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新・今でもしぶとく聴いてます

シューベルト・室内楽ピアノ付

16 9月

シューベルトのピアノ・トリオNO.2 オイストラフ他/1947年

220916シューベルト ピアノ三重奏曲 第2番 変ホ長調 作品100 D929

レフ・オボーリン (ピアノ)
ダヴィッド・オイストラフ(ヴァイオリン)
スヴャトスラフ・クヌシェヴィツキー  (チェロ)

(1947年 録音 MELODIA D 05018・レニングラード盤) 

 場所の記憶というのは結構いい加減で、一旦間違った記憶が定着するとなかなかそこから抜け出せないこともあります。京都市下京区の四条通より一筋南の東西の通り沿いにラ・ヴォーチェ京都のあるビルがあります。そこの1Fが喫茶店のような店だと錯覚していましたが、今年の夏その辺を歩いていると、そのビルの西へ少し行ったところに1Fに「京都で二番目においしいコーヒー」と看板に注記された店があるのに今更ながら気が付きました。その怪傑ズバットのようなコピーがいつからあったか知りませんが、中を覗き込んでこの店と勘違いして覚えていたと気が付きました。コーヒーと軽食を頼んでラ・ヴォーチェが開くのを待っていたことが何となく思い出されました。どうでもいい話ながら、その1980年代末に統一協会とかエホバの証人は既に名前が売れていて、親戚がキリスト教プロテスタントの熱心な信徒だったのでそれらを異端だ、異端だと言っていました。異端か正統かはキリスト教世界では重要極まりない問題だとしても、選挙をひかえた候補者にすれば役に立つかどうかが肝心ということでそれから三十数年経過したわけです。

 それはともかく、二曲あるシューベルトのピアノ三重奏曲、自分が特に好きだったのはどちらだったか、愛着のある楽章を含んでいるのは第2番だったか、しばらく聴いていないと記憶が薄れてきました。ある時ラ・ヴォーチェ京都の新入荷の中にこのレコードが載っていて、オイストラフのシューベルト、しかも室内楽というのは面白そうだと思い購入しました。レコードが入っているジャケットはふにゃっとした紙で、録音データの記載も無くて全部キリル文字、労働者の同志諸君用に量産されたような装丁です。仏のパテマルコーニュの装丁とはえらい違いです。レコード愛好者の中には旧ソ連のメロディアのLPを集める人も一定数居るそうで、同じレーベルでもレニングラード近郊でプレスされたもの、モスクワでプレス、グルジアとか東の方でプレスされた製品があって、その製造プレス場所も意識されているそうです。

 このシューベルトの第2番、1947年の録音とは思えないくらいの鮮明な音にまず驚かされます。あるいはもっと後の録音かもしれませんが、何分データが少ないのでネット上で出ているデータを一応採用しています。旧ソレンの大家らによるシューベルト作品ということで、聴く前はもっと肥大して膨張したように聴こえる演奏かと浅薄な偏見を持っていました。実際に聴いてみると端正で、誇張の感じがしない演奏で鮮烈な印象を受けました。特に第1楽章がぴったりの内容でした。終楽章はもっともの悲しい、ほの暗い、又はやりきれないような情緒が漂う作品だと個人的に思い入れを強くしているので、この演奏は健康的で真っ直ぐに過ぎるようにも思いました。ただ、作曲者の存命時にも演奏され好評だったというこの作品はむしろこういう演奏でこそ映えるのかとも思います。ピアニストのメジューエワさんがシューベルトの演奏で好きなピアニストとしてリヒテルらロシア・ソ連系の名を挙げて、墺太利系の演奏は少し淡泊に過ぎるという意味の評を書いていました、何となくその言葉の意味が察せられる気がしました。

 オイストラフ(1908年9月30日 - 1974年10月24日)はソ連・ロシアと記憶していますが正確にはウクライナのオデッサ生まれでした。オボーリン(1907年11月11日 モスクワ - 1974年1月5日)はモスクワ生まれ、チェロのクヌシェヴィツキー(1908年1月6日 サラトフ県ペトロフスク - 1963年2月19日 モスクワ)がペトロフスク(ボルガ川流域の都市らしい)出身で、オイストラフだけがユダヤ系のようです。1943年から
クヌシェヴィツキーが亡くなる1963年まで三人でオイストラフ三重奏団としても活動していました。四十年くらい前にオイストラフとオボーリンのベートーヴェンのレコード(クロイツェル・ソナタ他)を買ったことがあり、その時はトリオの存在は知りませんでした。
27 9月

シューベルトのピアノ三重奏曲第1番 トリオ・レ・ゼスプリ

190927シューベルト ピアノ三重奏曲 第1番 変ロ長調 D898

トリオ・レ・ゼスプリ
アダム・ラルーム:P
ヴィクトル・ジュリアン=ラフェリエール:VC
ヤン・ミサ(梁 美沙):Vn

(2018年1月16-18,22-25日 スイス,ラ・ショー=ド=フォン・音楽ホール 録音 Sony Classical)

