raimund

新・今でもしぶとく聴いてます

ベートーベンSym.8

6 3月

ベートーヴェン交響曲第8番 マズア、ライプチヒ/1992年

220306bベートーヴェン 交響曲 第8番 ヘ長調 作品93

クルトー・マズア 指揮
ライプチヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団

(1992年2月5-7日 ライプチヒ,新ゲヴァントハウス 録音 PHILIPS)

 一昨年の2月、日本も新型コロナの感染者が出はじめたた頃、自分もちょっと風邪の症状が出たのでいよいよかと思ったものでした。しかしそれ以来全く風邪にかかっていなくて二年近く経ちました。ふと気が付くとメンタル面で何をするのも億劫なという退行的な気分が隅々まで染み入ったるような妙な気分になっています。旅行なんか終生行かないんじゃないかという面倒くさい気分で、日本国内でも東日本は葛飾までしか行ったことがないのに、この分では東北、北海道も行かず終いでいいかなと思ったところでした。先日六角精児が出演する鉄道系の番組で音威子府駅の蕎麦屋が出て来て、一瞬だけ出かけようという気力が復活したことがありました(それからカチャカポコナも気になり・・・)。

 クルト・マズアとライプチヒゲヴァントハウス管弦楽団によるベートーヴェン・チクルスが新たに始まるという情報が出た時、何となく期待をもって読んだ覚えがあります。当時ベートーヴェンの交響曲はサヴァリッシュはコンセルトヘボウでヨーロッパのオケだけれど、ドホナーニ、ムーティ、ショルティと軒並みアメリカのオケでベートーヴェンをレコーディングし出して寂しい(東洋人のくせに妙なことを言う)思いをしていました。ドレスデンはブロムシュテットやコリン・デイヴィスだったので、ドイツ語圏の指揮者でドイツのオーケストラを指揮して堂々と、盛大に鳴らすベートーヴェンは無いものかと勝手に思っていました。

 これは中古で購入した国内盤CDでフィリップスのマークが付いた妙に懐かしいデザインです。旧録音の第8番がどんな感じだったかよく覚えていませんが、今回の第8番は他の交響曲と同一路線というのか、第8番だけ裏路地の一軒という特別扱いでなくて堂々とした内容になっています。と言いてもカップリングの第3番の意外な程の簡素さを先に聴いたから、第8番もさぞと思ったから、それほどでもなかったという予断もありました(今回はあえてトラックタイムは列記しない)。

 マズアの二度目のベートーヴェン・チクルスは、使用楽譜が従来の「ブライトコップ&ヘルテル版」に代えて当時最新の「新ペータース版(第5番がペーター・ギュルケ、他の八曲はペーター・ハウシルトが校訂)」を採用して演奏したことで話題になっていました。その点について付属冊子にも載っています。ブライトコップ版でスタッカート(・)と記されているものの大半が新ペータース版では「垂点( I )」になり、スタッカートよりも鋭く、又は短く演奏される(作曲者自身がそのように区別していたという)べきとなっています。その結果第5~7番では違いが目立つようですが、少なくとも第8番はあまり変化が無いようで、それは上記の感想と重なります。第8番はメンゲルベルクの古い録音とクレンペラーのEMI盤が印象に残っているので、今回これを聴いてもそれらを打ち消すほどのインパクトはありませんでした。ただ、これが新譜で出る頃のことがちょっと思い出されました。
1 7月

クレンペラー、ACOのベートーヴェン交響曲第8番/1949年

210701aベートーヴェン 交響曲 第8番 ヘ長調 作品93

オットー=クレンペラー 指揮
アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団
(ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団)

(1949年5月1日 アムステルダム,コンセルトヘボウ大ホール 録音 Otto Klemperer Film)

210701 つい先日のこと、鴨川にかかる橋を渡った時に河原には川床が出ていて、どれくらい客を入れられるのか分かりませんが、とにかく夏なんだと思って西側へ渡りました。それから京都市役所本庁舎の裏を歩いていると、時代劇に出て来る虚無僧の衣装を着て尺八を吹きながら歩く人を見かけました。たしか普化宗は明治になって廃絶となったと読んだことがあったので「~の衣装を着た」と書いたところ、調べると何と1950年に宗教法人として再興されたそうで二度驚きました。ということは自分が見たのはコスプレやテレビの収録でなくて本物の普化宗の僧侶だったのでしょう。どうりで通行人が何もリアクションをしなかったわけだと改めて思いました。

210701b クレンペラーがEMIへ実際にレコード録音し始めたのは1954年からで、第二次大戦後に限ればそれ以前のセッション録音はVOX社へのウィーン交響楽団、コンセール・ラムルー管弦楽団と、SPレコード時代の正体がはっきりしないパリ・プロムジカと表記される団体との録音くらいでした。VOX社のレコードは大半が1951年の録音で、パリ・プロムジカは1946年の録音となっています。先日発売されたクレンペラーとACOのSACD集の中には1947年、1949年と1951年の公演が6枚/24枚に渡って収録されています。この1949年5月のベートーヴェン第8番はクレンペラーがACOと行ったベートーヴェンの交響曲全曲演奏、チクルスの一度目(ACOとは1949年、1951年、1956年、1958年の四度チクルスを行った)の中の公演でした。

 SACD集の解説日本語訳のアムステルダムでの一度目のベートーヴェン・チクルスについて、1817年に作曲者によるメトロノーム指示に忠実に従っている、例えば約40年後のロジャー・ノリントン指揮、ロンドン・クラシカルプレイヤーズの演奏よりも忠実に従っていると指摘しています。このクレンペラーのベートーヴェン演奏の姿勢はリハーサル時のエピソードに端的に示されています。メンゲルベルクが使っていたスコア、彼による多数の書き込みがあったスコアを引ったくり、投げ捨てて、「これはスコアではない、小説だ!」と叫んだそうで、それからACOにあったパート譜の修正を全部取り除くようにと要求しました(後年にブルックナーの第8番であんなことをしているのに「どの口が言う」と)。この姿勢は後に、1960年のウィーン芸術週間のベートーヴェン・チクルスの際に「真にオーセンティックな」と評された演奏にそのまま貫かれています。

~ クレンペラーのベートーヴェン第8番
ACO/1949年5月(拍手、空白の部分を除外)
①08分46②3分22③4分31④7分00 計23分39
フィルハーモニアO/1957年EMI
①09分47②4分28③5分16④8分15 計27分46
ベロミュンスターRO/1960年4月
①10分09②4分21③5分15④8分19 計28分04
フィルハーモニアO/1960年6月:ウィーン
①09分53②4分17③5分03④8分00 計27分13

 
これらの第8番の中では演奏時間が一番短く、確かに駆け抜けるような感覚はあるものの、しかしEMIのセッション録音と別のスタイルという感じは無くて、ぶれない姿勢、スタイルのようなものは強く感じさせられます。優雅な、こじんまりしたシンフォニーというものではなく、間違いなく第九やエロイカと同じ作者の作品だという圧力で迫ります。1949年のチクルスの第九公演後の客席の反応についてのハンス・ライヒェン・フェルトの回想が引用されていました。「非オランダ的な感覚を味わい/演奏が終わっても誰も帰ろうせず、見知らぬ者同士のように互いに言葉をかけ合い、自分たちに取りつかれた魔法について言葉に詰まりながら語ろうとしました/みんな完全に困惑し、目を潤ませ、喜びの笑い声を上げました」と。

