raimund

新・今でもしぶとく聴いてます

ワーグナー・指環第2日

26 3月

ジークフリート ツァグロゼク、シュトゥットガルト/2002年

190326bワーグナー楽劇・ニーベルングの指環「ジークフリート」

ローター・ツァグロゼク 指揮
シュトゥットガルト州立管弦楽団

ジークフリート:ジョン・フレドリック・ウェスト
ミーメ:ハインツ・ゲーリヒ
さすらい人:ウォルフガング・シェーネ
アルベリヒ:ビョルン・ワーク
ファフナー:アッティラ・ユン
エルダ:ヘレーン・ラナーダ
ブリュンヒルデ:リサ・ガステーン
森の鳥:ガブリエラ・ヘレラ

演出:ヨッシ・ヴィーラー、セルジオ・モラビト

(2002年10月1日,2003年1月5日 シュトゥットガルト州立歌劇場 収録 Euroarts)

190326 残念ながら観に行けなかったびわ湖ホールのジークフリートの直前に、ややこしいタイプの演出によるジークフリートを視聴しようと思って何年か前にブルーレイ化されたシュトゥットガルト州立歌劇場(他にもシュターツと称する劇場があり、中には国立と表記するのにシュトゥットガルトは州立になっている)の指環からジークフリートを視聴しました。今から15年以上前の上演にして最初はDVDで出ていたようです。四作品のそれぞれが違う演出家によるというのが注目の一つでした。現代の都市生活によみかえた演出になり、第三幕、ブリュンヒルデが目覚める場面は、夜勤帰りのおやっさんと起き掛けの嫁はんに見えかねないもので、神話的、英雄的な効果を徹底的に抜き切った映像になっています。カラーで見ればもう少し見栄えはしますが、三幕を通してこういう感じなので今さらながら徹底ぶりに感心します。

190326a シュトゥットガルトの指環はNAXOSからCDも出ていたはずで、それと全く同じ音源なのかは未確認です。映像、演出とは裏腹に特に声楽の方は立派なので、故(涙)ドナルド・キーン氏がこの手の演出に対して言った、舞台を観ずに音楽だけを聴けば、印象が変わるのではと思いました。ブリュンヒルデのガステーンは声質もエヴァ・マルトンに少し似ている感じで堂々としています。ジークフリートのフレドリック・ウェストも最後まで声量も保ってブリュンヒルデに負けていません。ただ、ジークフリートの衣装、ファーフナーを刺殺した血を浴びたTシャツ、これがちょっと何とかならないかと思いました。あと、アルベリヒの声がちょっと軽く、若々しいので善人ぽく聴こえて新鮮?でした。

 オーケストラの方は普通、というのかマイクが遠目なのか、何とも言い難い印象でした。それより演出、衣装の方に注意がいってしまい、演奏は気になるような違和感は無いといったところかもしれません。第一幕はアパートのキッチンが舞台で紙パックのミルクか何かをジークフリートがぶちまけたり、全く美しくない光景です。第二幕は刑務所か軍の基地のようで、金網のフェンスの隙間から出入りできるという雑な構造で、ファーフナーはそこに収監されてる大物囚人か、そこを根城にするボスといった服装でした。森の鳥が青白い少年の姿をしていました(医療少年院を連想させられる)。第三幕はダブルベッドのあるホテルの居室、くらいの作りです。ガウンを羽織ったネグリジェ姿のブリュンヒルデにおどおどするジークフリート、二重唱の合間に歯磨きするブリュンヒルデ、なんかデリヘルでも呼んだ浪人生のような矮小さで迫ってきます。しかし、意外に最後の二重唱の所は退屈しないのは二人の歌唱だけでなく、所作、演技も効いているのだろうと思いました。

 さすらい人(ヴォータン)が革ジャンを着て野球帽をかぶっているのも同様の効果で、こうなるとルーネ文字による契約を刻んだ槍、ノートゥングという重要な道具が思いっきり浮いてきますが、それもあまり気にならないのは不思議な映像の力だと思いました。あと、エルダが居るのが病院のリネン室か映画館の道具部屋のような空間だったので、本当によく統一されています。実のところこれを最初に観た時はなかなか集中して観られずに、ちょっと見ては止めて、しばらくしてまた続きを、という具合でした。二度目になると何となくテーマ、世界観・全体像のようなものがおぼろげに感じられて連続して視聴できました。よく、ある演出についてファースト・チョイスには向かないとかそんな評がありますが、これこそが正しくそれに当たるだろうと思いました。
5 3月

ジークフリート ベーム、バイロイト1966年

190130aワーグナー 楽劇・ニーベルングの指環「ジークフリート」

カール・ベーム 指揮
バイロイト祝祭管弦楽団

ジークフリート:ヴォルフガング・ヴィントガッセン
ブリュンヒルデ:ビルギット・ニルソン
さすらい人:テオ・アダム
ミーメ:エルヴィン・ヴォールファルト
アルベリッヒ:グスタフ・ナイトリンガー
ファフナー:クルト・ベーメ
エルダ:ヴィエラ・ソウクポヴァ
森の小鳥:エリカ・ケート

(1966年7月29日 バイロイト祝祭劇場 録音 PHILIPS)

 とうとう二月が終わってしまいました。しかし名残を惜しむどころでなく、ここ一週間は風邪なのか食中毒なのか花粉症なのか、それらにまとめてやられたたのか、とにかく何年振りかでダウンして平日に休んでしまいました。水曜の朝はよせばいいのに出勤したところ通常の1/3以下の速さでしか歩けず、「太陽に吠えろ」の殉職直前の刑事なみのフラフラ歩きでした。実質丸二日も休んで日程が狂った上に得体の知れん菌をまき散らすわけにもいかず土曜日のジークフリート(びわ湖ホール)は行けませんでした。土曜日は休んだ分の穴埋め出勤をしながら(Zwangvolle Plage! Müh' ohne Zweck! 
)、このベームのジークフリートを聴いていました。すると日曜はまた悪化してここ二日、月、火曜日とかすれて声が出ない状態です。

 それはともかく、このジークフリートは過去に何度も聴いていたもので、バイロイトのライヴ音源では多分最初に購入したはずです。ゲネプロの演奏がどれだけ含まれているのか分かりませんが、第三幕最後の二重唱も見事です。やっぱりニルソンもヴィントガッセンも素晴らしいと改めて思いました。ヴィントガッセンは十年以上前の1953年のバイロイトでも既にジークフリートを歌っているわけですが、その録音と比べるとどうかと思いながら今回、あえて古い録音を出して来ずにおきました(たんに風邪で倒れかけで面倒なだけ)。

 ジークフリート役で面白いのは第二幕第2場からブリュンヒルデを見つけるまでの間、「森のささやき」の音楽の場面やファーフナーを倒してからの場面で、ジークフリートがほとんど独りで煩悶する、いろいろ迷う場面は音声だけでも魅力的です。このあたりの歌は若々しさが前面に出ている方がなお素晴らしいと思いました。ヤノフスキの旧録音でのルネ・コロは結構好きでした。それからブリュンヒルデが自分と同じ男性ではないことを発見?する場面も、ワーグナー作品以外では無いテノール役の反応です。

 オーケストラの方も初めて聴いた1980年代末から1990年頃もバイロイトの実況らしい音響と舞台の音が入るところが気に入っていました。ベームはもう少し早い時期にバイロイトで指揮していてもおかしくなさそうですが、これ以後もあまり録音が残っていません。それにしても発売当日に電話をかけまくってチケットをとったびわ湖ホールのジークフリートは残念なことをしました。来年の神々はどうしようかと思っています。といってもこれを閲覧したら、今後肝心な公演で体調がすぐれずキャンセルする呪いをかけたる、等という気持ちはみじんもありません。
19 11月

