raimund

新・今でもしぶとく聴いてます

オットー=クレンペラー

11 2月

ヴェーベルンの交響曲 クラフト、R.C管弦楽団/1956年

240211アントン・ヴェーヴェルン 交響曲 OP.21
~ヴェーベルン作品全集より

ロバート・クラフト 指揮
ロバート・クラフト管弦楽団


(1956年2月9日 ニューヨーク,コロンビア30丁目スタジオ 録音 SONY CLASSICAL)

 先日の夜、珍しくTVで21時のニュースをみたら小澤征爾の訃報に時間を割いて業績を振り返っていました。小澤征爾の指揮する音楽は結局ラジオかCDでしか演奏を聴くことが無かったなと思いながら振り返ると、マタイ受難曲、アッシジの聖フランチェスコはかなり感銘深く刻まれています。後者の方は長時間の作品の上に録音が少ないので、抜きんでて凄い演奏なのかとかはよく分かりませんが、仏政府の要望で作曲されたものを東洋人が初演を任されるのはなかなか無いことかと思います(もっともメシアンの作風からして同国人よりも東洋人に、という面もあるかもしれません)。あと、京響が京都会館第一ホールで公演をしていた時代に小澤征爾さんも客演したことがあるそうで、当時の京響でもこういう演奏になるのかと驚いたと言う話も聞きました。

 ヴェーベルン(Anton Friedrich Wilhelm von Webern 1883年12月3日 - 1945年9月15日)の交響曲は1928年にウィーンで作曲されて、翌年にニューヨークで初演されました。しかし反応は悪く解説には「嘲笑された(散々)」とまで書かれています。約10分の二楽章からなる作品ながら、聴いてみても何かよく分からない(ぽかん-ん?)ので嘲笑するのも難しいと思います。笑いとは何かという定義について、そこに優越感が介在するという意味の定義もあるので、これを聴いて分からずにいると逆に自分の愚鈍さを笑われているような気分にもなります。音は鳴っていても何も入ってこない、分かったような気にさえならないのは正直な感想です。この曲について
クルシェネク(Ernst Krenek 1900年8月23日 - 1991年12月22日)は、「蜘蛛の巣のように構成され、濃密ながらも、かぎりなく繊細なフレーズがつづくこの華奢な作品」と評しています。

240211b クレンペラーは第二次大戦前に少なくとも二度、
1931年頃のベルリンと1935年のウィーンでこれを指揮(「クレンペラーとの対話」には後記のクルシェネクに詰られ、説き伏せられた件は出てこない)しているようです。一回目と思われる際はクレンペラーが作曲者のヴェーベルンにわざわざ来てもらって(呼びつけて)ピアノで弾いてもらいました(ウィーンに滞在中に来てもらったと書いてあり、1935年のことと混同しているのか)。全般的にヴェーベルンの作品を理解できないとしています。またクレンペラーは、「ヴェーベルンの音楽はおそらくそれが現れた危機の時代のひとつの兆候」、「彼は完全無欠であると思う」とも言っています。

240211a ウィーンで指揮した時の騒動について、オットー・クレンペラー あるユダヤ系ドイツ人の音楽家人生 エーファ・ヴァイスヴァイラー著 明石政紀 訳 (みすず書房)」「オットー=クレンペラーの同時代の証言」の一発目に、「エルンスト・クルシェネク、1935年」として面白い話が載っています。国際現代音楽協会のウィーン支部が資金を得て、室内オーケストラの演奏会を開くことになり、モスクワからロスへの帰途にウィーンへ寄ったクレンペラーをノー・ギャラで指揮者として招くことになりました。クレンペラーは快諾したものの、リハーサルになるとヴェーベルンの交響曲を指揮できないと狂暴にゴネだして作曲者もびびって困りました。緊迫したオーストリアの状況を考慮するとこの手の作品を演奏するとスキャンダルになり、自分の評判を傷つけるようなことはしたくないとクレンペラーは主張しだしました(勝手なやっちゃ)。そこでクルシェネク
は頭にきて、かつてはこういう音楽を指揮してきたくせに、ナチスを怖がって我が身かわいさに拒否するのか、作品を理解できなくても棒を振ってるだけで良いからと強引に説き伏せました。ナチスもクレンペラーも恐れないクルシェネクの硬骨漢ぶりには驚き、畏敬の念もわいてきます。不謹慎ながら極道モノのVシネマの1場面と重なります(叔父貴、今になって指揮できんとはどういうことでっか?カギ十字組をはばかって逃げるんやないやろな?それで筋が通るんでっか!~)。

 なお、ヴェーベルンは大戦後、誤って?射殺されるという非業の最期を遂げています。クレンペラーと同世代なのでもうちょと長生きできたはずで、いまさらながら気の毒です。演奏しているロバート・クラフト(Robert Lawson Craft、1923年10月20日 - 2015年11月10日)はストラヴィンスキーの助手的な仕事を務めた指揮者、音楽学者で、ヴェーベルンの作品全集を監修、レコーディングしています。この交響曲のCDはクラフトの紙箱廉価盤かブーレーズの組物(確か入っていたと思うけど、どこに置いたか分からない)しか持ってないのでとりあえずこれを聴きました。というのも小澤征爾さんの訃報を受けてインスタにUPされたものに、ウィーンの音楽監督就任後の最初の演目が「ジョニーは演奏する」だったと紹介されてあり、クレンペラーを説き伏せた件を思い出しました。
10 12月

クレンペラーのシューベルト・グレート交響曲LP

231210bシューベルト 交響曲 第9(8)番 ハ長調 D.944「グレート」

オットー=クレンペラー 指揮
フィルハーモニア管弦楽団

(1960年11月16-19日 ロンドン,キングスウェイホール 録音 COLOMBIA SAX2397*の再発売盤)

231210c この十年で何故かアナログ、レコードの復権が進んでいます。レコードの世界はヴァイオリンのマニアが一番コアらしく、奏者によっては一枚数十万級で取引されるものもあるそうです。これは英国盤のLPですが最初に発売されたものではなく、再発売盤のようです。英コロンビアのオリジナル盤はレコードの中心、穴の周りのラベルが薄青く灰色がかった色地に銀色の文字が印刷され、円周の一部の線模様が全体に入ったデザインですが、このLPは次の年代のデザインは穴の上部に半月型のデザインが入り、全体に赤いというデザインです。再発売でも二、三度くらいのものはかなり音が良いと言われるそうです。自分が十代の頃に聴けたのは今回のものではなく、LP末期にリマスターされた廉価盤でした。

231210a 音はそんなに違うのかとなると、あまり自信を持って言えないけれど、初期の盤で聴くと弦、管ともにうるおいがあり、生々しいような音に感じられます。クレンペラーのEMI録音は1990年代前半までに一機にCD化されました。そのCDで初めて聴くことが出来たものもありましたが、今回のシューベルトなんかは全体的に外側が肥大して密度が低いような音に聴こえる(再生機器があれだからという面もある)気がしていました。しかし改めてLP、初期の盤で聴くと、もっと繊細、緻密でかつ艶のある音で、演奏のすばらしさを再認識できました。シューベルトのグレイト交響曲はフィルハーモニア管弦楽団の定期公演で演奏した際に、客席の熱狂は大変なもの(同じ機会のプログラムに入れたバルトークの舞踏組曲は不人気だったのに対して)だったということで、その反応も頷ける気がします。この曲はフルトヴェングラーの戦中の激しい演奏があり、それを念頭に置くとクレンペラーの場合は塑像のような静物的と受け取られることもあり、内心で大いに反発しつつも一理あると認めざるを得ないと思っていました。しかしそういう表層的な差はともかく、感銘度は優るとも劣らないものだと思います。

