raimund

新・今でもしぶとく聴いてます

歌手:ヘルマン・プライ

29 10月

シューベルト「冬の旅」 プライ、ビアンコーニ/1984年

231029bシューベルト 歌曲集「冬の旅」 D.911,op.89

ヘルマン=プライ:バリトン

フィリップ・ビアンコーニ:ピアノ

(1984年4月3-6 ハンブルク,フリードリヒ・エバーハルト大ホール 録音 DENON)

231029a 先日、何泊かで出かけていましたが温泉でも観光地でもなく、病院へ短期入院でした。二十数年前も時代祭りの頃に入院して手術していたので当時のことも思い出しました。その時は胆石、今回は尿管結石、意志は弱いくせに体内に硬い石ができて困ります。今回は運悪く相部屋の一人が吠え猛る獅子のようなクレーマーで、到着した時からナースコールを連打して吠えていました(傍で聞く儂の方が腹が立つでな/実際うるさくて困る)。それはともかく、新型コロナの影響のためか、ベット周囲の仕切りカーテンの全方向を昼間でも閉めきるようになり、互いに挨拶、会話もないのにはちょっと驚きました。病室に到着した時に看護師にちょっと挨拶をと言うと、目で制するような変な表情で、しんどくて寝てる人も居るので顔を合わせた時でいいでしょうと言われ、それは狂暴なクレーマーが居たからでしょうが、それだけでもなさそうでした。この25年間で自己負担額が増えただけでなく、人心がどこかしらすさんだようでした。

 ヘルマン・プライ(Hermann Prey 1929年7月11日 - 1998年7月22日)
が三度目にセッション録音したシューベルトの連作歌曲集「冬の旅」、若手のピアニストを共演に選んだことでも注目されました。ちょうど55歳になる年なのにそんな年代とは思えないくらい若々しい声が印象的です。単純にそういう美点だけではなく、やや冷たくきらめくようなピアノに集中しようとすれば歌い手がそこそこの年齢だということを思い出すという不思議な魅力です。実はこのCDを病室に持ち込んでポータブル・プレヤーで再生しようとすると、付けたケーブルが製品付属のとは違うものだったのかHOLDという字が表示されて再生できず無駄になりました。

 このCDは国内盤DENONの三枚組(三大歌曲集)CDで付属冊子が付いていて、冬の旅については「二十四の絶望変奏曲」とタイトルが付いています。絶望という言葉は文学なり美術なりの分野でも時々出てくるものかもしれませんが、そもそもどういう状態なのか、不自由や不便とそれが当人の意思に基づかない強制的なもので、かつ、それがいつ解かれるか分からないとか、拷問やら身分による縛りとか色々思い浮かぶことはあります。それでは絶望の反対は何かと考えると、自分にはそれは縁遠いからかもやもやっとして出てきません。仮に絶頂のようなことがあったとしても、結局は過ぎ去り、ごく短い間のことではないかと思います。

 そう考えると絶望とまで言わないまでもその何歩か手前くらいは結構身近な居場所のような気もします。自覚はなくてもまわりからは「よく普通に生きて~」と思われているかもしれません。「冬の旅」は昔から好きな作品で一定の間隔が空くと聴きたくなりますが、歌唱を聴いた後に寒気のような怖いものを感じることは稀で、F.ディースカウ、ムーアの1962年EMIと白井光子、H.ドイチェの1989,90年CAPRICCIOくらいでした。特にその年代より新しい録音、演奏の場合聴いていてそんな強烈な刺激受けることはなく、そもそも目指してもいないのじゃないかと思いますが、今回のプライの歌は恐怖を覚えるような井戸の底を覗き込むようでありながら、フォルテピアノと共演する演奏のような明解さも何割かは入っているようです。繰り返し聴くたびに愛着が増して、当初は分からなかった事柄に気が付くかもしれないと思いました。今回の入院持参だけでなく、過去に何度か記事化しようとして保留にしていました。
6 6月

シューベルト 水車小屋の美しい娘 プライ 三度目/1985年

230606cシューベルト 歌曲集 「美しき水車小屋の娘」D.795

ヘルマン・プライ:Br

フィリップ・ビアンコーニ:ピアノ

(1985年 ドイツ,ヴィルトバート=クロイト,ハンス・ザイドル財団大ホール 録音 DENON)

