raimund

新・今でもしぶとく聴いてます

ブラームスSym.2

11 6月

ブラームス交響曲第2番 シュタイン、バンベルクSO/1997年

230611aブラームス 交響曲 第2番 ニ長調 op.73

ホルスト・シュタイン 指揮
バンベルク交響楽団

(1997年7月17-19日 バンベルク,ヨーゼフ・カイルベルト・ザール ライヴ録音 エイペックス)

 このCDは昨年12月、サッカーのワールドカップの直前に聴いていて、結局記事化途中で放置していたものです。いつのワールドカップの時か、サッカー好きで知られる明石家さんまが妙に辛辣なことを言っていました。普段は国内外のクラブチームのリーグ戦なんか見向きもしないのに、国別対戦のW杯になると急に騒ぐ層に対して、サッカーが好きなのではなく、日本が外国と対戦する(対戦して勝つ)のが好きなだけだと。かたいことを言わず、万事そんなものだとして、先月のある日、ベームとウィーン・フィルのブラームス第2番を聴いて、いつになく爽快な気分になり、改めてこのCDを聴く気になりました。自分の中の定番としては梅雨に入る頃は悲愴交響曲と決まっていましたが、ブラームス第2番で潮目が変わりかけです(あくまで気分が、現実は別に変化なし)。

 
そのベームを聴いた直後に改めて聴いたらこのシュタイン、バンベルクSOの方は妙に地味に、滑らかに聴こえて、ワーグナーの楽劇の演奏の際とはだいぶ違う感じです。何となくスウィトナーのブラームスに似ている気がしました。シュタインのブラームスは過去記事で扱っていて、その際に聴いた印象では第2番はシュタインの演奏に一番合いそうな気がしていました。しかし色々聴いているとそう単純でもありませんでした。レコ芸の月評で「推薦、準、無印」と評者はランク分けしていましたが、休刊するとなって振り返るとあれもかなり難しい業務だと思います。ところで1997年の録音ならもう新譜はCDのみになっていたと思いますが、シュタインのシューベルトはLPも出ていました。 

 ホルスト・シュタイン(Horst Walter Stein 1928年5月2日:エルバーフェルト - 2008年7月27日)とギュンター・ヴァント(Günter Wand 1912年1月7日:エルバーフェルト - 2002年2月14日)は生地が同じでした。エルバーフェルトはバルメンや複数の都市と合併してヴッパタールとして成立しました。クナッパーツブッシュもエルヴァーフェルトの蒸留酒業者が実家で、エルヴァーフェルトから有名な指揮者が三人も出ています。あと1912~13年のシーズンにクレンペラーがバルメン歌劇場の指揮者になり、バイロイト以外での上演が解禁されたパルジファルを指揮しました。ほぼ同時にエルヴァーフェルトの歌劇場ではクナがパルジファルを指揮していました。

 シュタインの方が干支で一回り以上も若いことになりますが、このCDの解説にはヴァントとはタイプが異なる指揮者だと、バンベルク交響楽団でホルン奏者を長らくやっていた方の話が載っていました。指揮者には「自分のイメージをしっかり持っていてオーケストラを引き込もうとする」人と、「オーケストラの個々の奏者を尊重して任せてくれる」人があって、シュタインは後者であり、ソロの部分があれば「さあどうぞ、思う存分歌ってください、僕がつけてあげます」とばかりに指揮したそうです。その話とは対照的に
ホルスト・シュタインはまた、大声で怒鳴りまくる昔気質の楽長タイプ(どこかに書いてありました)という面があったそうなので、N響に何度も客演してTV放送でも顔が知れて身近な音楽家ながら日本でのリハーサルはどんな感じだったのかと思います。
16 11月

ブラームス交響曲第2番 ドホナーニクリーヴランドO/1987年

221117aブラームス交響曲 第2番 ニ長調 op.73

クリストフ・フォン・ドホナーニ 指揮
クリーヴランド管弦楽団

(1987年12月 クリーヴランド,メソニック・オーディトリアム 録音 Teldec)

221117b 先日ネットで「白木みのる」の訃報が流れていましたが、誰だったか分からず、世代が違うので三度笠とかはさすがにTVで観たことはありません。ところで認知症にも種類があり、アルツハイマー型に次いで多いタイプに「レビー小体型」というものがあるそうです。これはパーキンソン病に似た手足等の機能が低下する症状が特徴です。さらに幻視、本人にしか見えないものが見える、時間や場所の感覚が狂い、わからなくなるというやっかいな症状がありますが、その症状はよく現れる時と引っ込んでいる時があり、好不調の波がはっきり分かれているのが救い?です。最初は気が付かないのが大抵なので、生涯現役をかかげた何らかの権限を持つエライ人の中にこういう認知症が始まっている場合もあるかもしれないと、何となく思いました。帯状疱疹といいこれといい、長生きすればしたで苦労も出て来ると。思ったところで鏡をみると虫歯が悪化しているの気が付き、早速診察予約をしたところです(まったくろくなことはない)。

ドホナーニ・クリーヴランド/1987年
①19分55②09分02③05分00④08分48計42分45
ヴァント・NDRSO/1983年
①15分33②09分10③05分37④09分35計44分55
ジュリーニ・ウィーンPO/1991年
①18分00②12分20③06分02④11分05計47分27

