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モーツアルト・フィガロの結婚

26 5月

フィガロの結婚 シュトライヒ、ベリー、ルートヴィヒ、ベーム、VSO/1956年

210526aモーツァルト 歌劇「フィガロの結婚」

カール・ベーム 指揮
ウィーン交響楽団
ウィーン国立歌劇場合唱団

フィガロ:ヴァルター・ベリー
ケルビーノ:クリスタ・ルートヴィヒ
スザンナ:リタ・シュトライヒ
伯爵夫人:セーナ・ユリナッチ
アルマヴィーヴァ伯爵:パウル・シェフラー
マルチェリーナ:イーラ・マラウニク
バルトロ:オスカー・チェルヴェンカ
ドン・バジーリオ:エーリヒ・マイクート、他

(1956年 ウィーン 録音 fontana/PHILIPS)

210526 ベームのフィガロと言えばベルリン・ドイツオペラとのDG盤が特に有名で、その他にも最晩年のウィーン国立歌劇場引っ越し来日公演やその五年前の映像ソフト、1963年日生劇場公演等もありました。それ以前では1938年のシュトゥットガルト、今回の1956年ウィーン交響楽団とのFHILIPS盤があります。このフィリップスの全曲盤はCD化されたことはあるものの「フィガロの結婚」の代表的なレコードのような扱われ方はされず、ベームの録音としてもスルーされがちのようでした。しかし、歌手も揃っていて同時期の全曲盤にひけをとらないキャスティングです。フィガロのベリー(Walter Berry 1929年4月8日 - 2000年10月27日
)、ケルビーノのルートヴィヒ(Christa Ludwig 1928年3月16日 - 2021年4月24日)は当時まだ二十代ですが見事な歌唱で、特に後者のケルビーノは目立っています。ルートヴィヒはこんな声だったかと一瞬思うくらいで、実年齢より十年くらい若く聴こえ、E.クライバー、ウィーン・フィル盤のシュザンヌ・ダンゴに肉薄する程の魅力です。一方フィガロのベリーも若々しい声でこれくらい優男なフィガロは他にあったかと軽く驚きました。

 なお、ベリーとルートヴィヒは翌1957年に結婚して約三年後に離婚していました。ということはクレンペラーのフィデリオや魔笛のEMI盤の頃は既に離婚していて共演したということになり、私生活とは別だとしても気まずくはなかったのだろうかと思います。スザンナのシュトライヒ(Rita Streich 1920年12月18日-1987年3月20日)、伯爵夫人のユリナッチ(Sena Jurinac  1921年10月24日 - 2011年11月22日)、アルマヴィーヴァ伯爵の
シェフラー(Paul Schöffler  1897年9月15日-1977年11月22日)も素晴らしくて、イタリア語の発声がどうなのかは分かりませんが、ロココの貴族世界の雰囲気が漂い魅力的です。それにセッコ部分のチェンバロが適度に軽快で心地よくきこえます。

 オーケストラの方も序曲から溌剌として良い流れですが、声楽と比べて音質の方が今一つで、何となく後ろに引っ込んだような感じです。同時期のウィーン・フィル盤(E.クライバー)が古い割に細部までよく聴こえるような鮮やかさだったので、こちらのウィーン・シンフォニカの方は少々残念です。特に第一幕がそういう印象で、第二幕の半ばあたりからそれほど気にならなくなりますが、それでも声楽の方が大きくきこえます。あまり評判にならなかったのはこの点と、フィガロとケルビーノが当時はまだ若手だったことが影響しているかもしれません。

  モーツァルト生誕200年のメモリアル年だった1956年前後には各レーベルがそれに合わせてモーツァルトのオペラのレコードを制作、発売しました。DECCAからはエーリヒ・クライバーのフィガロ、ヨゼフ・クリップスのドン・ジョヴァンニがそれぞれウィーン・フィルと全曲録音し、その企画・シリーズでベームはコジ・ファン・トゥッテと魔笛を受け持ちました。一方でフィリップスの企画で録音したフィガロ全曲盤が今回のベーム盤でした。購入できたのは再発売のレコードのようですが、ステレオ版としては最初の発売かもしれません(ややこしい)。当時はステレオ版が発売されて間もない頃なのでモノラルの方がまだ信頼性が高く、機器もモノラルにしか対応していないものが普及していたようです。
23 5月

フィガロの結婚 フリッチャイ、ベルリンRIAS/1960年

210522aモーツァルト 歌劇「フィガロの結婚」K.492

フェレンツ・フリッチャイ 指揮
ベルリン放送交響楽団
RIAS室内合唱団

フィガロ:レナート・カペッキ
伯爵:ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ
伯爵夫人:マリア・シュターダー
スザンナ:イルムガルト・ゼーフリート
ケルビーノ:ヘルタ・テッパー
バルトロ:イヴァン・サルディ
マルチェリーナ:リリアン・ベニングセン
バジリオ:パウル・クーエン、他

(1960年9月 ベルリン,イエス・キリスト教会 録音 DG) 

 色々な行事がコロナの影響で中止になるので季節感が希薄になりがちで、それだけでなく今が何月なのか取り違えそうになります。ワクチン接種の人数を増やすようにやっきになっているような急ぎ方です。一方で、先日ある高齢者から聞いた話では、かかりつけの医院にワクチン接種についてどうするかきかれて当面はきぼうしないと返答したら、それ以上勧められずあっさりしたものだったそうです。検査の場合はそこそこ勧められるのとえらい違いだと言っていて、裏に手をまわして接種する富裕層の報道とは事情が違っていそうでした。
単に人口に対する割合を上げることだけにちまなこになっているかのようなむきがあり、接種する対象は生身の人間であり、個人差もあるのだから冷静な接種をきぼうします。

 先日連休明けに「フィガロの結婚」を聴きたくなって有名なベームとベルリン・ドイツオペラの全曲盤CDを再生したところ、過去に聴いた時と同じでどうもしっくりこない気がして途中で止めました。ベームのフィガロなら戦前の1938年にシュトゥットガルトでの録音の次、1956年のモーツァルトイヤーにウィーン交響楽団と豪華歌手陣とでフィリップスへ録音した全曲録音があるのを最近知り、そちらの方が良さそうな気がしました(VSOの方はごく一部しか聴いていない)。それで過去記事で扱っていないものからフリッチャイのDG全曲盤を聴きました。フリッチャイは1963年に白血病により亡くなりますが、この1960年の頃は発症後一時的に好転して指揮を再開していました。

 全体的にオーケストラは心地よく流れていき、それでいて丁寧な演奏、録音なので細部まで良く響いています。それに対してセッコの部分はチェンバロの通奏低音は当然付くとして、歌手の朗唱が結構アクセント、抑揚が強調されてかなり対話の方に傾斜しているので流れが停滞する印象です。音楽の方が喜劇やら舞台上で進行する物語を超越するように澄んで行くから、オペラ・ブッファの空気を出さなければと思ってこういう表現にしているのかどうか、セッコ以外の歌唱でも似た傾向です。歌詞はイタリア語なのに妙にドイツ語的にギクシャクして聴こえます。

 歌手の方はフィガロのカペッキが強烈で伯爵よりも上位者のような威圧感があふれて、「もうとぶまいぞ~」は勝ち戦が決まったとどめの殲滅戦に出かけるような勢いです。スザンナのゼーフリートはスザンナよりもだいぶ年上に聴こえ、伯爵夫人とかぶりそうな声でした。例えばスザンナはレリ・グリストが歌ったりするのでだいぶ印象が違います。ケルビーノは少年のような声には実際なかなか聴こえないことが多いからおおむねこういう感じかと思いました。なんだかんだと言いながら全体的に格調高くて、物語、作品の格が上がるような演奏でした。
22 11月

