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新・今でもしぶとく聴いてます

その他

22 3月

スタンフォードの「復活」 D.ヒル、ボーンマスSO,バッハ合唱団/2015年

240322bサー・チャールズ・ヴィリアーズ・スタンフォード 「復活」OP.5

デイヴィッド・ヒル 指揮
ボーンマス交響楽団
バッハ合唱団


ロバート・マレイ:T

(2015年11月21,22日 録音 NAXOS)

240322c  三月のお彼岸も過ぎたけれど朝は気温が下がり、強風と雨の日が続きました。先日府庁の本庁舎へ行く用があり、地下鉄の駅から御所西エリアを歩いていると、結構昔からの店舗も健在の上に古くても空家らしき家はほとんど見られず、この辺りは特別かなと思って通り過ぎました。御所西一帯は他所から引っ越してきても見えない垣、結界でも出来てるような独特の雰囲気を感じるのは劣等感的な感覚だろうか、まんざらそうでもないといつも思います。府庁の正面にある庁舎は古い建物で、確か自分が幼稚園くらいの時に母にくっついて来たことがあったのを思い出します。現在は改修・保存の措置をして実際にまだ執務室が稼働しています。現在はそれの東側に文化庁が移転してきて新庁舎が開庁済でした。現新潟県知事が文科大臣の頃から苦心して京都へ移転しましたが、また戻るとか言わないだろうなとぼんやりと不安もこみ上げてきました。もう少し後、桜の季節なら御苑を通って帰れば花見ができるのにと思って帰りました。

240322 今回の作品、スタンフォードの「復活」を聴いてみると、冒頭はパルジファルの第一幕の前奏曲が終わった直後のオーケストラ部分と似ていると思ったら、すぐにそんな神秘的な空気は後退し、エルガーのオラトリオ等の世界と重なるような調子ななり、保守的な内容に聴こえました。この作品はクロプシュトック(Friedrich Gottlieb Klopstock 1724年7月2日 - 1803年3月14日)の詩「Die Auferstehung(復活)」に作曲した短いカンタータで、演奏時間は13分未満です。英語版が初演されたのは1875年でした。演奏しているデイヴィッド・ヒルはウィンチェスター大聖堂やウェストミンスター大聖堂、ケンブリッジ・セント・ジョンズ・カレッジなどの名門聖歌隊を指導、指揮していて、ウィリアム・バードの作品のCDは聴いたことがありました。バッハ合唱団は英国で1876年に設立された団体で、早くからバッハの作品を演奏してバッハ音楽祭等英語版の受難曲の録音もありました。ボーンマス交響楽団はベルグルンドのシベリウスで有名で、1893年にイングランドのボーンマスで設立され、2006年から本拠地をプールに移しています。

240322a このクロプシュトックの詩はマーラーの交響曲第2番「復活」の終楽章の歌詞に詩の一部が使われているので有名です。復活交響曲の解説にはマーラーがハンス・フォン・ビューローの葬儀の時に聴いた復活賛歌という形でクロプシュトックの詩が紹介されるのが通例ですが、それではその賛歌にはどんな曲が付いていたのかということになります。特に曲に言及が無いのでドイツでは、ああ、あの復活賛歌ね、くらいに定着していて皆まで言うな的な書き方で、それを邦訳しているからそうなるのかと勝手に想像していました。ビューローの葬儀が行われたのはハンブルクの教会だったので、まずプロテスタントの教会、賛歌だったと推測できます。それなら後に日本へも讃美歌として入って来ていてもおかしくないはずですが、そんなことはきいたことはありません。そのフォン・ビューローの葬儀が行われたのは1894年だったそうなので時系列的にはスタンフォードのこの作品は間に合うわけですが、これを聴いてマーラーが霊感を受けるとは想像し難いものがあります。

 大学の名前ではなく作曲家のスタンフォード、サー・チャールズ・ヴィリアーズ・スタンフォード(Sir Charles Villiers Stanford 1852年9月30日 - 1924年3月29日)は、アイルランド、ダブリンに生れて19世紀末から20世紀前半にかけて活動(躍)し、宗教曲や七つの交響曲他の管弦楽曲の他、多数の作品を残しながら、没後は門下生のホルストやヴォーン・ウィリアムズのプロフィールの中で名前が出て来るくらいの位置付けになっていました。それでもCDの時代になって作品が録音されて出回るようになり、特にChandosレーベルからは多数出ています。

9 3月

ブルックナー交響曲第6番 メナ、BBCフィル/2012年

240309bブルックナー 交響曲 第6番イ長調 WAB106(1881年ノヴァーク版)

ファンホ・メナ 指揮
BBCフィルハーモニック

(2012年7月10,11日 マンチェスター,サルフォード,メディアシティUK 録音 CHANDOS)

240309a スペイン出身のファンホ・メナ(1965年9月21日:ビトリア・ガスティス -)とイングランドのオーケストラによるブルックナーときけば本場もの重視の面からは優先的に選びにくい、ということになりそうですが二十一世紀も1/4が過ぎようとする現代にあってはそういう時代でもない、そうなりそうでそうでもないのがブルックナーのようです。この正月だったが昨年末だったかに生誕二百年という話題で片山杜秀氏がラジオに出演していた時、やっぱりブルックナー作品を変態的な切り口で語っていて、もういい加減それはやめてと思っていました。作曲者自身についてなら50歳を超えているのに18歳の女性にまとわりつこうとするとか、ファンでも諫言したくなることが多いですが、作品についてはこれだけ普及したのだから大丈夫じゃないかと思います。ただし、メナとBBCフィルのブルックナーは6番に続くレコーディングは見当たりません。なお、BBCフィルハーモニックは1922年に設立されたマンチェスターを本拠地とするオーケストラです。BBC放送の方針で一旦解散の後、1933年に復活し、1982年から団員数が増やされて活動が活発化したとプロフィールには初回されています。1982年までの首席にはトムソンやレッパード、1992年以降はヤン・パスカル・トルトゥリエ(ポールの子息)、ジャナンドレア・ノセダが名を連ね、フアンホ・メナは2011年から2018年まで首席を務めました。

メナ、BBCフィル/2012年
①17分10②20分22③07分59④14分01計59分32

ラトル・LSO/2018年
①15分10②17分18③8分48④14分40 計55分46
ネルソンス・ライプチヒ/2018年
①16分39②19分45③8分27④14分40 計59分31
ズヴェーデン・オランダRSO/2012年
①15分30②18分39③7分44④15分21 計57分14
ヤノフスキ・スイスロマンドO/2009年
①17分56②17分38③8分52④12分54 計57分20

240309 実際に聴いてみるとやはり普通な演奏で第2楽章のアダージョを入念にうたわせて、緩急の楽章にメリハリが付いています。合計演奏時間はネルソンスとライプチヒと近似していますが、楽章間の差はよりはっきりしています。先日のサヴァリッシュと傾向は似ていますが合計時間は5分以上も違います。シューベルトの交響曲からの発展というよりも後期ロマン派、ワーグナーの響きの方により傾斜したタイプかと思います。この曲を演奏する、聴くのなら第2楽章は注目するポイントのひとつなので、この録音のような第2楽章は当然のやり方と思われ、実際聴いている間は浄化されるとまでは言わないまでも、どこか別の空間へ運び去られ、匿われているような夢見心地です。

 第3楽章のスケルツォは他のブルックナー作品程は野暮ったくない楽曲で、今回の演奏ではさらにそれが強調されているような気がします。しかし、例えばR.シュトラウスだったらこんな風にはならないだろうということで、やっぱりオーストリア辺境が生まれそだちのブルックナー風に違いはないということでしょう。終楽章は冒頭からややテンポが速くなったように思えますが、楽章全部ではそうでもなくてコーダで特にアッチェレランドはかからずに完結します(日本の一部でこれが演奏されていても終演と同時に、余韻が消えぬ間に雄叫びがあがったりはしないだろうと)。そういう感じの演奏なので、ブルックナー専科的な聴き手だけでなく、ブルックナーを毛嫌いせずにおおらかに受け入れる層にも

