raimund

新・今でもしぶとく聴いてます

モーツアルト・魔笛

11 1月

魔笛 ツィザーク、スミ・ジョー、ショルティ、ウィーンPO/1990年

200111モーツァルト 歌劇「魔笛」K.620

サー・ゲオルグ・ショルティ 指揮
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
ウィーン国立歌劇場合唱団(合唱指揮:ヘルムート・フロシャウアー)
ウィーン少年合唱団(合唱指揮:ペーター・マルシキ)
マインハルト・ニーダーマイヤー(フルート・ソロ)

夜の女王:スミ・ジョー(S)
パミーナ:ルート・ツィーザク(S)
タミーノ:ウヴェ・ハイルマン(T)
パパゲーノ:ミヒャエル・クラウス(Br)
パパゲーナ:ロッテ・ライトナー(S)
第一の侍女:アドリアンヌ・ペジョンカ(S)
第二の侍女:アネッテ・キューテンバウム(S)
第三の侍女:ヤルト・ヴァン・ネス(Ms)
ザラストロ:クルト・モル(bs)
モノスタトス:ハインツ・ツェドニク(T)
弁者:アンドレアス・シュミット(Bs)

(1990年5,12月 ウィーン コンツェルトハウス大ホール 録音 DECCA)

 昨年の11月末に「大勲位」こと中曽根元総理逝去のニュースが流れました。中曽根内閣の頃に自分は選挙権が無かったのに中曽根総理の顔と名前は強く印象に残っています。小学生の頃、大平総理か鈴木総理誕生前の総裁選の報道で某夫人が「中曽根がニクイです」と叫んだという話が妙に子供心に突き刺さり、同じ政党の人間同士なのにと思ったことがありました。元号が昭和の時代ですが当時と比べて色々便利になった反面、何か盛り上がらないような正月の終わりに左義長の後始末を始めるような抜け殻感が漂うのは何故だろうと思います(歳のせいか?、世の中衰退しているのか?)。

 さてモーツァルトの魔笛、ドイツ語による歌劇(Singspiel
)ということで全く音楽を伴わない台詞だけの部分があり、全曲盤と銘打ってもそれを省いたものもありました。ショルティの旧録音はセリフ部分の大半は歌手ではなく、別人を充てていました。このCDはその旧録音から二十年以上経った再録音です。ショルティはコジ・ファン・トゥッテとドン・ジョヴァンニと魔笛は再録音していますが、魔笛は旧録音の方が好評だったようです。

 年明けから何度か聴いていますがまず気になったのは、雷等の効果音が大きすぎてびっくりするので、全体的に映画のサントラ盤のような感じになり、デジタル録音の世代だからこんなものかと思いつつも微妙な印象です。反面ショルティ指揮のオーケストラはなめらかになり、ウィーン・フィルらしさがより前面に出ているかな(?、旧録音は聴き直していないので)と思いました。歌手の方はパミーナ、タミーノが特に目立っていましたが、夜の女王のスミ・ジョーも好印象です。

 彼女は他の録音でも夜の女王を歌っていたり、アリア集のようなものもあったかもしれませんが、FMで何度か聴いてあまり好きではなく、シェリル・スチューダーと並んで有名でありながら自分の好みではない歌手の双璧くらい(勝手に言ってろ)だった時期がありました。今回聴いていて何故そういう印象だったのかと考えていると、第二幕で歌う「復讐の炎は地獄のように我が心に燃え」の中でザラストロの名前を一気にはやく言ってしまうところが窮屈で、味気ないと思ったのも思い出しました。ザロストロ殺害を命じるところなので、ためというか感情をこめて歌った方がと思ってのことですが、それは昔聴いたルチア・ポップの夜の女王が強烈に印象付けられているからでしょう。
16 11月

ルチア・ポップのパミーナ/魔笛 サヴァリッシュ,ミュンヘン

171116モーツァルト 歌劇「魔笛」K.620 

ヴォルフガング・サヴァリッシュ 指揮
バイエルン国立歌劇場管弦楽団
バイエルン国立歌劇場合唱団(合唱指揮ギュンター・シュミット=ボレンダー)

パミーナ…ルチア・ポップ(S)
タミーノ…フランシスコ・アライサ(T)
夜の女王…エディタ・グルベローヴァ(S)
ザラストロ…クルト・モル(Bs)
パパゲーノ…ヴォルフガング・ブレンデル(Br)
パパゲーナ…グットラン・ジーベル(S)
弁者…ヤン=ヘンドリック・ローテリング(Bs)
モノスタトス…ノルベルト・オルト(T)、他

