ヘルマン=プライ:バリトン
先日、何泊かで出かけていましたが温泉でも観光地でもなく、病院へ短期入院でした。二十数年前も時代祭りの頃に入院して手術していたので当時のことも思い出しました。その時は胆石、今回は尿管結石、意志は弱いくせに体内に硬い石ができて困ります。今回は運悪く相部屋の一人が吠え猛る獅子のようなクレーマーで、到着した時からナースコールを連打して吠えていました(傍で聞く儂の方が腹が立つでな/実際うるさくて困る)。それはともかく、新型コロナの影響のためか、ベット周囲の仕切りカーテンの全方向を昼間でも閉めきるようになり、互いに挨拶、会話もないのにはちょっと驚きました。病室に到着した時に看護師にちょっと挨拶をと言うと、目で制するような変な表情で、しんどくて寝てる人も居るので顔を合わせた時でいいでしょうと言われ、それは狂暴なクレーマーが居たからでしょうが、それだけでもなさそうでした。この25年間で自己負担額が増えただけでなく、人心がどこかしらすさんだようでした。
ヘルマン・プライ(Hermann Prey 1929年7月11日 - 1998年7月22日)が三度目にセッション録音したシューベルトの連作歌曲集「冬の旅」、若手のピアニストを共演に選んだことでも注目されました。ちょうど55歳になる年なのにそんな年代とは思えないくらい若々しい声が印象的です。単純にそういう美点だけではなく、やや冷たくきらめくようなピアノに集中しようとすれば歌い手がそこそこの年齢だということを思い出すという不思議な魅力です。実はこのCDを病室に持ち込んでポータブル・プレヤーで再生しようとすると、付けたケーブルが製品付属のとは違うものだったのかHOLDという字が表示されて再生できず無駄になりました。
このCDは国内盤DENONの三枚組(三大歌曲集)CDで付属冊子が付いていて、冬の旅については「二十四の絶望変奏曲」とタイトルが付いています。絶望という言葉は文学なり美術なりの分野でも時々出てくるものかもしれませんが、そもそもどういう状態なのか、不自由や不便とそれが当人の意思に基づかない強制的なもので、かつ、それがいつ解かれるか分からないとか、拷問やら身分による縛りとか色々思い浮かぶことはあります。それでは絶望の反対は何かと考えると、自分にはそれは縁遠いからかもやもやっとして出てきません。仮に絶頂のようなことがあったとしても、結局は過ぎ去り、ごく短い間のことではないかと思います。
そう考えると絶望とまで言わないまでもその何歩か手前くらいは結構身近な居場所のような気もします。自覚はなくてもまわりからは「よく普通に生きて~」と思われているかもしれません。「冬の旅」は昔から好きな作品で一定の間隔が空くと聴きたくなりますが、歌唱を聴いた後に寒気のような怖いものを感じることは稀で、F.ディースカウ、ムーアの1962年EMIと白井光子、H.ドイチェの1989,90年CAPRICCIOくらいでした。特にその年代より新しい録音、演奏の場合聴いていてそんな強烈な刺激受けることはなく、そもそも目指してもいないのじゃないかと思いますが、今回のプライの歌は恐怖を覚えるような井戸の底を覗き込むようでありながら、フォルテピアノと共演する演奏のような明解さも何割かは入っているようです。繰り返し聴くたびに愛着が増して、当初は分からなかった事柄に気が付くかもしれないと思いました。今回の入院持参だけでなく、過去に何度か記事化しようとして保留にしていました。