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新・今でもしぶとく聴いてます

ヤナーチェク歌劇「利口な女狐の物語」

6 6月

利口な女狐の物語 ポップ、マッケラス、VPO/1981年

210606aヤナーチェク 歌劇「利口な女狐の物語」

チャールズ・マッケラス 指揮
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
ウィーン国立歌劇場合唱団

ビストロウシカ:ルチア・ポップ(S)
猟場番:ダリボル・イェドゥリチカ(Bs)
雄狐:エヴァ・ランドヴァー(Ms)
穴ぐま/神父:リハルト・ノヴァーク(Bs)
校長/蚊:ヴラジミール・クレイチーク(T)
ハラシタ:ヴァーツラフ・ズィーテク(Br)
猟場番の女房/ふくろう:エヴァ・ジグムンドヴァー(S)
ラパーク:リブシェ・マーロヴァー(Ms)
パーセック:ベノ・ブラフト(T)、他

(1981年3月 ウィーン,ゾフィエンザール 録音 DECCA)

 少し前からライブドア・ブログも「https」に対応するようになったので、既に分割した他の二つのブログはそれに対応するアドレスに変更しました。意味をよく理解せず簡単に変更する方法でやりましたが、特に変化は無いのでこちらのブログも今回記事UPの際に同様に変更します。先日平日の昼間に車の定期点検のためにSバルのディーラーへ行きました。洗車を省けば30分程度早くなるということで、雨天でもあったので省略しました。平日も結構店内には人が居て(
在宅テレワークのためか)、細かいことを言ってる人がいました。他社同様にハイブリッド車が増えてきて、ひそかに期待していたディーゼル車発売の望みはほぼゼロになってきました。

210606b チャールズ・マッケラス(Sir Alan Charles Maclaurin Mackerras  1925年11月17日 - 2010年7月14日)はチェコへ留学してターリヒから指揮を学んだという経歴に加えてチェコ語を習得しているそうでした(中高と丸六年間も英語を勉強した日本人の英語習熟度以上にチェコ語を仕えたという意味か)。それにヤナーチェクの研究にも取り組んで、本場でも一目置かれるほどのヤナーチェク演奏の専門家でした。1976年から1982年にウィーンフィルと主要なオペラ五作品の全曲盤をデッカへ録音していて、特に「利口な女狐の物語」は新譜時にはグラモフォン賞も得てかなりの高評価だったようです。個人的にはルチア・ポップが出ているというだけで作品について良く知らないまま、新譜から十年くらい経ってCD化されてから購入していました。その時は作品自体にあまり共感が無くて印象が弱いものでした。

210606 その当時から二十年以上経ってグレゴルとプラハ国民劇場らのスプラフォン盤を聴いてこのオペラにはまり、すっかり魅了されましたが、その録音は初演時以来慣用的に採用された改訂版による演奏でした。作曲者が意図した通りの原典版はマッケラスが復活、定着させたそうで、この録音も原典版によっているはずです。実際に聴いているとデジタル録音、ウィーン・フィルという特徴も効いているのか、1970年録音のグレゴル盤の木造古民家のような情緒とはちょっと違っています。所々でR.シュトラウスの前期か中期くらいの作品と似た響きがあり、ベルクのヴォツェックと作曲時期が近いオペラなんだと、改めて思わせるシャープな響きを実感しました。

 それでもやっぱりヤナーチェクの音楽、発話旋律、チェコ・モラヴィア地方という要素も隅に追いやられるでなく、絶妙なバランスではないかと感心しました。ただ、グレゴル盤の方にあったひなびたような、木陰のような部分があった明暗の差は後退して、終始日向の世界といった印象です。これは元々がこういう内容ということなのか、最近聴いたグラゴル・ミサを思い出すとそんな気もします。それに最初の目当てだったルチア・ポップも結構目立っていてあらためてこの録音の魅力を再認識しました。
24 5月

