フランソワ=グザヴィエ・ロト 指揮
ケルン・ギュルツェニヒ管弦楽団
(2019年12月 ケルン・フィルハーモニー録音 Myrios Classics)
逃げる月の二月も残り少なくなり、ふと思い出したのが秋篠宮家長女の結婚相手、K氏のニーヨーク州の再試験、あれはどうなったのかということですが、どちらにせよそっとしておいてあげればと改めて思いました。先日、高関健指揮のベートーヴェン交響曲第1番、第3番のパッケージを見てオーケストラ名が「大阪センチュリー交響楽団」と書いてあり、当時はまだ「日本」ではなくて「大阪」なんだなと、保健所の人出が足らない等一連の混乱を思い起こしながら複雑な心情で見つつ、CDは再生せずに終わりました。オーケストラの母体は府が運営する吹奏楽団の大阪音楽団だったのが1990年に大阪センチュリー交響楽団として設立され、2011年度から日本センチュリー交響楽団になりました。その当時文楽に対する補助金までやり玉にあがっていたので、どんどん関西が荒廃していくような寂しい気持ちでした。
気を取り直してグザヴィエ・ロトのブルックナー、2024年のブルックナー生誕200年に向けて開始された全曲レコーディングの第一弾にあたる交響曲第7番です。オーケストラはケルン歌劇場のオーケストラ、ケルン・ギュルツェニヒ管弦楽団。少し前にマルクス・シュテンツとマーラーの交響曲を全曲録音したのでいよいよブルックナーです。フランソワ=グザヴィエ・ロトは名前からも分かる通り、フランス出身(パリ生まれ)で、それがブルックナーを連続録音するのですが、レミ・バローもパリ出身なので今更珍しいことでもありませんが、それでもやっぱり気になります。
グザヴィエ・ロト ケルン/2019年
①18分17②18分15③08分59④11分10 計56分41
気を取り直してグザヴィエ・ロトのブルックナー、2024年のブルックナー生誕200年に向けて開始された全曲レコーディングの第一弾にあたる交響曲第7番です。オーケストラはケルン歌劇場のオーケストラ、ケルン・ギュルツェニヒ管弦楽団。少し前にマルクス・シュテンツとマーラーの交響曲を全曲録音したのでいよいよブルックナーです。フランソワ=グザヴィエ・ロトは名前からも分かる通り、フランス出身(パリ生まれ)で、それがブルックナーを連続録音するのですが、レミ・バローもパリ出身なので今更珍しいことでもありませんが、それでもやっぱり気になります。
グザヴィエ・ロト ケルン/2019年
①18分17②18分15③08分59④11分10 計56分41
ギルバート・エルプPO/2019年
①21分08②22分17③10分09④12分52 計66分26
ネルソンス・ライプツィヒ/2018年
①21分41②23分07③09分43④13分04 計67分31
ヤング・ハンブルク/2014年
①21分38②21分42③10分24④12分45 計64分49
ティーレマン・ドレスデン/2012年
①22分44②23分02③09分50④13分34 計69分10
I.フィッシャー・ブダペスト/2012年
①18分42②18分36③09分04④10分22 計56分44
この第7番、演奏時間が短くて初期の第1番くらいなので同じくらいの演奏時間は、最近ではイヴァン・フィッシャーくらいです。だいたい70分弱くらいが多かったのじゃないかというところなので新しいタイプというか、かなり異質な部類です。ただ、交響曲第5番を録音したベンジャミン・ザンダーは、従来のブルックナー演奏を総じて遅い、歌謡的な流動感が損なわれると指摘していたので、その理論によるとこういうスタイルは理にかなっているということになります。
実際に聴いていると、単純な拒絶感といものはわいてこず、独特な心地よさがまず最初に来てかなり好印象でした。ただ、なんと軽快なという軽い驚きのようなものは感じました。それに第2楽章は意外に厚みがあって、第1楽章を聴いた際の予測からすれば、もっと薄く軽いものかと思いました。第1楽章の終わり、終楽章のコーダ部分もこの作品らしい高揚感はあるので「ブルックナーらしさ」は保ちつつ、新しい響きを追求しているようなので後続が期待できます。
この第7番、演奏時間が短くて初期の第1番くらいなので同じくらいの演奏時間は、最近ではイヴァン・フィッシャーくらいです。だいたい70分弱くらいが多かったのじゃないかというところなので新しいタイプというか、かなり異質な部類です。ただ、交響曲第5番を録音したベンジャミン・ザンダーは、従来のブルックナー演奏を総じて遅い、歌謡的な流動感が損なわれると指摘していたので、その理論によるとこういうスタイルは理にかなっているということになります。
実際に聴いていると、単純な拒絶感といものはわいてこず、独特な心地よさがまず最初に来てかなり好印象でした。ただ、なんと軽快なという軽い驚きのようなものは感じました。それに第2楽章は意外に厚みがあって、第1楽章を聴いた際の予測からすれば、もっと薄く軽いものかと思いました。第1楽章の終わり、終楽章のコーダ部分もこの作品らしい高揚感はあるので「ブルックナーらしさ」は保ちつつ、新しい響きを追求しているようなので後続が期待できます。