フィガロの結婚 ハイティンク、ロンドンPO/1987年

200927bモーツァルト 歌劇「フィガロの結婚」K.492

ベルナルト・ハイティンク 指揮
ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団
グラインドボーン合唱団

フィガロ:クラウディオ・デズデーリ(Br)
スザンナ:ジャンナ・ロランディ(S)
伯爵夫人:フェリシティ・ロット(S)
ケルビーノ:フェイス・エシャム(Ms)
伯爵:リチャード・スティルウェル(Br)
バルトロ:アルトゥール・コーン(Bs)、他

(1987年2月 ロンドン,アビイロード・スタジオNO.1 録音 EMI)

 連休の始まりの朝は救急車やらパトカーのサイレンとヘリの轟音でめがさめました。何の騒ぎかと思って(まさかトランプ支持者のデモじゃあるまいし)ネットのニュースを見ると、京滋バイパスのトンネルで多重衝突と出ていました。渋滞の最後尾にトラックが追突したとのことで、皆さん三連休に出かけるんだと思いつつそのまましばらく寝ていました。宇治市では市長選挙があり、その集会の案内があって、このコロナ感染拡大期に人を会場に集めるんだなと、候補者の経歴に似つかわしくない思い切ったことをするものだと思って見ていました。集会では「その通り!」とかの飛沫拡散的な掛け声や「エイ エイ オー!」が付きものですが、それらの自粛はできるのだろうかと思います。選挙の構図的にはビスマルクVSマルクスの一騎打ちな選挙なので、マルクス側も集会をするのかどうか、国政ではビスマルク側のコロナ対策を批判する野党であるマルクス側が市長選挙でどういう活動をするのかちょっと注目です。千人か二千人程度の集まりはたいしたことがないのなら感染第三派もそれ程心配するほどじゃないのかもと思いたいところです。

200927 ハイティンクによるモーツァルトのオペラ全曲盤と言えば1980年にバイエルン放送交響楽団らとセッション録音した「魔笛」、ダ・ポンテ三部作はいずれもロンドン・フィルほかと1984年に「ドン・ジョヴァンニ」、「コジ・ファン・トゥッテ」は
1986年に、それから1987年には「フィガロの結婚」を、ハイティンクがグラインドボーン音楽祭の音楽監督の期間に録音していました。ドン・ジョヴァンニとコジはEMIの紙箱入りのCDがしばらく入手できたので過去記事で扱っていました。しかし何故かフィガロだけはそのシリーズで見当たらず、他の再発売モノでも見たことがありませんでした。それがある時中古LPで売っていたのを見つけて購入しました。CDを探して見つからないからLPを、というからにはハイティンクのモーツァルトが特別好きなんだろうと見られそうですが必ずしもそうでなく、ダ・ポンテの二作まで聴いたからフィガロも気になる、くらいでした。

 それからハイティンクがグラインドボーン音楽祭の音楽監督だったことから、フリッツ・ブッシュ、ヴィトーリオ・グイといった先代の音楽監督が残したモーツァルトのレコードが定評があったので、ハイティンクもどんなフィガロなのか気になりました。
実際に聴いてみると主要キャストに名前と顔がすぐに一致する歌手はないものの、みな好印象で特に女声陣が魅力的でした。それからセッコのチェンバロの音がようどいい具合の大きさで入っていて、この時代の作品らしさ?も感じさせながら良い雰囲気だと思いました。特にどのキャストが抜きんでているかとかはどうもよく分からず、これはバランスの妙なのかどうか。

 と言いながら一番最初にレコーどに針を下した時、第一幕の冒頭部分はなんとなく地味に感じられて、一気に最後まで聴くような気にはなりませんでした。フィガロとスザンナが祝言を直前にして喜ばしい(今のうちだけだとしても)気分に溢れた第一幕第1場は、たいていの場合そこだけ輝いているような演奏だと勝手に思っていたので、この録音の第一印象は早くも倦怠期的な陰りさえ感じられて、歌手のせいかオケのせいか分からず少々残念に思いました。しかし後半、第3、4幕はオーケストラも含めて立派なものだと思いました。そういえばハイティンクはモーツァルトの交響曲はLP時代からあまり目立っていなかったようで、ベートーヴェンは複数回全曲録音しているのに意外な録音レパートリーです。
6 9月

フィガロの結婚 チェボターリ、ベーム、シュトゥットガルト帝国RO/1938年

190906bモーツァルト 歌劇「フィガロの結婚」K.492(ドイツ語)

カール・ベーム 指揮
シュトゥットガルト帝国放送管弦楽団、合唱団

アルマヴィーヴァ伯爵:マテュー・アーレルスマイヤー(Br)
伯爵夫人:マルガレーテ・テッシュマッハー(S)
スザンナ:マリア・チェボターリ(S)
フィガロ:パウル・シェフラー(Br)
ケルビーノ:アンゲラ・コルニアク(Ms)
マルチェリーナ:エリーザベト・ワルデナウ(Ms)
バルトロ:クルト・ベーメ(Bs)
バジーリオ:カール・ヴェッセリー(T)
バルバリーナ:ハンネレ・フランク(S)、他

(1938年10月25日 シュトゥットガルト 録音 PREISER)

190906a 単に「戦前」と書いた場合に第二次世界大戦の前のことだと普通に通じるのかどうか、日本の元号が昭和、平成、令和と変わっている内に何となく不安になってきました。このLPの録音年の1938年と言えば昭和13年であり、既に日中の全面戦争に突入していた時期でした(「いくさ“ 193 ” 長 “ 7 ” 引く日中戦争」と覚える)。ということは国家総動員法が制定された年でもあり、第二次大戦の直前期でもありました。この時代にベームが指揮したフィガロが残っているのは興味深いところですが、このLPはそれ以上にソプラのチェボターリが魅力的です。このLPを聴くまではチェボターリの歌は聴いたことはなく、戦後のフィガロでスザンナを歌った歌手の声を連想していましたが、実際に聴いてみるとちょっと違う個性的(時代を反映しているのか)な声でした。

 所々でケルビーノの声でもいけそうな気がしたり伯爵夫人も似合いそうだったり、それでもやっぱりスザンナかという複雑なタイプの歌声は他に似た人が思い浮かびません。これを購入する時にラ・ヴォーチェ京都の店頭で説明を受け、あのエリザベート・シュワルツコップ(Olga Maria Elisabeth Frederike Schwarzkopf 1915年12月9日 - 2006年8月3日)
がチェボターリを相当に意識して、もし彼女が早くに亡くなってなかったら自分の活躍の場が大いに狭まっていたと言っていたそうです。シュワルツコップが五歳若いので実際に彼女が言う程の脅威になったかは分かりませんが、レパートリーはかぶってきます。とにかくこの古いフィガロはチェボターリの歌唱、声が目立って優美な印象を受けました(ドタバタ感は後退して)。

 マリア・チェボターリ(Maria Cebotari 1910年2月10日;モルドバ,キシナウ-1949年6月9日;ウィーン)というソプラノ歌手は40歳になる前、これからLPレコードの制作が活発になる直前に亡くなったのでレコードは限られた数しか残っていません。しかし、R.シュトラウスやモーツァルト、プッチーニ、ヴェルディ等のアリア集やいくつかの全曲盤があり、1930~40年代の彼女の歌唱を知っている歌手や劇場関係者の賛辞を実感できる手掛かりとなっています。本格的なデビューは1931年にドレスデン国立歌劇場でのボエーム(
ブッシュ指揮)、ミミでした。その後1936年からベルリン国立歌劇場と契約し、1943年からはウィーン国立歌劇場に移りました。

