サー・チャールズ・マッケラス 指揮
森番:トーマス・アレン(Br)
(1995年 パリ,シャトレ座 ライヴ収録 ARTHAUS)
これは1995年にパリのシャトレ座で上演されて話題になったヤナーチェクの「利口な女狐の物語」・再発売盤です。画面は16:9のブルーレイながら音声はステレオのみ、日本語字幕も無いので安めになています。ちょうどこの上演の直後にパリへ行った(パック旅行)ので、もう少し早く行っていれば現地で観ることが出来たかもしれず、当時はこのオペラにそれほど関心はありませんでしたが今思うと残念です。当時注目されたのは演出・舞台の方だったようですが、音楽の方もヤナーチェクをはじめチェコ音楽の権威、マッケラスが指揮しているのも注目です。チェコへ留学してターリヒに師事したという経歴だけでなく、このオペラの原典版による演奏も手掛ける等ヤナーチャク作品の研究にも取り組んでいます。
「利口な女狐の物語」 はキツネの他、動物や昆虫が舞台に登場するので衣装、舞台装置の如何で見た目がかなり変わります。現実の昆虫等の大きさから縮尺の問題は人間が演じる以上はどうしようもないとしても、被り物なんかでどれだけ写実的にするかは選択の余地があります。実際この上演では女狐はあまりキツネを模している衣装、メイクではなくてドリフターズのコントに出て来るカミナリ様のようでかなり人間の方に近い外観です。それに比べると他の生物は人間よりもそれぞれの動物、昆虫の方に傾斜させています。それに森の中とか自然を露骨に描写せずに、やや抽象的な表現です。そのために全体的に自然賛歌的な大らかな味が後退して、そう何度もこの作品の上演を観たわけじゃない我々にはちょっと分り難いと思いました(素直にキツネの着ぐるみのような衣装の方が分りやすい)。それに人間を風刺するような意図がより強く感じられます。
このオペラは自然の循環、命の伝承・繰り返しという姿が描かれているため日本的な自然観にも通じるように思え、そっちの方に魅力を感じます。 第二幕、第4場「夏の夜」で女狐ビシュトローシュカが結婚するところの音楽、合唱なんかは大らかで屈託のない自然賛歌のような魅力があります。それに作曲者が自身の葬儀で演奏させたという第三幕、第3場「日没の頃」で森番が若い頃を振り返るところも他の作曲家のオペラにはなかなかない魅力です。
「利口な女狐」 の初演は作曲者自身の実の手による原典版ではなく、作品がより広く受け入れられるようにと改訂された版によって演奏され、以後LPの録音も含めてそっちの版が普及していきました。その状態から原典版を復活させたのがマッケラスだったようですが(概ねそんなことだったと思う、詳しい経緯は日本ヤナーチェク協会の出版物に載っている)。マッケラスのウィーン・フィルとの録音も原典版によっていたはずで、そうだとすればそこから15年くらい経ったこの上演でも原典版を用いたと推測されます(解説の日本語訳が無い)。実際に聴いていると、例えばボフミル・グレゴルによる全曲盤とは印象が違い、色々なものをそぎ落としたような独特な響きであると同時に、何となく入り組んで一筋縄にはいかない不思議な印象です。
この作品は抑圧からの解放(女性の)等ヤナーチャクの他のオペラと共通なテーマも盛り込まれ、多義的な 内容と言うことなのでこの上演、演奏は作品本来の姿により近づいているのかもしれません。「利口な女狐」は正直マッケラスよりも、1970年録音のグレゴルの全曲盤の方がかなり好きでしたがこれを観ていると作品の違う面も見えてくるようで興味深いものがありました。