 そしてクレンペラーについては、「指揮台にはこの巨人クレンペラーが立っていました/彼はしばらくの間、熱に浮かされたような賛辞の嵐が渦巻くのを不機嫌そうに許したあと、素っ気なく立ち去りました/それは礼儀作法に反する反抗、わんぱく小僧のような抗議でした/そして私たちはこの彼の異常な反応を本能的に理解しました/彼はそうやって、それまで保っていた超人的な集中力を発散したのです」と。これを読んで「クレンペラーとの対話(P.ヘイワーズ篇・白水社編刊)」の中で、クレンペラーがカラヤンについて言及した部分を思い出しました。カラヤンがアムステルダム・コンセルトヘボウでブルックナーの第7交響曲を指揮した後、客席からの拍手受けるために、両手を広げて、ほうぼうにお辞儀をしながら戻って来るのを見て、芝居がかっていて滑稽だと言っていました。こんなに恰好を付ける必要があるのかわからないと言っていました。まったくクレンペラーとは正反対の演奏後の姿です(礼儀のことはともかくとして)。


31 12月

ベートーヴェン交響曲第8番 ワルター、NYPO/1949年のLP

201231ベートーヴェン 交響曲 第8番 ヘ長調 op.93

ブルーノ・ワルター 指揮
ニューヨーク・フィルハーモニック

(1949年3月13日 カーネギーホール 録音 ライヴ放送 独PHILIPS

 
今日で2020年も終わりです。更新頻度は低下しましたがなんとか一年間継続できました。2010年2月から始めたこのブログ、OCNからライヴドアに移行して11年目に入っています。過去を振り返ると不平不満が多い程更新意欲が強かったようで、50代に入ると諦めの感情が漂い、エネルギーもなくなってきました。ともかくこの一年閲覧していただき、コメントを寄せていただきました方々には改めて御礼を申し上げます。コメントが新着した通知がなぜか届かないことがしばしばあり、気が付くのが遅れることがありました。あるいは気付かないまま埋もれたままのものがあるかもしれません、もしそうなら誠に申し訳ございません。来年もこのくらいの頻度で更新できるか、すっかり休止の三分割目の「拾~」の方の頻度を上げるか、とにかく生きている限り全く捨て置くことにはしない所存です。

 今回は大晦日に特にふさわしい作品ではなもないベートーヴェンの交響曲第8番です。
これはワルターの二度目(戦前には全曲までは録音していないはずだけれど、どこかに二度目と書いてあった)のベートーヴェン交響曲全曲録音の一枚で、第7番とカップリングされて一枚のLPに収まっています。ただ、CD化された全集には演奏、録音データが「1942年4月18日」と表記されてあります(LPでカップリングの第7番は同じ日)。このシリーズのオーケストラは交響曲第6番だけがフィラデルフィア管弦楽団、あとは全部ニューヨーク・フィルハーモニックです。

 戦前のSPやステレオ盤のコロンビアSOに隠れて地味な存在かもしれませんが内容は素晴らしいものです。第7番は「荒れ狂ったベートーヴェンだ」とか、「~息をのむばかりだ」というフレーズが頭の中でチラ付き、古くから名演との評判だったようです。LPの方はフィリップスのマークが付いてフェルメールの絵画で統一されたジャケットです。まとめてCD化されたことがあるようでしたが、このLPを聴くまで一度も聴いたことはありませんでした。

 第7番ほどの奔放さではないものの第8番だけを特別視する風な演奏でもなさそうです。全集化されたCDの紹介には「
ステレオ時代の恰幅の良い再録とはまた違った魅力」と書かれてあります。その評からすれば最後のステレオ録音は「あたたかい、微温的、微笑み~」という評判一色ではないようです。いずれにしても第8番もモワルターもそう単純なものではないと改めて思いました。1920年代、ワルターがベルリンでオペラを指揮していた頃、それ以前のマーラーが健在だった頃にベートーヴェンの第8番をどんな風に指揮していたことかと思いました。
22 12月

ベートーヴェン 交響曲第8番 ワルター、コロンビアSO/19858年

201221ベートーヴェン 交響曲 第8番 ヘ長調 作品93

ブルーノ・ワルター指揮
コロンビア交響楽団

(1958年1月8,10,13日,2月12日 ハリウッド,アメリカン・リージョン・ホール 録音 SONY CLASSICAL)

 京都市内の飲食店では21日、月曜から営業時間短縮要請となりました。クリスマス、降誕節というよりも年末年始のこの時期に直撃を受けることになります。そもそも自分も感染しているのではないかという不安は段々高まってきます。ところでコロナ禍の今年、対策を講じる側がこの国の住民の民度が高いだの、そういうことを発信していたことがありました。民度のことは分かりませんが、便所へ行った後の手洗いは男子便所に限ればほめられたものじゃないと常々思っていました。財務大臣や与党幹事長かそれよりも干支で一回り以上若いくらいの人で、かなり身なりがよさそうな(金目の服装、靴、時計)人が公衆便所で用をたした後、平然と手を洗える洗面台のところを一顧だにせず通り過ぎるのをしょっちゅう見ていました。つまり、自分の砲身を直に触れた手を洗わずにそのまま出ていくということでちょっと唖然とします(その手が次にふれるのは何か・・・)。

  今年はベートーヴェンのメモリアル年ということでコロナ禍にあっても特集番組をちょくちょく見かけました。ベートーヴェンの作品中でNO.1の投票を募集したら、やっぱり第九だったと帰宅途中に車中で聴いた番組で言っていましたが、一曲手前の第8番はどんな具合だっただろうと思います。個人的には今年交響曲第8番に親近感、名作感が急に高まった気がしています。それでワルター箱に入っているコロンビアSOとの第8番を聴きました。ワルターの最晩年のベートーヴェンは第6番を筆頭に、第2、4番あたりはそこそこ永く好評だったと思います。それでは第8番はどうだったか、どうもあいまいです。ワインガルトナーの古い音源やらハンス・シュミット=イッセルシュテット辺りが定番的だったようですが、それは第8番だけは別世界的という見方だったからではないかと今更ながら思います。

 改めてこれを聴いてみると、ワルターの場合は第8番を別物の小品的、小洒落た曲という扱いじゃないようでエロイカとかと同じ路線という感じの堂々とした内容だと思いました。そういう意味では今年の好みに合って、「ああベートーヴェン」としみじみとした感慨にひたりました。この時代のオケ編成やら録音会場の影響かもしれませんが、ウィーンで指揮をしていた時期がそこそこあったワルターなのに、1950年代のモノラル録音のベートーヴェンを思い起こさせる演奏でした(こういう定評だったかどうか分かりませんが)。

 演奏時間、トラックタイムは主題反復の有無で変わってきますが、セルとベームよりは短い合計時間でありながら第2、4楽章は長くなっています。終楽章はクレンペラーよりも長くなっていますが、合計でも1分半ほどの差なのでなんとも言えないところです。作曲者の記したメトロノームに忠実に従ったとされるレイホヴィッツよりも約2分の差です。何にしても古楽器、その奏法の影響が強い現代にあっては「古い」時代のベートーヴェンということには違いないのでしょう。

