170814a 主のみ使いの告げありければ、マリアは聖霊によりて懐胎したまえり。-天使祝詞1回
 われは主のつかい女なり、おおせのごとく我になれかし。-天使祝詞1回
 しかしてみことばはひととなりたまい、我らの内に住みたまえり。-天使祝詞1回
 天主の聖母われらのために祈りたまえ。キリストの御約束にわれらをかなわしめたまえ。
 主よわれら天使の告げをもって、御子キリストの御托身を知りたれば、願わくはそのご苦難と十字架とによりて、ついにご復活の栄に達するを得んため、われらの心に聖寵を注ぎたまえ。われらの主キリストによりて願いたてまつる。アーメン。

 いきなりの文語文による祈り、これが「お告げの祈り」の古い日本語訳でした。祈祷書の古い本には「一日三回、朝、昼、晩に唱える、せめて昼に一回」と注記してあります。リストの「巡礼の年 第3年」の一曲目のタイトルは、この祈りとその時に鳴らされる鐘を意味しています。一日に三度唱えるというからには日常生活に密着、溶け込んだもののはずですが、現代の位置付けはどうなっているのか、自分自身一度だけしか体験したことがありません。ある時ミサの前に突然これが始まって驚いたことがありました。

 七曲からなるこの曲集は、リストの最晩年に完成された作品でした。巡礼の年の第1年、第2年、第2年補遺がいずれも作曲者が二十代の頃に作曲したのに対してそこから四十年くらいの間を空けて取り組んだのがこれら第3年の楽曲です。メジューエワのリスト・アルバムはこのCDが二作目にあたり、カップリングは「聖ドロテア S.187」です。七つの楽曲がまるでロザリオの祈りの各神秘の中の玄義のようで、曲集全部でリストの私的な黙想、瞑想のための玄義のような、独特な性格の作品のようです。これはむしろ弾いている人間にとって共感するところが大きいのではないかと思われ、聴く側も何らかの同調のような感覚を得られたら感銘深くなるのだろうと思います。とりあえず目下のところ「エステ荘の噴水」が親しみやすく聴きやすいと思っています。

 七曲目の「心を高めよ」あるいは「高くせよ、高く上げよ(英語は lift up your heart となっている)」は、ミサの式文でサンクトゥスの前に来る叙唱の手前の言葉 “ Sursum corda ” のことだと解説にはありますが、現行の日本語の式文にこれに当たるものがあったかどうかすぐには思い当たりません。司祭の「心をこめて神を仰ぎ」に対し、一同が「讃美と感謝をささげましょう」と応える箇所が該当しますが、「高く上げる」という語句とは違っています。そんなわけなので、それより「心を高く上げよ」という日本語名の賛美歌の方がすぐにピンと来ました。プロテスタント教会の多数の教派が使う「賛美歌21」等の歌集に載っていて、或いはカルヴァン派系の教会で特に有名かもしれません。いずれにしても、超絶技巧のスター的なピアニストだった若い頃のリストからは縁遠い作風、世界です。今日8月14日は聖マキシミリアノ・マリア・コルベ司祭殉教者の記念日でした。
16 5月

クレンペラーとアニー・フィッシャーのリスト・ピアノ協奏曲

160516リスト ピアノ協奏曲 第1番 変ホ長調 S.124

アニー・フィッシャー:ピアノ

オットー=クレンペラー 指揮
フィルハーモニア管弦楽団

(1960年5月,1962年5月 ロンドン,アベイ・ロードスタジオ 録音 EMI)

 今朝の通勤時に車内でNHK・FMの「きらクラ!(再放送)」を聴いていると、吉永小百合の主演した映画「キューポラのある街」の中でブラームスの交響曲第4番の出だし部分が使われているという話題になりました。音楽担当は黛敏郎ということで二重に驚きました。この曲が特別に好きなので、これが使われた映画のシーンをきいてちょっと複雑な気分でした(番組の中ではリスナーのお便り共々絶妙といった感想だった)。映画が公開されたのは1962年4月ということなので、ちょうど今回のCDの録音時期と重なります。時代によって有名な音楽作品に対するイメージというものも変わっていくのかと思いつつ、そもそもその映画を全部観たことは無いのでまずそれからだと思いなおしていました。

160516b クレンペラーが戦後にEMIへ残した録音の中で協奏曲はあまり多くは無く、ベートーベンのピアノ協奏曲全部とヴァイオリン協奏曲、モーツァルトのピアノ協奏曲第25番、ホルン協奏曲全曲、ブラームスのヴァイオリン協奏曲、シューマンとリストのピアノ協奏曲くらいです。それらの内でシューマンとリストの協奏曲で共演した女流ピアニストがアニー・フィッシャー(Annie Fischer 1914年7月5日 - 1995年4月10日)でした。彼女とクレンペラーの接点は上記の写真のように、ブダペストのハンガリー国立歌劇場の芸術監督、アラダール・トートがアニー・フィッシャーの夫(1937年に結婚した)だったので、トートがクレンペラーをブダペストへ招いた時までさかのぼれます。あるいは第二次大戦前にソロ活動を開始していた彼女の演奏をクレンペラーは聴いたことがあったかもしれません。

