raimund

新・今でもしぶとく聴いてます

指:ダニエレ・ガッティ

27 7月

パルジファル・2009年バイロイトのFM放送から ガッティ、藤村

220727aワーグナー 楽劇「パルジファル」

ダニエレ・ガッティ 指揮
バイロイト祝祭管弦楽団 
バイロイト祝祭合唱団

パルジファル:クリストファー・ヴェントリス(T)
グルネマンツ:ユン・クワァンチョル(Bs)
アンフォルタス:デトレフ・ロート(Br)
クンドリ:藤村美穂子(Ms)
クリングゾル:トマス・イェサツコ(Br)
ティトゥレル:デゲデス・ランデス(Bs)
第一の聖杯守護の騎士:アルノルド・ベゾイエン(T)
第二の聖杯守護の騎士:フリーデマン・レイリヒ(BS)、ほか

(2009年8月2日 バイロイト祝祭劇場 ライヴ録音 バイエルン放送協会/NHK・FM)

220727c 七月も終わりに近づいています。天神祭、祇園祭よりもバイロイトがちょっと気になります。それでドイツになんか簡単に行けない身としては、過去にFM放送を録音したバイロイトの公演を聴こうと思い立ちました。VHSビデオデッキ、レーザーディスクプレーヤー、DATテープデッキといった機器は既に製造販売は中止になりました。過去の遺物となったそれらの中で、DATデッキは平成11年頃にパイオニア製のものを購入してNHKFMで年末に放送されているバイロイト音楽祭の公演を録音するのに使いました。2001年、2002年、2009年、2014年はまとまったかたちで残せて、特に2009年はeo光の光テレビのサービスでFM放送も聴けたので、雑音がほぼ無い状態で録音できました。それで2009年のパルジファルを再生して聴きながらデジタルレコーダーでSDカードに保存録音しました。最初にDATテープに記録する際はロング・プレイ(LP)モードでしか全部を録音できなかったので、サンプリング周波数をCDディスクと同じにできませんでした。だからSDカードへ録音する際はアナログ接続でやっているわけです。

220727b さて2009年(平成21年)のバイロイト音楽祭は指環四部作、トリスタン、マイスタージンガー、パルジファルが演目で、いずれも新演出ではなかったようです。パルジファルはイタリア人のダニエレ・ガッティが指揮ですが21世紀になって非ドイツ語圏出身でも別に珍しくありません。番組中の解説(東条氏)でもふれられていたオーケストラの透明な響きの美しさはこういう媒体を介しても格別で、この作品らしいのかどうかはともかくとして、クリンクゾルでさえ浄化されて聴こえます。この年の演目でコーラスが活躍する場面は限られているのでパルジファルでのバイロイト祝祭合唱団のすばらしさが目立ったと解説でふれられていました。

 独唱陣の中で目立ったのはクンドリの藤村さん、グルネマンツのユン・カンチョルと言えばアジア人の身贔屓かもしれませんが、二人とも斬新さも感じられてよかったと思いました。2009年の公演について今更ですが、クンドリは人間らしさが終始感じられてエキセントリックな面が後退して逆に良かったと思います。グルネマンツは解説で往年のホッターかと一瞬だぶって聴こえたという評がありましたが、声質からちょっと若々しさも感じられて、そっちの方に惹かれました。舞台演出では最後にグルネマンツとクンドリの間に少年が手をつないでいる姿出るので、二人は結ばれるのだろう(という演出)と解説していて、この二人の歌唱、声だったらそういう演出もはまりそうだと思いました。ガッティ指揮のパルジファル は2013年ニューヨークの舞台が映像ソフトで出ていました。キャストも演出も違います。演奏、音楽はこのバイロイトの方がより清々しく、明るい印象なのは会場の音響のおかげかどうか。

220727 会場の反応は第一幕が終わった後にブーイングが目立ち、第二幕も結構騒々しい反応でしたが第三幕が終わった時は案外静かでした。第二幕はパルジファルが聖槍を投げてハーケン・クロイツの旗(ナチのあれ)が壊れるという演出が癇に障ったのか、今更という白々しさなのか、ナチスの時代をクリンクゾルの魔法による一過性のものととらえるかのような軽さが反感を生んだのか、いかにもバイロイトらしい騒々しさのようでした。ちなみ第三幕はベルリンの国会議事堂内部が舞台になっていたそうで、やっぱり神秘的な舞台とは程遠いようです。
12 4月

トリスタンとイゾルデ シャーガー、ニコルズ、ガッティ、ローマ歌劇場

200412ワーグナー  楽劇「トリスタンとイゾルデ」

ダニエーレ・ガッティ 指揮
ローマ歌劇場管弦楽団
ローマ歌劇場合唱団(合唱指揮ロベルト・ガッビアーニ)

トリスタン:アンドレアス・シャーガー(T)
イゾルデ:レイチェル・ニコルズ(S)
ブランゲーネ:ミシェル・ブリート(Ms)
マルケ王:ジョン・レリエ(Bs)
クルヴェナール:ブレット・ポレガート(Br)
メーロト:ジョン・レリエ(T)
牧人:グレゴリー・ボンファッティ(T)
舵取り:ジャンフランコ・モントレソール(Br)
若い船乗りの声:ライナー・トロスト(T)

*シャンゼリゼ劇場、オランダ国立オペラ共同製作
演出:ピエール・オーディ
ドラマツルギー:ヴィレム・ブルルス
舞台、衣装:クリストフ・ヘッツァー
照明:ジャン・カルマン
映像:アンナ・バーチュ
映像監督:アンナリサ・ボット

(2016年 ローマ歌劇場 ライヴ収録 C Major)

