raimund

新・今でもしぶとく聴いてます

指:ケント・ナガノ

2 2月

ムソルグスキーのボリス・ゴドゥノフ1869年版 ケント・ナガノ/2017年

200131ムソルグスキー 歌劇「ボリス・ゴドゥノフ」1869年原典稿

ケント・ナガノ 指揮
エーテボリ交響楽団
エーテボリ歌劇場合唱団
ブルンスブー音楽学校合唱団

ボリス・ゴドゥノフ:アレクサンドル・ツィムバリュク(Bs)
シュイスキー:マクシム・パステル(T)
ピーメン:ミカ・カレス(Bs)
グリゴーリー:セルゲイ・スコロホドフ(T)
警史:オレグ・ブダラツキー(Bs)
農夫ミチューハ:アントン・リュングクヴィスト(Br)
シチェルカーロフ:ワシーリー・ラデューク(Br)
ワルラーム:アレクセイ・チホミロフ(Bs)
ミサイール/聖愚者:ボリス・ステパノフ(T)
旅籠の女将:オッカ・フォン・デア・ダメラウ(Ms)
乳母:マルガリータ・ネクラソワ(Ms)
クセニヤ皇女:ハンナ・フサール(S)
フョードル皇子:ヨハンナ・ルドストレム(Ms)

(2017年3月2-11日 エーテボリ、コンサートホール 録音 BIS)

 このSACDは
ムソルグスキー(Modest Petrovich Mussorgsky 1839年3月21日 - 1881年3月28日)のオペラ「ボリス・ゴドゥノフ」の初期稿(1869年稿)を演奏会形式で上演した際の録音です。ケント・ナガノはこのオペラを同じ稿でミュンヘン・オペラで上演した際に
  
を残しています。その上演は現代に置き換えた演出によるもので、各国首脳の肖像が登場して日本の総理大臣のあの顔も使われていました。近年は日本国の首脳は短期間で入れ替わり、外国では名前も顔も覚えられないようでしたが、これは良くも悪くも?珍しいことでした。そういえば「募る」と「募集」ネタでネット上が賑わっていたので動画を観たら本当にそういう答弁だったので感心しました。ミュンヘン・オペラの演出は聖愚者が短銃で射殺される陰惨な内容でしたが、このSACDは演奏会形式なのでどんな舞台を客席、演奏者が脳内で補完しているだろうかと思って聴いていました。
 
 音質、ホールの残響加減の影響かかなり清新で洗練された響きに聴こえ、戴冠式の場では一瞬メシアンの作品を思わせるくらいだったので、非西ヨーロッパ的な土埃が立ち込めるような土俗的な空気はかなり後退していると思いました。一回目に聴いた時は独自のカットや改訂でも施しているのかと思いました。こういう演奏なら二幕の初期稿じゃなくても良さそうな気もしました。ただ、これまでのところ初期稿のCDはこれ以外にゲルギエフとマイリンスキー劇場くらしか無いので貴重です。

 
「ボリス・ゴドゥノフ」は完成した当初(1869年に完成)、初期稿は宮廷劇場で上演が認められなかった(翌1870年の夏に帝室歌劇場へ提出したが上演を拒否される)ので改訂版を出すことになり、それが1872年6月に完成しました。全曲の初演はその一年後の1873年2月5日、ペテルスブルクのマイリンスキー劇場でようやく行われました。この一連の流れはブルックナーの交響曲第2番に似ていますが初演は成功したのでまだましでした。しかしロシア国外で普及したのは作曲者自身による改訂版よりも、R.コルサコフ版でした。女声のアリア、有名アリアが無いという点では20世紀以降のオペラでは別に珍しくありませんが、この初期稿は画期的な内容・構成だと思います。
2 2月

メシアン 鳥たちの目覚め ロリオ、K.ナガノ、仏NO

180202aメシアン 鳥たちの目覚め

イヴォンヌ・ロリオ:ピアノ

ケント・ナガノ 指揮
フランス国立管弦楽団

(1992年10月23日 パリ,ラジオ・フランス,スタジオ103  録音 ERATO)

 二月に入り節分、立春になるというのにまた寒波の予告です(寒波予報は特に的確に当たっている)。このCDも昨年11月のアッシジ以降、メシアンの音に浸っていた頃に一応聴いていたものでした。「鳥たちの目覚め」という作品には「朝の四時」というタイトルの楽章がありました。このところ午前2時過ぎか4時過ぎのどちらかに目が覚めるので、この作品には奇妙なリアリティ、親近を覚えますがその時間帯には鳥どころか、犬猫はおろか風の音くらいしか聞こえません。今朝も4時をまわったところで目が覚め、けっこう鮮明な夢を見ていたので少し内容を覚えていました。何故か自分が陸軍士官学校のような所に入学しており(夢の中でも入学を後悔していた)、集合場所の指定を読み解き、先着5名くらいが合格になるという訓練に臨んでいるという、自分が大嫌いな状況の夢でした。何故そんな夢を見たか全く心当たりがなく、そのかわり、これなら現実の方が数段マシだと思ったのでやけに爽やかな気分でした(悪夢なのに)。

鳥たちの目覚め(
Réveil des oiseaux
①真夜中(Minuit)
 
サヨナキドリのソロがピアノによる序奏的なカデンツァを形成。
 さらに二羽のサヨナキドリがピアノで加わり、先の一羽と歌を競う。/
②朝の四時(4 heures du main)
 夜明けとともに鳥たちが目覚める。ノドシロムシクイ、ヤツガシラの叫び。
 ウタツグミがトランペット、木管、弦に出る。/
③朝の歌(Chants de la mainè
e)
 
ズグロムシクイのソロがピアノによる新たなカデンツァを形成し、フラッター・タンギングのフルート(複数)によりコキジバトを伴って進んで行く。/
④ピアノのためのカデンツァ・フィナーレ(cadenza finale du piano)
 真昼。深い静寂。この静寂を破るのは2台のヴァイオリンによる二羽のアトリ科の鳥とウッドブロックによるアカゲラが木の幹を叩く音。最後にはるか遠く、ピアニッシモのチャイニーズ・ブロックが奏でるカッコウだけが残る・・・。(オリヴィエ・メシアン/栗田洋 訳~より)

 この作品は独奏ピアノと管弦楽のための作品であり、色々な種類の鳥の声を再現しています。一日の様々な時間帯ごとに細かく、その時間帯に聞くことが出来る鳥の声を調べてのことですが、とてもそんな詳しい鳥の生態は知らないので妙味は分かりません。しかしメシアンが「もしこの作品が成功しているなら、鳥の声の識別とは関係なく、生命そのものが姿を現すだろう」と言っているののには納得させられ、これで「アッシジの聖フランシスコ」の第6景の重みが再認識できると思いました。それに聴いていると何とも神経が休まり、ツクシでも生えだした土手に寝転ぶような平穏さに浸れる気分がします。

 第一曲はピアノの独奏で始まり、全曲を通じてピアノ独奏箇所が多くて、全体的に自然の中の音を思わせる内容です。「神の現存のための三つの小典礼」の九年後に作曲された「鳥たちの目覚め」は、1953年10月11日にドナウ・エッシンゲン音楽祭の中でハンス・ロスバウト指揮、イヴォンヌ・ロリオのピアノによって初演されました。フランス国内初演は同じ年の12月18日にシャンゼリゼ劇場でモーリス・ル・ルー指揮、同じくロリオのピアノによって行われました。
2 1月

細川俊夫 歌劇「海、静かな海」 K.ナガノ、ハンブルク歌劇場

180102細川俊夫 歌劇「海、静かな海」1幕5場
*ハンブルク州立歌劇場委嘱作品
 原作:平田オリザ(日本語)
 ドイツ語翻訳:ドロテア・ガストナー
 オペラ台本:ハンナ・デュブゲン

