raimund

新・今でもしぶとく聴いてます

ブルックナーSym.8・1稿

30 9月

ブルックナー第8番 ルイージ、P・チューリヒ/2015年

230930aブルックナー 交響曲 第8番 ハ短調 WAB108 (1887年第1稿ノヴァーク版)

ファヴィオ・ルイージ 指揮
フィルハーモニア・チューリヒ

(2015年10月 ベルン,クルトゥア・カジノ 録音 Philharmonia Records

230930b 9月に入っての結石騒動の続きで、先週もN赤病院へ行きました。この病院もいつの間にか完全予約制、かかりつけ医院の紹介経由が原則という制度になり、救急外来じゃなくても飛び込み初診なら数千円余計にかかります。その制度に移行してもかなり混雑しているのは医師の数とか制度上で問題があるのじゃないかと、昔から言われていますが相変わらずでした。桂文珍の新作落語(昭和末期)に病院の待合は老人ばかり、仲間内でいつもの人が居ないのは病気になった?、悪化したからか?「はよ(早く)元気になって病院に来れるように」という老人の台詞がオチになる、というものがあり、まさしくその世界です。世の中、色々利害としがらみが織り込まれて、医師を増やす、医学部の定員を増やすとか単純そうなところ程実現できないものなのでしょう。

 ブルックナーの第8番、今回は初期稿です。個人的には初期稿の方に魅力を感じていて、クレンペラーの終楽章の独自カット演奏(EMIのセッション録音)は初期稿に通じるところがあると思っています。終楽章だけでなく、所々に聴き慣れた第2稿と違うところが現れて、どこかしら野暮ったさが漂います。インバルとフランクフルトRSOの全集以降、初期稿を採用したレオーディングは徐々に増えて、今世紀に入ってから一層数が増えています。演奏時間にけっこう幅があるのは反復省略とかも関係しているのかと思います。

ルイージ・チューリヒ/2015年
①17分54②16分58③31分09④26分11 計92分12
F.ウェルザー・メスト・CLO/2010年
①17分02②15分33③31分46④24分33 計88分54
インバル・都SO/2010年
①14分55②13分52③25分11④21分05 計75分03 
ナガノ・バイエルン国立/2009年
①19分55②17分09③33分37④28分44 計99分25
ヤング・ハンブルクPO/2008年
①16分05②14分37③27分44④24分10 計82分36
ギーレン・SWRSO/2007年
①18分29②19分50③29分44④27分01 計95分04
D.ラッセル・デイヴィス・LBO/2004年
①15分00②13分20③25分55④25分47 計80分02 
インバル・フランクフルト/1982年
①14分05②13分29③26分50④21分09 計76分34

 
今回のルイージの合計演奏時間は短い方ではなく、90分を超えています。第2楽章がやや長目(極端でない)というのも珍しいタイプです。それにこれの後にレコーディングした第4番もそうですが、ゆったりしたというだけでなく、特に冒頭部分でブルックナー作品に多用される開始(トレモロから、徐々に霧が晴れるように開始)の後、主題が盛大に演奏される部分も、決して飛び出すようにならず、「じっくり構えたブルックナーだ」という声がきこえてきそうな内容です。終楽章のコーダ部分も厳粛にして清澄です(この味わいは第2稿以上と個人的に思います)。ジュリーニと少し似ているようで、もっと明晰で軽い印象です(これは稿の違いかオーケストラの差か?)。

  ファヴィオ・ルイージはメトの指環やN響で有名ですが過去にマーラーやブルックナーも演奏していて、比較的最近のブルックナーは魅力的なので今後も期待しています(さすがに来年までに全曲録音が出るというのは無理でしょうが)。フィルハーモニア・チューリヒはチューリヒ・トーンハレ管弦楽団と紛らわしい名前ながら現在は完全に別のオーケストラになっているようです。フィルハーモニアの方はチューリヒ歌劇場のオケなのでオペラ公演時はピットに入って演奏しています。

19 3月

ブルックナー交響曲第8番第1稿 インバル、東京都SO

180319bブルックナー 交響曲 第8番 ハ短調 WAB108 (1887年第1稿ノヴァーク版)

エリアフ・インバル 指揮
東京都交響楽団 

(2010年3月25日 東京文化会館 ライヴ録音 Octavia Exton)