ヤナーチェク「利口な女狐の物語」 マッケラス、パリシャトレ座・1995年

160524ヤナーチェク 歌劇「利口な女狐の物語」

サー・チャールズ・マッケラス 指揮
パリ管弦楽団
セーヌ県合唱隊
パリ・シャトレ座合唱団

森番:トーマス・アレン(Br)
ビシュトローシュカ(女狐):エヴァ・ジェニス(S)
雄狐:アナ・ミニュティヨ(S)
森番の女房/ふくろう:リブシェ・マーロヴァー(A)
ハラシュタ(行商人):イヴァン・クスニエル(Bs)
神父/あなぐま:リハルト・ノヴァーク(Bs)
校長/蚊:ヨセフ・ハイナ(T)、他

演出:ニコラス・ハイトナー
装置、衣装:ボブ・クローリー
照明:ジャン・カルマン

1995年 パリ,シャトレ座 ライヴ収録 ARTHAUS)

160524b これは1995年にパリのシャトレ座で上演されて話題になったヤナーチェクの「利口な女狐の物語」・再発売盤です。画面は16:9のブルーレイながら音声はステレオのみ、日本語字幕も無いので安めになています。ちょうどこの上演の直後にパリへ行った(パック旅行)ので、もう少し早く行っていれば現地で観ることが出来たかもしれず、当時はこのオペラにそれほど関心はありませんでしたが今思うと残念です。当時注目されたのは演出・舞台の方だったようですが、音楽の方もヤナーチェクをはじめチェコ音楽の権威、マッケラスが指揮しているのも注目です。チェコへ留学してターリヒに師事したという経歴だけでなく、このオペラの原典版による演奏も手掛ける等ヤナーチャク作品の研究にも取り組んでいます。

160524a 「利口な女狐の物語」 はキツネの他、動物や昆虫が舞台に登場するので衣装、舞台装置の如何で見た目がかなり変わります。現実の昆虫等の大きさから縮尺の問題は人間が演じる以上はどうしようもないとしても、被り物なんかでどれだけ写実的にするかは選択の余地があります。実際この上演では女狐はあまりキツネを模している衣装、メイクではなくてドリフターズのコントに出て来るカミナリ様のようでかなり人間の方に近い外観です。それに比べると他の生物は人間よりもそれぞれの動物、昆虫の方に傾斜させています。それに森の中とか自然を露骨に描写せずに、やや抽象的な表現です。そのために全体的に自然賛歌的な大らかな味が後退して、そう何度もこの作品の上演を観たわけじゃない我々にはちょっと分り難いと思いました(素直にキツネの着ぐるみのような衣装の方が分りやすい)。それに人間を風刺するような意図がより強く感じられます。

 このオペラは自然の循環、命の伝承・繰り返しという姿が描かれているため日本的な自然観にも通じるように思え、そっちの方に魅力を感じます。 第二幕、第4場「夏の夜」で女狐ビシュトローシュカが結婚するところの音楽、合唱なんかは大らかで屈託のない自然賛歌のような魅力があります。それに作曲者が自身の葬儀で演奏させたという第三幕、第3場「日没の頃」で森番が若い頃を振り返るところも他の作曲家のオペラにはなかなかない魅力です。

 「利口な女狐」 の初演は作曲者自身の実の手による原典版ではなく、作品がより広く受け入れられるようにと改訂された版によって演奏され、以後LPの録音も含めてそっちの版が普及していきました。その状態から原典版を復活させたのがマッケラスだったようですが(概ねそんなことだったと思う、詳しい経緯は日本ヤナーチェク協会の出版物に載っている)。マッケラスのウィーン・フィルとの録音も原典版によっていたはずで、そうだとすればそこから15年くらい経ったこの上演でも原典版を用いたと推測されます(解説の日本語訳が無い)。実際に聴いていると、例えばボフミル・グレゴルによる全曲盤とは印象が違い、色々なものをそぎ落としたような独特な響きであると同時に、何となく入り組んで一筋縄にはいかない不思議な印象です。

 この作品は抑圧からの解放(女性の)等ヤナーチャクの他のオペラと共通なテーマも盛り込まれ、多義的な 内容と言うことなのでこの上演、演奏は作品本来の姿により近づいているのかもしれません。「利口な女狐」は正直マッケラスよりも、1970年録音のグレゴルの全曲盤の方がかなり好きでしたがこれを観ていると作品の違う面も見えてくるようで興味深いものがありました。
5 8月

