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新・今でもしぶとく聴いてます

ブルックナーSym.7

23 2月

ブルックナー交響曲第7番 グザヴィエ・ロト、ケルン/2019年

220221ブルックナー 交響曲 第7番 ホ長調 WAB.107(ノヴァーク版2003年第3改訂版)

フランソワ=グザヴィエ・ロト 指揮
ケルン・ギュルツェニヒ管弦楽団

(2019年12月 ケルン・フィルハーモニー録音 Myrios Classics)

220221b 逃げる月の二月も残り少なくなり、ふと思い出したのが秋篠宮家長女の結婚相手、K氏のニーヨーク州の再試験、あれはどうなったのかということですが、どちらにせよそっとしておいてあげればと改めて思いました。先日、高関健指揮のベートーヴェン交響曲第1番、第3番のパッケージを見てオーケストラ名が「大阪センチュリー交響楽団」と書いてあり、当時はまだ「日本」ではなくて「大阪」なんだなと、保健所の人出が足らない等一連の混乱を思い起こしながら複雑な心情で見つつ、CDは再生せずに終わりました。オーケストラの母体は府が運営する吹奏楽団の大阪音楽団だったのが1990年に大阪センチュリー交響楽団として設立され、2011年度から日本センチュリー交響楽団になりました。その当時文楽に対する補助金までやり玉にあがっていたので、どんどん関西が荒廃していくような寂しい気持ちでした。

 気を取り直してグザヴィエ・ロトのブルックナー、2024年のブルックナー生誕200年に向けて開始された全曲レコーディングの第一弾にあたる交響曲第7番です。オーケストラはケルン歌劇場のオーケストラ、ケルン・ギュルツェニヒ管弦楽団。少し前にマルクス・シュテンツとマーラーの交響曲を全曲録音したのでいよいよブルックナーです。フランソワ=グザヴィエ・ロトは名前からも分かる通り、フランス出身(パリ生まれ)で、それがブルックナーを連続録音するのですが、レミ・バローもパリ出身なので今更珍しいことでもありませんが、それでもやっぱり気になります。

グザヴィエ・ロト ケルン/2019年
①18分17②18分15③08分59④11分10 計56分41

ギルバート・エルプPO/2019年
①21分08②22分17③10分09④12分52 計66分26
ネルソンス・ライプツィヒ/2018年
①21分41②23分07③09分43④13分04 計67分31
ヤング・ハンブルク/2014年
①21分38②21分42③10分24④12分45 計64分49
ティーレマン・ドレスデン/2012年
①22分44②23分02③09分50④13分34 計69分10
I.フィッシャー・ブダペスト/2012年
①18分42②18分36③09分04④10分22 計56分44

 この第7番、演奏時間が短くて初期の第1番くらいなので同じくらいの演奏時間は、最近ではイヴァン・フィッシャーくらいです。だいたい70分弱くらいが多かったのじゃないかというところなので新しいタイプというか、かなり異質な部類です。ただ、交響曲第5番を録音したベンジャミン・ザンダーは、従来のブルックナー演奏を総じて遅い、歌謡的な流動感が損なわれると指摘していたので、その理論によるとこういうスタイルは理にかなっているということになります。

 実際に聴いていると、単純な拒絶感といものはわいてこず、独特な心地よさがまず最初に来てかなり好印象でした。ただ、なんと軽快なという軽い驚きのようなものは感じました。それに第2楽章は意外に厚みがあって、第1楽章を聴いた際の予測からすれば、もっと薄く軽いものかと思いました。第1楽章の終わり、終楽章のコーダ部分もこの作品らしい高揚感はあるので「ブルックナーらしさ」は保ちつつ、新しい響きを追求しているようなので後続が期待できます。
9 2月

ブルックナー交響曲第7番 フルトヴェングラーBPO/1949年

210209aブルックナー 交響曲 第7番 ホ長調(改訂版)

ヴィルヘルム・フルトヴェングラー 指揮
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

(1949年10月18日 ベルリン,ダーレム,ゲマインデハウス 録音 Grand Slam/EMI)

210209b 件の五輪組織委員会の女性理事の数をめぐる発言、海外で敏感に反応しているのは発言だけでなく、その発言を受けてその場で笑い声が起こっていたことに対してのようでした。つまりその場が凍り付いて、「しまった」と発言者が後悔するような雰囲気ではなく、同調するかのようなニヤついた反応だと誤解?されたようで、この国のオリンピック、パラリンピックを誘致して運営する委員会にはそういう考え、価値観が蔓延していたのか(ある意味「凄いですね」か)と認識されてしまったということでしょう。ところで我々の身近な場では女性の進出、活躍は拡大しているのか振り返ると、自分が働き出したバブル崩壊直後と比べると一応は向上しているのではないかとは思います。ここ何年かで国の行政機関の方、複数と同行する機会があれば、幹部らしき人にはほとんどの場合は女性が含まれています。男女独りずつで名刺の肩書も同じ(例えば、火付盗賊改方 与力 杜紀朗、
火付盗賊改方 与力  古井家由梨)ということも何度かありました。余談ながらその時はどっちが上席か先任なのか区別が付かず困りましたが、これでも西側の諸国や中国と比べるとまだまだ全然足りない、だからああいう発言の場で笑い声が生じるという社会なのだと。

210209 「歴伝 クラシック 洋楽名盤宝典精選『LP手帖』月評 1957→1966(1999年5月 (株)音楽出版社)」という本があり、1957年1月から26年に渡って刊行されていた「LP手帳」誌からの抜粋集という内容です。過去記事のクレンペラーのエロイカの際に引用したことがあり、月評の内容は我々のような素人からすると難しいものもあり、レコード評で常陽される語句、言い回しがそこそこ定型化する前の年代も含まれていて興味深いものがあります。その中でブルックナー作品の評論が少なくて、かえってマーラーの方が多いくらいです。数少ないブルックナーの中で、1965年にフルトヴェングラーの放送用音源からのLP、ブルックナーの交響曲第7、8番というEMI系のレコード(疑似ステレオ)を扱った回の評が載っていました。
 
 その記事には録音データの記載はありませんが、第7番はおそらく今回の音源だろうと思います。担当は門馬直美氏、「今月の新譜のなかで、もっともきき甲斐のあるレコード」、「フルトヴェングラーは、まさにブルックナー向きの第一人者であった」という賛辞がありました。各曲に分けて論評しているわけではなく、割かれた文字数は少なめながら、同月に出たクナッパーツブッシュのブルックナー第5番、ウィーン・フィルよりも肯定的になっています(優劣には言及していないが、クナの第5番では、枯れている、悠々としている、素朴なリズムの処理等、クナ独自の魅力として称賛しているのみ)。いつの頃からか宇野功芳式のブルックナー演奏の流儀によって、フルトヴェングラーのブルックナーは作品の持ち味を損なうようなニュアンスでとらえられていましたが、この年代のLP手帖では少なくともクナッパーツブッシュに劣るような論調ではないようです。

フルトヴェングラー・BPO/1949年
①19分29②21分03③09分44④12分00 計62分13


 実際に聴いていると第1楽章で急に速くなる部分が目立つほかは、バランスを欠くくらいに速すぎるような部分は無く、例えばバイロイトの第九の終楽章コーダのように突っ走るようなことはありません。そういうこと以前に最初から清らかで、古い音源で第2楽章では回転が乱れてるのかと思えるところがあっても、なぜか濁りというものが限りなく少なくて、沢を登って行くような心地がしてきます。部分的に激しいようなところがあっても川の上流で見られる滝状の激流のような趣で、人間のドラマというのとは違った印象だと思いました。フルトヴェングラーのブルックナーに対する批判としてベートーヴェン的になっているというのがあったと思いますが、それはどうだろうと思います。もっとも、演奏会場で聴いたらそんな風に感じるかもしれませんが。

