raimund

新・今でもしぶとく聴いてます

シューマン交響曲、協奏、管弦楽曲

28 8月

シューマン交響曲第4番 パレー、デトロイトSO/1953年

180828シューマン 交響曲 第4番 ニ短調 op.120

ポール・パレー 指揮
デトロイト交響楽団

(1953年12月26日 デトロイト,旧オーケストラホール 録音 Mercury/TOWER RECORDS)

 昨日の朝八時前、職場近くを歩いていると朝から不快な暑さなのにどうも普段と違う気がしました。なんのことはない、クマ蝉が全く鳴いていないのでバスと車の音くらいしかきこえてこなかっただけでした。これは秋の気配と受け取ればよいのか、例年よりも早く地上に出て鳴きまくったからセミ一座もこの夏はこれで撤収なのか。どっちにしても台風20号が通り過ぎた後の猛暑日はいっそう身にこたえます。ただ、先月末に受けた半年毎の血液検査の結果を見ると諸々の数値が改善されて肝機能のGなんとかもあと一歩で正常域に戻ります。そんなはずは無いと思いながら原因を考えると、毎日納豆を食べている、昼はしっかり食べてその分夜は少な目、アイスの類は滅多に食べていない(暑すぎて飲料ばかりになったから)、くらいでした。

 1953年録音のシューマンの交響曲、しかもアメリカのオーケストラとフランス出身の指揮者が演奏となると、今でこそ別に珍しくないとしても、これが新譜で発売された頃なら特に日本では購入意欲をあまり刺激しなかったことだと思います。これはタワーレコードの企画でCD化されたパレーとデトロイト交響楽団のシューマン交響曲全集です。ポール・パレーは個人的にかなり好きな指揮者の一人なので、「ポール・パレーの芸術
」シリーズを思い出したように、時には「もういいかな」と放置しつつ、結局かなりを分売で購入していました。

 トラックタイムは転記しませんがパレーの演奏は速目のテンポで進むことが多く、ちょっとシューリヒトに通じるところもありそうで、独墺系作品も魅力的だと思っています。個人的にはワーグナーの管弦楽曲集は蒸留したようでもワーグナーらしさも健在で、最初に聴いた時はかなり刺激的でした。そのワーグナーと同様にシューマンも、聴く前は多分違和感が大きいだろうと先入観に支配されて思っていましたが、実際に聴いてみるとそんなことはなくてその魅力にちょっと驚かされます。

 どこが驚くような魅力なのか、説明できる能力が無いのがもどかしいところですが、例えばこのシューマン全集(と言ってもCD2枚組)が出てしばらくで交響曲第1番が絶賛(解説にそのように書いてあった)されたりしていたくらいなので、単に古い録音だけに興味を持つとかそんな層だけのものではないはずです。ベルリオーズの幻想とかでクレンペラーの録音と演奏時間を比べるとかなりの差が出て、自分はクレンペラー党なのに何故このタイプの演奏にも惹かれるのか?と思います。共通の魅力があるとすれば、幻想にせよ田園にせよ標題的なものに寄りかからないタイプの演奏、くらいかと思われて、雑に言えばパレーはクレンペラーが武装を解いて身軽になったよな姿といった印象です。
9 2月

クレンペラー、BBC交響楽団 シューマンSym.4/1955年

180209シューマン 交響曲 第4番 変ホ長調 作品120

オットー=クレンペラー  指揮
BBC交響楽団

(1955年12月14日 BBC Studios.Meida Vale 録音 ICA Classics)

 最近俄かに関心をもっている作曲家、フランソワ・クープランは自分の生まれるほぼ300年前に生まれたのに気が付き、誕生日も近いので妙に親近感が増しています。さて、個人的に年間を通じて好きなシーズン、二月に入って最低気温が氷点下の日が続きます。屋外に置いている自動車のフロントガラスには同じくらいの外気温でも、霜が張り付いている日と全くそうではない日がありますが、今朝は特に激しく凍り付いていました(マイナス2℃)。ボンネット上にもびっしりと霜が凍っていて、エンジンをかけてから30分以上経ってもまだ四割くらい残っているのにはちょっと驚きました。停車してエンジンをきってから時々ボンネット上に猫が座っていることがあるので、そこそこ熱が伝わっているはずなのに、氷点下の気温のためかと思いました。かつてはインプレッサの1500でもボンネットにアルミ材を使っていたというスバル、さすがにもうそんなことはしていないそうです。そういえば自分の車がリコール対象になったという悲報が届きましたが、件の検査員の資格問題の延長らしくて、通常の定期点検時まで待つことになったので別に手間はかかりません。

