raimund

新・今でもしぶとく聴いてます

シベリウスSym.1~3

7 3月

シベリウス交響曲第2番 ビーチャム、BBCSO/1954年

200307シベリウス 交響曲 第2番 ニ長調

サー・トーマス・ビーチャム 指揮
BBC交響楽団

(1954年12月8日 ロンドン,ロイヤルアルバートホール 録音)

 もう三月です。バレーボールにプロ野球のオープン戦に続いて大相撲三月場所も無観客開催になり、何となく平時ではない緊迫感が充満してきました。それから東日本大震災、原発事故から九年目になります。昨夜TVのCMに環境問題と電力という切り口から原子力を推奨するような内容のもを久しぶりにみかけて、内心「えっ?」という気持ちと「やっときたか」というのが混ざり複雑な気分でした。それはそうと「緊急事態」、運用の仕方はともかくとして漠然と抽象的な名称は不気味です。せめて、「感染症拡大の緊急事態」とか具体的な事案を先頭に付けないとどうも信用できないというのは被害妄想か何とかの勘ぐりか。

 先日タワーレコードの新譜予告にコリン・デイヴィスとボストン交響楽団のシベリウス全集がSACD化されて再発売というのがありました。これも「やっときたか」といったところですが、既に通常の廉価CDを持っているので購入予定はありません。イギリスの指揮者によるシベリウス、イギリスの(イングランドなりスコットランドの)オーケストラによるシベリスはかなり前からLPやCDが出ていました。そのきっかけを作った開拓者的な位置に居るのがビーチャムだったという見方もあるようです。

  ビーチャム指揮BBC交響楽団のライヴ音源、シベリウス交響曲第2番(とドヴォルザーク交響曲第8番)は昔から有名だったようで、何度かCD化もされていました。今回はLP一枚にシベリウスだけが入ったものを聴けましたが、演奏直後の凄い拍手からも分かるようにライヴ、ホールの客席が埋まってこその演奏会だということと、ビーチャムという人はこういう演奏をしていたのかというのが実感できる内容です。先日の1937年の交響曲第4番ではビーチャムらしさよりもシベリウスらしさ、英国にシベリウスを浸透させるための慎重さのような姿勢が少なからずあったようですが、そこから15年以上経ってシベリウスの認知度も増したからか、奔放に、自身がやりたいように演奏しているような面白さが感じられます。

 前半の二楽章は速目で進めながら後半では濃厚になり、ワルハラ城にでも入城するような盛り上りに圧倒させられます。個人的にはシベリウスの交響曲の中で第2番は聴く頻度、優先度が一番低い曲でしたが、そういう好みをひっくり返す演奏になりました。ところでブルックナーの交響曲がG.ヴァント、朝比奈隆の演奏で注目された1990年代の日本で、宇野功芳がシベリウスについてブルックナーを引き合いに出して、「こわれやすい」音楽だからテンポを動かしたり過剰な表現は禁物のようなことを書いていました(多分そういう内容だったと)。このビーチャムのライヴ音源はそれの正反対のような表現ですが、相当に魅力的です。一方でフィンランドの中堅(年代的に)指揮者、ハンヌ・リントゥはシベリウスの交響曲の演奏について「何もしなければオーケストラは鳴ってくれない」という言い方で、演奏の難しさに言及しています。
21 7月

シベリウス交響曲第2番 ベルグルンド、ECO/1997年

170821aシベリウス 交響曲第2番ニ長調 Op.43

パーヴォ=ベルグルンド 指揮
ヨーロッパ室内管弦楽団

(1997年10月 ヒルバーサム,RFOホール 録音 Finlandia)

 「えげつ えげお(江月 恵下雄、漢字を仮にあてるとこれくらいか)」、ローカル限定の若年層の俗語にこういのが昔あり、昭和の末期に耳にしたことがありました。「えげつない」は元々あくどい商売とかを表現する時に使う言葉のようですが、俗語レベルでは「限度を超えている」という意味にウェイトが置かれていったと思います。リンチとかカツアゲの行動が度を超えている場合、それをやった犯人を「えげつ えげお」と呼ぶもので、即少年院送りレベルの凶行くらいが該当したと思います。悪いことながら「よくやった」という爽快感が全く無い不快なものというのも要件だったともいます。いや、俗語なんかどうでもよくて、えげつない暑さが続いていると、それだけのことでした。木曜は39.8℃。この一週間の長く感じられたことといったらもう、真綿で首を締められるような心地でした。

180721b さて気を取り直してシベリウスの交響曲第2番。日本のオーケストラでもシベリウスの交響曲を取り上げる場合は圧倒的に第2番が多いのに対して、個人的にこの曲はあまり好きで無くて七曲中で聴く頻度が一番低いものでした。その理由は特に曲の後半が響きが飽和して甘美過ぎるように感じられて、第4番以降の作品との差があり過ぎるように思えたからでした。それがハンヌ・リントゥの解説、演奏を視聴して何故か作品に対する印象が変わり、むしろ第1番の方が肥大化した作品のような気がしてきました(第1番は昔から好きだったけれど)。

ベルグルンド・ECO/1997年
①09分07②13分30③5分59④12分55計41分31
リントゥ・フィンランドRSO/2015年
①14分46②15分39③6分19④14分11計50分55