演出:アウグスト・エヴァーディング
舞台装置,衣装:ユルゲン・ローゼ

(1983年9月19,20 ミュンヘン, ライヴ収録 DG)

 衆議院選挙が終わっても選挙前からあったスキャンダルネタはまだくすぶっています。それはさて置くとして、国会での質問時間配分を変更して野党分を短くするという方針が出てきました。これは意外というのか、国会での質問攻勢がそこそここたえていたのか?と、いつもかみ合わないやり取りに慣れているので少々不思議でした。あるいは憲法改正案についてできるだけ突っ込んだ質問を回避したいとか、一気に突破したいということのあらわれなのかと庶民側は気をもまされます。与党の憲法草案は何となく領主が領民に告げる高札のような響きを帯びてどこかしら不快さがこみあげてきます。親孝行とか子をおもう親心、主従の忠節なんかは万葉集、鉢の木物語の頃に現れているのに、明治政府が出した勅語を取り沙汰しなくてもとしみじみ思います(あと、古来の軍法では大将が首を差し出す代わりに城兵の命は助けるというのがあったのに、帝国軍は・・・)。

171116a 今日11月16日はスロヴァキア出身のソプラノ歌手、ルチア・ポップ(Lucia Popp 1939年11月12日 - 1993年11月16日)の命日でした。ちなみに昨日は坂本龍馬の誕生日にして命日だったそうです。ということでポップの誕生日、命日シリーズの一環で今回は彼女がミュンヘン・オペラの魔笛でパミーナを歌って演じた公演の映像ソフトです。サヴァリッシュやモル、グルベローヴァらのことはそこそこにして、ルチア・ポップに注目する回ということで。モーツァルトの魔笛はポップのレコードデビューだった作品であり、その際にはパミーナじゃなく夜の女王でした。夜の女王のアリアは高音・難曲(ハイFまで出すとか)ながら出番は多くは無いのでポップがパミーナ役で好都合でした(夜の女王はメイクもどぎつい)。

171116b この公演でのポップのパミーナは、パパゲーノとのやりとり、重唱的な場面が面白くて歌だけでない演技の方でもいい味が出ていました。彼女は一人で複数役を担当して連続して舞台に出たことがあったとどこかで読んだことがありましたが、これを観ていると魔笛でもそれはやれそうかなと思いました(あるいは魔笛で実際そうした経験があったか?)。夜の女王がグルベローヴァでポップはパミーナというキャストはハイティンクのセッション録音と同じでした。グルベローヴァの方はこの公演では少々きつそうで、やっと歌い切っているという印象でした。一方のポップのパミーナはセッション録音よりもこちらの方が生き生きとして聴こえ、作品の中のパミーナの魅力を再確認しました。

 そんな調子なのでハイティンク指揮の魔笛を聴き直したくなりました。実はポップのデビュー盤でもあったクレンペラーの魔笛は、自分が最初か二つ目くらいに購入したオペラのレコードだったのでかなり強烈に刷り込まれていました。だから魔笛なら「夜の女王=ポップ」という先入観が長らくあって、このソフトも含めてポップがパミーナの方に移行したのを残念に思っていました。なお、この公演の演出は上演時より十年くらい前のもので全体的にメルヘンチックになっていますが、パミーナの衣装は濃い青、地味な色なのが少々残念です。あとパパゲーノの容姿、衣装ヤメイクが二枚目系なのでタミーノがちょっとかすみそうで、かわりにドタバタ感が後退している印象でした。サヴァリッシュや他の歌手についてはまたの機会があれば(実は魔笛はそれほど好きじゃないもので)コメントしようと思います
19 3月

魔笛 ゼーフリート、リップ、クンツ、カラヤン、VPO/1950年

170319モーツァルト 歌劇「魔笛」

ヘルベルト・フォン・カラヤン 指揮
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
ウィーン楽友協会合唱団

