raimund

新・今でもしぶとく聴いてます

R.シュトラウス

2 2月

R.シュトラウスのメタモルフォーゼン ケンペ、SKD/1973年

240202aリヒャルト・シュトラウス メタモルフォーゼン~23の独奏弦楽器のための習作

ルドルフ・ケンペ 指揮
シュターツカペレ・ドレスデン

(1973年1月1-5日 ドレスデン,ルカ教会 録音 EMI)

240202b 京都市内でも置いている日本酒の銘柄が多く、地元の大手の酒よりも、店主の好みに沿って各地の酒を選んでいるところがあります。佐賀県、長崎県の酒蔵は全国的に有名なのか分かりませんが、個人的に病みつきになりそうなのもありました。佐賀はどちらも同じ酒造会社の「竹の園 おまち売りの少女」、「竹の園 パンダ出没注意」、両者とも名前とラベルの図柄はアレだけれど真面目なお酒です。酒米に雄町を使っているのが共通のようです。長崎は波佐見の「六十餘洲」、波佐見と言えば高校野球に波佐見高校が出たくらしか思いあたりませんが、この酒も後味はすっきりで味もしっかりしています(もっとも個人的な好みの話ですが)。先秋の朝方、日出前に普段通りに目がさめて、ふと「雲仙の女王」という三十年くらい前に観たTV番組を思い出しました。スマホでその雲仙の女王が経営する旅館名を入力してみると、経営者交代、破産、再開というニュースが出てきて驚きました。番組を観たのはバブル崩壊直後かこれからバブっていく時だったのでギャップに驚きました。その後職場単位の団体旅行という行事自体も下火になったはずなので大きな旅館ほどダメージがあったのか。慰安旅行に行った先で観たのだったらちょうど11月に入ったところだったのでそれで思い出したのでしょう。

 これは昨年後半に聴いていたもので、クレンペラーのLPを聴いた後にケンペの箱ものがあったことを思い出して聴いていました。シュトラウスは後年自作を多数改訂(管弦楽組曲版とか)して出版しましたがケンペのセットが全部を収録していはいないようで、「影の無い女」からの組曲は含まれていません(辞書で確認してないが、オーネとかフラウ、シャッテンの語はタイトル見つからない)。「23の独奏弦楽器のための習作」と注記されるこの作品はシュトラウス晩年の作品で、作曲者と親交があったクレンペラーも良い作品だとしてフィルハーモニア管弦楽団と録音していました。弦楽器のみのこの曲は聴いていると閉ざされた城郭、館の中を思い出させるようで、時間の流れがこの場だけ止まったような魅力を感じます。皇帝が居た頃のオーストリア、ウィーン、第二帝国時代のベルリンとかプロイセン-ドイツの文化とか風土、空気がどんなものか、想像するしかありませんが、第一次世界大戦を境にすっかり変わってしまったとかクラシック音楽ネタの話でもちょいちょ出てきます。

 R.シュトラウスの管弦楽作品にあまり好きなものは無くて、クレンペラーが取り上げた曲は聴いておく、くらいの位置付けで、演奏のタイプでもケンペのようなスタイルは好きでした。改めて聴くとこの曲も素晴らしくて、何らかの香気が広がる心地がします。弦楽合奏という編成なので多数ある録音でもあまり聴いた印象に違いは無さそうですが、作曲された時期を考えると録音年が古くても色々混じりけのあるタイプの演奏が面白いかもしれないと思いました。ワグネリアンとして有名なレジナルド・グッドールはコンビチュニーとケンペの両方が指揮する指環をロンドンで聴いて、前者の方により魅力を感じたと言っています。それなら、スコアに書込みが無い、極端に少ないと言われたケンペよりも、違うタイプの演奏ならどう聴こえるだろうかと思います。

 日本酒の味の傾向を辛口、甘口、淡麗、芳醇とかいろいろ説明する用語がありました。二十年くらい前は「芳醇」系の酒が好きで、安くても芋焼酎も好きでしたが、だんだん歳をとるとそれらはキツくなってきました。かんねんして水でも飲んどけ、というところかもしれませんが時々鎮静剤の米のアルコールが経口でほしくなります。それはそうと新ウィーン楽派に数えられるウェーベルンの作品を作曲者自身が指揮した演奏をクレンペラーが聴いた時のことを激情的な演奏だったと振り返っていました。クレンペラーはとてもそんな風には演奏できないと言ったそうですが、シュトラウスがこのメタモルフォーゼンを自ら指揮したらどうなったことか、そもそもどういう思いを込めてこれを作曲したのか、そこだけでも聞きたくなってきます。
20 8月

R.シュトラウスのメタモルフォーゼン グザヴィエ・ロト/2015年

230820aリヒャルト・シュトラウス メタモルフォーゼン~23の独奏弦楽器のための習作

フランソワ=グザヴィエ・ロト 指揮
バーデン・バーデン&フライブルク南西ドイツ放送交響楽団


(2015年3月25 フライブルク,コンツェルトハウス 録音 SWR CLASSIC)

230820b それにしても暑い、盆を過ぎても猛暑日と熱帯夜にモコモコの入道雲。今日の午後、車載の温度計は43℃を表示していました。電車の弱冷房車や教会堂の中でも汗が流れて、これは異常な暑さだと思っていたところ、その気温で合点がいきました。先月から暑すぎて体調が悪いと思いつつ、猛暑に馴染んでくると朝から食欲が出る日もあって、「うなうなぎゅうぎゅう うなぎゅうぎゅう」のTVCMに乗せられてSきやで牛丼、うな丼を食べたりしていたので、夏バテでも痩せないという、例年通りのコンディションになってきました。