ヤナーチェク 利口な女狐の物語 小澤征爾、フィレンツェ五月祭O他

150805bヤナーチェク 歌劇「利口な女狐の物語」


小澤征爾 指揮
フィレンツェ五月祭管弦楽団
フィレンツェ五月祭合唱団
(ピエロ・モンティ指揮)


ビストロウシュカ(女狐):ザベル・ベイラクダリアン(S)
キツネ:ローレン・カーナウ(Ms)
森番:クイン・ケルシー(Br)
森番の妻/ふくろう:ジュディス・クリスティン(C)
校長/蚊:デニス・ピーターソン(T)
牧師/アナグマ:ケヴィン・ランガン(Bs)
ハラシュタ(行商人):グスタフ・ベラチェク(Bs)
パーセク(居酒屋の主人):フェデリコ・レプレ(T)
パーセクの妻:マルチェラ・ポリドーリ(S)


演出・衣装:ローラン・ペリー
装置:バルバラ・デ・リンバーグ・スティルム
コレオグラフィ:リオネル・ホッヘ
照明:ペーター・ファン・プレート
 
(2009年11月8日 フィレンツェ,テアトロ・コムナーレ ライヴ収録*サイトウ・キネン・フェスティバルとの共同制作 Arthaus)

 役所や地下鉄の駅、地下街なんかは場所によって冷房のきき具合が違い、所によっては冷たすぎる場合もあり、反対に個人の家、特に二階、最上階はなかなか冷えないことが多いはずです。かつて混んでない映画館は冷房がよくきいて涼むのには調度よかったのを思い出します。早くも明日は広島の原爆の日になり、これくらいの時期に映画「連合艦隊」のDVDを近年観ています。けっこう手前味噌な内容ながら涙腺を刺激するところも多く、それ以外にも日米開戦前夜の事情にも触れているのが印象的です。「戦うも亡国、戦わざるも亡国」、「三国同盟には反対」というナレーションや、「戦わないのは民族の魂まで失う真の亡国」というのが多くの若者の心情云々という結論は、その後の歴史を知っている我々からすれば単純に同意というわけにはいきません。それにここでも「亡国」の「国」とは何ぞや?と問いたくなります。この週末に封切られる邦画の題名を最初聞いた時は開戦前の話かと思ったらどうもそうではなくて、8月15日の方がメインのようでちょっと拍子抜けしました。何やら過去のふり返り方が急速にメランコリックになったような気がします。

150805a それはともかく、今年は連合艦隊は見ないことにしてヤナーチャクのオペラ「利口な女狐の物語」のブルーレイを何度か観ました。この作品はグレゴルとプラハ国民劇場の録音によって強烈に印象付けられ、それ以来好きなオペラの十傑には入る作品になり時々音だけで鑑賞しています。今回のソフトは小澤征爾指揮で、前年のサイトウ・キネン・フェスティヴァル2008との共同制作であるので演出や主要キャスト(女狐ビストロウシカ:イザベル・ベイラクダリアン、森番:クィン・ケルシー、森番の妻/ふくろう:ジュディス・クリスティン、校長/蚊:デニス・ピーターソン、神父/あなぐま:ケヴィン・ランガン)が同じです。写真からも分かるように動物の着ぐるみをしっかり着込んだ演出で難解なタイプではありません。歌わない昆虫が序曲、間奏曲のところで多数舞台に現れて踊るのが目立ちます。人間、狐、鶏やふくろう、蛙やトンボ、蚊が同じ大きさといのが面白くて、女狐でさえそうした昆虫らに埋もれかねない映像が象徴的です。

 自然賛歌的という面では説得力があるとしても、フィナーレで森番がビストロウシカの子狐や蛙(昔ビストロウシカを捕える前に見つけた蛙の孫)に出会って驚くところはあまり強調されている風ではなく、地味な印象です。楽譜の方はかつての改訂版ではなく再現された原典版の方だろうと思いますが、それの影響なのか劇場の音響のためか、第二幕のヴォカリーズなんかは淡泊で自然賛歌の方も淡々としたものです。サイトウ・キネンの方の収録ではどんな具合か分かりませんが歌手の方は歌、演技・動作ともに存在感がありました。ついでに、かぶりもので顔が隠れ過ぎるのがちょっと惜しい気もしました。

