raimund

新・今でもしぶとく聴いてます

ベートーベンSym.2

14 5月

クレンペラー、ベルリンRIASのベートーヴェン第2番/1958年

210506ベートーヴェン 交響曲 第2番 ニ長調 Op.36 

オットー=クレンペラー 指揮
ベルリン放送交響楽団

(1958年3月29日 ベルリン,音楽大学 ライヴ録音 Audite Deutschlandra)

210506a 今年もクレンペラー(Otto Klemperer 1885年5月14日 - 1973年7月6日)の誕生日がやってきました。クレンペラー指揮のEMIのセッション録音以外が増えたものの、大半がEMI盤と重なる曲目なので強化期間もネタ切れ、息切れ感がしてきます。それでも19世紀生まれの指揮者はレコーディングに熱心でない、嫌いということが多く、クレンペラーも実演が聴けないところに音楽をもたらすもの、無いよりはマシという風に言っています。しかし、フィルハーモニア管弦楽団は元々レコード会社が設立したこともあり、このオケとレコードを作ることは娘ロッテのためだとして、そこそこ熱心に取り込んでいました。おかげで我々のような極東の住人もその演奏を知ることができたわけで有難いことです。

210510a この音源はAudite Deutschlandra レーベルから出たクレンペラーがベルリンRIASの交響楽団を指揮した録音集の中の
1958年分の一曲です。同レーベルからはクナッパーツブッシュやフルトヴェングラーのベルリンでの音源集が出ていてその音質の良好さも定評があります。今回の1958年3月29日はエグモント序曲、ベトーヴェンの交響曲第2、第3番というプログラムであり、1960年のウィーン芸術週間のベートーヴェン・チクルス初日と似た内容(ウィーンでは献堂式序曲)です。この年の秋にクレンペラーは自宅で大火傷を負い、翌年の半分くらいは活動できなくなったのでEMI・フィルハーモニア管弦楽団の最初の絶頂期とでも言える時期の最後という位置付けです。

ベルリンRIAS/1958年
①13分05②11分46③3分44④6分39 計35分14

ウィーン芸術週間・PO/1960年5月29日
①13分25②11分55③3分46④6分44 計35分50
クレンペラー・PO/1957年10月・EMI
①13分24②13分07③3分56④7分01 計37分28
PO/1957年11月公演
①12分47②11分16③3分12④6分26 計33分43
BBC/1955年12月11日
①12分48②12分12③3分46④6分50 計35分36

 このレーベルのベルリンRIASの録音集には(聴衆無し)スタジオ録音と表記されたものがありましたが、この1958年のオール・ベートーヴェンプログラムはライヴと表記され、客席の雑音も入っています。ただ、演奏後の拍手等は入っていません。演奏時間を比べると1955年のBBCSOとのライヴ、1960年ウィーン芸術週間ライヴと同じく35分台の合計時間です。音質の関係からかこのベルリンでの第2番が特に流麗で、ちょっとモーツァルト的な感覚です。それもクレンペラー指揮のモーツァルトよりもスマートなと言えば矛盾するかもしれませんが、とにかくクレンペラーにしては流れるような感覚の第2番です。

 また、透き通るような美しい響きも独特で、これと似た感覚はテンポ感は少々違うもののケルンRSOとのドン・ジョヴァンニや同じくケルンRSOとの第九の演奏で感じられました。先日の北ドイツ放送交響楽団のベートーヴェンに「灼熱のクレンペラー」というコピーが付いていましたが、それとはまったく逆の寒ざらしのクレンペラーか冷水のクレンペラーといったところです。実際に演奏している会場で聴いていたならそんなに違わないかもしれませんが、CDを経由すると結構違います。
1 5月

クレンペラーのベートーヴェン第2/1960年ウィーンのLP

210501aベートーヴェン 交響曲 第2番 ニ長調 作品36

オットー=クレンペラー 指揮
フィルハーモニア管弦楽団

(1960年5月29日 ウィーン,ムジークフェラインザール  ライヴ録音  Altus)

210501b 去年と同じく緊急事態宣言下、
今日から五月です。5月14日がクレンペラー(Otto Klemperer 1885年5月14日 - 1973年7月6日)の誕生日なので、このブログではその前後にクレンペラーを偲んでその録音を取り上げるのが習慣でした。このタイミングで、クレンペラーが戦後の1947-1961年の間にアムステルダム・コンセルト・ヘボウ管弦楽団と共演した正規音源がSACDハイブリッド仕様で発売されるニュースがありました。クレンペラーはベートーヴェンの交響曲を連続演奏することにこだわりを持ち、ベルリンを追われてから1933年のナチス政権成立後に1934年にロスアンジェルス、1935年ミラノ、1936年にはストラスブールでそれぞれベートーヴェン・チクルスを行いました。戦後は1949年、1951年、1956年、1958年と四回もアムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団を指揮してベートーヴェンの交響曲を全曲連続演奏しています。ロンドンのフィルハーモニア管弦楽団でもベートーヴェン・チクルスを行ったのはアムステルダムでの公演が好評だったからでした。ロンドンでも大成功で翌シーズンも行う予定だったのがタバコの火による大火傷で同シーズン全部を休養することになり、1959年の5月下旬からのウィーン芸術週間でも予定していたベートーヴェン・チクルスが一年延期になりました。

210501 
その1960年のウィーン芸術週間でのクレンペラーの公演はラジオ放送のためにライヴ収録(モノラル)されてまとめてCD化(CDとSACDシングルレイヤーの二種)されていました。さらにLPレコードでも発売されました。今回の第2番はそのLPレコードをモノラル専用カートリッジでも再生しました。交響曲第2番は初日、5月29日の二曲目でした。なお公演の曲目のうち献堂式序曲とヴァイオリン協奏曲はCD、LPともに含まれていません。この5月29日は午前中にワルター最後の公演があり、クレンペラーの公演は19時30分からでした。

1960年のウィーン芸術週間でのクレンペラー
5月29日(献堂式序曲、第2、3番)
5月31日(エグモント序曲、第4、5番)
6月2日(プロメテウスの創造物序曲、第6、7番)
6月4日(コリオラン序曲、Vn協奏曲、第8番)
6月7日(第1、9番)

 この第2番はCDを聴いた際に過去記事で扱っていますが、公演直後に「真にオーセンティックな」と評されたように全く堂々として格調の高いベートーヴェンです。交響曲第2番の初演時には特に終楽章が酷評されたということですが、そうした評を寄せ付けないような威容です。EMI盤で時々感じるギクシャクとした歪のようなものも後退して、速くはないけれど意外なほどに終始流れるような感覚です。EMIへレコード録音するようになった1954年から大火傷で休養するまでの1958年9月くらいまでの次、1959年から自主運営のニュー・フィルハーモニア管弦楽団になるまでの期間のクレンペラーの演奏は、いよいよテンポが遅いものが増えてきました。1960年のウィーン芸術週間はクレンペラーの普段のスケジュールと比べて相当に過密でしたが、心身ともに好調だったのでこの一連のベートーヴェンの演奏となりました。

クレンペラー・PO/1960年5月29日
①13分25②11分55③3分46④6分44 計35分50
クレンペラー・PO/1957年10月・EMI
①13分24②13分07③3分56④7分01 計37分28