タミーノ:アントン・デルモータ(T)
パミーナ:イルムガルト・ゼーフリート(S)
パパゲーノ:エーリヒ・クンツ(Br)
パパゲーナ:エミー・ローゼ(S)
夜の女王:ヴィルマ・リップ(S)
ザラストロ:ルートヴィヒ・ウェーバー(B)
弁者:ジョージ・ロンドン(B)
モノスタトス:ペーター・クライン(T)
 ~ 三人の侍女 ~
セ-ナ・ユリナッチ(S)
フリーデル・リーグラー(M)
エルゼ・シュールホフ(M)
 ~ 三人の童子 ~
ヘルミネ・ステインマーセル(S)
エレオノーレ・ドルピンガンス(M)
アンネリーゼ・ストゥックル(A)
僧侶Ⅰ:エーリヒ・マイクート(T)
僧侶Ⅱ:ハラルト・プレグルホフ(Br)
兵士:リュボミール・パンチェフ(B)

(1950年11月 ウィーン,ムジークフェライン・ブラームスザール 録音 EMI)

 三月もとっくに半分が過ぎて春分の日がやってきます。昨日は出勤途中に墓地へ寄って掃除から献花と一通りしてきました。前日の17日がお彼岸の入りにあったったけれど平日なのでまだ花やらがそなえられた区画はほとんどなくて殺風景でした。そのかわり、ネコか犬の糞も全然転がってなくて掃除というほどの手間はかかりませんでした(ネコはえさ場を変えたようだ)。ところで、とっくに連載が終わった「のだめカンタービレ」の番外編か何かで若手中心のメンバが「魔笛」を上演するという話がありました。その後番外編のような作品が連発されたかノーチェックですが、魔笛編はオーディションやリハーサルの場面が続いて面白かった覚えがあります(白薔薇歌劇団とか名乗ってた)。 

 この魔笛の古い録音は先日のベームよりもさらに前、1950年にセッション録音されたものです。ウィーンで活躍した歌手を中心に、当時のザルツブルク音楽祭のキャストとほぼ同じなのでこれも豪華キャストです。パパゲーノのエーリッヒ・クンツが役柄を超えるくらいの品の良さ、優雅さでさすがウィーンの音楽界と改めて感心します。それにザラストロと弁者も、翌年から再開されることになるバイロイトではグルネマンツやアンフォルタスを歌うウェーバーやロンドンなので重厚で圧倒的です。

 「夜の女王」の ヴィルマ・リップは五年後のベーム盤の時よりも声がよく出ていて高音のところもしっかりしていました。同じようにウィーンPOとウィーンの歌手で演奏していながら今回の方が硬派というのか、やや鋭利な印象を受けます。キャストの影響とまだ若かったカラヤンの指揮の影響だと思いますが、最晩年のドン・ジョヴァンニの音楽とは対照的な印象です。どうせならこの時期にドン・ジョヴァンニも録音していれば良かったのにと思います。後年のカラヤンのモーツァルト演奏よりもアクセントが控え目(先入観かもしれないが強弱をけっこう強調するイメージがあった)で、軽快にして端正でバランスがとれた美しさだと思いました。それだけに神秘的な空気とかそっちの方はかなり後退した印象です。クレンペラーのEMI盤はこれに比べればいかにもゴツゴツとした感触で、わざとデッサンのバランスを歪ませたような独特な響きです。

 この録音もベーム旧盤と同様にドイツ語の台詞だけの部分はカットしています。同じ年にウィーンで録音した「フィガロの結婚」でもレチタティーヴォ部分をカットしていて、そっちの方は批判がありますが、魔笛の場合は通奏低音も無い対話だけなので原語の話者らにとっても抵抗は少ないはずです。オペラを原語で上演することにこだわったカラヤンがフィガロとかでわざわざセッコをカットして録音したのは興味深い姿勢です。
 
14 3月

魔笛 ギューデン、リップ、ベーム、ウィーンPO/1955年

170315モーツァルト 歌劇「魔笛」K.620

カール・ベーム 指揮
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
ウィーン国立歌劇場合唱団

タミーノ:レオポルド・シモノー(T)
パミーナ:ヒルデ・ギューデン(S)
パパゲーノ:ヴァルター・ベリー(Br)
パパゲーナ:エミー・ローゼ(S)
夜の女王:ヴィルマ・リップ(S)
ザラストロ:クルト・ベーメ(Bs)
弁者:パウル・シェフラー(Bs)
モノスタトス:アウグスト・ヤレシュ(T)
~ 3人の侍女 ~
ジュディス・ヘルヴィヒ(S)
クリスタ・ルートヴィヒ(Ms)
ヒルデ・レッスル=マイダン(A)
~ 3人の童子 ~
ドロテア・ジーベルト(S)
ルースヒルデ・ボエシュ(Ms)
エヴァ・ボエルナー(Ms)

