raimund

新・今でもしぶとく聴いてます

オルフ他

27 6月

ダントンの死 初演 フリッチャイ(O.Kの代役)、VPO/1947年

210627aアイネム 歌劇「ダントンの死」

フェレンツ・フリッチャイ 指揮
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
ウィーン国立歌劇場合唱団

ジョルジュ・ダントン:パウル・シェフラー
カミーユ・デムーラン:ユリウス・パツァーク
リュシール(カミーユ妻):マリア・チェボターリ
ロベスピエール:ヨセフ・ウィット
エロー・ド・セシェル:ペーター・クライン
サン=ジュスト:ルートヴィヒ・ウェーバー
ヘルマン:ヘルベルト・アルセン
シモン:ゲオルグ・ハン
ユリア(ダントン妻):ギゼラ・スリー

(1947年8月6日 ザルツブルク ライヴ録音 ARCHIPEL)

210627 これはオーストリアの作曲家アイネムGottfried von Einem 1918年1月24日 - 1996年7月12日)のオペラ「ダントンの死」が、1947年8月のザルツブルク音楽祭で初演された際のライヴ音源のCDです。これについて先日発売されたクレンペラーのSACD集「伝説的アムステルダム・コンサート1947-1961」の広告・解説の中の年表に興味深い話が出てきます。1947年8月6日の初演はクレンペラーが指揮するはずだったのが直前でクレンペラーがキャンセルしたのでフリッチャイが代役として指揮し、成功したという話です。

 クレンペラーは、オペラ「ダントンの死」の台本が原作であるゲオルク・ビュヒナーの戯曲から乖離しすぎている、音楽も悲劇的な気分に欠けるとして作品への興味を失ってしまいキャンセルしました。そのおかげで代役したフリッチャイの名声が高まることになったという話で、何か歴史的な色々なネタが詰まった公演ながらCDとしてはソプラノのマリア・チェボターリがメインなので、ジャケットも彼女の写真がどーんと使われています。

210627b 作品を聴いた印象は、途中で指揮をキャンセルするのはダメだとしても「悲劇的な気分に欠ける」とかクレンペラーの言い分も分かる気がして、惹きつけるところが少ないと思いました。ワーグナー、R.シュトラウス、ベルクらの音楽で合い挽きミンチにしたところからスープとって希釈したような印象です(悪く言えば)。たしかにマリア・チェボターリの歌唱が一番目立っていました。フランス革命の政治家にして断頭台で処刑されたダントンが処刑されるまでの話で、裁判での弁論も含まれるので舞台を観れば印象も変わるだろうと思います。オペラの筋書きなどはネット上で、CS放送の案内やら海外で観た方の解説があってかなり詳しいので、今後もそれをチョイチョイ見たいと思いました。

 アイネムはナチス・ドイツ時代に音楽家のコンラート・ラーデを救ったということで戦後にイスラエル政府からメダルをもらっているそうですが、一方でナチ時代はまだ若かったということもあり、重責のポストには就いていませんが、ナチの重鎮でもあった作曲家ヴェルナー・エックと親しかったことで兵役を逃れ、ハインツ・ティーティエン監督の助手も務め、ナチ時代のバイロイトで活躍しました。また、戦時中のベルリン・フィルで自作を初演し、ドレスデン国立歌劇場のアドバイザーにもなっていました。これもクレンペラーのSACD集「伝説的アムステルダム・コンサート1947-1961」の紹介文の年表に載っていた話ですが、G.ヴァントの潔癖な態度とはかなり違っています。
7 6月

カルミナ・ブラーナ ポップ、プライ、サヴァリッシュN響/1984年

200507aオルフ カンタータ「カルミナ・ブラーナ」

ウォルフガング・サヴァリッシュ  指揮
NHK交響楽団
東京藝術大学大合唱団
NHK放送児童合唱団

ルチア・ポップ(S)
小林一男(T)
ヘルマン・プライ(Br)

(1984年4月29日 NHKホール ライヴ録音 ZDF自主制作)

 200507b 毎週日曜午後2時からと翌日朝の7時過ぎに再放送していたNHK・FMの「きらクラ!」は昨年度で終了しました。今年度からは「×(かける)クラシック」が始まり、市川紗椰とサクソフォン奏者上野耕平がレギュラー出演でした。再放送を一度聴いたときは鉄道、「音 鉄」がテーマになっていて、市川紗椰の鉄ヲタぶりが発揮され、大阪市営地下鉄の長堀鶴見緑地線の発車音とか、この人はなんでそれを知ってる?というノリに驚き半分、あきれ1/4、賞賛1/4でした。その後BS放送、で阪堺電軌や旧国電の103系、二代目新快速117系を乗りに行く企画をやっているのを見て、この感性、番組をきかねばなるまいと思いました。