 先週からラグビーのワールドカップが始まっています。その応援観戦のお客なのか、濃い緑のTシャツを着た欧米系男性を地下鉄と京阪の三条駅で見かけました。朝の7時前なのにどこへ行くつもりなのか、シャツの色から南アか豪州の応援らしく大男三人が目立っていました。テレビでは大らかに観戦できる日本戦以外を何試合か観て、スコットランドをトライ0におさえたアイルランドには圧倒されました。それにしても来週からもう十月だというのに、どこかしら生あたたかい湿気を帯びた気候には国連の演説じゃないけれど「許さない」とか「裏切り」と言いたくなります。

 さてシューベルトのピアノ三重奏曲の第1番、これはシューベルトの二曲のピアノ・トリオとアルペジョーネ・ソナタ、ヴァイオリンとピアノのための幻想曲を収めた二枚組のアルバムです。このトリオは全く名前も知りませんでしたがこれでラスト・レコーディングだそうです。アダム・ラルームは2009年クララ・ハスキル国際ピアノ・コンクール優勝者、チェリストのヴィクトル・ジュリアン=ラフェリエールは2017年エリザベート王妃国際音楽コンクール優勝者と紹介されています。ヴァイオリンの梁美沙(ヤン・ミサ)は大阪出身らしくて、2000年メニューイン国際コンクール・ジュニア部門優勝、第1回仙台国際音楽コンクールで第3位入賞となっています。2009年にはじめて三人でコンサートを行い、2012年に正式にトリオを結成したので、ほぼ十年一区切りでトリオ解消ということになります。

ピアノ三重奏曲 第1番 変ロ長調 D898
第1楽章 Allegro moderato 変ロ長調、ソナタ形式
第2楽章 Andante un poco mosso 変ホ長調、三部形式
第3楽章 Scherzo Allegro-Trio 変ロ長調
第4楽章 Rondo.Allegro vivace-Presto 変ロ長調

 最初に聴いたピアノ三重奏曲第1番は爽快というのか屈託無い清澄な印象でした。シューベルトのピアノ三重奏曲の内で個人的には第2番の方に惹かれていましたが、これを聴いた鮮烈な印象で一気に二曲の差が埋まった気がしました。前半の二つの楽章が長くて10分以上の演奏時間なのに対して後半の二楽章は短目なのはピアノソナタと似ています。このピアノ三重奏曲の第1番は四つの楽章の性格が似ていて統一感が強いのを実感できます。1987生まれのアダム・ラムール、ヤン・ミサは録音時に30歳か31歳なので、シューベルトがこの作品を作曲した頃と近い年齢にあたりました。これらを録音してトリオを解散というのも作曲者の寿命の年齢に近く、状況は全然違うとしても何か興味深いものがあります。 
14 12月

シューベルトのピアノ五重奏曲 ブレンデル、クリーヴランドSQ

181214シューベルト ピアノ五重奏曲 イ長調 D.667 「ます」

アルフレート・ブレンデル(ピアノ)

クリーヴランド四重奏団のメンバー
ドナルド・ワイラーシュタイン(Vn)
マーサ・ストロンギン・カッツ(Va)
ポール・カッツ(Vc)

ジェイムズ・ヴァン・デマーク(コントラバス)

(1977年8月 ロンドン,ヘンリー・ウッド・ホール 録音 DECCA/PHILIPS)

 シューベルトのピアノ五重奏曲は第4楽章が歌曲「鱒」の主題による変奏曲であり、子供の頃に自宅にあったレコードブック(当時百科事典のように家庭に販売されたセットもの)の断片、「室内楽編」の中にその変奏曲も入っていて、粗末なモジュラーステレオでよく聴いていました。やがて自分の小遣い銭でレコードを買うようになった際に当然この曲も候補に挙げて色々探し、今回のブレンデルがピアノを弾いたものも有名で目にとまりましたが何となくスルーしていました。これがウィーンをアンサンブル名に冠していたり、所謂「本場もの」系だった飛びついていたことだと思い出されます。先日のピアノソナタ(カップリングのさすらい人幻想曲も)でブレンデルのシューベルトもやっぱり良いんじゃないかと思ったので、遅まきながらブレンデルが45歳の年に録音したピアノ五重奏曲を聴いてみようと思いました。

 実際に聴いてみると(過去にラジオ放送で聴いたことはあるはずだけれど覚えていない)、予想以上に素晴らしくて、まず弦楽器の穏やかで美しい演奏に感心します。アメリカの団体だからもっと技巧を前面に出して終始大きな音で通すのかと、浅はかな想像をしていましたがまったく見当はずれでした。それにブレンデルのピアノも軽快でのびやかで、もっと後年の演奏のちょっと息苦しいような印象とは全然違っていました。この調子だったらピアノ作品集も1970年代の旧録音も良さそうです。

 ただ、ちょっと速目で直線的だとも思われ、もっと古い世代の演奏、ウィーン・コンツェルトハウスSQら等はゆったりと優雅で別世界だったように覚えています。レコ芸編の「名曲名盤500」の最新版を見るとブレンデルが参加した新盤が一位でこちらの方はまだ二位に残っていました。この企画は選者の年齢もあってか結構保守的な傾向があり、古い年代のレコードが上位に来ている場合が見られます。