230606b シューベルトの三大歌曲集 “ Die Scöhne Müllerin ” は「美しい水車小屋の娘」という日本語訳が定着しています。「美しい」のは娘であって水車小屋が見事な細工で美しいわけではないと了解されていますが、それなら「水車小屋の美しい娘」で良いのじゃないかと書いてあったことがありました。そう思ったらまさにそれをタイトルにした「水車小屋の美しい娘 シューベルトとミュラーと浄化の調べ 梅津時比古(春秋社)」という単行本を見つけました。その最初の方に、三上かーりん(三上・カタリーナ・マルガレータ 1934年4月28日:独,ヴェストハイム-2019年1月:日,東京/日本人と結婚して三上姓)というピアニスト、歌曲ピアニストを紹介してあり、彼女の実家が代々製粉業を営む水車屋だったそうで、この「美しい(scöhne)」はどの語にかかるのかを講演の際に自己紹介する材料にしていたとか。それから「水車屋」、
水車の動力で製粉する家業は社会的に低く見られ、一種の差別を受けるものだったそうです。新約聖書の福音書に出て来る徴税人ほどではないかとおもいますが、そもそも階級社会だからこういうものは他にもあるのでしょう。

230606a その本は少し読んだだけですが、同時にヘルマン・プライ(Hermann Prey 1929年7月11日 - 1998年7月22日)の三度目録音とブンダーリヒのDG録音のLPを聴いていたのでバリトンとテノールの両方で歌うことの差が妙に気になるというか、際立ちます。プライにとってビアンコーニとの録音がこの作品の三度目ということになり、録音当時は50代半ばでした。若手のピアニストを起用したこの水車小屋(このピアニストと三大歌曲集を連続して録音している)は不思議なくらい負の感情を感じさせない、また、感情の起伏が抑えられて大らかな歌になっています。

 そういう歌唱なので上記の社会的、職業的差別云々ということを連想し難いもので、全部飲み下して達観したとでも言えば良いのか、そういう穏やかさに覆われています。
第14曲 “ Der Jäger (狩人)” 、第15曲“ Eifersucht und Stolz (嫉妬と誇り)” でも攻撃的な感情は抑えられていて、例えば若い頃のペーター・シュライヤーを連想すると対照的におとなしいものです。同じテノールでもヴンダーリヒの方は何となく今回のプライに近い印象です。そう思いながら何度か聴いていると、何となく陰り、曇りを帯びているようにも思えて、そんなに単純なものでもなさそうです。

 それにしても、現代の極東に住まう我々は水車小屋とか製粉ときくとどこかのどかで、和やかな感じがしますが、社会的、職業差別の対象だったとはちょっと意表を突かれます。といっても日本にも複雑な問題はあるので、別に驚くこともありませんが、こういう背景を知ると作品に対する印象がちょっと違ってきます。他にも水車小屋、人里離れた地にある、という点で密会には好都合であることから性的な事柄を暗示する言葉という意味もあったりとか、歌詞に対するイメージから想像する映像が陰りを帯びてきます。
27 11月

マーラー「さすらう若人の歌」 プライ、ザンデルリング/1960年

211127bマーラー 歌曲集「さすらう若人の歌」

ヘルマン・プライ:Br

クルト・ザンデルリング 指揮
ベルリン放送交響楽団


(1960年 ベルリン,Staatliches Komitee für Radio 録音ETERNA/Berlin Classics

211127 関西の私鉄各社も終電を繰り上げや本数を減らしていて、一応現状ではコロナの感染者数が減っていてもコロナ前には戻していない状況です。それ以前に例えば京阪の支線ではワンマン運転に移行して、無人化した駅も出ています。そのコロナに新たな変異種が現れたとかで、また暗雲が・・・。京都府下の飲食店の営業時間や会食の人数制限が撤廃されたところだけに複雑な心境です。今日の午前中にかかりつけの医院に行ったところ、去年とはうって変わって凄い混み方でした。今度はインフルエンザの予防接種の予約が集中していました。