ジークフリート ヘンヒェン、ネザーランドオペラ/1999年

181119aワーグナー楽劇・ニーベルングの指環「ジークフリート」

ハルトムート・ヘンヒェン 指揮
ロッテルダム・フィルハーモニー管弦楽団

ジークフリート:ハインツ・クルーゼ
ブリュンヒルデ:ジャニーネ・アルトマイヤー
ミーメ:グレアム・クラーク
さすらい人:ヨーン・ブレッヘラー
アルベリヒ :ヘンク・スミット
ファフナー:カシュテン・スタベル
エルダ:アンネ・イェヴァング
森の鳥:シュテファン・パングラッツ、他

ピエール・オーディ(演出)
石岡瑛子(衣装)
ゲオルギー・ツィーピン(装置)
ヴォルフガング・ゲッベル(照明)

(1999年 オランダ,アムステルダム音楽劇場 ライヴ収録 Creative Core)

181119b このジークフリートのソフト、開封してまず第三幕のブリュンヒルデが登場(目覚め)するところから再生しました。それは1982年録音のヤノフスキ指揮、シュターツカペレ・ドレスデンのジークフリート全曲盤でもブリュンヒルデを歌っていたアルトマイヤーがどうなっているか大いに気になったからです。ブリュンヒルデが起き上がって顔も見えた時、17年経過したことを瞬時に実感させる風貌(老けた、否、年齢相応)が飛び込んできました。ついでにジークフリートのクルーゼはアルトマイヤーよりも年長なので、髪型の影響もあって相撲部屋の親方か年寄のように見えました。そうした外見とは裏腹にアルトマイヤーの歌唱は立派で、声が強く、太くなっていました。ヤノフスキの指環の頃は高音では声が裏返るようで苦し気、或いは不安定に聴こえた(ような気がした)ので、その頃とは違ったどっしりとした安定感でした。クルーゼの方は第一幕、二幕くらいはかなりしっかりしていたので、さすがに最後の二重唱は疲れ気味のようでした(野球のようにリリーフをあおぐわけにはいかないのが辛い)。

 このジークフリートは1999年にネザーランド・オペラで上演された指環四部作を収録したもので、DVDブックスのような企画に使われていたことがあったかもしれません。主要キャストは地味で、キャリアの後半にさしかかった歌手が多いようですが、どの歌手もしっかりした歌唱です。ミーメのグレアム・クラーク、さすらい人のブレッヘラーあたりはかなり魅力的です。特に前者は五年後のバルセロナ、六年後のネザーランド・オペラでも同役を歌っています。それにこの公演、ソフトの注目点は「新ワーグナー全集」の楽譜を採用した最初の録音ということで、作曲者による細かいコメント等も見直し、検討して採用しているようです。

 ネザーランド・オペラのこのプロダクションはオーケストラの上に落とし蓋をしたようなバイロイトのピットとは違い、画面に歌手と並んで指揮者が映ることからも分かるように、オーケストラのかなりの部分が舞台と同じ高さで陣取っています。演奏に際してはこういうオーケストラの位置からくる音響上の違いも考慮したということで(附属冊子にエンヒェンによる解説も載っていた)、ロッテルダム・フィルの実力はどうなのかよく分かりませんが歌唱共々に立派な演奏だと思いました。

 舞台上には帯状のスペースが交差していてバルコニーのような部分も使い、立体的な空間になっています。かなり広い舞台空間なので独特の心地よさがありました。演出はネザーランド・オペラの芸術監督、レバノン出身のピエール・オーディによるもので、ハリー・クプファーによる1990年台のバイロイト、レーンホフびよるミュンヘン・オペラの演出を所々で思い出させる内容です。森の鳥を少年が歌い、鳥の羽を付けて舞台上にけっこう長く居るのが面白いと思いました。衣装はヴォータンとアルベリヒが色違いの覆面(文楽の黒子のような)を付けていたり、どこか和服のテイストが見てとれました。ジークフリートとブリュンヒルデは視覚的に年齢を痛切に感じますが、歌の方は立派なので健闘ぶりが強調されてきます。
30 6月

ジークフリート ヘンヒェン、ネザーランドオペラ/2005年

180630bワーグナー 楽劇・ニーベルングの指環「ジークフリート」 

ハルトムート・ヘンヒェン 指揮
ネザーランド(オランダ)・フィルハーモニー管弦楽団

ジークフリート:スティウ・フォウ・アナセン
ブリュンヒルデ:リンダ・ワトソン
さすらい人:アルベルト・ドーメン
ミーメ:グレアム・クラーク
アルベリヒ:ギュンター・フォン・カンネン
ファフナー:マリオ・ルペリ
エルダ:アンネ・イェヴァング
鳥の声:ロビン・ショルツ(テルツ少年合唱団員)

(2005年9月 アムステルダム音楽劇場 Etcetera)

 今回は梅雨の晴れ間(滋賀県大津市とかは強烈な雨だった)よろしくクレンペラー以外のCD、エンヒェン指揮のジークフリートです。開催中のワールドカップサッカーも中休みでしたが、決勝トーナメントへ進んだ日本代表、「フェアプレイ・ポイントの差が」が決め手ということで、その「フェアプレイ」という言葉が妙に耳が痛いように見えます。トーナメントへ進出した国を見ると事前に予想した結果、フラン対スペインの決勝が現段階で一応実現可能性が残っています(賭けはしていない)。それにしても「ポーランドは二連敗後に一勝する」という過去の例は再現されたので、他にもある「ブラジルはヨーロッパで開催された大会には優勝していない」等もそれなりに重みが出てきそうです。

180630 これは2005年(厳密には2004年の録音も含んでいる、第二幕に2004年8月に録音した部分があるようだ)にネザーランド・オペラで上演された「ニーベルングの指環」四部作の録音の一つで映像ソフトではなくて音楽のみでした。というのは同じくヘンヒェン指揮、ノザーランドオペラで1999年収録の映像ソフトの指環があり、今回のはそれと同じ演出ながらキャストが変わった上演の録音ということになります。この時期のバイロイト音楽祭は前年までアダム・フィッシャーが指環を指揮して好評を得ていました。それにしても、いつの間にこういうCD(SACD)が出ていたのか今年になるまで全く見過ごしていました。

 正真正銘今回初めてこれを聴いたところ、ピットに入ったネザーランド・フィル共々各キャストもかなり聴きごたえがあって印象深いものでした(ちなみに1999年の映像ソフトではブリュンヒルデがアルトマイヤー《15年以上前のヤノフスキのドレスデン盤と同じ》でした)。SACDのハイブリッド盤でマルチチャンネルでも再生可能であり、それを念頭に置いたマイク配置のためか、舞台上の音を広く拾ったような距離感の音質になっています。第一幕ではなにかフィルター越しに見る映像にも似た少しだけこもったような独特な音に戸惑いましたが、第二幕以降は慣れたためか、それともマイクを増やしたり変化があったのか、より鮮明に聴こえました。

180630a ジークフリート役のスティウ・フォウ・アナセンはこの役を歌う人の中でかなり美声の部類だと思われ、ランス・ライアンの癖のあるラリったようになる高音部とは対照的です(別に彼を目の敵にしているわけでもない)。ただ舞台公演を収録しているので第三幕のフィナーレ、休養十分で出て来るブリュンヒルデとの二重唱は特に後半で苦しそうというか、声が小さくなり。オーケストラにも埋もれかねないくらいでした。この点はライアンの方がタフなのかもしれないと思いました。なお、CDのパッケージや冊子には舞台の写真が載っていて、大きな舞台装置の一端が分かります。ネザーランドオペラという名前だけ聞くと別にどうとも思わないかもしれませんが、これだけのセットで上演できるのは大したものだと思いました。
11 12月