 ところでクリーヴランド弦楽四重奏団の単独のアルバム、代表的なレコードにどんなものがあったかと振り返っても思い出せず、CD附属冊子のプロフィールを読んでみても特に例示されていません。「技術偏重気味のアメリカの弦楽四重奏団の多くと違って、その演奏は常に聴衆への伝達を心がけた暖かさのようなもの、そしてロマンティックな表情に彩られていたことが特徴」としています。この曲、シューベルトの場合後半の「ロマンティックな表情」というところが魅力だと思いました。
12 11月

シューベルトのピアノ・トリオNO.2 ルビンシュタイン、シェリング、フルニエ

161112aシューベルト ピアノ三重奏曲 第2番 変ホ長調 D.929 作品100

アルトゥール・ルビンシュタイン:ピアノ
ヘンリク・シェリング:ヴァイオリン
ピエール・フルニエ:チェロ

(1974年4月13-19日 ジュネーヴ,ヴィクトリアホール 録音 RCA)

161112b 先月のことだったか大阪の寿司店が大量のワサビを入れて出したという事件がネット上でも駆け回っていました。そのことの論点はさて置くとして、そもそもにぎり鮨にどれくらいのワサビが入っているのが通常なのかと俄かに疑問がわきました。スーパーで売っている廉価にぎりの場合はワサビを入れて無くて、刺身用のワサビパックが添えられていることもあるくらいです。先日あるところで、日替わりのランチを食べたら、近海の魚を使ったにぎりがメインになっていました。クロダイなんかが使われていてそれ自体は結構でしたが、どうもワサビがきつくてくしゃみが出る寸前(1.5歩手前くらいか)でした。これは人によっては、例えば子供なら途中でくしゃみの爆発を起こすおそれがあるかなと思い、ちょっと店に言った方がいいかなと一瞬思った程でした。ただ、平日の昼なので子供連れは滅多に来ないだろうから黙っていました。個人的にはワサビを舐めつつ日本酒をのむのも悪くないくらいでワサビは好きなので問題は無いとしても、苦手な人にはきついだろうと思えて、件の大量ワサビ事件の陰険さを再認識しました。

 久々にシューベルトの室内楽です。今年のくそ暑い8月や9月にもシューベルトのピアノ五重奏とかがちらっと頭の中で流れたりしていましたが、涼しくなったのでCDを置いた場所を探して聴いてみる気になりました。最初に、過去記事で扱った際にはこの曲のD番号、作品番号が間違っていました(過去二回分は修正済)。滅多に他人の目にとまらないだろうから大したことはないとしても、原因が分からず、そもそも誤表記した番号に該当する作品は無いようです。一回目に誤って表記して次からそれをコピペしたということでしょうが、その一回目はCDの冊子が違っていたかのかどうか未確認です(おそらくそうじゃなく、書いている私の間違いのはず)。

  今回は過去記事のCDとは違い、三人がそれぞれソリストとして超有名な巨匠が共演しています。このCDはルービンシュタイン(Arthur Rubinstein 1887年1月28日 - 1982年12月20日)、フルニエ(Pierre Fournier 1906年6月24日,パリ - 1986年1月8日)、シェリング(Henryk Szeryng 1918年9月22日 - 1988年3月3日)の三人のトリオにより、シューベルトの二曲とブラームスの三曲とシューマンのピアノ三重奏曲第1番を集めた三枚組復刻盤です。

 個人的にシューベルトのピアノ三重奏曲は大好きな作品で、第2番は終楽章に無性に愛着を覚えます。そんな風に感じるのは作品が個人の日記か手紙のように感じられて、大勢の人間の前で披瀝される類のものじゃないところを特に自分が聴かせてもらってるような緊密感がなんとなく伝わります。それがこの三巨匠のトリオの演奏になると室内楽よりも大きな規模の作品を聴いているようで、最初は第2番はこんな曲だったか、第1番と混同して覚えていないか分からなくなって既存の作品に対するイメージが揺らぎました。

 一方でルビンシュタインは作曲者について、「シューベルトは、死というものとまっすぐ向きあうことができた唯一の作曲家だろう」と評しています。そしてその続きに次のように述べています。「自分が死ぬとき、私は周りに誰も居てほしくない。威厳をもって死ぬために森の中に消えてゆく動物のように、私は死にたい―たったひとりで」。直接的にはシューベルトのピアノ三重奏曲第1番の解説のところに書かれてありました。この演奏と直接つながるような内容なのかどうかよく分かりませんが、31歳で生涯を終えたシューベルトに対する敬意と賛辞としてはこれ以上はないものかもしれません。
4 6月

シューベルト ピアノトリオNO.2 ウィーン・ベートーベン・トリオ

120604 シューベルト ピアノ三重奏曲 第2番 変ホ長調 D.929 作品100


ウィーン・ベートーベン・トリオ

ピアノ:クリスティアーネ=カライェーヴァ
ヴァイオリン:マルクス=ヴォルフ
チェロ:ハワード=ペニー
 

(1995年2月14-17 ウィーン,スタジオ・バウムガルデン 録音 カメラータ)


