サー・チャールズ・ヴィリアーズ・スタンフォード 「復活」OP.5
デイヴィッド・ヒル 指揮
ボーンマス交響楽団
バッハ合唱団
ロバート・マレイ:T
(2015年11月21,22日 録音 NAXOS)
三月のお彼岸も過ぎたけれど朝は気温が下がり、強風と雨の日が続きました。先日府庁の本庁舎へ行く用があり、地下鉄の駅から御所西エリアを歩いていると、結構昔からの店舗も健在の上に古くても空家らしき家はほとんど見られず、この辺りは特別かなと思って通り過ぎました。御所西一帯は他所から引っ越してきても見えない垣、結界でも出来てるような独特の雰囲気を感じるのは劣等感的な感覚だろうか、まんざらそうでもないといつも思います。府庁の正面にある庁舎は古い建物で、確か自分が幼稚園くらいの時に母にくっついて来たことがあったのを思い出します。現在は改修・保存の措置をして実際にまだ執務室が稼働しています。現在はそれの東側に文化庁が移転してきて新庁舎が開庁済でした。現新潟県知事が文科大臣の頃から苦心して京都へ移転しましたが、また戻るとか言わないだろうなとぼんやりと不安もこみ上げてきました。もう少し後、桜の季節なら御苑を通って帰れば花見ができるのにと思って帰りました。
今回の作品、スタンフォードの「復活」を聴いてみると、冒頭はパルジファルの第一幕の前奏曲が終わった直後のオーケストラ部分と似ていると思ったら、すぐにそんな神秘的な空気は後退し、エルガーのオラトリオ等の世界と重なるような調子ななり、保守的な内容に聴こえました。この作品はクロプシュトック(Friedrich Gottlieb Klopstock 1724年7月2日 - 1803年3月14日)の詩「Die Auferstehung(復活)」に作曲した短いカンタータで、演奏時間は13分未満です。英語版が初演されたのは1875年でした。演奏しているデイヴィッド・ヒルはウィンチェスター大聖堂やウェストミンスター大聖堂、ケンブリッジ・セント・ジョンズ・カレッジなどの名門聖歌隊を指導、指揮していて、ウィリアム・バードの作品のCDは聴いたことがありました。バッハ合唱団は英国で1876年に設立された団体で、早くからバッハの作品を演奏してバッハ音楽祭等英語版の受難曲の録音もありました。ボーンマス交響楽団はベルグルンドのシベリウスで有名で、1893年にイングランドのボーンマスで設立され、2006年から本拠地をプールに移しています。
このクロプシュトックの詩はマーラーの交響曲第2番「復活」の終楽章の歌詞に詩の一部が使われているので有名です。復活交響曲の解説にはマーラーがハンス・フォン・ビューローの葬儀の時に聴いた復活賛歌という形でクロプシュトックの詩が紹介されるのが通例ですが、それではその賛歌にはどんな曲が付いていたのかということになります。特に曲に言及が無いのでドイツでは、ああ、あの復活賛歌ね、くらいに定着していて皆まで言うな的な書き方で、それを邦訳しているからそうなるのかと勝手に想像していました。ビューローの葬儀が行われたのはハンブルクの教会だったので、まずプロテスタントの教会、賛歌だったと推測できます。それなら後に日本へも讃美歌として入って来ていてもおかしくないはずですが、そんなことはきいたことはありません。そのフォン・ビューローの葬儀が行われたのは1894年だったそうなので時系列的にはスタンフォードのこの作品は間に合うわけですが、これを聴いてマーラーが霊感を受けるとは想像し難いものがあります。
デイヴィッド・ヒル 指揮
ボーンマス交響楽団
バッハ合唱団
ロバート・マレイ:T
(2015年11月21,22日 録音 NAXOS)
三月のお彼岸も過ぎたけれど朝は気温が下がり、強風と雨の日が続きました。先日府庁の本庁舎へ行く用があり、地下鉄の駅から御所西エリアを歩いていると、結構昔からの店舗も健在の上に古くても空家らしき家はほとんど見られず、この辺りは特別かなと思って通り過ぎました。御所西一帯は他所から引っ越してきても見えない垣、結界でも出来てるような独特の雰囲気を感じるのは劣等感的な感覚だろうか、まんざらそうでもないといつも思います。府庁の正面にある庁舎は古い建物で、確か自分が幼稚園くらいの時に母にくっついて来たことがあったのを思い出します。現在は改修・保存の措置をして実際にまだ執務室が稼働しています。現在はそれの東側に文化庁が移転してきて新庁舎が開庁済でした。現新潟県知事が文科大臣の頃から苦心して京都へ移転しましたが、また戻るとか言わないだろうなとぼんやりと不安もこみ上げてきました。もう少し後、桜の季節なら御苑を通って帰れば花見ができるのにと思って帰りました。
今回の作品、スタンフォードの「復活」を聴いてみると、冒頭はパルジファルの第一幕の前奏曲が終わった直後のオーケストラ部分と似ていると思ったら、すぐにそんな神秘的な空気は後退し、エルガーのオラトリオ等の世界と重なるような調子ななり、保守的な内容に聴こえました。この作品はクロプシュトック(Friedrich Gottlieb Klopstock 1724年7月2日 - 1803年3月14日)の詩「Die Auferstehung(復活)」に作曲した短いカンタータで、演奏時間は13分未満です。英語版が初演されたのは1875年でした。演奏しているデイヴィッド・ヒルはウィンチェスター大聖堂やウェストミンスター大聖堂、ケンブリッジ・セント・ジョンズ・カレッジなどの名門聖歌隊を指導、指揮していて、ウィリアム・バードの作品のCDは聴いたことがありました。バッハ合唱団は英国で1876年に設立された団体で、早くからバッハの作品を演奏してバッハ音楽祭等英語版の受難曲の録音もありました。ボーンマス交響楽団はベルグルンドのシベリウスで有名で、1893年にイングランドのボーンマスで設立され、2006年から本拠地をプールに移しています。
このクロプシュトックの詩はマーラーの交響曲第2番「復活」の終楽章の歌詞に詩の一部が使われているので有名です。復活交響曲の解説にはマーラーがハンス・フォン・ビューローの葬儀の時に聴いた復活賛歌という形でクロプシュトックの詩が紹介されるのが通例ですが、それではその賛歌にはどんな曲が付いていたのかということになります。特に曲に言及が無いのでドイツでは、ああ、あの復活賛歌ね、くらいに定着していて皆まで言うな的な書き方で、それを邦訳しているからそうなるのかと勝手に想像していました。ビューローの葬儀が行われたのはハンブルクの教会だったので、まずプロテスタントの教会、賛歌だったと推測できます。それなら後に日本へも讃美歌として入って来ていてもおかしくないはずですが、そんなことはきいたことはありません。そのフォン・ビューローの葬儀が行われたのは1894年だったそうなので時系列的にはスタンフォードのこの作品は間に合うわけですが、これを聴いてマーラーが霊感を受けるとは想像し難いものがあります。
大学の名前ではなく作曲家のスタンフォード、サー・チャールズ・ヴィリアーズ・スタンフォード(Sir Charles Villiers Stanford 1852年9月30日 - 1924年3月29日)は、アイルランド、ダブリンに生れて19世紀末から20世紀前半にかけて活動(躍)し、宗教曲や七つの交響曲他の管弦楽曲の他、多数の作品を残しながら、没後は門下生のホルストやヴォーン・ウィリアムズのプロフィールの中で名前が出て来るくらいの位置付けになっていました。それでもCDの時代になって作品が録音されて出回るようになり、特にChandosレーベルからは多数出ています。