ワルター・コロンビアSO/1958年
①7分36②4分19③5分46④8分37 計26分18

レイホヴィッツ・ロイヤルPO/1961年
①9分08②3分45③4分27④6分52 計24分12
モントゥー・VPO/1959年
①9分47②3分34③4分55④7分22 計25分38
セル・CLEO/1961年
①9分40②3分46③5分25④7分47 計26分38
ベーム・VPO/1972年
①9分43②4分16③4分57④7分58 計26分54
アンセルメ・スイス/1963年
①9分58②3分53③5分22④8分01 計27分14
H.S.イッセルシュテット・VPO/1968年
①9分57②3分54③5分09④8分06 計27分16
クレンペラー・PO/1957年
①9分47②4分28③5分16④8分15 計27分46

 昔、大阪のどこかの大学で教えつつ、中之島やらのオフィス街でギリシャ語と聖書の講座のようなものを開いていた人が居たそうで、自分のファーストネーム、蔵之介か倉之助(内蔵助ではないだろう)という財物を貯蔵する「くら」という字が含まれることを嫌い、「炉草(ろそう)」という字名を使っていたとききました(福音書の「今日は野に在って明日は炉に投げ入れられる野の草」、からとったとか)。その先生が第九の直前の交響曲が素晴らしいと言っていたと母からきいたことがありました。第8か第7のことだと思いますが、仮に第8番を単独で指していたならかなり個性的な見方だったと、昭和20年代だったので余計にそう思えます。

 
15 10月

ベートーヴェン交響曲第8番 朝比奈隆、大PO/1997年

201015ベートーヴェン 交響曲 第8番 へ長調 作品93

朝比奈 隆 指揮
大阪フィルハーモニー交響楽団

(1997年5月25日 大阪,ザ・シンフォニーホール ライヴ録音 CANYON/Octavia Exton)

 何年前だったか、今世紀の初め頃に南山大かどこかの司祭の講演を聴いたことがありました。話の枕に世の中どんどん保守化しますよ、していますよ、というくだりがあり、当時は「またまた大げさな」くらいに思っていました。ここ何年かの、抜身のまま権力をぎらつかせる振る舞いが目立ってくると、それが保守
化なのか右傾化なのかはともかく、講演の話に少し合点がいく気がします(肝心の講演はどんな内容か覚えていませんが)。昨夜は件の学術会議の話、ラジオのニュースではいつのまにか制度、あり方にすりかわっていて、「欧米の学術会議のような機関は~」という提起をして(憲法とか人権の分野では欧米とは違うと言いたがるのに)いるのには感心しつつすぐに別番組に変えました。

 今月の初めくらいだったか、朝比奈、大フィルのエロイカを聴いていた頃、昼間に御池通だったか二条通だったかを歩いている時に頭の中でふいにベートーヴェンの第8交響曲が断片的に流れてきました。それがかつてないほど霊妙で神々しいように聴こえ(あくまで頭の中、実際にそのあたりから聴こえてきたわけじゃない)、この作品も九曲中他の八曲と同じく同じく本流の作品だなと実感しました。これまでは例えば阪急で言えば西宮北口から今津までの区間の今津線、京阪なら枚方市から出ている交野線のように、第8番だけ本線から枝分かれしたような作品という、別口という意識がありました。それが、前晩の食べ合わせが悪かったのか、体調が悪かったのか突然交響曲第8番も立派で深遠な、ヲタが時々使う精神性(個人的にこの言葉は嫌いだけど)という語を冠しても良いようなものだと思い出しました。

交響曲第8番 ヘ長調 作品93
第1楽章 Allegro vivace e con brio ヘ長調
第2楽章 Allegretto scherzando 変ロ長調
第3楽章 Tempo di Menuetto へ長調
第4楽章 Allegro vivace ヘ長調

 この朝比奈隆の六回目(towerレコードの広告にそう紹介してある)全集の第8番が特にそういう路線の演奏なのかどうか分かりませんが、最近購入したのでとりあえずこれを聴きました。1996,97年の大阪PO・シンフォニーホールの全集が六回目だとすると2000年の大阪フィルの全曲録音は何度目にあたるのか、とにかく朝比奈晩年の第8番は聴いてみると堂々たる威容で、優雅でこじんまりとしたスタイルと対極です。それとは裏腹に、えも言われない心地よさに終始包まれて、木管のパートが所々鮮明になり、シューベルトのグレイトに冠される天国的という言葉がふさわしい気がします。CD付属の解説には朝比奈の従来の第8番と少々違う、特徴のない表現としてあっさりと触れて他の曲の解説に移っているのが意外でした。

 自分にとってこの曲の特別な録音はクレンペラー、フィルハーモニア管弦楽団のEMIですが、そのクレンペラーはかつてある若手指揮者がザルツブルクでベルリン・フィルを指揮する際に、この曲の練習をあまりやらなかったことに苦言を呈していました。バルトークのオケ・コン、R.シュトラウスの「四つの最後の歌」とベートーヴェンの第8交響曲というプログラムの中でベートヴェンが一番難しい曲なのは確かなのに(練習が少ない、直前の演奏なのに全然良くないetc)と言っていました。それはそうと、先日急に自分の頭の中で流れた第8番はどんな内容だったのか、かつて聴いたことのある演奏が材料になっているはずなので、過去記事であつかったものも聴きなおそうかと思いました。
29 10月

ベートーヴェン交響曲第8番 モントゥ、ウィーンPO/1959年

191029ベートーヴェン 交響曲 第8番 へ長調 作品93

ピエール・モントゥー 指揮
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

(1959年4月15,22日 ウィーン,ゾフィエンザール 録音 DECCA)

 時々思い出したように特定の曲を聴きたくなることがあり、先日ウレンペラーの映像を観ていると急にベートーヴェンの第8番が頭の中をちらほらし出しました。それなら続けてクレンペラーの1970年、チクルスを視聴すればいいところでしたが、その少し前にモントゥー「春の祭典」を聴いていたので約60年前のモントゥーのベートーヴェンを思い出しました。モントゥーのベートーヴェンと言えばクレンペラーの逸話の一つ、クレンペラーがウィーンのレコード店をVOXレコードのメンデルスゾーン社長と訪れて自身の田園のレコードを買おうとした際に在庫が無く、店員が他の指揮者のレコードを薦めてその中にモントゥーの名前も出ていました。十代の頃それを読んでモントゥーもそこまでの(クレンペラーのレコードは在庫無しなのに)人物なのかと思いました。

モントゥー・VPO/1959年
①9分47②3分34③4分55④7分22 計25分38
H.S.イッセルシュテット・VPO/1968年
①9分57②3分54③5分09④8分06 計27分16
ベーム・VPO/1972年
①9分43②4分16③4分57④7分58 計26分54
アンセルメ・スイス/1963年
①9分58②3分53③5分22④8分01 計27分14
レイホヴィッツ・ロイヤルPO/1961年
①9分08②3分45③4分27④6分52 計24分12
セル・CLEO/1961年
①9分40②3分46③5分25④7分47 計26分38
クレンペラー・PO/1957年
①9分47②4分28③5分16④8分15 計27分46