 
第2番は過去記事でもあまり扱っていないのでとりあえず二種の演奏時間を並べてみました。第1楽章の差は反復の有無か何らかのカット、版の問題かもしれませんがそれ以外の楽章でもベルグルンドの方が短くなっています。好みとしてはこのECOとの演奏が引き締まった響きで全く心地良く聴こえます。改めてま近くで作品に接した感覚で新鮮でした。これくらいだったら人気の高い第2番にもとめられていた?作品像とちょっとずれそうなくらいだとも思います。

 「名曲名盤500(レコ芸編)」の最新版でシベリウスの第2番を見ると、第1位がベルグルンドとヘルシンキPOが12点で第1位、次が7点でベルグルンドとECO、第3位が5点でヴァンスカとミネソタSOでした。それ以下はベルビローリ、ハレOの4点の後に3点で複数が続いています。他の交響曲も見てみるとベルグルンド・ECOは全七曲で1位か2位のどちらかに入っているので、こういう編成、スタイルでも第2番で特にマイナス効果はないような結果です(あるいはベルグルンドという名前がものをいったか?)。
16 7月

シベリウス交響曲第1番 アシュケナージ、PO/1984年

180716シベリウス 交響曲 第1番 ホ短調 op.39

ヴラディーミル・アシュケナージ 指揮
フィルハーモニア管弦楽団

(1984年10月 ロンドン,ウォルサムストウ・アッセンブリーホール 録音 DECCA)

 昨日の夕方五時過ぎにコインパーキングにとめてあった車に乗り込み、発動機を始動させると外気温計が44℃を表示して驚きました。照り返しとかの影響だと思ってしばらく車を走らせても43℃にしか下がらず、日陰が多い山沿いにさしかかっても41℃だったので正真正銘の外気温だったのでしょう。それから盂蘭盆会の案内がきていた墓地へ一日遅れで行ってみると、自分のところの画地周辺には新しい花が全く供えられておらず、人かげも犬猫も見られず蝉だけが鳴いていました。墓地周辺は土が露出した地面もあり、木陰も多いので37℃でした。

 アシュケナージもシベリウスの交響曲の全曲録音を二度完成させていました。これは初回のフィルハーモニア管弦楽団との録音です。アシュケナージはピアニストとしてクレンペラーの最晩年に共演しただけでなく、クレンペラーのレコードにも親しんでいたので俄然関心が高まります。実は指揮者としてのアシュケナージについては長らくあまり関心がわかずに、ロシアものでさえ積極的に聴く気がしませんでした。クレンペラーの没後、ムーティの時代にニュー・フィルハーモニアからフィルハーモニアに名前を戻し、1984年のシーズンからはシノーポリが首席指揮者に就任していました。

アシュケナージ・PO/1984年
①11分06②10分13③05分35④12分42 計39分36
アシュケナージ・NHKSO/1986年
①11分17②09分27③05分35④12分02 計38分24

 新旧録音のトラックタイムはあまり差が無くて、楽章ごとに新旧の長さが僅かながら逆転しています。今回の旧録音は金管、ティンパニが強調されてリズムが鮮烈に聴こえます。アシュケナージはロシア系の作曲家の他、シベリウスやマーラーも多数録音していながらブルックナーは交響曲の00番のCDがあるだけでした(アシュケナージはブルックナーを否定的に見ているらしい)。今回のシベリウスを聴いていると最近のブルックナー演奏に通じるところが感じられ、ブルックナーも演奏してみれば面白いと思いました。

交響曲第1番 ホ短調
第1楽章 Andante, ma non troppo - Allegro energico
第2楽章 Andante (ma non troppo lento)
第3楽章 Scherzo.Allegro
第4楽章 Finale(Quasi una Fantasia).Andante - Allegro molto - Andante assai - Allegro molto come prima - Andante (ma non troppo) 

 交響曲第1番はシベリウスの交響曲の中で一番大編成の作品ということですが、第1楽章の冒頭等はブルックナーの第4番「ロマンティック」に似ていると思いました。終楽章はブルックナーのようなそびえ立つ威容といった風でないものの、高揚感の点で通じるところがあり、シュケナージのこの演奏スタイルなら最近のネルソンスとちょっと似ていると思いました。

14 6月

シベリウス交響曲第3番 リントゥ、フィンランドRSO

180614aシベリウス 交響曲 第3番 ハ長調 作品52

ハンヌ・リントゥ 指揮
フィンランド放送交響楽団

 交響曲第3番について
 イントロダクション: A Prayer To God [9:19]
 シンフォニック・テーマ集 [15:21]

交響曲第3番
オープニング [0:52]
第1楽章 Allegro Moderato [10:43]
第2楽章 Andantino Con Moto, Quasi Allegretto [9:43]
第3楽章 Moderato - Allegro Ma Non Tanto [9:47]
拍手 [0:50]

(2015年 ヘルシンキ・ミュージック・センター ライヴ収録 Arthaus Musik)

180614b 「世界で初めて女性に被選挙権を認めた国がフィンランド」という情報がハンヌ・リントゥとフィンランド放送交響楽団の映像ソフト、シベリウス交響曲全集の中に出てきました。社会科の授業の記憶は年々薄くなるもののそういう話は全く記憶はないので、ウィキで調べてみると1894年のオーストラリアの南オーストラリア州が最初となっていました(被選挙権と選挙権を含めた婦人参政権)。ロシア帝国領内フィンランド大公国で女性の被選挙権が認められたのは1906年でした。細かいことはさて置き、シベリウス交響曲第3番が完成した1907年頃のフィンランドの気運を察する一つの手がかりになる事柄です。今回でやっとリントゥのシベリウスの最終回になります。