ケント・ナガノ 指揮
ハンブルク・フィルハーモニー管弦楽団
ヴォーカルゾリステン・ハンブルク

クラウディア:スザンヌ・エルマーク(S)
ハルコ:藤村実穂子(Ms)
シュテファン(クラウディアの元夫):ベジュン・メータ(Ct)
ヒロト:ヴィクトール・ルート(T)
漁師サカモト・タロウ:マレク・ガセツェッキ(Br)

演出:平田オリザ
舞台美術:杉山 至
衣装:正 金彩
照明:ダニエル・レヴィ
ドラマトゥルク:ヤニーナ・ツェル

(2016年1月 ハンブルク歌劇場 ライヴ収録 King International)

180102c 新年あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。昨夜はウィーン・フィルのニューイヤーコンサートがラジオでも放送されるので、気まぐれで録音(SDカードやCFカードに録音できるレコーダー)したところ、放送は普通に録れたけれどもSDカードを初期化する時に機器にコンパクトフラッシュも入ったままで、フォーマット対象メディアを確認せずにやってしまい、2017年バイロイトの指環全部を消してしまいました(今その事実を受け入れようとしているところ)。誰に迷惑をかけるでなし、ささいなことながら、午前一時をまわるまで機器の番をしていたのに、ヤノフスキはもうバイロイトに出ない確率が高いのに(年齢からして)、返す返すも残念です。パルジファルとトリスタン、マイスタージンガーは別のカードにしておいたのがせめてもの救いでした。

180102a さて、新年一回目は細川俊夫(当然俳優とは別人)のオペラ、「海、静かな海」の映像ソフトです。この作品はハンブルク州立オペラの委嘱により作曲されたもので、東日本大震災後の福島を舞台にしています。平田オリザの原作をドイツ語台本化したものなので歌唱はドイツ語です。能楽の「隅田川」を現代の福島に置き換えるという構成は、細川俊夫の他のオペラと似ているのか(能の演目と同じ松風、班女という作品名は知っているけれど内容は知りません)、しかし巨大震災と原発事故による影響から、それまでの平和な日常との断絶感、悲痛さは突き刺さるように迫ってきます。お彼岸という日本語とは裏腹に彼岸の行事の描写が微妙に違和感を覚えますが、それは日本で上演する際に考慮するばいいことかもしれません。能「墨田川」の最後には亡き子(さらわれた子)の声が登場します(子どもの能役者が演じて視覚的も舞台に出す演出もある)が、このオペラでは亡き子ではなく、生き残っている女児が登場します。

180102b 能楽の演目の多くは修羅道なりあの世に居るシテが姿を現して舞を見せて退場して終わるという形式をとり、必ずしもシテの苦しみが救われて、解決して終わってはいません。このオペラでも舞台中央に傾斜して舞台脇へ向かう桟橋のような板があり、そこを歩いてメインの登場人物が入退場していて、それが能楽の手法と少し重なります。だから決してハッピーエンドではなく、ヒロイン(と単純に言えるかどうか)の苦しみはまだ現在進行形のまま幕が下り、それが痛々しさを感じさせます。しかしクラウディアは息子の死を受け入れない、物狂いに近い風体でありながら、苦しいということから逃げない(矛盾のある言い方としても)姿にも見えて、痛々しいながら強さのようなものも感じされます。

 音楽の方は冷たく静かなとろにクラスター的な打楽器が入った轟音も登場し、単なる自然の脅威以上の暴力性を印象付けています。それに直接的な言葉は避けているものの原発事故による汚染水流出(放出か)を暗示していて現実世界がより過酷であることを訴えています。歌手では主要キャストの三人、クラウディア役のソプラノ、スザンヌ・エルマークと元夫のシュテファン役のカウンター・テナー、ベジュン・メータと藤村美穂子が素晴らしくて、特にカウンター・テナーを起用しているのが効果的だと思いました。
20 11月

R.シュトラウス 死と変容 K.ナガノ、エーデボリSO

171120aR.シュトラウス 交響詩「死と変容」Op.24

ケント・ナガノ 指揮
エーテボリ交響楽団

(2016年6月9-11日 エーテボリ・コンサート・ホール Farao Classics)

171120b びわ湖ホールで23日にある「アッシジの聖フランシスコ」が近づいてきました。今月に入ってカーナビのSDカードに居れた小澤征爾の初演CDをよく聴いて備えています。演奏時間が5時間くらいになり、途中で二度休憩があるもののこれは腰が痛くなりそうで大変です(演奏する方はもっと大変)。初演の際にはケント・ナガノもアシスタントとしてかかわっていたので、小澤征爾といい何故か日本人と縁がある作品です。ケント・ナガノと言えばバイエルン国立歌劇場の音楽監督の後は歌劇場のポストには就いていないようでちょっと残念です。というのは、映像ソフトが出ていたローエングリン、パルジファルやボリス・ゴドゥノフらがかなり気に入っていたので期待していました。そのかわりに2013年のシーズンからスウェーデンのエーデボリ交響楽団の首席客演指揮者に就任しています。

 このCDはケント・ナガノとエーデボリSOによるR.シュトラウス作品集の第二弾にあたり、交響詩「英雄の生涯」と「死と変容」をカップリングしています。後者の方が個人的に好きなので今回はこちらを聴きました。このレーベルの特徴なのか落ち着いた?音質に聴こえ、時には金属的なピカピカな音楽に聴こえるシュトラウス作品にしては地味で、精緻な音楽になっていました(ツァラトストラだったらどんな風になるか?)。このオーケストラはネーメ・ヤルヴィがショスタコーヴィチの交響曲をDGへ録音していた頃、同じくショスタコーヴィチを並行してChandosへ録音していたスコティッシュ・ナショナル管弦楽団よりも技量は下だという評がありました。その後評判がどうなったか分かりませんが少なくとも低迷はしてはいないだろうと思いました(でも最近新譜がなかったか・・・)。

 R.シュトラウスの作品、特に後期のオペラ、アラベラやダナエの愛、カプリッチョなんかは味わい深くて、断片的でも魅力的な旋律が出てきます。遠く未来から光がさしてくるような(イスカンダルかテレザード的)えも言われない美しさに惹きつけられます。「死と変容」もそんなメロディの端切れが織り込まれているようで交響詩作品の中では好きな方でした。作曲する時にメロディはどうやって作るのか、そういう能力が無い者にとってはつくづく不思議です。

 1920年代くらいまでにドイツ語圏ではシュレーカーのオペラがもてはやされ、「クレンペラーとの対話(P.ヘイワーズ編 白水社」の中にも出てきます。音楽学者のピーター・ヘイワーズがクレンペラーに「シュレーカーはドイツにおけるプッチーニなりたかったのか」と尋ねると、クレンペラーは肯定して「シュレーカーはどんなにかそうなりたかったことか」とした上で、彼には旋律の才能が無かった、「典型的なインフレ音楽」だと評していました。魅力的なメロディーが無かったからその後、演奏、上演頻度が一気に低下したことをそのように表現したわけで、そこへいくとR.シュトラウス作品は数段上というか次元が違ったということになります(そういえばK.ナガノが指揮したシュレーカーのオペラのソフトがあった気がする)。
24 5月

ブルックナー交響曲第4番第1稿 ケント・ナガノ、バイエルン

170524bブルックナー 交響曲 第4番 変ホ長調 WAB104「ロマンティック」(1874年第1稿)

ケント・ナガノ 指揮
バイエルン国立管弦楽団

(2007年7月 ミュンヘン,ファラオ・スタジオ 録音 Farao)

