raimund

新・今でもしぶとく聴いてます

シューベルト・交響曲

10 12月

クレンペラーのシューベルト・グレート交響曲LP

231210bシューベルト 交響曲 第9(8)番 ハ長調 D.944「グレート」

オットー=クレンペラー 指揮
フィルハーモニア管弦楽団

(1960年11月16-19日 ロンドン,キングスウェイホール 録音 COLOMBIA SAX2397*の再発売盤)

231210c この十年で何故かアナログ、レコードの復権が進んでいます。レコードの世界はヴァイオリンのマニアが一番コアらしく、奏者によっては一枚数十万級で取引されるものもあるそうです。これは英国盤のLPですが最初に発売されたものではなく、再発売盤のようです。英コロンビアのオリジナル盤はレコードの中心、穴の周りのラベルが薄青く灰色がかった色地に銀色の文字が印刷され、円周の一部の線模様が全体に入ったデザインですが、このLPは次の年代のデザインは穴の上部に半月型のデザインが入り、全体に赤いというデザインです。再発売でも二、三度くらいのものはかなり音が良いと言われるそうです。自分が十代の頃に聴けたのは今回のものではなく、LP末期にリマスターされた廉価盤でした。

231210a 音はそんなに違うのかとなると、あまり自信を持って言えないけれど、初期の盤で聴くと弦、管ともにうるおいがあり、生々しいような音に感じられます。クレンペラーのEMI録音は1990年代前半までに一機にCD化されました。そのCDで初めて聴くことが出来たものもありましたが、今回のシューベルトなんかは全体的に外側が肥大して密度が低いような音に聴こえる(再生機器があれだからという面もある)気がしていました。しかし改めてLP、初期の盤で聴くと、もっと繊細、緻密でかつ艶のある音で、演奏のすばらしさを再認識できました。シューベルトのグレイト交響曲はフィルハーモニア管弦楽団の定期公演で演奏した際に、客席の熱狂は大変なもの(同じ機会のプログラムに入れたバルトークの舞踏組曲は不人気だったのに対して)だったということで、その反応も頷ける気がします。この曲はフルトヴェングラーの戦中の激しい演奏があり、それを念頭に置くとクレンペラーの場合は塑像のような静物的と受け取られることもあり、内心で大いに反発しつつも一理あると認めざるを得ないと思っていました。しかしそういう表層的な差はともかく、感銘度は優るとも劣らないものだと思います。

 昭和32年のLP手帖誌面に発表された田代秀穂氏のクレンペラーとフィルハーモニア管弦楽団のエロイカ(1955年録音・モノラル)批評は以下のようなものでした。これは他の極の演奏にも通じるところがあり、昔はこういう熱心で真摯なレコード批評があったのかと感心するので再掲します。「 クレムペラーは堅実で真摯な解釈と勇渾な翳の濃い表現によって、この交響曲の激しい感情と豊麗な美しさと高貴な表情をよく捉えている。テムポが全体としてゆっくりしており、また音彩感が渋く暗い輝きを帯びている為に、かなり地味で武骨な感じがするけれども、ダイナミックが悠々と大きく起伏し、旋律も情感をこめてよく歌い、激しい緊迫感に支えられ、荘重でエルハーベンな( 荘厳なという意味であろう )クレムペラー独特の彫の深い持ち味が濃厚に滲み出ているばかりでなく、それがこの曲の性格にも合致している。感情が沈潜され、一字一刻もいやしくない生真面目さが厳粛な儀式めいた雰囲気を醸し出し、誠実な内的情熱を激しく感じさせる~独特の深い味わいがある。この曲の複雑な構成とスケールの大きさと均整のよくとれた古典的な形式美を充分に捉えながら、其処には激しい感情を力強く壮麗勇渾に表現している。~」

 シューベルトのピアノ・ソナタ第19番を続けて聴いていて、解説の中にハ長調の交響曲にふれているものがありました。「天国的に長い」というシューマンの言葉からアファナシエフが弾くシューベルトのピアノ・ソナタを、長いという点はそのままに「天国」の対極、「冥府etc」を充てて評している解説がありました。グレート交響曲はその後のブルックナーやマーラーに比べて長いと言い切れる程ではなく、現代の実感では微妙なものがあります。しかし、グレイト交響曲の四つの楽章の性格、長さなどはピアノソナタ程は目立った違和感(村上春樹が指摘した)ではないかもしれませんが、やはり似たものがあると思います。
4 6月

クレンペラーのシューベルト交響曲第5番 EMI初期盤LP

22020604シューベルト 交響曲 第5番 変ロ長調

オットー=クレンペラー 指揮
フィルハーモニア管弦楽団

(1963年10,11月 ロンドン,キングスウェイ・ホール 録音 EMI)

22020604a クレンペラー誕生月はあっという間に終わってしまいました。その先月のある日、自分の生まれた当時から建っている家屋を遺品整理屋さんに来てもらってほとんど空っぽにしてもらいました。広くない家屋ながら膨大なガラクタのため朝9時前から夕方5時過ぎまでかかり、タッパー車まで乗り付けて(話が違うじゃないか)大変でした。TVの「何でも鑑定団」にでも出せるようなものは一切なく、自分の学位記と小学校低学年時の賞状が三枚出て来たくらいでした。それからハクビシンが侵入して糞を散らかしていた跡があり、踏んだり蹴ったりでした。それでもゴミが無くなり、夏場はゴロ寝する場所が出来ました。

 このシューベルトの交響曲第5番と未完成交響曲が入ったクレンペラーの初期盤、もっと早くに扱うはずでした。ラ ヴォーチェ京都の店頭に置いてあった、目立たないような棚の何段目かに(店主しか分からないはず)あったのを出してもらって購入しました。両曲ともリマスターされた再発売LPで初めて聴いたものですが、本当に久しぶりに初期盤で聴くと特に第5番の音質に感心しました。元々好きでしたが、生々しくて御簾越しに対面していたのがいきなり御簾が上がって直に目通りしたような鮮烈さです。

 クレンペラーのシューベルトはロンドンの聴衆にはグレイト交響曲が人気だったということですが、個人的には断然未完成、第5番の方が素晴らしいと思っていました。その理由というかツボは言葉では言い表しにくいものですが、この初期盤でいかんなく発揮されています。木管楽器の心地よさが特別で、モーツァルトでもベートーヴェンでもない、これぞシューベルトという颯爽とした流動感と垣間見える、こぼれる寂しさが魅力的です。


交響曲第5番変ロ長調 D485
第1楽章:Allegro
第2楽章:Andante con moto
第3楽章:Menuetto Allegro molto
第4楽章:Allegro vivace

 
ヴァントとケルン放送交響楽団の第1番を聴いた時の印象と少し似ています。ただ、クレンペラー・POの方が奥行、広がりをいっそう感じさせられて、もっと編成の大きな作品にもひけをとらない感銘度です。これを聴くとコンセールラムルー管弦楽団と録れた第4番や他の作品もレコーディングしておいてほしかったところです。このLP、1面目に第5番、2面目が未完成交響曲になっていますが単に番号の順番に収録したのでしょうか、どうでもいいことながらちょっとひっかかります。
20 6月

シューベルト交響曲第9(8)番 クレンペラー、PO/1960

200619シューベルト 交響曲 第9(8)番 ハ長調 D.944「グレート」

オットー=クレンペラー 指揮
フィルハーモニア管弦楽団


(1960年11月16-19日 ロンドン,キングスウェイホール 録音 EMI)

