raimund

新・今でもしぶとく聴いてます

ブラームスの器楽、室内楽

22 12月

ブラームスのピアノ・ソナタ第3番 オピッツ/1989年

231223ブラームス ピアノ・ソナタ 第3番 へ短調 OP.5

ゲルハルト・オピッツ:ピアノ

*ベーゼンドルファー インペリアル
(1989年7月31日-8月3日 録音 RCA)


231223b ふるほん屋、古書店はここ二十年くらいは足を踏み入れないでいて、その間に京都市内も店舗数が減った気がします。森内俊雄の著作を単行本で入手しようとすると絶版らしきものが多く、文庫本化されたものも現在どうなっているのか分からない本があります。12月になって今年八月の訃報を知ってから改めて森内俊雄の単行本を読んでみると、どうも波長が合うというか妙に気になります。演奏家なり作家なり、映画でもどうも虫が好かない又はその逆という場合は多かれ少なかれあると思います。そう言えば三島由紀夫は太宰治を嫌っていたそうですが、それは鮨屋の支払いでは手の切れそうな新札を出したと言われる三島由紀夫ならそうなるだろうと、何となく分かる気がします。しかし、作品は自分の好みとして後者の方が好きです。

 ところで、ブラームス(Johannes Brahms 1833年5月7日 - 1897年4月3日)のピアノ作品の中で有名なものと言われてもすぐに曲の一部を思い出せるものはなく、二曲ある協奏曲がとりあえず思いあたり、それから晩年の小品があったなあ、くらいです。それが12月に入ったある日、ゲルハルト・オピッツ(Gerhard Oppitz 1953年2月5日 - )によるブラームスのピアノ独奏曲全集の最後の一枚を聴いていると、ピアノ・ソナタ第3番が入っていて、目のさめるような奔放さと清新さに少々驚いて、急に好きなって何度か繰り返して聴きました。リストのピアノ・ソナタに陽の光に当てたような、ロマン派という言葉が本当に似合いそうな作品です。オピッツはこの曲を1981年にも録音していたので、独奏曲を連続録音するだけのことはあるということでしょうが、正直この曲の演奏としてどうかとかはよく分かりません。

 有名なピアニストもこの曲をレコーディングしていたり、していなかったりでピアノ曲としての立場は微妙な位置のようです。ただ、
ブラームスはチャイコフスキーと並べて、かつて宇野功芳が著書の中でからかうような書き方をしていたことがあり、それを受けてかブラームスは鉛の兵隊を並べるのが好きでとか、内向的でどうのと、マイナスの意味で変人的な書かれ方をした解説を読んだことがありますが、そんな作曲者像に対する反証になる作品と思いました。冬の間は水を止めている用水路に田植えが近くなると水を流す時、その取水口あたりの勢いはなかなかのものかと思われ、この曲の最初の方は五月頃の天候と水の勢いが重なります。

ピアノ・ソナタ第3番 ヘ短調 作品5
第1楽章:Allegro maestoso
第2楽章:Andante espressivo - Andante molto
第3楽章:Scherzo. Allegro energico - Trio
第4楽章:Intermezzo (Rückblick). Andante molto
第5楽章:Finale. Allegro moderato ma rubato

 ブラームスのピアノ曲は、1851~54年(18歳になる年から)、1860年代(27歳から)、1892~93年(晩年・60歳になる頃)の三期に集中的に作曲され、最初の時期は三曲のピアノ・ソナタを全部作曲していました。ジャンルとしては歌曲は初期から晩年までほぼまんべんなく作曲しているのも特徴です。三曲あるピアノ・ソナタはその最初の時期に作曲していて、それ以後ピアノ・ソナタは作曲していません。第3番はブラームスが二十歳の頃、1853年に完成させました(どうりで爽やかさを感じる曲だったわけ)。第2、4楽章は冒頭にオットー・インカーマンの「若き恋」からの言葉が掲げられていると解説には出てきます。
16 12月

ブラームス弦楽四重奏曲第1 ラサールSQ/1978年のLP

221216ブラームス 弦楽四重奏曲 第1番 ハ短調 Op.51,No.1

ラサール弦楽四重奏団
ヴァルター・レヴィン(1stヴァイオリン)
ヘンリー・マイヤー(2stヴァイオリン)
ペーター・カムニツァー (ヴィオラ)
ジャック・カースタイン (チェロ)

(1978年12月 ハンブルク 録音 DG)