 小澤征爾の指揮棒を使わない指揮ぶりとフィレンツェ五月祭管弦楽団の映像が対照的というか、不思議な印象です(ヴィットリオ・グイが設立してムーティも首席をつとめたオケなのでイタリア・オペラがメインという先入観が拭えないので)。各幕の終わりの拍手は大きく、終演後の歓呼、拍手は盛大なので成功した公演だったのだと思います。最後に小澤征爾が現れて拍手が最高潮に達します。その様子を見るにつけ、違った収録の音源で演奏だけでも聴きたい気がします。

17 7月

ヤナーチェク「利口な牝狐の物語」 ノイマン旧録音・1957年

150717ヤナーチェク 歌劇「利口な牝狐の物語」


ヴァーツラフ・ノイマン 指揮
プラハ国立劇場管弦楽団、合唱団


牝狐:ハナ・ベーモヴァー(S)
狐:リブシェ・ドマニーンスカー(S )
森番:ルドルフ・アスムス(Bs) ほか
 
(1957年11月4-15日,12月12日 プラハ,ルドルフィヌム 録音  Supraphon)

 昨日、分割ブログ「続~」の方でモンテヴェルディのCDを扱っていた時、演奏者が楽器を抱えた写真が冊子の中に何点かあって古楽器のテオルボとかヴィオールがバタヤンこと田端義夫のギターとだぶって見えました。田端義夫は1919年、大正13年生まれなので先日訃報が流れたテノール歌手のヴィッカーズより年長だったと、関係なことながらちょっと感慨にふけりました。ついでにヴィッカーズと年齢が近いのは春日八郎で、ヴィッカーズの二歳上の1924年生まれでした。

150717a さてこの「利口な女狐の物語」の古い録音はヴィッカーズがロイヤルオペラにデビューした頃のモノラル録音です。ヴァーツラフ・ノイマンはベルリンのコーミッシュ・オーパーの総監督だったワルター・フェルゼンシュタインに呼ばれて、1956年5月30日にこのオペラを指揮して大成功をおさめました。それ以来ウィスバーデンやパリ等で指揮して、ヤナーチェクの「利口な女狐の物語」を215回も指揮しています。ということで、この録音はノイマンがベルリンで脚光を浴びてしばらくしてプラハでセッション録音されたという経緯でした。ただ、ベルリンのコーミッシュ・オーパーではドイツ語歌詞での上演でしたがここではチェコの歌手が原語で演奏しています。

150717b 1957年ならメジャーなレーベルはステレオ録音のLPを制作していて、モノラルでもかなり良好な音質が少なくないはずですがこのCDはオーケストラの音が今一つといった印象です。そのかわりに独唱、合唱とも鮮明に、自然に聴こえます。ノイマンは1979~1980年にかけてこのオペラを再録音しましたが、その新しいものよりもさらに引き締まって、あまり情緒に流れないような演奏です。今聴いていると旧録音の方が演劇的というか登場人物(動物も)が活き活きとしているような印象です。ノイマンが当時指揮した「利口な女狐の物語」はどんな演出だったのか観てみたくなります。こういう演奏なら写実的?な演出、様式化された抽象的な舞台のどちらにも合いそうです。

 時々見かけるモノクロの舞台写真はキャストが動物、昆虫の着ぐるみのような衣装を着用していることが多いようです。そういう衣装の場合は顔も濃いメークを施して、半分くらいマスクが被るので歌手の地顔が見えにくいのがちょっと惜しい気もします。能楽の演目に金剛流の「鷺(さぎ)」というのがあって、シテは鳥の鷺の役ですが頭に鷺の顔を模した冠を付けても顔そのものは役者の顔がそのまま出ていたと思います。能も演出が複数あるので鷺が常にそうなのかは分かりませんが、そのやり方を「利口な女狐の物語」に導入しても面白いかもしれないと思いました。それにしても若い頃のノイマンの写真(1枚目)、頭髪のふさふさなことといったら。