 このCDはリチャード・イッター(Richard Itter 1928~2014,Lyrita レーベルの創始者)がBBC放送のFMを私的にエアチェックした音源の中からBBCの承認の下で発売されているシリーズの第二弾で、『オットー・クレンペラー:1955-1956年秘蔵音源集』と銘打った四枚組でした。モーツァルトのヴァイオリン協奏曲第5番やドビュッシーの夜想曲から「祭り」といった、EMIのLPにないレパートリーが含まれているのも注目です。今回はそれらではなく、気分でシューマンの交響曲第4番です。

 イッター氏が個人で楽しむために当時の最高機器を使ってエアチェックした音源をCD化したものなので、バイロイトとかの素性がわからないライヴ盤よりは聴きやすいものでした。しかし、ラジオ放送を録音した上にCD化に際して色々さわっているので同時期のEMI盤のようなわけにはいきません。それでもこの時期にクレンペラーがフィルハーモニアO以外のロンドンのオーケストラを指揮した音源は珍しいので大いに気になりました。

 1955年のこの時期といえばクレンペラーとフィルハーモニア管弦楽団がエロイカの初回録音を終えたあたりなので、このコンビ最初の絶頂期にさしかかったと言えますが、今回のシューマン第4番はあのエロイカ程の威容でもなく、録音の音質の加減もあってか金属的で冷たい印象も前面に出てきます(それでこそクレンペラーとも言えるか?)。まだこの曲だけを二度聴いただけなので「
955-1956年秘蔵音源集」の真価ははかりかねます。クレンペラーの1950年代のライヴ音源はセッション録音よりも激しいタイプのものもあって興味深いのでこの録音集もこれからじっくり聴いていきたいところです。
9 10月

シューマンのライン交響曲 クレンペラー、ニュー・PO

151009aシューマン 交響曲 第3番 変ホ長調 作品97「ライン」

オットー=クレンペラー 指揮
ニュー・フィルハーモニア管弦楽団

(1969年2月 ロンドン,Abbey Road Studios録音 EMI)

 シューマンの最後の交響曲は第4番ではなくて1850年に作曲された第3番「ライン」でした。1851年にシューマン自らの指揮によってデュッセルドルフで初演しています。ライン河が流れるケルンを訪れた際に曲の構想が生まれたとされています。そのライン河にこの曲の初演から三年後に飛び込んで自殺をはかるとは、この曲からはそんなかげは見つけられません。思えば躁鬱病のため、多くの奇行でも有名だったクレンペラーですが、自殺をはかったという話は読んだ覚えはありません。敢えて伏せてあるのかもしれませんが、極端な鬱期には静養していたこともあったので保護も行き届いていたかもしれません。

交響曲 第3番 変ホ長調 作品97
第1楽章:Lebhaft(生き生きと)
第2楽章:スケルツォ-Sehr mäßig(きわめて中庸に)
第3楽章:Nicht schnell(速くなく)
第4楽章:Feierlich(荘厳に)
第5楽章:Lebhaft(生き生きと)

 クレンペラーが第二次大戦後にEMIへ録音したものは協奏曲や序曲等を除いて大半を一度は取り上げていたはずですが、シューマンの交響曲第3番はまだでした。この録音はLPの時には最後まで一枚当り2,500円の準レギュラークラスで売られていて、それを購入してしばしば聴いていました。その頃もそこそこの評判だったと思いますが、録音されたのが1969年と最晩年期にさしかかり万事衰えていよいよ浮世離れした芸風に傾いていました。そんな時期でも発酵と腐敗の境目の絶妙な?香気を放つような録音もありました。シューマンの第3番そこまで突き抜けたような冴えは無いように思え、第1楽章は特に終始停滞した印象です。ただ、それでも第4楽章は正しく荘厳そのものの上に寂寥感も漂い、特別に魅力的だと思います。

151009b クレンペラーのシューマンでは個人的には交響曲第2番が特に気に入っていて、クレンペラーでも最晩年(第2番は1968年10月の録音)だからこその演奏ではないかと思います。クレンペラーは子供の頃、家庭で父親がシューマンの歌曲を歌い、皆でシューマンの合唱曲を歌ったりしたのでシューマンには特に愛着を持っていたようです。交響曲第2番ではそんな率直な感慨はあまり想像できず、彼がブルックナーやマーラーを振った時の、盤石な構造物をまるで厚いガラス越に見たような歪み混じりの頑強さを思わせます(誇張するれば)。交響曲第3番ではちょっと憑物が何割か落ちて、手加減というか大らかに指揮しているような解放感を感じます。

 シューマンのライン交響曲はここ何年か、正月になると何故か無性に聴きたくなりました。それは多分両端楽章が爽やかで清々しく感じられるからで、同じようにメンデルスゾーンのスコットランド交響曲のコーダ部分も正月に聴きたくなっています。このクレンペラーの録音は残念ながらそうした趣向にはあまり合いません。なにせスコットランド交響曲の急に明るくなって登場するコラール風の主題を含む部分をカットして、単調のままで終わるクレンペラー版のコーダを作っているくらいなので。
2 7月

