raimund

新・今でもしぶとく聴いてます

指:シャイー

8 2月

アンドレア・シェニエ パヴァロッティ、カバリエ/1984年

210208bジョルダーノ 歌劇「アンドレア・シェニエ」

リッカルド・シャイー 指揮
ナショナル・フィルハーモニー管弦楽団
ウェールズ・ナショナル・オペラ合唱団(合唱指揮ジュリアン・スミス)

アンドレア・シェニエ:ルチアーノ・パヴァロッティ(T)
ジェラール:レオ・ヌッチ(Br)
マッダレーナ:モンセラート・カバリエ(S)
ベルシ:キャスリーン・クールマン(Ms)
伯爵夫人:アストリッド・ヴァルナイ(Ms)
マデロン:クリスタ・ルートヴィヒ(Ms)
ルーシェ:トム・クラウゼ(Bs)
フレヴィル:ユグ・キュエノー(T)
マテュー:ジョルジョ・タデオ(Bs)
密偵:ピエロ・デ・パルマ(T)
家令/フーキエ・タンヴィル:ニール・ハウレット(Bs)
修道院長:フロリンド・アンドレオーリ(T)
シュミット:ジュゼッペ・モレーシ(Bs)
デュマ:ラルフ・ハマー(Bs)
叫び声:カルロ・タデオ

(1982年8月,1984年6月 ロンドン,ウォルサムストウ・アッセンブリー・ホール 録音 DECCA)

210208a イタリアのオペラ、とわざわざ国名とオペラをくっ付けて書くのは「大阪風お好み焼き」と呼ぶのと同じくらいのくどさ、失礼(大阪圏にとっては)ということになりかねませんが、お好み焼きについては自分は薄い生地に中華麺を加えるタイプ、広島スタイルの方が好きでした(CSテレビで広島カープのキャンプ中継を観ていたもので)。それはともかくとして、ヴェルディ、プッチーニ以外のオペラでヴェリズモ・オペラと言えばレコードがセットで販売されるこがあった「道化師(レオンカヴァレロ)/1892年」、「カヴァレリア・ルスティカーナ(マスカーニ)/1890年」が有名でした。その次にジョルダーノの「アンドレア・シェニエ/1896年」もミラノ・スカラ座で初演されて以来ジョルダーノの代表作としてオペラのガイド本の類にはリストアップされていました。

 そう思って2017年に合本版が出た「名曲名盤500 レコ芸編」をめくってみると、どこを探してもこのオペラが載っておらず、ついでに「名盤鑑定百科 声楽曲・オペラ編」にも作品が載っていませんでした。ブログの過去記事を探したところ一度も扱ったことがなく、
作品中の有名アリア等は各四幕に配分されているのにそのタイトル、メロディは思い出せませんでした。アンドレア・シェニエの日本初演はイタリア歌劇団の1961年の来日公演でマリオ・デル・モナコとレナータ・テバルディの共演という豪華配役の公演でしたが、実は先日そのLP国内盤を購入する際に色々混同していることに気が付きました。

 このオペラはフランス革命期にギロチンで処刑された実在の詩人をモデルにした物語で、最後は愛するシェニエと離れまい、共に死のうと死刑囚と入れ替わったマッダレーナ(伯爵令嬢)が共に名を呼ばれて刑場へ向かう馬車に乗る場面で終わります。音楽的にもそこへ向かって盛り上がって行き、死刑云々よりも愛が完成、成就するかのように上り詰めて行くような印象です。それから革命によって没落する前に伯爵家に雇われていたジェラールもマッダレーナを愛していて、革命政府で出世しているのでトスカに対するスカルピアのように振る舞うという方法もあるのにそうはせず、マッダレーナのためにジェラールを助命しようとさえする役まわりは、二人の愛にはなを添えるというか、香気を放つ存在になっています。こういう物語は現実的と言えるかどうか、ちょっとベートーヴェンが好きそうなネタのようですが音楽共々とても魅力的です。

 重要キャストのパヴァロッティ、ヌッチ、カバリエらは聴かせどころの歌は素晴らしくて、第一幕の冒頭のヌッチ、パヴァロッティが歌う “ Un dì all’azzurro spazio(ある日、青空を眺めて) は、歌詞の内容が迫ってきます。貴族の夜会で貴族階級を批判するシェニエの歌は痛快です。その貴族階級の伯爵夫人に1950年代からバイロイトで活躍したヴァルナイが歌っています。全曲の中では第四幕でのパヴァロッティとカバリエの二人は声の威力からギロチンもものともしない迫力でシェニエとマッダレーナが迫ってきます。ただ、二人の風貌をおもい起すとちょっと微妙なところかなと思いましたが、とにかく歌は立派です。シェニエはマリオ・デル・モナコやドミンゴ、フランコ・コレッリが歌ったレコードもあり、役としては色々なタイプがありそうです。
29 11月