 このブラームスの弦楽四重奏曲のLPは店頭(ラ・ヴォーチェ京都)でたまたま見つけて購入したものでした。ラ・サール四重奏団はブラームスの弦楽四重奏曲三曲とシューマンのピアノ五重奏曲をLPで出していたようです(第1番と第2番で一枚、第3番とシューマンのピアノ五重奏という組み合わせ)。新ウィーン楽派の作品集、ベートーヴェンの後期弦楽四重奏曲集が特に有名で1982?年頃の「名曲名盤500(レコ芸編)」に載っていましたが、ブラームスは記憶に残っていませんでした。

 この演奏、録音は多分初めて(FMとかでも聴いていないはず)聴くはずですが、針を盤の端に合わせて下ろして再生が始まると、カートリッジやらの調整はまあまあ上手くいっているようで音も良好で、それ以上に演奏、作品に圧倒されました。「~らしさ」という観念、受け止め方は曖昧なもので年と共に変わるはずなのに、広告やら批評ではよく使われて、読めば何となく納得していたりします。ブラームスの室内楽の場合はオーケストラ作品以上に「渋い」という方向の事柄が付いて回りそうですが、ラサール四重奏団は鮮鋭と言えば良いのか、明快というのか、隅々まで光が当てられたような演奏に圧倒されます。たまたまアマデウス四重奏団の同曲CDを聴いていたので余計にラサール四重奏団の演奏が目立って聴こえました。

 ブラームスの弦楽四重奏曲の第1、2番は1873年に発表された作曲者が40歳頃の作品です。完成までに8年程かかって試行錯誤したようですが1876年に初演された交響曲第1番程は長くかけていないことになります。既にドイツ・レクイエム、ピアノ協奏曲第1番や二つの弦楽六重奏等の作品を発表した後でした。

 最近職場事務所にもレコードプレーヤーを使えるようにして、カートリッジはデノンのDL-103を付けて、昇圧トランスをかましました。そんなに頻繁に聴けないものの、とりあえずいつでも再生できるようにしました。邦画の「千利休 本覺坊遺文」の中で、奥田英二が演じる本覺坊が自身の草庵を訪れた有楽斎を前に、いつでも点てられるように炉に火を絶やさないようにしているというシーンがあり、それにならいました。小型のスピーカーながら良好に再生できました。それと今年は中々使えなくなった自宅のメインの装置に最近新たにアキュフェーズの純A級パワーアンプのエントリー製品を加えました。発熱が大きいとか出力に限度があるとされる純A級ながら、そもそも狭いところで大して大音量で聴けるわけじゃない環境なので一度は試してみたいと思っていたので購入しました。こちらのカートリッジはオルトフォンのSPUで、厚みのある音に聴こえます。
7 10月

ブラームスの弦楽五重奏曲第2番 ベルチャSQ、カクシュカ

171007bブラームス 弦楽五重奏曲 第2番 ト長調 作品11

ベルチャ弦楽四重奏団
コリーナ・ベルチャ=フィッシャー:vn1
ローラ・サミュエル:vn2
クシシュトフ・ホジェルスキ:va
アラスデア・テイト:vc

トマス・カクシュカ:va2

(2003年9月 サフォーク,ポットンホール 録音 EMI)

 さて、先月下旬からちょっとはまっていたブラームスの室内楽で、英国のベルチャ弦楽四重奏団によるブラームスです。弦楽四重奏曲第1番と弦楽五重奏曲第2番が入ったもので、特に五重奏の方が気に入っています。この曲は先に何度か取り上げようかと思ってアルバン・ベルク四重奏団のライヴ録音、ベルリン・フィル団員の演奏を聴いていて、何となく第2楽章以降の印象が弱くてそのままになっていました。このCDはベルチャ弦楽四重奏団が結成後九年くらい経って録音したもので、伸び伸びとしてすごく魅力的です。

 ブラームスの弦楽五重奏曲第2番は、当初交響曲として構想したものを1890年の夏頃から暮れに完成させました。交響曲から規模を縮小したくらいに疲れや枯渇を覚えていたからか、ブラームスはこれを完成させた後に作曲を止めることを表明しました。その後クラリネット五重奏、三重奏、ソナタやピアノ小品らを作曲しましたが、クラリネット奏者リヒャルト・ミュールフェルト(1856-1907年)の演奏を聴かなかったら本当にこの曲が最後になったかもしれません。