200507c これは日独交歓(NHKとZDF)の演奏会でサヴァリッシュがN響を振ってヘルマン・プライ、ルチア・ポップらの名唱で伝説的となったカルミナ・ブラーナのレコードです。メジャーなレーベルからではなかったからか、輸入盤で売られているものは結構高価なものがありましたが、購入できたのはまだ手がでるものでした。それにしてもジャケットのデザインに曼荼羅というのは何のつながりなのかと思います。これは昨年にカルミナ・ブラーナのCDを取り上げた際にブログにいただいたコメントから存在を知り、ラ・ヴォーチェ京都に複数あった在庫を入手したものでした。ネット上にこの演奏のことを書いたものがチョクチョクあります。

 実際に聴いてみると、冒頭が弾けて飛び出すように始まり、オーケストラもコーラスもとり憑かれたような集中、没頭感が伝わってきます。鮮明で明解な印象なので、個人的にはあまり好きでもない作品に対するイメージを一掃する熱気と爽快さです。それにヘルマン・プライの独唱が全開で高音から低音まで、こんなに表現の幅が広かったのかと感服するものでした。小林一男、ルチア・ポップもすばらしかったですが、特にプライには圧倒されました。独唱の出番はあまり多くないものの、それだけに目立っていました。

 
日独交歓のもう一方の演奏は若杉弘がミュンヘンでバイエルン放送交響楽団を指揮してブラームスの交響曲第1番を演奏していました。カルミナ・ブラーナのほうが凄いのでそっちがかすみそうになります。昨年から何度か再生していましたが、カートリッジの調整やら何やらで手間取り、何とか一定のところに整ったのでカルミナ・ブラーナを連続して聴きました。それにしてもサヴァリッシュの指揮がこんなに熱気を帯びているのは他にあったかと思いました。
6 10月

オルフのカルミナ・ブラーナ ケーゲル、ライプチヒRSO/1960年

191006aカール・オルフ 「カルミナ・ブラーナ」

ヘルベルト・ケーゲル 指揮
ライプツィヒ放送交響楽団
ライプツィヒ放送合唱団
ライプツィヒ放送児童合唱団

ユッタ・ヴルピウス(S)
ハンス=ヨアヒム・ロッチュ(T)
クルト・リーム(Br)
クルト・ヒューベンタール(Bs)

*1959年という表記もある
(1960年6月8-10,13-17日 ライプチヒ,Heilandskirche 録音 ETERNA/Berlin Classics)

 ラグビーのW杯、男子バスケットの国内プロリーグの開幕、プロ野球のクライマックスシリーズとTV中継も色々重なりますが昨日は日本代表のサモア戦を録画しました。ラグビーの代表選手の国籍のハードルが低いのは独特で、何となく旭日旗の入り込み難いほがらかな雰囲気なのは結構なことです。外国からの応援団が「闘魂」とか「必勝」と書いた日の丸ハチマキをしているのが目立っています。それはともかくとして、今回も何となくオルフのカルミナ・ブラーナです。

191006b これはケーゲルによるカルミナ・ブラーナの初回録音にあたる結構古いセッション録音です。この時期にカルミナ・ブラーナの全曲盤はまだ少なく、ヨッフム、サヴァリッシュのモノラル録音とかストコフスキーやオーマンディくらいしか無く、これからどんどん増えていく直前といったところのようです。ケーゲルは1970年代に勝利三部作を録音しましたが、カルミナ・ブラーナは旧録音の方が好評らしくて、今年になってタワーレコードの企画で復刻、SACD化されていました(その時はあまり関心が無く、8月に輸入盤の方を購入)。男声が一人多い編成になっています。

 実際に聴いてみるとケーゲルらしい、作品を無影灯で照らし尽くすような鮮烈さと何となく泥臭いようなこの作品の匂いも感じられて、合唱の素晴らしさも目立ちました。後にトーマスカントルに就任するロッチェがテノールで参加しているのも面白い組み合わせですが、ケーゲルもドレスデン聖十字架合唱団の出身だそうです。この強烈な演奏を聴いていると前回のティーレマンの演奏がしなやかで柔軟だったことが思い出されます。このブログ内で同作品のCD三枚目にしてようやく作品に対しての違和感が抜け切ったたような心地です。それと同時に最初に聴いたアイヒホルン盤がちょっと気になってきました。