 そんな気候の中であまり音楽を聴いていませんが、ふとR.シュトラウスのメタモルフォーゼンを思い出して、わりに新しい録音を聴きました。1944年から1945年にかけて作曲されて、ベルリン陥落前の三月に完成したこの作品は世の喧騒に染まらずに美しい内容ながら、シュトラウス晩年の作品、例えばカプリッチョに比べて何かさらに決然とした強さのようものが潜んでいるようで、人生の折り返し地点をこえた者にはよけいに訴えるものがありそうです。

 
作曲者と交流のあったオット=クレンペラーは、シュトラウス作品の限られたものを戦後にレコーディングしていてこの曲も含まれています。R.シュトラウスは自作の演奏だけでなくモーツァルトの交響曲第40番なんかも指揮した演奏がレコーディングされて残っています。聴いていると19世紀的に濃厚なタイプではなくて、それでも妙に引き付けられる演奏なので感心します。クレンペラーはR.シュトラウスが指揮するモーツァルトのオペラを聴いて感銘を受け、「モーツァルトの中にシュトラウスが現れる」、そういう真に創造的な演奏として認めていました。メタモルフォーゼンの内容はそういうことと、さらに作者の信念のようなものが貫かれているようで、時々言われるようなノンポリの日和見主義者では片づけられないような気がしてきます。

 R.シュトラウスはワイマール共和国の時代も第三帝国時代、戦後も独逸にとどまることができたのだから幸せな境遇だと思えます。ところで国家社会主義独逸労働者党の演説に熱狂する場面が時々ドキュメント番組で流れます。昭和40年代生まれの自分からして、ああいう熱狂を体験したことは無いと思いながら、あえて言えば平成十七年の郵政解散の選挙の時、京都市役所前に後者が集まって演説していた時の人だかり、人の多さが少しだけ重なります。もういい加減何とかして欲しいという期待感は分かるとしても、郵便局を民営化して万事良くなるわけじゃなし、と内心思いつつ河原町三条の南西角に立って聞いていたのが思い出されます。
3 2月

クレンペラー、PO R.シュトラウスのドン・ファン/1960年

150630リヒャルト・シュトラウス 交響詩「ドン・ファン」作品20

オットー・クレンペラー 指揮
フィルハーモニア管弦楽団

(1960年3月 ロンドン,キングズウェイ・ホール 録音 EMI)

 リヒャルト・シュトラウスの交響詩「ドン・ファン」は冒頭部分がたしかN響アワーのテーマとして使われたことがありました。「ドン・ファン」は1887年から翌年にかけて作曲され、1889年にR.シュトラウスの指揮によってワイマールで初演されました。マクベスに続く二作目の交響詩にあたり、クレンペラーは「ドン・ファン」、「死と変容」、「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら」というシュトラウスの初期作品をレコーディングしてます。ツァラトストラや英雄の生涯はやっぱり録音していませんが、ドン・ファンやティルを選んだのは意外です。これは1985年のクレンペラー生誕100年の年に発売されたリマスターされたLP、「クレンペラー・エディション」の独盤です。昨年末からLPをしばしば聴くようになったので、この曲もCD化されていますがついレコードで聴いてしまいます。

 勝手に意外な選曲だとしましたがクレンペラーがさらに後年にウィーン・フィルへ客演しいた1968年6月16日にもドン・ファンを演奏していて、未完成交響曲やマイスタージンガー第一幕への前奏曲、トリスタン第一幕への前奏曲ら、他のライヴ音源でも見慣れた曲と組み合わされていることからも、戦後のレパートリーとして自信があったのでしょう(1956年のトリノでは未完成、マイスタージンガー前奏曲と、R.シュトラウス作品はティルを選んでいる)。

 実際に聴いてみると冒頭部分が鋭く、勢いよく始まるのに驚き、マーラーの第2番にこそふさわしいような激しさだと思いました。しかし、同時にケンペとシュターツカペレ・ドレスデンのCDを聴いていたのでそれに比べるとテンポは遅く、やっぱりクレンペラーらしい演奏だと我にかえりました。クレンペラーは指揮者として意識する、ライバル的な見方をしていたのはトスカニーニ、セルあたりだったようでした。その一方で自身を作曲家としてまず位置付けているふしがあり、マーラーやシュトラウスの指揮の方こそ価値があると考えている口ぶりでもありました。セルも作曲したものが残っているようですがトスカニーニはニキシュと共に作曲をしない指揮者として特にマーラーと対照的な存在としていました。

 このドン・ファンを聴いていると徹底的にオーケストラの技巧、完璧さを追求するかに見えてそうでもなく、独自の再創造的なとらえ方で作品を見ているような印象です。これを徹底すれば後年のマーラー第7番のような演奏になるのかどうか、それはともかくとしてR.シュトラウスの初期作品にも十分な、ブルックナーやベートーヴェンらと同じように、敬意を持っているのだろうと想像されます。個人的にはシュトラウスの交響詩はあまり好きでなくて、オーケストラのコンサート曲目に入っていたら行くのは止めておくか、くらいの意識でしたが、ここ1ケ月くらいでクレンペラーのLPを聴いていて急に親近感が増しました。
28 1月

クレンペラー・イン・トリノ R.シュトラウスのティル

190107R.シュトラウス  交響詩「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら」

オットー・クレンペラー 指揮
トリノRAI管弦楽団(トリノ放送交響楽団)

(1956年12月21日 トリノ,RAIオーディトリアム ライヴ録音 Fonit Cetra)

 春の選抜高校野球の出場校が決まり、この金曜からはもう二月に入ります。このブログも2010年にOCNのサービスで始めてからまる9年が経過します。そんなに経ったという実感はないものの、体力の衰えというか年齢相応(それ以上か)の劣化は痛感します。一つ顕著なことは「歩く速度」が遅くなったことで、普段平坦な街中を歩いていても女性、そこそこ高齢な人に追い越されることがしばしばあります。それに、たいした距離を歩いていないのに足のかかと辺りが痛くなったりして(昔は一日中歩きまくった時にしか出ない症状)先が思いやられます。ブログの過去記事について段々と記憶があいまいになってきて、初期の頃のものはもうすっかり忘れていますが、R.シュトラウスの管弦楽曲はかなり手薄な分野なのはあ違いないと思います。元々好きな作品がほとんど無かったからですが、先月来クレンペラーのLPを聴いていてシュトラウスのことも思い出していました。