 今日のお昼に月刊誌「聖母の騎士」最新号を買いに行ったところ、聖パウロ会の書店は「聖ヨゼフの祭日」のためお休みでした。教会の玄関前にあるサン・パウロがこの祭日に休みだということを忘れていました(それ以前に聖ヨゼフの日自体を忘れがち)。ヨゼフという名前からピンとくるのはブルックナー(Joseph Anton Bruckner 1824年9月4日 - 1896年10月11日
)なので、久々に交響曲第8番を聴きました。ヨゼフというのがブルックナーの洗礼名なのか、モーツァルトの場合はもっと複雑で長い名前なのでよく分かりません。交響曲第8番といえば第2稿の方が広く普及していましたが、今世紀になって特に第1稿の録音が増えてきました。

インバル・都SO/2010年
①14分55②13分52③25分11④21分05 計75分03 
インバル・フランクフルト/1982年
①14分05②13分29③26分50④21分09 計76分34
D.ラッセル・デイヴィス・LBO/2004年
①15分00②13分20③25分55④25分47 計80分02 
ヤング・ハンブルクPO/2008年
①16分05②14分37③27分44④24分10 計82分36
F.ウェルザー・メスト:CLO/2010年
①17分02②15分33③31分46④24分33 計88分54
ギーレン・SWRSO/2007年
①18分29②19分50③29分44④27分01 計95分04
ナガノ・バイエルン国立/2009年
①19分55②17分09③33分37④28分44 計99分25

180319a インバルはフルンクフルト放送交響楽団との初回全集の際に第1稿を採用していました。今回の東京都SOとのライヴ録音はその時から28年後の演奏ということになりました。合計演奏時間だけを見ると1分半くらいの差はあるものの傾向は似ていました。しかし再録音の方がより演奏スタイルを徹底したようで、アダージョの第3楽章がより短くなり、何か研ぎ澄まされたような透徹した美しさになっています。スケルツォの第2楽章が速目なのは前回と共通していて、第1稿による特徴、この稿らしさが一層強調された印象です。

 第8番第1稿の目立った特徴は終楽章のコーダ部分がシンプルで、ユニゾンで強調するような終わり方にならず手前で終わっています。個人的には第1稿の終わり方の方が好きで、これに慣れると第2稿の方はくどいと思ってしまいます。ブルックナー指揮者として有名だったヴァントはこの曲に限らず、「作曲者の最終的な意思」を重視しているので第2稿ハース版を使用していました。ただ、ブルックナーが自身で改訂したものは演奏を断られたり、作品を見せた直後の批判に反応してのものなので、演奏してもらいたい(初演さえされなければはじまらない)という切迫した思いからなので、初期稿も頭から否定するのもどんなものかと思います。

 ブルックナーの第8番を聴きたくなる時は自分の場合、ブルックナーの音響に埋もれることで森林浴か温泉につかるような感覚からのことが多かったところが、反面終楽章のコーダをカットしたレコードを作ったクレンペラーの考えに共感するところも大きく、第1稿が両方の魅力を満たすような効果があると思えて近年はますますこちらの稿が気に入っています。第1稿の方がややシンプルで、動的で散漫さもあるので壮大なブルックナーというイメージは後退しがちです。このインバルの演奏は第2楽章をもっとゆっくり演奏すれば印象が変わりそうです。
13 12月

ブルックナー第8番初期稿 D.R.デイヴィス リンツ・ブルックナー管弦楽団

161212ブルックナー 交響曲 第8番 ハ短調 WAB108 (1887年第1稿ノヴァーク版)

デニス・ラッセル・デイヴィス 指揮
リンツ・ブルックナー管弦楽団

(2004年3月10日 リンツ,ブルックナーハウス大ホール Arte Nova)

 先日の夜、近鉄京都線の急行に乗って奈良から京都方面へ帰る時、日本語の車内放送に続いて中国語の放送が流れていました。西大寺駅を出たあたりだったか、京都市内の路線バスや地下鉄では英語のアナウンスは入ってもまだ中国語の放送は聞いたことがないので奈良方面はそこまで進んでいるのかとちょっと驚きました。実際、繁華街を歩いていてもかなりの数の中国人を見かけるので(やけに中国人密度が高い気がした)、必要に迫られてのことかと思います。