 フルトヴェングラーの晩年、1953年に朝比奈隆は面会できて、ブルックナーは原典稿を使わなければダメと言われたという話は色々なところで出てきます。そのほか、ブルックナーを理解するにはシュテフター(
Adalbert Stifter 1805年10月23日 - 1868年1月28日)の作品を知らなければならないと言ったり、現代において理解されているブルックナー像からすると一致するような見解なので感心させられます。なお、稿・版についてはCDには改訂版と表記されていますが、abruckner . com のディスコグラフィの分類では “ 1885 Version with some Modifications by Bruckner. Ed. Albert Gutmann ” と表記されています。1885年原典稿のハース版でもノヴァーク版とも違う版となっています。
29 8月

ブルックナー 交響曲第7番 上岡、ヴッパタールSO/2007年

200829ブルックナー 交響曲 第7番 ホ長調 WAB.107(*ハース版/自筆譜,シャルク、ニキシュによるスコアから取捨選択)

上岡敏之 指揮
ヴッパータール交響楽団

(2007年9月8,9日 ヴッパータール,ヒストーリッシェ・シュタットハレ 録音 DENON)

 先日の夕方、そろそろ日没になる頃に河原町通の丸善に行き、吉野作造の「憲政の本義、その有終の美(光文社古典新訳文庫)」を探していると、学生の先輩と後輩のような男女の声がきこえてきました。アニメ声の女性が年下らしくて、彼女に男性の方が次々に本の解説を簡潔に加えていて、これが小気味よいやら面白いやらで、おっさんにも説明してくれと言いたいくらいでした。哲学系の本を探しているようで、最後に聖書(新旧約のあれ)が挙がったので何と言うのかと耳をそばだてたら、自分には遠いとか「日本人だから日本の」云々ときこえてきました。ありがちなことながら、そこに居るほぼ全員が和服でなく洋服に靴を履いているんだけどなと思いつつ吉野作造のそれを見つけて帰りました。

 それにしても憲政の本を買った直後に首相の辞意表明会見、単なる偶然ながら、この際誰が後継になるにしても、国民に主権があるのがおかしいとか与党の国会議員がそんな冗談を公然と発信し難いような内閣になることを希望します。そんな事柄とは特に関係の無いブルックナーの交響曲第7番。上岡敏之が首席を務めたヴッパタール交響楽団とハブルックナーの交響曲第4、7番の録音がありました。第4番はこの第7番の約七年後なので、第7番の方は上岡敏之が同市の音楽総監督(Generalmusikdirektor
)に就任した直後くらいの時期でした(ここでの音楽総監督というのは任期のある役職なのか、終生付いて回る称号のような性質なのか、そのどちらなのか?)。

上岡/2007年
①28分36②33分27③12分02④16分28 計90分33
上岡/20019年
①22分45②25分11③10分40④13分20 計71分56

 最初にこの第7番について、色々な事の前に凄く清涼感のあるブルックナーになっています。異例な長さの演奏時間なのにこういう響きになるのは不思議で魅力的です。それにしても、CD一枚に収まらない珍しいケースの演奏時間はチェリビダッケ級の合計演奏時間になり、今世紀に入って速目のテンポで流動感・歌謡?感(B.ザンダーの主張)を前面に出したブルックナー演奏が増えているので異例です。上岡敏之がブルックナーを演奏する際には常にこういうテンポかと言えばそうではないようで、先月の新日本POとの第9番は突出した演奏時間ではありません。同じ新日本POとの第7番とは20分近くの差が出ています。全曲を通して聴くと第1楽章が少し長いとだれ気味になりましたが、後続の楽章はどれも感銘深くて、特に第2楽章が異例の長さなのに透徹していて見事でした。第3楽章は三部形式の中間部に入るところが前半部と対比が鮮明で、この楽章の魅力を再認識しました。

 CDの解説には使用楽譜についての注記があり、上岡敏之の次のような考えが載っていました。「ハース版の使用を考えたが、これにも満足できないところが少なからずある。熟慮の末、
ハース版をベースに、作曲家の自筆譜と初演当時フランツ・シャルクやアルトゥール・ニキシュらが手を加えたスコアから取捨選択し、ブルックナーが望んだであろう繊細なこの曲本来の響きに近づきたいと考えた。」作品を念入りに研究の上で演奏を検討しているうちにこういう内容になったということかと想像します。ここまでゆったりしたテンポじゃないけれど、マゼールとベルリン・フィルのブルックナー第7番と少し似ている気がしました。
6 6月

ブルックナー交響曲第7番 シューリヒトOSR、/1961年

200606ブルックナー 交響曲 第7番 ホ長調(1885年原典稿/with some Modifications by Bruckner. Ed. Albert Gutmann)

カール・シューリヒト 指揮
スイス・ロマンド管弦楽団

(961年1月25日 ヴィクトリア・ホール,ジュネーヴ  キング/原盤:Epitagraph)

 今日の昼前に墓地へ行ったら、珍しく自分のところの区画に雑草がたくさん伸びていました。散歩途中の犬か野犬なのか、とにかく犬のフンはよく見かけるので、肥料が効いたせいなのかコロナ禍で管理人の業務が減ったせいか、八百屋の店頭にあるホウレンソウ二束くらいの量の雑草が抜けました。それにしてもD通・中抜きの話、凄いなと、なんでも利権のタネかと、この非常時にもと感心します。そうだとすれば爆弾三勇士やまだ沈まずや定遠は、の背後でもキャッホーな儲けをしている方々がいたのだろうと。

 4、5月の緊急事態宣言の期間は路線バスや鉄道を利用しないというくらいで別に負担増でもなかったと思っていたけれど、見えない形でプレッシャーがあったのか、パトラッシュとネロのように夜はすぐに寝ていて、ブログ更新の材料はなかなかできませんでした。このCDも再生機器の前に何か月も置いたきりで未聴どころか未開封のままでした。これはシューリヒトがジュネーヴで行われたスイス・ロマンド管弦楽団の第8回定期公演に客演した際のライヴ録音です。DENONから出ていたハーグ・フィルの第7番よりも少し前の演奏です。第8回というのはどういう勘定なのか、1938年に放送局のオーケストラを合併していることだし、戦後15年経っているので通算なら定期公演の回数はもっと多いはずです。シューリヒトとアンセルメは親交があったのでスイス・ロマンド管弦楽団にシューリヒトが客演しても不思議でないとしても、ブルックナーというのは思いきったプログラムだと思います。

~シューリヒトのブルックナー第7番
スイス・ロマンド/1961年
①19分17②19分32③8分11④12分50計59分50

ハーグ/1964年
①20分16②18分37③8分46④12分27計60分06

 実はシューリヒトのブルックナーは全面的に好きとまではいかず、線が細く過敏なものを感じていました。しかしブルックナー演奏だけでなくシューリヒトがモーツァルトなんかを指揮するときと同じ流儀で、今回改めて聴いているとかなり惹かれました。ハーグ・フィルの国内評にはオーケストラの技量がいまいちというのがありましたが、今回のスイス・ロマンド管との演奏は精緻で、金管の節度ある?というか咆哮しない美しさが目立ちました。それに高揚感もあり、21世紀の現代に聴いていてむしろ親近感を持てると思いました。もう過去の演奏家の録音はいいかな、アフター・コロナ期に卒業かと思ったらこれはまたぶり返しそうです。