160516a 今回のリストの協奏曲は国内盤でもCD化されたものの、クレンペラーにはこういう録音もあったというニュアンスの発売であり、同曲の名演という位置付けではなかったと思います。しかし、あらためて聴くとヴィルトゥオーソのためのコンチェルトというよりもロマン派の重厚な交響詩といった感触であり、作品本来の魅力かどうかはともかくとして、ワーグナー作品を指揮したりもしたリストの姿を思い起こさせます。それにアニー・フィッシャーのピアノも決してクレンペラーに塗り潰されずに輝きを放ち、泥沼?に咲いた蓮の花のようです。これを聴いているとクレンペラーが録音した他のピアノ協奏曲も彼女と共演していたらと思えてきます。日本盤の解説にはアニー・フィッシャーについて「つねに正確無比の技巧家とかの世評を得ることは無くとも」と書いてありますが、ピアノの音色は美しく、また鈍重なこともないと思います。

 アニー・フィッシャーはレコード界では地味な存在でしたが、後年の来日公演等で日本でも人気が出ていました。この録音の約15年後から集中的に録音されたベートーベンのピアノソナタは魅力的であり、特に第8番、第22番、第31番、第32番は初めて聴いた時から同作品には欠かせないものだと思いました。それらのベートベンは何も予備知識無く聴いたら女性が弾いているとは気が付かない強靭な演奏です。
11 5月

リスト「巡礼の年」第3年 チッコリーニ・1962年

リスト 「巡礼の年」 第3年

アルド・チッコリーニ:ピアノ

(1962年12月5-8日 パリ,サル・ワグラム 録音 EMI)

130511a   アルド・チッコリーニ(1925年ナポリ生まれ、1969年フランスへ帰化)はドビュッシーの作品集のCDくらいしか聴いておらず、他にはサティーも多数録音しているのを活字で見て知っているくらいでした。だから、イタリアからフランスに帰化した人だったのも知りませんでした。また、チッコリーニは若い頃からリストもレパートリーにしていました。1949年にパリのロン・ティボー国際コンクールに優勝した後、1950年からレコード録音を始めていて、1954年にはリストの「巡礼の年」も「第2年補遺:ヴェネツィアとナポリ」の三曲を除き全曲録音していました。ということで、今回の巡礼の年は再録音ということになります。録音年が1961年と表記されたものもあるようですが、手持ちのCDは1962年となっています。

 なおリストの他の作品も複数回録音していて「詩的で宗教的な調べ S.173」も今回の5枚組CDには1990年録音の方が入っていますが、過去記事の同曲(孤独の中の神の祝福)は、1968年の旧録音でした。

巡礼の年第3年
1.Angélus! Prière aux anges gardiens
(アンジェラス!守護天使への祈り)
2.Aux cyprès de la Villa d'Este I: Thrénodie
(エステ荘の糸杉にI:哀歌)
3.Aux cyprès de la Villa d'Este II: Thrénodie
(エステ荘の糸杉にII:哀歌)
4.Les jeux d'eaux à la Villa d'Este
(エステ荘の噴水)
5.Sunt lacrymae rerum/En mode hongrois
(ものみな涙あり/ハンガリーの旋法で)
6.Marche funèbre
(葬送行進曲)
7.Sursum corda
(心を高めよ)

 前回のメジューエワ「エステ荘の噴水」の50年近い前の録音です。同じ曲で比べると、チッコリーニは速目のテンポで、あまり水面の様子を描写するとかそうした意識は無かったのか華麗に始まり、終始鮮やかな演奏です。七曲(第三年)中では最後の Sursum corda ” が特に印象的でした。失意の中にあって題名のように自分の心を奮い立たせて、上を仰ぎ見ようとするような高揚感で曲を閉じます。

130511b  Sursum corda(心を高めよ)というのはミサの中で使われるラテン語の言葉で、サンクトゥスの前、叙唱の前句です。と言っても現行の日本語によるミサでは「心を高めよ」とか「高くあげよ」という言葉は使われません。司祭の呼びかける「心をこめて神を仰ぎ」がそれに当たり、会衆の「賛美と感謝をささげましょう」という応答が続きます。第一曲目は「お告げの祈り」のことで、これは現代の日本でも健在でミサの前に行うこともあります。題名が巡礼の年というだけあって、晩年の作品集である第三年になると教会に関係するタイトルの楽曲が増えていて、内容もそれにふさわしいものになっています。第一曲目のアンジェラスは簡素な響き、超絶技巧練習曲と同じ人間が作ったのかと思えます。

 蛇足ながら、讃美歌21という主にプロテスタント教会で使われる歌集に「心を高くあげよ」という歌がありました(多分讃美歌21だった)。これはアングリカンチャーチの司祭が作詩作曲した歌で、Sursum cordaに由来する歌詞です。どういう時に歌うのかは分からないものの、こっちの歌詞の方が原語・ラテン語の語感を残しているようです。

 巡礼の年・第3年はそれまでの第一年、第二年、第二年捕遺のように地名が付されておらず、地理的な移動の巡礼というより、もっと内面的な性格を反映しているかのような作風です。第三年に特に関心が高くなったのは、実は「名曲探偵アマデウス」に「エステ荘の噴水」が取り上げられたからでした。番組の内容は忘れてしまいましたが、晩年の作風がかなり違うというのは本物なんだと思い、今後はリストも注目しようと心がけました。