シューマン交響曲第2番 クレンペラー、ニューPO

シューマン 交響曲 第2番 ハ長調 op.61

オットー・クレンペラー 指揮
ニュー・フィルハーモニア管弦楽団

(1968年10月 ロンドン,Abbey road Studio No1 録音 EMI)

 今朝御池通を歩いていると前方から羽織袴の男性が歩いてきました。一瞬チャンバラ・トリオかと思いましたが、そんなわけはなく祇園祭りの行事か何かかもしれないと思いました。昨日の新聞で祭りの始まりだという記事が載っていました(日傘をさした稚児さんが歩いていた)。三条通の商店街ではスピーカーから祇園囃子がエンドレスに流れていて、またいつもの暑い夏がやって来たのを実感します。今年の祇園祭は山鉾巡行が7月17日(前祭)と24日(後祭)の二回になり、炎天下の巡航の時間が分割・短縮されますが、混雑はどうなることかと思います。

140702 今回は昨日のCDと同じ年、同じ月にセッション録音されたシューマンの交響曲第2番です。テスタメントのサイトにアップされていた日本語解説は、クレンペラーのシューマンに対する記憶、イメージとちょっと違って意外に思いましたが、実際に公演のライヴ録音を聴くと肯かされます。こちらのセッション録音の方は国内盤LPを購入して聴いていたもので、長らくこの曲で唯一持っている録音でした。初めて聴いた時は微妙に居心地が悪い、座標軸が微妙に歪んだ空間に居るような不思議な感覚で、作品そのものに対する印象も良くありませんでした。反面クレンペラーが残したシューマンの四つの交響曲のセッション録音の中で、この第2番が一番クレンペラーらしくて、作品の空気にマッチしていると思いました。

交響曲 第2番 ハ長調
第1楽章 Sostenuto assai - Allegro ma non troppo
第2楽章 Scherzo. Allegro vivace
第3楽章 Adagio espressivo
第4楽章 Allegro molto vivace

 交響曲第2番は1845年から翌年にかけて作曲されて、1846年11月にメンデルスゾーン指揮、ライプチヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団によって初演されました。その当時シューマンは精神障害の症状が強くなり、1844年に音楽院の教授を務めていたライプチヒからドレスデンへ移住していました。この曲は他の交響曲同様にオーケストレーションに問題があるとされただけでなく、シューマンのそうした病状を反映した暗さも指摘されていました。現代では必ずしもそうではないと見直されているということですが、上記のテスタメントの解説にもそうした内容がありました。今あらためて聴いているとこの程度で暗いとか言えば、この世の中を生きていけないくらいだと思います。

EMIセッション録音(Abbey Road Studio No1)
①14分11②7分53③8分34④10分27 計41分05
ライヴ(ロイヤル・フェスティバルホール)
①14分19②7分52③9分46④10分35 計42分32

 それはともかく、クレンペラーのシューマン第2はマイナスとマイナスがぶつかればプラスになるくちなのか、かなり真っ直ぐで明るい演奏として捉えられていたようです(自分の記憶の中の印象とは違う)。昨日のライヴ録音の公演時の評には、「スケルツォは羽毛のような軽さで過ぎ去ってゆき、アダージョのフレーズは極めて詩的な効果に彩られている」という賛辞もありました。羽毛の軽さとか詩的な効果なんてクレンペラーの対極のようなイメージがありそうですが、なかなか奥深いものがあります。ただ、セッション録音を聴く限りはそういう賛辞はちょっと過剰のようにも思えます。シューマンの交響曲第2番は最近京響の定期のプログラムにもあって、結局見送りましたが今になって聴きのがしたのが残念です。

1 7月

シューマン交響曲第2番 クレンペラー、ニューPO・1968年ライヴ

シューマン 交響曲 第2番 ハ長調 op.61


オットー・クレンペラー 指揮
ニュー・フィルハーモニア管弦楽団


(1968年10月10日 ロンドン,ロイヤル・フェスティヴァル・ホール ライヴ録音 TESTAMENT)

140701a 昨日の朝七時過ぎ頃、ワールドカップの決勝トーナメントの二試合目がまだ続いていると分かったので、録画しているはずのレコーダーを見たところランプが消えて停止していました。プロ野球式で最後まで中継はしないのかと思ったところ、7時まではNHK総合、それ以降はNHK・Eテレで放送することになっていました。サン・テレビがリレー放送する阪神戦と同じだったわけですが、延長戦の途中で局が変わるのはどんなものかと思いました。。日本が大会直前に対戦して3:1で勝利したコスタリカ、GLで0:0だったギリシャの対戦だったのでちょっと注目カードでしたが、結局延長戦とPKは録画できませんでした今朝のドイツVSアルジェリアも延長戦になったので今度は直前に予約を追加しました。