 先日の昼食時に京都府も緊急事態宣言の対象に加えるように要望か請願をしたというニュースが話題になっていました。遅いとか休業が強制されるのかとかその他色々切実な声があり、夜の営業が困難になる飲食店ではとりあえずテイクアウトも可とか苦肉の策をとるところが増えています。自分の周りでも在宅勤務奨励、移動制限と強調され出したので一層緊迫してきました。裁判所が「不要不急の破産はやめて」とか言って炎上したとか、混乱ぶりがうかがえるニュースが続きます。それはそうとバイロイト音楽祭も中止になったそうなので、今年の年末のFMは何を放送するのだろうかとふと思いました(そもそも年末には灰になっているかもしれないのにつまらん心配をしてどうなるかと)。

200412b 今年に入って視聴したオペラの映像ソフトはダニエレ・ガッティ指揮のものが続きました。バイロイト音楽祭にも登場したガッティ(Daniele Gatti, 1961年11月6日 - )はイタリアのミラノ出身の上にミラノ音楽院で学んでいるのでイタリア・オペラもレパートリーに入っています。そう思っているうちにムーティ辞任後に空席になっていたローマ歌劇場の音楽監督に就任しました。今回のトリスタンはそのローマ歌劇場の上演でした。ブランゲーネのミシェル・ブリートは2009年のバイロイトでも同役を歌っていました。イゾルデのレイチェル・ニコルズはカンブルラン指揮の読売日本交響楽団の演奏会形式(2015年)でイーヴェンの代役でイゾルデを歌っています。

200412a それよりもこのソフトの購入動機はアンドレアス・シャーガーがトリスタンをやる、というその一点が大きくて、ほとんどそれだけで即決でした。ジークフリート・イェルザレムのように見栄えのする舞台姿(今回観て少々肥えたか??)に加えて高音で震えるようになるやや癖のあった
イェルザレムや、ラリったようになるランス・ライアンと違って綺麗な発声で高音も出ているのが魅力です。古い録音で聴くヴィントガッセンを思い出すようで、このトリスタンでも特に第一、二幕が魅力的です。この公演は彼だけでなく他の男声陣も皆素晴らしくて、特にマルケ王のジョン・レリエは外見・演技、歌唱ともに素晴らしくてシャーガーをしのぐ程の存在感でした(好みにもよるが二枚目度もかなり)。それにクルヴェナールのポレガートもトリスタン他のキャストと並んでもよく引き立てあっています。

 面白いと思ったのが、杖をつき、曲がった腰の老人スタイルで登場したメーロト(自分はメロートと覚えていたけれど、字幕をはじめメーロトと表記されている方が多い、また覚え間違ったか・・・)は、テノールの声とその演出による外見のギャップから強烈な印象でした。通常のメーロトなら何となく薄っぺらい印象を受けかねないところが、戦闘の負傷の後遺症か先天的なのかそういう不自由そうな姿から色々背景を想像させられ、トリスタンとの溝を感じさせます。こうした男声陣に比べると女声の方はやや控え目な印象です。

 イゾルデは第三幕最後の「愛の死」では、背後からスクリーン越しの照明に当たって正面が黒い影で覆われて顔が全く見えないという状態で歌っていたのが衝撃でした。歌の方は立派でもその場面の表情も肝心じゃないかと思えて、そこは微妙でした。ブランゲーネの方は絶命直前までイゾルデを心配する演技が光っていました。演出も好評だったようですが第一幕から暗い場面が多く、舞台セットも簡素で象徴的なもので、解説によるとトリスタン、イゾルデの愛はプラトニックな要素に重点を置いているようでした。それはそもそも秘薬はどうなのかと思いますが、全体的に演奏、衣装、舞台のセット、演出も統一感があって素晴らしいものでした。
8 4月

ドン・カルロ ガッティ、スカラ座/2008年

200406ヴェルディ 歌劇「ドン・カルロ」四幕

ダニエレ・ガッティ 指揮
ミラノ・スカラ座管弦楽団
ミラノ・スカラ座合唱団(合唱指揮ブルーノ・カゾーニ)

ドン・カルロ:スチュアート・ニール
エリザベッタ:フィオレンツァ・チェドリンス
エボリ公女:ドローラ・ザージック
ロドリーゴ:ダリボール・イェニス
フィリッポ二世:フェルッチョ・フルラネット
宗教裁判長:アナトーリ・コチェルガ
修道士:ディオゲネス・ランデス
テバルト:カルラ・ディ・チェンソ
レルマ伯爵:クリスティアーノ・クレモニーニ
国王の布告者:カルロ・ボージ
天の声:イレーナ・ベスパロヴァイテ
フランドルの使者たち
フィリッポ・ベットスキ
ダヴィデ・ペリッセロ,
エルネスト・パナリエッロ
イム・チェジュン
アレッサンドロ・スピーナ
ルチアーノ・モンタナーロ

演出、舞台装置:ステファン・ブロンシュウェイグ
衣裳:ティボー・ファン・クレーネンブロック
照明:マリオン・ヒューレット

(2008年12月7日 ミラノ・スカラ座 ライヴ収録 Hardy Classics)

 緊急事態宣言の影響か、昨夕はJR京都駅前やら烏丸通が歩行者、車両ともにかなり少なくて、盆の朝のようにガラガラでした。それから8日朝は阪神高速京都線を通ったところ、自分の車の前に一台しか走行しておらず、後続も全然来ませんでした。早い時間帯でもこんなことは初めてでした。京都市内の中心部でマンションやらホテルを建設している業者は大阪から来ているところも多く、それ以外でも大阪、河内、和泉ナンバーは多数見かけていたので、これが入ってこなくなると色々影響が出てきます。逆に、日常的に大阪方面との行き来は密だったので、京都南部もさらなる感染拡大のおそれ大でしょう。それにしても午前6時頃からドラッグストアの前に人が何人か並んでいるのには驚きます。