 これは昨年12月に記事投稿した、ヒンク,ドレシャル,スタンチュールのトリオのCDと同じくカメラータ・トウキョウがウィーンで録音・制作したもので、録音年も約3年新しいだけです。ウィーン生まれのカライェーヴァ(ピアノ)、ヴォルフ(ヴァイオリン)とオーストラリア生まれでウィーン音楽大学に学んだペニー(チェロ)により結成されたウィーン・ベートーベン・トリオは1985年にムジークフェラインでデビューし、それ以来毎年ウィーン・コンツェルトハウスの定期コンサートに出演するなど活発に活動しました。このCD収録の前年、1994年にはロンドンのウィグモア・ホールでシューベルトのトリオ全曲演奏を行っています。


 チェロのペニーはヨーロッパ室内管弦楽団にも参加しているため、そちらの演奏旅行等に時間を取られ、メンバーから降りることとなったとライナー・ノーツには書かれてあります。残念なことに(このCDを聴いているとつくづくそう思えます)またブログ記事か何かで解散したというニュースを読んだことがあり、現在ではこのメンバーでの演奏は録音以外では聴けないはずです。


ピアノ三重奏曲 第2番変ホ長調 D.929(1827年

第1楽章:Allegro moderato
第2楽章:Andante con moto
第3楽章:Scherzo; Allegro moderato
第4楽章:Allegro moderato


ウィーン・ベートーベンT(1995年)
①12分19②10分19③6分34④13分39 計42分51

ヒンク,ドレシャル,スタンチュール(1992年)
①15分37②09分18③6分13④13分15 計44分23


 
聴いてみると、同じカメラータのCD・ヒンク,ドレシャル,スタンチュールのトリオよりも引き締まった響き、緊密さが感じられて強烈に惹きつけられました。第1楽章は冷え冷えとしたピアノの音が際立ち、印象的です。終楽章の楽器を替えて定型のフレーズを受け継がせ続ける箇所も演奏を進めるほどに寂しい情感が伝わってきます。同じレーベル、同じウィーンで制作したCDなので上記の通り演奏時間を列記してみると、第1楽章は反復の省略であろうと考えられますが、それ以外ではウィーン・ベートーベン・トリオの方が少しずつ長い演奏時間です。第一印象ではその逆のように感じられたので意外でした。


 この作品もシューベルト晩年の作品ですが、先日の歌曲集「白鳥の歌」の約1年前の作曲です。あのハイネの詩による「影法師」のような作風は無いようで、改めて同曲の特徴を思い出します。

16 1月

シューベルト ピアノ・トリオNO1 インマゼール、ビルスマ夫妻

シューベルト ピアノ三重奏曲第1番 変ロ長調 D.898

ジョス・ファン・インマゼール:フォルテピアノ
ヴェラ・ベス:ヴァイオリン
アンナー・ビルスマ:チェロ

(1996年4月22-25日 オランダ,ハーレム・ルター教会 録音 SONY)

120116a  シューベルトの2曲ある正式なピアノ三重奏曲は、いずれも晩年にあたる1827年に作曲されました。現代では第1番の方が有名で、名曲紹介の類では第1番だけが掲載されることが少なくありません。去年、ある名曲名盤の本の室内楽編を立ち読みしていたところ、やはり第2番は取り上げられていませんでした。余談ながら、スーク・トリオがこの曲を2度録音していることが分かり(やはり記憶に間違いは無かった)、旧録音の時に第2番も連続録音している可能性も出てきました。それはさて置くとして、第1番は作曲者の生前には演奏されなかったのに対して、第2番の方は少なくとも2度演奏され、好評を得たとされています。第1番も第2番もシューベルトの晩年の作品らしく、演奏時間が40分程度要し、このCDでも第1番で約37分半です。

第1楽章 Allegro moderato 変ロ長調、ソナタ形式
第2楽章 Andante un poco mosso 変ホ長調、三部形式
第3楽章 Scherzo Allegro-Trio 変ロ長調
第4楽章 Rondo.Allegro vivace-Presto 変ロ長調

 国内盤CDの帯に 次のような文が載せられています。「『死の悲しさ生きることの偉大さ。それがシューベルトの音楽なのだ』と熱く語るチェロの名手ビルスマと鬼才インマゼール、ベスとのトリオで ~ ガット弦とオリジナル楽器による絶妙のアンサンブルは、往時の響きを越えて、自由自在に天翔る。 」このCDはシューベルトの生誕200周年を記念した企画の一つで、インマゼールはピアノ三重奏曲の他にシューベルトの室内楽を、ノットゥルナD897(ピアノ三重奏のためのアダージョ)、アルペジオーネ・ソナタD821、ピアノ五重奏曲を録音していました。また指揮者としてシューベルトの交響曲全集(交響曲第1番)も完成させました。それだけでなく、当然ピアノ・ソナタ等ソロ作品も録音しています。