 先日に続いてブルックナーの交響曲第8番の初期稿です。下記は今世紀に入ってからの同曲・稿によるCDで、やはり近年は初期稿の注目が高まっています。今回のCDは何度か聴いて正直印象が薄くて、あらためて記事で取り扱ってもコメントし難いと思っていました。デニス・ラッセル・デイヴィスはハイドン、フィリップ・グラス、ブルックナーの交響曲をそれぞれ全曲録音しています。それにリンツ・ブルックナー管弦楽団の水準を引き上げた手腕も称賛されているとのこと。しかし、改めて聴いていると前半の二つの楽章がどうも雑に聴こえて、うまくなった?、くらいの印象でした。単純にアイヒホルンの録音の方がしみじみとブルックナーだなあと、理屈抜きに魅力的だった思いました。

デイヴィス・LBO/2004年
①15分00②13分20③25分55④25分47 計80分02 
ナガノ・バイエルン国立/2009年
①19分55②17分09③33分37④28分44 計99分25
ギーレン・SWRSO/2007年
①18分29②19分50③29分44④27分01 計95分04
F.ウェルザー・メスト:CLO/2010年
①17分02②15分33③31分46④24分33 計88分54
ヤング・ハンブルクPO/2008年
①16分05②14分37③27分44④24分10 計82分36
インバル・都SO/2010年
①14分55②13分52③25分11④21分05 計75分03 

  合計演奏時間は上記の六種の中でインバルに次いで短い演奏です。第1、2楽章はその演奏時間を見た印象、想像そのままの演奏ですが、第3、4楽章は急に静かになって雑さが目立たないような気がしました。終楽章だけをみれば合計で8分以上長い演奏時間になるウェルザー・メストよりも1分長い結果です。あるいは、この辺は省略の有無が関係しているのかも(初期稿に慣習的に省略する箇所があるかどうか知らないけれど)しれません。

 何年か前のレコ芸にD.ラッセル・デイヴィスのインタビューが載ったことがありました。上記の三人の作曲の交響曲を全部録音したのは自分くらいだと言っていたはずですが、特にブルックナー作品について言及したかどうか、その内容までは覚えていません。この第8番を聴いているとブルックナーを神聖視的に見ていないというよりも、極力思い入れを排して発掘作業でもするような不思議な感触だと思いました(是非はともかく、ハイドンの初期交響曲の方がちからが入った演奏だったかも)。
10 12月

ブルックナー交響曲第8番第1稿 インバル、フランクフルトRSO

161210ブルックナー 交響曲 第8番 ハ短調 WAB108 (1887年第1稿ノヴァーク版)

エリアフ=インバル 指揮
フランクフルト放送交響楽団

(1982年8月 フランクフルト,アルテ・オーパー 録音 Teldec)

160926 TVでの再放送の可能性が心配される相棒、その初期の回に蟹江敬三がバーテンダー役で出演していた回がありました。それと尾美としのりがゲスト出演した回、「右京さんの友達」の二回は是非また観ることが出来るようにしたいと思っていたところなのでピンチです(渦中の方はもっとピンチでしょうが)。蟹江敬三の回はたしかバーのオリジナル・カクテルを缶詰にして販売する企画についてオーナーとバーテンダーが対立して、蟹江演じるバーテンダーがオーナーを殺してしまうという事件が、英国在住の美和子のおばの思い出がからんだストーリーでした。それをはじめて観た時はカクテルに関心はなくてウィスキーのストレート、ロックだろ、くらいに思っていました。

 最近何年振りかで夜の奈良市を訪れて結構に賑わっているのに感心しました。シメにあるバーへ入ったところ、メニューが無くて客の好みを承ってからそれに合うカクテルを作るというシステムにまず驚きました。このあたりは蟹江敬三のバーテンダーと似ていましたが、最初は飛び込みで全く知らない店に入るのに抵抗を感じました(ガラの悪い893がとぐろを巻いてたら嫌だなとか)。それでも同行者がかまわずにここだと言うので入ったわけですが大当たりでした。バーテンダー世界一を決定する大会「グローバルファイナル 2015」 のグランプリを獲得した人の店だったので当然でしたが、レモンとかの味と言っただけで、甘くなくて酸っぱ目が好きな自分の好みど真ん中なカクテルが出て来ました。それと店内にはバッハの無伴奏チェロ組曲が流れていたのも好印象でした(古い音源だと思ったがスピーカーが良いのかよく鳴り響いていた)。そんなに奈良へ行く機会はないのが残念ですが「LAMP BAR」という名前は酔っ払いながらメモしておきました。

