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新・今でもしぶとく聴いてます

ショスタコーヴィチSym.10~12

21 6月

ショスタコーヴィチ交響曲第10番 ザンデルリンク、ベルリンSO/1977年

230622aショスタコーヴィチ 交響曲 第10番 ホ短調 作品93

クルト=ザンデルリンク 指揮
ベルリン交響楽団


(1977年2月19-11月14日 ベルリン,キリスト教会 録音 独シャルプラッテン)

230622b マイナンバー制度、昨今のトラブルはさて置きまだまだ不便な点はあります。この三月に母を見送ったのでその後、介護保険料の過払い分とか色々あって、それを払い戻しますので同封の書類を返送するよう求められました。その中に死亡による除去の戸籍謄本の写しも送れというのもあって複数回郵送しました。しかし、戸籍謄本を発行するのは市町村、区役所なので、コピーを何度も郵送するのは二重手間な気がします(そもそも死亡を把握したから払い戻しの手続きが始まって郵送してきている)。相続人筆頭が本物かどうかについても戸籍謄本で分かるのだから余計にそう思いますが、まあ、職員はみだりに戸籍情報を閲覧しないということのあらわれ、と理解しておこうと思います。この辺りを身を切って徹底的に人員削減して(派遣丸投げ)省力化すると、入力ミスやらまたトラブルが発生して我々の身の方がさらに深く斬られることになりかねません。

 気温が上り、不平不満が蓄積されると個人的な感情として、ショスタコーヴィチ作品の響きが何故か恋しくなりました。これは一面的な見方のあらわれだろうと思いつつも、例えば交響曲第10番の第2楽章なんかは聴いていて「負けてられるか」という気分がじわじわとわいてきます。
クルト・ザンデルリンクとベルリン交響楽団は東西冷戦のただ中の時期にショスタコーヴィチの交響曲を第1、5、6、8~10、15番を連続録音していました。特に第15番は有名で、1991年にクリーヴランド管弦楽団と再録音しています。第10番はカラヤンが二度もセッション録音したので東側のザンデルリンクはちょっと地味な存在ですが、かなり魅力的です。

 フィルハーモニア管弦楽団とのベートーヴェンはこれより後、1980年代の録音で、興味深いと思いながら、粘り絡み付くような感触から今一つ好きではありませんでした。しかし、そういうものがショスタコーヴィチ、特に第10番にはぴったりだと今回改めて思いました。第2楽章とか激しい曲のところよりも、静か(表面的に静か)なところの方が魅力的です。それから終楽章、最後の部分は率直に肯定するような精神で完結しているのか、上辺だけ勝利、肯定なのか、そんな風な解釈の違い、見解は分かれるようで、今回聴いているとますます後者の方じゃないかと思えてきます。それはこの曲だけに限らず、例えば交響曲第6番も微妙な終わり方、コーダから受ける余韻も似ている気がします。

 ザンデルリングが交響曲第2番、3番、11番、第12番を録音しなかったのは単に日程的にチャンスが無かっただけなのか、個人的に作品への共感が少なかったからなのか(クレンペラーがマーラーの第5、6を指揮しなかったような関係)、真意が気になります。それから第4番や第13番も。第13番なんかは政府の干渉はどうだったのかとか。
26 2月

ショスタコーヴィチ交響曲第10番 ネルソンス、ボストンSO

230226ショスタコーヴィチ 交響曲 第10番 ホ短調 作品93

アンドリアス・ネルソンス 指揮
ボストン交響楽団


(2015年4月 ボストンシンフォニーホール ライヴ録音 DG)

 少し前から高齢者が邪魔という内容の発言があり、ちょっと騒がしいところです。身内を在宅介護していると、どんどん衰えて自力でできないことが増えて同居人は時間を取られ、忙しく、仕事をしていると時間調整が苦しくなることがあります。しかしそれとは裏腹にいとおしいという気持ちがどんどん強く、濃くなってくるものです(別に元気な時はそんなに話をしたりしなかったのに)。それは自分の身内だからで、一種のエゴというか自己愛かもしれません。しかしヘルパーや訪問看護の方の仕事ぶり、ふるまいを見るにつけ、集団自決云々の話がくだらなくて軽薄なものだと思えてきます。ところで、十年以上前、東日本大震災、原子力発電所の事故から間もない頃に行われた兵庫県立文化芸術センターの定期で、ショスタコーヴィチのヴァイオリン協奏曲第1番、同交響曲第1番というプログラムの演奏が終わった後、指揮の井上道義さんが深刻な表情で指揮台付近に歩いて来られて、何かを言わずにおれない、しかし何かを言ってそれで即座に何か良くなるものでもないというような、もどかしさをかかえた(勝手にそのように見ているわけで)表情でアンコールとしてこの交響曲第10番の第2楽章を紹介して演奏を始めました。ショスタコーヴィチの醍醐味だと言われていたこと、震災・事故直後のこととあわせて印象に残っています。ヴァイオリン協奏曲第1番をソリストのベルキンは「冬の時代」の作品と称したそうですが、交響曲第10番はそれより少し後に完成されました。

 ネルソンスとボストン交響楽団の第10番を聴いていると、第1楽章の冷たい音楽にとり囲まれて体の芯まで冷気に刺し通される気分になり、雪解けとは遠いものだと思いました。ただ、ショスタコーヴィチ作品は特に作曲者の環境、特に権力側のご機嫌、反応(生易しいものではない)と絡めて色々なものを織り込んで解釈されてきました。今世紀に入ってのネルソンスの場合は、他の作曲家、例えばブルックナー等でもそうですが、色々な事柄から距離をとった、又は洗い流したような、透徹した美しい演奏なので違った印象を受けるかなと思っていました。

 第2楽章は荒々しさは前面に出ないで学級委員か生徒会の書記くらいの丹精さで、機能的に美しくきこえてきました(スターリンの影はどこかにいったような)。それでも第1楽章の冷たい空気がまだ続いているようでもあり、独特の作品観かと思いました。同じCDの最初に収められているパッサカリアの方が攻撃的な印象を受けましたが、これは作品の性質の違いなのか、とにかく新鮮な印象です。第3楽章も最初の楽章の演奏と共鳴するような内容で本当に体のなかに染み渡る(何が)ような感銘度です。

 演奏終了後には拍手の音声が入っていて、何となく屈託のない好評といった会場の雰囲気に感じられました。カラヤンが二度もレコーディングした作品でかなり当人は気に入っていたようでした。しかし、作品の性質としてコーダ部分は何故か手のひらから水がこぼれるような、歪のようなものを感じてしまいます。それこそが偏見かもしれませんが、今回のネルソンスの演奏を聴いていると、そういう印象はやっぱり付いてまわるものだと思いました。
12 2月

ショスタコーヴィチ交響曲 第11番 ネルソンス、ボストン/2017年

190212ショスタコーヴィチ 交響曲 第11番ト短調 Op.103「1905年」

アンドリス・ネルソンス 指揮
ボストン交響楽団

(2017年9,10月 ボストン,シンフォニー・ホール ライヴ録音 DG)