 先日ガッティ初期のレコーディング、マーラー第4番を聴いてCDの冊子に使われた彼の写真を見て、その若さと頭髪の多さに感じ入っていました。今回のスカラ座でのドン・カルロはそこから九年後になり、ピットが映る際に彼の指揮姿も見えて、大分貫禄が出てきたように見えました。ガッティとスカラ座は翌2009年秋に来日公演を行っており、ドン・カルロも演目に入っていました(あとアイーダも)。その際とキャストは同じではなく、エリザベッタとフィリッポ二世は全く重ならず、カルロも大半がヴァルガスになっていたようです。

 2009年来日公演のドン・カルロの批評の中には大したことないというニュアンスのものを見かけましたが、前年の収録のこれはかなり見事で特に主要キャストの歌は素晴らしいと思いました。フィリッポ二世のフルラネット、カルロのスチュアート・ニール、ロドリーゴのダリボール・イエニス、彼ら男性陣は歌も演技等も役柄にぴったりで、欲を言えばニールが炎鵬くらいの横幅だったらと視覚的には思いました。
第四幕でフィリッポ二世と宗教裁判長言い合うところでは裁判長のアナトーリ・コチェルガも際立っています。フィオレンツァ・チェドリンスのエリザベッタ、ドローラ・ザージックのエボリらの女声陣も衣装からして素晴らしいと思いました。視覚的にはエリザベッタの方が高貴でエボリはちょっと嫌な役過ぎると見えてしまうようで、もう少し見た目が拮抗していてもと思いました。

 演出ではカルロとエリザベッタが幼い頃の様子を表現するために子役男女を舞台に出しているのが目に付き、ミラノ・スカラ座で上演する四幕版では五幕版の第一幕、フォンテンブローの森の場面が無いため、それの代わりに物語を補足するためのようですが最初は何ものが出てきたのかと思い、あまりピンときませんでした。それでも視覚的に面白いと思えて、陰気なストーリーが幾分緩和されるような気がします。第四幕で民衆が殺到する場面では国王との距離が近いところにまで押し寄せているのに驚きますが、舞台の広さにも限りがあるのでそのようになるのでしょう。最後は先代国王が実際に舞台に現れていて分かり易かったものの、オカルト的な結末は微妙な感じです(こういう作品だから仕方ないにせよ、数々の素晴らしい歌からすると結末がどうも)。
22 3月

マーラー交響曲第4 ガッティ、ロイヤルPO/1999年

200322マーラー 交響曲 第4番 ト長調

ダニエレ・ガッティ 指揮
ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団

ルート・ツィーザク:ソプラノ

(1999年1月20,21日,31日,3月31日 ロンドン,ヘンリー・ウッド・ホール 録音 BMG Japan/RCA)

 京都市の市街地でも桜が咲き始めたそうで、比良八講の荒れ終いもあったかどうか分からないうちに妙な陽気になりました。しかし相変わらず新型コロナ禍のただ中にあることに変わりはなく、夕方某地下鉄駅前の駐車場に戻ると自分のとめた車だけがポツンとあって、それ以外の20台くらいのスペースが空いていました。日没直後くらいの時間帯にここまでガラガラなのをはじめて見て、やはりマイナスの影響がそこここで噴出していると実感しました(お昼に入ったラーメン屋はそこそこ混んでいたのでまだ大丈夫かなと思ったのに)。それに京響の三月定期も公演中止になったようで、ミサ休止も延長されています。

 中止になった三月定期のプログラムにはマーラーの交響曲第4番が入っていたこともあり、三月に入る頃から何度かこの曲を聴いていました。今回はダニエーレ・ガッティがレコーディングを始めた頃の何作品目かにあたるセッション録音を聴きました。この曲もかなりの数の録音が積み挙げられているので余ほどのことが無い限り、過去の巨匠と並んで記憶されるのは難しそうです。2017年6月に合本版が出た「名曲名盤500 レコ芸編」のマーラー第4番の頁を開いてみると、ガッティ・ロイヤルPOはリストに挙がっておらず廃盤状態のようでした。

ガッティ・RPO/1999年
①17分28②11分04③21分23④9分47 計59分32
ブーレーズ・CO/1998年
①15分17②09分31③20分00④8分44 計53分32
ギーレン・SWRSO/1988年
①16分53②10分29③20分52④8分09 計56分23
バーンスタイン・ACO/1987年
①17分38②10分14③20分34④8分42 計57分08

 同コンビのマーラー第5番を聴いた後で第4番も録音していたのを知って中古品で購入しました。このCDは1961年生まれのガッティが1999年に録音したので、ガッティが中堅にさしかかる時期にあたり、演奏時間を見ると勢いにまかせるという風では無くて、レヴアインがマーラーの第9番をフィラデルフィアと録音した時のように、じっくりと隅々までコントロールした念入りな演奏という方向性で、聴いた印象はそれよりももっと繊細で特に第3楽章は空中を漂うな趣が感じられます。合計時間がバーンスタインの再録音より2分以上長いというのは多くないのではと思います。

 第1楽章冒頭の鈴の音が地味で、盛大に響かない独特なものなので特別な楽器を用意したのかもしれません。たまたまこれの前にジンマンとチューリヒ・トーンハレの同曲を聴いていたので、それの艶めかしく、時々CDジャケットに使われるクリムトとかの絵画を思わせる鮮烈な響きに比べて地味で、色の種類が少ない水彩画のような印象です。四つの楽章の中では第2、第4が印象深くて、それらは一度聴いてすぐに再生し直したくらいです。ソプラノのツイーザクもややこしい歌詞を中和?して、とても魅力的に聴こえます。どんな録音にも言えるのかもしれませんが、このガッティ初期のマーラー第4番も埋もれるには惜しい内容だと思いました。
4 2月