インバル・フランクフルト/1982年
①14分05②13分29③26分50④21分09 計76分34
ギーレン・SWRSO/2007年
①18分29②19分50③29分44④27分01 計95分04

 1980年代に録音したインバルのブルックナー交響曲全集から第8番第1稿です。先日のギーレンの演奏よりも20分近く短い演奏時間なので、聴いていると冒頭から快速という感じがします。そうなのに乱雑ではなく、全集の他の曲同様に透明な印象が迫ってきます。何も足さない、何も引かないし混ぜないストレートさが第8番の初期稿では特に際立ちます。演奏時間、トラックタイムをみると第2、第4楽章の差が大きくなっています。インバルは東京都SOとの新録音も同じような演奏時間なので、二人ともユダヤ系という共通があっても対極のような演奏です。

交響曲第8番 ハ短調 WAB 108(1887年初稿)
第1楽章 Allegro moderato
第2楽章 Scherzo: Allegro moderato - Trio: Allegro moderato
第3楽章 Adagio Feierlich langsam, doch nicht schleppend
第4楽章 Finale: Feierlich, nicht schnell 

  同じ曲に異なる版だけでなく異稿があってどちらも演奏、録音されるブルックナーの交響曲の中で第8番はまだ1890年稿(第2稿)の方が有名です。abruckner.comのディスコグラフィによると、インバルのこの録音が第1稿による最初の録音ではないようですが、 メジャーなレーベルのものはこれが最初のようです。改めてこのCDを聴いていると第1稿の魅力にますますはまりそうです。インバルの全集(フランクフルトRSO)の採用稿は、第3番、第4番が初期稿、第1番がリンツ稿なのに第2番は第2稿の方なので、今更ながら色々こだわりがありあそうです。
7 12月

ブルックナー交響曲第8番第1稿 ギーレン、SWRSO/2007年

161207bブルックナー 交響曲 第8番 ハ短調 WAB108 (1887年第1稿ノヴァーク版)

ミヒャエル・ギーレン 指揮
SWR Sinfonieorchester Baden-Baden und Freiburg(南西ドイツ放送交響楽団)

(2007年6月2日 バーデンバーデン,祝祭劇場 ライヴ録音 Hanssler Swr Music)

161207a 引退を表明したミヒャエル・ギーレンの未発表録音が既存のものと併せてまとめて発売されていて、ブルックナーの交響曲はそのギーレン・エディションの第2集にまとまっています。交響曲第8番は未発表音源であるだけでななく、第1稿による演奏でした(既発売は通常の第2稿だった)。広告、紹介記事(HMVのサイト)にもあったようにこれが凄い演奏で、かつての冷血と称されたころの演奏とはかなり違っています。隅々まで丹念に入魂したような、感銘深くて野蛮なところがないブルックナー第8番です。下記は第8番・第1稿のCDのトラックタイムを演奏時間が長いものから列記したものです。今回のギーレンは最短のインバル旧録音と約20分も長いという半端でない差が出ています。

ギーレン・SWRSO/2007年
①18分29②19分50③29分44④27分01 計95分04
F.ウェルザー・メスト:CLO/2010年
①17分02②15分33③31分46④24分33 計88分54
ティントナー・アイルランド/1996年
①17分41②15分14③31分10④25分10 計88分15
ヤング・ハンブルクPO/2008年
①16分05②14分37③27分44④24分10 計82分36
インバル・フランクフルト/1982年
①14分05②13分29③26分50④21分09 計76分34
インバル・都SO/2010年
①14分55②13分52③25分11④21分05 計75分03 

 聴いていると実際に遅いと実感しましたが、特に驚きつつ惹かれたのは第2楽章でした。この楽章をこんな風に演奏したのはクレンペラーくらいで、第2楽章が始まったところでまるでクレンペラーが召喚されて降臨したような感じでした(そこまで歪はないか?)。ちなみにギーレンが1990年に第2稿の方で録音したものは第2楽章が17分強でした。スケルツォ楽章の第2楽章は、例えば全曲で100分を超えるチェリビダッケもこの楽章だけは16分強と全曲の演奏時間に比べれば普通の長さで、大抵がスケルツォ(scherzo)らしいテンポで演奏しています。それが、終楽章のコーダ部分を削除している悪名高いクレンペラーのEMI盤は、第2楽章が19分53かけています。稿は異なるもののテンポ、感触は今回のギーレンとよく似ています。