181216a クレンペラーもR.シュトラウスの生前に交流があり、シュトラウスの指揮を大いに賞賛していましたが、その作品の方はあまり多くは指揮していませんでした。オペラの全曲録音は一つも無く、ハンガリー国立歌劇場のライヴ音源にも入っていません(珍しいものではオッフェンバックのホフマン物語があるのにR.シュトラウスは無い)。EMIへセッション録音したR.シュトラウス作品は交響詩「ドン・ファン」、「死と変容」、「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら」と「メタモルフォーゼン」、「サロメから七つのベールの踊り」でした。1956年12月にクレンペラーがトリノに客演した際の公演を記録した「クレンペラー・イン・トリノ」の中に
「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら」が入っていて、EMのセッション録音の約3年前(EMIは1960年3月)の演奏ということになります。

 チェトラのLPで聴くからか、先日のストラヴィンスキーやショスタコーヴィチ同様に艶のある幾分柔軟な美しさが印象的で、とかく堅苦しいイメージを持ってしまうクレンペラーの演奏にしては意外な美点を感じさせます。EMIへの録音はどんな感じだったか、あまり強い印象は覚えていませんがもっと遅くてギクシャクとした演奏だった気がします。トリノ客演のLPは全曲CD化されていますが、CDで聴くとこの曲もちょっと違った印象かもしれません(今回連続して聴いていない)。

 交響詩「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら」は1894年から翌年にかけて作曲されたR.シュトラウスの四作品目の交響詩でした。当初はオペラとして構想したところ、直前に作曲した歌劇「グンドラム」の初演が失敗だったこともあり交響詩として作曲しました。この曲はティルが最後に死刑になるのにそこそこ明るい作風なのが不思議で、たしか「のだめカンタービレ」の中でも登場したと思います。

 クレンペラーはシュトラウスの作品の中で晩年のものは否定的に見ている言動があり、かといって初期の歌劇・楽劇についても絶賛という風ではなくて、「ばらの騎士」も「全てが甘い砂糖水にどっぷり浸かってしまった」と評しています。交響詩
「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら」はわざわざ録音しているくらいなので作品自体に愛着があるのだろうと思いますが(「死と変容」はコンサートで聴いて深い感銘を受けたと言っている)、それならナクソス島のアリアドネあたりは全曲録音していても良さそうなので、どうも判断の基準がよく分かりません(マーラー作品でも取り上げていないものがあるのと同様に不可解)。
12 12月

R.シュトラウス アルプス交響曲 ヴァイグレ、フランクフルト歌劇場O

171212aリヒャルト・シュトラウス アルプス交響曲

セバスティアン・ヴァイグレ 指揮
フランクフルト歌劇場管弦楽団(Frankfurter Opern- und Museumsorchester

(2015年11月1,2日 フランクフルト,アルテ・オーパー 録音 Oehms)

171212b 昨日の月曜からNHK・FMで年末恒例のバイロイト音楽祭放送が始まっています。何年か前にはネットラジオチューナー経由、PCのらじる経由で録音しましたが、今年はTVアンテナをFMチューナーに接続して二昔くらい前のやり方で録音することにしました。早速第一弾のニュルンベルクのマイスタージンガーを最後まで録音したところで、最初アンプを通して今流れている音を聴こうとして再生音源をレコーダーに合わせたら何も音が出ずあせりました。それでケーブルのつなぎ方が inとout を逆にしたかと思って繋ぎ変えたら今度はレコーダーに音声信号が届かなくなり、もう一度元に戻してヘッドホンをレコーダーにつないで聴くと最初のケーブル接続で間違っていないのが分かりました(長らくさわってなかったから基本的なことも忘れて困る)。結局放送開始直後の解説部分が一部とんだ他は全部録音できました。

 ヴァイグレ(Sebastian Weigle 1961年,ベルリン - )も2007年にバイロイト音楽祭で指揮をしていて(マイスタージンガー)、バルセロナのリセウ劇場、フランクフルト歌劇場と音楽監督を務めてきました。ティーレマン程輝かしくないかもしれませんが、歌劇場でキャリアを積んで来た19世紀生まれの巨匠と同様の経歴というわけです。今回の Frankfurter Opern- und Museumsorchester はフランクフルト歌劇場専属のオーケストラで、かつてはリヒャルト・シュトラウスが自作の交響詩(ツァラトストラ、英雄の生涯)を指揮して初演したという作曲者ゆかりのオーケストラ・歌劇場でした。歴代の音楽監督にはギーレンやドホナーニ、ショルティの名前が並び、レコードは少なかったものの歴史ある団体です。

 このCDはヴァイグレによるシュトラウス管弦楽作品集の第四弾にあたります。アルプス交響曲や「死と変容」は個人的にシュトラウスのオーケストラ曲の中では好きな方であり、ヴァイグレがオペラの全曲盤や映像ソフトやで知った名前なので関心が湧きました。過去にはカラヤンをはじめ、有名なレコード、CDが並んでいるのでこれが突出しているとかは言い難いところですが、音質共々かなり気に入りました。先月のケント・ナガノとエーデボリ交響楽団(聴いたのは「死と変容」だった)よりも好印象です。

 アルプス交響曲の初演は今回のオケではなく、シュターツカペレ・ドレスデンで作曲者の指揮により1915年10月28日にベルリンで行われています。この作品もウィンドマシーンやカウベル、サンダーマシーン等の効果音系楽器が使われ、時には派手でドタバタ感にちょっとがっかりしますが、この録音はそういうマイナスの印象は薄いと思いました。ヴァイグレは何度も来日しているのでその内関西でも聴けるかなと思っています。古典派の作品を振ればどなんな感じか、フィデリオとかが気になります。
20 11月

