レフ・オボーリン (ピアノ)
(1947年 録音 MELODIA D 05018・レニングラード盤)
場所の記憶というのは結構いい加減で、一旦間違った記憶が定着するとなかなかそこから抜け出せないこともあります。京都市下京区の四条通より一筋南の東西の通り沿いにラ・ヴォーチェ京都のあるビルがあります。そこの1Fが喫茶店のような店だと錯覚していましたが、今年の夏その辺を歩いていると、そのビルの西へ少し行ったところに1Fに「京都で二番目においしいコーヒー」と看板に注記された店があるのに今更ながら気が付きました。その怪傑ズバットのようなコピーがいつからあったか知りませんが、中を覗き込んでこの店と勘違いして覚えていたと気が付きました。コーヒーと軽食を頼んでラ・ヴォーチェが開くのを待っていたことが何となく思い出されました。どうでもいい話ながら、その1980年代末に統一協会とかエホバの証人は既に名前が売れていて、親戚がキリスト教プロテスタントの熱心な信徒だったのでそれらを異端だ、異端だと言っていました。異端か正統かはキリスト教世界では重要極まりない問題だとしても、選挙をひかえた候補者にすれば役に立つかどうかが肝心ということでそれから三十数年経過したわけです。
それはともかく、二曲あるシューベルトのピアノ三重奏曲、自分が特に好きだったのはどちらだったか、愛着のある楽章を含んでいるのは第2番だったか、しばらく聴いていないと記憶が薄れてきました。ある時ラ・ヴォーチェ京都の新入荷の中にこのレコードが載っていて、オイストラフのシューベルト、しかも室内楽というのは面白そうだと思い購入しました。レコードが入っているジャケットはふにゃっとした紙で、録音データの記載も無くて全部キリル文字、労働者の同志諸君用に量産されたような装丁です。仏のパテマルコーニュの装丁とはえらい違いです。レコード愛好者の中には旧ソ連のメロディアのLPを集める人も一定数居るそうで、同じレーベルでもレニングラード近郊でプレスされたもの、モスクワでプレス、グルジアとか東の方でプレスされた製品があって、その製造プレス場所も意識されているそうです。
このシューベルトの第2番、1947年の録音とは思えないくらいの鮮明な音にまず驚かされます。あるいはもっと後の録音かもしれませんが、何分データが少ないのでネット上で出ているデータを一応採用しています。旧ソレンの大家らによるシューベルト作品ということで、聴く前はもっと肥大して膨張したように聴こえる演奏かと浅薄な偏見を持っていました。実際に聴いてみると端正で、誇張の感じがしない演奏で鮮烈な印象を受けました。特に第1楽章がぴったりの内容でした。終楽章はもっともの悲しい、ほの暗い、又はやりきれないような情緒が漂う作品だと個人的に思い入れを強くしているので、この演奏は健康的で真っ直ぐに過ぎるようにも思いました。ただ、作曲者の存命時にも演奏され好評だったというこの作品はむしろこういう演奏でこそ映えるのかとも思います。ピアニストのメジューエワさんがシューベルトの演奏で好きなピアニストとしてリヒテルらロシア・ソ連系の名を挙げて、墺太利系の演奏は少し淡泊に過ぎるという意味の評を書いていました、何となくその言葉の意味が察せられる気がしました。
オイストラフ(1908年9月30日 - 1974年10月24日)はソ連・ロシアと記憶していますが正確にはウクライナのオデッサ生まれでした。オボーリン(1907年11月11日 モスクワ - 1974年1月5日)はモスクワ生まれ、チェロのクヌシェヴィツキー(1908年1月6日 サラトフ県ペトロフスク - 1963年2月19日 モスクワ)がペトロフスク(ボルガ川流域の都市らしい)出身で、オイストラフだけがユダヤ系のようです。1943年からクヌシェヴィツキーが亡くなる1963年まで三人でオイストラフ三重奏団としても活動していました。四十年くらい前にオイストラフとオボーリンのベートーヴェンのレコード(クロイツェル・ソナタ他)を買ったことがあり、その時はトリオの存在は知りませんでした。