 この映像ソフトは七曲の交響曲と、各曲毎の解説映像、リントゥと作曲家のオスモ・タピオ・ライハラとの対談で構成されています。演奏が素晴らしいだけでなく各曲の解説・対話部分も分かりやすく、独特な情報が含まれて作品を考えるてがかりになっています。交響曲第3番は、それまでの二つの交響曲が「フィンランド国民の声」だったのに対してこの曲から作曲者の私的なもの、主観が中心になったと指摘していました。開始部分と終楽章のコーダ部分が何気なく、全く構えたところがないということからその指摘には納得させられます。

 それからリントゥらの解説には出てきませんが何となくブルックナーの交響曲第6番に似ていると思いました。コーダ部分で独特な盛り上り方をするブルックナー作品とは違っているのは仕方無いとしても、第1楽章の開始部分の唐突な感覚は共通している気がします。ブルックナーも第6番がそれ以前の交響曲と一線を画するような作品なので余計にそう思えます。

 シベリウスの交響曲は特に第3番以降で繊細さ、劇的な性格の反対という内容だと思いますが、それだけでなくてよく鳴る、響き渡るという感覚が前面に出ています。薄い響きなのによく鳴る、と言えば矛盾する内容かもしれませんが、リントゥの演奏で聴くとそういう性格が鮮明になり心地良く聴けます。交響曲第3番は演奏頻度があまり高くないかもしれませんが、この演奏は本当に魅力的でした。
17 12月

シベリウス交響曲第2番 ハンヌ・リントゥ、フィンランド放送交響楽団

161217シベリウス 交響曲第2番ニ長調 Op.43

ハンヌ・リントゥ 指揮
フィンランド放送交響楽団

交響曲第2番について
イントロダクション: Mediterranean Light [9:10]
シンフォニック・テーマ集 [17:40]

 ~交響曲第2番
11: オープニング [0:48]
12: 1. Allegretto [14:46]
13: 2. Tempo Andante, Ma Rubato [15:39]
14: 3. Vivacissimo [6:19]
15: 4. Finale: Allegro Moderato [14:11]
16: 拍手 [0:50]

(2015年 ヘルシンキ・ミュージック・センター ライヴ収録 Arthaus Musik)

161217a 12月のはじめ頃だったか、平安神宮近くにあるロームシアター京都の前でバス停の時刻を確認していると、観光客らしい欧米人に「スピーク イングリッシュ?」と問いかけられたことがありました。食事場所を探しているようだったので「りとる(ちょっとだけ)」と応じましたが、身なりが良さそうな夫妻に合いそうな店が無くて困りました。南禅寺の方に行けば湯豆腐や瓢亭があるものの、すぐ近くじゃなく、例えば2,000~3,000円でゆっくりできそうなところは案外無いものです(安いものばっかり食べてるおっさんが知らんだけか)。黙ってるわけにもいかず、5分程南に歩けば大通りに出る、でもマクドナルド程度しかありませんという意味の説明をするとがっかりしていました。マクドナルドというのに、ブーイング顔っだったのが印象的でした(単品構成で頼むと1,000円くらいになるのに)。

 去年のメモリアル年に発売されたハンヌ・リントゥーとフィンランド放送交響楽団によるシベリウス交響曲全集の映像ソフトは、演奏そのものだけでなく各曲の前に収められた解説とインタビュー部分も興味深くて、日本語字幕も付くので貴重です。それにホールでの公演を収めた映像の最後、曲が終わった直後の客席の反応がすばらしくて、フラブラとか濁声の絶叫らしきものはなくて、コンサートがすっかり定着して、上品で冷静な態度が浸透している様子が見てとれます(収録向けによそいきの態度という面もあるとしても)。これまで第4番以降と第1番を扱ったので残すところあと第3番だけになりました。

161217b 交響曲第2番は北欧のオケが来日する際、シベリウスの作品を演奏するならまずこれというくらいにプログラムに入っていました。 しかし個人的にはシベリウスの交響曲中であまり好きな方ではなくて、全集セットがあっても聴くのは最後の方に回しがちです。それは甘美に高揚する第4楽章の印象が強すぎるからですが、今回このソフトを解説付きで聴いていると、その自分のイメージがかなり浅薄なものだということに気が付きました。他の交響曲の時もそうでしたが、ハンヌ・リントゥーのインタビューからは曲に対するイメージと彼の理解、作品観がそこそこ違っていてそれも興味深いと思いました。演奏もかなり引き締まった響きで貫かれて、終楽章も誇大なところが無いのが良いと思いました。指揮の手が下がり切ってからしばらくは会場が静まり返っていたのも印象的で、第2番ならもっと早くに拍手、歓声が沸き起こりそうなものなので余計に目立ちます。

 支援者、パトロン的存在のカルペラン男爵のおかげで家族そろってイタリアに滞在した際に大半を作曲したという第2番は、イタリアの風土や過去の作曲家の影響が指摘されます。それでも、それ以上にシベリウスの他の交響曲と同じように北欧フィンランドの方を感じさせます。シベリウスはそのイタリア滞在中に娘を伝染病によって亡くしますが、その後家族を置いて一人で別の町に行ってしまい深酒なんかで浪費します。シベリウスの音楽を聴いていてそんな放蕩を全然想像できないのに、リントゥーは解説の奏で「それがシベリウス」と言っていました。
3 4月