 ドホナーニ(Christoph von Dohnányi 1929年9月8日 - 
 )の名前はこのところ聞かないので引退したのか、白木みのるのように旅立ったのかと思って検索するとまだ訃報は無かったようです(90歳超えか)。それで思い出してクリーヴランド管弦楽団とのブラームス第2番を聴きました。ベートーヴェンの交響曲は同じ1980年代にクリーヴランドOと録音していながらテラークから出ていたのに、ブラームスはテルデックなのはどういう経緯かと思いました。メンデルスゾーン、ブルックナー、マーラー、ワーグナーはDECCA、ベートーヴェンがTelarc、そこそこ広範囲にレコーディングしていながらドホナーニと言えばこのレパートリー、これだという作品が思いつきませんが、このブラームスはかなり惹かれました(今のタイミングで聴いたからかもしれない)。

 この第2番は「ブラームスの田園」や、「ブラームスが秋の季語」だとか、そういう事柄と切り離した作品の美しさが前面に出て、冷え冷えとしたという程で無いけれども、一種の輝きがちょっとまぶしい気がしました。第1楽章の最初の方ではフルートはかなりよくきこえて、実際にホールの席のどこに居たらこんな風にきこえるのかと思います。一時期、一部で否定的な言葉として「無機的な」というのがありましたが、ドホナーニのベートヴェンなんかもそれが当てはまるような評があって覚えがあります。それは一理あるとまで同意しないまでも、そういう言われ方がする理由もちょっと分かる気はしましたが、このブラームスはその無機的云々は当てはまらないと思いました。とにかく退屈しない、瑞々しい魅力を感じます。

 1980年代の半ば頃、ヨーロッパの大物が北米のオケにポストを得て活動することが増えていました。90年代はマズアはニューヨーク、サヴァリッシュはフィラデルフィアとそれぞれ音楽監督になりましたが、ドホナーニはその少し前ですが、彼らがヨーロッパで長く同じポストに居たのに対してドホナーニはフランクフルト、ハンブルクの歌劇場の監督は10年続いてなくて、微妙に地味でした。
29 10月

ブラームス交響曲第2番 レヴァイン、シカゴSO/1976年

22021029ブラームス交響曲 第2番 ニ長調 op.73

ジェームズ=レヴァイン 指揮
シカゴ交響楽団

(1976年7月12日 シカゴ,メディナ・テンプル 録音 Sony Classical)

 街路樹の銀杏はまだ色付いてませんが十月も終わりに近づいてきました。ノーベル賞発表にバスケのBリーグ開幕、プロ野球の日本シリーズといつも通りながら、コロナ禍になってから「いつも通り」でもなくなっています。それと関係無いとしてもクラヲタの体内時計も狂ってきて、このところブラームスの色々な作品が頭の中にチラついています(これも老化の現れか、と言えばブラームスに失礼か)。去年くらいにFMの番組のお便りに「ブラームスは秋の季語」というのがありましたが、やはり一理あるなと思います。

 それでブラームスの交響曲第2番を溌剌、又は明解なタイプの演奏で聴きたいと思ってレヴァインの廉価CDを出してきました。しかし実際はそんな単純な内容ではなくて、改めて聴いてみると、アナログ末期のセッション録音というだけでなく、シカゴ交響楽団の演奏も素晴らしくて、一部で言われる「無機的」なという言葉はあたらず、鮮烈で繊細な内容です。目立つ主題だけでなく、こういうフレーズがここで鳴っていたのかと再認識させられ、この交響曲の魅力を味わえたと思います。これを聴いていると、シューベルトとかベートーヴェンもこの時期に全部録音すればよかったと思います。

 紙箱、紙ジャケ、写真1種類のみ、冊子無しと廉価感が隅々まで感じ切ったようなセットで、おまけにトラックタイム表記も間違っていました。それはともかく四曲ともかなり好印象で、あまり目立たないのが不思議なくらいです。レヴァインの若い頃のレコーディングのためか、CDの再発売も見かけずLPの中古も目にしません。新譜当時ならアメリカのオーケストラ、若手のレヴァインということで、例えばベームとウィーンフィルとかに比べて地味で、メディアの扱いも後回しになったことでしょう。

 レヴァインがシカゴ交響楽団を指揮したブラームスの四つの交響曲は、1975年から1976年にかけて四曲をセッション録音しました。第1番を1975年、1976年7月12日には第2番と第4番の一部を、翌日に第4番の続きと第3番と三曲を二日で録音しています。ほとんど一発録りのような短期で完成させています。それにしても、ここ一年全く酒無しの生活になっていて、やればできるもんだ(別に禁酒しようと思ったわけじゃないけど)と思いました。

10 10月

ブラームス交響曲第2番 ヴァント、NDRSO/1984年

221010aブラームス 交響曲 第2番 ニ長調 op.73

ギュンター・ヴァント指揮
北ドイツ放送交響楽団

(1983年3月 ハンブルク,フリードリヒ・エーベルト・ハレ 録音 BMG)

 鉄道開業150周年ということでFMの「×(かける)クラシック」でも鉄道ネタが普段よりも多くなっています。先日は久しぶりにテレビを20分以上みて、「のみ鉄」の中で現行の寝台列車「サンライズ瀬戸/出雲」が出てきました。しかし、電車より気動車、それらよりも機関車が客車を牽引する列車に萌えるので、もう走ってないと分かると余計に昔の寝台列車が慕わしくなってきました。奈良県には「桜井線」というローカルな路線があり、その中に天理駅があります。天理教の大祭の臨時列車、「天理臨」というのがあり、奈良線から桜井線まで普段は走っていない24系25型の寝台列車が、東北、北陸方面からも乗り入れて来ることがあったようです。寝台車は海外へ譲渡されているそうなので、現在の天理臨はどんな列車なのだろうと思います。

