raimund

新・今でもしぶとく聴いてます

ワーグナー・指環第1日

1 7月

ワルキューレ ヘンヒェン、ネザーランドオペラ/2005年

200701ワーグナー 楽劇・ニーベルングの指環「ワルキューレ」

ハルトムート・ヘンヒェン 指揮
オランダ・フィルハーモニー管弦楽団

ジークムント:ジョン・ケイズ
フンディング:クルト・リドル
ヴォータン:アルベルト・ドーメン
ジークリンデ:シャルロッテ・マルジョーノ
ブリュンヒルデ:リンダ・ワトソン
フリッカ:ドリス・ゾッフェル、他

(2005年9月 アムステルダム音楽劇場 録音 Etcetera)

 この三月に大津市のびわ湖ホールで上演されるはずだったニーベルングの指環四部作の四作品目「神々の黄昏」は、無観客で演奏・上演してネット配信されました。ふと思い出したのがその二日分の公演をブルーレイ・ソフトにして販売されることで、さっそくHPで確認したところ6月27日から販売となっていたので両方とも購入しました。ほとんど一発収録?、カメラやマイクの数は?等々通常なら購入躊躇のところですが、年度末にワーグナー作品とかを上演することが今後も続くことを祈念してカウンター受け取りで購入しました。今年度末のローエングリンは・・・、なかなか楽観視できない状況です。

200701a オランダのネザーランド・オペラは映像ソフトがけっこう出回っていて、指輪四部作も1990年代末の公演が日本語字幕付DVDが発売されていました。このCDは演出、舞台セット等はほぼそのままで行われていた六年後の公演をライヴ録音したものです。主要キャストは入れ替わり、音声だけのSACDということで映像ソフトの方の内容が立派だっただけに期待しましたが、音質については映像ソフトと大きく違うとまではいかない印象です。それでも
メジャーなレーベルが出した指輪のライヴ盤(名は出さないが)に比べると格段に聴き易く良好で、舞台上に響く音声、そんな広がりを感じさせるように録音したという感じは魅力がありました。風の音等の効果音は別に無くてもいいような気がしますが、ライヴ収録なら入っているほうが多いのでやむをえません。

200701b 第二幕は冒頭からジークムントの死の予告場面、最後まで音質も含めて特に魅力的でした。ジョン・ケイズのジークムントは第一幕では印象が薄いと思いましたが、第二幕の死の予告では歌詞の内容がよく伝わる気がして、その場面が引き立ちました。フリッカのゾッフェル、ブリュンヒルデのワトソン、ジークリンデのマルジョーノら女声陣が素晴らしくて、この公演も映像付きだったらと思いました。第三幕もヴォータンのドーメンがやや弱々しい声かなと思うくらいで、立派な演奏だと思いました。後半の告別あたりはかえってこういう声のほうが良いかもとも思えます。

 SACD仕様でマルチチャンネルも再生可能なので、プレイヤーとAVアンプをアナログ(7.1ch)接続とHDMI 接続の両方で視聴していると、何となく後者の方がサラウンドから出る音が大きいような気がしました。製品レビューによるとアナログ接続の方が良いような書き方だったので、もう少し音量を上げないと分からないのかとも思いました。ただ、客席の拍手や歓声がサラウンドスピーカーからきこえたところで「別に・・・」といったところです。第一幕を最初に聴いた時はアナログ入力経由で聴いて微妙な音質だと思い、第二、三幕のHDMI経由の音質は各chともよくきこえてなかなかだと思いましたが、単に接続だけじゃなく再生モード、設定が切り替わっていたかもしれません。
2 6月

ワルキューレ クナッパーツブッシュ/1956年バイロイト

190529bワーグナー 楽劇・ニーベルングの指環「ワルキューレ」

ハンス・クナッパーツブッシュ
バイロイト祝祭管弦楽団

ジークムント:ヴォルフガング・ヴィントガッセン
ジークリンデ:グレ・ブロウェンスティーン
フンディング:ヨゼフ・グラインドル
ヴォータン:ハンス・ホッター
ブリュンヒルデ:アストリッド・ヴァルナイ
フリッカ:ゲオルギーネ・フォン・ミリンコヴィチ
ヴァルトラウテ:エリザベート・シェルテル
ヘルムヴィーゲ:ヒルデ・シェッパン
オルトリンデ:ゲルダ・ラマール
ゲルヒルデ:パウラ・レンヒナー
シュヴェルトライテ:マリア・フォン・イロスファイ
ジークルーネ:シャルロッテ・カンプス
ロスヴァイゼ:ジーン・マディラ
グリムゲルデ:ゲオルギーネ・フォン・ミリンコヴィッツ

(1956年8月14日 バイロイト祝祭劇場ライヴ録音 ORFEO DOR)

 先日ラ・ヴォーチェ京都へ寄った際にコンヴィチュニーとライプチヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団のベートーヴェン・田園で全集に入っているものより古い、モノラル録音の田園があるときき、それが面白いの大いに気になりました。コンビチュニー、ケンペはロンドンで指環を指揮しましたが、クナに心酔するワグネリアンのグッドオールはコンビチュニーの方に親近を感じたと伝記には出ていました。想像がつく反応で、それならカイルベルトとクナだったら当然クナだとして、グッドオールはカイルベルトの指環はどれくらい認めるのだろうかと思います。

190529a 第二次世界大戦後のバイロイトでクナッパーツブッシュが指環を指揮したのは、再開された年の1951年、1956年から1958年までと通算四回でした。その内で1956年以降は全曲録音がCD化されており、今回の1956年はORFの正式音源のCDが出ています。キャストの上では1957年が最上という声や、オーケストラと声楽が合っているとかの完成度は1958年が一番という評がクナッパーツブッシュのファン界ではあるようですが、自分がクナの指環に心底惹かれた、圧倒されたのはこの1956年・ORFEO盤でした。それまでは指環についてもクレンペラーの全曲録音が存在しないこともあって、その世代より新しい指揮者の録音の方に関心があり、古い世代の方ならバイロイトではないもののクナよりもフルトヴェングラーの方に好感を持っていました。

 1956年の指環はカイルベルトとクナの二人が指揮したわけで、カイルベルトは前年の1955年の公演がステレオで全曲録音され、それを聴くと二人の指揮が対照的なのを実感します。基本的にカイルベルトの方が自分の好みに合っているはずなのに、このCDを聴いた時はそんなことを越えて冒頭のオーケストラの音からもう圧倒されていました。オルフェオのCDはスカスカの音だという評があるものの、十分低音の迫力が伝わりました。ヴォータンの役はホッターよりも次世代のテオ・アダムの方が好きなのに、改めて聴いているとクナの指揮ではホッターがぴったり来る気がしました。

 クナッパーツブッシュが残したワーグナー以外の録音ではブルックナーを何種か購入したくらいで、他はCDを購入するまでの熱意は湧きませんでした。しかしワルキューレの「魔の炎」あたりを聴いていると、ブルックナー以外でも面白そうどころか普通に良さそうな気がします。レコード制作に熱心でなかったことと、大戦中からドイツに住んで、戦後も演奏し続けることが出来たのでポストを求めてブダペストやロンドンに行かずに済んだので、
人気がロカールというかメジャーなレーベルからレコードが出なかったのはちょっと惜しい気がします。
9 4月

ワルキューレ ツァグロゼク、シュトゥットガルト/2002年

190409ワーグナー 楽劇・ニーベルングの指環「ワルキューレ」

ローター・ツァグロゼク 指揮
シュトゥットガルト州立管弦楽団

ジークムント:ロバート・ギャンビル
フンディング:アッティラ・ユン
ヴォータン:ヤン=ヘンドリク・ロータリング
ジークリンデ:アンゲラ・デノケ
ブリュンヒルデ:レナーテ・ベーレ
フリッカ:ティチーナ・ヴォーン
ゲルヒルデ:エファ=マリア・ウェストブロック、他

演出:クリストフ・ネル

(2002年9月29日、2003年1月2日 収録 Euroarts)

190409a 先月のジークフリートに続きシュトゥットガルト州立劇場で2002年から2003年のシーズンに上演された指環四部作からワルキューレです。四作品ごとに違う演出者が受け持つという企画でありながら、これまでの二作品を観たところでは舞台を現代社会に置き換える(そう見える)点は共通しています。ツァグロゼクのプロフィールには彼の指揮した指環は本家のバイロイトより高評価というコメントが見られ、それは演出も含めてのことか、
当時のバイロイト音楽祭の指環は2001年から2004年までがアダム・フィッシャー指揮でしたが、バイロイトはそんなに不評だったかとちょっと不思議に思いました。