211127a ヘルマン・プライ(Hermann Prey 1929年7月11日 - 1998年7月22日)の「さすらう若人の歌」ならハイティンクとアムステルダム・コンセルトヘボウOとの1970年録音がマーラーの色々な作品とカップリングされていました。たまたま交響曲第1番の1972年再録音盤のCDに入っていて、プライが十年程前にも同曲を録音していたことが分かり、それで今回のクルト・ザンデルリングの95歳誕生日記念のCDにも収められているのが分かりました。正確な録音データは載っていなくて、ネット上に紹介されているものの中に1960年という年と場所を記しているものがありました。最初に発売されたのが1961年と注記されているので前年に録音されたとしても不思議ではありません。ヘルマン・プライが31歳くらいの時の演奏ということになります。当時の東ドイツが東西ベルリンの通行を禁止して壁を造り出したのが1961年8月13日だったそうで、その直前にプライは東側へ赴きレコーディングしたわけです。今回聴いたのはザンデルリングの95歳のCDとエテルナの10インチLPです。

 LPとCDの両方で聴いたところ、十年後の録音よりも感情が生々しいというか、波立つ水面をそのままにしたようで、歌詞の世界が身近に迫ってきます。プライの声は何となく明朗で楽観的なものを連想させると思っていましたが、この作品の演奏では何とも憂いを帯びて陰のある寂しさを感じさせる素晴らしい歌だと思いました。これに比べると十年後の方はより精緻に、丁寧に仕上がっているものの静止画像のような感覚です。その再録音時に発売された際はマーラーの「亡き子をしのぶ歌」とカップリングされていたようで、プライもマーラー歌曲に何度も取り組んでいたのを再認識しました。

1.“Wenn mein Schatz Hochzeit macht”
  恋人の婚礼の時
2.“Ging heut' morgens übers Feld”
  朝の野を歩けば
3.“Ich hab' ein glühend Messer”
  僕の胸の中には燃える剣が
4.“Die zwei blauen Augen”
  恋人の青い瞳

 マーラー自身が作詞した「さすらう若人の歌」は、フィッシャー・ディースカウとフルトヴェングラーの録音もありました。プライは彼がレコーディングした作品を後を追うように録音し続けてフィッシャー・ディースカウが怒ったというのはもう少し後だったか、とりあえずこの作品も既にフィッシャー・ディースカウがレコードを出していました。
27 10月

シューベルト「白鳥の歌」 プライ、ムーア/1971年

161027aシューベルト 歌曲集 「白鳥の歌」 D.957

ヘルマン・プライ:バリトン

ジェラルド・ムーア:ピアノ

(1971年10月 ミュンヘン 録音 DG/PHILIPS)

  子供の頃、秋の恒例の一つに枚方公園の「菊人形」というのがあって、それだけはというかそれを口実に毎年ヒラパーこと枚方パークに連れて行ってもらいました。それと関係は無いとしても近所でも鉢植えの菊を栽培しているところがけっこうありました。こういうのも流行り廃れがあるのか、ここ15年くらいで滅多に見かけなくなりました。いつだったか奈良県の天理市役所の玄関に市民の自慢の菊がずらっと並んでいたことがあり、花より団子の人間でも圧倒される見事さでした(鉢もでかい)。いつの間にか枚方の菊人形展も立ち消えで、菊を見る機会も少なくなり、そもそも遊園地の数も減ってしまいました。

161027b これはヘルマン・プライが二度目に録音したシューベルト三大歌曲集からの「白鳥の歌」です。旧フィリップスから出ていましたがCD再発売の際にはDGのロゴを付けた三枚組になりました。記載された録音年は三大歌曲集を同じ機会に録音したことになっています。プライが40代前半の頃なので一気に完成させたのでしょうか、それかデータが間違っているのか。初回録音の方は「冬の旅」が1961年、「白鳥の歌」は1963年で「美しき水車小屋の娘」だけが遅れて1971年5月でした。 ピアノを受け持ったのはカール=エンゲルだけが二度共演(冬の旅・初回、水車小屋・初回)していますが他はそれぞれ違うピアニストです。もっともプライの三度めの三大歌曲集は三つともビアンコーニとの共演でした。