 実際に聴いてみると稀に聴ける鮮烈なベートーヴェン第8番で内心驚きました。シューベルトの交響曲を速目に演奏したような爽快さながら、演奏時間をみるとルネ・レイホヴィッツ程ではなくて特に突出していません。それだけでなく、九曲の交響曲の中で第8番だけが何となく異質なものという感覚が多少ありましたが、このモントゥーの演奏ではそんなことはなくて、第7番からの繋がり、連続を感じさせられます。これを聴いたタイミングのおかげでこんなに好感を覚えるのかもしれませんが、この爽快さとベートーヴェンらしい感じの両立は例外です。

 モントゥーのベートーヴェンは、タワーレコードの企画で九曲まとめて2014年に復刻されていて、第1、3、6、8番をウィーン・フィルと、残りをロンドン交響楽団とのセッション録音でした。
ちなみにレコ芸編の「名曲名盤500」の最新合本版(2017年)のベートーヴェン交響曲第8番では末尾にモントゥーとウィーンPOが挙がっていました。再発売のタイミングにも影響されるとしても、ここれだけ多数のベートヴェン交響曲全集がある中で60年近く経っているので大したものでした。

 付属冊子にの解説によると、1956年に英EMIが米キャピトルを買収したのを契機にRCAとDECCAが提携するようになったそうで、それからパリ、ロンドン、ウィーンでモントゥーのレコード録音が始まりました。それまではライナー、ミュンシュの陰に隠れて人気が無かった(売れない)というモントゥーのベートーヴェン録音も実現したそうです。ライナー、ミュンシュとそんなに格差があるとは意外ですが、二人がシカゴ、ボストンと東海岸のオケの首席だったのに対してモントゥーはサンフランシスコだったので仕方ないとも言えそうです。

22 10月

ベートーヴェン交響曲第8番 ヨッフム、ベルリンPO/1958年

181022bベートーヴェン 交響曲 第8番 ヘ長調 Op.93

オイゲン・ヨッフム 指揮
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

(1958年4月30日,5月2,5日 ベルリン,イエス・キリスト教会 録音 DG)

181022a 今朝御池通の地下駐車場から地上に出ると、通りの歩道に沿って観覧席が用意されていて今日が時代祭りだったことを思い出しました。たしかいくつかの装束が新調されたとニュースで言っていたので、午後になって二十年ぶりくらいで行列の近くまで行って少しだけ見ました。大原女の一隊が近づいたところで帰りましたが、平安神宮のところで馬が暴れてけが人が出たそうで何かゲンクソ、否、縁起がもうひとつ良くない感じで、天災がまだ打ち止めじゃないようなと一瞬頭をかすめました。しかし元より根拠が無いことなので頭をかすめなかったことにしようと思いなおしました。

 これはオイゲン・ヨッフム(Eugen Jochum 1902年11月1日 - 1987年3月26日)
がドイツ・グラモフォンへ録音したベートーヴェンの交響曲・全曲録音の中の第8番で、第2~4番、第6~8番の六曲がベルリン・フィル、残りの三曲がバイエルン放送交響楽団という使い分けで録音していました。ブルックナーと同じパターンで、どうせならどちらかのオケに統一できなかったのかとこの場合も思いました。ちなみにヨッフムはこの後に二度もベートーヴェンの交響曲を全曲録音していました。二度目がアムステルダム・コンセルトヘボウO、三度目がロンドン交響楽団(先日ロンドン・フィルとどこかで言及したのは間違いでした)と約10年くらいの感覚で録音しています。

 さてこの第8番は堅固な砦のようなイメージの演奏で、第8番も他の作品と同じ路線と同じ作品だと強烈に感じさせるものでした。たまたま直前にハンス・シュミット=イッセルシュテット(Hans Schmidt-Isserstedt 1900年5月5日  - 1973年5月28日)とウィーン・フィルのベートーヴェン第8番を聴いていたので、その幾分優雅な演奏とウィーン・フィルの音色と多少的で余計にヨッフムとベルリンPOの特徴が際立ちました。

ヨッフム・BPO/1958年
①10分07②4分10③5分19④7分41 計27分17
H.S.イッセルシュテット・VPO/1968年
①09分57②3分54③5分09④8分06 計27分06
ベーム・VPO/1972年
①09分43②4分16③4分57④7分58 計26分55
クレンペラー・PO/1957年
①09分47②4分28③5分16④8分15 計27分46
セル・CLEO/1961年
①09分40②3分46③5分25④7分47 計26分38

 ヨッフムと言えば実際に聴いていなくても、ブルヲタではなくても二度も交響曲を全曲録音したブルックナーをまず連想することが多いだろうと思われ、その演奏は堅牢な構築物のよう威容というよりも、軽快とまでは言えなくても流動感のある奔放なスタイルなのでこのベートーヴェンはちょっと意外です。というよりもヨッフムはブルックナーといくつかのオペラ全曲盤か宗教曲しかじっくり聴いていなかったので、どういうスタイルかよく分かりませんでした。繰り返して聴くと、ヨッフムの一回目のブルックナー全集の内容と少し似ているかなと思えてきました。
29 5月

ベートーヴェン 交響曲 第8番 ド・ビリー、ウィーンRSO/2009年

180529ベートーヴェン 交響曲 第8番 ヘ長調 Op.93

ベルトラン・ド・ビリー 指揮
ウィーン放送交響楽団

(2009年6月24-26日 ウィーン,Studio 6,ORF Funkhaus 録音 Oehms)

 ベルトラン・ド・ビリー(Bertrand de Billy 1965年1月11日 - )もN響に客演したことがありましたが、ウィーンを去ってからあまりニュースを目にしなかったのでオフィシャル・サイトのスケジュールを見ました。最近はニューヨークのメトロポリタン歌劇場でルイザ・ミラーやトスカを指揮している他、パリやワイマール、デンマークでコンサートを指揮して、7月にはミュンヘンでさまよえるオランダ人を振る予定になっています。ウィーンに居た頃とちょっとレパートリーが違って来ているようで、ベートーヴェンやモーツァルトの演奏、上演頻度となるとウィーンは特別なのかとも思いました。まだ50代前半なのでこれからの活躍が期待されます。

 これはウィーン放送交響楽団と進めていた(まだ継続??)ベートーヴェンのシリーズですが、その中で特に魅力的だと思いました。ベートーヴェンの交響曲をピリオドオケ以外の通常のオーケストラが演奏する場合、特に今世紀に入ってからは楽器、奏法の面でピリオド楽器の要素を取り入れるなりして何らかの影響下にあることが多いはずです。あまりその要素を意識して強調すると強弱のアクセントが目立ち過ぎたり速過ぎたりして、優雅なとかそういう感覚を楽しみ難いのではと、今回これを聴いて再認識しました。
この録音を聴いていて主な旋律以外の色々なパートがよく聴こえ、交響曲第8番はベートーヴェンの交響曲の中でも特にそんな側面がある気がして、他の有名曲に負けない内容のあるものだと思いました。

 ウィーン放送交響楽団は、オーストリア放送交響楽団を改名したものでかつてはウィリー・ボスコフスキーの下でウィンナ・ワルツを演奏、レコード録音したウィーン・ヨハン・シュトラウス管弦楽団とメンバーの多くが重なっていたそうなので、改名してウィーンの名を冠するだけのことはあるのだと思いました。この録音も同オケあっての感銘度なのかと思い、どうせなら残る第1、4、9番も収録して完結させてほしいところです。とりあえずは九曲の内で何故か偶数番号の方がより魅力的のようです。