 先日ラグビーのワールドカップ組み合わせ抽選会があり、その際に京都市内の大学でニュージーランドのコーチが学生に指導するというニュースをテレビでみました。ニュージーランドなので言語は英語でしたがよく見ると通訳が付いていました。大学生なのに英語なのに通訳が付いているのをみて、何だかなあと複雑な気分でしたが自分が学生の頃を思えばやっぱり通訳無しで完全に分かるということは無いと思い(今ならもっとひどい)、二度何だかなあと落ち込みました。

170524a さて、先日に続いてブルックナーの交響曲第4番の初期稿です。続いてというのは交響曲第2番から第4番の初期稿から第5番までの四曲で一括り、四部作ととらえる見解に則ってのことです。大聖堂的威容の第5番に対して第3番初期稿が聖堂の前庭的とすれば、第4番の初期稿は聖堂裏の納骨堂やら墓地のある庭といった広々としたたたずまいです。特に今回のように遅めでじっくりと進めて響かせたK.ナガノの演奏はそういうイメージです。下記のように同じくらいの時期の録音と比べて全楽章とも長目の演奏時間です。

K.ナガノ・バイエルン/2007年
①21分17②20分22③13分26④20分05 計75分10
ヤング・ハンブルクPO/2007年
①19分54②18分28③12分45④18分53 計70分00
ボッシュ・アーヘンSO/2008年
①18分59②18分33③12分39④18分45 計68分56

 同曲異稿について第4番は半分くらいは別作品(大和型戦艦3番艦を転用した空母信濃くらい)といえる内容で、特に第3楽章は慣れ親しんだ1877,1880年改訂・第2稿(ハース版・ノヴァーク版)とは全く違う楽曲です。それ以外でも第2稿が全体的に凝縮されてまとまりのある印象なのに対して、初期稿の方が緩くて風通しの良い不思議な魅力があります。それだけに冗長で退屈さを覚えることもありますが、この録音はすごく心地よくて初期稿の魅力を堪能できると思います。

 ケント・ナガノ指揮のブルックナーは、この録音と交響曲第7、8番はバイエルン国立管弦楽団、他にベルリン交響楽団と第3番、第6番がありますが、バイエルンとの三曲はブルーレイ・オーディオ化もされて特に魅力的です。それだけに三曲だけにとどまっているのが惜しいところです。今後の録音計画に期待したいところです(例えばモントリオールSOとか)。
20 4月

バーンスタインの「ミサ」 ケント・ナガノ、ベルリン・ドイツSO他

170420バーンスタイン  ミサ (1971年)

ケント・ナガノ 指揮
ベルリン・ドイツ交響楽団
パシフィック・モーツァルト・アンサンブル
ベルリン放送合唱団
国立ベルリン室内合唱団

ジェリー・ハドリー:テノール
ユリアン・フリシュリング:ソプラノ

ジグールト・ブラウンス:オルガン

(2003年11月18-22日 ベルリン,フィルハーモニー 録音 Harmonia Mundi)

170420a 今年の二月、大阪フィルの定期(タコ11、12)に行った時に同オーケストラの創立70周年記念としてバーンスタインのミサを演奏する公演のポスターがありました。その時に既に前売りが始まっていたものの、個人的に微妙な作品であり、バーンスタインのフアンでもないのでスルーしていました。ただ、会場でチケットを買うひとも結構あって、大きなポスターの絵も妙に記憶に残っていました。その後、大相撲の大阪場所で「モンゴルへ帰れコール」があったり、ミサイル云々で居心地の悪さときな臭さも混じって、この作品が出来た当時の世相が思い起こされてきます(もっとも当時生まれてはいたけど世相より親父の方が怖かった)。 

170420b 大阪フィルの公演は7月14、15日の二日間で、井上道義の指揮なのでネット上で解説動画等が既にUPされています。 作曲者は「この作品は私のすべてであり、私の人生だ」と言ったそうで、単にローマカトリックの典礼文だけでなく色々な内容を含んでいます。歌詞だけでなく音楽的にも、メッセージ内容も広く開けているように思えます。それにしてもアメリカで「~へ帰れ」なんて言い出したら、「アイルランドへ帰れ、スコットランドへ帰れ、メキシコへ帰れ、中国へ帰れ、日本へ帰れ・・・」と際限がなくなり、そもそもお前が帰れ(先住民がいたわけで)と天につばするようなことになります。

 1.ミサの前の祈祷
 アンティフォナ - キリエ・エレイソン
 讃歌と詩篇「シンプル・ソング」
 レスポンソリウム「アレルヤ」
2.第一入祭文
3.第二入祭文
4.告解
5.瞑想第1番
6.グローリア
7.瞑想第2番
8.使徒書簡
9.福音書
10.クレド
11.瞑想第3番
12.奉献誦
13.主の祈り
14.サンクトゥス
15.アニュス・デイ
16.聖体分割
17.拝領

  概ね現在のミサ聖祭の流れによっているように見えますが、日本語表記は作品の原題を正確に表しているかどうか分かりません。典礼の枠組みをやぶっているようでもあり、さらに進んで福音の根源の方に根差しているのかもしれず、混沌、雑然と楽曲が登場すようでありながら妙に静謐さも伴い、神経が安らぐ気がします。ミュージカル作品のようにも聴こえ、ところどこテゼ共同体の聖歌か何かを思い起こさせる部分もあり、うなぎかナマズのようにつかまえどころのない印象です。

 この録音はケント・ナガノ指揮でベルリンで録音されたもので、ちょっと生真面目な感じですが全曲を聴いたのはこれだけなのでこれがどういう演奏なのか、なんとも言いかねます。演奏者名を伏せて聴いたらケント・ナガノが指揮だとは分からないと思いました(誰がこういう作品を録音する可能性があるとか、そっち方面からの類推によらなければ分からない)。聴いているちに是非生で聴いてみたくなってきました。
18 3月

プロコフィエフ 「3つのオレンジへの恋」 ナガノ、リヨン国立歌劇場

160318プロコフィエフ 歌劇 「3つのオレンジへの恋」 Op.33

ケント・ナガノ 指揮
リヨン国立歌劇場管弦楽団
リヨン国立歌劇場合唱団

王トレーフ:ガブリエル・バキエ(Bs)
王子:ジャン=リュク・ヴィアラ(T)
クラリーチェ姫:エレーヌ・ペラガン(Ms)
レアンドル:ヴァンサン・ル・テキシエ(Br)
ニネッタ:カトリーヌ・デュボスク(S)
料理人:ジュール・バスタン(Bs)
スメラディナ:ベアトリス・ユリア=モンゾン(Ms)
トルファルディノ:ジョルジュ・ゴーティエ(T)
パンタローネ:ディデイエール・アンリ(Br)
チェリオ:グレゴリー・ラインハルト(Bs)
ファタ・モルガーナ:ミシェル・ラグランジュ(S)
リネッタ:コンスエロ・キャロル(A)
ニコレッタ:ブリギッテ・フルニエ(Ms)

(1989年3月30-4月7日 リヨン,モーリス・ラベル・オーディトリウム 録音 EMI・Virgin)

 今日の夕方に月刊「聖母の騎士」最新号を読んでいたら、ハリウッドで映画化(マーティン・スコセッシ監督)されるときいていた遠藤周作の「沈黙」が今秋に公開される予定という記事があり、登場人物の写真が何種か載っていました。日本人の俳優では、モキチを塚本晋也、窪塚洋介がキチジロウ、井上筑後はイッセー尾形、他に浅野忠信が通詞という配役でした。日本人以外では宣教師ロドリゴはアンドリュー・ガーフィールド、リーアム・ニーソンはフェレイラ、アダム・ドライバーがガルペというキャストです。撮影完了とか全然情報が伝わって来ないと思っていたら、セットが壊れてスタッフが亡くなる事故があったりで撮影は順調ではなかったようです。