 ヘルベルト・ケーゲル(Herbert Kegel 1920年7月29日 - 1990年11月20日)はベルリンの壁崩壊後に拳銃で自害という衝撃的な結末が伝えられて驚きと共に名前を記憶していますが、東側のアーティストというだけでなく西側のギーレンと似た特別な芸風を感じて注目していました。何がどう特別なのかと言われれば説明に困りますが、パルジファル、グレの歌、ヴォツェック等の象徴的な作品を録音していらり、ベートーヴェンの九曲の交響曲を録音していながら「第九が嫌い」と言ったらしいという話等、国際的に活動している有名な指揮者とちょっと違う要素がありそうです。それにしても付属冊子の写真、ケーゲルの若い頃の姿にちょっと感心します。
25 9月

オルフ「カルミナ・ブラーナ」 ティーレマン、ベルリンDO/1998年

190925オルフ 「カルミナ・ブラーナ」

クリスティアン・ティーレマン 指揮
ベルリン・ドイツ・オペラ管弦楽団
ベルリン・ドイツ・オペラ合唱団(合唱指揮:ヘルムート・ゾンネ)
ベルリン少年合唱団(合唱指揮カール=ルートヴィヒ・ヘヒト)

クリスティアーネ・エルツェ(S)
デイヴィッド・キューブラー(T)
サイモン・キーンリーサイド(Br) 

(1998年10月 ベルリン,イエス・キリスト教会 録音 DG)

 すごく有名な作品であっても自分の好み(ジャンルとか作曲家の好き嫌い)からあまり聴いたことがなかったという曲は多かれ少なかれあることでしょう。オルフの「カルミナ・ブラーナ」は自分にとってそういう曲の一つでしたが、そもそも何故自分がこれをあまり好きではないのか、このCDを聴きながら理由を考えるとどうも作品に陰りがあまり感じられず、日なたの部分が目立つという感覚からだという理由に気が付きました。カルミナ・ブラーナは劇的三部作「勝利」とか「勝利三部作」という名称の一曲だそうで、その「勝利三部作」というのもどうも気に入らない名前です。じゃあ敗残三部作なら良いのかと言われると困りますが、何となく勝共連合だとか大政翼賛会のようなものを連想してしまいます。

 それはともかくとして、先月にアイヒホルンのオフル作品集の中のカルミナを扱ったところ、コメントを頂いてプライの名演や「1984年日独交歓記念演奏会で、NHKとZDFが行った公開録音盤」のことを知りました。それでこの曲の新し目のCDを探したところティーレマンの1998年(1996年のベートーヴェンがデビュー盤らしい)録音が見つかりました。約2年前にはLPでも発売されていたくらいなので一定の評判はあったようですが、新譜時には全く気が付いていませんでした(1997~2005年頃は同曲異演からかなり遠ざかっていた)。

 2017年発行の「名曲名盤500/レコ芸編」ではティーレマン盤は第3位で4Pを獲得して
小澤、ベルリン・フィルと同点。ちなみに第2位は7P獲得したプレヴィンとウィーン・フィルほか、第1位は20P獲得でヨッフムとベルリン・ドイツオペラらの1967年DG盤でした。1960年代から80年代には「カルミナ・ブラーナ」のレコードはかなり頻繁に出ていて、独墺系だけでなく色々な演奏者が録音していました。ティーレマン以降の新録音はラニクルズ、ラトル、ハーディングらくらいなので演奏頻度、人気が低迷しているようです。

 
今回これを正真正銘、初めて聴いたところ少しだけ作品に対する印象が変わり、変化に富んだ(質的に)内容の作品だと思いました。その一方でショスタコーヴィチの交響曲第2、3番に少しだけ似ているような鋭いものを思わせました。だいぶ前に唯一購入して聴いていたヨッフムのDG盤、先月のアイヒホルンに続いてこれが三種目になりますが、どれが一番好印象か今一つ定まりません。
14 8月