ジークフリート グッドオール、E,N,OPERA

171211aワーグナー 楽劇・ニーベルングの指環「ジークフリート」

レジナルド・グッド(オ)ール 指揮
イングリッシュ・ナショナル・オペラ管弦楽団

ジークフリート:アルバート・レメディオス
ブリュンヒルデ:リタ・ハンター
さすらい人:ノーマン・ベイリー
ミーメ:グレゴリー・デンプシー
アルベリッヒ:デレク・ハモンド・ストラウド
ファフナー:クリフォード・グラント
エルダ:アンヌ・コリンズ
森の小鳥:モーリン・ロンドン

(1973年8月2,8,21日 ロンドン・コロシアム ライヴ録音 CHANDOS/EMI)

171211c 先日奈良市へ行く用があり、手違いで予定より一時間以上早くJR奈良駅に着いたので路線バスの市内循環に乗って市街地を一回りしました。二周くらいしようと思ったら大仏殿のところで中国語を話す旅行者が大挙して乗って来たので一回りで降りました。夏休みのプールか初詣並みの混み具合に驚かされ、鹿せんべいだけでもそこそこ儲かりそうで結構なことだと思いました。ついでに鹿も増えすぎてついに間引きをするそうで、春日大社の使いなのにいいのかと思う反面、よほど増えて困った末のことだろうと思いました。

171211 グッドオールとイングリッシュ・ナショナル・オペラの指環は英語歌唱なので最初にCD化(EMI)された時はそこそこの値段だったこともあって見送っていました(ドイツ語歌唱の作品のみ聴いた)。それが今頃になって聴いてみると少なくともグッドオール指揮のオーケストラは本当に魅力的で、アマチュア指揮者だとか下手だからゆっくりしか指揮できないとか言われていたとしても、ことワーグナー作品に関しては捨てがたい魅力があります。今回のジークフリートも冒頭の複数の動機が出てくる序奏が薄暗い森の奥に居るような雰囲気になり、ミーメやアルベリヒ、さすらい人らの思惑が重なるストーリーを反映したドス黒さも想像させられます。予想に反して?前回のワルキューレよりも引き締まった印象です。

171211b ブリュンヒルデのリタ・ハンターとジークフリートのアルバート・レメディオスは大健闘で、セッション録音と違って特に後者は出番が多いのに最後にブリュンヒルデ(ブリュンヒルデは第三幕になってようやく出番、休養十分)との二重唱を歌うというタフな役なのに歌い切っています。ブリュンヒルデの方も柔道選手のような風貌とは裏腹に立派な歌声で、それを受けて終演後はフライング気味に拍手がわき起こるという客席の反応です。彼女はグッドオールとの指環の途中にニューヨークからもオファーが来るようになり、着実にキャリアをアップしていったそうですがそれもうなずける内容です。

 「ワーグナーは最後の古典派であり、どんな小さな音符でも聴きとれねばならず、もし明確に響かないならそれはテンポが速すぎるからだ」、というのがグッドオールのワーグナー演奏の方針なので実際にどの作品も基本的にゆったりとしたテンポになっています。グッドオールの伝記によると、その遅いテンポにはもう一つ理由があるそうで、グッドオールはオペラを指揮する時は総譜を見ながら指揮するのに、譜読みが苦手で時間がかかるから必然的にテンポが遅くなってしまうという嘘のような話がありました。話半分に聞いてもショルティとは大違いということでした。
10 12月

ジークフリート ヴィントガッセン、ニルソン、ショルティ

171210aワーグナー 楽劇・ニーベルングの指環「ジークフリート」

ゲオルグ・ショルティ 指揮
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

ジークフリート:ヴォルフガング・ヴィントガッセン
ブリュンヒルデ:ビルギット・ニルソン
さすらい人:ハンス・ホッター
ミーメ:ゲルハルト・シュトルツェ
アルベリッヒ:グスタフ・ナイトリンガー
ファフナー:クルト・ベーメ
エルダ:マルガ・ヘフゲン
森の小鳥:ジョーン・サザーランド

(1962年5月,10月 ウィーン・ゾフィエンザール 録音 DECCA)

171210b 年末恒例のNHK・FMのバイロイト音楽祭、今年は明日の夜7時から始まります。12日以降は夜9時からなのでタイマー無しで録音が可能です。今年はTVにつないでいる地上波デジタルのアンテナをFM/AMチューナーに接続の上、アンプを介してTASACAMのデジタルレコーダーでSDカードかCFカードに録音するべくスタンバイしています。チューナーの音を確認していると光ファイバー(テレビに付属するサービスでFMも聴ける)経由程ではないものの、雑音も少なめでましな方でした。今年の演目はマイスタージンガー、トリスタン、指環とパルジファルで、70歳を超えるヤノフスキの指環をとりあえず録音しておきたいと思いました。

171210 ワーグナーにどっぷり浸かって迎えた先月、11月にド・ビリー、グッドオールの指環と並行して聴いてDECCA-ショルティ、ウィーン・フィルらの指環から今回はジークフリートです。実はこのブルーレイ・オーディオは大分前に聴き終わっていたところ、アッシジ・ショックの影響で後回しにしていました。ショルティはコヴェントガーデンの音楽監督に就任してロンドンで指環を振るまではジークフリートを指揮したことはなく、ウィーン・フィルの方も戦後はまだ全曲演奏はしていなかったそうなので、この企画がこれ程成功したのはタイミングと、よく言われるプロデューサーらDECCAによるところが大きいというのも間違いじゃないだろうと思います。とりあえずブルーレイ・オーディ化されたものを聴いていると、これらが五十年以上も前の音源だとは思えない鮮烈さです。

 ジークフリートは1958年に録音された「ラインの黄金」の後しばらく中断され、その間にショルティがコヴェントガーデンに来ることが決まり、録音再開第一弾として録音されました。歌手の中では既に言い尽くされたことながら、ヴィントガッセンとニルソンは改めて凄いと思いました。同時にバイロイトをはじめ劇場公演のライヴ音源とは違うセッション録音の魅力というのもあると再認識しました。ただ、この録音に限らず効果音は必要無いと思いますが、指環全曲盤のレコードを制作するにあたって売れないのじゃないかと言う危惧の理由として、舞台の映像が無ければ分からない、退屈するだろうということへの対処らしく、あるいは当初はこれも販売に貢献したのかもしれません。

 ショルティの指揮はクナやグッドオールとは対照的ですが、「ライの黄金」の時よりは違和感は少なくて、独特のスタイルとして確立されつつあるところだと思いました。グッドーオールの伝記の中でデッカが指環全曲盤をセッション録音する際に、例えばクナッパーツブッシュのような19世紀生まれの劇場たたき上げの人物なら、完璧を期して何度も部分的に録り直したりする作業を理解しないということも大きかったとしています。また、ショルティはグッドオールのことを自分の好きなレパートリーしか指揮できないアマチュアとしか見ておらず、それはコヴェントガーデンのオーケストラ団員のグッドオール評(尊敬度)と似ていたようです。そもそも棒の振り方が分かりにくく、見えにくいので「もっと上げろよ」と怒鳴られることもあったとか。
18 11月