Streichquintett fur 2 Violinen, 2 Bratchen und Violoncell Nr.2 G-Dur 
第1楽章 Allegro non troppo, ma con brio ト長調
第2楽章 Adagio ニ短調
第3楽章 Un poco Allegretto ト短調
第4楽章 Vivace ma non troppo presto ト長調

171007a 
編成は弦楽四重奏にヴィオラを一本加えたもので、ブラームス以外ではブルックナーやモーツァルトらの弦楽五重奏も同じ編成です。シューベルトはチェロが二本、ドヴォルザークの五重奏曲にはコントラバスが一本加わる編成もあります。全曲の演奏時間が30分くらいになり、その内で第1楽章が1/3以上を占めています。その第1楽章は冒頭から鮮烈で、秋晴れの空を思わせる爽快さで進んで行きます(後続楽章はともかく、この調子で交響曲になっていたら一番の人気曲になったか?)。冒頭部分はヴィヴァルディの四季・秋の出だしを連想します。

 ベルチャ四重奏団は1994年にロンドン王立音楽院在学中の学生によって結成され、アマデウス四重奏団とチリンギリアン四重奏団に師事し、のちにアルバン・ベルク四重奏団にも教えを受けています。1999年の大阪国際室内楽コンクールとボルドー国際弦楽四重奏コンクールに優勝し、ヨーロッパ・コンサートホール協会が主催する「ライジング・スター」シリーズのイギリス代表にも選出されました。この録音は結成時からのメンバーにアルバン・ベルク四重奏団のメンバーであるトマス・カクシュカが加わっての演奏です。その後第二期、第三期とメンバーが入れ替わり、現在では英国の奏者が一人もいない構成です。関係ないことながら、ふと思ったのはイギリスにある有名なオーケストラはあまりブルックナーの交響曲を録音していない、少なくともロンドン交響楽団やフィルハーモニア管弦楽団、ロンドン・フィルは単独で全集録音はしていないはずなので、ブラームスの交響曲とは頻度が違います。
30 9月

ブラームス 四つのピアノ小品 アファナシエフ/1992年

170930ブラームス 四つのピアノ小品 作品119
第1曲:間奏曲 ロ短調
第2曲:間奏曲 ホ短調
第3曲:間奏曲 ハ長調
第4曲:ラプソディー  変ホ長調

ヴァレリー・アファナシエフ:ピアノ

(1992年3月9,10日 ライデン,スターツヘホールザール 録音 DENON)

 細かすぎて伝わらないものまねという番組が何年か前までシリーズ化されていました。経堂駅前のコンビニ店員とか落合選手のまね等色々ネタがありましたが、社民党から民主党へ移った辻本議員のまね「私、へこたれへん」が一番強烈で、滅多に大笑いしないのにそのネタだけは核爆発的に笑ってみていました。今回は場合によっては比例重複ができないかもしれず正念場です(別に私は党員でもなく、選挙区も違う)。地元の京都六区の衆議院議員は郵政解散時でさえ民主(民進)党が勝ってきましたが、どうも希望の党とは一線を画しそうなスタンスなので合流がどうなるのか。それに現職市長も民進系なのでこっちの方も寝耳に水じゃないかと思います。

 NHK・FMの「きらクラ!」は「秋のブラームス祭」で、ベスト3を投票で競うグランプリだけでなく、全曲がブラームスの作品でした。リスナーのお便りでは十代の頃に弦楽六重奏曲にはまったとか、その他晩年の作品がかなり含まれていてブラームス・ファンの裾野の広さに関心しつつ、自分はブルックナー党なのでちょっと焦りを覚えました(別に選挙があるわけじゃないのに)。それから「勝手に名付け親」の出題は、「間奏曲 ロ短調 作品119第1」で、放送されたCDが今回のものと同じでした。

 通勤途中の車の中で放送を聴いた時は鮮烈な印象で、今回は自分も「名付け親」に回答しようかと思うようなイメージがひらめきました。それで夜に自宅でこのCDを久々に聴いたら朝とは印象が違い、名付けのイメージも消えてしまいました。結局今週は同じブラームスの晩年作品でもピアノ小品以外の室内楽を取り上げてきました。ブラームスは弦楽五重奏曲第2番を作曲後にこれで作曲を止めると言い出して、そこからクラリネット五重奏曲をはじめクラリネットが入る室内楽を続けて作曲しました。今回の「四つのピアノ小品 作品119」は、クラリネット・ソナタを完成する前年の1893年の夏に作曲し、翌1894年3月7日にロンドンで初演されました。