 スペイン出身と言えば、ヘスス・ロペス=コボス(1940年2月25日:トーロ -2018年3月2日)がシンシナティ交響楽団を指揮したブルックナーがありました。過去記事で第4、6、7番を扱っていましたが具体的にどんな風だったか思いだせません。多分極端に何かを強調した、あえて言えば変なブルックナー演奏、ではなかったのだと思います。ただ、ロペス=コボスのブルックナーは第8番だけがレコ芸の広告欄でどこかのショップが取り上げてコメントしていたのを覚えています。ロペス=コボスがスペインのカスティーリャ・イ・レオン州のトーロ出身だったのに対して、ファンホ・メナは同じスペインでもバスク州のビトリア・ガスティス出身のようです。時々バルセロナとかと同じで独立が取り沙汰されるバスク地方は習得が難しいとされるバスク語や1549年に来日したザビエル(1549/以後よく広まらない)、食事が美味いことでも有名です。ファンホ・メナはチェリビダッケに師事したこともあるようで、それで今回のようなブルックナー録音につながったのかもしれません。
24 2月

ブリテン「冬の言葉」 ピアーズ/1972年スネイプ・モルティングス

240223bブリテン 歌曲集「冬の言葉」OP.52、三つの民謡編曲
(*LPの二面目はヴォルフのメーリケによる歌曲7曲)


「冬の言葉」
①At Day-close in November
②Midnight on the Great Western
③Wagtail and Baby
④The Little Old Table
240223a⑤The Choirmaster's Burial
⑥Proud Songsters
⑦At the Railway Station, Upway
⑧Before Life and After

~民謡編曲 
① 第3集「イギリスの歌」 -第4曲 ディー川の水車屋
② 第3集「イギリスの歌」 -第5曲 霧の露
③ 第3集「イギリスの歌」 -第1曲 農場(耕す)の少年

 
ピーター・ピアーズ(テノール)

ベンジャミン・ブリテン(ピアノ)

(1972年9月22日 オールドバラ,スネイプ・モルティングス ライヴ録音 AF001)

240223d まだ二月なのに暖房も要らない生暖かい日が続きました。そんな中で先日は身内が救急搬送されてバタバタしていました。搬送後に別の病院へ移送ということで、後から最初に運ばれた病院へ支払いに行ったりしましたが、一応大したことはなく済みそうです。ただ、またコロナとインフルエンザが感染拡大で原則面会禁止です。そろそろ醍醐寺の五大力さんかなと思っていたらそれも終わり、これが終わると春に移行するということで、今度は過ぎ去る冬が名残惜しい、さびしいという妙な感慨に毎年少しふけっています。

240223c ベンジャミン・ブリテンの歌曲集「冬の言葉」は、トマス・ハーディ(1840年6月2日 - 1928年1月11日)の詩に作曲した八曲からなる歌曲集で、ピーター・ピアーズのために作曲されました。ハーディ没後すぐに出版された最後の詩集「Winter Words in Various Moods and Metres」からだけでなく様々な詩集から詩が選ばれているようです。歌詞を見ると単純に四季の冬の情景が詩になっているわけではなく、「冬の時代」というのか、一人の人間の冬の時代、それだけでなく人間社会の冬の時代という意味も込められていそうです。それに含蓄があって、苦みも多い作品です。牛、馬が通ってもセキレイは驚かないのに人間が近くに来ると恐れて飛び去る。しかも兵士やギャングでなく立派な紳士なのに。わざわざ「完璧な紳士」という言葉にした歌詩は、聴いていると作曲者自身がこの言葉を付けたのかと思うくらい、なにかしっくり来ます。その一連の光景を赤子が見ているというのも複雑なものです。これを連作歌曲集と呼ぶのかどうか、八つの詩で物語性があるのかというとそうでもなさそうですが、最後の詩を見ると根底に、各楽曲に貫かれているものがありそうです。

 ブリテンのメモリアル年に発売された廉価BOXにも当然この作品は入っていて、他の歌手が演奏したものもありました。やはり元祖とも言えるピーター・ピアーズの歌唱は特別で、声質がそうなのか輪郭がやや滲んだようでいて、それでも形はくずれないとでも言えば良いのか、なかなか他では聴くことができない歌唱です。これはCD化されたかどうか未確認で、音質はややこもり気味で、音量を上げると音が強すぎる印象です。これはカートリッジの調整がまずいのかもしれません。

240223 この作品を最初にレコード録音したのも当然今回と同じ二人で、1954年にDECCAのスタジオで行われました。今回のLPはブリテンとピアーズらによって1948年にはじめられたオールドバラ音楽祭の舞台となる会場、スネイプ・モルティングスでライヴ録音されたものです。9月22日の録音なので音楽祭期間中なのかは分かりませんが、冬の言葉が終わった後の拍手やアンコールと思われる三曲を順に紹介する声が入っています(サイン入りは高価だったがサイン無しは普通)。ブリテンがピアーズと共に過ごした地で、スネイプ・モルティングスは元は醸造所として使われた古い建物を改装したホールです(四つ目の写真に遠景でうつっている)。現在は改装されているそうですが外観からして趣のある建物です。
19 2月

ヘンデル 「水上の音楽」組曲 ベルリン古楽アカデミー/2015年

240219bヘンデル 水上の音楽 HWV.348-50
 第1組曲ヘ長調 HWV.348(10曲)
 第2組曲ニ長調 HWV.349(5曲)
 第3組曲ト長調 HWV.350(7曲)

ゲオルク・カールヴァイト (コンサートマスター/音楽監督)
ベルリン古楽アカデミー

(2015年11月5日 ベルリン,Teldexスタジオ 録音 Harmonia Mundi)

240216 先日の連休の午後に嵐山方面へ寄ると、冬枯れの観光オフ・シーズンのはずがかなりの混雑していて歩道を歩くのにも苦労しました。岩合光昭さんも撮影に来た、隠れた猫の名所・梅宮大社まで行こうかと思っていたけれど、嵐電の終点から阪急の嵐山駅まで歩いただけで帰りました。その何日か後、民放ローカル局やNHK京都のテレビニュースで嵐山の中之島地区で開始された行政代執行が報道されました。代執行するのは未完成のまま放置した観光用鵜小屋撤去のようですが、なぜ未完成のままなのか、なぜごく小さな小屋なのに工費が約一億円と言われているのかetc、事の経緯や当事者をかなり省略していて内容がよく分かりません。それに、あの程度の小さい小屋なら撤去費用と報道された一千万弱の金額より少額、最低減の費用で景観を損なわないように整えて、現状を維持、保存する方が簡単に見えます。何やら真相は堀川牛蒡なみに深く埋もれて隠れ、勧修寺の葡萄の蔓のように関係する人間が絡まっていそうです(写真には件の小屋は写っていない/渡月橋から上流方向を眺める)。

240219a 昔、小学生の頃に読んだ学習百科事典のような本にベートーヴェン、モーツァルト、ハイドンらの交響曲を聴いてから次に聴くべきはバッハやヘンデルの管弦楽作品となっていました。別にどの作曲家から聴いても良いと今なら思うところですが、当時はそういうものかと思い、パイヤール室内管弦楽団の「水上の音楽」のレコードを買ったのを覚えています。今回のベルリン古楽アカデミーによる演奏は、小編成、古楽器による演奏なのでパイヤール室内管だけでなく、昔のタイプの演奏とは違い、作品観もくつがえります。水上の音楽は名前の通り、テムズ川に浮かべた船上で演奏した野外音楽でもあり、レコード録音の初期は結構壮大な演奏が普通だったようですが、パイヤール等の室内管弦楽団の時代に風向きが変わったとされます。記憶の中では「ホーンパイプ」という楽曲が刻まれて、この曲の題名からはまず金管楽器の響きを思い出しました。

 この演奏を聴いていると小編成という点が効いているのか、野外音楽とは思えない繊細な音楽に感じられます。水上の音楽は自筆譜が残っていなかったので、作曲当時にどういう曲順、構成で演奏されたか詳しく分かっておらず、慣習的に三つの組曲に分類されていました。それが2004年に当時の様子を記録した文書が見つかり、ホルンとオーボエが主導するヘ長調主体のものが従来通りの10曲、トランペットが活躍するニ長調主体の5曲と木管楽器主体のアンサンブル楽曲の7曲はあわせて一つの組曲だったことが分かりました。この録音では三つの組曲に分けていますが、新発見の文書で判明した曲順で演奏しています。ベルリン古楽アカデミーはルネ・ヤーコブス指揮のマタイ、ヨハネ両受難曲、ロ短調ミサの他、指揮者無しでベートーヴェンの交響曲等を録音しています。