シベリウス交響曲第1番 リントゥ、フィンランド放送交響楽団

160403aシベリウス 交響曲 第1番 ホ短調 op.39

ハンヌ・リントゥ 指揮
フィンランド放送交響楽団

交響曲第1番について
 
~リントゥ主導で作曲家のオスモ・タピオ・ライハラとの対談
1: イントロダクション: Young And Reckless [10:28]
2: シンフォニック・テーマ集 [20:35]

交響曲第1番ホ短調 Op.39
オープニング [0:56]
第1楽章 Andante Ma Non Troppo - Allegro Energico [11:45]
第2楽章 Andante (Ma Non Troppo Lento) [9:39]
第3楽章 Scherzo: Allegro [5:31]
第4楽章 Finale: Quasi Una Fantasia [14:21]
拍手 [0:50]

(2015年 ヘルシンキ・ミュージック・センター ライヴ収録 Arthaus Musik)

160403b 先日JR奈良線の某踏切のところで車体の長さからぎりぎり渡り切れると判断したところ、先行の何台かがけっこうな車間距離をとっていたのでこちらの後部が遮断機を超えて(屋根に当たる音がした)危険な状態でした。クラクションを小さく小刻みに鳴らしたら詰めてもらえて無事に済みましたが思わぬところで電車に警笛を鳴らされるから止めることになりかねないところでした。その何日か後に今度は京阪宇治線の踏切で人身事故があったとネットの速報に出ていたのでピンチの記憶がよみがえりました。宇治線は原則各駅停車しか運行しない、駅間距離が短い、カーブが多いというところからスピードが出ないので滅多に人身事故は無く安心していたのでちょっと気を引き締めねばと思いました。昨日同じ場所を通過して帰ってくるとすっかり桜が満開モード(自衛隊の補給基地も)になっていました。

 これは昨年のシベリス・メモリアル年に合わせて発売されたシベリウス交響曲全集の映像ソフトで、各曲の演奏の前に解説映像が付いているのが特徴です。一般人にも分かりやすいような内容を簡潔にまとめられています。 交響曲第1番は解説部分でリントゥの対談相手のオスモ・タピオ・ライハラがブルックナーからの影響を指摘していました(特に第3楽章)。それに対してリントゥは、シベリウスがウィーン音楽院でカール・ゴルトマルクに師事している時にはブルックナーにも教えを受けたかったけど会うことはできなかったと付け加えていました。

 交響曲第1番が完成したのは1899年で、初演も同年4月26日にヘルシンキでシベリウス自身の指揮によって行われました。その前年にベルリンでベルリオーズの幻想交響曲を聴いて感銘を受け、最初は標題付の交響曲を構想していました。 第4楽章が静かにピツィカートで終わる(ブルックナーではあり得ない)等、反ロマン派の既存作品というイメージがありましたが、作品全体は雄大でロマンティックな性格だと改めて思いました。

 解説部分ではリハーサルも少し収録されていてリントゥの知的で冷静な指揮ぶりが強調されています(まさか怒鳴って指揮棒を折ってる場面があっても採用できないはず)。 そういう姿勢にしては演奏は神経質さは前面に出ずに、第1番では特に大らかに豊かに鳴っているのが印象的です。
31 8月

シベリウス交響曲第1番 ベルグルンド、ヨーロッパ室内O

150831シベリウス 交響曲 第1番 ホ短調 op.39


パーヴォ=ベルグルンド 指揮
ヨーロッパ室内管弦楽団


(1997年10月 オランダ,ヒルヴァーサム・RFOホール 録音 Finlandia)

 ようやく八月が終わろうとしています。今朝車の中で「きらクラ!」再放送を聴いていると新しい出題のカテゴリーが何種か出来ていました。その内の一つで曲のコーダ部分と出だし部分の組み合わせを三択から当てるというものでした。今回はチャイコフスキーの「1812年」が正解で、コーダ部分を題名を伏せて聴かされ、次に三種類の冒頭を聴き組み合わせを当てるというもので、曲名は答えなくてもよいので、例えば三択の女王(誰だった?)のような勘が働けば聴いたことがない曲でも正解できる問題です。ちなみに三つの肢は魔笛序曲、ショスタコーヴィチ交響曲第5番4楽章と正解の1812年でしたが、1812年の出だしが弦楽四重奏で始まるのを覚えていなかったので迷いました。というわけでラジオ番組も平常モードに戻り、あとはAMの「すっぴん!」で大喜利でも聴けば完全にルーティーンモードです。

 こうして着実に秋に向かって時間は流れているのに体調は悪く、朝起きるのが辛いのが最近です。それで思い出したように生誕150年のシベリウスの交響曲第1番です。シベリウスの作品で初めてCDを購入したのはベルグルンド指揮、ヘルシンキPOの交響曲第1番と第6番が組み合わされた国内盤でした。教会旋法を使ったということに惹かれて第6番が目当てだったのが、聴いてみると第1番の方が気に入りました。第1楽章が帆船で外海に出航する風景が頭に浮かび平和で勇壮な趣が魅力だと思いました。ただ、そのCDは音質がいまいちだと思えて、弦の高音が鉄板を針金で引っ掻くような感じでした。今回のCDはヘルシンキPOとの全集の後、ベルグルンドが1990年代後半に手掛けた三度目の全曲録音です。

