raimund

新・今でもしぶとく聴いてます

ドヴォルザークの交響曲1-5

13 7月

ドヴォルザーク交響曲第5番 ノイマン、チェコPO初回全集から

150713ドヴォルザーク 交響曲第5番 ヘ長調 作品76

ヴァーツラフ・ノイマン 指揮
チェコ・フィルハーモニー管弦楽団

(1972年1月 プラハ,芸術家の家 録音 日本コロムビア) 


 今朝は八時前に車内の外気温計が32℃を表示していて、またいつもの夏が来たのをさらに強く実感しました。それに気が付けばオートにしてあるエアコンが外気循環ではなくなっていました。こういう時は聴いているだけで涼しく(なったと錯覚する)感じる曲を流したいと、毎年そんなことを書いていますが、今回はノイマンとチェコPOのアナログ録音のドヴォルザークがあったことを思い出しました。ノイマンはプラハの春に対するワルシャワ条約機構の軍事介入が始まった直後の1968年9月から1973年にかけて、チェコ・フィルハーモニーとドヴォルザークの交響曲全集の録音を始めました(1968年は交響的変奏曲とノットゥルナ、スケルツォ・カプリオーソの三曲だけ、交響曲は1971年からだった)。その後二度も同じコンビでドヴォルザークの九曲の交響曲を録音しますが、どうも初回のアナログ録音の評判が高いようです。最後の全集は新世界以外は聴いたことはない(高価だったので)ですが、二度目のものよりは魅力的だと思います。

交響曲第5番 へ長調
1楽章 Allegro, ma non troppo
2楽章 Andante con moto
3楽章 Andante con moto, quasi l'istesso tempo-Allegro scherzando
4楽章 Finale: Allegro molto 

 交響曲第5番は「のだめ」の音楽祭の回で登場した他、最近でもTV・CMで第一楽章が使われていました。第5番は1875年の6月から7月にかけて書かれ、オーストリア政府の奨学金を受けるための審査会に提出されました。ブラームス、宮廷劇場の指揮者ヘルベックらが審査員であり、ハンスリックが顧問を務めたその奨学金、ドヴォルザークは交響曲第3、第4番やいくつかの室内楽作品によって既にその時点で獲得していました。そのメンバーから推測できるように、元々はワーグナーに影響されていたドヴォルザークは奨学金を得てブラームスらと懇意になると、作風も影響を受けるようになったとされています。その傾向は第4番あたりから見られ、この第5番でもワーグナー色が後退してその代りにボヘミアの民族色を前面に出し、同時に独自のスタイルを確立する転機になりました。

 音楽学者のヘルマン・クレッチマーにより「ドヴォルザークの田園交響曲」と呼ばれたというのは作品の解説に付物で、この録音で聴くと全くその呼び名が相応しいと思いました(特に第1から第3楽章)。作曲者本人もこの曲を気に入って国外でもしばしば演奏していたそうですが、その気持ちも分かる気がします。先ほど再録音よりも今回の方が良いと書いたので、演奏時間、トラックタイムを並べてみたところ大した差はありません。それよりもクーベリックとヤルヴィの第1楽章が3分以上長くなっています。これは主題反復の加減なのか、聴いた時はそんなにテンポの違いは感じなかったと思います(過去記事で取り上げたけれどもうあまり覚えていない)。

ノイマン・チェコPO/1972年
①09分45②7分40③7分43④13分02 計38分10
ノイマン・チェコPO/1982年
①09分40②8分04③7分58④12分48 計38分30
クーベリック・BPO/1972年
①13分13②7分53③7分53④12分24 計41分03
ヤルヴィ・SNO/1987年
①12分42②7分48③7分34④12分03 計40分07

 ノイマンの経歴をみると1948年にクーベリック、1968年にアンチェルがそれぞれ亡命した時にチェコPOの指揮者を引き受けているのが分かり、オーケストラと団員との結びつきの強いだろうことが推測できます。政変により亡命という事情は戦後の日本ではなかなか想像し難い事柄です(これまでのところは)。

21 7月

ドヴォルザーク 交響曲第3番 ネーメ・ヤルヴィ、

ドヴォルザーク 交響曲 第3番 変ホ長調 作品10


ネーメ=ヤルヴィ  指揮
スコティッシュ・ナショナル管弦楽団


(1987年8月7,24-36日 グラスゴー,ヘンリー・ウッドホール 録音 CHANDOS)