 先日、2月10日の日曜日、平成最後の建国記念日の前日だから街宣車でも出て「雲にそびゆるたかちほの~」と大音量で放送しているかと思えばそんなことはなくて、京都市内の繁華街は混雑していました。夕方に河原町三条からJR京都駅北口(烏丸口)まで路線バスに乗ろうとしたら、臨時のガラ空きのバスがやってきました。とりあえず座ってのんびり行けると思ったら、運行経路が祇園から東大路通を南下して七条通烏丸へ出るという遠回りの上、超渋滞コースでした。どうりで例外的に空いているわけで、このバスは清水寺の帰りに京都駅方面まで乗る人がターゲットなので、四条より手前で乗る人はまれだということでした。やがてそのバスも大混雑になり、満員のためバス停通過、乗車できない人も多数ありました。それに入口の扉から離れて立つよう反復してアナウンスがあり、それが段々と怒気を帯びて来るのがわかり、旧ソ連、共産圏の乗り物だったらもっときつかったことだろうと思いました。

 さてショスタコーヴィチの交響曲第11番、その2月10日に発作的にネルソンスのショスタコーヴィチがあったなあと思い出し、とりあえず店頭に置いてそうなところへ立ち寄るために河原町通に出て、それでそのバスに乗って帰ることになったわけです。ネルソンスならブルックナー(ライプチヒ・ゲヴァントハウスO)の方に関心があり、そっちを聴いていたのでブルックナーとショスタコーヴィチを並行録音というのが何となく興をそがれる気がしてブルックナーだけにしていましたが、ハイティンやインバル、ヤンソンスらはマーラーも含めてレパートリーにしているのでどうということはないかと思い直しました。

 実際に聴いてみるとブルックナーを演奏している時と同様に、徹底的に澄み切った蒸留水のような澄んだ響きが前面に出て、特定のメッセージ(抗議とか糾弾
とか)を表現していることを感じさせるスタイルとは違い、細部まで隅々に渡り作品の全容を露わにするような明晰な演奏でした。そういう場合攻撃的、あるいは鋭い刃物をま近で見るような感情を呼び起こされがちかと思いますが、聴いていてもきわめて平静で、整然とした美しさに感嘆するような気分でした。それに、何となくボストンSOとライプチヒ・ゲヴァント・ハウスOの違いがよく分からない気がしました。

ネルソンス・ボストン/2017年
①17分15②18分46③12分28④14分10 計62分39
キタエンコ・ケルンGO/2004年
①16分57②19分51③13分27④15分02 計65分17
バルシャイ・ケルンRSO/1999年
①15分27②18分44③11分28④14分17 計59分56
ポリャンスキー・ロシアステイトSO/1995年
①18分59②22分12③16分19④15分57 計73分27
N.ヤルヴィ・エーデボリ/1989年
①13分49②17分01③10分30④13分30 計54分50

 過去のCDで演奏時間をながめると、ポリャンスキーとN.ヤルヴィの最長短のラチ内に収まっていて60分強くらいが目安のようでした(これくらいの数じゃ分からないけれど)。個人的にこの作品で気になるのは、第2楽章の請願に来た民衆の列に軍が発砲する「銃撃のリズム」の箇所で、ここはゆっくりと演奏する方が不快感が増して単に情景を描写しているのみでなくて人間が非人間的なもの、機械的で血の通わないものに飲み込まれてしまう酷さを連想させる気がしていました。そういう演奏が作曲者の意図に合致するかは別にして、バルシャイやロジェストヴェンスキー、ポリャンスキーあたりの演奏を聴くとこの作品にも音符以外の事柄がいっぱい詰まっているような気がしてきます。今回のネルソンスはその正反対でかなり速く、突っ走るようにその箇所を演奏していました。しかし最初から一貫した清澄にして整然としたスタイルなので、今まで経験したことのないような美しさに圧倒されます。二枚組の第4番の方はまだ聴いてませんがそっちの方はさらに凄そうです。
15 7月

ショスタコーヴィチ交響曲第11番 井上道義、大PO/2017年

170715bショスタコーヴィチ 交響曲 第11番 ト短調 作品103 「1905年」

井上 道義 指揮
大阪フィルハーモニー管弦楽団

(2017年2月17,18日 大阪フェスティヴァルホール ライヴ録音 EXTON)

170715a 昨夜と今日の午後、井上道義と大阪フィルらによるバーンスタインの「ミサ」がの公演がありました。“ Mass- A theatre piece for singers, dancers, and players ” というタイトル通りに舞台セットを備えてダンサーやロックバンド等も登場した上演だったので、音声だけで聴いていた時に今一つ分かり難かったところが眼前に広がって強烈でした。舞台中央からやや下がった辺りにカトリック教会の祭壇らしきものがあり、そのさらに奥に大編成のコーラスがひな壇に並んでいます。その反対、ステージ手前にストリートコーラスが街の住人のいで立ちで並んでいます。通常聖堂内では祭壇側には司祭や奉仕者くらいしか居らず、かつては司式司祭も祭壇の方を向いていたので、神の方と我々の方というのがはっきり分かる構造ですが、今日の舞台では相対的というか、司祭も腰が据わらない風で、どっちを向け良いのか分からないという様子が浮かびあがります。それが軋みというか呻きのようなものを感じさせて現代社会に生きる苦しみが迫真に伝わってきました。

 さて、今日のチケットは大フィルの2月定期の時に既に発売していましたが、その時購入していればもっと前の席だったのにと少々残念でした(高い位置の3階席はコワイ)。このCDはその2月定期の二日間に録音されたショスタコーヴィチの交響曲第11番です。当日は続けて交響曲第12番も演奏されましたが目下のところ第11番のみがCD化されています。

 その定期は二日目の土曜を聴きに行き、会場にマイクが準備されていたのを思い出します。改めてCDを再生していると当日の演奏が徐々によみがえってきます。もっと緊迫していて席で体を動かすのもはばかられるような空気だと思えるので、CDを介して聴こえる演奏には少々違和感も覚えました。しかし、第2、4楽章は当日の感動を再現できました。銃撃のリズムのところを速目に激しくやっていて、それがかえって陰惨になり過ぎないと改めて思いました。

ミッキーさん・大PO/2017年*終楽章の拍手は除く
①16分40②18分50③13分40④14分37 計63分47
キタエンコ・ケルンGO/2004年
①16分57②19分51③13分27④15分02 計65分17
バルシャイ・ケルンRSO/1999年
①15分27②18分44③11分28④14分17 計59分56
ポリャンスキー・ロシアステイトSO/1995年
①18分59②22分12③16分19④15分57 計73分27
ヤルヴィ・エーデボリ/1989年
①13分49②17分01③10分30④13分30 計54分50

 トラックタイム、合計演奏時間は様々で何とも言えないところです。このCDの解説にも載っていましたが二重言語、表向きは十月革命四十周年記念の作品だとしても実はハンガリー動乱等への批判、怨嗟が込められているという構図が指摘されます。この録音はその点がどうであれ第11番の、終始悲哀が漂い、未だそれが続くような風情と共に高貴に美しい内容で感動的だった改めて思いました。

 それにしても今日のバーンスタイン、少年合唱がうまくてすごく感心しました。それに歌詞の面で第8、9曲等で日本語で歌われ、こてこて大阪弁による聖書からとったのか原典のノリ、味わいを日本語で再現する工夫がされていました。この公演も2回だけで終わるのがもったいない熱演、インパクトです。
23 2月

ショスタコーヴィチ交響曲第10番 キタエンコ、ケルン・ギュルツェニヒO

170223aショスタコーヴィチ 交響曲 第10番 ホ短調 作品93

ドミトリー=キタエンコ 指揮 
ケルン・ギュルツェニヒ管弦楽団

(2003年3月24-26日 ケルン,スタジオ・シュトルベルガー・シュトラーセ 録音 Capriccio)