 下記のように二度目の全集盤とは合計演奏時間はあまり変わらず、少し長くなっているうらいですが室内オケによる演奏だけあって細部まで良く聴こえる反面最初に感じた情緒の方はちょっと薄めです。初回全集とも2分強くらいの差であり他の交響曲程は新旧三種で演奏時間の差は大きくありません。

~ ベルグルンド指揮のシベリウス第1番
EOC・1997年
①10分35②9分18③4分58④11分35 計36分26

ヘルシンキPO・1986年
①10分55②8分59③4分58④11分21 計36分13
ボーンマスSO・1974年
①11分57②9分10③5分09④12分27 計38分43


交響曲第1番 ホ短調
第1楽章 Andante, ma non troppo - Allegro energico
第2楽章 Andante (ma non troppo lento)
第3楽章 Scherzo.Allegro
第4楽章 Finale(Quasi una Fantasia).Andante - Allegro molto - Andante assai - Allegro molto come prima - Andante (ma non troppo)
 

 シベリウスの交響曲第1番は1899年に完成して同年4月26日にヘルシンキで作曲者自身の指揮によって初演されました。次作の第2番の二年前に作曲されて1902年には早くも楽譜が出版されていますが、例えばドヴォルザークの交響曲第1番は1961年になってようやく出版されたことを思えば順調な受容度です。今回は第2番を最近聴いたところなので第1番と第2番は特に終楽章が似ているようで、第1番の方がむしろロマン派的性格が濃いようにも感じられました。

28 8月

シベリウス交響曲第2番 インキネン、日本PO

150828シベリウス 交響曲 第2番 ニ長調 Op.47

ピエタリ・インキネン 指揮
日本フィルハーモニー交響楽団

(2013年4月19日 東京,サントリーホール 録音 Naxos )

 ニュースではしきりに山口組の分裂騒動を扱っています(菱分裂)。一般人には関係無いと思いたいところながら、かつて京都府下某市しでは理髪店に居た組長を銃撃する事件、警官が組員と誤認され撃たれて亡くなる事件が起こったり、神戸では巻き添えで市民も亡くなる事件も発生しました。今回も極妻や修羅が行くの世界を彷彿とさせる状況で恐怖が迫っています。そうしたこととは関係なく、インキネンと日本POが2013年に行ったシベリウス連続公演からの第2番です。そういえば日本POから新日本POが生まれることとなる騒動もありました。その新日本POは今年これからシベリウス・チクルスの公演をやりますが、このCDは日本POの方です(我々のような地方在住者には紛らわしい)。

 インキネン(Pietari Inkinen, 1980年 - )は来季から日本POの首席に就任すると発表されたようにかなり評判になっていました。このCDを聴くとそれももっともだと肯かされます。シベリウスの第2番は特に第四楽章が甘美というか、派手すぎて個人的にはあまり好きでなく、ここ十年くらいは滅多にCDを再生していませんでした(でも、聴いたらきいたでやっぱり良い曲だと思う)。このCDは安いNAXOSの制作なのにホールにオーケストラの音が響く豊かな感じがよく入っているようで、演奏も引き締まっていてとても魅力的でした。終楽章が突出する風でも無くてノーブルな印象です。

交響曲第2番 ニ長調 作品43
第1楽章 Allegretto
第2楽章 Tempo andante,ma rubato - Andante sostenuto
第3楽章 Vivacissimo - Lento e suave - attacca
第4楽章 Finale.Allegro moderato - Moderato assai - Molt largamente

 シベリウスの交響曲中で最も演奏頻度が高いとされる第2番は1901年に作曲され、翌1902年3月8日に作曲者の指揮によってヘルシンキで初演されました。1902年は明治35年に当り、ちょうど日露戦争の直前でした。日露戦争では帝政ロシアの支配下にあったフィンランド人も徴発されて戦地へ送り込まれたとされています。シベリウスはそういう時代の1901年にイタリアのジェノヴァ郊外にあるラパッロ(奇しくも第一次大戦後の条約名にその名が出てくる)に滞在してこの曲の作曲を進めました。第一楽章の冒頭は次の交響曲第3番の出だしと似て、独特な素っ気無さで始まり魅力的です。

 作曲家のロベルト・カヤヌスはこの曲の第二楽章を「われわれの時代を照らす太陽の光、花々の芳香を奪い取ろうとするロシアの不正行為に対する大いなる抵抗」と評し、第四楽章は「苦悩を突き抜けて勝利へといたるフィンランド人の輝かしい未来」を象徴するとしています。もっとも当のシベリウスはそういう解釈は否定したということですが、少なくとも第四楽章はその言葉がまんざらでもないと思えてきます。この録音はインキネンと日本POによる全曲録音に先行して発売されましたが、全集に含まれる第2番とは別音源であり、全集には横浜での公演が入っているようです。
1 3月

シベリウス交響曲第3番 ギブソン、スコティッシュNAO

140301a シベリウス 交響曲 第3番 ハ長調 作品52

サー・アレクサンダー=ギブソン  指揮
スコティッシュ・ナショナル管弦楽団

(1982-83年 グラスゴー,SNOセンター 録音 CHANDOS)