 ハイレゾだACD、ブルーレイオーディと言われる現代に今更LPレコードでもないというところですが、実際に聴いてみると独特の味わいがあり、魅力的です。針圧の調整だけでも面倒な上にMCカートリッジは出力が低くて昇圧トランスが必要なカートリッジもありました。DENONのモノラル専用カートリッジは出力が大きくフォノのMMカートリッジのセレクターで大丈夫なのでその点は楽でした。先日試しに聴いた際にはLOW-CUTをONにしていたのに気が付き、今回はこれをOFFにして聴きました。音の厚みが増したような気がして、オーケストラに近い座席で聴いているような臨場感です。
25 11月

ベートーヴェン 交響曲第2番 ギーレン、SWFRSO/1994年

201125ベートーヴェン 交響曲 第2番  ニ長調 作品36

ミヒャエル・ギーレン 指揮
南西ドイツ放送(SWF-)交響楽団

(1994年11月 バーデン・バーデン,ハンス・ロスバウト・スタジオ 録音 /EMI)

 「妙だな、ジャブローの抵抗はこんなものではない(by クワトロ大尉)」。これはZガンダムの中に出て来るセリフの一つですが、今年の日本シリーズ中継を断片的に観ているとセリーグでジャイアンツに制覇された他チームのファンとしてはついそんなセリフがこみあげてきます。ついでに、「こんな一方的な戦闘は卑怯だ・・(カミーユ♂)」などとホークス側は思ってないだろうなと。せめて5戦目まではやってほしいところです(ガンヲタでも巨人ファンでもないけれど、できれば7戦目まで)。今までで日本シリーズの中継を熱心に観た年は江夏の21球の1979年・近鉄VS広島、1981年・日ハムVS巨人、1983年・西武VS巨人、1987年・西武VS巨人、1989年・近鉄VS巨人くらいでした。特に1983年は江川KO後の西本完封、クルーズのサヨナラホームラン等今でも記憶に残っています。ちなみに1987年までは巨人ファンでしたがそれ以降阪神に改宗しました。

 ベートーヴェンのメモリアル年にあたる今年、ギーレンのベートーヴェン旧全集が復刻されないかと期待していたところ、どうも出て来ないようなのでEMIのロゴが付いた中古品で再購入しました。ギーレンのベートーヴェンを最初に聴いたのは1990年代前半、この全集シリーズからのエロイカでした。快速、冷血だとか評されて演奏効果を狙うようなところがないスタイルから、ベートーヴェンでも味も何もない演奏かと想像していたらオケがよく鳴り、不思議に充実した内容に強烈に印象付けられました。例えて言えば、茶碗を持って速く歩くと中身がこぼれて空になりそうなところが全然こぼれないようなもので、ムラヴィンスキーのモーツァルトを聴いた時のような感銘度でした。

ギーレン・SWFRSO/1994年
①11分43②10分35③3分43④6分13 計33分14
ギーレン・SWRSO/1998年
①11分37②10分12③3分38④6分23 計31分50
ショルティCSO/1989年
①11分35②10分31③3分33④6分31 計33分10
ドホナーニCLO/1988年
①11分55②10分04③4分37④5分58 計33分34
ヴァントNDRSO/1988年
①11分37②10分29③3分40④6分51 計32分37
ハイティンクACO/1987年
①12分19②10分58③4分19④6分35 計34分11
アバドVPO/1987年
①12分28②11分26③3分31④6分25 計33分50
ムーティ・フィラデルフィア/1987年
①12分32②11分40③3分39④6分11 計34分02

 主題の反復の加減もあって演奏時間は色々ですが、ギーレンの旧全集の第2番はそれほど短い演奏時間にはなっていません。演奏を聴いた印象は同じ時期のベートーヴェンのCDの中で抜きんでているという感じなのに、トラックタイムはそうでもありません。ギーレンの新盤の方はあまり評判は良くないようですが演奏時間だけを見ればたいして変わりません。1990年代に入る前後、サヴァリッシュ、ドホナーニ、ムーティがアメリカのオケとベートーヴェンを録音していて、当時は全部を聴けたわけではないですが皆どうにも物足らないという感覚があり、どこがどうなのか、どうすれば満ち足りた印象を受けるのか分からないけれど、ギーレンの旧全集は別物だと思っていて、二十年以上経って聴いてみてやっぱり感銘深いものだと再確認しました。

 そう思っている頃に朝比奈隆、大フィルのベートーヴェン(90年代の前半の全集か後半の全集か記憶が定かではない)を結構気に入りましたが、今年になって90年代後半以降の大フィルとのベートーヴェンを聴いているとどうも遅すぎる、というより静止しているような停滞感を覚えていました。ちゃんと演奏して前へ進んでいるのに妙な言いがかりになり、遅いということならクレンペラーで免疫が出来ているはずなのに、この感じ方はどこから来るのだろうと思います(直前に交響曲第5番を聴いていた)。
28 12月

ベートーヴェン交響曲第2番 トスカニーニ/1949・51年

191228ベートーヴェン 交響曲 第2番 ニ長調 作品36

アルトゥーロ・トスカニーニ 指揮
NBC交響楽団

(1949年11月7日,1951年10月5日 ニューヨーク,カーネギーホール 録音 RCA/SONY)

 今年も御用納めになりました。御譲位、改元という節目だったのを思い出しますが、昭和から平成の時のような衝撃度とはちょっと違って何となく平穏な気分でした。ここ十五年くらいでガソリンスタンドや映画館、特に入場自体に年齢制限がある映画館がめっきり少なくなったという話から、先日阪急の四条大宮駅周辺はまだかつてのおもかげが残っているということになりました。それでも二つあった映画館が無くなっていて、その内の一つ「コマゴールド」というヨーロッパの洋画を上映していたところがありました。学生の頃にそこでトスカニーニの映画(Young Toscanini Il Giovane Toscanini という原題らしい
)を観たことがありました。若い頃のトスカニーニとリオの政情(奴隷問題等)を背景にした内容でしたが、ファシズムに対する後年の姿勢までぶれていないようなトスカニーニの人物像が印象的でした。

トスカニーニ・NBC/1949,51年
①09分24②10分04③3分20④6分01 計28分49
クレンペラー・PO/1957年PO・EMI
①13分24②13分07③3分56④7分01 計37分28
アンセルメ・スイスロマンド管/1960年
①10分30②12分00③3分45④7分00 計33分15
クリップス・ロンドンSO/1960年
①12分44②11分23③3分32④6分33 計34分12
レイホヴィッツ・ロイヤルPO/1961年
①09分34②10分25③3分18④6分11 計29分28

 トスカニーニ(Arturo Toscanini 1867年3月25日 - 1957年1月16日)は最晩年にも録音を残していたのが幸いでしたが、ベートーヴェンの交響曲も1939年と1949から51年くらいに全曲録音が残っています。今回は後者の一曲で、最盛期を過ぎたとしても音質は戦前のものより相当良くなっています。カラヤンがベートーヴェンの交響曲全集のレコードを制作する前に団員に対して理想の演奏だとしたのがトスカニーニのレコードだったらしく、実際に聴かせたという話もありました。それが本当だとすれば戦後の録音の方だったのか、フィルハーモニア管弦楽団との全集の時かそれともベルリン・フィルとの初回全集の時なのか。いずれにしてもトスカニーニのベートーヴェンが後世に影響を与えたことには間違いがありません。

