ゲルハルト・オピッツ:ピアノ
*ベーゼンドルファー インペリアル
(1989年7月31日-8月3日 録音 RCA)
ふるほん屋、古書店はここ二十年くらいは足を踏み入れないでいて、その間に京都市内も店舗数が減った気がします。森内俊雄の著作を単行本で入手しようとすると絶版らしきものが多く、文庫本化されたものも現在どうなっているのか分からない本があります。12月になって今年八月の訃報を知ってから改めて森内俊雄の単行本を読んでみると、どうも波長が合うというか妙に気になります。演奏家なり作家なり、映画でもどうも虫が好かない又はその逆という場合は多かれ少なかれあると思います。そう言えば三島由紀夫は太宰治を嫌っていたそうですが、それは鮨屋の支払いでは手の切れそうな新札を出したと言われる三島由紀夫ならそうなるだろうと、何となく分かる気がします。しかし、作品は自分の好みとして後者の方が好きです。
ところで、ブラームス(Johannes Brahms 1833年5月7日 - 1897年4月3日)のピアノ作品の中で有名なものと言われてもすぐに曲の一部を思い出せるものはなく、二曲ある協奏曲がとりあえず思いあたり、それから晩年の小品があったなあ、くらいです。それが12月に入ったある日、ゲルハルト・オピッツ(Gerhard Oppitz 1953年2月5日 - )によるブラームスのピアノ独奏曲全集の最後の一枚を聴いていると、ピアノ・ソナタ第3番が入っていて、目のさめるような奔放さと清新さに少々驚いて、急に好きなって何度か繰り返して聴きました。リストのピアノ・ソナタに陽の光に当てたような、ロマン派という言葉が本当に似合いそうな作品です。オピッツはこの曲を1981年にも録音していたので、独奏曲を連続録音するだけのことはあるということでしょうが、正直この曲の演奏としてどうかとかはよく分かりません。
有名なピアニストもこの曲をレコーディングしていたり、していなかったりでピアノ曲としての立場は微妙な位置のようです。ただ、ブラームスはチャイコフスキーと並べて、かつて宇野功芳が著書の中でからかうような書き方をしていたことがあり、それを受けてかブラームスは鉛の兵隊を並べるのが好きでとか、内向的でどうのと、マイナスの意味で変人的な書かれ方をした解説を読んだことがありますが、そんな作曲者像に対する反証になる作品と思いました。冬の間は水を止めている用水路に田植えが近くなると水を流す時、その取水口あたりの勢いはなかなかのものかと思われ、この曲の最初の方は五月頃の天候と水の勢いが重なります。
ブラームスのピアノ曲は、1851~54年(18歳になる年から)、1860年代(27歳から)、1892~93年(晩年・60歳になる頃)の三期に集中的に作曲され、最初の時期は三曲のピアノ・ソナタを全部作曲していました。ジャンルとしては歌曲は初期から晩年までほぼまんべんなく作曲しているのも特徴です。三曲あるピアノ・ソナタはその最初の時期に作曲していて、それ以後ピアノ・ソナタは作曲していません。第3番はブラームスが二十歳の頃、1853年に完成させました(どうりで爽やかさを感じる曲だったわけ)。第2、4楽章は冒頭にオットー・インカーマンの「若き恋」からの言葉が掲げられていると解説には出てきます。