raimund

新・今でもしぶとく聴いてます

ベートーベンSym.3

9 2月

エロイカ盤起こしCD フルトヴェングラー、VPO/1944年

240209aベートーヴェン 交響曲 第3番 変ホ長調 Op.55「英雄」

ヴィルヘルム・フルトヴェングラー 指揮
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

*米ウラニアのLP(URLP 7095)からの復刻
(1944年12月19日 ウィーン,ムジークフェラインザール録音 Delta)

240209b いつの頃からか生命保険を契約する場合、職場経由で加入する例がありました。例えば建設関連の会社に勤務していると自動的に特定の保険会社の保険に入り、月給が振り込まれる口座から保険料が引き落としになりました。定年退職後か、一定の年齢で死亡時におりる保険金が少ない契約に変更を勧められますが、月々の保険料は変わらない場合が大半です。もっとも、退職に際しては契約を継続するかどうかの意思は確認され、その際に私は契約者当人じゃないけれど横に座って聞いたことがあって、もう解約した方がいいんじゃないと思いましたが、当人の体面もあるので「(年金生活になって収入が減っても)保険料は同じ水準ですか」とだけ言うに止めました。外交員に苦言を言うのも筋違いかもしれませんが、少しは契約者の境遇も考えるなり、プラン・約款の種類を見直したらどうかと思いました。半自動的と言えば保険だけでなく、勤務している会社によっては特定の議員の後援会の会員になったたり(強制ではない/かたちだけでもとか言われるらしい)します。ついでに継続を強く推奨されるA旗・日曜版の購読料は一ケ月で千円弱、Y新聞の朝刊のみなら月額でその四倍くらい、仮に生活保護の受給者ならこれら新聞の扱いはどうなるのでしょうか。国内の建設業界も受注額、従事者も減り、保険や後援会の運用・慣例はどうなったか分かりませんが、ドイツではナチス政権の頃はアウトバーン建設やらで一番景気がよかったとか、戦後も語り草だったとか。

240209 先日のフィデリオが1944年2月の演奏だったのに対して、この有名なウラニアのエロイカは同年12月の演奏です。シュナイダーハン、バリリがウィーン・フィルのコンサートマスターだった頃の演奏なので特にエロイカの方は二人とも演奏していたのでしょう。フルトヴェングラーの許可を得ないで勝手にレコード発売されて裁判沙汰になったこの音源は、CDの時代になっても複数のレーベルから何度も発売されています。どれが最良の音質かとかを追求したサイトもあり、半端な興味では全然極められない世界です。これは盤起こし、LPレコードから作成されたCDの中でDELTAレーベルのものです。一連のウラニア・エロイカはピッチが高いLP、CDが多く、それは音源となった元のテープがその状態、録音時にテープ速度が遅かったのが原因とされています。このDELTA盤はピッチ修正済で、参考に修正前の第1楽章を末尾におさめています。

 フルトヴェングラーのレパートリーの中でベートーヴェンが一番良い、又はベートーヴェンの演奏はフルトヴェングラーに限る的な評は結構あり、後者ではマタチッチもそのように言っていたようです(ただし当人の指揮したエロイカは全然違う)。自分自身は全然そうは思いませんが、この演奏の当時は非常事態なので、どんな演奏なのか気にはなります。それで聴く前につい身構えて、特異なものじゃないかと想像しがちです。実際に聴くとここまで大騒ぎする程かとか、不敬にもそんな印象はぬぐえません。そもそも大戦末期の放送用録音ということで元々音質はよくなくて、今回の盤起こしCDで聴いても例えば第1楽章冒頭はグワン、グワンという具合に、残響がこもり切ったような音で、演奏内容もなかなか分かりにくいと思います。そこは愛情をもって色々なことを含めて類推を働かせて聴くものかもしれません。それでも第2楽章以降はある程度聴き易いと思いました。その第2楽章は「ジークフリートの死の予告(ワルキューレ)」の場面を思い起させて、悲壮感が漂います。

 この音源は客席にほぼ誰も居ない状態の放送用に録音した演奏です。19世紀生まれの指揮者はレコード録音があまり好きでなかったり、レコード録音を軽視して直に会場で演奏を聴くことの代用(無いよりはまし)程度にしか考えない人が多いようです。そういう人の演奏、本当の演奏は実演を聴かなければ真価が分からない、という論調がありました。その線で行けばこのウラニアのエロイカは公演そのものじゃないわけですが、ついライヴ音源と混同してしまいます。当時のドイツ領でこの演奏をラジオを介して聴いた人はどのように響いたことか。
9 11月

エロイカ、ベルリン・フィル フルトヴェングラー/1952年12月8日

231109bベートーヴェン 交響曲 第3番 変ホ長調 Op.55「英雄」

ヴィルヘルム・フルトヴェングラー 指揮
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

(1952年12月8日 ベルリン,ティタニアパラス ライヴ録音 Audite Deutschlandra)

231109a 自分の誕生月である十一月は一年で数少ない、心地良く過ごせる月ですが今年は日中の気温が高く、大いに気分がそがれます。それから相変わらずガソリンが高く、今年は満タン給油は止めて、5,000円とか3,000円と定額で給油しています(せこい)。それにパンの製造販売する店のバケットとか丸いパンの種類が減り、やっぱり単価も上がっています。ちょっと前までは「ハイジの白パン」とか似たようなパン(調理パンでない主食系)が何種かありましたが、いつの間にか米粉パンが登場した他はすっかり種類が減りました。え?これで千円を超えるのか、ということがよくあり、閉店間際の値引き時間帯めがけて買いに寄ったりしています(これまたせこい)。さて、このブログではあまり登場しないフルトヴェングラーのベートーヴェンです。

 今から四十年くらい前にベルリン・フィルとのエロイカのレコードを買ったことがありました。国内盤で安かったこともあり、ドイツの指揮者として避け得ない名前なので購入していました。レコード制作のために演奏したセッション録音と違い、雑音入りの音だったのに底響きのする重い音、時には叩きつけるように演奏して、まるで指揮者自身が楽器を弾いて音を出しているような迫力がありました。最近そのエロイカの魔力が脳内でよみがえってきて、断片的にでも聴きたくなりました。そのレコードは帯だけ保存していたもののそれも所在不明になり、とりあえず1950年代の演奏ということだけは確かながら今回の日付の演奏とは別物です。1952年12月8日公演のプログラムはウェーバーの「魔弾の射手」序曲、ヒンデミットの交響曲「世界の調和」に続いてエロイカでした。

 冒頭に掲げたAudite DeutschlandraのRIAS録音集のCDと同じ日の演奏が、Tahra/キングの定期演奏会CD集にも(どちらも複数枚組なので)ありますが聴いていると音の印象がちょっと違います。Audite Deutschlandraの方がアンプの同じ音量位置で再生される音が小さく、明解に曇りを除いたように聴こえ、その分会場に響くような余韻が少ない印象です。この日付のエロイカは戦時下のウラニアよりもEMIセッション録音の方に近く、おとなしめのフルトヴェングラーです。個人的にフルトヴェングラーのファンではありませんが(absolutely)、フルとヴェングラーのエロイカ第2楽章はワルキューレの「ジークムントの死の予告」や「ヴォータンの別れ」等の音楽に通じる情感が漂い、独特の美しさだと思っていました。その点はこの12月8日の演奏でも発揮されていると思いますが、実は評判(フルヴェン・ファン界とか)としては前日、12月7日の演奏の方が高いようです。

 ~ エロイカ・BPO/ティタニアパラスト
1952年12月8日*tahra/キングのCD表記
①16分18②18分49③6分31④12分46 計54分34
1952年12月7日
①15分42②18分01③6分23④12分26 計52分32