マーラー交響曲第2番 ガッティ、RCO/2016年

200204マーラー 交響曲 第2番ハ短調「復活」

ダニエーレ・ガッティ 指揮
ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団
オランダ放送合唱団(合唱指揮クラース・ストック)

チェン・レイス(S)
カレン・カーギル(Ms)

(2016年9月14-16日 アムステルダム,コンセルトヘボウ ライヴ収録 Rco)

 令和に元号が改まってからのある日、チルチルミチルとは何のことだったかと思い浮かべたことがありました。人名だということくらいは思いあたりますが、一人ではなく兄妹だということまでは覚えておらず、むしろその名を使った商品名、店名の方がちらつきます。実はたまに行くことがある戸籍上は女性ではないママ(確認してはいないが外見も女性ではない)が切り盛りするスナックのような店が祇園にあり、そこの店名がそれに似ているので不意にチルチルミチルを思い出しました(ミチルの店だからチルチルミチルというネイミングじゃなかった)。

 これはダニエーレ・ガッティとロイヤル・コンセルトヘボウ管のマーラー、復活交響曲をライヴ収録したもので映像ソフトとSACDの両方で出ていました。HMV等のHP掲載のソフト紹介には “ スコアに忠実”を貫いたガッティは、合唱の歌い始めを立ち上がらず ” 演奏させたとなっていますが、最初に視聴した際にはそこを見逃してしまいました。しかし、“「静寂」を際立たせて ” という点はなるほどと思い、終楽章だけでなく全体的に激しさ、派手さが前面に出ていないところが際立ちます。それに久しぶりに聴いたからか第4楽章の感銘度が身震いものでした。

 アバド、メータも若い頃にはこの曲を得意としていたようで、アバドとシカゴSOのレコードは昔よく聴いていて、復活交響曲といえば未だにアバドのレコードによる刷り込まれがかなり残っています。曲に対するそういうイメージからは距離のある演奏ですが、聴いていると「原光」(第4楽章)、復活賛歌(第5楽章)の歌詞に関心が行きました。

 ガッティは現在ローマ歌劇場の音楽監督ですが、その直前まではロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団の首席でした。なんでもセクハラによって解任されたそうなので、例えば大阪府知事をつとめたY山Nック並みの弁解できない所業だったのか、このマーラーを視聴するにつけ全曲収録はもはや無理なのだろうなと残念に思います。その後ローマ歌劇場にポストを得ているようなのでオペラのソフト等に期待します。
5 1月

ファルスタッフ マエストリ、ガッティ、チューリヒ歌劇場/2011年

200105ヴェルディ 歌劇「ファルスタッフ」

ダニエレ・ガッティ 指揮
チューリッヒ歌劇場管弦楽団
チューリッヒ歌劇場合唱団

ファルスタッフ:アンブロージョ・マエストリ(Br)
アリーチェ・フォード:バルバラ・フリットリ(S)
フォード:マッシモ・カヴァッレッティ(Br)
クイックリー夫人:イヴォンヌ・ナエフ(Ms )
メグ・ペイジ夫人:ユディト・シュミット(Ms)
ナンネッタ:エファ・リーバウ(S)
フェントン:ハビエル・カマレナ(T)
バルドルフォ:マルティン・ツィセット(T)
ピストーラ:ダヴィデ・フェルジーニ(Br)
医師カイウス:パトリツィオ・サウデッリ(T)

演出:スヴェン=エリク・ベヒトルフ
装置:ロルフ・グリッテンベルク
衣装:マリアンネ・グリッテンベルク
照明:ユルゲン・ホフマン

(2011年3月 チューリッヒ歌劇場 ライヴ収録 C Major)

200105b 新年あけましておめでとうございます。こちらのブログではこれが今年一回目の更新になります。今年は12月30日から三が日と五日間完全に休みました。しかしその割に正月らしい風情は無くて、元日はククレカレー甘口を食べたりしていました。昔のCMのフレーズ、「おせちもいいけどカレーもね」と古来の習わし、「三が日は煮炊きしないもの」を言い訳にしながら、箱ごとレンジで温められる最近のレトルトカレーの進化を実感しました。テレビ番組では塩野七生が母校学習院の高校生相手に質問にこたえるという形式の公演を収めた番組とニューイヤーオペラ(今年は藤村さん欠場)をチャンネルを変えずに観たくらいでした(あとはリアル野球盤、相棒の正月版を部分的に)。

200105a ヴェルディの「ファルスタッフ」は日本の狂言の笑いに通じるようなところがありそうで、物語よりも音楽自体にそういう魅力がありそうだと思いながら、この年末から正月もこのガッティとチューリヒ歌劇場のソフトをちょくちょく視聴していました。この公演はファルスタッフ、アリーチェをはじめ各キャストが揃っていて音楽だけでもかなり魅力的です。ガッティ指揮のオーケストラもメトのパルジファルの時とは違って快活なテンポになっています。この頃は後に自身がロイヤル・コンセルトヘボウのポストを退かなければならなくなるような事態になるとは思っていなかったことでしょう。個人的に何の作品であっても女声の方に関心が行きがちなので、ナンネッタのリーバウが目立っていたので過去記事で扱ったものの中に彼女が出てなかったか調べたところ、どうも見つからず、もっと色々出演しているはずなのに残念でした。

 演出の方はガーター亭とか森とかの場面を特に強調せずに、簡素なセットで表現されていますが何故か好印象です。衣装から見ても完全に現代を舞台にしている風でもなく、視覚的に曖昧な設定なので却って登場人物に注意が行くのか、作品の雰囲気によく合っていると思いました。終演後の客席の反応も良好でしたが、フィナーレ部分が案外あっさりしていたのに盛大な拍手と歓声だったのはさすがに客の層が良い、作品をよく消化しているということなのかと思いました。