 昭和32年のLP手帖誌面に発表された田代秀穂氏のクレンペラーとフィルハーモニア管弦楽団のエロイカ(1955年録音・モノラル)批評は以下のようなものでした。これは他の極の演奏にも通じるところがあり、昔はこういう熱心で真摯なレコード批評があったのかと感心するので再掲します。「 クレムペラーは堅実で真摯な解釈と勇渾な翳の濃い表現によって、この交響曲の激しい感情と豊麗な美しさと高貴な表情をよく捉えている。テムポが全体としてゆっくりしており、また音彩感が渋く暗い輝きを帯びている為に、かなり地味で武骨な感じがするけれども、ダイナミックが悠々と大きく起伏し、旋律も情感をこめてよく歌い、激しい緊迫感に支えられ、荘重でエルハーベンな( 荘厳なという意味であろう )クレムペラー独特の彫の深い持ち味が濃厚に滲み出ているばかりでなく、それがこの曲の性格にも合致している。感情が沈潜され、一字一刻もいやしくない生真面目さが厳粛な儀式めいた雰囲気を醸し出し、誠実な内的情熱を激しく感じさせる~独特の深い味わいがある。この曲の複雑な構成とスケールの大きさと均整のよくとれた古典的な形式美を充分に捉えながら、其処には激しい感情を力強く壮麗勇渾に表現している。~」

 シューベルトのピアノ・ソナタ第19番を続けて聴いていて、解説の中にハ長調の交響曲にふれているものがありました。「天国的に長い」というシューマンの言葉からアファナシエフが弾くシューベルトのピアノ・ソナタを、長いという点はそのままに「天国」の対極、「冥府etc」を充てて評している解説がありました。グレート交響曲はその後のブルックナーやマーラーに比べて長いと言い切れる程ではなく、現代の実感では微妙なものがあります。しかし、グレイト交響曲の四つの楽章の性格、長さなどはピアノソナタ程は目立った違和感(村上春樹が指摘した)ではないかもしれませんが、やはり似たものがあると思います。
27 11月

クレンペラー、ロイヤル・オペラのフィデリオ/1961年のLP

231126ベートーヴェン 歌劇「フィデリオ」 

オットー=クレンペラー指揮 
コヴェントガーデン王立歌劇場管弦楽団
コヴェントガーデン王立歌劇場合唱団


レオノーレ:セーナ・ユリナッチ
フロレスタン:ジョン・ヴィッカーズ
ドン・ピツァロ:ハンス・ホッター
ロッコ:ゴットロープ・フリック
マルツェリーネ:エルジー・モリソン
ヤキーノ:ジョン・ドブスン
ドン・フェルナンド:フォーブス・ロビンスン
第1の囚人:ジョゼフ・ウォード
第2の囚人:ヴィクター・ゴドフリー

舞台裏トランペット:エルガー・ハワース

*テスタメントのCDは初日・2月24日の公演であり完全初出だという。また既に出回っていた音源は3月7日の公演だったらしいが、このLPは3月7日という表記はない。
(1961年3月? ロイヤルオペラハウスでのライブ録音 MELODRAM MEL 407

231126a 年末に差し掛かりオーケストラの来期プログラムが発表されています。その前に来年2月に大阪フィルでは井上道義指揮でショスタコーヴィチの交響曲大13番が定期のプログラムに入っています。バビ・ヤールは一連の虐殺、政治的な扱い等多くのことに繋がり、聴いていると目をさまされるような気になります。国内では最近公開された映画、「福田村事件」というのがあり、まだみていませんが何か気になってきます。それらとは関係無いもののベートーヴェンの「フィデリオ」は音楽だけでも(というか特に音楽が)清々しくて、えも言われぬ香気を放つようで個人的には好きな作品です。フィナーレの方は視覚的に何か時代劇の水戸黄門のにおいもして野暮ったい気もしますが、それでも捨てがたいものがあります。ということで、クレンペラーが第二次大戦後ブダペストのポストを辞めてからオペラを指揮した数少ない機会の一つ、ロンドンの王立歌劇場でのフィデリオをLPで聴きました。

 クレンペラーがロンドンのロイヤル・オペラハウスでフィデリオの指揮をした公演はテスタメントから初日のライヴ録音がCDで発売されていました(初期の過去記事で扱っています)。そのCDの発売時の広告では初日の公演は完全に初出である、過去に海賊版として出回ったのは別の日(3月7日)の演奏と書いてありました。しかも初日の音源は一度も放送されなかったとも書いてありました。ということは、このメロドラムから出ていたLPの演奏はテスタメントのCDとは違うということになりますが、LPの方には日付が載っていないので何とも言えません。それにLPも客席の騒音、拍手(演奏の切目とかで)は入っていてもすぐに音が小さくなる等特定できそうな音も少な目です。

 最初に各盤の前半を聴いていると、どうもテスタメントのCDとは違う印象だったので上記の演奏日時の件は初日の公演とは違う別ものかもしれません。もっともキャストは同じなのであとはLPとCDの違い等が影響しているだけかもしれません。演奏の印象は何となく初日公演CDやEMIセッション録音よりも滑らかに前へと進むような感じがします(いいかげんなものだけど)。クレンペラーはオーケストラ作品でも定期公演と併せてレコード録音をしていましたが、フィデリオのキャストはフロレスタンとロッコの他は入れ替えています。ホッターやユリナッチは有名だから契約、ギャラの関係で替えたのかもしれませんが、他は少しくらい重複していても良さそうです。

 演奏ではレオノーレ、ロッコ、フロレスタンが声質も含めて素晴らしくて、ホッターのピツァロはその役にはもったいない程の品格を感じさせます。また、LP六面目にはレオノーレ序曲第3番が入っていて、それを演奏する場合の効果を堪能できます。ただ、第3番にこんな箇所があったか?と思うところがあり、当日の演奏上の乱れなのか、今までのレオノーレ序曲第3番と違う気がしました。第二幕の後半、トランペットが響いてヤキーノが「ファーター ロッコ」と連呼して大臣フェルナンドの到着を告げるところから序曲を挟んで最後まで、格調が高く熱気を帯びているので年末の第九を超える感銘度だと思いました。それにしてもテスタメントのCDと本当に別の日の演奏なら、こちらの方もCD化できないものかと思いました。
10 7月

クレンペラーのマーラー「大地の歌」/1964,1966年のLP

230708マーラー 交響曲「大地の歌」

オットー・クレンペラー 指揮
フィルハーモニア管弦楽団
ニュー・フィルハーモニア管弦楽団

クリスタ・ルートヴィヒ(Ms)
フリッツ・ヴンダーリヒ(T)

*1964年2月のセッションだけレッグがプロデューサー、以後はピーター・アンドリューがプロデューサー。
(1964年2月19-22日 :第2、第4楽章/1964年11月7-8日:第1、第3 ロンドン,キングズウェイ・ホール、第5楽章 / 1966年7月6-9日:第6楽章 ロンドン,アビィロードスタジオ 録音 SAN179 EMI)

230708a 恒例のかる鴨親子の引っ越し、鴨川三条大橋あたりも無事に済んでいたようですが、毎年のことながら生まれて移住する子鴨の何割が生存してさらに繁殖しているのか、そもそも寿命はどれくらいなのかと思います。三条大橋上流辺りも、増えすぎてかる鴨に乗っ取られるということはなく(河川区域境界辺りに入管事務所があってオラオラされて送り帰されているわけじゃないのに)どうなっているのかと。野生のかる鴨の寿命はだいたい十年程度そうなので、何年かは同じ雌が同じ場所で産卵して雛を育てているのかもしれません。しかし、かもなんばん、かもロースなんかも食べていながら親子の引っ越しをここまであたたかく見守る我々のメンタリティは何なのかとも思います。