161027 ヘルマン・プライも「冬の旅」や「白鳥の歌」を演奏するにあたって歌詞を原詩に戻したり(冬の旅)、 末尾にD.945 「秋」を加えたり等こだわりを持っていろいろやっていました。特に「白鳥の歌」については、深刻な曲であるハイネによる第13曲 Der Doppelgänger(影法師)を歌った後、連続して軽快な曲調であるザイドル作詞の第14曲 Die Taubenpost(鳩の便り) は歌えないと言っていました。実際に公演の時に通常の曲順で演奏しようとして、第13曲目が終わったところで本当に次が歌えなくなり一旦中断したとどこかに載っていました。それがいつ頃のことだったのか、とりあえずこの録音では通常の順序で連続演奏しています
(日を変えて録音したのかもしれないけれど)

 ただ、確かに「影法師」は本当に作品に入り切って歌っている感じで、この曲の終わりが全作品の完結のような充実感なので、そこからがらっと曲調が違う「鳩の便り」は歌うのは大変だろうと思えます。第13曲目まで一気に歌い切ったところに別物を移植したような違和感も否定できない気もします。元々が作曲者自身による連作歌曲集じゃないので、迫真に歌う程にそうした違和感が鮮明になるのは仕方ないのかもしれません。とにかく、改めてこの「白鳥の歌」を聴いていると二回目の録音ではこれが一番自信と確信に満ちて会心の歌だと思いました。
10 9月

「美しき水車小屋の娘」 プライの初回録音、エンゲル(P)

160910シューベルト 歌曲集 「美しき水車小屋の娘」 D.795

ヘルマン・プライ:Br
カール=エンゲル:ピアノ

(1971年5月25-27日 ミュンヘン,ブリーンナー通・民衆劇場? 録音 ワーナー・ジャパン/TELEFUKEN)

 先ほどプロ野球、セントラルリーグの広島カープがリーグ優勝を決めました。初優勝は昭和50年のことでピッチャーの外木場、金城はなんとなく覚えています。また、前回優勝の年は出町柳駅前の中華屋でニホンシリーズの初戦をラジオ中継で聴いたのをよく覚えています。現在のカープの新井貴浩選手が現在セ・リーグの打点一位であり、タイガースから古巣へ戻ってここまで活躍するとは。ところで、このところ民進党の党首候補者の国籍についてネット上でちょっと話題になっています。 騒ぎにしたい方々の本音は法律上の手続きに関心があるのではなく、血統やら民族を強調したいのではないかと思われます。それを受けてかどうか、ネット上のニュースで故、新井将敬代議士の未亡人が出版した手記のことが出ていました。新井将敬氏は帰化して自民党の衆議院になっていましたが、最初の選挙の際にポスターに元の国籍に関わる誤った情報を書いたシールを貼られた事件(公職選挙法違反の妨害事件)がありました。犯人は同じ党の議員の秘書だったという陰湿な構図(当時は中選挙区制)でした。この場合は国籍は単一ですがそれでもケチが付いたわけでした。

 このヘルマン・プライの「美しき水車小屋の娘」は、彼がフィリップス・レーベルへ同曲を録音した同じ年の約五カ月前に録音したものでした。これがプライによるシューベルト三大歌曲集の初回録音の最後にあたりますが、なぜ再録音とこんなに期間が接近しているのか不思議です。 「白鳥の歌」の初回は1963年、「冬の旅」が1961年だったので公演では水車小屋全曲でなくても抜粋で歌ったことはありそうなのに、取り上げるのにかなり慎重だったようです(この点について書かれたものを読んだ覚えがあるけれど、具体的に何に載っていたか思い出せない)。たしかピアノのエンゲルとの共演を希望したか、「水車小屋」を自分の音域で歌うことに難しさをおぼえていたとかだったと思います。

 実際に聴いてみると、プライらしい明るい声質が前面に出ているもののあまり感情を込めないで何となく淡々と歌っている風で、 その点では彼らしいのかどうか分かりません。ヘルマン・プライが演じるフィガロやベックメッサー役の歌、舞台姿を思うと意外にあっさりとしています。同じくらいの年代にシュライアーやフィッシャー・ディースカウが歌った録音ではもうちょっと劇的にというか、感情の起伏を感じさせる派手?な演奏なので、プライが歌うドイツ・リートの特徴が出ているのかもしれません。正直プライが歌うリートはシューベルト以外ほとんど聴いた覚えはないので分かりませんが、熱心なプライのフアン(彼の、特にリートのフアンも居る)がいるので、さらに聴いているとその機微が分かるかもしれません。