R.シュトラウス 死と変容 K.ナガノ、エーデボリSO

171120aR.シュトラウス 交響詩「死と変容」Op.24

ケント・ナガノ 指揮
エーテボリ交響楽団

(2016年6月9-11日 エーテボリ・コンサート・ホール Farao Classics)

171120b びわ湖ホールで23日にある「アッシジの聖フランシスコ」が近づいてきました。今月に入ってカーナビのSDカードに居れた小澤征爾の初演CDをよく聴いて備えています。演奏時間が5時間くらいになり、途中で二度休憩があるもののこれは腰が痛くなりそうで大変です(演奏する方はもっと大変)。初演の際にはケント・ナガノもアシスタントとしてかかわっていたので、小澤征爾といい何故か日本人と縁がある作品です。ケント・ナガノと言えばバイエルン国立歌劇場の音楽監督の後は歌劇場のポストには就いていないようでちょっと残念です。というのは、映像ソフトが出ていたローエングリン、パルジファルやボリス・ゴドゥノフらがかなり気に入っていたので期待していました。そのかわりに2013年のシーズンからスウェーデンのエーデボリ交響楽団の首席客演指揮者に就任しています。

 このCDはケント・ナガノとエーデボリSOによるR.シュトラウス作品集の第二弾にあたり、交響詩「英雄の生涯」と「死と変容」をカップリングしています。後者の方が個人的に好きなので今回はこちらを聴きました。このレーベルの特徴なのか落ち着いた?音質に聴こえ、時には金属的なピカピカな音楽に聴こえるシュトラウス作品にしては地味で、精緻な音楽になっていました(ツァラトストラだったらどんな風になるか?)。このオーケストラはネーメ・ヤルヴィがショスタコーヴィチの交響曲をDGへ録音していた頃、同じくショスタコーヴィチを並行してChandosへ録音していたスコティッシュ・ナショナル管弦楽団よりも技量は下だという評がありました。その後評判がどうなったか分かりませんが少なくとも低迷はしてはいないだろうと思いました(でも最近新譜がなかったか・・・)。

 R.シュトラウスの作品、特に後期のオペラ、アラベラやダナエの愛、カプリッチョなんかは味わい深くて、断片的でも魅力的な旋律が出てきます。遠く未来から光がさしてくるような(イスカンダルかテレザード的)えも言われない美しさに惹きつけられます。「死と変容」もそんなメロディの端切れが織り込まれているようで交響詩作品の中では好きな方でした。作曲する時にメロディはどうやって作るのか、そういう能力が無い者にとってはつくづく不思議です。

 1920年代くらいまでにドイツ語圏ではシュレーカーのオペラがもてはやされ、「クレンペラーとの対話(P.ヘイワーズ編 白水社」の中にも出てきます。音楽学者のピーター・ヘイワーズがクレンペラーに「シュレーカーはドイツにおけるプッチーニなりたかったのか」と尋ねると、クレンペラーは肯定して「シュレーカーはどんなにかそうなりたかったことか」とした上で、彼には旋律の才能が無かった、「典型的なインフレ音楽」だと評していました。魅力的なメロディーが無かったからその後、演奏、上演頻度が一気に低下したことをそのように表現したわけで、そこへいくとR.シュトラウス作品は数段上というか次元が違ったということになります(そういえばK.ナガノが指揮したシュレーカーのオペラのソフトがあった気がする)。
1 8月

R.シュトラウスのアルプス交響曲 ヤノフスキ、ピッツバーグSO

170801R.シュトラウス アルプス交響曲 作品64

マレク・ヤノフスキ 指揮
ピッツバーグ交響楽団

(2008年10,11月 ピッツバーグ,ハインツ・ホール ライヴ録音  Pentatone Classics)

 ここ数日は特に寝苦しいむし暑さなので、日付が変わった深夜に起きてテレビを見ることがあります。先日はNHK総合の「あてなよる」という酒肴と酒を紹介する料理番組をたまたま見つけました。二回分を続けて放送していて「鮎でのむ」と「ハム」の回でしたが、鮎の回のしめの料理が素人には思い付かない凝ったものでした。鮎の塩焼き(番組では四万十川の天然鮎の塩焼きの真空パック)の身をほぐし、すり鉢ですりつぶして黒ゴマのペーストを加えてかき混ぜて水を加え、さらに味噌を加えてかき混ぜてから水を加えてそれを中華麺のつけ汁にするというものでした。トッピングには胡瓜と大葉、みょうがくらいを添えてあり、これはゴマとミソのあんばい如何かなと思って見ていました(暑いから見ていても食べたくならない)。

 マレク・ヤノフスキは今年もバイロイト音楽祭で指環四部作を振っています。CD録音の方でもバイロイトで取り上げられる10作品を全部演奏会形式で録音した他、ブルックナーやブラームス、シュトラウス、ヘンツェ作品も録音しています。ベルリン放送交響楽団、スイス・ロマンド管弦楽団らとの録音が多いですが、このR.シュトラウス作品集(カップリングはマクベス)はアメリカのピッツバーグ交響楽団への客演です。クレンペラー所縁のこのオーケストラには「オットー・クレンペラー・ゲスト・コンダクター・チェア」というポストがちゃんとあって、ヤノフスキはそのポストに就いていました。

 実はR.シュトラウスの交響詩等は昔からあまり関心が無くて、英雄の生涯やツァラトストラ、ドン・キホーテ等は自分の中ではむしが好かない作品に分類していました。アルプス交響曲はタイトルの影響もあって一応CDを購入してまで聴こうと思う作品になっていました。そんな調子なのでこの録音がどんな感じなのか、いまひとつぴんと来ませんが派手で騒々しいタイプではなく、反復して聴いています。歌劇場でキャリアを積んで頭角を現してきたヤノフスキは、シュトラウス作品ではオペラの「無口な女」の全曲盤がありました。