221010b 先月か八月のある朝、車の中でFM放送を聴いているとブラームスの第2交響曲が流れていました(途中から聴けた)。一瞬これはフルヴェンの演奏かと思ったけれど、すぐにいや違う、こんなに端正なことはないはずと思って最後まで聴いていました。するとベイヌムの指揮だと分かり、それ以上に作品に対して今まで以上に親近感が湧きまくり、これまで好きだった第4番、第3番に並ぶくらいになりました(あくまで自分の中でということで)。その後バルビローリ、ウィーン・フィルのSACDを何度か聴き出しながら、なかなか最後まで通して聴けずにいました。どうも遅、重くてラジオで聴いた際の感銘がよみがえってこない気がしていて、不意にヴァントと北ドイツ放送SOとの旧録音のことを思い出してさっそく聴きました。

ヴァント・NDRSO/1983年
①15分33②09分10③05分37④09分35計44分55
ジュリーニ・ウィーンPO/1991年
①18分00②12分20③06分02④11分05計47分27
バルビローリ・ウィーンPO
①15分35②10分24③05分41④09分59 計41分39
モントゥー・VPO/1959年
①20分28②09分20③05分06④09分00計43分54
クレンペラー・PO/1956年
①15分03②09分17③50分28④09分04計38分52
トスカニーニ・PO/1952年
①14分38②80分20③05分16④08分50計37分04

 ヴァントと北ドイツRSOのブラームスなら90年代録音の方が代表的という定評、扱いのようで、実際自分も最初にこれら1980年代の方を聴いた時はブルックナー程は感銘は受けずに、ストイック過ぎという印象でした(再録音があると分かってもスルーしていた)。しかし、かなり久しぶりに再生してみると清涼感あふれる響きに聴こえて、この作品らしい演奏、作品の魅力を増幅しているのではないかと思いました。ブラームスの第2番と言えばモノクロ映像でベームが指揮するコーダ部分が頭の中に現れて、断片的ながらその颯爽とした演奏がいつまでも記憶に残っています(多分ベームの1950年代くらいの演奏のはず)。そんな刷り込みのようなものがあるから、ブラームスの第2番はある程度流れるような感じが欲しいような気がしていました。

 上記のトラックタイムをながめていると、ヴァントの合計演奏時間はそれほど短くなくて、古いクレンペラーのEMI盤と近い時間になっています。バルビローリの方はリピートの影響があるのか、それほど長くなく、ヴァントより短い合計時間になっています。ヴァントのCDを出して来るまで聴いていたバルビローリ、ウィーン・フィルは、川の流れが遅い「トロ場」か淵のような感じだったので、聴いた印象と時間はどうも食い違います。
5 6月

ブラームスの交響曲第2番 マーツァル、チェコPO/2009年

190605ブラームス 交響曲 第2番 ニ長調 Op.73

ズデニェク・マーツァル 指揮
チェコ・フィルハーモニー管弦楽団

(2009年10月8,9日 プラハ,ルドルフィヌム,ドヴォルザークホール 録音 EXTON)

 五月の末頃から朝方目がさめるとウグイスの鳴き声がきこえることがあります。家のかなり近い所からきこえ、まず間違いなくスピーカー越しじゃない本物のウグイスのようです。しかし、連続しないで
谷渡りどころか「ホーホケキョ」と一回で終わります。そのへんがどうも偽物くさいところですが、鳴声自体は心地よいので別に偽物でもかまいません。六月五日は地元では暗闇の奇祭、「あがた祭り」の日でした。そろそろ田に水が入って田植えも終わるこの季節に珍しく頭の中にブラームス作品がちらついて聴きたくなりました。

 それでマーツァルがチェコ・フィルと録音した交響曲第2番を聴きましたが、このコンビによるEXTONレーベルへの録音の中でドヴォルザークと並ぶくらいの相性の良さじゃないかと思いました。それに下記のギーレンのCDがとっさに思い出されて、演奏時間だけでなく何となく似ている気がしました。ただ、オーケストラの音と音質は今回のマーツァルの方が良くて、ドヴォルザークやマーラーと同心円の作品のように感じられます。

マーツァル・チェコPO/2009年
①14分54②10分05③4分55④09分13計39分07
ギーレン・SWRSO/2005年
①14分53②09分15③5分25④09分36計39分09
イヴァン・フィッシャー/2012年
①20分06②09分00③5分38④09分33 計44分17
ジュリーニ・ウィーンPO/1991年
①18分00②12分20③6分02④11分05計47分27

 マーツァルの演奏はEXTONのCDでしか聴いたことが無くて、チェコを去ってからチェコ・フィルの首席に就くまでの長い期間はどんな活動だったのか、もしかすればラジオで聴いたことがあったかもしれないけれど全くおぼえがありません。チェコ・フィルとのCDは本場もの、チェコ・フィルを前面に出した企画だという先入観があって、
マーツァルはどういうタイプの演奏なのかあまり意識できませんでした。それがこのブラームス第2番を聴いて、控えめにオーケストラの後ろに立つタイプよりも独自の作品観を反映させる方に傾斜したタイプだと思えました。