 ソプラノのチェボターリのことばかりでここまできましたが、ナチ時代のドイツで上演されたフィガロの結婚、1930年代のベームの指揮という点でも注目の録音でした。音質は声楽は聴きやすいのに対してオーケストラの方はさすがに古さから鮮明さには欠けています。ドイツゴの歌唱なのでゴツゴツとした感触になり、同じくドイツ語歌唱による戦後のスウィートナーの全曲盤程は愉悦に満ち満ちたという風ではなさそうでした。それでも颯爽としたテンポ感は魅力的でした。
15 11月

ルチア・ポップのスザンナ 「フィガロの結婚」1980年ウィーン国立歌劇場来日

161116bモーツァルト 歌劇「フィガロの結婚」 K.492

カール・ベーム 指揮
ウィーン国立歌劇場管弦楽団
ウィーン国立歌劇場合唱団

フィガロ:ヘルマン・プライ
スザンナ:ルチア・ポップ
アルマヴィーヴァ伯爵:ベルント・ヴァイクル
伯爵夫人:グンドラ・ヤノヴィッツ
ケルビーノ:アグネス・バルツァ
マルチェリーナ:マルガリータ・リローヴァ
バルトロ:クルト・リドル
ドン・バジーリオ:ハインツ・ツェドニク
ドン・クルツィオ:クルト・エクウィルツ
バルバリーナ:マリア・ヴェヌーティ
アントニオ:ワルター・フィンク

演出:ヘルゲ・トマ
舞台装置:パンテリス・デシラス
衣装:ジャン・ピエール・ポネル

(1980年9月30日 東京文化会館 ライヴ収録 NHK エンタープライズ)

161116a 今月はルチア・ポップ(Lucia Popp,*本名はポポヴァー,Lucia Poppová  1939年11月12日 - 1993年11月16日)の誕生月であり同時に命日の月でした。そこで彼女がスザンナを歌って演じたモーツァルトの歌劇「フィガロの結婚」の映像ソフトをちびちびと小分けにして観ています。これはウィーン国立歌劇場が初めて来日・引越公演した時の東京公演を収録したもので、テレビ放映もされた有名な公演です。それまで欧米の歌劇場やオーケストラの一流どころは一通り来日していて最後に残ったのがウィーンだったそうです。それにベーム(Karl Böhm, 1894年8月28日 - 1981年8月14日)の最後の来日でもあり、翌年の夏にベームは亡くなることになります。そうした歴史的な記録云々は一切置いておき、ほとんどルチア・ポップだけが目当てで購入したものです。

 この公演の少し前にショルティ指揮のパリ・オペラ座のフィガロでポップがスザンナを歌った公演を収録した映像ソフトやそれとほぼ同じキャストでロンドン・フィルとセッション録音したレコードもありました。改めてこれを見ているとスザンナは彼女の最高の当たり役だったと思いました。この年には彼女はもう四十を越えているので表情がアップになると、さすがにあれですが、歌いだすと視覚とは別にというかそれを覆う、補い、完全にこれから結婚する(晩婚じゃないとして)スザンナそのものに見えてきます。それにこれは彼女だけではなく、表情、芝居の方でも達者で日本語の字幕が無くても(あらすじをそこそこ知ってれば)なんとなくセリフ、物語が伝わってきます。

 ポップの他には彼女より二歳上のグンドゥラ・ヤノヴィッツ(Gundula Janowitz 1937年8月2日 - )も素晴らしてく、ヤノヴィッツの伯爵夫人がこんなに魅力的だとは今まで気が付かず、今更ながら感心して視聴していました。会場の拍手が特に大きかったのはケルビーノが歌った後だったので、さすが同役でデビューしただけのことはあるということでしょう(個人的には特にどうとは思わなかったけれど)。男声の方も皆見事でヴァイクルの伯爵、プライのフィガロ、リドルのバルトロは惹きつけられます。それにしてもヤノヴィッツはまだ健在のようなので、ルチア・ポップももう少し現役でいられる年齢だったので、非常に惜しまれます。毎年どこかで書いてるかもしれませんが、彼女が伯爵夫人マドレーヌを歌った「カプリッチョ」を観たかったとあらためて思いました。

 最後に指揮のベームですが、この最晩年の頃によくぞ遠路ウィーンの宮廷歌劇場を連れて来てくれたと感謝しなければならないところです。ただ、晩年はテンポが遅くなったとも言われたベームのモーツァルトがこんな感じだったかと、ちょっと戸惑う感じでした。自分の場合はちょっとした世代のずれからベームのレコードはあまり多く聴いておらず、全然フアンでもなかったので何とも言えません。

22 2月

モーツァルト「フィガロの結婚」 ブルスカンティーニ、グイ指揮

160222モーツァルト 歌劇「フィガロの結婚」 K.492

ヴィットリオ・グイ 指揮
グラインドボーン祝祭管弦楽団
グラインドボーン祝祭合唱団(合唱指揮:ピーター・ゲルホーン)

フィガロ:スト・ブルスカンティーニ(Bs)
スザンナ:グラツィエラ・シュッティ(S)
ケルビーノ:ライズ・スティーヴンス(Ms)
伯爵夫人:セーナ・ユリナッチ(S)
アルマビーバ伯爵:フランコ・カラブレーゼ(Bs)
バルトロ:イアン・ウォーレス(Br)
ドン・バジリオ:ユーグ・キュエノー(T)
マルチェリーナ:モニカ・シンクレア(コントラルト)
アントニオ:グウィン・グリフィス(Bs)
バルバリーナ:ジャネット・シンクレア(S)
ドン・クルツィオ:ダニエル・マッコーシャム(T)

(1955年7月 ロンドン,Abbey Road Studios 録音 EMI)

 オートロックが付かない古いビルの場合、各室のドアのところまで簡単に入って来ることが出来るので、通常の来客以外にも飛びこみ営業やら布教活動の人が来ることがあります。幸いにして丸暴とか似非何とか行為には遭遇しませんでしたが、ものみの塔誌を売りに来たり一燈園の人が便所掃除をさせてくれとやって来たこともありました。最近は外国人留学生と自称する男性が母国の民芸品を売りに来てちょっと驚きました。単価が高いのは母国通貨の状況を反映してのことと解釈しておき、胡散臭さがちょいプンながら釣銭が出ないように購入しました。自動車のキー・ホルダーが破損したままなので早速使うことにしたけれど、毎日来たら困って今度はこっちが特産品でも売らないといけなくなります。昔から家族の中では訪問販売、新聞勧誘を断る達人でしたが、こういうパターンや菓子や果物の類を売りに来た場合は何となく買ってもいいかという気になります。

 ヴィットリオ・グイ ( Vittorio Gui  1885年9月14日ローマ生 - 1975年10月17日フィレンツェ没 )はフィレンツェ五月音楽祭管弦楽団(当初はフィレンツェ市立管弦楽団)の音楽監督を務め、フィレンツェ五月音楽祭を始めたことからムーティとの接点、交流がありました。また1952年から1964年までグラインドボーン音楽祭の音楽監督を務めてイタリアオペラの権威として重宝されたのでEMIへ何種かのオペラ全曲盤を残しました。このフィガロは音楽祭のライヴ録音ではなくて、音楽祭の雰囲気を再現するべく同じキャストでセッション録音したものです。バスのセスト・ブルスカンティーニ(Sesto Bruscantini 1919年12月10日 - 2003年5月4日)は同じくグイの「セビリアの理髪師」でフィガロを歌っていて、リッカルド・ムーティが著作の中で師匠筋のグイと同様に賞賛している歌手の一人です。ムーティはブルスカンティーニについて、「彼は、どのような種類の歌でも、限りなく声の色を作り出しつつ、ラインを均一に保った歌い方をすることができた」として、彼が偉大な歌手であることを示すとしています。