 先日、申請しておいたマイナンバーカードをようやく受け取ることが出来たので、今年こそはイー・タックスで確定申告しようと思い、昨夜にカードリーダーを準備して事前準備をしていました。すぐに済むと思ったらPCにJavaがインストールされてなかったり、暗唱番号を決めたりと結構時間がかかりました。その間にバッハのオルガン曲をBGM的に流していると何故か気分が滅入って来て、それだけでなくなにか自分が訴えられているような切迫感にとらわれてきたのでCDの再生をやめました。バッハの音楽は胎教に悪いものが多いと読んだことがあり、本当にそうかもしれないと実感しました。

170223b それよりもっと胎教に悪そうなのがショスタコーヴィチの交響曲だろうと思いますが、この交響曲第10番のCDは何故か神経が休まるような、癒しでもないのに不思議な効能がある気がしました。この曲も色々な背景、真意等話題がありますがそれらはさて置き、自分にとっては東日本大震災から一カ月ちょっとの頃に西宮で井上道義指揮の兵庫芸術文化センター管弦楽団がアンコールとして演奏した第2楽章が思い出されます。ショスタコーヴィチの交響曲第1番、ヴァイオリン協奏曲第1番のプログラムが終わってから指揮者が短い挨拶をしてから第10番の第2楽章だけを演奏しました。被災地からは遠い場所にありながら、会場にも重苦しくて暗澹たる空気が立ち込めていたところを、それを聴きながら負けまいぞと鼓舞するような熱気を感じていました。 

 だから交響曲第10番と言えばその第2楽章のイメージがまず最初に来るので、改めてこのCDを聴くと、この曲が終始冷たく暗い内容だったことを思い出させられました。第4楽章のコーダ部分も、気圧が下がった状態で100℃よりもずっと低い温度で沸騰させているような不均衡さをまとっているようです。その一方で第1楽章の冒頭から透徹した美しさに圧倒され、「気高さ」という言葉はこういうものに相応しいものだろうと不意に思いました。先日大阪フィルの定期で聴いた第11、第12番の余韻がまだ残っているので、それとも重なって感慨深いものがありました。

 そういえば先日の大フィル定期公演は2011年に西宮で聴いた第10番の第2楽章の演奏ぶりからするとかなり印象が違っていた気がします。曲目が違うとしても、六年前の方が動的で激しくて、それに比べると最近の方は無抵抗主義の抵抗運動のようにより手強いというか、分厚いような印象になりました。フェスティバルホールでもマイクがセットされてあったようで、東京でも同じプログラムで公演しているそうなのでこの先CDが出てくるかもしれません。先日の演奏は何となくキタエンコの全集録音と似ているような気がしました。 
18 2月

ショスタコーヴィチ交響曲第11番 キタエンコ、ケルン・ギュルツェニヒO

170218bショスタコーヴィチ 交響曲 第11番 ト短調 作品103 「1905年」

ドミトリー=キタエンコ 指揮 
ケルン・ギュルツェニヒ管弦楽団

(2004年2月12-17日 ケルン,フィルハーモニー ライヴ録音 Capriccio)

170218a 今日は大阪フィルの第505回定期公演(2日目)を聴きに大阪のフェスティバルホールまで行ました。新装開館後の同ホールは今回が初めてだったので、京阪の渡辺橋駅と直結したビルが立派でちょっと戸惑いました。プログラムはショスタコーヴィチの交響曲第11番と第12番という井上道義らしい内容で両曲とも熱演かつ念入りな演奏で心底感動的でした。第11番は第3楽章が今まで聴いた中で一番感動的で、言葉にできないものの新たな作品の世界が開けているのが垣間見た心地でした。プログラム後半だった第12番の方が一層力がこもっていたようで、すごいダブルヘッターでした。

170218 レコードやCD、あるいはラジオ、テレビを通してしか聴いたことがない作品をホールの公演で聴くと違った印象を受けるということはあるはずですが、今日の二曲もそんな感じでした。自分の中ではショスタコーヴィチはロシアものとは一線を画するソ連もの、という分類を無意識的にしていて 「1905年」、「1917年」はどういう真意が奥底にあるとしてももろにソ連ものという印象でした。それが今日聴いていると前者はムソルグスキーの「ボリス・ゴドゥノフ」、後者の「1917年」はチャイコフスキーの悲愴や第5番の交響曲に直結する、同じ地下茎から生じているような、率直に美しくて素晴らしく生命力あふれる作品のように感じられました。

キタエンコ・ケルンGO/2004年
①16分57②19分51③13分27④15分02 計65分17
バルシャイ・ケルンRSO/1999年
①15分27②18分44③11分28④14分17 計59分56
ポリャンスキー・ロシアステイトSO/1995年
①18分59②22分12③16分19④15分57 計73分27
ヤルヴィ・エーデボリ/1989年
①13分49②17分01③10分30④13分30 計54分50

 それでキタエンコの全集盤を振り返って部分的に聴いてみると(先週にも聴いていた)、特に第2楽章が今日の公演と似た感じで銃撃のリズのところをかなり速目に演奏しています。そこをテンポを落として演奏すると暴力的なだけでなく、心理的なというのかえも言われない絶望感が出ると思いますが、この録音のように快速でやると生理的にも気持ち悪くなりそうで別な迫力が出てきます。上記の四種類でも合計時間にけっこう差が出ていて、最長のポリャンスキーと最短のN.ヤルヴィとでは19分ほど違うのにはちょっと驚きです。そんなに違う演奏だったか今でははっきり思い出せません。

 ホールが入っている中之島フェスティバルタワーの地下にはかなりの数の飲食店が入居していてキッチンジロー、魚がし日本一なんかもありました。その他芦屋のイタリア料理「リストランテ・ラッフィナート」も出店していて、それとは知らず時間待ちにコーヒーを飲むつもりがジェラートを店内で食べていてどうも視覚的に浮いていました。国立国際美術館も近くにあるのでクラーナハ展をみてからフェスティバルホールに行こうかと思ったところ、中途半端な時間になったので(各駅停車で来たため)展覧会ジェラートに化けました。 
11 8月

ショスタコーヴィチ交響曲第11番 クリュイタンス、仏国立放送O

160811bショスタコーヴィチ 交響曲 第11番 ト短調 作品103 「1905年」

アンドレ・クリュイタンス指揮
フランス国立放送管弦楽団 

(1958年5月19日 パリ,サル・ワグラム 録音 Testament)

 東日本大震災以降は特に自宅ではエアコンを長時間連続運転しないように心掛けてきましたが、今年は我慢し切れずに1時間以上つける機会が増えました。それでも二階はあんまり冷えないのでついに昼間でも南向きの雨戸を閉めることにしました。こんな気温を考えると次回の東京五輪を八月に開催して大丈夫なのかと思います。シドニーの時は九月半ばにも競技をやってた覚えがあるので東京もそれくらいにすればと、四年後どうなっているかも分からないのに心配していました。

クリュイタンス・仏国立O/1958年
①15分32②17分53③13分59④12分25 計59分49
ムラヴィンスキー・レニングラード/1957年
①14分48②16分50③11分29④13分12 計56分19
コンドラシン・モスクワPO/1973年
①12分33②17分28③10分29④13分22 計53分52

