オットー=クレンペラー 指揮
フィルハーモニア管弦楽団
フィルハーモニア合唱団
エリーザベト・シュワルツコップ(S)
ディートリヒ・フィッシャー・ディースカウ(Br)
ラルフ・ダウンズ(オルガン)
(1961年1月2日,3月21,23,25日,4月26日 ロンドン,キングズウェイ・ホール 録音 EMI)
クレンペラー(Otto Klemperer 1885年5月14日 - 1973年7月6日)の没後50年のメモリアル年も近づいています。あと少しなのでそれまではブログ更新を続けるつもりです。ところで、お馴染みのクレンペラー本・「クレンペラーとの対話(P.ヘイワーズ編)白水社」の翻訳者である佐藤章氏は、1963-1964年のシーズンにロンドンでクレンペラーとフィルハーモニア管弦楽団の公演をしばしば聴いたと巻末に書かれてあり、コヴェントガーデンでのクレンペラー指揮のローエングリンにも感動して一晩眠れなかったとも書かれています。そのローエングリンは海賊盤でも出たことはないはずなので、今世紀に入ってからのクレンペラーの未発表音源商品化の流れに乗って、映像は無理でもなんとかCD化されないものかと期待しています。
過去記事で複数回あつかったクレンペラーのドイツ・レクイエム(ブラームス)のモノラル版LPが手に入り、今迄にこの演奏を聴いた時よりも感銘深かったのでまた扱いました。それに、モノラルLPの音も魅力的だと思うので今更ながら注記したいところです。ステレオ録音のLPが出始めた頃、モノラル版もあわせてというか先行して発売されていたようです。コロンビア・英EMIのLPならSAX~という1960年代前半までの番号のステレオ盤には大抵の場合モノラル盤も併存しているようです。フィデリオ全曲盤のモノラルは克明で、力強いタッチのペン画のような印象で演奏のクレンペラーらしさを実感できるものでした。
今回改めて聴いていると、二人の独唱者だけでなくコーラスの魅力に圧倒される気がしました。最初にCD化されたものを聴いた際は(もう30数年前か)音質として張りぼて的、中に空洞ができたような肥大感のようなものを感じましたが、今回はもっと密度が詰まったコーラスの響きに感じられて全く感銘深いものがありました。合唱団員の多くは非ドイツ語圏だと推測できますが、作品の持っている「共同体の音楽(ベンジャミン・ザンダーがマーラーの音楽とブルックナーの音楽を比較して後者について指摘した呼称)」的な温和なものを実感させられます。バッハの作品に使われるコラール合唱なんかをドイツのコーラスが歌うの聴くと、冷たい強風が顔に吹き付けるような感じがする場合があり、ドイツ・レクイエムもそういうタイプの作品かと思っていましたが、今回聴いているともっと柔和で穏やかな、冬の風じゃなくて春の風という印象を気のせいか、うけました。
昭和40年代生まれの自分よりも年長の世代でクレンペラーの演奏をじかに聴いたり、初期・初出のレコードで聴いていた層の感想の中にブラームスのドイツ・レクイエムが良かったというコメントがちょくちょく出てきます。国内盤でクレンペラーのEMI盤がCD化されていく中でもドイツ・レクイエムは結構早い時期に出ていたのはそういう傾向を反映してのことかと思います。自分がクレンペラーとフィルハーモニアOのドイツ・レクイエムを最初に聴いたのはLPのリマスター再発売の輸入盤でした。CDの時代に成り切る直前、国内盤のLPが廃晩で入手不可能だった1980年代後半でした。その時の第一印象は今一つの感銘度で、メサイア、マタイ、ロ短調ミサを聴いた時の衝撃的な感銘深さを基準にすれば、ということですが、何か聴いていて自分の内側に浸透してくるものが少ない気がしました。今回はそういう作品に対する隔ての中垣のようなものが崩れた感がありました。