(1955年5月 ウィーン,レドゥーテンザール 録音 DECCA)

 今年はマイナンバーカードを取得して e-TAX で確定申告したところ、最初の準備がちょっと面倒だった他は案外簡単に出来ました。本当にこれで完了したのか不安になるくらいのあっけなさで、きちっとデータが送れているのかちょっと気になりました。国税と言えば現国税庁長官が例の国有地横流し(もう売却とは呼べん)の件で、学校法人との交渉時に財務省理財局長だった人だということで、まったく感心しています(まるで論功行賞、よく言うことをきいてやった褒美のよう)。それにしても税務署まで行かずに、郵送もせずに済むのは便利でよくて、添付を省ける書類もあってけっこうなことです。

 村上春樹の小説「騎士団長殺し」につられてドン・ジョヴァンニを反復して聴いているうちにそれ以外のモーツァルトのオペラも気になり出しました。この魔笛はウィーン・フィルとウィーンで活躍している歌手でDECCAが1950年代半ばに録音したシリーズの一つです(フィガロはE.クライバー、ドン・ジョヴァンニはクリップス)。結果的にベームが指揮したコジと魔笛が今ひとつ印象が薄くなりましたがそれは、ベームが後にこれらを再録音してそっちの方が有名になったのでそのかげに隠れるかこうになったからでしょう。魔笛はDGへ録音したものがこの作品の代表的なレコードになっています。今回の旧録音もキャストを見れば往年の名歌手が並んでいて見劣りしません。 

 実際に聴いているとDECCAの同じ頃の録音と比べても音質が今一つのようで、それに演対的にメルヘンのBGMのようにのんびりとして、音楽が古い時代(作曲当時の)の風俗 に埋もれてしまいかねない感じで、とかく特別の傑作と評される魔笛らしくないような、作品を特別視していないような軽快さが目立っています。クレンペラーは魔笛について「生み出されたものであって、こしらえたものではない」、「モーツアルトの本性から創造された」偉大な作品と表現していて、職人技や作曲の工夫よりも文字通り「創造」の産物として特別視していました。

 この録音はドイツ語の台詞だけの部分は省略して(クレンペラーのEMI盤と同じ)いるのにオラトリオ的ではなく、イタリア語歌詞のフィガロとかコジと同じような空気なのは不思議です。歌手の歌い方の影響もあるはずで、独特な上品さと軽快さです。「夜の女王」のリップは威圧的でなくてきれいな声ながら高音のところはいっぱいいっぱいといった感じで、アクロバット的な歌唱とまではいかない印象です。1950年代の魔笛はこういう感じが普通だったのかと改めて思いました。 
13 5月

クレンペラーの魔笛・コヴェントガーデン王立歌劇場

150513aモーツァルト 歌劇「魔笛」


オットー・クレンペラー 指揮
コヴェント・ガーデン王立歌劇場管弦楽団
コヴェント・ガーデン王立歌劇場合唱団
(ダグラス・ロビンソン合唱指揮)

タミーノ:リチャード・ルイス
パミーナ:ジョーン・カーライル
パパゲーノ:ジェイレント・エヴァンズ
パパゲーナ:ジェニファー・エディ
夜の女王:ジョーン・サザーランド
ザラストロ:デイヴィッド・ケリー
弁者:ハンス・ホッター
モノスタトス:ロバート・バウマン
3人の侍女~
ジュディス・ピアース
ジョゼフィン・ヴィージー
モニカ・シンクレア
3人の童子~
マーガレット・ネヴィル
アン・フッド
マリオン・ロバーツ


(1962年1月4日 ロンドン,コヴェント・ガーデン王立歌劇場 録音  Testament)

150513 今回の「魔笛」は1962年1月4日にコヴェントガーデンで行われた公演のライヴ録音です。当日の公演は不評だったそうで、夜の女王のサザーランドが適役でなかった上にクレンペラーのテンポに合わせられなかったようです。それはCDを聴けばあのセション録音とはかなり違っているので察せられます。二度目のアリアもちょっと乱れて苦しそうでした。不評の原因は彼女だけでなく、ロンドンでは会話だけの部分も多い「魔笛」を英語で上演していたので、慣例を破って全部ドイツ語で統一されたこの上演に戸惑いがあったことと、クレンペラーのテンポが慣れ親しんだ軽妙なものとは違っていたので音楽が停滞しがちだと受け取られたためでした。そうだとしてもオペラ指揮者クレンペラーの数少ない全曲盤なので貴重な記録だと思います。