160811a このショスタコーヴィチの交響曲第11番の録音は作曲者が同席して親交があったクリュイタンスが指揮してパリで録音したもので、LPレコードはモノラルだったのがCD化の際にステレオ化されました。EMI原盤の録音だったのがテスタメントから復刻されたくらいなので、ショスタコーヴィチのレコードとしてはあまり名盤という扱いじゃなかったようですが、例えばムラヴィンスキーやコンドラシンの録音と比べると演奏時間が長目なのがまず目につきます。 実際聴いていると冷戦時代、作曲者が存命時のショスタコーヴィチの演奏からすれば相当に軽快で、「血の日曜日」だの「銃撃のリズム」といった過酷さからかけ離れています。まるで巻狩を描いた古い絵巻のようで、立ち会ったというショスタコーヴィチ自身はこれを聴きながら何を思ったことかと思います。

 銃撃のところで活躍するスネアドラムらの音色も優雅なので、そうした印象が余計に強くなり、こんな時代に個性的な演奏があったと面白く思いました。演奏しているオーケストラは違いますが、同時期にクリュイタンスが指揮したベートーベンの交響曲よりも何となくしっくりくる気もしました。 上の写真はプロデューサーのルネ・シャルランとショスタコーヴィチ、クリュイタンスが並んで談笑しています。また、別の写真では作曲者とクリュイタンスが上機嫌で笑っているので、演奏に対しても肯定的だったのではないかと思われます。話が前後しますが、これを聴くとベートーベンの交響曲もフランスのオケとの共演で録音すれば面白かったような気がします。
11 1月

ショスタコーヴィチ交響曲第11番 ムラヴィンスキー、レニングラードPO

150111ショスタコーヴィチ 交響曲 第11番 ト短調 作品103 「1905年」


エウゲニー・ムラヴィンスキー 指揮 
レニングラード・フィルハーモニー交響楽団


(1957年11月3日 レニングラード,フィルハーモニー大ホール ライヴ録音 Venezia)

 東日本大震災が発生してしばらくした頃、当時の与党、民主党と野党だった自民党らの大連立という話が現実味?をもって話されたことがありました。それについて少数野党の党首が総理に対して「権力は手離してはいけない」と助言したと新聞で読んだことがありました。この非常時にと腹立たしく思う反面思いっきり本質的なことを言っているのだと妙に感心したのを覚えています。

 昨年12月、NHK・AMの「すっぴん!」のコーナーに登場した湯山玲子の「音楽を因数分解」ではショスタコーヴィチの交響曲第8番の第3楽章が取り上げられて(前日はブルックナーのスケルツォ楽章だったようだ)、高校生はそれを聴いてはまるとか言われていました。そうだとするなら、さらに露骨?、否激しいもの、交響曲第11番の第2楽章はどうだろうかと思います(因数分解はともかくとしてこれも大音量で聴きたい)。第11番は各楽章にまで標題が付いているのでそうした言葉にどうしても影響されてしまいます。しかしムラヴィンスキーの演奏なら標題とか文学的な要素の影響はもっとも薄いのではないかと想像できます。

 1905年にロシアで起きた「血の日曜日事件」はユリウス暦では1月9日、現代広く普及しているグレゴリオ暦では1月22日に当たります。今は「血の」という文字が特別に切実に映ります。このCDは交響曲第11番がモスクワで初演された四日後にレニングラードで演奏された際のライヴ録音です。1957年は昭和32年に当たり、7月には東海村にある日本原子力研究所の原子炉で初の臨界に達し、原子の火が灯ったと祝賀ムードが広がったようです(自分は生まれていなかった)。とにかく古いライヴ音源のわりに生々しくて、ムラヴィンスキーの苛烈なショスタコーヴィチ像が迫ってきます。昨日の第8番は後年の演奏ということもあってか、ずっと格調高い演奏でした。

ムラヴィンスキー・レニングラード・1957年
①14分48②16分50③11分29④13分12 計56分19
コンドラシン・モスクワPO・1973年
①12分33②17分28③10分29④13分22 計53分52
ハイティンク・RCO・1983年
①15分53②19分54③11分23④14分16 計61分26
ヤルヴィ・エーデボリ・1989年
①13分49②17分01③10分30④13分30 計54分50
ポリャンスキー・ロシアステイトSO・1995年
①18分59②22分12③16分19④15分57 計73分27
バルシャイ・ケルンRSO・1999年
①15分27②18分44③11分28④14分17 計59分56

 ムラヴィンスキーはこの曲を1959年にもセッション録音していてそちらの方が代表盤のようですが、これも記念碑的な録音であり価値はあると思います。ポリャンスキーやバルシャイ、ハイティンクはかなり演奏時間が長くなっていて、特に第2楽章の差が効いているようです。皇帝へ請願に来た群衆へ向かって軍隊が発砲する様子を表した「銃撃のリズム」の部分は、ゆっくり演奏すると却って不気味で残虐さを増して来る気がします。演奏者はそう思っているのかは分かりませんが、ムラヴィンスキーの録音ではかなり速目に演奏し、機関銃のような印象です。だから抽象的に聴こえてあまり銃撃等の流血の惨劇が頭に浮かびません。銃撃でなく仮に、空から雹か霰が降って来るのを表していると作曲者言っていたとしてもそれなりに納得する演奏だと思います。

 余談ながら1905年当時は日露戦争の最中であり、旅順要塞攻略戦ではロアシ側の機関銃のために日本側の戦死者が夥しくなりました。乃木司令官の自宅に投石する人も出たそうです(映画ではそれが描かれている)。それはさて置き、交響曲第11番は初演時の評判(ソ連国内)は大変良く、評論家も挙ってほめていました。しかし、もし1905年とか付いている標題が全く無かったらどうだったかと思います。あまり抽象的な説明だったらそもそもソ連国内では演奏できなかったかもしれません。絶対音楽と言えども純粋に「音」だけというのは難しく、多かれ少なかれ何らかの事柄を内に持っているのではないかと思います。第11番にとって、根源的なものというのがあるのか無いのか、あるならそれは標題では表し切れないものかもしれないと思います(単純に標題通りかもしれないが)。

20 1月

ショスタコーヴィチ交響曲第11番 ハイティンク、RCO

ショスタコーヴィチ 交響曲 第11番 ト短調 作品103 「1905年」

ベルナルト・ハイティンク 指揮
ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団

(1983年 アムステルダム,コンセルトヘボウ 録音 DECCA)

140120  一昨日の土曜日、夜九時からNHKでドラマ「足尾から来た女」の前編が放送されて無事に録画できました。動く田中正造をカラーで見ることが出来て感慨深いものがありました。現代日本の国営放送としては先年「坂の上の雲」をドラマ化したから、バランス的にこうしたドラマも作ったのかどうかは分かりませんが、「百軒の家のために一軒の家を殺すのは野蛮国」、という正造のセリフは強烈でした。なぜ野蛮なのかという説明として次のように続きます。「都をつくったのは町なんだ。町をつくったのは村なんだ。百軒の家も一軒の家から始まったんだ。その一軒を殺す都は己の首を絞めるようなものだ。そんな事をする野蛮国は必ず滅びる。」仔細は略するとして、我々現代日本人、とりわけ都市に暮らす我々にも耳が痛い話です。

  1905年ロシアの首都サンクトペテルブルクで起こった「血の日曜日事件」は、当時のロシアが採用していたユリウス暦では1月9日の出来事ですが、西欧のグレゴリオ暦では1月22日だったそうです。この交響曲のタイトルになっている「1905年」の事件は、百年以上前の今頃に起こった事件だったわけで、連日寒さが続くとこの事件の話が妙に真に迫ります。