 久しぶりにトスカニーニ、NBC交響楽団のベートーヴェン第2番を聴いていると、この作品と次の第3番エロイカが凄く近い存在、似た性格という印象を受けます。九曲のベートヴェンの交響曲を奇数番号作品と偶数番号作品に分けるという考えは現代ではどうなっているのか分かりませんが、1980年前後ではトスカニーニのベートーヴェンは第1、3番あたりがある程度現役?的な扱いだったような覚えがあります。第2番はかなり後退していたと思いますが、ベートーヴェンらしい(作曲者自身がそのように見られたいという「らしさ」)という面では、今聴いていても相当に魅力的です。それに爽快さ、推進する勢いに引っ張られるような魅力は現代のCDでは滅多にない魅力じゃないかと思いました。

 過去記事で扱ったベートーヴェン第2番のトラックタイム、演奏時間をながめるとルネ・レイホヴィッツとロイヤル・フィルのものが一番近似していました。レイホヴィッツは作曲者によるメトロノーム表記に従った最初の録音として知られ、作曲家としては十二音技法の信奉者、布教者という熱心さなので、それがトスカニーニの演奏時間と近似するとは興味深いものがあります。
22 12月

ベートーヴェン交響曲第2番 ドホナーニ、CLO/1988年

191221ベートーヴェン 交響曲 第2番 ニ長調 op.36

クリストフ・フォン・ドホナーニ 指揮
クリーブランド管弦楽団

(1988年12月11日 クリーヴランド,メソニック・オーディトリアム 録音 Telarc)

 12月もあと残り十日くらいになってきて、次の金曜は京響の十二月定期、年末の第九公演でした。カレンダーに目をやりながら、グリーンランドやアイルランドのようにアッチェレランド(accelerando
)という所があるなら、そこに住んでいるような加速感を覚えます。この時期何となくベートーヴェンの音楽が似つかわしいような慕わしいようなで、12月に入って聴く頻度が高まっています。いつだったか、ラ・ヴォーチェ京都の店頭でモントゥー、サン・フランシスコSOのベートーヴェン第2番が流れていました。それで最近1980年代のベートーヴェン演奏が妙に気になり、その中でドホナーニもまた聴きたい一人です。

ドホナーニCLO/1988年
①11分55②10分04③4分37④5分58 計33分34
ショルティCSO/1989年
①11分35②10分31③3分33④6分31 計33分10
ヴァントNDRSO/1988年
①11分37②10分29③3分40④6分51 計32分37
ハイティンクACO/1987年
①12分19②10分58③4分19④6分35 計34分11
アバドVPO/1987年
①12分28②11分26③3分31④6分25 計33分50
ムーティ・フィラデルフィア/1987年
①12分32②11分40③3分39④6分11 計34分02

 ドホナーニとクリーブランド管弦楽団は1983年から1988年にかけて、テラーク・レーベルへベートヴェンの交響曲を全曲録音していました。当時の評判は記憶にありませんが、少し後に出た宇野功芳の新書本の論調ではあまり良くないタイプのベートヴェンだったと思います。最初にこの廉価盤を聴いた時は、あまりにも整い過ぎて思い入れやら色々なものを受け付けない、取りつく島が無いような印象を受けました。

 改めて聴いてみると、スピーカーとかこちらの聴く環境が変わった影響もあってか、広がり、奥行きの感じられる録音に感じられて、躍動感のある演奏という印象でした。スポーツカーか高級車で疾走するような(カラヤンとベルリン・フィル晩年の録音に対する評か)ベートーヴェンと言われればある程度あてはまる気がしますが、それだけに終わらないプラスαの何かがあるような魅力だと思います。ビシュコフがショウタコーヴィチの交響曲を説明する際にベートーヴェンの交響曲を引き合いに出し、「フィジカルなもの」が中心だとしていました。精神性云々と強調する日本のヲタ的視点からすれば逆の内容かもしれませんが、「切れば血が出るような」演奏として好まれるタイプは案外フィジカルな魅力が大きいものではないかと思われます。

 今年ネルソンスとウィーン・フィルのベートーヴェン(まだ二曲しか聴いていない)が出ましたが、ドホナーニのベートーヴェンと重なるところがあると思いました。1980年代半ば頃から録音されたベートーヴェンの第2番のトラックタイムを並べてみると、主題反復の加減やらもあってか、あまり差が無くて実際に聴いた印象と違っている感じのものをありました。ドホナーニの場合はかなり速いと感じられ、それでいながら端正で歪んだようなところが感じられないものです。
8 12月

ベートーヴェン交響曲第2番 コンヴィチュニー、LGO/1959年

191130ベートーヴェン 交響曲 第2番 ニ長調 op.36

フランツ・コンヴィチュニー 指揮 
ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団

(1959年6月26日 録音)

 今年は12月8日が日曜日になり、1941年と同じかと思ったらそうではなくて昭和16年は月曜日だったようです。小学生の時読んだ歴史モノの読み物では、日曜日の朝寝坊のまま布団の中でラジオ放送で真珠湾攻撃を知ったというくだりが印象的だったのでてっきりそうだと思っていました。何となく世相というか国会議員までオラオラ系のトテチテタな空気になってきた上に、嫌・とかネット上のナショナリズムが現実・日常世界にまであふれ出して裾野を広げているのを時々実感するので、えも言われぬ不快さと不気味さをぬぐえない気分です。この気分の時にベートーヴェンの音楽を聴くと何故か気が晴れて、一時的にせよ爽快さにひたれます。

 フランツ・コンヴィチュニー(Franz Konwitschny 1901年8月14日:フルネク - 1962年7月28日:ベオグラード)
とライプチヒ・ゲヴァントハウスOのベートーヴェンも時々「昔のベートーヴェンは~」、「ほんとうにドイツ的な~」という話題の中で時々取り沙汰される全集でした。去年の初夏頃にラ・ヴォーチェ京都へ行った際に田園が特に良いとか、どれかがモノラル、全集に入っているのは別の音源がある??だとか色々聞き、再び気になっていました。今会は何度目かの再発売CDから第2番を聴きました。

コンビチュニーLGO/1959年
①13分29②10分56③3分48④6分09 計34分22
クレンペラーPO/1957年10月・EMI
①13分24②13分07③3分56④7分01 計37分28
アンセルメ・スイスロマンド管/1960年
①10分30②12分00③3分45④7分00 計33分15
クリップス・ロンドンSO/1960年
①12分44②11分23③3分32④6分33 計34分12
レイホヴィッツ・ロイヤルPO/1961年
①09分34②10分25③3分18④6分11 計29分28

 本当に久しぶりに聴いたところ、思った以上に引き締まった演奏に内心驚いて、同時期の録音、クリップスやアンセルメのトラックタイムを見てみると演奏時間が似ているのでまた軽く驚きました。コンヴィチュニーと言えばタンホイザーの全曲盤(EMI)が結構好きで、その緩い、大らかな響きが印象に残っていました。オペラではなく交響曲となると違ってくるのか、マズアとライプチヒ・ゲヴァントハウス管の初回全集と比べても全然違うと言う程でもないと思いました。1990年代に聴いたのはモノクロのオーケストラが演奏している写真に緑色の枠が入ったプラスティックパッケージ、ベルリンクラシックスのCDでした。

 コンヴィチュニーは1961年の来日時に東京と大阪でそれぞれベートーヴェンの交響曲を全曲演奏していたそうなので、ちょうどこの全集録音時と年代的に近いのも興味深いところです。プロフィールを見るとコンヴィチュニーが生まれたのは当時のオーストリア領、モラヴィア北部とあり、そのためルター派ではなくカトリックだったそうで、LGOのヴィオラ奏者から指揮者を目指したのでザクセンゆかりの人物かと単純に思っていたらそうではなく、複雑でした。それを意識するとにわかに彼のブルックナーが気になってきます。
5 12月