230708b 今年が没後50年になるオットー=クレンペラーの命日は7月6日(1973年は金曜日)でした。当日夕方に娘のロッテがパウル・デッサウへ知らせた電報によると葬儀は四日後の火曜日だったようです。ということで7月10日に合わせてクレンペラーの代表的なレコード、マーラーの大地の歌を聴きました。今回は初期盤ではなく再発売の英国盤ですが多分1980年前後までの発売だと思われ、盤の厚みは同時期の国内盤と似ています。自分が最初に聴いたのは1980年代半ば頃、一枚2500円の国内盤でした。クレンペラーのレコードでは最後まで値段が高かった部類です。ということはごひいき筋だけでなく、広く受け入れられていた録音だったのでしょう。その後何度もCD化されているので過去記事でも扱いました。なお、今年に発売されたBOXセット(管弦楽、協奏曲)は最新リマスターを標榜していますが大地の歌も良好な音質です。

 改めてLPを聴いているとクレンペラーの「大地の歌」も決してモノトーンのような枯れたものでなく、鮮やかなものだと思いました。急須とかポットに茶葉を入れてお茶を飲む時、かき回したり押したりせず、茶葉から滲出するのを待つと、良い具合の濃さで出てくる、その感覚に似たものです。「更に古くて素敵なクラシックレコードたち 村上春樹(文芸春秋)」の中に「大地の歌」の頁があり、ピックアップされたレコードの中にこのクレンペラー盤も含まれています。制作経緯と共に「いかにも姿勢がよく、品格があり、大仰な身振りが皆無だ」となっています。

230708c  この作品は男声のみで演奏されることがありますが女声・男声で演奏する場合、奇数楽章をテノールが歌います。ヴンダーリヒは1964年11月にレコーディングをしていますが、その後1966年9月17日に急逝します。この曲の最後の録音セッション、7月6-9日が終わって間もない頃でした。こういう分割して間隔をあけたセッション録音をクレンペラーは好ましく思わないところだと思いますが、レッグのオーケストラ解散宣言・自主運営化に絡んだ混乱があったのでやむをえません。ちなみに1966年7月の録音セッションが終わった直後、クレンペラーはサン・モリッツで転倒・骨折の憂き目にあい、半年間静養を余儀なくされました。その半年後、マーラーの第9番と共に活動を再開し、ユダヤ教に復帰、イスラエル国籍取得と最晩年の時期に突入します。

6 7月

クレンペラー、POのチャイコフスキー第4番、英初期盤LP

230706aチャイコフスキー 交響曲 第4番 ヘ短調 作品 36

オットー=クレンペラー 指揮
フィルハーモニア管弦楽団

(1963年1月23-25,2月2日 ロンドン、キングスウェイ・ホール 録音 Colombia SAX2494)

~ ロッテ・クレンペラーからパウル・デッサウへの電報、1973年7月6日 ~
「 パパ 今日金曜日の午後六時十五分 睡眠中に安らかに逝去(ストップ) 電話で伝えようとしたけどつながらなかった(ストップ) 葬儀は火曜日の午前 心から ロッテ  」~「 オットー・クレンペラー あるユダヤ系ドイツ人の音楽家人生 エーファ・ヴァイスヴァイラー著 明石政紀 訳 」

230706 七月に入ったある日の朝、工事中の三条大橋から上流の方を眺めたら岸近くにカルガモ親子の群れが目に入りました。多分、毎年左京区要法寺の池から鴨川に引っ越しするカル鴨だろうと思います。今年もやっと引っ越したようです。そして7月6日、没後50年の今年、2023年もクレンペラーの命日がやってきました。。クレンペラーの生地ヴロツワフ(ブレスラウ)、クレンペラーが歌劇場の楽長、音楽監督だった街、プラハ、ハンブルク、ストラスブール(シュトラースブルク)、ケルン、ウィスバーデン、ベルリン、最後に落ち着いたチューリヒは一度は行ってみたいと漠然と思っていましたが、ロシア、ウクライナが戦争状態になって一年以上が過ぎ、新型コロナは下火になったとしてもヨーロッパは一段と遠くなった気がして、渡航する気力も失せてなんか無理そうな感じです。

230706b 今年の命日前はクレンペラー指揮、フィルハーモニア管弦楽団のチャイコフスキー交響曲第4番、初期盤LPをステレオとモノラルの両方で聴きました(ジャケットのデザインは同じ)。初期盤ステレオ盤はあまり出回らないのでモノラルの方が安いからと買っておいたところ、急にステレオ盤があったという珍しい例でした。ステレオに比べてモノラルはどうかとなかなか断じ難いものがあり、モノラルも捨て難いというのは他の録音と同様です。この時期のクレンペラーならだいたいどんな演奏なのか推測がききそうで、非爆演系にして曲のコーダ付近からアッチェランドをかけることはない、簡単に盛り上げようとしない演奏です。盛り上がりそうになる、テンポを上げたくなるところで敢えて抑制をかける、絶対抑えるという強い意志さえ感じられ、結果的に端正にして格調高いと言える響きになります。

230706c この曲の代表的なレコードとして昔から有名なムラヴィンスキーとレニングラード・フィルも似た形容が可能ですが、決して混同できない差があり、ムラヴィンスキーの方は切迫感というか苛烈なものが迫ってくる心地です。クレンペラーのEMI録音はどれもフィルハ-モニア管弦楽団の定期公演と取り上げた曲ということで、コンサートのために練習しているところ、その前後でレコーディングしているので、チャイコフスキーの第4番もライヴ音源が一つくらいあるはずです。その内にテスタメント・レーベルからひょっこり出ないものかと期待します。コンサートでの演奏ならもう少し白熱しているかもしれません。

 クレンペラーがEMIへ残したセッション録音のレパートリーでドイツ、オーストリア系でない有名作品は、ベルリオーズの幻想交響曲、フランクの交響曲、ドヴォルザークの新世界交響曲、ストラヴィンスキーのプルチネルラ組曲と三楽章の交響曲、ペトルーシュカがありました。それからチャイコフスキーの交響曲第4~6番も連続録音していました。ベルリオーズや新世界はK.宇野の単行本で取り上げられたり、ストラヴィンスキーは戦前から取り上げていた作品であり注目される機会がありましたが、チャイコフスキーはかなり地味な扱いでした。有名作品なのでドイツのオーケストラもチャイコフスキーは悲愴をはじめ交響曲第4番以降は多数録音しています。カラヤンやフルトヴェングラーも同様です。
25 6月

クレンペラー、バレンボイム・ベートーヴェンP協奏曲No.3初期盤LP

230625ベートーヴェン  ピアノ協奏曲 第3番 ハ短調 作品37

オットー=クレンペラー 指揮
ニュー・フィルハーモニア管弦楽団

ダニエル・バレンボイム:ピアノ

(1967年10月10-11,14日 ロンドン,Abbey Road 第1スタジオ 録音 EMI SLS941-4)

 先日、休刊が決まった月刊誌・レコ芸の最新刊を一日遅れで購入しました。厚さは前月と変わらずで、親父さんが定年退職日なのに普段通りに弁当を持って何ら変わらない様子で出勤するという、さだまさしの「退職の日」を思い出させる7月号でした。記事の中には没後50年のクレンペラー特集があったけれど目新しいことは載っていなかったのはやむを得ないところです。レコ芸に初めてクレンペラーをまとめて扱った回の記事を抜粋とか、そういう手間のかかりそうなことは無理なのでしょう。思い返せば中高生の頃は記事と同じくらい広告、それも販売店の広告に注目していました。「クレンペラー イン トリノ」とか「モノラル時代のクレンペラー」というLPの広告は初めて見た時は有り難く、刺激的でした(後者はEMIのベートーヴェン第3、5、7番、買えなかった)。さて、六月も半分以上が過ぎて今年もクレンペラーの命日が近付いてきました。