 三十年以上前の録音であるこのCDですが、今聴いていてもかなり素晴らしいと思えてハイティンクの広範なレパートリーの中でも一番「~らしい」、その作曲家の作品に「ふさわしい音」ではないかと思います。過度に文学的、思想的な背景、想像を織り込んでいる風ではなく素っ気ない気もしますが、不思議に熱がこもっています。第二楽章後半の「銃撃のリズム」はなんとなく前向き、肯定的で(保育園に巣を作ったスズメ蜂を駆除するとか、行為の正当性に疑問を持たずに済む事をやっているような感じ)、躊躇いなく撃ちまくるようですが違和感なくきこえます。

ハイティンク・RCO・1983年
①15分53②19分54③11分23④14分16 計61分26

コンドラシン・モスクワPO・1973年
①12分33②17分28③10分29④13分22 計53分52
バルシャイ・ケルンRSO・1999年
①15分27②18分44③11分28④14分17 計59分56

 このCDの演奏時間・トラックタイムは上記の通りで、バルシャイの全集盤と時間の傾向が似ています。銃撃のリズムはバルシャイのように遅目ではありませんが合計は似ていて、ハイティンクの方が少し長いくらいです。それでもこうして時間を並べるまでは速目、短目になるかもしれないと思ったくらいです。ハイティンクの録音はこのブログでもワーグナー、モーツアルト、ヴェルディのオペラの他に、マーラーやブルックナーの交響曲を取り上げていました。しかしどれも特別には目立たないというか、個人的にはワーグナーなら、マーラーなら是非ハイティンクという程の引力が無いような気がしていました。ショスタコーヴィチはそれらとはちょっと違っています。

17 9月

ショスタコーヴィチ交響曲第11番 コンドラシン、モスクワPO

130917a_2ショスタコーヴィチ 交響曲 第11番 ト短調 作品103 「1905年」

キリル・コンドラシン 指揮
モスクワ・フィルハーモニー管弦楽団

(1973年9月7日 録音  Venezia)

 今回も昨日に続いてショスタコーヴィチの交響曲第11番です。コンドラシンとモスクワPOの全集は基本的に皆好きで、なんとなくショスタコーヴィチといえばコンドラシン、くらいに思っていました。それが今年の春ごろから車内(カーナビでSDカードに入れたファイルを再生)バルシャイの全集を繰り返して聴いているうちに、すっかりはまってしまいました(繰り返しても飽きない)。第10番から12番は特にバルシャイの方が気に入り、コンドラシンやヤルヴィの激しい演奏が物足りなく感じます。

コンドラシン・モスクワPO・1973年
①12分33②17分28③10分29④13分22 計53分52

ヤルヴィ・エーデボリ・1989年
①13分49②17分01③10分30④13分30 計54分50

130917b_2 上はこのCDのトラックタイムで、昨日のヤルヴィ盤よりも合計時間で1分程短くなっています。旧ソ連の録音なのでおなじみの独特な音質です。特に打楽器の音が妙に軽い金属的な音です。第二楽章はヤルヴィよりも少しだけ遅いものの、猛烈で鋭い印象を受けます。しかし同時に軽快な響きに聴こえて、ここでもあまり不気味さや恐怖感のような感覚は薄いと思います。もっとも、演奏している現場で聴いていれば違った印象かもしれません。全体的にはヤルヴィ、エーデボリSOのようにあっさりしたものではなく、濃厚な情念が尾を引くようで、ちょっとロマン派的です。その点は非常に惹かれます。コンドラシンはこの録音から約5年後に西側へ亡命します。

バルシャイ・ケルンRSO・1999年
①15分27②18分44③11分28④14分17 計59分56
インバル・VSO・1992年
①15分03②18分56③13分22④14分45 計62分06

 交響曲第11番の第二楽章は「1月9日」というタイトルが付き、皇帝へ請願するために冬宮へ向かう群衆に軍隊が発砲した「血の日曜事件」を現しているとされています。特に「銃撃のリズム」とか呼ばれる部分が露骨ですが、この辺りをテンポを落とすタイプと速目に演奏するタイプがあり、コンドラシンは速い部類です。バルシャイはゆっくり目ですが、ロストロポーヴィチやロジェスヴェンスキーは更にゆっくり演奏しています。部分的なことですが演奏効果はかなり違ってきます。

 ネット上に昨日の氾濫、冠水の画像がネット上にUPされていました。京都市や宇治市のよく知っている場所が沢山あり、普段からここは低い所だと言われた箇所はやっぱり水に浸かっていました。昭和28年の大水害(今でも語り草)の時はダムが整備されていなかったので、浸水した区域は今回の比較ではありませんでした。観月橋付近で堤防が決壊し、巨椋池(戦前に干拓された)が一時的に復活した格好でした。宇治川については天ケ瀬ダムの威力は絶大だったわけです。

16 9月

ショスタコーヴィチ交響曲第11番 ヤルヴィ、エーデボリSO

130916aショスタコーヴィチ 交響曲 第11番 ト短調 作品103 「1905年」

ネーメ・ヤルヴィ 指揮
エーテボリ交響楽団

(1989年12月 エーテボリ録音 DG)

 台風十八号のため昨年に続いてまた豪雨に見舞われました。今回は内水どころか宇治川そのものが氾濫しかねない水位で、同じ町名の町内会では避難したところもありました。結果的に宇治川は溢れずに済みましたが、十一時頃宇治橋を渡る時かつてみたことのない水位に驚きました。特別警報もだてではありませんでした。これで塔の島から下流域の改修工事をしていなかったら溢れ出たかもしれません。昨夜の宵の口から明け方まで降り続けていたので、全くかつてない雨量です。

ヤルヴィ、エーデボリSO
交響曲第15番:1988年9月
交響曲第11番:1989年12月
交響曲第12番:1990年8月
交響曲第14番:1992年5月
交響曲第13番:1995年11月
交響曲第3番:1996年12月
交響曲第2番:2000年8月

130916b ネーメ・ヤルヴィはスコティッシュ・ナショナル管弦楽団とエーデボリ管弦楽団を振ってショスタコーヴィチの交響曲を全曲録音しました。前者はシャンドス、後者はドイツ・グラモフォンとレーベルも別れていますが、1988~1989年の時期は両方のレーベルで録音していました。今回の第11番は約十ケ月前にはスコティッシュ・ナショナル管と第4、8番を録音したところです。オーケストラとレーベルに加えて録音会場も変わるとかなり違った響きに聴こえます。どちらかと言えばシャンドス・レーベル(残響が長過ぎという声もある)の方の録音が好きでしたが、第11番はかなり魅力的な音質だと思いました。

ヤルヴィ・エーデボリ・1989年
①13分49②17分01③10分30④13分30 計54分50

バルシャイ・ケルンRSO・1999年
①15分27②18分44③11分28④14分17 計59分56
インバル・VSO・1992年
①15分03②18分56③13分22④14分45 計62分06
ポリャンスキー・ロシアステイトSO・1995年
①18分59②22分12③16分19④15分57 計73分27