ベートーヴェン交響曲第2番 ヴァント・NDRSO/1988年

191205ベートーヴェン 交響曲 第2番 ニ長調 Op.36

ギュンター・ヴァント 指揮
北ドイツ放送交響楽団(現:NDRエルプフィルハーモニー管弦楽団)

(1988年10月10-15日 ハンブルク,フリードリヒ・エーベルト・ハレ 録音 RCA)

 この時期になるとベラベッカ(Berawecka)というアルザス地方の菓子が気になります。待降節から降誕節くらいの時期に食べるものだそうで、洋梨やらオレンジ等を洋酒(そらそうだ、日本酒のはずはない)に漬け込んだものやらを生地にまとめて焼いて、とか発酵菓子とか断片的に説明を見かけるものの正体、作り方はいまだに把握できません。作るわけじゃなく食べるだけだからそれでよく、中京区の菓子製造販売店で売り出すのを待っています。今年は既に二本も食べました(圧縮したような物なのでカロリーは低くないだろう)。

ヴァントNDRSO/1988年
①11分37②10分29③3分40④6分51 計32分37
アバドVPO/1987年
①12分28②11分26③3分31④6分25 計33分50
ケント・ナガノ/2014年
①12分09②10分24③3分36④6分27 計32分36
準・メルクル:リヨン国立/2007年
①12分33②12分40③3分36④6分24 計35分13
インマゼール/2006年
①12分25②10分49③3分41④6分12 計33分07
アントニーニ/2005年
①11分24②10分21③3分48④5分41 計31分14

 1980年代のベートーヴェンの交響曲といえばヨーロッパのオーケストラよりもアメリカのオーケストラの方がよく録音していたかもしれません。シカゴSOはショルティの二度目全集、フィラデルフィアはムーティ、クリーヴランドはドホナーニ。西側ヨーロッパの方はアバドの他にヴァントと北ドイツ放送交響楽団の全曲録音がありました。今回はその中から交響曲第2番ですが、これを最初に聴いたときは色々なものがそぎ落とされた簡潔すぎる響きのように思えて、ヴァントはブルックナーとシューベルトくらいは良いとしてベートーヴェンがちょっとなあと思ってしまいました。

 今回は改めて聴いていると第1楽章はある程度そういう印象ですが、後半の二つの楽章はテンポも急ぎ過ぎずによく隅々まで鳴る豊かな響きだと思いました。第2楽章もそうかと思いながら途中で交響曲第1番を聴いているような錯覚におちいり、昔聴いた時の感触もよみがえりました。結果的に第1番、第2番の似たところを意識することになりました。九曲中の奇数番号の作品と偶数番号の作品が内容的に分かれるような分類も見かけますが(最近はそんなことは言わないのか)、ヴァントの全集を聴いているとそんな分類はあまり意味が無い気がしてきます。今世紀に入ってからの新しいCDの演奏時間とあわせて並べて比べると、古楽器オケのインマゼールや古楽器奏法の影響を受け入れているケント・ナガノらと似ています。

 ヴァントはベートーヴェン演奏ではトスカニーニ、クレンペラーを理想としていたそうで、ハンブルクではフルトヴェングラーを悪く言わないようにとくぎを刺されたのにもかかわらず、ベートーヴェンを「フルトエングラーが無茶苦茶にした」という意味のことを言ってかなり反感を買ったそうでした。第三帝国時代、ポストに恵まれなくとも断じてナチ党員にならなかった頑固さ、硬骨漢ぶりの片りんがみてとれます。ただ、この全集での演奏自体はトスカニーニともクレンペラーともそれ程似ておらず既にヴァントのベートーヴェンというスタイルになっていそうです。
15 5月

クレンペラー、PO 1957年のベートーヴェン交響曲第2番

180515bベートーヴェン 交響曲 第2番 ニ長調 op.36

オットー・クレンペラー 指揮
フィルハーモニア管弦楽団 

(1957年 ロイヤル・フェスティヴァル・ホール録音 Testament)

 さて、毎年恒例のクレンペラー誕生日も過ぎた翌日の今日は、「残り福」的に引き続きクレンペラーの録音を聴きました。ついでに5月15日は葵祭りの日でもありました(暑いからわざわざ行列を観に行かなかった)。先日のM治製菓のぬいぐるみ、アルマジロの他にもシリーズ的に類似品があり「くたくたジャガー」というのも持っていたのを思い出しました。そっちの方は現物が見つからず、もう廃棄してしまったようです。これらは抽選ではなくて、規定の点数を集めて応募すれば全員がもらえたのかもしれず、だいたいクジ運が悪い自分が二つも持っていたのでそうとしか考えられません。あと応募して貰えたのはN谷園のお茶漬け海苔で貰える浮世絵カードくらいでした。それはともかく、クレンペラーの同曲異演のCDも今世紀に入って急速に増えてきました。

~クレンペラーのベートーベン第2番
PO/1957年11月公演
①12分47②11分16③3分12④6分26計33分43
PO/1957年10月・EMI
①13分24②13分07③3分56④7分01 計37分28
BBC/1955年12月11日
①12分48②12分12③3分46④6分50 計35分36
PO/1960年5月29日:ウィーン芸術週間
①13分25②11分55③3分46④6分44 計35分50

 
今回のベートーヴェン交響曲第2番は、クレンペラーがEMIのレコードのためにセッション録音した直後の公演(フィルハーモニア管弦楽団の定期)をライヴ録音したものであり、当時BBC放送で放送するためのものだったようです。クレンペラーはレコード録音をする際にはフィルハーモニアの定期に合わせて、その練習期間中か公演後あたりに行っていました。例えばシューベルトのザ・グレートはレコード用に三度演奏・録音して結局三度目が採用になったとか。そういうわけでこのベートーヴェンの第2は、演奏の年月日も接近していてほぼ同時期であり客が座席に座っている公演かどうかの差と、会場がセッション録音の方がキングスウェイホールであったのに対してライヴ録音がロイヤル・フェスティバルホールだったという違いがあるだけです。

 ところが演奏時間、トラックタイムは結構差があって第2楽章だけで2分弱も違っています。この楽章は主題反復有無の影響なのか、そうでなかったとしても他の楽章も少しずつライヴ録音の方が短い(速い)ので、やはりテンポに差がでています。このように演奏会場の違いによってテンポが違うことについて、クレンペラーの国内盤LPの「メサイア」の解説冊子の中に言及されています(「オットー=クレンペラー」というタイトルであるが誰が書いたかは明記されていない)。

 マタイ受難曲の冒頭合唱を例にして、音響効果の良いキングスウェイホールで最も遅く、乾燥しているEMIのアビー・ロード・スタジオではそれより速くなり、最も乾燥しているロイヤル・フェスティバルホールが一番速く演奏したと指摘しています。それによって複雑な対位法による音楽が不明瞭になることはなかったとしていました。先日のBBC交響楽団との録音はBBCのスタジオだったので、EMIのスタジオと似た特性だとすればまさしく上記の指摘と同じテンポ設定になっています。今回の第2番はこれくらい演奏時間に差が出ているのにクレンペラーらしいベートーベンだと最初から感じられて、これなら指揮者名を伏せて聴いても当てられさそうかなと思いました(先日のブルックナーと違って)。
13 5月