 同じ曲を同じーケストラ、同じ会場で演奏しているにしては演奏時間に差が出ています。12月7日の方も聴いてみると確かに終始覇気が充実していて、7日の方が良いという評判に頷けました。今回の12月8日の演奏は合計で2分程度演奏時間が長くなりますが、特に「じっくりかまえた」という風でもなくてやや地味ですが、全4楽章の統一感があって一貫した印象です。この曲に限らずフルトヴェングラーはベルリン・フィルの方が合っているという意見、評を見かけ、ウィーン・フィルと比べてそんなことを言うとは贅沢な話だと常々思っています。フィクションの世界でタイムスリップして歴史に干渉するとかパラレル・ワールドが存在する作品があって、「後世日本(紺碧の艦隊etc)」、の世界で日本が本土爆撃を試みる編隊をジェット機やらで片っ端から撃ち落とす場面があったりします。それ式で歴史に干渉できるなら、バイロイト音楽祭にクレンペラーを起用して、Testamentレーベルから出ていた1951年の神々、1955年の指環並の水準で音楽祭の全レパートリー録音を残したいところです(干渉ついでにカンテッリに飛行機の便を遅らせろ、ヴンダーリヒに一階に居ろ、ケルテスに遊泳禁止と助言)。

 それはともかく、フルトヴェングラー指揮のエロイカ、今では何種類も出回っています。1952年12月8日のベルリン・フィルとのエロイカは前日の12月7日公演の音源もあり、11月30日のウィーン・フィルとの公演、その直前のEMIセッション録音もありました。その他、ウィーン・フィルなら有名過ぎるウラニアのエロイカとか第二次大戦後のSP録音、1950年ザルツブルク音楽祭、1953年9月4日ミュンヘン、1953年のルツェルン音楽祭(祝祭O)、1952年1月のローマ(RAISO)、1950年6月のベルリン・ティタニアパラス(ベルリンPO)があり、テープが無いとされていたものも突如発売されたりしました。
23 10月

エロイカ マタチッチ、チェコPO/1959年のLP

231023ベートーヴェン 交響曲 第3番 変ホ長調 op.55「英雄」

ロヴロ・フォン・マタチッチ 指揮
チェコ・フィルハーモニー管弦楽団

(1959年3月15-17日 プラハ,ルドルフィヌム 録音/ステレオ SUPRAPHON SUA ST 50012

 昔、1980年代に白のカッターシャツに地味なスラックスという服装で自転車に乗った白人の2、3人連れをよく見かけて、それがモルモン教の布教活動を行う若者だと分かり、エロ絡み、詐欺的なトラブルには縁遠そうに見えて、しっかり組織的に勧誘をしているのかと、微妙な感情をもって見ていました(最近は全然見かけない)。モルモン教は古代イスラエル人が北米大陸にやって来ていてモルモン書(信経)という文書を残したというのが教義の基本だそうで、それなら現代の中東問題に関してやはり親イスラエルなのだろうかと想像します。先日ガザ地区の停戦決議の採決の際、アメリカ一国が拒否権を行使して、落胆した人は少なからずいると思いますが、アメリカのこの筋金入りの肩入れ姿勢はどこからくるのかと思いました。

 マタチッチとチェコ・フィルのエロイカはDENONからCDも出ていたようですが気が付かず、聴いたことはありませんでした。それがスプラフォンのLPを店頭で見て気になり、購入しました。マタチッチのベートーヴェンはイタリアでのライヴ音源で全曲が出ている他は全曲録音はなくて、セッション録音はこの第3番だけでした。マタチッチ(Lovro von Matačić 1899年2月14日 – 1985年1月4日)の年代ならベートーヴェンの交響曲を全部でなくても有名なところを何曲かレコードを出していてもおかしくないので意外でした。日本ではN響に客演していることと宇野系でもあり有名でしたが、経歴を見ると親ドイツ・親ナチというのが出てきて、戦後ユーゴの大統領に反抗した、処刑される寸前という程筋金入りだったようです。それがたたって戦後ポストを得難かったのか、そう言えばウノ本にカラヤンが就職の世話をしてくれたという件が出てきました。

 
涼しくなったので自宅二階にあるLPレコードのメインの器機で聴いてみると、面白い独特のベートーヴェンで、この世代のドイツ系の指揮者のベートーヴェンのどれにも似ていないような演奏です。第2楽章はクレンペラーと近そうにもきこえますが、古典派でもロマン派でもない「春の祭典」のような魅力で迫ります。初めて再生した時はてっきり「荒れ狂ったベートーヴェンだ」とか「冒頭から息をのむばかり」だという評を思い出すような内容と思っていたらそうでもない、抑制されて刈り込まれた木々のようで妙に感心しました。

 
ネット上で見かける感想は色々なのでどんな特徴の演奏なのか、聴く前は想像し難いところがありました。同じく宇野本で褒められたシェルヘン(Hermann Scherchen 1891年6月21日 - 1966年6月12日)のルガーノでのライヴに似ているかと思えばそうでもなくて、フルトヴェングラーのベートーヴェンを連想するような演奏でもないので独特です。マタチッチがケルン歌劇場で副指揮者をしていた頃はクレンペラーが監督だった時期に重なり、何か交流はあったのだろうかと思います(戦後は無さそう)。
19 9月

クレンペラー、フィラデルフィアOのエロイカ/1962年

210919aベートーヴェン 交響曲 第3番 変ホ長調 op.55「英雄」

オットー=クレンペラー 指揮
フィラデルフィア管弦楽団

*クレンペラー最後のアメリカ公演の年
(1962年10月19日 フィラデルフィア,アカデミー・オブ・ミュージック ライヴ 録音 Tobu Recordings)

210919b  以前よりメモリーズ(青白のデザイン)から発売されていて、音質がいま一歩、二歩だったクレンペラーが1962年にフィラデルフィアOに客演した公演集。それらがエロイカと田園を除いて正規音源から再発売されていました。さらにこの度「肝心のオール・ベートーヴェン・プログラムについては、オーケストラ・アーカイヴの音源に難があり、商品化が見送られておりました / 本年ついに良好な音源をペンシルバニア大学にて発見! これで3プログラムが全て揃いました 」と称して追加発売となりました。早速聴いてみると確かに音質は改善されていますが、エロイカの第1楽章は何となく金属的で微妙な印象です。これは残響が少ない会場の特徴とか色々あるので、セッション録音じゃないので、良い方なのでしょう。

210919c クレンペラーのエロイカは今ではかなり多くのCDが出ています。今回のものは1958年秋の大火傷による療養後の時期、ウィーン芸術週間でベートーヴェン・チクルスを演奏した後、1964年に自主運営のニュー・フィルハーモニア管弦楽団になる前の時期にあてはまります。EMIのレコードによって広く戦後のクレンペラーの演奏が浸透してきた時期にふさわしい、クレンペラーらしいテンポのエロイカです。余談ながら、このアメリカ公演の頃は、躁状態と鬱状態を周期的に繰り返すクレンペラーの、極度な鬱状態だったそうです。

 ~1959年以降、クレンペラーのエロイカ
フィラデルフィア・1962年ライヴ
①16分28②16分26③6分45④13分06 計52分45
PO・1959年・EMI
①16分36②16分52③6分36④13分14 計53分18
フィルハーモニア/1960年ライヴ・ウィーン芸術W
①15分30②14分36③6分07④12分10 計48分23
ウィーン交響楽団/1963年ライヴ・ORF
①15分54②15分05③6分17④12分41 計49分57

210919 この1962年のフィラデルフィア管弦楽団への客演はEMIの再録音と演奏時間が似ています。1962年前後のライヴ音源二種もクレンペラー・ファンには好評ですが、フィラデルフィアはそれよりもセッション録音の方に近い演奏時間になっています。クレンペラーのエロイカで特に日本では1959年のEMI盤が一番広く知られているでしょう。アメリカ公演当時、客席の反応は良好で、コロムビアレコードへのセッション録音の期待が一瞬膨らんだそうですが批評家層は良く言わず、クレンペラーの鬱症状もあってかアメリカでの録音計画は無くなりました。