140721a 小学校の音楽の副教本に外国の民謡なんかが載っていました。その中に「おお 牧場はみどり」というチェコ・スロバキア民謡もあって、最後の「オイ!」か「ホイ!」の掛け声が記憶に残っていました。それだけでなくメロディー自体が爽快に風が吹き渡るような感じです。現代ならチェコの民謡なのかスロヴァキアの方なのかというところです。そう思っていると日本語歌詞を訳して整備したのが中田羽後というプロテスタント教会の伝道者でした。この人の父親、中田重治という人も同様で日本におけるメソジスト、ホーリネス教会のパイオニアでした。イギリス国教会から派生したメソジスト教会はモラヴィア兄弟団と関わりがあったので、邦訳者と曲の接点はあると言えそうです。
 
 とうとう梅雨が明けた近畿圏はとっくに夏本番の暑さなので、耳にだけでも爽快さが欲しいところです。そういう場合は「牧場はみどり」でなくてもドヴォルザークも候補です。実際過去に今時分にドヴォルザークの交響曲を取り上げていました。交響曲第3番は、ドヴォルザーク(1841 - 1904年)が32歳になる1873年4月に着手され、同年7月4日に完成して、翌1874年3月29日にプラハでスメタナの指揮により初演されました。ドヴォルザークはこの交響曲をオーストリア政府の奨学生募集に応募したところ、ハンスリックらの目にかない、留学を果たしました。またドヴォルザークが結婚する直前期の作品でもありました。

交響曲第3番変ホ長調作品10
第1楽章 Allegro moderato 変ホ長調
第2楽章 Adagio molto 嬰ハ短調
第3楽章 Allegro vivace 変ホ長調

 交響曲第3番は、交響曲第1、2番を作曲した1865年から八年後の作品であり、ブラームスとの交友以前の作品なのでワーグナーの影響が指摘されています。上記のように三つの楽章からなり、第一、二楽章が独墺系の作品の香りがしますが、ワーグナーよりもブルックナーの初期作品に通じるように聴こえます。第三楽章は土俗的な舞曲の興があって、ブルックナーのスケルツォ楽章よりも多少優雅な作風です。それといろいろな要素のごった煮的のようでもあり、後年の交響曲とは違った味わいです。このCDでは全曲の演奏時間は32分半程度になります。

①10分52②12分53③8分52 計32分37

140721b ドヴォルザークの交響曲なら第9番を含み第7番以降の三曲が突出して有名なので、第3番は交響曲の全曲録音企画でもなければ単独では録音されない作品です。ネーメ・ヤルヴィがシャンドス・レーベルに録音した多数の曲(非独
墺系)の中に、ドヴォルザークの九曲の交響曲も含まれていて日本国内のCD発売初期に出回りました。CDには日本語帯も付いて、レコ芸で当時のマイナーレーベルの特集も組まれ、キャンペーンのようだったので、私もまんまとそれに乗った格好でした。バルト三国のエストニア出身のヤルヴィはドヴォルザークの本場演奏家とは言えませんが、シャンドスレーベルの音が気に入ったことと、ヤルヴィのショスタコーヴィチ交響曲の録音が面白かったので、ドヴォルザークにも関心が湧きました。他のCDと比較はしていませんが(CDはあるがどんな風だったか記憶が無い、また未聴のものある)、比較的速目で颯爽としたドヴォルザークだと思います。

13 7月

ドヴォルザークの交響曲第5番 ネーメ=ヤルヴィ

110713 ドヴォルザーク 交響曲第5番 ヘ長調 作品76

ネーメ=ヤルヴィ 指揮
スコティッシュ・ナショナル管弦楽

(1987年 グラスゴー、SNOセンター 録音 CHANDOS)

 今朝ようやく蝉の鳴き声を聞きました。今年はじめてかもしれません。ここ15年くらいで平野部を席巻したようなクマゼミの斉唱でした。地下駐車場から地上に出ると、街路樹から鳴き声が耳にと飛び込んできて暑苦しさが倍増しそうでした。また夕方烏丸通を南下すると山鉾を建て始めているのが見えて、本格的に祇園祭のシーズンです。   

1楽章 Allegro, ma non troppo
2楽章 Andante con moto
3楽章 Andante con moto, quasi l'istesso tempo-Allegro scherzando
4楽章 Finale: Allegro molto 