ジークフリート ド・ビリー、バルセロナ・リセウ劇場/2004年

171118aワーグナー 楽劇・ニーベルングの指環「ジークフリート」

ベルトラン・ド・ビリー 指揮
リセウ大歌劇場管弦楽団

ジークフリート:ジョン・トレレーヴェン(T)
ミーメ:グレアム・クラーク(T)
さすらい人:ファルク・シュトルックマン(Br)
アルベリヒ:ギュンター・フォン・カンネン(Br)
ブリュンヒルデ:デボラ・ポラスキ(S)
ファフナー:エリック・ハーフヴァーソン(Bs)
エルダ:アンドレア・ベーニヒ(A)
森の鳥:クリスティーナ・オブレゴン(S)

演出:ハリー・クプファー
装置:ハンス・シャフェルノッホ
衣裳:ラインハルト・ハインリヒ
照明:フランツ・ペーター・ダヴィッド

(2004年6月18,26日バルセロナ、リセウ大歌劇場 ライヴ収録 DENON/OPUSARTS

 今日はロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団の京都公演に行きました。23日のアッシジをひかえているので行く予定ではなかったところ、指揮がダニエレ・ガッティでスローテンポのパルジファルやら色々印象深い演奏があったので申し込みました。ハイドンのチェロ協奏曲第1番(タチアナ・ヴァシリエヴァ)、マーラーの第4番(マリン・ビストレム:S)というプログラム、素晴らしい演奏でガッティは今後注目の優先度が上がりました。マーラーは情熱的で濃厚な印象で、ガッティの声が所々耳にはいってきました。

171118b さて先日来視聴しているバルセロナのリセウ大劇場の指環四部作から今回はジークフリートです。これまでの二作品ではオーケストラ、声楽ともに圧倒的な威力で感嘆という風ではないものの、演出共々物語や人物の心情等が分かりやすくて惹きつけられます。今回は解説冊子にもふれられていたようにミーメのグレアム・クラーク(ラインの黄金ではローゲ役)の存在感が目立ちました。出番が多いから当然ながらアリア的な聴かせところは無いのに、さすらい人、アルベリヒ、ジークフリートとのやりとりが単調にならず歌謡調というのか、しっかりと歌になっていてきれい?でした。さすらい人(ヴォータン)、ミーメ、アルベリヒの三悪人はそれぞれ声、歌が個性的なので、これなら音声のみのCDだったとしても聴き分け易いだろうと思いました。

 今回は二階建て構造の舞台装置が効果的で、ミーメの工房、地下のエルダ、山上のブリュンヒルデの様子が印象付けられて良かったと思います。ただ、森の中やら洞窟の場面としてはあまりそれらしい風情が無くて、何となくシェローの演出(ブーレーズのやつ)がどんなだったかにわかに気になりました。ファーフナーの断末魔、変化が溶けた状態でも手が金属のハサミのような形状になっていて独特なスタイルでした(気のせいかファーフナーが善人に見える)。

171118 第三幕のブリュンヒルデとジークフリートの二重唱、そこに到達するまでジークフリートの出番が多いだけに大丈夫かと思いつつ聴いていると、そこ以前のところで苦しそうな箇所があったくらいで二重唱は立派なものでした。ジョン・トレレーヴェンの声、発声もちょっと癖があって決定的に美声という風ではないとしてもブリュンヒルデのポラスキにひけをとらない立派な歌唱だと思いました。ブリュンヒルデが目覚めて起き、動けるようになってからの動作、二人の演技は難しいだろうと思えて、今回の演出は結構二人が寝転んだりしてラストはジークフリートが上から覆いかぶさる体制で終わり、微妙な余韻です。サヴァリッシュのミュンヘン・オペラではやたらブリュンヒルデが飛び回る単調な動きを反復していて、それよりは自然な映像だとは思いましたが、「神々の黄昏」の旅立ちにつながるような爽快な姿で終わっているように見えず、かといいてどういう姿勢がいいのか分からないのでむつかしいものだと。
28 3月

ワーグナー「ジークフリート」 カイルベルト、バイロイト1953年

170328aワーグナー 楽劇・ニーベルングの指環「ジークフリート」

ヨーゼフ・カイルベルト 指揮
バイロイト祝祭管弦楽団

ジークフリート:ヴォルフガング・ヴィントガッセン 
ブリュンヒルデ:マルタ・メードル 
さすらい人:ハンス・ホッター 
ミーメ:パウル・キューン
アルベリッヒ:グスタフ・ナイトリンガー
ファフナー:ヨーゼフ・グラインドル
エルダ:マリア・フォン・イロスファイ
森の小鳥:リタ・シュトライヒ

(1953年7月28日 バイロイト祝祭劇場 ライヴ録音 Andromeda)

 年度末のドタバタもおさまってきて、今週はお昼に京響の五月定期のチケットを申し込んできました。ブルックナーの第5番なので二日続けて聴こうかと思いつつその頃にどんな状況かわからないのでいつも通り一日だけにしました。まだ二カ月くらい先なのにけっこう席は埋まっているので今後も要注意です(三月定期のマーラー第8番は発売後1時間くらいで二日とも完売だったので )。それにしても運動不足が警報レベル(健康診断の結果 ウッ)なので北山から烏丸御池まで歩いて帰ればちょうどいいんだと思いながらも早々に地下鉄のホームに急ぎました。

170328b さて1953年のバイロイト・カイルベルトの指環はジークフリートが残っていました。メードルと若々しいヴィントガッセンはやっぱり素晴らしくて、1964年までの指環でこの年が一二を争う充実度じゃないかと思いました。それではメードルは若くないのかとなりそうで、二人の年齢は2歳しか違わず共にこの年アラフォーでした(ちなみにヴァルナイはメードルより6歳若いらしい)。しかしヴィントガッセンは聴いていると奔放でジークフリートそのものに思えてきます。第三幕のブリュンヒルデとの二重唱も疲れ知らずな歌いっぷりで、終演後は盛大な拍手と歓声が起こっていました。

170328 三作目、ジークフリートのフィナーレからは指環があんな結末で幕を閉じるとは想像し難いものがあります。少なくとも次作でハーゲンの声を聴くまで、夜明けとラインの旅あたりまではそんな感じです。メードルとヴィントガッセンの陽性?な声からは特にそんな印象を受けます。一方でカイルベルトのテンポは所々でかなりはやいと実感するところがあり、第一幕のフィナーレ、「ジークフリート  wohin」と連呼するあたりはたたみかけるような勢いです。そのわりに第三幕の終わりは比較的おとなしめです。

 あらためて1953年のカイルベルト・指環を聴くと圧倒的な魅力なので、これまでは1956年のクナ・指環が一番じゃないかと思っていたのが揺らいでそれに並びます(1955年は高価なので聴いていない)。カイルベルトのジークフリートを聴いていると、四半世紀以上後のヤノフスキとシュターツカペレ・ドレスデンのセッション録音とどことなく似ているようにも思えて、その分歌手、歌唱がかなり変遷したのを痛感します。 あと、ミーメやアルベリヒ、さすらい人らも立派ですが、役について独自の思い入れがあれば違うキャストの方がいいとか色々あるはずです。

 さて、かなりネタ切れになっていることもあり、今月はあと一回だけ更新して4月と5月のクレンペラー降誕日くらいまではこっちのブログは休館することにします。 
23 12月