160222a このCDも何度となくCD化、再発売されていましたが1990年代の半ばに初めて聴いた時はあまり感心しなくて、緩みすぎてドタバタの芝居の方に傾斜しているという印象でした。久々に聴いてみると室内オケかそれ以下くらいの小編成のオケで、レチタティーヴォのところはレイモンド・レッパードが一人でチェンバロを弾いているだけなので、各楽器のパートがよくきこえて繊細なレース編みの細工のような美しさです。それに笑い声がよく出てきて登場人物が活き活きとしているのも魅力です。グイの指揮は序曲は軽快、速めながらそれ以降は比較的ゆったりとして、あくまで歌手が前面に出て、オーケストラが引っ張るという印象ではありません。なお、全曲盤ながら慣習的なカット(第4幕マルチェリーナのアリア
)を行っています。

 1950年代には既に何種もフィガロの全曲盤が出ていますがこれと似たスタイルは案外見つからないかもしれません。主なキャストでは伯爵夫人をブルスカンティーニ夫人(離婚ま近かった)のユリナッチが歌っているのが他の歌手とちょっとタイプが違うくらいで、特別に美声で抜きんでている風ではありません。そのかわりに登場人物を聞き分け易い上にバランスがとれていそうです。それに有名なアリア部分もなかなかの美しさで、フィガロ以外にも同様のセッション録音があればと思いました(あったかどうか未確認)。この録音はLP時代から一定の注目を浴びて、根強いフアンがいたらしくて時々熱心な賛辞をみかけました。
2 4月

フィガロの結婚 クルレンツィス、ムジカ・エテルナ

1504aモーツァルト 歌劇「フィガロの結婚」K.492


テオドール・クルレンツィス 指揮
ムジカ・エテルナ(ピリオド楽器オーケストラと合唱団,a'=430Hz)


アルマヴィーヴァ伯爵:アンドレイ・ボンダレンコ(Br)
伯爵夫人:ジモーネ・ケルメス(S)
フィガロ:クリスティアン・ヴァン・ホルン(Br)
スザンナ:ファニー・アントネルー(S)
ケルビーノ:マリー=エレン・ネジ(Ms)
マルチェリーナ:マリア・フォシュストローム(Ms)
バルトロ:ニコライ・ロスクトキン(Bs)
ドン・バジーリオ:クリスティアン・アダム(T)、他


(2012年9月24-10月4日 ペルミ,国立オペラ・バレエ劇場 録音 Sony)

 昨日の昼ごろにコンビニへ寄ったところ、真新しいスーツを着た男女が何十人も居てレジのところで大行列になっていました。社会人一年生が何らかの行事で集合したのか、おにぎりなんかが並ぶ棚がごそっと空になっていました。自分の時は初日の昼に何を食べたか、どういう状況だったか何も思い出せませんが、コンビニに弁当ということは無かったのではと思います(でも、おごったるから何でも好きな物たのめ、ということも無かったはず)。それだけ新人が集まるということは採用も増えて万事上向きということか、とりあえず春らしい空気です。

1504b モーツァルトの「フィガロの結婚」に限らずオペラの全曲盤と称するレコード、CDでも実際には慣習的なカットが踏襲されている場合が結構あります(指摘されなければ気が付かないのが大半だと思うけれど)。長大なワーグナー作品ならローエングリンのグラール語りとか色々あります。フィガロの場合は第四幕第4場、第24曲のマルチェリーナが歌うアリア 「牡の山羊と牝の山羊は(Il capro e la capretta )」と、第四幕第6場、第25曲のバジリオが歌うアリア「若いうちは」(In quegl'anni, in cui val poco)」の二つは公演だけでなく全曲録音のレコードで大抵は省略されているという指摘がありました。物語の進行上重要でないから舞台上演でカットするのはある程度仕方ないとしても、スコアの完全な再現という面からレコードでは欠かせないという主張です。また、マルチェリーナの方のアリアは、第26曲でフィガロが歌う嫉妬の感情を女の側から歌った、作品全体でみられる移ろい行くエロスの総決算を行っているとして、バジリオのアリアは日和見主義の賛歌だとしています。

 その指摘はアッティラ・チャンバイ、ディートマル・ホラント編の “ rororo operabücher ” の日本語版である「名作オペラ ブックス(音楽之友社)」 の巻末にある「ディスコグラフィについての注釈」の中でのことでした。そこでは、クレンペラーの全曲盤について後者は録音しているが前者(マルチェリーナのアリア)はカットしていることに全く理解に苦しむと批判してありました。もっとも両方とも収録しているコリン・デイヴィスのものは内容がダメと切り捨て、クレンペラーの場合も彼にしては、彼ほどの人物がこれに気が付かないとは、というニュアンスなのでそこそこ好意的ではありました。

 それで件のアリア二つを収録している全曲盤について、原典指向なピリオド・オケ系ならとりあえずカットしない可能性が高いと思って探しているとクルレンツィスとムジカ・エテルナらの新しい録音は二つのアリアとも入っているので(他のところでカットがあるかどうか分からない)購入していました。このフィガロ(というかクルレンツィスとペルミの歌劇場自体)はかなり話題になっていて、古楽器アンサンブルにフォルテピアノが通奏低音に使われ、歌手も「最もオペラらしくない歌い方」で演奏していて鮮烈な印象を受けます。ただ単に奇をてらったという風でなく、上記のアッティラ・チャンバイ、ディートマル・ホラント編 “ rororo operabücher ” の日本語版に書いてあったフィガロという作品が「革命精神に溢れ」ているという評と奇しくもぴったり合致した演奏です。

 クルレンツィスはこの録音の十年くらい前にモスクワのホスピスでフィガロの結婚をしたことがあり、その時の聴衆の反応がこれを録音するきっかけになったとしています。人生の最後の日々を過ごしている人々を前に、人生を祝福するという趣旨の演奏会だったそうですが、そういう公演の発想に意表を突かれました。「この作品を聴くことなしに人生を終わることがあるとしたら?」ということを考えながら指揮をしていたと彼は振り返っていて、この演奏のまばゆいような輝きを思うとそうした発端もなるほどと頷かされます。

5 10月

カラヤン・ウィーンPO 「フィガロの結婚」・1978年 DECCA

モーツァルト 歌劇「フィガロの結婚」

ヘルベルト・フォン・カラヤン 指揮
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
ウィーン国立歌劇場合唱団

コンラート・ライトナー:通奏低音

フィガロ:ジョセ・ファン・ダム
スザンナ:レアナ・コトルバス
ケルビーノ:フレデリカ・フォン・シュターデ
伯爵夫人:アンナ・トモワ=シントウ
伯爵:トム・クラウセ

バルトロ:ジュール・バスタン
マルチェリーナ:ジャーヌ・ベルビエ
バジリオ:ハインツ・ツェドニク
バルバリーナ:クリスティアーヌ・バルボウ
アントニオ:ゾルタン・ケレメン
マルジョン・ランブリクス(S)

(1978年4,5月 ウィーン,ゾフィエンザール 録音 DECCA)

 ネットのポータルサイトを見ていると俳優の大滝秀治さんの訃報が見つかりました。また一人お馴染みの顔が居なくなり、正しく「かつ消え、かつ結びて、久しくとどまりたるためしなし(方丈記)」です。映画「不毛地帯」の久松経企庁長官、TVドラマ「白い巨塔」の裁判長や特捜最前線の船村さん等何度もお目にかかっていましたが、藤田まこと主演の剣客商売に「鬼熊酒屋のおやじ」役で客演したのが印象深く、思いだされます。長い間ありがとうございました。