190409b 第一幕は都心の邸宅かマンションのダイニングにジークムントが迷い込んで来る、フンディングはテロ組織か軍閥の幹部のような服装なのに対してジークリンデは上流階級の夫人といった雰囲気なので全体的に威厳を保っています。第二幕で登場するヴォータンとフリッカは後者の地位、権威が強すぎるように見え、フリッカがヴォータンの頭をはっている場面はどうもいただけないところです。それからブリュンヒルデのメイクや衣装の加減から正妻のフリッカに対してブリュンヒルデが愛人のように見え、ここで一段と格が下がった気がします。第二幕第5場、ジークムントの最期はフンディングとジークムントが相対しているところはヴォータンが並び、それが同じ高さに立っているのが象徴的です。それに舞台正面にあるディスプレイの画面のようなところに人形が戦っている映像が出され、その下で登場人物が居るという構図です。そしてヴォータンがジークムントの肩をだいて因果を含めて納得させ、ジークムントを羽交い絞めにしてフンディングに討たせるような演出は、極道映画(組のために死んでくれ、そのかわりフンディングのタマもとったる)のような感じです。ここまでの映像は神々という超越的なものをほとんど感じさせないのは見事です。

 第三幕は多目的ホールか映画館のようなところが舞台になり、ステージ下に刑事ドラマの取り調べ室のような小さなテーブルと椅子が置かれ、さらに小さなスタンドまで置いてあるのでヴェリズモ・オペラ的な光景です。ヴォータンは先にテーブルのところへ来て大きな音をたててテーブルを叩くところは威嚇的な取り調べ(出前の丼をたのむような穏やかさは皆無)のようです。しかし、最後までブリュンヒルデはそのヴォータンがいるテーブルには着席しないでステージ上にあるもう一つのテーブルに座ったままで終わっています。こういう演出の場合、ノートゥングの扱いが難しくて、全く剣を視覚化しないわけにはいかず、どう描いても大きな剣がういて見えます。それにフィナーレの炎も同様ですが、ここではヴォータンが用意したキャンドルにブリュンヒルデが火をつけて、自分のテーブル上に置くということになっています。

 こういう映像、演出とは別に音楽、演奏自体は立派で、特に
オーケストラジークフリートよりも良かったと思いました。歌手の中ではジークリンデのアンゲラ・デノケ(ラトル、ベルリンPOの「フィデリオ」のEMI盤でレオノーレを歌っていた)が歌唱だけでなく外見もかなり際立っていました。それからブリュンヒルデのレナーテ・ベーレも特に第三幕が素晴らしいと思いました(ここで初めて聴いたと思ったら、ギーレンのベートーヴェン全集二度目の第九でソプラノを歌っていた)。最初の「バイロイト以上」という評についてですが、少なくともワルキューレは音楽だけなら本家に負けないくらいと言えるかもしれないと思いました。実際終演後の拍手は盛大で、ブーイングのようなものは入っていません。
24 1月

ワルキューレ ヘンヒェン、ネザーランドオペラ/1999年

190124aワーグナー 楽劇・ニーベルングの指環「ワルキューレ」

ハルトムート・ヘンヒェン 指揮
ネーデルラント・フィルハーモニー管弦楽団

ジークムント:ジョン・キース
ジークリンデ:ナディーネ・セクンデ
フンディング:クルト・リドル
ヴォータン:ヨーン・ブレッヘラー
フリッカ:ラインヒルト・ルンケル
ブリュンヒルデ:ジャニーヌ・アルトマイアー
ゲルヒルデ:イルムガルト・ヴィルスマイアー
オルトリンデ:アンネギア・ストゥンフィウス
ヴァルトラウテ:ハンナ・シャー
シュヴェルトライテ:ヘベ・ディークストラ 
ヘルムヴィーゲ:キルシ・ティーホネン
ジークルーネ:キャサリン・キーン
グリムゲルデ:レギーナ・マウエル
ロスヴァイセ:エルツビータ・アルダム

ピエール・オーディ(演出)
石岡瑛子(衣装)
ゲオルギー・ツィーピン(装置)
ヴォルフガング・ゲッベル(照明)

(1999年 オランダ,アムステルダム音楽劇場 ライヴ収録 Creative Core)

190124 気が付けばびわ湖ホールのジークフリートがあと一カ月強に迫ってきました。二時に始まって七時までという長丁場を考えると、大相撲のます席にほりコタツが付いたような席が望ましいところですがアッシジの時も腰は大丈夫だったのでなんとかなるでしょう。ヘンヒェン指揮のネザーランドオペラの指環は1999年収録の映像ソフトの他に2005年他のSACDもありました。どちらも今一つ地味な触れ込みだったようで登場当初は全くスルーしていました。昨年から両方とも視聴していると、特に映像ソフトの方が演奏、映像(演出と衣装や所作)共々に見事で、分かり易い内容で感心しています。それに新ワーグナー全集による初の収録といのも注目です。作曲者の厳格なアーティキュレーション、フレージングを再現、細かいテンポ指示を確認するという点で従来の演奏とは違った響きになったとヘンヒェン自身が書いていることが聴いているとなるほどと思います。

190124b それにオーケストラを囲むように指環の形状を模した回廊状の舞台は視覚的だけでなく、音楽と舞台が一体となる効果を狙ったとしていますが、会場に居ればそれをさらに実感できただろうと思います。今回のワルキューレではセットの大道具がほとんどない代わりに衣装が目立ちます。ドクロの形をしたヘルメット、翼を模した盾を黒ずくめのワルキューレらが着用するという衣装が印象深くて、戦、生死、という事柄が絡むストリーとも似合いそうです。ヴォータンは赤い外套を羽織っているのが戦国末期の武将のようで舞台によく映えます。第二幕前半に登場するフリッカは
山羊が引く車の表現として山羊の頭の形をした二本の杖を持って歩いてくるのが面白くて、カラヤン演出の仮面をかぶった二人よりも省力的ながら印象深く見えました。

 歌手の中ではブリュンヒルデのアルトマイヤーが一番目立ち、若い頃のヤノフスキ盤からすれば大いに貫禄が付いてタフな声になりました。きれいな声とは言い難いかもしれませんがブリュンヒルデとしては素晴らしい歌唱だと思いました。それにヴォータンのブレッケラーとフリッカのルンケルも歌唱、視覚共に印象深くて説得力(物語がよく伝わる)があります。ジークリンデのセクンデ、ジークムントのキースは上記の三人に埋もれない、聴き分けられる声質でこれも見事だと思いました。余談ながら画面が16:9なので液晶テレビ、ディスプレイで端が余らないのも結構です。

 音楽については1950年代とかの古いバイロイトと違うのは当然として、ヤノフスキの新旧録音と似ている気がしました。それに解説によると、風、雷の効果音、ウィンドマシーン、サンダーマシーンの使用は、出版された楽譜では留保付きだったけれど「細部に至る驚くべき指定」があったとあり、これはちょっと驚きました。これでネザーランドオペラ、1999年の公演で四部作を全部視聴できましたが何となく指環四部作に対するイメージが変わり、今さらながら肯定的な感情が自然とわいてきました。
11 11月

ワーグナー「ワルキューレ」 ベーム、バイロイト1967年

181111bワーグナー 楽劇・ニーベルングの指環「ワルキューレ」

カール・ベーム 指揮
バイロイト祝祭管弦楽団

ジークムント:ジェームズ・キング
ジークリンデ:レオニー・リザネック
フンディング:ゲルト・ニーンシュテット
ヴォータン:テオ・アダム
ブリュンヒルデ:ビルギット・ニルソン
フリッカ:アンネリース・ブルマイスター
ヴァルトラウテ:ゲルトラウド・ホップ
ヘルムヴィーゲ:ライアン・シュネック
オルトリンデ:ヘルガ・デルネシュ
ゲルヒルデ:ダニカ・マスティロヴィッツ
シュヴェルトライテ:ジークリンデ・ワーグナー
ジークルーネ:アンネリース・ブルマイスター
ロスヴァイゼ:ソナ・セルヴェナ
グリムゲルデ:エリザベート・シェルテル