 このエロイカを聴くとアメリカ録音計画が消えたのは残念で、オペラは無理でもマーラーあたりで録音しないで終わった作品をレコード録音していた可能性も想像してしまいます。今回のCD付属冊子の日本語訳にはクレンペラーの政治的姿勢、思考(けっこう支離滅裂)やらが載っていました。その中でフルトヴェングラーがニューヨーク・フィルの音楽監督に招かれた際の騒動時にクレンペラーが送った手紙のことが書いてありました。「芸術と政治が無関係であることは喜んで認めるが、芸術と道徳は不可分であると信じている」とフルトヴェングラーに書き送ったそうで、「道徳」とはどの口が言う、どの手がそれを書く?、と思わないでもないところです。まあ、ここでの道徳は、人間の命が水車小屋で摺りつぶされる麦粒のような扱いであることを認められない、認めるというのは普遍的な価値の問題であり、単なる立場や思想のレベルではない、くらいの重みと解釈して納得します。
28 6月

クレンペラー、ACOのエロイカ/1955年11月6日(7月7日でなく?)

210628aベートーヴェン  交響曲 第3番 変ホ長調 op.55 「英雄」

オットー=クレンペラー 指揮
アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団

(1955年11月6日 アムステルダム,コンセルトヘボウ大ホール 録音 Otto Klemperer Film)

 当たり前のことながら刻々と時間は過ぎて行きます。2019年のラグビーW杯が日本で行われたのがかなり前のことのような気がしていました。先日エディンバラで、イングランド、ウェールズ、スコットランド、アイルランドの選抜チーム、ブリティッシュ・ライオンズと日本代表の対戦が行われ(無事に試合が出来て)、28:10と負けはしたものの、トライをとることが出来ました(あとワン・トライも惜しかった)。ところでことしは衆議院選挙があるはずですが地元京都六区では、現職の代議士が出馬しないと報道されました。どうもあの三区の時と似た事情らしく、あきれ半分、ほんまでっかと疑い半分でしたがどうも本当のようです。詳しい事情は知らないものの夫人は病気療養中だったそうで、妊娠中の出来事だった三区の人より込み入ってそうです。

210628 先月の連休中に取り上げたVENIAS廉価箱に入っていたクレンペラー・ACOのエロイカは演奏データが1955年7月7日となっていました。しかし先日発売されたクレンペラーとACOのSACD集「伝説的アムステルダム・コンサート1947-1961」のSACDでは、1955年にクレンペラーがACOを指揮したエロイカは1955年11月6日でした。7月7日は田園交響曲、シェーンベルクの浄夜、ヒンデミットの組曲「気高き幻想」というプログラムなのでエロイカは同じ日に演奏する時間は無いと考えられます。

 それに今回のSACD集で聴いているとどうも同じ音源、演奏だろう思いました。廉価箱の7月7日表記のエロイカは特に音質が悪く、盗聴したものを何ら処理せずにCD化したようなものだったので絶対的な自身はありません。一応同じ演奏だとして、今回のSACDはかなり気き易く、音に厚みがあるように改善されています。しかしSACD集の中では音が良くない部類になり、シャーという雑音が終始入っています。それでも廉価箱で聴こえた人間の会話のようなものは聞こえません(この点では別の演奏なのかとも思われる)。


~ クレンペラーのエロイカ
ACO・1955年ライヴ
①15分25②14分58③6分04④11分50 計48分17
デンマーク/1957年4月ライヴ
①15分20②14分04③6分02④11分36 計47分02
フィルハーモニア/1960年ライヴ・ウィーン芸術W
①15分30②14分36③6分07④12分10 計48分23
PO・1955年・EMI
①15分48②14分38③6分23④12分24 計49分13
ベルリン放送SO・1958年ライヴ
①16分03②15分22③6分18④12分06 計49分49
ウィーン交響楽団/1963年ライヴ・ORF
①15分54②15分05③6分17④12分41 計49分57
ストックホルム管・1958年ライヴ
①16分35②17分02③6分37④13分26 計53分40
PO・1959年・EMI
①16分36②16分52③6分36④13分14 計53分18

 ACOとの公演SACD集では各楽章の前、後に生じる演奏間隔(我慢していた咳やらが入る)がそのまま入っている場合が多く、このエロイカもそういう時間をカットして記録すると、有名な1955年EMI盤よりも1分ほど短い合計演奏時間になり、結果的に1960年にウィーン芸術週間での演奏と近い時間になりました。各楽章の時間も当然近い者ですが、正規音源と公称していても録音条件やらが違うので聴いていると印象は違います。第2楽章はACOの方が長目なのに、全体としてはACOの方が先へ急ぐようなあわただしさが感じられて、このあたりはクレンペラーらしくない気もします。1955年と1960年ではクレンペラーがチューリヒの自宅で大火傷をして一年近く療養する期間を挟んで分類できる期間に別れ(ついでに夫人が存命期間と没後の期間にも)ますが、アムステルダムの1955年とウィーンの1960年が似たような演奏時間になっているのは興味深く、ウィーン芸術週間は余程心身ともに充実していたのだろうと思われます。
4 5月

クレンペラー、ACOのエロイカ/1955年7月7日

210504acoベートーヴェン  交響曲 第3番 変ホ長調 op.55 「英雄」

オットー=クレンペラー 指揮
アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団

(1955年7月7日 アムステルダム,コンセルトヘボウ大ホール 録音 VENIAS)

 連休中は緊急事態宣言下にふさわしくほぼ完全に屋内に引きこもっています。時代劇に出て来る閉門というのもこんな具合かと思うくらいです(もっとも近所のスーパーへ一回だけ出向きましたが)。それから気が付けばここ四週間くらいアルコールは摂取しておらず、もともとのむ頻度は低いけれども、その点は健康的とも言えそうです。ただし、提供する店側、供給する卸側や生産者側は深刻なことです。

 クレンペラーが1947年から1961年までにアムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団へ客演したライヴ録音が正規音源からSACD仕様で発売されるという朗報を知り、既に発売されたVENIASの廉価箱に含まれる音源のエロイカを聴きました。しかしこれは音が悪すぎるというより、ラジオで他の周波数か別番組が混信しているのか、ラジオ放送をスピーカーから流している場所で複数の人間が会話しながら(はっきりきこえる)録音しているような状態で、これは商品化して良いレベルなのか?と言いたくなります。ただ、一応演奏自体は聴きとれ、エロイカだと分かるので摩訶不思議な音質です。

  それに音が薄いというか、厚い板を鉋で削り過ぎたように貧弱になってこれが本当にクレンペラーの演奏なのかどうか分かり難いものです。この録音年月日のエロイカも正規音源のSACDに含まれているなら演奏時間共々確認できると思ったら、そちらの方に入っている1955年のエロイカは11月6日となっていました(予告広告でチェック)。VENIAS廉価箱に入っている音源・演奏が別物なのか表記が間違いなのか、なにか雲行きが怪しくなってきました。1955年7月7日のACOはクレンペラーと田園交響曲を演奏しているので、エロイカと田園を同時にプログラムに入れるのか?という疑問もありますが、1962年のフィラデリフィアへ客演した際もエロイカと田園を一回の公演で演奏したようなので一応あり得るものだと言えます。

  クレンペラーのエロイカの録音は以下の通り、さらに1970年のチクルスもありました。合計時間は同時期のEMI盤(初回録音)やウィーン芸術週間と近似しています。今回聴いたCDは音質も含めて色々あやしいので特にコメントなしで、正規音源を聴いてからということで7月の命日期間に再度取り上げたいと思います(気が変わらなければ)。 