ワーグナー「ジークフリート」 クナッパーツブッシュ、バイロイト1957年

161223ワーグナー 楽劇・ニーベルングの指環 「ジークフリート」

ハンス・クナッパーツブッシュ 指揮
バイロイト祝祭管弦楽団 

ジークフリート:ベルント・アルデンホッフ
ブリュンヒルデ:アストリッド・ヴァルナイ 
さすらい人:ハンス・ホッター 
ミーメ:パウル・キューン 
アルベリッヒ:グスタフ・ナイトリンガー 
ファフナー:ヨーゼフ・グラインドル 
エルダ:マリア・フォン・イロスファイ 
森の小鳥:イルゼ・ホルヴェーク

(1957年8月16日 バイロイト祝祭劇場 録音 WALHALL)

 普段食べている米、以前は米穀店が配達する形態の買い方が普通だったと思います。それが平成に元号が変わる頃からそういう店自体が減っていき、スーパーで買うとか生産農家から直接買うとかいろいろになりました。酒や醤油、清涼飲料も同様(こっちは生産者から直売はあまり無い)で、注文を聞きにきて配達する店はかなり減りました。高齢化が進みまくって高齢者だけの世帯ばっかりの地域が増えると今さらながらそんな配達前提の店がありがたくなってきます。あと、石油ストーブの灯油なんかもついでに扱ってもらえると楽です。もう時計の針を逆に回すようなことは無理だと思いながら昭和40,50年代のことが思い出されます。「大和の置き薬」を扱う人が兼業農家なので米も扱っているそうで、農協の買入価格が安くて困るとか言っていたのからもう何年も経ちます。

161223a 今世紀に入ってクラシック音楽のソフト、特にCDが売れないと言われています。2000年とか2001年くらいは自分がクラシック音楽から遠のいていた時期でいたが、やがてワーグナーだけはとかブルックナーだけはと思って再びCDを購入している内にもとに戻って、処分したCDと同じものを買い戻すことになりました。最近は古い録音をSACD仕様で再発売するケースが増えています。クナッパーツブッシュが指揮した1957年のバイロイト音楽祭の指環四部作も今年SACD化されました。高価であり、クナのフアンでもないのでさすがにあらためて購入はしませんがこういう古いライヴ音源にもSACD・高額路線に組み込まれるのかとちょっと驚きました。多分40代よりももうちょっと上の層に多そうなフアン(ヲタとか信者と呼ぶのが憚れそうな)をターゲットにしているのでしょう。

 その再発売の広告の文章の中には1957年の指環をクナがバイロイトで指揮した同作品中で「もっとも出来が良く、夢のような豪華歌手陣をそろえて魅力的」と評しています。一方でオーケストラを含めて完成度が一番高いのが1958年だったという意見をどこかで読んだことがありました。自分が最初に購入してよく聴いていたのがオルフェオからの1956年だったので、そういう意見を見ると気になって結局三年分を聴いてしまうことになりました。

 今回のジークフリートで一番目立つのはアルデンホッフが1952年以来でジークフリート役を歌っている点です。ちなみに1956年と58年、それに1953年と55年のジークフリートはヴィントガッセンが歌っていました。この作品はつい第三幕のフィナーレ、ブリュンヒルデとジークフリートの二重唱を連想しがちで、その点はヴァルナイとアルデンホッフの二人は文句なしに素晴らしいと思いました。ずっと後年のハイティンクのセッション録音で共演したイェルザレムとマルトンをもっと美しく、安定感を増したような歌唱で圧倒的です(イェルザレムのジークフリート、エヴァ・マルトンのブリュンヒルデもそこそこ気に入っていた)。

 その他ではパウル・キューンのミーメも好演なのでこれは舞台上での姿、演技もきになります。オーケストラの方はなんとなく1958年の方が精度が上がってる気もしますがよく分からず、こっちもクナらしいワーグナーになっています。 やっぱりSACD化の対象になっただけのことはあるのかと思いました。
18 12月

ワーグナー「ジークフリート」 ケンペ、バイロイト1962年

161218bワーグナー 楽劇・ニーベルングの指環「ジークフリート」

ルドルフ・ケンペ 指揮
バイロイト祝祭管弦楽団

ジークフリート:ハンス・ホップ(T)
ミーメ:エーリヒ・クラウス(T)
さすらい人:オットー・ヴィーナー(Br)
アルベリヒ:オタカール・クラウス(Br)
ファフナー:ペーター・ロート=エーランク(Bs)
エルダ:マルガ・ヘフゲン(A)
ブリュンヒルデ:ビルギット・ニルソン(S)
森の小鳥:インゲボリ・モウサ=フェルデラー(S)

(1962年7月30日 バイロイト祝祭劇場 ライヴ録音 MYTO)

161218a このところ、まだ暑い時期に書きかけてそのままになっていたCDとかの回を消化してUPしてきましたが、それもようやく片付きました。そうしたところで年末にバイロイト音楽祭の放送があることを思い出し、そっち系のムシが脳内で蠢動しはじめました。それでワルキューレまでで止まっていた1962年のバイロイト、ケンペ指揮の指環は今年中に終わらせようと思いました。このCDは1960年代のわりに音が良くなくて、冒頭からラジオ放送を録音したような雑音やら混信らしき別音がきこえます。終始その調子ですが、それでも声楽、オケともに鑑賞にたえるかな、くらいには聴こえます。ケンペがバイロイト音楽祭で指環四部作を指揮したのは1960年から1963年までで、その演出は各年ともにヴォルフガング・ワーグナーでした。それら4年分のうち1963年以外は一応全曲録音が出ています。

161218 さて、気を取り直して1962年の「ジークフリート」、ヴィントガッセンではなくハンス・ホップ(Hans Hopf 1916-1993年)が3年続けてジークフリートを歌い、ブリュンヒルデも1960年から3年連続でニルソンが歌いました。ホップがバイロイトで歌った時期は1951年から1964年までなので、ヴィントガッセンとも重なり、ケンペとの指輪が最後の見せ場くらいです。音質がぱっとしないこのCD、歌手はみな見事ですが特にホップが目立ちました。声、歌唱はアルデンホッフとかズートハウスに似た感じもして、硬派というのかヴィントガッセンのジークフリートよりも老成したような印象です。男声ではオットー・ヴィーナーのさすらい人(ヴォータン)が迫力も品位もあって印象的でした。

 ショルティとウィーンフィルらによる指環四部作の内、ジークフリートは同じ年にバイロイト音楽祭を挟んで5月と10月に録音されました。ニルソンもそれにブリュンヒルデ役で参加していましたが、出番の第三幕が5月か10月のどちらに録音したのか分かりませんが、このCDを聴くとセッション録音と舞台上での歌唱との違いに気が付くかもしれません(ショルティ・DECCAはヴィントガッセンと二重唱)。ケンペの指揮はクセが無いというのか、流れが滞るように感じるところは無くて、つい歌手の方に集中しがちです。今回の録音はもうちょっと音質が良かったらと、森のささやきのところとかは特に思いました。

  さて、「ニーベルングの指環」のCDは過去に何度も取り上げました。その中で「指『輪』」という表記になっている箇所がありました。気が付けば直したところもありました(しかし、三位一体の聖霊を精霊と表記するくらい間が抜けている?)が、それでもまだ残っています。一旦間違って、それをコピー・ペーストを繰り返して量産されたということだと思いますが、タイプして入力した箇所もあるのに打っていて気が付かなかったことに違いはありません(でも、中には指輪と表記している著作もある)。
22 9月