クレンペラー、BBCSOのベートーヴェン第2番/1955年

180513aベートーヴェン 交響曲 第2番 ニ長調 作品36

オットー=クレンペラー  指揮
BBC交響楽団

(1955年12月11日 BBC Studios.Meida Vale 録音 ICA Classics)

180513b  アルマジロ、と言えば中南米原産のちょっとややこしい動物(だんご虫のように丸くなれる)ですがそれのぬいぐるみというものに人気があったことがありました。今から約四十年くらい前か、M治製菓のチョコレートの包み紙に付いている応募券を集めて送るともらえた(もれなく?抽選?)ぬいぐるみの一種に「アルマジロ」がありました。そのぬいぐるみが先か本物が先かは定かでないながら、個人的にアルマジロをかなり気に入っており、動物園によく連れて行ってもらった時期がありました。連休中に開かずの間(関東間の四畳半が二間)を片付けた時、タンスの上の空き箱の下からそのアルマジロが出てきました。ネットオークションで美品なら4万円以上で落札された記録があり、非売品だったためか今では貴重な物になっているのに驚きました。残念ながら見つかったのは片目の部品が欠落し、鼻のパーツがとれかかった状態でした。

 クレンペラー誕生日が近づく一週間だったのに、その開かずの間片付け余波とそこのエアコン交換工事までに作業スペースを確保するために先週は深夜に整理を続けていました。そんな先週のある朝、FMのクラシック・カフェでベートーヴェンの交響曲第2番(シャイー、ライツツィヒ・ゲヴァントハウス管)を曲の最初から聴くことが出来て、なかなか素晴らしいと思いつつ、不意にクレンペラーのLPで聴いた時の印象がよみがえってきました。それでBBCのラジオを個人がエアチェックしたクレンペラー指揮の音源をCD化したものから、ベートーヴェンの交響曲第2番を聴きました。

クレンペラー・BBC/1955年12月11日
①12分48②12分12③3分46④6分50 計35分36
クレンペラー・PO/1957年10月・EMI
①13分24②13分07③3分56④7分01 計37分28
クレンペラー・PO/1960年5月29日
①13分25②11分55③3分46④6分44 計35分50

 このBBC交響楽団との第2番は聴いた印象ではなめらかで、戦前のクレンペラー指揮のベートーヴェンを聴いた人(ティーティエンだったか)の「軋む」という言葉とは遠いと思いました。同じくらいの時期のケルンRSOとの第九と似た印象で、オーケストラも演奏場所も違うのに奇妙な一致です。合計時間でウィーン芸術週間のライヴと似ていて、EMIのセッション録音よりは短めになっています。1955年から1960年の間にはクレンペラーがベッドサイドで煙草の火が原因で大火傷する事故があり、また夫人もなくしているので健康的だけでなく、人生の上でも分岐になる出来事を経ています。その影響、肉体的限界
もあってか演奏がいっそう遅くなり出したと言われます。しかし、ウィーンでのライヴとBBC放送のスタジオでの演奏があまり違わない演奏時間になっています。

 遅いと評される一方で、「クレンペラーのテンポ」というものは無い(メニューイン)、とか「テンポは感じるもの」とクレンペラー本人が嘯く(?)ように、クレンペラーは同じ作品を演奏していてもレコード用録音か演奏会か、その会場の残響等の特性等によってテンポを替えているので、今回のベートーヴェンはそういう評を考える上で興味深い一例でした。
2 8月

ベートーベン交響曲第2番 アントニーニ、バーゼル室内・2005年

160802aベートーヴェン 交響曲 第2番 ニ長調 作品36

ジョヴァンニ=アントニーニ 指揮 
バーゼル室内管弦楽団

(2005年6月20-21 ルツェルン文化・会議センター 録音 OEHMS)

160802 時々 twitter のアカウントへツイートがあったという通知メールが入っていることがありますが、自分のアカウントへまたログインできない(PCを新しくして)状態が続き、ログインできた時ノパスワードが何だったか忘れてそのままになっています。だからこの場でツイートして下さった方々に御礼を申し上げます。元々 twitter を全然使いこなしていないので、何をつぶやいていいかその加減も分かりません。決して意識してスルーしているわけではなく、悪しからずご容赦のほどを。さて、今日はちょっと個人的に恐ろしいことがありました。お昼に地下鉄で移動している際、北山駅からJR京都方面へ乗ったはずで座席に座って目を閉じていると、「次は、マツガサキ~」というアナウンスがきこえてきました。一瞬耳を疑いましたが松ヶ崎駅を発車してから本当に逆方向の電車に乗っている事実を認めて、なぜそんなことになったかかなり焦りました。島型のホームに南行と北行のどちらかしか無い単純な駅、路線であり、乗る前には降車駅のエスカレーターまで計算に入れて前の方に立っていたのに(そこまでは覚えている)、何故か逆の国際会館行に乗って座っていたわけで、暑さのせいか、それとも脳がちょっとあれなのか、俄かに不安になりました。

交響曲 第2番 ニ長調
第1楽章 Adagio molto - Allegro con brio ニ長調
第2楽章 Larghetto イ長調
第3楽章 Scherzo:Allegro ニ長調
第4楽章 Allegro molto ニ長調

 そんな8月2日の今日は昨夜と同じように、2日だから安直に交響曲の2番、ベートーベンの第2番のCDを取り出しました。イル・ジャルディーノ・アルモニコを設立してヴィヴァルディの四季で注目されていたアントニーニが、バーゼル室内管弦楽団とベートーベンの交響曲を録音し出したシリーズはあと第九を残すだけとなりました。この第2番はシリーズの二作目で既に十年以上も前の録音ということになります。

160802b 昨日のヨーゼフ・クリップスの優雅で古典派的な演奏とは正反対で、古楽器とその奏法を取り入れた折衷的スタイルの演奏により半ば騒々しいようで爽快なベートーベンになっています。金管や打楽器の古楽器独特の音色の影響で、それまでの価値をご破算にするような荒々しさを思わせます。ことオリジナル、作曲当時の再現ということなら古楽器オケによるインマゼールの方が徹底しているはずですが、合計演奏時間は両端楽章の差が効いて約2分の差が出ています。 アントニーニの第1、4楽章は聴いていると本当に突っ走るようで、スピーカーから風が吹き付けてきそうな勢いです。リピート有無については未確認ですが、ベートーベンのメトロノーム指示を厳守したレイホヴィッツの録音と第4楽章を単純に比べるとやっぱりアントニーニがかなり速く演奏しているのが分かります。

アントニーニ/2005年
①11分24②10分21③3分48④5分41 計31分14
インマゼール/2006年
①12分25②10分49③3分41④6分12 計33分07
レイホヴィッツ・ロイヤルPO/1961年
①09分34②10分25③3分18④6分11 計29分28
 
 ただ、アントニーニがのヴィヴァルディ「四季(イル・ジャルディーノ・アルモニコとの演奏)」は使用楽器も含めてもっと凝った?ことをやって演奏していて過激だったので、それを思うとテンポやアクセントは強調されていても直線的で、あまり過激とも思えません。そうは言っても昔の、例えばワルター指揮のコロンビアSOのLPが好まれていた頃のこの曲に対するイメージからすればかなり刺激的だとは思います。
6 5月