(1967年7月23日,8月10日 バイロイト祝祭劇場 録音 PHILIPS)

 十一月は自分の誕生月なので一年中で一番爽快でした。かといって何か良いこと、良い成果は無くて毎年あっという間に過ぎてしまいます。今年度は来年三月のジークフリート(びわ湖ホール)のチケットを取っているだけなので、このままいけばコンサート等も先日のNDRエルプ・フィルで終わりです。今年三月に視聴したワルキューレはプロジェクション・マッピング多用の演出に馴染めず、あまり好印象じゃなかったのに結構色々な場面を思い出して記憶に残っています。今回のCDを聴いている間も時々チラつきました。

181111a バイロイト音楽祭の指環・ライヴ盤と言えばひと昔前まではベーム指揮の1966~67年録音、PHILIPS盤が音質共々筆頭くらいだったと思います。今ではフィリップスの茶色いデザインも懐かしく、バイロイトの超廉価箱に組み込まれて有難みが薄まりました。しかしキャストに並ぶ歌手の名前をみるとやはり豪華で、実際に聴くと歌手ごとの癖、聴く側の好みはあっても凄い説得力です。特に四十代にさしかかったテオ・アダム(Theo Adam 1926年8月1日 ドレスデン - )
のヴォータンには圧倒されます。舞台上の音、足音等も入っていてこれを初めて聴いた時の感銘が思い出されます。

 女声陣の中ではジークリンデのリザネック(Leonie Rysanek 1926年11月14日 - 1998年3月7日)が目立っていて、この役はもうちょっと弱々しい声を勝手に想像してしまうのでよけいに圧倒されます。悲壮感あふれる歌唱なのでジークムントのキングがやや能天気にさえ感じられます。ブリュンヒルデのニルソンと比べても十分存在感があります。ジェームス・キングは品格、明朗さを感じさせて、フンディングのニーンシュテットの悪役感が余計に増して聴こえます(極道映画風に言えば「貫目」の違い)。

 ショルティ、ウィーン・フィルのDECCA録音、カラヤン、ベルリン・フィルのDG盤とセッション録音による指環全曲録音が並ぶ中でも今さらながら独自の存在感だと思いました。ステレオ録音による音、音質も良好で、バイロイト祝祭劇場の響きも感じられます(現場で聴いたことはないけれど)。改めて聴いていると、ベームの指揮は1958年を最後にバイロイトの指環を振らなくなったクナッパーツブッシュと比べるとかなり直線的で、ケンペ指揮の四年間(1960-63年)を経ているから目立たなかったかもしれませんが、例えば1959年(この年は指環は上演されてない)にこういう指揮で演奏、上演されたら余計に目立ったことだと思います。
21 4月

ワーグナー「ワルキューレ」 ティーレマン、ドレスデン2017年

180421ワーグナー 楽劇・ニーベルングの指環「ワルキューレ」

クリスティアーン・ティーレマン 指揮
シュターツカペレ・ドレスデン

ジークムント:ペーター・ザイフェルト(T)
フンディング:ゲオルク・ツェッペンフェルト(Bs)
ヴォータン:ヴィタリー・コワリョフ(Br)
ジークリンデ:アニヤ・ハルテロス(Ms)
フリッカ:クリスタ・マイア(Ms)
ブリュンヒルデ:アニヤ・カンペ(S)
ゲルヒルデ:ヨハンナ・ヴィンケル(S)
オルトリンデ:ブリット・トーネ・ミュラーツ(S)
ワルトラウテ:リスティーナ・ボック(Ms)
シュヴェルトライテ:カタリーナ・マギエラ(A)
ヘルムヴィーゲ:アレクサンドラ・ペーターザマー(Ms)
ジークルーネ:ステパンカ・プカルコヴァ(Ms)
クリムゲルデ:カトリン・ヴントザム(Ms)
ロスワイセ:ジモーネ・シュレーダー(A)

演出:ヴェラ・ネミロヴァ
舞台:ギュンター・シュナイダー=ジームセン
舞台再構築、衣装:ジェンス・キリアン
照明:アラフ・フリーゼ

(2017年4月5-17日 ザルツブルク祝祭大劇場 ライヴ収録 C Major)

180421b 
これは昨年のザルツブルク復活祭で上演されたワルキューレを収録したもので、夏の音楽祭ではないこともありティーレマンとシュターツカペレ・ドレスデンが中心になっています。復活祭の方の音楽祭は1967年にカラヤンが創設したもので、契約が打ち切られるまではベルリンPOが中心でした。この年は50周年の節目にあたりカラヤン自身が50年前に演出したワルキューレを再現する上演ということで注目されました。舞台上の環状の回廊は見覚えがあると思いましたが解説を見るまではカラヤンの演出だとは分かりませんでした。カラヤンは1951年と1952年にバイロイト音楽祭に出演した後は、新バイロイト様式の演出が気に入らないとか色々あって二度と出演しませんでした。そういうカラヤンがバイロイトに対抗する意味もこめて創設した音楽祭の初回なので演出も手掛けたのか、今回再現された舞台は強烈な読み替えはなくて、見やすいというのか、音楽に集中できるものでした。それに衣装がなかなか効果的だと思いました。

180421a 素晴らしいと思ったのは第二幕で、特にフリッカとヴォータンが争う第1場、その結果に鬱屈するヴォータンとそれに相対するブリュンヒルの第2場が歌唱共々強烈に印象付けられました。フリッカが登場する際は単独で、山羊が引く車とやらから降りた後として歩いて来る演出の方に慣れています。ここでは山羊の角が付いた仮面を被った半裸の男二人が大きなソファのような椅子を持ってフリッカと共に出てきます。ヴォータンとのやりとりの間も舞台に居て、ヴォータンらが立ち位置を変える度にそのソファを近くまで持ち運ぶのが目立ちました。ジークムントを殺すという結末に落ち着いてフリッカが退場する際はそのソファを残して山羊仮面と退場しますが、第2場の最後にヴォータンがブリュンヒルデに命じて退場した後にフリッカと山羊仮面が再度やって来てソファを回収して帰ります。その時にフリッカは勝ち誇ったような満足そうな笑いを浮かべているので、ヴォータンがブリュンヒルデに命じている間もそこをフリッカが支配していることをそのソファ(椅子)が象徴しているようで効果的でした。それに第二幕の最後、フンディングとジークムントの亡骸が横たわるところにフリッカがやって来て満足そうな表情を見せ、物語上のフリッカの存在が強調されています。(*当初ジークムントの名を「ジークフリート」と書いていたのは当然間違い、シレッと書き変えました。)

 これだけ活躍するフリッカなのに付属冊子の大き目の写真はジークリンデとブリュンヒルデだけでした。カンペのブリュンヒルデとハルテロスのジークリンデはキャストの中でも目立っていて、特に前者は次夜作品が楽しみな余裕の歌唱でした。クリスタ・マイアのフリッカは二人に負けない歌唱、存在感で、ヴォータン相手に全く引かずあくまで極道、否、神々の秩序の筋を通させる姿に圧倒させられます。ヴォータンのコワリョフも高貴さと悪辣さを併せ持つヴォータンらしさが充分出ていました。それに比べるとジークムントのザイフェルトはやや弱くて、特に第一幕は声も今一つな印象ですが、第二幕の死の予告辺りは素晴らしいと思いました(それでもよっと衰えたか?)。第三幕のヴォータンとブリュンヒルデのやりとり、別れと魔の炎の音楽も素晴らしく、このところソフト化された指環の映像の中でも抜きん出ていると思いました。

 最初ティーレマンのワルキューレの発売予告が出た時はドレスデンでの公演かと思いましたがザルツブルク音楽祭の公演だったので、続いて指環四部作が映像ソフトとして出るかどうか分からず残念でした。とりあえず2018年のザルツブルク復活祭音楽祭でティーレマンは指環を指揮していないようなので見通しは暗いようです。ティーレマンはバイロイト音楽祭ではピット内での団員の信任、人気も高くて、拍手代わりに譜面台を軽くたたくのが長く続くと年末のFM放送の解説で言及されていました。それならこの音楽祭でなくてもベルリン・フィルとワーグナー作品というわけにはいかないものかと、今回視聴していて思いました。
4 3月