 ヴァレリー・アファナシエフは解説の中で、「ブラームスの音楽は日本庭園のように季節のプリズムを通して味わわれるもの」として、晩年の作品については「秋と冬の気配にあふれていると思われる」と言っています。また、晩年の作品は「音よりも静寂へとつながっていく」と結んでいます。我々日本人好みな言葉ですが特に第1曲目の間奏曲ロ短調は全くその言葉がぴったりときます。朝起きたら庭にうっすら雪が積もっている光景が一瞬目に浮かびます。アファナシエフのこのCDはそれほど何度も聴いていなくて、同じDENONのクレスト1000のシリーズにあるバッハの平均律の方がずっと好きでした。久しぶりにこういうきっかけで聴くと、作品も演奏も魅力の再発見になりました。
29 9月

ブラームスのクラリネット五重奏曲 オッテンザマー/2014年

170929ブラームス クラリネット五重奏曲 ロ短調 作品115

アンドレアス・オッテンザマー:クラリネット

レオニダス・カヴァコス1Vn
クリストフ・コンツ:2Vn
アントワーヌ・タムスティ:Va
シュテファン・コンツ:Vc

(2014年10月 ベルリン,Nikodemus教会 録音 DG)

 9月29日は聖ミカエル、聖ガブリエル、聖ラファエル天使の祝日にあたり、ヨーロッパならぶどう等の収穫が佳境を迎える時期にも重なるとどこかに解説してありました。日本では今一つマイナーなのは仕方ないとして、調べるとキリスト教宣教の許可が出たのが1549年9月29日であったことから、ザビエルは聖ミカエルを日本の守護者と定めたそうなので、一応日本ともつながりがありました。地元の新聞では選挙区の民進党議員の動向が載っていて、なんでも人権擁護とか定住外国人の参政権を重視する議員は合流を認めないらしいので、もう一山くらいありそうです。それにこの急な解散という展開、半島情勢によっては拉致被害者救助のためとして自衛隊が半島に上陸するという事態も想定されているかなとか、色々想像されます(その前に安否も、総勢何人なのかも分からないわけで)。法律に続いて行動実績が先行すると憲法をそれに合わせるという格好になり、城攻め的な展開です。

 先日、NHK・FMの「きらクラ!」で「秋のブラームスまつり」をやっていて、今朝くらの涼しさになるとようやく秋を実感できました。そこでブラームスのクラリネット五重奏曲を再度、最新のCDで聴きました。この曲以降の作品はブラームスが一旦作曲を止める、引退を宣言してから再度完成させたものなので、とりわけ晩年とか人生終盤の境地ということを連想しがちです。しかしこれは最新、2014年の最新録音の上に、クラリネットのオッテンザマーをはじめ、若い演奏家が集まっているのでちょっと印象が違います。今週はブラームス作曲のクラリネットの室内楽作品を何度か取り上げました。どれも最晩年の作品であり、クラリネットの音色が独特に感じられ、何故か穏やかな天候の海辺を連想させられます。今回の録音でもやっぱりそうで、「今はもう秋 誰もいない海」じゃないけれど聴いていると晴天の海沿いの広い道が浮かんできました(内陸部に住んで夏も泳ぎに行かないのに何故だ??)。

170929a このCDは現在ベルリン・フィルの首席クラリネット奏者であるアンドレアス・オッテンザマー(Andreas Ottensamer 1989年 - )のソロ二枚目のアルバムにあたり、ブラームスのクラリネット五重奏曲の他、同じくブラームスのハンガリー舞曲やワルツとハンガリーの作曲家ヴェイネルの作品等を集めています。選曲はオッテンザマーの一家がハンガリー系であることから、慣れ親しんだ音楽という意味でもあるようです(二、三枚目の写真で中央を占めている大きなおじさんは、ハンガリー舞曲や狂詩曲で使われるツィンバロムの奏者でしょう)。

170929b 父のエルンストは今年の7月22日にまだ62歳で亡くなり、日本でも訃報が流れましたが、ウィーン・フィルの首席クラリネット奏者154をつとめていました。兄のダニエルも同じくウィーン・フィルの首席クラリネット奏者になったので、オッテンザマー家は剣法の柳生家のような環境です。その上アンドレアスはモデルまでこなすという、二物を与えられたうらやましい人物です。ヴァイオリンのレオニダス・カヴァコスはユジャワンと共演したブラームスのソナタの録音があったので、オッテンザマーと共にこの人も見たことのある顔でした。