ACO・1955年
①15分43②15分47③6分10④11分55 計49分35
PO・1955年・EMI
①15分48②14分38③6分23④12分24 計49分13
デンマーク/1957年4月
①15分20②14分04③6分02④11分36 計47分02
ストックホルム管・1958年ライヴ
①16分35②17分02③6分37④13分26 計53分40
ベルリン放送SO・1958年ライヴ
①16分03②15分22③6分18④12分06 計49分49
PO・1959年・EMI
①16分36②16分52③6分36④13分14 計53分18
フィルハーモニア/1960年ライヴ・ウィーン芸術W
①15分30②14分36③6分07④12分10 計48分23
ウィーン交響楽団/1963年ライヴ・ORF
①15分54②15分05③6分17④12分41 計49分57

210504baco 
クレンペラーとACOの音源はベルリン・フィルやウィーン・フィルよりも多くて何となく相性が良いのかと思っていましたが、実際にそうだったようです。クレンペラーがACO、アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団を初めて指揮したのは1929年のことでした。それから大戦後間もないスイスのインターラーケンで1946年7月に同オーケストラを指揮することになり、7月16日にリハーサルにのぞみ、クレンペラーが復帰(ヨーロッパに)したので、ようやく戦争が終わったと感じていると、マネージャーの一人がクレンペラーに言いました。当然クレンペラーにはうれしい言葉で、以後常任ではないものの長きにわたってこのオケに客演しています。ただ、クレンペラーの双極性障害、主に躁状態の期間の突飛で激しい言動と奇行があり、トラブルの危険が付きまといました。それにもかかわらず、むしろそれに拍車をかけられてACOとクレンペラーは絆を強めました。それについて、団員は次のように話していました。「私たちはクレンペラーの奇行を我慢した。他の指揮者だったら容認しなかっただろう。クレンペラーは明らかに奇矯だったが、オーケストラもまったく普通ではなかったので、人間的なレヴェルが合っていたのだ。」オーケストラもまったく普通ではなかった、とはどういう意味だろうか、知的レベルやら感性が合っていたと解釈して良いのか、それとも・・・。(引用したACO団員の話等はKlemperer Film Foundationから発売された1970年のベートーヴェン・チクルスの解説・日本語訳による。)
18 12月

クレンペラー、POの1959年エロイカ 国内盤初出LP

201219ベートーヴェン  交響曲 第3番 変ホ長調 op.55 「英雄」

オットー=クレンペラー 指揮
フィルハーモニア管弦楽団
 
(1959年10,11月 ロンドン,アベイロードスタジオ 録音 コロムビア/EMI)

201219a 今年も残り少なくなった思ったところに、関西も新型コロナの感染がまた拡大してきました。B29の空襲のようにそこら中で火事になることはないとしても、建物をすり抜けて人間をマトにかける点は中性子爆弾のような恐さがあります(中性子爆弾は実用化されてるのかとか正確な知識はないけれど)。京都市内では飲食店の営業時間短縮要請がまた出されて負の連鎖です(風が吹いて桶屋も倒れ・・・かねない)。この一年、飲食店関係の方の話をカウンター越しにきいていると、直接コロナと関係ないネタで嫌・、ネトウヨ化の影響が見え隠れしたことと、保健所や診療所の統廃合等にはけっこう寛大なこと、福島第一原発の低レベル汚染水海洋放出等には冷淡な点が意外でした。ケンカンとかヘイト的なものがチラ付くのはネット上ではだいぶ前から目立ってましたが、スマホ経由のネットが浸透してなかば草の根的に広がっています。

201219b FMでは年末のバイロイト音楽祭に代わってベートーヴェンの特番をやっているようですが一度もまだ聴いていません。そんなベートーヴェン・メモリアル年の今年はクレンペラーのLPを何種か入手できて、既にCDやらSACDで聴き知っていたはずの演奏、音が、LPで聴くと、時にはだいぶ違った印象だったことがありました。ステレオ録音で出ている録音のモノラル版LPとか、EMI初期のモノラル録音が特にそういう驚きをもって魅力を再認識していました。そもそもまたLPを聴いてみたいと思ったきっかけが、クレンペラー最晩年の最後、第5期「1967年2月(サン・モリッツでの骨折復帰後,ユダヤ教復帰)~」のEMI盤「フィガロの結婚」のLPを聴いて、その艶のある音質にCDでしか聴いていなかった作品・録音観がかなり修正されるような感銘度だったことでした。今回は第4期「1959年9月(大火傷後復帰)~1966年7月(サン・モリッツ転倒骨折前)」の最初にセッション録音されたベートーヴェンの交響曲第3番のステレオ盤、それの日本で最初に発売された頃の中古盤を聴くことができました。

 クレンペラーの演奏の特徴(戦後の演奏、EMI録音を基本にして)として第一ヴァイオリンと第二ヴァイオリンを両翼に配置して木管を際立たせるということが指摘されています。今回この国内盤LPで聴いてみると、弦楽器よりも木管が前に出てくるようで、初めて聴いた時よりもその傾向が鮮明だと思いました。クレンペラーのベートーヴェンを最初に聴いたのは西ドイツの箱物・リマスターLPでした。その後は輸入CDと同時期の分売国内盤CDを繰り返し聴いていたものでした。その当時というか当初は、クレンペラーノベートーヴェンを聴いて一種の息苦しさのようなものを感じていて、分厚く塗りつぶされるといえば言い過ぎですがそういう面があるような気がしていました。

 それがここ一年半くらいで聴いたLPかSACDなんかではもっと繊細な、艶やかさのようなものも多く含まれているような印象を受けました。今回はレコードプレーヤーのカートリッジをDENONのDL-103に付けかえました。その直前はオルトフォンのSPUの入門器、#1Eを無理して(オプションの思いウェイトをつけて、針圧は4.0にするのにアンチスケーティングのメモリが3.0までしかないetc)付けていました。アナログノプレーヤーの微調整は大味な自分には手にあまりますが、デノンのカートリッジはとりあえず良い具合で聴こえました。ついでに宇野語録の「情熱の氷漬け(だったか)」という評もなんとなくその機微が分かる気もしました。
4 10月

ベートーヴェン交響曲第3番 朝比奈、大PO/1996年11月

201004ベートーヴェン 交響曲 第3番 変ホ長調 作品55「英雄」

朝比奈 隆 指揮
大阪フィルハーモニー交響楽団

(1996年11月26日 大阪,ザ・シンフォニーホール ライヴ録音 CANYON/Octavia Exton)

 山崎豊子の小説「白い巨塔」の後半に学術会議選挙が出てきます。小説の中で民事事件の第一審で勝訴したものの控訴された財前が、医学部長の敵を蹴落とすために学術会議選挙に立候補するというストーリーです。工学、医学ら理系分野では予算配分で有利とか、アカデミー会員に敬意を払う西欧の学会に対してきこえが良いからなりたがるという背景が描かれています。ついでに清廉潔白という設定の病理学教授の大河内教授は「国会並みの愚劣極まりない組織に成り下がった」と斬って捨てています。昭和30年代、しかも小説の中のお話だとしても、えらい言われ方です。それにしても「それでも、日本人は『戦争』を選んだ」、の著者でもある
加藤陽子も任命拒否とはだいぶ驚きました。日本会議への義理立てなのか、それなら誰だったら任命されるのかと(学問的業績だけにとらわれないそうだから、まさか竹田何某が今後知らないうちに選ばれていたり)。

 
さて、ベートーヴェンのエロイカ、朝比奈隆と大阪フィル。同じ作品で演奏者が違うCDを購入するのはもう打ち止めと何度も思って、朝比奈隆はブルックナーだけでいいかとずっと思っていたのにここへ来て撤回です。ということで、1996、97年に収録されたベートーヴェン・チクルスを入手しました。それでさっそくエロイカを聴いてみました。かつてキャニオンから出ていて何度も聴いたのはこれかなと思ったものの、ちょっと違うという気にもなってきました。涼しくなってスピーカーをつなぎ変えて、トールボーイ型の台座部分に重しの砂を入れました(入手から1年以上経ってやっと装填)。