 そのおかげか、これを聴いた季節、気候のためか、今まで四曲中で最も関心が薄かった第2番が大いに素晴らしい作品だと実感できて、近年まれな感銘度だと思いました。ブラームスの第2番は高嶋ちさ子がTV番組でその魅力を力説して、一番好きな作品(四つの交響曲中という意味だろう)だと言っていたことがあり、それを見て多分自分は生涯そんな風にこの曲のことを好きにならないだろうと思っていました。今回このCDを聴いて第2番が一番とまでは思わないけれど、他の作品とそん色ないくらいにはなりました。
12 10月

ブラームス交響曲第2番 ボールト、ロンドンPO/1971年

181012ブラームス 交響曲 第2番 ニ長調 Op.73

サー・エイドリアン・ボールト 指揮
ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団

(1971年1月16,28日,4月15日 ロンドン,キングズウェイ・ホール 録音 tower records/EMI)

 先日の午後、JR山科駅から運行している路線バスの循環路線に乗ったところ、自分が思っていたルートとは逆回り(総統閣下風に言えば「(確認が)足らんかったー、畜生めえ」)だった上に小型バスだったので吊革、天井までの高さが合わず、吊革が出ている金属のポールを固定する金具をつかんでやっと立っていられました(狭い道を通るので揺れまくり)。それに乗客は自分と下校の高校生一人の他は全員70歳代らしい高齢者だったのには妙な感慨を覚えました。その辺りには公営の団地もあって、かつては幼稚園、小学校に通う子供がいっぱい居たはずで、高齢化する日本をまた実感しました。

 といったところで80歳を超えたボールト晩年のブラームス録音集から、今回は交響曲第2番を聴きました。先日聴いた第3番が同曲の録音中で屈指の感銘度だったように今回の第2番も引けを取らない内容でした。演奏だけでなく録音、リマスターを含めて音質も良好で、時々技量がいまいちだと評されることのあったロンドン・フィルもなかなかではないかと思いました。ロンドン・フィルは戦時中にビーチャムに放り出されて以降ボールトが献身的に関わり、財政難をも乗り切ってポストをゆずったという経緯がありましたが、これくらいの年代ではロンドンのメジャーなオーケストラの序列、格はどうなっていたのだろうと思いました。

ボールト・LPO/1971年
①19分14②8分27③5分17④9分53計42分51
ケンペ・ミュンヘン/1975年
①16分00②9分32③5分15④9分01計39分48
モントゥー・VPO/1959年
①20分28②9分20③5分06④9分00計43分54
クレンペラー・PO/1956年
①15分03②9分17③5分28④9分04計38分52
トスカニーニ・PO/1952年
①14分38②8分20③5分16④8分50計37分04

 過去記事で扱ったブラームス第2番のトラックタイムを比べるとリピート有無の加減もあると思いますが、モントゥーとウィーンPOの合計時間が一番近くなっています。しかし実際に聴いた印象はどれも似ていなくてどれも独特だと思いました。ボールトとロンドン・フィルは伸びやかで屈託が無い、小川というかそこそこの川のせせらぎのような心地良さにあふれています。淀むとか滞るということと程遠くありながら単調とも思えない、全く魅力的なヴラームス第2番です。とか言いながら今年の猛暑の頃にこれを聴いていたらあまり感銘を受けなかったかもしれません。この曲を聴いてこれ程満足することは滅多に無いのでわがことながら内心驚いていました。

 このCD集の付属冊子に載った解説には英国では早くからブラームス作品の受容が進み、1876年にはケンブリッジ大学が名誉博士の授与を申し出た程でした(それに比べてブルックナーは)。それにもかかわらずブラームスの方はどうも英国、イングランドに好意を持っておらず名誉博士を断っています。もらえるものはもらっておいて損は無さそうだと思いますが、さすが一筋縄ではいかない気質のようでした。
15 1月

ブラームス交響曲第2番 I.フィッシャー、ブダペスト祝祭O/2012年

170115bブラームス 交響曲 第2番 ニ長調 Op.73

イヴァン・フィッシャー 指揮
ブダペスト祝祭管弦楽団

(2012年2月 ブダペスト芸術宮殿 録音 Channel)

 昨夜に雪の話を書いていたら今朝目がさめたら10センチくらいの積雪があって、自動車の屋根にもこんもりと積もっていました。すぐに溶けると思っていると気温も低くて、9時過ぎでもたっぷり残っており、おまけに道路もアスファルトが見えないところが大半でした。と言っても凍結しているわけでなし、豪雪地帯に比べれば何でもないと思って車で家を出たところ、動いている車があまり無くて、車輪の後を通ろうとしても鮮明でなくて困りました。やむをえずパートタイム4WDの低速モードを模したXモード(フルタイム4WDのフォレスターに装備されている) を使って幹線道路までのろのろと走りました。途中で電車に乗り、京都市内まで行ったらさらに多くの雪が残っていて、本格的なチェーンを巻いた車の音がきこえました。チェーンの巻き方は教習所で一応習ったのに全く覚えていなくて、そろそろ自分で装着出来るようにしておかねばと思って金属製のチェーンを付けた車を見送っていました。