160318b このCDはケント・ナガノが指揮したリヨン国立オペラの公演のライヴ録音で、同じ時期の映像ソフトもありましたが全く同一の音源なのか未確認です。リヨンには国立管弦楽団もあるので紛らわしいですが、1983年に歌劇場管弦楽団と分離したのでこのCDの録音時には別団体になっていました。 ケント・ナガノがリヨン国立オペラの音楽監督を務めたのは1989年から1998年となっているので、音楽監督に就任するシーズンの直前の演奏だと思われます。彼のプロフィールをよく見れば指揮者としてのキャリアの最初はボストン・オペラ・カンパニーだったので、どうりでリヨン時代の前からオペラ全曲盤の録音があるわけだと思いました。

 聴いてみると、翌年同じリヨン国立オペラで収録した「カルメル会修道女の対話(プーランク)」程の圧倒的な印象は無く、原作の寓話劇としての妙とかそういう要素にまでは気付き難い感じでひたすら生真面目な演奏に聴こえました。公演自体は映像ソフトが出た(フランスのオペラでもないのに)くらいなので結構好評だったようなので、これは聴き手の感性、素養に原因がありそうです。基本的にケント・ナガノのオペラ録音はかなり好印象ですが、この録音は何とも言い難い印象です。

 オペラ「三つのオレンジへの恋」はプロコフィエフが革命期の祖国を離れ、アメリカへ渡った直後の1919年に作曲し、古典交響曲と交響曲第2番の間の創作時期の作品でした。アメリカへ行く途中で原作の童話(イタリアの劇作家カルロ・ゴッツィの作品)に注目してオペラ化を考えて、渡米後に台本を完成させました(このCDではフラン語で歌っています)。プロコフィエフの他のオペラと同様にこれも組曲版があり、オーケストラ版の他にピアノにも編曲されています。話の筋は、架空の国の王子が様々な妨害を経て三つのオレンジの一つの中から出て来た王女ニネッタとめでたく結ばれるというハッピーエンドな内容です。

 初演は1921年12月30日にシカゴ歌劇場でプロコフィエフの指揮によって行われて大成功をおさめ、以後1925年3月14日にケルン、1926年2月18日にはレニングラードでも上演(それぞれヨーロッパ初演、ソ連での初演) されました。ちなみにケルンで音楽総監督(ゲネラル・ムジーク・ディレクトール)の称号を得ていたクレンペラーは1924年からはヴィスバーデンの歌劇場に転出していたので、1925年の「三つのオレンジへの恋」のドイツ(ヨーロッパ)初演は指揮できませんでした。またベルリン時代の演目にもプロコフィエフの名前は出て来ないので、そもそもクレンペラーのレパートリーにプロコフィエフが入っていたのかどうか。
14 11月

ベートーベンのピアノ協奏曲第4番 フェルナー、ナガノ

151114ベートーヴェン ピアノ協奏曲 第4番 ト長調 Op.58

ティル・フェルナー:ピアノ

ケント・ナガノ指揮
モントリオール交響楽団


(2008年5月25-27日 モントリオール,ウィルフリッド=ペルティエール・ホール 録音 ECM)

 阿川弘之の海軍提督三部作(山本五十六、米内光政、井上成美)をだらだらと順に読んでいると、博打や花柳界の話も出て来て意外な一面も書かれています。井上成美は戦記ものでも名前が出て来ないの知らないことだらけですが、自分のことを「ラディカルなリベラリスト」と規定しているようで、旧海軍で大将にまで昇進した者でも一等大将から三等くらいの大将まであると語っていました。そんな井上でも「非武装中立」とは考えておらず(軍人だからそりゃそうだ)、独立を脅かされるような事態に立ち至れば戦う、「『軍備というものは要らないじゃないか、戦しないのなら』-そういう意味じゃないですね」と話していました。この人が昭和50年までは生きていたのだから、やっぱり時代はどんどん移り変わっています。

151114b このCDはケント・ナガノとモントリオール交響楽団がティル・フェルナーを迎えてベートーベンの協奏曲を全曲演奏した二度の公演を集めたものです。第4番が5月、第5番を11月にライヴ録音したもので、全曲録音開始との触れ込みでしたがこの一枚で止まっているようです。ナガノはこれ以後に夫人の児玉麻里との共演でベルリン・ドイツ交響楽団と同じ曲を録音していました(全集の一環として)。ということはフェルナーの方は中断ということになるのかもしれません。

 二曲とも魅力的ですが第4番が特にピアノ、オケ共に曲に合っていて近年では屈指のこの曲の録音ではないかと思いました。ピアノ協奏曲は第三楽章がそれまでの二つの楽章と対照的に動的な曲になり、時には品が良くないくらいに暴れるような印象になるので、一瞬「ああ第4番を久々に聴こう」と思ってもすぐにやっぱり止めておこうと思ってしまいました(単なる自分の好み)。ウィーン生まれのウィーン仕込みのフェルナーは、そのウィーンのおかげなのかはともかくとして透き通るような音色が際立っています。派手な第三楽章も上品で、バネ仕掛けのような軽い印象にはならず素晴らしいと思いました。モントリオール交響楽団の方も、ピリオド奏法に傾斜し過ぎる風でなくて適度に?堂々とした響きです。

151114a ティル・フェルナー(Till Fellner;1972年- ウィーン生まれ)は日本でもベートーベンのピアノソナタを全曲演奏する公演をしていました。ウィーンに生まれてウィーン音楽院で学び、1993年のクララ・ハスキル国際コンクールにてオーストリア人として初めて優勝しました。この録音の時にはまだ30代半ばという世代なのでCDの方はそんなに多く出ていません。それでも最近はバッハの録音が注目されたようです。このCDを聴く限りバッハの方も良さそうです。
13 11月

マーラー「大地の歌」 K.ナガノ、モントリオールSO、ゲルハーエル

151113マーラー 交響曲「大地の歌」

ケント・ナガノ 指揮
モントリオール交響楽団


クラウス・フローリアン・フォクト(T)
クリスティアン・ゲルハーエル(Br)

(2009年1月13-15日,2月15日 モントリオール 録音 Sony Classical)

 夜、帰宅する時、下を見ると街路樹から落ちてきた葉がいっぱい散らばっていました。今日は10月末に修理に出していたカーナビがようやく戻って来ました。これまでの間、運転中はラジオも何もきくことが出来ず、お通夜のような環境でした。予定より長くかかったものの費用はかからなかったので良しとします。南区の葛野通沿道にあるディーラーから戻る途中、大木を伐採したらしくて荷台に細かく切られた生木を積んだトレーラーが二台と並走しました。滅多に見ない程の太さで、こんな木を伐ったら祟りでもありそうでした。夜、ローカル局のニュースで御薗橋の架け替えに伴って川沿いの欅らを伐採したことを告げて(伐採の瞬間、住民から悲鳴があがったらしい)いましたが、方角が違うので自分が見たのはその大木じゃないだろうと思います。戻ったナビでSDカードにコピーしたCDを聴こうとしたら、
ショルティの「大地の歌」が出てきたのでそのまま聴いていました。久しぶりに聴くと新鮮に感じられて、やっぱりこの作品は女声も入った方が良いと思いました。

151113a しかし、テノールとバリトンによるケント・ナガノ、モントリオール交響楽団のCDを聴いていると、アルトの代りにバリトンが入るのも捨てがたいと思いました(定見が無い)。奇数楽章を歌うテノールのクラウス・フローリアン・フォクトはローエングリンやパルジファルで有名ですが、この録音で冒頭を聴くと、あまりのか弱さ、軽快さに驚き、作品の印象が変わるくらいでした。元々クレンペラーのLPで慣れ親しんだせいか、ヴンダーリヒの強い歌唱と木枯らしか山風のようなオケによって刷り込まれていて、このCDのような繊細さは全く新鮮です。この時期ならフォークトは既にバイロイトにデビューしていたはずですが、ワーグナー作品を歌う時とはちょっと違っているようです。