ワルキューレ ラング、ゲルネ、ズヴェーデン、香港PO/2016年

180304ワーグナー楽劇・ニーベルングの指環「ワルキューレ」

ヤープ・ファン・ズヴェーデン 指揮
香港フィルハーモニー管弦楽団

ヴォータン:マティアス・ゲルネ(Br)
ブリュンヒルデ:ペトラ・ラング(S)
ジークムント:スチュアート・スケルトン(T)
ジークリンデ:ハイディ・メルトン(S) 
フンディング:ファルク・シュトルックマン(Bs)
フリッカ:ミシェル・デ・ヤング(Ms)
ヴァルトラウテ:サラ・キャッスル(Ms)
ゲルヒルデ:カレン・フォスター(S)
ヘルムヴィーゲ:カタリーネ・ブローデリック(S)
シュヴェルトライテ:アンナ・バーフォルド(Ms)
オルトリンデ:エレイン・マックリル(S)
ジークルーネ:アウレリア・ヴァラク(Ms)
グリムゲルデ:オッカ・フォン・デア・ダムラウ(Ms)
ロスヴァイセ:ラウラ・ニケネン(Ms)

(2016年1月21,23日 香港カルチュアル・コンサート・ホール 録音 Naxos)

180304b 昨日はびわ湖ホールで上演のワルキューレ初日を観に行きました。香港でも演奏会形式にとどめているのに関西で、大津でよくぞ舞台上演していただき「感謝の極み」、ということにつきました。ただ、舞台いっぱいに映写する演出はいまだに馴染めない気がして、冒頭の木立に雪が降るところは「それはない、スターシア」と内心つぶやいていました。最初は映画のような印象でしたが、その幻想的な舞台の視覚とオーケストラ演奏がすごく共鳴するようで、指環を視聴してこういう情緒を感じるとはと新鮮な気分でした。あるいはローエングリンの夢見心地な世界のようにも見えました。この演出で最後の「神々の黄昏」ではどういう決着に持って行くのか、あるいは徹底して出来事、状況を描写して、あとは視聴する者が考えて、ということか、とにかく強烈な読み替え、主張のある世界とは違った内容だと思いました。断片的には第一幕の最後でジークムントが剣を引き抜いた時にジークリンデが歓声を上げたのにもちょっと驚き、新鮮で好感を覚えました。あと、ホワイエがいつもより大混雑なので移動も大変で、盆に乗せたコーヒーをこぼしている人もみかけました。チケットを確認する入り口より外の軽食コーナーも混んでいるので、そこの隔てを取っ払ってホワイエを拡大すれば楽になるのにと思ってみていました。

180304a さて先日の「ラインの黄金」に続いてズヴェーデン、香港フィルらによる「ワルキューレ」です。前回以上にオーケストラ演奏がよくて、今回は弦も目立っていたと思います。拍手や客席の音らしきものは無く公演のライヴではないような音ながら、録音の日数が二日間になっているので近年増えているライヴ盤と同じくらいの日程です。にもかかわらずブルーレイオーディオのためか、声楽を前面に出しながらオーケストラの方も十分でした。

 主要キャストは皆特徴がある声質なのでよく聴き分けられ、ヴォータンのゲルネ、フリッカのデ・ヤング、ブリュンヒルデのラングが目立ちました。シュトルックマンは十年以上前のバルセロナではヴォータンを歌っていたのがフンディングになり、あの威厳、迫力はどこへいったかと思いました(フンディングにはぴったりか)。ジークムントのスケルトン、ジークリンデのメルトンも立派なものでした。この二人かからジークフリートのような能天気な男が生まれるのかと、改めて奇妙な気分でした。

 ワーグナーは作曲だけでなく台本も自身で書いていますが、FM放送の解説の中で歌詞、言葉の選び方が独特と言っていたことがありました。同じ子音を執拗に繰り返す、例えばジークムントの歌う「冬の嵐は~」では、「 Winterstürme wichen dem Wonnemond 」とWがたて続けに使われています。日本語圏の我々なら「へえ」、「そういえば」くらいのことかもしれませんが、ドイツ人が歌詞を朗読すると顔を見合わせて笑うとか、そんな「これでもか」感だそうです。兄と妹が結ばれるという掟破り、逆行感との関係もあって敢えてそんな語感にしているのかどうか、これは音楽にも影響、関係していそうです。現代CDとかで聴くワーグナー作品の演奏は洗練されて、流れも良いのでそんな子音重ね的な感覚とは隔たりが拡大していそうです。
9 11月

ワルキューレ キング、ホッター、ニルソン、ショルティ、VPO

171109bワーグナー楽劇・ニーベルングの指環「ワルキューレ」

ゲオルグ・ショルティ 指揮
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

ジークムント:ジェームズ・キング
ジークリンデ:レジーヌ・クレスパン
フンディング:ゴットローブ・フリック
ヴォータン:ハンス・ホッター
ブリュンヒルデ:ビルギット・ニルソン
フリッカ:クリスタ・ルートヴィッヒ
ヴァルトラウテ:ブリギッテ・ファスベンダー
ヘルムヴィーゲ:ベリット・リンドホルム
オルトリンデ:ヘルガ・デルネシュ
ゲルヒルデ:ヴェラ・シュロッサー
シュヴェルトライテ:ヘレン・ワッツ
ジークルーネ:ヴェラ・リッテ
ロスヴァイゼ:クラウディア・ヘルマン
グリムゲルデ:マリリン・タイラー

(1965年10,11月 ウィーン・ゾフィエンザール 録音 DECCA)

 先日、昼間に京阪本線の「墨染」駅から「三条」駅までを準急電車に乗ったところ、伏見
稲荷で外国人旅行者がいっぱい乗ってきました。中国人の他に欧米人らしき人も見かけまし
たが、近くに居た夫婦はどの言語を話しているのか三条に着くまでとうとう分からず終いで
した。スペイン語のような歯切れ、抑揚なのにどうも違うようで仏、伊とも違いました。伏
見稲荷といえば昔から雀の焼鳥(姿焼のようで在りし日の雄姿がわかる焼き方だったと)を
売っていましたが、今でも焼いているのなら動物愛護絡みで悪評にならないかちょっと心配
です。

 先日のグッドオールの英語歌唱版に続いて、有名なDECCA-ショルティの指環四部作から
ワルキューレです。超有名なショルティの指環四部作も「
クライバーが讃え、ショルティが恐
れた男 指揮者グッドオールの生涯 (山崎浩太郎 著 洋泉社)
」の中ではアンチ・ショル
ティ派の批判が紹介されていて、なるほどと思う部分もありました。しかし四作品中で最後に
録音されたワルキューレは、キャストの立派さだけでなくショルティ指揮のウィーン・フィル
の演奏も素晴らしいものだと思いました。速目のテンポは相変わらずで時折騒々しいような演
奏でも疾走するような快感と悲愴な緊迫感に終始圧倒されます。

 ショルティは1958年にウィーン・フィルとの四部作の第一作、ラインの黄金をレコード録
音をして大成功し、1961年からはコヴェントガーデンの音楽監督に就任しました。そして歌
劇場でも指環を上演し出して、それと並行するかたちでジークフリートからレコード録音の
方も再開しました。ショルティはロンドンに赴任するまで実はジークフリートも神々の黄昏
も指揮した経験はありませんでした。ウィーン・フィルにしても戦後国立歌劇場が再建、再
開してからはまだ指環全作品の上演経験はありませんでした。そんな中で今回のワルキュー
レを録音する頃にショルティもウィーン・フィルも経験を重ねて慣れて(というのもおかし
な言い方)きたわけでした。
171109a

 それにやっぱり主要キャストの歌手が素晴らしく、ジークムントのキング、ヴォータンのホッ
ター、ブリュンヒルデのニルソンは特別で、ジークリンデのクレスパンと前作から交代したフリ
ッカのルートヴィヒ、フンデングのフリックもこれ以降のセッション録音と比べても抜きん出て
いると思えて感心します。ジェームス・キングは落ち武者のような風体になるジークムントいし
てはもったいない程の高貴さ、優雅さの香気を放って際立っていました。物語の中ではフンディ
ングの方が手下も多数いて大物的な立場なのにフリックと並んで歌うと完全に逆転します。後に
録音することになるローエングリンよりも素晴らしい歌唱だと思いました。