170115a さて、 イヴァン・フィッシャーとブダペスト祝祭管弦楽団のブラームス交響曲第2番。先日のマーラー第9番の印象からすれば、この曲にうってつけだと想像した通り、かなり素晴らしい演奏でした。自分の中ではブラームスの四つの交響曲の中では親近度四番目な第2番ですが、これは冒頭から鮮烈で音質共々に滅多に感じられない程の好印象でした。これはI.フィシャーのブラームスでは第2弾にあたり、目下第3番を残すのみとなっています。このCDの紹介記事(HMVのサイト)にはフィッシャーが「ブラームスの交響曲第2番を “ Sunny ” と例える」と記載されていました。英語の意味だとしたら「日当たりが良い」とか「陽気な」くらいなので、この曲にこの語を冠したとしても別に特異ではないはずです。しかし、その記事には「ますます冴え渡る独創的な解釈」と続いています。

 解説の英文を読めば分かるのでしょうがそこまでの根気は無いのでやめておきます。この録音の素晴らしさはI.フィッシャーの指揮だけでなく、ブダペスト祝祭管弦楽団の演奏、技量にもあるはずで、ベートーベンやマーラーの時以上に冴えわたっているように思えました。1983年に設立の約十年後の1992年から常設のオーケストラになり、団員とはソリストとして契約し、毎期オーディションを課しているようです。 現在でもそんな頻度でオーディションを行っているのかどうか分かりませんが、20年以上団員として契約しながら直近のオーディションで水準にみたないと判定されたらちょっと困ったことになるだろうと思います。他の有名オケでこういう制度を実施したら現在の団員が入れ替わるところも出るはずで、選考、審査に納得が行かない場合は却って水準が下がったり、士気が低下することも考えられます。

 この曲は過去にあまり扱っていなくて新しい録音も少ないですが、下記のように以外に?今世紀に入って録音したギーレンと第1楽章以外は近似した演奏時間になっています。

イヴァン・フィッシャー/2012年
①20分06②09分00③5分38④09分33 計44分17
ギーレン・SWRSO/2005年
①14分53②09分15③5分25④09分36 計39分30
ジュリーニ・ウィーンPO/1991年
①18分00②12分20③6分02④11分05 計47分27

 往年の名指揮者セルも厳しく団員の入れ替えを行っていたというのでこれも宿命ということでしょう。ともかくCD(SACD)でI.フィッシャーとブダペスト祝祭管弦楽団を聴いていると彼らが来日したら是非ホールで聴きたくなってきました。 何度も来日しているのにその時にはCDも聴いたことがなく、アダム・フィッシャーの弟くらいの認識だったのが残念です。
28 1月

ブラームス交響曲第2番 ケンペ、ミュンヘンPO

160128bブラームス 交響曲 第2番 ニ長調 OP.73

ルドルフ=ケンペ 指揮
ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団

(1975年12月12,13,15日 ミュンヘン,ビュルガー・ブロイケラー 録音 EMI)

 先日地方気象台や中京税務署が入っている京都地方合同庁舎へ立ち寄った際、軍服を着た人が何人か居て映画の中の旧ソ連を思い出して、何の騒ぎかと思ったらその合同庁舎にはほかに自衛隊京都地方協力本部も入っているのが分かりました。そこでは管理、広報や募集、再就職などの業務を行っているらしく、別に弾薬が多数保管されているのではないようです。普段見慣れないだけに軍服を見ると、駐車した場所が来庁者用じゃなかったりしたらちょっと嫌というか、極道系とはまた違った不思議な威圧感を覚えます(Sターリン時代だったら何かと理屈を付けて粛清されたのだろうと、自衛隊とは全関係無いのに)。ちなみに現本部長は一等陸佐の方が就任されていました。

160128a 久しぶりに聴くとすごく新鮮で感動するということはしばしばあり、年末に半端な容量のSDカードにカーナビで再生して聴くために入れて置いたブラームスの交響曲を最近聴いていたらまさにそんな状況でした。ブラームスの四つの交響曲の中でも第2、第3の二曲は個人的にあまり好きではなくて、仮にオーケストラの定期公演のプログラムに入っていても行こうかどうか迷う程度でした。第4番がダントツに好きで、それがプログラムに入っていたらとりあえずチケットを買って置くというのとは対照的です。それがケンペ (Rudolf Kempe 1910年6月14日 - 1976年5月12日)が晩年にミュンヘンPOと録音したもので聴くと、久しぶりに聴いたことだけが理由なのかどうか、とにかく隅々まで素晴らしくて曲の真の姿を初めて知ったような感動を覚えました。

ケンペ・ミュンヘン/1975年
①16分00②9分32③5分15④9分01 計39分48
モントゥー・VPO/1959年
①20分28②9分20③5分06④9分00 計43分54
クレンペラー・PO/1956年
①15分03②9分17③5分28④9分04 計38分52
トスカニーニ・PO/1952年
①14分38②8分20③5分16④8分50 計37分04

 具体的にどこがどうなっているのか、1970年代のアナログ録音であり何度かCD化されてはいても地味な存在だったはずです。ケンペのブラームス第2番は1950年代のベルリンPOとのセッション録音のほか、1960年代にもバンベルク交響楽団とも録音しているそうです。ミュンヘンPOとのブラームスはどれも良いと思いましたが、特に第2番と1番が際立っています。同じ時期のベートーベンも複数回国内盤で再発売されていますが(過去記事で何種か取り上げた)、ブラームスの交響曲はさらにそれ以上の感銘度だと思いました。