クレンペラー・ニューPO/1972年
①17分56②19分53③26分5719分26 計85分52
 

 だから何だというものかもしれませんが、 クレンペラーが交響曲を演奏する時に緩徐楽章を速目に、スケルツォ楽章は遅目にという楽章間のバランスをとることがよくあります。ブルックナーの第8番はそれ以上に第2楽章について何かを感じ取るか見つけているようで、イタリア語で「冗談」を意味する “ scherzo(スケルツォ) が毒か苦みを帯びているような不思議な魅力が感じられます。 ドスがきいた喜劇の芝居というのか、倒立の虚像を結んでいるのか、それがブルックナーらしさと関係が有るのかどうかはともかく、他では聴くことができないタイプです。ついでに言えば、クレンペラーの好みからすれば第1稿の方が抵抗が無さそうで、終楽章もこれならコーダあたりでカットしなくても我慢出来たのではないかと思います。

 今回のギーレンの第8番はアダージョの第3楽章もたっぷり時間をかけているので、その点は良心的というかクレンペラーとは違うバランスです。こういう念入りな演奏は、レヴァインとフィラデルフィア管弦楽団のマーラー第9番とか、ブルックナー以外の作曲家の演奏を思い返してもそうはないものです。これを聴いているとギーレンがもう引退してしまったのが惜しまれるので、これから出るはずの未発表音源に期待します(エディションは第10集まであるらしい)。
30 11月

ブルックナー交響曲第8番(第1稿) ヤング、ハンブルクPO/2008年

161130aブルックナー 交響曲 第8番 ハ短調 WAB108 (1887年第1稿ノヴァーク版)

シモーネ・ヤング 指揮
ハンブルク・フィルハーモニー管弦楽団

(2008年12月14-15日 ハンブルク,ライスハレ録音)

 今日で11月が終わり今年もあと一カ月になりました。ともかく今日まで何とか無事に過ごせてありがたいことで、そう思いつつブルックナーの第8番のCDを何度かに分けて再生しました。ところで12月に天皇誕生日が来るようになってすっかり定着しました。今年は天皇陛下御自身による譲位に関する放送があり、波紋を呼びました。それ以前にも皇位継承について男系男子に限るのか、女性宮家を創設するのか等が問題になりました。昔のように、例えば後醍醐天皇とかのように何人も皇子が控えているような環境ではない(今後も簡単にはそうならないはず)ので、男系男子限定を主張する層は何らかの対策、対案を持っているはずです。戦前の旧宮家が復活したりとか、そうだとすればちょくちょくTVに出てるああいう人が含まれてくると思うと、現在の天皇陛下とあまりに開きあるように見えてしまいます。

交響曲第8番ハ短調・第1稿
第1楽章 Allegro moderato
第2楽章 Scherzo: Allegro moderato - Trio: Allegro moderato
第3楽章 Adagio Feierlich langsam, doch nicht schleppend 
第4楽章 Finale: Feierlich, nicht schnell

 細かい部分は列挙できないとしても、聴いていると通常の1890年稿との違いは所々で気が付きます。よく指摘されるように、どちらかと言えば第1稿の方が奔放で、自然な美しさにあふれています。特に第4楽章のコーダ部分は1890年稿よりも簡素で、個人的にはこっちの方に好感を持てます(クレンペラーも大幅にカットするくらいならいっそ第1稿で演奏すればよかった?)そのせいか第1稿による録音が徐々に増えていて、シモーネ・ヤングも全集にあたっては第1稿を選びました。インバルも新旧ともに第1稿で演奏しています。トラックタイム、演奏時間は下記の通りでこれらの中で最短のインバルと最長のギーレンでは20分も差が出ています。それはともかくとして、ヤングはやや短めの時間になっています。

~ 第8番第1稿の録音
ヤング・ハンブルクPO/2008年
①16分05②14分37③27分44④24分10計82分36
インバル・都SO/2010年
①14分55②13分52③25分11④21分05 計75分03
F.ウェルザー・メスト:CLO/2010年
①17分02②15分33③31分46④24分33 計88分54
ギーレン・SWRSO/2007年
①18分29②19分50③29分44④27分01 計95分04
ティントナー・アイルランド/1996年
①17分41②15分14③31分10④25分10 計88分15