  先日の2000年の録音と同じくザ・シンフォニーホールでのライヴ録音です。第1楽章はさらに遅いかなと思う反面でもっと力強い印象なので、その点は記憶の中の「朝比奈・大フィル・90年代のエロイカ」と重なります。スピーカーを容量の大きな方に変えたからか、低音も含めて重量感が増した気がします。
なお先日の2000年7月のCDと同様に第4楽章のトラックには主演後の拍手が入っているので、拍手歓声、叫びの時間を除いてそれが始まる直前までの時間を記載しました。どちらも最後の音が消えない間に歓声が沸き起こっています。

朝比奈・大PO/1996年大阪syh
①20分36②18分40③06分15④14分05計60分49
朝比奈・大PO/2000年大阪syh
①19分50②19分20③06分23④14分05計59分38

 第4楽章のタイムは歓声、拍手部分を除くとほぼ同じになり、どちらも魅力的です。20世紀末になってベートーヴェンを16型、倍管で演奏する朝比奈のスタイルに対して、19世紀的な大編成、遅いという批判があったそうで、確かに同時期のアバド、ガーディナーのベートーヴェンとはだいぶ違います(今更ながら)。日本の年末に集中する第九はやっぱり多かれ少なかれこういう朝比奈のような要素が恋しくなります。一時的につないでいたスピーカーは密閉型のブックシェルフ型で、声楽やピアノはよく響く感じですがオーケストラは微妙です。
2 10月

ベートーヴェン交響曲第3番 朝比奈、大PO/2000年7月8日

201002ベートーヴェン 交響曲 第3番 変ホ長調 作品55「英雄」

朝比奈 隆 指揮
大阪フィルハーモニー交響楽団

(2000年7月8日 大阪,ザ・シンフォニーホール ライヴ録音 Octavia Exton)

 今晩高架部分を車で通っているときれいな満月が見えて、朝方も西の空に見えたので結構長い時間出ているのだと感心していました。高架を降りてしばらくしたら、月はかなり低いところ、ぎりぎり見えるかどうかくらいでした。昭和初期、陸軍なんかは気に入らないことがあれば内閣に大臣を出さないという強硬な手段に訴えて内閣が総辞職したとか。それにならって学術会議側は会議のメンバーを全員引き上げる挙に出るとか、さすがに民度が高くなった?令和の時代にはそんな事態にはならないようです。今晩ラジオのニュースでもそのことをあつかっていてしばらく聞いていました。

 朝比奈隆がベートーヴェンの交響曲全部を連続録音して最初に出したレコードは、1972年、1973年にライヴ収録さ(最初ライヴと書いたのは間違い、初回はセッション録音で、ライヴ収録はその後1977,78年)セッション録音されたもので、それは楽壇生活40周年を記念して学研が企画制作したものでした。それ以後も大阪フィル以外でもベートーヴェン全集が出ているので、「朝比奈のベートーヴェン」と言えばどの全集を指すのが普通になっていたのかもう分かりません。新書本(by 宇野功芳)か何かでは新日本フィルとの1980年代末のものが取り上げられていたような覚えがあります。交響曲第3番なら自分の場合、キャニオンから出ていた1990年代に大阪フィルと録音したライヴ盤が好きで、昔はけっこう音量を上げて(BOSEのスピーカーを柱に固定して)よく聴いていました。ところが、キャニオン・クラシック、大阪フィル、1990年代と、これで絞り込めると思ったら、なんと前半と後半に二度全曲録音していました。自分が好んで聴いていたのはどっちなのか分からなくなっています(時期的にはどっちらの可能性もある)。

朝比奈・大PO/2000年大阪
①19分50②19分20③06分23④14分05計59分38

アバド・BPO/2001年
①16分56②14分49③05分51④11分05 計48分37
ダウスゴー・SCOÖ/2002年
①15分47②12分49③5分22④10分27 計44分25
P.ヤルヴィ・独室内POブレーメン/2005年
①15分24②13分18③5分31④10分54 計45分07
アントニーニ・バーゼルCO/2006年
①16分19②14分06③5分36④11分03 計47分04
フリエンド・ネザーランドSO/2009年
①16分48②12分49③5分38④11分25 計46分40

 今回のエロイカはそれらより後、2000年に行われた公演をライヴ収録するシリーズのもんのでした。これは各曲二公演ずつ(第8番は古い1970年代のものをかわりにおさめているようである)収録した一曲あたり二枚組になっていました。発売当時はついに朝比奈人気もここまで来たのかと驚きつつ見送っていました。エロイカは三回の公演を収録したけれど結局二回分だけをCDにしたと解説には載っていました。今回取り上げたのは、後にセット化された時に中心になったサントリーホールの回じゃなく、直前の大阪公演の方にしました。

 実際に聴いてみると最晩年の演奏だからか、やけに落ち着いた、それどころか何か浄化されたような厳粛な空気が漂います。特に第2楽章がまるでブルックナーのアダージョ楽章を思わせるので少々驚きました。「荒れ狂ったベートーヴェン」とまでもいかなくても、もっと豪快なものを想像(90年代の大フィルから)していたので、だいぶ違う内容です。CDの解説に2000年頃なら日本でもピリオド楽器奏法を取り入れて、ベーレンライター社の新校訂版を使用して飯森泰次郎、東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団らがベートーヴェンを演奏していて、彼らと一線を画すると朝比奈のベートーヴェンを評していました。一線を画するというなら朝比奈自身の演奏の間でも、例えば1970年代とか80年代とこの最後のベートーヴェン・チクルスはだいぶ違っていると思いました。
7 5月

クレンペラー、デンマーク王立Oのエロイカ/1957年

190507bベートーヴェン 交響曲第3番 変ホ長調 作品55「英雄」

オットー=クレンペラー 指揮
デンマーク王立(歌劇場管)弦楽団

(1957年4月26日 コペンハーゲン,チボリ・コンサートホール ライヴ録音 Testament)

 連休も終わって今年もクレンペラー(Otto Klemperer 1885年5月14日,ブレスラウ - 1973年7月6日,チューリヒ)
の誕生日が近付いてきました。生年、没年の日付を見ているとメモリアル年がいつ来るか分かり、とりあえず没後五十年の記念の年が四年後にやってきます。その頃にはこのブログが続けているか、消えているか、はたまた更新が止まって廃墟状態になっているか。それはともかくとして、まだ取り扱っていない音源の中からデンマーク王立管弦楽団とのエロイカです。このCDはレオノーレ序曲第3番、モーツァルトの交響曲第29番、ブラームスの交響曲第4番が入ったCDとエロイカの二枚組で、前者三曲が1954年のライヴ録音、エロイカだけが1957年の録音です。テスタメントから平成14年に突如発売されて評判になり、当時クラシック音楽から遠ざかって(CDの過半数を処分していた)いたところ妙に気になって購入していました。

 実際に聴いたところネット上の評判以上に感銘深く、EMIへの初回録音以上の感銘度ではないかと驚嘆しつつ何度も聴いていました。発売当時の口コミ評ではEMIのセッション録音とは違って荒々しいといった傾向のものだったと思いますが、多分ベートーヴェン交響曲全集に組込まれた再録音の方を念頭に置いてのことだったのでしょう。平成の12年前後くらいにようやくADSL回線や光回線が個人の住宅でも利用し易くなって色々な口コミネタが多数見られ、結構乗せられたような面もありましたが中にはなるほどと思うものもありました。

