raimund

新・今でもしぶとく聴いてます

指:イヴァン・フィッシャー

5 11月

ブルックナー交響曲第9番 イヴァン・フィッシャー/2021年

221003aブルックナー 交響曲 第9番 ニ短調 WAB.109/143

イヴァン・フィッシャー 指揮
ブダペスト祝祭管弦楽団

(2021年3月 ブダペスト,コングレス・センター 録音 Channel)

 この何カ月、タクシーや福祉タクシーを使う機会が増えて、色々な運転手に出くわしました。通常のタクシーはこちらが話しかけなければ余計なことは言わないことが多いですが、福祉タクシー、車いすごと乗り込む車とかの場合は結構色々話をすることがありました。支払い金額大きくなる分、気を使ってるという面もあるのかもしれません。中には極道映画・Vシネマから抜け出してきたような人も居て初対面でビビっていたこともありました。雑談で観光客はだいぶ増えたけれど、祇園、木屋町といった夜の街はまだまだ低調だとか。何がどうなってどんな風が吹いたのか、桶屋でもないのに自分の場合はコロナ前より正味忙しくなってきています(でもキャッホー!的なうま味は無い)。

 さて、このブルックナー第9番も一カ月以上前に聴きだしていて、落ち着いて連続再生、鑑賞できてなかったので記事化が遅れていたものです。実際聴いてみると近年のブルックナー第9番の中では屈指の感銘度だと思いました。イヴァン・フィッシャー自身、70歳になったらこの作品をレコーディングしたいと言っていたそうで、そんな日本のブルヲタとか「言えよう系」が好きそうな言葉にちょっと不安を覚えましたが、他の作曲家の録音もI.フィッシャーのCDはできるだけ購入してきたので、ブルックナーが全集化できるかどうかにかかわらず、とりあえず購入しました。

 解説冊子には色々興味深いことが書いてあり、I.フィッシャーは補筆完成版にはあまり積極的な風ではなく、三楽章までだけで立派な内容だと受け止めているようでした。演奏自体は急にテンポが変わったりとか、そういう系統でなく「じっくり構えたブルックナーだ」とか「隅々まで感じ切ったような」という表現が似合う内容で、それでいて何の色にも染めない、ワーグナー色とか後期ロマン派色とか、そっちの方を連想し難い清澄なものです。川の最上流部、最初の一滴が流れて間もないような透明さで音が重なって行き、厚くても重たくない、不思議な魅力を感じます。

 フィッシャーのブルックナーは第7番に次いでこの第9番が二作目になり、いきなりこういう第9番を出してしまえば、例えば第5番とかならどんな演奏になるのだろうかと思います。I.フィッシャーはマーラーを第8番を除いて録音していて、そっちの方も聴いていて、コレハブルックナーはもう録音しない(第7番で終わりか)と勝手に思っていただけに、嬉しい予想外の新譜と演奏内容でした。
29 1月

マーラー交響曲第1番 I.フィッシャー、ブダペスト祝祭O

190128aマーラー 交響曲 第1番 ニ長調「巨人」

イヴァン・フィッシャー 指揮
ブダペスト祝祭管弦楽団

(2011年9月 ブダペスト芸術宮殿 録音 Channel)

190128b クラシック音楽のバイオリズムと言える程じゃないとしても毎年ある季節、月になるとなんとなく聴きたくなる作品というのがありました。自分の場合はちょうどこのタイミングでヴェルディの「椿姫」の前奏曲が頭の中で流れ出しました。去年あたりから段々そのパターンが崩れ気味で、今年もそれを飛び越してマーラーの第1番が気になりだしました。特に第1楽章の冒頭を聴いていると氷や霜も溶け出して暖かくなる予感がしてきます。今までは1月15日以降、2月いっぱいくらいの冬の気分が好ましいと思っていたので、段々と寒さに対する辛抱もきかなくなってきた証拠の一つかもしれません(積雪も無いのにこの性根は困ったものだ)。それで久しぶりにマーラー第1番をイヴァン・フィッシャーとブダペスト祝祭管弦楽団のSACDで聴きました(といっても昨年の秋頃から何度となく聴いている)。

 CDに付いている日本語帯や紹介記事に、I.フィッシャーの言葉、「ハンガリー人としてこの作品が聴衆に完璧で非常に美しい傑作であると確信させる道義的義務がある」を引用して彼がそんな強い使命感をもってこの曲に臨んでいるとしています。少々大げさなその言葉がどういう意味かと作曲の経緯を考えると、この作品の初稿による初演(1989年11月20日)がハンブルク・フィルによって行われて失敗だったことを指してのことかと思います。その初演時は二部からなる交響詩として五つの楽章で構成されていました。その後第2稿を経て四つの楽章による交響曲の第3稿に落ち着きました。その際に「花の章」の楽章が削除されています。

I.フィッシャー/2011年
①16分30②08分00③10分44④20分14 計55分28
フェルツ/2012年
①16分00②08分50③10分56④19分36 計55分22
シュテンツ・ケルン/2011年
①16分04②08分50③09分51④19分47 計52分52
マーツァル・チェコPO/2008年
①16分27②08分29③10分43④18分56 計54分35
ホーネック・ピッツバーグSO/2008年
①17分14②08分28③11分16④21分01 計57分59
ザンダー・PO/2004年
①14分07②07分03③11分15④19分29 計51分51

 改めて聴いてみると確かに「非常に美しい」という点ではI.フィッシャーの信念通りだと実感しました。特に第4楽章はくどさを感じさせない、細部までよく聴こえながら十分に高揚感もありました。それに第3楽章、第4楽章で時々強調されることがある不気味さ、グロテスクさ(これは大げさか)のようなものが後退しています。2000年以降の録音のトラックタイムを比べると、ザンダーやシュテンツらと比べると長目の演奏時間になっていますが、似たような合計時間のものが他にもありました。

 I.フィッシャーとブダペスト祝祭管弦楽団のマーラーは交響曲第7番の発売が予告されていたので後は第8番が残るだけとなりました。大地の歌や第10番完成版は計画に入っているのかどうか分かりませんが、何とか鬼門の第8番も出して欲しいところです。I.フィシャーはロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団を指揮したマタイ受難曲やベートーヴェン・チクルスの映像ソフトやネザーランド・オペラのパルジファルも素晴らしいので、ガッティがあんなことになったのでコンセルトヘボウとの共演にも期待します。
14 9月

バルトーク 管弦楽のための協奏曲 I.フィッシャー、ブダペストFO

180914バルトーク 管弦楽のための協奏曲 Sz.116

イヴァン・フィッシャー 指揮
ブダペスト祝祭管弦楽団

(1997年6月 ブダペスト,イタリアンインスティテュート 録音 DECCA/PHILIPS)

 兄弟で音楽家というだけでなく両方指揮者という例はそんなに多くないかと思いますが、アダム、イヴァンのフィッシャー兄弟は二人とも指揮者として著名であり、極東の日本でもこうしてCDを聴いているくらいです。兄弟でプロ野球の投手というのはかつて、ライオンズの松沼兄弟が居ました(ピッチャーと野手なら定岡兄弟とかも)。ともかくそのI.フィッシャーとブダペスト祝祭管弦楽団の「Channel Classics レーベル」のCD
は音質共々にかなり好感が持てたので、年代をさかのぼって同コンビのCDを探すとDECCAのロゴが付いた1990年代のものがあるのが分かり、リストやドヴォルザーク、バルトークといったレパートリーがありました。