161130b 全集の第1弾だったこのCDは新譜で出た時もけっこう注目され、レコード芸術誌・2009年10月号の月評で特選を得ていました(小石忠男、宇野功芳の両氏)。前半、特に第1楽章はやや荒っぽい印象(元々そういう作品とも言えそう)ですが、第3楽章が思いっきり滑らかなで神秘的に美しくなり、第4楽章も月評では「ねり絹ような」と評されているように、この曲らしい荘厳な空気がただよいます。それに個人的にあまり好きでない終楽章のコーダ部分も上品に終わっています。ヤングのブルックナーは第00、第0も含めて他の交響曲を過去記事で扱いましたが、最初の第8番が一番感動的だったかもしれません。ちなみに2010年までに発売された分ではシモーネ・ヤングのブルックナーは他に第3番(これも初期稿)が特選になっています。

 ブルックナーは交響曲第8番の第1稿を一旦完成させてから、指揮者のヘルマン・レーヴィに楽譜を見せて良い反応ではなかったので改訂にかかり、これだけでなく交響曲第1-4番の四曲も改訂することになりました(第5~7番はそうではなかった)。そうするとこの第8番の第1稿は何か分岐点のようでもあり興味深いものがあります。
3 1月

ブルックナー交響曲第8番・第1稿 ケント・ナガノ、バイエルン国立管弦楽団

141122bブルックナー 交響曲 第8番 ハ短調 (1887年第1稿ノヴァーク版)

ケント・ナガノ 指揮
バイエルン国立管弦楽団


(2009年 ミュンヘン,ファラオ・スタジオ 録音 Farao)

 このブルーレイ・オーディオディスクは昨日のクナッパーツブッシュゆかりのミュンヘンの歌劇場のオーケストラをケント・ナガノが指揮したブルックナーの録音を集めたものです。昨年11月に取り上げた第7番はベルギーの大聖堂でライヴ録音されたものでしたが今回の第8番はミュンヘンのスタジオでセッション録音されました。しかも通常の稿と違って1877年・第1稿を採用して演奏しています。といっても近年は第1稿による録音も増えています。ただ、ケント・ナガノはヴァントに系統しているそうなので、作曲者当人の最終意思を反映したとも言えない第1稿を採用したのはどういう理由だろうと思います。この三曲まとめたブルーレイ・オーディオ版にはその辺の説明はありません。

 そうしたことはさて置き、この第1稿による第8番は演奏時間からもうかがい知れるように、緻密に広々というか、これだけゆったりとしたテンポの演奏なのに威圧するような巨大感があまりなく、作品・演奏の中に入ってくつろげるような魅力的なものです。遅い演奏と言えばチェリビダッケを連想しますが、それ程強引にテンポを設定したという印象ではないのが不思議です。第2楽章は、例えばクレンペラーとニュー・フィルハーモニア管弦楽団のようなタイプとは違って普通と感じられるテンポ感です。

ナガノ・バイエルン国立:2009年
①19分55②17分09③33分37④28分44 計99分25

ウェルザー・メストCLO:2010年~映像ソフト
①17分02②15分33③31分46④24分33 計84分54 
インバル・東京都:2010年
①14分55②13分52③25分11④21分48 計75分46
ヤング・ハンブルクPO:2008年
①16分05②14分37③27分44④24分10 計82分06 
ティントナー・アイルランド国立:1996年
①17分41②15分14③31分10④25分10 計89分15
インバル・フランクフルト:1982年
①14分05②13分29③26分50④21分09 計75分33

141122a 上記のようにこの録音は同じく第1稿による第8番の中で図抜けて長い演奏時間になりました。わりと長目かと思ったティントナーよりさらに10分以上も長くなっています。ケント・ナガノの他の曲の録音、第6番、第7番では他の演奏者と比べて特に遅い、長い演奏時間にはなっていないので特別です。これは省略の有無も関係しているはずです。元々1887年・第1稿は1890年・第2稿よりも各楽章ともに20~30小節くらい長い作品です。第2稿を使っていても部分的にカットして演奏する例もあるので、第1稿でも例外ではないでしょう。

 この録音は当初通常のCDで発売されていましたが、これはブルーレイを再生できる機器でしか再生できないブルーレイ・オーディオ仕様です。ここ何年かで新しい録音だけでなく古い録音の復刻もこの仕様で出るものも見られます。意味はよく分かりませんが96khz/24bit、リニアPCM・2チャンネルとDTS・HD・MAの5.0チャンネルで収録されています。大容量のブルーレイに映像情報無しで音声だけを収録するのだから音質も良いだろうというのは分かります。ただ、SACDのように通常のプレーヤーでも再生できる層がなければ不便です。そう言えばDVD-audioというのもあったはずですが、最近は見かけなくなりました。