ベートーベン交響曲第2番 クレツキ、チェコ・フィル・1968年

160506ベートーヴェン 交響曲 第2番 ニ長調 作品36

パウル=クレツキ 指揮
チェコ・フィルハーモニー管弦楽団

(1968年1月7-12日 プラハ,ルドルフィヌム 録音 Supraphon)

 どうも梅雨のはしりのような天候になり、それとは何の因果関係もないものの 自宅PCのgoogle chrome がうまく作動せず、リンク先にとばずに「強制終了」か「待機」を選ばせる表示が頻出するようになりました。とりあえず閲覧履歴の削除をやってみましたが、効果はあまり無くてたいしてヘビーな使用じゃないのにこのトラブルは困ります(適当に自動削除してサクサクと動いてほしい)。自宅の古いPCは業務には使っていないので気楽に履歴削除しましたが、これをやると思わぬところで不具合が出たりするかもしれません。何でもメンテナンス・フリー的な使用に慣れるとちょっとしたことで立ち往生して困ります。

 先月の第1番に続いてパウル・クレツキ指揮、チェコ・フィルハーモニー管弦楽団のベートーベン交響曲全集から今回は第2番です。再発売されたシングルレイヤーSACDのデータによると第1番と第2番同じ機会にまとめて録音されています。演奏のスタイルは特に変化は無くて前回の一回でもう付け加えることはないくらいです。 ただ、第1番以上にクレツキとチェコPOの演奏の性格が際立つようで、特にSACD化されていっそう鮮烈な印象です。

クレツキ・チェコPO/1968年
①12分32②10分49③3分58④6分12 計33分31
レイホヴィッツ・ロイヤルPO/1961年
①09分34②10分25③3分18④6分11 計29分28
クリップス・ロンドンSO/1960年
①12分44②11分23③3分32④6分33 計34分12
クレンペラー・PO/1957年10月・EMI
①13分24②13分07③3分56④7分01 計37分28

 合計演奏時間の長短両極であるクレンペラーとレイホヴィッツの間に収まることは予測でき、ちょうどうその中間くらいになっています。クレツキもユダヤ系であり、クレンペラーらと同じくマーラーのスペシャリスト的な評判をとっていたようですが、対照的に繊細というか静的というのかオーケストラの音が端正に美しく聴こえます。威圧的、不均衡、歪さということから思いっきり遠いベートーベンの第2番は不思議な魅力がありました(感銘度を表せる適切な言葉が見つからないのが残念)。標題とか文学的な事柄と結びつき難いことについては屈指のベートーベンだと思います。

 アンチェルはドヴォルザークの交響曲でさえ全部は録音しなかったのでチェコPOによるベートーベン全集はながらくありませんでした。クレツキ以降では今世紀に入って録音された小林研一郎とのものが唯一かもしれませんが、ともかくクレツキの全集は今聴いていてもチェコPOの音共々に非常に魅力的です。
25 5月

クレンペラー・POのベートーベン第2番、ウィーン芸術週間

150525aベートーヴェン 交響曲 第2番 ニ長調 作品36


オットー=クレンペラー 指揮
フィルハーモニア管弦楽団


(1960年5月29日 ウィーン,ムジークフェラインザール  ライヴ録音  Altus,他)

150525b このベートーベン交響曲第2番は先日のエロイカと同じ公演で演奏されたもので、1960年にクレンペラーがフィルハーモニア管弦楽団と五日間でベートーベンの交響曲を全曲演奏した際の記録です。6月4日までは一日おきなのでかなり過密スケジュールです。オーケストラの方はクレンペラーが振らない日の何日かは別の指揮者(ジュリーニ、ワルベルク)と公演していたのでオケにとっても強行軍でした。ベートーベン・チクルスの初日の当日は、昼間にブルーノ・ワルターの「ウィーンさよなら公演」があって、シューベルトの未完成、子供の魔法の角笛の第9番「トランペットが美しく鳴り響くところ」、リュッケルト歌曲集より~第4番「私は仄かな香りを吸い込んだ」、マーラーのマーラーの第交響曲第4番という曲目でした(ウィーンPO、ソプラノはシュヴァルツコップ)。

5月29日(献堂式序曲、第2、3番)
5月31日(エグモント序曲、第4、5番)
6月2日(プロメテウスの創造物序曲、第6、7番)
6月4日(コリオラン序曲、Vn協奏曲、第8番)
6月7日(第1、9番)

 この年はグスタフ・マーラーの生誕百年に当り、ウィーン芸術週間もマーラー作品が多数演奏されていました。にもかかわらず、クレンペラーにプラハ・ドイツ劇場とハンブルク歌劇場のポストを得る際に口利きをしてもらうという恩義もあるのに、クレンペラーはマーラーを全く指揮せず、オールベートーベンで通すという天邪鬼ぶりでした。あるいはマーラーを実質宮廷歌劇場から追い出したことをまだ少しは根に持っていたかもしれません。それはともかく、ワルターとウィーンPOのリハーサルを聴きに来たクレンペラーは久々にワルターと顔を合わせて、「二十年前と変わっていない」という皮肉を投げつけたところワルターはそれを誉め言葉だと思っていると苦笑いしたという逸話が残っています(「奴さんは褒め言葉だと思ってやがる」という訳もある、相変わらず嫌な爺さんだ)。

クレンペラー・1960年5月29日
①13分25②11分55③3分46④6分44 計35分50

クレンペラー・1957年10月・PO・EMI
①13分24②13分07③3分56④7分01 計37分28
クリップス・1960年・ロンドンSO
①12分44②11分23③3分32④6分33 計34分12
レイホヴィッツ・1961年・ロイヤルPO
①09分34②10分25③3分18④6分11 計29分28
カザルス・1969年
①15分11②13分41③4分27④7分19 計40分38

 この録音他のトラックタイムは上の通りと言いたいところですが、Altusから復刻された通常のCD版の解説に載ったトラックタイムはちょっとおかしいようです。シングルレイヤー版の表記が概ね音源の演奏時間と合致しています。そんな些細なことはどうでも良いのですが、EMIのセッション録音と並べたらあまりに違っていたので確かめました。そうしたところ第二楽章で1分程差が出る以外は概ね近似しています。ライヴ録音とセッション録音という違い、演奏している場所がウィーンとロンドンという差があるだけですが、聴いた印象はだいぶ違っています。CDの解説にはEMIのセッション録音を「永遠なるものの『影』にすぎない」と評しているくらいです。確かにあらためて聴いているとそのニュアンスが分かる気がしました。

 この時のクレンペラーの指揮の様子について、「~クレンペラーはほとんど指揮していなかった・・・時にはただ聴いているだけのように見えた」と描写されている程で、それでも「オーケストラの前のクレンペラーは暗示力が強烈で、自分の欲するものをオーケストラから引き出す催眠術的な能力があった(by W.レッグ)」とされています。具体的に言い換えると、ウィーンのオケに比べると味気ない、英米のオーケストラの響きと言われるが、クレンペラーの指揮によるとその弱点は感じないというわけです(CDの解説による、本文には若き日のある大家を引き合いに出しているがここでは省略する)。

16 10月

ベートーベン交響曲第2番 ケント・ナガノ、モントリオールSO

ベートーヴェン 交響曲 第2番 ニ長調 作品36


ケント・ナガノ 指揮
モントリオール交響楽団


(2014年1月7-9日 メゾン・サンフォニーク・ド・モントリオール  録音 Sony Classical)