 
このLPはクレンペラーとバレンボイムによるベートーヴェンのピアノ協奏曲全部と合唱幻想曲をまとめた箱物セットの初期盤です。一連の録音は曲ごとに順次発売されたはずなので、それらの後に発売されたもののようです。ちょうど第5番だけは最近最新のリマスターでLPが再発売されたところですが、改めて初期盤を聴くとやっぱり良い音で、特に今まで以上にピアノの音が素晴らしいと思いました。クレンペラーとバレンボイムのベートーヴェン、正直な感想としてはピアニストを替えた方が良い、くらいでした(バレンボイム弾き振りのモーツアルトは素晴らしいけれど)が、今回初期盤でこの第3番と第4番を聴いてみるとそういう感想は覆り、オーケストラ共々立派だと思い、他のピアニストと交替しなくても共演、機能していると思いました。

 これを録音した時期はマーラー第9番を取り上げ、ユダヤ教に復帰してイスラエルに対する思いが高まっている頃だったので、ユダヤ系の若手、バレンボイムに白羽の矢が立ったという側面もありそうです(それに何かとトラブルが頻発するクレンペラーのことなので年齢差が大きければ共演ソリストも我慢するだろう)。そういうことよりも演奏が全く立派で、作品の格が上がるような印象です。ピアノ協奏曲の第3番は冒頭から作曲者より前の世代の作風を思わせるものですが、ここでは紛れもなくベートーヴェンの世界そのもの(作曲家でも同時代人でもないのに不遜な言い方)です。

 今年になって没後50年を記念してクレンペラーの有名録音のLPが再発売されています。厚目の重量盤、最新リマスターと称していて(広告:
オリジナル・マスターテープより、2023年最新リマスター音源によって、180gアナログLP盤として)、マーラーの第2番を聴いた印象では確かに音質は良いものの、気のせいか何となく音が痩せたようで、特に低音はそんな気がしました。あと、「リマスター・エディション(シンフォニック&協奏曲作品録音全集)」という通常CD(SACDではない)の箱物がありました。これも没後50年企画で未発表音源も少しだけ入っています。その中でベートーヴェンのピアノ協奏曲第3番を聴いてみたら意外な程に音が良くて、どちらもごく一部しか聴いていないけれど、広告にあった「マスターテープより2023年最新リマスター音源」の実力なのか、EMIがワーナーに併呑される際に出た箱物に比べて確実に音が良くて驚きました。
1 6月

クレンペラー、ニューPOの軍隊交響曲/1965年 英初期盤LP

20230531ハイドン 交響曲 第100番 ト長調 Hob.I/100「軍隊」

オットー=クレンペラー 指揮
ニュー・フィルハーモニア管弦楽団

(1965年10月20–21日 ロンドン Abbey RoadNo.1 Studio 英COLUMBAI SAX5266)

 BSの番組に「入り難い居酒屋」というのがあり、地元の常連が客の大半を占める海外の店を取材するという内容で、見るからに入り難い雰囲気の店がありました。自分が昼に夜に立ち寄る店(居酒屋というか小料理屋というか)も一応そういう部類でしたが、最近はコロナ前の傾向がぶり返し気味で外国人が不意に、深夜にふらっと来ることもあるようです。カード不可、現金払いの店の上に日本語ONLYなので、常連客の方が多いので稀に来られると困るようです。店側にとって一つ良いことはビールをよくのみ、数人で生ビールを一気にひと樽空ける程こともあるようです。「現金払いの明朗会計」、これは「じゃりン子チエ」の遊興倶楽部(後にお好み焼き「堅気屋」になる)のモットーで、他に「博打で儲けてより良い社会」というのもありました。博打という射幸心が結晶化した言葉と「より良い社会」がさらっとくっ付いたこの標語、IR誘致でゆれている大阪をおもうと笑えないモットーです。仮に誘致できたとして誰が、実際儲かるのか、「一将のみ功なり」、でコロナ禍で医療難民になった庶民のように「万骨枯れる」、でなければよいのですが。

 このハイドンの交響曲第100番と102番が入ったLPは英国・初期盤で、盤面ラベル中央には赤地、半円COLOMBIAのデザインです。
英国・初期盤でも人気等の兼ね合いもあって現代の中古価格は結構差が出ています。1965年10月の録音なのでレッグのフィルハーモニア管弦楽団の解散宣言を受けて自主運営化してニュー・フィルハーモニア管弦楽団となって迎えたシーズンにあたります。興行成績のしばりは強くなったかもしれませんが、何かとうるさいレッグから自由になった時期、1966年夏に転倒骨折から1967年早々のユダヤ教復帰以降の最晩年の手前という時期は魅力的な演奏が多いと個人的に思っていました。

 
昔国内盤LPで初めてこれを聴いた時は強烈な印象を受けて、同時にこれがハイドン(の演奏か)という逸脱感のようなものも感じました。再生機器も今の時点とは大幅に質素(チョロ過ぎ)だったので音質も違って聴こえて、このハイドンだけじゃなく、どうも肥大化して張りぼて感さえ感じられました(金管楽器も鮮明で輪郭がはっきり)。しかし改めて聴いていると、繊細で密度の高い音で、国内盤でカップリングされていた時計交響曲と同じスタイル、響きだと思えて感慨もあらたです。クレンペラーの場合、ベートーヴェンはこういう作曲家だから(ハイドンは、ブルックナーは)この作品はこのようにあらねばという方式で作品をとらえるわけではないのは言動からも分かりますが、このところベートーヴェン、モーツアルト、ハイドンと古典派のレコードを続けて聴いているとそれが強く実感できます(ついでに英雄だから、軍隊だからというとらえ方も避けている)。

 第100番は1980年前後のレコ芸の企画、「名曲名盤500」で第1位か3位までにはリストアップされていて、自分が購入した際は第101番「時計」と組み合わされた再発売シリーズ、一枚2500円のレコードでした。クレンペラー本人は時計交響曲の方を好んでいたようで、ライヴ音源にも多数残っています。そういえばレコ芸が休刊になるのでこの手の企画も休眠してしまい、あるいは半永久的に消えるかもしれません。
27 5月

クレンペラー、POのモーツァルト交響曲第25番のLP/1956年

20230527 -bモーツァルト 交響曲 第25番 ト短調 K.183

オットー=クレンペラー  指揮
フィルハーモニア管弦楽団

(1956年7月19,21-24日 録音 colombia/SAX5252)

 モーツァルトの交響曲の中でクレンペラーが公演で頻繁に取り上げて録音が多く残っているのが第29番です。第25番もライヴ音源がありますが数の上では29番の方がかなり多くなっています。作品の性格としては「第29番=アポロ的」、「第25番=ディオニュソス的」と評されることがあります。実際に作品全部通してを聴くとそんなこともなさそうですが、第1楽章の印象は確かにそんな感じと言えます。クレンペラー本人の性格は後者の要素が濃いと、数々の奇行的エピソードからはそんな風に想像できます。一方で指揮、演奏の性格としては逆で前者の要素が強そうです。クレンペラーの古くからの親友(数少ない?)の一人、哲学者のエルンスト・ブロッホはクレンペラー自身は少しも論理的でないけれども演奏はその逆という意味のことを話しています。