 六月に入ったと思っているうちに既に半分以上が過ぎました。このブログとしてはクレンペラー(Otto Klemperer 1885年5月14日 - 1973年7月6日)の命日、7月6日が近づいています。新型コロナの緊急事態宣言が解除された後も閉店したままの状態の飲食店もある中、個人的にはついにガラ携使用をやめてスマホにかえました(~ Leb' wohl ガラ携)。直接のきっかけは、よく使う地銀のネットバンキングがワンタイム・パスワードを使わなければ登録口座への振込もできなくなったので、そのパスワード機能を使うにはスマホが必須だったからでした。あとはコロナ感染に関連して非接触の支払い・スマホ決済が必要になることが増えるだろうと思ってやむを得ず変更しました。

 クレンペラーがEMIへ残したシューベルトの交響曲は第5番、未完成、グレイトの三曲でした。この録音も過去記事で扱ったはずですが、新リマスターのSACD仕様で聴いてみると少々印象が違います。新しいリマスターと称して宣伝しているものの中には確かに鮮明な音になったと驚くようなものもあり、くれんぺらーの国内盤ではマタイ受難曲がだいぶ改善されたと思いました。このシューベルトもそれに近い音質と感じられ、第1楽章の冒頭のホルンと直後から続く弦は繊細さと潤いが大いに増し、クレンペラーのEMI録音に対する先入観として持ちがちな、硬直気味、作品によっては膨張したような感覚、そういうものがほぼ無くなりました。ただ、第3楽章の冒頭からしばらくが妙にこもったような、マイクから遠いような貧弱な音に聞こえるのが残念です。

第1楽章 Andante - Allegro ma non troppo ハ長調、2/2拍子
第2楽章 Andante con moto イ短調、2/4拍子
第3楽章 Scherzo. Allegro vivace ハ長調、三部形式
第4楽章 Finale. Allegro vivace ハ長調、2/4拍子

クレンペラー・PO/1960年
①14分35②14分57③09分54④12分42 計52分28

 今回は他に対比するものは並べませんが、単に遅いとか速いとかでは言い尽くせない独特な内容だと思われ、作品に対する尊崇度も高まる心地がします。この録音はフィルハーモニア管弦楽団の定期公演で客席を熱狂させ、反応が特に良かったのでレッグが即座にレコーディングを決断したそうです。ブルックナーの第6番の録音を最後まで許可しなかったレッグがそうしたからにはよっぽど公演の反応が良かったのでしょう。このリマスター盤を聴いてそういう話に心底納得させられました。CDのリマスター盤だけでなく、初期のLPやステレオ録音がメインで流通していたベートーヴェンの交響曲やフィデリオのモノラル版LPを聴いて、従来のその録音・演奏に対する印象が変わることもあり、実際に客席で聴いていたらクレンペラーの演奏も更に違ったことだろうと思われま。

 若くして世を去ったシューベルト、その作品が特に好きだと思っても彼のような生涯を送りたい、ああいう風になりたいと思うかは微妙なところです。しかし、この作品だけではないかと思いますが、この交響曲を聴いているとグレイトという呼び方に異論は無く、それだけではない豊かな内容に触れられ、plum poison とかそんなみじめな事柄は想像し難いものです。
12 6月

シューベルト交響曲第9番 シューリヒト、南ドイツRSO

200610シューベルト 交響曲 第9(8)番 ハ長調 D.944「グレート」

カール・シューリヒト 指揮
南ドイツ放送交響楽団

(1960年9月 シュトゥットガルト 録音 /Concert Hall)

 滅多に視聴しないNHKの朝ドラの中で、早稲田大学の応援歌「紺碧の空」が登場して同局朝の情報番組でも話題になったそうです。クラヲタ的にはその出だし部分、「こーんぺきのそらー」の旋律がシューベルトの交響曲グレートの出だしと似ているというネタが昔、「小沢幹雄のやわらかクラシック」というFMの番組で一瞬盛り上がったことがありました。それ以来、紺碧の空のメロディと歌詞が妙に気になるようになりました。ついでにこの交響曲とマーラーの第3番の冒頭が似ているという聴取者の投稿もありました。

 このシューリヒトのLPはそのネタをラジオで聴いてだいぶ経った1990年代に購入したものでした。この年代のレコードは録音した年月日とか場所の詳しいデータが何も載っていないことが多く、これも同様ですがCD化されたものやら通販の情報から録音年を表記しました。それにフランス、アメリカ、イギリスでプレスされたものや日本国内盤仕様もあったようです。手持ちはイングランドと表記されてあります。


交響曲 第8(9)番 ハ長調 D 944
第1楽章 Andante - Allegro ma non troppo
第2楽章 Andante con moto
第3楽章 Scherzo. Allegro vivace
第4楽章 Finale. Allegro vivace

 そもそも輸入盤のこれを何故購入していたのか、当時の動機は覚えていませんがクレンペラーのグレイトとは対照的なスタイルということでこれに思い当たったのかもしれません。久々に聴いてみると、第1楽章が意外なほどにこじんまりとして響きも薄く、あまりグレイトでないことに感心しました。それにテンポも普通で第2楽章まではゆったりとしていて記憶の中のこのレコードとは違っています。後半の二つの楽章は快活で、これを初めて聴いた際の印象、刺激がよみがえる心地がして、ここを目当てにしていたのだろうと思いました。

 クレンペラーが存命の頃、フィルハーモニア管弦楽団の定期公演で
バルトークの「弦楽のためのディヴェルティメント」とシューベルトのグレイト交響曲を取り上げたところ、前者は「活力(フィジカルな)に欠ける」として不評だったのに対してシューベルトの方は聴衆を熱狂させたということがクレンペラーのCD国内盤のライナーノーツに紹介されていました。そういう好みが英国、ロンドンの大勢を占めていたならシューリヒトの演奏はどんな風に受け止められたことだろうと思いました。村上春樹が小説の中で書いていた、シューベルトのピアノソナタについて書いている前半と後半の楽章とでは内容も中身も違い、全曲を通して魅力的に演奏するのは難しい(そんな意味だったはず)、という点は交響曲にはあまり当てはまらないのかどうか、これを聴いているとピアノソナタの管弦楽版を指揮しても上手くいきそうだと思いました。
21 5月

クレンペラーのシューベルト第4番 コンセール・ラムルー/1950年

190521bシューベルト 交響曲 第4番 ハ短調 D.417「悲劇的」

オットー=クレンペラー 指揮
コンセール・ラムルー

(1950年11月19-20日 パリ,サル・プレイエル 録音 VOX)

190521a クレンペラーが米VOXへレコード録音した際のオーケストラの大半はウィーン交響楽団でした。しかし一連の録音の最初期、1946年頃に録音したモーツァルト作品はパリ・プロムジカという実態がよく分からない(アマチュアかもしれない)団体との共演でした。その他にシューベルトの交響曲第4番だけがパリのコンセール・ラムルーを指揮してのことでしたが、なぜこの一曲だけパリで録音したのかと思います。ウィーン交響楽団との録音は1951年3月から6月なので、コンセール・ラムルーとのシューベルトはその少し前ということになり、どうもこれが好評・好調だったからウィーンでのレコード録音へつながったのではないかと思われます。ちなみにVOXとのレコード録音は、メンデルスゾーンのイタリア交響曲の録音途中でクレンペラーが演奏旅行に行ったので、途中で別の指揮者に振らせて許可なく発売したことが原因で契約が解除というか立ち消えになりました。