121005  昨夜のエロイカに続いて、ウィーンのゾフィエンザールでカラヤン指揮のウィーンPOらによって録音されたフィガロの全曲録音です。終日自動車を運転して移動する時はオペラの全曲盤を聴くことが多く、フィガロはこのCDの前に1955年録音のE.クライバー盤を聴いていました。そのクライバー盤は、モーツアルト生誕200年に向けてウィーンPOが当時の名歌手を動員して録音したシリーズで(ドン・ジョバンニ:クリップス、フィガロ:クライバー、コシと魔笛:ベーム)、何度も再発売を繰り返してきたものです。それを久しぶりに聴いてみると、有名なアリアには惹かれるものの、どうも締りが無く流れが悪く思われて途中で止めてしまいました。

 その後カラヤンとウィーンPOによるフィガロを思い出しました。カラヤンは1950年にもフィガロの結婚を録音していましたが、それはレチタティーヴォによる会話部分はカットしていたので、今回の1978年録音盤が実質的には初の全曲録音です。(一旦投稿してから思いだしましたが、この録音では第3幕で伯爵夫人のアリアが裁判の六重唱に先に来る等、曲順が変わっています。)

 このCDの頃のカラヤン指揮のモーツアルト交響曲は、弾むような自然な呼吸、感覚が乏しくコンクリートの床に叩きつけるような響きに思えて、個人的に好きになれませんでした。ジャンルが違うためか、レーベルの違いによるのか、このDECCA盤のフィガロはそういった印象は無く、自然な響きだと思えます。最後に録音したドン・ジョヴァンニ(1985年)のような重苦しい演奏とは全く違います。特に第二幕はオーケストラ演奏が魅力的でした。ただ、序曲、第一幕冒頭等は速目のテンポ、終始前のめりで窮屈な感じです。

 カラヤン指揮のオペラ全曲録音はしばしば独自のキャスティングで注目されています(指環やトリスタン)。また、配役ごとの声質(歌い方等もか)の違いが際立つようにして、視覚を伴わないレコードでも各役が混同し難かったかもしれません。それが、このフィガロではけっこう声の性格が重なっているようで、伯爵夫人、フィガロ等重要な役が冴えない気がします。

 結局聴き通し易いけれど、カラヤンのモーツアルトとはこんな感じだったか?と思える不思議な録音だとも言えそうです。新譜当時の評判は覚えていませんが、注目度は今一つだったようです。

19 5月

モーツアルト歌劇「フィガロの結婚」 ジュリーニ・PO・1959年

120519a モーツァルト 歌劇「フィガロの結婚」K.492

カルロ・マリア・ジュリーニ 指揮
フィルハーモニア管弦楽団、合唱団

ジュゼッペ・タッデイ(Br:フィガロ)
エリーザベト・シュヴァルツコップ(S:伯爵夫人)
アンナ・モッフォ(S:スザンナ)
エーベルハルト・ヴェヒター(Br:アルマヴィーヴァ伯爵)
フィオレンツァ・コッソット(Ms:ケルビーノ)、他

(1959年9,11月 ロンドン,キングスウェイホール 録音 EMI)

 5月は爽やかな季節とされるものの、私はあまり好きではなく梅雨に入って激しい雨が降るようになってようやく爽やかな気分になります。梅雨前の今頃は各神社でけっこう祭りがあり、宇治でも「県(あがた)まつり」が来月5日(日付をまたぐ)に行われます。深夜に梵天という神輿が巡航するのが有名です。自分の住んでいるエリアは県神社ではなく、宇治川対岸の宇治神社の管轄ですが昔から露店が多数出るので一大イヴェントでした。ここ十数年全く行っていないのでちょっと気になってきます。この祭が済むと完全に梅雨モードです。

 先日モーツアルトの交響曲第39番で記事投稿したジュリーニのフィガロ全曲盤です。手元にあるのは国内廉価盤・OKAZAKIリマスターCDで、対訳が省略されたタイプです。

 前回の録音から遡ること33年、ジュリーニが極端にゆっくりしたテンポをとるようになる前の時代です。クレンペラーのような個性的な、「変な」フィガロではなく、そのまま舞台公演が出来そうな録音です(ちなみにプロデューサーはレッグ)。同じ年にドン・ジョヴァンニの全曲盤も録音していてすごいペースだと感心します。シュヴァルツコップ、タッデイ、ヴェヒターは両作品に出演していますが、特にこの頃のシュヴァルツコップには注目です。他にケルビーノ役・コソットの美声も際立っています。またモッフォは年齢の割に活躍した期間が短くて録音は多くないので貴重です。

120519b  歌手だけでなく、ジュリーニ指揮のオーケストラも良い意味で上品で、生の感情そのままを連想させることはないすごく美しい響きです。こういう面は後年の交響曲録音にも共通しているのではないかと思いました。ただ、個人的には序曲は窮屈で乱暴な音とさえ感じられ、それが理由で今まではあまりこのCDを取り出して聴いていませんでした。フィガロ序曲の公約数的というか標準的なテンポというのはどれくらいなのだろうかと思います。ある時NHK・FMで来日オケの当日中継があり、一曲目がフィガロの結婚序曲でした。こういう放送ではゲストが登場して開演前、休憩時間に解説をします。その時は、フィガロ・序曲について、「この曲はどれだけ速く演奏できるかがポイント」のような話が出て来て、内心カチンときた(クレンペラーを念頭にして)のを覚えています。それはさて置き、ジュリーニも50年代はこういうテンポだったのかと改めて感心しました。

 この録音のキャスト、特にスザンナのモッフォは映像が無いのが残念な程で、彼女だけでなくかなり見栄えのするメンバーです。今まで生でオペラの公演を観たのは東京・初台でフンパーディングの「ヘンデルとグレーテル」だけなので、他にも観たいと思いながら果たせずにいます。最近はDVDやブルーレイでもオペラのソフトが出るので、他のジャンルよりもオペラが好きな人や観賞経験の豊富な人ならCDよりもそちらも選ぶのかもしれません。そうすると、CDの方はさらに新譜が手薄になりそうで、昨年イタリアでは補助金カットの話題が出ていたのでそっちの面からも厳しい状況が予想されます。オペラの全曲盤CDへの期待は、偏っていても音楽だけで十分刺激的な演奏というのもあるので、そういうCDの登場を期待します。

24 3月

ルチア=ポップの伯爵夫人 フィガロの結婚・マリナー盤

モーツァルト 歌劇「フィガロの結婚」 K.492

ネヴィル・マリナー 指揮
アカデミー室内管弦楽団(Academy of St. Martin in the Fields)

アンブロジアン・オペラ合唱団(指揮:ジョン・マッカーシー)
ジョン・コンスタブルミット:チェンバロ

伯爵:ルッジェーロ・ライモンディ
伯爵夫人:ルチア・ポップ
スザンナ:バーバラ・ヘンドリックス
フィガロ:ホセ・ファン・ダム
ケルビーノ:アグネス・バルツ
マルチェリーナ:フェリシティ・パルマー
バルトロ:ロバート・ロイド、バジリオ:アルドン・ボールディン、ドン・クルツィオ:ニール・ジェンキンス、バルバリーナ:キャスリン・ポープ、アントーニオ:ドナルド・マックスウェル
二人の少女:キャスリン・ポープ、カテリーネ・デンレイ

(1985年8月 ロンドン 録音 旧フィリップス・DECCA)

  四条河原町にあった阪急百貨店が撤退したあとにマルイが出店していて、まだ中に入ったことがなかったので銀行に行ったついでに寄ってみました。7、8階がレストラン街なのでそこで昼食にしようかと思いましたが、またの機会にしました。地下1階には関西初出店のスーパー等も入っていますが、2-4階がレディスのファッションであまり用が無いビルになりそうです。