150513c それでも終演後、アリア後の拍手は盛大であり、所々で笑い声がわき起こり客席の雰囲気はそこそこ良さそうです。余談ながら、TESTAMENTから出たのが最初だと思っていましたが、それ以前に GOLDEN Melodram からCD化されていました。実はそのCDも購入していましたが少しだけ再生しただけでほとんど未聴状態でした。それを勝手にバイエルン放送交響楽団との共演だと勘違いしていました。過去記事にもそう書きましたがおそらく間違いです。同じレーベルからメンデルスゾーンの「真夏の夜の夢」がバイエルン放送交響楽団とのライヴ盤が出ていて、十年ほど前に店頭で音質が良いと勧められたので前後して購入したという経緯から同じオケだと思い込んでいました。

 クレンペラーはこの公演の二年後に魔笛をセッション録音しますがその際には台詞だけの部分はカットしています(これには批判もある)。「会話は舞台装置とジェスチャーがあってのものだ」、「視覚的効果がないのに、これを収録するなんて馬鹿げている」というのがクレンペラーの考えでした。このCDも会話部分を飛ばして聴くとクレンペラーの音楽はよく分かる気がします。クレンペラーの指揮自体はセッション録音とあまり違わないようですが、セッション録音・EMI盤の方がもっとゴツゴツオした感触で流れは良くないようです。魔笛に対するクレンペラーの考え方からすれば、最晩年の1970年か71年に録音していたら面白かったかもしれません。なお、テスタメントのHPにライナーノーツの日本語訳があるので歌手に対するコメント等が載っています。
 
150513b クレンペラーが第二次大戦後にオペラの公演(演奏会形式でなく)を指揮したのは1940年代のウィーン、ザルツブルク、ベルリンのコーミッシュ・オーパーへ単発的に登場した他はブダペストのハンガリー国立歌劇場、ロンドンのコヴェントガーデンくらいでした。ロンドンではフィルハーモニア管弦楽団の首席だったので歌劇場の方はポストを持っていたわけではなく、時には自ら演出も手掛けて客演していました。フィデリオ、ローエングリンは有名だったようで、「クレンペラーとの対話」の訳者後がきでは佐藤章氏はコヴェントガーデン王立歌劇場で観たクレンペラー指揮のローエングリンに感動して一晩眠れなかったと書いています。テスタメントから出ているクレンペラーの未発表音源の中でもBBC放送のものはあまり音が良くない傾向ですが、今後コヴェントガーデンのローエングリンも出て来ることを期待します。

25 7月

主役はパミーナだけど 魔笛・クレンペラースタジオ録音

モーツアルト 歌劇「魔笛」


オットー・クレンペラー 指揮 
フィルハーモニア管弦楽団
フィルハーモニア合唱団(合唱指揮:ヴィルヘルム・ピッツ)


タミーノ:ニコライ・ゲッダ

パミーナ:グンドゥラ・ヤノヴィッツ

パパゲーノ:ヴァルター・ベリー

夜の女王:ルチア・ポップ

ザラストロ:ゴットロープ・フリック

弁者:フランツ・クラス

第1の侍女:エリーザベト・シュヴァルツコップ

第2の侍女:クリスタ・ルートヴィヒ

第3の侍女:マルガ・ヘフゲン

パパゲーナ:ルート=マルグレット・ピュッツ
モノスタトス:ゲルハルト・ウンガー
第1の武者:カール・リープル
第2の武者:フランツ・クラス
第1の僧侶:ゲルハルト・ウンガー
第2の僧侶:フランツ・クラス
第1の少年:アグネス・ギーベル
第2の少年:アンナ・レイノルズ
第3の少年:ジョセフィーヌ・ヴェセイ


(1964年3月,4月 キングスウェイホール・ロンドンでセッション録音 EMI)

 Genitum  non  factum  est.~~「生み出されたものであって、こしらえたものではない」偉大な作品、魔笛。モーツアルトの本性から創造されたものであり、通常の意味で作曲されたものではないという考えで、クレンペラーは上記のように魔笛を表現しています。