ワーグナー「ジークフリート」 ティーレマン、ウィーン・2011年

160922aワーグナー 楽劇・ニーベルングの指環 「ジークフリート」

クリスティアーン・ティーレマン 指揮
ウィーン国立歌劇場管弦楽団

ジークフリート:ステファン・グールド(T)
ブリュンヒルデ:リンダ・ワトソン(S)
さすらい人:アルベルト・ドーメン(Br)
アルベリヒ:トマス・コニエチュニー(Br)
エルダ:アンナ・ラーション(A)
ミーメ:ヴォルフガング・シュミット(T)
ファーフナー:アイン・アンガー(Br)
森の小鳥:ヒェン・ライス(S)

(2011年11月 ウィーン国立歌劇場 ライヴ録音 DG)

 きょうは日本の統一プロバスケットリーグ、Bリーグの開幕試合が地上波のテレビで中継されたので試合開始から観ていました。アルバルク東京(前身はトヨタ)が琉球ゴールデンキングスをおさえて記念すべき1勝をあげました。後者はbjリーグ時代に地元京都が負けているスコアを見た記憶が何度かあるので名前は知っていました。競技経験者でもなんでもないので具体的なコメントはありませんが、それでも試合を観ていて面白いものなので定期的に地上波で中継してほしいと思いました(個人的にはゴルフとかテニスよりは)。そういえばリオ五輪に男子代表は出場を逃していたので、リーグ統一を機に飛躍を期待します。それにしてもフリー・スローはプロ選手でもそこそこ外すものなんだとしみじみ思いました(サッカーのPK以上に余裕そうに見えるのに)。

160922b さて、このジークフリートはティーレマン指揮のウィーン・シュターツオーパの公演をライヴ録音したCDで、今のところ映像ソフトは出ていないようです。 これより前に出ていたトリスタンやパルジファル同様にネット上で見たCDのレビューはあまり芳しい評判ではなくて、音質が単に記録しただけという域を出しないというコメントも見かけました。実際に聴いていると特に第1幕はマイクが遠いというか、特設会場の後ろの方で聴いているような感じでした。それでも第三幕になると慣れもあってか演奏に集中できるようになります。実はこの指環のCDは先月のクソ暑い時期に聴いていましたが、ヤノフスキのSACDを聴いた直後だったのでこうした音質にちょっと戸惑ってしばらく置いていました。

 歌手の中ではヤノフスキ盤でもジークフリートを歌ったグールドが目立ちました。最後の二重唱のところでも休養十分なはずのブリュンヒルデにひけをとらず、ジークフリートらしい(神々の黄昏に登場するジークフリートよりもこっちの方がより似つかわしい)歌唱 に惹かれました。ブリュンヒルデの方は声だけを聴いていると何となくジークフリートの保護者、ママのようにもきこえて微妙な感じです。物語の設定からすればこれくらいの差でちょうど良いのかもしれないと思いながら二重唱を聴いていました。

 ティーレマンの指揮はバイロイトでも何度も振っているだけあって、いまひとつな音質でも魅力的です。ヤノフスキが直線的に刈り込んだ庭木だとすれば、より変化、陰影を感じさせる音楽といった印象なので、これを劇場の席で観て聴けていたら良かっただろうと思いました。 終演後の拍手は盛大なもので、バイロイトで時々みられるブーイングは入っていませんでした(拍手や歓声は編集、カットによるものでもないはず)。
20 8月

ワーグナー「ジークフリート」 ヤノフスキ、ベルリンRSO・2013年

160820ワーグナー 楽劇・ニーベルングの指環 「ジークフリート」

マレク・ヤノフスキ 指揮
ベルリン放送交響楽団

ジークフリート:スティーヴン・グールド(T)
さすらい人-ヴォータン:トマシュ・コニェチュニ(Br)
ブリュンヒルデ:ヴィオレータ・ウルマーナ(S)
ミーメ:クリスティアン・エルスナー(T)
エルダ:アンナ・ラーション(A)
ファーフナー:マッティ・サルミネン(Br)
アルベリヒ:ヨッヘン・シュメッケンベッヒャー(Br)
森の小鳥:ゾフィー・クルスマン(S)

(2013年3月1日 ベルリン・フィルハーモニー  ライヴ録音 Pentatone)

 甲子園の高校野球、五輪が終わりに近づいているのにこの暑さ、台風が接近して湿った空気が流れ込んでいるとか。夕べは京響の定期に行き、すばらしいショスタコーヴィチの交響曲第4番を聴けましたが客席でもこきざみに汗を拭いているしまつでした。 ロジェストヴェンスキーは第4番をショスタコーヴィチの交響曲中で最高傑作と評しているそうですが、生で聴いていてその見解にもなるほどと思いました。それにしても夜になってもまだ秋の虫の声がきこえない(そのかわり蚊も死に絶えたか)くらいの残暑、地下鉄の北山駅の最寄出口が階段なのが苦痛なくらいでした。

 さて、ヤノフスキ、ベルリンRSOの指環の最終回、「ジークフリート」ですが、ブリュンヒルデとジークフリートの二人は「神々の黄昏」 とはキャストが違っています。どっちかに統一すれば良かったとも思いますがこういうパターンは他にもありました。ジークフリートのスティーヴン・グールドはランス・ライアンほど癖のある、アクの強い声じゃないので「神々の黄昏」よりはこっちの方が似合いそうでした。ただ、第三幕最後の二重唱はオーケストラの音響に埋もれそうでやや弱々しく聴こえたのが残念です。実際の舞台で聴けばこれくらいになるのかとも思いますが、この録音も編集(一発録りではないはず)するならそこだけ別テイクにするとかできたのにと思いました。ただ、ブリュンヒルデのヴィオレータ・ウルマーナが目立ち過ぎとまではいかなかったので、元々二重唱だけを特に派手にする意図は無かったかもしれないと思いました。

  出番の多いミーメのクリスティアン・エルスナーは日本でパルジファルを歌ったくらいなのでもうちょっと違った歌唱かと思ったら、けっこうコテコテのミーメでした。元々声が裏返るような笑いも含まれる役なのでこういうものなのでしょう。サルミネンがここでも30年前のヤノフスキの録音と同じ役を歌っているのは驚きです。さすらい人(ヴォータン)のトマシュ・コニェチュニは「ラインの黄金」ではちょっと軽い印象でしたが、ここではあまり違和感はありません(枯れた印象でもないけれど)。

 既に「神々の黄昏」も聴いていますが、四部作を通じてかなり感動的で、ラインの黄金もライン姫のもとに戻ってワルハラ城が炎上した後に新しい世界が芽吹くような清々しさで完結した印象でした。演奏を聴いた印象では「神々の黄昏」の世界がかなり肯定的に捉えれているようで、こじつけると「人々の夜明け」というものを連想できました。クレンペラーは(というかニーチェがそう考えていた)指環の結末を虚無的なものだと指摘していましたが、その見解とは対照的に感じられます。
7 5月

ワーグナー「ジークフリート」 カイルベルト、バイロイト1952年

160507bワーグナー 楽劇・ニーベルングの指環「ジークフリート」

ヨーゼフ・カイルベルト 指揮
バイロイト祝祭管弦楽団

ジークフリート:ベルント・アルデンホッフ
ブリュンヒルデ:アストリッド・ヴァルナイ
さすらい人:ハンス・ホッター
ミーメ:パウル・キューン
アルベリッヒ:グスタフ・ナイトリンガー
ファフナー:クルト・ベーメ
エルダ:メラニー・ブルガノヴィッチ
森の小鳥:リタ・シュトライヒ

(1952年8月14日 バイロイト祝祭劇場 ライヴ録音 ARCHIPEL)