120323  オペラも演出の時代と言われて久しく、フィガロの結婚のような音楽だけでも楽しめる(レコードで楽しめるオペラではカルメンと双璧という意見もあるらしい)作品でも、CDを聴いていると物足りなさを感じる場合があります。また一方で、CDの音楽だけで十分に思えるものもあり、そういうタイプのCDは物語の人物やら場面が目に浮かぶような演奏です。この「フィガロの結婚」のマリナー盤は、フィガロの代表的な録音、あるいは理想的な演奏とされるものの、個人的にはどちらかと言えば前者のタイプのように思えます。

 だいぶ前に図書館に海外のオペラガイドの日本語版があって、その中で確かこのマリナーの録音を理想的であると評してありました。また吉田秀和氏がどこかで念入りに称賛していました。そうした評判よりも、自分がこれを買ってまで聴こうと思ったのは、ソプラノのルチア=ポップが出演しているからです。1980年代前半まで彼女は、フィガロの配役ならスザンナを歌っていました。ウィーン国立歌劇場の来日公演時(1980年9月)のベーム指揮のフィガロやショルティ指揮LPOの録音でポップのスザンナを観聴きすることができます。そのポップが、今度は伯爵夫人に挑戦するので他のキャストや指揮が誰であれ、とにかく聴きたいと思いました。" Porgi amor "等は素晴らしいと思いましたが、個人的にはポップはスザンナの印象が強すぎます。

 このCDは何度も聴いていましたが、正直このオペラの理想的な録音等の評判を実感し難い気がしていました。オーケストラはあまり起伏がなく、むしろ繊細な演奏だと思えます。実力者を集めたキャストで、ポップの他はケルビーノを歌うバルツァが特に印象に残りました。ただ、会話・レチタティーフの部分では声が似ていてどの役か紛らわしい場面もあります。これらを考えるとこれは、反対の方を向いていたり漫然と座って居る者を振り向かせるようなタイプではなく、耳をすませて聴くべきCDだろうと思います。「フィガロの結婚」の登場人物や台本だけでなく、各場面が頭に叩き込まれているような層が聴くと「理想的な」と感じるのではないかと想像できます。

 このCDはライヴ録音ではありませんが、この音源に舞台映像が付いていたら聴いた印象がかなり変わるのではないかと思います。

8 8月

モーツアルト「フィガロの結婚」 カラヤン VPO 1950年

1108b モーツァルト 歌劇「フィガロの結婚」 K.492

ヘルベルト・フォン・カラヤン 指揮
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
ウィーン国立歌劇場合唱団

フィガロ:エーリヒ・クンツ
スザンナ:イルムガルト・ゼーフリート
アルマヴィーヴァ伯爵:ジョージ・ロンドン
アルマヴィーヴァ伯爵夫人:エリーザベト・シュヴァルツコップ
ケルビーノ:セーナ・ユリナッチ
バルトロ:マリアン・ルス
マルチェリーナ:エリーザベト・ヘンゲン
ドン・バジリオ/ドン・クルツィオ:エーリヒ・マイクート
バルバリーナ:ローズル・シュヴァイガー
アントニオ:ヴィルヘルム・フェルデン
二人の少女:アニー・フェルバーマイヤー、ヒルデ・チェスカ
 
(1950年6月,10月 ウィーン、ムジークフェラインザール EMI)

1108  カラヤンのフィガロと言えば、この録音の28年年後の再録音の方が有名かもしれません。今回のものも錚々たる顔ぶれの歌手で、モノラルとはいえ1950年にしては良い方の音質です。ただ、これはモーツアルトのオペラ「フィガロの結婚」全曲録音と言いながら、通奏低音を伴う会話部分はカットしてアリア等だけを収録しています。カラヤンは同じ年に「魔笛」をフィルハーモニア管と録音していますが、これもセリフを省いています。魔笛の場合は、セリフだけのところは通奏低音も付かず、芝居の台詞と同じなので音だけを聴くレコードの場合はカットして録音しても問題ないと言えます。しかし、フィガロの場合は事情が異なり、まるでオペラを解体して虫干しでもしているような不思議な感覚がします。

 外国語のオペラもドイツ語で上演するのが普通だった時代にオペラを原語で上演することにこだわったカラヤンにしては、妥協的な録音だと思います。しかしそうしたことも承知の上で録音が企画されたはずなので、その是非の話は置くとします。聴いた印象では、後年のカラヤンのモーツアルト録音のような濃厚なというか、力がみなぎる演奏とは異なり、良くも悪くも薄めたような印象です。プロデューサーがレッグなので、この頃なら力関係でレッグの方が上だったのか、音源が古くややこもったように聞こえるからか、とにかくあっさりしています。

 そんな中でケルビーノ役のユリナッチが鮮やかで、歌声だけでなく舞台も見てみたくなります。他の歌手も、スザンナのゼーフリートがちょっと舌足らずのような発声ながら、皆素晴らしくて、現代のフィガロとは隔世の感があります。序曲を始め颯爽としたテンポ( ちょっと速すぎて貧層ではないかとさえ感じられるが、これはクレンペラーばかり聴いている後遺症か? )なのはカラヤン様式かもしれませんが、全体的に当時のウィーンのオペラ界を真空パックで保存したような録音です。1950年といえば昭和25年で、日本ではまだ引きあげ船を待つ岩壁の母が見られた時代です。

1108a  カラヤンによるEMIへのモーツアルト・オペラ録音シリーズは、コジ・ファン・トゥッテが1954年にフィルハーモニア管他で完結します。それが一番素晴らしく、今聴いても非常に魅力的です。その時にはレチタティーヴォ等もカットせず全曲録音しています。フィガロ、魔笛を再録音しているカラヤンもコジだけは以後録音していないのは、相当完成度が高く満足していたからと想像できます。あるいは、80年代半ばまで一度も録音していなかった(セッション録音としては)ドン・ジョヴァンニの方を優先させて、時間切れになったのかもしれません。今回のフィガロが1950年録音で、ドン・ジョヴァンニが1985年録音と35年の隔たりがあり、カラヤンの活動期間の長さを実感させられます。

 ところで先日の「野ばら」の回で向田邦子氏の事故のことを書いていました。その事故はオーストリアのラウダ航空だったかと思えばそうではありませんでした。オーストリアの元F1ドライバー、ニキ・ラウダが創設したラウダ航空はwikiによればウィーン国際空港を拠点に運営しているとありました。高い所が怖く、飛行機も大嫌いなので、この調子なら終生ウィーン国際空港なんかに縁は無いので(仮に暇と金が有り余っていても)ウィーンと名の付く団体の録音を聴いて思いをはせることにしています。はじめて国際線に乗った時、飛行高度や巡行速度が電光表示され、それを見ているだけで精神状態が悪化しました。誰かがスカンジナビア半島が見える(本当に見えたのか?)とか言い出した時は極限に達し、思いだしただけで寒気がしてきます。

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3 1月

クレンペラー・NPO フィガロの結婚

モーツアルト 歌劇「フィガロの結婚」K.492


オットー=クレンペラー 指揮
 
ニュー・フィルハーモニア管弦楽団

ジョン・オールディス合唱団


フィガロ:ジェレイント・エヴァンス
スザンナ:レリ・グリスト
ケルビーノ:テレサ・ベルガンサ
アルマヴィーア伯爵:ガブリエル・バキエ
伯爵夫人:エリーザベト・ゼーターシュトレーム
マルチェリーナ:アンネリーズ・ブルマイスター
ドン・バジリオ:ヴェルナー・ホルヴェーク
ドン・クルツィオ:ヴィリー・ブロックマイア
バルトロ:マイケル・ランドン
ルバリーナ:マーガレット・プライス
アントニオ:クリフォード・グラント
2人の少女:テレサ・カヒルキリ・テ・カナワ