 CDの紹介にシューリヒトはスイスのフランス語圏でブルックナーの紹介者と書いてあり、こういうスタイルなら拒否感は出難いだろうと想像できます。スイス・ロマンド管弦楽団によるブルックナーといえば今世紀になってヤノフスキが全曲録音を完成させましたが、その半世紀近い前の演奏ということになります。ところで同曲異稿の問題があまりない交響曲第7番ですが、CDの広告にはハース版と表記されていますが、abruckner.com のディスコグラフィには(1885年ハース版)には分類されていませんでした。
25 12月

ブルックナー交響曲第7番 ギルバート、NDR/2019年

191224ブルックナー 交響曲 第7番 ホ長調 WAB107

アラン・ギルバート 指揮
NDRエルプフィルハーモニー管弦楽団

(2019年6月25-27日 ハンブルク,エルプフィルハーモニー 録音 Sony Classical
 
191224b 今年もクリスマスがやって来ました。「夜半のミサ」を行う時間帯が早まってずいぶんと経ちましたが、昨夜は開始時刻前にはすっかり出来上がっている状態(泥酔ではないが)なのでとっとと帰宅して、今朝の「日中のミサ」に行きました。午前七時という中途半端な時間帯は集まる人数も少なくて静かです。過去何十年間を振り返って、クリスマスらしい迎え方を出来た年はいつだったか、そもそもあったのかを考えると、幼稚園の年長組の年に降誕劇をやり、聖ヨセフの役をやった時が一番高揚感があった気がします。その当時は幼稚園の定員に空きが無い場合がよくあり、基督教嫌いの父でさえもプロテスタントの教団付属の教会に入れざるを得なかったくらいでした。しかし降誕劇も12月24日とかじゃなく、もっと前倒しに行ったような覚えがあり、そもそもクリスマスが平日の場合には教会で何もやらないところもありました(意外にも12月24日や25日に典礼なり集会を行う教会ばかりではない)。

 クリスマスと特に関係の無いブルックナーの第7番、このCDを何週間か前からちょくちょく聴いていながら、特にコメントすることが無いようでブログで扱わずにここまできました。アラン・ギルバート(Alan Takeshi Gilbert 1967年2月23日 - )と言えば昨年11月にエルプ・フィルと来日して京都コンサートホールでも公演がありました。年齢が自分と近いことと、母親が日本人だということで「へえ」と思ったものの、特にブルックナーに縁があるわけでもなさそうだと最初は思いました。しかしエルプ・フィルなら前身は北ドイツ放送交響楽団であり、ハンブルクに本拠を置くヴァントでおなじみのオーケストラだという点に注目すればブルックナーの本筋のオケだと思えてきて気になりました。

ギルバート・エルプPO/2019年
①21分08②22分17③10分09④12分52 計66分26
ネルソンス・ライプツィヒ/2018年
①21分41②23分07③09分43④13分04 計67分31
ヤング・ハンブルク/2014年
①21分38②21分42③10分24④12分45 計64分49
ティーレマン・ドレスデン/2012年
①22分44②23分02③09分50④13分34 計69分10
I.フィッシャー・ブダペスト/2012年
①18分42②18分36③09分04④10分22 計56分44
インバル・東京都SO/2012年
①18分28②19分13③09分09④11分44 計58分34
K.ナガノ・バイエルン国立O/2010年
①20分06②21分53③09分43④12分27 計64分09
ヤノフスキ・スイスロマンド/2010年
①21分05②21分37③09分47④13分15 計65分44

 聴いてみるとなかなか丁寧で、金管が咆哮しまくるタイプ(今時そんなスタイルはむしろ稀か)とは全く違う、繊細な内容で感心しました。前半を聴いているとマーラーの第9番が一瞬ちらつき、ワーグナー作品と重なるような演奏とは一線を画していると思いました。HMVのHPでこのCDを紹介しているところでは、この作品の第2楽章を作曲中にワーグナーの死に接し、その葬送として書き進めたということについて、ギルバート自身の「結局は生きる喜びを綴っているように私は感じます」という言葉を載せています。CDを聴いていると確かに重苦しい葬送の音楽という空気は無くて独特です(しかし生きる喜び云々とまではどうか?と)。

 両親がニューヨーク・フィルのヴァイオリン奏者だったというギルバートは子供の頃からブルックナーに関心があったのかどうか。パーヴォ・ヤルヴィはセルとクリーヴランドOのブルックナー第3番をよく聴いたと言っていて、初期の交響曲を特別に扱っていました。今回のギルバートの第7番を聴くとそういうタイプに近い気がしました。ここ十年くらいのブルックナー第7番のCDと演奏時間を比べてみると、速いタイプではなく、特にゆったりとしたものでもありません。それに終楽章のコーダ部分は特別にあっさりとしています。
2 9月

ブルックナー交響曲第7番 ヨッフム、SKDのSACD仕様

190901bブルックナー 交響曲 第7番 ホ長調 WAB.107(ノヴァーク版)

オイゲン・ヨッフム 指揮
ドレスデン・シュターツカペレ管弦楽団

(1976年12月11-14日 ドレスデン,ルカ教会 録音 EMI)

 先月の始め頃かそれ以前、「昆虫すごいぜ」の番組宣伝のようなコーナーで世界中で昆虫の数が減っているという話がありました。中米が特に顕著なようでしたが日本列島も例外ではないということでした。身の回りではここ五年くらい、「やもり」がめっきり減った気がします。暖かくなれば窓にヤモリがへばりついていたのが全然見られなくなり、今年は一度も見ていません。ついでに蚊、ゴキブリ、蝉も減っていて何か不気味な傾向です。それらのが減っても直接、即座に困るわけじゃなく無視すれば良いとしても、その原因が気になります。とりあえず九月になっても梅雨のような不快な蒸し暑さが続きます。

190901a さて、気が付くとブルックナーを聴く、扱う頻度が低下していました。京響の十月定期には交響曲第4番がプログラムに入っているので、徐々にブルックナー体質に戻しておくべく過去記事で済の中から新たにSACD化されたヨッフムとシュターツカペレ・ドレスデンによる交響曲第7番を聴きました。AB級アンプではなくD級のアンプと2チャンネル、バランス接続で聴きました。トールボーイ型のスピーカーには春先に買ったバラストをまだ装填しておらず、もうちょっと涼しくなったら全面的に整備しようと思っています。ブルックナーの交響曲の中で、例えばオケの定期公演の演目に入っていて是非聴きたいと思うのは第2、5、6、9番で、特に第2番がプログラムに載ったら演奏頻度が低いこともあって、大げさに言えば「ああ、天が開けて、人の子が神の右に立って~」というくらいの感激度です。第7番の場合は最後まで通して聴き易い反面、何となくなだらか過ぎるという物足らなさも付いてまわります。

ヨッフム・ドレスデン/1976年・EMI
①20分59②25分53③10分02④12分28 計69分22
ヨッフム・BPO/1964年・DG
①20分37②25分00③09分44④12分36 計67分57
ベーム・VPO/1976
①19分38②24分04③10分21④12分04 計66分07

 それはともかくとして、今回聴いたタワーレコードの企画でSACD化されたヨッフム、ドレスデンのブルックナーは音質の面でもだいぶ良くなっていると思いました。特に第2楽章が感銘深くて、この作品についてワーグナー作品と同心円というような見方とは違う視界が広がっていることを強く再認識させられました。木管楽器が聴こえるところで木漏れ日か草花が風に揺れるように感じられて、独特の美しさです。ベルリン・フィルとの旧録音と比べて全楽章とも演奏時間が長くなっていますが、それは聴いた印象とも合致すると思います。