 この作品に関してヘンデルとイングランド王ジョージ1世の和解の逸話がありましたが、付属解説によれば従来の話、雇主の家への不義理からの不和というのはそれ程ではなく、イングランド王としてロンドンへ行く前に先乗り渡英してくれて、英国事情を把握できるので王位継承後の宮廷生活に資することになって有難がられたという面があったということです。ヘンデルはハノーヴァー選帝侯の宮廷楽長に就任していながら英国へ行き、音楽活動で成功したのでロンドンへ行ったきりになり、宮廷楽長を解任されていました。その後選帝侯家のゲオルク・ルートヴィヒがジョージ1世としてイングランド王位を継承したので、義理を欠いていたから顔を合わせるの気まずい、ジョージ1世(ルートヴィヒ)も不快に思っていた。だから船遊びに際して「水上の音楽」を作曲、演奏してご機嫌をとりむすんだというのが子供向けの話にも出てきました。船遊びと言えば平安時代に嵐山でも行われ、今でも車折神社で三船祭というのが残っています。下々にとってはそれよりも、渡月橋のところでボートに乗ったカップルは破局するという伝説の方が身近です(ボートに乗るところまでいけば御の字じゃないか)。
17 1月

ベートーヴェンSQ第12番 スメタナSQ初回/1961年

240118aベートーヴェン 弦楽四重奏曲 第12番 変ホ長調 作品127
第1楽章:Maestoso - Allegro 変ホ長調 ソナタ形式 
第2楽章:Andante con moto,molto cantabile 変奏曲
第3楽章:Scherzando vivace - Presto 変ホ長調 三部形式
第4楽章:Finale 変ホ長調 ソナタ形式

スメタナ四重奏団
イルジー・ノヴァーク:1ヴァイオリン
ルボミール・コステツキー:2ヴァイオリン
ミラン・シュカンパ:ヴィオラ
アントニーン・コホウト:チェロ

(1961年4月 プラハ,ドモヴィナ・スタジオ録音 TOWER RECORDS/DENON/SUPRAPHON)

 年末から年明けまで天災、事故だけでなく不祥事の報道が続いています。不祥事の方は悔恨による告白ではなく、露見した、ばれてしまったというやつで、被害者が存在することは確かです。しかし、さらに前の旧ジャニーズ事務所の事件もそうですが被害者に対する反感というか敵意のようなものが一部で見られるのは何故だろうかと思います。直接の利害関係があるわけでない一般人の中でもそうなのが不思議です。政治家が開催した資金集めのパーティ収入を過小申告して裏金を作っていた件、これは天災のように、仕方ないくらいの扱いで手仕舞いにされる模様ですが、そんなに多額がプールされてたのか、あるとこにはあるもの、だけでなくこれなら選挙へ行ったところで、パー券購入層やら献金層、何かの諮問委員会の影響力には太刀打ちできないという虚無感、諦念がさらに強くなりそうです。結果、投票率が今まで通り低いままだったら願ったりかなったり、なのか。現在18歳以上の男女が選挙権を有し、人口比で八割を超えています。大正の男子普通選挙実施の際は、25歳以上の男子が選挙権を有し、当時の人口比で約二割だったようで、投票率が30%台になってさらに下がるなら、実際に投票をしている人間の割合が昔に近づいていきます。

240118 ベートーヴェン(1770年12月6日:ボン - 1827年3月26日:ウィーン)の弦楽四重奏曲は、1825年10月に作曲した作品127の第12番からを後期作品としていますが、第11番「セリオーソ」から約14年間このジャンルを作曲していませんでした。1825年は第九交響曲を完成させて初演があった翌年にあたります。この曲以降の弦楽四重奏曲を亡くなるまでの二年足らずに完成させたのも驚きです。この弦楽四重奏曲は楽章の順序を入れ変えたら第九に似ているようにも思え、第九は終楽章を声楽付にしなかったらこういう曲になったかもしれないと思うこともあります。とは言え、やっぱりあの第九の終楽章は並ぶものが無いので別物です。そう言えば宇野本にブルックナーの交響曲第8番の方が第九より音楽的には上だとか書いてありましたが、別物ついでにこの弦楽四重奏曲第12番のアンダンテ楽章を三番目にしてスケルツ楽章を二番目に持ってくると、そのブルックナーの第8番にも似ていると思います。

 それらはともかくとして、
弦楽四重奏曲第12番は第2楽章が後続の作品と同様に後期作品ならではの、瞑想的で作曲者の内側に引き込んで沈潜させるような内容なので、演奏によって感銘度も違うと思います。この曲をを最初に聴いたのはCD化されたスメタナ四重奏団のアナログ旧録音でしたが、強烈な感銘度で作品も演奏も好きになりました。もっとも、その国内盤CDは後記のように今回の1961年録音ではなく、1971年の録音でした。この曲の第1楽章はこれ以前の作品のように力強く、雄輝な性格が前面に出ているので、演奏も力強くて突っ走るようなタイプだと冒頭から目立つと思います。でもその面が強調され過ぎると全曲を通すと今一つな感銘度のような気がして、その点でスメタナ四重奏団は素晴らしいと思っていました。この復刻で初めて聴いた初回録音の第12番は、冒頭からより力強い演奏です。 スメタナ四重奏団は全員暗譜して演奏し、そのため新曲を暗譜する場合は6~7週間かけていたそうです。そして午前八時にメンバーのチェロ奏者コホウトの自宅に集合して、5時間練習するという日常を過ごしていました。

240118b スメタナ四重奏団のベートーヴェンなら1980年前後に四重奏曲を全曲録音していました。それより前に1960年代に後期作品(第12~16番,大フーガ)をステレオ録音しました。それらの後期作品は今回の第12番が最初でしたが、全曲の録音が完了した後、1971年になって第12番だけを再録音していて、後に日本でCD化された時はその再録音だけで旧録音はお蔵入り状態でした。ただし、LPレコードの時は再録音の第12番はなかなか発売されなかったそうで、ややこしく紛らわしい経緯でした。ともかくスメタナ四重奏団のベートーヴェン第12番は三種あるということになります。なお、先日、ピアノ三重奏曲第1番の回にふれた宮城谷昌光氏の単行本、「クラシック 私だけの名曲1001」の室内楽の章ではベートーヴェンの弦楽四重奏曲全部がリストアップされていて、演奏者にスメタナ四重奏団ほぼ全曲で提示されていました。しかし、録音年から全曲録音された新録音のみで、旧録音には言及無しでした。
16 1月

フォーレのレクイエム コルボ、ベルンSO/1972年

240117bフォーレ  レクイエム 作品48

ミシェル・コルボ 指揮
ベルン交響楽団
サン・ピエール・オ・リアン・ド・ビュル聖歌隊

アラン・クレマン(S)
フィリップ・フッテンロッハー(Br)

フィリップ・コルボ:オルガン

(1972年5月13日 ベルン 録音 ERATO/tower)

240114a 先週は十日戎の期間中だから夕方は渋滞するはずとふんで、いつものように市街地へ乗り入れず途中の駐車場で止めておこうかと迷いました。しかし何のことはない、宵、残り、ともに渋滞は無くてスムーズに流れていました。国道24号の伏見稲荷の参道前も同様で、これは地震のショックもあってか、景気はあまり良くないのか、えも言われない一月のはじめです。京都市はもうすぐ市長選挙になり、新型コロナで騒ぎ出した2020年も今頃も選挙の集まりに動員された記憶がよみがえってきました。何もかも四年前とは違うのは当たり前ですが、男性の場合は一定以上の年齢になると父親を亡くしてもあまり、否、そこそこの喪失感、歳だから仕方ない、程度かもしれませんが、母親の場合は質的に異なり、しょっちゅう話をしていなかっても居なくなると、戻る港、文字通り母港を失ってさ迷い続けるのを強いられた船のような、妙に拭えない落胆がつきまといます。これは血は水よりも濃し、の一例なのか。