14 7月

ヤナーチェク・歌劇「利口な女狐の物語」 ノイマン再録音

130714ヤナーチェク  歌劇「利口な女狐の物語」

ヴァーツラフ・ノイマン 指揮
チェコ・フィルハーモニー管弦楽団
チェコ・フィルハーモニー合唱団
キューン児童合唱団

女狐ビストロウシカ:マグダレーナ・ハヨーショヴァー(S)
森番:リハルト・ノヴァーク(Bs)
森番の妻/ふくろう:ヘレナ・プルトロヴァー(A)
校長/蚊:ミロスラフ・フリドレヴィチ(T)
神父/穴熊:カレル・プルーシャ(Bs)
ハラシタ・行商人:ヤロスラフ・ソウチェク(Bs)
パーセク・居酒屋主人:カレル・ハヌシュ(T)
パーセクの妻:ドラホミーラ・チカロヴァー(S)
雄狐:ガブリエラ・ベニャチコヴァー(S)
キツツキ:マリエ・ムラゾヴァー(A)、ほか

(1979年12月17~22日,1980年6月25~27日 プラハ芸術の家 録音 Columbia-スプラフォン)

  ヤナーチェクのオペラ「利口な女狐の物語」について、作曲者自身が書いている解説(手紙)の中にヤナーチェクが生まれた村で起こった事件が引用されています。村長の若い息子が結婚式の客を銃でほとんど皆殺しにして捕まり、刑期を終えて村に戻った時に村人から疎外されたり村八分になることなく、事件前と同じように受入て彼に接したという、現代でなくても日本では考え難い出来ごとです。日本に限ったことではないはずで、ヤナーチェックもこのオペラを書いた頃に、「昔はそうだった-今はそうではありません」と書いています。そしてその出来事が、「純朴な人々は悪を永遠の恥辱とは考えないのだ」ということを分からせてくれたと書いています。そういう純朴は、今ではもうないということです。

 時代劇の「鬼平犯科帳」の長谷川平蔵が「人間は良いことをしながら悪いことをする」としばしば言いますが、ヤナーチャクもその手紙の中で同じことを述べています。「ビストロウシカは盗みを働いたり、鶏を殺したりするが、立派な感情を持つことは可能だ」と。鬼平はともかくとして、「悪と善も新たになって生命の中を循環する」というこの作品の世界観は他のオペラや文学作品を見渡しても個性的だと思います。

 このオペラの台本は作曲者原作を脚色して自ら書いたものですが、その原作はブルノの民衆新聞に連載(1920年4-6月)されたルードルフ・チェスノフリーデクによる絵入物語「女狐ビストロウシカ」です。ヤナーチェクの家に来ていた家政婦もその読者だったので、それをオペラ化することを勧めたという話がどこかに載っていました。

 動物と人間の世界が並行しつつ混然となっている世界は皮肉のように感じられますが、オペラの音楽自体は大らかで、太陽の光や木々、風等そのものように鮮烈です。第二幕第四場でビストロウシカが雄狐ズラトフシュビーテクと出会い、結ばれて結婚する場面は合唱も入り、幸福感が高揚します。そういう生々しさは昨日のグレゴルの録音の方がより前面に出ていたような印象で、今回のノイマンの再録音はもっと鋭角的でちょっとヒンデミット作品のような響きも感じられます。

 ドヴォルザークやマーラーでもお馴染みのヴァツラフ・ノイマンは、利口な女狐の他にヤナーチェクのオペラを少なくとも二作品「ブロウチェク氏の旅」、「死者の家から」を録音しています。「利口な女狐」は二度も録音している他、ベルリンのコーミッシュオーパでも(フェルゼンシュタイン演出)指揮していました。このCDは2008年に日本国内盤で復刻されたものです。対訳はCDにデータとして記録されています。録音された時期は同じくチェコPO-スプラフォンのマーラー全集と重なります。ノイマンは中学の授業で聴いたベートーベンの運命(ヤナーチェクのオペラにも「運命」という作品がある)が強烈に印象に残っています。ただ、それは学校の教室くらいでしか見かけない大型のスピーカーで聴いたことが原因だろうとは思います。

13 7月

ヤナーチェック「利口な女狐の物語」 グレゴル・1970年

130713bヤナーチェク 歌劇「利口な女狐の物語」

ボフミル・グレゴル 指揮
プラハ国民劇場管弦楽団
プラハ国民劇場合唱団
(ミラン・マリー指揮)