 今回新リマスターのSACDで聴いてみてヨッフムの第7番が強烈に印象付けられて、このEMI録音以後の来日公演のライヴ録音とか他にもあったことを思い出しました。ヨッフムはベートーヴェンの交響曲はアムステルダム・コンセルトヘボウOとも全曲録音していましたが、ハイティンクと共同で首席を務めた同オーケストラとブルックナーの全曲録音をしなかったのはちょっと残念です。シュターツカペレ・ドレスデンに不満があるわけじゃないけれど、ヨッフムの得意レパートリーのブルックナーは欲を言えば、常任的に頻繁に指揮している一つのオケと全曲を演奏録音して欲しいとも思いました。
23 2月

ブルックナー交響曲第7番 朝比奈隆、東京都SO/2001年

190223bブルックナー 交響曲 第7番 ホ長調 WAB.107(ハース版 )

朝比奈隆 指揮
東京都交響楽団

(2001年5月25日 サントリー・ホール ライヴ録音 fontec)

 昨日の昼前、ある役所のカウンターの前に座って申請した書類が出来るのを待っていると、携帯電話(スマホか)を持ってやたら大きな声で話す男性がいました。老人と言うのか熟?実?年というのか、自分より干支で一回りくらい上のような年齢で、スピーカーから出る通話先の声も大きくしていたのでうるさいくらいに丸聞こえでした。外に出て話さないまでもちょっとは遠慮せえ、と思いながら我慢していました。やっと終わったら今度は私の横に座って、自ら電話をかけてまた同じような大声で話だしました。堪忍袋の緒という安全装置が仮に十二本あるとするなら瞬間的にニ、三本がブチッと切れましたが、相手の通話音声も大きかった(大きくしている)のであるいは聴覚に問題があるかもしれず、何も言わず、そこを離れもせずに座っていました。

 さてブルックナーの第7番、少し気温が上がったので畳の上に寝転んでブルックナーを聴く「ブルックナー浴」がしやすくなりました。先日居酒屋のカウンターに座っているとこれまた大きな声の爺さんが、今まで東北の酒、北陸の酒とか言われて飲んできたけど結局どれがいいのか悪いのか分からんようになったと言うのがきこえました。自分にとってのブルックナーもそろそんな感じかもしれません。

東京都SO/2001年
①21分49②20分06③08分44④12分21 計63分00
大阪PO/1992年
①20分56②21分13③08分07④12分45 計63分01
大阪PO/2001年
①21分18②20分40③08分35④13分21 計63分54
新日本PO/1992年
①21分55②23分45③08分46④12分49 計67分15
東京都SO/1997年
①23分05②23分46③09分27④13分12 計69分30
東京交響楽団/1994年
①22分21②22分09③09分38④13分11 計67分19

190223a これは朝比奈隆(1908年7月9日 - 2001年12月29日)が93歳になる直前に残した、最後のブルックナー第7番のライヴ録音です。朝比奈の没後にも多数ライヴ音源が出たので交響曲第7番は一体何種類あるのか分からなくなるくらいです。同じ東京都交響楽団との第7番は四年前にも録音していました。合計演奏時間を比べると2001年の二度がかなり短目になっています。朝比奈隆のブルックナーの中では第7番は好きな方でしたが、今回は聴いてみてちょっと意外な印象でした。なお、このCDのトラックタイムには終演後の拍手等はカウントされていません(しかし歓声やら拍手はきっちり収められている)。

 その以外さを象徴するのが第4楽章が終わった後の短い沈黙と、それが破れる瞬間で、本当に我に返って歓声と拍手がわき起こるというニュアンスです。実際に聴いていてその感じ方は共感できるので作為的にそうしているのではないと思います。朝比奈のブルックナー第7番なら、かなり盛り上がり、壮大に高揚すると思っていたので、え?終わったのか?という感慨が湧き、それが我に返るという反応になったのだろうと思います。

 それはともかくとして、前半の二楽章は何となく雑な気もしてあっけなく過ぎたという印象ですが、何度も朝比奈の公演を聴いているコアなフアンなら別の感じ方だったことだと思います。自分の中ではキャニオン・クラシックの全集の第7番が好きだったので、このCDの第3、第4楽章はそれに通じる(それ以上か)内容だと思いました。
11 10月

ブルックナー交響曲第7番 ヴァント、NDRSO/1999年8月22日

181011aブルックナー 交響曲第7番変ホ長調(ハース版)

ギュンター・ヴァント 指揮
北ドイツ放送交響楽団

(1999年8月28日 リューベック、コングレスハレ ライヴ収録 Arthaus Musik)

  いつ頃だったか「ブルガリアン・ボイス」、奇跡のコーラス等とCMにも使われてブルガリアの伝統音楽か何かの歌声が注目されたことがありました。今朝、禅宗の托鉢の一隊が「ホーイ(ときこえる)」という声を唱和しつつ巡回していて、いつになく若々しく共鳴するような響きだったのでちょっとそのブルガリアに似ているような気がしました。托鉢の声が響き渡ると民家の飼い犬が一斉に鳴き出したものですが今日に限っては全く犬の鳴声はきこえませんでした。それにしても素朴な疑問として、禅宗は今でも妻帯しないことを貫く僧侶が居るのか、親族等に一門の僧侶が居ない一般家庭からの入門、出家して住職になる人はどれくらい居るのだろうかと思います。永平寺かどこかは門を叩いて入って来る新参者には厳しくて、ぼこぼこに殴られるとか経験者の著作に載っていたとききました。冷やかし半分とか一時の気分で来る者をふるいにかけるためだとか。

181011 10月11日はブルックナー(Joseph Anton Bruckner 1824年9月4日 - 1896年10月11日)の命日だとtwitterで見かけたのでヴァントが晩年に指揮したシュレスヴィヒ=ホルシュタイン音楽祭のブルックナー第7番・DVDを視聴しました。ヴァントのブルックナーと言えば個人的にはケルン放送交響楽団との全集や1990年代前半の北ドイツ放送交響楽団との録音をまず思い出し、引き締められた響きが念頭にあるので、これを視聴すると幾分ゆるんだようで穏やかに聴こえる第7番が意外に聴こえました。最近は音声だけのブルーレイ・オーディオやSACDのシングルレイヤーもあるので、このDVDの音質は今一つに感じられてこれならCDの方が良いくらいじゃないかとも思いました。

 しかしブルックナーを指揮、演奏している姿を見ることができるので来日公演に一度も行けなかったので非常に貴重だと思って購入していました。動きが少なくて何となくリズミカルにも見える指揮の動作は、オーケストラが出す音楽とはちょっと想像し難い軽やかさなのが興味深いものでした。それに終楽章のコーダのところが率直に盛り上がって、なんのとがめだてもしない風なのがこれまたケルンRSOとかのイメージとはちょっと違っていました。

 ヴァントは現在はヴッパータールの一部となっているエルバーフェルトの出身で16歳年下のホルスト・シュタインと同郷でした。そのエルバーフェルトの歌劇場ではクナッパーツブッシュが指揮していた時期もあったので、ヴァントは彼のブルックナー演奏に多少は親近感を持っているのかと思ったらそうでもないようで、このDVDの解説冊子にはワーグナー風のブルックナーはもってのほかと思っているらしくて、むしろクレンペラーのブルックナー(冊子では理知的と評していた)の方に傾倒していると出ていました。クレンペラーはハンブルク歌劇場時代に起こした駆け落ち事件により一時期、エルバーフェルトと共に合併によって
ヴッパータールの一部となったバルメンの歌劇場に居たことがありました。ヴァントの年齢からすればその当時に二人の指揮したブルックナーは聴いた可能性は低いですが、生地、地理的に妙な接点がありました。
21 6月