 こういう具合いに既に名声が定まった有名録音ながら久しぶりに聴くと改めて魅力を再認識し
ました。四部作の中ではショルティと相性が良いのは神々の黄昏という評判もありましたが、今
これを聴いているとワルキューレの方がより素晴らしいのではと思います。あと、ブルーレイオ
ーディオというフォーマットも今後当分は再生機器は存続すると思いますが、できればSACDや
CDプレイヤーで再生できればと思いました(いちいちTV画面でトラックを選択するのが面倒)。
6 11月

「ワルキューレ」 グッドオール、E,N,OPERA/1975年

171106aワーグナー楽劇・ニーベルングの指環「ワルキューレ」*英語歌唱

レジナルド・グッドール 指揮
イングリッシュ・ナショナル・オペラ管弦楽団

ジークムント:アルバート・レメディオス
ジークリンデ:マーガレット・カーフェイ
フンディング:クリフォード・グラント
ヴォータン:ノーマン・ベイリー
ブリュンヒルデ:リタ・ハンター
フリッカ:アン・ハワード
ヴァルトラウテ:エリザベス・コネル
ヘルムヴィーゲ:アンヌ・エヴァンス
オルトリンデ:アンヌ・コロレイ
ゲルヒルデ:カティ・クラーク
シュヴェルトライテ:ヘレン・アトフィールド
ジークルーネ:サラ・ウォーカー
ロスヴァイゼ:アンネ・コリンズ
グリムゲルデ:シェラー・スクワイアス

(1975年12月18,20,23日 ロンドン・コロシアム 録音 CHANDOS/EMI)

171106 爽やかな秋なのにワーグナーにずぶずぶと浸かっています。先月の「ラインの黄金」に続いてグッドオール指揮、イングリッシュ・ナショナルオペラの英語公演のライヴ録音による「ワルキューレ」です。グッドオールが指輪四部作を指揮する話が持ち上がったのは1968年8月にマイスタージンガーの再演で成功が決定的になった直後のことでした。その際にはコヴェントガーデン(ショルティが音楽監督)でも指環の上演を予定していたので、国の助成金を受けるために演目調整(重複しないように)をする芸術評議会において、コヴェントガーデン側からサドラーズ・ウェルズ(イングリッシュ・ナショナルオペラの前身)が国際的スター不在、英語歌唱の指環を上演する意味は無いと反対してきました(敵意むき出しだったとか)。そこでまず「ワルキューレ」を単独上演したうえで成功すれば全四作を上演できる可能性を残す形で手打ちになりました。

171106c そして1970年1月29日に「ワルキューレ」は初日の公演を迎え、そして成功を収めたのでいよいよ四部作の上演が具体化することになりました。グッドオールがワルキューレの準備、練習に取り組んでいる時期ちょうどクレンペラーがニュー・フィルハーモニア管弦楽団の定期で「ワルキューレ」第一幕を取り上げ、続けてレコード録音したので、グッドオールは副指揮者として関わり、クレンペラーのリハーサルをま近で聴くことができました(もっとも何年もバイロイトに派遣され、クナの後ろに座ってリハーサルに立ち会った彼のことだから今さらどうということもないかもしれない)。その影響もあってか、この録音の前奏曲からしてクレンペラーのテンポと似ている気がしました。

171106c クレンペラー効果があったかどうかはともかくとして、ラインの黄金に続きこのワルキューレも悠然としたテンポで貫かれ、そのおかげでえも言われぬ香気を放つ美しさでした。ただ、場面によってはちょっとだれるような気もしました。第二幕の第一、二場はもともと映像無しの音楽のみでは妙味が伝わり難いような場面ですが、ここらあたりはちょっと単調に思えました。その分第一幕の第一場、第二幕の第三、四場(ジークムントの死の予告)は絶妙なオーケストラの響きです。演奏に混じって舞台上の足音等もきこえ、この公演は観てみたかったと思いました(写真から演出は古そうに見えるが)。

171106d 歌手の中で大抜擢されたのがブリュンヒルデのリタ・ハンターで、キャストが決まった時には無名の劇場たたき上げの歌手でした。ワルキューレを上演するには三人のハードな歌手、ヴォータン、ジークムント、ブリュンヒルデに適切なキャストがかなわないと盛り上がらないところ、超ドラマティック・ソプラノのブリュンヒルデにはスターか名の通った歌手を呼ぶ予算がないので困り、金属的で強い声に注目して抜擢することになりました。あと、約二年間に及んだグッドオールの歌唱、個人指導の効果もあったはずですが、気難しく独善的とも言われるグッドオールと気の強いハンターは全く気が合わず、互いに辛いリハーサル、練習時間だったようです。実際聴いていても彼女のブリュンヒルデは立派なもので、ヴォータン、ジークムントらに絡んでも引けをとらない歌唱です。

171106e ワーグナー作品の演出について、象徴主義で舞台上がガランとして広い空間が目立つ「新バイロイト様式」は、クナッパーツブッシュが嫌って、それが原因となって一時出演を拒否したくらいでした。しかし、クナに心酔するグッドオールは新バイロイト様式を大いに気に入り、それを英国の劇場にも導入するように進言したくらいでした(コヴェントガーデンでは却下されたそうだが)。CD付属の冊子にはイングリッシュ・ナショナルオペラでの上演写真が載っていて衣装やらセットの一端がうかがえます。ブリュンヒルデは立派な体格で金時さんのように見えます。
4 11月

ワルキューレ ド・ビリー、バルセロナ・リセウ劇場/2003年

171104aワーグナー楽劇・ニーベルングの指環「ワルキューレ」

ベルトラン・ド・ビリー 指揮
バルセロナ・リセウ劇場交響楽団

ジークムント:リチャード・バークリー=スティール
フンディング:エリック・ハルファーソン
ヴォータン:ファルク・シュトルックマン
ジークリンデ:リンダ・ワトソン
ブリュンヒルデ:デボラ・ポラスキ
フリッカ:リオバ・ブラウン
ゲルヒルデ:ザビーネ・フローム
オルトリンデ:アンネヘール・ストゥンフィウス
ヴァルトラウテ:マリーザ・アルトマン=アルタウセン、他

演出:ハリー・クプファー
装置:ハンス・シャフェルノッホ
衣裳:ラインハルト・ハインリヒ
照明:フランツ・ペーター・ダヴィッド

(2003年6月19,22日 バルセロナ,リセウ劇場 ライヴ収録 DENON/OPUSARTS)

171104b これはスペインのバルセロナ、リセウ大劇場で上演された指環四部作をライヴ収録したもので、日本語字幕が付いたDVDも発売されていました。バルセロナと言えばカタルーニャの分離独立投票を敢行して独立宣言をして大変なことになっています。カタルーニャ自治州のプチデモン前首相に国家反逆などの罪により逮捕状が出ています。スペインは各地方の独自色が強いと言われ(行ったことがないから分からないけど)他にバスク地方も独立問題がくすぶっていました。しかし「国家反逆の罪」というのは仰々しくて絶対王政の時代を連想させます。ともあれそういうカタルーニャ自治州の州都バルセロナの劇場、リセウ大劇場のワルキューレです。パリ出身のベルトラン・ド・ビリーはこの歌劇場の首席指揮者をウーベ・ムントのあとを受けて1999年から2004年までつとめました。

 スペインの歌劇場、フランス人の指揮者でワルキューレとなるとソフトを購入する場合に優先順位が下がりがちですが、視聴すると分かりやすくて歌唱も立派なので、日本語字幕があることからも指環の案内、内容理解の一歩目にふさわしいと思いました。読み替え、異化による演出ではなく、原作の世界に現代的な視覚に沿うようにアレンジした内容で、1988年から1992年までのバイロイト音楽祭で使われたクプファーのものを改訂した演出で、衣装やセットも同様です。ただ、照明の加減かこちらの方がしっくり来るように見えました。

171104 主要キャストの中ではヴォータンのシュトルックマンが歌唱だけでなく、表情や所作も含めて演技で圧倒的な存在感です。サングラスに総髪を後でたばねた髪型に陣羽織風の上着、これが歌い出すと物凄い威圧感でした。ただ、第二幕でフリッカと言い争うところの挫折、敗北の体は例外で逆に面白くうつりました(シリアスな場面だけれど)。第二幕冒頭でこれからジークムントに加勢してフンディングらを蹴散らすと言ってブリュンヒルデとたわむれに槍をあわせている場面の勢い(DQN感)と対照的です。それからジークムントを見捨てると決心する苦悩の場面、ジークムントの持つノートゥングを破砕して倒れるジークムントをむねに抱きとめる場面、怒り狂ってブリュンヒルデを糾弾する場面、最後の別れの場面までどれも素晴らしいと思いました。