11 5月

エステ荘の噴水-巡礼の年第三年から メジューエワ

リスト “ Années de pèlerinage  (巡礼の年) ”-第三年から「エステ荘の噴水」

イリナ・メジューエワ:ピアノ

(2011年4,6,9月 富山県魚津市,新川文化ホール 録音 若林工房)

130510  例えば、地下鉄の駅から徒歩10分程の距離にある場所ならわりと近い方だと言えます。自分の居る場所も同じ駅の同程度の圏内なら、そこへ行くのには歩いて行けばいいわけですが、それが互いに駅の反対方向にあったとしたら片道で徒歩20分かかるわけです(あたりまえ)。そうなると、急いでいる時にそこと往復するのに40分かけるのはちょっと無駄な気がします。たまたま先日そういうケースに出くわして、結局自動車で往復しました。どうでもいい話ですが、よく考えると地下鉄で二つ先の駅から徒歩10分程度の場所なら地下鉄を使う場合が多いので、そのケースも歩いている時間の合計は同じになのに今回(先日)のように躊躇していないのは、軽く詐欺にかかっているような状態ではないかと思いました(朝三暮四か)。

 急に脚光を浴びているリストのピアノ独奏作品集「巡礼の年」は、下記のように四つに分けられてかなり長期に渡り作曲されています。一番初めは「旅人のアルバム」という名前で出版され、これを改訂し曲を加えて巡礼の年「第一年 スイス」となりました。だから、巡礼の年の初期に作られた曲は、作曲者の二十代の頃のものです。一方「第三年」はリストが70代頃に作られています。CDの解説でも触れられているように、この曲集全巻でリストの作曲の変遷をたどることができそうです。ちなみに第三年の曲は「色彩を持たない~(村上春樹)」に登場しません。

-巡礼の年-
第一年・スイス:1855年出版
*旅人のアルバム:1842年出版
第二年・イタリア:1858年出版
第二年補遺・ヴェネツィアとナポリ:1861年出版
第三年:1883年出版

 今回の「エステ荘の噴水」は、「巡礼の年」第三年に含まれている曲です。CDはイリナ・メジューエワによる二枚組のリストの作品集です。ピアノ・ソナタの他、色々な作品集から抜粋してリサイタルのような曲目になっています。過去記事のピアノ・ソナタの回にも触れましたが、このCDは最新録音のおかげもあって、ピアノ音が極めつけ美しく、「水」を題材にした「エステ荘の噴水」は特に魅力的でした。

巡礼の年第3年
1.Angélus! Prière aux anges gardiens
(アンジェラス!守護天使への祈り)
2.Aux cyprès de la Villa d'Este I: Thrénodie
(エステ荘の糸杉にI:哀歌)
3.Aux cyprès de la Villa d'Este II: Thrénodie
(エステ荘の糸杉にII:哀歌)
4.Les jeux d'eaux à la Villa d'Este
(エステ荘の噴水)
5.Sunt lacrymae rerum/En mode hongrois
(ものみな涙あり/ハンガリーの旋法で)
6.Marche funèbre
(葬送行進曲)
7.Sursum corda
(心を高めよ)

 第三年はリストの晩年期の作品であり、この時期の曲の魅力についてメジューエワは次のように説明しています。「晩年のリスト作品はなんと不思議な魅力をたたえていることか。不安に満ちているようでいて一種の安らぎがあり、落ち着きがないようで静止している。もはや西洋古典音楽であることを超えています。」まさしくCDの内容がそれを体現しています。

 冒頭の徒歩、徒歩と地下鉄で行くか、車で行くかという話はたまたま、地下鉄サリン事件の関係者を取材した「アンダーグラウンド」の文庫本を読んでいて、作品とは関係なく、乗り合わせた方々も地上を移動していたら難を逃れられたことを思い浮かべていたからです。あの事件について、実行犯の一人が医師で、彼は極刑にならなかったことが当時強烈に印象付けられました。その時は、年をとったら量刑にもっと共感できるだろうかと思っていました。

9 5月

リスト「二つの伝説曲」 チッコリーニ

リスト 二つの伝説曲 S.175
小鳥に説教するアッシジの聖フランチェスコ
水の上を歩くパオラの聖フランチェスコ

アルド・チッコリーニ:ピアノ

(1970年3月23日,11月18日 パリ,サラ・ワグラム 録音 EMI)

 このCDは昨年国内廉価盤(一枚999円)で復刻されたチッコリーニのリスト・アルバムです。 「誌的で宗教的な調べ」、「二つの伝説」、「コンソレーション」等を集めた二枚組です。こういうタイトルは文系のクラヲタの心をくすぐるものがあり、作品の真価が分からなくても聴いてみたい気になるものです。1975年にこの作品のオーケストラ自筆譜が発見、公表されたたのでオーケストラ曲が原曲だった可能性が指摘されています。

