raimund

新・今でもしぶとく聴いてます

指:マッケラス

24 5月

ヤナーチェク「利口な女狐の物語」 マッケラス、パリシャトレ座・1995年

160524ヤナーチェク 歌劇「利口な女狐の物語」

サー・チャールズ・マッケラス 指揮
パリ管弦楽団
セーヌ県合唱隊
パリ・シャトレ座合唱団

森番:トーマス・アレン(Br)
ビシュトローシュカ(女狐):エヴァ・ジェニス(S)
雄狐:アナ・ミニュティヨ(S)
森番の女房/ふくろう:リブシェ・マーロヴァー(A)
ハラシュタ(行商人):イヴァン・クスニエル(Bs)
神父/あなぐま:リハルト・ノヴァーク(Bs)
校長/蚊:ヨセフ・ハイナ(T)、他

演出:ニコラス・ハイトナー
装置、衣装:ボブ・クローリー
照明:ジャン・カルマン

1995年 パリ,シャトレ座 ライヴ収録 ARTHAUS)

160524b これは1995年にパリのシャトレ座で上演されて話題になったヤナーチェクの「利口な女狐の物語」・再発売盤です。画面は16:9のブルーレイながら音声はステレオのみ、日本語字幕も無いので安めになています。ちょうどこの上演の直後にパリへ行った(パック旅行)ので、もう少し早く行っていれば現地で観ることが出来たかもしれず、当時はこのオペラにそれほど関心はありませんでしたが今思うと残念です。当時注目されたのは演出・舞台の方だったようですが、音楽の方もヤナーチェクをはじめチェコ音楽の権威、マッケラスが指揮しているのも注目です。チェコへ留学してターリヒに師事したという経歴だけでなく、このオペラの原典版による演奏も手掛ける等ヤナーチャク作品の研究にも取り組んでいます。

160524a 「利口な女狐の物語」 はキツネの他、動物や昆虫が舞台に登場するので衣装、舞台装置の如何で見た目がかなり変わります。現実の昆虫等の大きさから縮尺の問題は人間が演じる以上はどうしようもないとしても、被り物なんかでどれだけ写実的にするかは選択の余地があります。実際この上演では女狐はあまりキツネを模している衣装、メイクではなくてドリフターズのコントに出て来るカミナリ様のようでかなり人間の方に近い外観です。それに比べると他の生物は人間よりもそれぞれの動物、昆虫の方に傾斜させています。それに森の中とか自然を露骨に描写せずに、やや抽象的な表現です。そのために全体的に自然賛歌的な大らかな味が後退して、そう何度もこの作品の上演を観たわけじゃない我々にはちょっと分り難いと思いました(素直にキツネの着ぐるみのような衣装の方が分りやすい)。それに人間を風刺するような意図がより強く感じられます。

 このオペラは自然の循環、命の伝承・繰り返しという姿が描かれているため日本的な自然観にも通じるように思え、そっちの方に魅力を感じます。 第二幕、第4場「夏の夜」で女狐ビシュトローシュカが結婚するところの音楽、合唱なんかは大らかで屈託のない自然賛歌のような魅力があります。それに作曲者が自身の葬儀で演奏させたという第三幕、第3場「日没の頃」で森番が若い頃を振り返るところも他の作曲家のオペラにはなかなかない魅力です。

 「利口な女狐」 の初演は作曲者自身の実の手による原典版ではなく、作品がより広く受け入れられるようにと改訂された版によって演奏され、以後LPの録音も含めてそっちの版が普及していきました。その状態から原典版を復活させたのがマッケラスだったようですが(概ねそんなことだったと思う、詳しい経緯は日本ヤナーチェク協会の出版物に載っている)。マッケラスのウィーン・フィルとの録音も原典版によっていたはずで、そうだとすればそこから15年くらい経ったこの上演でも原典版を用いたと推測されます(解説の日本語訳が無い)。実際に聴いていると、例えばボフミル・グレゴルによる全曲盤とは印象が違い、色々なものをそぎ落としたような独特な響きであると同時に、何となく入り組んで一筋縄にはいかない不思議な印象です。