 そんなことに翻弄されているうちに今日から七月です。7月6日はクレンペラーの命日なのでブログ恒例でクレンペラーの録音をまた振り返ります(これもネタが切れかかっている)。これは昨年にテスタメントから五種放出発売されたクレンペラーの1960年代後半のライヴ音源の一つです。1968年(昭和43年)10月10日に行われたニュー・フィルハーモニア管弦楽団の定期公演で、客席の騒音や拍手等も入っているので放送用音源と思われます。ラモーの「ガヴォットと六つの変奏 (クレンペラー編曲)」、モーツァルトのプラハ交響曲、それからシューマンの交響曲第2番というプログラムです。ただ、モノラルのうえに音質はあまりよくないのが残念です。

 シューマンの交響曲第2番は他の二曲同様この公演と同じ時期にセッション録音しているので、特に珍しくはありません。演奏時間・トラックタイムは下記の通りで、第三楽章だけが1分程度の差があるものの当然のことながら似た数値になっています。なお、第四楽章終了後には二十数秒間盛大な拍手が入っています。シューマンの第2番はそれ程の歓喜の拍手を呼ぶ曲だという意識ではありませんが、まるでマーラー作品のコーダ部分の高揚感を思い出させられ、聴いていると自然な反応に感じられます。

ライヴ(ロイヤル・フェスティバルホール)
①14分19②7分52③9分46④10分35 計42分32
EMIセッション録音(Abbey Road Studio No1)
①14分11②7分53③8分34④10分27 計41分05

140701b クレンペラーはシューマンの四つの交響曲をEMIへ録音していますが、第4番以外はニュー・フィルハーモニア管弦楽団と改名(自主運営)後、1960年代後半に録音しました。テスタメントのサイトにある日本語サイトに五種のクレンペラーのCDについての文章が載っていて、それによるとクレンペラーは1920年代にソ連へ客演した際にシューマンのラインを演奏したことがあり、現地の新聞にレビューが載ったとありました。しかしその文章は、フィルハーモニア管弦楽団を指揮する頃までは、よりポピュラーな第1番と第4番しか振らないよう自制していたと続きます。これはどういうニュアンスだったのか、クレンペラーが手を加えたオーケストレーションが物議をかもしたのか、あるいはカットして演奏したのか(ひんしゅくを買ったとか)、詳しくは分かりません。

 とにかくこの公演は大成功だったようで、「この指揮者にかかればシューマンは我々がイメージする作曲家ではなくなってしまうが、同時に第一楽章と第三楽章の高雅さや壮大さが極限まで高められた演奏」、「聴衆をこの作曲家に心酔させオーケストラが絶賛される結果を導き出した」と評されています。また一方では「クレンペラーの厳格な分析気質がロマン派の音楽と嬉々として共存していること自体、未だ信じられないような驚きだ(ピーター・スタッドレン)」とも評されました。セッション録音の演奏よりもより動的で湧き立つような感覚です。

12 3月

シューマンの「春」 クレンペラー、ニュー・フィルハーモニアO

シューマン 交響曲 第1番 変ロ長調 Op.38「春」


オットー=クレンペラー 指揮

ニュー・フィルハーモニア管弦楽
 

(1965年10月 ロンドン,Abbey Road Studio 録音 EMI)


 NHK・FMの番組「きらクラ!」の中でこのところ孤独に絡めてシューマンの名前が取りざたされています(ふかわ→フーマンとか)。なんか真夜中の丑三つ時くらいに「こどクラ!」という番組を放送すればどうかとかで、それに使うテーマ曲をリスナーが送ってきたりとネタが膨らんでいます。それを聴きながら孤独とか寂しいという実感ができるのは健全さの証明じゃないかと思っていました。そうしたところ、番組終了間近い「笑っていいとも」の中でタモリさんが同じようなことを真面目に答えていて、我ながらちょっとはまともなことを考えられるんだなと安堵していました。こういう流れからシューマンの交響曲第2番といきたいところが、寒さが緩みつつあるので第1番「春」の方にしました。

 交響曲第1番「春」は、1841年2月に作曲されたシューマンの最初に完成された交響曲でした。初演は翌3月31日にメンデルスゾーン指揮、ライプチヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団によって行われました。その後改訂されて1853年に出版されています。通常演奏されるのはそちらの方です。「春」という表題は作曲者自身が最初に付けたものでした。シューマンは1840年9月にクララと結婚したところで、第1番「春」に続いて九月には交響曲第4番を完成させました。そんな時期に作曲しただけに第一楽章のファンファーレからして「春」が一気に到来したかのようで、タイトルもだてではないと思えます。この曲を思い出す時に頭の中に流れるのはクレンペラーではなく、いつの間にかバーンスタイン指揮のウィーンフィルになっていました。
 