 「管弦楽のための協奏曲」もそんなに頻繁に聴いて慣れ親しんだというほどではありませんが、記憶の中では自転車で坂を下るような爽快感のようなものが聴いた印象としてぼんやりと残っていました。しかし最近聴いているバルトークの晩年作品と同じ時期の作品であり、改めて聴いてみるとその爽快感はかなり的外れ、記憶違いだと思いました(ええ加減な記憶ばっかり)。しかし、I.フィッシャーのCD紹介に時々「鬼軍曹」とか書かれているように、精緻な響きに神経が落ち着くような安堵さえ感じられました。また残響の加減もちょうど良いと思いました。

 
このCDはバルトーク晩年の作品にして有名な「管弦楽のための協奏曲」とその少し前の作品、「三つの村の情景 Sz.79」と初期作品の交響詩「コッシュート Sz.21」の三曲が入っています。これらの三曲の作曲時期は単に年代の新旧というだけでなく、作曲者の思想、置かれた立場や評判等が違っているとCD附属の冊子に載っていました。その評は「イヴァン・フィッシャーのメッセージ」という部分にまとめられてあり、管弦楽のための協奏曲は「コスモポリタンな」という言葉が冠されていました。実際、ヨーロッパからアメリカへ渡って成功したのだからコスモポリタンに違いないとしても、「バルトーク-ハンガリー-ハンガリーのオーケストラと指揮者」という商業的な本場ものセットに慣れて釣られ易い我々からすれば、コスモポリタンという言葉は一瞬意外だと思いました。

 第一次大戦後のハンガリーは「狂信的愛国主義」のためにバルトークは活動し難かったということですが、それはバルトークが伝統音楽の調査をしたある地域の音楽について「ルーマニア特有のもの」だとしたところ、執拗に攻撃を受けて愛国心を表明するように求められるくらいの過熱ぶりだったからでした。ガリレオの「それでも地球は回っている」のように、民俗音楽学者としてのバルトークにとって、客観的事実を曲げるのは学問的良心が許さないという葛藤があったようです。客観的事実と、狂信かどうかとはもかく愛国心(民族、純血)云々の問題は二十一世紀の我々にも無縁では無いので察するところがあります。そういう経緯を知ると「コスモポリタン」という言葉の意味が重く感じられます。
23 12月

ベートーヴェン交響曲第9番 I.フィッシャー、RCO/2014年

171223aベートーヴェン 交響曲 第9番 ニ短調 作品125

イヴァン・フィッシャー 指揮
ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団
オランダ放送合唱団(合唱指揮ミヒャエル・グレーザー)

ミルト・パパタナシウ:ソプラノ
ベルナルダ・フィンク:メゾ・ソプラノ
ブルクハルト・フリッツ:テノール
ジェラルド・フィンリー:バリトン

(2014年2月20-21日 アムステルダム,コンセルトへボウ ライヴ収録 Rco/King International)

 ちょうどフィギュアスケートの全日本選手権が開催中なのにTV無し生活を継続中なのでネットの速報で結果を見るだけです。五輪の代表選考も継続中なので今年はさらに緊迫です。長久保コーチが突然退任した本郷選手は表彰台を逃して苦しい状況になりました(個人的に推しなので)。今回は五輪が開催できるのかどうか、ロシア選手は参加できるのか(表彰台独占の可能性もあるだけにもし不参加なら盛り上がらない)という不安もかかえています。この第九を収録した2014年の2月20-21日はちょうどソチ五輪のフィギュアの期間でしたがもうはるか昔のような感じがします。

171223b これはイヴァン・フィッシャーがロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団へ客演してベートーヴェンの交響曲を指揮した回を集めたもので、第8番と第9番が同じ公演に演奏されたようです。日本で年末に第九を演奏する場合、最初にエグモントとかコリオランの序曲がプログラムに入り、第九と他の交響曲を同時に演奏するというのはまずないはずです(あるいはI.フィッシャーも第8番と第9番は二日に分かれて演奏していたかもしれない)。二管編成にヴァイオリン対向配置以外には特にピリオド楽器を加えたりはしていない演奏ですが、メンゲルベルクはもちろんヨッフムやハイティンクの頃とは違う、小編成で速目の演奏です。

I.フィッシャー・RCO/2014年
①16分07②12分27③15分42④26分20 計70分36
ナガノ・モントリオールSO/2011年
①14分52②12分58③13分20④21分50 計63分00
ダウスゴー・SCOÖ/2008年頃
①13分55②13分44③12分37④22分09 計62分25
P.ヤルヴィ・独室内POブレーメン/2008年
①13分55②13分28③13分15④23分11 計63分49
クレンペラー・RCO/1956年
①16分24②14分48③13分56④22分48 計67分56

 上記のように今世紀に入ってからの録音、ケント・ナガノやパーヴォ・ヤルヴィに比べると合計演奏時間がかなり違っています。終楽章に終演後の拍手の分が入っているかどうか未確認ですが第1、3楽章の演奏時間にも差が出ています。古典派の作品を通常のオーケストラで演奏する場合、なかなか個性を出し難くくなっている現代にあってI.フィッシャーはかなり独自色を出しています。主題のリピートの問題も係わってきますが60年近く前のクレンペラーの演奏よりも合計時間が長くなっています。

 こういう演奏時間の傾向でもI.フィッシャーの第九を聴いて十九世紀生まれの巨匠のスタイルに近いとかそんな風には感じられず、どちらかと言えばP.ヤルヴィらの方に傾斜していると思います。ただ、I.フィッシャーの顔を遠くから映すとフルトヴェングラーのレコード・ジャケット写真をチラッと思い出し、似ているように見えました(近くでは似ていない)。指揮の様子は声楽が入るところで表情が豊かになり、この人が歌っているのか?と思う箇所もありました。ロイヤル・コンセルトヘボウは毎年の受難の主日(復活祭の一週間前の日曜)にはマタイ受難曲を演奏していて、I.フィッシャーもその機会に客演していました。マタイといいベートヴェン・チクルスといい、このオーケストラの重要なレパートリーを任されているので、今後も楽しみです。
17 10月

ドヴォルザーク チェロ協奏曲 ペレーニ、フィッシャー

171017bドヴォルザーク チェロ協奏曲 作品104

イヴァン・フィッシャー 指揮
ブダペスト祝祭管弦楽団

ミクローシュ・ペレーニ:チェロ

(1987年12月28-30日 録音 キング/HUNGAROTON)