 この作品は抑圧からの解放(女性の)等ヤナーチャクの他のオペラと共通なテーマも盛り込まれ、多義的な 内容と言うことなのでこの上演、演奏は作品本来の姿により近づいているのかもしれません。「利口な女狐」は正直マッケラスよりも、1970年録音のグレゴルの全曲盤の方がかなり好きでしたがこれを観ていると作品の違う面も見えてくるようで興味深いものがありました。
8 8月

ヤナーチェク カンタータ「アマールス」 マッケラス、チェコPO

130808aヤナーチェク カンタータ 「アマールス」

サー・チャールズ・マッケラス 指揮
チェコ・フィルハーモニー管弦楽団
プラハ・フィルハーモニー合唱団

クヴェストラヴァ・ニェメチュコヴァー(S)
レオ・マリアン・ヴォディチュカ(T)
ヴァーツラフ・ジーデク(Br)

(1985年1月20-30日 プラハ,芸術家の家 録音  Denon-Supraphon)

 今日の夕方五時頃に常時マナーモードに設定した携帯電話が滅多に見ない着信通知を示したところ、「緊急地震速報」と表示されて驚きました。震源地が奈良となっていたので、ついに来たかと思ったものの広域的にも体感する揺れは無かったので安心しました。しかし誤報だったわけなので今後も二重に安心はできません。

 このCDはお馴染みの「DENON CREST1000」の一枚で、マッケラス指揮のマルチヌーの戦場ミサとヤナーチェクのアマールスがカップリングされています。このシリーズらしい曲目ですが特にヤナーチェクのカンタータ「アマールス」が国内盤で手に入るのは貴重です。

 カンタータ「アマールス」は、ソプラノ、テノール、バリトン独唱と混声合唱、管弦楽のための作品で、ヤナーチェクが四十代の1897年頃に手がけられ、1901年と1906年に改訂されました。アマールスというのはカンタータの中の主人公たる少年の名前であり、ラテン語の「苦い」、「つらい」という意味にあたります。ヤロスラフ・ヴルフリツキー作のカンターターの歌詞は次のような、悲しい物語です。

130808b アマールスの両親が不義の仲だったので、彼が生まれてすぐに修道院に預けられ、そこで聖堂の燈明に油を継ぎ足す等の雑務をこなして暮らします。アマールスはそういう生まれだったので母の愛を知らずに成長します。ある時聖堂に祈りに来た若い男女を見てアマールスはその姿に惹きつけられ、天使が告げた通りに日課を忘れて二人の後を付けて行きます。そして花が咲き誇り、鳥がさえずる中で抱き合う若い二人を見て、愛に目覚め、アマールスは会ったことの無い母を思いながら満足して亡き母の墓地で天に召されます。

 しかし、五つの楽曲で構成される音楽は不思議に陰惨で無く、アマールスの生い立ちなんか気にもとめず、やさしく包み込むような曲に聴こえます。思えばヤナーチェクの音楽は、皆そうした大らかさが見られ、オペラ「死者の家から」でさえ、世界を何となく肯定的に受け止めているような印象を受けます。それにこの録音はマッケラスのヤナーチェクの中でも屈指の素晴らしさで、作品の世界がそのまま再現されたようだと思えます。

 ただ、詩について言えば、そもそもそういう名を子供に付けるはずがなく、不義は親当人一身に関わるものだと、詩の構成上の設定だとしても文句を付けたくなります。しかし、先日の平和式典の広島市長の話の中に、ヒバクした嫁に対して姑がそんな嫁は要らないと離縁させた話が出てきましたが、サベツというものは如何なる所にも頭をもたげてきたものなのだと、実感させられます。それだけにヤナーチェクの音楽がなお一層大らかで美しく聴こえます。

4 8月

ヤナーチェクのシンフォニエッタ マッケラス、プロ・アルテ管

130804_2ヤナーチェク シンフォニエッタ Op.60

チャールズ・マッケラス 指揮
プロ・アルテ管弦楽団

(1959年7月 Walthamstow Hall, London 録音 Membran Wallet)