 イタリアのナポリ生まれのチッコリーニのリスト演奏は、CDの解説には「明晰な音色感と繊細な感性によって、詩情あふれる音楽を瑞々しく紡ぐ」と評され、これみよがしな腕自慢の演奏とは一線を画するとされます。それにしても、リストの作品は若い頃はあまり積極的に聴いてなかったので、いろいろ単純な疑問がわいてきます。このところのリストのCDを聴いていると、リスト弾きとショパン弾きを兼ねているピアニストは案外見当たらず、両者の作品はそんなに質的に違うのだろうかと思いました。

130509   リスト(1811-1886年)は、1848年から1859年までワイマールの宮廷楽長を務めていましたが、この期間に交響詩の大半やピアノ曲「巡礼の年 第1年」、「誌的で宗教的な調べ」、「コンソレーション」等の代表作を作曲しています。その後リストは1861年にローマへ移り、二年後にヴァチカン近くのマドンナ・デル・ロザリオ修道院に入りました。そして下級聖職者の叙階を受けています。 現在では叙階と言えば、司教、司祭、助祭ですが、第二ヴァチカン公会議以前の当時は「侍祭、祓魔師、読師、守門」という聖職もあったようです(妻帯可らしい)。「二つの伝説」は、ちょうどその頃(1861年から1863年)に作曲され、教皇ピウス9世が修道院を訪問した際にリストが御前で演奏したと伝えられます。ちなみに「巡礼の年第3年」は、これらの作品の後、1877年に作曲された晩年の作品です。

 二曲とも題名にフランチェスコの名を持つ聖人が入っていますが、それぞれ別人で第一曲目はひときわ有名な「アッシジの聖フランチェスコ(1182年頃~1226年)」、第二曲目はその没後約二百年後にイタリア、パオラで生まれた「パオラの聖フランチェスコ」です。正式には 「聖フランシスコ(パオラ)隠世修道士」です。以下、女子パウロ会(聖人カレンダー)の解説です。「彼はサン・マルコのフランシスコ会修道院に入り、創立者のアッシジの聖フランシスコの精神を徹底して生きようと、14年という長い期間、黙想と断食、苦行という厳しい隠修生活をした。そんな彼の生き方に従う者が次第に増え、この人たちはアッシジの聖フランシスコ小修士会と呼ばれるようになり、1493年に『最も小さき者の会』となった。」

 二曲目・水の上を歩くパオラの聖フランチェスコは、「のだめカンタービレ」の中でも登場します。パリ篇、ヴノワ家での演奏会のプログラムの一曲で、モーツアルトヲタの当主が、好きなモーツアルトの曲が終わったから寝ていようとしたのを叩き起こされる場面です。ただ、このCDで聴くかぎりは冒頭からびっくりするような大きな始まる曲ではありません。

 ところでリストが修道院へ入った直接的な契機は、約十年間待ち望んだヴィトゲンシュタイン侯爵夫人カロリーネとの結婚式が前夜に取り消されたことで、相当なショックだったようです。ただ、それまでのリストはマリー・ダグー伯爵夫人との事実婚生活の中で三人の子供が生まれているものの、彼の熱狂的フアンの女性群を相手に「取っては食べ、ちぎっては食べ」的な奔放な生活をしているので、いきなり修道院、叙階という変貌に違和感をぬぐえません。

8 5月

リストの超絶技巧練習曲 ボレット・1985年

リスト 超絶技巧練習曲 Études d'exécution transcendante ” S.139

ホルヘ=ボレット:ピアノ

(1985年3月 ロンドン,セント・バーナバス教会 録音 DECCA)

 平日昼間の映画村(東映太秦)はどうなっているのかと、ふと気になって今日の午前中出かけたついでにお昼頃に映画村の前に寄りました(さすがに中には入らない)。観光バスが何台か止まっているのが見え、あいかわらず遠足や修学旅行の定番かと思いながら、その辺で昼食にしようと店を探しました。映画村の入口周辺の店はどうも夜の方がメインのように見え(あるいは定休日だったのか)、北方の新丸太町通へ出ました。今日は勝手にノー・カー・デーと決めて公共交通機関で移動していたので、結局ちょうどバス停へ到着した路線バスに乗って戻ることにしました。かつてNTTの社宅が何棟か建っていた所が、取り壊されて映画村の平面駐車場になっていたので商売繁盛なのだろうと思いました。

130508  ハンガリー(オーストリア帝国領内ハンガリー王国と呼ぶらしい)生まれのリスト(1811-1886年)は、義務教育の音楽の時間では「ピアノの魔術師」と教えられ、音楽室の肖像や風刺画とともに記憶に残っています。「超絶技巧練習曲」は最初は1826年、リストが15歳の年に出版され、次いで1837年に第2稿が出版されました。そして部分的改作を経て1852年、リストが42歳の年に第3稿が出版されましたが、それが今回のS.139に当たります。下記の十二曲から成り、④のマゼッパは交響詩に改作されています。

 また、⑤鬼火は、「のだめカンタービレ」に登場し、のだめがマラドーナ・ピアノ・コンクールの二次予選で弾いています。ピアノもエレクトーンも習ったことがない私がこのCDを買ったのは、「のだめ」に出ていたからで、それまではラジオやテレビで部分的に聴いたくらいでした。全12曲は難曲であっても必ずしもキラキラの派手な楽曲ではなく、変化に富んでいます。第9曲、第11曲は優美で静かな曲で、特に後者はさらに後に作曲される「詩的で宗教的な調べ」の先駆のような作品と評されています。