171017a 今週に入って期日前投票に行ってきました。開始時刻の30分前に着いて一番に投票しようかと思って待っていたら、茶を飲んでいる間に後続の人が既に並んでいました。それで定刻になると「10月22日投票の衆議院選挙の期日前投票を開始します(もっと細かい口上だったかも)」という宣言があり、投票に来た人も挨拶をして投票場所に進みました。たいていは夜に来ていたのでこういう風に厳粛に始まるとは知りませんでした。投票している時に自分が選挙権を得て初めて投票にした時はどんなだったかと振り返りました。平成二年の衆議院選挙はまだ中選挙区制だったので京都二区(京都市の一部と京都市以外の市町村全部)に複数の候補者が当選していました。トップは社会党の山中氏、二位が野中さんという懐かしい名前です。その前の昭和61年はトップが共産党の寺前氏、二位は野中さんですが、平成二年にトップだった社会党の山中氏は次点で落選していました。

チェロ協奏曲 ロ短調 作品104 
第1楽章 Allegro ロ短調
第2楽章 Adagio ma non troppo ト長調
第3楽章 Allegro moderato ロ短調

 このドヴォルザークのチェロ協奏曲のCDは国内の廉価盤が出るまで存在をよく知りませんでした(演奏者の名前はそれぞれ知っていた)が、この曲の新しい録音を探している内に見つけました。今世紀に入ってしばらくの頃、発作的にドヴォルザークのチェロ協奏曲が聴きたくなって店頭を探してもロストロポーヴィチのEMI盤しか見つからず、これだけの有名曲なのに案外CDは出ていないものだと思いました。その時はそれっきりになり、イヴァン・フィッシャーの指揮したCDを探している時にこれと再録音があることが分かり、旧録音の方は国内盤で出ているのが分かりました。

 改めて聴いていると意外にこじんまりとして端正なチェロなので、ロストロポーヴィチとは対照的だと思いました。オーケストラの方は最近のI.フィッシャーの録音よりはおおらかな印象で、この曲らしい魅力があふれています。と言っても再録音の方は聴いたことが無いので分かりませんが、1960~70年代の有名録音より地味な演奏に親近感を覚えるのでこの録音はかなり気に入っています。ちなみに最新版の「名曲名盤500(レコード芸術編)」のドヴォルザークのチェロ協奏曲は第1位がフルニエ、セル、ベルリンPO(DG盤/1962年)、第2位はロストロポーヴィチ、カラヤン、ベルリンPO(DG盤/1968年)、第3位はデュ・プレ、バレンボイム、CSO(EMI盤/1970年)という結果で、ペレーニがソロのものはリストにも漏れていました。なお、ペレーニの方も二種(少なくとも)録音があって、これ以前の1976年にもオーベルフランク指揮、ブダペスト・フィルとこの曲を録音しています。

 ドヴォルザークのチェロ協奏曲は、アメリカ滞在時代の末期にチェロ奏者ハヌシュ・ヴィハーンからの依頼によって1894年11月から翌1895年2月にかけて作曲されました。初演は翌年の1896年3月19日、ロンドン・フィルハーモニック協会の演奏会で、レオ・スターンのチェロと作曲者に指揮によって行われました。委嘱者のヴィハーンはチェコでの初演で競演しました。第3楽章の中でチェロが弾く旋律に賛美歌やカトリック聖歌集にもある「飼いぬしわが主よ」に似たものがあり、原曲を引用したのかと思いましたがそういう解説はありません。そこにもあるいはアメリカ滞在中に聴いた音楽が反映されているのかもしれません。
28 8月

リストのファウスト交響曲 I.フィッシャー/1996年

170828リスト ファウスト交響曲(三人の人物描写によるファウスト交響曲) S.108

イヴァン・フィッシャー指揮
ブダペスト祝祭管弦楽団
ハンガリー放送合唱団
ハンス・ペーター・ブロホヴィッツ (T)

①第1楽章「ファウスト」
②第2楽章「グレートヒェン」
③第3楽章「メフィストフェレス」
④~第3楽章(声楽無し初稿版)
⑤~第3楽章(声楽付き改訂版)

(1996年6月 ブダペスト,イタリアン・インスティテュート 録音 DECCA/Philips)

 元日本兵の中村輝夫一等兵、と聞いてもそれが誰か何の問題だったか思い出せないことの方が多いかもしれませんが、1974年にモロタイ島で発見された台湾出身の旧日本軍の兵士が発見されたことがありました(当時もう生まれてたけれど全く記憶にございません)。日本国籍が無くなっていることを理由に軍人恩給も未帰還者手当も無くて、未払給与の七万円あまりを支給されただけでインドネシアから台湾へ帰されました。「ルパング島やサイパン島の日本国籍の帰還兵との処遇の差の大きさ」と、「朝鮮人BC級戦犯の記録(岩波現代文庫)」には載っていましたが、どれくらいの差があったのだろうかと思います。日中共同声明があったのは1972年9月29日なのでモロタイ島の発見事件の時は何とも言えない頃だったのでしょう。日本は台湾を二度捨てたという表現を読んだことがありましたが、この事件に代表される問題を考えると回数のことはさて置き、台湾側に捨てるという表現を使われても文句は言えない気になりました。

 今日8月28日は(Johann Wolfgang von Goethe 1749年8月28日 - 1832年3月22日)の誕生日だと雑誌やネット上の情報でたまたま知りました。これくらいの年代の人物のプロフィールを見るにつけ、誕生日は本当に正確なのか、洗礼台帳によっているなら数日程度の誤差はありそうだと思っていました。ゲーテの場合はご長寿だったことは間違いなく、命日の方は正確だろうと思われます。リストのファウスト交響曲は近年の方が人気が増しているらしく、「名曲名盤500(レコード芸術編)」にもリストアップされていました(ちなみに第1位はバーンスタイン、ボストンSOらの1976年録音・DG盤)。

 この作品は1854年8月から作曲を開始して、何度かの改訂を経て最終的に1880年に完成しました。最初、第1稿は声楽が付かないもので1854年10月に完成しましたが、その後1857年に「ファウスト第二部」の神秘の合唱を加える改訂を行い、この段階で初演を行いました。これはヴァイマルにおいて、ゲーテとシラーの記念碑の除幕式の祝典の際にリスト自身の指揮によって演奏されたものでした。「ファウスト」の三人の登場人物」の性格を描写した三つの楽章で構成され、声楽が付かない稿もマーラーの交響曲を思わせる自由な作風です。

 このCDは上記のようなトラック分けになっているので、トラック④をとばせば通常のファウスト交響曲として聴くことが出来、④までで止めれば第1稿を鑑賞することが出来るという構成です。神秘の合唱はマーラーの交響曲第8番の最終合唱と同じ歌詞なので興味深いものがあり、聴いているとやっぱるどこか通じるところがあります。I.フィッシャーの指揮は後年のマーラーの時よりも厳しくというのか、古典派の作品のように扱っているので例えばバーンスタインの演奏とは大分違うのだろうと思います。しかし個人的には大変魅力的でした。
23 8月

リスト ハンガリー狂詩曲管弦楽版 I.フィッシャー

170823リスト ハンガリー狂詩曲 管弦楽版

イヴァン・フィッシャー 指揮
ブダペスト祝祭管弦楽団

ヨーゼェフ・チョーチ・レンドヴァイ:Vnソロ③
ヨーゼェフ・レンドヴァイ:Vnカデンツァ②④
ミクローシュ・ルカーチ:ツィンバロム
シャーンドル・クティ:ツィンバロム
ラースロー・キシュ・ジェルジュ:クラリネット③
エリカ・シェベーク:フルート・カデンツァ④