 今回英国盤・再発売のLPで改めて聴いてみると、第25番も第29番と同じように、木管楽器がまるで水面に浮かんで漂うようにきこえて余裕のある、一種の時空を超えたような魅力を感じさせます。この録音を最初に聴いた時は第29番とカップリングされたレコードだったので、第29番とは余計に作品の違い、演奏の差が感じられたのかもしれません。しかも、第29番は1965年に再録音 した方が組み合わされていたはずなので、演奏年代によるテンポの差も影響しているかもしれません。今回は初期盤ではありませんが、より最初の音質に近いとすれば、本来の演奏に近づけたかもしれません。それにしても第1楽章の疾走感はやはりクレンペラーにしては珍しいと言えるかもしれません。テンポだけなら1950年前後の演奏は似ていても、優雅さ、余裕というかそのあたりは違っています。

 これはA面にセレナーデ第13番の再録音、B面に交響曲第25番が入っていて、A面の後半とB面の冒頭に2楽章ずつヘンデルの合奏協奏曲 作品6.第4番が入ったレコードです。曲の組み合わせからも初期盤ではないようです。コロンビア・レコードの製品番号で1960年代途中まではSAX~という番号になっていて、盤面中央のラベルは初期のものは薄青い灰色のような地にCOLOMBIAという表記があるタイプです。次期は赤地に円の半分の形状の周囲に沿ってCOLOMBIAの字があり、中央に丸い赤地に白い音符の図柄が入っています。今回のLPは1968年に製造であり、そのラベルは音符の図柄であるのは共通でも背景が半円じゃなくて長方形になっています。何にしても自分が最初に聴いた国内盤の一枚1500円のLPよりは古いレコードです。

 なお、「クレンペラーとの対話(P.ヘイワーズ編)白水社」によればSAX5252という番号は、セレナーデ第13番とヘンデルのコンチェルト・グロッソの最初に発売されたレコードの番号になっていますが、第25番は上記本の再発売と最初の版では番号が違っています。後者では他の交響曲と一緒になった録音集の番号が記載されています。第25番の正真正銘の初期盤はどういう組み合わせで発売されたのだろうかと思います。
19 5月

クレンペラーとACOのベートーヴェン第7番/1951年4月

210630aベートーヴェン  交響曲 第7番 イ長調 Op.92

オットー=クレンペラー 指揮
アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団

(1951年4月2日 アムステルダム,コンセルトヘボウ ライヴ録音Otto Klemperer Film)

 五月はクレンペラーの誕生月に加えて今年はメモリアル年(没後50年)なのにどうも更新が低調です。ところでコンビニの店員は勤務シフトがあるので時間帯によって違っていて、昼間はアジア系の外国人が増え、早朝は高齢者が目立っています。コンビニじゃなくても高齢者が早朝、まだ暗い時間帯に物品の納入をしているケースもよく見かけますが、老人ホームの宿直も当人が施設を利用していもおかしくないと見える人が担当していることがありました。利用する立場になると介護系の現場も人手不足の上に予算が十分でないことが見てとれます。施設、事業所、制度を維持、継続していくことだけでも大変というのが分かりました。時々思い出してしまいます。

 これはクレンペラーがアムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団に客演した(1947年から1961年)公演を集めたSACD集の中の一枚で、クレンペラーが同オーケストラとの二回目のベートーヴェン・チクルスを行った際の第7番です。アムステルダムだけでも四度(1947年、1951年、1956年、1958年)も九曲の交響曲を集中的に公演で取り上げるのは特別に見えますが、オーケストラにとってはどうも恒例の行事のようなものだったようです。この年代のコンセルトヘボウ管弦楽団はメンゲルベルクからベイヌムが首席(1945~1959年)に替ったので、演奏もクレンペラーと通じるところがあったので好都合(客演し易い)だったことでしょう。

 この1951年4月2日のベートーヴェン第7番はラジオ・ネーデルランドのテープによるもので、客席の拍手等も入っています(付属冊子のトラックタイムにはそれが含まれる)。聴き易い音質ながら、演奏自体は同時期の有名なマーラー第2番(1951年7月12日)とはちょっと違っています。1950年代前半のクレンペラーの他のライヴと似た傾向なのは当然としても、後の第7番と共通する各楽章のバランスや時間、リズムの感覚が感じられます。復活の方は即物的で荷物を床に投げ出すような無造作な感触と、やたら熱気がこもった演奏という印象が刻み込まれていますが、新しいこのSACD集にも含まれているので聴きなおすとまた違う印象になるかもしれません。

~1950年代クレンペラーのベートーベン第7ライヴ
ACO/1951年
①11分09②08分40③7分58④7分03 計34分50

NDRSO/1955年
①12分30②09分42③8分30④7分39 計38分21
ウィーンSO/1956年
①11分44②09分09③7分44④7分24 計36分03
PO・ロンドンでのチクルス/1957年
①12分19②08分59③7分50④7分39 計36分47

 この曲は終楽章でかなり盛り上がるので、コーダに近付くにつれてテンポがはやくなる、なっているように感じるというケースもありますが、クレンペラーは当然そういうことを志向しておらず、それは最晩年でもこの年代でも基本的には同じです。この1951年4月2日の第7番の終楽章はかなり熱がこもっていて、突っ走りそうな趣です。それでも最後まで端正な造形を示して完結しているのはさすがです。ただ、先日の1968年年のEMI盤等は突っ走るの逆で、なかば重りを増やして勢いを止めるように浮揚させる感じなので、それを思えば今回のACO録音は勢いのようなものは感じられます。この年の3月22日にはメンゲルベルクが死去し、3月31日にはクレンペラーがその追悼コンサートを指揮したので、この4月2日はその二日後ということになります。
14 5月

クレンペラーのベートーヴェン第7三度目/1968年 独EMIのLP

230514ベートーヴェン 交響曲 第7番 イ長調作品92

オットー=クレンペラー 指揮
ニュー・フィルハーモニア管弦楽団

(1968年10月 ロンドン, 録音 独EMI C063-02003)

 先日、連休明けの月曜の朝にJR奈良線を利用しようとして駅まで行くと自動改札の電光が消えていて、駅員が何やら説明していましたがかまわずホームへ行こうとすると「大雨の影響で運転見合わせ」と言われ代替の交通手段を説明にかかりました。確かに大雨だったけれど、別に沿線で何が壊れたわけじゃなく、これくらいで運休かと驚きました。降水量が一定を超すと点検のため運休させるようでした。まあ、駅間の線路上で長時間止められることを思えばマシな方です。さて、クレンペラー(Otto Klemperer 1885年5月14日 - 1973年7月6日)の没後50年にあたる今年も彼の誕生日がやってきました。メモリアル年なのでクレンペラーのEMI録音から新たにLP(重量盤)で再発売されるものが出ています。マーラーの復活、ベートーヴェンの皇帝、第九が6月末までに出る予定です(復活は発売済)。

230514 b メモリアル年に限らず十年くらい前からクレンペラーに限らずLPレコードが再発売されるものがあり、クレンペラーのベートーヴェン第7番・三度目録音もHi-qという表記レーベルから
出ていたはずです。今回の第7番・三度目録音のLPはドイツ盤でかなり初期のものということです。クレンペラーのレコードでも1960年代末、1970年代のものは初期盤でも意外に高くない場合が多いようですが、この録音はヨーロッパでは当初から影が薄かったようで、CD化も単独ではされずにいたくらいです。日本では1990年代に山野楽器がCD化していて、クレンペラー党には有難かったと今更ながら思います。

~ クレンペラー三種のベートーヴェン第7EMI録音
1968年・①13分53②10分27③9分11④8分51
1960年・①14分01②10分00③8分39④8分38
1955年・①12分53②09分27③8分24④7分58