女狐・ビストロウシュカ:ヘレナ・タテルムスホヴァー(S)
雄狐:エヴァ・ジクムドーヴァ(S)
森番:ズデネック・クロウバ(B)
森番の妻/ふくろう:ヤロスラヴァ・プロハースコヴァー(A)
神父/穴熊:ダリボル・イェドリチカ(B)
校長/蚊:ヤン・ハラフサ(T)
行商人ハラシタ:ヨセフ・ヘリバン(Br)
居酒屋主人パーセク:ルドルフ・ヴォナーセク(T)

(1970年8月15-24日 プラハ市民会館,スメタナ・ホール録音 Supraphon)

  今日の午後に昨年の水害時を思い出させる雷雨が襲来しました。幸いにして短時間で小降りになり、多少気温も下がりました。昨日ある同業者の職場へ行った時、やけに暑くて持参した書類にガマのあぶらのような汗が落ちそうになり、顔を上げると窓が開けられて冷房は切られているのが分かりました。忠実に節電を守っておられるのか、とにかく敬服しました。最初は暑いと思っていても15分程すれば汗もひいて、これで過ごせないこともないくらいだったので、普段は安易にエアコンを使い過ぎていることを再認識しました。

 オペラ「利口な女狐の物語」はヤナーチェクのオペラ作品の中でも特に有名で、小澤征爾とサイトウ・キネンオーケストラも取り上げていて映像ソフトも出ていました。このCDはチェコのスプラフォン・レーベルが制作したセッション録音でグレゴル指揮のプラハ国民劇場をはじめチェコの歌手らが参加しています。同様の録音は八年後にノイマン指揮のチェコPOらによるセッション録音がありました(やはりスプラフォン)。

  実はにわかにこの作品にはまっていて、昨夜は酒臭い電車の中でCDウォークマンでこれを聴いていました。ノイマンとチェコPOの方はアルミサッシの軽量鉄骨の住宅のようなシャープな響きなのに対して、今回のグレゴル、プラハ国民劇場の方は窓枠から雨戸まで木製の昔ながらの家といった印象です。歌手も脇役の動物の声を人間役との違いを強調して芝居風の要素が前面に出ています。それでも陳腐にならずオーケストラの音楽を際立たせています。ヤナーチェクはプラハのあるボヘミアではなく、その東側に位置するモラヴィア生まれなので、ご当地・本家ならブルノ(チェコ第二の都市、モラヴィアの中心)になりますが、ドイツ語圏の西欧とは違う空気がなんとなく感じられます。

130713a 「日本ヤナーチェク友の会」という団体があり、オペラの対訳と解説の本を作っています。これが詳しくて面白い内容で、「利口な女狐の物語」は吉田秀和氏の「私の好きな曲」からの引用で始まります。このオペラは従来のオペラと色々な点で違っていて、非常に大雑把にまとめればヒロイン、ヒーロー中心の物語、ドラマが無いという点と、台本・物語作者も物語の世界に埋まっている、そのため主役級の女狐・ビストロウシュカが撃ち殺されてもさして悲劇的ではなく移り行く世界の中の一部(うまく表現できないけれど)といった価値観になっている点です。若い頃は、ビストロウシュカが死ぬというところが好きではなく、大らかな世界に水をさされたような感情でこの作品をみていました。第三幕で、森番が夢うつつで捕まえたカエル(第一幕で森番の顔に乗ったカエルかと思わせる)が、「それはぼくじゃない、おじいさんのことだろ(第一幕のカエルの孫という意味)」と言うのが自然の循環を象徴しています。

 プラハ生まれの指揮者、ボフミル・グレゴル(1926年7月14日-2005年11月4日)は、ドヴォルザークの序曲・管弦楽集、交響詩全集といった録音が没後に国内盤で復刻しました。それらは1980年代後半の録音ですが、グレゴルは1963年からプラハ国民劇場の常任指揮者をつとめています。プラハ国民劇場時代にヤナーチェクのオペラは四作品(死者の家から、マクロプロス事件、利口な女狐の物語、イェヌーファ)を録音していて、それらは1960年代、1970年代の録音です。これまで巨匠という扱いではなかったようですが、今回のCDは魅力的です。

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昭和40年代生まれ、オットー=クレンペラーの大フアンです。クレンペラーが録音を残したジャンルに加え、教会音楽、歌曲、オペラが好きなレパートリーです。

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