① ハ長調 前奏曲 - Presto
② イ短調 - Molto vivace a capriccio -Molto vivace
③ ヘ長調 風景 - Poco adagio
④ ニ短調 マゼッパ - Allegro patetico -Allegro
⑤ 変ロ長調 鬼火 - Equalmente -Allegretto
⑥ ト短調 幻影 - Largo patetico -Lento
⑦ 変ホ長調 英雄 - Allegro deciso -Allegro
⑧ ハ短調 狩り - Presto strepitoso -Presto furioso
⑨ 変イ長調 回想 - Andantino
⑩ ヘ短調 - Presto molto agitato -Allegro agitato molto
⑪ 変ニ長調 夕べの調べ - Lento assai -Andantino
⑫ 変ロ短調 雪かき - Andantino -Andante con moto

 「超絶技巧練習曲」なら出来るだけ速く、突っ走るように弾くことを想像しますが、演奏当時は70歳だったボレット( 1914年キューバ、ハバナ生まれ、1990年アメリカ、マウンテンビュー没 )は、情感にも強く訴える演奏で特に第9曲、第11曲が素晴らしいと思いました。1986年のグラモフォン誌においても、「第9曲・回想の演奏でボレットよりも美しい演奏を滅多に聴いたことはない(ジョーン・チッゼル女史)」と評されています。

 ブダペストのリスト協会が1974以来毎年選定する「リストのディスクの国際大賞」に、ホルヘ・ボレットは1986年に選ばれています(リスト作品集6巻-ヴェネツィアとナポリ、エステ荘の噴水、孤独の中の神の祝福、バラード第2番)。このようにボレットはリスト演奏で定評があり、クラウディオ・アラウ(1903-1991年、チリ生まれ)より11年若い世代ですが国際的に評価が高まったのは何故か遅く、1970年代に入ってからでした。

7 5月

リストのピアノソナタ ラザール・ベルマン 1975年

リスト ピアノ・ソナタ ロ短調 S178

ラザール・ベルマン:ピアノ

(1975年 モスクワ 録音 Venezia)

130507  昨日5月6日、京都大学で村上春樹の講演があり、TVのニュースでも取り上げられました。事前に新聞で聴講者の募集がありましたが、会場からして何となく敷居が高く、文芸関係者でも無いので応募もしませんでした。会場入り口の様子や参加者がTVで映り(講演は録音、撮影禁止)、海外からの取材もあったのでやっぱりお呼びじゃないと思いました。冒頭のまくらでは、「三条大橋西詰の「がんこ」前で声をかけられて入ったけど、本当は蕎麦が食べたかったんだけどね」と話されたそうでした。それなら「がんこ」の西側至近、三条木屋町のビル三階に蕎麦屋があったのにと、余計なお世話ながら思いました。

 村上春樹の新刊「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」の中でラザール・ベルマンによるリストの「巡礼の年」が登場したことから、タワーレコードの店頭でもそのCDが目立つところに置かれていて、もうすぐ国内盤で再発売されるようでした。「巡礼の年」はさて置くとして、その小説の中でリスト弾き・ピアニストについて次のようなくだりが出て来ます。「リストを正しく、美しく弾けるのはそれほど多くいません。僕の個人的な意見では、比較的新しいところではこのベルマン、古いところではクラウディオ・アラウくらいかな」。同じリスト作曲のピアノ・ソナタの録音を聴くと、その見解は説得力があるように思います。

 リストのピアノ・ソナタは、近年急に関心が強くなった作品で、イリーナ・メジューエワの録音が特に気に入っています。今回のベルマンの録音はそれと似た呼吸ながら、さらにピアノの音が美しく、作品に没頭するような演奏で、この複雑な作品が強烈な一体感で現れます。演奏している会場で聴くことが出来たらもっと凄かっただろうと思いました(ギレリスがリヒテルと二人・四手でかかっても勝てないと言ったという話もまんざらではない)。

 このCDはラザール・ベルマンによるリスト録音集三枚組で、CD1枚目にシューベルトの歌曲をリストが編曲した作品の他、メフィスト・ワルツ 第1番 ハ短調と巡礼の年第2年への追加「ヴェネツィアとナポリ」、CD2枚目に超絶技巧練習曲、CD3枚目がハンガリー狂詩曲 第9番「ペシュトの謝肉祭」変ホ長調とピアノ・ソナタ ロ短調、という内容です。ピアノ・ソナタだけが1975年の録音(「巡礼の年」の2年前)で、それ以外は全部1960年代に録音されたものです。こららの中では「超絶技巧練習曲」が特に有名だったようです。それにしても、ヴェネチア・レーベルのパッケージのロシア語表記を見ると未だに冷戦時代のような錯覚に陥るのは偏見だがなかなか治らない。

130507a  このCDを購入する前に件の「巡礼の年・全曲」ベルマン盤を買って持っていましたが、実はピアニストのベルマンどころかリストの作品についてもそれ程知らず、巡礼の年が全曲収録されているCDが少なく、DG・ベルマンのセットくらいしか無かったから買ったものでした。1930年、レニングラードのユダヤ人の両親の下に生まれたベルマンは、移住したモスクワの音楽院で学びました。1951年にベルリンの国際青少年音楽祭、1956年にはリスト国際コンクールに優勝して東欧で活動を始めて注目されました。その後、1960年代に入り演奏活動を控えるようになり、1975年にアメリカデヴューを果たして大成功します。その後イタリアに定住し、2005年2月6日フィレンツェの自宅で亡くなっています。