120116b  このアルバムを初めて聴いた時はフォルテピアノの音の美しさにまず驚きました。ピアノ三重奏曲は元来ヴァイオリンとチェロの伴奏付ピアノ・ソナタと言えるほどで、ピアノパートの演奏が難しかった編成だそうですが、これほどの楽器の音色の素晴らしさを実感するとわざわざフォルテピアノで演奏する甲斐があると思えました。そんな感動的な記憶をもって、久々にCDを聴いてみると、かなり感動が薄れてそこまでの驚きは感じられないという、過去にブログで取り上げたCDでしばしばあったパターンでした。それでもやはり素晴らしい演奏、音色であることに違いはありません。件のフォルテピアノは、ライプチヒで作られた「ヨハン・ネポムークのグランド(no.644)」で、ウィーン式のアクション、革で被われたハンマー、ダンパーを持ち、マカボニーの節こぶベニヤで作られた三重折形状のウィーン式フレームを備えています(と説明されてもイメージが湧かないが、19世紀初頭のドイツとウィーンのピアノ音楽に適しているそうだ)。もともと保存状態が良かったものを、アントワープのフォルテピアノ製作家のヤン・ファン・デン・ヘメルにより1996年に修復されました。

 この演奏は古楽器を用いて軽快な印象を受けますが、演奏時間そのものは通常の三重奏アンサンブルと比べて短いとも言えません。これもまた反復指示の遵守の問題が関係しているのかもしれません。CDの解説文(佐々木節夫氏)は、「聴き始めてしばらくすると、楽器への関心以上に『ああ、シューベルト!』という、彼の音楽への切実な憧憬が満たされるのをひたすら感じる」という賛辞で結ばれていました。まったくそれに尽きると思いました。

 去年、「シューベルトの生誕200周年」というフレーズを目にする度にその年、自分は一体何をしていたんだろうと思うほど遠い昔のように感じられます。日本がサッカーワールドカップへ初めて出場する前年で、やたら酒量が増えていた時期でした。当時国道24号の御香宮の南に、「薫風」というラーメン屋があって鶏がらベースの京滋地区によくあるスープを基本に、唐辛子の辛さが後から効いてくるそこ独自の味が固定客を集めていました。やがて移転するか閉店するかで消息不明になってますが、当時病みつきになって、酒を呑んだ後そのラーメンが晩飯代わりになる日がよくありました。寒くなるとその平屋の店を思い出します。そういえば1997年はもう阪神淡路大震災が発生した後でした。

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19 12月

シューベルト ピアノ5重奏曲「鱒」 A.シフ、ハーゲンSQ他

111219a シューベルト ピアノ五重奏曲 イ長調 D.667 「ます」

アンドラーシュ=シフ:ピアノ
アロイス=ポッシュ:コントラバス
ハーゲン弦楽四重奏団員
ルーカス・ハーゲン:ヴァイオリン
ヴェロニカ・ハーゲン:ヴィオラ
クレメンス・ハーゲン:チェロ

(1983年12月 ウィーン 録音 DECCA)

 何となく先月からシューベルトづいていて、これまで特別な感慨という程のものが無かったシューベルトの曲が無性に慕わしく感じられます。かつてDENONの廉価盤シリーズの中にあったアファナシエフが弾く後期ピアノソナタ集の帯に、「悲惨の王の早すぎる晩年(の暗部)」というフレーズがあってそれを初めて見た時は何かのけ反りそうになりました。悲惨の王、なんてそんな通り名があったとは知りませんでした。とにかくそんなシューベルトに突如渇くような親近を感じるとはちょっと不吉です。

  シューベルトの歌曲「ます」の主題による変奏曲を第4楽章に持つこの曲は、1819年の作曲者が22歳の時の作品です。シューベルトが友人と北オーストリアのシュタイアー地方へ旅行した際、地元の鉱山技師で音楽愛好者であったジルヴェルター・パウムガルトナーの依頼により作られました( ますの主題による変奏曲を含むのも依頼者の要望だったらしい )。この曲は通常のピアノ五重奏曲と違ってヴァイオリンが1人少なく、代わりにコントラバスが加わります。第4楽章に同時期に作曲された歌曲「鱒」のメロディーの変奏曲で、これが特に有名です。子供の頃家にあったレコード・ブックスの室内楽篇にもそれが収録されていて、何度も聴いていました。これとハイドンの弦楽四重奏曲「皇帝」が意味も分からないままよく聴いて、大人になったらこういう音楽を演奏する音楽家になれたらと、身の程知らずにも密かに思っていました。

1楽章:Allegro Vivace イ長調
2楽章:Andante - ヘ長調
3楽章:Scherzo - Presto イ長調
4楽章:Andantino - Allegretto ニ長調
5楽章:Allegro giusto イ長調