 NHKの「ブラタモリ」のロケ地が京都市伏見区の桃山だったので閉鎖された遊園地「伏見桃山キャッスルランド」も映っていました。遊園地のシンボルとして城郭の一部が再建されたもので、当時は展望台的なものだったのを思い出しました。中学生の頃、同級生のデートの付添員として何度かその遊園地に行ったもので、高い所が苦手なのにジェットコースターやらを乗りまくってヘロヘロになりました。それにしても男女とも付添には自分達よりも不細、否、目立たない者を選ぶものでその絶妙さには感心します。そもそも何故一対一で出かけないのか、今から考えると歯がゆいものですが、補導されたり、ヤンキー系に絡まれたりする危険があってのことだったのでしょう。キャスルランドは近鉄系の施設でしたが、他にもあやめ池の遊園地も閉鎖され、遊園地という施設はめっきり少なくなりました。

160507a さて、先日5月3日の「ワルキューレ」に続いて1952年のバイロイト音楽祭の指環四部作から「ジークフリート」です。ちょうど前年のクナ指揮の「神々の黄昏」を堪能したところなのでカイルベルトの指揮、特徴がいっそう目立って聴こえます。カイルベルトの息子、トーマス・カイルベルトは2007年にウィーンで父の伝記作品「ヨーゼフ・カイルベルト:20世紀を生きた1人の指揮者」を出版していて、その中からCDの解説等によく引用されています。それによるとカイルベルトのワーグナーは当初(ということは正に1952年のバイロイト音楽祭か)不評で、批評家からは「早送り映画」と喩えられたそうでした。伝統的なスタイルの演奏、当時若手(というかカイルベルトと同じ年の生まれ)のカラヤンよりも速い、速すぎるということでそんな風に言われたわけですが、今録音を聴いてみても確かにえらく速いと思う部分はありました。

 第一幕の最後、ノートゥングを鍛えなおして走り去るジークフリートにミーメも慌てて Siegfried! Siegfried! Wohin? と呼びかけるあたりは歌手も大変かもしれない速さのテンポで、ある意味圧倒されます。その伝記からの引用と推測される解説によると、カイルベルトのワーグナー演奏はフェリックス・モットル(カイルベルトと同じくカールスルーエ歌劇場の音楽監督)とリヒャルト・シュトラウスの伝統を受け継ぐとされています。だとすれば1953年にカイルベルトと指環の指揮を分け合ったクレメンス・クラウスと通じるものがあるはずです。それにリヒャルト・シュトラウスはクレンペラーがベルリンのクロル・オペラでオランダ人を上演する際にドレスデン初演版に拠るように助言した程なので、ワーグナー作品にも独自の見識があったことと思われます(ナチ時代のワーグナー観を是としたわけじゃなさそう)。

 キャストは翌1953年にはジークフリート、ブリュンヒルデが交替(翌年はヴィントガッセンとメードル) しますが、さすらい人、ミーメ、アルベリヒと小鳥は引き継がれています。アルデンホッフのジークフリートは第三幕の後半でも輝かしくてヘルデンテノールらしい力強さが魅力的です。レコード、CDのフアンの間ではヴィントガッセンの名声に隠れた格好で、彼以前のテノールの情報、評等は少ないのが少々残念です。ただ、そもそもジークフリートという役柄はどういう性格、要素が必須なのか、声質とかタフさ以外の面で今一つ分りにくいものがあります。ジークムントなら終始戦いの中にあってジークリンデを気遣う人間らしさが見られるので、イタリアオペラ的な目でも分り易いと思います。それに対してジークフリートは未熟な器に超人の力が盛られたような危うさがあり、およそ何的なと並び形容できるものが見つかりません。そうだとしてもこの録音ではノートゥングを直して、ファーフナー、ミーメ、さすらい人にも負けない行動がよみがえる迫真の歌唱が爽快です。アルデンホッフとヴァルナイの二重唱も見事です。
6 2月

ワーグナー「ジークフリート」 ブーレーズ、バイロイト1980年

160110aワーグナー 楽劇・ニーベルングの指環「ジークフリート」

ピエール・ブーレーズ 指揮
バイロイト祝祭管弦楽団

ジークフリート:マンフレート・ユング 
ブリュンヒルデ:ギネス・ジョーンズ 
さすらい人:ドナルド・マッキンタイヤ 
ミーメ:ハインツ・ツェドニク 
アルベリッヒ:ヘルマン・ベヒト 
ファフナー:フリッツ・ヒューブナー 
エルダ:オルトルン・ヴェンケル 
森の小鳥:ノーマ・シャープ 

(1980年7月 バイロイト祝祭劇場 ライヴ録音 PHILIPS)

 録画した正月以降の番組を徐々にブルーレイディスクに移していて、正月三日のニューイヤーオペラがまだだったので各曲ごとにトラック分けし出したところで呼び鈴が鳴り、誰か来たと思ったらそうではなくて間違いかピンポン・ダッシュ(ゴルア)だったかもしれません。録画整理はそこで止めてしまい、また明日にでもと。ニューイヤー・オペラは藤村さんが出演した去年とは違い今年はワーグナー作品は無しでした。今年はオルガンのコーナーがありましたが、誰もワーグナーを歌わないならせめてオーケストラ曲、例えばリエンツィ序曲でもやればと少々さびしく思いました。あと相棒スペシャル、信長燃ゆ、能・石橋がHDに残っています(録画しても去年の相棒とかもう一回観たか??)。

 さて、 ブーレーズの訃報以降に聴いているバイロイトの指環、これで三作品目になります。聴きだしてまず、ミーメのハインツ・ツェドニクの声が若々しいのに感心しながら同時に半端ではない小物ぶりに圧倒?されます。これでジークフリート、さすらい人、アルベリヒと渡り合う場面は性格が際立ち過ぎるかと思ったら、先へ行くにつれて抑え目でちょうどいいバランスだと思いました。ノートゥングが鍛えあがって修復が成った時の入り混じる歓声、笑い声は不気味でもなくて何か屈託無くきこえます(ジークフリートに毒をもろうとするところは笑い過ぎか)。ライヴでも客席の音は入っていないので反応は分らず、今さらながら映像の方も気になります。

 ワーグナーの 管弦楽曲集というLP、CDの場合はジークフリートからは「森のささやき」くらいです。この部分、曲は特に好きなのに楽劇の全曲盤の中で聴いているとあまり集中しないで聴き流してしまいます。ブーレーズの場合もそんな感じになりましたが、全曲が何とかCD3枚に収まるくらいの速めの演奏ながら独特の熱気?もあり、ジークフリートでは特に好感を持ちました。フィリップスとかメジャー・レーベルから出た正式音源のバイロイトの指環を最初に購入して聴いたのはベーム指揮のものでした。それは1966~67年の録音で、舞台上の足音等がはっきりきこえたのとややこもったような音質が印象的でした。それよりも10年以上も新しいこともあってかブーレーズの指輪の方はずっとシャープで、鋭角的な響きにきこえます(ブリュンヒルデが目覚めるところはスーパーマンが飛んできそうでちょっと軽い)。

 この作品は自分の中ではついフィナーレの二重唱部分に関心が行き、そこが圧倒的だったらOKのように思ってしまいます。その部分も長時間には違いないとしても、物語進行に占める時間はわずかなのだというのをこの録音で再認識しました。別に ギネス・ジョーンズとマンフレート・ユングの二人が印象が薄いわけじゃなく、特に前者はバイロイトにデビューがだいぶ経つのに見事な声だと感心します。物語の設定上のブリュンヒルデとジークフリートの年齢、というのか存在の質を改めて思うとこの二人の声はちょうど良いバランス(年齢はさて置き)かもしれません。ユングはこの録音以外で主要なキャストで名前を見ないのでちょっと残念です。
29 1月