 このCDは国内盤なので日本語の解説が付いていて、そこに「低音域に甘い豊かな響きをもったプライのバリトンは、歴史上比肩するものがないと言われた程」とありました。 プライの声を思い浮かべるとなるほどと思う賛辞ですが、この録音ではそんな美声が全開という感じでないのが、かえって目立ちます。
5 2月

シューベルト歌曲集「白鳥の歌」 プライ、クリーン/1963年

160205aシューベルト 歌曲集「白鳥の歌」 D.957

ヘルマン・プライ(Br)
ワルター・クリーン(P)

(1963年4月 ウィーン,ゾフィエンザール 録音 Decca)

160205b 毎年これくらいの時期が何となく実質的な正月のようになり、一区切りの気分でした。今年の春節は2月8日からだそうで、それに合わせて既に中国語を話す団体客が目立ってきています。昨年はホテル、旅館が足りないとよく言われ、民泊云々とニュースでもしばしば耳にしました。その影響か、先日押小路通を歩いていると、女子寮か何かの建物の前に標識が立てられ、3月からホテルに用途変更するという法律上の手続きや工期が書かれてありました。風船が割れるように急に旅行客が減少すれば目も当てられないと思いながら、そこそこ古い建物なのにわざわざホテルに転用するとはよっぽど需給が逼迫しているようです。

 バリトンのヘルマン・プライ(Hermann Prey 1929年7月11日 - 1998年7月22日)とワルター・クリーン(Walter Klien 1928年11月27日 - 1991年2月10日)によるこの「白鳥の歌」はプライの同曲初回録音でした。正式な録音としてプライは「白鳥の歌」を含む三大歌曲集を三種残したことになり、中でもこの初回録音は長らく廃盤状態でした。シューベルトのピアノソナタの録音でも知られるワルター・クリーンとの共演は注目だと思いましたが、初回の三大歌曲でもこの一作品だけの共演に終わっています。1961年の「冬の旅 (ピアノはカール・エンゲル)」、1963年の「白鳥の歌」に続く「美しき水車小屋の娘」はしばらく後、1971年(ピアノはカール・エンゲル)になりました。当初プライはフィッシャー・ディースカウが出したレコードの後を追うように同じ曲を録音していたのをフィッシャー・ディースカウが不快に思ったとか言われましたが、初回の三大歌曲の流れを見ると単に機械的にレコード録音をこなしていたわけでもなさそうです。

 この古い「白鳥の歌」はまず何よりプライの若々しく、甘い美声が際立っていて、それだけでえも言われない切ない気分になりそうです。ただ、畢竟それだけということではないとしても、ハイネの詩による曲は明る過ぎないかとフィッシャー・ディースカウの初回録音と比べてもそんな気がします。それでも全体的に速めのテンポのためか、過剰に甘く流れるという風でも無くて終始快適?な気分で聴いていられます。1963年は自分はまだ生まれてもいないのに、この録音に限っては聴いていると自分がその当時青春時代を過ごしていたかのような不思議に懐かしい錯覚にとらわれます。そんな風に聴く者を誘い込む引力のような魅力がありそうです。

 なお、演奏しているのは通常の14曲のみで、演奏順番も曲集の通りです。再発売にあたって他にボーナストラックとしてシューベルトの歌曲を七曲、R.シュトラウスの歌曲を二曲付け加えています。「白鳥の歌」が終わった直後に入っている「野ばら」D.257もかなり魅力的でした。あらためてヘルマン・プライの歌を聴いているとシューベルトの歌曲に対するイメージが何となく変わるようでもありました(彼固有のフアンが居るのも肯かされる)。
20 9月

100名の賛同で再放送 プライ・美しき水車小屋の娘・1997年

120920aシューベルト 歌曲集「美しい水車小屋の娘」 D795


ヘルマン・プライ(バリトン)
レナード・ホカンソン(ピアノ)


(1971年10月 ミュンヘン 録音 旧Philips)