151113b 男声のみの演奏であるこのCDで一番感動的だったのは、バリトンのゲルハーエルの歌唱でした。女声が加わらないのでモノクロ画像のようになるかと思えばそうでもなく、不思議になまめかしくて、最終楽章でさえも落葉の季節よりもこれから春を迎えるような印象です。ゲルハーエルは先月にシューベルトの歌曲集「冬の旅」を取り上げていましたが、その演奏よりもずっと大きな(こういう言い方はおかしいけれど、色々なものが盛り込まれているように感じられるから)、幅広い歌声に感心させられます。彼のCDは廉価盤主体のアルテ・ノヴァしか知らないので、ここ数年で進化、深化しているのかもしれません。

 この作品の演奏、録音はバリトンよりもアルトを起用した方が数は多いのは今でも変わっていません。そんな中で過去に取り上げた
パウル・クレツキとフィルハーモニア管弦楽団ヨゼフ・クリップスとウィーン交響楽団バーンスタインとウィーン・フィルといった録音は少し古いけれど代表的な男声版録音で、いずれもフィッシャー・ディースカウを起用しています。今回のゲルハーエルはそれらのイメージ、フィッシャー・ディースカウの影を振り払ったような新しいイメージでした。
5 11月

ヴォルフ 歌曲・管弦楽伴奏版 ヘンシェル、バンゼ、K.ナガノ

151105ヴォルフ 歌曲・管弦楽伴奏版

ディートリヒ・ヘンシェル(Br)
ユリアーネ・バンゼ(S)

ケント・ナガノ 指揮
ベルリン・ドイツ交響楽団
ベルリン放送合唱団*


(2003年11月、2004年7,12月 録音 Harmonia Mundi)

 フーゴー・ヴォルフ(Hugo Wolf 1860年3月13日 - 1903年2月22日)はマーラー(Gustav Mahler, 1860年7月7日 - 1911年5月18日)と同じ年の生まれなのに、どうもマーラーはヴォルフを嫌う、あるいは蔑むような感情を持っていたようです。それはヴォルフがワーグナーと同様に反ユダヤ的な露骨な言動を繰り返していたことも関係していることでしょう。マーラーはヴォルフについて「このささやかな湧水はまもなく涸れるだろう」、「数年後には、このヴォルフが何者であったか知る人はいないだろう」とまで言っています。しかし実際にはマーラー程の人気ではないとしても今世紀に入ってこのようにちゃんと新譜CDも出ています。この点は後輩のヴェーベルンのみる所の方が当っていました。

 ところで先月に世界記憶遺産に南京事件の文書も認められましたが、審査はかなり杜撰なものだと思い知らされ恐ろしくなりました。この分ではイアンフの方も予断を許さないところです。しかし、素朴な疑問なのですが、日本語しか話さず代々1911年以前の日本領内にしか住んだことのない日本人も当然ジュウグン・イアンフになっていたはずなのに、あらゆるメディアでは滅多にそれについて触れていません。特集でも組もうものなら後の祟りがこわいのか、原爆被害者とは逆に近い扱われ方です。だからどうだと騒ぐ気はありませんが、仮に隣国に対する新たな解決策を講じるならちょうど良い機会(元々の日本人が従事した実態、惨状も見直す)ではないかと思います。

 さて、多数のドイツ語による歌曲を残して43歳を目前にして亡くなったヴォルフの死因は梅毒が影響しているとされています。そのヴォルフはマーラーが宮廷劇場の監督になったような社会的な地位は全然得られず、かろうじて音楽評論家として文章を発表できるくらいでした。作曲の方は他の作曲家からはディレッタント(趣味の作曲家)的に見られ続けました。しかし、そうであってもヴォルフの歌曲は非ドイツ語圏、異文化圏の我々が聴いても不思議に惹きつけられるものがあります。

~メーリケ詩集(抜粋)
No.39 Denk' es, o Seele!(思っておくれ、おお心よ)
No.28 Gebet(祈り)
No.23 Auf ein altes Bild(古い絵に)
No.25 Schlafendes Jesuskind(眠る幼な児イエス)
No.26 Karwoche(聖週間)
No.24 In der Fruhe(明け方に)
No.44 Der Feuerreiter (炎の騎士) *合唱が入る
No.30 Neue Liebe(新しい愛)
No.31 Wo find ich Trost?(どこに慰めを求めよう)
No.22 Seufzer(ため息)
No.46 Gesang Weylas(ヴァイラの歌)
No.29 An den Schlaf(眠りに)
No.6 Er ist's(彼が来た)
~スペイン歌曲集(世俗歌曲集)
No.6. Wenn du zu den Blumenen gehst
(花を摘みに行くなら)
No.2. In dem Schatten meiner Locken
(私の巻髪に包まれて)
No. 7. Wer sein holdes Lieb verloren
(優しい恋を失った人は)
No.11. Herz, verzage nicht geschwind
(心よ、がっかりするのはまだ早い)
~ゲーテの詩による歌曲集(抜粋)
No.9 Mignon (ミニヨン)
No.11 Der Rattenfanger
No.1 Harfenspieler I(竪琴弾きの歌I)
No.2 Harfenspieler II(竪琴弾きの歌II)
No.3 Harfenspieler III(竪琴弾きの歌III)
No.29 Anakreons Grab(アナクレオンの墓)
No.49 Prometheus(プロメテウス)

 このCDに収録された歌曲はオーケストラの伴奏で演奏されていますが、通常はピアノと独唱で演奏、録音されています。ヘンシェルも後にその編成でメーリケ歌曲集の大半をライヴ録音しています。昔ヴォルフの歌曲をピアノ伴奏で聴いた時は、この人もマーラーと同様にユダヤ系かと思いましたが、どうもそういう話はありませんでした。それがオーケストラ伴奏版で聴くとマーラーの歌曲とは違い、むしろブルックナーとかに近いものを何となく感じます。マーラー的というならむしろブラームスのアルト・ラプソディの冒頭なんかは紛らわしい響きです。ケント・ナガノがこういう作品を録音しているのを見て何でもやってるなあと思いましたが、ワーグナーやブルックナーを何曲も取り上げているのでそれの延長線上かと改めて実感しました。
4 10月

プッチーニ「ボエーム」 K.ナガノ、キリ・テ・カナワ、R.リーチ

151004プッチーニ 歌劇「ラ・ボエーム」

ケント・ナガノ 指揮
ロンドン交響楽団
アンブロジアン・シンガーズ
聖クレメント・デンマーク学校合唱団


ミミ:キリ・テ・カナワ(S)
ロドルフォ:リチャード・リーチ(T)
ムゼッタ:ナンシー・グスタフソン(S)
マルチェッロ:アラン・タイトゥス(Br)
ショナール:ジーノ・キリコ(Br)
コッリーネ:ロベルト・スカンディウッツィ(Bs)
ベノア:カルロ・ショーソン(Br)
パルピニョール:バリー・バンクス(T)

(1994年6月,12月 ロンドン,アビーロード・スタジオ 録音 ERATO)

151004a 今年もフィギュア・スケートの季節がやってきました。競技継続を宣言した浅田選手も昨日のジャパン・オープンに登場してそつのない演技の上に、以前とは違う演技をプッチーニの「蝶々夫人」にのせて披露しました。実はロシア勢、特に高いトリプルアクセルを跳んでいるトゥクタミシュワの前にはかすむのじゃないかと思って放送は見ずに、ネットで結果を確認後にスポーツ・ニュースで観るという小心なことをしていました。そんなわけで久々にプッチーニのオペラ「ボエーム」を聴いてみました。蝶々さんはあまり好きじゃなくて、プッチーニと言えばどうしてもボエームの方に関心がわきます。