①第1番ヘ短調(リスト/ドップラー編)
②第2番ニ短調(ドップラー編)
③第3番ニ長調(リスト/ドップラー編)
④第4番ニ短調(リスト編)
⑤第5番ホ短調(リスト編)
⑥第6番ニ長調「ペストの謝肉祭」(リスト編)

(1997年3月 ブダペスト,イタリアン・インスティテュート 録音 Philips/DECCA)

 AMラジオの深夜放送は10代にはよく聴いたけれどそれ以降はほとんど聴かなくなりました。現代の投稿動画よりもずっとアングラで品の無い(エログロ)リスナー作製のテープを募集する番組もありました。地元KBS京都の番組でしたが、運動会でお馴染みのクシコス・ポストの旋律がリストのハンガリー狂詩曲第2番にチラっと出て来たので、30年以上前に聴いたクシコス・ポストにスカトロネタの歌詞を付けた歌のことを不意に思い出しました。詳しくは書けませんがGERIをたれる情景の歌詞で、今聴くと別段面白くもなくて汚いだけですが、くだらない歌詞を女性が熱演的に真面目に歌う点と運動会で使うから健全なイメージがあるメロディーが台無しになるということがツボだったのでしょう。

 リストのハンガリー狂詩曲は第1番から第19番まであり(CD付属冊子には21番までとなっている)、その内の六曲をリストがフランツ・ドップラーとともにオーケストラ用に編曲しました。原曲(ピアノ)の第14番、第12番、第6番、第2番、第5番、第9番が管弦楽版の第1~6番として出版されますが、有名な第2番が紛らわしいからかオーケストラ版でも順番を変えて第2番として表記することが普及しています。

 ユダヤ系ハンガリー人のイヴァン・フィッシャーはこの曲集を録音するにあたって、ハンガリーのジプシー(ロマ)音楽である「ツィゴイナー音楽」の奏者を加えて、リストが愛したもとの響きの再現を試みています。管弦楽版の第2番だけは昔FM放送で初めて聴いた時から印象に残っていましたが、もっと重厚でドス黒い音楽だと思っていたのでこの編成、録音は新鮮に聴こえました。I.フィッシャーはブラームスのハンガリー舞曲集でもこうした編成で演奏、録音しています。

 今世紀に入ってからのI.フィッシャーはマーラーやブラームス、ワーグナーら独墺系の作品の録音が増えています。それ以前にフィリップスへ録音していた今回のようなレパートリーやコダーイ作品等を思えばそのルーツ、出身地のことを改めて思い出させられます。それからドヴォルザークのスラヴ舞曲集等もありましたが、ハンガリーとチェコでは現地の住人にとっては大違いなのでしょうが、クラシック音楽のレパートリー、演奏家の演目割り当てではひとからげにされがちです(韓国と日本が似たようなものとしたらネット民は怒るように、チェコとハンガリーもそうだろうか?)。
10 8月

ベートーベン交響曲第3番 I.フィッシャー、RCO/2013年

170810ベートーベン 交響曲 第3番 変ホ長調 作品55「英雄」

イヴァン・フィッシャー 指揮
ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団

(2013年5月31日 アムステルダム,コンセルトへボウ ライヴ収録 Rco/King International)

 エロイカ、Eroicaという呼び名は中学くらいなら抵抗を感じました。「エロいか?」とならなくてもさき烏賊、よっちゃんイカなんかを何割かは連想してしまいます。Eroica はイタリア語で「英雄的」という意味ですが、それは例えばどういう行為をさすのかと思います。「レッド・オクトーバーを追え」という映画の中で、艦長が乗組員を退艦させた上で機密保持のために自沈すると宣言した時に軍医から「スターリン賞(レーニン賞だった??)ものです」と言われる場面があり、その場面からは「自己犠牲=英雄的」ということが浮かびあがります。先日RTV特集で昭和20年8月に満蒙開拓団が日本の敗戦後に帰国するまでの苦難の証言を集めたドキュメントがありました。ソ連軍に住民の襲撃から守ってもらう代わりに村の女性を差し出すというむごい状況は現代の生活からは想像できるものではありません。しかしそういうケースの場合は払った犠牲が大きくても、なかなか英雄的行為だとして表に出ることはないものです(ましてや軍神、聖人にはならないはず)。

 I.フィッシャーがロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団に客演してベートベンの九つの交響曲を演奏した際に収録したものがまとめて映像ソフトになっています。まだ全曲は聴いていませんが第3番は、近年通常のオーケストラが古典派の作品を演奏する場合には珍しい堂々たる内容になっています。主題反復の加減があるとしても下記のようにアバド、ベルリンPOよりも長い合計演奏時間です。それに映像ソフトなのに音質も良くて、時々あるようなホールの音の上澄み液を拾ったような音とは大違いです。

I.フィッシャー・RCO/2013年
①18分40②15分38③06分02④12分10 計52分30
フリエンド・ネザーランドSO・2009年
①16分48②12分49③05分38④11分25 計46分40
アバド・BPO/2001年
①16分56②14分49③05分51④11分05 計48分01

 ヴァイオリン両翼配置(最近は増えているから必ずしも古いとは言えない)の上にこういう演奏時間でも古い時代の演奏とは違い、例えば第2楽章もヴィヴラート控え目、あっさりした内容です。また弓、金管やティンパニも通常のものを使っているようです。I.フィッシャーはブダペスト祝祭管弦楽団ともベートーベンの交響曲第4、6、7番と三曲を録音済でしたが、それらよりも弦の響きが厚く聴こえて、少々大柄な印象です。

 猛暑日が続く今頃に何故かエロイカの音楽が時々ちらつき、何故そうなのかと考えてみると、これを聴いていると自転車に乗っている時に向かい風を受ける心地良さと似た感触を覚えるからだと気が付きました。先日来実際に聴いていると本当に第1、3、4楽章は特にそんな感触なので、少しだけ涼しくなる気がしました。この録音は快速ということはないのに不思議な感覚です。
9 8月

ドヴォルザーク交響曲第9番 I.フィッシャー、ブダペスト祝祭O

170809ドヴォルザーク 交響曲 第9番 ホ短調 作品95「新世界より」

イヴァン・フィッシャー 指揮
ブダペスト祝祭管弦楽団

(2000年2月28日-3月2日 ブダペスト芸術宮殿 録音 DECCA/PHLIPS)

 今日は長崎の平和記念式典の中継をネット(らじる)で聴き、その際に高校野球の中継も聴けることを思い出しました。それで第4試合の明徳と日大山形を少しだけ聴き、明徳がリードされたところでやめました。また監督が試合前に余計なことを言ったからとか思っていたら、夜のニュースでは延長の末6:3で明徳が勝ったのを知りました。馬淵監督の甲子園通算49勝だそうでした。特にフアンでもありませんが例の星稜戦以来、何か変わったことをやりそう、言いそうで気になります。明徳と言えば初代監督がかなり高齢だったのを覚えていますが、その松田監督は戦前から大陸で中等学校の野球部監督をしていたとききました。

交響曲第9番 ホ短調 作品95
第1楽章 Adagio - Allegro molto
第2楽章 Largo
第3楽章 Scherzo. Molto vivace
第4楽章 Allegro con fuoco