 ドヴォルザーク(1841-1904年)の交響曲第5番は、1875年作曲、1879年・プラハ初演で彼がニューヨークへ行くよりもっと前の時代の作品です。ブルックナーの交響曲第5番が作曲されたのが1875年~1878年の間、ブラームスの第2交響曲は1877年に完成なので、それら、特にブルックナーと比べると特に進んだ尖鋭的な作品とは思えません。ドヴォルザークの交響曲なら第9番は別格として、せいぜい第7番以降がコンサートやレコード・CDでの登場頻度が高くなり、それ以前の6曲はあまり聴く機会はありませんでした。最近はのだめカンタービレの中で効果的に用いられていました。実はこの曲が改めて好きになったのは、そののだめのアニメ化されたものを見てその中でこの曲の第1、第4楽章を聴いたのがきっかけでした。このブログでも過去2度、ケルテスとロンドン交響楽団クーベリックとベルリンPOの録音記事投稿していました。

①12分42,②7分48,③7分34,④12分3 計40分7

 演奏時間は約40分でそれ程短くはありませんが、第8番や第9番よりも素朴で自然の風景を連想させる音楽です。「ドヴォルザークの田園交響曲」という呼び方がどの程度認知されているのか知りませんが、本当にそのフレーズがふさわしい、爽快な曲です。ヤルヴィのこのCDは今でも手に入りましたが、本場のチェコPO等の録音よりもむしろ曲にふさわしい演奏ではないかと思えます。

 ネーメ=ヤルヴィによるこのシリーズはドヴォルザークの交響曲各1曲をCD1枚に収めて、他に管弦楽曲もカップリングさせたシリーズです。ヤルヴィの録音の中でもショスタコーヴィチと並んでかなり好きなシリーズです。中でも1896年に作曲された4つの交響詩(水の精、真昼の魔女、金の紡ぎ車、野鳩)が印象的でした。この交響曲第5番のCDには交響詩「水の精」が入っています。ドヴォルザークの交響詩にはそれら4曲の後に作られた「英雄の歌」もあり、交響曲よりもむしろそれら5つの交響詩の方がドヴォルザーク独自の世界を感じさせるのではないかと思いました。

 今日の夕刊に、祇園祭の山鉾巡行が、昭和40年以降行われていない「後祭」を復活させて2日に分けて行うようにする計画が持ち上がっているという記事が出ていました。本来は7月17日・前祭(さきのまつり)、7月24日・後祭(あとのまつり)の2日に分けて巡行が行われていたそうで、全然知りませんでした。観光政策、交通規制の都合で大通を巡行するようになり、さらに1日にまとめられたといういきさつだそうです。そういえばNHKの朝の連続テレビ小説(都の風だったか??)の中で、山鉾が狭い(といっても6m程度はある)通に入って、軒先をかすめるように巡行する場面がありました。あれがかつての姿なのでしょう。

blogram投票ボタン

21 9月

クーベリック・BPOのドヴォルザーク第5交響曲

ドヴォルザーク 交響曲 第5番 ヘ長調 op.76

ラファエル・クーベリック 指揮 
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

* 併録 三部作「自然と愛と人生」(バイエルン放送SO,1972年録音)

~ 序曲「自然の王国で」op.91、序曲「謝肉祭」op.92、序曲「オセロ」op93、

(1972年10月 録音 DG)

 9月21日は「聖マタイ使徒福音記者」の祝日になっていてマタイ受難曲を取り上げるタイミングですが、気分がそのジャンルに向いていなくて、ヤナーチェックからチェコつながりでドヴォルザークにしました。この曲は以前ケルテス・ロンドンSOのCDを取り上げました。色々な曲でオーケストラがベルリンフィルならかなり信頼と安心を感じますが、ドヴォルザークならチェコPOとかの方にそういった感情を持ってしまいがちです。一方クーベリックはチェコ出身ながら西側へ亡命してベルリンフィル、バイエルン放送SO等との録音やマーラーの交響曲全集、1曲ずつオーケストラを変えて録音したベートーベンの交響曲等でドイツ系の作品がメインというイメージが先行します。このドヴォルザークの第5交響曲はドヴォルザーク交響曲全集の一環で録音されたもので、その後CD化されて国内20世紀の巨匠シリーズ(1枚1200円)という廉価再発売企画でも出ました。1500を切って1200まで下がればもう一声で1000円にしてくれればいいところですが、それでも高くはない方です。

交響曲 第5番 ヘ長調 (1875年完成)