 このLPレコードはそのメンデルソゾーンの交響曲第4番とカップリングされています。どうもフランス盤らしく、ジャケットが見開きになり右側にジャケットと一体化してLPを収納するスペースが付いています。購入したLPには前の持ち主が貼ったらしいクレンペラーの肖像の切り抜きが三枚も付いていました。何故極東の、東京在住でもない私の手に渡ることになったのか、あるいはこのレコードは遺品整理で処分されたのかもしれません。

190521 それはともかくとして、古い録音の上に盤の状態も今一つながら素晴らしい演奏なので作品自体も見直すような感慨深いものです。この当時のコンセール・ラムルーはジャン・マルティノンが主席に就く前年、ウジェーヌ・ビゴーの時代でした。さすがにウィーン・シンフォニカに比べると地味な音色ながら、特に弦楽器はなかなか味があり、クレンペラーも抑制の効いた指揮振りです(まさかこれも別人の指揮ではないと思うが)。クレンペラーのシューベルト第4番はこれ以外にもACOとのライヴ音源がありました。それにVOXへセッション録音した曲は全部EMIで再録音していることからも、フィルハーモニア管弦楽団ともレコード録音する予定があったようです。

交響曲第4番 ハ短調 D417
第1楽章 Adagio molt - Allegro vivace ハ短調
第2楽章 Andante 変イ長調
第3楽章 Menuetto. Allegro vivace 変ホ長調
第4楽章 Allegro ハ短調

 交響曲第4番は1816年、シューベルトが19歳の年に完成されました。今回このレコードを聴く前、直近に同曲を聴いたのいつだったか、ヴァントとケルンRSOかシュタインとバンベルクSO、メータとイスラエルPOだったか、いずれにしてもうっすらとした記憶に残る曲とは違った響きで、作曲者のもう少し後年の作品のような印象です。クレンペラーがレコード録音までしようと思ったのも頷ける作品、演奏です。
21 9月

シューベルト交響曲「グレート」 シノーポリ、SKD/1992年

180921シューベルト 交響曲 第9番 ハ長調 D.944「グレート」

ジュゼッペ・シノーポリ指揮
シュターツカペレ・ドレスデン

(1992年5,6月 ドレスデン録音 DG)

 最近ちょっと騒がしい新潮社、その文庫本コーナーで阿川弘之の棚を探していると、店頭に並んでいる作品が少なくて、阿川佐和子の方が多くを占めていました。自分が中学の頃は結構なスペースを占めていた覚えがあるのでこの傾向は世の移り変わりか、娘が父を超えたのか、かたい内容だからか妙に時間が、年月が経ったことを再認識しました。そういえば自分が高校生の頃の現国で、試験問題か練習問題の文章に厨川白村、正宗白鳥がめっきり読まれなくなった云々という内容がありました。前者については台湾では結構読まれているのに何故日本では読まれなくなったのかと、疑問が付されていました。確かに当時でさえ二人ともそれを読んで初めて名前を知ったくらいでした。

 シューベルトの「グレート」、結局交響曲の第なん番と呼ぶのが正しいのか整理できないままですが、この曲は聴きだすと「長い」と実感します。ブルックナー程ではないはずなのにそれ以上に長く感じられて、ここ数年は最初から連続して最後まで聴き通すことはまれでした(最近ではツェンダー、SWRSOくらいか)。それが五月の連休に行った部屋の大整理で見つかったシノーポリとシュターツカペレ・ドレスデンのシューベルト(未完成とグレート)を車内で聴いたところ、思いがけない(開封済で指紋も付いてたので再生したはずなのだが)素晴らしさで、夜になって屋内でも聴きました。どうやら未完成の方が新譜直後に評判になっていたようですが、今回はグレートの冒頭部分の妙なる響き、金管の美しさに驚きました。過去記事で扱ったCDの中ではハンス・ツェンダーのトラックタイムが似ていました。ただ、オーケストラの音色は今回のシノーポリとSKDが抜きん出て美しいと思いました。

シノーポリSKD/1992
①12分48②14分22③10分52④11分34 計49分36
ツェンダー・SWRSO/2003年
①12分44②14分20③10分16④11分33 計48分53
ヴァント・ミュンヘンPO/1993年
①14分13②16分23③10分53④12分16 計54分45
シュタイン・バンベルク/1985年
①13分50②16分07③10分49④12分11 計52分57
クレンペラー・PO/1960年
①14分35②14分57③09分54④12分42 計52分28

 「名曲名盤500(レコ芸編)」の最新版をみると未完成もグレートもこのCDは挙がっていなくて結構古いものが上位に並び、それはこの企画の大半の作品に共通する傾向ながら、せめて一覧にリストアップされても良さそうだと思いました。さらに、国内新譜時のレコ芸月評でも特選(二人の選者がそろって推薦)にはなっていませんでした。特選の方はアク、否、個性が強い選者が並ぶとなかなか見解が一致しないと思いますが、当時はどうだったのかと思います。

 廉価化されたこのCDの帯に、シノーポリの言葉が載っています。グレイトは「死と永遠を見つめた、人類への偉大なるメッセージ」と評していて驚き、感心しました。この曲は何度なく聴いていましたが、正直そんな深淵な内容を感じ取れたことはなくて全く驚きましたが、CDを聴いてからそれを読んだので妙に説得力がありました。ちなみに未完成の方は「音楽で葬送を語る作品」と評していて、こっちも感心する言葉です。
7 4月

シューベルト交響曲「ザ・グレート」 ツェンダー、SWRSO

180406aシューベルト 交響曲第8(9)番 ハ長調 D.944「ザ・グレート」

ハンス・ツェンダー 指揮
SWR Sinfonieorchester Baden-Baden und Freiburg(南西ドイツ放送交響楽団)

(2003年1月28-30日 ハンス・ロスバウト・スタジオ 録音 Hanssler Swr Music)

180406 昨日は予報通りに昼頃から雨になりました。春の嵐とまではいかないまでも強目の風も吹き、これで桜も散ってしまいました。今日宇治市の自衛隊の裏を通ると「桜祭り」の看板の後ろの桜がほぼ全部散り切っているのが目に入りました。天気予報がそうだったので昨日は午前中に平日にも関わらず仁和寺の御室桜をみに行きました(要するにさぼり)。「御室桜」は木の高さが低く成人の背丈より低いくらいなのでま近く花が見ることが出来るのと、ソメイヨシノよりも満開のピークが遅れるのが特徴でした。個人の趣味として桜についても特別に思い入れはないのに、この桜だけはそれだけのために足を運んで見たくなります。去年は行かなかったので今年こそはと思い、花散らしの雨が来る直前に間に合いました。

180406b 境内には清水焼の馥郁窯の出店もあり、瓢箪が大小で六つ描かれた茶碗を買って帰りました。瓢箪が六つで「
瓢=むびょう」、「無病息災」に通じるというベタな絵柄ながら一定の年齢になると妙に親近感がわいてきます。この窯は宇治市の炭山地区にあるようですが何故か毎年仁和寺でも出店しています。さて、そういう名残りの桜と先日聴いたシェーンベルクの12音技法による作品から不意にシューベルトのザ・グレートを思い出しました。ここ数年はシューベルトの作品の中でもこれを最初から続けて聴くのがどうも敬遠気味というか、根気が無いというかとにかく疎遠でした。

交響曲 ハ長調 D.944「グレート」
1楽章:Andante. Allegro ma non troppo
2楽章:Andante con moto
3楽章:Scherzo. Allegro vivace
4楽章:Finale. Allegro vivace