オルフのカルミナ・ブラーナ ポップ、アイヒホルン/1973年

190722オルフ カルミナ・ブラーナ

クルト・アイヒホルン 指揮
ミュンヘン放送管弦楽団
バイエルン放送合唱団
テルツ少年合唱団

ルチア・ポップ(S)
ヨーン・ファンケステレン(T)
ヘルマン・プライ(Br)

(1973年7月 録音 Sony Classical/eurodisc)

 細かい字が見えにくいこともあって新聞に目を通す時間、その合計がここ数年で極端に少なくなったと最近しみじみ思ったので、とうとう老眼鏡の処方箋を書いてもらって一つ眼鏡を新調しました。これは全く手元の書類とか本を読むのには具合が良い反面、PCの画面(デスクトップ)は逆に見難いので結局あまり使う頻度は高くなくて中途半端です。「ドイツの歌劇場をユダヤ化したユダヤ人クレンペラー」、ネトウヨの表現ではなく新聞記事でそんな風に書かれたということなので、なかなか木鐸として機能するのは難しいのだと思いました。先日の夜、「かくて自由は死せり ある新聞と戦争への道」という番組がNHKで放送されました。「日本新聞」、「日本主義」という言葉が近年の「日本会議」を即座に連想させられ、放送後にまたうるさいことになると思っていました。その番組のことはさて置き、CS放送では瀬長亀次郎の特集を放送していて、「この沖縄の大地は再び戦場となることを拒否する 基地となることを拒否する」と断言する場面が出てきました。予告時にもそれが映って強烈な印象でしたが、なんと国会内での発言でありさらに強い印象を受けました。

 「カルミナ・ブラーナ」が有名なカール・オルフは、ナチス政権期に退廃芸術、ユダヤ系作曲家、音楽家が排斥された後にその空白を埋めるように重用された作曲家だったそうです。ハンス・プフィッツナーなんかはナチスが栄誉を与え、重用していることを期待していたのにそうはならなかったそうなので、作品の性格やら作曲家本人の何かが明暗を分けたのでしょう。昔、一種類だけ持っていたカルミナ・ブラーナのCDをクラヲタ以外の人間に貸したところ、非常に好評だったことがありました。ホルストの組曲「惑星」以上に絶賛されたので意外に思ったことを覚えています。パンク、ヘビメタを好んでいた人が特に気に入ったので、クラシック音楽のファン層を超えた広がりがありそうでナチが重陽したのもまんざらではなさそうでした。

 さて、このCDはクルト・アイヒホルン指揮の「オルフ・エディション」の一枚目ですが、個人的にはまず第一にソプラノ歌手のルチア・ポップが出演していることが購入動機でした。オルフのオペラにポップが出演していたのは知ってましたが、カルミナ・ブラーナも録音されていたのは見逃していました。この廉価五枚組は全部含まれているので好都合です。ただ、カルミナ・ブラーナはソプラノ独唱の箇所が多くなくて、その点は残念です。元々自分自身、オルフの作品はあまり好きでもなく、カルミナ・ブラーナも今一つの印象でしたが、改めて聴いていると魅力を再発見するような気がしました。

 クルト・アイヒホルンと言えば1990年代に日本のカメラータ東京からブルックナーの交響曲のシリーズが出て評判になりました。交響曲第2番の初期稿二種(1872年稿、初演稿たる1873年稿)や第5~9番(補筆完成版)は貴重であるだけでなく、演奏も魅力的でした。特第6、7番は特別に気に入り、クレンペラーは別にすればその二曲はアイヒホルンとリンツ・ブルックナー管があれば十分くらいに思っていました。第5番はちょっと弱々しくて、全体の造形をあまり感じさせない不満がありました(当時はそう思った)。このオルフはリンツでのブルックナーより20年くらい前の録音になり、そのブルックナーと同じ指揮者によるとは思えない演奏ですが、特別に悪い印象もありません(カルミナ・ブラーナ自体をあまり聴かないからか)。
6 5月

オルフ「時の終わりの劇」 カラヤン、ケルンRSO他/1973年

190504bオルフ 「時の終わりの劇」

ヘルベルト・フォン・カラヤン 指揮
ケルン放送交響楽団
ケルン放送合唱団(合唱指揮ヘルベルト・シュルヌス)
RIAS室内合唱団(合唱指揮ウーヴェ・グロノスタイ)
テルツ少年合唱団(合唱指揮ゲルハルト・シュミット=ガーデン)