 ヤルヴィのショスタコーヴィチは曲によっては爆演傾向で、この曲もそれが期待?されますが、速めのテンポではあるものの比較的淡泊な演奏です。血の日曜事件を描写したとされる第二楽章も効率的な機械が稼働するような速さで突っ走ります。それでも不思議と不気味さや恐怖感は感じられず、爽快ささえ感じられます。特に冷戦時代に生きていた世代なら、ショスタコーヴィチのこの時期の作品も憶測混じりで色々なことを読み込む、投影しようとしますが、このCDはそうしたことはあまり大きな位置を占めていないのかもしれません。演奏の合計時間でもバルシャイの全集盤とも約5分の差があります。

 今朝は警報サイレンとともに携帯に避難勧告の情報が届きました。かなり広範囲に及びましたが実際、そのエリアの全世帯が避難しようとすれば収容できる場所はなく、天ケ瀬ダムが破損する等非常事態になればどうしようもないはずです。日吉ダムは貯水率が300%を超えて放流をしていたので他の流域でも他人事ではなく、紙一重でした。

25 7月

ショスタコーヴィチ交響曲第10番 バルシャイ、ケルンRSO

ショスタコーヴィチ 交響曲 第10番 ホ短調 作品93

ルドルフ・バルシャイ 指揮
ケルン放送交響楽団

(1996年10月15-24日 ケルン,フィルハーモニー 録音  Brilliant)

130725b_5 今朝OCNのサーバーに不正アクセスがあり、情報漏えいの恐れがあるためメールのパスワードを変更するよう通知するメールが届きました。それに従ってログインしたところ、アクセスが集中したためか全然手続きが進まず、おまけにセキュリティ・パスワードが違っているというエラーが出たので中断しました。そう言えば十年くらいは前にもこういうトラブルがあったような覚えがあり、その時はクオカードか図書カードを送ってきました(当時、内輪で「誠意って何だね?」と愚痴って騒いでいた)。今回は何もなく、せめてとれたてのカボチャをおくる位の誠意は見たいものです。それはともかく、民間も役所も日本はこういうトラブルか攻撃に弱くて、あまり進歩していないのじゃないかと心配になります。

 ショスタコーヴィチの交響曲第10番は先週の金曜日にあった京響の定期で運よく聴くことができました。定期会員以外の席に居ましたが、第二楽章と第三楽章が終わったところで席を立って退席する人を二、三人見かけました。トイレとか眠気といった健康上の理由がまず考えられますが、この曲を知らずにどんな曲か聴いてみようと思った人も居るかもしれません。退席した人がそうだったとしたら、交響曲第10番の万人受け度というか人気はちょっと微妙なのかもしれません(カラヤンが二度もセッション録音している曲だけれど)。

交響曲第10番ホ短調
1楽章:Moderato
2楽章:Allegro
3楽章:Allegretto
4楽章:Andante - Allegro

130725a_2 バルシャイの全集に含まれる交響曲第10番は、まず第一楽章の絶望的な美しさに圧倒されます。と言っても、所謂「爆演」とか特別に個性的なタイプではありませんが、作曲者がカラヤンのモスクワ公演での交響曲第10番を聴いて、自分の作品がこんなに美しく演奏されたのは初めてだという意味の言葉(賛辞か??)という意味の感想を述べたという、その言葉を思い出します。そのモスクワ公演のライヴ録音は聴いたことがあり、いかにもカラヤンらしいという力が漲る、これも美しい演奏でした。でも、全四楽章を通すとどこかちぐはぐな気もします。というよりも、このバルシャイ盤を聴いた後なのでそんな風に感じるのかもしれません。

 ユダヤ系のバルシャイは作曲をショスタコーヴィチに師事して、弦楽四重奏曲を室内交響曲に編曲したりしているだけでなく、若い頃はヴィオラ奏者として弦楽四重奏団にも参加しています。こうした経歴もバルシャイの演奏に影響しているのだろうと思います(でも、彼のマーラー演奏とかはあまり話題になっていなかったような)。

 今季の京響定期にも井上道義が登場してブルックナーの第8番を振りました。内心ショスタコーヴィチを期待していましたが、また次回に期待します。井上氏のサイトには「日露友好ショスタコーヴィチ交響曲全曲演奏プロジェクト2007」に際して準備された、交響曲15曲の解説が掲載されています。第10番は「誰が自分を完全に説明できますか?」と銘打たれ、「自分の心と頭から出る音形を楽譜に書きとめようとしているだけ」としています。それでも本当はどうなんだと思いながら、面白い見方だと思いました。

19 7月

ショスタコーヴィチ 交響曲第10番 コンドラシン、モスクワPO

130719b_2  ショスタコーヴィチ 交響曲 第10番 ホ短調 作品93

キリル・コンドラシン 指揮
モスクワ・フィルハーモニー管弦楽団

(1973年9月24日 録音 Venezia)

 今日は京都市交響楽団の定期公演がありました。スペイン出身のゴンザレスが指揮、ヴァイオリンはレーピンという顔合わせです。ショスタコーヴィチの作品は11月の定期でも祝典序曲とチェロ協奏曲第2番が予定されています。今季完売が続く京響定期ですが今回は当日券があったようです。演奏時間からショスタコーヴィチがメインと思っていましたが、一曲目のシベリウスのコンチェルトが素晴らしく、もう一回聴きたいくらいでした。

京都市交響楽団第570回定期演奏会
パブロ・ゴンザレス:指揮
ワディム・レーピン:ヴァイオリン

シベリウス:ヴァイオリン協奏曲ニ短調op.47(第2稿)
ショスタコーヴィチ:交響曲第10番ホ短調op.93

120719a  そういうわけで事前におさらいがてら、ショスタコーヴィチの交響曲第10番も聴いていました。旧ソ連時代のコンドラシンはやはり現代聴くと隔たりを感じます。今日聴いた京響定期では、弦が優美でロシア=ソ連の冬の時代の音楽というイメージはあまり湧きませんでした。コンサートのプログラムに書いてあった解説には、第二楽章がスターリンの肖像だとかそうした見方よりも、作曲者の個人的な要素を濃く反映した謎の多い作品と評していました。またプレトークで、ゴンザレスはショスタコーヴィチについて終生戦いながら作曲し続けたという意味のことを話していました(自分の表現したいことと、当局との意向がぶつかる戦い)。

コンドラシン・1973年
①21分22②04分05③12分05④11分23 計48分55

ヤルヴィ・SNO・1988年
①22分59②04分03③13分15④12分29 計52分46
バルシャイ・ケルンRSO・1996年
①23分14②04分31③12分08④12分19 計52分12

 コンドラシンの録音は上記のようにその後の録音より速目で、激しい印象を受けます。また、その半面少々軽いとも思えます(これは録音環境の影響か)。第一楽章の前半は例えばバルシャイ盤とは、二分程度の演奏時間の差以上の印象の違いを感じます。第四楽章のコーダは、義理で頼まれた応援演説で心そこに無く、演説テクニックだけで会場を高揚させるような作風だと思っていましたが、コンドラシン盤では何か二心が無いような白熱ぶりです。

 ショスタコーヴィチが仮にアメリカに亡命、移住していたらどうなっていたかというのは想像し難いものがあります。自由を妨げるものが減っても違った縛りが出て来るはずで、例えば三文オペラのクルト・ワイルは、アメリカでショウ・ビジネスの世界で活躍したけれど、創造的な観点からはダメになったとクレンペラーは惜しんでいました。想像の域を出ませんがショスタコーヴィチも移住していたら、アメリカのショウビジネスはスター偏重で、客に媚びているだけだと、ッと舌を鳴らすこと度々で失望も多かったかもしれません。