 先日予約したコルンゴルト「死の都」@びわ湖ホールのチケットが届いたと思えば早くも今日から三月、公演は来週の日曜日でした。今朝事務所へ向かうべく車を運転していると、何の脈絡も無く「セコイヤ・チョコ」というのが昔Fルタから出ていたと思い出しました。それでどうでもいいとは思いながらネットで検索していみると今でも健在のようですが、自分が思っていた商品(一個20~30円の小さいチョト)とはだいぶ違いました。その小さくて遠足のおやつの値段合わせに重宝したチョコは、チロルチョコではなかったかと。

交響曲第3番 ハ長調
第1楽章 Allegro moderato
第2楽章 Andantino con moto,quasi allegretto
第3楽章 Moderato-Allegro

 交響曲第3番はロマン派的な前作の交響曲第2番から打って変わって、第一楽章の冒頭でいきなり第一主題が軽妙に登場し、全曲を通じてえも言われない簡潔で凝縮された世界です。シベリウスのオーケストラ作品を少しでも聴いて覚えていたなら、この交響曲は少し聴けばシベリウスの作品だと気が付くだろうと思います。第一楽章冒頭のリズムは生きていくのに必要な、快活な自律的なリズムか規則を呼び覚ましてくれるような軽い快感を覚えます。個人的には第4、5番と同じくらいに好きな曲です。

ギブソン・SNO・1982-83年
①09分31②08分30③08分01 計26分02

ベルグルンド・ヘルシンキPO・1987年
①10分17②09分48③08分31 計28分45

 この録音はもっと古いと思っていたら1980年代のデジタル録音でした。長らく人気を保っているベルグルンドの二度目の全集の録音と比べると、上記のように三つの楽章とも少しずつ短い演奏時間です(三度目全集はもう少し長い)。主観的なものだとしても、速すぎると窮屈に感じたりするものですがこのCDについては伸びやかで、全くそんな不満はありません。

140301b  サー・アレクサンダー・ギブソンはシベリウス指揮者として有名だったようで、LPの時代から輸入盤の方を愛好していたような層には知られていたのかもしれません。私は1990年前後にCD化されたシベリウスの交響曲全集を聴いてすごく気に入りました。特に第3番は初めて聴いた時から(この曲を初めて聴いたのがギブソン盤だったかもしれない)すっかりはまってしまいました。シベリウスの交響曲第6、第7番あたりは昔は何となくとっつき難いと思って敬遠しがちでしたが、どこがどうなってかギブソンの録音なら続けて聴けてしまいました。

 LPも出ていたはずですが、シャンドス・レーベルのLPは全く見た記憶がありません。中学生の頃、ごくたまにレコードを買いに行ったJEUJIYA三条店も輸入LPは扱っていたと思いますが、近寄り難そうな大人がいっぱい居たので自然と国内盤のコーナーに吸い寄せられました。シャンドス・レーベルのシベリウスはギブソンの後、セーゲルスタムとデンマーク国立交響楽団が全集を完成させました。

3 8月

シベリウスの交響曲第3番 渡邉暁雄、日フィルSO・1962年

シベリウス 交響曲 第3番 ハ長調 作品52

渡邉暁雄 指揮
日本フィルハーモニー交響楽団

(1962年8月7,8日 東京文化会館 録音 DENON-TOWER)

130803 あまりに不快な暑さに発作的にシベリウスのCDを取出しました。このCDは渡邉暁雄による世界で初めてステレオ録音されたシベリウスの交響曲全集で、タワーレコードの企画により再発売されたものです。これ以前にもCD化されたことがあり、その時は渡邉暁雄の新旧シベリスス全集が同時に再発売されましたが、そこそこ高価だったので新録音の方だけを購入していました。どちらがどうと言い難く、今回の旧全集は音の古さも感じられますが、すごく訴えかけるものを感じます。しかし、CD付属の解説にはシベリウスの交響曲を聴く時に是非避けなければならない事として、「何らかの標題とか、自然現象への連想である(菅野浩和)」と釘を刺されてありました。そうだとすれば、「くそ暑い → 涼を求める → シベリウス」という発想は愚鈍の極みということになりそうです。

 そうは言っても北欧へ避暑バカンス(今は夏だけど日本ほどの気温ではないだろう)へ行く余裕が無い我々はせめて音だけでも、という想いを込めてしまいます。渡邉暁雄は父が日本人、母がフィンランド人であり、幼い頃に声楽家であったその母から最初に音楽の教えを受けました(フィンランドへの留学等の経験は無いようである)。

交響曲第3番 ハ長調
第1楽章 Allegro moderato
第2楽章 Andantino con moto,quasi allegretto
第3楽章 Moderato-Allegro

 シベリウスの交響曲第3番は1907年に作曲され、同年9月に作曲者の指揮によりヘルシンキで初演されました。前作の交響曲第2番と比べ、ロマン派的な性格が後退してシベリウスの独自の作風の始まりを告げる作品とされています。まるで従来の交響曲の中間楽章のように開始する第一楽章が印象的です。七つの器楽だけの交響曲の中では、個人的には第4番、第5番とこの第3番が特に気に入りで、聴く頻度が高くなっています。