28 9月

ブラームスのクラリネット三重奏曲 ライスター/2006年

170928aブラームス クラリネット三重奏曲 イ短調 作品114

カール・ライスター:クラリネット

フェレンツ・ボーグナー:ピアノ
インケ・フランク:チェロ

(2006年2月13-18日 オーストリア,フェルトキルヒ,コンセルヴァトリム・ 録音 カメラータ)

 十月が近づいてきて今日の昼には本当に衆議院が解散されました。おかげで「ひよっこ」の放送が昼休み時間に無かったらしく、夜になってそんな不満もきこえました(自分は事務所にTVを置いていないし、あってもその手のドラマは全然観ないので)。それにしてもフィクションの世界、ガンダム作品では連邦軍の一派、
A.E.U.G.(反地球連邦組織)がザビ家・ジオン公国再興を目指すアクシズと共闘しようとするのに、現実世界の政党は共闘が難しいようです。民進の代表は京都選挙区なので、あの党主導の知事が七期続いた時代への拒否感があるのでしょうか(代表よりも支持者か?ウオン・リーさんのように決して無理難題をおっしゃってるわけじゃないとしても)。選挙のことはさて置き、隣国の核兵器は結局なし崩し的に、対話のようなことを続けながら保有が固定化しそうで、そうでなければ今度はアフガンやシリアのような惨状にもなりかねません。

クラリネット三重奏曲 イ短調 作品114
第1楽章 Allegro イ短調
第2楽章 Adagio ニ長調
第3楽章 Andantino grazioso イ長調
第4楽章 Allegro イ短調

 ブラームスのクラリネット三重奏曲は、先日のクラリネット五重奏曲と同時期にされました。二曲のクラリネット・ソナタが1894年の作曲だったので、三重奏の方は約三年前の1891年の夏に完成し、初演もクラリネット五重奏曲に続いて(二日後)同年の12月12日にベルリンで行われました。初演の反応は五重奏曲が熱狂的だったのに対して作曲者当人は三重奏曲の方が好きだと言っていました。ピアノ三重奏のヴァイオリンがクラリネットに代わったという編成なので、この曲もクラリネット・ソナタ同様にかわりにヴァイオリンかヴィオラで演奏することもあるようです。ブラームスのクラリネット曲の中では一番地味な存在ですが、最晩年の澄んで枯れたような趣ではこの曲が一番かもしれません。この録音では特に第2楽章のクラリネットの音色が素晴らしくて、聴いているとはるか遠い地へ旅して来て一息ついて休んでいるような安堵感につつまれます。

170928b この録音はドイツのクラリネット奏者、カール・ライスター(Karl Leister 1937年6月15日 - )が69歳の年にセッション録音したもので、ツェムリンスキーのクラリネット三重奏曲とシューマンの「夜に」がカップリングでした。今世紀に入ってからの新しいものなのに、所々でLPレコードのノイズのような雑音が出てきます。ライスターは1968年にもこの曲をDGへ録音していて、その後ニンバス・レーベルへの録音しています。五重奏曲は四種?くらいあったので、三重奏曲もあるいは他に録音があるかもしれません。

 ピアノのフェレンツ・ポーグナーは1949年、ハンガリーのソンバトヘイ生まれでブダベストのフランツ・リスト音楽院で学んだ後、ソリスト、室内楽奏者として活躍しながら生地の音楽院で教えていました。1981年からオーストリアに移り、ライスターとも共演するようになりました。チェロのインケ・フランクはシュトゥットガルト出身で今回の録音がどうもライスターとの初共演のようでした(プロデューサー・ノートにはインケ・フランクの才能を発見したことも嬉しかったと書いてある)。
26 9月

ブラームス クラリネット・ソナタ第2番 ウラッハ、デームス

170926ブラームス クラリネット・ソナタ 第2番 変ホ長調 作品120の2

レオポルド・ウラッハ:クラリネット

イェルク・デームス:ピアノ

(1953年  ウィーン,コンツェルトハウス,モーツァルトザール 録音 ユニバール/Westminster)