第1楽章 ヘ長調 Allegro, ma non troppo ソナタ形式~13分13

第2楽章 イ短調 Andante con moto 三部形式~7分53

第3楽章 変ロ長調 Andante con moto, quasi l'istesso tempo-Allegro scherzando スケルツォ~7分53

第4楽章 ヘ長調 Finale: Allegro molto ソナタ形式~12分24

                                                          100921

 この曲は、漫画「のだめカンタービレ」の中で取り上げられたため俄かに注目されていますが、「ドヴォルザークの田園交響曲」という評判の通り良い曲です。ただ、1、4楽章以外はちょっと覚えにくい旋律で、1、4楽章もちょっと長目で全体的に冗長とも思えます。演奏時間にして40分強なのでブルックナーの初期作品より短い時間ながらそのように感じてしまうのが、この曲がマイナーだった理由だろうと思います。それでも第1楽章は、のだめの中でも「天上から光が降り注ぐように」と表現されているように目を見張るものがあります。

 CDの帯に「 決定盤の誉れ高い交響曲全集より初の分売 」というコピーが併記されていました。全集でなくても新世界や7番以降なら大半の指揮者が演奏、録音している曲ですが、全集となればクーベリック、ケルテスの他にノイマンくらいが思い出されます。あとCHANDOSレーベルからヤルヴィ(父)・スコットランド国立管による全曲録音もありました。これには交響詩や主な管弦楽作品も併せて録音され、シャンドス独特のサウンドも好影響で良いドヴォルザークだった記憶があります。引越し等で大量処分(中古売却)した際にそれも手放してしまい、のだめに第5番が出ていてもう一度聴いてみようと思った時には手元に無く残念でした。それでノイマン2回目の全集録音から第5交響曲を聴いてみても何となく印象が薄く、ドヴォルザークの交響曲で定評のある演奏家、CDは何だったかと思って探したところにこの廉価盤が見つかりました。ちなみにこれは5年前の9月21日発売でした。

 クーベリックとベルリンフィルという組み合わせは名前だけで重厚そうに見えます。実際に聴いてみると重いという悪い印象は無いものの、スケールの大きさを感じさせ、よくドヴォルザーク等チェコの音楽についてコメントされる「草原を吹き抜ける風のよう」というイメージからは外れる演奏です。木管楽器の響きが美しくきこえ、どんな音符が鳴っているのか分かりやすい明晰な響きでした。ブラームスの第1交響曲とほぼ同じ頃にできた作品ですが北ドイツ生まれのブラームスの作品とは違い、明朗な音楽です。こうして何度か聴いているうちに、上記のネーメ・ヤルヴィのドヴォルザークの溌剌とした演奏が思い出されて、何とかもう一度聴いてみたくなりました。

 全集と分売というのは時にはタイミングが悪いことがあります。別に全曲聴くつもりがなければ問題ないのですが、例えば9曲の内に5曲を分売で入手していて残りが廃盤あるいは限定発売で品切れになって1,2年経過したとします。その後まとめて全集として思いっきり廉価盤で再発売が決定した場合、価格の上では残り4曲を当初の分売で買う場合の値段と同じか安いくらいで全集が買えるにしても、すでに入手した部分が重複になり、ちょっと嫌な感じです。あとリマスターの違い、カップリングされる曲が全集では減ってしまう等細かい問題も生じてきます。ひじょうにみみっちい話でになりますが、轍に車輪が落ち込んで抜けられないような悩ましい状態になる場合があります。今回のCDでは、5番1枚だけを国内盤で入手してから、在庫処分の値引きで全集を購入して5番がだぶっている状態でした。1曲だけ重複なので許容の範囲です。リマスターはEMIなら国内盤のOKAZAKIリマスターが良いの悪いと、また別の選択余地が出てきます。

2 5月

二日酔いが治った朝 ドヴォルザーク第5交響曲/ケルテス

ドヴォルザーク 交響曲第5番ヘ長調作品76

ケルテス・イシュトヴァン(姓・名)指揮 
ロンドン交響楽団 

(1965年録音DECC)

 ドヴォルザークの交響曲第5番は、のだめカンタービレ作品中、夏の長野での音楽祭で学生選抜オーケストラの課題曲になっていました。パーティで飲み過ぎて二日酔いのシュトレーゼマンに代わって弟子の千秋が練習の指揮をして、それが関係者の目に止まり、同時に参加学生との絆が生まれ、以後の発展のきっかけになります。ベルリン弦楽四重奏団のメンバー、雑誌クラシックライフの記者は、後のライジング☆オケの活動から渡欧への助けになります。そのオケの主要メンバーは音楽祭参加者で占められています。この曲は、千秋真一の輝かしいであろう未来を予兆する曲として、重要な位置を占めています。