①14分6,②6分50,③4分34,④8分12,⑤10分8 計43分50

111219b  ピアノ三重奏曲や「ヴァイオリンとピアノのための幻想曲」、即興曲集等が作られた1827年よりもだいぶ前の作品だけに、やがて悩されることになる病気の影も無く、明朗な作風です。また、未完成交響曲作曲の約3年前です。だからこれは「悲惨の王」という名称には繋がらないでしょう。歌曲の「ます」は、魚の鱒が釣られることを歌いながら、「魚=乙女、釣り人=男」で男に釣られないようにという風刺の詩で、“ Die Forelle ”という原題は日本語の「ます」とは違う魚種です。三平(みひら)三平(さんぺい)なら魚種を確かめて釣リ上げないと気が済まんところでそうが、ここは何故5楽章もあるのか、そっちの方が不思議です。楽章が多い分だけに上記の演奏時間でも分かる通りこの作品も長目で、完成させたピアノ・ソナタやグレイト交響曲と同じくらいの規模です。各楽章について1曲としての統一感が希薄というのはピアノ・ソナタでも指摘される点ですが、ピアノ五重奏曲でも組曲的等そのような指摘があったそうです。しかし、そんなことはどうでもいいくらい、爽やかで魅力あふれる曲です。

 このCDはピアノのアンドラーシュ=シフ(録音時29歳)をはじめ、ハーゲン四重奏団員(ルーカス・21歳、ヴェロニカ・20歳、クレメンス・17歳)ら全員が二十代、十代というクラシック音楽にしては珍しい録音です。演奏者がシューベルトの作曲時に近い年齢だったということです。これも含めて一連の録音から、シフはキャリアの初期からシューベルトの作品でソロ、リートのピアノパート、室内楽のピアノパートに取り組んでいたのが分かります。その中では、90年代初めのピアノ・ソナタの録音が独特の音色で目立っています。シフのレパートリーを振り返ると同じように、ピアノフォルテを弾いて、シューベルトのピアノ独奏曲や室内楽、リートのピアノパートを演奏、録音して、さらにピリオド楽器のアンサンブルであるアニマ・エテルナを指揮して交響曲まで録音したインマゼールの活動が重なります。

 今年は珍しく初夢を覚えていて、その夢がこれまでの一年と何か関連があったか振り返ってみたところ、ほとんど意味がなかった気がしました。厳密には本当に初夢だったか確かめようがありませんが、覚えている限りの初夢はアルハンブラ宮殿の回廊のようなところを腹這いになって肘を使って前進周回していて、どうもマラソンのように外からその姿勢で這って帰ってきたという夢でした。煉獄か懲罰のような光景なのに、苦痛を感じていないのが救いだった不思議な夢で、考えようによっては物事が遅々として停滞した今年を暗示していたかもしれません。せめて旅行でアルハンブラ宮殿に行って正夢だったとか、来年はそれくらいを期待します。

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16 12月

シューベルト・ヴァイオリンとピアノのための幻想曲 シフ夫妻

シューベルト ヴァイオリンとピアノのための幻想曲 ハ長調 D.934 作品159

ピアノ:アンドラーシュ=シフ
ヴァイオリン:塩川悠子

(1998年12月 オーストリア、モントゼー 録音 ECM)

111215  今日の午後は京都府亀岡市の保津川左岸を車で走って、京都市方面へ向かっていました。一面に圃場整理された田畑が広がる田園地帯で、京都府下では珍しい広々とした眺めです。当然稲刈りも終わり、農作業している人影も見られませんでした。全国的に問題になっていることですが、費用をかけて土地改良工事を施して整理した農地でも「耕作放棄地」が見られます。今の時期なら近くによらなければどれが放棄農地なのか見分けがつきません。終戦直後の食糧難の時は米を作っている農家は威張っていたとか、うらみがましい話を聞いたことがあり、仮に缶コーヒー1本が1万2千円とかの超インフレになれば米を確保できる田んぼを持っている人は強いかとか想像しながら通り過ぎていました。

 アンドラーシュ=シフは1989年から1998年まで夏に、自宅のあったザルツブルク近郊のモントゼーで室内楽の音楽祭を主宰していました。これはその音楽祭が終わった年の録音で、シューベルトのさすらい人幻想曲とカップリングされたCDです。ヴァイオリンは夫人の塩川悠子です。シフは1990年代前半にDECCAレーベルへ、シューベルトのピアノ・ソナタの大半と楽興の時、2つの即興曲集等のピアノ・ソロ作品を連続録音してましたが、「さすらい人幻想曲」は抜けていたはずです。( あるいは録音していたのかもしれませんが )レーベルを移ってから当時自宅があったモントゼーで録音したというわけです。

 シューベルトのヴァイオリンとピアノのための作品はこの曲の他に、ソナチネ(D.384、D.385、D.408)、ヴァイオリン・ソナタD.574、ロンドD.895があるくらいです。シューベルトのヴァイオリン・ソナタ集のアルバムにはこれらがまとめて収録されているのが通常なので、かつてゴールドベルクとルプーのCDで何度なく聴いていましたが、久しぶりに聴くとよく覚えていませんでした( チェロとピアノによるアルペジョーネ・ソナタ(1824年)の方はかなりよく覚えているのに )。

幻想曲 ハ長調 D.934 作品159
①:andante molto
②:allegretto
③:andantino-tempo primo
④:allegro vivace-allegretto-presto