渡邉暁雄・日本フィルハーモニーSO
1962年:東京文化会館
①11分25②09分30③09分37 計30分32

1981年:習志野文化ホール
①09分22②10分34③08分42 計28分38

 上記は渡邉暁雄指揮、日本フィルハーモニー交響楽団によるシベリウスの交響曲第3番の新旧録音のトラックタイムです。実はこの旧録音を最初に聴いた時は、記憶に残る第3番の軽快な冒頭と違って驚きました。シベリウスの特に3番以降の交響曲は、繊細さと明晰で抜きん出ているという印象があったので、少なくとも第一楽章は少しがっかりしました。それでも続く二つの楽章は魅力的でした。この曲はギブソン(1980年前後にシベリウスの交響曲を全曲録音していた)とスコティッシュ・ナショナル管やベルグルンド指揮ヘルシンキPOのCDで最初に親しんでいたのでどうしてもそれらの録音によって記憶してしまいます。今回の渡邉・旧盤はもっと重く、幾分暗めに感じられて、再録音の方がベルグルンドやギブソンに似ていると思います。

 そう思いながら何度か聴いていると、ザンデルリンク(ベルリンSO)のシベリウスもこういう感じだったかな(?、よく覚えていない)という気がしたので、これは当時の演奏スタイルの傾向を反映しているのかとも思いました。シベリウスの3番以降の交響曲は、十九世紀のロマン派の作品と限りなく断絶した独自の作風という先入観を根拠も無く持っていましたが、この年代の演奏で聴くとそういう作品観が薄まります。

 今日の午後は、盆の墓参の先乗りで雑草をむしってきました。今年は梅雨の雨量が少ないためか草はたいしてのびておらず、すぐに片付きました。昨日の金曜日、事務所に居ると窓際に置いてあるガラス拭きのスプレーが突然床に落ちてギクッとしました。複合機の近くにコピー機のガラス面を拭くために置いてあるスプレー缶は、過去五年間落下したことはなく、エアコンの風くらいしか原因は考えられないので少々気味が悪くなりました(心がけが悪い者程、そんな風に思うものである)。

8 7月

シベリウス交響曲第1番 ベルグルンド ボーンマスSO

シベリウス 交響曲 第1番 ホ短調 op.39

パーヴォ・ベルグルンド 指揮
ボーンマス交響楽団

(1974年9月9,10日 サウサンプトンギルドホール録音 EMI)

 金曜日の夕方に職場の郵便受けを見ると、とうとう計画停電のエリア分け表が入っていました。徹底的に停電モードになれば、昼間は比叡山頂で仮眠して深夜に下りてくる事態になるとか冗談で話していました。事務用品店の営業さんがオフィス用の蓄電池のカタログを持ってきましたが、かなり高価な上に、仮にPCやプリンターが使えても蒸し風呂のような部屋では我慢できません。風鈴の音も神経にさわるだろうと思います。

 これは三度シベリウスの交響曲全集を録音したパーヴォ・ベルグルンドの初回全集からの一曲です。今年にベルグルンドが亡くなったこともあってか先月廉価盤で復刻されていました。シベリウスの交響曲第1番は、写真、映像で出しか見たことがない北欧の風景が目に浮かぶようなシンプルで清新な曲で、初めて買ったシベリウスのCDだったので愛着のある作品です。そこで、クレンペラー命日シリーズを中座して気分転換を兼ねてこれを持ってきました。

120708  ところでこのCDは一枚当たり999円と、国内盤でついに千円を切りました。しかし、交響曲の1曲につきCD1枚なので、全曲で考えれば通常の1枚に2曲をカップリングさせる場合より割高になります。さらに、せこい話をすれば販売店で行うサービス・ポイントは通常500円単位や1000単位でカウントされるので、1円の違いでポイントが付加されないことになります。もっとも馴染みのところなら、「ポイント付けておきました」と融通をきかせてくれるかもしれません。また、このボーンマス交響楽団との録音シリーズはシベリウスのあまり聴けない管弦楽作品も網羅して交響曲と組み合わせているので貴重とも言えます。

ベルグルンド指揮のシベリウス第1番
ボーンマスSO・1974年
①11分57②9分10③5分09④12分27 計38分43

ヘルシンキPO・1986年
①10分55②8分59③4分58④11分21 計36分13
EOC・1997年
①10分35②9分18③4分58④11分35 計36分26

 ベルグルンドによる三種のシベリウス交響曲第1番の演奏時間は上記の通りです。三度目はヨーロッパ室内管弦楽団との演奏なので、交響曲第1番、第2番では弦を増員していると言え従来とは違う方針で演奏していると考えられます(それでもヘルシンキPOとの録音と時間はあまり違わない)。ボーンマス交響楽団盤とヘルシンキPO盤では、各楽章とも今回の旧録音の方が長く、実際聴いていても印象が違います。デジタル録音とアナログ録音だけでなく、オーケストラ、会場も違うわけなので当然かもしれません。

 初回録音・ボーンマスSOの方が剛毅(解説にも雄大、スケールが大きいと書いてある)で野太い響きにきこえます(良くも悪くも)。12年後・デジタル録音のヘルシンキPO盤はもっと繊細で引き締まっている印象です。それがさらに11年後の、ヨーロッパ室内管盤ではその傾向がもっと強くなっているようです。とりあえず交響曲第1番は、もっぱら聴いて喜ぶだけの我々にとっては、ボーンマスSOとの録音も魅力あるものだと思いました。