 ベートーヴェンの交響曲第7番はタイトル、愛称が付いていないのに人気があり、国内のオーケストラ、来日オーケストラが時々演奏しています。ワーグナーがこの曲について「舞踏の聖化」と言ったようですがつくづく考えて、舞踏を思わせるようなことがあるかどうか妙な表現だと思います。特に古い世代の演奏程舞踏らしくない演奏になりそうです。そもそも各楽章について振り返るとかろうじて終楽章のリズムがそれらしいかなと思うくらいです。しかしその終楽章も、勢いよく突っ走るタイプの演奏が結構多くて、そういう演奏ほど人気があったようです。クレンペラーの場合は少なくとも勢いよく、という演奏ではなくて静物画的で、それだけでそこそこマイナスの評価を付される傾向がありました。

 今回この録音を改めてLPで聴いていると、LPレコードで聴けたのはこれが初めてですが、色々なパートがいっそうよく聴こえて、交響曲第7番はそう言えば舞踏の聖化だと思い出したくらいでした。クレンペラーは特に第3楽章についてこだわりのあるよう(「クレンペラーとの対話」P.ヘイワーズ編)で、戦後の各年代で公演の音源が残っています。クレンペラー三度目のEMI盤は英、独ほかでも半ば忘れられたような存在だったわけですが、ということは当初から評判はいまいちで、初回録音が一番好評のようでした。この録音も英国盤・初期盤であったらまた違った趣なのか、フランス盤だったらもう少し繊細に聴こえたのかどうか。クレンペラーの誕生月でありながら、どうも長く鑑賞する気力が無くて更新数も伸ばせません。三月に母を見送ったので、もう目が離せないとかそういう懸念は無いのにメインの装置が置いてある二階へ行くのも気が進まず、介護体制の時と同じサイクルでとっとと就寝しています。
6 5月

クレンペラーのマーラー第9番、ニューPO/1967年 仏初期盤

20230506bマーラー 交響曲 第9番 ニ長調

オットー=クレンペラー 指揮
ニュー・フィルハーモニア管弦楽団

(1967年2月15-18,21-24日 ロンドン,キングスウェイホール  CCA1108-09 仏colomubia)

20230506a この一年間くらい、JR奈良線の六地蔵駅で改札を地下鉄東西線の入口に近づけて移動させる工事をやっていて、今年三月に新しい改札が開業しました。まだ駅前広場の整備は続いていますが掲示板やら貼り紙が刷新されています。ずっと気になっていた貼り紙がありましたが、読み方を間違っていることに気がついて間もなく剥がされていました。「ルル研究会」と昔のガリ板刷りの風味がある貼り紙があって、芸大、音大やらが近くにあるでなし、アルバン・ベルクのルルを研究?、しかもヴォツェックじゃなくルル?と思って感心していました。地下鉄の入口階段に続く通路の金網に貼ってあったので速足で通り過ぎていましたがある時、よく見ると「ル」と「ル」の間に短く「-」が表記されて「ルール研究会となっていて、その上に小さい字でチョロっと「将棋」と書いてあるのに気づきました。将棋のルール研究会だったわけで納得して合点がいきました。気持ちに余裕なく通り過ぎていたのでそんな読み違いをしていました。それはそうと、京都市立の芸大がJR京都駅近くに移転して来るので(校舎はだいぶ出来ていている)、変な作品やらオペラの公演とかやらないかなと期待しています。

 さて、過去複数回取り上げたクレンペラーとニュー・フィルハーモニア管弦楽団のマーラー交響曲第9番、今回はLPレコードのフランス初期盤を聴きました(レコード盤のラベルの色から一応古い時期のものだと思われる)。最初に発売された盤、初期盤は中古にもかかわらずそこそこ高価になっていることがあり、基本的にクレンペラー以外には手を出さないようにしています。今回のものは英国盤ではなく、フランスで最初に発売されたものらしく、英盤よりは安く出回っているようです。EMI系のレコードなら英盤  >独盤 >仏盤という具合に何故か値段の差があります。ソ連メロディアや東独のエテルナのように再生した音に特徴が出るくらいなのかどうか自信を持って言えませんが、クレンペラーのフランス盤・初期盤はなかなか素晴らしいと思っています(ブルクナーやハイドン等)。

 改めてマーラー第9番をフランス盤で聴いていると、第2、第3楽章の音が硬質?、ち密さが増しているように聴こえ、細く濃い線で描いた輪郭のはっきりした絵のようで新鮮な感銘を受けました。第4楽章も意外に情感があふれて、クレンペラーが作品について書いていた文章、「そこにはどのような闘争も皮肉も怨恨なく、死の尊厳だけがあり、やがて消え入るように締めくくられる」というものがよみがえります。加えて、もう少し肯定的な何ものかがあるような光がさす光景を思わせます。この録音、演奏を最初に聴いたのは十代の頃、国内盤LPで一枚あたり1,800円の「クレンペラーの芸術」シリーズでした。当時と比べて再生環境は一応向上していることもあって、聴いた印象はかなり違います。

 クレンペラーのマーラー第9番のEMI盤はこの曲の決定盤的な評判を獲得するまでには至らず、やや地味な存在と言えるものでしたが、特に今世紀に入ってクレンペラーのCDが既発売のものも正式音源が発売される等、需要が高まるにつれて注目度を上げています。個人的にはこのクレンペラー、ニュー・フィルハーモニアとレヴァイン、フィラデルフィア、それからギーレンとSWRSOの2003年ライヴが特に好き、特別なものです。この曲の場合はその他でも魅力的なものが多く、余程のことが無い限り聴くのを途中で止めるようなものはないと思います。それから戦前のワルター、ウィーン・フィルは当時の時代の空気まで真空パックにしたようで特別枠の音源です。
19 3月

クレンペラー、POのジュピター再録音/1962年のLP

20230319aモーツアルト 交響曲第41番 K.551「ジュピター」

オットー=クレンペラー 指揮 
フィルハーモニア管弦楽団

(1962年3月6-7日 ロンドン,キングスウェイホール 英Columbia SAX2486)

 ここ数年は早く寝て起きる習慣がついていて、とくに直近の一年余りは夜間に一時間程度の感覚で起きる習慣になっており、夜のあいた時間が短いのでブルーレイソフトのオペラ等からはすっかり遠ざかっています。葬儀から一週間もたつとその葬儀会社からの請求書、病院からの請求書が届いて早速片付けました。それが済むと何となくこれまでのスクランブル体制のような張りつめたものが俄かに緩んだ気がします。昨日は一方通行の南北の通りを逆走し、また固定電話から転送させるの使っているスマホを持って出るのを忘れたりするボケぶりでした。今朝は山沿いの道を通るとウグイスの鳴き声がきこえました。

20230319b これはクレンペラーがEMIへ1962年に録音したジュピター交響曲と第40番のLP、初期盤ではないもの英国盤です。ジュピター交響曲のEMI初回録音は1954年で、そちらはCDではテスタメントから復刻されていました。その旧録音のLPは一昨年くらいだったか、ラ・ヴォーチェ京都でオリジナル盤を購入でき、感慨深く聴いていました。そちらは交響曲第29番とカップリングされていますが、1962年の方は第40番とのカップリングで、その組み合わせは初期盤でも同じのようです。ついでに第40番の方は国内盤で発売された際に再録音の年月日が表記されていなかったり、ややこしい問題がありました
。第40番の再録音は交響曲第25番とのカップリングでした。

 ジュピターの方も録音データと内容が一致してるのだろうなと一瞬不安になりかけましたが1954年はモノラル録音なので混同はされないでしょう。せっかくだから旧録音の初期盤も続けて聴いてみました。1962年のジュピターは「じっくりかまえたモーツァルトだ」という評がチラつく落ち着いた演奏で、端正な表現だと思いました。これは1954年録音の方が、誇張して言えば第1楽章の冒頭から前のめりに飛び出すような勢いのある演奏で、そういう姿勢が最後まで貫かれている印象です。1962年は夫人を亡くした後、大火傷で休養して以降、ニュー・フィルハーモニア管弦楽団になるまでの期間にあたり、精力的に定期公演、客演、レコーディングをこなしていた期間でした。ついでにこの年の後半はアメリカ、フィラデルフィア管への客演があり、極度の鬱状態の期間があったそうです。