 ここ二、三日の流れからすればそろそろクレンペラーのCD(ベートーベンの第4か未完成)が登場する頃ですが、このブログへ寄せられたコメントの中にTV番組の再放送を求めるものがあったので、それについてと関連のあるCDを取り出しました。1997年8月に放送されたNHKの芸術劇場は、ヘルマン=プライがシューベルトの歌曲集「美しき水車小屋の娘」全曲を歌った公演だったそうです。その演奏に感銘を受けた方が、是非もう一度聴きたいと思われています。NHKでは100名の賛同100 Eね :下記のリクエストページで100人のクリックが集まること)があると再放送を検討してもらえるそうで、次のような受付サイトがあります。NHKの「お願い編集長」というページ、「お願い!検索」で「プライ」と入力して検索していただき、リクエストのページに入りますと、Eねボタンがあり、それをクリックしていただけるようになります。
(あるいは
http://www.nhk.or.jp/e-tele/onegai/detail/4715.html#main_section


 私自身はその放送は知りませんでしたが、プライが亡くなる前年の演奏であり興味が湧いたので「 Eね 」をクリックしました。関心がある方は上記サイトをみてください。現在は50名くらいだそうです。ウィキの情報によれば、その放送の演奏はシューベルト生誕200周年の1997年にサントリー・ホールにおいて、シューベルトの誕生日をはさんだ12日間に行われた公演の一つだと考えられます。伴奏はミヒャエル・エンドレスと書いてありました。水車小屋だけでなく三大歌曲集全部を歌っていました。


120920b  といったところで今回のCDですが、これは件の芸術劇場の26年前の録音で、ヘルマン・プライ(1929年7月11日-1998年7月22日)が42歳の頃の演奏です。この機会にも水車小屋だけでなく三大歌曲集を集中して録音していました。このCDと近い年代、1974年にはペーター・シュライアー、1971年と1968年にはフィッシャー・ディースカウがそれぞれ同じ曲を録音しています。特にシュライアーと1968年のフィッシャー・ディースカウを念頭に置いてこのCDを聴くとかなり印象が違って驚きます。前二者、特にシュライアーはやや甲高い声で奔放に突っ走るような歌なのに対して、プライの方は絹のハンカチを広げたような柔らかい感触で、この詩が失恋を内容としているのを忘れるような明るさです(実際、詩の主人公は若いのだしくよくよすることはない)。


 ブログにいただいたコメントによれば、プライ自身は晩年の演奏について、「昔録音した頃と今の自分は全く違う、声の輝きは失ったが、幸い十分にコントロールができ、より深く表現できるようになった」と述べていたそうです。また冬の旅についても「冬の旅の解釈は年を経て良いほうに変わった」と言っています。こうなると余計に1997年の放送が気になります。

6 12月

ヘルマン=プライ初回録音 シューベルト「冬の旅」

シューベルト 歌曲集「冬の旅」D.911

ヘルマン=プライ:バリトン

カール=エンゲル:ピアノ

(1961年10月 ベルリン 録音 EMI)

 これは同曲のグラモフォンへの2度目録音の10年前に録音したヘルマン=プライ初の「冬の旅」録音です。手元にあるのは” SERAPHIM SUPER BEST ”というEMIが90年代に出していた廉価盤シリーズです。1枚当たり1500円は現在ならあまり安いという有難味は感じませんが、国内盤新譜が1枚3300円とか3000円の頃なら廉価を実感できました。風景写真が前に表示されているシリーズです。シューベルトの冬の旅といえばどうしてもデートリヒ・フィッシャー・ディースカウの名前が最初に思い出され、プライは陰に隠れがちです。

                   101206

 「このヒューマンなのくもり!のびやかに青春をたたえるプライの美声」と銘打たれていて、パッケージの帯には次のような一文も添えられています。「プライの歌唱は、ヒューマンな温もりを持った、若々しく自然で伸びやかなもので、いかにも青春の歌にふさわしいものといえます。美しい限りです。」そうした形容の歌唱は冬の旅にふさわしいのかどうか、一瞬迷うような先入観があるはずです。この曲はもっと、底なしに暗い作品ではないのかと、どうしても思ってしまいます。

