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新・今でもしぶとく聴いてます

モーツアルトSym.25

27 5月

クレンペラー、POのモーツァルト交響曲第25番のLP/1956年

20230527 -bモーツァルト 交響曲 第25番 ト短調 K.183

オットー=クレンペラー  指揮
フィルハーモニア管弦楽団

(1956年7月19,21-24日 録音 colombia/SAX5252)

 モーツァルトの交響曲の中でクレンペラーが公演で頻繁に取り上げて録音が多く残っているのが第29番です。第25番もライヴ音源がありますが数の上では29番の方がかなり多くなっています。作品の性格としては「第29番=アポロ的」、「第25番=ディオニュソス的」と評されることがあります。実際に作品全部通してを聴くとそんなこともなさそうですが、第1楽章の印象は確かにそんな感じと言えます。クレンペラー本人の性格は後者の要素が濃いと、数々の奇行的エピソードからはそんな風に想像できます。一方で指揮、演奏の性格としては逆で前者の要素が強そうです。クレンペラーの古くからの親友(数少ない?)の一人、哲学者のエルンスト・ブロッホはクレンペラー自身は少しも論理的でないけれども演奏はその逆という意味のことを話しています。

 今回英国盤・再発売のLPで改めて聴いてみると、第25番も第29番と同じように、木管楽器がまるで水面に浮かんで漂うようにきこえて余裕のある、一種の時空を超えたような魅力を感じさせます。この録音を最初に聴いた時は第29番とカップリングされたレコードだったので、第29番とは余計に作品の違い、演奏の差が感じられたのかもしれません。しかも、第29番は1965年に再録音 した方が組み合わされていたはずなので、演奏年代によるテンポの差も影響しているかもしれません。今回は初期盤ではありませんが、より最初の音質に近いとすれば、本来の演奏に近づけたかもしれません。それにしても第1楽章の疾走感はやはりクレンペラーにしては珍しいと言えるかもしれません。テンポだけなら1950年前後の演奏は似ていても、優雅さ、余裕というかそのあたりは違っています。

 これはA面にセレナーデ第13番の再録音、B面に交響曲第25番が入っていて、A面の後半とB面の冒頭に2楽章ずつヘンデルの合奏協奏曲 作品6.第4番が入ったレコードです。曲の組み合わせからも初期盤ではないようです。コロンビア・レコードの製品番号で1960年代途中まではSAX~という番号になっていて、盤面中央のラベルは初期のものは薄青い灰色のような地にCOLOMBIAという表記があるタイプです。次期は赤地に円の半分の形状の周囲に沿ってCOLOMBIAの字があり、中央に丸い赤地に白い音符の図柄が入っています。今回のLPは1968年に製造であり、そのラベルは音符の図柄であるのは共通でも背景が半円じゃなくて長方形になっています。何にしても自分が最初に聴いた国内盤の一枚1500円のLPよりは古いレコードです。

 なお、「クレンペラーとの対話(P.ヘイワーズ編)白水社」によればSAX5252という番号は、セレナーデ第13番とヘンデルのコンチェルト・グロッソの最初に発売されたレコードの番号になっていますが、第25番は上記本の再発売と最初の版では番号が違っています。後者では他の交響曲と一緒になった録音集の番号が記載されています。第25番の正真正銘の初期盤はどういう組み合わせで発売されたのだろうかと思います。
25 3月

モーツァルト交響曲第25番 テイト、ECO

220325aモーツァルト 交響曲 第25番 ト短調 K.183

ジェフリー・テイト 指揮
イギリス室内管弦楽団

(1989年 ロンドン,Abbey Road Studio no1 録音 EMI)

 このところ通勤途中に救急車をやり過ごす機会が増えています。コロナ感染者が減ってそれ以外の救急も活発になっているのか、自宅療養中のコロナの感染者は重症化して担ぎ込まれているのかよく分かりません。川端通を北上しているとしだれ桜が咲き出しているのが見えました。大相撲大阪場所、選抜高校野球、フィギュアスケート世界選手権(但し露抜き)に続いてプロ野球の両リーグが同時開幕もひかえ、春らしくなってきました。しかし人間界は決して麗しい春ではなく、日本は戦時ではないから野球もできていますが新型コロナによる死者がかなりの数になりました(それから自殺者も毎年)。

交響曲第25番ト短調K.183
第1楽章:Allegro con brio ト短調
第2楽章:Andante 変ホ長調
第3楽章:Menuetto ト短調-Trio ト長調
第4楽章:Allegro ト短調

220325b 長らく自宅の音響機器の設置を途中でやめて放置していたところ、ようやく体を動かす気になって少しずつ進めています。その中で接続していなかったKプトンの密閉型スピーカーをつないでテイトとECOのモーツァルトを聴いていました。全集の七枚目で最初に第31番パリ(これも素晴らしい)、次に第27番で第25番は三曲目におさまっていました。久しぶりに聴くと意外におとなしい第25番でした。第1楽章はクレンペラーの古い録音を思い出させる緊迫感だったと覚えていたのに、そういう奔放さが後退してきっちり調教されたような印象です。しかし全体的には魅力的で、特に第3楽章のトリオは優雅というかメヌエットと対照的に明朗な美しさです。