 この昔から有名なコルボ初回録音のフォーレ、タワーレコードの企画で再発売された際に買い直しながら、これを再生すると死神を呼び寄せるような根拠のない怖れから開封しないままにしていました。もうそろそろいいかと思って(元々何の因果関係も無い)聴いてみました。音質はSACDハイブリッド仕様になったけれど、そんなに極端に改善した風ではない気がしました。エラート・レーベルでは1960年代にフリッツ・ヴェルナーのバッハ作品(受難曲、カンタータ)を連続録音していて、CD化されたものの音は今一つでした。今回のフォーレを聴くと、今後リマスター盤が出たとしても大きな期待はできないかなと思いました。

 このコルボのフォーレは、ボーイ・ソプラノを起用したこと、教会の聖歌隊を起用したことによって独特の静謐さ、典礼的な雰囲気で際立っていました。それから、ミシェル・コルボが音楽家を志す動機の一つだった亡叔父、アンドレ・コルボが、自ら指導してきたこの聖歌隊でこの曲を演奏することが夢だったので、ミシェル・コルボが叔父の没後に同聖歌隊と共演して夢を代わって果たしたという経緯もありました。改めて聴いているとコーラス、ボーイ・ソプラノがやはり魅力的で、コーラスも聖歌隊らしく少年合唱の声も目立っていました。というかこの聖歌隊は混声じゃなくて男声、少年による編成なのか、ドイツ語圏の教会聖歌隊の演奏とは違った魅力を感じます。コーラスもオーケストラもこれ以外では名前を見たことがないのに、よくセッション録音にこぎつけたものだと思います。

 ただ、1972年のアナログ録音の時代から既に五十年以上経ち、演奏者らの個人的な歴史は別にして、同じような方向性の演奏でもっと巧い、もっと美しい演奏は後続のレコーディングが積み重ねられるにつれて増えたはずです。コルボ自身もこの後に三度この曲を録音しました。更に、何らかの情緒的な魅力に注目するなら1950年代の古い録音、フルネとラムルー管弦楽団やクリュイタンスの旧録音なんかは後年の演奏とは違う魅力がありました。
13 1月

ベートーヴェンのピアノ三重奏NO.1 スーク・トリオ/1983年

240111ベートーヴェン ピアノ三重奏 曲第1番 変ホ長調 作品1の1

スーク・トリオ
ヨゼフ・ハーラ:ピアノ
ヨゼフ・スーク:ヴァイオリン
ヨゼフ・フッフロ:チェロ


(1983年12月, 1984年4月 プラハ,ルドルフィヌム 録音 DENON/Suprafon)

240111a 年末にブログへのコメントで教えてもらいました作家の宮城谷氏の単行本、「クラシック 私だけの名曲1001」の室内楽の章は、ベートーヴェンのピアノ三重奏曲が第1番と三重奏曲ニ長調が挙げられていました。その本は歌曲やオラトリオ、ミサ曲、オペラだけでなく声楽が入る交響曲は全く含まれないという独特の基準、好みで選定されています。演奏者の選定も同様に独自の傾向があって興味深いものがあります。室内楽のベートーヴェンでは弦楽四重奏曲が作品18の六曲から初めて全曲が挙げられています。さらに弦楽四重奏団の選定もはっきりしているのには感心させられます。ピアノ三重奏曲第1番はボザール・トリオの1980年録音だけが紹介されています。

ピアノ三重奏曲 第1番 変ホ長調
第1楽章:Allegro
第2楽章:Adagio cantabile 
第3楽章:Scherzo, Allegro assai 
第4楽章:Finale, Presto

 ベートーヴェンの作品番号1として過去記事で扱っていたこの曲はなかなか心地よい魅力があります。たまたま直前にモーツァルトの弦楽四重奏曲第16番を聴いていて、それを含むハイドン・セットはハイドンの作品33の弦楽四重奏曲(ロシア四重奏曲)を聴いたモーツァルトが感銘を受けて、自らも作曲したという経緯でしたが、二人の作曲活動期が重なっていることを再確認していました。ベートーヴェンのピアノ三重奏曲第1番(作品1)はそれらよりも後、1790年代前半に作曲されました。ハイドンの創作年代なら時計交響曲、アポニー四重奏曲らの時期に重なり、モーツァルトは亡くなった後になります。

 ベートーヴェンの初期作品は、聴き覚えていないものでもモーツァルト、ハイドンの作曲かと迷ったりしないで、知らない別の作曲家のものかと迷うくらいなので、三者の特徴、個性は際立っているのだと改めて思います。ベートーヴェンでなくてもピアノ三重奏なら、トリオとして活動しているアンサンブルだけでなく、有名なソリストが組んでレコーディングすることがあります。上記の宮城谷氏の本ではボザール・トリオの演奏にはそれまで感心しなかったので、ベートーヴェンのトリオ全曲を買う際には躊躇したように書いてありながら、他の録音は全く挙げず、ボザール・トリオの演奏が素晴らしいとしています。ちなみに村上春樹はスーク・トリオの「大公トリオ」を推薦していました。

 同じくらいの年代にレコーディングしたスーク・トリオの第1番には宮城谷氏はどういう感想なのか知りたいところですが、今回聴いているとどのパートも飛び出さず、本当に均衡して演奏しているようで、アポロ的かディオニュソス的かの前者の典型のように感じられます。そうだとすれば、作曲者としてはこれを聴いた場合どうなのか、ベートーヴェンらしさの点ではどんなものかとも思いますが、とにかく爽快で日常から離れた心地よさを運んでくれる作品、演奏だと思いました。
16 12月

ベートーヴェンのラズモフスキー第3番 アウリンSQ

230312ベートーヴェン 弦楽四重奏曲 第9番 ハ長調 Op59-3

アウリン弦楽四重奏団
マティアス・リンゲンフェルダー:Vn1
エンス・オッパーマン:Vn2
スチュアート・イートン:Va
アンドレアス・アーント:Vc

(2002-2004年 ケルン,ドイチュランドラジオ放送局 録音 TACET)

 毎日ろくなニュースが無いけれど、先日FMラジオで「ヤバT(ヤバイTシャツ屋さん)」のベース&ヴォーカルが入籍したと報告していました。にぎやかなバンドらしい放送回でした。その入籍したヤバTの紅一点は「ありぼぼ」というメンバー・ネームですが、特定の地方ではちょとあれじゃないかと常々思っていました(狙って名乗っていないはず)。どのようにあれなのかは、標準語なり、より意味が通じるエリアが広い方言に替えたら放送し難い、そういう言葉と重なるということですが、五十を超えたおっさんにとってささいなことです。それからかなり遅れて八月の訃報も見つけました。この八月に帰天(永眠)された作家の森内俊雄氏はクラヲタでブルヲタだったようで、スクロバチェフスキの三日間連続ブルックナー公演に通ったと書いてありました。その他若い頃に買ったレコードやら機器の話が出てきたり、興味深いものがあります。

 ベートーヴェンの弦楽四重奏曲第9番は中学の頃、十字屋三条店でスメタナQのレコードで買ったのでよく覚えています。確か十一月の夕方頃、当時は河原町三条下る、東沿道にあった二階建ての店舗に階段を上ったところがクラシックとジャズの売場でした。レコードは第10番とあわせて一枚のLPにおさまっていました。両曲は弦楽四重奏曲の枠を飛び出しそうで圧倒されたのを覚えています。この曲はロシアの外交官だったラズモフスキー伯爵の依頼によって1806年に作曲された三曲の弦楽四重奏曲の三つ目の作品でした。

弦楽四重奏曲 第9番 ハ長調 作品59-3
第1楽章 Introduzione, Andante con moto-Allegro vivace
第2楽章 Andante con moto quasi Allegro
第3楽章 Menuetto, Grazioso
第4楽章 Allegro molto

 これはアウリン四重奏団の全集・分売のNo.2の一枚目です。改めて何度か聴いていると、昔の印象による先入観、肥大したようなものは感じられず、終楽章は弦楽四重奏曲第12番以降の後期作品、第1楽章は第五交響曲以降につながるような世界だと印象付けられます。ほの暗い民謡調のメロディの第2楽章は引き締まって響き、全楽章を通してのバランスが良くて魅力的です。録音会場の影響か機器のセッティングによるのか、それほどシャープな音ではなくて、ハイドンの弦楽四重奏曲を聴いた時のような和やかさも感じます(作曲者はそれを狙っていないかもしれないが)。