 1950年代のブラームス第2番のレコードの演奏時間とあわせて列記すると上記のようになり、第2楽章以降はモントゥー、クレンペラーとあまり変わらず、モントゥーとの第1楽章の差はリピート有無かもしれないので、やっぱり個性的な、とにかく目立つタイプという演奏ではなさそうです。
10 2月

クレンペラー・フィルハーモニアOのブラームス交響曲第2番

ブラームス 交響曲 第2番 ニ長調 OP.73


オットー=クレンペラー 指揮
フィルハーモニア管弦楽団


(1956年10月 ロンドン,キングスウェイホール 録音 EMI)

150210 神武節の頃は寒かったと聞かされた通りここ二日の冷えこみはきつく、昼間外を歩いても手や顔が冷たくて今季一番だと思いました。午後の二時過ぎにネット経由でFMを聴いたところブラームスの「ハイドンの主題による変奏曲」が流れていました。やけに明るくポップな曲にきこえて、こんな曲だったか?と思うくらいでした。番組表で確かめたらバーンスタインとウィーンPOの録音で、昔聴いた時はあまり感心しなかったものだったので我ながらちょっと驚きました。ともかくその放送を聴いた後は何となく暖まったような気になりました。それで思い付いたのがクレンペラーのブラームスで、四つの交響曲は全部取り上げたつもりでしたが、第2番が過去記事の中に見つからなかったので今回取り上げました(だぶっているかもしれない)。

 クレンペラーのブラームスは1枚1800円のLPを購入して聴いていて、特に第4番が圧倒的に気に入っていました。当時は第2、3番は印象が薄くてCD化されるまであまり聴きませんでした(曲自体があまり好きでもなかったので)。過去記事でこのCDに言及した部分で「激しく堅固な演奏」とコメントしていました。今回改めて聴いているとそれだけでなく、古い録音らしい音質ながら伸びやかで潤いがるように思えました。特に第2楽章が素晴らしくて堅固なだけではない魅力(いい加減なことを言って)です。

クレンペラー・PO(1956年)
①15分03②9分17③5分28④9分04 計38分52

モントゥー・VPO(1959年)
①20分28②9分20③5分06④9分00 計43分54
トスカニーニ・PO(1952年)
①14分38②8分20③5分16④8分50 計37分04

 1950年代のCDのトラックタイムを列記すると上記のようになり、リピートの有無の差もあるはずです。第2楽章以降を見るとクレンペラーはモントゥーとあまり変わらず、より後年の演奏程は遅くなく、VOX社への録音のような快速とまではいかない微妙な感覚です。今回第2番を聴いていると長らく愛聴していた第4番が息苦しいような気がしてきました。第1番も第4番と似た印象だったので、そもそも第2番こそクレンペラーのブラームスの中で屈指の名演かもしれません。そんなわけでブラームスらしいのか、とことんクレンペラーらしいかどうかよく分からないながら、この第2番は小春日和のように魅力的でした。

 ところで神武節、戦前は尋常小学校、国民学校へ登校して奉安殿に安置してある天皇皇后両陛下の肖像写真へ向かって拝礼したと聞かされました。皆が頭を下げている時、そっと少し顔を上げてみると写真があるのが見えたと母は言っていいました。それに紅白の饅頭が配られたので皆喜んでいたそうでした。

28 4月

ブラームス交響曲第2番 ジュリーニの二度目録音 ロスPO

ブラームス 交響曲 第2番 ニ長調 OP.73

カルロ・マリア・ジュリーニ  指揮
ロサンジェルス・フィルハーモニー管弦楽団

(1980年11月 録音 DG)

120428  先日のブルックナー第2番より少し新しいジュリーニのブラームスの交響曲第2番です。昨日の昼間、車中でこのCDを流していて爽やかな天候とも相まってブラームスの第2番ってこんな素晴らしい曲だったかと、ひとりで悦に入っていました。またロスPO(クレンペラーゆかりのオケである)と録音していた頃のジュリーニの演奏は一番取っつきやすく、屈託なく楽しめるのではないかと思います。ジュリーニはブラームスの交響曲全曲を、1960年代にフィルハーモニア管弦楽団(第4番だけがニュー・PO)と、1990年前後にウィーンPOとそれぞれ録音しています。このCDはそれらの中間の年代に録音されたものです(4曲全部録音されたか分かりません)。CDのパッケージを見ればデジタル録音と表記されています。同じくロスPOと録音した田園交響曲はアナログなので、ちょうど境目の時期になります。

 このCDはセッション録音で、音質というかバランスも良く木管も打楽器もすごく美しく聴こえます。これはロスPOの特質なのか、ジュリーニの手腕なのか、名を伏せて聴いたとしてヨーロッパのメジャーなオケだと言われても疑問はわかないだろうと思いました。

ジュリーニのブラームス第2番
ロスPO(1980年)
①22分31②10分41③5分41④09分45 計48分38

ウィーンPO(1991年)
①18分00②12分20③6分02④11分05 計47分27

 ブラームス第2番、二種の録音の演奏時間を見てみると第2楽章以降でロスPO盤の方が短くて、第1楽章だけが逆に4分以上旧録音が長くなっています。これは第1楽章での主題反復の有無の違いによるものでしょう。