111215a  シフの名前が前面に出ているので、ついピアノ曲の方に目が行きますが、このヴァイオリンとピアノのための幻想曲は、演奏の難易度が極めて高いことでも有名なシューベルト晩年の作品です。2つのピアノ三重奏曲( 第1番D.898、第2番D.929 )、ピアノ独奏による2つの即興曲集( D.899、D.935 )と同じ頃の1827年に作曲され、翌年1月に初演されました。ただし初演時は長い演奏会の最後に披露されたこともあってか不評で、その状況はブルックナーの交響曲第3番と似ています。上記のように4つの部分に分けていますが、明確に楽章が分かれているとも言えずこのCDは1曲で1つのトラックとしています。

 1827年から1828年にかけての時期にシューベルトは自作だけの演奏会や、楽譜出版という作曲家としての地位を高め、確立するための転機にあり、同時に病気の悪化による不安も深刻化していきました。実際徐々にシューベルトは自作のピアノ演奏をしなくなっていきましたが、それは病気の症状の一つで四肢の動き、指の敏捷性が低下していたからだとされています。亡くなる1、2年前のこの時期のシューベルトは、肉体的には衰えていきながら、芸術家としての将来は今踏ん張ればさらに開けていくという、矛盾した苦しい環境にあったわけです。

 この演奏はまずピアノの音色の美しさに感心させられ、やがて控え目ながら繊細なヴァイオリンにも惹きつけられていきます。曲の最後の方で行進曲調になるところで、なんとなく自嘲気味にもきこえる等、作品が書かれた頃のシューベルトの胸中を映し出すかのような注意深く感動的な演奏でした。DECCAへ録音されたピアノ曲の、ややこもったような柔らかい音質と違いもっと鋭い響きも好感が持てました。ECMの前に、シフはTELDECレーベルシューベルトの室内楽を録音(モントゼーでの音楽祭)していますが、それよりも良い音ではないかと思えます。

111215b  シューベルトの若い晩年に書かれた室内楽の魅力はどんなところだろうかと思います。例えば、ベートベンの晩年の作品である弦楽四重奏曲第15番の楽譜には「 病より癒えたる者の神への聖なる感謝の歌 」という書き込みがありました。しかし、そのように「 聖なる感謝の歌 」と書けるようになるまでは当然葛藤があったと考えられます。「 耳だけでなくまだこの上病苦を負わせるのか、死んだ方が楽かもしれん 」、「 かわいがってやった甥っ子は人の気も知らずに 」、とか、思い出したように、「 俺の耳一つ癒せないのに何が全能の神、愛の神か、ベテスダの池なんか埋めてしまえ 」等々、ありとあらゆる不平不満が断続的に湧いてくるものだと思います。「 神への感謝の歌 」というのは真実だとしても、それは公的な発言、到達点であると思います。一方で、シューベルトの後期・室内楽作品は、もっと私的で到達点に至るまでの葛藤や、混乱そのものではないかと思えます。葛藤とか克己と言うほど主体的でなくても、苦しいと感じていることそのものが反映されているような、一種の自然さが感じられます。曲調も失望して沈殿していくようで時に快活になり、なかなか定まりません。

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12 12月

シューベルト・ピアノトリオ2番 ヒンク,ドレシャル,スタンチュール

シューベルト ピアノ三重奏曲 第2番 変ホ長調 D.929 作品100


ピアノ:ジャスミンカ=スタンチュール
ヴァイオリン:ウェルナー=ヒンク
チェロ:フリッツ=ドレシャル


(1992年6月20-21 ウィーン、スタジオ・バウムガルデン 録音 カメラータ)
 

 このCDも先日の弦楽四重奏曲第15番と同じくカメラータからまとめて(値下げされて)出た録音集の中の一枚です。シューベルト生誕200年であった1997年のために企画された室内楽全集の一環です。エディット・ピヒト=アクセンフェルト(チェンバロ、ピアノ)のCDの時にもふれたプロデューサー井阪紘氏は、作曲家の西村朗氏(現在N響アワーの司会)に対して、「シューベルトの室内楽作品は、その音楽の人間らしさと深さでベートーベンを凌駕していると思わないか」と、議論を吹っ掛けたそうですが確かに「人間らしさ」という言葉には強い説得力があります。人間は簡単には苦悩を突き抜けられず、吹っ切れたような気がしても他人とつい比べてまた一層深く悩んで、人が見ている時だけ突き抜けたふりをしてみたり、とても単純には行かないのが普通だろうと思います。シューベルトの作品は、そういう姿を反映しているように思え、そこが魅力の一つだろうと思います。だから、聴く人によって受け止め方が多様なのではないかとも思います。

 
 シューベルトのピアノ三重奏曲第2番は、自筆譜の日付から1827年の11月から書き始められた晩年の作品です。ピアノ3重奏の編成でシューベルトが作曲したのは他にピアノ三重奏曲第1番 D.898、ノットゥルノ D.897、ソナタ楽章 D.28、と全4曲有り、D.28以外の3曲はどれも同じ時期に書かれています。この曲も約45分程の演奏時間という長さで、先日の弦楽四重奏曲第15番やピアノ・ソナタ第21番等と似た規模です。
 