 冒頭の番組では、鴨川で鮎を釣ってそれを料理して出す小料理屋も紹介されていましたが、いくら公共下水道の普及率が上がってもあまり清流というイメージは無い鴨川なのでそんな店があるのは意外でした。しかしよく考えれば、びわ湖の水が流れて来て、長らく下水道が普及率が低迷していた宇治川よりも鴨川の方がずっと水はきれいなはずです。番組では鮎の習性も話題に上がり、鮎も鮭のように川を遡上するけれど必ずしもその個体の卵が産み落とされたた川に帰るわけじゃなくて、例えば淀川の毛馬水門のところに遡上する鮎の中には別の河川で生まれたものも混じっているということでした。
28 7月

R.シュトラウス「アルプス交響曲」 マズア、LGO・1992年

150728bR.シュトラウス アルプス交響曲 作品64

クルト・マズア 指揮
ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団


(1992年6月 ライプツィヒ,ゲヴァントハウス 録音 ユニヴァーサル・Philips)


150728a リヒャルト・シュトラウスの管弦楽作品は昔からあまり好きな曲が無くて、レコードを買ったものはごくわずかでした(というか長らくツァラトゥストラだけだった、それもジャケットのデザインを学校の美術の課題の材料にしようと思ったのが購入動機)。だからアルプス交響曲(Eine Alpensinfonie)はFM放送で聴いただけでしたが、アルプスの登山者が登頂から下山するまでを音楽によって現したという作風からして一応好感を持っていました。こういう酷暑の気候で聴くのは、幾分涼しげになればという期待と、寝転びながら旅行したような気分を錯覚できればといのうがミソです。このCDは最近復刻された国内廉価盤で、クルト・マズアがベルリンの壁崩壊後にライプチヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団とシュトラウス作品を録音していたのは全く知りませんでした。あるいは発売当時話題になったかもしれませんが記憶に残っていません。

 今まで聴いてみたいと発作的に思ったタイミングでは店頭に置いてなかったりでアルプス交響曲のCDはこれ一枚だけしか持っていません。そんな調子なのでこの録音がどうなのか何とも言えません。オーケストラ自体はなかなか良さそうですが、ベルリンの壁崩壊後間もない頃なのでオケの全盛時とは言えないはずです。アメリカのオケとかカラヤンとベルリンPOとかいくらでも有名な組み合わせはあるなかで、旧東ドイツのオケの音が残っている最後の時期?をデジタル録音で残せたのが注目かなと自分に言い聞かせています。

 クルト・マズア(Kurt Masur, 1927年7月18日 - )は1970年からヴァーツラフ・ノイマンの後任として1996年までライプチヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団の首席を務めていたので、思えば壁崩壊後も録音があって当然でした。アルプス交響曲は1915年2月8日に完成して、同年の10月にベルリンで作曲者自身がドレスデンの宮廷劇場のオケを指揮して初演しました。四管編成のオーケストラにテノール・チューバ、ヘッケルホーン、オルガン、ハープ、チェレスタの他に多数の楽器が加わり、さらにウィンドマシーン、サンダーマシンといった自然現象の擬音のための器具も動員される大編成で演奏されます。演奏時間は50分程度になります。

 はじめて聴くとレコード制作ために効果音を勝手に付け加えているのだと思いましたがそうではなくて作曲者が最初から意図したものです。個人の趣味としてはこういう効果音はあまり好きではありませんが作者が決めたなら是非もありません。牛がぶら下げてるカウベルも登場しますがマーラーのような使い方の方がさりげなくて良い気がします。この作品はマーラーの亡くなった後に本格的に作曲構想が始まっているので時代が違うとも言えそうです。

 単一の楽章の中に下記のような区分、ストーリーが設定されています。Nacht(夜)、Sonnenaufgang(日の出)、Der Anstieg(登り道 )、Eintritt in den Wald(森への立ち入り)、Wanderung neben dem Bache(小川に沿っての歩み)Am Wasserfall(滝)、Erscheinung(幻影)、Auf blumigen Wiesen(花咲く草原)、Auf der Alm(山の牧場)Durch Dickicht und Gestrüpp auf Irrwegen(林で道に迷う)、Auf dem Gletscher(氷河)、Gefahrvolle Augenblicke(危険な瞬間)、Auf dem Gipfel(頂上にて)、Vision(見えるもの)、Nebel steigen auf(霧が立ちのぼる)、Die Sonne verdüstert sich allmählich(しだいに日がかげる)、Elegie(哀歌) 、 Stille vor dem Sturm(嵐の前の静けさ)、 Gewitter und Sturm, Abstieg(雷雨と嵐、下山)、 Sonnenuntergang(日没)、Ausklang(終末)、 Nacht(夜)

8 7月

R.シュトラウスのメタモルフォーゼン クレンペラー・PO

150708bリヒャルト・シュトラウス メタモルフォーゼン~23の独奏弦楽器のための習作

オットー・クレンペラー 指揮

フィルハーモニア管弦楽団

(1961年11月 ロンドン,キングスウェイホール 録音 EMI)


 クレンペラーが世を去った1973年7月6日金曜日にクレンペラーの娘、ロッテが親交のあったパウル・デッサウへ向けて発した電報によるとクレンペラーの葬儀は四日後の火曜日、7月10日の午前中に行われました。クレンペラーは戦前のケルン時代にカトリック教会で洗礼を受け(ユダヤ系だったので誕生直後にキリスト教の洗礼を受けることは無かった)ていましたが、1967年2月に公式に教会を離れたと言っています。ユダヤ教に戻る手続きのようなものを何時行ったか、そもそも誕生直後にユダヤ人(教徒)の男子が受ける割礼を受けていたのか未確認ですが、ともかくユダヤ教の墓地へ葬られています。こういう事柄は日本ではあまり縁が無く、鎖国時代が長かったので実感がわかない問題です。とにかくクレンペラーの葬儀があったとされる10日まで、もう少しだけクレンペラーの録音を聴きつつ遺徳を偲びたいと思います。