 小、中学校にはブラスバンドがあって近所を通ると練習の演奏が聴こえることがあります。私の子供の頃は鼓笛隊とも呼んでいましたがこれも死語かもしれません。ちょっとした金目の、否、私立の幼稚園でも鼓笛隊をやっているところはありました。先日、一年前に見つけて定期的に行くようになったアルザス食堂で、女将がよもやま話の中でどこそこの中学校のブラスバンドがあまり上手くない、ある木管のパートがしょっちゅう外れているという指摘が出てきました。私も時々学校の前を通っても、うるさいな、くらいしか感想は無かったので、耳の良い人が聴けば分かるものだと改めて思い、感心しました。

130804b マッケラスはヤナーチェク(癖でヤナーチェクとつい書いてしまう)のシンフォニエッタを三度録音しているようで、今回のものはその一回目だと思われます。これ以外ではウィーンPOとのセッション録音(1980年・DECCA)、チェコPOとのライヴ録音(2002年・Supraphon  )がありました。特にウィーンPO盤は原典・オリジナル回帰という点でも注目されて有名でした。今回の録音は存在自体を全く知らず、超廉価箱(10枚組)の中にたまたま入っていたものです。元々はEMIから出ていて、その後TESTAMENTからも再発売されていました。ネット上でも感想を見かけるので、そこそこ知られていたものだと思います。

 そもそも演奏している「プロ・アルテ管弦楽団」というのがどういうオーケストラか分からないくらいなので、これはあまり評判も良くはない(演奏技術的に)音源です。そんな中で「日本ヤナーチェク友の会」管理人のブログ「発話旋律」の中で好意的なコメントがしてあり、聴いているとなるほどと思いました。使ったスコア、原典性や演奏技術等の専門的なことはさておき、奔放で少々野心的な演奏が作品の生まれた当時の空気を反映していると思えます(1920年に独立した共和国もその後苦難を迎えるが)。

 シンフォニエッタもヤナーチェク晩年の作品であり、発話旋律等独特の作風のためにいわゆる本場物の演奏に注目があつまりがちですが、先日のイーレク、ブルノ国立POのシンフォニエッタと比べても、特別に否定的な落差を感じるでもなく、ただ、ちょっと一本調子で直線的かとは思いましたが、最初に聴いた好感は消えません。何となく、これくらいの時期のマッケラスが指揮したヤナーチェクのオペラに関心が向きます(録音が残っているか未確認)。

 冒頭のブラスバンドですが、よもやま話もネタ選びが大変だろうと思われ、話した相手に仮に上記の中学校のブラスバンドの部員の子供がいたりしたら、気まずいことになるのだろうと思いながら聞いていました。

28 7月

ヤナーチェク「死者の家から」 マッケラス、VPO他

130728bヤナーチェク 歌劇「死の家から」

サー・チャールズ・マッケラス 指揮
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
ウィーン国立歌劇場合唱団

(アレクサンドル・ペトロヴィッチ・ゴリャンチコフ:政治犯の囚人)
ダリボル・イェドリチカ(Br)

(アリエイヤ:ダッタン人の少年囚)
ヤロスラヴァ・ヤンスカー(S)

(シシコフ:囚人・殺人犯)
ヴァーツラフ・ズィーテク(Br)

(ルカ/フィルカ・モロゾフ:囚人・殺人犯)
イージー・ザハラドニーチェック(T)

(スクラトフ:頭の弱い囚人・殺人犯)
イヴォ・ジーデク(T)

(所長)
アントニーン・シュヴォルツ
、他

(1980年3月 ウィーン,ゾフィエンザール 録音 DECCA)