 今回これを聴いたのは普段の装置ではなく、余剰機器を集めたものにFOCALのブックシェルフ・タイプのスピーカーを追加して2chのみの再生装置としたもので再生しました。SACDプレーヤーをデジタルのopticalケーブルで接続したころ、最初はディスクを入れても再生できなかったのでアナログ接続の方を選択して再生できました。これは周波数の違いなのか、通常のCDはデジタル接続を選んでも再生できたのでややこしいものです。FOCALはこのグローバル化の時代(本国の空洞化?)に珍しく、こういうエントリークラスの製品もフランス国内で製造しているそうです。聴いていると製品レビューにある特徴はなるほどその通りだと思い、意外にも器楽曲よりこれくらいの編成のオーケストラが快適に聴こえました。ただ、スタンドにスピーカー本体をネジで固定すような絵がユーザーマニュアルに載っているのに本体にはそういう孔が見つからず?でした(スタンドに乗っているだけでいいと思うから別に構わないが)。
13 8月

ベートーベン交響曲第8番 クレツキ、チェコPO/1967年

170813aベートーヴェン 交響曲 第8番 ヘ長調 作品93

パウル=クレツキ 指揮
チェコ・フィルハーモニー管弦楽団

(1967年2月21日 プラハ,ルドルフィヌム 録音 Supraphon)

  NHKテレビのEテレにETV特集という番組があります。昨夜は長崎の原爆、爆心地の浦上地区についてでしたが、その中で被爆して焼け残ったマリア様の御像を自分で複写、彫刻している人が紹介されました。その方も浦上で被爆し、戦後を生き抜いて来てヨハネ・パウロ二世の来日時の言葉「戦争は人間の仕業」に触れて被爆体験を語るようになったそうでした。番組最後に人類史上最初に無差別爆撃が行われた(1937年4月26日)スペインのゲルニカを訪れ、被爆マリア像を寄贈、奉献するところが映りました。都市に対して無差別爆撃と聞いてその時、重慶爆撃は?ととっさに思いましたが、それは1938年からであり、しかも厳密には最初から都市そのものを標的にしたものではないので、少なくとも「人類史上初」には該当しないと身贔屓的に安堵もしました。

170813b ベートーベンの九曲の交響曲の中で第8番が一番好き、第8番さえあればあとは要らない、というくらい愛好している人はどれくらいいるだろうかと、ちらっと思いました。自分自身は第6番、第4番が抜きん出て好きであとは周期的に色々変わります(第6番も十代の頃は今一つ好きじゃなかったが)。第8番の場合は短い曲の割に何故か喉につっかえて飲み込み難いような妙な感覚があって、ベートーベンの交響曲全集があっても聴く頻度は低い方です。

 パウル・クレツキとチェコ・フィルによるベートーベン交響曲全集も今回の第8番で最終回となりました。何となく在庫整理的気分で再生したところ、想像以上に感動的で従来のこの曲に対する個人的イメージが変わるような素晴らしさでした。単に聴いたタイミングでそんな風に感じるのかもしれませんが、全体を清流の水で洗浄してまだ水滴が付いているような新鮮さ、清澄さで、とかく人文的に何か誇大な概念か何かと結びつき易いベートーベンの作品にあってそんなことと無縁な純度とでも言えばいいのか、とにかく魅力の再発見といった感じです。

クレツキ・チェコPO/1967年
①9分31②3分47③5分04④7分28 計25分50
アンセルメ・スイス/1963年
①9分58②3分53③5分22④8分01 計27分14
レイホヴィッツ・ロイヤルPO/1961年
①9分08②3分45③4分27④6分52 計24分12
クレンペラー・PO/1957年
①9分47②4分28③5分16④8分15 計27分46
セル・CLEO/1961年
①9分40②3分46③5分25④7分47 計26分38
H.S.イッセルシュテット/1968年
①9分57②3分54③5分09④8分06 計27分16

 同年代の録音のトラックタイムと並べるとクレツキは速目、短めということになります。作曲者のメトロノーム指示を厳守したというレイホヴィッツよりは長い演奏時間ですが、リピート有無の問題があるとしても例えばスイス・ロマンド繋がりのアンセルメよりは1分半くらい短い合計時間です。それにしても「自己をどのように見せたいか、他者にどのように見られたいか」という「ドラマツルギー」をベートーベンは重視したと、ケント・ナガノのCD付属解説に書かれていましたが、そうだとすれば交響曲第8番について作曲者は何を盛り込んでいたことかと思います。
7 5月

ベートーベン交響曲第8番 クレンペラー、ベロミュンスターRO/1960年

170507ベートーヴェン 交響曲 第8番 ヘ長調 作品93

オットー=クレンペラー 指揮
ベロミュンスター放送管弦楽団
(Radio-Orchester Berom
ünster) 

(1960年4月24日 チューリヒ・ラジオ,スタジオ1 録音 Weitblick)

 「オットー=クレンペラー スイス・レコーディングズ」と銘打った(日本語帯付)1枚のCDが今年になって急に出てきました。しかも「ベロミュンスター放送管弦楽団」という見慣れない名前のオーケストラでした。クレンペラーは第二次大戦後、EMIレーベルへレコード録音をするようになってからスイスのチューリヒに定住し、そこで亡くなりました。ドイツに住めないというクレンペラーの考えと夫人の、ドイツ語が通じるところで住みたいという希望を要れてのことだったようです。だからクレンペラーがスイスの放送曲のオケを指揮していても不思議はなくて、むしろ今までほとんど出ていなかったのがおかしいくらいです。このCDは同じ日、1960年4月24日に録音した三曲、クレンペラーの自作「フガート(弦楽オーケストラのための)」、シェーンベルクの室内交響曲第1番、ベートーベンの交響曲第8番と1951年に録音したモーツァルトの「セレナータ・ノットゥルナ」の合計4曲が入っています。

 1960年といえば5月下旬から6月にかけて、クレンペラーがフィルハーモニア管弦楽団引き連れてウィーン芸術週間でベートーベンの交響曲を全曲演奏した年であり、このCDの4月24日ならば約1ケ月半前の時期にあたります。だからベートーベンの第8番がどんな感じになっているか気になるところです。ちょうど5月14日のクレンペラー誕生日が近づいてきたのでタイムリーなCDです。

ベロミュンスターRO/1960年4月
①10分09②4分21③5分15④8分19 計28分04
フィルハーモニアO/1960年6月:ウィーン
①09分53②4分17③5分03④8分00 計27分13
フィルハーモニアO/1957年EMI
①09分47②4分28③5分16④8分15 計27分46

  最初聴いた印象はウィーン芸術週間やEMIのレコードとちょっと違う、より即物的な冷たさが目立つ印象でした。特に第1楽章がそんな感じで、1950年頃のクレンペラーの演奏をテンポだけ遅くしたような、他に類似な録音が無いように思えました。ただ、ウィーンでのライヴの第8番を聴き直すと似たような感触でした。トラックタイムは合計でやや長目ながら大きくは違っていません(ウィーンでのライヴ録音は拍手部分をカット)。モノラル録音であり、リマスター処理の加減か弦が金属的な音に聴こえてちょっと物足らないので、余計に上記のような印象を受けたのでしょう。終楽章ではクレンペラーが気合を入れる短いうなり声が入っているのでいつも通りに気合が入った演奏のはずです。