クレンペラー・デンマーク/1957年4月
①15分20②14分04③6分02④11分36 計47分02
ストックホルム管・1958年ライヴ
①16分35②17分02③6分37④13分26 計53分40
ベルリン放送SO・1958年ライヴ
①16分03②15分22③6分18④12分06 計49分49
PO・1955年・EMI
①15分48②14分38③6分23④12分24 計49分13
PO・1959年・EMI
①16分36②16分52③6分36④13分14 計53分18
フィルハーモニア/1960年ライヴ・ウィーン芸術W
①15分30②14分36③6分07④12分10 計48分23
ウィーン交響楽団/1963年ライヴ・ORF
①15分54②15分05③6分17④12分41 計49分57

 今回改めて聴いてみると金管、ティンパニの音が際立っているものの特に荒ぶるという趣でもないように感じられ、これ以降に演奏、録音された他のライヴ音源、1960年のウィーン芸術週間等と同じ傾向のようだと思いました。これだけが突出した演奏の特徴があるとまでは思えず、記憶と照合しながら少々「あれッ?」感におそわれました。1957年のクレンペラーは秋からのシーズンでフィルハーモニア管弦楽団とベートーヴェン・チクルスをやって大成功しています。また、前年11月には夫人が亡くなっているので、今回のデンマーク客演はフィルハーモニアとのチクルス直前シーズンのエロイカであり、寂しさから立ち上がり、回復上昇に転じつつある時期の記録と言えるかもしれません。

 それにしてもCDの時代、特に2000年以降でクレンペラーの録音が多数出回るようになり、エロイカも上記以外にもあるはずなのでかなりの種類になりました。上記のトラックタイムの中ではストックホルムのライヴが抜きん出ていて、EMIの再録音と近い合計時間になっています。第2楽章、Adagio assai はクレンペラーのバランスではあっさりと速目に演奏するところがストックホルムでは17分をこえているのが注目です。今回は上記のものは合わせて聴いていないのでこの傾向は何か気になります。ともかく今回のデンマークライヴはクレンペラーのエロイカの中でもかなり速い演奏に分類されます。
10 8月

ベートーベン交響曲第3番 I.フィッシャー、RCO/2013年

170810ベートーベン 交響曲 第3番 変ホ長調 作品55「英雄」

イヴァン・フィッシャー 指揮
ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団

(2013年5月31日 アムステルダム,コンセルトへボウ ライヴ収録 Rco/King International)

 エロイカ、Eroicaという呼び名は中学くらいなら抵抗を感じました。「エロいか?」とならなくてもさき烏賊、よっちゃんイカなんかを何割かは連想してしまいます。Eroica はイタリア語で「英雄的」という意味ですが、それは例えばどういう行為をさすのかと思います。「レッド・オクトーバーを追え」という映画の中で、艦長が乗組員を退艦させた上で機密保持のために自沈すると宣言した時に軍医から「スターリン賞(レーニン賞だった??)ものです」と言われる場面があり、その場面からは「自己犠牲=英雄的」ということが浮かびあがります。先日RTV特集で昭和20年8月に満蒙開拓団が日本の敗戦後に帰国するまでの苦難の証言を集めたドキュメントがありました。ソ連軍に住民の襲撃から守ってもらう代わりに村の女性を差し出すというむごい状況は現代の生活からは想像できるものではありません。しかしそういうケースの場合は払った犠牲が大きくても、なかなか英雄的行為だとして表に出ることはないものです(ましてや軍神、聖人にはならないはず)。

 I.フィッシャーがロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団に客演してベートベンの九つの交響曲を演奏した際に収録したものがまとめて映像ソフトになっています。まだ全曲は聴いていませんが第3番は、近年通常のオーケストラが古典派の作品を演奏する場合には珍しい堂々たる内容になっています。主題反復の加減があるとしても下記のようにアバド、ベルリンPOよりも長い合計演奏時間です。それに映像ソフトなのに音質も良くて、時々あるようなホールの音の上澄み液を拾ったような音とは大違いです。

I.フィッシャー・RCO/2013年
①18分40②15分38③06分02④12分10 計52分30
フリエンド・ネザーランドSO・2009年
①16分48②12分49③05分38④11分25 計46分40
アバド・BPO/2001年
①16分56②14分49③05分51④11分05 計48分01

 ヴァイオリン両翼配置(最近は増えているから必ずしも古いとは言えない)の上にこういう演奏時間でも古い時代の演奏とは違い、例えば第2楽章もヴィヴラート控え目、あっさりした内容です。また弓、金管やティンパニも通常のものを使っているようです。I.フィッシャーはブダペスト祝祭管弦楽団ともベートーベンの交響曲第4、6、7番と三曲を録音済でしたが、それらよりも弦の響きが厚く聴こえて、少々大柄な印象です。

 猛暑日が続く今頃に何故かエロイカの音楽が時々ちらつき、何故そうなのかと考えてみると、これを聴いていると自転車に乗っている時に向かい風を受ける心地良さと似た感触を覚えるからだと気が付きました。先日来実際に聴いていると本当に第1、3、4楽章は特にそんな感触なので、少しだけ涼しくなる気がしました。この録音は快速ということはないのに不思議な感覚です。
8 8月

ベートーベン交響曲第3番 テンシュテット、VPO/1982年

170808ベートーベン 交響曲 第3番 変ホ長調 作品55「英雄」

クラウス・テンシュテット 指揮
ウィーンフィルハーモニー管弦楽団

(1982年8月29日 ザルツブルク祝祭劇場 ライヴ録音 Altus)

 自宅で使うPCのセキュリティソフトをノートン・セキュリティに変えてからどうもサイトによっては閲覧し難いことになっていました。ブログのポータルサイトから特定のブログを見ようとしてもなかなか移動できず、待機か強制終了の選択をもとめるメセージが出たります。その上に先日はライヴドア・ブログの記事作成画面を開こうとするとセキュリティ上問題があるから禁止というメッセージが出てブロックされるようになったので、WEB閲覧制限の機能をオフにしました。十年以上前にもこの社のセキュリティを使ったことがあり、結構面倒だったので長らく他社にしていましたが、厳格なのかもしれませんがやっぱり使い勝手に難有でした。

 このCDはブログ初期(OCN時代)にマーラーの交響曲第10番からのアダージョで取り上げたことがあった2枚組CDで、1枚目がエロイカ、2枚目にマーラーのアダージョだけが入っています。一回のコンサートを全部収録したらしくて演奏終了後の拍手も入っています。東ドイツ出身のテンシュテット(Klaus Tennstedt, 1926年6月6日 - 1998年1月11日)が国際的な名声を得たのは亡命後の1974年、ボストン交響楽団への客演が最初だったとされています。その後1977年にはニューヨークPOへも客演して名声が決定的になり、1979年に北ドイツ放送交響楽団の音楽監督に就任します。しかしそのポストは短期に終わり、1983年からロンドン・フィルの音楽監督に就きました。このライヴ音源はロンドン・フィル音楽監督就任前の時期ですが、解説によるとウィーン・フィルとも関係が良くなくて結局この一回だけの共演に終わったそうでした。

 実はこのCDをベルリン・フィルとの公演だと勘違いしたまま覚えていて先日来探していてやっと見つかったところでした。とにかくテンシュテット唯一のウィーン・フィルとの共演の記録なので貴重な音源です。関係が悪化と言われる割に終演後の反応は良好のようですが、CDを聴いた感銘度は微妙で、部分的に惹かれるところは散りばめられているものの全曲が終わった時はどこか散漫な印象です。過去記事でエロイカより先に2枚目のマーラーを取り上げたのはこういうことだったかと思い出しました。

テンシュテット・VPO/1982年
①14分56②17分56③6分38④12分20 計51分50
クレンペラー・PO/1960年ライヴ・ウィーン芸術W
①15分30②14分36③6分07④12分10 計48分23
クレンペラー・VSO/1963年ライヴ・ORF
①15分54②15分05③6分17④12分41 計49分57