 割と新しいファルスタッフの映像ソフトは大抵がマエストリがファルスタッフ役になっています(メト、パルマ、ウィーン、ちょっと前ながらムーティとスカラ座 etc)。しかし、この役には例えばオテロのような圧倒的な声、歌が要求されるとも言えないのに、ファルスタッフ自身が地味だったら始まらないという独特の存在感で、ドン・ジョヴァンニの喜劇版くらいです。クレンペラーはドン・ジョヴァンニについて作品、他の登場人物の公分母だと解釈していました。ただ、ファルスタッフの場合はナンネッタとフェントンは直接危害を加えられていない(ターゲットになっていない)のでドン・ジョヴァンニ程の公分母と言えないでしょう。
18 6月

ヴェルディのアイーダ ボーダ、ウルマーナ、ガッティMET

180618aヴェルディ 歌劇「アイーダ」

ダニエレ・ガッティ 指揮
メトロポリタン歌劇場管弦楽団
メトロポリタン歌劇場合唱団

アイーダ:ヴィオレータ・ウルマーナ(S)
ラダメス:ヨハン・ボータ(T)
アムネリス:ドローラ・ザジック(Ms)
アモナズロ:カルロ・グエルフィ(Br)
ランフィス:ロベルト・スカンディウッツィ(Bs)、他

演出:ソニヤ・フリゼル

(2009年10月24日 ニューヨーク,メトロポリタン歌劇場 ライヴ 収録 DECCA)

 今朝の地震が発生した時刻はちょうど車を運転中だったので全くゆれに気が付きませんでした。ラジオの速報と携帯に届く緊急速報が無ければずっと分からなかったはずです。職場事務所に着くとビルのエレベーターが停止していてのと、室内机上のスティック糊が床に落ち、マリアさまの御像が倒れていたくらいの影響でした。自宅に帰ってみると棚が倒れたりなどはなくて、見たところ大きな変化はありません。ただ、CDラックの中で片側に立てかけていたものが倒れたり、一応揺れたことは分かる痕跡はありました。余震のおそれはあるものの現在のところはこれくらいで済んで助かりました(慶長の大地震の時は滋賀県にかけても大きな被害があったのでまで分からない)。

180618b さて、このブログ(前身はOCN)を始めた2010年もサッカーワールドカップが開催される年で、日本代表の初戦前にアイーダのCDを聴いていました。なんの因果関係もないけれどもその大会はグループリーグを突破したので縁起が良い(ゲンがいい)ので、それ以来W杯の際にはアイーダを聴くことを心掛けていました。今回は視聴環境を変えたので映像ソフト(アイーダはこれ一種類のみ)にしました。ニューヨークのメトロポリタン歌劇場の大きな舞台空間を利用した大掛かりなセット、分かり易い演出ということですが何故か悲劇感が切々とは迫って来ない内容です。ちなみにこれを購入したのは4年程前で塔のワゴンセールか何かで1000円を切る値段でした。

 そんな扱いだったということは人気が無かったのか、しかし音楽だけなら素晴らしくて特にラダメスのボーダとアイーダのウルマーナは迫真でした。それ以外の主要キャストもそろっているのでむしろ音だけのCDでも良かったと思うくらいでした。そうは言ってもアイーダの演出はあまりひねっても良くならないというのか、幅が広くないと思えるので、よほどのアイデアが無い限り概ねこういう舞台になるのではと思いました。

 アイーダとラダメスとアムネリスの三人はなかなか立派な体格で目立ちますが、メトの映像ソフトではこうした(アンコ型系)スタイルの歌手をよく見かける気がします。あれだけの広くて天井が高い舞台空間で十分に響かせて歌うのは並みの声量では難しいはずなので、まずそれをクリヤーさせるとそういうことになるのかと邪推をしてしまいます。メトの常連・古株なドナルド・キーン氏が著作の中で、ヨナス・カウフマンについて評判程ではないと厳しいコメントをして、特にその声量について不安を感じているようでした(往年のテノール、メルヒオールも外見はその、あれだったとか、だから今回のアイーダも立派な歌唱だからそれで良いということか)。
25 4月

マーラー交響曲第5番 ガッティ、ロイヤルPO/1997年

180425aマーラー 交響曲 第5番 嬰ハ短調

ダニエレ・ガッティ 指揮
ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団

イアン・バルメイン:トランペット
ジョン・ビムソン:オブリガートホルン

(1997年11月15-17日 ロンドン,ヘンリー・ウッド・ホール 録音 Ariola Japan/RCA)

 昨日、プロ野球の元広島カープの衣笠選手の訃報が流れました。改めて最近の写真をみると年齢以上の老いというか弱りが見てとれ、衝撃が走りました。現役時代の衣笠選手といえば近鉄との日本シリーズや、外木場、北別府、大野、川口、高橋、正田らが居た頃のカープが記憶に残っていて、それくらいで時間が止まったような感覚なのでカープフアンじゃないのにショックを受けました。市民球場時代のカープの応援はしゃもじを叩く音がラジオ中継からも聞こえたような覚えがあり(間違いかもしれん)、改めて年月が流れたことを思い知りました(ジャイアント馬場の訃報を聞いた時と同じくらい)。

180425b ダニエレ・ガッティと同じくイタリア出身(あるいはイタリア系)のファビオ・ルイージやアントニオ・パッパーノは同世代であり、ガッティが少し若くて1961年の生まれでした。ティーレマンやウェルザー・メストも同じくらいの年代の生まれでしたが、何となくティーレマンが抜きん出て年長のような(外見は別にして)先入観がありました。このCDの解説にはガッティとウェルザー・メストとティーレマンがウィーン国立歌劇場の若手三羽烏的な存在云々と書いてあり、こういう世代が共通していることに気が付きました。これは店頭でたまたま見つけた国内盤で、実はそれまで存在自体を全く知りませんでした。平成9年録音ということは翌年くらいの新譜なので自身が苦境にある時期だったことが思い出されます。