 なお、ベロミュンスター放送管弦楽団は、1997年にバーゼル交響楽団と合併して消滅したバーゼル放送交響楽団の前身であり、1938年に「スイス放送管弦楽団」として発足して1949年にはチューリヒを拠点とした「ベロミュンスター放送管弦楽団」と名称を変更しました。その後1970年にバーゼルへ移転して「バーゼル放送交響楽団」となりました。CDの解説には1947年に創設と書いてありましたが、バーゼルのオーエストラのプロフィールでは上記のような説明が載っていました。
8 8月

ベートーベン交響曲第8番 アンセルメ、スイス・ロマンドO・1960年

160808ベートーヴェン 交響曲 第8番 ヘ長調 作品93

エルネスト・アンセルメ 指揮
スイス・ロマンド管弦楽団

(1963年1月 ジュネーヴ,ヴィクトリア・ホール 録音 DECCA)

 猛暑日の上に熱帯夜が続くので体調は最悪です。それにもかかわらず、夜の十時過ぎくらいになるとちょっと体が軽くなってきます。昨夜は卓球女子のシングルと柔道を交互に観戦しながら、程々にしてTVを消しました。卓球は石川選手が2セットを先取していながらちょっと足踏みしている状況でしたが、初戦は突破するだろうと勝手に気楽に思い込んでいました。ところが起きてみるとそうではなくて、つくづくオリンピックの試合の厳しさを目の当たりにしました(世界ランクも一発勝負にはあまり関係無いのか)。

 LPレコード初期から日本のフアンにとってアンセルメとスイス・ロマンド管弦楽団はフランスの作曲家、バレエ音楽、ロシア系の作曲家の作品が主なレパートリーという見方で固まっていたと思いますが、ベートーベンやブラームス、ハイドンの交響曲をまとめて録音していました。 8月の8日だから交響曲の第8番、ベートーベンの第8というこのところの惰性によって今回はアンセルメによるベートーベンの第8番です。昨日のシューリヒト、その前のクリュイタンスの録音と比べると音質は格段にきれいで(単純に良いとか言い難いが)、旧ヴィクトリア・ホールとデッカの威力かと改めて感心しました。

交響曲 第8番 ヘ長調 作品93
第1楽章 Allegro vivace e con brio ヘ長調 
第2楽章 Allegretto scherzando 変ロ長調
第3楽章 Tempo di Menuetto ヘ長調
第4楽章 Allegro vivace ヘ長調

 
スイス・ロマンド管弦楽団のアンセルメのあとに首席を引き継いだのがパウル・クレツキだったので、ベートーベン演奏でも似たものがあるかと思いながら第8番を聴くとかなり印象が違います。クレツキの方は別のオケ、チェコ・フィルだから違って当然ですが、クレツキの引き締まって過剰な響きを削ったような演奏、録音とは対照的でした。「風も起こらず波立たず 鏡のごとき黄海」 、のような磨き抜かれた弦や金管、特にホルンの音色が際立っていて、ベートーベンという名前といっしょに連想しがち?な荒々しさが後退した、そんな美しい第8番です。

アンセルメ・スイス/1963年
①9分58②3分53③5分22④8分01 計27分14
レイホヴィッツ・ロイヤルPO/1961年
①9分08②3分45③4分27④6分52 計24分12
クレンペラー・PO/1957年
①9分47②4分28③5分16④8分15 計27分46
セル・CLEO/1961年
①9分40②3分46③5分25④7分47 計26分38
H.S.イッセルシュテット/1968年
①9分57②3分54③5分09④8分06 計27分16

 トラックタイムを並べてみると、H.S.イッセルシュテットやクレンペラーと合計時間が近似しています。ベートーベンのメトロノーム指示を守った最初の録音、レイホヴィッツとは3分以上の差が出ています。実際に聴いていると時間の数値以上にゆったりとした演奏に感じられ、速さ以上になだらかな印象を受けます。高等学校で数学教師の経験を持つアンセルメも当初は作曲家を志しました。そして当時の作曲の価値としては、12音技法は頑として認めないという姿勢だったので後にそれを用いるようになったストラヴィンスキーとは絶縁状態になりました。一方でルネ・レイホヴィッツは、その12音技法の宣教者的な立場だったのでアンセルメとは逆の立場でした。
6 1月

ベートーベン交響曲第8番 アントニーニ、バーゼル室内O

160106bベートーヴェン 交響曲 第8番 ヘ長調 作品93

ジョヴァンニ・アントニーニ 指揮
バーゼル室内管弦楽団

(2012年7月4-6日 ルツェルン文化会議センター・コンサート・ホール 録音  Sony Classical)

 時々 twitterのアカウント にツイートがあったというメール通知が届きますが、使い方を忘れたままで、どう対処していいか分からずそのままにしてしまっています。今日たまたま自分のアカウントにログインできた際、地元選出の医系議員が引退云々というツイートが先頭に来ていました。後援会員でもなんでもないけれど、何度となく選挙の集会に行ったことがあって、十数年前か旧醍醐Pホテルへ行ったこともありました。そういう引退ツイートを見て、イイねとかするわけにもいかず、ただ感慨深いと思って見ていました。ところで、去年の大晦日にテレビ放映されたN響はけっこう評判だったようで、自分のまわりでも普段クラシックなんか関心が無く、演歌・カラオケ命な人も終楽章を聴いて涙が出てきたと言っていました。内心で第1楽章が好きとか、第3楽章までで完結しているという人も居ると思い出しながら水を差すようなことは言いませんでした。なにせ今回のN響第九は全然聴いていなかったので何とも言いようがなくて、今頃になってせめて録画しておけばよかったと思っています。

アントニーニ・バーゼルCO/2012年
①8分41②3分55③4分19④6分43 計23分38

D.ボイド・マンチェスターC/2009年
①8分42②3分51③4分44④7分19 計24分36
P.ヤルヴィ/2004年
①8分05②3分50③5分30④6分43 計24分08


160106a それで第九じゃなくて一つ前の交響曲第8番を聴いてみました。アントニーニとバーゼル室内管弦楽団によるベートーベンの交響曲は残すところ第九だけとなりましたが、室内オケにピリオド楽器奏法、一部でピリオド楽器を取り入れた折衷的なスタイルで演奏しています。アントニーニは元々はヴィヴァルディやヘンデルらのバロック期の作品を、古楽アンサンブルのイル・ジャルディーノ・アルモニコと録音していてその少々過激な演奏で注目されていました(廉価化されるまで聴いたことはなかったが)。ベートーベンの交響曲は古楽アンサンブルを離れて、弦楽器を増員するなどしていますが、古楽アンサンブル的なスタイルの延長のようになっています。上記の今世紀に入ってから、室内オケによる三種のベートーベン第8の中では一応一番短い演奏時間になっています。