 このCDはボエームの代表的録音というほどの評判じゃなかったと思いますが、ケント・ナガノ(Kent George Nagano, 1951年11月22日 - )の指揮なので中古品を見付けて購入していました。キャストを見てまず思うのが、失礼ながらキリ・テ・カナワ(Dame Kiri Janette Te Kanawa 1944年3月6日 - )がミミを歌うのか?という、年齢というかキャラというか、せめて十年早くという勝手な願望から来る大丈夫?感です。しかし実際に聴くと若々しいとか初々しいという印象は薄いものの、色々な情感を感じさせて独特な魅力を感じます。他のキャストも線が太い歌唱なので重唱等でも迫力があって劇的な内容です。ただ、第四幕の終わり、ミミの死、それ以降とかはもっと繊細な、あるいはプラスアルファ的なものがあればと思いました(音だけで聴いているから仕方ないか)。

151004b ケント・ナガノは今シーズンからシモーネ・ヤングの後任でハンブルク歌劇場の音楽監督に就任しているはずですが、この録音当時は写真(若い頃の間寛平)のようなヘアスタイルでハレ管弦楽団の首席やリヨン国立歌劇場の首席を務めていました。ケント・ナガノの1990年代の録音にはR.シュトラウスのナクソス島のアリアドネやプロコフィエフ、ストラヴィンスキーのオペラもあり、かなり広範なレパートリーです。その後に映像ソフトでパルジファルやローエングリンが出てきてそれまでのCD以上の演奏だと思いました。

 ブログを始めて以降にケント・ナガノの指揮が気に入り、特に上記のワーグナー作品やベートーベンに注目していました。それだけでなく、このCDよりも古いプーランクの歌劇「カルメル会修道女の対話」メシアンの歌劇「アッシジの聖フランシスコ」も素晴らしかったので、遅まきながら自分の中でかなりの存在になりました。今回のボエームはそれらに比べると微妙な感銘度でした。

 

28 1月

ベートーベン交響曲第6番「田園」 ケント・ナガノ、モントリオールSO

150128aベートーヴェン 交響曲 第6番 ヘ長調 作品68 「田園」


ケント・ナガノ 指揮
モントリオール交響楽団


(2011年4,5月 モントリオール,サル・ウィルフリード・ペルティエ 録音 Sony Classical)

 ケント・ナガノとモントリオール交響楽団によるベートーベンの交響曲もこのブログで取り上げるのは今回で最後です。ナガノのベートーベンは夫人との共演でピアノ協奏曲も録音しているようですがそちらは聴いたことはありません。このシリーズは途中から演奏会場がモントリオール交響楽団の新しい本拠地、メゾン・サンフォニーク・ド・モントリオールに変わりました。会場が変わったことが録音の音から実感できるかどうか分かりませんが、曲によってはピリオド奏法への傾斜度が違っているゆおです。今回の田園交響曲は聴いていてあまりピリオド系のシャープな演奏ではなく、大らかに朗々と響かせているような印象なので、この曲に対するベタな思い入れを込めて愛好している者には親しみやすいと思いました。ただ、この録音もトラックタイムを比べれば聴いた印象と違って意外な結果、数値なのかもしれませんが今回は表記は控えます。ともあれ、第6番「田園」は過去に取り上げた8曲以上に魅力的でシリーズ中で特に気に入りました。

 改めて振り返ればカナダのフランス語圏にあって本国よりフランスのオーケストラらしいという謳い文句だったモントリオール交響楽団が日系アメリカ人の指揮者のもと、ベートーベンの交響曲を全曲録音するというのは思い切った企画です。デュトワの時代はアンセルメが残したレパートリーの録り直しのような感じでフランス、ロシアものとバレエ音楽を順次録音していました。だからデュトワがN響に来てベートーベンを振っていたのが新鮮に感じられました(FM放送されたのをDATテープに録音したがそれっきりになっている)。

150128b 月刊「カトリック生活」の最新号、「コンプリ神父のバルゼレッタ」NO.143に「お国柄」というこばなしが載っています。各国の兵士に橋から飛び込めと命令すると、その反応にお国柄が出るというネタで、最初は皆断るので次に目的を添えて命じると従い、飛び込みます。スペイン人には「神のために」、フランス人は神のためにと言っても誰も飛び込まないので「祖国のために」と言えば飛び込む兵士が現れます。以下同様にドイツ人は神のため、祖国のためも通用せず「隊長の命令だ」と言えば飛び込み、イタリア人はそれら全部にも反応しないのに「飛び込むのを禁じる」としたら飛び込んだということでした。グローバル化の現代にあって、どこの国のオケを何人が指揮しても大差ないかもしれませんが、お国柄という意識はまだ残っていそうです。

 ちなみにのこばなしのオチは、日本なら「一緒に飛び込もう」が有効だろうということを暗示して終わっています。この話は元ネタがあるのかもしれませんが、歳と共に「横並び」という暗黙の合意、圧力を意識するようになるので的を得ていると思いました。ただ、フランス人のところは「恋人のため」とか、イタリア人のところは「ママのため」かなと思ったので意外というか自分のイメージの浅はかさを再確認しました。それに、オーケストラの個性と言う点を思えばドイツ兵が「隊長の命令」が効き目てきめんというのは成るほどと思いますが、フランスは「飛び込むjな」と逆に命じて飛び込む自発性の強さではないかと思いました。それにしても、ケント・ナガノの長髪を見るにつけ、これは地毛なんだろうかと思います(もう60歳を超えている)。

25 1月

ムソルグスキーのボリス・ゴドゥノフ K.ナガノ、バイエルン国立歌劇場

150125ムソルグスキー 歌劇「ボリス・ゴドゥノフ」(1868/9年原典版)


ケント・ナガノ 指揮
バイエルン国立歌劇場管弦楽団&合唱団


ボリス・ゴドゥノフ:アレクサンドル・ツィムバリュク(Bs)
皇子フョードル:ユリヤ・ソコリク(Ms)
皇女クセニヤ:中村恵理(S)
乳母:ヘイケ・グルツィンガー(A)
シュイスキー:ゲルハルト・シーゲル(T)
アンドレイ・シチェルカーロフ:マルクス・エイヘ(Br)
僧ピーメン:アナトーリ・コチェルガ(Bs)
聖痴愚:ケヴィン・コナーズ(T)
グリゴーリ・オトレピエフ:セルゲイ・スコトホドフ(T)
浮浪者ヴァルラーム:ウラジーミル・マトリン(Bs)
ミサイール:ウルリヒ・レス(T)
居酒屋の女将:オッカ・フォン・デア・ダメラウ(Ms)
ニキーティチ:ゴラン・ユリチ(Bs)、他

演出:カリスト・ビエイト
舞台美術:レベッカ・リングスト、エフゲニー・モナホフ
衣装:インゴ・クリュグラー
制作総指揮:フランソワ・デュプラ
監督:アンディ・ソンマー

(2013年2月 ミュンヘン,バイエルン国立歌劇場 ライヴ収録  Bel Air)

150125b 「ボリス・ゴドゥノフ」は個人的に好きなオペラの一つで、映像の無い音だけで聴いても圧倒的です。このDVDはケント・ナガノ指揮、バイエルン国立歌劇場の公演を収録したもので、各国首脳の肖像を掲げた場面でも話題になっていました。日本の首相の顔写真もしっかり入っていて、トップの顔が見えないとか、存在感が無いとか言われていたのでようやく数の内に入った、覚えられたと喜んで良いのかどうか。そんな場面が出ることからも分かる通り演出は伝統的なものではなくて、現代世界に読替えています。日本語解説が無いのでどういうコンセプトの上演なのか細かい部分までは分かりませんが、聖痴愚が拳銃で撃たれて血を吐いて倒れるという場面には驚きます。ロシア民衆の魂を象徴しているのではなかったのか、それを女の子に撃たせてどうする?と思いますが、そこがミソなのかもしれません。ケント・ナガノバイエルン国立歌劇場の公演はローエングリン、カルメル会修道女の対話をソフトで観ましたが、演出はどれも読み替えスタイルだったので現代のミュンヘンはこういうスタイルが受けるのかとちょっと意外に思いました。

