ドヴォルザーク 交響曲第5番 ヘ長調 作品76
ヴァーツラフ・ノイマン 指揮
チェコ・フィルハーモニー管弦楽団
(1972年1月 プラハ,芸術家の家 録音 日本コロムビア)
今朝は八時前に車内の外気温計が32℃を表示していて、またいつもの夏が来たのをさらに強く実感しました。それに気が付けばオートにしてあるエアコンが外気循環ではなくなっていました。こういう時は聴いているだけで涼しく(なったと錯覚する)感じる曲を流したいと、毎年そんなことを書いていますが、今回はノイマンとチェコPOのアナログ録音のドヴォルザークがあったことを思い出しました。ノイマンはプラハの春に対するワルシャワ条約機構の軍事介入が始まった直後の1968年9月から1973年にかけて、チェコ・フィルハーモニーとドヴォルザークの交響曲全集の録音を始めました(1968年は交響的変奏曲とノットゥルナ、スケルツォ・カプリオーソの三曲だけ、交響曲は1971年からだった)。その後二度も同じコンビでドヴォルザークの九曲の交響曲を録音しますが、どうも初回のアナログ録音の評判が高いようです。最後の全集は新世界以外は聴いたことはない(高価だったので)ですが、二度目のものよりは魅力的だと思います。
交響曲第5番 へ長調
1楽章 Allegro, ma non troppo
2楽章 Andante con moto
3楽章 Andante con moto, quasi l'istesso tempo-Allegro scherzando
4楽章 Finale: Allegro molto
交響曲第5番は「のだめ」の音楽祭の回で登場した他、最近でもTV・CMで第一楽章が使われていました。第5番は1875年の6月から7月にかけて書かれ、オーストリア政府の奨学金を受けるための審査会に提出されました。ブラームス、宮廷劇場の指揮者ヘルベックらが審査員であり、ハンスリックが顧問を務めたその奨学金、ドヴォルザークは交響曲第3、第4番やいくつかの室内楽作品によって既にその時点で獲得していました。そのメンバーから推測できるように、元々はワーグナーに影響されていたドヴォルザークは奨学金を得てブラームスらと懇意になると、作風も影響を受けるようになったとされています。その傾向は第4番あたりから見られ、この第5番でもワーグナー色が後退してその代りにボヘミアの民族色を前面に出し、同時に独自のスタイルを確立する転機になりました。
音楽学者のヘルマン・クレッチマーにより「ドヴォルザークの田園交響曲」と呼ばれたというのは作品の解説に付物で、この録音で聴くと全くその呼び名が相応しいと思いました(特に第1から第3楽章)。作曲者本人もこの曲を気に入って国外でもしばしば演奏していたそうですが、その気持ちも分かる気がします。先ほど再録音よりも今回の方が良いと書いたので、演奏時間、トラックタイムを並べてみたところ大した差はありません。それよりもクーベリックとヤルヴィの第1楽章が3分以上長くなっています。これは主題反復の加減なのか、聴いた時はそんなにテンポの違いは感じなかったと思います(過去記事で取り上げたけれどもうあまり覚えていない)。
ノイマン・チェコPO/1972年
①09分45②7分40③7分43④13分02 計38分10
ノイマン・チェコPO/1982年
①09分40②8分04③7分58④12分48 計38分30
クーベリック・BPO/1972年
①13分13②7分53③7分53④12分24 計41分03
ヤルヴィ・SNO/1987年
①12分42②7分48③7分34④12分03 計40分07
ノイマンの経歴をみると1948年にクーベリック、1968年にアンチェルがそれぞれ亡命した時にチェコPOの指揮者を引き受けているのが分かり、オーケストラと団員との結びつきの強いだろうことが推測できます。政変により亡命という事情は戦後の日本ではなかなか想像し難い事柄です(これまでのところは)。