 第8番は九曲の中でも特に優雅で、ベートーベンの別館か迂回路のように他の曲とは違った趣のようだと思っていたのでアントニーニのスタイルは一番馴染まなさっそうでしたが、前半の楽章はあまり違和感なく聴けました。ただ、終楽章は脱兎のように突っ走りがちで、やっぱりかと思いました。パーヴォ・ヤルヴィの録音も第4楽章は同じトラックタイムなので、近年はこういう感じが普通なのでしょうか。

クレンペラー・PO/1957年
①9分47②4分28③5分16④8分15 計27分46
レイホヴィッツ・ロイヤルPO/1961年
①9分08②3分45③4分27④6分52 計24分12
H.S.イッセルシュテット/1968年
①9分57②3分54③5分09④8分06 計27分16

 ちなみに古い録音ではベートーベンのメトロノーム指定に従ったというレイホヴィッツは別にして、イッセルシュテットとクレンペラーは4分近く長い合計演奏時間でした(リピート有無の関係は未確認ながら)。さっき第8番だけは別物と書いたものの、このCDで聴くとそうではなくて一直線のように九曲の交響曲が続いている風に見えます。

5 11月

オ-マンディ、フィラデルフィア管 ベートーベン交響曲第8番

ベートーヴェン 交響曲 第8番 ヘ長調 作品93


ユージン・オーマンディー 指揮
フィラデルフィア管弦楽団


(1961年12月10日 フィラデルフィア,タウンホール録音  SONY)

 夏頃に次期ウィンドウズが年末くらいに登場する、9.0を通り越して10だとかネットのポータルサイトのニュースで見かけたことがありました。そうだとすれば8.1は使わずに終わるかなと思っていたところ、業務用の一番古いPCがおかしくなり始めたので今日、安い最新のPCを購入しました。スリムケースのデスクトップの中から店頭在庫があるのを選び、早速セットアップしました。最初に電源を入れると「アプリをダウンロード」というメッセージが表示され、なかなか使えるようになりませんでした。この段階で既に従来までのウィンドウズと違い、内心「余計なものはインストールするな(ゴルア)」と思って焦れていました。デスクトップに多数のメニューが表示され、シャットダウンする時クリックする位置も対角線上の逆になっていました。根本的には違わないのにこういう差を付ける、作るのはいかがなものかと思ってとりあえずセキュリティのソフトだけインストールして終わりました。気のせいかハードディスがカラカラとチープな音を出していて、先行きが少々不安です。

141105 昨日の「ラプソディ・イン・ブルー」より少し前にオーマンディとフィラデルフィア管弦楽団はベートーベンの交響曲を全曲録音していました。同じくらいの年代にアメリカのオーケストラによるベートーベン交響曲全集なら、セルとクリーヴランドO、ラインスドルフとボストンSO、バーンスタインとニューヨークPO、ワルターとコロンビアSOがありました。オーマンディのベートーベンは2011年11月にタワーレコードの企画により国内盤でCD化されましたが、交響曲第1、2、4番は世界初CD化でした。ルネ・レイホヴィッツやパウル・クレツキももう少し前に全集がCD化されたことを思うと意外な扱いだと思いました。2011年の4月にはフィラデルフィア管弦楽団の経営破綻のニュースが流れ、そんなこともあるのかと驚きました(4月1日ではなかった)。

 子供の頃に読んだ学習百科事典かレコードブックスの解説部分にベトーベンならベルリンPO、モーツァルトならウィーンPOが良いとか推奨していたのを覚えています。でももしそれが載っていたのがレコードブックスの方なら、運命と未完成のLPが入った分冊はミュンシュ指揮のボストン交響楽団だったので結構いい加減なことを書いていたのかもしれません。

 この第8番は過去記事で取り上げた第1番、第6番よりも自然で、初回に演奏者名を伏せて聴かされたとしたらアメリカのオーケストラだとは分からなかったかもしれません。ゆったりとしたテンポで朗々と歌わせているような印象で、さすがに最近のベートーベン演奏とはちょっと違うもののとても魅力的でした。第8番はベートーベンの交響曲の中でもウィーン風の情緒を思わせる優雅な曲なので(多分そう思う)、オーマンディもアメリカに適応してコスモポリタン的なだけではない面もありあそうです。第6番を聴いた時はウィーンとか田園に関わる情緒を意識的にそぎ落とすような強烈な印象でしたが第8番ではそうとは思えませんでした。この全集に限らずに九曲を連続して聴けばもっと鮮烈な印象になるかもしれませんが、とてもそんな根気はありません。

29 5月

ウィーン芸術週間・クレンペラー、PO ベートーベン第8番

ベートーヴェン 交響曲 第8番 ヘ長調 作品93


オットー=クレンペラー 指揮

フィルハーモニア管弦楽団


(1960年 6月4日 ウィーン,ムジークフェラインザール  録音 Istituto Discografic 他 )

 先週から家の中で順に風邪にかかっており、とうとう自分も本格的に風邪の症状が出たので、今朝は医院に寄ってから出勤しました。九時から診察開始なので以前は15分前くらいで良いかと思ったら、すでに十数人が順番をとっていて二時間近くかかったことがあるので今日は八時過ぎに行きました。それでも一番乗りでなかったのには驚きました。桂文珍のネタのように程々に元気な高齢者が多く、待ちきれないように医院に来ているようでした。とにかく診察までの待ち時間は、CDウォークマンを持参してクレンペラーとフィルハーモニア管弦楽団のベートーベン交響曲第8番(ウィーン芸術週間の連続公演)を聴いていました。

5月29日(献堂式序曲、第2、3番)
5月31日(エグモント序曲、第4、5番)
6月2日(プロメテウスの創造物序曲第6、7番)
6月4日(コリオラン序曲、Vn協奏曲、第8番)
6月7日(第1、9番)
 

 この録音は今から54年前のちょうど今頃、ウィーン芸術週間のためにクレンペラーとフィルハーモニア管弦楽団がやって来てベートーベン・チクルスを連続演奏した公演の記録(放送用)です。上記のように十日間に五回のコンサートに振り分けてベートーベンの九曲の交響曲を演奏するというハードなスケジュールでした(75歳になったクレンペラーとしては)。その合間にはジュリーニ(5月30日と6月9日)、ハインツ・ワルベルク(6月3日)がフィルハーモニア管弦楽団を指揮したので、オーケストラもフル回転でした。

 1957年10月のセッション録音と基本的には同じですが、今世紀に入ってこのウィーンライヴの評価、人気が上がっているらしくここ二年程で五種類のレーベルからCD化されました。当日のコンサートを聴いての新聞評は「ウィーンの日常的なテンポよりもときに遅めながら『真にオーセンティックなベートーベン』という印象を強く受けた」というもの等、絶賛でした。また、当時留学中だった外山雄三氏は、帰国後「レコード芸術・昭和35年8月」に感想を寄稿しています。フィルハーモニア管弦楽団はレコードで聴くのと同じように艶があり、これ程艶があるオーケストラは聴いたことがない、アンサンブルにもムラが無く完璧だったとしています。
 

 ベートーベンの交響曲第8番はクレンペラーの録音の中では多くは無くて、フィルハーモニア管弦楽団との三種、EMIへのセッション録音1957年10月)、今回のウィーン芸術週間(1960年)、ロンドンのロイヤル・フェスティヴァルホール(1963年)と、1955年5月28日のケルン放送交響楽団とのライヴ録音くらいです。