 さて、ドヴォルザークの新世界交響曲ですが、この作品の全楽章を最初に聴いたのはいつだったかよく覚えていません。ただ、中学1、2年の頃にバーンスタインとニューヨークPOのミュージック・カセットテープを買って聴いたのはよく覚えています。それ以降にFMでテンシュテットとベルリンPOのレコードを放送していたのを聴いて、両方とも第4楽章のコーダ部分が気に入って、それ以降はそこを局所的に注目するようになりました。

 このCDはイヴァン・フィッシャーとブダペスト祝祭管弦楽団が初めて録音したドヴォルザークの交響曲でした。元々はフィリップスから出ていたものがDECCAのロゴを付けて再発売され、さらにChannelレーベルからも再発売されました(これが紛らわしい)。Channelから出ているものは全部再録音かと思っていたら、フィリップス時代に音源を再発売しているものもありました。

I.フィッシャー・ブダペスト/2000
①11分25②11分21③7分21④10分55 計41分02
ビエロフラーヴェク・チェコPO/2013年
①09分55②12分46③8分17④11分53 計42分51
マーツァル・チェコPO/2004年
①12分08②11分45③8分05④11分22 計43分20
ノイマン・チェコPO/1995年
①10分26②13分59③7分47④11分54 計45分06

 付属冊子の解説によるとこの録音では管用譜ではなく、クリティカルエディションに基づいているということですがどの社から出た楽譜かは明記していません。比較的新しいCDのトラックタイムを比べると、合計演奏時間が短めなのが分かります。2000年以降のチェコPOの録音も演奏時間が短くなる傾向なのはクリティカルエディションの影響なのかどうか。I.フィッシャーとブダペスト祝祭管弦楽団による他の作曲家の録音も速目になる傾向があり、新世界交響曲の場合は特にその特徴が好印象です。第1楽章の序奏部分をゆっくり演奏しないのはクレンペラーのEMI盤と似ています。それに第2楽章のラルゴもあっさりとしています。
1 8月

ワーグナー「パルジファル」 ヴェントリス、I.フィッシャー、RCO

170801bワーグナー 楽劇「パルジファル」

イヴァン・フィッシャー 指揮
ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団
ネーデルラント・オペラ合唱団

パルジファル:クリストファー・ヴェントリス(T)
クンドリ:ペトラ・ラング(S)
グルネマンツ:ファルク・シュトルックマン(BS)
ティトゥレル/クリングゾル:ミハイル・ペトレンコ(Bs)
アンフォルタス:アレハンドロ・マルコ=ブールメスター(Br)、他

演出:ピエール・オーディ
美術:アニッシュ・カプーア

(2012年6月 アムステルダム音楽劇場 ライヴ収録)

170801a パルジファルはワーグナー作品の中でも反ユダヤ的な性質が強いと評され、バレンボイムはバイロイトやメトでレヴァインがパルジファルを指揮していることについて、「あんな反ユダヤ的な作品を指揮するやつの気がしれない」と言っていたとか。それでもバレンボイム自身もベルリン、バイロイトで指揮することになりました。そういう風に「反ユダヤ的」というのは台本、その背景にある世界観がそうだというのだと思いますが、近年でも当たり前になった「よみかえ」演出はそういうオリジナルの?民族主義、国粋的な要素を除去、あるいは薄める、否定的に描くのが前提のはずです。

 だから逆にコッテコテに国粋的、「世界に冠たるドイツ」的な演出というのを考えるとどうなるのかと思います(映画「帰ってきたヒトラー」式にリヒャルト・ワーグナーが近年のパルジファルを観たらどう考え、どんな演出を対抗策として提示するかと、映画を見てふと思ったもので)。余談はともかく、この2012年オランダ音楽祭でのパルジファルは衣装、メイク等は近代的になっていながら、聖杯騎士団、モンサルバードといった風情を一応は残していて、その点では穏健な部類じゃないかと思いました。写真の場面は見覚えがあるのでどこかで話題になり、取り上げられていたかもしれません(よく覚えていない)。 

 視覚的に目立ったのは、聖杯が具体的に現れない、従って聖体拝領を思わせる動作も出てこないという特徴です。しかし奪われた聖なる槍は小道具として登場し、最後でパルジファルがその槍でアンフォルタスの傷口を刺し、アンフォルタスがきよめられて息をひきとっています。アンフォルタスが磔刑像から抜け出したキリストのような出で立ちで登場し、心臓あたりに流血する傷があり、それを包帯で覆っています。第一幕の聖餐の場面では、アンフォルタスが自分の体の前に垂らした白い大きな布に傷口から流れ出る血が滲むということになり、全体に赤い照明が照らしているので特に印象的です。第三幕では逆に青い照明になっているのでいっそうその場面引き立ちます(ナウシカのオウムの眼のような)。

 また、花の乙女はイスラム圏の女性が着用する黒い衣装にちょっと似て見えるのが刺激的(いいのかな、こういうのはと)で、クンドリは最初は修道女のベールのようなものを被って現れるので一層花の乙女の装束が気になりました。第三幕で聖餐に集まる騎士らは顔に黒十字をペイントしていてショッカーかゴレンジャーの黒十字軍のように見え、花の乙女とも似ていたのであれはどういう意図なのかと思いました。ティトレルとクリンクゾールが同じ歌手が受け持つというのも微妙な印象です。第二幕ではあっけなくパルジファルの一撃で倒れ、あっけない印象です。第二、三幕では舞台中央奥に円形の穴、鏡のようなものが据えられているのが目立ち、聖杯が登場しないことと繋がりがあるのかどうか。舞台上のセットは比較的簡素なので具体的な場所、設定は想起し難くなっています。

 音楽の面、オーケストラ、歌唱、音質の方はかなり素晴らしくて、主要キャストは皆役柄に相応しい声ではないかと思いました。パルジファルは外見がちょっとロートルな割にまだ少年的な美声が際立っていてパルジファル向きだと思いました。拍手が特に盛大だったのはイヴァン・フィッシャーが登場した時でしたが、歌手ではクンドリのペトラ・ラングかグルネマンツのファルク・シュトルックマン、次いでパルジファルのクリストファー・ヴェントリスといったところでした。なお、終演後は拍手に混じって口笛か指笛のような音もけっこう聴かれ、花の乙女かクリンクゾルのところで特に目立っていました。オーケストラ演奏の方は割りに淡泊な方で、特に第三幕はもっと濃厚な表情の演奏もあるかと思うので聖金曜日前後あたりはちょっと物足らない印象でした。
26 6月

チャイコフスキー交響曲第6番 I.フィッシャー、ブダペスト祝祭O

170626bチャイコフスキー  交響曲 第6番 ロ短調 作品74 「悲愴」

イヴァン・フィッシャー 指揮
ブダペスト祝祭管弦楽団

(2014年1月 ブダペスト芸術宮殿 録音 Channel)