交響曲第1番 変ロ長調 作品38
1. Andante un poco maestoso - Allegro molto vivace 
2. Larghetto 
3. Scherzo :Molto vivace-Trio1-Molto piu vivace -Trio2
4. Allegro animato e grazioso


 クレンペラーはシューマンの四つの交響曲をステレオ録音で残していました。第4番は1960年の録音でしたが、それ以外の三曲はフィルハーモニア管弦楽団が自主運営のニュー・フィルハーモニア管弦楽団になってからの録音時期でした。第2番が1968年10月第3番は1969年2月で、第1番も含めて三曲は Abbey Road Studio で録音しています(第4番はキングスウェイ・ホールだった)。これらクレンペラーによるシューマンの交響曲は、LPの時代から国内盤でカタログに残っていました。純然たる廉価盤シリーズではなく、一枚2,500円のベストシリーズでした。なお、そのシリーズに入っているクレンペラーのLPはマーラー:「大地の歌」、ブルックナー:交響曲第9番、シューマン:交響曲1番・2番と3番・4番、メンデルスゾーン:交響曲3番・4番、ハイドン:軍隊・時計の六種類・6枚だけでした。

 クレンペラーのEMI録音の中で、早くからある程度定評があったシューマンでしたが自分の中では第2番が特に魅力を感じ、第1番「春」の方はいま一歩といった印象でした。というより「春」という喜ばしくて弾むような空気に乏しく、大きな山車が軋みながら進むぎこちなさです。クレンペラーは少年時代からシューマンの作品に親しんでいて生涯愛着を持っていたようですが、演奏のスタイルは変わらないようです。1950年代の演奏だったらまた少し違ったかもしれません。

 なおシューマンの交響曲はオリジナルのオーケストレーションに問題があるとして、しばしば指揮者が手を加えてきました。最近はオリジナルのまま演奏するケースも増えています(レヴァイン指揮、フィラデルフィア管)マーラー版というのもありますが、クレンペラーは自分で変更を加えたオーケストレーションで演奏しています。これについて指揮者はそれぞれ自分でやり方を見つけるべきとしています。ブルックナーの第8番やメンデルスゾーンの第3番で一部をカットしていることも含め、自分が指揮して演奏する場合にだけ結果について責任を持てるとしています。ということは、クレンペラー版として他の指揮者が演奏することは望んでいないということです(マーラー版は別かもしれないけれど)。


4 9月

シューマンの交響曲第3番 ワルター、ニューヨークPO

シューマン 交響曲 第3番 変ホ長調 OP.97「ライン」

ブルーノ・ワルター 指揮
ニューヨーク・フィルハーモニック

(1941年2月 ニューヨーク 録音 SONY)

130904 今日9月4日は足尾銅山鉱毒事件に取組んだ代議士の田中正造の命日で、今年はちょうど百年目に当たると今朝の新聞社説でふれられていました。十代の頃、政治家と言えば田中正造だと密かに傾倒していましたが、選挙に足を運ぶようになると何故か遠い存在のように思えてきました。社説に原発事故との関連で言及されていたように、3.11後は改めて田中正造の足跡が光を放ちます。乗っている船が沈みそうになると、多かれ少なかれ自分の身の安全を優先させるものだと思います。でも昨今の選挙の演説を聞いていると、どの候補者も船が沈みかければ真っ先に逃げ出しそうに見えてきます(ひがみ根性のためか)。田中正造の場合はそれの対極のような活動ぶりでした。今から見ればよく当選できたものだとつくづく思います。

 今朝は電車で出勤することにして駅に向かっていると、シューマンのラインの冒頭部分がふと頭に浮かびました。ここ何年か、ラインとかメンデルスゾーンのスコットランド交響曲のコーダ部分は何故か正月に聴きたくなり(その部分だけ)ます。今朝は別段良い事もなく、全然爽快な気分でも無いのに歩いていると、頭の中で湧き上がってきました。というわけでワルター、ニューヨークPOの古い録音のリマスター盤です。ワルターのシューマン・交響曲は戦後に再録音しなかったようで、この曲もこれが一番新しい(あるいは唯一か)ものです。

交響曲 第3番 変ホ長調 作品97
第1楽章:Lebhaft
      (生き生きと)
第2楽章:スケルツォ-Sehr mäßig
      (きわめて中庸に)
第3楽章:Nicht schnell
      (速くなく)
第4楽章:Feierlich
      (荘厳に)
第5楽章:Lebhaft
      (生き生きと)

 交響曲第3番はシューマン(1810-1856年)の最後の交響曲で、1850年に作曲されて翌年にシューマン自身の指揮によりデュッセルドルフにおいて初演されました。ライン河畔のケルン大聖堂を訪れた際に曲の構想が生まれました。シューマンの交響曲はオリジナルにはオーケストレーションに問題があるとして色々な指揮者がそれぞれ手を加えています。マーラー版は特に有名で、全部を採用したり部分的にそれに拠って演奏している録音も何種も出ています。一方で若い頃のレヴァインのようにオリジナルで演奏・録音したものもあります。このCDがどうなのかはよく分かりません。