 東京書籍から出版されている、シューベルトの冬の旅の単行本があり、店頭で少し読んでいると思わぬことが書いてありました。ナポレオン戦争の後始末と秩序回復を目的にしたウィーン会議後の体制への反発等、冬の旅の中の政治的意図の可能性について、フィッシャー・ディースカウが言及しているがプライは否定している等興味深い内容でした。シューベルディアーデに顔を出していたメンバーが逮捕されたとも書いてありました。

  そうした内容と並んで興味深かったのは「旅」という言葉の位置、とらえ方の日本人とドイツ人との違いは大きいという指摘でした。日本なら奥の細道とか、さまよう間にいろいろな感情が浄化されるというのに近い肯定的なニュアンスを持ちますが、ドイツやヨーロッパではそうではなく、戦禍や政治的問題で故郷を離れざるを得なかった画家を例にして、冬の旅に潜む深い疎外感を指摘していました。明治以来、教養的に西洋音楽を聴くという枠組みでシューベルトの冬の旅をとらえていては、作品本来の姿と齟齬を生じるという意味のことが書かれてあり、虚心に聴いてみようとあらためて思いました。

 この録音はプライが32歳の時の演奏で、シューベルト(1797.1月-1928.11月)の作曲時(1827年)に近い年齢です。そう思って聴くと何か特別なものに思えてきます。

23 10月

ヘルマン・プライの シューベルト「冬の旅」2度目録音

シューベルト 歌曲集「冬の旅」 D911


ヘルマン=プライ
:バリトン

ウォルフガング=サヴァリッシュ:ピアノ


(1971年10月 録音 DG・旧PH)
 

101024b  10月23日は二十四節季の霜降(そうこう)で、霜が降り始める頃ということです。しかし実際にはまだまだ霜どころではない気温です。霜降で冬の旅とはとってつけたような選曲ですが、この曲は非常に好きなので季節を問わず、思い出したように聴きたくなります。ヘルマン=プライと言えばフィガロ(ウィーン国立歌劇場初来日・ベーム)、ベックメッサー(84年バイロイト・シュタイン)をはじめオペラの多くの役が思い出され、歌唱だけでなく舞台での演技等も迫真でした(生の公演を観たわけでもないのに言うのも気がひけますが)。特に上記のフィガロ、ベック・メッサーは印象に残ります。しかし、ドイツリートの方も熱心で、シューベルトの三大歌曲集はそれぞれ3度正式録音しています。冬の旅は以下の3点です。
 

①ピアノ:カール・エンゲル(1961年10月 ベルリン録音 EMI)

②ピアノ:ウォルフガング・サヴァリシュ(1971年10月27-30日 ミュンヘン録音 PHILIPS)

③ピアノ:フィリップ・ビアンコニ(1984年4月3-6日 ハンブルク録音 DENON)

101024a
 これらの他に、岩城宏之指揮オーケストラアンサンブル金沢の演奏と組んで(鈴木行一編曲版)オーケストラ版の録音も残しているようです。また、3大歌曲の映像ソフト(冬の旅は1984年収録 ピアノはヘルムート・ドイチェ)も残しています。これだけ熱心な活動ぶりにもかかわらず、ついフィッシャー・ディースカウの方を優先してしまい、特に①のEMIへの録音は聴いたことがないかもしれません。しかし、ヘルマン=プライの冬の旅はずっと気になっていることがありました。学生の時のドイツ語講師が授業中にラジカセを持って来て、プライの冬の旅等を流したことがありました。菩提樹は何度かけて、日本ではどうしてもフィッシャー・ディースカウが有名だけどと、それが良いとも悪いとも言わず、こういうのもあるとヘルマン・プライの歌を流していました。何故ヘルマン=プライを持って来たか何か言いたそうにも見えました。好みは人それぞれなのでどちらでもいいのですが、名曲探偵天出にでも頼めば何か分かるかもしれません。

 そう思っている内にあるブログに、興味深い指摘が書かれてありました。専門家の間では有名なのかもしれませんが、寝転んで聴いているようなおっさんとしてはつい聴き逃してしまいます。ヘルマンプライは冬の旅第16曲で、シューベルトの歌詞ではなくミュラーの原詩に戻して歌っているのです。
 

シューベルト・冬の旅第16曲目” Letzte Hoffnung ” (最後の希望)