 ヤナーチェクのオペラ「死者の家から」に最初に関心を持ったのは、十代半ばに読んだ「クレンペラーとの対話(P.ヘイワーズ編 白水社)」の中で、クレンペラーが監督をしていたベルリン国立歌劇場のクロルオペラが完全に閉鎖される時、最後の新演出による演目になったオペラとして紹介されていたからです。もっとも、肝心の公演はクレンペラーではなくツヴァイクが指揮しました。この経緯は最近日本語訳が出版された「オットー・クレンペラ―あるユダヤ系ドイツ人の音楽家人生」(ヴァイスヴァイラー著、 明石政紀訳、p189) に紹介されています。自分が上演しようと準備したのに、「『死の家』なんか最後にやっちゃいけない。最後は『ばらの騎士』で楽しく閉めてくれ」とか直前に言いだして、演奏旅行のため南米へ船出しました。極道映画的に表現すれば、のこされたツヴァイクやスタッフらにすれば「組の最期を飾る花会に組長が居らんとはどういうことでっか!?」といったところです。

 このCDはマッケラスとウィーンPOが取り組んだヤナーチェクのオペラ録音の一つで、主要な独唱歌手はチェコ語のネイティヴを起用して、合唱を始めオーケストラはドイツ語圏のウィーンという組合せです。それにこの録音は、初演時にヤナーチェクの弟子二人が手がけてから普及した「フルブナ=バカラ版」ではなく、音楽学者のジョン・ティッレルと共同で作曲者オリジナルの版を探った演奏でした。これ以後「死者の家からの」全曲録音があったのか未確認ですが、とにかく非常に意義深い録音です。

 まず最初に気が付くのは序曲の中で、鎖を引きずる音が出てきて洗練されたオーケストラと対照的に響きます。ここからしてこのオペラが常ならざる作品であることを暗示しています。これは、未完に終わったヴァイオリン協奏曲「魂のさすらい(小さな魂の遍歴)」から転用された素材という解説がありましたが、その協奏曲にははっきりと鎖の音は聴こえませんでした。第三幕のフィナーレ近くでも鎖の音が聴こえるので、これもオリジナル版を探求する過程でのことかもしれません。

130728a このオペラのCDを購入したのはこれが最初で、初めて聴いた時は記憶にあったドストエフスキーの原作世界と違って明るくて、救いようのある響きに違和感を覚えました。元々作品自体にそうした性格があるからだと思いますが、後に聴いたグレゴル、プラハ国民劇場盤と比べると洗練されたオーケストラの響きが際立っています。このマッケラス盤は、ドイツ・レコード賞、国際レコード批評家賞を受賞していました。一方のグレゴル盤は録音当時のプラハ国立劇場におけるプレミアのプロダクション(1964年4月)と同一のキャストにより録音され、LPレコードの新譜時にはフランスでディスク・リリク大賞を受賞していました(HMVの広告による)。

 「死者の家から」は登場人物が全員男性で、唯一ダッタン人の少年囚だけ女声が受け持つという珍しいオペラです。原作をヤナーチェク自らがチェコ語の台本化したもので、原作の登場人物二人をミックスして一人にする等工夫を凝らしています。また、特に見せ場・聴かせどころのアリアも無くて、朗唱風の歌唱で進行します。それなら退屈しそうですが、原語に極めつけ縁遠い私が聴いてもそんなことは無く、えも言われない香気を感じます。

 ところで、横山ホットブラザースというお笑いの老舗トリオがあり、「ミュージック・ソー(のこぎり)」を使ったネタがトレードマークになっています。ヤナーチェックの解説に付きものである「発話旋律」を読むと、ついホットブラザースがのこぎりで奏でるメロディのネタ「おーまーえーはーあーほーか」を連想します。ヤナーチェックとは関係ないのでネタの説明は省略するとして、その芸も大阪方言に精通していなければ演じるのは難しいだろうと思います。

 グレゴルもモラヴィアの生まれではなくボヘミアのプラハ生まれなので、徹底的にヤナーチェクの地元の人間とは言えないわけですが、マッケラスの録音と比べると、「ブルノ-モラヴィアのヤナーチェック作品」が「プラハ-チェコの首都」から、かつて一帯を支配した「ハプスブルク帝国の宮廷劇場-ウィーン」へと受容されて行くのを象徴しているかのようで感慨深いものがあります。

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昭和40年代生まれ、オットー=クレンペラーの大フアンです。クレンペラーが録音を残したジャンルに加え、教会音楽、歌曲、オペラが好きなレパートリーです。

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