アントン・ヴェーヴェルン 交響曲 OP.21
~ヴェーベルン作品全集より
ロバート・クラフト 指揮
ロバート・クラフト管弦楽団
(1956年2月9日 ニューヨーク,コロンビア30丁目スタジオ 録音 SONY CLASSICAL)
先日の夜、珍しくTVで21時のニュースをみたら小澤征爾の訃報に時間を割いて業績を振り返っていました。小澤征爾の指揮する音楽は結局ラジオかCDでしか演奏を聴くことが無かったなと思いながら振り返ると、マタイ受難曲、アッシジの聖フランチェスコはかなり感銘深く刻まれています。後者の方は長時間の作品の上に録音が少ないので、抜きんでて凄い演奏なのかとかはよく分かりませんが、仏政府の要望で作曲されたものを東洋人が初演を任されるのはなかなか無いことかと思います(もっともメシアンの作風からして同国人よりも東洋人に、という面もあるかもしれません)。あと、京響が京都会館第一ホールで公演をしていた時代に小澤征爾さんも客演したことがあるそうで、当時の京響でもこういう演奏になるのかと驚いたと言う話も聞きました。
ヴェーベルン(Anton Friedrich Wilhelm von Webern 1883年12月3日 - 1945年9月15日)の交響曲は1928年にウィーンで作曲されて、翌年にニューヨークで初演されました。しかし反応は悪く解説には「嘲笑された(散々)」とまで書かれています。約10分の二楽章からなる作品ながら、聴いてみても何かよく分からない(ぽかん-ん?)ので嘲笑するのも難しいと思います。笑いとは何かという定義について、そこに優越感が介在するという意味の定義もあるので、これを聴いて分からずにいると逆に自分の愚鈍さを笑われているような気分にもなります。音は鳴っていても何も入ってこない、分かったような気にさえならないのは正直な感想です。この曲についてクルシェネク(Ernst Krenek 1900年8月23日 - 1991年12月22日)は、「蜘蛛の巣のように構成され、濃密ながらも、かぎりなく繊細なフレーズがつづくこの華奢な作品」と評しています。
クレンペラーは第二次大戦前に少なくとも二度、1931年頃のベルリンと1935年のウィーンでこれを指揮(「クレンペラーとの対話」には後記のクルシェネクに詰られ、説き伏せられた件は出てこない)しているようです。一回目と思われる際はクレンペラーが作曲者のヴェーベルンにわざわざ来てもらって(呼びつけて)ピアノで弾いてもらいました(ウィーンに滞在中に来てもらったと書いてあり、1935年のことと混同しているのか)。全般的にヴェーベルンの作品を理解できないとしています。またクレンペラーは、「ヴェーベルンの音楽はおそらくそれが現れた危機の時代のひとつの兆候」、「彼は完全無欠であると思う」とも言っています。
ウィーンで指揮した時の騒動について、「 オットー・クレンペラー あるユダヤ系ドイツ人の音楽家人生 エーファ・ヴァイスヴァイラー著 明石政紀 訳 (みすず書房)」の「オットー=クレンペラーの同時代の証言」の一発目に、「エルンスト・クルシェネク、1935年」として面白い話が載っています。国際現代音楽協会のウィーン支部が資金を得て、室内オーケストラの演奏会を開くことになり、モスクワからロスへの帰途にウィーンへ寄ったクレンペラーをノー・ギャラで指揮者として招くことになりました。クレンペラーは快諾したものの、リハーサルになるとヴェーベルンの交響曲を指揮できないと狂暴にゴネだして作曲者もびびって困りました。緊迫したオーストリアの状況を考慮するとこの手の作品を演奏するとスキャンダルになり、自分の評判を傷つけるようなことはしたくないとクレンペラーは主張しだしました(勝手なやっちゃ)。そこでクルシェネクは頭にきて、かつてはこういう音楽を指揮してきたくせに、ナチスを怖がって我が身かわいさに拒否するのか、作品を理解できなくても棒を振ってるだけで良いからと強引に説き伏せました。ナチスもクレンペラーも恐れないクルシェネクの硬骨漢ぶりには驚き、畏敬の念もわいてきます。不謹慎ながら極道モノのVシネマの1場面と重なります(叔父貴、今になって指揮できんとはどういうことでっか?カギ十字組をはばかって逃げるんやないやろな?それで筋が通るんでっか!~)。
なお、ヴェーベルンは大戦後、誤って?射殺されるという非業の最期を遂げています。クレンペラーと同世代なのでもうちょと長生きできたはずで、いまさらながら気の毒です。演奏しているロバート・クラフト(Robert Lawson Craft、1923年10月20日 - 2015年11月10日)はストラヴィンスキーの助手的な仕事を務めた指揮者、音楽学者で、ヴェーベルンの作品全集を監修、レコーディングしています。この交響曲のCDはクラフトの紙箱廉価盤かブーレーズの組物(確か入っていたと思うけど、どこに置いたか分からない)しか持ってないのでとりあえずこれを聴きました。というのも小澤征爾さんの訃報を受けてインスタにUPされたものに、ウィーンの音楽監督就任後の最初の演目が「ジョニーは演奏する」だったと紹介されてあり、クレンペラーを説き伏せた件を思い出しました。