 ブリュンヒルデのポラスキはヤング指揮のハンブルク歌劇場の指環でも同役を歌っていますが今回の方がいきいきとした歌唱です。ジークムントの死の予告は特に素晴らしく、見栄えもしました。ただ、死を告げながらジークムントの顔、髪まで白く塗りたくる演出はちょっとどうかなと思いました。フリッカのブラウンもバイロイトのブランゲーネ(1994年)よりも立派で、ヴォータンのシュトルックマンと並んでも引けをとらない見事さです。ジークリンデのワトソンも外観は多少あれでも歌い出すと見事なもので、ブリュンヒルデを歌っても大丈夫じゃなかったかと思うくらいです。

 ジークムントのリチャード・バークリー=スティールはきれいな声ながら、劇場に座って聴いていたらちょっと弱いかなと思う声でした。ジクムントとジークリンデがやたら寝転ぶのはあまり絵にならない気がしました。かといって棒立ちで歌うのも古めかしくてなかなか難しいところです。フンディングのハルファーソンもジークムントを圧倒しそうな声でした。オーケストラの方は速目のテンポで通し、第一幕はちょっと編成が少ないのか?と思うくらいの軽い印象でしたが、第二幕以降は慣れのおかげか気にならなくなりました。
18 8月

テンシュテットのワルキューレ第一幕/1991年

170818bワーグナー楽劇・ニーベルングの指環 「ワルキューレ」第一幕

クラウス・テンシュテット 指揮
ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団

ジークムント:ルネ・コロ(T)
ジークリンデ:エヴァ=マリア・ブントシュー(S)
フンディング:ジョン・トムリンソン(Bs)

(1991年10月7,10日 ロンドン,ロイヤル・フェスティヴァル・ホール ライヴ録音 Lpo)

170818a 今朝の夜明け直前頃、猛烈な雨音のため目がさめました。そこらへんが潜水艦のように潜るのかと思うような水音に囲まれて数年前の豪雨渦の記憶がよぎりました。一旦眠ったら今度はドやかましい雷鳴でまた目がさめました。建具が震えるような低音の雷はあまりおぼえがありません。どうも本当に気候が変化する過渡期にでもさしかかったような不気味さです。豪雨と雷鳴の合間に鮮明な夢を見ていて、目覚めてもけっこう覚えていました。電車に乗って居眠りして終着駅近くまで乗ってしまい、降りた駅の前が漁港で海が広がっているというあり得ない場面です。かろうじて近鉄特急の賢島行にでも乗れば似たような駅はあるかもしれませんが、仕事関係で乗る可能性は限りなくゼロです。ただ、夢の場面を思い出すとそのネタ元はここ数日の実生活の場面にあるようで、古い桟橋はTVで観たトラック環礁の旧海軍の停泊地、乗った電車は今月二十日から運行する座席指定の京阪特急のポスターの反映なのでしょう。

 ワルキューレの一幕だけの録音は過去にもちょくちょくあり、ロンドン・フィルのライヴ音源からのレーベルにもテンシュテットの演奏会形式のものがありました。このレーベルの音は不自然なところがあるものの、鮮明で隅々までよく聴こえる内容で、少なくとも1990年代のものは良さそうです。このワルキューレ第一幕も声楽だけでなくテンシュテット指揮のオーケストラがかなり魅力的、個性的です。テンシュテットによるワーグナー楽劇の全曲盤は結局無かったのでこれは貴重な録音です。

 前奏曲は嵐のように速目のテンポで始まりますが、「冬の嵐は~」の場面はかなりテンポを落とした上でオーケストラが控え目になります。ジークムントがアリア的な部分はあまり強調しないというか、あくまで全体の中の一部という位置付けで、「~und Lenz!」と歌い終わったところも淡々とそのまま進んで行くのは新鮮です(アリアが終わってドヤ顔的な感じは全く無い)。第一幕のコーダ部分は再びテンポが上がってかなり高揚するので直後にわき起こる拍手も盛大です。

 同じくらいの時期にマゼールとピッツバーグ交響楽団らによるワルキューレ第一幕のCDがありましたが、今回のテンシュテットに比べるとそれはオラトリ的なものに思えてきます。このCDの日本語帯に載っていた「テンシュテットの執念(ガンの治療中でもあった)とも思える迫力に満ちた音に満たされて」、「スリリングかつ濃密な人間模様を描き出している」という評はもっともだと思いました。どこかしら先日のフルトヴェングラーのセッション録音に通じるところがあるとも思いました。
7 8月

ワーグナー「ワルキューレ」 フルトヴェングラー、ウィーン1954年

170807aワーグナー楽劇・ニーベルングの指環 「ワルキューレ」

ヴィルヘルム・フルトヴェングラー 指揮
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

ブリュンヒルデ:マルタ・メードル(S)
ジークリンデ:レオニー・リザネク(S)
ヴォータン:フェルディナント・フランツ(Br)
ジークムント:ルートヴィヒ・ズートハウス(T)
フリッカ:マルガレーテ・クローゼ(MS)
フンディンク:ゴットロープ・フリック(BS)、他

(1954年9月28日-10月6日 ウィーン,ムジークフェラインザール 録音 EMI)

 昨夜も当然のように熱帯夜だったので寝苦しく、また日付が変わってから起き出してTVをつけました。どうも深夜時間帯の方が面白いと思ってチャンネルを変えていると、NNNドキュメント「4400人が暮らした町 ~吉川晃司の原点・ヒロシマ平和公園~ 」というのが見つかりました。吉川晃司氏の祖父が広島市の中心部で立派な割烹旅館を営んでいたということで、そこは現在平和公園の敷地の中に含まれています。現在平和公園になっている場所の大半は原爆投下以前は街が広がり、中心部の繁華街も含まれていたという事実は広島に行った時は指摘されたかもしれませんが、被害写真の衝撃のために上の空で素通りしていました。資料館の耐震補強工事に伴って発掘調査をすると表面が熱線で焼かれて泡立った瓦、溶けた牛乳瓶がまとまって出てきました。そこはまさしく牛乳配達所があった場所で、広島市は復興しても爆心地付近の街、中島地区は公園の下に埋まったままということでした。村がダム湖の底に沈んだり、空襲防火のために家屋が除去されたケース等はあっても、在りし日の街の姿を知るにつけ、得も言われない恐怖と喪失、取り返しの付かない感情がわき起こってきました。

170807b ワルキューレの全曲盤を考えるとこのフルトヴェングラーのセッション録音はどうしても外せない、非常に魅力的な内容だと20年くらい前に初めて聴いた時から思っていました。復刻CDの解説にも書いてありましたが、この録音はフルトヴェングラーのフアン、崇敬会的な層には人気はいま一つのようでした。ミラノ、ローマで演奏された指環四作品のライヴ音源があるため、こっちの方は一作品だけなのとフルトヴェングラーらしい激しい表現が後退しているからという理由のようでした。しかし自分の場合は信者でもなく、ワルキューレという作品の方に関心があるのでその辺りのことは置いておきます。

 改めて聴いていると各主要キャストの歌唱、声が素晴らしくて、それにオーケストラの重厚さもかなりのものだと圧倒されます。解説に書いてあった不人気(といってもミラノ、ローマのライヴ全四部作盤と比べてという意味かと)の理由の一つにはヴィントガッセンやフラグスタートといったスター歌手が参加していないことを挙げていましたが、このメンバーでそう言うのは贅沢じゃないかと、実際に聴くとそう実感します。特に新鮮に思ったのがジークリンデのリザネク(Leonie Rysanek 1926年11月14日,ウィーン - 1998年3月7日,ウィーン)で、冒頭から弱々しくなくてフンディングの寝首をかきかねないような強じんさで迫ってきます。それが段々としとやかに聴こえるようになり、二幕になると対照的なジークリンデに聴こえます。ズートハウスのジークムント、フランツのヴォータンも荒々しいだけでなく格調高くて立派です。