150125a 演出の他に注目するところは、リムスキー・コルサコフ版でもなく、近年(1980年代から)一般化したロイド・ジョーンズ校訂による1872年版でもない、1869年原典版で上演している点です。これはムソルグスキーが完成させた最初の版であり、「原ボリス」と呼ばれ、ゲルギエフとサンクト・ペテルブルク・キーロフ歌劇場らが録音して注目されました。こういう版を採用するなら演出は伝統的というか、コテコテのロシア風にすればいいのにと思いますがミュンヘンで上演するならそれも困難ということもあるのでしょう。上演後の反応も収録されていて、派手な歓声は無かったものの拍手は盛大に起こり、ブイーングらしき声も聞き取れませんでした(カットしたのかもしれないが、というのは最初拍手が小さかったので)。総じて歌手、コーラス、オーケストラには好意的なようでタイトル・ロールを歌ったアレクサンドル・ツィムバリュクと指揮のケント・ナガノへの拍手がひときわ大きくなっていました。

 舞台上の映像は決してきれいではないのと対照的に音楽は洗練され、時々ワーグナー作品を連想させられました。ゴドゥノフの演奏としてそれがプラスなのかはともかくとして、身贔屓かもしれませんが相当に魅了されました。会場の拍手からしても全く的外れではない感慨だと思います。聖痴愚が最後に登場するのは第四部、第1場「モスクワにある聖ワシーリー寺院の広場」ですが、ここでボリスは彼に自分のために祈ってくれと頼み、それに対して「ヘロデ王(福音書で幼子を虐殺させた)のためには祈れない、聖母様がゆるさない」と言って拒みます。それに対してボリスは反論も出来ず、本来は聖痴愚に手をかけないように制しています。この公演ではそうではなく、彼を殺させているので作品の性格がかなり変わってしまった印象があります。だから続く第2場の「ボリスの死」もあまり重さをもってこないように見えます。

 さて、「ショスタコーヴィチの証言」の中で交響曲第5番の終楽章を「強制された歓喜」として、ボリス・ゴドゥノフの冒頭部分を引き合いに出していました。ニキーティチら警吏が民衆を脅して跪かせ「何故我等を見棄てられるのか、我等が父よ!(民衆の合唱)」と、ボリスに皇帝の位に就くようお願いさせています。この場面は今回の公演では露骨であり、現代の治安警察のような出で立ちの警官が特殊警棒を振りかざし、松葉杖をついたり傷を負った民衆を威嚇しています。すごくシンプルな表現ですが、ショスタコーヴィチの第5番の終楽章はそこまでシンプルな性質とも思えず、それと同様にこのオペラの方も「誰か早く皇帝になって治めて欲しい」という民衆の根源的な願望はあるので、ちょっと単純過ぎるとも思えます(現代の視点、読みかえればこうなるのは仕方ないか)。

3 1月

ブルックナー交響曲第8番・第1稿 ケント・ナガノ、バイエルン国立管弦楽団

141122bブルックナー 交響曲 第8番 ハ短調 (1887年第1稿ノヴァーク版)

ケント・ナガノ 指揮
バイエルン国立管弦楽団


(2009年 ミュンヘン,ファラオ・スタジオ 録音 Farao)

 このブルーレイ・オーディオディスクは昨日のクナッパーツブッシュゆかりのミュンヘンの歌劇場のオーケストラをケント・ナガノが指揮したブルックナーの録音を集めたものです。昨年11月に取り上げた第7番はベルギーの大聖堂でライヴ録音されたものでしたが今回の第8番はミュンヘンのスタジオでセッション録音されました。しかも通常の稿と違って1877年・第1稿を採用して演奏しています。といっても近年は第1稿による録音も増えています。ただ、ケント・ナガノはヴァントに系統しているそうなので、作曲者当人の最終意思を反映したとも言えない第1稿を採用したのはどういう理由だろうと思います。この三曲まとめたブルーレイ・オーディオ版にはその辺の説明はありません。

 そうしたことはさて置き、この第1稿による第8番は演奏時間からもうかがい知れるように、緻密に広々というか、これだけゆったりとしたテンポの演奏なのに威圧するような巨大感があまりなく、作品・演奏の中に入ってくつろげるような魅力的なものです。遅い演奏と言えばチェリビダッケを連想しますが、それ程強引にテンポを設定したという印象ではないのが不思議です。第2楽章は、例えばクレンペラーとニュー・フィルハーモニア管弦楽団のようなタイプとは違って普通と感じられるテンポ感です。

ナガノ・バイエルン国立:2009年
①19分55②17分09③33分37④28分44 計99分25

ウェルザー・メストCLO:2010年~映像ソフト
①17分02②15分33③31分46④24分33 計84分54 
インバル・東京都:2010年
①14分55②13分52③25分11④21分48 計75分46
ヤング・ハンブルクPO:2008年
①16分05②14分37③27分44④24分10 計82分06 
ティントナー・アイルランド国立:1996年
①17分41②15分14③31分10④25分10 計89分15
インバル・フランクフルト:1982年
①14分05②13分29③26分50④21分09 計75分33

141122a 上記のようにこの録音は同じく第1稿による第8番の中で図抜けて長い演奏時間になりました。わりと長目かと思ったティントナーよりさらに10分以上も長くなっています。ケント・ナガノの他の曲の録音、第6番、第7番では他の演奏者と比べて特に遅い、長い演奏時間にはなっていないので特別です。これは省略の有無も関係しているはずです。元々1887年・第1稿は1890年・第2稿よりも各楽章ともに20~30小節くらい長い作品です。第2稿を使っていても部分的にカットして演奏する例もあるので、第1稿でも例外ではないでしょう。

 この録音は当初通常のCDで発売されていましたが、これはブルーレイを再生できる機器でしか再生できないブルーレイ・オーディオ仕様です。ここ何年かで新しい録音だけでなく古い録音の復刻もこの仕様で出るものも見られます。意味はよく分かりませんが96khz/24bit、リニアPCM・2チャンネルとDTS・HD・MAの5.0チャンネルで収録されています。大容量のブルーレイに映像情報無しで音声だけを収録するのだから音質も良いだろうというのは分かります。ただ、SACDのように通常のプレーヤーでも再生できる層がなければ不便です。そう言えばDVD-audioというのもあったはずですが、最近は見かけなくなりました。

16 12月

ベートーベン交響曲第4番 ケント・ナガノ、モントリオールSO

141216aベートーヴェン 交響曲 第4番 変ロ長調Op.60


ケント・ナガノ 指揮
モントリオール交響楽団


(2014年1月7-9日 メゾン・サンフォニーク・ド・モントリオール  録音 Sony Classical)

 毎年12月頃になるとユニバーサル・クラシックス&ジャズのカレンダーをレコード(CD)店で配布していましたが、ソフト市場を反映してか昨年からカレンダーのサイズが小さくなりました。それに統合の影響で写真に使われる新旧のアーティスト数が増え、フリッツ・レーマンやクナまで登場しました。肝心な人物というか彼らを使うなら他に居るだろうと思いつつ2015年用に期待したところ、先日中を見ると写真に登場するアーティストが若返り、ベームが一番古株でした。EMI系ではムーティだけで今回もクレンペラーは出ていません。爺さんの肖像なんて別に要らないと言えばそれまでだけれど、クナはまあバイロイトの常連だからあれだとしてもフリッツ・レーマンに後れをとるとは少々残念です。それはともかく、今回はユニバーサルのカレンダーとは関係の無いケント・ナガノのベートベン第4番です。ワーグナー漬けの後にこういうベートベンを聴くと清新で、ほっとするような気分です。