 新譜当時話題になったCDだそうですが「名曲名盤500(レコ芸編)」最新版ではリストにもれていました。しかし「月評特選盤1980-2010年 交響曲編の下巻」をめくってみると、レコ芸1998年6月号では特選になっていました(評者:小石、宇野の両氏)。宇野氏は前半の三つの楽章を非常な名演として第4、5楽章に不満がある批評になっていました。その有名なアダージェット楽章について小石氏の方はトスカニーニやカンテルリが指揮すればこうなるのではないかと評してあり、なるほどとと特にカンテルリの方がそうかもしれないと思いました。

ガッティ・ロイヤルPO/1997年
①13分06②14分12③17分19④10分13⑤14分57 計69分47
ブーレーズ・VPO/1996年
①12分52②15分02③18分12④10分59⑤15分12 計72分17
ギーレン・SWRSO/2003年
①13分10②14分50③16分10④08分30⑤15分37 計68分17

 
今回初めて(正真正銘これが初めて)これを聴いてみると終楽章がおとなしめで、ちょっと物足らない印象でしたが第4楽章とちょうどいいバランスだと思い、この曲の演奏として珍しいタイプではないかと思いました。第4楽章のアダージェットがどういうわけか第9番の終楽章に似た音楽に聴こえて、時々この楽章に対する批判として聞かれる「サロン音楽のように」通俗的とかそうした印象の対極の格調高いものだと思いました。そういうわけで個人的には第3、4楽章が特に素晴らしいと思い、既存の作品に対するイメージが変わるような刺激がありました。演奏時間、トラックタイムを見てみると冷血系の二人、ギーレンとブーレーズの間に収まっていました。

 ガッティはオペラの映像ソフトが色々出ている他はCDの方ではフランス国立管弦楽団との録音があるくらいで、一人の作曲についてまとまった規模の録音はないようですが、今頃になってこのマーラーを聴いて、あらためて彼のマーラー演奏が気になりだしました。
26 6月

ワーグナー 「パルジファル」 カウフマン、ガッティ、メト・2013年

160625ワーグナー 楽劇「パルジファル」

ダニエレ・ガッティ 指揮
メトロポリタン歌劇場管弦楽団
メトロポリタン歌劇場合唱団

パルジファル:ヨナス・カウフマン(T)
グルネマンツ:ルネ・パーぺ(Bs)
アンフォルタス:ペーター・マッテイ(Br)
クンドリ:カタリーナ・ダライマン(Ms)
クリングゾル:エフゲニー・ニキーチン(Br)
ティトゥレル:ルーニ・ブラッタベルグ(Bs)
第1の聖杯騎士:マーク・ショーウォルター
第2の聖杯騎士:ライアン・スピード=グリーン
160625c第1の小姓:ジェニファー・フォルニ
第2の小姓:ロウレン・マクニース
第3の小姓:アンドリュー・ステンソン
第4の小姓:マリオ・チャン
アルト独唱:マリア・ズィフチャク
~ 花の乙女たち
キエラ・ダッフイ
レイ・シュウ
イレーネ・ロバーツ
ハエラン・ホン
カセリーネ・ホワイト
ヘーザー・ジョンソン

演出:フランソワ・ジラール
舞台装置:マイケル・レヴァイン
衣装:ティヴォ・ファン・クレーネンブロック
照明:デイヴィッド・フィン

(2013年2月 ニューヨーク,メトロポリタン歌劇場 ライヴ 収録 Sony Classical)

160625a ニューヨーク・メトロポリタン歌劇場のパルジファル、新演出は、たしかドナルド・キーン(帰化によってキーン ドナルド、鬼怒鳴門)氏がエッセイの中でかなり批判的に言及したのを読んだことがありました。だからこのソフトが時々キャンペーン中だとかで値下がりしていても見送っていましたが、ガッティの指揮だったので気になりあえて購入しました。視聴の結果、第二幕のグロさにはちょっと悪印象だったものの第一、三幕は舞台のシンプルさのためにキーン氏が指摘する程、つまり目を閉じて演奏だけ聴く方がいいとか、そこまでのトンデモ演出じゃないと思い、それどころか観終わると心地よい余韻が残りました。キーン氏は演出、舞台の視覚効果が「説明し過ぎる」とイマジネーションを働かせる余地が無くなるから良くない、という趣旨の批判をしていました。これは新バイロイト様式の1960年代くらいまでの舞台写真を見るとそうかもしれないとうなずかされます。

160625b このパルジファル、前奏曲の最中にスーツ姿の聖杯騎士団や主要キャスト、クリンクゾルの花の乙女連隊が並んで現れて来て、騎士団はネクタイを外して上着を脱いでたたみ揃えたところで第一幕に突入します。そういえば「ジーザス・クライスト・スーパースター」の映画もそんな風に始まりました(ヒッピー風のあんちゃんらがキリスト時代の衣装に着替えた)。ここでは上着をとった結果、白いカッターシャツ姿になり、ハイスクールの制服とイメージが重なり、中二臭がプンプンしそうでした。グルネマンツが厳格かつ現実的な教頭先生に見え、そんな矮小化しかねないイメージなのに舞台空間が広大なのと、がらんとした荒涼感のために妙に清新な印象を受けます。基本的に第一、三幕は世界のどの文明圏か判別が付きにくい、荒廃した野原のような光景が基本になり、中央にアンフォルタスの傷を象徴するような亀裂が映し出されます(三幕ではもはや赤い傷ではなくなる)。