メシアン トゥーランガリラ交響曲 シャイー、RCO/1992年

171129aメシアン トゥーランガリラ交響曲

リッカルド・シャイー 指揮
ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団

ジャン=イヴ・ティボーデ:ピアノ
原田 節:オンド・マルトノ

(1992年3月 アムステルダム,コンセルトヘボウ大ホール 録音 DECCA)

171129b まだ元号が昭和の頃に二百三高地という邦画があり、エンディング・ソングだったさだまさしの防人の詩も含めて話題、批判の対象になっていました。そうしたことは置いておき、主人公の古賀少尉は師範学校を出た尋常小学校の教師であり、召集(予備少尉)前の学校の様子が出てきました。金沢の尋常小学校の中学年以上のクラスに背中に赤子を負うて教室に座って授業を受けている児童も居ました。その場面はフィクションか史実を反映したものか正確に確認したわけじゃないですが、子守なんかは兄弟姉妹の仕事、学校へ行かせる余裕は無いという世帯が少なからずあった社会状況からすればとんでもな捏造とは言えなさそうです。状況、背景が違いますが最近の、市議会に子供を連れて来たら認められなかったというニュースを見て、この映画のシーンがチラっとよぎりました。もっとも、教師が子供を背負って授業したという話は聞いたことはなく、そっちの方は即レッドカードだろうなと何となく想像がつきます。

 まだ先週聴いた「アッシジのフランチェスコ」の残響が頭の中に残っているので、別のメシアン作品を聴きました。11月29日はこの作品が完成した日らしくて、1946年7月17日に着手して1948年11月29日に完成したとなっています(二十世紀の作曲家だけあって細かい日付まで記録されている)。トゥーランガリラ交響曲はメシアンの作品の中では「幼子イエスに注ぐ20のまなざし」と並んで有名かもしれません(「幼子」はのだめのレッスン課題リストにも名前が見られたくらい)。レコ芸の企画編集の「名曲名盤500」最新版にもこの作品が唯一メシアンの作曲でリストアップされていました。今回のシャイーの録音は第2位になっていました。ちなみ第1位はチョン・ミョンフン指揮のパリ・バスティーユO(1990年録音,作曲者のお墨付き)でした。

 この録音は日本のオンド・マルトノ奏者、原田節氏が参加しています。セッション録音のおかげか演奏中でもオンド・マルトノの特徴ある音色が抜け出るようによく聴こえていて、それが作品(この楽器はメシアン作品によく使われる)の特徴がよく出ています。原田氏は渡仏してメシアン夫人の妹にしてマルトノ奏者のジャンヌ・ロリオに師事しています。この楽器だけでなくピアノの音色もくっきりと鮮明に聴こえ、作品の鮮やかさを際立たせています。

 作品は10楽章から構成され、四つの主題である「彫像の主題」、「花の主題」、「愛の主題」、「和音の主題」のそれぞれを多用する三つのグループに分けられ、第1楽章だけが独立するという内容です。第一グループは偶数楽章の第2、4、6、8楽章が属して「愛の主題」を多用し、台にグループが第3、7、9楽章、第三グループが第5、10楽章となっています。解説ではそうなっているものの、ちょっと聴いたくらいではこの構成感は実感できないと思います。
トゥーランガリラ交響曲は昨年秋に京響の定期で聴けましたが、作品の世界観というかメッセージ性はよく分からず、これを鑑賞するには「智」が欠けているのを実感したしだいでした(おまけに遅刻もした)。それにしてもシャイーがこの曲を録音していたのを知らず、かなり後になってCDを見つけました。 
QRコード
QRコード
タグクラウド
タグ絞り込み検索
最新コメント
アクセスカウンター
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

アクセスカウンター
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

プロフィール

raimund

昭和40年代生まれ、オットー=クレンペラーの大フアンです。クレンペラーが録音を残したジャンルに加え、教会音楽、歌曲、オペラが好きなレパートリーです。

メッセージ

名前
本文
アーカイブ
twitter
記事検索
カテゴリ別アーカイブ
  • ライブドアブログ