なお、モノラル専用のカートリッジやフォノ機器に付いているステレオとモノラルの切り替えスイッチで、ステレオのカートリッジとモノラルカートリッジで交互に聴いていたらステレオのカートリッジも結構良い音で聴けると思いました。
クレンペラー(Otto Klemperer 1885年5月14日 - 1973年7月6日)の没後50年のメモリアル年も近づいています。あと少しなのでそれまではブログ更新を続けるつもりです。ところで、お馴染みのクレンペラー本・「クレンペラーとの対話(P.ヘイワーズ編)白水社」の翻訳者である佐藤章氏は、1963-1964年のシーズンにロンドンでクレンペラーとフィルハーモニア管弦楽団の公演をしばしば聴いたと巻末に書かれてあり、コヴェントガーデンでのクレンペラー指揮のローエングリンにも感動して一晩眠れなかったとも書かれています。そのローエングリンは海賊盤でも出たことはないはずなので、今世紀に入ってからのクレンペラーの未発表音源商品化の流れに乗って、映像は無理でもなんとかCD化されないものかと期待しています。
過去記事で複数回あつかったクレンペラーのドイツ・レクイエム(ブラームス)のモノラル版LPが手に入り、今迄にこの演奏を聴いた時よりも感銘深かったのでまた扱いました。それに、モノラルLPの音も魅力的だと思うので今更ながら注記したいところです。ステレオ録音のLPが出始めた頃、モノラル版もあわせてというか先行して発売されていたようです。コロンビア・英EMIのLPならSAX~という1960年代前半までの番号のステレオ盤には大抵の場合モノラル盤も併存しているようです。フィデリオ全曲盤のモノラルは克明で、力強いタッチのペン画のような印象で演奏のクレンペラーらしさを実感できるものでした。
今回改めて聴いていると、二人の独唱者だけでなくコーラスの魅力に圧倒される気がしました。最初にCD化されたものを聴いた際は(もう30数年前か)音質として張りぼて的、中に空洞ができたような肥大感のようなものを感じましたが、今回はもっと密度が詰まったコーラスの響きに感じられて全く感銘深いものがありました。合唱団員の多くは非ドイツ語圏だと推測できますが、作品の持っている「共同体の音楽(ベンジャミン・ザンダーがマーラーの音楽とブルックナーの音楽を比較して後者について指摘した呼称)」的な温和なものを実感させられます。バッハの作品に使われるコラール合唱なんかをドイツのコーラスが歌うの聴くと、冷たい強風が顔に吹き付けるような感じがする場合があり、ドイツ・レクイエムもそういうタイプの作品かと思っていましたが、今回聴いているともっと柔和で穏やかな、冬の風じゃなくて春の風という印象を気のせいか、うけました。
昭和40年代生まれの自分よりも年長の世代でクレンペラーの演奏をじかに聴いたり、初期・初出のレコードで聴いていた層の感想の中にブラームスのドイツ・レクイエムが良かったというコメントがちょくちょく出てきます。国内盤でクレンペラーのEMI盤がCD化されていく中でもドイツ・レクイエムは結構早い時期に出ていたのはそういう傾向を反映してのことかと思います。自分がクレンペラーとフィルハーモニアOのドイツ・レクイエムを最初に聴いたのはLPのリマスター再発売の輸入盤でした。CDの時代に成り切る直前、国内盤のLPが廃晩で入手不可能だった1980年代後半でした。その時の第一印象は今一つの感銘度で、メサイア、マタイ、ロ短調ミサを聴いた時の衝撃的な感銘深さを基準にすれば、ということですが、何か聴いていて自分の内側に浸透してくるものが少ない気がしました。今回はそういう作品に対する隔ての中垣のようなものが崩れた感がありました。
なお、モノラル専用のカートリッジやフォノ機器に付いているステレオとモノラルの切り替えスイッチで、ステレオのカートリッジとモノラルカートリッジで交互に聴いていたらステレオのカートリッジも結構良い音で聴けると思いました。