3 6月

ブルックナー第8番第1稿 ウェルザー・メストのDVD 2010年

1206a_2ブルックナー 交響曲 第8番 ハ短調
(1887年第1稿ノヴァーク版)


フランツ・ウェルザー・メスト 指揮

クリーブランド管弦楽団


(2010年8月 オハイオ州,クリーブランド セヴェランスホール ライヴ収録 Arthaus)

 京都嵐山に小倉百人一首の殿堂「時雨殿(しぐれでん)」という施設があり、今年リュニューアルオープンしました。金曜日阪急電車の中でそのパンフレットを持った人を見かけ、もう開館しているのを思い出しました。

朝ぼらけ  宇治の川霧  たえだえに
あらはれわたる  瀬々の網代木 


 この一首はふるさと宇治の冬をうたったものですが、今では網代木はまず見られず、かわって観光用の鵜飼をやるくらいです。もう一首、喜撰法師の歌もあり、そちらの方が現代の宇治に近い風景です。おまけに暖冬で鹿も増えています。


  クラシック音楽の映像ソフトは滅多に購入しませんが、ウェルザー・メストがロンドンPOを去ってからあまり新譜CDが出ないのと、オットーボイレンの修道院大聖堂でのブルックナー第5番が素晴らしかったので購入しました。CDが出ていなかった分、DVDは出ていたようでクリーブランド管とのブルックナーは、第5、7-9番が収録されていました。この第8番は昨日のドホナーニ指揮、第3番から17年後の演奏です。映像ソフトなのでドホナーニ時代に改装工事をしたというセヴェランスホールの様子も分かり、コンサートマスターが晩年のブルックナーの肖像画に似ているのも(どうでもよいが)面白く観ることができます。
 

1206b  演奏は最初から非常に優美で、隅々まで慈しみが行き届いたような、なだらかな山並みを思わせる演奏です。録音レベルの加減でそうきこえるのか、金管楽器もとげとげしくなく、よくコントロールされています。また、お馴染みの第2稿と違ってあっさりと全曲を締めくくるコーダ部分も味わいがありました。第1稿は急にプッツリと終わるような素っ気なさですが、この演奏はすごく自然に感じられます。一瞬の沈黙の後から拍手が沸き起こり、大きくなる会場の反応にも感銘を受けます。第1稿をで演奏しているのは多分、ウェルザー・メスト自身の考えで敢えてそれを採用しているのだろうと思います。DVDにはボーナス・トラックに、当日のプレ・トークも収録されているので、そこで語られているかもしれません。

1206c  
フランツ=ウェルザー・メストは1960年生まれなので、今年52歳です。久々にブルックナーを聴いてみると、同じクリーブランド管を演奏しても先代のドホナーニよりも柔軟で、潤いのある響きが印象的でした。クリーブランド管のウィキ・解説を読むと、ドホナーニ時代の改装によってコンクリートで覆われていたオルガンが舞台上に見えるようになったとあり、さらにコンクリートで覆い隠されたのがセル時代だったというのもいかにもと思えます。ウィーン国立歌劇場の音楽監督に就任した今後、どんな録音が出てくるのか楽しみです。

28 3月

ブルックナー第8番・1877年第1稿 ゲオルク・ティントナー

 昨日は阪神高速道路8号京都線の延伸部分が開通して、稲荷山をぶち抜いたトンネルとつながりました。暫定2車線(片側1車線)ながら、途中鴨川西出入口も出来て、十条河原町に直接出られるようになりました。現在の状況を考慮して派手な式典は自粛されたそうで、通常なら3世代(爺さんから孫まで)で渡り初めとかいろいろセレモニーもあったことでしょう。

 さっそく今朝試してみたところ、宇治から京都市役所周辺まで一般道で60分はかかるところを、40分を切る所要時間になって感動的でした。計画ではこの高速は二条城の手前まで伸びるのですが、今後の事業は不詳です。財政だけでなく、景観の問題も大きいはずです。この高速も高架ですが、災害時にも健在で活躍してくれることを祈念します。


ブルックナー 交響曲第8番ハ短調・第1稿・1887年ノーヴァク版


ゲオルク=ティントナー 指揮
アイルランド国立交響楽団


(1996年9月23-25日 ダブリン国立コンサートホール 録音 NAXOS)