 そうこうしている間に通常のオーケストラがシューベルトの交響曲を録音する頻度はかなり低下していて、ピリオド楽器のオケか室内オケによるピリオド奏法、楽器との折衷的な演奏が増えていました。今回のハンス・ツェンダーと南西ドイツ放送交響楽団のものは今世紀に入ってすぐの頃に話題になっていました。
ツェンダーと言えば「冬の旅」の管弦楽伴奏版もさらに注目されましたが、そっちの方は何度か聴いて個人的に拒否反応が出てしまいました。久しぶりに交響曲の方を聴いてみると、かつての後期ロマン派的なスタイルとも古楽奏法的な演奏ともちょっと違うタイプに聴こえて作品自体も新鮮に感じられました。

ツェンダー・SWRSO/2003年
①12分44②14分20③10分16④11分33 計48分53

ヴァント・ミュンヘンPO/1993年
①14分13②16分23③10分53④12分16 計54分45
シュタイン・バンベルク/1985年
①13分50②16分07③10分49④12分11 計52分57
クレンペラー・PO/1960年
①14分35②14分57③09分54④12分42 計52分28

 過去記事であつかったCDとあわせてトラックタイムを並べると上記のようになり、合計で49分を切り、抜き出て短い合計演奏時間になっています。これは実際に聴いた印象とあまり違わないとしても、ツェンダーが速過ぎるとか軽すぎる、騒々しいというマイナスの印象は無くて、独特の重心というのか安定感を感じるのが不思議です。それと同時に長いなあとか、そんな退屈さも全く無くて、これは演奏にどういうコツ、秘密があるのだろうと思いました。
14 5月

シューベルト交響曲第5番 クレンペラー、PO/1963年

170513bシューベルト 交響曲 第5番 変ロ長調

オットー・クレンペラー 指揮
フィルハーモニア管弦楽団

(1963年10,11月 ロンドン,キングスウェイ・ホール 録音 EMI)
 
170514  5月14日はオットー=クレンペラーの誕生日(Otto Klemperer 1885年5月14日 - 1973年7月6日)なのでブログの恒例、セッション録音、ライヴ音源を問わずクレンペラーのCDを取り上げることにして、今年はEMIへのセッション録音、シューベルトの交響曲第5番です。シューベルトの第5番は最初にCD化された際には未完成、ザ・グレートと離れてドヴォルザークの新世界とカップリングされていました。演奏時間がちょうど良いということかもしれませんが、CD一枚の時間が少なくてもせめて未完成とカップリングくらいにしてほしかったところです。

交響曲第5番変ロ長調 D485
第1楽章:Allegro
第2楽章:Andante con moto
第3楽章:Menuetto Allegro molto
第4楽章:Allegro vivace

 レコード録音をしているということはその時期にフィルハーモニア管弦楽団の定期公演でもシューベルトの第5番を演奏しているはずですが、これまでのところEMI盤以外でクレンペラー指揮のこの曲は全く無かったはずです(今後テスタメントあたりから出てくるかもしれない)。1963年という年代からしてクレンペラーのとるテンポがいよいよ不健康に?遅くなってきますが、下記のトラック・タイムを見るとそうでもありません。聴いた印象でも氷上をな滑走するような滑らかさで、未完成の第1楽章なんかとはかなり違います。それでも木管が前面に出たクレンペラー(のEMI録音)らしいバランスの響きであり、特に後半楽章は剛毅さも感じさせます(ハイドンの軍隊ほどはではない)。

クレンペラー・PO/1963年
①5分28②09分43③4分55④6分03 計26分09
メータ・イスラエルPO/1976年
①7分13②09分26③5分15④5分37 計27分31
ヴァント・ケルンRSO/1984年
①6分49②09分54③4分41④5分39 計27分03
シュタイン・バンベルクSO/1986年
①7分11②11分13③5分25④5分59 計28分48

 余談ながらイスラエルPO、ケルンRSOはともにクレンペラーが客演したことがあり、バンベルクSOに客演したことがあるかどうか未確認ながらチェコのドイツ人によるオケが前身なので、プラハのドイツ劇場からキャリアをスタートさせたクレンペラーとちょっと経歴が重なります。それら三種の中ではヴァント、ケルンRSOが一番クレンペラーの第5番に近い気がしました(意外にも)。

 なお、シューベルト(Franz Peter Schubert 1797年1月31日 - 1828年11月19日)の交響曲第5番は1816年10月 に作曲されました。二十歳前に作ったものでその後の初演や演奏記録は定かではありません。その割には交響曲らしく凝縮、統一されたものが感じられて(ブルックナーの初期作品よりはこなれた作品か)魅力的です。
23 5月

シューベルト交響曲第5番 マナコルダ、カンマーアカデミー・ポツダム

150523シューベルト 交響曲 第5番 変ロ長調


アントネッロ・マナコルダ 指揮
カンマーアカデミー・ポツダム


(2012年8月 ベルリン,テルデックス・スタジオ 録音Sony Classical)

150523a 今日の昼過ぎに河原町通にある大きな書店の文庫本棚の前をうろついていると大江健三郎の本が補充されているのが目に付きました。A屋くらいの規模になると大江健三郎に限らずたいての作家の文庫本はそろっています。憲法記念日か安全保障関連法案についての集会だったかで、大江健三郎が登壇して総理を呼び捨てにする映像をニュースで観ました。公然と呼び捨てにする(こわいもの知らず)のはIS(イスラミックステート)の覆面男くらいかと思っていたので大江氏の怒りの程が察せられました。先日行われた党首討論でのポツダム宣言のくだり、大阪風のやりとりにすれば「知っとるか?」、「知らん知らん」で済むところを回りくどいやりとりの末にすれ違っていました。ただ、知ってるか読んでるかどうか以上に、根底には怖いものがとぐろを巻いているのが垣間見えて、先日の住民投票の騒ぎもさめていないので暗澹たる気持ちになってきます。

150523b さて、聖霊降臨を明日にひかえた今夜は、オーストリアの作家シュティフターが聖霊降臨の大祝日を「愛らしい祝祭」と評して描いていたので、シューベルトの交響曲第5番の小編成のCDを取り出しました。第5番だけが愛らしい作品ということでもなく、この録音も30分強の演奏時間です。マナコルダとカンマーアカデミー・ポツダムのシューベルトは個人的にすごく気に入っていて(過去に未完成交響曲を取り上げて以来です)、新譜が出るのを見逃さないようにしていましたがあと第1番を残すのみになりました。第5番も期待通りに魅力的でした。このCDは交響曲第5番と第6番がカップリングされています。

 マナコルダはイタリア、トリノに生まれてヴァイオリンを学び(ヘルマン・クレッバースやフランコ・グッリに師事)、クラウディオ・アバドとともにマーラー・チェンバー・オーケストラを創設、そのコンサートマスターを8年つとめました。指揮は名教師のヨルマ・パヌラのもとでを学び、広告に載っている経歴によればドイツのオーケストラ、歌劇場を指揮して好評を得ているとのことです(ちょくちょくネット上で名前を見かける)。このシューベルトのシリーズではモダン楽器による室内オーケストラにピリオド楽器奏法と、古楽器(金管楽器とティンパニ)を取り入れています。

 初めて聴いた時も当然ピリオドオケでないのは分かりましたが、かつてのシューベルト演奏とは違って弦も少しベートベンがかって引っかかるようなアクセントのある演奏です。こういうスタイルはここ十年くらいでベートーベンの交響曲の録音で多く現れて、もっとメリハリがあって速いテンポの演奏もあり、マナコルダのシューベルトが特に過激だという印象はありません。特に第5番ではかえって逆の印象が先立ち、この曲を聴いた初期の録音だったヴァントとケルン放送SOのことを思い出しました。