~ヴェーベルン作品全集より
ロバート・クラフト 指揮
ロバート・クラフト管弦楽団
(1956年2月9日 ニューヨーク,コロンビア30丁目スタジオ 録音 SONY CLASSICAL)
先日の夜、珍しくTVで21時のニュースをみたら小澤征爾の訃報に時間を割いて業績を振り返っていました。小澤征爾の指揮する音楽は結局ラジオかCDでしか演奏を聴くことが無かったなと思いながら振り返ると、マタイ受難曲、アッシジの聖フランチェスコはかなり感銘深く刻まれています。後者の方は長時間の作品の上に録音が少ないので、抜きんでて凄い演奏なのかとかはよく分かりませんが、仏政府の要望で作曲されたものを東洋人が初演を任されるのはなかなか無いことかと思います(もっともメシアンの作風からして同国人よりも東洋人に、という面もあるかもしれません)。あと、京響が京都会館第一ホールで公演をしていた時代に小澤征爾さんも客演したことがあるそうで、当時の京響でもこういう演奏になるのかと驚いたと言う話も聞きました。
ヴェーベルン(Anton Friedrich Wilhelm von Webern 1883年12月3日 - 1945年9月15日)の交響曲は1928年にウィーンで作曲されて、翌年にニューヨークで初演されました。しかし反応は悪く解説には「嘲笑された(散々)」とまで書かれています。約10分の二楽章からなる作品ながら、聴いてみても何かよく分からない(ぽかん-ん?)ので嘲笑するのも難しいと思います。笑いとは何かという定義について、そこに優越感が介在するという意味の定義もあるので、これを聴いて分からずにいると逆に自分の愚鈍さを笑われているような気分にもなります。音は鳴っていても何も入ってこない、分かったような気にさえならないのは正直な感想です。この曲についてクルシェネク(Ernst Krenek 1900年8月23日 - 1991年12月22日)は、「蜘蛛の巣のように構成され、濃密ながらも、かぎりなく繊細なフレーズがつづくこの華奢な作品」と評しています。
クレンペラーは第二次大戦前に少なくとも二度、1931年頃のベルリンと1935年のウィーンでこれを指揮(「クレンペラーとの対話」には後記のクルシェネクに詰られ、説き伏せられた件は出てこない)しているようです。一回目と思われる際はクレンペラーが作曲者のヴェーベルンにわざわざ来てもらって(呼びつけて)ピアノで弾いてもらいました(ウィーンに滞在中に来てもらったと書いてあり、1935年のことと混同しているのか)。全般的にヴェーベルンの作品を理解できないとしています。またクレンペラーは、「ヴェーベルンの音楽はおそらくそれが現れた危機の時代のひとつの兆候」、「彼は完全無欠であると思う」とも言っています。
ウィーンで指揮した時の騒動について、「 オットー・クレンペラー あるユダヤ系ドイツ人の音楽家人生 エーファ・ヴァイスヴァイラー著 明石政紀 訳 (みすず書房)」の「オットー=クレンペラーの同時代の証言」の一発目に、「エルンスト・クルシェネク、1935年」として面白い話が載っています。国際現代音楽協会のウィーン支部が資金を得て、室内オーケストラの演奏会を開くことになり、モスクワからロスへの帰途にウィーンへ寄ったクレンペラーをノー・ギャラで指揮者として招くことになりました。クレンペラーは快諾したものの、リハーサルになるとヴェーベルンの交響曲を指揮できないと狂暴にゴネだして作曲者もびびって困りました。緊迫したオーストリアの状況を考慮するとこの手の作品を演奏するとスキャンダルになり、自分の評判を傷つけるようなことはしたくないとクレンペラーは主張しだしました(勝手なやっちゃ)。そこでクルシェネクは頭にきて、かつてはこういう音楽を指揮してきたくせに、ナチスを怖がって我が身かわいさに拒否するのか、作品を理解できなくても棒を振ってるだけで良いからと強引に説き伏せました。ナチスもクレンペラーも恐れないクルシェネクの硬骨漢ぶりには驚き、畏敬の念もわいてきます。不謹慎ながら極道モノのVシネマの1場面と重なります(叔父貴、今になって指揮できんとはどういうことでっか?カギ十字組をはばかって逃げるんやないやろな?それで筋が通るんでっか!~)。
なお、ヴェーベルンは大戦後、誤って?射殺されるという非業の最期を遂げています。クレンペラーと同世代なのでもうちょと長生きできたはずで、いまさらながら気の毒です。演奏しているロバート・クラフト(Robert Lawson Craft、1923年10月20日 - 2015年11月10日)はストラヴィンスキーの助手的な仕事を務めた指揮者、音楽学者で、ヴェーベルンの作品全集を監修、レコーディングしています。この交響曲のCDはクラフトの紙箱廉価盤かブーレーズの組物(確か入っていたと思うけど、どこに置いたか分からない)しか持ってないのでとりあえずこれを聴きました。というのも小澤征爾さんの訃報を受けてインスタにUPされたものに、ウィーンの音楽監督就任後の最初の演目が「ジョニーは演奏する」だったと紹介されてあり、クレンペラーを説き伏せた件を思い出しました。