(1970年1月 録音 EMI)

 これはクレンペラーの姿勢について、基本的に好感が持てるかの踏み絵的なものとも言える録音で、彼の最晩年の記録です。この全曲盤は、60年代に録音されたモーツアルトの序曲集の中の「フィガロの結婚序曲」よりも遅いテンポで開始する個性的な演奏として良くも悪くも有名です。私筆者はこのCDを発売当時の輸入盤(独盤)で持っていてカーナビのHDに録音して聴いています。クレンペラーのモーツアルト録音は基本的に好きで、他のどの指揮者よりも愛聴してきました。このフィガロは、オーケストラの演奏は魅力的ですが、歌手は必ずしもクレンペラーの音楽にマッチしているとは思えません。特にフィガロ、バルトロのアリアはギクシャクして歌手がこのテンポを苦にしているように聞こえます。それに比べてグリストをはじめ女声は対応しています。オペラ録音の場合は歌手、キャスティングがレコード会社の意向(売れる企画)が影響して全部が指揮者の意向通りはいかないのが通常です。
 

 オペラ作品ごとの対訳・解説を集めた本の日本語訳が音楽ノ友社から出ていたことがあり、それの「フィガロの結婚」 の中にクレンペラーのこの録音について言及しています。「一般にモーツァルトの音楽と結びつけて考えられる全てを徹底的に排除している。」全体的に否定的なコメントでしたが、それこそがこのクレンペラー盤の魅力であり、存在価値だと思います。となると、キャスティング的にセールスポイントであるスザンナ役のグリストはクレンペラーの音楽とかなり遠い声質ということになると思います。ただ、その役をマイナーな歌手にしていたら廃盤期間がさらに長くなっていたかもしれません。


 無礼講の正月なので理屈を捏ねれば、ただ「徹底的に排除」すること自体が目的ではないはずで、クレンペラー自身が言う「舞台上で起こる事に音楽の構成が絶対に妨げられないため」、「実験的、前衛的ではなく、よいオペラを上演する」等のベルリン時代からの理念により、排除した結果モーツアルト的なものの濃度、純度が上がることが本旨のはずです。「歌詞は常に音楽の従順な娘であるべき」というモーツアルトの言葉もクレンペラーは好んで引用していますが、結果的にモツアルト的なものはどうであったかは、なかなか難しいところです。


 メニューインはクレンペラーの指揮について「クレンペラーのテンポ」というものは無いと証言しています。またクレンペラーのLPレコードの解説(翻訳されたもの)には、演奏会場の音響によってテンポを変えていたという証言もありました。さらに「テンポは感じるもの、確かにその通りだと思わせるもの」というクレンペラー本人の言葉もあります。別にクレンペラーに限った話ではないでしょうが、テンポは手段であり、ここでは「一般にモーツァルトの音楽と結びつけて考えられる全てを徹底的に排除」するための一環としてこういうテンポをとっているということでしょう。違う機会では全くではないにせよ、異なったテンポで演奏しているかもしれません。


 クレンペラーは「さまよえるオランダ人」、「フィガロの結婚」、「コシファントゥッテ」等を最晩年に、劇場上演ではなく演奏会形式で演奏しているそうなので、このフィガロもそうした機会の放送用音源等の記録が出てくれば再び脚光を浴びるかもしれません。これは1991年のモーツアルト・イヤーの際に久々に再発売されたものです。コシ・ファン・トゥッテ他は国内盤で購入してフィガロだけは輸入盤にしました。


 「フィガロの結婚」は親しみやすく美しい旋律が沢山あって、個人的には1幕の冒頭とかはそこだけ取り出して聴いたりします。このクレンペラーの録音はエンターテイメント的、娯楽的な魅力の点ではやはりさびしいものです。例えば「フィデリオ」はクレンペラーの録音だけ持っていればそれで十分と思うくらい満足していますが、いくらクレンペラーを偏愛していてもさすがにフィガロの結婚はそうはなりません(ルチア・ポップがスザンナを歌って成功していたらあるいは)。先ほど、これを書く前に第2幕途中から第4幕フィナーレまで聴いていますと、時にはベツレヘムの馬小屋に向かう羊飼いの姿を歌うオラトリオのようにも(場違いと言えばそうである)聴こえ、クレンペラー度が高い録音だと思いました。

24 9月

ポップ、シュターデ・フィガロの結婚 ショルティ・LPO

モーツアルト 歌劇「フィガロの結婚」K.492

スザンナ:ルチア=ポップ(ソプラノ)

ケルビーノ:フレデリカ・フォン・シュターデ(メゾソプラノ)

伯爵夫人:キリ・テ・カナワ(ソプラノ)

100925d_2フィガロ:サミュエル・レイミー(バリトン)

アルマヴィーヴァ伯爵:トーマス・アレン(バリトン)

マルツェリーナ:ジャーヌ・ベルビエ(メゾソプラノ)

バルトロ:クルト・モル(バス)

ドン・バジーリオ:ロバート・ティアー(テノール)

バルバリーナ:イヴォンヌ・ケニー(ソプラノ)

アントニオ:ジョルジオ・タデオ(バス)

ドン・クルツィオ:フィリップ・ラングリッジ(テノール)、他

ゲオルク・ショルティ 指揮 ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団、ロンドン・オペラ合唱団

通奏低音:ジェフリー:テイト

(1981年6月,12月 録音 DECCA)

100925a  これは私筆者の長寿愛聴盤で、フィガロの結婚ではこれを聴く頻度が圧倒的に高くなっています。例の如く例によってソプラノ歌手のルチア=ポップ(左の写真)がスザンナを歌っているというだけで購入を決めたものでした。彼女の出演するフィガロは同じくショルティの指揮によりスザンナを歌ったパリオペラ座公演(1980年7月)を収めたレーザーディスク等もありました。また、ウィーン国立歌劇場の初来日公演(1980年9月)も収録されていて、そこでもスザンナを歌っています。このCDはそれらの人気、実績を踏まえて製作されたものだと考えられ、まだ廉価盤扱いにはなっていません。パリ、ウィーンの舞台映像でも見映えもするスザンナで、歌声同様にはまり役です。ルチア=ポップはこの録音から5、6年くらいで、伯爵夫人の役を歌うようになります。魔笛・夜の女王からパミーナやスザンナ、そして伯爵夫人等へとレパートリーをシフトさせていったわけですが、いずれも見事な役作り、歌です。このCDでは序曲の直後の美しいフィガロとの2重唱や、美声だけにとどまらないマルツェリーナとのコミカルなやりとり、2重唱の歌役者ぶりも際立っています。また、3幕後半のしっとりした伯爵夫人との2重唱もこのCDではキリ・テ・カナワとの声が対照的で非常に美しく聴こえます。60~70年代頃はスザンナと言えばもう少し軽い、よりリリックな声質の歌手が歌う例が見られましたが、ポップのスザンナはもう少しシャープできびきびした声で、違うスザンナを表現しているのが魅力的です。EMIのアリア集でもフィガロの結婚のアリアを聴くことができます。