 今回あらためて1962年録音を聴いていると、第2楽章のアンダンテ・カンタービレもやはりクレンペラーの時間配分、バランスにより甘美さを抑えて、他の楽章との関係も含めて引き締まった演奏になっています。国内盤で最初に聴いたのは一枚あたり1800円のシリーズでやはり第40番とカップリングされていました。その最初の印象は
今回聴いた感覚とは少々違っていて、これほど端正に均衡した演奏というより、クレンペラーらしい歪のある造形が印象的でした。
14 2月

1947年/クレンペラー、ウィーン・フィル、ギューデンのマーラー第4

230212bマーラー 交響曲 第4番 ト長調

オットー・クレンペラー 指揮
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

ヒルデ・ギューデン:S

クレンペラーが唯一出たザルツブルク音楽祭
(1947年8月24日 ザルツブルク,祝祭劇場 ライヴ録音 Otto Klemperer Film Foundation

 奈良の東大寺ミュージアムで戒壇堂の四天王立像が公開されていると聞き、2020年7月から三年間だそうなのでまだ見ることが出来るのかと思い、カレンダーを見ていました。持国天、広目天、増長天に多聞天。多門と言えば空母飛龍の艦長だった山口少将の名前が思い出されます。もっと若い人物に石村多門という名前もあり、そちらは本名よりもペンネームの方が前面に出ていました。最近ネット上で日本共産党内で行われた除名処分のことがチラホラ出ていて、規律、分派という単語が見られたので現委員長の若い頃発生した除名の事件と同じか、それよりスケールが小さく?なって穏健になったのかと思いました(でも処分は除名)。

230212 クレンペラーのメモリアル年にあわせて、ザルツブルク音楽祭でウィーン・フィルを指揮した公演の音源がSACDで発売されました。クレンペラーが唯一出演したザルツブルク音楽祭の記録なので貴重です。SACD仕様の二枚組に当日のプログラム、パーセルの組曲「妖精の女王」、ロイ・ハリスの交響曲第3番、マーラー交響曲第4番
が収録され、アナウンスや拍手も入っています(パーセル以外は初めて発売される音源のようです)。こうした歴史的な音源にアナウンスやらが入っているのは何となくうれしくなり、マーラー第4の演奏後の反応は良好です。

 ところで何故この年限りでザルツブルク音楽祭に呼ばれなかった、呼ばれなくなったのかはこの商品の解説に載っていますが、アイネムのオペラ「ダントンの死」 を指揮するはずだったのが直前でキャンセルするというトラブルがあったからで、作曲者が音楽祭の理事だったのも影響していました。ただ、クレンペラーにとってトラブル自体は珍しいことではないと言えるでしょう。クレンペラーの代役で指揮したのがフリッチャイで、それ以降は活躍してレコーディングも多数できました。

230212a 
さてこのマーラー第4番、さすがに古い音源で雑音やらもありますが演奏は予想以上に素晴らしくて、終楽章のギューデンも魅力的です。当時のクレンペラーらしい尖った印象を受けながら芳醇な、何らかの香りが漂ってくるようなうるわしい演奏です。交響曲第4番は、第3楽章に続くソプラノ独唱の終楽章が何となく緩んで、薄まって尻すぼみ的に終わるようなマイナスの印象がぬぐえませんでしたが、この演奏は何故かそんなことはなく、全楽章の一体感、統一感が強くて、作品に対する愛着が一層増しました。それにクレンペラーがVOXレコードに録音したマーラーやアムステルダムの復活交響曲に対する印象、理解も修正されそうです。

 これ以降もクレンペラーはマーラーの第4番を何度も指揮していて録音も残っているので、それらを聴きなおしていけば面白いと思い、例えば最晩年に指揮したことはあったかと思いまし。
11 2月

クレンペラーとウィーンSOの田園/1951年 SACD集

230211bベートーヴェン 交響曲 第6番 ヘ長調 Op.68「田園」

オットー=クレンペラー 指揮
ウィーン交響楽団

(1951年3月8-12,15日 録音 VOX)

230211a 昨年から村田、門田といったプロ野球の大物の急逝がありましたが、先日はスポーツでなく政界、横路孝弘氏の訃報が出ていました。どんどん時間は流れて人間が入れ替わっていきます。何年も前、故ハマコー元代議士がかつての民主党について「縦道が通ってないのに横道(路)が通っている」と言っていました。TV番組の中ですが「西山事件」に関して先日亡くなられた横路氏(西山事件当時は社会党の代議士)らのことを認めない、党として基本的な政策が一環していないと言いたいのだなと思って聞いていました。ただ、それでは国民、沖縄県民に秘密にしていたこと、未だに苦しんでいる合衆国軍の基地のことはどうなのかとか、今でも思います。取材方法が外道だと言われた半面、密約やら沖縄返還時の経緯については控えめな批判だったのではと、当時は幼児だったので覚えていませんが、何とも割り切れない気がします。

 今年はクレンペラー(Otto Klemperer 1885年5月14日:ブレスラウ - 1973年7月6日:チューリヒ)の没後五十年のメモリアル年なので早々に新しい音源、又はリマスター、既存のライヴ音源はその当日のプログラム全部をCD化とかヲタ心をくすぐるものが出てきました。今回のウィーン・シンフォニカとの田園交響曲もすでに別レーベルCDで持っていましたが、キャシャーンがやらねば誰がやる式で、クレンペラーのフアンが買わねば誰が買うと思いながら購入しました。

 とりあえず一枚目の最初、ウィーン交響楽団との田園交響曲を聴きました。かつて廉価盤で出ていたものよりも相当に聴き易くなっていますが、やっぱりリマスターで色々さわったなという感じの音です。国内盤CDの「VOX ヴィンテージ・コレクション」というシリーズの音(大地の歌etc)より加工臭の強い音かもしれませんが、田園については約十三年後のベルリン・フィルとの田園と共通する枠組みのようなものも感じられて、輪郭が分かりやすい気がしました。ウィーン・シンフォニカといえば我々極東の住人はウィーン・フィルほど畏敬の念は薄くて、なんだウィーン・フィルじゃないのか、くらいの不遜な感情さえ抱きかねません。しかし、クレンペラーのVOX録音についての解説(どこに載っていたか忘れました)に、シンフォニカの方もウィーンフィルのようにウィーンくらいでしか使っていない楽器を使用していて優雅な響きを出すと書いてあり、クレンペラーがそういうものを志向したか否かはともかく、確かに艶のある音だと思いました。

 ACOのSACD集もそうでしたが今回のVSOも付属解説本が面白くて、クレンペラーの第二次大戦前、例えば1920年代の演奏に対する評も載っていました。クロル劇場で田園交響曲を指揮した時、ハインリヒ・シュトローベルは「フルトヴェングラーと比べて、想像し得る限り最も際立った対照をなしている・・・」と評していました。そして次のように続けています。「クレンペラーは最初の二つの楽章で穏やかな起伏のある性質を抑制している。彼は田舎の踊りを心地よいテンポで演奏し、完ぺきな説得力を発揮する・・・この演奏について解説者説明を加えるのは余計なお世話というものだ。」また、田園交響曲は素朴な響きでなければならないと主張する人は、VOXの大雑把な録音スタイルに満足感を味わうだろうとしています。
6 2月

クレンペラーのバッハ管弦楽組曲第4番再録音/1969年のLP

230206bJ.S.バッハ 管弦楽組曲 第4番 ニ長調 BWV.1069

オットー=クレンペラー 指揮
ニュー・フィルハーモニア管弦楽団

(1969年9月19日,10月6日,17,18日 ロンドン Abbey Road No.1 Studio 独 ELECTROLA 163-02102/3)