141016a ケント・ナガノとモントリオール交響楽団のベートーベン交響曲シリーズがついに完結しました。このCDがその最終盤で第2番と第4番がカップリンぐされています。先日、10月12日には京都コンサートホールでこのコンビの公演がありました。ラベル「クープランの墓」とプロコフィエフ「ピアノ協奏曲第2番」、ムソルグスキーの組曲「展覧会の絵・ラベル編曲」というプログラムでしたが見送りました。公演後にこのCDを購入して聴いているとオーケストラの音も素晴らしくて、聴きに行けば良かったと残念に思いました(このCDと同じプログラムなら早々にチケットを手配していたかもしれない)。これ以前のCDにはベートーベンの交響曲や序曲等だけでなく現代の作品や朗読を収録していたものもありました。各アルバム毎にテーマのようなものを掲げていました。

 今回の二曲にも「自由を求める詩」というテーマで取り組んでいたようで、ナガノ自身の解説が付属冊子に載っていました。その中でナガノはプロメテウス的な攻撃力を持つ交響曲第1番、音楽設計と次元の深さにおいて壮大かつ斬新なエロイカに比べて、第2番を「奇妙な後退」と評しています(第4番も)。これは意外な評で、第2番も何となく攻撃的というか驚嘆や挑発を伴う作品だと思っていました。実際に聴いてみると確かになかなか流麗で、決して歪な印象(カザルスの古いライヴ盤のような)を受けないものでした。

ケント・ナガノ:2014年
①12分09②10分24③3分36④6分27 計32分36

準・メルクル:リヨン国立・2007年
①12分33②12分40③3分36④6分24 計35分13

141016b 過去にブログで取り上げたのは古いCDばかりでしたが唯一今世紀に録音されたメルクルとリヨン国立管弦楽団のCDと併せてトラックタイムを載せました(奇しくも日系人指揮者がフランス語圏のオーケストラと共演している)。聴いた印象ではナガノの方が最近のピリオド折衷のスタイルに傾斜したような演奏で、より引き締まった演奏に聴こえます。それでも第二楽章はゆったりしていると感じられて、そんなに演奏時間に差があるとは思えませんでした(連続して聴いたのではないが)。ピリオド奏法云々といっても、これまでの録音でもことさらそれを強調して全面に出す風でもないようでした。

 ベートーベンの全交響曲を連続演奏するということは従来から時々行われていて、クレンペラーも生涯に何度か行っていました。LPやCDで全集録音を行うこともそれと似た意識なのかもしれませんが、ケント・ナガノとモントリオール交響楽団のチクルスは全曲を貫く方針のようなものがあって、第1番から続けて聴けば改めてベートーベンの偉大さか、何らかのものを感じられような気がしました。もっともケント・ナガノは、ベートーベンが「自己をどのように見せたいか、他者にどのように見られたいか」という意味の「ドラマツルギー」について特定のものを持っていて、創作活動に於いてはそれに沿って行動したと考えているようなので、やや醒めた見方のようです。

1 10月

ベートーベン交響曲第2番 カザルス、マールボロ音楽祭O

ベートーヴェン 交響曲 第2番 ニ長調 作品36


パブロ=カザルス 指揮
マールボロ音楽祭管弦楽団


(1969年8月3日 マールボロ音楽祭 ライヴ録音 SONY)

141001a 大河ドラマで視聴率が高くなるのは戦国と幕末を扱った作品だと言われます。同じ人物を複数回ドラマ化しているケースもあれば、逸話が有名でもまだ主役になったことがない人物もあります。司馬遼太郎の「関ヶ原」はストーリーが完全に一本ではなくて、ある人物を描くためにその章を割いて時系列をさかのぼったりしてます。鍋島直茂も生き残りの名人のような描かれ方で出てきます。その中に領内の寺が規則正しく勤行をしていて感心だとかで、住職に褒美を与えたところ実は寝転んで足にばちを挟んで木魚を叩いていたという逸話がありました。直茂はそれを知っても怒るでもなく、くすっと笑ってそのままにしたと結ばれています(多分そうだったと思う)。世の中の機微を心得ている、柔軟な頭、あるいは器量が大きい、くらいの意味だったと思います。木魚を叩く姿を見ていなければ区別が付かなかったわけで、叩く音を計量分析しても同様である可能性もあるはずです。でも、だからといって葬式や通夜で僧侶が寝転んで足で木魚を叩いても良いと思う人は滅多に無いはずです。

 冬季五輪のフィギュア・スケートと絡んで騒がれた「さむらごうち・ゴーストライター事件」はもうすっかり昔の出来事だったようで、訴訟とか捜査はもう行われていないのかそれさえ知りません。それはともかく、作者、作曲の経緯がどうであれ作品自体に変わりないので、思い出すと何とも後味が悪いような、気恥ずかしいような気分です。晩年のカザルスが音楽祭で指揮したベートーベンやモーツアルト、ハイドンの作品は以前からすごく好きでしたが、これもカザルスについての情報、横顔等が感情に影響を与えている部分があるかもしれません。

141001b それは仕方ないとして、それでもベートーベンの交響曲第2番はやはり魅力的です。あらためて聴いてみると、遅めの演奏で大きな荷物でも転がすようなぎくしゃくとした印象を受けて決してきれいな演奏とは思えません。それにもかかわらず、谷川の流れや湧水を見つけた時のような美しさ、感動を覚えます。有名な曲なので決して醜いという印象にはならないのは当然かもしれませんが、こういう感情はどこから来るのだろうと思います。先日ヨーロッパでナチ絡みで90歳くらいの老人が逮捕されたというニュースがありましたが、仮にカザルスがこれらの録音をした後で人道的な問題で逮捕でもされていたらこういう録音が出回っただろうかと思います。

カザルス・1969年
①15分11②13分41③4分27④7分19 計40分38

クレンペラー・1957年10月・PO・EMI
①13分24②13分07③3分56④7分01 計37分28
レイホヴィッツ・1961年・ロイヤルPO
①09分34②10分25③3分18④6分11 計29分28

 遅めだと書いたようにカザルスの録音は遅さで定評があるクレンペラーよりもさらに遅い演奏です。楽章間の空白、間や終演後の拍車等の細かい点はさて置き、ベートーベンのメトロノーム指示に従ったレイホヴィッツとは11分以上の差が出ています。

17 5月

ベートーベン交響曲第2番 クリップス、ロンドンSO 1960年

ベートーヴェン 交響曲 第2番 ニ長調 作品36

ヨーゼフ=クリップス 指揮
ロンドン交響楽団

(1960年1月 ロンドン,ウォルサムストウ・タウン・ホール 録音 Memories)

130517  ドイツによるオーストリア併合(1938年3月)から75年の今年3月、オーストリアの世論調査機関が16歳以上の有権者502人を対象に実施(人口は836万強)した調査結果で、「ナチスのヒトラー支配下の時代について『全てが悪かったわけではない』と考える国民が42%に上った」ことがニュースとして流れていました( 「全てが悪くない」という言葉は見覚えがあり過ぎる )。この結果は隣国ドイツなどにも波紋を呼んだようですが、オーストリアはナチズムを掲げる組織の設立、支援、ホロコーストの否定や正当化を法律で禁じているので、この結果は余計に驚きだったと思われます。さらに、「ナチス禁止の法律がなかったら、ナチスは思想が受け入れられ選挙で成功すると思うか」との問いに、54%が「かなり可能性が高い」と答えています。調査対象が十万人単位くらいになれば傾向が変わるのかはともかくとして、高齢層ほどこのような傾向が強いようでした。