テイト・ECO
①10分01②6分25③3分45④6分53 計27分02

クレンペラー・PO/1956年 EMI
①06分38②3分45③3分35④4分58 計18分56

 密閉型のスピーカーがどうのと言ってもさして高価なモデルじゃないですが、聴いた印象は他の形式とはちょっと違います。後から普段のバスレフの方で聴くと記憶の中の演奏がよみがえってきました。クレンペラーのEMI盤のトラックタイムとの差が大きいのはリピート有無の関係でしょうが、第3楽章はどうなのかと思いました。

 古典派の作品を演奏するのはピリオド楽器が当たり前になって久しい昨今ですが、個人的にはクレンペラーのEMI盤でモーツァルト作品が好きになったのでどうしても通常のオケや室内オケのモーツアルトが未だに好きです。中でもテイトの全集やクリップスとACOの選集、カザルス、セルの選集あたりは年月を重ねても変わらず愛着があります。
10 5月

クレンペラー、ベルリンRIASのモーツァルト25番/1950年

210510bモーツァルト 交響曲 第25番 ト短調 KV.183

オットー=クレンペラー 指揮
ベルリン放送交響楽団(RIAS交響楽団)

(1950年12月20日 ベルリン=ダーレム,イエス・キリスト教会 録音 audite)

 去年の四月から秋くらいまでは居酒屋系の店がお昼時に弁当を販売していてチラシを配っているのを見かけました。それが今年の年明けの緊急事態宣言の前にはそういうチラシ配り、呼び込みはほとんど見なくなり、ランチ提供をする店が減っています。休業要請に応じている店の他、矢尽き刀折れた状態のところもありそうです。ロックダウンを繰り返したヨーロッパではワクチンが行きわたるにつれて感染拡大がおさまりつつあるとか、現地に居ないので実情はよく分からないものの、日本は後れをとっていると言えそうです。そういえばそろそろウィーン芸術週間とか「プラハの春 音楽祭」のシーズンですがどんな具合なのかと思ったら中止のニュースは見当たりません。

  これはクレンペラーが西ベルリンの放送交響楽団を指揮した録音集の内の一枚で、表記にはスタジオ録音となっています。1950年12月20日はモーツァルトの交響曲第25番と29番、前日にドンジョヴァンニ序曲、21-22日にセレナータ・ノットゥルナ、22-23日が交響曲第38番プラハ、と連続してモーツァルト作品を録音しています。他の年の録音はライヴとなっているものが複数あり、この年のモーツァルトはラジオで放送するためのものなのか、テープを上書き使用せずに保存されていたのは有り難いものです(テープは高価なので放送局によっては使いまわししたらしい)。

ベルリンRIAS/1950年
①6分03②3分43③3分17④4分37 計17分40
PO/1956年 EMI
①6分38②3分45③3分35④4分58 計18分56

 交響曲第25番はEMIのセッション録音が1種類あり、同じ調性の第40番の演奏と比べて疾走するような緊迫感に充ちた演奏なので強烈に印象に残りました。それより古い1950年の演奏なのでさぞ尖ってせわしないものかと想像していると実際はそうでもなく、このシリーズの音質の影響もあって、演奏時間の数字の割にかなり余裕のある印象です。翌日のセレナータ・ノットゥルナが特に軽快さが前面に出ていて、この年代のクレンペラーがこういう演奏だったのかと少々驚くくらいです。昔フィルハーモニア管弦楽団との第25番を聴いた知人はかなり驚いて、この曲のイメージが変わると言っていたのを思い出しますが、ベルリンRIASの方はそういうEMI盤によるこの曲とクレンペラーのイメージが修正されます。

 この時期のクレンペラーはハンガリー国立歌劇場の音楽監督を辞任した直後あたり、パリでVOXレーベルへシューベルトの交響曲第4番を録音した後でした。ウィーン交響楽団と運命、田園、ミサ・ソレムニスほかをセッション録音する前ということを考えると。それらのレコードとはだいぶ違い、もう少し後年の演奏のように感じられます。
30 1月

モーツアルト交響曲第25番 クレンペラー PO 1956年

モーツアルト 交響曲第25番ト短調K.183


オットー=クレンペラー  指揮

フィルハーモニア管弦楽団

 

(1956年7月19,21-24日 録音 EMI)