18 6月

ショスタコーヴィチ交響曲第11番 ポリャンスキー、ロシア・ステイトSO

130618a ショスタコーヴィチ 交響曲 第11番 ト短調 作品103 「1905年」


ワレリー・ポリャンスキー 指揮

ロシアン・ステイト・シンフォニー・オーケストラ


(1995年11月 モスフィルムスタジオ 録音 CHANDOS)


130618  「黒くないミーさんは一番(クロクナイ ミーサンハ イチバン)」というのは、(金沢)第師團、第旅團、第聯隊、第大隊、第中隊、第小隊、第分隊を覚えるための語呂合わせだそうで、映画「二百三高地」の中で召集された二等兵が所属部隊を復唱させられる場面に出てきます。1905年は明治38年にあたり、血の日曜日事件があった頃は旅順が陥落した直後くらいでした。映画の旅順攻略戦の場面は凄惨で、機関銃で守るロシア側陣地へ日本軍は銃剣突撃を繰り返し、死傷者はロアシア側を上回りました。 交響曲第11番の第2楽章、銃撃のリズムはテンポによっては機関銃の斉射を連想させられます。

 ところがシャンドスから出ていたポリャンスキー指揮、ロシアステイト交響楽団の録音はかなりゆっくり演奏していて、第2楽章も遅く、切れが良くないので機械的、殲滅的な恐ろしさというイメージからは遠いものです。力士が角材を持って行軍して来るくらいの映像が似つかわしく、まだ生身の人間の所業を思わせます。それにしても合計演奏時間でこれくらいの差が出ると驚かされ、チェリビダッケ級です(演奏そのものは違うと思われるが)。


ポリャンスキー・ロシアステイトSO・1995年
①18分59②22分12③16分19④15分57 計73分27

バルシャイ・ケルンRSO・1999年
①15分27②18分44③11分28④14分17 計59分56
ヤルヴィ・エーデボリ・1989年
①13分49②17分01③10分30④13分30 計54分50


130618b  ポリャンスキーのショスタコーヴィチは過去に交響曲第13番を取り上げていましたが、今回も同様で冒頭から異様に重苦しく、怨嗟とも嘆きとも付かないようなこれこそ地の底から湧いて来るような響きです。イデオロギーとか名誉とか一切関係の無い、ロシア民衆のためのレクイエムといった、根元的な力強さで貫かれています。「証言」によれば、ショウタコーヴィチ自身はこの交響曲を自分の書いた曲で「最もムソルグスキー的な」作品だと述べています。ポリャンスキーがそれを意識したかどうかは分かりませんが、このCDを聴いているとムソルグスキーのオペラ「ボリス・ゴドゥノフ」や「ホヴァーンシチナ」の世界と同じ土壌に生まれた音楽のように聴こえます。


 第2楽章が異様に遅いタイプの演奏は他にロジェストヴェンスキーやロストロポーヴィチがありますが、感銘深いもののショスタコーヴィチの作品に対して心のどこかで期待する激しさ、痛快さに対する欲求が満たされず、物足らなさも感じます。


 ワレリー・ポリャンスキーは1949年生まれで、モスクワ音楽院を卒業後、ロジェストヴェンスキーに師事しました。1971年にモスクワ音楽院の学生を集めてロシア室内合唱団を創設し、975年にはその合唱団を率いてイタリアのアレッツォで行なわれたポリフォニー合唱団コンクールに優勝、最優秀指揮者に選ばれました。そうした経歴なのでロシア正教の声楽作品等もあり、ロシアの作曲家の作品を中心に録音しています。ショスタコーヴィチは何曲録音していたか未確認です。シャンドス・レーベルには第6、第7番と第9-13番は録音しています。


 二百三高地という邦画は、上記の金沢の第九師団へしゃばから各人が招集されて来る場面があり、加賀友禅の職人、幇間、豆腐屋さん、極道と異業種から入り乱れて一つの分隊に配属されています。小隊長が尋常小学校の教員(予備少尉)でした。徴兵制下、軍事教練が正課にあった時代の話です。進学率が低かった頃なので専門学校、師範学校や大学を卒業していれば予備少尉になり、有事の際は即小隊長くらいで招集されたようですが、今現在そうなったとすれば自分等はせいぜい一兵卒までだろうと思いました。

14 6月

ショスタコーヴィチ交響曲第11番 インバル VSO

130614a ショスタコーヴィチ 交響曲 第11番 ト短調 作品103 「1905年」

エリアフ・インバル 指揮
ウィーン交響楽団

(1992年5月23-27日 ウィーン,コンツェルトハウス 録音 DENON)

 「何も足さない、何も引かない」こともないとしても、インバルの録音は「スコアが透けて見える」と評されることがありました。ブルックナー、マーラー、ショスタコーヴィチと交響曲の全曲録音を完成させたインバルは、そのどれかのスペシャリストというのとはちょっと違うような評され方でした。ともかくこの曲のような解釈により色が付き易い作品は、インバル指揮でも聴いてみたくなります。

130614b  CDのトラック・タイムをながめると、昨日のバルシャイ、ケルンRSOと傾向が似ています。第3楽章はインバル盤が二分程長く、これが合計時間に影響しています。第2楽章「1905年」も合計時間が近似しています。それでも聴いた印象は異なり、あまり不気味な印象は受けません。また、フランクフルトRSOとのマーラーでも話題になったように、この曲もB&K社製録音用マイクロホン使用と注記されています。マーラーのCDと同様のマイク本数なのか分かりませんが、音響が似ています。ただ、この第11番はちょっと残響が大きい気がします。件の銃撃の描写辺りでは、風の音の効果音でも使っているように聴こえます。同じ場所で演奏、録音しているはずの第12番の方が克明な音に聴こえます。

インバル・VSO・1992年
①15分03②18分56③13分22④14分45 計62分06

バルシャイ・ケルンRSO・1999年
①15分27②18分44③11分28④14分17 計59分56
ヤルヴィ・エーデボリ・1989年
①13分49②17分01③10分30④13分30 計54分50

 CDが普及し出した頃、CDの一つのトラック内に更に細区分されたインデックスが入っているものがありました。DENONのCDもインデックスがあり、それに対応しているプレーヤーなら細かく検索、頭出しすることが出来ました。近年はインデックス付CDも減り、それに伴って対応するCDプレーヤーもほとんど見なくなりました。このCDは再発売・廉価盤シリーズのCREST1000ながら、解説冊子にインデックス区分が表記されています。

第2楽章:「1月9日」
①「我らが父なるツァーリよ」の旋律
  による無窮動の開始
② 金管による「帽子をごう」の旋律
  の要素
③「帽子をぬごう」、「我らが父なる
   ツァーリよ」の明瞭な提示
④「帽子をぬごう」を変形したモティーフ
⑤「我らが父なるツァーリよ」の再現
⑥ 序奏主題
⑦ 新主題によるフガート
⑧ トロンボーン、チューバのグリッサンド
⑨ スネアによる行進曲の入り~序奏主題
  ~「帽子をぬごう」
⑩ コーダ

 第2、4楽章を抜粋してみました。第4楽章・コーダの鐘は象徴的ですが、この録音ではあっさりしています。DENONのこのシリーズにはPCM録音とか注記してありますが、全曲が同じ表記ではなく、3種類ありました。第11番他多くは何も表記が無く、第12番らは「 PCMデジタル録音+MS/20ビット・プロセッシング 」と表記されてあります。