150708a リヒャルト・シュトラウスが1944年から1945年にかけて作曲し、ドイツ敗戦の直前に完成させたメタモルフォーゼン(Metamorphosen)、23の独奏弦楽器のための習作はクレンペラーが録音を残した数少ないシュトラウス作品の一つでした。EMIへの録音の機会以外でも演奏したことがあるはずですが、クレンペラーはブダペストのハンガリー国立歌劇場時代に演奏したと語っています。そうだとすればそれは作曲後二年から五年以内に演奏したことになり、晩年のシュトラウス作品にネガティヴな見解だったクレンペラーにしては素早い行動です。実際、「クレンペラーとの対話 P.ヘイワーズ編」の中でメタモルフォーゼンについて、「戦争とともに彼の創作がぱったりとまってしまった」、「つまり晩年の作品はたいして重要ではないのです」としながらも、「ただ、『メタモルフォーゼン』は基本的にはかなり良い作品だと思いますがね」と言及しています。

 このCDでメタモルフォーゼンを聴いていると「四つの最後の歌」と似ているようで、まるで夕映えの明るさのような得も言われない寂しい輝きを放っています。戦争とともにシュトラウスの創作が止まった、枯れたことを不思議だとクレンペラーは言ったようですが、それは嫌味なのか本音なのか。もし後者だったらクレンペラーもまた、クレンペラーがシュトラウスをマーラーと比較してそう称していたように、何かが欠けている人物だったかもしれません。ただ、クレンペラーのこの演奏を聴いていると燃えるような美しさで圧倒されます。だから、シュトラウスがこういう作品を作った心情への共感も十分あったと考えられます。共感どころか、在りし日のドイツを想って惜しんでいることにかけてはシュトラウス以上にそうである(聖パウロの使徒書簡の表現を借りれば「気が変になったように言う」)、とでも言いたげな入魂の演奏です。

 クレンペラーと親交があった哲学者のエルンスト・ブロッホは、クレンペラーは全く論理的な人間でないけれど指揮をはじめるやいなや、とたんにものすごく論理的になると評していました。言われてみて成るほどそうかもしれないと思う指摘です。クレンペラーのシュトラウスに対する感情も複雑そうです。ところで、リヒャルト・シュトラウスの戦後の境遇ですが、彼はドイツの敗戦によって印税等は全て敵国資産として押収されたものの、スイスの保養地のポントレシーナの最高級のホテルに滞在してブージー・アンド・ホーク社(シュトラウス作品を出版する会社)の社長エルンスト・ホークから月々に手当を受けていたのでそこそこ不自由のない暮らしは送っていました。

30 6月

R.シュトラウス「死と変容」 クレンペラー、フィルハーモニアO

150630リヒャルト・シュトラウス 交響詩「死と変容」作品24


オットー・クレンペラー 指揮
フィルハーモニア管弦楽団


(1960年10-11月 録音 EMI)

 クレンペラーはハンブルクに住んでいた15歳の頃、母親に連れていかれたコンサートでリヒャルト・シュトラウスの交響詩「死と変容(浄化)」を聴いて、強烈な印象を受けてこの作品を素晴らしいと思ったと後年振り返っています(オーケストラの響き、全体の構成)。それがハンブルクでの初演(各都市についていちいち初演と言えばきりがないと思うが)だったらしく、そのコンサートの印象がよほど強かったのか、シュトラウスの作品は第一次大戦までのものを気に入り、認めているようです。そのように「死と変容」に感銘を受けたとしながらも、録音の面ではEMIへのセッション録音が唯一になっています。「ドン・ファン」はライヴ音源が何種かありました。

 エルンスト・ブロッホからオットー・クレンペラーへの手紙、1967年11月26日
 ラジオで君の指揮する「死と変容」を聴いたところだ。すばらしい。これまで聴いたことのなかった声部、最後で盛り上がっていく安息というパラドクス、三度にわたる掛留。リヒャルト・シュトラウスは途方もないことを達成している。深遠さだ。ありがとう。君の手を握るよ。この変容が僕らのものとなりますように。君のエルンスト。 ~ 「オットー・クレンペラー あるユダヤ系ドイツ人の音楽家人生 (エーファ・ヴァイスヴァイラー)」

 クレンペラーが残したR.シュトラウスの録音は、交響詩「ドン・ファン」、「死と変容」、「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら」、サロメから「七つのヴェールの踊り」、「メタモルフォーゼン~23の独奏弦楽器のための習作」くらいでした。他にも有名な作品はあるのに、マーラー作品に対するのと同じで取り上げる曲を選んでいます。

150630a 実はリヒャルト・シュトラウス作品はジャンルを問わず大半はあまり好きでなく、今世紀に入る頃から「四つの最後の歌」と「カプリッチョ」、「アラベラ」等のオペラ、交響的幻想曲「イタリアから」、アルプス交響曲くらいが積極的に好きと思うようになりました。だからクレンペラーのEMI録音であってもリヒャルト・シュトラウス作品は聴く頻度はかなり低く、関心も湧きませんでした。それでも「クレンペラーとの対話 P.ヘイワーズ編 」にも載っていたクレンペラーが15歳の経験があったので、既に国内盤LPが入手困難になっていた頃に輸入・廉価盤を取り寄せて聴けました(上の写真がそのジャケット、ザ クレンペラー エディション)。そのことを命日が近づいた最近思い出したのと、ブロッホの手紙が目にとまってそんなにすごかったかと急に気になり、CDとLPレコードを取り出して聴いてみました。そもそも他の演奏者も含めて作品自体を聴いた回数が少ないので多くのコメントは出できませんが、遅まきながら食わず嫌い的なR.シュトラウスへの偏見を矯正させられる感銘度です。クレンペラーが演奏するシューベルトやベートーベンと同じ響きで、木漏れ日のように聴こえる木管の特徴的な音色も同じです。