160625d

 第二幕は床の全面に赤い液体が流してあり、寝台の上でクンドリに誘われたパルジファルが見る流血と共にこの幕全体(或いは作品の主題)の象徴のように扱われています。それと花の乙女らがワンレンの長髪で統一されているので貞子のクローン連隊のように見え、グロテスクさが増します。第二幕は特に暗めの照明だったのであまりどぎつく見えず、舞台上の動きも少ない(これは全作品を通じてそうだった)ので、二幕だけが浮き上がるようなことはなかったと思います。男声のキャストは誰もかなり感銘深く、クンドリのカタリーナ・ダライマンも終演後の拍手からも分るように熱演でした。それを前提にしつつも、クンドリは存在感があり過ぎ、声量も歌唱も圧倒的でクリンクゾルと対等くらいにみえました。第三幕の終わりでクンドリは聖杯を開帳して息を引き取るという原作に忠実な演出ながら、そこまでの熱演からはとうてい死ぬとは思えず、やや唐突な印象がありました。

 パルジファルのヨナス・カウフマンについては、キーン氏が評判程の圧倒的な声量ではないという辛口な批評だったので、個人的にカウフマンは(ローエングリンを聴いて以来)好きなので意外でした。このパルジファルでは登場した時から大人びた外見なので、何も知らないというパルジファルの設定とかけ離れて見えましたが、それは大抵の歌手でも少しはそんな風に見えるので仕方ないところだと思いました(クラウス・フロリアン・フォークトは一番浮世離れして見えるか
)。演出についてワーグナー晩年の関心事でもあった仏教の要素を取り入れたという解説を見かけたので、それに該当するところに注目していたら、聖杯騎士の手の所作、祈りの姿勢にそう言われれば仏像の手の型に似ていたり、キリスト教会のそれとはちょっと違うかな、くらいでした。ただ、第三幕で元・花の乙女と思われる女性が少し離れて並び、騎士団がアンフォルタスを抱えて来る姿が十字架降下図に似ているのに何故か汎神論的、非キリスト教的に見えました。

160625e 具体的にどういう団体、救済を描いているのか判然としないのに、何故か希望が増し加わる明るい結末のように感じられるのは音楽、演奏の効果かもしれません。終始ゆったりとしたテンポで通して、全曲で4時間半くらいになります。 それでもあまり重厚なという印象ではなく、終始明晰な響きで通しています。それだけに、第二幕でパルジファルがアンフォルタスの名を叫び、その苦悩に共感して理解するところなんかはちょっと軽くて、苦悩の程が伝わらないような印象です。でも第二幕は赤い液体のドロドロした感触が画面から迫ってくるのでこれくらいでちょうど良いのかもしれません。ガッティはバイロイト音楽祭でもパルジファルを振っていたので、その音源があれば聴いてみたいところです(年末のFM放送を録音したものの中にたしか無かったはず、今頃になって残念)。
17 6月

ドビュッシー 「聖セバスティアンの殉教」 ガッティ、フランス国立O

160617ドビュッシー 神秘劇 「聖セバスティアンの殉教(Le martyre de St.Sebastien)」

ダニエーレ・ガッティ 指揮
フランス国立管弦楽団
ラジオ・フランス合唱団(合唱指揮:マティアス・ブラウアー)

イザベル・ユペール(語り、聖セバスティアン)
処女エリゴーヌ、Vox Sola、天の声:ソフィー・マラン=デュゴール(S)
双子の兄弟マルク、Vox Sola:ケイト・アルドリッヒ(Ms)
双子の兄弟マルケリアヌス:クリスティーヌ・クノッレン(Ms)

(2009年4月9日 パリ,シャンゼリゼ劇場 ライヴ録音 Radio France)

 クロワッサンというパンは今では製造直販しているパン屋だけでなく、食パンやロールパン等と同じように売られているので入手し易くなっています。ある時洋菓子店でクロワッサンが並んでいるのでちょっと気になって、一度買ってみようと思っていました。それがたまたま店頭に残っているタイミングで立ち寄ったので二個(せこい)買って帰りました。翌日は早目に家を出るので一個くらいなら食べられるかと思いながらすっかり忘れて、家を出る時に手提げ袋にクロワッサンの包が入ったままだったのに気が付きました。それで置いて出て、夜になって戻ると普段パンはあまり食べない、一定の菓子パンしか口にしないという保守的な家族が晩飯の時に食べた、特別なクロワッサンなのがすぐに分ったと聞き、ただものじゃなかったと再認識しました。中に具が入ったものじゃなく、単なるクロワッサンなのにそこまで美味いと思わせるのかちょっと感心しました(この時点で自分はまだ口にしていない)。そもそもクロワッサンとは何もの?、主食のパンなのか菓子の類なのかと思ってググったら前者でした。ホテルの朝食に出て来るだけあって主に朝に食べる習慣のようでした。

 ドビュッシーの「聖セバスティアンの殉教」は管弦楽組曲の方で録音されることの方が多いようですが、時々声楽とナレーション付の版で録音しているものもあります。 その版でも全部が同じバージョンというわけではなく、今回のダニエレ・ガッティとフランス国立管弦楽団の新しい録音は、先日のアンゲルブレシュトによる演奏会版とは曲順、構成が違っています。後者がいきなり高らかなファンファーレで始まるのに対して今回のガッティの方は対照的に静かに、神秘的に始まっています。ファンファーレの方は中盤以降で登場します。ラストの方で現れる「アレルヤ」の連呼は共通しているものの、どうま収まりが悪いような妙な印象の内に全曲を閉じています。これはライヴ録音なので終演後の拍手も入っています。どうも熱狂的とまではいかない、普通の拍手といった感じです。