170626a  梅雨空と蒸し暑さの今頃の時期は個人的にチャイコフスキーの悲愴交響曲が旬となっています。合理的な根拠があるわけでなく、中学生の時にレンタル・レコードで悲愴交響曲を借りてテープに録音して頻繁に聴いたのがこの曲に親しむきっかけになったのが原因です。この曲とブラームスの第4交響曲は長らく愛聴する作品で、生涯の十曲・交響曲篇を挙げるなら絶対に外せないものです(そういえば故、宇野功芳の書いたものにチャイコフスキーとブラームスを軽侮する論調がありましたが、悲愴交響曲とブラームス第4は誰がなんと言おうが外せない)。

 マーラーの交響曲シリーズが進行しているイヴァン・フィッシャーとブダペスト祝祭管弦楽団のコンビは同じレーベルに有名作品を録音しています。一部は旧録音をそのまま再発売しているものもあるようですが、出身地のハンガリー系作品に限らず独墺系(ブラームス、シューベルトとか)も手掛けています。日本語帯にフィッシャーを「鬼軍曹」と評していて、ブダペスト祝祭管弦楽団が定期的にオーディションを課してメンバーを入れ替えているそうなのでそれとあわせてオケ、演奏技術の水準を保つよう苦心しているということでしょう。

交響曲 第6番 ロ短調 作品74
第1楽章 Adagio - Allegro non troppo
         ( - Andante - Moderato mosso - Andante - Moderato assai - Allegro vivo - Andante      come prima - Andante mosso)
第2楽章 Allegro con grazia
第3楽章 Allegro molto vivace
第4楽章 Finale. Adagio lamentoso 
         (- Andante - Andante non tanto)

 イヴァン・フィッシャーは(アムステルダム)ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団に定期的に客演して好評を得ていりょうで、バッハのマタイ受難曲やベートーベン・チクルスだけでなくパルジファルの舞台上演も手掛けています。それでどういう演奏の特徴なのかと思い返すと、簡単に表現できるこういうタイプというのがなかなか定まらない気がしました。チャンネル・クラシックのマーラーはSACDでマルチ・チャンネル仕様もあるので注目していますが、奇をてらう、爆演タイプではない印象です。

 悲愴交響曲も合計で46分強の演奏時間であり、情緒過剰にならず純音楽的なタイプだと思いました。第3楽章はかつてクレンペラーがアメリカ時代に終楽章をカットしてこの楽章で終わるよう興行主に頼まれたくらいの派手な楽章ですが、そんなに熱狂的に興奮に湧きかえるといった趣でもありません。第1楽章の中番、 ff で始まる Allegro vivo もびっくりするような鋭さになっていません。終楽章も粘り絡みつくような感じでなく、清澄ささえ感じられる美しさを保って終わります。聴いていると「悲愴」という名称も不要なくらいです。
5 2月

マーラー交響曲第6番 イヴァン・フィッシャー、ブダペスト祝祭O

170205aマーラー 交響曲 第6番 イ短調「悲劇的」 

イヴァン・フィッシャー 指揮
ブダペスト祝祭管弦楽団

(2005年2月 ブダペスト芸術宮殿 録音 Channel)

170205 昼前にPCの電源をオンにしたところ、ライヴドアのサイトにビートたけし、「『1億総活躍』はツッコミどころ満載」と一刀両断という見出しが目に付きました。著書『テレビじゃ言えない』(小学館新書)の中で次のように述べているとか。「総理本人が考えたのかブレーンやコピーライターが考えたのか、それはオイラにはわからない。けど、とにかく最悪のキャッチコピーなのは間違いない。もう、一億玉砕とか一億火の玉みたいな、戦時中の危なっかしい国威発揚のスローガンとほとんど同じに見えちまう。」大抵は見出しだけ見て(「続き」をクリックしないで)通り過ぎるけれど、見出し下、三行目の最後に「毎年3万人も出ている自殺者をどうにかするほうが先決だよ」という部分に大いに納得、感心したので続きを読むと上記のような内容が出てきてさらに感心したしだいです(慧眼ぶりに)。ここ数年ポータルサイトのニュースには韓国、中国の不祥事まがいの事件とそれに絡めて日本はスゴイというネタが目立つので今回は珍しいと思いました。

マーラー  交響曲 第6番 イ短調 「悲劇的」
第1楽章: Allegro energico, ma non troppo
第2楽章: Andante moderato 
第3楽章: Scherzo: Wuchtig 
第4楽章: Finale: Allegro moderato 

170205b このところ続くマーラーのCD、引き続き交響曲第6番です。イヴァン・フィッシャーとブダペスト祝祭管弦楽団によるこの録音はCD1枚に収まります。また、第2楽章はスケルツォではなくてアンダンテになっています。I.フィッシャーは中間の二つの楽章を入れ替えつつ何度か実演奏で試した結果、第1楽章の後にスケルツォが来ると「重すぎる」という結論に達したそうです。研究成果を受けて最近は第2、3楽章をアンダンテ、スケルツォの順に演奏する方が増え、ジンマンやシュテンツもその配列で演奏しています。あと、終楽章のハンマー打撃は多分2回です(聴いているうちにハンマー回数をカウントしている自覚が無くなる)。

フィッシャー・ブダペスト/2005年
①22分23②13分43③12分52④29分23 計78分24
ジンマン・チューリヒ/2007年
①23分50②14分04③13分56④29分49 計81分39
シュテンツ・ケルン/2013年
①23分40②14分47③12分47④29分49 計81分13

170205c ジンマンやシュテンツよりも3分程短い演奏時間のためか、途中でCDを入れ替えないおかげか各楽章の一体感、結びつきの感じが強く感じられます。それにアンダンテ楽章が2楽章に来るものの中ではこれまでで一番説得力があり、この順序の方がしくっりくると実感できました。ただ、「悲劇的」という名称そのままな作品だとしみじみ感じながら、何故か明るい光さしている不思議な対照感が印象的です。先月の同コンビによるマーラー第9番とも似た感じで、これはホールの音響等が影響しているのかとも思いました。20世紀前半の映像をカラー化して再現したものがテレビで放映されたことがあり、第2次大戦期の日本がカラー映像で動いているのに、それを観ていてえも言われない感慨を覚えました。このマーラー第6番も、従来の演奏、録音がモノクロだったのがこれではじめてカラー化されたような鮮烈さだと、誇張すればそういう感じです。

 第1楽章の冒頭からの部分は例によって行進曲調になっていますが、第6番は学徒出陣の壮行会で行進する姿を時々連想します。第2主題、アルマの主題が出るあたりでそんな妄想から引き戻されて助かります。あの行進の列から抜けて来るという自由は当然無いはずですが、昭和49年か50年にTVアニメ化された宇宙戦艦ヤマトは、出航時にヤマトに乗り組むまでの行進の際に乗艦を希望しない者は列から抜けるのを認めるという設定になっていました。再放送でその場面を何度か観る度に「戦後」をしみじみ実感していました。今世紀に入って何度か東京に行った際、「出陣学徒壮行の地」碑を探したことがありました。現在は秩父宮ラグビー場に移転されてもちゃんと碑はあるので、さすがに取り壊したりしないのだと安心させられます。
21 1月

ブルックナー交響曲第7番 I.フィッシャー、ブダペスト祝祭O

170121bブルックナー 交響曲 第7番 ホ長調 WAB.107(ノヴァーク版)