 これはクレンペラーによるモーツアルトの交響曲第25番、二度目のセッション録音です。一度目は1950年に「パリ・プロムジカ」という団体を指揮してVOXレコード(逸話で有名な)へ録音していて、その後EMI・フィルハーモニア管と契約して一連のレコード録音がスタートします。この録音はその初期のものです。クレンペラーが1954年以降にフィルハーモニア管弦楽とセッションしたモーツアルトの交響曲の内、第29番、第38~41番は1960年代に再録音していますが、この第25番はこれっきりで録音しませんでした。ライヴ録音(放送用等)では、1950年に西ベルリンのベルリン放送SOを、1951年にはアムステルダム・コンセルトヘボウOをそれぞれ指揮しています。結局録音として残っているモーツアルトの交響曲第25番は今回の音源が最新ということになります。
 

交響曲第25番ト短調K.183
第1楽章:Allegro con brio ト短調
第2楽章:Andante 変ホ長調
第3楽章:Menuetto ト短調-Trio ト長調
第4楽章:Allegro ト短調


 
実は個人的にクレンペラーの演奏の中でモーツアルトが一番好きで、オペラであれ、交響曲であれ、どれもかなり愛着があります。交響曲第25番は同曲の中でも筆頭くらいの位置を占めていて、10代の頃は友人が家に来た時はこれが入っているLPをかけて、またわざわざこれを持って家に行ってかけたこともありました。聴いた友人はかなり速いテンポで始まる演奏に驚いたと言っていました(速いだけでなく、品位に問題があるとも)。よく、クレンペラーの演奏は遅いと言われますが、一概にそうとは言えないことの代表がこれでした。


 
クレンペラーのフィルハーモニア管弦楽団時代より古い演奏は、時にでくの坊と批判されるような即物的を地で行きすぎて、変化に乏しいものだと言われます。EMIへ録音し出した1954年から1958年くらいまでの時期も、悪く言えばその名残があるように思えます。実際国内盤LPの解説にもそういう論調もありました。しかし、クレンペラーのフアンからすれば、意図的にというか、努めてザッハリヒなスタイルに傾倒しているのだと思えて、そこも魅力的です。クレンペラーはモーツアルトの作品に対して「デモーニッシュなもの」があると評して、そこを余人をもって換え得ない魅力と感じているようでした。とすれば、クレンペラーは、モーツアルトの中にあるその超時代的な、デモーニッシュのものを露わに表現することを目的としていると考えられ、少なくともその点は成功しているだろうと思います。手元にある国内盤LPの解説は、吉井亜彦氏が担当していて、概ねそういう内容の事柄を一般的に拡大して賛美しています(クレンペラーのフアンでもちょっと気恥ずかしくなるので原文は載せない)。

 下記はこのクレンペラー盤と、世代が近いクリップスの最晩年の録音の演奏時間です。クリップスの録音集の方も20番台の交響曲は特に力が抜けた柔軟な演奏で気に入っています。実際聴いてみると、両端楽章でのクレンペラーは物凄い緊迫感で、演奏時間の違い以上の差を感じさせられ、一気に引き込まれます。ただモーツアルトのこの年代の作品に対する表現として適切なのかはいろいろ意見があったことだと思います。クレンペラー指揮のモーツアルトのもう一つのト短調交響曲である第40番は、これ程突っ走るような演奏ではなく、深く沈潜するように始まるので、25番には特別な理解、思い入れがあるのかもしれません。
 

クレンペラー・PO(1956年)
①6分38,②3分45,③3分35,④4分58 計18分56
クリップス・ACO(1973年)
①7分51,②3分35,③3分44,④6分01 計21分11

 この第25番の録音はかつて、1枚1500円の廉価シリーズ「クレンペラーの芸術」の中に含まれていて、同じくモーツアルトの「アダージョとフーガ」(1956年3月)、交響曲第29番(1965年9月)、歌劇「コシ・ファン・トゥッテ」序曲(1964年10月)が併せて収録されています。交響曲第25番だけがキングスウェイ・ホールで録音され、後の3曲はアベイロードスタジオを使っています。たまたま交響曲第25番の時にスタジオがふさがっていたのか、この曲の演奏のためにあえてホールを使うことにしたのか定かではありません。演奏・録音会場とテンポの関係について、マタイ受難曲の冒頭合唱についての証言が残っています。クレンペラーは、音響が良いキングスウェイ・ホールでは最も遅くして、乾燥しているアベイ街のEMIスタジオではそれより速くなり、最も乾燥しているロイヤル・フェスティバル・ホールでは最も速く演奏していたそうです。

 先日他界したベルグルンドとイギリス室内管弦楽団のシベリウス(*ヨーロッパ室内管弦楽団との間違い、削除しないでとりあえず残して置く)から、テイトと同じオケのモーツアルトのCDを少し聴いている内に今回の音源を思い出しました。訃報を見るのはさびしいものですが、これはどうしようもありません。

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昭和40年代生まれ、オットー=クレンペラーの大フアンです。クレンペラーが録音を残したジャンルに加え、教会音楽、歌曲、オペラが好きなレパートリーです。

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