 今回のライヴ録音はマーラー生誕100年にあたるウィーン芸術週間であり、ウォルター・レッグはクレンペラーが「五十年前にマーラーの下で一メンバーとして仕事をすることを夢見たウィーンで最大の成功を収めたのは、この時だったと私は思う」と書いていました。

 何にしても1980年代の状況を思えば、クレンペラーのライヴ音源が増えて手に入りやすくなり、よた話も含めて目につく情報が増えるのは嬉しいことです。ビタミンが不足すると風邪をひき易くなるなら、クレンペラーの響きの記憶が薄まるとどうなるのか、とにかく時々猛烈に聴きたくなるものです。

4 5月

ベートーベン交響曲第8番 ケント・ナガノ モントリオールSO

ベートーヴェン 交響曲 第8番 ヘ長調 作品93

ケント・ナガノ 指揮
モントリオール交響楽団

(2011年4,5月 モントリオール,サルウィルフリード・ペルティエ  録音 Sony Classical) 

140503a  先月たまたまケント・ナガノ指揮のバイエルン国立歌劇場らのローエングリンのDVDが値下げされていたので買ってみると、前奏曲からすっかりはまってしまいナガノに急激に親近がわきました。また来日しないかなと思って調べると、この秋に京都でも公演します。プログラムはラベルやムソルグスキーなどでした。モントリオールはフランス語圏なのでやむを得ない選曲です。バイエルンと来日した時聴けていたらと今頃残念に思いました。DVDでは演出はあれですがヨナス・カウフマン(ローエングリン)とアニヤ・ハルテロス(エルザ)、ミヒャエラ・シュスター(オルトルート)をはじめ歌手は皆素晴らしい歌唱でした。

 このCDはケント・ナガノ指揮、モントリオール交響楽団によるベートーベン・チクルスの第二弾です。第一弾は昨年の一月に取り上げたエロイカ他でしたが、ベートーベンの作品以外も組み合わせて独自の構成をとっています。今回は「時間、空間と人間」という副題が付き、CD.1が交響曲第8番と大フーガ・弦楽合奏版、CD.2は田園交響曲と、デイヴィッド・スズキによる朗読「相互依存宣言」(英語と仏語)です。

140503b  ピリオド楽器のオケや室内オケ・折衷スタイルが当たり前になる現代、カナダのフランス語圏のオーケストラを日系四世が指揮するベートーベンは、広告宣伝の上でアピールするのが難しいものだと思います。モントリオールSOも弦はヴィヴラート控え目で、ヴァイオリンは対向配置で演奏というここ十数年来の傾向に従っています。そんな説明を聴くとある程度どんなベートーベンになるか想像が付きそうですが、このCDは悪い想像は当てはまらず、かつ従来のモダン・オケが演奏するベートーベンとはちょっと違う退屈させないものです。演奏時間は列記しませんが速目のテンポで、かなり少人数で演奏しているのかという印象を受けながら、作品の隅々までききとれるようで貧弱にきこえません。

 ケント・ナガノは2015年からシモーネ・ヤングの後にハンブルク国立歌劇場の音楽監督に就任するそうなので、新たなオペラの収録が期待されます。

11 12月

ベートーベン交響曲第8番 セル、クリーヴランド管

131211aベートーヴェン 交響曲 第8番 ヘ長調 作品93

ジョージ=セル 指揮 
クリーブランド管弦楽団

(1961年 クリーヴランド,セヴェランス・ホール 録音 SONY CLASSICAL)

131211b 公益財団法人早稲田奉仕園という団体があることを最近知りました。1908年(明治41年)にアメリカの宣教師(バプテスト教会)、ベニンホフ博士が 大隈重信の依頼を受けて設立した、キリスト教主義の学生寮「友愛学舎」がそのはじめです。私とは全然接点はありませんが、藤井蔵之助(後に、炉草と改名したかペンネームを使用)という学者を検索したところ、その先生がそこの宗教部主事を務めていたという記録をネット上で見つけて早稲田奉仕園というのを知りました。それはともかく、藤井炉草という人は大阪女学院短大等で教鞭をとった人で、私の母が戦後淀屋橋で茶くみOL(本人がそう言っている、私がOLをそういう風に見ているのではない)をしていた頃、職場の聖書勉強会に講師として来ていたそうです。その人は戦前にコロンビア大学へ留学していてクラシック音楽にも傾倒していたので、時々ヲタ的な話もされたそうです。ある時第九、第九と言うけれど、ベートーベンの交響曲はどれも素晴らしくて第九の直前の作品も格別とか言われたそうでした。

 子供の頃母からそれを聞き、それは具体t的に何番のシンフォニーかと問い返すとそこまでは覚えていないということでした。時期的に第8か第7のはず(6番なら田園と言うはず)ですが、どちらなのか決め手がありませんでした。故人なのでもはやその方に確かめることもできません。

 そう思っていると「きらクラ!(NHK・FMの番組)」で、セル指揮のスメタナの交響詩「我が祖国」からモルダウが流れて、同曲のイメージを一新するような圧倒的な演奏に感心していました。中学の合唱コンクールで歌詞が付いた「モルダウ」を練習し(させられて)、「声が小さい、もう一回」式に責め立てられ、半ばやけくそに「モールーダーウぅー~ー!」と叫んだ記憶から、あまり好きな曲では無くなっていました。それがセルの録音では、まるで溶けたガラスが流れる河のような凄まじさで、あらゆる不純な物を蒸発させるような印象でした。どんな作品を振ってもセルは独自の世界だと、改めて感心しました。

 そこでセルのベートーベン第8番のCDを聴いてみました。第8番は九曲の交響曲の中で、特別にこじんまりして、一曲だけ間道に逸れたような感じもしますが、セルにかかると列を乱すことは許されず?、他の八曲と同様に堂々と鳴り響きます。上記の藤井炉草先生が言っていた第九直前の交響曲は、第7でなくて第8番ではないかと思えます。セルはドヴォルザークやバルトークといった中、東欧の作品を本場物的に録音していますが、個人的には独墺系の作品が本筋だと感じていました。このベートーベン第8番を聴いていると、絶対音楽の権化といった印象で、そもそもローカルな要素は前面に出ないのだろうと思えます。

セル・CLEO・1961年
①9分40②3分46③5分25④7分47 計26分38

クレンペラー・PO(1957年)
①9分47②4分28③5分16④8分15 計27分46
レイホヴィッツ・ロイヤルPO(1961年)
①9分08②3分45③4分27④6分52 計24分12

 このCDの演奏時間は上記の通りです。ベートーベンのメトロノーム指示に従ったレイホヴィッツの全集盤よりは遅く、クレンペラーのセッション録音盤よりは速い演奏です。クレンペラーとは第二、四楽章では差が出ていますが、全曲で1分半くらいの違いです(クレンペラーの1960年代後半ならもっと差が出るはず)。クレンペラーは初めてセルを紹介された時から彼の才能に驚き、「完璧な演奏をする」という尺度からもセルを意識していたようです。そうした話もこのCDを聴いているとなるほどと思えてきます。

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raimund

昭和40年代生まれ、オットー=クレンペラーの大フアンです。クレンペラーが録音を残したジャンルに加え、教会音楽、歌曲、オペラが好きなレパートリーです。

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