交響曲第1番 ホ短調
第1楽章 Andante, ma non troppo - Allegro energico
第2楽章 Andante (ma non troppo lento)
第3楽章 Scherzo.Allegro
第4楽章 Finale(Quasi una Fantasia).Andante - Allegro molto - Andante assai - Allegro molto come prima - Andante (ma non troppo)

 シベリウスの交響曲は「ひとりでには鳴らない」、オーケストレーションに問題があると言われ、あまり取り上げない、録音していない著名指揮者も居ます。そんな中で第1番、第2番は後期ロマン派的作風(どちらかと言えば第2ほ方か)で、素直な方だろうと思います。実際、来日オケは第2番を演奏することが多いようです。

29 4月

廉価盤になるとは シベリウス第1番/デイヴィス・ボストンSO

・ シベリウス 交響曲第1番ホ短調Op.39 サー・コリン=デイヴィス 指揮 ボストン交響楽団 (1976年4月録音 旧フィリップス)

 先年「信長の棺」、「秀吉の棺」という歴史小説があり、TVドラマ化もされました。出版されてだいぶしてから単行本で読みましたが、そのすぐ後に文庫本が出て、もう少し待っても良かったかもと、高い買物だった気がしました。塩野七生の「ローマ人の物語」は37巻まで文庫本化されているので、ここまで来たからには文庫で出るまで待つように決めています。最初から文庫本で出版される場合もあり、また、文庫本で出ていないものもあるかもしれません。販売価格で見れば文庫本=廉価版となりますが、書かれている内容に違いは無い(翻訳ものは訳者が異なる場合もあります)ので、廉価版の方がかさばらないのでいいかと思えます。

_edited1  コリン=デイヴィスがボストン交響楽団と録音した一連のシベリウスの交響曲は、発売当時に作曲者の母国フィンランドでもかなり高評価であったそうです。デイヴィスは、シベリウスの交響曲全集を3度録音していて、これはその一回目の録音の中のものです。デイヴィスは国際的にシベリウスの権威と目されているとのことですが、日本国内では少し温度差があるかもしれません。この1回目の全集の日本での発売状況はどうだったか分かりませんが、現在は輸入盤の廉価盤でしか出回っていないはずです。また、最新の録音も確か輸入盤のみのはずです。シベリウスの演奏が本場ものを重視する傾向がまだ続いているのかもしれませんが、コリン=デイヴィスへの尊敬度もいまひとつのようです。しかし、このシベリウスは、ちょっと緩んだようにも感じられますが、シベリウスらしさを損なわない繊細な演奏だと思えます。ただ、やはり3度目の最新のものの方により惹かれます。

 日本国内で演奏される頻度が一番高いシベリウスの交響曲は第2番だろうと思います。来日する北欧のオケがたまに第5番をプログラムに入れていることがありますが、たいていは第2番です。のだめカンタービレ・パリ篇で千秋のデビュー公演のプログラムも、師匠の助言に従ってかシベリウスをとりあげましたが、やっぱり第2番でした。6番は教会旋法を用いた曲、7番は単一楽章のややとっつきにくい曲ですが、第一番は明るく、親しみやすい曲なので、もっと取り上げられてもいのにと思えます。第一楽章の冒頭は、夜明けや出航(出向ではない)といった光景がイメージされて魅了されます。

 このCDは、1995年頃発売されていますので、制作されてから概ね20年程で廉価盤として出ていることになります。95年がはじめての再発売ではないかもしれませんが、その頃にデイヴィスの2度目の全集が録音されていますので、新作が出るから旧作を廉価盤で出すというのは十分考えられます。何にせよとにかく発売されて、入手できるにこしたことはないわけで、安ければなお結構です。しかし、自分が特に好きな演奏家の場合は、廉価盤になるまでの期間が速かったりするとちょっと微妙な感情です。一時期、CDの寿命は30年程度でありそれ以上経過すると盤面が読み取り難くなるという話がありましたが、その真相の程はどうなったのかと思います。その話が出て以来、あんまり安いCDは品質も悪く寿命も短いのではと不安に思えてきます。

 CDの場合は、近年HQ何とか、ブルースペック?と称して、高品位のCDで再発売されるケースも出てきています。元々市場自体低迷傾向なので、それを契機にお蔵入りの音源が発売されるなら歓迎されることだとは思います。しかし、書籍の場合はどうかと思います。岩波書店から学術文庫か何かが豪華版で復刻されているものがありました。司馬遼太郎の幕末の3シリーズや、池波正太郎の鬼平、剣客、仕掛人のシリーズは全部文庫本で読みましたが、今新たにハードカバーで復刻されたとして、もう一度購入しようとは思いません。このへんは愛情が足りないということになるかもしれません。余談ながら、仕掛人藤枝梅安の、「針医者が暗殺をする」という設定は結構斬新で現代的だったのだと思えてきます。

 (写真は、宇治市内の宇治橋より少し上流の中洲「塔の島」にかかる「朝霧橋」を右岸上流から撮影したもの。宇治市にしては珍しい高層のマンションが目立ちます。)

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昭和40年代生まれ、オットー=クレンペラーの大フアンです。クレンペラーが録音を残したジャンルに加え、教会音楽、歌曲、オペラが好きなレパートリーです。

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