 一定の時期にベートーヴェンの弦楽四重奏曲なら初期の六曲か後期作品が好きで、三曲のラズモフスキーや第10番はちょっと息苦しいような気がして敬遠していました。それはアルバン・ベルク四重奏団の廉価盤セット(旧録音)の影響なのか、こちらの器機が貧弱過ぎたからか、いつの頃からかそうでもないと思うようになりました。ベートーヴェンに限らず室内楽作品は素人が改まって何かコメントできることは少ないので、ブログに出て来る頻度は低いですが発作的に聴きたくなる曲はあって、今回のラズモフスキー第三もそのうちの一つでした。
14 12月

ベートーヴェン弦楽四重奏曲第16番 スメタナSQ/1968年

231214aベートーヴェン 弦楽四重奏曲 第16番 ヘ長調 Op.135

スメタナ四重奏団
イルジー・ノヴァーク:1ヴァイオリン
ルボミール・コステツキー:2ヴァイオリン
ミラン・シュカンパ:ヴィオラ
アントニーン・コホウト:チェロ

(1968年10月25日-11月9日 プラハ,ドモヴィナ・スタジオ録音 TOWER RECORDS/DENON/SUPRAPHON)

 231214b そろそろ第九の演奏会の時季になりました。それと無関係に世の中は資金集めパーティ券の売り上げから捻出した裏金の件で騒がしくなっています。隠していた裏金を何に使ってきたのか、そこが特に気になります。昭和50年代、ロッキード事件の判決が出るより前の頃、テレビの漫才で我々芸人が寄席で総理大臣の悪口を言っても捕まるわけではないのは有り難いとかネタで言ったのを覚えています。東西冷戦期だったのでそれは鉄のカーテンのあっち側を引き合いに出して言っているわけで、本当にそうだなと思うけれど、何かえらいべんちゃらを言うものだと思ったものでした。それから四十年以上経った現在は、もっと阿諛追従が直接的になった気がします。なんか人事を火の玉になってやるそうですが、巷の零細事業者はインボイス導入でこれからますます火の車で申告すすることになります。

  今回は第九を作曲した後に完成させた弦楽四重奏曲第16番、第九とは対極的な規模の作品です。ベートーヴェンの十六曲(当初は第13番の終楽章として作曲された大フーガを単独の作品と扱えば十七曲)ある弦楽四重奏曲のうちで最後に完成させた曲でした。これの後に弦楽四重奏曲第13番の新しい終楽章を作曲しましたが、まとまった一曲としては最後ということになります。後期の四重奏曲は楽章の切目なく演奏したりフーガを用いて深淵さのある大作が並んでいる中で、最後の第16番は四楽章の簡素な構成になっています。冒頭から重荷をおろして楽になった心境が漂うような魅力があり、大広間ではなく二畳半くらいの切り詰められて質素な茶室の空間も連想させられます。

 これはスメタナ四重奏団が1960年代から続けて録音したベートーヴェンの後期作品を新たにリマスターしてSACD・CDのハイブリッドで再発売したセットです。CDの初期に国内盤で分売されていて、1990年代当時から愛聴していました。今回のセット化に際して二度録音された第12番の旧録音も含まれ、これは国内では初CD化でした。通常のCD面だけ聴いていますが音質はかなり素晴らしくて、弓が弦をこする感覚が伝わるような感じがして、かつてのCDよりも鮮明に聴こえます。だから第16番はつい枯れたような情感の世界を思い浮かべがちなのに、今回これを聴くと明るい、冬の晴天のような明朗さが広がります。スメタナ四重奏団は後にベートーヴェンの四重奏曲を全部録音していて、その全集に含まれる後期作品、第16番もよく聴いて気に入っていました。今回の新リマスターで聴くと旧録音も(の方が??)魅力的だと改めて思いました。

 実は今回このCD集を聴く前にタネーエフ四重奏団の演奏で聴いていました。同じ曲なのに何か暗くて、記事で取り上げるのはやめていました。それがある夜、不用品(梱包の発泡スチロールやらビニール袋、古着)に埋もれた自宅の一室で何かプラスチックを踏んだ音がして、足元を見るとこれも含めたCDが出てきました(こんな所にあったのかと)。ラサール四重奏団がベートーヴェンの後期作品集を出した直後あたりはかなり評判が高かったと思いますが、それから何十年も経って嗜好も勢力図も変わり、現代のベートーヴェン弦楽四重奏曲の人気はどういうことになっているのでしょうか。スメタナ四重奏団、メロス四重奏団も解散してもうすっかり時代が変わりました。
24 11月

シューベルト「冬の旅」 ヴィッカーズ/1983年10月2日ライヴ

231124bシューベルト 歌曲集「冬の旅」D.911

ジョン・ヴィッカーズ:T

ペーター・シャーフ:ピアノ
(Peter Schaaf)


(1983年10月2日 ライヴ録音 Vai AUDIO)

231124 今年も12月が近付いて来ました。九月初めに救急外来に駆け込んで以来の結石の件、体内に入っていたステント(細い管)も予定より遅れてボウコウカメラ(内視鏡)やらを入れて、やっと抜いてもらいました(なんか結構痛くて出血)。その時に外来待合に座っていると、診察日でもないのに大きな声で担当医を出せとか言ってゴネるオッサンがいました。後から事務局の人なのか、いかつい雰囲気の男性が来ていっしょにどこかへ行きましたが、あの手のずうずうしく威圧するタイプは増えているのでしょうか、廊下にハラスメント関係の注意書きが貼ってありました。基本的に最初に毅然とした態度で通す、ガツンと言うというのが伝統的な対処法とききますが、その時見たタイプはVシネマにでも出て来るしつこそうなタイプなので職員も大変だと思いました。それから最終の検査と外来の時に反対側の腎臓にも小さい石が出来ていると言われ、長期的には今回と同じようなことをする可能性もあるのが分かりました(それまで生きていればの話ではあるけれど)。冬の旅ではないが延々と終わらない結石の彷徨。

 このヴィッカーズ(Jon Vickers 1926年10月29日 - 2015年7月10日)の冬の旅、セッション録音をCD化したものかと思ったら、見たことのないレーベル名で、共演のピアニストも違っていました。あまり有名でないのか、ネット上でもなかなか情報が出てきません(演奏、録音場所不詳)。CD二枚に収める程なので全曲を通じて遅い演奏が特徴です。セッション録音は過去記事で扱い、それ以上に異色な「冬の旅」だと思います。ドイツ・リートの歌唱から外れて?芝居、オペラのセッコ的にもきこえる独特の表現です。しかし終演後には盛大に拍手がわきおこっているので会場では好評だったのでしょう。

 とにかく遅くて、特に前半の12曲は所々叫びにも似た歌唱が入り、この作品をこれで最初に聴くと「冬の旅」に対する印象が独特のものになりそうです。ヴィッカーズと言えば個人的に
元々あまり美声と言えない声だと思っていましたが、
「フィデリオ」のフロレスタンが強烈に印象に残ります。この冬の旅では落人のようになってレオノーレにも捨てられたフロレスタンのような、何とも重くて苦しい世界が広がります。テノールの音域なのかと思える重量感のある歌声です。歌詞の奥にある世界、心理的なものを表現することを狙ったのか、近年増えているフォルテピアノを使った演奏とは全然別物です。

 ワーグナー作品のジークムントやジークフリート、ヴェルディのオテロを歌う一方で同時期にリートも歌うという歌手は居るのかどうか、今回のヴィッカーズはキャリアの終盤にさしかかった時期で、これ以前のリートのレコードはあったかどうか分かりません。ルネ・コロもかなり後になって確か「冬の旅」を歌っていて、日本での評判は芳しくなかったと記憶しています。リートの歌唱はやはり難しくいものなんだと改めて思いました。こう書けばこの録音、演奏が全然感心しないもののように見えますが、清涼感が限りなく無に近く、無視できず捨て難い何かがある気がします。
11 10月

ベートーヴェン交響曲第4番 飯守、東京シティフィル/2000年

231011aベートーヴェン 交響曲 第4番 変ロ長調 作品60*ベーレンライター版(ジョナサン・デル・マー校訂)

飯守泰次郎 指揮
東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団


*最初、飯「森」と表記していましたが間違いです。
(2000年11月7日 東京文化会館 ライヴ録音 fontec)