18 10月

シューベルトのグレート交響曲 シュタイン、バンベルクSO

141018aシューベルト 交響曲 第9(8)番 ハ長調 D.944 「グレート」


ホルスト・シュタイン 指揮
バンベルク交響楽団


(1985年12月5-6日 バンベルク 録音 Ariola Japan)

 プロ野球のクライマックス・シリーズ、セリーグはシーズン2位だったタイガースが四連勝して日本シリーズに進出しました。昨日も書いていましたが全くの予想外です。甲子園で何試合するか分かりませんが、何か途方もないツキが関係しているような感じなので今回は観に行こうかと思います(平日昼間だったら困るけど何とかしたい)。「何が起こるか分からない」、というのは悪いことが起こった時に使うというイメージがこびりついているので今回は逆のケースです。

 今日の正午頃宇治川を渡る京滋バイバス側道の気温計が18℃を表示していました。いつだったか36℃くらいだったので当たり前のことながらようやく秋です。涼しくなってくると聴いてみようかという気分の作品やジャンルがあって、ブラームスとかシューベルトもそのうちです(もっともシューベルトは暑くても聴いていますが)。シューベルトの交響曲グレートは最初から最後まで通して聴こうかという気にはなり難くて、前半の二楽章だけで止めるということも有る程です。しかし今日は久しぶりに全曲を通して、連続して居眠りもせずに聴きました。

交響曲 第9番 ハ長調 D.944 「グレート」
1楽章:Andante. Allegro ma non troppo
2楽章:Andante con moto
3楽章:Scherzo. Allegro vivace
4楽章:Finale. Allegro vivace


 この録音は長い曲が本当に長いなあと感じるゆったりとした演奏で、クレンペラーのEMI盤よりもトラックタイムの合計が長くなっています。第3楽章が、スケルツォ楽章をゆっくり目に演奏する(代りに緩徐楽章を速目に)クレンペラーよりも遅い(演奏時間が長い)というのは珍しいパターンです。さらに第2楽章もゆったりとして、「天国的な長さ」を良い意味で実感できます。別のCDの解説文の中に、シュタイン指揮のバンベルクSOの一員として演奏したホルン奏者の体験が載っていて、シュタインはオーケストラの曲中のソロの箇所が来ると「さあどうぞ、思う存分歌ってください、ぼくがつけてあげます」といった風に奏者に任せてくれるタイプだと評していました(サヴァリッシュ、ヴァントとは違うタイプとしている)。この録音を聴いていると何となくニュアンスが分かります。

シュタイン・バンベルク・1985年
①13分50②16分07③10分49④12分11 計52分57

クレンペラー・PO・1960年
①14分35②14分57③09分54④12分42 計52分28

141018b ホルスト・シュタイン(1928年-2008年7月27日)はウィーン・フィルと1970年代に録音したブルックナーの交響曲第2番や第6番、バイロイトの公演を収録した映像ソフト等がありましたがより後年、晩年の録音はあまり出ていませんでした。1988年録音のルチア=ポップのR.シュトラウス名場面集があまりに素晴らしかった(月光の音楽は特に見事)ので全集モノ(ブルックナー)とかまとまった企画が無いのがすごく残念です。そんな中でバンベルク交響楽団を指揮したシューベルトやブラームス等は貴重な録音だと思います。

30 1月

シューベルト グレート D.R.デイヴィス バーゼルSO

140130a シューベルト 交響曲 第9(8)番 ハ長調 D.944 「グレート」

デニス・ラッセル・デイヴィス 指揮
バーゼル交響楽団

(2013年6月3-5日 カジノ・ベーゼル・ムジクザール 録音  Solo Musica)

140130b  カレンダーに目をやれば一月ももう終わると思ったところ、年末以来散髪にまだ行っていないので、お昼にいつもの理髪店へ行きました。前回行った時に一月の半ばにモロッコへ旅行に行くと聞いていたけれど、今ならもう大丈夫なので少し早めに行きました。この時間帯には珍しく先客が居て、海外旅行の話をしていました。散髪が終わると近くの店で五百円のカレーを食べて帰るつもりだった私は、みんな豪勢な上に時間の余裕もあって凄いなあと内心で感嘆していました。順番が来て刈ってもらっている間、モロッコのW.Cの話などいろいろと聞きましたが先に「カレー」と書いてしまったので今回は書かずに伏せておきます。一杯五百円のカレーはセルフ・サービスで、具が原型をとどめないタイプですが肉の代わりにあげ肉団子をはじめ、トッピングを選べます。それよりも肝心のカレーが独特で、最初はまろやかでやや酸味があり、しばらくして辛さがじわじわと浸透してきます。トッピングが何もなくてもその味だけでも貴重だと思って、散髪の時はそこへ寄っています。

 デニス・ラッセル・デイヴィスは現在シューベルトの交響曲に取り組んでいます。輸入盤のため解説はチラ見するだけなので、どういう演奏を志向しているかとかはよく分かりません。ベーレンライター社の新全集を使って19世紀以来のシューベルト像をひっくり返そうとか、そんな尖った印象はなく、案外普通にきこえます。昨日のファイのハイドンを思えば、特に第一楽章は緩すぎるとさえ思えます。これまでのところはハイドンの全集と似たような演奏ではないかと思いました。四つの楽章の内、後半の二つはかなり魅力的にきこえます。

 シューベルトのピアノソナタ(完成されて楽章が四つある作品)について、前半だけなら魅力的に演奏出来ても全楽章を通じて、一曲としての統一感をもって演奏するのは難しいと、村上春樹が小説の中で指摘しています。これはピアノソナタだけでなく、この交響曲についてもある程度該当しそうだと思いました。というのはこのCDを聴いていて、前半部分でだれてきたからです。そういえば同じくピアノソナタについて、アンドラーシュ・シフは主題のリピートを省略する慣行があるが、省略せずに演奏すべきだとして実践していました(現在ではどうしているか未確認)。主題の反復を徹底してもだれないというのはこれも難しいことかもしれません。

 前回の交響曲第3番でもそうでしたが、D.R.デイヴィスのシューベルトはちょっと聴いてすぐにどうだと言い難く、一筋縄ではいかないような気がします。未完成交響曲を聴けばどういうスタイル、志向なのかかなり鮮明に分かるだろうと思います。このように思っている時点で、既に古いタイプのシューベルト演奏とは違っているのかもしれません。

 冒頭の話ですが、地図で見るとモロッコはイベリア半島のすぐ近くです。しかし関空からなら直行便はなく、ドバイ経由で乗継の休憩時間込で22時間くらいかかり、行くだけでかなり疲れると聞きました。「モロッコへ行ってきました」という名前の菓子なんかはありませんが、銀細工が伝統的な工芸品だそうで、そういえばTVの旅番組で映ったことがありました。現代の日本なら全国的にやわらかいトイレット・ペーパーと水洗トイレが普及して、それが当たり前になっています。しかし所変わればで、なかなかそうはいきません。

29 12月

シューベルト交響曲第3番 D.R.デイヴィス、バーゼルSO

131229シューベルト 交響曲 第3番 ニ長調 D.200

デニス・ラッセル・デイヴィス 指揮
バーゼル交響楽団

(2011年9月21日 シュタット・カジノ・ベーゼル・ムジクザール ライヴ録音 Solo Musica Cl)