 「聖セバスティアンの殉教」は原典で完全版を演奏すると5時間くらいかかるということですが、メシアンが若い頃に聴いて感銘を受け、「アッシジの聖フランシスコ」に影響を及ぼしたようなことを言っています。ただ、短縮版を聴いているとどうも作品の内容、志向が違っているような気がします。フランシスコの方は作曲者が言うように、聖性とか信仰の方を向いていると実感しますが、セバスティアンの方は感覚的な神秘、耽美的な方向を向いているような印象です。そもそもLPのジャケットにも使われる聖セバスティアン、セバスティアヌスの姿は大抵きれいな青年がもろ肌脱いで縛られ、矢を身に受けています。かつての大関、朝潮や琴風のような顔で描かれているのは見たことはありません。

 その点でこの録音はナレーションを男声ではなく有名な女優を起用しているのが魅力のひとつです。そもそも初演時(バレエ、演劇を加えた神秘劇)にイダ・ルビンシュタインというユダヤ系女性ダンサーが聖セバスティアヌス役だったことからも作品のねらいがうかがえます(人種云々でなく、女性のダンサー)。そういう趣向が騒ぎを起こし、パリ司教の怒りをかったということなので時代の隔たりを感じます(フランス式の民法が出来ると忠孝がダメになると騒いだ日本を笑えない??)。ともあれ「神秘的」、「耽美的」という点ではこの新しい録音はいま一歩とも思えました。
22 7月

ドビュッシー 交響詩「海」 ガッティ、フランス国立管

ドビュッシー 交響詩 「海」 三つの交響的素描


ダニエレ・ガッティ 指揮
フランス国立管弦楽団


(2011年7月11-20日 パリ,バスティーユ・オペラ 録音 SONY)

 夕べは就寝前に残っていた「水出し煎茶」をがぶ飲みしたせいか、午前二時前に急にめが冴えて寝られませんでした。ワールドカップも終わりスケートもやってないので、テレビを観ても仕方なくまんじりともせず、そのうち空が白んで来ました。それでも多少は眠っているもので、日中は居眠り運転もせずに普通に過ごせました。水出しの煎茶もけっこうきくもので感心しました(モノは良いのだろうか)。運転といえば先日舞鶴若狭自動車道の小浜-敦賀間が開通し、今年度中には京都縦貫道の京丹波-綾部間も開通するので、宇治西ICから自動車道のみで敦賀まで行けることになります。

140722a シベリウス、ドヴォルザークに続き「涼しいシリーズ」で、ドビュッシーの「海」の新しい録音です。実はこのCD、間違って注文してしまったもので本当は同じドビュッシーでも「聖セバスチャンの殉教」が入ったものを選択したつもりでした。ところが届いたCDに「 La Mer 」とか書いてあるのが見え、注文した記録を確認したところ、こちらの押し間違いでした。そんな経緯だったのに聴いてみると相当素晴らしく、少なくとも音質だけでも稀な良好さだと思いました。弦楽器の艶というか、何というかドビュッシーの作品ならではの響きがうまい具合に入っています。カップリングは「牧神の午後への前奏曲」と管弦楽のための「映像(全3曲)」です。

 ガッティはオペラのソフトで名前をよく見るという程度の知識だけで、聖セバスチャンの殉教も声楽・劇的な作品だから悪くないと軽い動機選択しました。後になってちょっと調べると、1961年ミラノ生まれで、1990年代にはボローニャの歌劇場で音楽監督、とロンドンのコヴェントガーデンでは首席客演指揮者を務めていました。そう言えばドナルド。キーン氏がニューヨークでのパルジファルについてコメントしていたのを思い出しました。演出が変だからまわりの人も目を閉じて音楽だけを聴いていたとか、辛辣な内容でしたが演奏にはダメ出は無かったはずです。

140722b ダニエレ・ガッティは2008年から「フランス国立管弦楽団」の首席を務めています。このオーケストラは1934年にフランス国立放送管弦楽団(Orchestre national de la radiodiffusion Française)
として発足し、ジャン・マルティノンが音楽監督を務めた1968年から1974年までの期間にドビュッシーの管弦楽曲等の録音で有名でした。1975年から現在の名称になり、パリ管弦楽団とも違い、またヤノフスキが首席を務めていたフランス放送フィルハーモニー管弦楽団とも別の団体です(フランスのオーケストラは改組されたりで名前が結構変わり紛らわしい)。とにかくこのCDを聴いてガッティ-フランス国立管弦楽団のコンビに関心が湧きました。

La Mer, trois esquisses symphoniques pour orchestre
De l'aube a midi sur la mer(海の夜明けから真昼まで)
Jeux de vagues(波の戯れ)
Dialogue du vent et de la mer(風と海の対話)

 この曲は1903年から1905年にかけて作曲され、同年10月15日にカミーユ・シュヴィヤール指揮、コンセール・ラムルー管弦楽団によって初演されました。ドビュッシーは前年の1904年に妻を捨てて別の女性にはしるというスキャンダルを起こし、世間の風当たりが強く、それが初演にも影響していました。1904、1905年はマーラーが交響曲第6番、第7番を作曲した時期でした。なんとなくドビュッシーの方が古いという刷り込みがありました。

 ところでドビュッシーの管弦楽曲ならマルティノンとフランス放送管、ラヴェルならクリュイタンスとパリ音楽院管という棲み分けというか売り分けの構図が見られました。ドビュッシーらしい演奏とか、ドビュッシー的なというのはここ数十年で変化しているのだろうかと思います(ドビュッシーの新譜が出てもそれ程注目していなかったのでよく分かりません)。

QRコード
QRコード
タグクラウド
タグ絞り込み検索
最新コメント
アクセスカウンター
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

アクセスカウンター
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

プロフィール

raimund

昭和40年代生まれ、オットー=クレンペラーの大フアンです。クレンペラーが録音を残したジャンルに加え、教会音楽、歌曲、オペラが好きなレパートリーです。

メッセージ

名前
本文
アーカイブ
twitter
記事検索
カテゴリ別アーカイブ
  • ライブドアブログ