raimund

新・今でもしぶとく聴いてます

ハイドン・声楽

24 8月

ハイドンの天地創造 カラヤン、ベルリンPO/1966年

190824ハイドン オラトリオ「天地創造」Hob.XXI-2 ~3人の独唱者,合唱,管弦楽のためのオラトリオ

ヘルベルト・フォン・カラヤン 指揮
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
ウィーン楽友協会合唱団

ガブリエル,エヴァ:グンドゥラ・ヤノヴィッツ (S)
ウリエル:フリッツ・ヴンダーリヒ(T),ヴェルナー・クレン(T) 
アダム:D.フィッシャー・ディースカウ(Br) 
ラファエル:ワルター・ベリー(Bs) 
No.34のソロ:クリスタ・ルートヴィヒ(A)

チェロ:オットマール・ボロウィツキー
チェンバロ:ヨセフ・ネボイス

(1966年2月,1968年11月,1969年4月 ベルリン,イエス・キリスト教会 録音 DG)

 八月の15日前後、夜になったらコオロギの声がきこえだしました。それに京アニの現場に近いJR六地蔵駅あたりでヒグラシが鳴くのもきこえた日があり、こんな平坦な市街地でヒグラシの声を聞けるとは全く驚きました。滋賀や京都では地蔵盆のシーズンなのでそれが終われば夏も終わりなるのに、おっさんの世代になると全く名残惜しくなくてせいせいするくらいです。四季の歌じゃないけれどあえて選べば、冬か晩秋が好きで心身ともに快調になり、夏の暑さは年々こたえるようになります(しかし痩せない)。

 先日アーノンクールがウィーン・コンツェントゥス・ムジクスの結成50年記念公演で演奏した「天地創造」のCDを聴いていて、直後にそれとは対照的なスタイルのカラヤン、ベルリン・フィルのセッション録音DG盤を聴いてみました。過去記事(ブログを分割する前、OCNブログ時代)で扱ったことがあり、中学生の頃にジャケットの写真を覚えて店頭で探したのに折り悪く見つからなかったものでした。レコ芸編の「名曲名盤500(2017年6月1日発売)」では、第1位が11P獲得したそのアーノンクール盤、カラヤンとベルリンPOは第2位で10Pを獲得していました。第2位は1995年録音のガーディナーと分け合っていました。ちなみに第4位はブリュッヘンとP.マクリーシュが分けあい、第6位にカラヤンの再録音が入っていました。ということで、古楽器アンサンブルが並ぶ中に通常のオーケストラによる演奏としてはカラヤンが何とか食い込んでいるという選ばれ方でした。

 久しぶりに聴く今回は第三部を最初に聴いてみましたが、全く格調高くて、「光あれ」の箇所を含む第一部にひけをとらない立派さにうたれました。フィッシャー・ディースカウのアダムが威厳もあって、創世記の物語でこの後に追放されることを忘れるような立派な歌唱です。通奏低音はフォルテ・ピアノではなくチェンバロとチェロ(*
最初に書いた時、ピアノと書いたのは書き間違い、たまたまLPで1938年録音の「フィガロの結婚」を聴いていてそこでセッコに使われている楽器がほとんどピアノのような音色だったので無意識にピアノと書いてしまった)を使い、レティタティーヴォの中には通奏低音だけに独唱がのっている箇所もあり、大編成と思われるコーラスとの対比でバランスを保って肥大化した印象にならないのも見事だと思いました。第一部の冒頭、混沌をあらわす序奏が妙に明朗で、既に楽園を予告しているような美しい響きでした。録音途中で急逝するヴンダーリヒは、もう少しリリックな、軽妙なタイプの歌手がキャストされることが多いウリエルを、少しタフな姿を思い描かせる力強い歌唱が印象的でした。

 これを聴いていると、世代によっては印象が違うとしてもいまだに立派な天地創造だと思いました。あらためて直近に聴いたアーノンクールの演奏をちょっと思い返してみると、コーラスがメインの楽曲ではまるでミサ曲のような得も言われない印象だったのに対して、今回のカラヤンの旧録音の方は全然そんな風では無くて、舞台作品の音楽といった感じでした。元々典礼音楽ではないのだからそれで当然ということですが、アーノンクールの方の魅力も再認識しました。
1 8月

