ゲルト・シャラー 指揮
(2011年7月 エーブラハ,大修道院附属教会 ライヴ録音 Profil)
今年も残り一週間を切り、まちなかでは早くも休暇モードな人をちらほら見かけます。TVでは今年三月に議員辞職した京都三区選出のあの人の夫人が出ていたようです。海外の国家元首の中には婚姻外に子供が居る人もそこそこ居ることを思えばちょっと空騒ぎだったような気もします(それが理由で落選したというならまだしも)。もっと深刻な問題でどうしようもなく、全く手出し出来ない(基地とか領土、原発、正規雇用、ブラック企業等々)のでそられにかわるガス抜きのようにも見えてきます。それはともかく、ブルックナーで気分一新ということで交響曲第2~4番の初期稿と第5番の四部作説に従って連続して聴くことにしました(またやるのか)。第2番の初期稿はまだ録音が少ないのでそうそう何度もできるものじゃありません。
交響曲第2番 1872年稿(第1稿/試演版)
1楽章:Allegro
2楽章:Scherzo;Schnell
3楽章:Adagio;Feirlich,etwas bewegt
4楽章:Finale;Mehr schne
今回はゲルト・シャラーとフィルハーモニア・フェスティヴァによる交響曲第2番から始めます。この第2番は冒頭からゆったりと、起伏少なく、海中を漂うジュゴンかマナティのような佇まいなので、最近のブルックナー演奏からすればちょっと意外なスタイルです。初期作品は元来アクセントを強調して飽きさせない?ような演奏が多かったようなので、もうそんな配慮は要らないくらい浸透したというのか隔世の感があります。特に第3楽章のアダージョがこの録音、演奏の特徴が濃厚に出ているようで、ゆったりと響きの中に横たわれそうな心地です。
その第3楽章も他の録音の中にはもっと演奏時間が長いものもあるので、このシャラーの演奏が特別というわけではありません。省略箇所の加減があるのかどうか、だいたい合計で67~70分が目安のようです。初期稿の1872年稿では第2楽章に配置されるスケルツォは、シャラーとアイヒホルンの二人がほぼ同じで一番長い演奏時間になっています。シャラーとフィルハーモニア・フェスティヴァのブルックナーは、珍しい稿を採用した曲が注目になっているほか、修道院の聖堂でライヴ録音しながら残響が大きすぎず、ちょうどよい音質なのも好印象だと思います(一部の曲)。
*シャラーの第4楽章は残響が完全に消えたところでタイムを止めている(記載は20分36)。
交響曲第2番の初期稿の録音で主だったところは上記の通りで、他に実際に初演された1873年稿で演奏したアイヒホルン盤(1872年稿と2枚組CDに収録されている、1873年稿の楽譜は未出版らしい)があるくらいです。あた、年明けに出る予定のボルトン指揮ザルツブルク・モーツァルテウム管弦楽団の録音も1872年・初期稿のようです。第2番は、その初演・1873年稿もノヴァーク版とハース版がある1877年の第2稿もスケルツォは第3楽章に配置されているので、今回の正真正銘の初期稿、1872年稿は独特な配置です。これと同じ配列は第8番、未完に終わった第9番くらいで、その後期作品の特徴がこの段階で既に試されているのが興味深いところです。