 何も考えず通して聴くと(いつもそうだけれど)、ロサンジェルスPOとの録音の方がちょうど良いテンポで、溌剌としています。未だに昨日の爽快な余韻が残っている感じですが、この作品の魅力はそういう要素だけなのかという疑問も残ります。昔どこかで、カルロス=クライバーがVPOを指揮してこの曲を演奏した映像から、彼が凝った弓使いをさせているという指摘が解説されていたのを読んだことがありました。中身は忘れましたが、一筋縄ではいかない曲だと書かれてあったと思います。ジュリーニのVPOとの晩年の録音は何とも言い難いものがあり、新旧連続で投稿するのは難しいと思いました。しかし評判そのウィーン盤の方が高かったはずです。

 昨夜は毎年年末に伺うある事務所が組織改編で二分割移転することになり、名残の宴に行ってきました。私はそこの発足当時から知っていてもう15年くらい経つので、一つの時代が終わったような感慨深いものがありました。しかし到着するとそういうしめっぽい空気は一切なく、普段と同じ喧騒で、大量の梱包用段ボールと移転荷物が整列していました。なし崩し的に宴に入ると、バイト・パート列伝のような話になり、私の知らないえげつない猛者が居たことを知りました。何にしても、これで御用収めの当夜は静かな夜になりそうです。

10 10月

ブラームス 交響曲第2番 モントゥー・VPO 1959年

ブラームス 交響曲 第2番 ニ長調 OP.73

ピエール=モントゥー  指揮
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

(1959年4月13,15日 ウィーン、ソフィエンザール録音 DECCA )

111010b  ピエール=モントゥー(1875年-1964年)は、フランス生まれでパリ音楽院に学び、ディアギレフ率いるロシアバレー団の指揮者をつとめていました。その際にストラヴィンスキーの春の祭典等の初演を行っています。20世紀の前半、戦前までの時代を演奏家が同時代の作曲家と密接に関わり、共同作業的に作品の創造に貢献していたと評されることがありますが、まさにそういう時代の人物の一人です。生粋のパリ人ながらこの人もユダヤ系の民族のようです。実は長らくモントゥーはユダヤ系とは知らず、また全然気が付きませんでした。このブラームスの第2番を聴いても、そうしたことは全然分かりません。同じフランス人でもポール=パレーの方がそうかもしれないと思っていました。

 モントゥーは、ブラームスやベートーベンも得意にしていました。また生前はブラームスの前でブラームスの何らかの作品を演奏した経験があるそうです。そうしたこともあって、ドイツ・オーストリア系の作品の中でもブラームスは特別な存在だったようです。交響曲第2番は最晩年にロンドン交響楽団と録音したものが有名だったはずです。このCDはそれではなく、3年前にウィーンで録音されたものです。特にこのウィーン録音の方が良いとかそういう趣旨ではなく、そもそもロンドンSOの方は手元に無いので分かりません。再録音までの期間が短いのは不思議で、どちらが主導権をとったのか分かりませんが出来栄えについて何らかの不満があったのかもしれません。

 このCDはモントゥーがDECCAと旧フィリップスに残したセッション録音を集めたものの2枚目のCDです。プロデューサーはジョン・カルショーです。CD集はラベルのボレロやドビュッシーの映像等のフランスの作品、チャイコフスキーの眠れる森の美女の他に、このブラームスの第2、バッハの管弦楽組曲やハイドンの時計、シベリウスの2番等も収録されています。

111010c  改めて聴いてみると、冒頭からすごく伸びやかで明朗な響きに惹きつけられます。ブラームスの田園交響曲とはよく言ったと思えてきます。またウィーンフィルの音色も加わって素晴らしい美しさです。以下はブラームスの交響曲第2番について1950年代の録音の演奏時間を列記しました。モントゥー盤の第1楽章が長いのは、主題のリピートによるものだと思います。第1楽章は別にすると、3つとも大きな違いは見られません。トスカニーニの第2楽章は1分程速いですが、他は近似しています。しかし、数値とは別に聴いた印象はかなり違います。トスカニーニ最晩年のライブは、おとなしくなった(?)としても強烈な推進力と歌に充ち溢れています(第4楽章で金管がフライングしている程)。クレンペラーのセッション録音は、田園というニックネームが似合わない激しく堅固な演奏です。

モントゥー・VPO(1959年)
①20分28,②9分20,③5分06,④9分00 計43分54

クレンペラー・PO(1956年)
①15分03,②9分17,③5分28,④9分04 計38分52
トスカニーニ・PO(1952年)
①14分38,②8分20,③5分16,④8分50 計37分04

111010a  京都市役所南側の大通り、「御池通」の地下には駐車場と「ゼスト御池」という地下街があります。地下鉄東西線の「京都市役所前」駅の改札と直結しています。その中に新星堂も出店していましたが、先月いっぱいで閉店してしまいました。かつては、宇治市内の近鉄小倉駅前の西友の中や、JR京都駅の北側、京都タワーの北にあった近鉄百貨店の7階にも出店していました。その2店舗はクラシック売場がかなり充実していて、近鉄百貨店の方は輸入盤も豊富で、個人的に息抜き的スポットでした。閉店になったゼスト御池店は、クラシックはオムニバス盤かベスト100的なものが少しある程度で、あまり寄ることはありませんでした。CD等のソフトの売れ行きはやはり低迷しているようです。