 ところで、日本共産党の機関紙「赤旗」日曜版・2013年5月5日号に、早くも松木新氏による「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」の書評が載っていました。友人の灰田が突然消えるエピソードが読者の想像力に委ねられたとしても中途半端、相変わらず性描写が過剰なことにはうんざりしたとしながらも、3.11への作者の思いが投影されているとして肯定的な内容でした。( 「悲痛な叫びを含まない静けさはなく、血を地面に流さない赦しはなく、痛切な喪失を通りぬけない受容はない。それが真の調和の根底にあるものなのだ 」 、「記憶をどこかにうまく隠せたとしても~それがもたらした歴史を消すことはできない 」と引用して。)

24 4月

リストのピアノ・ソナタ アニー・フィッシャー

リスト ピアノ・ソナタ ロ短調 S178

アニー・フィッシャー:ピアノ

(1953年 録音 HUNGAROTON)

130423  昨日のお昼にカレーを食べた時、待っている間に週刊誌をめくっていると四コマ漫画ではやくも村上春樹の新作がネタにされていました。また朝日の朝刊にも書評が載っていました。作品の真意についてはさて置き、作中でフランツ・リストのレコードがクローズアップされていました。リストのピアノ曲について、概ね次のように指摘しています。「一般的に技巧的な、表層的なものだと考えれているけれど全体を注意深く聴けば、その内側には独特の深みがこめられていることがわかります。しかし、それらは多くの場合、装飾の奥に巧妙に隠されている。」そんな作品の代表として「巡礼の年」が挙げられ、そうした意味で正しく演奏できるピアニストは多くないとしています。巡礼の年の録音については今回は触れませんが、リストに対するイメージは確かにそういうものがあると思いました。

 実際岩井宏之氏の評論か何かでショパンのリスト評を挙げて、リストのピアノ曲について似たような趣旨のネガティヴな論調で書かれていたことがあります。青少年はすり込まれ易いので、自分自身ピアノや他の楽器を習ったことがないので長らくリストの作品は積極的には聴いていませんでした。それは、ここ何年かでリストのピアノソナタが急に好きになり、時々聴いています。

 このCDはアニー・フィッシャー(1914-1995年)によるシューベルトのピアノソナタ第21番とリストのピアノソナタがカップリングされていて、前者が1968年、リストは1953年の録音です。どちらかといえばシューベルトの録音が良さそうですが、リストも音が今一つ良くないものの、生真面目な演奏で際立っています。

 アニー・フィッシャーは、ブダペスト生まれの女流ピアニストで、戦前に既に注目される存在でした。23歳で音楽評論家のアラダール・トートと結婚します。このトートが戦後クレンペラーをブダペスト歌劇場に招聘し、それがきっかけで後年ロンドン等でフィッシャーと共演することになります。フィッシャーの録音の中で、1977年から1978年にかけて録音されたベートーベンのピアノソナタ全集が有名で、第8番、22番、31番、32番等が特に素晴らしいと思います。とても女流とは思えない一貫した気迫で、時には刀鍛冶が槌を振るって刃身を鍛えているようです。晩年には来日していたので聴く機会はあったのに聴き逃し、今にしてすごく残念に思います。

 リストのソナタでもそういう演奏なら、複雑なこの曲が強い統一感を持って聴こえるだろうと思いましたが、そこまでの印象はありません。速目のテンポでやや神経質な演奏で、後年のベートーベンよりも繊細な演奏でした。曲全体の結合感、統一感と言う点なら先日のイーヴォ・ポゴレリチ盤(スクリャービンのピアノソナタ第2番とカップリング)ちなみにこの録音の三年後の1956年はハンガリー動乱がぼっ発して、ソ連軍がハンガリーに派兵されて多数の死者、難民を生みました。

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1 9月

リスト 孤独の中の神の祝福 アルド・チッコリーニ

リスト 詩的で宗教的な調べS117 ~第3番「孤独の中の神の祝福」

アルド・チッコリーニ:ピアノ

(1968年11月6,8,9、12月30日 パリ,サラワグラム 録音 EMI)

120901  このCDは先月1枚999円の廉価盤シリーズで再発売されたもので、チッコリーニ( 1925年ナポリ生まれ )によるリスト録音集二枚組です。「詩的で宗教的な調べ」、「二つの伝説曲」、「コンソレーション」とオペラ・パラフレーズ集が入っています。抜粋で演奏、収録される曲集が全曲入っているのがミソです。チッコリーニは同じEMIのドビュッシー録音集しか聴いたことがなく、あまり知らない(ブログ記事にピアノ曲が少ないように、ピアノ曲は聴く頻度が低下する)演奏家です。ドビュッシーのほかサティーでも定評があるチッコリーニが、イタリア生まれでフランスに帰化したというのをこのCDの解説で初めて知りました。