 このベートーベンの交響曲第2番は、クリップスがかつて首席をつとめた(1950-1954)ロンドン交響楽団を指揮したベートーベン交響曲全集の中の一曲です。LPレコードの頃から再発売されていて、音質が良くない廉価盤がある等の情報を見かけました。CDも何度か再発売され、最近ではパチンコ屋の景品にあったドロップのような缶入セットが話題になりました。今回はメモリーズの解説等も省略された廉価盤で再発売され、日本語の帯に「高音質盤」とわざわざ表記されてあります(過去の再発売の中には余程評判が悪いものがあったようだ)。

  音質の方は「高」音質とまで言えるかどうか微妙ですがかなり良好です。木管楽器が自然に美しく聴こえて、クリップスの柔和で優雅な演奏が充分観賞できます。ベートーベンの交響曲をウィーン風に演奏する点ではクリップスが一番顕著かもしれないと思います。ブログの過去記事ではアムステル・コンセルトヘボウ管とのベートーベン第4番・旧録音を取り上げましたが、曲は違っても今回の第2番を聴く限りさらに磨きがかかっています。

 下記はクリップス盤と録音年が近いCDのトラックタイムを並べています。最短・レイホヴィッツと最長・クレンペラーの間の穏健なテンポですが、それ以上に隅々まで大らかに美しい、稀有の録音です。かつてこの全集が再発売された時、クリップスがクレンペラーの指揮するベートーベンの第8番を聴いて感心して参考にしたという話がどこかに載っていました。保存しておかなかったので今は読めないのが残念で、最近検索してみましたがやはりもう出てきません。ただ、第2番についてはクリップスとクレンペラーは対極的な演奏に聴こえます。

クリップス・1960年・ロンドンSO
①12分44②11分23③3分32④6分33 計34分12

レイホヴィッツ・1961年・ロイヤルPO
①09分34②10分25③3分18④6分11 計29分28
アンセルメ・1960年・スイスロマンド管
①10分30②12分00③3分45④7分00 計33分15
クレンペラー・1957年10月・PO・EMI
①13分24②13分07③3分56④7分01 計37分28

 1902年ウィーン生まれのヨゼフ・クリップスは、1933年から1938年のドイツによるオーストリア併合までウィーン国立歌劇場の常任指揮者をつとめていました。詳しい系統は分からないもののクリップスもユダヤ系らしく(当人はそうではないという記述を読んだ気もするが詳しく思い出せない)、併合以後はベオグラードへ逃れていました。戦後は逆にナチに恩恵を受けず係わりも無かったので、直ちにウィーンへ復帰しました。だから彼は戦後の混迷期にウィーン楽壇を支えた功労者の一人でした。昨日の、ナチス時代に自ら命を絶たざるをえなかったフーゴー・ディストラーE.O.プラウエン(エーリヒ・オーザー)と近い世代のクリップスなら、生前冒頭のようなアンケートに対してどう答えただろうかと思います。

28 11月

ベートーベン交響曲第2番 クレンペラー フィルハーモニア管

ベートーヴェン 交響曲 第2番 ニ長調 作品36


オットー=クレンペラー 指揮

フィルハーモニア管弦楽団


(1957年10月 ロンドン,キングスウェイホール 録音 EMI)

 今朝車のフロントガラスに特に多量の露が降りているように見えたので、近づいてよく見るとビッシリと霜が張り付いていました。初霜は12月に入ってからと思っていたので、どうも今年は暖冬を期待できないようです。エンジンをかけて外気温計が点くと摂氏3度で、これまでで一番の低温でした。そういえば旧海軍の駆逐艦に「初霜」という船があって、天一号作戦により大和とともに沖縄へ出撃して生還しました。旧海軍の艦船は巡洋艦以上( 戦艦、航空母艦、重、軽巡洋艦 )は艦首に菊花の紋章を頂いていて、駆逐艦はそれが無く、言わば格下の船だったわけですが沈没、大破を免れた霜月らは生存者を収容して戻ることができました。
 

 オペラの上演には慣習化されているカットがあったり、また新世界交響曲の第一楽章の序奏部分をゆっくり演奏する慣例があったり、惰性的に行われる慣わしのようなものがちょくちょくあるようです。軍歌「同期の桜」を歌う時(貴様と俺とは~)、右手をぐっと握った上でたすき状に上下させる運動も、映画の中でも見られるので慣例化したのでしょう(これはいわれがありそうである)。それはともかく、クレンペラーはオペラであれ、交響曲であれ根拠の無いしきたり、慣例を無批判に踏襲するのを嫌い、そうしたしきたりが作品の解釈上、演奏効果の点で無意味だと判断すれば敢然と切り捨てるのを常としていました。
 

 クレンペラーのレコードやCDのライナー・ノーツには、ドイツの伝統を受け継ぐ職人云々といった賛辞がしばしば見られました。そうしたものを見るたびにフアンとしては、カラヤン、フルトヴェングラーといったベルリンPOの首席だけがドイツ・オーストリア系の正統ではいと言ってくれているようでもあり、悪い気はしませんでした。しかし、上記のようなクレンペラーは本当にそういう伝統を守る(だけの)演奏家なのか、疑問もわきます。もっとも、伝統とか正統というものの実体は何なのか分かり難いものだと思いますが。

 クレンペラーによるベートーベン第2番の録音は、今回のEMIへのセッション録音の他には少なくとも三種類あります。同年1957年10月24日のフィルハーモニア管弦楽団定期公演、1958年3月29日のベルリン放送交響楽団への客演、1960年のウィーン芸術週間にフィルハーモニア管を率いてウィーンで行ったベートーベン・チクルスの一環( 第2番は5月29日に演奏 )です。どれも音質の方はいま一つですが、来日できなかったクレンペラーの公演の様子が分かる貴重な音源です。以下はそれらCDのトラック・タイムです。ベルリンRSO、ウィーン芸術週間のライヴはレーベルが違うと時間も多少変わります。また、ベルリンRSOは時間表記が無かったので再生時に時間をメモし、終演後の拍手は除外しています(他二つのライヴは拍手が入っているかもしれませんが今回再確認していません)。
 

クレンペラーのベートーベン第2番
1957年10月・PO・EMI
①13分24②13分07③3分56④7分01 計37分28

1957年10月24日・PO・TESTAMENT
①12分27②11分16③3分32④6分46 計34分01
1958年3月29日・ベルリンRSO
①12分58②11分45③3分43④6分39 計35分05
1960年5月29日・PO・ウィーン芸術週間
①13分24②11分55③3分48④7分09 計36分16

 フィルハーモニア管弦楽団の定期ライヴは、セッション録音とごく近い日付の演奏ながら第一、第二楽章は1分程度時間に差が出ています。演奏会場がキングスウェイ・ホール(セッション録音)、ロイヤル・フェスティバル・ホール(定期ライヴ) と違っているのも影響しているかもしれません。これらの中では今回のセッション録音盤がやはり一番クレンペラーらしい、アクが強い演奏だと思えます。短い期間に続けて聴くと、一昨日のアンセルメが一番端正で整然としたベートベンにきこえました。

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raimund

昭和40年代生まれ、オットー=クレンペラーの大フアンです。クレンペラーが録音を残したジャンルに加え、教会音楽、歌曲、オペラが好きなレパートリーです。

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