 交響詩「死と変容」作品24は1889年に完成し、1890年6月21日に作曲者自身の指揮によってアイゼナハ市立劇場で初演されました。シュトラウスはドン・ファンに続くこの曲で決定的な成功を手にし、クレンペラーが言うには1890年代のシュトラウスはドイツ人にとって希望の新人であり、神聖侵すべからざる存在だったということです。「死と変容」は交響詩と言いながら、詩や物語をもとにして作曲されたのではなく、標題もありませんでした。曲ができてから詩人のアレクサンダー・リッターに相応しい詩を作るように頼んで、作詞者の名を伏せて総譜の冒頭に冠せられました。こういう経緯は最後のオペラ「カプリッチョ」のテーマにも通じるようで面白く、シュトラウスも晩年までぶれなかった?ような姿勢がうかがわれます。

20 11月

R.シュトラウス「ツァラトゥストラはかく語りき」 シュタイン、バンベルクSO

R.シュトラウス 交響詩「ツァラトゥストラはかく語りき」作品30


ホルスト・シュタイン 指揮
バンベルク交響楽団


(1987年5月18-22日 ニュルンベルク,マイスタージンガーハレ 録音 Ariola Japan)

 知らない内に街路樹の銀杏が黄色くなっているので次の連休あたりが紅葉のピークになりそうです。今日の午後も路線バスに乗って出先から帰りましたが、混雑は程々でした。金閣寺方面から銀閣寺の前の方を回る循環系統のバスに乗ると、自分の前に見覚えのある外国人男性が座っていました。どこで、誰?とか考えているとヘレヴェッヘの若い頃に似ていると気が付きました。ガイドブックのようなものを持っていたので金閣寺の次は銀閣寺に行くつもりかと、内心コテコテの観光ルートだとほほえましく思っていると私と同じく地下鉄に乗継できる北大路駅で下車しました。運賃支払い時にはもたついていた彼は下車してからは歩くのが早くて、あっという間に追い抜かれて日頃の運動不足を実感しました。それから地下鉄に駆け込み乗車したところ、先に乗って座っていたそのヘレヴェッヘ似と目が合い、またしばらく同じ車両に居ました。地下鉄の方は慣れた様子なのであるいは留学とか就業の長期滞在者かもしれません。

141120 ホルスト・シュタインは1970年のバイロイト音楽祭では「ニーベルングの指輪」を指揮していて、その放送を年末に聴いた近藤憲一氏がこのCDの解説冊子に寄稿しています。シュタインは前年にパルジファルを振ってバイロイトに初めて登場しました。その三年後に初来日してNHK交響楽団に客演しました。ということでバンベルク交響楽団とのこの録音時にシュタインは日本ではすっかりお馴染みでした(1975年にNHK交響楽団の名誉指揮者となり、1977,80,81,83,85年にN響へ客演していた)。その間にEMIからN響と共演したワーグナー管弦楽曲集のLPが出ていましたが、今から思えば当時買って聴かなかったのが残念です。

 このCDはツァラトゥストラの他に同じくシュトラウスの「祝典前奏曲」OP.61とワーグナーの「タンホイザー」序曲(ヴェヌスベルクの音楽付き)が入っていてどれもが素晴らしい演奏です。元々交響詩「ツァラトゥストラはかく語りき」はあまり好きでなく、それ以外のR.シュトラウスの管弦楽曲もあまり親近感が湧きませんでしたが、シュタインとバンベルク交響楽団の一連の録音を聴くとこれなら違う印象になるかと思って探していました。映画に使われもした冒頭部とか大音量の箇所ではない静かなところがすごく美しくて、曲に対するイメージが改まりそうでした。いかつい風貌と裏腹に繊細で柔軟な演奏に改めて感心します。

 シュタインとバンベルクSOのR.シュトラウスは他に「アルプス交響曲」も録音していましたが、このCD同様にあまり評判になっていなかったようです(アルプス交響曲のCDは見たことがない)。この曲の録音と言えばカラヤン指揮のBPOや自分が初めて聴いたメータとニューヨークPOや、古いところではライナーとシカゴ交響楽団を思い出します。それらのオーケストラの技量と比べれば、この時のバンベルク交響楽団は地味な存在かもしれませんが会場、録リ方もあってか独特の魅力だと思います。

28 8月

ツァラトゥストラはかく語りき スタインバーグ・ボストンSO

R.シュトラウス 交響詩「ツァラトゥストラはかく語りき」作品30

ウィリアム=スタインバーグ 指揮
(ハンス・ヴィルヘルム・シュタインベルク)
ボストン交響楽団

(1971年 ボストン・シンフォニーホール 録音 DG)

120828a  これは先日の「ホルスト・惑星」と同じ一枚のCDに収録されている録音です。元は別々のLPとして発売されたもので、スタインバーグがボストン交響楽団の首席に就いていた短い期間に残した三種のLPの一つです。この録音の知名度や人気はどの程度だったのか、自分自身はメジャーなドイツ・グラモフォンから出ていたのに、国内廉価盤を見かけるまで全然存在を知りませんでした。この曲の最初の部分・「導入部」が映画「2001年宇宙の旅」の冒頭で使われたことでも有名で、映画に採用された音源はカラヤン・VPOのDECCA盤でした。