ハイドンの天地創造 ポップ、ドラティ、ロイヤルPO/1976年

190801ハイドン オラトリオ「天地創造」Hob.ⅩⅥ-2 

アンタル・ドラティ 指揮、チェンバロ 
ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団
ブライトン・フェスティバル合唱団(合唱指揮ラスロ・ヘルティ)
デイヴィッド・ストレンジ:チェロ
ジャック・マコーマック:コントラバス

ガブリエル:ルチア・ポップ(S)
ウリエル:ヴェルナー・ホルヴェーグ(T)
ラファエル:クルト・モル(Bs)
エバ:ヘレナ・デーゼ(S)
アダム:ベンジャミン・ラクソン(Bs)

(1976年12月 ロンドン,キングズウェイホール録音 DECCCA) 

 今年も半分以上が終わり、もう八月に入ります。先日久々に京阪宇治線の六地蔵から中書島までの区間に乗車したところ、駅を出るか出ないかの位置で京アニのスタジオの無残な姿が目にとびこんできました。こんな近くにあったとはそれまで全然知りませんでした。建物の外側に非常階段が無い建物は結構あり、間口が狭くて奥行が極端に長い敷地だったりすると外側の階段があっても、炎上中の建物に遮られて道路まで出られない場合もありそうで、潜む危険を思いっきり浮かびあがらせた格好です。参院選の結果、れいわから当選した二人が注目されて案の定?議場の設備改修の費用とかで色々不満が出ています。それよりもあの事件火事のよう緊急事態、車椅子なら避難の術が無いという場所は沢山あると思われ、要するに議場も含めて重度の障碍者のことは「勘定に入って無い」場合が多いと、費用の制限があるにせよ、改めて思いました。

 さて、ハイドンのオラトリオ「天地創造」、二十年くらい前の八月に奈良の合唱団が天地創造を演奏したことがあって聴きにいきましたが、今年の八月は京響定期にダイクストラが客演してハイドンの天地創造を演奏します。それでブログのオフ・シーズン(勝手に決めた、実はネタと根気の両方が尽きてきた)の八月には、過去記事で扱ったCDも含めて天地創造のおさらいをしておくつもりです。この作品はバッハのマタイ受難曲程はシリアスでなく、フォーレのレクイエム程霊妙、神秘的でもないので三大オラトリオの割りに人気はいま一つのようです(京響定期は一日だけの公演でまだ完売でないもよう)。しかし旧約聖書の創世記冒頭の部分、混沌の世界と光が創造される箇所を描写するという、他には例のない音楽は素晴らしいと思います。

 このCDはLPレコードの時代にハイドンの交響曲全集を完結させたドラティの指揮、ルチア・ポップ、クルト・モルといったオイロディスクの録音に揃って出そうなドイツ語圏の歌手が並んでいるのがまず目につきます(フアンにとってはポップが出ているだけで良)。ルチア・ポップは
クーベリックやバーンスタインの全曲盤でも名が見られ、天地創造のレコードには結構何度も参加しています。それはともかく、ドラティの指揮は独特で、今回改めて聴いていると他にも似た天地創造の演奏がありそうでないのではと思いました。

 古楽器オケのスタイルとは違い、ベルリン・フィルらの壮大・大作スタイルとも違い、当時の交響曲全集とかのハイドンらしさを追求するような内容と、意外に優美でロマン派的な要素もあると思いました。冒頭の、混沌から「光あれ」までのところは劇的な効果はそこそこに、音楽的な美しさを追求しています。コッホとベルリンRSO、カラヤンとベルリン・フィル(ヴンダーリヒ出演)あたりを念頭に置いているとちょっと軽くてあっけなく思われます。このスタイルなら「四季」の方がもっとぴったり合いそうですが、天地創造も独唱楽曲やドラティ自らが弾く通奏低音のチェンバロが入るレティタティーヴォのところも含めて全部魅力的です。
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昭和40年代生まれ、オットー=クレンペラーの大フアンです。クレンペラーが録音を残したジャンルに加え、教会音楽、歌曲、オペラが好きなレパートリーです。

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