ワルター・ニューヨークPO・1941年
①9分13②6分46③4分13④5分31⑤5分46 計30分29
レヴァイン・フィラデルフィア・1978年
①9分10②6分05③5分07④6分17⑤5分55 計32分24

 この録音は戦前の割に(SONY・輸入盤の割に)比較的聴きやすく、第4楽章以外の明るい曲風がよく伝わります。ケルン大聖堂で行われた枢機卿就任式を現したとされる第4楽章も魅力的です。ここ一年、ワルターの戦前の録音を復刻した(板起こしか)CDが出ていてCD店の店頭でかかっているのを何度か聴きました。NBC交響楽団とのライヴ録音で、ブラームス第1番(1940年)、モーツアルトのハフナー交響曲(1939年)は一部を聴いただけなのに、戦後のモノラル録音やステレオ再録音よりも魅力的だと思いました。このシューマン・ラインもそれらと似ています。

 田中正造は路上で明治天皇に直訴しようとして捕まり、乱心として処理され、亡くなる時の所持品は渡良瀬川の小石、ちり紙と新約聖書の邦訳冊子くらいだったと、子供向けの読み物にさし絵入で載っていました。A新聞朝刊の下段の社説は特に好きでもありませんが今日はこの名前を見つけてじっくり読んでしまいました。

19 4月

シューマンの交響曲第4番 クレンペラー フィルハーモニア管

シューマン 交響曲 第4番 変ホ長調 作品120


オットー=クレンペラー  指揮
フィルハーモニア管弦楽団


(1960年 録音 EMI)

 オットー=クレンペラーは1960年代にシューマンの交響曲全曲を録音していて、いずれも国内盤のLPレコードで出ていました。1番(1966年)、2番(1966年)、3番(1969年)、4番(1960年)の内今回の第4番が一番古い録音年であり、唯一フィルハーモニア管の頃にあたります。他の3曲はオケが自主運営化してニュー・フィルハーモニア管弦楽団と改称した後の時期の録音です。そういう年代なので第4番の録音だけプロデューサーがレッグ(Walter Legge)になっています(自主運営になったのはフィルハーモニア管弦楽団の創始者であもあるレッグがオケの解散を宣言したから)。このCDは第3番とカップリングされているので、シューマン・チクルスの最初と最後の録音が1枚に入っていることになります。ちなみにLPは2枚とも1枚・2500円のシリーズでした。
 

 これは自分にとって長年の愛聴盤で、最初に買ったLPもまだ手元にあります。シューマンの交響曲はオーケストレーションに問題があると言われ、マーラーや主に19世紀生まれの古い指揮者が独自に改訂を行っていました。クレンペラーも「どうしても改めなければならない個所がある」と称してそれを行っています(本人によるとマーラー程は行っていない)。これはシューマンの4つの交響曲の内、2番目に作曲されたもので、個人的にも一番好きな作品です。埋葬されても墓所から再び芽吹いて木になるような激しい情念(怨念とか執念という程濁ったイメージではない)を秘めているように思え、曲といっしょに引き上げられ、力づけられるような気にさえなります。クレンペラーの演奏もそうした私的な思い入れにぴったり来ました。
 

 ところでレコ芸別冊の「名曲名盤500」(80年代前半)ではシューマンの交響曲は、クーベリックとバイエルン放送SOの録音が票を多く集めていた記憶があります。クレンペラーの録音の何種かは3番手くらいには入っていた記憶があります。バーンスタインとウィーンPOの録音が出る前でした。
 

 先日のレヴァイン指揮、フィラデルフィア管弦楽団のシューマン第1交響曲は、全集の中に含まれていて4番も録音されています。作曲者オリジナルのオーケストレーションで演奏している等いろいろ特徴のある録音でした。その中で第4番だけが既存の曲に対するイメージから大きく乖離するというか、物足らない印象でした。他の曲は積年の垢、埃を洗い流した作品の姿が提示されたような新鮮な感動だっただけに、何故4番だけ?と少々意外に思えました。あるいはオーケスレーション云々の問題か、実はレヴァインの方が本来の姿なのか等、よく分かりませんでした。シューマンのオーケストレーションに手を加えないというのは、バーンスタインとウィーンPOの録音でも採用されていて、そうした見解も一定の地位を築いているのを知りました。