  出勤時に色々なところで議員が辻立ち・演説をしているのを目にします。中には一年中やってる方もあるので解散云々とは関係ない人も居るはずです。それにしても解散はいつ決まっていたのか、内閣改造時には衆議院議長経験者にも大臣就任を打診していたので、その時点で解散が念頭にあったのなら、その長老級議員も了解済だったのか?と思いました。この調子で行けば与党の議席は減っても、どうも結果的に改憲に障りとなる勢力をせん滅しかねず、そうなれば本当に大政翼賛会的になり、1997年4月の本会議で米軍用地特別措置法改正案の特別委員長だった野中氏が注記した事態が現実になりかねません(その当時、また大げさなことをと思ったけれど)。

 さて、昨日のブラームス・クラリネット五重奏曲に続いて作曲されたクラリネット・ソナタの第2番です。ブラームスは1891年3月にクラリネット奏者リヒャルト・ミュールフェルトの演奏を聴いてから再び作曲意欲を取り戻し、同年にクラリネット五重奏曲とクラリネット三重奏曲を完成させました。それらA管のために書かれた作品に続き、1894年夏にB管のための作品である二曲のクラリネット・ソナタを作曲しました。初演は翌1895年1月7日にウィーンでミュールフェルトと作曲者のピアノによって行われました。

 クラリネット・ソナタとクラリネット三重奏曲は出版の際にクラリネットの代わりにヴィオラでも可と表記されたので、実際にヴィオラ版で演奏、録音されることもありました。この録音はウェストミンスター・レーベルから出ていたモノラルのLPを復刻したもので、ウィーン・フィルのトップ奏者だったウラッハ(Leopold Wlach 1902年2月17日 - 1956年5月7日)とウィーン・音楽アカデミーで学んだデームス(Jörg Demus 1928年12月2日)の共演です。同レーベルの当時のウィーンで活躍する演奏家による室内楽のシリーズ中では、このクラリネット・ソナタが今聴いても一番抵抗なく楽しめると思います。

 ブラームスの室内楽はドイツレクイエムとかと同じでどこか生活苦と日常生活の憂いのかげがさすようで、そういうのは現実の生活で間に合っているので、ちょっと重いというか息苦しいとい印象がありました。それは作品が凝っていて複雑(「きらクラ!」の中で遠藤さんが説明していた)ということも影響するようですが、クラリネット・ソナタの第2番はそういう趣とは違って、あらゆる重荷を下ろしたような明朗さが魅力と思えて、第1番よりも気に入っています(ヴィオラで弾くと第1番もしみじみと良いような)。
25 9月

ブラームスのクラリネット五重奏曲 ライスター、ベルリン・ゾリスデン

170925ブラームス クラリネット五重奏曲 ロ短調 作品115

カール・ライスター:クラリネット

ベルリン・ゾリスデン
ベルント・ゲラーマン:1stVn
ベルンハルト・ハルトーク:2stVn
ヴォルフラム・クリスト:Va
イェルク・バウマン:Vc

(1988年8月 ミュンヘン,マックス・ヨーゼフ・ザール TELDEC)

  山田耕筰作曲の唱歌「待ちぼうけ」、その歌詞に「しめたこれから寝て待とうか」というのがあり、2005年の郵政解散以後任期半ばに解散をする時は何となくこれを思い出します。あの時は街頭演説にそれまで見たことがないような人数が集まって凄い熱気だったのを覚えています。でもその当時からあった問題は十年以上経った今でも依然としてあり、一票の格差というシンプルな課題さえ積み残したままです(そういえば違憲状態だから選挙できないという話は何処へ?)。今回の投票日は10月22日は時代祭と鞍馬の火祭が重なり、京都市内は大変だというニュースもありました。

 今朝の通勤時にNHK・FMの「きらクラ!」再放送が流れてきて「秋のブラームス祭り」とのことでした。リスナーからのあついメッセージ、投票が紹介されていてクラリネット五重奏曲がグランプリ第三位になりました。アルフレート・プリンツとウィーン室内合奏団の演奏が抜粋で流れ、改めて良い曲だとしみじみ思いました。それで夜になってこの曲のCDを探すと、モーツァルトのクラリネット協奏曲とカップリングされたこれが出てきました(これは何度も聴いたので存在は忘れていなかった)。

クラリネット五重奏曲 ロ短調 Op.115
第1楽章 Allegro
第2楽章 Adagio
第3楽章 Andantino - Presto non assai, ma con sentimento
第4楽章 Con moto - Coda: Un poco meno mosso