230206a 昔、昭和40年前後頃か、全国的に百科事典だとか文学全集のような教養的なものを販売する戸別訪問がそこそこ盛んでした。自分が子供の頃にもそういう本があり、その中でオーケストラ作品ならハイドン、モーツァルト、ベートーヴェンにシューベルトの未完成交響曲の次はバッハ、ヘンデルの組曲を、聴くべき作品として紹介していました。別に何から聴こうが自由じゃないかと、現代ならそういう軽いノリかもしれませんが当時はフォークとナイフの使い方やらテーブルマナーを間違っては恥ずかしいという感覚に似た意識で、「~くらいは知らなくてはダメですか」とか、「これに感動していいですか」的な、新鮮な向上心、好奇心に加えて横並び意識のようなものがあった気がします。そういう時期にバッハの管弦楽組曲だったらリヒター、ミュンヒンガー、パイヤールあたりが有名でした。それと並んでベルリン・フィルとか通常のオーケストラもレパートリーに入っていたはずです。クレンペラーもバッハの管弦楽組曲をEMIへ二度もセッション録音した程の傾倒ぶりで、ライヴ音源にも組曲第3番は何種も出回っています。

 クレンペラー本の中で「クレンペラー 指揮者の本懐 -良き音楽の弁護人として- シュテファン・シュトンポア 著/野口剛夫 訳(春秋社)」といのがありました。何故か再発売されないでいますが内容は写真共々興味深いものがあります。その中で「交響作品について」の中でバッハの管弦楽組曲についての見解、コメントが紹介されています。1949年4月17日にブダペスト放送での話として、クレンペラーは以下のように語っています。「第四組曲は芸術的には第三組曲と同じレヴェルにあるのです。第1楽章の後半をバッハはカンタータにも使っています。~ この第四組曲の価値を放送をお聴きの皆様方には正しく判断していただきたいのです。」ちなみにブダペスト時代のクレンペラーの演奏を集めた「クレンペラー イン ブダペスト」のLP(フンガロトン)の中に、モーツアルトの交響曲第39番とバッハの管弦楽組曲第4番が入ったものがありました。

組曲第4番 ニ長調
1.序曲
2.ブーレⅰ-ⅱ
3.ガヴォット
4.メヌエット
5.レジュイサンス

 それでクレンペラー二度目のバッハ管弦楽組曲のレコードから再録音の方をドイツ盤LPで聴きました。すでにCDでも聴いているものですがレコードで改めて聴いていると感慨もあらたです(思い入れが強い分だけ)。最近ではこの組曲の「初期稿再現版」というCDが出たり、ますます古典派の作品群とは別物という流れ(古典派もピリオド系の影響が強い)が進んでいて、1960年代のクレンペラーらとは演奏スタイルとしては年代的に別世界です。それはそうだとしても、この演奏は序曲からして祝祭的な香気を感じられて、実用的、娯楽的な音楽とは一線どころか深いクレバスによって画せられる作品のような印象です。上記のブダペスト放送のプログラム、この組曲第4番とモーツァルトの交響曲第39番は、日本国内のオーケストラ定期で聴くのは難しいかもしれないと今更ながら思いました。

 ところでライプティヒ聖トーマス教会合唱団のカントルだったギュンター・ラミンによるバッハのモテット集CDの解説文にはラミンの演奏はメンゲルベルク、フルトヴェングラーらのロマン派的なバッハ演奏とは違い、より現代的なという風に評されていました。実はその大時代的なスタイルのバッハにクレンペラーの名も並んでいたわけですが、この辺りはどんなものだろうと思います。もちろん古楽器、古楽器奏法等の現代の演奏とは比較できないとしても、切って捨てられない魅力、何ものかがあるように思います。クレンペラーが指摘していたように第4番も素晴らしい内容だと思いました。
8 10月

クレンペラーのペトルーシュカ1947年版LP

221008 bストラヴィンスキー バレエ音楽「ペトルーシュカ」(1947年版)

オットー=クレンペラー 指揮
ニュー・フィルハーモニア管弦楽団

(1967年3月28,30,31日 ロンドン,Abbey Road Studio No.1 録音 TEATAMENT/EMI)

 先日の朝、東山三条の東方の三条通を西へ向かって走行しているとK福の科学の建物が目につきました。何かポスターが貼ってあり、「呪い返し師??」とかいうタイトルめいた言葉と女性の写真が見え、映画かPR作品かと思いつつ、この団体はそういう内容と縁があったのか??と不思議に思いました。それにしても、こことかEホバの証人とかS価学会の施設は時々見かけるのに、旧統一協会は見たことが無いのは不思議だと改めて思います(何か特殊な遮蔽をしているわけでもないのに、ガミラスの冥王星基地じゃあるまいし)。これを書き出してからしばらく経ってもう九月も終わってしまいました。

 EMIから出ていたLPレコードのクレンペラー指揮のストラヴィンスキー作品は、3楽章の交響曲(1962年3月録音)、プルチネッラ組曲(1963年2月録音)の二曲だけで、「英Colomubia SAX2588」にまとめられていました。しかしそれ以外にペトルーシュカもセッション録音されていましたが結局レコードとしては一度も発売されずにいました。それが1999年10月にテスタメントからCDで突如発売されました。そして今年になってペトルーシュカだけがLPレコードで改めて発売され、これがレコードとしての最初の発売ということになりました。ということは録音直後にマスター・テープから制作した初期盤とは違う条件なので、有難みはどんなものかなと思いつつも8月に購入しました(海外ではもっと早くに売られていたらしい)。

  既にCDで聴いているのだから新しく制作されたLPはもういいじゃないかというところですが、対象がクレンペラーとなるとそういかないのが仁義、心情です。改めて再生していると(Pro-Jectの旧X1、オルトフォンのSPU,トランス他)彩色された絵画に薄っすら何らかの匂いが漂いそうな、そんな妙に生々しい感覚が起こってきます。デュルベルクが作ったクレンペラーの肖像・版画のようなイメージで、そんな版画がまさに刷り上がったところといった感じです。演奏については1960年代後半のクレンペラーらしい内容です。クレンペラーはケルン歌劇場時代の1922年にペトルーシュカを指揮していました。その頃にクレンペラーが作品についてコメントしている文章があったと思い(「指揮者の本懐」かと思ったら見当たらない??)、どうもその内容と今回のLPの演奏はちょっと違いそうでした。
サン・モリッツでの転倒、骨折後の療養から復帰したクレンペラーがマーラーの第9番を定期公演で指揮してレコーディングしたのが1967年2月だったので、このストラヴィンスキーにとりかかったのはそこから約1ケ月後くらいでした。

 第二次大戦前、クレンペラーのケルンからベルリン時代にはストラヴィンスキー作品をよく演奏していたのに、戦後はかなり頻度が下がりEMIのレコードでも上記の二作品のみでした。それが、1967年4月4日に行われる予定だったパウル・クレツキとニュー・フィルハーモニアの公演が指揮者病気のため、クレンペラーが代役を務めた(よくあるパターンの逆)際に、EMIはスタジオを押さえて三日間でセッション録音をしたそうです。テープは3つのテイクが残されたけれど、製品化しようとした際に何故か三度目のテープの出来で検討されて、結果的に発売できないと判断したそうです。しかし、一回目のテイクが傷が少ないということか、そのテイクをメインにしてCDが発売されたという経緯でした。
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プロフィール

raimund

昭和40年代生まれ、オットー=クレンペラーの大フアンです。クレンペラーが録音を残したジャンルに加え、教会音楽、歌曲、オペラが好きなレパートリーです。

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