サー・トーマス・ビーチャム 指揮
もう三月です。バレーボールにプロ野球のオープン戦に続いて大相撲三月場所も無観客開催になり、何となく平時ではない緊迫感が充満してきました。それから東日本大震災、原発事故から九年目になります。昨夜TVのCMに環境問題と電力という切り口から原子力を推奨するような内容のもを久しぶりにみかけて、内心「えっ?」という気持ちと「やっときたか」というのが混ざり複雑な気分でした。それはそうと「緊急事態」、運用の仕方はともかくとして漠然と抽象的な名称は不気味です。せめて、「感染症拡大の緊急事態」とか具体的な事案を先頭に付けないとどうも信用できないというのは被害妄想か何とかの勘ぐりか。
先日タワーレコードの新譜予告にコリン・デイヴィスとボストン交響楽団のシベリウス全集がSACD化されて再発売というのがありました。これも「やっときたか」といったところですが、既に通常の廉価CDを持っているので購入予定はありません。イギリスの指揮者によるシベリウス、イギリスの(イングランドなりスコットランドの)オーケストラによるシベリスはかなり前からLPやCDが出ていました。そのきっかけを作った開拓者的な位置に居るのがビーチャムだったという見方もあるようです。
ビーチャム指揮BBC交響楽団のライヴ音源、シベリウス交響曲第2番(とドヴォルザーク交響曲第8番)は昔から有名だったようで、何度かCD化もされていました。今回はLP一枚にシベリウスだけが入ったものを聴けましたが、演奏直後の凄い拍手からも分かるようにライヴ、ホールの客席が埋まってこその演奏会だということと、ビーチャムという人はこういう演奏をしていたのかというのが実感できる内容です。先日の1937年の交響曲第4番ではビーチャムらしさよりもシベリウスらしさ、英国にシベリウスを浸透させるための慎重さのような姿勢が少なからずあったようですが、そこから15年以上経ってシベリウスの認知度も増したからか、奔放に、自身がやりたいように演奏しているような面白さが感じられます。
前半の二楽章は速目で進めながら後半では濃厚になり、ワルハラ城にでも入城するような盛り上りに圧倒させられます。個人的にはシベリウスの交響曲の中で第2番は聴く頻度、優先度が一番低い曲でしたが、そういう好みをひっくり返す演奏になりました。ところでブルックナーの交響曲がG.ヴァント、朝比奈隆の演奏で注目された1990年代の日本で、宇野功芳がシベリウスについてブルックナーを引き合いに出して、「こわれやすい」音楽だからテンポを動かしたり過剰な表現は禁物のようなことを書いていました(多分そういう内容だったと)。このビーチャムのライヴ音源はそれの正反対のような表現ですが、相当に魅力的です。一方でフィンランドの中堅(年代的に)指揮者、ハンヌ・リントゥはシベリウスの交響曲の演奏について「何もしなければオーケストラは鳴ってくれない」という言い方で、演奏の難しさに言及しています。