ワーグナー「ジークフリート」 クナッパーツブッシュ、バイロイト1958年

160129ワーグナー 楽劇・ニーベルングの指環「ジークフリート」

ハンス・クナッパーツブッシュ 指揮
バイロイト祝祭管弦楽団

ジークフリート:ヴォルフガング・ヴィントガッセン
ブリュンヒルデ:
アストリッド・ヴァルナイ
さすらい人:ハンス・ホッター
ミーメ:
ゲルハルト・シュトルツェ
アルベリッヒ:フランス・アンダーセン
ファフナー:ヨーゼフ・グラインドル
エルダ:マリア・フォン・イロスファイ
森の小鳥:ドロテア・ジーベルト

(1958年7月30日 バイロイト祝祭劇場 録音 WALHALL)

 ブーレーズのバイロイト・指環と並行して聴いてきた1958年のバイロイト・指輪から今回はジークフリートです。この一週間くらいの寒波直前にはこの指環をBGM的に流したりしていましたが(電話がかかってこなくなる時間帯から)、急激に冷え込むとなぜか独奏ヴァイオリンとか小編成の室内楽の音が恋しくなりました。生理学的に何か理由があるのかどうか、こういう嗜好ね変化は釣りの餌の場合も当てはまるかもしれません。地元の川魚専門店に鰻を買いに行くと、昔から正月に好まれる子持ち鮒の甘露煮がまだ売っていました。びわ湖のにごろ鮒なのか、この時期に釣るのは至難のわざだろうと思って見ていました。

 WALHALLから出た1958年の指環は各作品ともに拍手が入っていますが、今回のジークフリートは一番盛大な拍手を受けていました。それはフィナーレでのヴィントガッセンとヴァルナイの二重唱がカロリー満点?で圧倒されるからだけでなく、第一幕のシュトルツが歌うミーメとジークフリートのやりとりも魅力的で最初から最後までこの上も無く充実しているからだろうと思いました。ワルキューレやラインの黄金の終演後の拍手は控えめだったのは意外でしたが、当時は毎年これくらいはやっていた、あるいは収録した回に限って地味な反応だったのかもしれません。

 クナッパーツブッシュの指揮はワーグナー作品以外は個人的に特に好きなものは無くて(そんなに多く聴いていないこともある)、ブルックナーの交響曲も特別に感銘深いとまではいかないと思っていました。ちょうど1950年代後半にブルックナーを録音していたはずですが、このジークフリートはそれらと単純に比べようもないとしても、柔軟で隅々まで行き届いて魅力的です。森のささやき等の場面はあまりクナッパーツブッシュ的じゃないという先入観を勝手に持っていましたが、全くそんなことはなく、認識を新たにしました。

 何年前だったかレコ芸の指輪特集の記事で、バイロイトの指環中で各演目の最高の年、各主要キャスト中で最高の歌手を挙げるというコーナーがありました。複数の選者が書いていたと記憶していますが、1958年の指環からは唯一「ラインの黄金」があがっていました。一方でブリュンヒルデはニルソンが一位になっていて、ヴァルナイやメードルじゃないのかと少々意外に思って眺めていました。その企画では革命的、希少性からか、ブーレーズの方が大々的に取り上げられていました。
25 10月

ワーグナー「ジークフリート」 バレンボイム、バイロイト

151022ワーグナー 楽劇・ニーベルングの指環「ジークフリート」

ダニエル・バレンボイム 指揮
バイロイト祝祭管弦楽団
バイロイト祝祭合唱団
(ノルベルト・バラチュ指揮)

ジークフリート:ジークフリート・イェルザレム
ブリュンヒルデ:アン・エヴァンス
さすらい人:ジョン・トムリンソン
ミーメ:グレアム・クラーク
アルベリッヒ:ギュンターフォン・カンネン
ファフナー:フィリップ・カン
エルダ:ビルギッタ・スヴェンデン
森の小鳥:ヒルデ・ライトランド


演出  ハリー・クプファー     
舞台美術  ハンス・シャフェルノッホ  
衣装  ラインハルト・ハインリッヒ


(1991年6,7月 バイロイト祝祭劇場 TELDEC)

 プロ野球のドラフト会議と日本シリーズが終われば石油ストーブをつける季節になり、自分の好きな気候に突入です。シリーズもまだ二戦目が済んだところで「終われば」等と、ホークスのフアンでもないのに気の早いことです。ただ、スコア以上にスワローズの完敗の色が濃くて、何とか七戦はやってほしいところです。ナイマン、ドイルの両外国人が大阪市営地下鉄で球場へ通ってた頃は「南海ホークス」の末期に当り、えも言われないしょぼいイメージだったのが、シーズン90勝してシリーズも連覇しようかという勢いは眩しい限りです。

151025 前回に続いてバレンボイムのバイロイト・指環から、三夜目のジークフリートです。このセットはCD(14枚組)よりも安かったブルーレイ4枚組ながら、画質も音質も普通に鑑賞できるものでした。ただ、音声をDTS5.1にしているのに再生中、勝手にステレオに変わってたり、「ラインの黄金」で一部再生が静止する箇所がありました(最初再生した時にはそうならなかったから、機器側に問題があるかもしれない)。そうした細かいことは別にして、これら指輪はバレンボイムのワーグナー録音の中でも屈指の演奏じゃないかと思います(CDの方が全く同一の音源ならそっちの方の音は良いのかどうか)。

 第一幕冒頭で最初に映ったのはミーメじゃなくてミーメの家の周りをうろつき様子を窺うアルベリヒでした。それにさすらい人と化しても脂ぎって枯れないヴォータンも同じようにミーメ邸を探っている体でうろついています。因縁の二人が出歯亀化する演出も他に記憶は無くて、良い方に解釈すれば物語の連続性ともはや二人の手から主導権は離れたことが現れています。歌手の方では「ラインの黄金」ではローゲ役だったグレアム・クラーク がミーメを歌い、彼とジークフリート・イェルザレムのジークフリートが素晴らしく、二人のやりとりは魅力的でした。イェルザレムは他の録音でもジークフリートを歌っていますが今回が一番きれいに声が出ているようで、第三幕の二重唱でも大しておとろえを見せていません(ゲネプロとかを組み合わせているのかもしれないが)。他のキャストも見事で、さすらい人 VS ミーメ、さすらい人 VS アルベリヒ も音楽的な魅力も感じられました。ファーフナーは最後は変化を解いて中の人が現れていました。

 この指環は基本的にシンプルなセットを使って舞台上には広めのスペースを残しているので歌手はけっこう動きが多いのが目を引きます。第一幕のミーメの家(ロケットか潜水艦の残骸のような筒状)や第二幕の森は大きなセットが占めています。第三幕の第三場は、ワルキューレのフィナーレで見られた赤い線の直方体状の結界に囲まれたブリュンヒルデが印象的でした。長い二人きりの場面はブリュンヒルデとジークフリートが離れている時間も多くて、あまりベタベタしないのが効果的だったと思います。アン・エヴァンスのブリュンヒルデはそんなに圧倒的な声でなかったものの(出番は最後だけなのに)、イェルザレムも引き立って良かったと思います。既に出回る評によれば、四部作全部を通して観てはじめてこの演出の趣旨が分かるらしく、当時の世相も反映しているようです。それから二十三年後に観るとどう感じることか。

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昭和40年代生まれ、オットー=クレンペラーの大フアンです。クレンペラーが録音を残したジャンルに加え、教会音楽、歌曲、オペラが好きなレパートリーです。

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