 カレンダー上の御用納だった金曜日、一応気分だけでも区切りを付けようと、アルザス食堂のランチ時にグラスワインを一杯だけのみました。鮨屋にも置いてそうなスッキリした後味の赤ワインなので、正月用に仕入れておこうかと思いました。でも業務用のワインのためあまり売ってないとのことで残念でした。それにしても運動不足、今年はこれのしっぺ返しを痛感しました。最近ではクリスマス・ミサの際、一時間半程立っているとしんどくなって、外の階段でもいいから座りたいくらいでした。と言っても貧血でふらっとしたわけでなく(血と脂は売るほど蓄えがある、品質はともかく)、足が痛くなって攣りそうでした。

131229a デニス・ラッセル・デイヴィスはブルックナー、ハイドン、フィリップ・グラスの交響曲を全曲録音してきましたが、今度はシューベルトに取り組みます。このCDが第一弾で、2009年から首席を務めるバーゼル交響楽団との共演です。このオーケストラは、1997年に旧バーゼル交響楽団とバーゼル放送交響楽団が合併して発足し、バーゼル市の歌劇場のオーケストラでもあります。最近の録音ではマリオ・ヴェンツーゴとのブルックナー等があります。経歴を見ると歌劇場のポストを歴任しています。評判が高かったのは我々一般人がよく聴く古典作品よりも、現代音楽の演奏のようです。実際にグラスだけでなく、数多くの作品を初演しています。それだけにハイードン ‐ シューベルト ‐ ブルックナーというオーストリアの作曲家を演奏するのは興味深いものがあります。

交響曲 第3番 ニ長調 D.200
第1楽章.Adagio maestoso-Allegro con brio
第2楽章.Allegretto
第3楽章.Menuet & trio: Vivace
第4楽章.Presto vivace

131229b 「~らしい」というその作曲家の作品を演奏するならこうでなくては、といったスタイルも変遷するものだと思います。それでも何となく暗黙の了解のような感覚はあるかもしれません。このシューベルトの交響曲第3番は最初に聴いた時、ちょっと既成のシューベルト観からは遠いような印象でした。実はカップリングの第5番を最初に聴き始めましたがそちらの方がより違和感がありました。よく考えると違和感とか「らしくない」というのは、ベーレンライター新全集より前の19世紀的なシューベルトを基準にすると、ということでした。だからピリオド奏法とかを頭に置いていると結構普通な、別に過激とも言えないでしょう。ただ、より古い時代のハイドンの録音ではトランペットとティンパニは古楽器を採用し、通奏低音にチェンバロを使ってる割には演奏そのものはそっち方面に傾斜していないので、このシューベルトは意外です。このCDでは楽器、楽譜はどうしているのかと思います。

D.R.デイヴィス・2011年
①09分07②3分53③4分15④4分39 計21分54

インマゼール・1996,1997年
①09分11②4分04③3分49④6分25 計23分29
スウィートナー・SKB・1986年
①09分18②4分20③4分09④6分28 計24分15
ヴァント・ケルンRSO・1983年
①10分06②3分36③3分35④6分56 計24分13

 このCDと、ピリオド楽器のインマゼールの他シューベルトの交響曲を全曲しているスウィートナー、ヴァントの演奏時間・トラックタイムを並べると上記のようになります。リピート有無の影響もあるかと思いますが、このCDの合計時間が一番短くなっています。

13 12月

シューベルト交響曲第5番 シュタイン、バンベルクSO

シューベルト 交響曲 第5番変ロ長調 D.485

ホルスト・シュタイン 指揮
バンベルク交響楽団

(1986年5月24-26日 バンベルク録音 Ariola Japan)

131213a フランスの伝統的なクリスマスケーキにビュッシュ・ド・ノエルというケーキがあります(と書いているものの今日この名称を知ったのだけれど)。薪の形を模した短く太めのロールケーキの上面に飾りが付いています。今日のお昼にアルザス食堂( CHEZ LUC と言う名前)の前を車で通ると開店時刻を過ぎているのに「準備中」の札がさがっていました。車を止めて確かめるとランチのみ休業と書いてあり、昼を食べ損ねました。その代わりにフランス菓子の「アグレアーブル」店内でコーヒーとケーキをいただきました。F二家やYザキパンに慣れた我々には外観も味も珍しいものが並んでいます。よく外国の菓子は甘さが濃すぎるとか言われますが、どぎつい甘さではなく、香ばしく上品に甘いものです。店の看板を見ただけでは正真正銘のフランス菓子の店だとは気が付きませんでした(外観も控えめで上品)。

 12月に入って色々な会合が増えて、後部座席に人を乗せる機会が増えるのでカーナビのオーディオで再生するSDカードを無難な曲に変えました。とりあえずホルスト・シュタイン指揮、バンベルク交響楽団のブラームスシューベルトの交響曲をセットしました。しばらくぶりに車内で聴いていると、どれもしみじみと感動的で、シュタインも生で聴いてみたかったと今さらながら思いました。

131213b ホルスト・シュタイン(1928年5月2日-2008年7月27日)は、ギュンター・ヴァントと同じくエルバーフェルト市(現在はヴッパータール、バルメンとエルバーフェルトが合併して出来た)の生まれで、二人ともケルン音楽大学で学んでいました。シュタインはメジャーレーベルにレコードの録音が少なく、ウィーンPOとのブルクナーの交響曲第2、6番やグルダと共演したベートーベンのピアノ協奏曲等が主なものでした。しかし、1973年以来NHK交響楽団には隔年で客演していたことや、1970年のヴァイロイトで指輪を振った音源が年末にFMで放送されて評判になったことで日本では特に人気がありました(といっても本場の評判がどうだったのかよく分からないけれど)。

交響曲第5番変ロ長調 D485
第1楽章:Allegro
第2楽章:Andante con moto
第3楽章:Menuetto Allegro molto
第4楽章:Allegro vivace

 交響曲第5番は、シューベルトが19歳になる1816年に作曲した作品です。未完成、ザ・グレイトに続いて録音機会が多かったと思われるこの交響曲は、一応作曲された年にオットー・ハトヴィヒ(素人音楽家らしい、ボヘミア出身)家で彼の指揮により初演されました。公の初演はずっと後年、1873年2月1日にロンドンで行われています。初めてこの曲を聴いた時はモーツアルトの作品かと間違う程で、解説の多くには古典派的な様式で書かれ、モーツアルトの影響、類似性が指摘されています。

 初めて購入したこの曲のレコードはクレンペラー指揮のフィルハーモニア管弦楽団のセッション録音で、国内盤(クレンペラーの芸術・1,500円/枚だったはず)が廃盤だったのでリマスターされた輸入盤できました。1980年代後半のことで間もなくCDに切り替わり、続いてヴァント指揮のケルン放送交響楽団のCDでよく聴いていました。

 他のシュタインのCDには彼の指揮するオケで演奏した日本人奏者の経験談が載っていて、シュタインは「オーケストラの個々の奏者を尊重して任せてくれる」タイプであり、「自分のイメージをしっかり持っていてオーケストラを引き込もうとする」サヴァリッシュやヴァントのようなタイプとは違っていたと述懐しています(どちらも素晴らしかったとしているが)。バンベルク交響楽団との一連の録音を聴いていると、そうした団員の言葉もなるほどと思います。

18 12月

シューベルト交響曲第5番 ヴェーグ指揮ザルツブルクC・A・M

シューベルト 交響曲 第5番 変ロ長調 D.485

シャンドール・ヴェーグ 指揮
ザルツブルク・モーツァルテウム・カメラータ・アカデミカ

(1990年11月 ザルツブルク,モーツアルテウム 録音 CAPRICCIO)