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19 3月

ブラームス交響曲第2番 ギーレン 南西ドイツ放送SO

ブラームス 交響曲 第2番ニ長調Op.73

ミヒャエル・ギーレン 指揮

 南西ドイツ放送交響楽団(SWR Sinfonieorchester Baden-Baden und Freiburg

(2005年5月25-31日フライブルク、コンツェルトハウス 録音)

 このところ何度か取り上げたブルックナーの交響曲第3番(第2稿)の初演は大失敗に終わりました。同じ頃にブラームスの交響曲第2番の初演がウィーンで行われ、こちらは絶賛だったということです。今ではどちらの作品も広く価値が認められているので、初演の状況だけを聞けば「差別じゃないか」と一瞬思ってしまいます。実際はブルックナーの初演が、当日最初に他の作曲家の作品を何曲か演奏していて、ちょうど聴衆がそろそろ帰りたくなる時間に当時としては長大なブルックナーの作品が演奏されたという点、指揮をしたブルックナーがあまり上手くなかった点等良くない条件が重なっていました。それと、当時のウィーンの音楽界の趨勢というか、趣味も反映しているのでしょう。実際ブラームスの第2番はウィーン初演の翌年に、ライプティヒで演奏された時は不評だったと解説に書いてありました。

 ブラームスの4曲ある交響曲の中では第1番の人気が抜きん出ているようです。完成までに20年以上を要した第1番とは対照的に、この第2番は約4ヶ月で完成しています。第1番が、ベートーベンの第九に続く「第十」交響曲と称されるのに対して、第2番はブラームスの田園交響曲とも呼ばれます(レコードの解説には必ずと言っていいほど注記されて、改めて書くのも芸がないですが、無視はできない呼び名です)。このように常にベートーベンと並び称されるのは、作曲家として高い評価の証ですが反面独自性という点ではちょっとどうかと思えます。そう考えるとブルックナー、マーラーの作品には初演時に十分理解されず失敗だったものがあっても、それだけ革新的、個性が強かったと考えられ、一つの勲章とも受け取れます。

 ギーレンは現役の指揮者の中でかなり好きで、知らない録音が出てくれば非常に気になります。このCDもかなり気に入っています。ただ、曲がここ数年の気分の周期としてあまり聴く気にならなかったので、とり出す頻度は低い方でした。

①14分53,②9分15,③5分25,④9分36 計:39分30

 このギーレン盤の演奏時間・トラックタイムは上記の通りです。先日のブルックナー交響曲第3番(第2稿・ノヴァーク版)の演奏と同様、淡白な表現で、この曲としては速い部類だと思います。ちなみに、ジュリーニ・ロスPO(1980年11月録音・DG)の演奏時間と比べると10分近くも短くなっています。第1楽章の差が8分近くあり、これは第1楽章主題提示部のリピート有無の差でしょうか。他の楽章は少しずつギーレンが速くなっています。ただ、比較ではなくこのギーレン盤を聴いていると、速すぎるとかそういった違和感は感じられません。1980年代のベートーベンの録音時とはどことなく印象が違います(よくも悪くも)。

 ジュリーニのブラームスと言えば、80年代末から91年にかけてのウィーンPOとの全曲録音(1991年4月)が評判で、60年代にPOとも全曲録音しています。

ジュリーニ・ロスPO(1980年)
①22分31,②10分41,③5分41,④09分45 計:48分38

ジュリーニ・ウィーンPO(1991年)
①18分00,②12分20,③6分02,④11分05 計:47分27

  ジュリーニの古い60年代の録音は記憶にありませんがロスPOとウィーンPOの、各楽章ごとの演奏時間は上記の通りです。ウィーンPOとの方がゆっくりだと思い込んでいましたが、数字で見るとそうではありません。

110319  ブラームスの交響曲に関して、個人的に思い出があります。十五年以上前に同じ業界の、仮に探偵業として、先輩が事務所を移転した際に何人かでお祝いを持って新事務所を訪問しました。その時に、本棚にバーンスタインとウィーンフィルのブラームス交響曲全集のCDが武満徹と混じって並んでいました。内心クレンペラーではないなあと残念に思っていましたが、とにかく都心部の良い場所に広い事務所をと感心しました。拡張移転時にあったCDなので縁起が良いと思い、その後私もブラームス全曲を置いておこうと思い、同じDG、ウィーンPOでジュリーニのCDを探しました。確かに評判通り美しい響きだと思いつつも、何となくしっくりこない、なじめない気がしていました。そういうことも忘れている内に今回のギーレン盤が出てきて非常に満足しています。

 ブラームスの交響曲第2番といえば、20年以上前にNHK教育TVで放送された、BBC制作の音楽史の番組でカール・ベームが指揮するモノクロ映像が紹介されて、第4楽章の終わりの部分でしたが、非常に白熱していて後のステレオ録音よりもずっと魅力的に思えました。そのごく短い映像の記憶がこの曲のイメージとして刷り込まれて、なかなか呪縛が解けませんでした。それもこのギーレン盤で完全に消えてしまいました。ただ、件のベームのモノクロ映像と音源は何だったのかと、ちょっと気になります。

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昭和40年代生まれ、オットー=クレンペラーの大フアンです。クレンペラーが録音を残したジャンルに加え、教会音楽、歌曲、オペラが好きなレパートリーです。

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