ファヴィオ・ルイージ 指揮
9月に入っての結石騒動の続きで、先週もN赤病院へ行きました。この病院もいつの間にか完全予約制、かかりつけ医院の紹介経由が原則という制度になり、救急外来じゃなくても飛び込み初診なら数千円余計にかかります。その制度に移行してもかなり混雑しているのは医師の数とか制度上で問題があるのじゃないかと、昔から言われていますが相変わらずでした。桂文珍の新作落語(昭和末期)に病院の待合は老人ばかり、仲間内でいつもの人が居ないのは病気になった?、悪化したからか?「はよ(早く)元気になって病院に来れるように」という老人の台詞がオチになる、というものがあり、まさしくその世界です。世の中、色々利害としがらみが織り込まれて、医師を増やす、医学部の定員を増やすとか単純そうなところ程実現できないものなのでしょう。
ブルックナーの第8番、今回は初期稿です。個人的には初期稿の方に魅力を感じていて、クレンペラーの終楽章の独自カット演奏(EMIのセッション録音)は初期稿に通じるところがあると思っています。終楽章だけでなく、所々に聴き慣れた第2稿と違うところが現れて、どこかしら野暮ったさが漂います。インバルとフランクフルトRSOの全集以降、初期稿を採用したレオーディングは徐々に増えて、今世紀に入ってから一層数が増えています。演奏時間にけっこう幅があるのは反復省略とかも関係しているのかと思います。
今回のルイージの合計演奏時間は短い方ではなく、90分を超えています。第2楽章がやや長目(極端でない)というのも珍しいタイプです。それにこれの後にレコーディングした第4番もそうですが、ゆったりしたというだけでなく、特に冒頭部分でブルックナー作品に多用される開始(トレモロから、徐々に霧が晴れるように開始)の後、主題が盛大に演奏される部分も、決して飛び出すようにならず、「じっくり構えたブルックナーだ」という声がきこえてきそうな内容です。終楽章のコーダ部分も厳粛にして清澄です(この味わいは第2稿以上と個人的に思います)。ジュリーニと少し似ているようで、もっと明晰で軽い印象です(これは稿の違いかオーケストラの差か?)。
ファヴィオ・ルイージはメトの指環やN響で有名ですが過去にマーラーやブルックナーも演奏していて、比較的最近のブルックナーは魅力的なので今後も期待しています(さすがに来年までに全曲録音が出るというのは無理でしょうが)。フィルハーモニア・チューリヒはチューリヒ・トーンハレ管弦楽団と紛らわしい名前ながら現在は完全に別のオーケストラになっているようです。フィルハーモニアの方はチューリヒ歌劇場のオケなのでオペラ公演時はピットに入って演奏しています。