100925b  ルチア=ポップのスザンナはこれくらいにして、彼女のフアン以外はこの録音の最大の魅力はケルビーノを歌うフレデリカ・フォン・シュターデかもしれません。思春期真っ最中の少年を女声が担当するわけで、これは歌手にとっては非常に難しい役のはずです。個人的には女声の歌う少年の役というのは特別に魅力を感じるとまでは言えませんが、第1幕にケルビーノが登場するところや、アリア「自分で自分がわからない」、第2幕のアリア「恋とはどんなものかしら」等はつい聴きほれる美しさです。また歌だけでなく、舞台での姿、容姿もぴったりだと思います。見た目よりも歌、音楽とは言うもののこのケルビーノはビジュアル要素も重要だと思います。上記のルチア=ポップも、余計なお世話ですがこの頃はちょっとコロコロとしてきたように見えています。ケルビーノが土俵入りが似合う程ならちょっと絵にならないだろうと想像できます。ウィーンの初来日公演のケルビーノはアグネス・バルツァが歌っていますが、シュターデのケルビーノは上記ショルティ、パリオペラ座の公演映像で観ることができます。私筆者はLD末期に入手して見聴きしていました。古今のケルビーノ役を網羅して聴いたわけでは全然ありませんが、フリッカことシュターデは屈指のケルビーノではないかと思われます。

100925  このCDでは女声に比べて男声がインパクトが弱い気がします。しかしフィガロでは定評のある歌手がそろっていて、オールスターキャスト的になっています。指揮のショルティは1961年から10年間ロンドンのロイヤル・オペラハウス(コヴェントガーデン)の音楽監督をつとめ、モーツアルトのダ・ポンテ三部作に魔笛は一通り録音しています。中でも魔笛、コシ、ドン・ジョヴァンニは二度も録音している程です。それでも特に日本では、ショルティのモーツアルトはちょっと評価が辛いというか人気が地味なような気がします。84年か85年のショルティ・CSOの来日公演(大阪、ザ・シンフォニーホール)ではハフナー交響曲を聴く機会があり、その時はマーラーやドビュッシーよりも良いくらいの好印象でした。このCDでも、前半やや硬いような印象でしたが2、3、4幕と後半へ行くほど作品にぴったり合って行くようで、好演でした。

100925c  フィガロの結婚は台本上では、「セビリアの理髪師」の続編にあたり、フィガロと伯爵のコンビで無事にロジーナを伯爵夫人とすることが出来たわけですが、釣った魚になんとやらで、夫人がはやくもさびしい思いをする生活になっています。伯爵夫人は、高貴さと、孤独さ、物憂さといったものを併せ持つ役ということになります。テ・カナワについてはCDを聴くまでは、あまり良い印象は持っていませんでした。それでも、ケルビーノのシュターデやスザンナのポップの声と並ぶと声の性格の差もあって、抜きん出た伯爵夫人ぶりで素晴らしいと思いました。舞台を観ていなくても、活き活きと人物像が浮かび上がってきました。

 あと、通奏低音のチェンバロを弾いているのが後のモーツアルトやハイドンの交響曲等の録音で注目を集めるジェフリー・テイトで、意外な組み合わせでした。テイトは内田光子とモーツアルトのピアノ協奏曲を録音しています(交響曲もピアノ協奏曲も全集完成)。実はショルティではなく、テイトが指揮だったらどうかとも思っていて、後年のテイトのモーツアルトの録音も愛聴しています。

 カーナビのHDにはCD160枚くらいはコピーできるのでフィガロの結婚も録音しています。でもそれはこのショルティ盤ではなく、悪名?高いクレンペラーとニュー・フィルハーモニア盤で、HD内の順番が回ってくればじっくり聴いています。極端に遅いテンポで、鉛の靴を履いた等と海外でも評されている、クレンペラーのあまのじゃくぶりが発揮された演奏です。歌手は別にして、オーケストラだけなら曲の美しさをいかんなくなく表現した演奏だと思え、個人的には愛聴しています。もっとも、これはクレンペラーのサポーターかフーリガンの御用達かもしれません。そのクレンペラー盤のスザンナを、このCDのルチア=ポップに替えて、他の歌手も若手・無名でもあのテンポで歌える歌手を集めたらもっと聴き栄えのする録音になっただろうと思えます。ルチア=ポップは同時期のクレンペラーとニュー・フィルハーモニア管によるコシ・ファン・トゥッテではデスピーナを見事に歌っているだけに非常に惜しく残念でした。せめてポップのスザンナだけでも実現できなかったのかと思えます。そうは言ってもモーツアルトのオペラも古楽器演奏が浸透しているので、遠い昔の話になりつつあります。

16 3月

スザンナ、伯爵夫人 フィガロの中のルチア・ポップ

  • ①スザンナ:ルチア=ポップ(ショルティ、LPO他 1981年録音DECC)
  • ②伯爵夫人:ルチア=ポップ(マリナー、アカデミー室内O 1985年録音旧フィリップス)

 モーツアルトのオペラ「フィガロの結婚」は、舞台が無しでも音だけで楽しめる作品のひとつだと思います。登場人物の中では、ケルビーノが特徴的で、それを誰が歌うのかがその公演、演奏の良し悪しを決める要素の一つと言えるかもしれません。それはさておきまして、上記の録音は、ソプラノのルチア=ポップが目的で購入したものです。念のため、①のケルビーノ役はフレデリカ・フォン・シュターデ、②はアグネス・バルツァで、そちらも聴きものです。

 実は故ルチア=ポップのフアンで、彼女がキャスティングされているというだけでそのLP、CDを優先的に買おうとしていました。フィガロの結婚は、CDと同じくショルティの指揮でパリオペラ座の舞台(1980年)がLDで出ていました。また同年のベーム指揮でウィーン国立歌劇場の日本初公演の舞台もDVD化されています。特に後者は、来日当時も大変評判になっていました。スザンナは見た目も含めまして彼女の当り役だと思います。

Ume  ルチア=ポップ(ポポバー)はスロヴァキア出身のソプラノで、俳優志望でしたが声楽も学び、1963年に母国で「魔笛」の夜の女王でデビューしました。1964年のクレンペラーとPOのスタジオ録音に夜の女王で参加していますのでデビュー当時の歌唱も残っています。クレンペラーの録音では、1971年の「コシ・ファン・トゥッテ」では、デスピーナ役の素晴らしい歌声でこの全曲盤を支えています。全くの個人的趣味ながら、前年1970録音のクレンペラーのフィガロ全経盤にはルチア=ポップは参加していないのですが、スザンナ役で是非参加して欲しかったと非常に残念に思えます。クレンペラーの並はずれて遅いテンポでもデスピーナを見事に歌い切って、共演者である、フィオルデリージ、ドラベルラ役のプライスやミントンを食う勢い(贔屓目、欲目)なので、クレンペラーの演奏、響きと相性が良いと思われます。その後1978年にショルティの「ドン・ジョバンニ」ではツェルリーナ役で参加し、81年のこの「フィガロ」にようやくスザンナで登場しています。70年にスザンナを歌うのは無理があったのか、レコードならできないことはないだろうと、くどいようですが思えてきます。そしてその4年後に伯爵夫人にポジションを変えて出演です。これは声楽界では普通のことなのかどうか分かりませんが、そこでも素晴らしい歌唱です。ただ、配役の関係からスザンナの時の印象が強いためもあってか、混同しそうになります。ポップの伯爵夫人は舞台、映像で見たことはありませんので、是非一度見たいと思っています。

 スザンナ役である①の録音と伯爵夫人の②では、聴かせどころが多いスザンナの①がよりルチア=ポップの歌声を堪能できると思います。4幕12場「とうとううれしい時が来た~」、2幕「さあ、ひざまづいて~」等のおなじみの場面や、とりわけ1幕のフィガロとの2重唱が初々しく(私生活では3度結婚し、中堅かベテランの域に近づくL'eta)魅力的です。また、マルチェリーナとのやりとりも格別です。

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raimund

昭和40年代生まれ、オットー=クレンペラーの大フアンです。クレンペラーが録音を残したジャンルに加え、教会音楽、歌曲、オペラが好きなレパートリーです。

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