Hie und da ist an den Bäumen

manches bunte Blatt zu sehn,


 第16曲目の冒頭部分部分ですが、ミュラーの原詩・冬の旅では「 noch ein buntes  」(まだ一枚の色づいた葉が)となっています。しかし、作曲者・シューベルトの冬の旅では上記の通り「 manches bunte 」(多くの色づいた葉が)と書かれてあります。シューベルトはミュラーの詩集の配列を変えて作曲しているので、そのように歌詞を変更したのも敢えてそうしたのだろうと思えます。手元の廉価盤添付の歌詞にはシューベルトの歌詞通り記載されていて、プライがそれとは違う歌詞、ミュラーの原詩を歌っています。だから歌詞カードを見ながら聴いていれば分かりますが、集中していなければ聴き逃します。この点はLPレコードは解説の紙も大きく読み易く、歌モノのレコードを買った時はそれをにらみながら聴いたものです。CDの場合解説も小さくなり、年とともに読みづらくなってきました。
 

101024c_2   ミュラーの原詩とシューベルトの変更した詩ではどう違ってくるかについてですが、その前に③の1984年・DENON盤の日本語解説では、プライが歌う通りの原詩が記載されています。これならすぐ分かります。ただ、歌詞の変更、違いについては言及がありません。プライの自伝の紹介があるのみです。日本語訳は次の通りです。「 あちこちの木立の枝に まだ一枚の色づいた葉が見えている 僕はその木立の前で 時折思いに沈み立ちつくす 僕はその一枚の葉を見つめ それに僕の希望をかける 風が僕の葉にたわむれば 僕は耐えられる限り震える ああ そしてその葉が地に落ちると それと一緒に希望も耐える 僕も地面にくずおれて 僕の希望の墓に泣き伏す 」。第16曲「最後の希望」は、木に残った葉を希望になぞらえ、最後の一枚が落ちると自分の希望も絶えるという歌です。そうするとやっぱり原詩の方がすっきり意味が通ります。一方、作曲者のシューベルトの採用した「 manches bunte 」の場合は、2月で取り上げたゲルハルト=ヒッシュ盤の対訳では、「そこかしこの樹に見える いくつもの色づいた葉」 となっています。他の訳では「いくつもの」という一つではなく多くあると印象付ける言葉を訳出していない例もありました。
 

 シューベルトの真意やどちらが良いかなどははかりかねます。ただ、「manches いくつもの、多くの」というシューベルトの歌詞の場合、客観的に見れば「希望」となり得る事柄は他にもあるのに、というニュアンスになるのではないかと思えます。冬の旅の主人公は、葉っぱ多数あるのに一枚の葉しか目に留まらない、それらが視野に入らない、即ち、他にも希望はあるのにそれを受け入れることができないということになり、これも残酷で元々葉が一枚しか無い光景よりも内面的にはもっと過酷な苦しみかもしれません。
 

 これくらいにして、ヘルマン・プライ二度目の冬の旅の印象は、第1曲冒頭からしてどこか爽やかで、陰惨さは希薄です。録音当時42歳だったプライは当然もう青年ではないものの、歌手としてまだ上り坂で、これから芸術的円熟期に入るところなのでこういう歌も自然だろうと思います。全般的に直情的というか、真っ直ぐな感情が噴出すような印象で、また、疲れ果てたような状態を想像させる表現もありません。爽やかさはそこから来るのだと思います。第20曲から最終の24曲までも、失望しながらひたすらさすらいが続いている、といった様子が想起されます。終曲のライヤー回しも、終わりが無い絶望といった陰惨さとは異なります。ヘルマン=プライの自伝「初日の熱狂」には冬の旅の解釈が詳しく載っているそうです。
 

 反復して今回のCDを聴いていると、学生の頃ドイツ語講師が持参した音源とはちょっと違うかもしれない気がしました。そうするとこの2度目の録音ではなく、初回のEMI盤だったはずです。ただこちらは現在廃盤中です。

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プロフィール

raimund

昭和40年代生まれ、オットー=クレンペラーの大フアンです。クレンペラーが録音を残したジャンルに加え、教会音楽、歌曲、オペラが好きなレパートリーです。

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