231011b どこに置いたか分からなかった飯守・東京シティのベートーヴェンをようやく見つけました。なんのことはない、他のCDの下に敷かれていただけで、多分上に置いたCD(シュタインのブラームス)の次に聴こうくらいの軽い気持ちで置いたのが、暑さ続きでそこへ一カ月くらいいかなかったので置いたことも忘れていたのでしょう。このオーケストラは自主運営として設立とあり、さすが東京だと思います。東京にはプロのオーケストラが8、9団体あるのに対して大阪を拠点にするのは確か4団体でした。大阪センチュリーは日本センチュリーになってしまう等、賭場を開発するのに大金投じるくらいなら文化にもと言いたいところです。

 改めてこの第4番を何度か聴くと隅々までよくきこえ、先日の大阪センチュリーよりも音質は良好に感じました。シューマンがこの曲を評して「二人の北欧神話の巨人に挟まれたギリシャの乙女」と言ったということですが、個人的にはその表現がピンと来ず、エロイカと運命にひけをとらない偉大な作品だと思っていました。今回これを聴いて巨人ではなく乙女という例え方が分かるような気に、今更ながらなりました。ベートーヴェンの九曲の交響曲中で最少編成だから当然といったところですが、乙女かどうかはともかく、巨人と対照的だという点ではむしろ第8番の方がとずっと思っていました。

 先日の高関・大阪センチュリーの演奏とは合計時間も結構近くて、各楽章が少しずつ今回の方が短くなっています。聴いた印象はそういう時間、数字以上に差が大きくて、ピリオド系の演奏に近いものを感じます。快活な流動感にみちていて、例えば朝比奈隆と大フィル最後のベートーヴェン・チクルスも2000年のライヴ録音を中心に(同じ曲の年月日違いを用意)していましたが、第4番もこういう感じではありません(今回聴きなおしていないけれど)。

飯守・東京シティ/2000年
①10分43②08分48③5分20④6分33 計31分24
高関・大阪センチュリー/2001年
①10分59②08分56③5分38④6分47 計32分00

 飯守泰次郎指揮のベートーヴェンは建替え後のフェスティバルホールでベートーヴェンのミサ・ソレムニスを聴いたことがありました。この録音から十年以上後のことで、演奏も熱気がこもり、この交響曲全集の演奏とはちょっと違うタイプのように記憶しています。バイロイトで助手を務めていた経験もある飯守さん、わざわざベーレンライター版でレコーディングすることになったのはオーケストラ側の方針なのか、意外といえばそう思います。それにしても付属冊子の飯守さんの写真はさすがに若い。大阪で指揮台に立たれたのを最後に見た時とはさすがにかなり違います。
7 10月

シュポーアのクラリネット協奏曲第4 シア・キング/1978年のLP

231007シュポーア クラリネット協奏曲 第4番 ホ短調

シア・キング:クラリネット

アラン・フランシス 指揮
イギリス室内管弦楽団


*A面はモーツァルトのクラリネット協奏曲
(1978年9月25,26,30、10月1日 ロンドン 録音 英Meridian)
 
 ここ1、2年でTVを視聴する時間が極端に短くなり、ニュースはネットかラジオでということになっています。この金曜日の朝7時前のコーナーで、慶応大学大学院教授が政府の経済対策について、目先の対処療法なので百害あって一利くらいはあるかもしれないが無意味だと言及していました。それ以降持ち時間の間中、ここ二十年の経済政策を断罪しまくっていてNHKのキャスターの口数が急に減るくらいだったので、担当者が替えられたり番組が吹っ飛んだりしないかとちょっと思いました。それはともかく、人手不足と女性の雇用について結婚後出産を機に退職した場合、再び仕事をしようとすると採用側はパートや契約社員という待遇でしか雇用しない場合が多く、これは社会的に大きな損失だとしていました。久しぶりに聞き入ってしまい、その教授の名前を番組のサイトで調べようとしましたがはっきりと出ていません(レギュラー的な扱いのようなので次週聴けば分かるか)。

 このLPはモーツァルトのクラリネット協奏曲がA面に入り、B面がシュポーア(Louis Spohr 1784年4月5日:ブラウンシュヴァイク - 1859年10月22日: カッセル)のクラリネット協奏曲第4番です。シュポアのこの曲の「premiere recording」となっています。ということはあまり有名な作品でもないのでしょう。現物を店頭で見るまでこのレコードの存在も知りませんでしたがモーツァルトの有名作品であるのとジャケットの絵が気になって購入する気になりました。シュポーアも作曲者の名前として耳にしていて何か代表作があったけど覚えていない、というくらいの認識でした。

 モーツァルトの協奏曲も素晴らしい演奏(特にクラリネット、こんな音色??と一瞬思う)と思いましたがシュポーアの方が作品共々魅力的でした。第1楽章の冒頭は心地よい暗さ、爽快な陰というのも妙なものですが、宮廷で演奏される娯楽色が濃い作品だとか勝手に想像して聴くと冷水を浴びせられる気がします。ヴァイオリニスト、指揮者としても有名だったシュポーアにしては終楽章・第3楽章のコーダはこじんまりした、あまり盛り上げない終わり方です。四曲あるクラリネット協奏曲のうちで第1、2番までは作品番号が付いているようです。

 このレコードの演奏者について、フランシスは何となくきき覚えがありましたが、クラリネットの方は記憶にありませんでした。そのシア・キング(Thea King 1925年12月26日 - 2007年6月26日)は、英国のハートフォードシャー州、ヒッチン出身のクラリネット奏者(女性)で、英国のレーベルに色々レコーディングしていたそうですがこのレコードで初めて知りました。1964年にイギリス室内管弦楽団の首席奏者になっています。同年に王立音楽大学で教えはじめ、1987年までつとめています。アラン・フランシス(Alun Francis, 1943年9月29日 - )は英国(ウェールズ)出身の指揮者(ホルン奏者としてキャリアを始める)でバルビローリ時代のハレ管弦楽団でホルン奏者を務めていました。1966年にアルスター管弦楽団に客演して以降指揮者に転向したとプロフィールには出ています。
5 8月

ローエングリン 2018年シュトゥットガルト、シリング演出

230803ワーグナー  歌劇「ローエングリン」

コルネリウス・マイスター 指揮

シュトゥットガルト州立歌劇場管弦楽団
シュトゥットガルト州立歌劇場合唱団


ローエングリン:ミヒャエル・ケーニヒ(テノール)
エルザ:シモーネ・シュナイダー(ソプラノ)
テルラムント:マーティン・ガントナー(バリトン)
オルトルート:オッカ・フォン・デル・ダメラウ(メゾ・ソプラノ)
ドイツ王ハインリヒ:ゴラン・ユーリッチ(バス)
王の伝令…石野繁生(バス)


演出…アールパード・シリング
美術…ライムント・オルフェオ・フォイクト
衣装…ティナ・クロムプケン
照明…タマス・バニャイ


(2018年10月  シュトゥットガルト州立歌劇場 収録)

 先月から体温を超える猛暑の日が続いています。何年か前は七月中旬の夕方で40度超えの日もありましたが、それより気温は低いのに不快感、ダメージは大きい気がします。土用の丑の日に鰻屋に並ぶ人をニュースで見ながら、よく並んで待てるものと感心しつつ食べそこなっていました。それで一週間近く経って、珍しく朝から腹が減りまくったのでMつ屋の鰻丼をかみしめていました。そんなわけでブログ更新も一層停滞気味です。

 今回のシュトゥットガルト州立歌劇場のローエングリンは昨年か今年初めに購入していて、四月に入ってやっと部分的に視聴し出したものです。基本的に声楽、コーラスとオーケストラは魅力的でコルネリウス・マイスターは読売日響の首席客演指揮者だそうなので一気にコンサートも聴きたくなりました。視覚的には伝令の石野繁生が若い頃のカラヤンをちょっと思い出させてさっそうとしているのが目を引きました。音楽は良いけれど演出は?というパターンはありますが、今回はさすがに台本とかけ離れ過ぎじゃないかと思いました。ただし終演時直後に対してブーイングはあがっていませんでした。