 「クレンペラーとの対話 P.ヘイワーズ編(白水社)」によると、クレンペラーの少年時代の思い出として、ピアノ教師だった母の伴奏で父がシューマンの「詩人の恋」を歌うのを聴いたり、家族でシューマンの作品を歌うのが楽しみだったそうです。そうした思いでもあって、シューマンの作品を演奏する時には特別に幸福を感じると述べています。その割に、クレンペラーのシューマンは屈託の無い幸福感に溢れているかといえば、そうでもなくいつもの調子です。EMIでクレンペラーの録音を数多く手掛けたプロデューサーのウォルター・レッグは、最晩年のクレンペラーの演奏(テンポ)には懐疑的だったようで、EMIの全集の中の田園交響曲でさえクレンペラーに「遅すぎるのでは?」と意見しています。また大作曲家ヒンデミットが指揮するベートーベンの交響曲の演奏会で、退屈のあまり途中で退席する程厳格な聴き手でもあります。このシューマンの第4番は、そんな厳格な(あるいは常識的な)レッグの許容範囲内だということになります。
 

 レヴァインやバーンスタインの録音も今から20~30年以上前の演奏ですが、解釈や演奏スタイル、聴く側の感じ方等いろいろ変化していて当然です。レヴァインの廉価盤から古い録音を引っ張り出すことになり、やっぱり良い曲だと改めて思いました。

7 4月

シューマンの交響曲第1番 春 レヴァイン・フィラデルフィア管

110407x シューマン 交響曲 第1番 変ロ長調 Op.38「春」

ジェイムズ=レヴァイン 指揮

 フィラデルフィア管弦楽団

(1978年12月30日 SONY MUSIC・RCA)

 今回のCDのパッケージには写真が1種類しか無いので昨日の、京都市の祇園町北側の桜の風景の写真を入れました。外国人観光客は少なめでしたが、ロシア語らしき言葉を話す巨漢を見かけました。桜はこれからが見ごろになります。震災だけでなく原発事故の波紋は観光の面でも広がりが懸念されます。

110407  このレヴァイン指揮、フィラデルフィア管弦楽団のシューマンは、昨年に再発売された超廉価盤のシリーズの一つで、マーラー交響曲選集と同時期の録音です。マーラー選集はフィラデルフィア管、シカゴSO、ロンドンSOを振り分けて録音していましたが、何となくフィラデルフィア管とのコンビが一番良かった気がします。今回のシューマンも期待できます。レヴァインはこの録音の約10年後にベルリンPOとシューマンの交響曲4曲を再録音しているので、あるいはそちらが代表的な録音なのかもしれません。ただこのシューマン2枚組は、レヴァインの写真さえ付いていない徹底して簡素なパーケージングです。モノクロでもいいのでせめて録音風景の写真一枚くらい入れてほしいものです。

110407z_2   HMVのHPにはこのシューマンの録音について以下のような特徴が挙げられていました。1.この録音時はまだ33歳だった。2.慣例的に行われたオーケストレーションの改変を行っていない3.フィラデルフィア管弦楽団の通常楽器配置を変更して、ヴァイオリン両翼配置にして演奏している。 4.セッション録音ながら1日で完了している。この中で特に2、4が注目です。1、についてもその年齢でアメリカの伝統あるトップ5のオーケストラを演奏した録音がメジャーなレーベルから出るとはただ者ではないと驚かされます。3、についてはフィラデルフィア管弦楽団は指揮者から向かって左端に第1ヴァイオリン、その右に第2ヴァイオリンと、ヴァイオリンが隣に並ぶという楽器配置でしたが、この録音では第2ヴァイオリンが右端に位置するという配置で演奏しています。ストコフスキーが始めたと言われる第1、第2ヴァイオリンが隣に並ぶ配置が現れるまでは、両側対向配置が一般的な楽器配置だったと言われています。近年はこの対向配置も増えています。 

110407y  4、のたった1日で録音が完了したというのは、一流のオーケストラ、演奏時間が30分代の曲という点を考えても、オーケストラとの意思疎通が上手く行っていて良い関係なのがうかがえます。2、の作曲者のオーケストレーションを変更せずに演奏しているのは珍しい例です。レヴァインがアシスタントをつとめたセルもシューマンの交響曲全部を録音していますが、オーケストレーションに手を加えているはずです。この録音では聴いていて軽やかで、非常に心地よく、オーケストラの音、各楽器がよくきこえる演奏です。この曲はLPレコードの頃にクレンペラーの、何となくギクシャクした印象を受ける録音で親しんでいました。それ以外ではあまり多くを聴いてはいませんが、この録音は「春」という名称が似つかわしい演奏だと思いました。

 「クレンペラーとの対話 P.ヘイワーズ編(白水社)」の中に、マーラー版のシューマン交響曲について言及しているところがあって、クレンペラーもシューマンのオーケストレーションはどうしても改めるべき個所があると言っています。ただ、「マーラー版のシューマン」やベートーベンの交響曲について加筆した部分は、「マーラーが自身のために行ったものであり、マーラーが指揮する時にだけ責任が持てる」と言ってたように、演奏者は皆自分のやり方は自分で見つけるのが本当だと締めくくっていました。その観点から、レヴァインが全く手を加えずに演奏しているのも一つの見識だと思います。と言っても手元にスコアを置いて、確認しながら聴いているわけでもないので、レヴューに書かれてあることの受け売りなのですが。