 解説か広告に書いてあった言葉なのに、今その箇所が確認できないので正確さを欠きますが、「浄化」という表現に個人的に大いに共感しました。考えようによっては「何から、どんな事柄から浄められる必要があるのか」ということになり失礼な表現なのかもしれません。しかし、この録音では各登場人物(神々)の感情の動きのようなものが何故か清澄に感じられて、ヴェリズモオペラの登場人物のように等身大に思え、魅力を感じます。指環四部作は裏をかいたり外道したりで、どうにもどす黒い世界のように感じられるので余計に新鮮に思えます。これは個人的偏見か、主要キャストの歌手の威力なのか、とにかく古い録音にもかかわらず新鮮な美しさです。
23 7月

ワーグナー「ワルキューレ」 ティーレマン、ウィーン2011年

170723ワーグナー楽劇・ニーベルングの指環 「ワルキューレ」

クリスティアーン・ティーレマン 指揮
ウィーン国立歌劇場管弦楽団

ジークムント:クリストファー・ヴェントリス(T)
フンディング:エリック・ハーフヴァーソン(Bs)
ヴォータン:アルベルト・ドーメン(Br)
ジークリンデ:ヴァルトラウト・マイヤー(S)
ブリュンヒルデ:カタリーナ・ダライマン(S)
フリッカ:ヤニナ・ベヒレ(Ms)ほか

(2011年11月 ウィーン国立歌劇場 DG)

170723c そろそろバイロイト音楽祭だといっても実際は年末のFMまでお預けです。今年の演目はトリスタン、マイスタージンガー、指環、パルジファルとローエングリンになり、指環は昨年に続いてヤノフスキが振ることになっています。年齢を考えれば今年あたり映像ソフトを収録するかCDの録音をやってくれたらと思いますが、A.フィッシャーの指環も製作されなかったので無理かもしれません。さて、今回のワルキューレはバイロイトではなくウィーンでライヴ録音されたティーレマン指揮の指環です。この四部作も含めてDGが出したティーレマン-ウィーンのワーグナーはマイクの位置なのか、数なのか、どうも音が小さい、こもったような音質でちょっと残念な内容になっています。

170723a 先月にマルチチャンネルのフロントスピーカーをプリメインアンプにつないて分離させ、2チャンネルとマルチの両方を併用(といってもどっちもしょぼい機器だけれど)できるようにしたので、このCDは2チャンネルで再生してちょっとはましに聴くことができました。主要なキャストをみるとマイヤーがジークリンデと言うのがちょっと意外です。実際に聴いていると他のキャストも声の威力で圧倒する式ではなくて、各登場人物の感情の変化を特に意識させるような繊細な内容だと思いました。第2幕のフィナーレでヴォータンが “ Geh !” と叫んでフンディングにも引導を渡す場面、ここでは結構甲高く歌っているのが印象的です。低く呻くようにとか、怒気を帯びて叫ぶようにとか色々なパターンがあるところなので目立ちます。

170723b それにCD4枚組なのに3枚目の収録時間が少なくて30分を切り、ラストとジークフリートの死の予告の大半だけに充てています。はじめトラック表示を見た時は死の予告の場面が特に凄い出来なのかと期待しましたが、そこまでとも言えない感じでした。却って第2幕初め、フリカとヴォータンのやり取りからジークムントをあきらめるところが印象的です。アリア的に盛り上がらない箇所なのにかなり聴き耳をたてる心地なので、演劇的な関心がわいてくる内容です。逆に第1幕の終わり、「冬の嵐は~」あたりはあっさりとしたものでちょっと物足らない気もしました。

 何十年も前に音楽学者がオペラについて書いたものの中で、人物の性格描写という要素はワーグナー作品ではほとんど眼中にないというものがありました。作曲者が台本を書いているのにそうした要素にあまり重きを置いていないという趣旨ですが、ライトモチーフやオーケストラ部分に注目しているとそんなものかと思っていました。R.シュトラウス作品の場合は「歌芝居」と称し、登場人物のやりとりが進むにつれて話が進行する軽妙さが魅力とされることがあります。今回のワルキューレは軽快じゃないとしても従来と違った魅力がみえました。
18 10月

ワーグナー「ワルキューレ」 カイルベルト、バイロイト1953年

161018aワーグナー楽劇・ニーベルングの指環「ワルキューレ」

ヨーゼフ・カイルベルト 指揮
バイロイト祝祭管弦楽団

ジークムント:ラモン・ヴィナイ(T) 
ジークリンデ:レジーナ・レズニック(S) 
フンディング:ヨーゼフ・グラインドル
ヴォータン:ハンス・ホッター(Br)
ブリュンヒルデ:マルタ・メードル(S)
フリッカ:イラ・マラニウク(Ms) 
ヴァルトラウテ:イーゼ・ゾレル(Ms)
ヘルムヴィーゲ:リゼロッテ・トーマミュラー(S)
オルトリンデ:ブルニ・ファルコン(S)
ゲルヒルデ:ブリュンヒルト・フリートランド(S)
シュヴェルトライテ:マリア・フォン・イロスファイ(A)
ジークルーネ:ギゼラ・リッツ(Ms)
ロスヴァイゼ:エリカ・シューベルト(Ms)
グリムゲルデ:シビラ・プレイト(A)

(1953年8月 バイロイト祝祭劇場 ライヴ録音 ANDROMEDA)

 先日ブルーレイレコーダーのHDにたまっていた録画番組を市販のブルーレイディスクにコピーしてから、本当に他の器機でも再生できるかためしてみました。ブルーレイはファイナライズが不要なものが多いそうですが、とにかく何種かマランツの再生専用機でやってみたら普通に再生でき、しかも5.1ch音声の放送はそのままで記録されているようで幸いでした(ただ、どこか貧弱な音)。映像の方はましに見えたので、この調子なら時々は録画してもいいと思いました(過去に録画した番組が画面がぐちゃぐちゃに乱れているものがあったので、つくづくいい加減なもんだと思ってあきらめていた)。

161018b 少し間隔をあけてしまいました(TVを録画したものを整理している時にスクロヴァチェフスキのブルックナーが出てきたのでそっちに気がそれてしまいました)が、カイルベルト指揮の1953年、バイロイト音楽祭の指環から「ワルキューレ」です。 この年はクレメンス・クラウスとカイルベルトの二人が指環四部作を指揮し、キャストも特に豪華だったことでも有名でした。それにマルタ・メードルがブリュンヒルデを歌った貴重な年でもありました。個人的に特にメードルのブリュンヒルデが好きなので勝手に「貴重な」と付けくわえたわけですが、この年以外には1955年にヴァルナイと交代で歌っています。改めてこの年のワルキューレを聴くと、メードル単独でというよりもホッターがヴォータンとの組み合わせが妙に魅力的だと思いました。
 
 ホッターのヴォータンはどこかした生々しい感情が前面に出にくいような、鬼神系?な声というイメージを持っていたところ、三幕のブリュンヒルデとの二重唱の場面の中で床を踏み抜きかねない勢いで鳴らして怒鳴るようなところはちょっと驚きました(えらい怒ったはる)。そんな風なヴォータン(ホッター)の声とメードルの歌うブリュンヒルデの声がちょうど良いバランスというか毒消しのような加減で、後続の「ヴォータンの別れ」の場面がいっそう惜別の哀調を帯びてきます。さかのぼって第二幕第4場の「ジークムントの死の告知」 でのジークムントとブリュンヒルデのやりとりも、簡単に敗死しそうにないヴィナイが歌うジークムントの声との対比も同様に魅力的です。なお、この場面でブリュンヒルデが知らせる自分の運命に激しく抵抗するジークムントなのに、そんなに激しい感情を示す演奏になっていなくて、速めのテンポをトルカイルベルトにしては大人しいので意外でした。

 ただ、このブリュンヒルデはあまり初々しい感じじゃなくて年季が入り腹が座ったようでもあり、その点は微妙です。第二幕は最初のヴォータンとフリッカのやりとり(訴え、対決)のところも真に迫っています。これらに比べると第一幕、特に冒頭からのジークムントとジーリンデが出会ってしばらくの辺りは新鮮味があまり無いというのか、劇的・運命的に遭遇したような高まりのうよな感じがせず、何となく普通な印象です(同時に舞台を見ていたらそんなことはないのかもしれない)。なんだかんだ言いながら1953年のカイルベルト・指環は豪華キャストだけでなく、独特な臨場感があって古いということを除けばストーリーを追いつつ、物語を理解しながら聴くのにはうってつけなものだと思えます。
9 10月