 このハンガリー出身の指揮者は、1973年イスラエルで海水浴中の事故により43歳で世を去りました。その現場には公演に同行していたルチア・ポップ、岡村喬生等が居ましたので、岡村氏の著書に詳しく書かれています。この人ももっと生きていれば素晴らしい活躍をしたであろうと、このCDの演奏を聴くだけでも思えてきます。飛行機事故(カンテルリ)、水難(ケルテス)と二人の将来有望の指揮者が失われる例を見ると、千秋真一が飛行機も船も乗れないというのは理にかなっている設定とも思えます。

 ドヴォルザークの第5交響曲は、千秋が「なんつーマニアックな曲」とつぶやくように、作曲者の必聴曲とか代表作としては扱われていません。また演奏時間は40分程度で決して短くはありません。そのために、例えば新世界、チェロ協奏曲とカップリングして1枚のCDに収録することもできず、さしずめドヴォルザーク交響曲全集制作の機会にしか録音され難いことになります。それで結果的にチェコ、スロヴァキア等スラブ系の指揮者の手による演奏に偏ることになります。

Rokujizo2  「ドヴォルザークの田園交響曲」というらしいですが、手もとのノイマンによる60年代の交響曲全集の解説にもたしかにそのように書いてありました。ドヴォルザークの作品群の中で民族的な性格が強くなる時期で、いわば転換期とも言える頃の作品なので、単に「夏の音楽祭=天上から光が降り注ぐような、田園交響曲」というイメージ以上に、質的にものだめの当該場面にふさわしい選曲だったのでした。ケルテス・ロンドンSOの演奏も素晴らしく、古い録音ながら未だに魅力は褪せないものです。実は、この曲ではネーメ=ヤルヴィ指揮スコティッシュ・ナショナル管弦楽団のCDが長らく愛聴盤でしたが、人に貸したまま帰ってこないのか、入院中に病棟に置き忘れたのかそれすら忘れてしまい、今手元にありせん。今では息子のパーヴォ=ヤルヴィの方が目だっていますが、LPからCDになって間もない頃シャンドス・レーベルで多数録音していた父ヤルヴィのCD中で、特に気に入っていましのがドヴォルザークの交響曲シリーズでした。ボヘミア的とか、民族的とかよりも、爽快にオーケストラを鳴らしたもので、レーベルの録音方針ともあいまって魅力的なCDでした。ケルテス盤はそれと並び好んで聴いています。

 指揮者のケルテスは、ハンガリー動乱を機に故国を離れ亡命してから、西欧で一躍有名になりました。このCDでも共演しているロンドン交響楽団では団員からの信頼が厚く、演奏会も人気だったそうで、彼が去ってからは同オケはしばらく人気が低迷したそうです。ハンガリーはオーストリアの隣で、飛行機でなくても行き来できるわけですが冷戦下の鉄のカーテンが隔てていました。話の後半で飛行機恐怖症の壁を乗り越えてパリへ行き、キャリアを積んで行く千秋と少しイメージが重なります。

Rokujizo1  パーティ会場で酔いつぶれたシュトレーゼマンを部屋まで背負って帰り、そこでこの第5交響曲のスコアを目にして、課題曲を学習してしまいます。その時に予習していなかったら、翌日午後の練習で自分が代わって指揮する時に的確な指導ができなかったはずでです。「天は自ら助くる者を助ける」を地で行く千秋とは裏腹に、ヴァイオリンの峰は全く練習せずに参加して、初日にオーケストラに付いていけずショックを受け、千秋の陰の努力を察して練習に励みます。峰とおかっぱ頭のちょっとイケ好かない青年との交流もあって、この一連の場面は、漫画ながら何か清々しく、この若者の望みがかなえばいいのにと思ってしまいます。

(写真はいずれも宇治市内の「六地蔵駅(JR奈良線、京都市営地下鉄東西線)」で、宇治の北の玄関口。何の変哲もない風景ですが、このようなロータリーを備えた駅は宇治市内では昭和50年代にはありませんでした。)

QRコード
QRコード
タグクラウド
タグ絞り込み検索
最新コメント
アクセスカウンター
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

アクセスカウンター
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

プロフィール

raimund

昭和40年代生まれ、オットー=クレンペラーの大フアンです。クレンペラーが録音を残したジャンルに加え、教会音楽、歌曲、オペラが好きなレパートリーです。

メッセージ

名前
本文
アーカイブ
twitter
記事検索
カテゴリ別アーカイブ
  • ライブドアブログ