クレンペラー、BBC交響楽団のブルックナー第7番/1955年

180621ブルックナー 交響曲 第7番ホ長調 WAB.107(ノヴァーク版)

オットー・クレンペラー 指揮
BBC交響楽団

(1955年12月3日 BBCS tudios.Meida Vale 録音 ICA Classics)

 六月も三分の二が過ぎ、来月の4日は先月の誕生日に続いてオットー=クレンペラーの命日がやってきます。ということでそろそろ振り返るクレンペラーのCDの目星を付けて置こうかと思います。このブルックナーの第7番は、昨年に突如出て来たクレンペラーがBBC交響楽団へ客演した際の音源集の中の一曲です。ラジオ放送したものを個人が趣味で録音したものながら当時の最新機器を使ったものでした。それはそうとサッカーワールドカップ・ロシア大会、地震のおかげでうわのそら状態です。開幕当日に優勝国を予想(グループリーグ突破国もあわせて)していてフランスとスペインの決勝、スペイン優勝としましたが既に雲行きがあやしくなってきました(H組はどう予想したか?・・・)。

~クレンペラー指揮のブルックナー第7番
BBC・SO/1955年
①17分45②18分34③08分56④11分56 計57分11
バイエルンRSO/1956年4月12日,ミュンヘン
①17分55②19分21③09分08④12分41 計59分05
ウィーンSO/1958年2月23日,ウィーン
①18分16②19分45③09分10④12分12 計59分23
ベルリンPO/1958年9月
①19分08②19分16③09分31④12分59 計60分54
フィルハーモニアO/1960年EMI
①19分49②21分49③09分36④13分39 計65分53
NDRSO/1966年5月3
①19分45②21分04③09分39④13分25 計63分53
ニューPO/1965年11月
①18分37②20分33③09分28④12分35 計61分13

 クレンペラーは第二次大戦前からブルックナーを積極的に取り上げ、世界聖餐会議(そういうものがあるのも知らなかった)で公演した際には絶賛されたとか。また最晩年にはモーツァルトの交響曲第40番とブルックナーの第7番の組み合わせのプログラムでしばしばコンサートをしていました。そのためEMIへのセッション録音以外でもライヴ音源が結構出ていました。今回のBBC交響楽団とのものはこれらの中で一番古く、EMIと契約してレコード録音が始まった直後の時期にあたります。

 合計演奏時間が一番短くなっていますが最初に聴いた時は第1楽章がやや前のめりなので、VOX社のレコードの演奏(第7番は録音していない)をちょっと思い出しました。しかしライヴ、放送用音源はいずれもEMI盤よりも演奏時間が短くて1950年代のものはBBC以外はあまり違いがありません。こうして演奏時間、トラックタイムを見れば今回のものが突出した演奏時間であり、特徴的な演奏になっています。しかし第2楽章では意外なほどにろうろうと響いている印象で「ブルックナー ≒ ワーグナー/後期ロマン派の極み」的な印象でした。この感じは後年の演奏とちょっと違い、演奏時間の数字では過激そうに見えて演奏効果の方はそうでもなくて、どうなっているのかよく分からない状態です。

 クレンペラーのブルックナー演奏は19世紀生まれの他の巨匠、クナッパーツブッシュやフルトヴェングラーが指揮したブルックナーのいずれとも違う、より現代的なものだと思っていましたが、1955年のBBCSOとの演奏は彼らのブルックナー演奏の要素もチラつくような気がしました。
14 5月

クレンペラー、ニューPO ブルックナー第7番/1965年

180514ブルックナー 交響曲 第7番 ホ長調 WAB.107(ノヴァーク版)

オットー・クレンペラー 指揮
ニュー・フィルハーモニア管弦楽団

(1965年11月 ロンドン,ロイヤル・フェスティヴァル・ホール ライヴ録音 TESTAMENT)

 昨夜は一旦うとうととしてから目が覚めたので日テレ系のドキュメント番組のことを思い出してTVをつけたら、南京事件Ⅱという内容で従軍した兵士の日誌、絵日記や証言を集めたシリアスな内容でした。昨年の今頃は重慶爆撃の特集だったようで、深夜枠だとしても昨今はこういう内容の番組は放送し難いので貴重だと思いました。この時間帯の番組は興味深いと思いつつも録画を忘れがちです。昨日は梅雨の大雨のような降り方だったので、また避難勧告とか宇治川に注ぐ河川の氾濫とかが発生しないかと一瞬あせりました。さて、一夜明けた今日、5月14日はクレンペラーの誕生日でした。もっと他に記憶すべき記念日はあるとしてもこのブログでは恒例の記念日です。

 このCDはテスタメント社から何点かまとめて出たクレンペラーのニュー・フィルハーモニア管弦楽団時代の公演のシリーズの一枚です。モーツァルトの交響曲第40番、ブルックナーの交響曲第7番というプログラムなので、EMIのレコード録音以外にも複数の音源が出ている曲目です。なお、ニュー・フィルハーモニア管弦楽団というのは、フィルハーモニア管弦楽団の創設者であるウォルター・レッグが突如オケの解散を決めたため、団員が自主運営の団体として存続することを決意してクレンペラーに会長になってくれるよう依頼して再出発した際の名称でした(後にムーティ時代になって元のフィルハーモニアに名前は戻る)。

~クレンペラー指揮のブルックナー第7番
ニューPO/1965年11月
①18分37②20分33③09分28④12分35 計61分13
NDRSO/1966年5月3
①19分45②21分04③09分39④13分25 計63分53
フィルハーモニアO/1960年EMI
①19分49②21分49③09分36④13分39 計65分53
ベルリンPO/1958年9月
①19分08②19分16③09分31④12分59 計60分54
ウィーンSO/1958年2月23日,ウィーン
①18分16②19分45③09分10④12分12 計59分23
バイエルンRSO/1956年4月12日,ミュンヘン
①17分55②19分21③09分08④12分41 計59分05

 この第7番を聴いた印象は、まず第1楽章が軽快に、無造作に進められるのに驚いて、クレンペラーの名を伏せて聴かされたら別の指揮者による演奏と間違いかねないくらいでした。それに第2楽章がクレンペラーにしてはやけに感傷的なので、これもクレンペラーらしくない印象です。反射的にクレンペラーらしくないと思ったのは多分EMIとのセッション録音が記憶に残っているからだと思いますが、それ以前のライヴ音源では今回と似た演奏時間やもっと短いものもありました。HMVのサイトの紹介では翌年の北独放送SOとの第7番に近いという評があったのでそれを念頭に置いて聴いたところ、ちょっと違って今回独特な演奏内容のような気がしました。

 第4楽章の演奏時間には拍手はカット(a.bruckner.comのディスコグラフィの第4楽章はその拍手部分はカットされていないと思われる)しましたが、CDにはまだ残響が残っている時間帯に盛大な拍手と歓声がわき起こっていました。ブルックナー作品の人気は高くない、受容が進んでいないと言われたロンドンにあってこの盛り上りは凄いと思いました(そういえば朝比奈隆のブルックナーのライヴ盤も歓声、雄叫びが入っていることがある)。有名オケが競うロンドンでもクレンペラーがブルックナーの第6番を演奏しようとしたところ、レッグがまだ時期尚早だとして止められたり、ロンドン交響楽団がブルックナーの第5番を初めて演奏したのが1969年9月のティントナーの客演時だったとか、ことブルックナーに関しては演奏頻度はあまり高くなかったので、有名な第7番だとしてもこの盛り上りは特別かと思いました。
7 5月