1. Andante un poco maestoso - Allegro molto vivace 
2. Larghetto 
3. Scherzo :Molto vivace-Trio1-Molto piu vivace -Trio2
4. Allegro animato e grazioso

 このCDはオーケストレーションの点は別にして、通常演奏される改訂稿で演奏しています。シューマンの交響曲第1番には初稿もあり、録音もされているそうです。

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22 5月

史上最大の侵略 シューマンのピアノ協奏曲

 シューマン ピアノ協奏曲イ短調作品54

 ディヌ=リパッティ~ピアノ

 カラヤン 指揮 フィルハーモニア管弦楽団 (1948年録音 EMI)

Shu1  今年はショパンイヤーだけでなくシューマンイヤーでもあり、FMの海外コンサートもショパン、シューマンを取り上げたプログラムが増えています。一昨日木曜の夜、雨降りの中、車で走行中に思い出したようにNHK・FMに合わせますと、アルゲリチ・デュトワのシューマン・ピアノ協奏曲の演奏が始まる直前でした。それでこのグリークやショパン、リストとカップリングされる協奏曲の事と、これが使われたTV番組のことを思い出しました。円谷プロによる空想特撮シリーズの3作目「ウルトラセブン」の最終回で、これは既に有名な話です。主人公が自分の正体(M78星雲の宇宙人・通称ウルトラセブン)を同僚の女性に明かして、最後のお勤めに出発する場面で、主人公が「ぼくはウルトラセブンなんだ」と言った瞬間、この曲の冒頭が流れ出し、画面が影絵のような映像になります。写真は、多分その直前の場面でしょう。確か1楽章が終わったタイミングで敵を始末して、飛び立ちます。

Shu2  ただそれだけの話題なのですが、それに使われたのがリパッティとカラヤンの古いLPだと言われています。製作者ならともかく、視聴者が探り当てたのなら大したものだと思っていました。しかし、セブンが放映されたのは1968年・昭和43年なので、最低でも1年前には制作にかかっているはずです。その頃入手し易いシューマンのピアノ協奏曲のレコードなら当然国内盤が出ているメジャー級のものだと思われ、そうするとかなり限定されてくるはずです。というわけで1948録音のこの録音も早いうちに網にかかっても不思議ではありません。

 リパッティ(1917-1950)は、ルーマニア生まれでコルトーにフランスへ招かれ活躍しましたが、33歳の若さで白血病かリンパ腫で亡くなりました。17歳の時のウィーン国際コンクールで2位になりましたが、その評価・結果にコルトーが猛抗議して審査員を辞任するという、ポゴレリッチとアルゲリチの時のような事態になりました。解説によりますと、リパッティは極端な完全主義者で、やり直すことが出来る録音という仕事が好きだったそうです。これはカラヤンと相性がいいかもしれません。このCDは同じくリパッティのピアノによるグリークのピアノ協奏曲が収録されています。こちらは指揮がアルチェオ=ガリエラです。LPの時代は、どちらかと言えばグリークの方が決定盤的な地位だったように覚えています。

Shu3  今このシューマンのピアノ協奏曲の録音を聴いてみますと、念入りなリハーサルや録り直しの成果なのか、とにかくリパッティのピアノの存在感に圧倒されます。カラヤンそこのけと言えば言いすぎかもしれませんが、ピアノが目だっています。さすがにもう古い録音だとは思いますが、それでもまだ色あせない魅力があります。この2年後にリパッティが世を去るとは残酷な現実です。横の写真は、主人公が積年の疲労と負傷の痛みをおしてウルトラセブンに変身しようとしている場面です。リパッティは、この録音の頃ゆっくり休暇でもとっていれば、あるいは発病しなくて済んだかもしれないと想像できます。せめて、スレレオ録音の頃まで活躍できていたら、ショパン、リスト等をもっと録音出来たのにと残念に思えます。

 余談ながら、最初の写真のアンヌ隊員=菱見百合子は後年R18映画等で脱ぎまくり、大幅なイメージチェンジでした。当時当然それは予測できませんでした。ちなみに、モロボシ ダン=森次 晃嗣は大河ドラマ「太平記」で足利尊氏の家臣(細川何某?)役で出ているのに気がつきました。ウルトラセブンの作品中に2000年という表記が出たことがありましたが、現在は番組作製当時、遠い将来と思われた21世紀に突入してしまっているわけです。東西冷戦だけは終わりましたが、いろいろな事柄は未解決で、昭和43年頃というのが遠い過去とまでは思えない気がします。

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raimund

昭和40年代生まれ、オットー=クレンペラーの大フアンです。クレンペラーが録音を残したジャンルに加え、教会音楽、歌曲、オペラが好きなレパートリーです。

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