121218b  シューベルトの交響曲第5番は、未完成とグレイトの次に録音される機会が多い曲かもしれません。それは未完成と第5番の二曲なら、余裕を持ってCD1枚に収まる規模なのでカップリングされるためと、第5番がちょっと聴くとモーツアルトの作品と間違いかねないくらい溌剌として流麗な美しさだからだと思います。交響曲第5番は第4番と同じ年の1816年10月月に完成しましたが、初演についての詳細は不明です。この曲は「悲劇的」というタイトルを持つ第4番や、二年後の1818年に完成した交響曲第5番がベートーベン的な曲なのと対照的です。

121218a  ヴェーグはキャリアの後半、1970年頃から指揮者としての活動が増え、ザルツブルク・モーツアルテウム・カメラータ・アカデミカとのコンビでモーツアルトを中心に多数の録音を残しています。ヴェーグのシューベルトはヴァイオリニストとして参加した弦楽五重奏曲の他、交響曲を四曲録音していました。交響曲のセッション録音はいずれもザルツブルク・モーツアルテウムを指揮したもので、今回のCDである第5番、6番のカップリングと、7(未完成)番、8(グレイト)番のカップリングです。未完成交響曲はブログの最初の方で投稿していたように、実はヴェーグの指揮はかなり気に入っています。

 下記はこのCDと、第5番の各年代の録音で好感を持っているもののトラック・タイムを列記してみました。ヴェーグ盤の特徴は第4楽章が長いのが目に付きます。これは主題の反復によるものと思われます。それ以外の楽章は特にゆっくりとも言えませんが、濃淡のある柔らかい響きが印象的です。

ヴェーグ・1990年
①7分14②09分35③5分04④7分39 計29分32

シュタイン・バンベルクSO・1986年
①7分11②11分13③5分25④5分59 計28分48
ヴァント・ケルンRSO・1984年
①6分49②09分54③4分41④5分39 計27分03
メータ・イスラエルPO・1976年
①7分13②09分26③5分15④5分37 計27分31
クレンペラー・PO・1963年
①5分28②09分43③4分55④6分03 計26分09

 他の録音ではヴァントや、大火傷以後のクレンペラーが、主題反復を考慮してもけっこう速目なテンポなのは意外です。有名な指揮者は作曲家、ピアニスト出身(というか徐々に指揮が本職になった)が多いようですが、弦楽器奏者出身の人も少なからず居ます。誰だったか忘れましたが、ヴァイオリン奏者出身の指揮者がTV番組でインタビューを受けて、ピアニスト出身ならそういう(弓使いの細かい指示だったか)指示までは行き届かないはずだと、自負を込めて答えていたことがあります。ヴェーグの場合もその好例なのかもしれません。

 もっともピアニスト志望で作曲家でもあるクレンペラーも、リハーサル映像でヴァイオリンを弾く動作をして「言われた通りやれ!」と譜面台を叩いて怒っている場面が残っています(エグモント序曲)。

 ところでヴェーグやN響でもお馴染みのシュタインは、若い頃は分かりませんが、あまり美形とは言えないかもしれません(他人様の容姿をとやかく言えた義理ではないが)。新約聖書のルカ福音書19章にザアカイという人物が出てきます。ローマ帝国の徴税を請け負うのを生業にしている人で、背が低かったのでイエズス一行がやって来た時群衆に阻まれて見えなかったので木に登って見ようとして、イエズスの目にとまります。その後イエズス一行が彼の家に泊ることになり、「ザアカイの回心」という小見出しが付く出来事に至ります。これも救い主を迎えるという意味ではクリスマスと同じだと思えます。

 徴税請負は、納税額と手数料を納税者から徴収してローマ総督府へ収めるという制度らしく、手数料は半ば請負人の裁量に任せられていたので、うまく取ればひと財産築ける職業です。実際ザアカイもイエズス一行を泊めることが出来る程の屋敷に住んでいたわけですが、反面売国的仕事として嫌われて(ねたみ半分)いました。背が低いことや、その職業についてザアカイのセルフ・イメージや引け目について明記されていません。しかし、現代的感覚からしてもいろいろ想像できる場面です。個人的には、このザアカイとカラヤンがどこかだぶって見えます(と言えば失礼だが、少なくとも背の高さはちょっと該当しそうである)。

 そんなことはともかくとして、このシューベルトの第5番はあまりに屈託無く、空中を自由に漂うような演奏で、あらゆることから自由になっている姿を連想させられます。

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20 12月

シューベルトの交響曲第1番 インマゼール アニマ・エテルナ

111220b_2  シューベルト 交響曲 第1番 ニ長調 D.82

ジョス・ファン・インマゼール 指揮
アニマ・エテルナ

(1996年12月3,4日~1997年2月22,23 録音 SONY)

 シューベルトの交響曲と言えば第7(8)番・未完成が圧倒的に有名で、次いで第8(9)番・グレイトもレコード、CDが多数あってかなりの認知度です。そのほかでは第5番、第4番「悲劇的」が未完成交響曲やハ長調・グレイトとカップリングされたりしています。この2曲も魅力的でもっと目立ってもいいと思えます。例外的と言ってよいのか、カルロス・クライバーが第3番を録音していました。それ以外の交響曲はシューベルトの交響曲全集でなければ単独では録音されないのが通常でした。このCDもインマゼールが手兵である古楽器アンサンブル「アニマ・エテルナ」を指揮してシューベルトの交響曲を全曲録音したものの1枚です(第3番、第5番とカップリング)。

111220c_2   シューベルト生誕200年に完成するインマゼールのシューベルト・チクルスはいくつかの特徴がありました。大まかに以下の点が挙げられます。①ベーレンライター社の新全集の楽譜(出版前の第4~7番を見せてもらえた)に依っていること。②ウィーン製の古楽器を多用している。③ピッチは440Hzを採用している(古楽器アンサンブルは430Hz程度が多く現代のオーケストラに近い)。①の楽譜についてはオリジナルの手稿譜が全て残っていて、ウィーン楽友協会から見せてもらっています。②の楽器については、ガット弦と当時の弓を用い、四弦と五弦を併用し、管楽器、ティンパニについても注意が払われています。これらについては、CDに付属の解説に詳細が載っています(かなり専門的なインマゼールによる解説の日本語訳であるが、訳が迂遠に感じられる)。

 要するに、シューベルト本人の意図に沿った譜面を使用して、作曲者が生きた時代の楽器を用いてシューベルトのコントラストを重んじた強弱法を用いて演奏したということで、交響曲における「素顔のシューベルト」を再現することを主眼としました。そう言うからには、シューベルトの没後、19世紀後半以降出版の過程で作曲者以外の手が入って、本来の姿から遠くなっていたということで、例えば未完成交響曲などは一般人からしてもそうした事情がおぼろげながら推測できる演奏が広がっていました。

 シューベルトの交響曲第1番をはじめて聴いたのは、CDの時代になってからの1990年頃で、ヴァント指揮のケルン放送交響楽団(独ハルモニア・ムンディ)の録音でした。EMI傘下に入る前のバラ売りのCDで、ヴァントらしいあまりロマンティックな演奏では無かったので後にインマゼール盤で聴いても隔世の感という程の違和感はありませんでした。今改めて聴いていると、「シューベルトのコントラストを重んじた」という強弱は、ごく自然に感じられて、強調し過ぎとか、尖鋭化しているとは思えません。また楽器の音色も丸みを帯びながら、流麗に響いています。方法論を優先させたものではなく、あくまで作品自身のための演奏スタイルなのだということが今更ながら実感させられます。

交響曲第1番ニ長調 D.82
第1楽章:Adagio-Allegro vivace
第2楽章:Andante
第3楽章:Menuetto.Allegro-Trio
第4楽章:Allegro vivace