 1964年3月といえばフィルハーモニア管弦楽団を解散するとレッグが宣言した時期で、この録音はその混乱期まっただ中に作成されています。その後、ニュー・フィルハーモニア管弦楽団と改名し、クレンペラーを会長に自主運営のオーケストラとして活動を続けます。この録音は、セリフだけの部分をカットしています。したがって、実際の公演で観るのとはかなり印象が異なりますが、音楽の素晴らしさは堪能できます。クレンペラーの魔笛は、他にバイエルンでのライブ録音が残っています。今回のこのクレンペラー盤魔笛は、LPの時代に購入してオペラの音楽の楽しさに魅せられた最初の作品、録音でした。同じ頃にクレンペラーのフィデリオも入手して、同様に感動していました。
 

 魔笛はモーツアルト最晩年の傑作で、従来のイタリア語台本によるオペラとは違い、ドイツ語台本で歌の間に台詞だけの個所が挿入され、実際はセリフによってストーリーが進行する「ジンクシュピーゲル」という形式のジャンルです。ベートーベンのフィデリオ、ウェーバーの魔弾の射手も似た形式です。表面的にはドタバタ劇のようなストーリー、舞台ですが、モーツアルトの音楽自体はその時代の制約を超えて突き抜けたような高みへ登っていると言われます。この作品は作曲を依頼したシカネーダーもモーツアルトも、秘密結社「フリーメイソン」の会員であり、作品の中にもフリーメイソンを象徴する事柄が含まれ、モーツアルトは秘密を口外してはいけないという禁を破ったので暗殺されたという説もあった程です。

 この録音ではヤノヴィッツ、ポップという当時の若手のホープであるソプラノ歌手が揃って起用されています。俳優志望だったポップが見栄えでリードするも(好き好きもあって一概には言えない)、2歳年上の元苦学生(昼はタイピストとして働いて夜学校に通った時期がある)ヤノヴィッツがキャリアで上回るという構図です。
 

 のだめカンタービレは一旦連載が完結して、番外編・続編的な扱いで千秋がパリと東京を往復して、魔笛の指揮をするという短いサイクルの連載が出ていました。時系列的には、のだめがロンドンデビューした後、気を取り直して徐々にコンサートに出演するようになり、日本で凱旋公演をするという、完結後1年くらいの時期のようです。桃ケ丘音大の声楽科出身の菅沼沙也が主催する市民歌劇団による魔笛の公演を千秋が指揮し、峰が演出するというお話で、オーディションから予算の不足等上演までの困難が描かれています。この企画の結末はまだ知りませんが、ブー子と呼ばれていた菅沼が前面に出ていてちょっと面白いところでした。公演のポスターは、夜の女王役(細くて美人)の写真が大きく、女声では主役であるパミーナ役の菅沼の写真が縮小されるという扱いになり、もめていました。ついでに夜の女王は、かつての千秋の恋人「多賀谷彩子」が出てくるかと思えば、かつてのウィーン時代のダンスのパートナーとかが現れました。連載が続けば波乱が一つ二つありそうな登場人物でした。
 

 このレコードの録音では、パミーナ役をドイツ人ソプラノのグンドゥラ=ヤノヴィッツ(1937年生まれ・27歳)が担当し、夜の女王はチェコスロヴァキア生まれのソプラノのルチア=ポップ(1939年生まれ・25歳)が担当しています。ヤノヴィッツは1961年にウィーン国立歌劇場でパミーナを歌い、ポップは1963年に同じくウィーン国立歌劇場で夜の女王を歌ってデビューして共に大成功をおさめています。年齢も近くソプラノ同志でライバル関係とも言えるかもしれません。それよりも、三人の侍女には大ベテランの女声3人、シュヴァルツコップ、ルートヴィヒ、ヘフゲンが控えています。写真だけでもなかなかの威圧感です。レコード録音だからこそこんな大物がこの役に割り当てられているのでしょうが、1回3時間ずつの録音セッションが10回以上続いたので、若手のヤノヴィッツやポップは大変だったことでしょう。自分の歌の所で時間を余分に費やしたりして、大物3人を待たせたりすれば、と思えばプレッシャーもかかります。シュヴァルツコップはプロデューサーのレッグ夫人でもありました。