 
あらためて聴いてみるとラジオで聴いたのとはちょっと違う印象で、鋭角的で金属の放つギラギラとした光沢とゴツゴツした感触でブラームス最晩年の澄んだ世界とはずれる感じでした。このCDはもともとモーツァルトの方が目当てだったので、最初に聴いた時の感想とあまり変わらないと思いました。それでも第2楽章はかえって引き締まり、ちょうど良いくらいかなとも思えました。それに第2楽章はテレビ番組、旅番組かそういう系統でBGMに使われたような気がしましたがよく思い出せません。

 ブラームスは弦楽五重奏曲第2番を完成させた1890年夏に作曲をやめると出版社に通知していました。「充実した霊感なしには作曲すべきではない」というモットーだったので、「今こそ作曲を止める時期」と判断したわけでした。ところが1891年3月に優れたクラリネット奏者リヒャルト・ミュールフェルト(1856-1907年)の演奏をマイニンゲンで聴き、感銘を受けて彼に会ってクラリネットについて学び、クラリネット三重奏曲とこのクラリネット五重奏曲を作曲しました。さらにクラリネット・ソナタ二曲やピアノ小品と作品は続きました。
25 1月

ブラームスのチェロソナタ第2番 フルニエ、バックハウス

160125bブラームス チェロ・ソナタ 第2番 ヘ長調 作品99

ピエール・フルニエ:チェロ
ヴィルヘルム・バックハウス:ピアノ

(1955年5月 録音 DECCA)

 先週は雪も降って本格的に寒くなり、何となくラーメン店に足が向きました。天下一品に入ったところベッキーのポスターはあるかなと思って探したら全く見つかりませんでした。創業者の写真やら屋台の写真があるだけで、どうやら一連のスキャンダルで取り外したのではなさそうです。それにしてても “ sentence spring ” 、新喜劇の単発ネタのような話、実話だとすれば何故簡単に外部に漏れるのかと。実話だとすれば、騒動でも大してめげてなくてキャッホーな気分だったんだなと妙な安堵感でした。去年夏に新京極三条に天下一品が移転してから中国人客をよく見かけます。店外の券売機で食券を買って注文するのでメニューが分からず長らく立ち止っていることがしばしばありました(決して並ぶ後ろの人間に譲らないのはさすが、別に期待していないが欧米人はどうぞと先に券を買わせてくれる)。寒さが厳しくなると編成の少ない室内楽、器楽曲が恋しくなることがあり、これはどういう仕組みなのかと思います。先日のピアノ三重奏にも参加していたチェロのフルニエも近年関心がわいてきた演奏家の一人です。

160125 ブラームスの二つのチェロソナタではどちらが有名だったかよく分からないけれど、自分の中では第2番の方がしっくり来て好きでした。かつてポール・トルトゥリエのCDは出ていないかと思って探しても見つからず諦めたことがありました。どうも録音はしているようですがCDは見たことがありません。それに対して彼の師匠筋にしてチェロの貴公子ことピエール・フルニエは少なくとも二度ブラームスのチェロソナタをセッション録音しています。このCDは旧録音の方でメインはバックハウスのようです(永遠のバックハウス1000という廉価シリーズ)。実際ピアノの方が(も、か)目立つくらいで、バックハウスはブラームスが一番素晴らしいのではないかと思えるくらいです。

チェロソナタ 第2番 ヘ長調 Op.99
第1楽章:Allegro vivace
第2楽章:Adagio affettuoso
第3楽章:Allegro passionato
第4楽章:Allegro molto


 チェロソナタ第2番ブラームスが53歳になる1886年8月に、四つの交響曲やピアノ、ヴァイオリン協奏曲を完成させた後に作曲しました。チェロソナタ第1番から20年以上も経過しています。第1番も四楽章として構想されたものの緩徐楽章が削除されて3楽章になりましたが、第2番は4楽章形式で規模も大きく、演奏するのにより技巧を要するようになっています。初演は同年11月にウィーンにおいて作曲者のピアノとハウスマンのチェロによって行われました。

 ピエール・フルニエ(Pierre Fournier 1906年6月24日 - 1986年1月8日)はパリ音楽院でアンドレ・エッカンに師事していますが、そのアンドレの従兄弟ジェラール・エッカンに師事したがポール・トルトゥリエ(Paul Tortelier 1914年3月21日 - 1990年12月18日)でした。トルトゥリエの説明でフルニエの孫弟子と書いてあったことがあり、それはどういうことだろうと思います。アンドレとジェラールの関係がどうなのか分かりませんが、フルニエとトルトゥリエ、二人は8歳差なので孫弟子というのはちょっとどうかと思います(今更どうでもいいけれど、そんな細かいよもやま話は好きな方なので)。
3 11月