111220a  交響曲第1番は1813年、シューベルトが16歳の時の作曲でコンヴィクト在学中の作品です。コンヴィクトの音楽教育はあのサリエリが責任者で、シューベルトも直接授業を受けました。シューベルトの作品に対して、ハイドンやモーツアルトの影響が強いと批判されていました。コンヴィクトは寄宿制の学校でシューベルトはそこで聖歌隊だけでなく、学生オーケストラに所属していました。後者は雑用から始めて、第2ヴァイオリン、指揮も兼ねたコンサートマスターになりました。雑用の主なものに楽譜の書き写しがありましたが、楽譜が貴重な当時としてはその写譜の作業がシューベルトにとって良い勉強にもなっていました。そのコンヴィクトを1813年に卒業するので、交響曲第13番は卒業記念として校長のJ.ラングに献呈して演奏してもらうために作曲しました。第1楽章のアレグロ・ヴィヴァーチェの部分は既にシューベルトらしい主題のメロディが際立っていて、先人の模倣という批判はもう当らないだろうと思えます。

 今日のお昼に思い出してクリスマスケーキの予約をしました。自分自身は別にケーキが無くても寂しくもありませんが、あるとわずかな金額でなんか特別なことをしたような雰囲気を演出できるのでありがたいものだと思い、ここ数年同じ店で買っています。旗竿状の敷地に建つ古民家でケーキの製造販売・カフェを営業しています。ヨーロッパのクリスマス菓子といえば日本で普及しているデコーレションケーキとは限らず、地方毎に多様なものがあります。というよりこういう、円いデコレーション・ケーキのルーツはどこなんだろうと思います。一度、大きなクリスマス・ケーキではなく、ショート・ケーキを一人2個ずつの割当で買ったことがありましたが、有難味が薄いのか評判は良くなかったので、以後マンネリでも今しか売っていないのが分かるクリスマス仕様のケーキで通しています。

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4 8月

クレンペラー シューベルト交響曲第8(9)番

シューベルト 交響曲 第9番 ハ長調 D.944「グレート」


オットー=クレンペラー 指揮
フィルハーモニア管弦楽団
 

(1960年11月16-19 録音 EMI)


 クレンペラーが残したシューベルトの録音は少なく、EMIへのセッション録音に限れば交響曲第5番、8番、9番の3曲だったと思います。未完成交響曲はその後、ウィーンPO、バイエルン放送SOとのライブ録音があって結構有名でした。と言ってもそれらのライブ録音が出て来たのはCDの時代になってからで、例えば1980年代前半でクレンペラーのシューベルトを国内盤LPで聴こうとしてもなかなか店頭には無く、かろうじてドイツ盤を入手して聴けました。国内盤なら1枚当たり1500円の「クレンペラーの芸術」シリーズがあったはずですが店頭で見たことはありませんでした。
 

①14分35,②14分57,③9分54,④12分42 計52分28


  この録音のトラック・タイムは上の通りで、実際聴いていると数字以上に長く感じてしまいます。この録音が最初にCD化されたのは1991年(手元にあるのはドイツ盤)で、未完成交響曲とカップリングされています。個人的にはクレンペラーのシューベルトは、圧倒的に未完成交響曲の方に魅力を感じていて、このグレートの方は最後まで聴くには余程集中して、気合を入れなければと思っていました。今回改めて聴いていると、特に第3楽章、終楽章が素晴らしく、いつものクレンペラー特有の響きを堪能できます。
 

 先日のベンジャミン・ザンダーとフィルハーモニア管のブルックナー第5番の回で、ザンダーが「ブルックナーの第5番がシューベルトの音楽に近いものであることを知り、その音楽の歌謡性を実現するためには、現代の一般的な解釈では遅すぎるため、活発で推進力を持ったテンポを選んだ」と述べているのを確認しました。その考えの適否はさて置くとして、仮にかなり的を得ているとするならシューベルトの交響曲、とりわけこのグレート交響曲にも該当する話と言えるでしょう。クレンペラーはブルックナーの第5番の素晴らしい録音(セッション、ライブ共に)を残していますが、どうもザンダーの指摘するようなテンポでは演奏していません。そのせいか、当初クレンペラーによるフィルハーモニア管とのブルックナー第5番のレコードは、はね付けられるような圧倒されるような感覚で気軽に楽しめるものではありませんでした。この点は今回のグレート交響曲と同じで、その頃(80年代)は同じ曲のシューリヒト、南西ドイツ放送SOのLPも補うように聴いていました。
 

ヴァント・ミュンヘンPO(1993年
①14分13,②16分23,③10分53,④12分16 計54分45

 ギュンター・ヴァントはブルックナーの他にシューベルトもよく演奏していて定評があり、グレート交響曲も何種類も録音が出回っています。上期はミュンヘンPOとのライブ録音で、クレンペラーと比べて意外にも長い演奏時間です。(リピートの有無とかが関係しているのかもしれませんが)今回のクレンペラーの録音が特別に異常ではないことがうかがえます。
 

1楽章:Andante. Allegro ma non troppo
2楽章:Andante con moto
3楽章:Scherzo. Allegro vivace
4楽章:Finale. Allegro vivace

 第1楽章冒頭はホルンの旋律で始まります。同じホルンでもマーラーの第3番のように高らかに響くという程ではありませんが、どことなく似ていてどこかの大学の応援歌「紺碧の空」のメロディを思い出させます。ブルックナーの作品について、シューベルトとの親近性が取りざたされることがしばしばあり、ブログを書きながらCDを聴いていると最近になって特にそれが実感されます。この録音の国内盤CDの解説にもブルックナーとの共通点について指摘があります。この曲では特に第3、第4楽章の流れがブルックナーに似ています。人物としてもどちらも教員の仕事をした経験があり、独身のまま生涯を終えています。

  この曲は1828-26年にかけて作曲されたけれど作曲者の生前は演奏されず、没後10年以上経った1939年にライプチヒでメンデルスゾーンの指揮で初演されています。シューベルトは曲の完成後にウィーン楽友協会へ楽譜を送ったところ、演奏できないとされて判断されました。ブルックナーの作品にありがちな悲哀で、やがてシューベルトが亡くなったので完全にお蔵入り状態になりました。演奏されなかったのは演奏には50分から1時間近く要するため、長すぎると判断されたのも原因だったようです。1939年頃にシューマンがシューベルトの墓参と生家を訪問した時にこの曲を見つけて、ライプチヒでの初演にこぎつけたとされています。

 現在シューベルトの交響曲で、未完成の作品は通称「未完成交響曲」だけを作品として数えて、グレートが第8番として、未完成交響曲を第7番とすることになっています。ちなみにこの録音のドイツ盤(1991年発売)では「交響曲第9番」と書いてあり、国内再発売盤(2005年発売)では「交響曲第7番」という表記になっています。9番という数え方は、未完成の交響曲を2つ含めて9曲目という意味で、7番という数え方はシューベルトの交響曲のうち、完成されたものだけで7曲確認されていてその最後だから、という意味で第7番としていました。なお、シューベルトの作品で、通称グムンデン・ガスタイン交響曲が、楽譜の所在が不明と言われてきましたが、研究が進み「グレート交響曲」がそれに当たるという見解が有力になっています。そのことも含め、未だに表記が混在しているので、純学問的には確定されていないのかもしれません。

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raimund

昭和40年代生まれ、オットー=クレンペラーの大フアンです。クレンペラーが録音を残したジャンルに加え、教会音楽、歌曲、オペラが好きなレパートリーです。

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