K.ナガノ・2014年
①10分59②08分55③5分21④6分26 計31分41
I.フィッシャー・2010年
①11分50②08分55③5分48④6分45 計33分18
アントニーニ・2007年
①11分15②09分18③5分30④6分24 計32分27

141216b ケント・ナガノとモントリオール交響楽団が進めていたベートーベン・チクルスが今年に入り完結しました。第2番と第4番を収録したこのCDが交響曲の最終巻でした(夫人と共演しているピアノ協奏曲もあるようだ)。今世紀に入ってからのベートーベン第4番のCDから過去記事で取り上げたもののトラック・タイムを並べると上記のようになりました。このCDはライヴ録音のため演奏終了後の拍手も入っているため、第4楽章はその分をカットしています。合計演奏時間は最大と最少で1分半強なのであまり差は出ていません。程度の差こそあれピリオド的アプローチでの演奏なので当然似てきますが、ケント・ナガノが一番短い(アントニーニよりも)のは意外です。

 「これまでベートーベンの交響曲は、あまりにも昔の楽譜の記憶に頼って演奏され過ぎました。最新の演奏用楽譜を勉強し、新たな研究成果を演奏に取りこんでいくためには、記憶を真っ新にして、ある程度時間をかけて吸収していくことが必要です。」これはケント・ナガノが2011年に来日した時にインタヴューにこたえて話した内容の一部で、CD付属冊子に「オリジナル・ラナーノーツへの補足」として載っています。新たな研究成果を取り組むといのは、ピリオド・アプローチ( ノン・ヴィヴラート奏法、硬いバチを使用したティンパニ、ヴァイオリン対向配置、速いテンポ etc )のことですが、これまで聴いてきたケント・ナガノのベートーベンはそれ自体を目的にしてひけらかすといった風でもなくて、曲によってピリオド・アプローチの濃淡があったようです。第4番はちょっとそれが強目に現したという印象です。それにこれらの録音企画は、CDの余白にベートーベンの序曲を収録するのではなく、ベートーベンの各交響曲の現す理念、背後の時代的な精神にも留意して、現代の文学、演劇作品を朗読するなどして交響曲自体と対比させています。もう一度最初から全部のCDを順に聴いていくと、その感銘具合はあるいは19世紀生まれの巨匠らが演奏したベートーベンの記憶と親近性があるかもしれません。

2008年2月:第5番
2010年5月:第3番
2011年4,5月:第6,8番
2011年9月:第9番
2013年3月:第1,7番
2014年1月:第2,4番

 あと、ゆっくりと時間をかけて吸収するということでしたが、ベートーベン・チクルスはナガノが2004年にこのオーケストラの音楽顧問を引き受けてから約4年後に開始して、そこからさらに6年かけています。近年のベートーベンの録音にしては確かに慎重なスケジュールです。

25 11月

カルメル会修道女の対話 ケント・ナガノ、リヨン国立歌劇場

141125プーランク 歌劇「カルメル会修道女の対話」

ケント・ナガノ 指揮
リヨン歌劇場管弦楽団
リヨン歌劇場合唱団
(マルコ・ザンベッリ指揮)
ロンドン・コーラス(リチャード・クック指揮)


ブランシュ:カトリーヌ・デュボス(S)
クロワシー(修道院長):リタ・ゴール(Ms)
マリー(副院長):マルティーヌ・デュピュイ(Ms)
リドワーヌ(新院長):ラシェル・ヤカール(S)
コンスタンス:ブリジット・フルニエ(S)
フォルス公爵:ホセ・ファン・ダム(Bs)

騎士フォルス:ジャン=リュック・ヴィアラ(T)
マチルド修道女:エレーヌ・ペラガン(Ms)
マザー・ジャンヌ:マリー・ボワイエ(A)
司祭:ミシェル・セネシャル(T)
第1の人民委員:ジョルジュ・ゴーティエ(T)
看守:フランソワ・ル・ルー
(Br)
役人:ヴァンサン・ル・テクシエ(Br)
第2の人民委員:イヴ・ビッソン(Br)
医師:エミリオ・ローマン(Br)
従僕:エリック・フルーロン
第1の老女:ニコール・ビオンティ  
第2の老女ミレイユ・アントワーヌ  
老人:ジョルジュ・ブーケ、他

(1990年6月21-30日 ラジオ・フランス21,オーディトリウム・モーリス・ラヴェル 録音 Virgin

 ことしも流行語大賞とか紅白出場者の発表が近くなってきました。河内守様とかソチ五輪なんかは今年の出来事でないように錯覚しそうになります。ところで去年の今頃取沙汰された「倍返し」なんかはすっかり色あせて、かろうじて「今でしょ」くらいがまだ鮮明に覚えているくらいです。それとどういうわけか、半沢のドラマ絡みでは「それとこれとは別だろ(オギソ)」が日常生活の中で何度も思い出され、今でも口に出して言いそうになります。クラシック音楽の方ではブログで記事化できなかったものも含めてイギリス、フランスの作品にちょくちょくはまっていました。特にプーランクのオペラ「カルメル会修道女の対話」はしばしば観ていました。これはブルーレイの再生専用器とセンター・スピーカーとフロント・スピーカーを購入してマルチ・チャンネルを常時再生出来るようにして、オペラのソフトにも少し関心が向いたからでした。

141125a さて、今回はこの一年間で特に印象深かったCD、「カルメル会修道女の対話」の中古CDです。この録音は1999年(プーランクの生誕100年)と2006年に再発売されてから入手し難くなっているようですが大変すばらしい内容で、このオペラの悲劇的な性格、儚い美しさ(というのが正しい見方かどうか分からないが)が見事に表現されています。CD付属冊子には舞台のセットのデザインが少し出ていますが、公演そのものも観てみたかったと思います。多分読み替えの演出ではなく真正面から描いていただろうと、演奏を聴いていると想像できます。ナガノ指揮のオーケストラが研ぎ澄まされた明晰な響き(音質も良好だと)なので終始引き締まって、緊迫感が漂っています。このオペラの録音はそんなに多くはないようですが、これが筆頭くらいの(過去記事の3種のDVD・CDを含めた、少なくともこれら四つの中では)すばらしさだと思いました。

141125b 歌手の方ではヒロインのブランシュ、クロワシー修道院長が特別で、この録音に対する印象を決定付けているようです(クロワシーは前半しか出ないけれど)。ブランシュを歌っているカトリーヌ・デュボスはこれ以外の録音にどんなものがあったか、どういう活躍があったか実は全然知りません。またそもそも新譜時にこれがどういう評判だったかも知らず(その当時は全くのノーマークだった)、自分がこのCDを聴いたタイミングが良かったから勝手に感動しているのかもしれません。しかしこのCDを聴く限りは物語のブランシェの人物像にぴったりだと思いました。ただ、これも演出・解釈如何によっては違う歌手・声質が要求されるのだとは思います。

 ケント・ナガノは今世紀に入ってドイツの歌劇場にポストを得て来シーズンもハンブルク歌劇場の監督に就任する予定で、独墺系の作品の録音が増えています。それ以前のリヨン時代もオペラの録音が結構あったようですが、このCDを聴いているとかなり水準が高い演奏だったのではないかと想像できます。当時のオペラ録音はフランス、ロシア、イタリアの作品等様々でしたがそれらが今頃になって気になってきます。

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昭和40年代生まれ、オットー=クレンペラーの大フアンです。クレンペラーが録音を残したジャンルに加え、教会音楽、歌曲、オペラが好きなレパートリーです。

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