  読替え演出が当たり前になって久しいドイツでのワーグナー上演、2018年収録のローエングリンもそういう内容で、ソフトの広告には「幕切れのエルザの死も、同胞による裏切り者の処刑となる」と紹介されています。実際終幕直前ではオルトルートが一段高い台(ベットが撤去されずに舞台に置かれている)に立って片手を高く掲げて勝利者か受難の英傑のように見え、エルザの弟に代わるブラバントの後継者として突然台に上げられた労働者風の服装の男声の一人と並んでいます。その他大勢がエルザを囲むように迫って行くというところで終わります。エルザは大勢から身を守るように短刀をかざして舞台の端へ後ずさりして行き、ローエングリンが早々と消えていて後味の悪い幕切れです。エルザが禁断の問いをローエングリンに行ったから去らなければならない、ゴットフリートも戻って来ない、エルザが悪いという単純な論法なのか、舞台の結末を見るとそう見えます。それならゴットフリートが行方不明になったのはオルトルートの仕業じゃなかったのか、それはどうなるのかとつっこみたくなります。

  演出には細かい設定があるはずなので不満はそれくらいにして、女声はエルザもオルトルートも素晴らしくてそれだけでも魅力的です。テルラムント、国王、伝令、ローエングリンもやや地味ながらそれぞれ魅力的です。そのかわり男性の服装、髪型が現代風というのかかなり地味で、テルラムントが地方の下請け企業の部長級、国王が元受け会社の地域責任者クラス、ローエングリンが組合活動のプロ、くらいに見えてファンタジーの要素が皆無です。舞台装置は簡素な(予算の都合か)ものですが、それなりに演出にはまっています。
13 6月

美しき水車小屋の娘 プロチュカ、ドイチュ/1985,86年のLP

230612aシューベルト 歌曲集「美しき水車小屋の娘」 Op.25  D.795

ヨーゼフ・プロチュカ (T)

ヘルムート・ドイチュ (P)

(1985年12月,1986年3月 バドウラッハ 録音 Capriccio)

230612b 先日の夕方四条東洞院辺りに居ると祇園祭りの囃子がきこえてきました。歩道のスピーカーで流しているのかと思ったらそうではなくて、集まって囃子の練習をしていました。洛中の生まれ育ちでないので別に思い入れはありませんがまた夏だなとしみじみ思いました。新茶、縣祭、田植と続くこの季節、故郷の宇治では一番良い季節のような気がしています。ああ、それから今年は左京区要法寺のカルガモ親子の引っ越しのニュースは無かった(去年までのは同動画がUPされている)のも思い出しました。

 この「美しい水車小屋の娘」のLPは後に白井光子の「冬の旅」とあわせてCD化されていますが、新譜当時の反響等は全く知りません。新譜時に国内盤で出たかどうか未確認ですが、当時はレコ芸を図書館で見るなり買うなりしてチェックしていたので、新譜が出ていれば少しは記憶に残ったはずです(オラフ・ベーアはEMIから出ていたので広告もそこそこ目立っていたのに対して、カプリッチョ・レーベルなら国内盤か国内仕様で発売されても地味だったかもしれない)。ラ・ヴォーチェ京都の店頭で聞くとこの年代の代表的なレコーディングとして有名だったようです。なお、このLPのジャケットは何故かレコードが二枚入るタイプの紙ケースになっていますが元から一枚だけの製品です。

 とりあえず再生してみると若々しく屈託ない美声があふれて、先日のヘルマン・プライの回でふれた「水車小屋の美しい娘 シューベルトとミュラーと浄化の調べ 梅津時比古(春秋社)」にあった職業差別の問題等は感じさせない世界です。歌い出すと何の障りもなく音楽が聴き手の中に飛び込んで来る率直さの反面、陰りのようなものが無さ過ぎないかとも思えます。それは聴いている自分が鈍なことがあるかと思いますが、同じテノールの有名なヴンダーリヒのレコードの場合はその辺りが違っている気がします(どう違うかと言われると困るが)。それからこの演奏、ピアノのドイチュも目立っていて、歌声と同じくらいに注目してしまいます。

 ヘルムート・ドイチュ(Helmut Deutsch 1945年12月24日 - )と言えば鮫島有美子と結婚していたはずですが、最近のプロフィールではそのことに触れられていないようです。それは良いとして、オーストリア出身でヘルマン・プライと歌曲で長く共演していたのも注目です。プラハ生まれのヨゼフ・
プロチュカ(Josef Protschka1944年2月5日- )は過去記事であつかったヒンデミットのオペラ「画家マチス」の全曲盤・G.アルブレヒト指揮ではマインツ大司教役で参加する等、モーツアルト作品以外にも色々な作品で歌っています(プロチュカの方が年長だったとは意外)。

 「水車小屋の美しい娘 シューベルトとミュラーと浄化の調べ 梅津時比古(春秋社)」に載っている中世ヨーロッパの階級・身分の話、文字が読めない庶民にも分かるような絵で示した表があるそうで、一番下がユダヤ人でそれより上がスラヴ人、その少し上がザクセン人となっています。この辺りの機微は全然分かりません。ザクセン人というのはドレスデンとかあの地域に住んでる人のことなのか、全く奇妙です。
8 4月

旧ソ連LP・リヒターのマタイ受難曲の旧録音/メロディア盤

230406aJ.S.バッハ:マタイ受難曲 BWV.244

カール・リヒター 指揮
ミュンヘン・バッハ管弦楽団
ミュンヘン・バッハ合唱団
ミュンヘン少年合唱団

T:エルンスト・ヘフリガー(福音書記者,アリア)
B:キート・エンゲン(イエス)
S:アントニー・ファーベルク(第1の女,ピラトの妻)
Bマックス・プレープストル(ユダ,ペテロ,ピラト,大祭司)
S:イルムガルト・ゼーフリート(アリア)
A:ヘルタ・テッパー(アリア,第2の女)
B:ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ(アリア)

(1958年6月-8月 ミュンヘン,ヘルクレスザール 録音 露 MELODIA C10 07485)

 昨年の六月からレコード芸術誌を何となく毎月購入していました。特に気になる連載があるわけでもなく、情報がはやいということもないのに、クラシック音楽について何やかんやと書いてある文章が無ければ寂しいというか、今にして思えば虫の知らせだったのか、この月刊誌が休刊となるそうです。ついに来たかというのが正直な感想です。直近の四月号には「その輝きは色あせない 神盤 再聴」という企画があり、その中にリヒターのマタイ旧盤もリストアップされていました。ちょうど個人的に旧ソ連のメロディア盤LPを購入して聴いていた直後でした。

 カール・リヒターがソ連に演奏旅行した際のライヴ音源がヨハネ受難曲とか何種かあったようですが、このマタイ受難曲はそうしたものではなくアルヒーフ制作のものをメロディアから発売したものです。ただ、メロディアがどこまで関わったのか、ソ連内でレコードのプレスだけして内容は全く同じなのかとか詳しいことは分かりません。メロディアのLPは旧東ドイツのエテルナ同様に素朴な、会場で聴く音に近い、あまり加工が入ってないとかで熱心に集めている層があるそうですが、ヨッフムのブルックナー・エテルナ盤を聴くとなるほどと思いました。このマタイ受難曲も聴いてみると、これまで記憶しているリヒターのマタイ旧盤と印象が違い、特に第一部前半は同じリヒターのマタイ、再録音盤(評判が悪いあれ)と同心円上というか、似た性質だと意外に思いました。それに少年合唱が目立って聴こえて、角が取れて、手で撫でてもとげが刺さらないような感触です。

 と言ってもこれまでリヒター旧録音は何種類かのCDでしか聴いておらず、聴きなおす度に印象が薄くなり、雑誌の企画にケチをつけるつもりじゃないですが色褪せていく気がしていました。リヒターが録音したバッハの四大作品の中で自分が一番感銘深かったのはヨハネ受難曲(映像ソフトではない方)でした。それは感覚的に作品が、色々な部分が突き刺さって来るような感銘度で、マタイ旧盤に対する賛辞が当てはまるような気がしていました。そのヨハネ受難曲も最初に聴いてから十数年経過して廉価仕様のCDで聴くと、感銘度はそれほどではなくて、自分の感受性が鈍化したのか(それは確かにある)特に衝撃的にも感じない普通な印象でした。そういう経過だったのでメロディア盤のマタイ旧盤が気になったわけです。