 録音時期、年代は違うもののドイツ出身のユダヤ系でロンドンのオーケストラでポストを得たという点でもテンシュテットはクレンペラー以来云々と称されたので、エロイカのライヴ音源のトラックタイムを並べてみました。テンシュテットの第4楽章は拍手部分を除いた時間です。特徴としてはテンシュテットが第2楽章を濃厚に、時間をかけて演奏している分合計時間が長くなっています。他の三つの楽章は似ているようですが、そうした時間の違いとは別に、それ以上に全楽章を通して聴いた場合の印象が違っているように思えます。これは自分がクレンペラーに慣れて、中毒になっているからかもしれませんが、楽章間のバランスというものも関係しているはずです。
3 8月

ベートーベン交響曲第3番 セル、クリーヴランドO・1957年

160803ベートーベン 交響曲 第3番 変ホ長調 作品55「英雄」

ジョージ・セル 指揮
クリーヴランド管弦楽団

(1957年2月22,23日 クリーヴランド,セヴェランス・ホール 録音 Sony Classical)

 昨日のお昼、地下鉄で逆方向の電車に乗ってしまってから、そのあほらしさと情けなさのためにちょっと気分が悪くてそれを引きずっていました。それでも15分以上余裕を持って移動していたから実害はなかったのでよいとして、その時北山駅で降りたのは京響の定期のチケットを買うためで、次の回はショスタコーヴィチの第4番がプログラムに入り、生で聴くことが出来る絶好の機会なので行けるかどうか未定ながら手配だけはしました。11月にはトゥーランガリラ交響曲、来年3月は千人の交響曲と大作・何曲が予定に入り、京響も相当にパワーアップしています。地元でそんな作品を聴けるとは有り難いことです。

 さて、月曜からの惰性で8月の3日だから安直に交響曲の3番、ベートーベンの第3番のCDを取り出すとして、セルとクリーヴランド管弦楽団のセッション録音を聴きました。これは自分が20代の頃はよく聴いたものでしたが、徐々に聴く頻度が低下してどんな感じだったか忘れていました。セルは19世紀生まれの巨匠らとはレコーディングに対する姿勢がちょっと違い、「他の指揮者、オーケストラが終わりにするところから我々は始める」と言うくらい完璧主義を地で行っていました。それでいて一発で録音セッションを完了することもあったそうで、本当に凄まじい力量があったコンビでした。さすがにエロイカは一発でOKとはいきませんでしたがそれでも二日で終わっています。

セル・CLO/1957年
①14分46②15分34③5分33④11分27 計47分20
クレンペラー・PO/1955年・EMI
①15分48②14分38③6分23④12分24 計49分13
クレンペラー・PO/1959年・EMI
①16分36②16分52③6分36④13分14 計53分18
オーマンディ・フィラデルフィアO/1961年
①14分50②17分03③5分50④12分18 計50分01
S.イッセルシュテット・VPO/1965年
①14分46②15分37③5分53④12分27 計48分43

  久々に聴くと疾走する感覚の速目の演奏で、かつて聴いていた頃の記憶もよみがえってきました。それにヨゼフ・クリップスの優雅な第1番の余韻がまだ残っているのでこのエロイカは特に鮮烈にきこえました。第2楽章も明晰、明快でおよそかげりというものを感じさせない演奏に圧倒されます。それでも巧さ、正確さだけではない何ものか、プラスα(アルファ)があふれているようで、戦前にR.シュトラウスに見出されただけのことはあるのかと感心しました。

 ところでオーケストラの定期公演の前にプレトークがあったり、終演後に引退される団員のセレモニーがあることがあります。セル時代のクリーヴランド管弦楽団には随分と団員の入れ替わりがあったそうですが、どうもそんな和やかなことをやっていることは想像できません(リハーサル映像の断片からもセルに限らず昔の指揮者は多かれ少なかれそんな風に見える)。 それでも録音で聴くセルの演奏には今でも魅力を感じてしまいます。
1 7月

ベートーベン交響曲第3番 クレツキ、チェコPO・1967年

160415ベートーヴェン 交響曲 第3番 変ホ長調 Op.55「英雄」

パウル=クレツキ 指揮
チェコ・フィルハーモニー管弦楽団

(1967年2月18-21日 プラハ,ルドルフィヌム 録音 Supraphon)

 夏至から数えて11目を半夏生(はんげしょう) と言い、雑節の一つだと今朝ラジオで言っていましたが今まで知りませんでした。蛸を食べたり小麦入りの餅を食べる風習がある地域もあり、田植えの後に稲が根をはってしっかり伸びるように(蛸の足のように?)という祈念も込めて守ってきたそうです。7月初日の今日は日差しも戻り、この夏は予報通り特別に暑くなりそうなので既にうんざりしました。夜になって先日注文したトールボーイ型のスピカーが入荷していたので受取に量販店寄ったところ、車に積み込むだけで汗だくになりました(思ったより大きくて重い)。底部にバラストを入れて安定をはかるのと低音を充実させる調整ができると、事前に見た説明書に書いてあったので店頭で「スピーカー専用バラスト」があるかと尋ねると、専用のものはないと言われました。自分もそんなものがあるとは今まで知らなかったので、そら簡単に売ってないだろうと思いました。ただ、ホームセンターで市販している砂を使うにしても、ややこしい砂を選べば虫がわいて出たりしそうでちょっと嫌です。

160701 ユダヤ系ポーランド人指揮者、パウル・クレツキがチェコ・フィルハーモニーに客演して完成させたベートーベンの交響曲全集が急にシングルレイヤーのSACDで何度目かの再発売されました。最近はシングルレイヤーじゃなくてもハイブリットのSACDで古い録音を再発売する商法が見られます。 商法というか親切と言うべきかもしれず、特にクレツキとチェコPOのベートーベンはこのSACDになって古い絵画を洗浄したような鮮明になりました。SACDでも2chだけしか再生できないので、こういう場合は良質な2チャンネルのオーディオの方が有難いところなのでしょう。とりあえずブルーレイ・プレーヤーとSACDプレーヤーの両方で聴いています。

 この録音の頃にはクレンペラーが生き残っていたものの19世紀生まれの巨匠がだんだんと世を去り、 ベートーベンの演奏も移り変わっていたことだと思います。今このエロイカを聴いても特に刺激的、斬新という衝撃はあまり無いと思いますが、古い世代の演奏だとは思えない簡潔で、誇張の無いベートベンが新鮮に聴こえます。録音時のオーケストラの編成はどうなっているのか記載はありませんが、同時期のベルリン・フィルやライプチヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団らのベートーベンを思いうかえべると、それらよりずっと明快で、各パートがよく聴こえてきます。あるいは「英雄」というタイトルは関係無いくらいに音楽だけで完結しているという印象です。

 クレツキは1963年に日本フィルに客演した後、1967年(この録音の年)にはスイス・ロマンド管弦楽団の初来日時にアンセルメと一緒に来ていました。両方とも自分が生まれる前のことなのでクレツキの演奏も生で聴くことは無理でした。クレンペラーよりも15歳若いのに同じ1973年に亡くなったので、クレツキのレコードはそれほど残っていないのが残念です。このベートーベンのようなスタイルでブルックナーを指揮していたら面白かったと思いました。
14 5月

クレンペラーのエロイカ ウィーン芸術週間・フィルハーモニアO

150514aベートーヴェン 交響曲 第3番 変ホ長調 Op.55「英雄」


オットー=クレンペラー 指揮
フィルハーモニア管弦楽団


(1960年5月29日 ウィーン,ムジークフェラインザール  ライヴ録音  Altus,他)