 リスト(1811-86年)のピアノ曲集「詩的で宗教的な調べ」は、フランスの詩人ラマルティーヌの同名の詩集に影響されて1845~1852年にかけて作曲されました。下記のように十曲から成り、「孤独の中の神の祝福」はその三曲目で、十曲中最も大規模(演奏時間約15分)です。単独で演奏、録音されることもありブレンデル、アラウといったところの録音が有名だったようです。アラウの方はピアノソナタと併録されているので聴いて曲も演奏も好きになりました。このチッコリーニ盤の方がより聴き易いと思いました。

①祈り  "Invocation"   
②アヴェ・マリア "Ave Maria"   
孤独のなかの神の祝福 "Bénédiction de Dieu dans la solitude"  
④死者の追憶  "Pensée des morts" 
⑤パーテル・ノステル "Pater noster"   
⑥眠りから覚めた御子への賛歌  "Hymne de l'enfant à son réveil" 
⑦葬送、1849年10月  "Funérailles, Oct. 1849" 
⑧パレストリーナによるミゼレーレ  "Miserere, d'après Palestrina"   
⑨アンダンテ・ラクリモーソ  "Andante lagrimoso" 
⑩愛の賛歌  "Cantique d'amour

 アルフォンス・ド・ラマルティーヌ( 1790~1869年)というフランスの詩人は受験・世界史にも登場したかどうか記憶は定かでなく、リストのこの曲に出会わなければ邦訳を見ることなく終わったかもしれません。「孤独の中の神の祝福」という言葉から単純に連想されるのは、健康を損なったり獄に繋がれたりして、周囲との交わりが損なわれて孤独を感じる中でも、神との交わりは一層密になって喜びに満たされる、そういう恵みです。そんな歌詞内容のある種の讃美歌等には一種勝ち誇るような響きも見え隠れして、何だかなあと思ってしまいます。ラマルティーヌの詩の邦訳を見ると、ちょっとそんな雰囲気が無きにしもあらずです。

 一方リストの曲から受ける印象はそういった単純なものとは違うようです。本当のところは分かりませんが、「神との交わりが損なわれた、断たれたのではないか」という不安にさいなまれる孤独を念頭に置いているのではないかと思えます。

 リストは54歳の頃ローマの修道院に入り、修道者(正しくは終生請願の修道士ではないようである)としての生活をはじめました。日常の生活に振り回される我々一般人には未知の領域ですが、修道生活をキリストとの霊的な婚姻と表現される場合があります。文庫化されたカルメル会の著作を読んだことがありその中で、最初の頃の(請願をした当初とか)感動、熱意、自分の心が熱くなるような高揚が消えて、まるで砂漠の中に居るような無味乾燥な気分になるのが通常で、そこからが本当の始まりだとしています。これは現代の一般人の洗礼や堅信後についても示唆する内容かもしれません。

 厳密な定義は分かりませんが、無味乾燥で神との交わりが絶えたと思われ、これからも絶えたままの状態になるのかと思える時にも、神の側では最初の頃と少しも変わらず(~ヘブル13.8)、神の祝福は人間の感情の浮き沈みの次元にとどまるものではない、くらいの内容だと受け取れます。「じゃりんこチエ」という漫画の中で主人公チエの祖母キクが、「そやからいうて神さんのアホー、なんて言うたらテツ(チエの実父、博徒同然の生活をする)みたいになってしまいまっせ」と諭す場面があります。まったく関係ありませんが単純明快な、「孤独の中」で「神の祝福」を受け取り損なわないための警句になっています。

 リストの修道生活は結局どうだったのか分かりませんが、ワーグナーとは和解できたので内面的には格別の実りがあったのではないかと思えます。

9 6月

リストのピアノ・ソナタロ短調 メジューエワ

リスト ピアノ・ソナタ ロ短調 S178

イリーナ・メジューエワ(ピアノ)

(2011年4月,6月,9月 富山県魚津市,新川文化ホール 録音 若林工房)

120609  これは 昨年の大震災後にいつも通りに日本国内で録音されたアルバムです。曲目は下記の通りで2枚組で、メジューエワ初のリスト・アルバムです。昨年12月に京都市のJEUJIYA三条本店で、このアルバム発売を記念したインストア・ライヴがあり、聴きに行きました。その時本人の話で、従来はリストの作品はあまり関心が無かったけれどソナタだけはいつか弾いてみたいと言われました。CDも当日に買って、夜帰宅する時に車中でまず聴きました。若林工房からは、ベートーベン、ショパン、シューベルト、シューマンを録音していました。それらの何種か聴いていますが、音質が良いのも魅力です。

CD1
愛の夢 第3番
メフィスト・ワルツ第1番(『村の居酒屋での踊り』)、コンソレーション第1番~第3番、ラ・カンパネッラ、ピアノ小品 変イ長調 S.192-2、夢の中で(ノクターン) S.207、ピアノ小品 嬰ヘ長調 S.192-4、エステ荘の噴水(『巡礼の年』第3年より)、カンツォーネとタランテラ(『巡礼の年』第2年補遺『ヴェネツィアとナポリ』より)

CD2
ピアノ・ソナタ ロ短調
子守歌 S.198、瞑想 S.204、忘れられたロマンス S.527、トッカータ S.197a、悲しみのゴンドラ第2番 S.200-2、ピアノ小品 嬰ヘ長調 S.192-3、P.N.夫人の回転木馬 S.214a
暗い雲 S.199