イヴァン・フィッシャー  指揮
ブダペスト祝祭管弦楽団

(2012年3月30日 ブダペスト芸術宮殿 録音 Channel)

 昨夜はかなり早めに寝て、もう日付が変わったかと思って目が覚めたらまだ23時30分でした。これなら米国大統領の就任式の中継でもみようかと思いましたが、既にストーブも消して寒かったからやめにしました。就任式はなんとか無事に終わり、翌日のニュースで「あむぅえりか ふぁあすと」という言葉を何度か耳にして、これまでと違ったことは言ってないようでした。ただ、アメリカ第一主義云々ときくと、まるでこれまでの米国が自国の利益を後にして世界のために慈善的活動に勤しんで来たようにきこえてどうにも違和感を覚えてしかたありません(今までも自国第一じゃなかったのかと)。それはともかく、はっきり自国第一と宣言するのは明快で結構かもしれません。

170121a さてイヴァン・フィッシャーとブダペスト祝祭管弦楽団が、有名作品をチャンネルクラシックに録音しているSACDの中に一曲だけブルックナー作品がありました。それがこの第7番で無難なところと言えるかもしれませんが、下記のトラックタイムを見れば分かるようにかなり短い演奏時間になって目立ちます。だいたい64、5分以上かかるこの曲が60分を完全に切っていて、最近のCDではインバル東京都SOの58分台があるくらいで、ちょっと珍しい傾向です(ボルトン、ザルツブルクも64分くらい)。実際に聴いた印象は、ところどころで忙しないように加速してトラックタイムと概ね合致する感じです。先日のヘスス・ロペス=コボスの演奏をもっと徹底させたようなスタイルです。

フィッシャー・ブダペスト/2012年
①18分42②18分36③09分04④10分22 計56分44
インバル・東京都SO/2012年
①18分28②19分13③09分09④11分44 計58分34
ズヴェーデン・オランダ放送PO/2006年
①23分08②25分54③09分45④12分44 計71分31
ブロムシュテット・ライプチヒ/2006年
①21分32②24分22③10分08④12分42 計68分44
ボッシュ・アーヘンSO/2004年
①19分50②23分06③09分30④11分34 計64分00 

 これくらいの演奏時間差が出てくると、過去の演奏、録音によってなんとなく形作られた作品観とはかなり違ったものと感じられます。それでも聴く前に想像した演奏、ベートーベンの交響曲、急な楽章の終わり方と似たような感じになる、といったタイプとは違って既存のブルックナー像の枠に収まっている感じでした。I.フィッシャーの一連のシリーズの中には旧フィリップスへ録音したものの再発売も含まれているようで、また日本語の帯が付いた仕様もありました。その中でマーラーの第5番について、彼はこれをもっともユダヤ的と評していると書いてありました。ということは自身の民族についても意識しているのがうかがえて、自己のアイデンティティは単純じゃなさそうだと思いました。

 それを反映してか、マーラーの方は既に六曲録音済なのにブルックナーはこの第7番だけになっています。これを聴いて他の大作、第5、8、9あたりも是非取り組んでほしいと思いました。 こうした演奏、演奏時間になるからには独自のブルックナー観があるはずで、どうも気になります。それにSACDのマルチチャンネルもかなり具合が良くて、その点も期待できます。
15 1月

ブラームス交響曲第2番 I.フィッシャー、ブダペスト祝祭O/2012年

170115bブラームス 交響曲 第2番 ニ長調 Op.73

イヴァン・フィッシャー 指揮
ブダペスト祝祭管弦楽団

(2012年2月 ブダペスト芸術宮殿 録音 Channel)

 昨夜に雪の話を書いていたら今朝目がさめたら10センチくらいの積雪があって、自動車の屋根にもこんもりと積もっていました。すぐに溶けると思っていると気温も低くて、9時過ぎでもたっぷり残っており、おまけに道路もアスファルトが見えないところが大半でした。と言っても凍結しているわけでなし、豪雪地帯に比べれば何でもないと思って車で家を出たところ、動いている車があまり無くて、車輪の後を通ろうとしても鮮明でなくて困りました。やむをえずパートタイム4WDの低速モードを模したXモード(フルタイム4WDのフォレスターに装備されている) を使って幹線道路までのろのろと走りました。途中で電車に乗り、京都市内まで行ったらさらに多くの雪が残っていて、本格的なチェーンを巻いた車の音がきこえました。チェーンの巻き方は教習所で一応習ったのに全く覚えていなくて、そろそろ自分で装着出来るようにしておかねばと思って金属製のチェーンを付けた車を見送っていました。

170115a さて、 イヴァン・フィッシャーとブダペスト祝祭管弦楽団のブラームス交響曲第2番。先日のマーラー第9番の印象からすれば、この曲にうってつけだと想像した通り、かなり素晴らしい演奏でした。自分の中ではブラームスの四つの交響曲の中では親近度四番目な第2番ですが、これは冒頭から鮮烈で音質共々に滅多に感じられない程の好印象でした。これはI.フィシャーのブラームスでは第2弾にあたり、目下第3番を残すのみとなっています。このCDの紹介記事(HMVのサイト)にはフィッシャーが「ブラームスの交響曲第2番を “ Sunny ” と例える」と記載されていました。英語の意味だとしたら「日当たりが良い」とか「陽気な」くらいなので、この曲にこの語を冠したとしても別に特異ではないはずです。しかし、その記事には「ますます冴え渡る独創的な解釈」と続いています。

 解説の英文を読めば分かるのでしょうがそこまでの根気は無いのでやめておきます。この録音の素晴らしさはI.フィッシャーの指揮だけでなく、ブダペスト祝祭管弦楽団の演奏、技量にもあるはずで、ベートーベンやマーラーの時以上に冴えわたっているように思えました。1983年に設立の約十年後の1992年から常設のオーケストラになり、団員とはソリストとして契約し、毎期オーディションを課しているようです。 現在でもそんな頻度でオーディションを行っているのかどうか分かりませんが、20年以上団員として契約しながら直近のオーディションで水準にみたないと判定されたらちょっと困ったことになるだろうと思います。他の有名オケでこういう制度を実施したら現在の団員が入れ替わるところも出るはずで、選考、審査に納得が行かない場合は却って水準が下がったり、士気が低下することも考えられます。

 この曲は過去にあまり扱っていなくて新しい録音も少ないですが、下記のように以外に?今世紀に入って録音したギーレンと第1楽章以外は近似した演奏時間になっています。

イヴァン・フィッシャー/2012年
①20分06②09分00③5分38④09分33 計44分17
ギーレン・SWRSO/2005年
①14分53②09分15③5分25④09分36 計39分30
ジュリーニ・ウィーンPO/1991年
①18分00②12分20③6分02④11分05 計47分27

 往年の名指揮者セルも厳しく団員の入れ替えを行っていたというのでこれも宿命ということでしょう。ともかくCD(SACD)でI.フィッシャーとブダペスト祝祭管弦楽団を聴いていると彼らが来日したら是非ホールで聴きたくなってきました。 何度も来日しているのにその時にはCDも聴いたことがなく、アダム・フィッシャーの弟くらいの認識だったのが残念です。
13 1月