 改めて何度か全曲を聴いていると、古い録音なのに鮮烈な音に軽く驚かされて、少年合唱が女子も参加しているのかと思うくらいの穏やかな歌唱に聴こえ、福音書記者を歌うヘフリガーも女声かと一瞬錯覚するような憂いを帯びた声が全面に出てきます。それと福音書記述の箇所の通奏低音ではチェンバロは無しでオルガンを使っているので余計にヘフリガーの朗誦が際立って聴こえます。オルガンの音色が時には金属的なきらめきに感じられたり、同じようにフルートの音も鋭く響いて印象的です。リヒターの再録音では同じ部分の通奏低音にはチェンバロが加わり、福音書記者はペーター・シュライヤーなので、それらだけでも違って聴こえるのは確かです。あと、再録音の方ではフィッシャー・ディースカウがキリストのセリフの部分を歌っていて、それは他の追随をゆるさないほど魅力的です(クレンペラー盤でもフィッシャー・ディースカウが歌っている)。この点は旧録音でも同じ配役だったらと思いました。

 再録音のことはさて置き、故磯山教授の著作の中に次のような言葉がありました。「マタイ受難曲の本質をひとことで言い表せば『慈愛』である」、さらに、「慈愛が胸いっぱいにしみわたる」、「その慈愛はバッハの音楽から与えられるようでありながら、いつのまにか、そのさらに背後から、馥郁(ふくいく)と放射されるように思いなされてくる」とありました。今回リヒターの旧盤の冒頭合唱を聴いているとしみじみとこれらの言葉が思い出されました。ヨハネ受難曲の冒頭合唱とは違う趣ですがこれは、マタイ受難曲の第一部が捕縛される場面やゲッセマネの苦悩より前の場面、最後の晩餐やその準備的なところ(香油を振りかける)から出来事ははじまり、とりわけ最後の晩餐(聖体の制定)の輝かしいキリストの歌唱も含まれるという内容が効いていると思います。リヒターの受難曲はゲッセマネ以降の苦しい場面の印象が先行しがちですが、第一部前半も魅力的だと再認識しました。それと同時にゴルゴダまでの受難の場面も特別に激ししい演奏というわけではない気がして、それこそ慈愛、いつくしみで貫かれているのではと思いました。

 「いつくしみ」と言えば日本のカトリック教会のミサ、式次第が新たになりキリエの歌詞が変わりました。あわれみの賛歌がいつくしみの賛歌となり、「主よあわれみたまえ」と「キリストあわれみたまえ」が「主よいつくしみを」、「キリスト、いつくしみを」に改まりました。「あわれみ」も「いつくしみ」も日常生活でそうそう使う言葉ではないと思いますが、「いつくしみ」という言葉はえも言われず十字架、御受難にぴったりする言葉だと思えてきました。ペトロがイエズスのことを知らないと否定する場面、ルカ福音書は鶏が鳴いた後にイエズスが振り向いてペトロを見つめるという記述があります。それからペトロは泣くわけですが、そのまなざしはどんな風だったことかと思います。
6 4月

マルセル・デュプレ オルガン曲「十字架の道行」山田早苗

230406bマルセル・デュプレ 「十字架の道行き」op.29

山田早苗:オルガン
オルガン:オーストリア.リーガー社/1993年11月設置

「十字架の道行き」op.29
【第1留】 イエス死刑の宣告を受ける
【第2留】 イエス十字架をになう
【第3留】 イエス初めて倒れる
【第4留】 イエス母に会う
【第5留】 イエス、シモンの助けを受ける
【第6留】 ヴェロニカ、イエスの顔をぬぐう
【第7留】 イエス2回目に倒れる
【第8留】 イエス、エルサレムの婦人たちを慰める
【第9留】 イエス3回目に倒れる
【第10留】 イエス衣服を剥ぎ取られる
【第11留】 イエス十字架に釘づけにされる
【第12留】 イエス十字架上に死す
【第13留】 イエス十字架から降ろされる
【第14留】 イエス墓に葬られる

*第15留「キリストの復活」として「79のコラール」作品28より
  キリストは死の縄目につながれたり
  聖なるキリストはよみがえりたまえり
*「終わりの祈りとして」「79のコラール」作品28より
  来たれ聖霊、主なる神

(2022年9月15日 所沢市民文化センター,ミューズ アークホール録音 コウベレックス)

230406a 先日、この雨の降る前に御室仁和寺の桜を見にいきました。数年前とは違い拝観者の桜鑑賞のために補強工事がされてあり、コロナ以前より増えているように見えました。門前は混雑していて、その喧騒の中でもどこからか選挙カーの声がきこえてきました。先週から早くも選挙の街宣車が騒ぎ出しましたが、もういい加減に候補者の名前を連呼するのは止めたらと思いながら、投票日前日くらいは「さいごのさいご、地元の~です」と絶叫調に変わるんだろうなと思って聞き流していました。直近の自分の経験で新型コロナの感染期に老人要介護期が重なったので、医療と福祉・介護の現場の窮状に接することになりました。基本的に健康保険かつ後期高齢者、介護保険だから自己負担は少ないので贅沢言うなというところだとしても、人生の最後の最期を迎えるのは大仕事で大変だと思いました。

 この作品、同じCDは分割の別ブログで先月取り上げましたが感銘度が深いので再演的に扱っておくことにしました。元は即興演奏から始まって作品化されたという作曲の経緯だそうですが、教会の信心業「十字架の道行きの祈り」の言葉を見事に体現していると感心しました。デュプレはメシアンの師筋にあたるので時期としては現代音楽ということになるのでしょうが、聴いていて直接的に心情に訴えるものがあります。

 演奏しているオルガニストは薬科大学を卒業してからレーゲンスブルクの教会音楽大学を卒業したという経歴の山田早苗さんです。現在はカトリック北浦和教会のオルガニストを務めているとプロフィールに出ていますが、普段のミサで演奏する機会は結構あるのだろうかと京都教区を念頭に置くと微妙な感じです。このCDは残響、響き方も良好で聴き易くて、これは欠かせない、手放せないCDになりそうです。

 マルセル・デュプレはメシアンが「オルガンのリスト」と称したくらいの超絶技巧な名手だった上に多数の作品を残しているようですが、この曲のレコードとかは今まで全く見たことさえなくて今更ながら残念に思えてきます。ところで先日、メル・ギブソン監督による映画「パッション(2004年)」に出演した俳優、フリスト・ジフコフ(十二弟子のヨハネ役)の訃報が流れていました。その映画は国内の映画館でも見てDVDも購入して何度となく見ましたが、キリストの捕縛後の拷問・虐待のシーンが凄惨なうえにけっこう長く続き、ファンタジー的ではない映像です。ギブソンは独特な宗教的立場、現代のカトリック教会とは一線を画した復古カトリック(そういう名前らしい)らしくて、映画の内容も保守的になっています。十字架の道行の第6留にもある「
ヴェロニカ、イエスの顔をぬぐう」という場面は映画にも描かれているものの、四つの福音書のいずれにも登場しません。ということはプロテスタント教会の中でも厳格な派なら多分教会内では伝承されず、何それ?くらいかもしれません。

 それはともかくとして、この曲を演奏する場合に慣習的に第14留の後に、このCDの例のように復活や祈りの曲を加えているようですが、これも感銘深くて効果的だと思いました。十字架の道行の各場面をみているとバッハのヨハネ受難曲が扱う場面とほぼ重なる(ヨハネは捕縛の場面から始まるのでもう少し前)と思い、同時にマタイ受難曲は更に前の場面から始まるので色々な事柄を含んでいると思いました。ペトロがイエズスの捕縛後、お前も一党だろうと問われて否定した後、鶏が鳴いてイエズスが言った言葉を思い出して泣くという場面、四つの福音書のどれにも載っています。この場面について、ルカ福音書にだけイエズスがペトロを見つめた(ペトロが泣く前)という記述がありました。そのまなざしはどんなものだっただろうかと、色々推測はできるでしょう。ただ、道行の第14留が終わった後に第15留以降を加えたものを聴いていると、それはいつくしみに充ちたものだったと思えます(護教的、牽強付会的と教会外からは見られるかもしれませんが)。
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昭和40年代生まれ、オットー=クレンペラーの大フアンです。クレンペラーが録音を残したジャンルに加え、教会音楽、歌曲、オペラが好きなレパートリーです。

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