 リストのピアノ・ソナタロ短調は、実のところこのCDを聴くまでたいして感心が無く、CDは持っていても1度聴いたくらいで忘れていたものもありました。それが、車の中で最初に聴いた時から急に関心がわき、惹きつけられました。それ以後、先日のホロヴィッツも含めて何度か違う演奏家のCDを聴きながら、やっぱりメジューエワの演奏の鮮烈さが一番分かりやすいように思えました。しかし、結局今になって何故この曲に惹かれるのか、この曲が表現しようとしている内容は何かとか、分からないままですが、メジューエワの演奏で聴いているとベートーベンのピアノ・ソナタからずっと繋がっている世界のように思えました。

 CDで聴くメジューエワのピアノは録音状態の影響もあって、非常に美しくそれだけでも魅力です。リストのピアノ・ソナタは冒頭から強目、大きめの音(他のCDと比べても)が印象的で、最初から一貫して克明な響きです。ライヴのお話では、リストの後期作品に関心があるようだったので、今後のアルバムも楽しみです。

 先日、昼食後に京都市役所の近くをダラダラと引きずるように歩いていると、向こうから外国人の女性が歩いて来るのが見えました。やがてすれ違いましたが、どうも見たことがある顔だと思い、ま近になった時ピアニストのイリーナ・メジューエワに似ている、あるいは本人じゃないかと気が付きました。まさか確かめるわけにもいかず(人違いならきもいオッサンだと思われる)、そのままにしましたが、年かっこうから髪型までピッタリでした。というわけで、あまり理解していないリストのピアノソナタのCDをとりあえず記事投稿しました。

31 5月

リストのピアノ・ソナタ ホロヴィッツ 1977年

リスト ピアノ・ソナタ ロ短調 S178

ヴラディーミル・ホロヴィッツ:ピアノ

(1977年 録音 RCA)

120531   1903年生まれのホロヴィッツが初めて来日したのが1983年、80歳になる年で、その後亡くなる3年前の1986年にも来日公演をしています。このCDに収録されたリストのピアノソナタは、初来日の6年前の録音です。故、吉田秀和氏が初来日したホロヴィッツを骨董品で、ヒビが入っていると評した逸話も有名です。正確な言葉、前後の文脈や真意、妥当性等一筋縄でいかないとは思いますが、1980年にウィーン国立歌劇場の引っ越し公演があり、これで終戦後主だった歌劇場、楽団のほぼ全部が出そろったことになり、一流のクラシック音楽の消費国に仲間入りしてそろそろ日本の聴衆も受け身一辺倒から次の段階へ進む時期だったのかもしれません。

 中学くらいの頃、音楽史の各時代について短い文章を集めた本を図書館で見つけて読み、知らないうちに結構刷り込まれていました。リストについて、ショパンのピアノ曲と比較して演奏技術を披露することを主眼としていて内容が薄いという論調でした。それはリストの主に初期作品に対するショパンの見解を基本にしていたようで、以後かなり影響されました。しかし、リスト(1811 - 1886年)は75歳まで生きているので、創作時期も長くに渡ります。また晩年は助祭か何かの叙階(叙階と言うのかどうかわからないけれど)を受けて、宗教的な作風に傾斜しています。

 ピアノ・ソナタ ロ短調は1853年に作曲され、シューマンに献呈された大作・問題作です。単一の楽章で、下記のような速度表記が付けられています(CDは1トラックだけの場合も多い)。上記のような評論本の影響で、リストはあまり聴いていませんでしたが、昨年12月以来この曲に強烈に惹かれています。何度となく聴いていながら曲の全体像が把握できないというか、覚え難い状態のままです。よく分からないけど、圧倒されるといったところです。

Lento assai - Allegro energico - Grandioso - Andante sostenuto - Quasi adagio - Allegro energico - Piu mosso - (Cantando espressivo) - Stretta quasi Presto - Presto - Prestissimo - Andante sostenuto - Allegro moderato - Lento assai

 ホロヴィッツ晩年の録音であるこのCDは演奏時間が30分で、アルゲリチより4分以上長くなっています。もっとも、ポゴレリチは約33分ともっと長い演奏時間です。ひびが入ったかどうかはともかく、若い頃の演奏とは当然違っています。しかし、ドギツイというか濃厚というか、ますます曲の全容が分からなくなる演奏です。それでも圧倒的に注意を喚起させて振り返り続けさせられる演奏です。あまりコメントする言葉が見つかりませんが、老境に入って衰えたとしてもその年齢での聴きどころがある巨匠であるのは確かだと思いました。

 ちょっとした短い文章でも、若い頃に読んだものは結構影響力があるものだと思いました。今日で五月が終わります。今年の五月は天候と同じく不快な日々が続き、例年以上に散漫に過ぎました。こんな気分の時に、シューベルトの「影法師」とかリストのピアノソナタが浸みわたるような気がします。リストのピアノソナタも生で聴いてみたい曲です。

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raimund

昭和40年代生まれ、オットー=クレンペラーの大フアンです。クレンペラーが録音を残したジャンルに加え、教会音楽、歌曲、オペラが好きなレパートリーです。

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