第4楽章:警鐘
①「圧制者らよ激怒せよ」による開始
②「帽子をぬごうの再現」
③「ワルシャワ労働歌」
④「雷鳴の夜はなぜつらい」
⑤「帽子をぬごう」+「圧制者らよ激怒せよ」
⑥「雷鳴の夜はなぜつらい」の再現
⑦ 第1楽章のファンファーレ
⑧「我らが父なるツァーリよ」の再現
⑨ アダージョ -「帽子をぬごう」
⑩「我らが父なるツァーリよ」+「帽子をぬごう」
  によるアレグロのコーダ前半
⑪ コーダ後半:鐘の入り

 ところで「自由とは?」と問われると答えに窮するだろうと思います。でも逆に「不自由とは?」という質問には、適切かどうかは別にして「金が無いと不自由」だとか、「姑が邪魔で」とか尽きぬ泉のように、不自由な場面、光景が口をついて出てくるはずです。東ローマ皇帝の後継者であろうが、党書記長であろうがその行使する権力が我が身にふりかかってくると、束縛を感じるはずです。

 はじめて偶然あずかった追悼ミサ(通常の時刻のミサに、故人の縁者が特に依頼するようである)の時に「縄目を解かれる」という表現を耳にして、やっと楽になれたという感慨と、結局最期まで安息というものは無いのかという落胆が半々くらいだったのを思い出します。父は完全に聴力を失ってから、「馬鹿にしやがって」という言葉を時々口にしていました。似たようなことは世の中にあるはずで、そんな言葉対しては通常「馬鹿にしているつもりはない」と言い張るものです(言い張る限り溝は埋まらない気がする)。今年の父の命日に、そのように個人的に司祭にお願いしようかと思いましたが、そもそも故人は信者でなく、神父やら僧侶が嫌いだと公言していたのでやめておきました。

13 6月

ショスタコーヴィチ交響曲第11番 バルシャイ、ケルンRSO

ショスタコーヴィチ 交響曲 第11番 ト短調 作品103 「1905年」


ルドルフ・バルシャイ  指揮

ケルン放送交響楽団


(1999年5月 ケルン,フィルハーモニー 録音  Brilliant)


130613  ショスタコーヴィチの交響曲の中で個人的にかなり疎遠だったのは第11番と12番でした。純器楽の交響曲でありながら、全曲だけでなく楽章毎に革命に関わる標題が付いています。第11番のタイトル「1905年」は、その年の1月9日(ロシアで使われていたユリウス暦)に起こった「血の日曜日」を象徴しています。この事件は歴史の教科書でもお馴染で、サンクト・ペテルブルクの皇居へ神父ガポンに率いられた市民が請願するため行進したところ、参加者の数の多さに軍を出動させ、発砲したというものでした。厳格に見積もって千人以上の死傷者が出たとされます(万単位の死者という記述もあった)。


交響曲第11番 ト短調「1905年」

第1楽章:宮殿前広場 ト短調
 Adagio
第2楽章:1月9日 ト短調
 Allegro-Adagio-Allegro-Adagio
第3楽章:永遠の記憶 ト短調
 Adagio
第4楽章:警鐘 ロ短調 - ト短調
 Allegro non troppo-Allegro-Moderato-Adagio-Allegro


 交響曲第11番は、1957年に作曲されて同年10月30日にモスクワでナタン・ラフリン指揮、ソヴィエト国立交響楽団により初演されました。その四日後にはムラヴィンスキー指揮のレニングラードPOによりレニングラードでも演奏されています(ライヴ音源が残っている、下記トラックタイムのCD)。ショスタコーヴィチは翌年にはこの曲によりレーニン賞を得ています。体制に迎合云々という批判はありますが、ベートーベンの田園交響曲も各楽章に付けられた言葉は特に標題ではないという見解もあり、絶対音楽として演奏するスタイルも少なくないので、その批判は特に気にはなりません。


130613b  この交響曲も、今年の4月から通勤等の車内でバルシャイ指揮、ケルン放送交響楽団のショスタコーヴィチ交響曲全集を聴くようになってから、急に魅力を感じるようになりました。血の日曜の光景を直接的に描いたとされる第2楽章「1月9日」に、スネア・ドラムによる「銃撃のリズム」というのが出てきます。レニングラード交響曲の第1楽章の戦争が近づいてくることを現す部分で小刻みにリズムを鳴らしますが、あれよりは間隔が疎ながら、独特の不快感と恐ろしさを醸し出します。バルシャイの演奏で聴くと、銃撃殺傷の描写というよりもっと抽象的に聴こえるものの、恐怖が深化しているように感じられ、作品観が覆りそうな強い印象を受けました。


130613a  その銃撃のリズムが登場する辺りからは、生身の人間の感情が通わない巨大な機械、それの反復運動で人間が殲滅される光景を連想させられます。さらに、兵器ではなく元々人間の幸福のために作られた機械に巻き込まれて人間が死んでいく、或いは人間が作った制度、機構が自己目的に動き出して逆にそれに追い詰められるということを思わされます。文化、自由といったものと全く似つかわしくないものが交響曲に紛れ込んだような、深刻な違和感です。第2楽章のこの部分を速いテンポで演奏すると、勇壮な雰囲気が出たりしてこうした不快感はあまり感じられません。バルシャイの全集は出た時から好評だったものの、おとなし目の演奏としてものたらないといった論調でした。しかし改めて聴いていると、いろいろ考えさせられ、味わい深いと思いました。


 下記は交響曲第11番の新旧CDのトラックタイムです。バルシャイより新しい録音はさて置き、もう少し速目のテンポが多い傾向です。


Symphony NO.11“ The Year 1905 ”

バルシャイ・ケルンRSO・1999年
①15分27②18分44③11分28④14分17 計59分56
インバル・VSO・1992年
①15分03②18分56③13分22④14分45 計62分06
ヤルヴィ・エーデボリ・1989年
①13分49②17分01③10分30④13分30 計54分50
コンドラシン・モスクワPO・1973年
①12分33②17分28③10分29④13分22 計53分52
ムラヴィンスキー・レニングラード・1957年11月3日
①14分48②16分50③11分29④13分12 計56分19


 「体を殺しても、魂を殺すことのできないものどもを恐れることはない」とは、新約聖書の複数の福音書に出て来る言葉です。迫害を恐れるな、という励まし、戒めだと思いますすが実際ペトロら使徒もゲッセマネでは逃げているので厳しい言葉です。しかし、ショスタコーヴィチは「両手を切り落とされたら、口にペンをくわえて作曲する」と手紙に書きました。多少誇張があったとしても、その言葉からは彼が絶えず闘って何かを守ろうとしていたこと、守ろうとしたものが、おぼろげに見えてきそうです。


 銃撃のリズムはそのくらいにして、交響曲第11番には「無伴奏合唱のための革命詩人による10の詩曲」 Op.88や他の作曲家による同様の歌の旋律が使われ、これが妙に情緒に訴えるものがあります。第10番、第12番と比べまとまりが無いようなこの曲ですが、奥が深そうです。

 昨日の夜から台風の影響なのか、息苦しい程の蒸し暑さがやって来ました。今日の日中は気温が摂氏35度前後になり、とうとう本格的な夏がやってきました。蚊、ゴキブリは既に営業を初めているので毎年のことです。あとは程々に雨が降ってくれるのを待つだけです。

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昭和40年代生まれ、オットー=クレンペラーの大フアンです。クレンペラーが録音を残したジャンルに加え、教会音楽、歌曲、オペラが好きなレパートリーです。

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