ブラームス ヴァイオリン・ソナタ第3番 ヘッツェル、ドイチュ

ブラームス ヴァイオリン・ソナタ 第3番 ニ短調 作品108

ゲルハルト・ヘッツェル:ヴァイオリン
ヘルムート・ドイチュ:ピアノ

(1992年1月23-28日 ウィーン,カジノ・ツェーゲルニッツ 録音  Octavia Exton)

121103a  京都市営地下鉄・東西線の駅にある階段で、一段一段に「-0.1kカロリー」と表示されているところがありました。エスカレーターやエレベーターよりも階段を使うことを間接的に奨励していて面白いと思いました。しかし夏場は特にエスカレーターに流れがちです(地下深いとろに駅がある場合、結構階段は長い)。アルピニストが「そこに山があるから」登るなら、凡夫はエスカレーターがそこに無くて遠くても鹿が谷川の水を恋い慕うようにそっちの方に行ってしまいます。ついでに気が付いたのは、ここ十数年で街中にある歩道橋を渡っている人をほとんど見たことがなく、横断歩道の無いところでも歩いて車道を渡るのが普通になりました。

 このCDはウィーンPOのコンサート・マスターだったヘッツェルが登山中の事故で亡くなった1992年7月の、約半年前に録音されたブラームスのヴァイオリン・ソナタ全集です。結果的にこれが最後の録音となりました。さほど険しくない山に登って散策するのが趣味だったヘッツェルは、ザルツブルク近郊の山で滑落した時、反射的に手をかばったため頭を打ってしまったと言う話です。演奏家らしいと言えるのか、とっさの時は身を守ってしまいそうだと思え、筋金入りの音楽家です。CDにはヴァイオリン・ソナタが三曲入っていて第3番が最後のヴァイオリン・ソナタです。 

ヴァイオリン・ソナタ第3番 ニ短調 作品108
1楽章 Allegro ニ短調
2楽章 Adagio ニ長調
3楽章 Un poco Presto e con sentimento 嬰ヘ短調
4楽章 Presto agitato ニ短調

 この曲は1888年に完成し、翌年に出版されハンス・フォン・ビューローに献呈されました。交響曲第4番、ドイツ・レクイエム、ピアノ協奏曲第2番の後に作られた、ブラームスが55歳の頃の作品です。ブラームスのヴァイオリン・ソナタは「雨の歌」という題が付いた第1番があり、1879年に作曲しました。次の第2番は1886年に完成させたので、第3番と続けて作曲されたことになります。

 ヴァイオリン・ソナタ第3番は第2楽章のアダージョが特に突き抜けたような透明感が感じられ、交響曲第4番のようなブラームス色の作風から抜け出した印象を受けました。このCDの半年ほど前に録音されたデュメイ、ピリスのアルバムで聴いていると特にそう思えました。

121103b  このヘッツェル盤では、もう少し早い時期のブラームスの世界に引き戻される気がしました。ヘッツェルは早くからソロ・アルバムの録音を提案されながら、なかなか承諾しない完全主義者だったと伝えられます。このブラームスのアルバムが最初にして最後のアロアルバムになりました。ヘッツェルは1940年、セルビアのノヴィ・パルパス生まれで、母がルーマニア人、父がハンガリー人の外科医(第一次大戦前にウィーン来た)という家系であり、生粋のウィーンどころかオーストリア人でもありません(旧帝国領、あるいはローマ帝国の圏内なら含まれる)。

 昨日は万霊節・「死者の日」で、現代でもヨーロッパや南米では墓に花を飾ったり(献花以上の派手さ)独自の習慣が続いています。先日の、「何故自分だけが?」という話ですが、「聖母の騎士」誌先月号のブラザー・小崎登明師のコーナーが、「私たちは、神さまと、取引はできません」という言葉で始まっています。「これを果たしたから、恵をください。そう言えたものではない。」そのように続き、全くその通りだと思います。逆の状態、つまり本来なら面倒なトラブル、大きな事故になりかねないところを免れるということは意外にあるはずです。でもそんな時は「神様何故ですか?」と滅多に思わないものです。こっちのパターンには案外鈍感です。

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昭和40年代生まれ、オットー=クレンペラーの大フアンです。クレンペラーが録音を残したジャンルに加え、教会音楽、歌曲、オペラが好きなレパートリーです。

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