 カラヤンは例によってというべきか、それ以後1970年、1980年代にもツァラトストラを録音していました。しかし、中学生の時買ったこの曲のレコードは、カラヤンでもベーム、ケンペでもなくズビン・メータ指揮のニューヨークPO盤でした。一枚当たりの単価が安かった(CBS・SONY)ことと、ジャケットのデザインが気に入ったことが動機でした。その後美術の授業で「抽象画」を描くことになり、地平線に人間と街灯が散在している黄色っぽい風景に人間の片目のアップが重ねてあるジャケット写真(ネット上で件のLPが見つかった)を題材にしました。しかし、出来上がった絵はひどいもので落書き並みでした。何度手直ししても良くならず軽く自己嫌悪に陥りました(提出しなければならないので捨てるわけにもいかない)。

 そんな思いでは別にしても、この曲は太陽が西から上りそうな禍々しくもドギツイ印象で、冒頭部分のオルガンが挑発的に思えてあまり好きではありませんでした。しかしこのCDで久しぶりに聴いてみると、こけおどし的ではなく、オーケストラがよく鳴っていながら上品な響きで驚きました。他にもスタインバーグと似たタイプの演奏はあるはずですが、とにかく魅力的な録音だと思いました。

Also sprach Zarathustra(ツァラトゥストラはかく語りき)
Einleitung (導入部)
Von den Hinterweltlern (現世に背を向ける人々について)
Von der großen sehnsucht (大いなる憧れについて)
Von den Freuden und Leidenschaften (喜びと情熱について)
Das Grablied (墓場の歌)
Von der Wissenschaft (学問について)
Der Genesende (病より癒え行く者)
Das Tanzlied (舞踏の歌)
Nachtwandlerlied (夜のさすらい人の歌)

120828b  交響詩「ツァラトゥストラはかく語りき」は曲のタイトルからも分かるように、哲学者フリードリヒ・ニーチェの同名の著作に関連があります。しかし著作や思想そのものを表現したのではなく、上記のように著作各部分の雰囲気に触発されて自由に作曲したものです。ということは、シュトラウスは「ツァラトゥストラはかく語りき」を読んでも内容はよく分からなかったのかもしれません。上記のようにこの曲のLPを買った頃、友人が「わが闘争」と「ツァラトゥストラはかく語りき」の文庫本を持って来ていたので読んでみました。しかし何が言いたいかさっぱり分かりませんでした。今読んでも分からないと思いますが、新潮文庫の訳は難しいとか言われていました。

22 6月

Brentano - Lieder op.68 R.シュトラウス グルベローヴァ

リヒャルト・シュトラウス 「ブレンターノの詩による六つの歌」 作品68

エディタ=グルベローヴァ:ソプラノ

マイケル・ティルソン・トーマス 指揮
ロンドン交響楽団

(1991年2月6-7日 ロンドン,アビィロードスタディオNO.1 録音 SONY)

 昨夜のマーラー「大地の歌」はブログを始めた一昨年以降、あまり聴く気がせず、その10月に若杉弘・東京都SOのCDを車中で聴いてそのままになっていました。このところ、ドイツ・リートとフィッシャー・ディースカウから近接すると急に「大地の歌」を聴きたくなって、それが続いています。今回はオーケストラと独唱というつながりで、R.シュトラウスの歌曲集です。

120622  リヒャルト・シュトラウスはマーラーより四年後にミュンヘンで生まれ、第二次大戦後の1949年に世を去っています。マーラーやヴォルフよりもずっと長命でした。「ブレンターノの詩による六つの歌・作品68」は、1918年の2月から5月にかけて作曲(ピアノと独唱)されて1940年にオーケストラ編曲されました。ドイツの詩人クレメンス・ブレンターノ(1778-1842)による、「夜に」、「私は花束を編むつもりだった」、「そよげ、やさしいミルテの木よ」、「あなたの歌が私の心にひびいたとき」、「愛の神」、「妻たちの歌」という六つの詩に曲を付けたものです。ブレンターノはアルニムと共にドイツの民衆歌謡を収集して“ Des Knaben Wunderhorn(少年の魔法の角笛) ”を編纂したことでも名を残し、マーラーの歌曲集でも有名です。

 この歌曲集は度同世代のマーラーやヴォルフとは作風が違い、技巧的なコロラトゥーラが目立ちます。個人の内面を現わすというよりもっと開かれた世界を感じさせ、ピアノ版よりもオーケストラ版の方がしっくりくると思います。ここまで来ると「ドイツ・リート」というくくりでは収まらないのでは?と思えます。

 このCDは以前ルチア=ポップによるR.シュトラウスの「四つの最後の歌」再録音と同じCDで、ポップの他グルベローヴァ、カリータ・マッティラと3人の歌が収められています。グルベローヴァはポップと同じスロヴァキア出身で、圧倒的なコロラトゥーラ・ソプラノとして有名でした。この作品でも特に第5曲目の「愛の神」でその魅力を堪能できます。ただ、気のせいかちょっと苦しそうにも聴こえ、もう少し若い頃の方が良かったかもしれません。

 1918年ならシュトラウスの主要な交響詩、交響曲、サロメや薔薇の騎士等のオペラは完成済みでした。シュトラウスの代表作、有名な作品の多くは第一次大戦が終わる頃までに作られていて、その後編曲や組曲に改組を多数行っています(一説には印税を稼ぐためとか)。歌曲も同様でこの歌曲集以降の作品は多くありません。

 R.シュトラウスのLPレコードで唯一購入していたのが交響詩「ツァラトゥストラはかく語りき」(メータ指揮、NYPO)で、10代の頃はあまりシュトラウスに熱心ではありませんでした。ツァラトゥストラは交響詩と言いながら、ニーチェの著作の内容とあまり関係は無いとされています。「ヌレンターノの詩による六つの歌」も聴くと、感覚的、気分としては快適ですが、詩と曲の結びつきとか詩の内容がきこえるという感覚はどの程度なのだろうかと思います。

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昭和40年代生まれ、オットー=クレンペラーの大フアンです。クレンペラーが録音を残したジャンルに加え、教会音楽、歌曲、オペラが好きなレパートリーです。

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