  ブルックナーの交響曲第8番は1884年~1887年にかけて作曲されて、例によって一旦完成した後に改訂されました。1887年に指揮者レヴィへ総譜を送付したところ、(第2番をデソフへ送付した時と同様に)演奏不可能と返答されました。この時の状態が今回の1878年稿で、レオポルド・ノーヴァーク校訂により1972年に出版されて、第1稿とも呼ばれています。これの録音は他に、インバル・フランクフルト放送SOや近年シモーネ・ヤング指揮、ハンブルクPOやデニス・ラッセル・デイビス指揮、リンツ・ブルックナー管等があります。近年見直されてきています。実際聴いていると、1887年・第1稿の方が清澄な響きに感じられます。


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 ブルックナーの交響曲第8番と言えば通常演奏されるのは今回のCDの版では無く、第2稿・1890年版であり、これにはノヴァーク版とハース版があります。第1稿完成後、演奏不能と判定されたので、1989年から翌1890年にかけて改訂しました。この時の状態が第2稿で、これを復元するために校訂を手掛けたのがローベルト・ハースとレオポルド・ノヴァークです。復元、と書いたのは第2稿完成の後に、主にブルックナーの弟子であったヨーゼフ・シャルクによって改訂されたもの、いわゆる「改訂版」が1892年に原典版に先んじて出版されたからです。その悪名が高い(ヴァントが露骨に忌み嫌っているのも有名)改訂版に対する、「原典版」が、第2稿・1890年版ということです。第2稿・ハース版は1939年に、第2稿・ノヴァーク版は1955年にそれぞれ出版されました。


 通常呼ばれるハース版、ノヴァーク版は、上記のような経緯でどちらも原典版という位置付けでしたが、第2稿・1890年版に基づいています。両者の違いは、ハース版の方が部分的に第1稿・1887年版のものを取り入れた折衷的な姿勢(これはノヴァークが批判的にそう呼んだ)であるのに対して、ノヴァーク版は第2稿を作成・改訂するときに削除された部分はその通りにカットしているということです。第8番の録音ではハース版も結構出回っていて、特にヴァントはハース版を使っていました。両者の具体的な違いはいろいろあるようですが、把握できていないので今回は省略します。

110328a  さて、今回の第1稿・1887年(ノヴァーク版)は、第2稿と比べて聴いだけで気が付く違いもあります。特に目立つのは第1楽章の終わりで、聴きなれた第2稿は静かに曲が止まって終わりになりますが、第1稿では別のコーダがあり、7番の1楽章のように高揚して曲が終わります。第2楽章のトリオも結構目立ち、続く2つの楽章も何となく風通しの良い音響です。第4楽章の終わりも、第2稿程は高揚せずに完結しています。


 長々と版の違いを列記してしまいました。ブルックナーの作品にはこうした紛らわしい名称が飛び交うので、自分のための整理、どうせすぐ忘れるので備忘録のためにまとめています。そうした事務的な事柄とは別に、このティントナーの演奏はかなり素晴らしく、これほど清澄なブルックナーの8番は他では聴けないと思いました。後期ロマン派とかワーグナーといった影は感じられず、また力ずくで祝典に仕上げるようなところもありません。このCDの楽章ごとの演奏時間は以下の通りです。
 

①17分41②15分14③31分10④25分10 計89:28 

 
 CD1枚には収まらず、第4楽章を2枚目に収めて、第0番と併せて2枚で出しています。ゲオルク=ティントナーは1917年ウィーン生まれで、ユダヤ系だったのでヨーロッパを離れ、戦後はオーストラリアやニュージーランド、カナダでキャリアの大半を過ごしています。その最終の時期にナクソスへブルックナーの録音ができました。このCDを録音した時は79歳になっていました。最晩年にブルックナー演奏で突如注目される現象はクルト・アイヒホルンに似ています。演奏も似た要素があると思えました。NAXOSはよくぞティントナーを起用したものです。最初にティントナーの録音が出た頃は、珍しい版のCDだけは意義があってもオーケストラがマイナーなので、有名な曲はスルーしていました。今聴いて素晴らしいと思っても、10年くらい前も同様とは限りませんが、ちょっと惜しい気がしました。

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昭和40年代生まれ、オットー=クレンペラーの大フアンです。クレンペラーが録音を残したジャンルに加え、教会音楽、歌曲、オペラが好きなレパートリーです。

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