①シュビラ
コレット・ローランド
ジェーン・マーシュ
ケイ・グリッフェル
シルヴィア・アンダーソン
グウェンドリン・キルブルー
アンナ・トモワ=シントウ
カーリ・レヴァース
ヘルイェ・アンゲルヴォ
グレニー・ルイス
②隠者
エリク・ガイゼン
ハンス・ヴェークマン
ハンス・ヘルム
ヴォルフガング・アンハイザー
ジークフリート・ルドルフ・フレーゼ
ヘルマン・パツァルト
ハンネス・ヨーケル
アントン・ディアコフ
ボリス・カルメリ
③その日
クリスタ・ルートヴィヒ
ペーター・シュライアー
ヨゼフ・グラインドル
ロルフ・ボイゼン[語り]

(1973年7月16-21日 レーヴァークーゼン 録音 DG/タワーレコード)

 スペシャル感満々だった連休も今日で終わりです。想定通り何も特別なことをせずに徒に過ごし、合計で四日間は事務所に出て来たので通常の連休とあまり変わりなしでした(洗車するでなく大掃除するでなく、起床時間が遅くなったくらいか)。去年の連休は自宅の開かずの二間を片付けて使えるようにしましたが、それの片付け残りをどかせたところ古着に埋まった中から刀掛けが出てきました。そういえば小学生の頃に友達がそれを頭上にかかげて「鹿の角」とやっていたことがありました。骨董的価値は無さそうですが由来はちょっと気になります。

 五月はこのブログ的にはオットー=クレンペラー(Otto Klemperer 1885年5月14日,ブレスラウ - 1973年7月6日,チューリヒ)の誕生月にあたり、あまり気が向かなくても誕生日前後にはクレンペラーの録音や生前に関わりのあった作曲家の作品を聴くことにしています。今回はカール・オルフ(Carl Orff 1895年7月10日 - 1982年3月29日)の晩年の作品、「時の終わりの劇」を聴きました。クレンペラーは自身より約十年若いオルフと接点があったのかどうか、具体的な記述を読んだことは無く、録音も無かったようです。このCDは初演者のカラヤンが公的な初演の公演(1973年8月20日、ザルツブルク音楽祭)前に録音していたものです。「時の終わりの劇」はオペラともオラトリオとも分類されないようで、上記の①、②、③の三部から構成されています。「~劇」と言うからには舞台演出もあり、オラトリオのようでなくオペラと同様の上演を前提とするようです。

 とにかく聴いた印象は前衛音楽になれそうでなり切れないドタバタ感が付いてまわり、神秘的な要素も今一歩です。シェーンベルクの「モーゼとアロン」を大分薄めてメシアンの要素をふりかけたと言えばあまりに浅薄な感想になりますが、どこかしらそんな感じがします。「舞台上では、世界がどのようにして終わりを迎えるのか、ということについての考えをシンボリックに表すような、黙示録的な情景が展開される」と、解説では端的に表現されています。最終曲、③「その日」の「至高の精神をもって」ではヴィオールカノンが歌詞無しで奏でられて終わります。しかし何事かが完結したような充実感は薄くて、能楽の修羅物の終わり、とりあえず武将の例が舞い終えて帰って行ったくらいの、まだ修羅道は続くような感覚に似ています。これは想像ですが、「時の終わり」と銘打ちながらも、何処から来て何処へ行くのか分からないという根源的な不安が根底に横たわり、何ら解決が得られていないように思えます。

190504a 何にしてもこの作品の初演の事情なり、レコーディングの存在を知らなけらばこれがカラヤンの指揮だと気が付くのは難しいのではと思いました。オルフと言えば最初に思い当たるのは「カルミナ・ブラーナ」かもしれません。ナチス時代のドイツでは退廃音楽として排斥された音楽家の穴を埋めるようなポジションだったこともあって他にもいくつも作品はあり、いつだったか(平成になってしばらくの頃か)ルチア・ポップのディスコグラフィを見ている時にオペラの「月」、「賢い女」といった作品があるのを知りました。この作品、「時の終わりの劇」はオルフ独自の創作ジャンルと言えるのか「世界劇」として、「アンティゴーネ(1949年)」、「暴君エディプス王(1959年)」、「プロメテウス(1968年)」に続く四部作の四つ目として作曲されました。

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昭和40年代生まれ、オットー=クレンペラーの大フアンです。クレンペラーが録音を残したジャンルに加え、教会音楽、歌曲、オペラが好きなレパートリーです。

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