150514 オットー・クレンペラー 良き音楽の弁護士」というのは平成10年11月に日本語名「クレンペラー 指揮者の本懐」というタイトルで翻訳本が出た、Stephan Stompor(ステファン・シュトンポア)編のクレンペラーの文章や言葉を集めた本の原題を直訳したものでした。その翻訳をした野口 剛夫氏がクレンペラーが、フィルハーモニア管弦楽団を引き連れて1960年のウィーン芸術週間で演奏したベートーベン・チクルスのSACDシングルレイヤー版の冊子の巻頭に寄稿していました(「オットー・クレンペラー 良き音楽の弁護士」というタイトルで)。今日5月14日はオットー・クレンペラーの誕生日(1885年)であり、前晩から徹底的にクレンペラーの録音を聴きまくりたいところですがそういうわけにもいかず、そのウィーンでのエロイカを聴いて思いをはせました。かつては輸入盤のみで簡素な装丁で出ていたものが、国内盤仕様のCD、LP、SACDシングルレイヤーと三種も続けさまに出るとは驚くべきことです。

150514b このエロイカを含む1960年のウィーンでのベートーベンについてレッグは、「五十年前にマーラーの下で一メンバーとして仕事することを夢見たウィーンで(クレンペラーが)最大の成功を収めたのは、この時だったと、私は思う」と言っていました。野口剛夫氏の文章の中に「他と比べることでクレンペラーの真の偉大さを矮小化させてはならない」とありましたが、下記に他ではなくクレンペラーが残した各種エロイカの録音のトラックタイムを並べました。今回の終楽章は拍手の部分を除外しています。Altus から国内盤仕様で出たものでエロイカを聴いていると、第一楽章の最初の部分のところでフィルハーモニア管弦楽団がこういう音だったかとちょっと驚きました。軽くないのに春風が吹きこんできたような軽やかさで、ウィーンのオケかと間違いかねないと思いました。それでいて明晰で輪郭が曖昧にならない、えも言われないエロイカです。

PO・1960年ライヴ・ウィーン芸術W
①15分30②14分36③6分07④12分10 計48分23

VSO・1963年ライヴ・ORF
①15分54②15分05③6分17④12分41 計49分57
PO・1959年・EMI
①16分36②16分52③6分36④13分14 計53分18

ストックホルム管・1958年ライヴ
①16分35②17分02③6分37④13分26 計53分40
ベルリン放送SO・1958年ライヴ
①16分03②15分22③6分18④12分06 計49分49
王立デンマーク管
①15分20②14分04③6分02④11分36 計47分02
PO・1955年・EMI
①15分48②14分38③6分23④12分24 計49分13

 
 さて、今回の1960年のライヴ録音はクレンペラー大火傷から回復した後なので(本当は一年前にロンドンでベートーベン・チクルス三度目を行う予定だったが一年延期になり、このウィーン公演となった)、それ以前の1950年代よりも一段と遅いテンポになっていく頃でした。にもかかわらず、リピートの有無の加減があったとしても、1955年のセッション録音よりも短いというのは異例です。「真にオーセンティックなベートーベン(二日目、第4番と第5番、エグモント序曲)」、「なんという緊張と迫力、楽章の有機的発展における、なんという剛健さ・・・、なんという構造の明解さ~(最終日、第1番、第九)」、公演についての新聞記事の抜粋を見るだけでも当時の熱狂度がうかがえます。CDで聴いているとそうした評が過剰なものでないと実感できます。

 冒頭の「良き音楽の弁護士」というのは、1936年にクレンペラーがカリフォルニアのオクシデンタル・カレッジから名誉法学博士号を授与された時の記念演説に由来します。クレンペラーの誕生日にちなんで以下引用して終わります。「そして私たち音楽家の務めとは何でしょう。私たちは罪なき女性である音楽のために戦っているのです。彼女は告発されていないでしょうか。音楽は、無用でただの贅沢であると責められている。しかし音楽に罪はないのです。どこに音楽に死を宣告する理由があるでしょうか。私は無いと思います。正反対です。音楽家には、高貴な女性である音楽を守るという義務があります。音楽を物質主義の攻撃から守らねばなりません(『クレンペラー 指揮者の本懐 - ステファン・シュトンポア編、野口剛夫 訳 春秋社』より)。」

28 2月

ベートーベン交響曲第3番 ドホナーニ、CLO

ベートーヴェン 交響曲 第3番 変ホ長調 Op.55「英雄」

クリストフ・フォン・ドホナーニ 指揮
クリーヴランド管弦楽団

(1983年10月23日 クリーヴランド,セヴェランスホール 録音 Telarc)

140228  ザッハトルテといえばウィーン生まれのチョコレートケーキとして有名ですが、現在ではそのレシピが公開(ドイツ語のみ)されているので作ろうと思えば可能だそうでした。ランチにアルザス食堂へ行ったところデザートはザッハトルテがあると言われたので、その名称を名乗っていいのか??と思っているとレシピは公開されていると言われました。シェフはストラスブール(シュトラスブルク)出身なのでドイツ語もできるようです。ところでザッハトルテが生まれたのはオーストリア・ハンガリー帝国にメッテルニヒが健在だった時代で、そのお抱え料理人のひとりだったフランツ・ザッハーがあるじの命令によって考案したとなっています。ウィーン会議は終わりナポレオンは既に世を去った後、ベートーベンが亡くなってしばらくした頃でした。

 このCDはドホナーニとクリーヴランド管弦楽団によるベートーベン交響曲全集の廉価分売版です。テラークからレギュラーの値段で長らく出回っていて高いから見送っていました(あいかわらずせこい)。知らぬ間に二枚組で復刻されていました。ヨーロッパ生まれの音楽家がアメリカでポストを得る例は、ユダヤ系・第二次大戦・ナチス絡みであることがよくありました。しかし1980年、1990年代にも大物がアメリカのオケによく来ていました。ドホナーニはヨロッパに留まっていてくれればと、あまり演奏を聴いていないのに十代の頃残念に思っていました。

 このエロイカもそうですがドホナーニのベートーベンは何の意味も現さない幾何学模様のように、あらゆる文学的な要素と遮断されて作品以外の何物も受け付けないような美しさです。これを演奏している会場で聴いていたらどんな風に聴こえただろうと思います。演奏時間は下記のようになっています。第一楽章以外はセルの録音と似た演奏時間ですが、それでも聴いた印象はかなり違います。およそ、聴く者を酔わせるような意図が全くないと言えば言い過ぎかもしれませんが、とにかく不思議な魅力を感じます。

ドホナーニ・CLO(1983年)
①16分30②15分10③05分12④11分25 計48分17

セル・CLO(1957年)
①14分46②15分34③05分33④11分27 計47分20
オーマンディ・フィラデルフィアO(1961年)
①14分50②17分03③05分50④12分18 計50分01

 ドホナーニは1984年から2002年までクリーヴランド管弦楽団の音楽監督を務めていましたが、LP、CDの方では有名作品を録音していたもののどうも地味な扱われ方だった気がします。ウィキの解説(クリーヴランド管)によると長期の任期の間にオーケストラを対抗配置(アメリカのオーケストラでは初)を定着させ、セヴェランスホールの大改装(セルの時代にパイプオルガンがコンクリートで覆われて見えない状態になっていたらしい)を行いました。このベートーベンの連続録音の頃にはホールの大改装はまだ完成していないはずですが、オーケストラとホールを含めてドホナーニの好みの楽器に育てて行くったと言えます。

 二年前の夏に見つけたアルザス食堂(戎川通高倉西)は、ランチ時はコーヒーとデザートが付いて1,350円(500円増しのメニューもある)、料理のみなら1,050円なので、ワンコインのカレーの三倍以下なので安い方です。メッテルニヒは若い頃アルザス地方のシュトラスブール大学で学んだと書いてあり、当時はフランス王国領ではなかったのか?と考えながら、今日のメニューと間接的に縁があったわけだと思っていました。

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昭和40年代生まれ、オットー=クレンペラーの大フアンです。クレンペラーが録音を残したジャンルに加え、教会音楽、歌曲、オペラが好きなレパートリーです。

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