ブルックナー交響曲第7番 ネルソンス、LGO/2018年

180507bブルックナー 交響曲 第7番 ホ長調 WAB107(ハース版*第2楽章はシンバル、トライアングル、ティンパニ入り

アンドリス・ネルソンス 指揮
ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団

(2018年3月 ライプチヒ,ゲヴァントハウス ライヴ録音 DG)

180507a このCDは今年の三月にライヴレコーディングされたものが早くもCD化されたもので、ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団の創立275周年記念公演だった3月11日と同時期の演奏会のプログラムに入っていたブルックナーの交響曲第7番、3月1、2日の公演のプログラムに含まれていたワーグナーの「ジークフリートの葬送行進曲(指環・神々の黄昏から)」がカップリングされています。ネルソンスのブルックナーとしては交響曲第3、4番に続く第三弾でした。なお、今後も公演に際してライヴ録音によりリリースする予定で、今年の12月には交響曲第6番とワーグナーの「ジークフリート牧歌」、交響曲第9番と同じくワーグナーのパルジファル前奏曲と聖金曜日の音楽、来年5月に交響曲第5番が予定されています。

ネルソンス・ライプツィヒ/2018年
①21分41②23分07③09分43④13分04 計67分31
ブロムシュテット・ライプツィヒ/2006年
①21分32②24分22③10分08④12分42 計68分44
P.ヤルヴィ・フランクフルト/2006年
①21分59②22分52③09分55④12分39 計67分25
ヤノフスキ・スイスロマンド/2010年
①21分05②21分37③09分47④13分15 計65分44
ボッシュ・アーヘンSO/2004年
①19分50②23分06③09分30④11分34 計64分00
フィッシャー・ブダペスト/2012年
①18分42②18分36③09分04④10分22 計56分44


180507 先月の第4番に続いてネルソンスとライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団のブルックナーですが最初に聴いたのはこっちの第7番の方でした。最初に聴いた際に第1楽章がシベリウスの交響曲(第6番とか第7番)に似た響きのように感じられて、こういう演奏だったら第4番も素晴らしいという予感だったので先月の更新の通りになりました。それに、付属冊子に載っている写真の中にブルックナーの胸像に寄り添って目を閉じるネルソンスの姿があり、こういう写真はかつてなかった構図なので感心しながら意表を突かれました。これはネルソンス自身の自然な感情の結果なのか、見栄えがするとかブルヲタ受けを狙ったものか分かりませんが演奏を聴いていると前者のような気がします。

 第7番は同曲の異稿の問題はほぼ無くて「原典版」のハース版かノヴァーク版のどちらか、又はその折衷で演奏するのが大半です。両版に大きな違いは無く、第2楽章の終わりの部分でトライアングルが入るのがノヴァーク版の目立つところと覚えていました。このCDではハース版を基本にしていながら第2楽章ではトライアングル等を加えています(解説冊子で明記している)。実際に聴いていると確かにトライアングルが聴こえるものの、それほど派手ではありません。ブロムシュテットが同オーケストラを指揮した時はノヴァーク版を基本としてトライアングル無しとして演奏していた(何年か前の来日公演時とか)のと逆なのは、大きな違いじゃなくても興味深いものがあります。これはネルソンスのこだわりなのか、今回聴いていて初めてトライアングルがあった方が良いと積極的に感じました。

 オケの創立275周年の記念公演になぜこの交響曲第7番なのかと思ったら、この曲を初演したのがニキシュ指揮のライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団であり、1884年12月30日にライプチヒの歌劇場でその初演公演が行われました。なお、ウィキの解説を読んでいるとこのCDと同じ曲目はヒトラーが自殺した日に終日ラジオで放送されたということが出てきます。また、ブルックナーの胸像を前にした総統閣下という構図はプロパガンダに使用されたとかで、神経質になるとこのCDは微妙な内容でした。
10 4月

ブルックナー交響曲第7番 グッドオール、BBCSO/1971年

180410aブルックナー 交響曲 第7番ホ長調 WAB.107(ノヴァーク版)

レジナルド・グッドオール 指揮
BBC交響楽団

(1971年11月3日 ロイヤル・フェスティヴァルホール 録音 Bbc Legends)

180410b 桜がほぼ散ったと思ったら松尾大社のやまぶきが満開だとか、その他民家の藤も咲いていてどうも季節の進み方がいつになく加速しているようで戸惑います。それはともかくとして久しぶりにブルックナーのCDを再生したところ、やっぱり身に染みわたるような心地よさなので何だかんだといっても自分の本筋はブルックナーかなと再認識しました。この録音はグッドオールが残した数少ない録音の一つで、BBC交響楽団に客演した際のライヴ録音です。これを聴いていると常設のオケで毎週必ずブルックナー作品を演奏する団体が身近にあればと、贅沢、或いは無茶なことを妄想しました。ロンドンならロンドンSO、ロンドンPO、ロイヤルPOにフィルハーモニアO、BBCSOとレコードになって日本でも発売されるようなオーケストラが競っているのでシーズン中なら、毎週は無理でも毎月くらいならどこかが取り上げることは可能かと思います(マーラーのブームの頃ならマーラー作品の演奏頻度はそれくらいか?)。

 この第7番、聴いていると第2、3楽章が魅力的で、特に磨きもせず盛り上げもしないような素朴な印象ながら妙に新鮮に思えました。何となくグッドオールが指揮したパルジファルと似た感じかもしれませんが、例えばクナッパーツブッシュのワーグナー録音のような重厚さ、うねるような圧力の演奏とは違って風通しの良さも感じられました。第3楽章は特に明朗に感じられてシューベルトやハイドンの頃のスケルツォにも通じる世界がちらつき、ブルックナーのスケルツォ楽章を聴いてそんな風に思うのは滅多に無いので本当に感銘深いと思いました。ただ、全曲を通して聴くと交響曲としての一体感というのか、全体像があまり迫ってこない散漫さも感じます。

グッドオール・BBCSO/1971年
①21分05②22分14③11分24④13分01 計67分44
クレンペラー・NDRSO/1966年5月3
①19分45②21分04③09分39④13分25 計63分53
クレンペラー・フィルハーモニアO/1960年EMI
①19分49②21分49③09分36④13分39 計65分53
クレンペラー・ベルリンPO/1958年
①19分08②19分16③09分31④12分59 計60分54

 グッドオールはクレンペラーとフィルハーモニア管弦楽団がレコードを制作する際の下準備的な練習で指揮していた時期がありました。それはクレンペラーが自身で演出も手掛けたコヴェントガーデンでのフィデリオ公演以降でした。グッドオールは指揮の技術はあまり巧くなくて、コヴェントガーデンのオーケストラ団員からは「もっと上に上げろよ(見え難い)」とぞんざいにダメ出しされたり、プッチーニのリハーサルの時にわざとマイスタージンガーを演奏されたりと、かなり軽侮されていたようです。そんな中でもクレンペラーはグッドオールの指揮者としての能力を評価しして、フィデリオの公演以降も関わりを持ち続けていました。グッドオールの方は元々クレンペラーには関心が無かったところがま近で彼の指揮するベートーベンを聴いて感心し、ベートーベンに関してはクナよりは上という心証を持ったとか。

 この録音の頃はまだクレンペラーは生存していたので、あるいはラジオ放送でこれを聴いたかもしれません。ただ、演奏のスタイルとしてはクレンペラーのブルックナーとはかなり遠いというのか質的に違っていそうです。スケルツォ楽章が遅め、というのは似ていてもグッドールはアダージョ楽章も遅いので各楽章のバランスは違っています。ちなみに同じ曲を1950年代にクレンペラーがBBC交響楽団を指揮した音源も出てきているので、二人が同じオケを指揮したということが感慨深く感じられます。
31 5月