 パミーナ役で劇団の主宰者である菅沼は、そのポスターの件で発奮してダイエットに取り組む様子も描かれていましたが、プロボクサー並みの過酷さで肝心の歌にも影響するほどになっていました。行き過ぎた減食はとりあえず止めていましたが、舞台での動きによっては息が上がるから、やっぱり痩せた方が良いと周りの人間は話しています。今回のクレンペラー盤は、セッション録音で動作はありません。それにとりあえあず、ブー子と呼ばれそうな状態の歌手も入っていないようです。しかし、例えばワーグナーの「ジークフリート」に登場するブリュンヒルデ等は、声量というか声の強さが不可欠なので、バンタム級程度では苦しいのではないかと思えます。仮に無差別級でも圧倒的な歌唱なら、それの方が大事だろうとは思います。ハイティンク・バイエルン放送SOの指輪のCDで、そのブリュンヒルデを歌ったエヴァ・マルトンはライブ録音ではないものの、ゆるぎない歌唱力で、相手役のジークフリートもかすむ程で、その反面なかなか立派な体格です。ジークフリートの3幕なら、むしろ男声のジークフリートの方が、出っぱなしで休憩充分なブリュンヒルデと2重唱するので、体力的にはきついと言えます。

 

 単に痩せる云々ということだけでなく、経年と声の維持というのも大きな問題だろうと考えられます。今回のCDで夜の女王を歌ったルチア=ポップは、後の録音ではパミーナを歌っています。CD化される前の初出のLPの解説には、「コロラトゥーラソプラノの技巧では、グルベローワには引けを取るポップは」と評されている通り、夜の女王役は長くは歌っていませんでした。その後はレパートリーを広めて、声の質にあった役をこなしています。中にはタンホイザーのエリーザベト等も録音でのレパートリーですがこなしました。
 

 オペラの公演となると衣装や舞台装置、演出の問題が大きな位置を占めてきます。特に現代は演出の時代と言われ、その善し悪しが興行成績にも影響します。のだめ作中でも、臨時に演出を担当した峰のアイデアも片っ端から予算が無いと却下されていきました。常設の劇場を要するヨーロッパ各地でも補助金頼みが現状なので、日本なら尚更でしょう。LPの解説の舞台装置写真はあまり金がかかっていないようにも見えました。      

  クレンペラーは、第二次大戦前のベルリン国立歌劇場を頂点に、ケルン、ヴィスバーデン、ハンブルク、シュトラスブールや戦後間もないブダペストの劇場で指揮をし、時には演出も担当していました。「舞台上で起こる事に音楽は影響されない」というのがクレンペラーの考えで、それはモーツアルトの「歌詞は常に音楽の従順な娘であるべきだ」という言葉にも通じます。今回の録音もその姿勢が貫かれています。EMIからステレオ・セッション録音で出ていたクランペラーによるモーツアルトのオペラは4作品あり(国内盤も)、その中では魔笛、ドン・ジョバンニ、魔笛がレギュラー盤クラスで長く出回っていました。フィガロ、コシの2種は絶版状態が続き、輸入盤でも同様だったようです。オペラに限らず、クレンペラーのモーツアルトは賛否両論的で、特に日本では埋もれた期間が長かったようで、これはオピニオン・リーダー如何で遺憾なことでした。

 個人的には、クレンペラーのモーツアルト演奏が最も好きで、オペラ録音では「コシ・ファン・トゥッテ」(1971年録音)が最も素晴らしいと思います。ただ、本場でも批判される根拠はあるとは思います。例えて言えば、王冠やネクレス等の宝飾品に使われているダイヤモンドの一つがモーツアルトの「魔笛」という作品だと仮にすれば、クレンペラーの演奏は、金の鎖や台等の装飾部分からダイヤモンドを抜き出して、そのダイヤだけに照明を当てたようなものに似ていると思えます。台詞部分をカットした今回の録音について、動作等視覚が伴わないセリフの録音は無意味という考えで、セリフをカットすることを条件にこの録音を承諾しています。
 

 このLPの解説には若き日のルチア=ポップのカラー写真が載っていたと思っていましたが、中を見てもモノクロしかありませんでした。夜の女王とパミーナは、舞台を見ていれば感想も変わるかもしれませんが、役の重要性、格はともかく、録音で音楽だけ聴く分にはどうも夜の女王の歌の方が魅力的に聴こえて、魔笛=夜の女王くらいに思ってしまいます。 

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raimund

昭和40年代生まれ、オットー=クレンペラーの大フアンです。クレンペラーが録音を残したジャンルに加え、教会音楽、歌曲、オペラが好きなレパートリーです。

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