ワーグナー「ワルキューレ」 クナ、バイロイト1957年

161009ワーグナー楽劇・ニーベルングの指環 「ワルキューレ」

ハンス・クナッパーツブッシュ 指揮
バイロイト祝祭管弦楽団 

ジークムント:ラモン・ヴィナイ(T) 
ジークリンデ:ビルギット・ニルソン(S) 
フンディング:ヨーゼフ・グラインドル(Bs)
ヴォータン:ハンス・ホッター(Br)
ブリュンヒルデ:アストリッド・ヴァルナイ(S)
フリッカ:ゲオルギーネ・フォン・ミリンコヴィッツ(Ms) 
ヴァルトラウテ:エリザベート・シェルテル(Ms)
ヘルムヴィーゲ:ヒルデ・シェッパン(S)
オルトリンデ:ゲルダ・ラマール(S)
ゲルヒルデ:パウラ・レンヒナー(S)
シュヴェルトライテ:マリア・フォン・イロスファイ(A)
ジークルーネ:ヘレナ・バーター(Ms)
ロスヴァイゼ:ヘティ・プリマッヒャ(Ms) 
グリムゲルデ:ゲオルギーネ・フォン・ミリンコヴィッツ(A) 

(1957年8月15日 バイロイト祝祭劇場 録音 WALHALL)

 今朝の明け方頃、気温が下がったので熟睡していたはずが桁外れに猛烈な勢いの雨音のため目がさめました。これまでの生涯で一番えげつない降り方だったので、また避難指示のメール来るかと思って携帯の電源をいれました。あまり大きな音だったのでヒョウでも降っているかと思ったほどでした。しかし今回はそんな通知はなくて警報のサイレンもきこえず、降雨も短時間だったようで無事に済みました。もし果物畑にヒョウが降っていたら大損害でしょうが、フランスのワイン産地なら北緯47度くらいでそろそろ収穫も終わる頃でしょう(山科区勸修寺のぶどう狩りも終わっている)。

 今回は1957年のバイロイト・指環からワルキューレです。クナのバイロイト指環中で一番豪華キャストと言われた1957年なので、ジークリンデにはビルギット・ニルソン(Birgit Nilsson 1918年5月17日 - 2005年12月25日)、ブリュンヒルデにアストリッド・ヴァルナイ(Astrid Varnay, 1918年4月25日 - 2006年9月4日)という顔合わせになっています。 ニルソンは1954年から1970年までバイロイト音楽祭に出演していましたが、バイロイトデビューの1954年のワルキューレはマルタ・メードル(Martha Mödl 1912年3月22日 - 2001年12月17日)とヴァルナイが交互にジークリンデとブリュンヒルデを歌いました(翌1955年も)。今回の1957年がバイロイトで初めてジークリンデを歌った年に当たり、さらにこの後1960年に初めてブリュンヒルデを歌うことになります。

 バイロイトでの活躍はヴァルナイの方が早かったもののニルソンは同じ年の生まれだったこともあってか、この録音でのジークリンデは貫禄十分でブリュンヒルデでも違和感の無い強じんで鋭い歌声です。 彼女らだけでなくフリッカをはじめ女声陣は相変わらずそろっています。一方、男声陣で一番強烈だったのはグラインドルでした。フンディングなんか歌うのはもったいない?くらいで、第二幕の最後で逆にヴォータンに “ Geh! ” と言い放てそうな貫禄です。余談ながら、フンディングがジークムントを打ち取っていたら(ブリュンヒルデやヴォータンらの介入が無く)、ジークリンデはどうするつもりだったのかと思います。裏切ってフンディングの顔に泥を塗った以上死あるのみか、どうしても傍らに置いておきたいから連れ戻すのか。この年のワルキューレなら何となく前者のような気がします。

 あと、ホッターとジークムントのラモン・ヴィナイもさすがです。前年1956年のジークムントはヴィントガッセン、翌1958年はヴィッカーズとクナ指揮の三年はそれぞれ別キャストになっています。ちなみにジークフリートは1957年以外はヴィントガッセンが歌い、1957年の「ジークフリート」での同役だけがベルント・アルデンホッフが歌っています(「神々の黄昏」ではヴィントガッセンがジークフリート)。コンディション等を考慮して信頼できるヘルデン・テノールを配分したということなのか、この録音を聴いているとヴィナイの太くて逞しい声は「神々の黄昏」のジークフリートもいけそうなくらいでした。なお、オーケストラの方は「ラインの黄金」よりも素晴らしくなっていると思いました(でも1958年の方が全体的に良いか??)。
4 10月

ワーグナー「ワルキューレ」 ケンペ、バイロイト1962年

161004bワーグナー楽劇・ニーベルングの指環「ワルキューレ」

ルドルフ・ケンペ 指揮
バイロイト祝祭管弦楽団

ジークムント:フリッツ・ウール(T)
フンディング:ゴットローブ・フリック(Bs)
ヴォータン:オットー・ヴィーナー(Br)
ジークリンデ:ユッタ・マイファールト(S)
ブリュンヒルデ:アストリッド・ヴァルナイ(S)
フリッカ:グレース・ホフマン(Ms)
ゲルヒルデ:ゲルトラウド・ホップ(S)
オルトリンデ:エリザベート・シェルテル(S)
ヴァルトラウテ:アニ・アーギ(Ms)
シュヴェルトライテ:エリカ・シューベルト(A)
ヘルムヴィーゲ:インゲボルグ・フェルデラー(S)
ジークルーネ:グレイス・ホフマン(Ms)
グリムゲルデ:ジークリンデ・ワーグナー(A)
ロスヴァイセ:マルガレーテ・ベンセ(Ms)

(1962年7月29日 バイロイト祝祭劇場 ライヴ録音 Myto)

 台風の接近のおかげで相変わらずの蒸し暑さが続きます。先週はじめに地下鉄の駅に貼ってある京響のポスターを見たら既に11月定期の案内に変わっていて(10月は完売したもよう)、慌ててその11月定期(トゥーランガリラ交響曲)のチケットを申し込みました。10月はラドミル・エリシュカ(新世界、交響的変奏曲、モルダウ)の本場ものでしたがモルダウがあまり好きじゃないので見送っていました。京響定期は今年度から隔月で二回公演になっても完売がよくあるので要注意です。

161004a さて、先日に続いて1962年のバイロイト音楽祭からケンペ指揮のワルキューレです。「ラインの黄金」同様に素晴らしくて、10年くらい前のワルキューレに通じる味わいです。ジークムントのフリッツ・ウールの声がまさにそんな風な魅力で、アルデンホッフを彷彿とさせます。ウールが歌うワーグナー作品と言えば「トリスタンとイゾルデ(ショルティとウィーンPO,1960年/DECCA)」、1959年バイロイトのオランダ人がありました。それらの録音は聴いたことがあるのに具体的にどんな感じだったかよく覚えていませんが、この録音では冒頭から魅力的です。それにヴァルナイが何度も歌ってきたブリュンヒルデも圧倒的でした。フンディングのゴットロープ・フリックもこの役にふさわしい野卑?な雰囲気もあってさすがです。

 前作で個人的な先入観をひっくり返す魅力的な歌唱、声だったヴォータンのオットー・ヴィーナーは今回さらに驚きの魅力的な歌声です。何となく高目で軽快な声も聴けて、本当にこんな声だったか?と思い、カイルベルト指揮のミュンヘン・オペラ「マイスタージンガー 」でザックスを歌った人とは別人かと思って調べなおしたくらいです。個人的にヴォータンと言ってまず思い起こす声はテオ・アダムなので、その荒ぶるような迫力と比べるとこの録音のヴィーナーによるヴォータンはもう少し生身の人間らしい印象です。その他でもフリッカやジークリンデをはじめ女声陣もそろっていると思いました。

 ここまでケンペ指揮の四部作から二作品を聴いて、声楽、オーケストラともに充実していて、正式録音になっていればこれ以降にライヴ録音されたベーム盤以上の感銘度かもしれないと思いました(少なくともオケは)。ケンペは翌1963年も指環を一人で受け持ち、1964年はクロブチャールと交代し、1965年から三年間をベームとスィートナーが指環を指揮することになります。ちなみに1966年にブーレーズがパルジファルを指揮することになり、何となくケンペが指環を振った年までで戦後のバイロイトの区切りになりかかっているようです。
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raimund

昭和40年代生まれ、オットー=クレンペラーの大フアンです。クレンペラーが録音を残したジャンルに加え、教会音楽、歌曲、オペラが好きなレパートリーです。

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