ブルックナー交響曲第7番 ティーレマン、ミュンヘンPO

170531ブルックナー 交響曲 第7番ホ長調 WAB.107(ノヴァーク版)

クリスティアン・ティーレマン 指揮
ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団

(2006年 バーデン=バーデン,フェストシュピールハウス ライヴ収録 C Major)
 
 五月も終わりますが今年の5月17日で「ファティマの聖母御出現」から100年だとか、たまたまその前後頃にマグニチュード6級の地震が起こる可能性が高いと予測されていました(最近の地震発生を予測している学者の見解)。前者については教会内でもあまり取り沙汰されていなくて、かえって教会外で第三の預言云々が注目されてきました(よく分からない)。何事も無くと言える程平穏な世界ではないもののとりあえず世界大戦級の大事にならずに済んでいます。

170531s 3月と4月はブログでブルックナーが登場しないブル禁、ブル断ち状態でした。これだけ間が空いてから聴きだすと割に新鮮に感じられます。ここ数年はブルーレイのソフトでもオーケストラ作品が増えてきていて、ティーレマン指揮のブルックナーも交響曲第4番から9番までは出そろっていました。この上は是非第2番、1番も収録してほしいとせつに願います。といってもティーレマンのブルックナーの映像付きは今回のブルーレイ(第4、7番)しか視聴していないのでよく分かりません。CDも含めてとりあえずミュンヘンPOとのものはなかなか魅力的だと思いました。abruckner.com のディスコグラフィによるとティーレマンの第7番のトラックタイムは上記のような具合で、一応新しいドレスデンの方が短い演奏時間になっています。同サイトではミュンヘン・フィルの方がノヴァーク版、ドレスデンがハース版という表記ですがトライアングルの音はミュンヘン・フィルの方であまり聴こえなかったのでよく分かりません。

ティーレマン・ミュンヘンPO/2006年
①23分26②24分21③9分56④14分21 計72分04
ティーレマン・ドレスデン/2012年
①22分44②23分02③9分50④13分34 計69分10

 それはさて置き、ティーレマンのブルックナーを頭の中で思い浮かべようとしてもこんな風だとはっきりイメージできず、特別に好きとまでは言えないところでした。今回の第7番は第1楽章が始まってしばらくでかなりゆっくりしたテンポが印象深く、第2楽章に入ってもその傾向が続き、なにかシューベルトのピアノソナタと似た感じがしてきました。だから遅めながら重い印象はあまり無くて、ひたすら美しく澄んでいて独特の響きです。第3楽章になってちょっと軽快さが出てきて、終楽章もその延長で進みますがコーダに向かって特別に高揚する程でなくて終わっています。演奏が終わって音が消えてからしばらくの沈黙が続き、やがて拍手と歓声が盛大に起こっていました。一番槍を競うようなブラボーが無いのはありがたい環境です。

インバル・東京都SO/2012年
①18分28②19分13③09分09④11分44 計58分34
ヤノフスキ・スイスロマンド/2010年
①21分05②21分37③09分47④13分15 計65分44
P.ヤルヴィ・フランクフルト/2006年
①21分59②22分52③09分55④12分39 計67分25
ブロムシュテット・ライプチヒ/2006年
①21分32②24分22③10分08④12分42 計68分44
ボッシュ・アーヘンSO/2004年
①19分50②23分06③09分30④11分34 計64分00

 映像ソフトの中には音質が今一つというか、異様にマイクが遠いようなものがありますがこれはかなり聴きやすいと思いました(C Major のマーラー第6番/P.ヤルヴィはそんな感じがしたが会場の影響かもしれない)。2000年以降のブルックナー第7番の録音には60分を切るものもあり、60~70分の間にばらついています。それらと比べるとティーレマンの場合は比較的長目、遅めということになり、より古い世代のスタイルに近いと思っていましたが、あらためて第7番を聴いているとそれだけではなさそうです。
21 1月

ブルックナー交響曲第7番 I.フィッシャー、ブダペスト祝祭O

170121bブルックナー 交響曲 第7番 ホ長調 WAB.107(ノヴァーク版)

イヴァン・フィッシャー  指揮
ブダペスト祝祭管弦楽団

(2012年3月30日 ブダペスト芸術宮殿 録音 Channel)

 昨夜はかなり早めに寝て、もう日付が変わったかと思って目が覚めたらまだ23時30分でした。これなら米国大統領の就任式の中継でもみようかと思いましたが、既にストーブも消して寒かったからやめにしました。就任式はなんとか無事に終わり、翌日のニュースで「あむぅえりか ふぁあすと」という言葉を何度か耳にして、これまでと違ったことは言ってないようでした。ただ、アメリカ第一主義云々ときくと、まるでこれまでの米国が自国の利益を後にして世界のために慈善的活動に勤しんで来たようにきこえてどうにも違和感を覚えてしかたありません(今までも自国第一じゃなかったのかと)。それはともかく、はっきり自国第一と宣言するのは明快で結構かもしれません。

170121a さてイヴァン・フィッシャーとブダペスト祝祭管弦楽団が、有名作品をチャンネルクラシックに録音しているSACDの中に一曲だけブルックナー作品がありました。それがこの第7番で無難なところと言えるかもしれませんが、下記のトラックタイムを見れば分かるようにかなり短い演奏時間になって目立ちます。だいたい64、5分以上かかるこの曲が60分を完全に切っていて、最近のCDではインバル東京都SOの58分台があるくらいで、ちょっと珍しい傾向です(ボルトン、ザルツブルクも64分くらい)。実際に聴いた印象は、ところどころで忙しないように加速してトラックタイムと概ね合致する感じです。先日のヘスス・ロペス=コボスの演奏をもっと徹底させたようなスタイルです。

フィッシャー・ブダペスト/2012年
①18分42②18分36③09分04④10分22 計56分44
インバル・東京都SO/2012年
①18分28②19分13③09分09④11分44 計58分34
ズヴェーデン・オランダ放送PO/2006年
①23分08②25分54③09分45④12分44 計71分31
ブロムシュテット・ライプチヒ/2006年
①21分32②24分22③10分08④12分42 計68分44
ボッシュ・アーヘンSO/2004年
①19分50②23分06③09分30④11分34 計64分00 

 これくらいの演奏時間差が出てくると、過去の演奏、録音によってなんとなく形作られた作品観とはかなり違ったものと感じられます。それでも聴く前に想像した演奏、ベートーベンの交響曲、急な楽章の終わり方と似たような感じになる、といったタイプとは違って既存のブルックナー像の枠に収まっている感じでした。I.フィッシャーの一連のシリーズの中には旧フィリップスへ録音したものの再発売も含まれているようで、また日本語の帯が付いた仕様もありました。その中でマーラーの第5番について、彼はこれをもっともユダヤ的と評していると書いてありました。ということは自身の民族についても意識しているのがうかがえて、自己のアイデンティティは単純じゃなさそうだと思いました。

 それを反映してか、マーラーの方は既に六曲録音済なのにブルックナーはこの第7番だけになっています。これを聴いて他の大作、第5、8、9あたりも是非取り組んでほしいと思いました。 こうした演奏、演奏時間になるからには独自のブルックナー観があるはずで、どうも気になります。それにSACDのマルチチャンネルもかなり具合が良くて、その点も期待できます。
18 1月

ブルックナー交響曲第7番 ヘスス・ロペス=コボス、シンシナティSO

170118ブルックナー 交響曲 第7番 ホ長調 WAB.107(ノヴァーク版)

ヘスス・ロペス=コボス 指揮 
シンシナティ交響楽団

(1989年1月22,23日 ミュージック・ホール、シンシナティ 録音TELARC)