 ピアノ三重奏曲第2番シューベルトの生前に初演され、当人もそれを聴くことができた作品でした。また楽譜出版も決まっていましたが生前それを見ることはかないませんでした。なお、出版に際しては長い第4楽章の一部をカットするという出版社側の要望を入れてその通りにしましたが、1975年の新シューベルト全集の際に元に戻されました。

 先日クラシックのCD店のブログでシューベルトのピアノ三重奏曲第2番について書かれてあり、この曲が室内楽の分野でも特に好きな作品だとあったので、アンドラーシュ=シフ夫妻とミクローシュ=ペレーニのCDを取り出して第1番、第2番と順に聴いてみました。1980年代の末に、ちょうどソウル五輪があった年に冬の旅に続いてシューベルトのピアノ三重奏曲のCDをよく聴いていたことがありました。その時購入したのは第1番と第2番が1枚に入っていたか(時間的に無理か)、2枚組でも格安だった記憶があります。1枚ずつ別になったCDは高かったけれどピアノ三重奏作品が全部収録されていました。演奏していたのはスーク・トリオだと思っていたところ、上記のブログ絡で第2番をスーク・トリオは録音していないことが分かりました(いいかげんな記憶)。実際第2番を久々にCDで聴いてみるとほとんど記憶に残っていなくて、全楽章何となく覚えていた第1番とは落差がありました。
 

ピアノ三重奏曲 第2番変ホ長調 D.929(1827年
第1楽章:Allegro moderato
第2楽章:Andante con moto
第3楽章:Scherzo; Allegro moderato
第4楽章:Allegro moderato


 どんな曲か覚えていなかったけれど、今改めて聴いてみるとすごく魅力的な作品で、特に第2楽章アンダンテ・コン・モートは例によって、歌にあふれるさびしく、ひたむきで、美しい楽章です。優美で颯爽としてはじまる第1楽章も山の天候のように変わり始めます。この第2楽章は、陽は沈みぬ(イサーク.A.ベルク作曲)」というスウェーデンの歌に基づくとされています。第4楽章では憑かれたように定型のフレーズを続ける箇所がヴァイオリン、ピアノと受け持ちを変えて出て来て作曲者の焦燥感のようなものが窺える切々とした楽章です。CD付属の解説にはピアノ三重奏曲第1番の方が形式的に完成度が高く、詩的で誘惑するようなテクスチュア、明確な楽器の色彩感、流麗な旋律を美点として挙げています。ピアノ三重奏曲第2番は、1番と比較すると深遠で、劇的緊張感に溢れて厳しい作品となっていると評しています。聴いていても、より私的、内面的な色彩が濃い曲と思えます。
 

①15分37②9分18③6分13④13分15 計44分23


 上記はこのCDの演奏時間です。例えばインマゼール、ビルスマ夫妻のピリオド楽器による録音は41分弱、シフ夫妻とペレーニの録音は52分強という演奏時間なので、このCDは穏健なスタイルと言えそうです。ただ、シフらの演奏は第4楽章が19分を超えるので、上記の「出版時の削除」の問題が関係しているのかもしれません。


 ヴァイオリンのヒンクは結成時からの、チェロのドレシャルは1985年から(ラインハルト=レップに代わって)のウィーン弦楽四重奏団のメンバーです。ピアノのスタンチュールは1989年、ウィーンの国際ベートーヴェン・コンクールで優勝の経歴を持つ女流ピアニストで以後ヨーロッパ(特にウィーン)を中心にソロ、室内楽で活躍しています。カメラータの企画はウィーン生まれや、ウィーンを拠点に活動する音楽を中心に録音しているので、この作品もその趣旨に沿っています。ピアノ三重奏曲第2番も聴く人によっていろいろ違った印象を受けるはずですが、このCDは比較的明るく、取っつきやすい演奏だと思います。


 今朝はこの冬初めての霜でした。去年の初霜はいつだったか記録もしていないので分かりませんが遅い方かもしれません。土曜日、車を伏見桃山で止めて京阪電車に乗った時、同じ車両内に乗り合わせた4人組の騒々しい老人の話が耳につきました。うるさいなあと苛立ちながらも、楽しんでおしゃべりしているのを遮るわけにもいかず我慢していました。すると、「姉の妹の子供」という言い方がおかしいと、電車に乗る前に訪ねたらしい人の下での話をしていました。つまり、その人の年上の人間なら「すぐ上の姉」とか「二番目の姉」と言うのが通常で、年下なら単に「妹の子」と言えば済むという話です。10分くらい延々と声高に話しているのですっかり聞き覚えてしまい、私は「その人の『姉』に当たる人の夫の妹、義理の妹」という意味だろうと思いました。あまりしつこいので、こうだと披瀝してやろうかと思いましたが、キモいおっさんだと思われそうでそのまま聞き流していました。この辺りで京阪に乗らなくなっていてもあいかわらずの騒々しい車内でした。

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昭和40年代生まれ、オットー=クレンペラーの大フアンです。クレンペラーが録音を残したジャンルに加え、教会音楽、歌曲、オペラが好きなレパートリーです。

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