マーラー交響曲第9番 I.フィッシャー、ブダペスト祝祭O/2013年

170113aマーラー 交響曲 第9番 ニ長調

イヴァン・フィッシャー  指揮
ブダペスト祝祭管弦楽団

(2013年11月30日,12月1-2日 ブダペスト芸術宮殿 録音 Channel)

 先日の夕方、大阪フィルの定期で井上道義がショスタコーヴィチの交響曲第11、12番を一度に指揮しすることを思い出してチケットを申し込みました。 ロシアのオケが来たとしてもこの二曲をプログラムに入れる可能性は低いのでこの機は逃せないと思いました。来年度の最後は同じくショスタコーヴィチの交響曲第2、3番を一度に演奏する予定になっていました(第11、12番のプログラムを見た時に次は第2、3番を期待したので早くもかなった)。それから三月はびわこホールで「ラインの黄金」の上演で、これも申し込み済ですが、今年に入ってからだったので空きがかなり少なくて危ないところでした。びわこホール周辺も施設内も飲食店が少なくて、おまけに浜大津周辺もそうなので当日はホールに着く時間に注意です。

170113b しばらくマーラーを聴いていないと年末頃から思っていて、このところ第9番が断片的に頭の中にちらついていました。それでこの新しい録音で最初から聴いたところ、先日のワルター最晩年のベートーベン第7番とはうって変わり、明朗で万事これから始まる直前のような印象でした。そんなのは聴く者ののその時々の気分で変わるとしても、特に第2、第3楽章でさえも屈託のない純朴さなので、この作品はこういうものだったのかと、今までよほど自分はひねくれてとらえていたのではないかと思うくらいです。1980年代後半のマーラー・ブームに第9番は第1楽章だけならどんな指揮者でも成功するとどこかに書いてあったか、誰かが話していたことがあったと覚えています。実際、四つの楽章を連続して聴くと両端楽章だけ印象に残り、中間の二つの楽章はどういう関係があったのかと妙な断絶、分裂感が残る場合がしばしばありました。この録音はそういう不満は無くて、四つの楽章の一体感は抜きんでていると思いました。
 
 それにしても、告別云々が取りざたされる第9番がこんなに率直に、自然の風景を見るような美しさで迫ることは稀じゃないかと思いました。演奏者を民族で一律に語るのは不適切だと吉田秀和氏の著作にも出ていましたが、敢えてそうするなら独墺のユダヤ系指揮者の振る第9番はこんな感じじゃなかったと思いながら聴いていました(特にクレンペラーとか)。といってもイヴァン・フィッシャーもユダヤ系ハンガリー人なので、それこそ民族では測れないものです。調べるとI.フィッシャーとブダペスト祝祭Oは第9番以外にも第1、2、4-6番と5曲も録音していて、知らない間に全集ペースで進んでいます。

 繰り返すとこれを聴いていると、マーラーの創作活動もまだまだ後に何年も続くような、またこれから新しいことが始まるような息吹があふれているような気になります。花とか蝶、蜜蜂等々、春のキャストが出番前に衣装でも合わせて準備でもしているところを連想します。しかし実際にはマーラーは第9番の初演を指揮することもなく、聴くことも出来ずに世を去っているわけです。分かり切った経緯ながら、作曲者の没後100年以上経ってこういう録音を聴いていることが不思議に感慨深く思えました。
3 1月

ベートーベンの田園交響曲 I.フィッシャー、ロイヤル・コンセルトヘボウ管

170103bベートーベン 交響曲 第6番 ヘ長調 op.68 「田園」

イヴァン・フィッシャー 指揮
ロイヤル・コンセルトへボウ管弦楽団

(2014年1月9-10日 アムステルダム,コンセルトへボウ ライヴ収録 Rco/King International)

 新年あけましておめでとうございます。本年も続くところまでよろしくお願いいたします。これが今年一回目の更新です。元日以外はほぼ寝たきりな正月なのであっという間に三が日は過ぎました。大晦日の夜にしめ縄をつけようとしたら、なんと縄にセットされた柑橘類に既に青かびが付き、腐敗しはじめていました。ゲンクソ悪いやら、自然の営みそのままで余計な薬品の添加が無くて健全ということか。このての飾り物も腐るくらいなら、オペラの演出、セットと同じように様式化させてそれらしい図案で代替させてもいいかなと思いました(既に鏡餅はそれに似たミチュアセットが流通している)。今年は大晦日に何故か打ち上げ花火が上がったり、日付が変わり寝付いた頃に極道の喧嘩のような騒音で起こされて、何から何までケチが付く滑り出しでした。寝付けなくて一人でTVを付けると「朝まで生~」が始まっていて、井上達夫(新喜劇じゃなく法哲学者)も出ていたので観ようかと思ったら、個人的にムシが好かないカマキリ顔の論客も居たので即消しました。

170103a この田園交響曲はアムステルダムのロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団に定期的に客演して好評を得ているらしいイヴァン・フィッシャーによるベートーベンの交響曲全曲を収めた映像ソフト(ブルーレイ)の中の1曲です。 2管編成、対向配置による演奏ということですが、このオーケストラニヨルベートーベン全集は久しく無かったはずなので、現代でも定期的にベートーベンの交響曲を演奏しているのだと妙な感慨を覚えました。これ以前のコンセルトヘボウ管弦楽団によるベートーベンはサヴァリッシュ指揮のものが1990年代にあったので、1960年代のヨッフムまで遡らなければ全集が無かったというわけではありませんでした(一瞬そうかなと思った)。全曲の演奏時間が約47分になるこの録音は、極端にピリオド楽器奏法に傾斜したようなスタイルではなくて、良い意味で普通に親しめるベートーベンの田園になっています。

 I.フィッシャー・RCO/2014年
①12分06②14分09③5分28④3分56⑤11分21 計47分00
I.フィッシャー・ブダペスト/2010年
①11分52②13分38③5分01④3分46⑤10分58 計45分15
K.ナガノ・モントリオール/2011年
①11分52②11分41③4分51④3分33⑤09分05 計41分02
インマゼール/2006年
①10分23②11分59③4分43④4分00⑤09分15 計40分20

 I.フィッシャー(Iván Fischer, 1951年1月20日 - )は手兵のブダペスト祝祭管弦楽団を指揮してベートーベンの交響曲を何曲か録音していました。そのCDのトラックタイムと比べるとやや長めになりますが、今回は終楽章のみ終演後の拍手等を勝手に省いたものの、途中の楽章間の時間はそのままにして表記しているから、実際はもう少し差が小さいかもしれません。そうだとしても、終楽章はかなり長いと感じられて、実際ケント・ナガノとは2分以上の差が出ています。

 この曲で長目の演奏時間になるとだれそうかと思いますが、この録音に関してはそんな感じではなくて、あまり起伏を強調する風でもないのに自然と作品に浸りきれるような演奏です。最初の方で「普通に」とかコメントしていながら、この辺の感じはなかなか余を持って換え難いものだと思います。それに廉価BOX化されているのに映像ソフトとしては音質も良好な方です。
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raimund

昭和40年代生まれ、オットー=クレンペラーの大フアンです。クレンペラーが録音を残したジャンルに加え、教会音楽、歌曲、オペラが好きなレパートリーです。

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