 今日は職場事務所で使っているフレッツ光のサービス切替日でした。それで従来使っていたルーターも交換するのでそれに伴ってIPアドレスが変わり、ネトワーク接続している複合機も変更する必要がありました。30分かそこらで終わるはずだったのが、機器の進歩に伴いセットアップメニューもほとんど自動化され、その反面マニュアルが大雑把になってIPアドレスについて書かれた箇所が分からず、プリンターやスキャナを使えるようにするまで3時間くらいかかってしまいました。かつて優先LANがメインだった頃はルーターの管理画面からログインしてどうのという段取りでしたが、今日はNTTのメニューを実行している時にそれも行っており、パスワードも作っているのに、それとは気が付かずもう一度ログインが必要だと誤解していました。本来単純な内容の設定なのに思いっきり手間取り、切替日を年末や年始早々じゃなくて今日にしたのが幸いでした。

 このCDが録音された平成元年頃なら、ウィンドウズのパソコンじゃなくてワープロ専用機で印刷して(正本のみ)、それをコピー機にかけるという使い方だったはずです。その時はまだ学生でしたが、自分が勤め出した頃もまだウィンドウズは出ていなかったので、カタカタと鳴ってしばしば紙詰まりを起こすワープロ機のプリンターをにらんでジリジリしていたものでした。ヘスス・ロペス=コボスと言えばDENONから出たハイドンの交響曲が有名でしたが、TELARCレーベルのブルックナーも一部で注目されたのか、レコ芸の広告(六本木WAVEか山野楽器)記事で店員がプッシュしていたことがありました。過去記事では第4、第6番を取り上げていますが今回の第7番はそれ以上の感銘度なので、その二曲も今聴けばもっと好印象だろうと思いました。

ヘスス・ロペス=コボス/1989年
①21分10②22分47③10分10④12分12 計66分29
バレンボイム・BPO/1992年
①21分54②24分53③10分23④13分29 計71分03
シノーポリ・ドレスデン/1991年
①19分46②22分51③09分35④12分45 計64分57
ドホナーニ・クリーヴランド管/1990年
①20分59②21分43③09分15④11分53 計64分00
ジュリーニ・VPO/1986
①20分22②24分08③10分35④12分31 計67分36

 録音年が近い第7番のCDのトラックタイムを並べたら、ヘスス・ロペス=コボスは遅い、長い部類ではくて普通といったところです。しかし聴いた印象はその時代にすればかなり個性的というのか、重厚、祝祭的な高揚を追う路線の正反対といった印象です。古典派時代の交響曲の枠組みにブルックナーの内容を流し込もうとしているとまで言えば大げさですが、第4楽章のコーダ部分の完結さ、潔さ??はベートーベンの交響曲第4番の終わり方などを連想しました。そうかと言ってカサカサに乾いてロマン派のロの字もないというものとは違い、特に第2楽章が独特な潤いと明晰さが感じられてとても魅力的です。ブルックナーの名前から連想する「らしさ」からちょっと距離があるかもしれませんが、田園風景をゆっくりと自転車くらいの速度で進むような心地良さで、作品の魅力を再認識しました。

 ヘスス・ロペス=コボス(Jesús López-Cobos 1940年2月25日 - ) はスペイン出身なのでCD、レコードでブルックナーがレパートリーニ入るというのはひと昔前(1960年代とか)なら考え難かったと思います。しかし東洋人がブルックナー全集を1970年代に完成させたりしたので、別段驚くこともないはずです。その東洋人というのは朝比奈隆のことで、全集は1976年から1978年にかけて録音された通称「ジァン・ジァンの全集」ですが、ヘスス・ロペス=コボスの今回の第7番はその朝比奈隆の指揮、演奏とは対極的な印象です。
8 12月

ブルックナー交響曲第7番 ヤルヴィ、フランクフルトRSO/2006年

161208bブルックナー 交響曲 第7番 ホ長調 WAB.107(ノヴァーク版)

パーヴォ・ヤルヴィ 指揮
フランクフルト放送交響楽団(現在の hr-交響楽団)

(2006年11月22-24日 フランクフルト,アルテ・オーパー 録音 ソニーミュージック)

 ここ何年かのうちにテレビのニュースで日米「同盟」という言葉を時々聞くようになりました。戦争は終わってサンフランシスコ講和条約もとっくに締結したのだし、安保もあるのだからおかしな表現ではないはずです。しかし何故かしっくりいかない、歯の隙間にスジ肉の繊維がはさまったような感覚が後から追ってわいてきます。ハンザ同盟、セーラー服反逆同盟、キリスト教民主同盟という単語はさらっと聞き流してひっかからないのに、なぜ日米とくればそうではないのかと(色々と世話にもなってるのに)。それはそうと結婚後ほとんど引退同然の仙道敦子はセーラー服反逆同盟に出ていたんだなと、三十年くらい前のTV番組のことながら最近ふと思い出しました。

161208a パーヴォ・ヤルヴィはインバルにならってかマーラー、ブルックナー、ショスタコーヴィチの交響曲の全曲録音にほぼ同時に取り組んでいましたが、マーラーは音楽祭の演奏を映像ソフトに収めたものに切り替わってCDはストップして、シンシナティSOとのショスタコーヴィチも第10番が出ただけになっています。結局フランクフルト放送交響楽団とのブルックナーが一番順調に進んでいます。 単に企画を消化しているだけでなく、回を追うごとに演奏も魅力的になっているようで、最新の第2番もかなり印象に残っています。それに日本盤に付いている解説も丁寧で、ヤルヴィ本人へのインタビューは明快で興味深い内容です。今回の第7番はパーヴォ・ヤルヴィのブルックナーチクルス第一弾でした。

 P.ヤルヴィ・フランクフルト/2006年
①21分59②22分52③09分55④12分39 計67分25
ヤノフスキ・スイスロマンド/2010年
①21分05②21分37③09分47④13分15 計65分44
ヤング・ハンブルク/2014年
①21分38②21分42③10分24④12分45 計64分49
K.ナガノ・バイエルン国立O/2010年
①20分06②21分53③09分43④12分27 計64分09
インバル・東京都SO/2012年
①18分28②19分13③09分09④11分44 計58分34

 上記のようなトラックタイム、演奏時間なので最近のブルックナー第7番の録音の中では速い部類ではなく、ジュリーニとか朝比奈隆と近い演奏時間になっています。ヤルヴィはブルックナーの音楽をハイドン、モーツァルトらに連なる西欧の音楽と同じ原則によって書かれているという意味のことを言っています。同時にブルックナーの交響曲の中で一番親しみやすい(総休符や切れ目がない)とも指摘していますが、実際に聴いていると本当になめらかで、どこかしらシベリウスの音楽に似たものさえ感じます。自分の場合ブルックナーの第7番と名前をきくと、ウィスキーなんかの原酒の瓶を開けたときのような濃厚さを反射的に想像してしまいます。この第7番については悪い意味でのそんなイメージは払しょくされています(なんか薄めたような言い方だがそうではない)。

 ヤルヴィ自身が挙げている、大きな啓示を与えてくれたブルックナー演奏にバーンスタインがカーネギーホールで演奏した第6番を挙げているのは意外なのと、そのバーンスタインの第6番というのも知りませんでした。その他にヴァントの東京公演の第9番やフルトヴェングラーのいくつかのライヴ録音にも言及しています(当然それらと似ているわけではない)。
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昭和40年代生まれ、オットー=クレンペラーの大フアンです。クレンペラーが録音を残したジャンルに加え、教会音楽、歌曲、オペラが好きなレパートリーです。

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